物語を物語る
≫細川藤孝
歴史ミステリー小説「東毛奇談」 第4章 5
5
ふたりは歩いて次の目的地である愛宕神社に向かうことにした。距離的にはそれほどないが、午前中、上野公園を歩き回ったせいで、大分疲れていた。
地図を片手に歩いて初めて気付く。いつも通い慣れていたはずの赤坂周辺にこれほど神社があるとは思ってもみなかった。
江戸案内の本を見て分かったことだが、このあたりは浅野家とは随分関係が深いそうだ。家康は江戸の町作りのために、上水路の水源確保のために貯水池の必要性を感じた。そこで日枝神社の西一帯にため池を作ることになり、その任に浅野家が当たったのだ。このため池は貯水池として利用されただけでなく、城のお堀としての役割を果たした。今その池は存在しない。しかし外堀通りなどでその名前を残している。
またこの近くの氷川神社も浅野家と縁がある。浅野内匠頭長矩の夫人阿久里、後の瑤泉院が余生を送った屋敷があった場所に、八代将軍吉宗が氷川神社を建てたということだ。そしてこの辺りで忘れてはならないのが勝海舟だろう。氷川神社の近くに邸宅があって、氷川清話という回想録も書かれた。
ふたりは歩いて次の目的地である愛宕神社に向かうことにした。距離的にはそれほどないが、午前中、上野公園を歩き回ったせいで、大分疲れていた。
地図を片手に歩いて初めて気付く。いつも通い慣れていたはずの赤坂周辺にこれほど神社があるとは思ってもみなかった。
江戸案内の本を見て分かったことだが、このあたりは浅野家とは随分関係が深いそうだ。家康は江戸の町作りのために、上水路の水源確保のために貯水池の必要性を感じた。そこで日枝神社の西一帯にため池を作ることになり、その任に浅野家が当たったのだ。このため池は貯水池として利用されただけでなく、城のお堀としての役割を果たした。今その池は存在しない。しかし外堀通りなどでその名前を残している。
またこの近くの氷川神社も浅野家と縁がある。浅野内匠頭長矩の夫人阿久里、後の瑤泉院が余生を送った屋敷があった場所に、八代将軍吉宗が氷川神社を建てたということだ。そしてこの辺りで忘れてはならないのが勝海舟だろう。氷川神社の近くに邸宅があって、氷川清話という回想録も書かれた。
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