歴史ミステリー小説「東毛奇談」の目次

歴史ミステリー小説「東毛奇談」 目次


第1章  天狗のこと
第2章  新田伝承のこと
第3章  家康改姓のこと
第4章  本能寺の変こと
第5章  仮名手本忠臣蔵のこと
第6章  徳川埋蔵金のこと
終章   内侍と世良田氏のこと


小説はhttp://daikiti431.blog112.fc2.com/に移動しました。
こちらのサイトは第1章から順に掲載しております。
また字も大きめとなっております。
各章の始め、終わりの部分が過去の話(義貞の話など)になっております。あとは現代の話、時代が錯綜しておりますが、ご了承ください。

「続きを読む」には、主に、参考にした文献を記載しておきました。



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とにかく、朝日新聞は森繁久弥さんの墓前で謝った方がいい。

谷沢永一著「こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状」(クレスト社)にこんな引用文があった。

朝日新聞の「天声人語」(平成6年10月17日付け)
少し前に、かなり名を知られた俳優が政府から表彰され、ありがたいと感謝していたのには、驚いた。「冗談じゃない。えらそうに表彰なんかするない。おれには客の拍手があらあ」くらいのことは、言ってもらいたかった。役者が国に格付けをしてもらって喜ぶ「文化国家」は願い下げだ。
戦後、金鵠勲章も爵もなくなり、勲章の運用が停止されたが、後に復活した。勲章の好きな人がいるからだろう。文化勲章とは別の普通の勲章には等級がある。政府が人に等級をつけるとは妙なものだ。
自分は戦後民主主義者であり、国家とは結びついた文化勲章は似合わない、という大江さんの言葉がごく自然で筋が通っている。

ここで言われているのは、森繁久彌である。
「自分が生まれ育った国から賞を受けて素直に喜んでいる人がこういう嫌がらせを書かれているのは、何とも気の毒である」

文化勲章受章者を辱めた「天声人語」の無礼、とある。

日本の芸能界を支え続け、その功績を国から表彰された森繁久弥よりも、文化勲章も文化功労者も断って、反国家・反天皇・反防衛、反日を言いまくって祖国を罵った結果、ノーベル文学賞は受けた大江健三郎の方がエライというのだ。
朝日新聞は平気でこんなことを書く。
酷い新聞だ。
何もかもが偏っている。

それに朝日新聞は、何がなんでも軍国主義に結び付ける。
平成22年2月6日 別刷り「be」には、童謡「うみ」の三番の歌詞「うみに おふねを うかべて、いってみたいな よそのくに」という部分が「外国侵略」「戦争協力」にあたるのでは、などと紙面2ページによって書かれている。(結局、そうではないという結論で結んでいるが、こういうことを書きたてること自体がおかしい。)

また投稿欄「声」には、週一で「戦争体験」が載せられ、そして「建国記念日を廃しせよ」「元号をやめろ」「国歌を違うものに替えよう」なんてのが毎朝載る。
そして投稿した人の名前を検索すれば、「高校教師が○○県日教組会員」だったり、「9条の会の会員メンバー」だったり、「毎日新聞、東京新聞に反日的内容の投稿を続けている人」だったりとそんな方々ばかりだ。
ほんとに気味が悪い。
朝日新聞の小ネタ
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-670.html
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-612.html

それにしても、朝日新聞は、日本は中国や韓国に謝れと主張する前に、森繁久弥の墓前へ行って謝るべきではないだろうか。

「アニメ・マンガ」で「文化防衛論」

平成22年2月6日の朝7時ごろ、車で出勤途中のこと。
映画館の前で黒山のような人だかりが。(MOVIX伊勢崎だった。) 40〜50人はいたと思う。しかもすべて若い男子だった。
こんな群馬の片田舎で一体何が起こったのか?
朝っぱらから店の前に行列ができるなんて、ヤマダ電器の新店舗オープンじゃあるまし。
後で聞いたら、これが「涼宮ハルヒの消失」の公開日だったという。
涼宮ハルヒの消失
群馬ではここだけでしか上映してないようだった。そりゃ並ぶわ。

昔だったら、「オタクってなに?」って、横目で見ながら冷笑していたものだが、今は少々考えが変わった。
オタク文化もポップカルチャーもそれらすべてが内包されて「日本文化」だと思うようになったからだ。

これに関連した新聞記事を転載してみる。
読売新聞 平成22年2月6日付け文化面「展望2010」(文化部長 飯田政之)の記事から  

「ジャパンエキスポ」をご存じだろうか。日本の漫画、アニメ、ゲームなどポップカルチャーに魅せられたフランス人たちが、自発的にパリで開催している日本紹介のイベントのことである。
企画したのは、フランスで放映された日本のアニメや仏語版の漫画に親しんで大人になった世代だ。2000年には初開催した頃は数千人規模の催しだったが、忍者漫画「NARUTO」やポケモンなどの影響で爆発的に拡大、昨年7月の来場者は4日間で実に16万人5000人。ポップカルチャーのほか囲碁、将棋、武道、書道も体験できる欧州屈指の祭典になった。
東京で昨年11月に開かれた第7回国際文化フォーラム(文化庁など主催)のテーマの一つが、ジャパンエキスポ代表のジャンフランソワ・デュフール氏はこの10年を振り返り、「日本の漫画、アニメは今や世代を超えて溶け込んでいる。若者に日本文化が大きな影響を与えている」と高く評価した。
なぜかくも海外で受容されているのか。青木保・前文化庁長官はこう語った。「宗教的、民族的、地域中心的な偏ったメッセージがない。しかも人間的で楽しいから、どこでも入っていく。これは戦後日本の基盤に平和と自由があったからだ。アジア、欧米、日本の文化を自在に使いこなす混成文化が漫画、アニメに特徴的に表れていて、21世紀を先取りしている。」
日本文化の価値は、日本人自身が意外に気付かない。昨年、政府の「国立メディア芸術総合センター」構想を民主党が「国営マンガ喫茶」と批判し、一定の支持を得たのは、政府が従来通りの「箱モノ」的な提案しか出来なかったことが無論大きいが、漫画やアニメの価値が十分認知されていないこともあるだろう。
同センターは建設中止になったものの、日本が世界に誇る漫画、アニメを包括的に収集・保管し、人材育成にも役立てようという発想は悪くない。中国、韓国は、国を挙げて漫画、アニメの産業育成に力を入れている。日本政府の文化関係予算は、他国に比べて見劣りしてきたが、それでいいのか。文化の公共性について議論を深めるべきだ。(以下省略)

まさにこの通り。(いい記事です。後半の活字文化の衰退もいい) だが一つだけいただけない部分がある。日本文化が世界で受け入れられたのは「戦後日本の基盤に平和と自由があったから」という青木保・前文化庁長官の意見だ。それだけではないはずだろう。
ここには、日本の「歴史・文化・伝統」が抜け落ちている。 
つまり、今のアニメやマンガ、ゲームなどの「日本文化」は、過去の日本で培われてきた「伝統文化」が、基盤となっていると言えるからだ。
「文化」というものは、ある日突如としてポッと現れるものではない。「文化」という形になるまでには、過去から積み重ねられた蓄積があり、そこに様々なモノがくっ付いたり離れたり変化をしながらも、それが断絶なく続いたときに、初めて、一つの「文化」というものが成り立つのだ。
だがら、世界に受け入れられたアニメやオタク文化が、戦後の平和主義や平等主義のみによって作られた、といったような意見は少々偏狭な考えだろう。(戦後民主主義崇拝者か)

いま日本を代表するような伝統文化である歌舞伎も浮世絵も、江戸時代のポップカルチャーであり、戯作も俳句も連歌も庶民が支えた文化だ。江戸時代にもマニアがいて、根付マニア刀鍔マニアという細かいものまで蒐集家がいて、これに合わせて鑑定人もいた。これら何にでも好事家がいて、これを「文化」にしてしまった。いわばこれらの人々こそがオタク・マニアのはしりといえるだろう。(井沢元彦著「逆説の日本史16 第6章江戸文化の「江戸的」凝縮編」が面白かった。)
こういった現代において隆盛を誇るアニメ・オタク文化の下地は、すでに日本の歴史の中から作られてきたといえるのではないだろうか。
だから、「涼宮ハルヒの消失」の公開日に並ぶ熱狂的ファンやアニメキャラ絵馬を奉納するオタクも、「日本文化」の一つのだといえるのだ。

それでも「アニメやマンガが、日本文化と言えるのか」という人もいる。またサブカルチャーを相変わらず否定し、軽視する者も多い。(「アニメの殿堂」を潰した人々の頭には、この考えがこびりついている。)

では、ここで、三島由紀夫の考えを引こう。
新潮社「三島由紀夫全集35「栄誉の絆でつなげ菊と刀」から

文化というものは、目に見える、形になった結果から判断していいのではないかと思う。従って日本精神というものを知るためには目に見えない、形のない古くさいものとは考えずに、形あるもの、目にふれるもので、日本の精神の現れであると思えるものを並べてみろ、そしてそれを端から端まで目を通してみろ、そうすれば自ら明らかとなる。そしてそれをどうしたら守れるか、どうやって守ればいいかを考えろ、というのである。
歌舞伎、文楽なら守ってもいいが、サイケデリックや「おれは死んぢまっただ」などという頽廃的な文化は弾圧しなければならない―というのは政治家の考えることでことだ。私はそうは考えない。古いもの必ずしも良いものではなく、新しいもの必ずしも悪いものではない。江戸末期の歌舞伎狂言などには、現代よりももっと頽廃的なものがたくさんある。それらを引っくるめたものが日本文化であり、日本人の特性がよく表われているのである。日本精神というものの基準はここにある。しかしこれから外れたものは違うんだという基準はない。良いも悪いも、あるいは古かろうが新しかろうが、そこに現れているものが日本精神なのである。従ってどんなに文化と関係ないと思っている人でも、文化と関係のない人間はいない。歌謡曲であれ浪花節であれ、それらが頽廃的であっても、そこに日本人の魂が入っているのである。
私は文化というものをそのように考えるので、文化は形をとればいいと思う。形ということは行動することである。特攻隊の行動をみてわれわれは立派だと思う。現代青年は「カッコいい」と表現するが、アメリカ人には「バカ・ボム」といわれるだろう。日本人のいろいろな行動を、日本人が考えることと、西洋人の評価とはかなり違っている。彼らから見ればいかにバカ気たことであろうとも、日本人が立派だと思い、美しいと思うことがたくさんある。
西洋人からみてバカらしいものは一切やめよう、西洋人からみて蒙昧なもの、グロテスクなもの、美しくないもの、不道徳なものは全部やめようじゃないか―という文明開化主義である。西洋人からみて浪花節は下品であり、特攻隊はバカらしいもの、切腹は野蛮である、神道は無知単純だ、と、そういうものを全部否定していったら、日本に何が残るか―何も残るものはない。
日本文化というものは西洋人の目からみて進んでいるか遅れているかとか判断できるものではないのである。従ってわれわれは明治維新以来、日本文化に進歩も何もなかったことを知らなければならない。西洋の後に追いつくことが文化だと思ってきた誤りが、もう分かってもいい頃だと思う。

つまり、新しい文化だからといって軽視してはいけない。そこに日本の魂が入っていればそれが日本文化だ、と唱えているのだ。
だから、三島由紀夫がいまでも生きていたとしたら、アニメやマンガ、オタクは無論否定せず、「日本文化」の一つとして認めていただろう。そしてJPOPや日本語ラップなども同様だ。
いや、「これこそ、冠たる誇るべき日本文化だ」といって、率先して「アニメの殿堂」を作ったかもしれない。
そこに、日本の魂があれば、「日本文化」なのだから。
もう少し引いてみよう。

つまり日本文化とは何を守るかということを突き詰めると、どうしても文化論にふれなければならなくなるのだが、ただ文化を守れということでは非常にわかりにくい。文化云々というの、おまえは文化に携わっているから文化文化という、それがおまえ自身の金儲けにつながっているからだろう―といわれるかもしれない。あるいは文化なんか守る必要のない、パチンコやって女を抱いていればいいんだという考え方の人もいるだろう。文化といっても、特殊な才能をもった人間が特殊な文化を作り出しているんだから、われわれには関係ない。必要がれば金で買えばいい、守る必要なんかない―と考える者もいるだろう。しかし文化とはそういうものではない。昔流に表現すれば、一人一人の心の中にある日本精神を守るということだ。太古以来純粋を保ってきた文化伝統、一言語伝統を守ってきた精神を守るということだ。しかし、その純粋な日本精神は、目に見えないものであり、形として示すことが出来ないので、これを守れといっても非常に難しい。またいわゆる日本精神というものを日本主義と解釈して危険視する者も多いが、それはあまりにも純粋化して考え、精神化し過ぎている。目に見えないものを守れということは、とかく人を追い詰めていくもので、追い詰められると腹でも切るよりほかなくなってくる。
だから私は、文化というものを、そのように考えない。文化というものは、目に見える、形になった結果から判断していいのではないかと思う。

実に明快な説明。分かりやすい。
三島由紀夫については、あの過激な行動と教条的信念があって、どうも拒否してしまうこともあった。だが、こうして読んでいくと、「文化論」「日本文化」について鋭い言及があって、ほとほと感服してしまう。
もし、三島由紀夫が生きていたら、もう少し後に生まれていたら、きっとオタク文化も日本文化だとして新たな「文化防衛論」を展開していたに違いない。
三島由紀夫(「文化防衛論」ですが、この本には上記で引用した「栄誉の絆でつなげ菊と刀」は収録されていません)

私が尊崇する明石散人は、「国家=文化」だと断言した。
「守るべきは文化」、右派の知識人の意見は、みんなここに集約されていく。
世の中に、アニメファン、マンガオタク、ゲームマニア、歴史好き、などなど新しい「文化」の担い手が多くいる。
これらすべてが「日本文化」という大枠の中に内包されている、最近そんな風に考えるようになった。
ならば彼らは、自分らが大切にしている「文化」を守るためには、一体どこを守っていけばいいのか、そこがなくなれば君らの大事な「文化」も無くなるんだよ、といったことを示唆していけばいいのではないか、と今そんなことを思っている。

「歴史・文化・伝統を守ることが、日本を守る」の本来の意味が、最近、おぼろげながら分かってきたような気がします。

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新田義貞が表紙!! そして一枚の物悲しい写真

本屋に行ったら、新田義貞が表紙となっている本が並んでいた。
週刊 名将の決断(47)勝者の戦略 新田義貞
名将の決断 新田義貞
早速購入。
目次
■勝者の戦略【鎌倉攻略】
栄光の高みへ駆け上った 新田義貞のビクトリーロード
童門冬二「決断を斬る!」●目標をシンプルにした戦略
山名美和子「英雄を愛した女たち」●勾当内侍
といった内容で、
名将の決断 新田義貞 中身
といった感じでした。

それにしても、このシリーズ、歴史上の人物を「勝者の戦略」と「敗者の誤算」といった形で分けるのは、どうもいただけないし、朝日新聞社の出版だったのでかなり心配だった。
(「週刊マンガ日本史」の件)
ただ、今回の新田義貞に関しては無難な内容だったので安心した。まあ表紙が新田義貞だけでも買いですが…。

さて、本紙に「生品神社」の写真が掲載されている。
これ鳥居が、かなり色落ちしていて、まだら模様となっている。
「むなしい」の一言。まさに「寂れた」感じが伝わってくる。
この一枚の写真だけを見ても、「新田義貞および新田一族の史跡」がいかに冷遇されているのが良く分かる。
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地元であるにも関わらず「新田氏」に関しては無関心この上なく、行政も歴史・文化事業には全くもって無政策・放置状態なので、新田氏史跡は寂れるばかりだ。
これをみると、義貞終焉の地となった福井の方々には、行事やら祭りやらでいろいろと盛り上げていただいて、ほんとうに感謝するばかりである。
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それにしても、どうにかならないものか。

2月3日なので、「恵方巻きとは何か 恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか(仮説)」を再録してみました。

2月3日に近くなると、「恵方巻き」や「恵方ロール」といった言葉で当サイトに来られる方がやたらと多くなる。
どうやら、2年前に書いた「恵方巻きとは何か 恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか(仮説)」の記事にたどり着くらしい。

そこで、自分で書いたものを読み返してみた。
ヘンな記事だった。
結論もなく、途中で投げ出してある。
調べて書くといって、2年経っているが、続きは書いていない。
これを読んでみんなどんなことを思うのだろうか。そこが知りたいところだ。

だが、これが、
「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」 その1 これは直会だ!」
「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」その2  スイカ=餅、つまり魂の更新を意味する!」
餅の鏡開きと酒樽の鏡開きとスイカ割りとクリスマスケーキは同じ!?などとつながっているわけです。
全部どこか似てますね。

とりあえず、一部手直しして再録してみました。
恵方巻きとは何か?  その1 私を悩ます「節分ロールケーキ」
2月3日の節分の日が近づいてきました。
スーパーには、福豆やひいらぎ、イワシなどが並び始めました。
そして、「恵方巻き」です。いつの間にか七福神と結びついて、縁起物となり、いつの間にか「節分の日」のメイン商品となっていました。

そこにこれです。
ro-ruke-ki.jpg

つまり「節分ロールケーキ」を「恵方巻き」に見立てているわけです。
他のロールケーキや長い菓子パンなどにも節分関連のシールが付いたもの、麩菓子、長いチョコなどもあります。
う〜ん、これって考えてみれば不思議なことです。
簡単に言ってしまえば「便乗商法」でしょうが、それほど違和感を感じない。一見すれば、「何だ、これ」と思いますが、なぜか「これもアリか」、と妙に納得してしまうのです。(みなさんはどうでしょうか?)

変だとは思っても、これを節分の商品だと認識して、受け入れてしまう自分の心理はどこから来るのか、そこが不思議でならないのです。
要は、これらの商品と「恵方巻き」は形状が似ているから、「見立て」として成り立っているわけでしょう。
となると、「長い」ということが重要だということになるのでしょうか?
もっと言えば、その「長いもの」を「節分の日」に「食べる」という行為自体が重要となるのか?
そして、結果的には、この行為をすることによって「鬼(邪気)を追い払い」「福を呼び込む」ってことになるわけだ。
決められた作法に則った行為をすれば、邪気を払って福を招く。これはつまり祭祀、神事だということになる。
恵方に向かって無言で食べるなどの規則で「恵方巻きを食べる」という行為の中に、祭事的意味合いがあって、それを人々はそこに神事的意味を感じ取っていたということになる。そうでなければ、この風習がこれほどまでに浸透しないだろう。

「恵方巻き」が、コンビニ業者や関連業者によって、節分の日に新たなイベントを掘り起こそうして広めたということは間違いない。(そういった経緯が詳しく知りたい方は検索して他のサイトを見て下さい。なかなか詳細に書かれています)
しかし、発信者である業界がいくら仕掛けても全く浸透せず、また定着することもなく消えて行った事例は数知れない多い。その中にあって「恵方巻き」は広まった。つまり、広まったということは、一般大衆がこの風習を受け入れたということに他ならない。そこには日本人の心の中にその風習を受け入れる下地があって、なにかしら、心に触れるものがあったからに違いない。

それは何故かということになる。

そこを追究していけば「恵方巻きは何故広まったのか?」という謎が解けそうです。(たいした謎ではありませんが…)

次回は「節分の日に恵方巻きを食べる、という奇妙な習慣がなぜ広まったのか」を民俗学的に見るとどうなるか、ということを私的解釈で書いてみます。(と言いつつ、どうなることやら……)

次回に続く。


恵方巻きとは何か その2 恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか(仮説)
前回の続き。

なぜ節分の恵方巻きが、急速に広まり、なぜ定着していったのか、という問題提起をしたところまでが前回の記事。
今回は、自分なりに考えてみたことを書きます。

まずは「恵方巻き」の概要から、
「節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかぶり(関西方言で「まるかじり」の意)するのが習わしとされる、関西が発祥とされる行事。また食べている間は、無言でなければならないとされている。
七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。「福を巻き込む」という説明もある。」

恵方巻きの重要な点は
\疂の日に食べる
¬妓世膿べる
7段の方角に向かって食べる
け鏥ものが巻いてある
と、大まかにいえば、この4点であろう。

では、,覆疾疂の日に恵方巻きを食べるのか? から。

まず、「節分」の定義から
『節分(せつぶん、またはせちぶん)は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことをも意味している。特に江戸時代以降は立春の前日(毎年2月3日ごろ)のことを指す場合が多い。  節分の行事は宮中での年中行事であった。延喜式をひも解くと、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったもの。もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は平安時代頃から行われている「追儺」(ついな)から生まれた。

追儺……宮中年中行事の一つ。大晦日の夜、悪鬼を払い疫病を除く儀式。舎人の鬼に扮装した者を、内裏の四門をめぐって追いまわす。大舎人長が方相氏の役をつとめ、黄金四つ目の仮面をかぶり、玄衣朱裳を着し、手に矛・盾を執った。これを大儺といい、紺の布衣に緋の抹額を着けて大儺に従って駆けまわる童子を小儺とよぶ。殿上人は桃の弓、葦の矢で鬼を射る。古く中国に始まり、日本には七世紀末、文武天皇の頃から伝わり、社寺・民間にも行われた。近世、民間では節分の行事となる。「おにやらい」「ならやい」ともいう。

という訳で、ここでは節分は「宮中行事、神事」であるということ、「旧暦の大晦日に行う行事」であったという事を押さえておきます。
それらを踏まえてタイトルにある、「恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか」という仮説に基づいて話を始めます。

参考資料「こんなに面白い民俗学」(ナツメ社)から抜粋。
『正月餅の民俗的意味。「お正月にはなぜ餅を食べるのか」
正月は命の更新を行う時であり、そのための大切な食物が餅であった。
「現代人は一度命を授かったら生涯それが機能するものと思っているが、古くは、魂はたびたび補充しなければならないものであったようだ。いうなれば命の更新である。柳田國男は「食物と心臓」という著作の中で、餅は人の心臓、すなわち魂の象徴であると述べている。このように正月餅は新しい一年を生き抜くためのエネルギー、すなわち補充される魂としての意味を持っていたのである。 中略 日本人が正月に必ず餅を食べるのは、正月の神である歳神から新たな一年を無事に暮らすための魂を授かるという意味があった。〜このように、正月は命の更新を行う時であり、そのための大切な食物が餅だったのである」とある。
「餅と正月と日本人」の関係は、この手の民俗学の本では必ずといっていいほど書かれているもの。
つまり何かしら特別な食物を摂取することによって、魂のエネルギーを蓄えるということは、古今東西どこにでもある話である。これが日本人の場合は「米」に関連したものであることが多い。日本人にとって米は重要な食物であり、神事的な意味もある特別なものだ。そこから作られる餅を食べるということが重要であり、邪気が現れる季節の変わり目にこれを食すことは、とても意味があるのだ。

この記事を書いているときに、テレビで映画版「デスノート」をやっていた。この例えでいえば、「デスノート」の死神がリンゴを食べるシーンが出てくる。私は、リンゴは心臓であり、魂だとした。これを欲する死神は上記の記述のようなことが行われていると見ている。そして、話ついでに「エヴァンゲリオン」の中でもエヴァ初号機が敵の使徒の内臓を食うシーンが出てくる。これも魂を取り込んでいるということではないのか。分りやすい話を例にしたが、こういったことは民話や伝承、アニメ、マンガなど探せばいくらでも出てくるはずだ。

そこで「恵方巻き」である。
正月に餅を食べるということは日本人にとってとても意味があることは分かった。よって旧暦の大晦日にあたる節分の日に「恵方巻き」を食べることは意味があるということではないのかということ。正月に餅を食べるという行為と、節分に恵方巻きを食べるという行為が同じことを行っているのではないかということである。

また米には呪力があるといった話を上記の本から引用すれば
『米の力で魂を浄化する」日本人はかつて、米は神から授けられた特別な呪力をもつ食物であると考えていたようだ。たとえば、病人の枕元で竹筒に入れた米を振ると病気が治ったという話がある。これは「振り米」とよばれる風習で、米の呪力によって、病が治ると信じられていたのである。こどもたちに飯粒を食べさせるのも、花嫁が「鼻突き飯」を食べるのも、すべて米の呪力によって不安定な魂を安定に導くという意味があったのだろう。』

つまり、「餅」「恵方巻き」ともに米を使う。
また海苔も巻く。海苔は神事でも使われる「海のもの」であるから重要となる。
そして正月に食べるおせち料理は”めでたさを重ねる”という意味で縁起をかつぎ、重箱に詰めて作られる。もともと「おせち」は、供物として、候の変わり目を祝う節日に供えられる節供の食物にその語源があるという。正月や上巳、端午、七夕、重陽など、現在でも催される節句ではそれぞれにちなんだ料理が供えられるのもその名残で、正月の「おせち料理」のおせちも「節」の字に由来するのだという。
恵方巻きの中身が、福を呼ぶものというものが入れられ、重ねるて詰めるということも、これにつながる。
また、節分に太巻きという寿司であるというのも、意味があると思う。

資料
「微生物の偉大な能力 −お酒とお酢−
「醸造」という言葉の「醸」は「醸す(かもす)」という意味です。微生物の力を利用して穀物などを発酵させ、お酒や味噌を作ることです。「かもす」の語源は「噛む(かむ、はむ)」である、ということを聞いたことがあります。古代では、人が穀物を口に含んで噛み、それを唾液とともに吐き出したものを発酵させてお酒をつくる方法がありました。穀物に唾液が混ざることによって、唾液に含まれるアミラーゼという酵素が穀物のデンプンを分解します。こうすることによって酵母が繁殖しやすくなり、酵母によってお酒ができます。
現在は、まず、蒸したお米に麹菌というカビを生やします。麹菌はアミラーゼを作ります。そして、このアミラーゼによってデンプンがブドウ糖に分解されます。つぎに酵母を入れます。酵母はカビと同じ微生物ですが、ブドウ糖をアルコールにする作用があります。カビと酵母の力でお酒ができるのです。
酵母が作ったアルコールに、酢酸菌と呼ばれるバクテリアを入れます。酢酸菌はアルコールを酢酸にする作用があります。お酢の主成分は酢酸です。
上のような微生物のおかげで、お酒とかお酢が作られているのです。
(お酒と酢の博物館から引用。http://www2s.biglobe.ne.jp/~yamabio/wv/WV.html)

つまり、「酢飯」であるということが重要なのです。お神酒やお屠蘇など、正月にお酒(米で出来ているもの)は欠かせない。酢と酒は同じ醸造である。

そうなると、「恵方巻き」の中には、正月に食するべきものが詰まっていることになるわけだ。
繰り返すが、新暦と旧暦の大晦日に同じようなことが行われていることになるのだ。
食べ物に関しての共通性は示しました。次は、神事的要素から、

◆屬覆写妓世膿べなければならないのか」
「恵方巻きを食べる」という行為が、正月の行事と同じことであるなら、ここにも神事的な意味があるといえるのではないか。
ではここで関連することを列記していく。
 
神饌(しんせん)……日本の神社や神棚に供える供物の事である。御饌(みけ)あるいは御贄(みにえ)とも言う。「神饌」とは、神様に食べていただくための飲食物のことで、神社の社殿に中にお供えされるもので、台に乗せられたお酒や鯣、季節の野菜などが供えられる。米や餅もお供えされ、米から作られるお酒も重要。ほかには、海の幸、山の幸、野の幸など、めでたいものが並ぶ。それに塩や水になども添えられ、これら 自然の恵みによって作られたものを神様にお供えする。

つまり、季節の野菜や魚介類などを巻く恵方巻きと同じように、縁起物であるということ。
直会……『祭儀の後に供えた神饌を食べる宴のことを直会(なおらい)という。直会には、神の供物を食べることで神に近づくという意味もあるが、人が食べることのできないものは供えてはいなかったという証明でもある。墓参りの際に墓前にお供えしたものを、あとで食するというのと同じ行為であり、神霊が召し上がったものを頂くことにより、神霊との結びつきを強くし、神霊の力を分けてもらい、その加護を期待するのである。
お供えものは、神様へのお礼のしるしとして奉げられ、お下がりを人間が分け合って神様と同じ物を食べることに意味合いがあった。祭礼の日などに、神社の本殿前に山海の珍味や特殊な調理を施した品々が積みあげられたものが供物である。
節供に限らず、神様にお供えする食物などを「供物」と称することが一般的になった。その年の山野の収穫物を神に捧げ、行事が終わったあとにはこれを神前より下げて参列者で分け合って神に感謝しつつ食べる。いわゆる神人共食のスタイルが供物の基本形おされてよく執り行われている。』

神社の儀式の流れ……『祭りとなれば、で最初に『献饌』をし、神様にお願いや感謝の言葉を申し上げる『祝詞奏上』が行われ、『玉串奉奠』と続いて、最後に『撤饌』(文字通り神饌を撤する儀式)を行う。神饌をお供えするところは、祭りの中で 社殿の一番奥で行われる行為で、地味な儀式ですが、神道の中で 最も重要な部分の一つ。
つまり、お祭りとは、神様にお食事をお出ししてから、 その食膳を片づけるまでの、神の食事中に、お願い事や感謝の言葉を申し上げる』
恵方巻きを食べるとき無言なのは、「神事を行う際に、言葉を発してはいけない」という象徴ではないかということ。心の中で願い事を言うのも、神前で拝むのと同じことである。神前で手を合わせベチャクチャ喋る人はいないし、それは神様に失礼となる。
よって、この神様へお願い事をする際の作法が「恵方巻き」を食べる際に無言でなくてはならいというところに出てきているのではないか。となれば、「恵方巻き」は神事としてお供えされた供物であり、お願いごとをした(これが祭礼、行事)後に、直会として食べる。食べることによって神様との結びつきを強くすることになるというわけだ。すべてが短略化された儀式であるということ(あくまでも私的な仮説)
だから通常行われるべき神事的儀式が簡略化され、短縮した形が「恵方巻きを食べる」という行為なのではないのかということ。

そして方位だ。
「恵方巻き」を食べる作法として重要となるのは方位となる。
まず、歳徳神(としとくじん、とんどさん)とは、『方位神の一つで、その年の福徳を司る吉神である。年徳、歳神、正月さまなどとも言う。年神様の「トシ」は穀物、主に稲を表しているという。
歳徳神の由来には諸説あり、『簠簋』では、牛頭天王の后で、八将神の母の頗梨采女(はりさいじょ)であるとしているが、これはでたらめであるとの批判もある。また、牛頭天王が須佐之男尊と習合したことから、その妃の櫛稲田姫であるとも言われる。』
恵方といえば、「恵方参り」でしょうか。
明治時代以降、初詣は有名寺社へ行ったりするが、かつては産土神や氏神、鎮守へ詣でるのが古い形だった。江戸時代は「恵方詣、恵方参り」といって、年の初めに恵方の方角にあたる寺社へ詣でるのが一般的だったという。正月にする恵方参り、つまり江戸時代だから旧暦、それが新暦の節分の日にあたりになるわけで、この恵方の信仰の名残が「恵方巻き」に流れているのではないのか。
また、恵方棚というものある。「年の神すなわち正月の神を迎えるために作る棚。その年の恵方に向かって吊り、注連をひきわたして、お供えをする。年棚、歳徳棚とも」
といったことからも、昔から信じられていた方位の信仰を「恵方巻き」は受け継いでいるといえる。

よって、これらすべてをまとめると「節分に恵方巻きを食べる」という風習が全国に広がったのは、すでにそれを受け入れる下地が日本人の中に備わっていた(元々あった風習=正月の風習と同じ)からではないでしょうか。

ち芦鵝◆峽段巻きを模したモノが次々と出てくるのか」「長いという形状のものが何故受け入れられていくのか」これが不思議でならない、といったことを書いた。
その理由としては、「恵方巻きが太巻きの理由は、それが鬼の持つ金棒を表していて、これを食べることによって鬼のようなパワーを得るためだ」というものが一般的であり、その説が一番無難だろう。
だがどうも
ke1.jpg

こういった商品が出てくる理由を説明するには、物足りないような気がする。
重要なのは「棒状のものを節分に食べる」ということだ。
神事、祭礼、長いもの……。
棒……、柱……、
諏訪神社の御柱か? それとも節分の日に男根を模した棒を振り回す三峰神社(埼玉県秩父)の奇祭か?
……と連想ゲームのようになってどうにもならない、
やはり「棒」なのか。
棒が象徴しているものを紹介していた「棒が持つ意味http://homepage3.nifty.com/bokujin/tsue.htm」というサイトの説明も良かった。
ただここまで書いてきて、
やはり行き着くところは「金精神」か「リンガ信仰」になってしまう。
これが象徴しているのは性信仰で、幅が広くなってしまう。そうなると、なかなか手に負えない。
やはり、これ以上どうにもならないので、これは来年の節分までの宿題としておきます。(たぶん大きくは外れてないと思うので)
ただ来年の予想としては「節分に長いものを食べる」という風習が更に浸透して、長い形状の商品がもっと増えて行くことでしょう。


以上です。

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