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「継承の物語」その3 スターウォーズと黒澤明 資料編14回目

資料編14回目 「継承の物語」その3 スターウォーズと黒澤明

「継承の物語その1 ゴッドファーザー」「継承の物語その2 クリント・イーストウッド」の続きです。

『スター・ウォーズ 完全基礎講座』(扶桑社)の中にいい説明があったので引いてみます。
スター・ウォーズ 完全基礎講座

ルーカス 黒澤の意志を継ぐ者 鈴木勉
(「スターウォーズ」が黒澤の「隠し砦の三悪人」の影響を受けていることの説明のあとで) なぜルーカスはこれほど大胆に黒澤を引用したのか。
「スター・ウォーズ」は「自分は黒澤の正当な後継者である」というジョージ・ルーカスの宣言だったのだ!
(中略)
「私は黒澤の後継者だ」
これこそ、ルーカスの作品、ルーカスの行動の原点なのだ。これを前提に彼のキャリアを再検証すると、常に一貫した姿勢を貫いていることがわかる。
(黒澤とルーカスの関係についての説明)
続いて映画の内容に目を向けてみよう。黒澤の映画が世界中で高く評価されている理由として、その芸術性の高さと、根底に流れる強烈なメッセージ(ヒューマニズム)を挙げることができる。特に見過ごされがちなのが後者の「メッセージ」だ。善と悪の対立を背景に、その混乱の中で果敢に自分の理想を追い求める人間の気高さに黒澤は目を向ける。たとえ彼(彼女)らの行為が敗北に終わったとしても、その過程を描き出す黒澤の筆致は力強く、限りなく優しい。極論してしまえば、彼の映画はすべて、登場人物の精神的な成長の物語なのである。だから、そこには常に師と弟子の関係が登場する。デビュー作「姿三四郎」では柔道家・矢野正五郎(大河内伝次郎)と姿三四郎(藤田進)、「七人の侍」では、島田勘兵衛(志村喬)と勝四郎(木村功)、「赤ひげ」では新出去定(三船敏郎)と保本登(加山雄三)の関係がそれにあたる。当然のごとく、ルーカスはスター・ウォーズをルーク・スカイウォーカーの成長物語として描いた。それは撮影台本のタイトルが「スター・ウォーズ ルーク・スカイウォーカーの冒険」だったことからも明らかだ。才能はあるが、未熟で無知な主人公、ルーク。彼は、師・オビ=ワン・ケノービ、そして後にヨーダの圧倒的な能力に感嘆し、彼らの弟子、若きジェダイとなって修行を積むことを決意する。若さゆえ、時に師の教えに反発し、自分勝手な行動をとることで危機に陥るが、最終的には自分の意志でそれを乗り越え、無事大団円を迎える。二人の師に精神的な成長を祝福され、満足な笑みを浮かべるルーク……。
まさしくスター・ウォーズは黒澤映画の精神を受け継いでいる。そして私の目には、若きジェダイと、映画界最高の師(マスター)である黒澤の弟子ルーカスの姿がオーバーラッップして見える。

1990年3月26日、黒澤は映画史上3人目のアカデミー名誉賞を受賞したのだが、その時のプレゼンテーターがルーカスとスピルバーグだった。(中略)
この時、黒澤はルーカスからオスカー像を受け取り、ルーカスは黒澤から目に見えぬバトンを手渡されたに違いない。

まさしくこの通り。物語「スター・ウォーズ」は「継承の物語」そのものといってもいい。
ヨーダ ルークルークとヨーダ
ヨーダ オビ=ワンヨーダとオビワン
オビ=ワン ルークオビ=ワンとルーク
オビワン クワイガンジンクワイ=ガン・ジンとオビ=ワン
と様々な「継承の物語」がある。
このほかにも、銀河帝国皇帝ダース・シディアスと弟子ダース・モールの関係やボバ・フェットの父と子といったストーリーまであるがこれはまた別の話。
ジェダイの騎士たちが継承していったものは何か。オビワンやルークに継承されたが、アナキンことダースベーダーに継承されなかったものは何か。
一言でいえば「魂の継承」ということではないでしょうか。

さて、黒澤明の映画の継承の物語といえば、「赤ひげ」があろう。赤ひげ先生こと新出去定(三船敏郎)と若い医師保本登(加山雄三)の関係はまさに「スター・ウォーズ」で描かれる師弟関係であろう。
黒澤明 赤ひげ


文章中の「七人の侍」では島田勘兵衛(志村喬)と(木村功)の関係もそうであろう。
戦いが終って、師匠の勘兵衛から弟子の勝四郎が学んだことは何であろうか。決して剣術や戦術といった単純なものではなかったはずだ。
7人の侍

そして「野良犬」。Wikipediaによれば、「2002年に公開されたジョージ・ルーカス監督の映画『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』の序盤で、ジェダイの師弟で師匠のオビ=ワン・ケノービが、ライトセーバーを落とした弟子のアナキン・スカイウォーカーを咎めるシーンは、本作での拳銃を盗まれた新米の村上を、ベテランの佐藤が叱責するシーンの引用である。」とあった。確かにそうですね。
「野良犬」は後の国内外を問わず刑事ドラマ・映画の原型といえる傑作です。
野良犬

と「継承の物語」はあちこちにあります。

まだまだ「継承の物語」を続けます。

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「継承の物語」その2 クリント・イーストウッド  資料編13回目

資料編13回目 「継承の物語」その2 クリント・イーストウッド

継承の物語 その1 ゴッドファーザー」からの続き。
今回は「クリント・イーストウッド」です。
彼の関わる作品の多くに「継承の物語」があります。
中条省平著『クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男 』(朝日新聞社)からそんな箇所をランダムに引いていみましょう。
クリント・イーストウッド 中条 省平
文中で何度も登場する「イニシエーション」という言葉ですが、通常「通過儀礼、入会」などといった意味で使われますが、ここでは「手ほどき,手引き 秘伝を伝えること,伝授」という意味で使われています。
要は、「継承」ということです。

「パーフェクト・ワールド」でも、子供を愛する心やさしい犯罪者と無垢な少年の逃避行というドラマを借りながら、そのヒューマニズムの底には、狂気にも似た「私怨」、報復への欲望が濁っている。「パーフェクト・ワールド」は、年上の男が少年を人生のイニシエーションに導くという構図において、かつてイーストウッドが撮ったロード・ムービィー「センチメンタル・アドベンチャー」によく似ている……。
(中略)
こうした、いわばアメリカ映画の過去と現在と未来の縮図のまっただ中に身を置いて、イーストウッド自身が、多くのベテランたちから、プロの「カツドウ屋」としての教育とイニシエーションを受ける日々だったのだ。
この秘儀伝授の期間は、1959年から66年まで、丸7年間も続いた。その間、イーストウッドは国外でセルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」に主演して国際的なスターとなり、ついに「ローハイド」でも主役のエリック・フレミングを追い落として、単独で主人公の座に着き、牛追いの隊長となる。ついに、若造がベテランをしのぎ、息子が父に勝ち、王位は簒奪されたのだ。だが、イーストウッドの単独主演による「ローハイド」は20話あまりしか続かない。教育とイニシエーションという固有の主題が完遂されたいま、もはや「ローハイド」には存続の理由はなかった。
イーストウッドは、みずから教育とイニシエーションを重大な主題とする映画作家に成長していく。

イーストウッドが最初に手がけた最初の教育とイニシエーションの映画は、「サンダーボルト」だった。総監修にイーストウッドがあたり、監督はマイケル・チミノ(当時31歳、初監督)。(中年の元強盗が、昔の仲間や若造と組んで銀行強盗を繰り返す。「サンダーボルト」(74))
イーストウッドによるマイケル・チミノというシネアストの教育とイニシエーションの映画でもある。その成果が目覚ましかったのは、イーストウッドに導かれたチノが次作の「ディアハンター」で師匠より14年も早くアカデミー作品賞と監督賞を制覇してしまったことを見れば一目瞭然である。

「アウトロー」は、ジェイミー少年のエピソードには、イーストウッドによるサム・ボトムズの役者としての教育とイニシエーションの現実と、戦士として生きることを学びはじめたジェイミーの物語が二重写しになって投影されているのだ。

クリント・イーストウッド 2
「センチメンタル・アドベンチャー」イーストウッドが教育とイニシエーションを映画全編の主題にすえて、彼のもっとも個人的な感情にあふれるロード・ムーヴィ。

教育という主題がさらに厳密な方法と過程の問題として追求されるのは、「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」においてである。なにしろこれは、古参の軍人がまったくやる気のない新兵を一人前の戦士に鍛えあげて戦場に送り込むという、完結したひとつの教育の過程をまるごと映画にしたものだからだ。
(中略)
軍人のトムは、むろん戦争を否定していない。だが戦争で死ぬことを否定しようとつとめている。いずれにしても、戦争の起こることを否定できないのならば、戦争で生き延びるために、全力をつくすのが兵隊の義務と希望であり、新兵たちがその義務と希望をできるだけ効率的に実現するのを助けることが、自分の義務であり希望だと考えているのだ。
その意味で、「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」は、やはり老ベテラン軍曹が新兵たちに「生き延びる」ことの技術と倫理を実践的に教育するサミュエル・フラー監督の「最前線物語」に極めて近い姿勢をもっている。

「ルーキー」は教育とイニシエーションが主題で、ベテラン刑事(イーストウッド)が若い刑事(チャーリー・シーン)を、事件捜査のなかで一人前に教育してゆく物語である。

こう見ていくとイーストウッドの映画には「継承の物語」が多い。そしてそこで継承されていくものは「魂」である。
これが最もよくあらわれているのが「グラン・トリノ」だ。
「グラン・トリノ」

町山智浩による『グラン・トリノ』解説から(http://d.hatena.ne.jp/Auggie/20100101/1263613730から)

 コワルスキーはグラン・トリノをモン族の少年に遺す。あんなにアジア人が嫌いだった男が。エンド・クレジットで流れる主題歌にもあるとおり、グラン・トリノとはコワルスキー自身のことだし、それを他人に授けるということは、アメリカン・スピリットの継承を意味している。
アメリカの魂を継ぐのは白人とは限らないということだ。思い返せばイーストウッドはこういう話ばっかり作っている。『ハートブレイク・リッジ』なんかも、黒人やメキシコ人にアメリカ兵の魂を叩き込む軍曹の話だったし。


ニコニコ動画に町山智浩に映画の解説があったので貼り付けておきます。

魂(スピリット)の継承がこの映画のテーマだというのが分かる。「グラン・トリノ」はそういった視点から見てもよくできた映画だというのがよく分かる。

「継承の物語」はまだまだ続きます。

「継承の物語」その1 「ゴッドファーザー」 資料編12回目

資料編 第12回目 「継承の物語」その1 「ゴッドファーザー」

映画やドラマを見ていると、「継承の物語」を発見することがある。
父から子へ、母から娘へ、師匠から弟子へ、権力者から次の権力者へ、王から王子へ、先輩から後輩へ、分かり易いところでは、老刑事から若い刑事へ、ベテラン医師から見習い医師へ、カンフーの達人から未熟な弟子へ、と多種多彩、様々なバージョンがある。
これがメインストーリーとして描かれることもあれば、別のサブストーリーであったり、また隠れたテーマとして描かれることもある。そういった視点で見ると、かなり多く見付けることができるだろう。
そこで継承されるものといえば、人生の教訓や処世術であったり、または権力の移行だったり、秘伝伝授といったものなど、これまた様々なものがある。
ただここで取り上げたいのは、「移行・継承」されるものが、技術や富や世代交代といった単純なものではなく、物語の根幹を成すような「大切な何か」(「何か」はそれぞれの物語によって違う)がしっかりと受け継がれていく物語に注目していきたい。
そして、これがしっかりと描かれたものを、私は勝手に「継承の物語」と呼んでいる。(検索しても出てきませんよ)
端的に一言で言ってしまえば、それは「魂の移行」、「魂の継承」だ、言ってもいいだろう。
資料編の第3回が「吉田松陰の魂はどこへ」(吉田松陰の魂は松下村塾生や桂小五郎へ引き継がれた)で書いたように、資料編は「魂」についてまとめています。

さてさて、「継承の物語」で最も分かり易いものは、「師匠と弟子」の関係だろう。
映画「ベスト・キッド」では、弱い男の子が空手の達人から学んだこと(受け継がれたこと)は、ただ空手が強くなるという技術だけではなかったはずだ。空手大会で勝利したことは、彼が大きく成長していく中での通過点一つにしか過ぎない。この男の子は空手を通じて師匠から「大切な何か」を受け継いだのだ。細かいことは省くが、それは映画を見れば容易に分かるはず。
また日本のドラマにも多くあるだろう。思いついたものを挙げれば、刑事モノで「踊る大捜査線」がある。いかりや長介演じる和久刑事と織田裕二演じる青島刑事の関係の中にも「継承の物語」がある。そこで継承されたのは、ただの刑事の心得や仕事術といった単純なものだけではないだろう。たとえこれ以降、いかりや長介・和久刑事が登場しなくても、青島刑事の警官としての姿勢に(人生においても)大きな影響を与えていること分かる。それは青島刑事が直接的なセリフを吐かなくても、それは十分に伝わってくる。そしてこれは深津絵里の恩田刑事にも受け継がれていることが分かるだろう。(映画版はクソだが、あそこには「継承の物語」がふんだんに盛り込まれている。)

また変形した「継承の物語」も提示しておけば、、ポール・ニューマン主演の「暴力脱獄」がある。ここでのラストでは、残された刑務所の囚人たちが、主人公の死を英雄的に語る場面で終わる。ここにもその「魂」が受け継がれていることになるので、これも「継承の物語」だといえる。
また、クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」も「継承の物語」である。ここで継承されたのは「アメリカ文化」とその「魂」であり、その象徴として米国車の「グラン・トリノ」が有効に使われている。これは次回以降。
これら次回以降まとめる「黒澤明の映画」や「スター・ウォーズ」といったものも最も理解しやすいものであろうし、一見何の内容もなさそうなアニメ「けいおん」も実は継承の物語である。(過去記事、「今日も部室でお茶を飲む。 「けいおん」は奥が深い!」 詳細は次回以降)

では、今回は「ゴッドファーザー」を取り上げてみましょう。
「ゴッドファーザー」はまさしく父から子への「継承の物語」と言えるでしょう。
そのことが良く書かれている「ゴッドファーザー」の本から引いてみます。
ハーラン・リーボ著「ゴッドファーザー レガシー」から
ゴッドファーザー ハーラン・リーボ著
「スクリプト・ドクター」という章をそのまま書き起こす。
以下引用。

ロバート・タウンは、全編中、最も重大な場面の脚本を、わずか一晩で改訂しなくてはならなかった……。「あれほど追い詰められたことはなかった」

5月の終りには、主要なシーンの撮影はほとんど終わっていた。屋外で行われる結婚式、頼みごとに耳を傾けるドンの姿、“馬の首”、ウォルツの撮影所を訪れるヘイゲン、そしてマイケルがファミリーのドンとして初めて会談を行うシーンなどは、問題なくフィルムに収められた。
ブランドの撮影もスムーズに進行した。しかし彼を撮影するために残された時間はわずかだった。ブランドの都合による中断を計算に入れても、彼の契約期間は6月の第1週目には終ることになっていた。
それまで、ブランド自身が問題になることは一切なかった。問題は、まだ撮影していない彼の登場シーンの脚本に、手を加えなければならないことだった。制作中に脚本のカギになる要素を絶えず修正してきたにもかかわらず、ビトーからマイケルへの権力の継承という、最も重要な部分には誰ひとりとして満足できていなかったのである。2人の登場人物の関係を完全なものにするためには、力強さと感情表現が不足していた。
(中略 修正前の脚本など省略)

この会話は、原作からほぼそのまま引用されたものだが、父と息子が互いに抱いている愛情や尊敬の念、そして世代間の権力の継承を充分に表現できていない。製作初期段階では、コッポラはさまざまな場面を即興で演じさせ、それによっていくつかのセリフを修正する時間があった。しかし監督としての作業に忙殺され、この最も重要な場面を書き直す余裕を失っていた。第三者の協力が必要なことは明らかだった、コッポラは、ロジャー・コーマンの下で働いていた時の仲間に助力を求めた。それはハリウッドで最も優れたスクリプト・ドクター(訳注 脚本校閲者。製作におけるあらゆる段階で脚本の手直しを請負う)として名高い人物だった。
(中略)
タウンは6月2日に撮影現場に到着した。そしていくつかの場面に対して多少の編集や追加などの修正作業を行った。彼は『ゴッドファーザー』の脚本に対して行ったスクリプト・ドクターとしての作業を、「大手術ではない、一部にメスを入れただけだ」と語っている。彼が手を加えた部分には、マイケルがソロッツォとマクラスキーの殺害を宣言する場面も含まれていた。
しかし彼の最も重要な任務は「権力の継承」の場面を仕上げることだった。「フランシスは途方に暮れていた」。タウンは語る。「原作では、ビトー・コルレオーネとマイケルの関係は解決していない。だが、彼はこの2人の場面を必要としていたんだ。口癖のように言っていたよ。<観客に、2人が愛し合っていることを分からせることを分からせたいんだ>ってね。だからといって2人が実際に愛し合っている様子を描いても、うまくいかないんだ」
他の場面に関しては、タウンの仕事は「一部にメスを入れただけ」だったかもしれないが、一連の権力の継承場面では大幅な変更を余儀なくされた。しかも、マイケルとドンのシーンの撮影は、タウンがニューヨークに到着した翌日に予定されていたのである。その次の日にはドンが死ぬ場面を撮影し、それでブランドの仕事はすべて終わることになっていた。予定が順調に進んだ時の話だが。
「あれほど追い詰められたことはなかった」とタウンは語る。「非常に緊迫した雰囲気だった。この映画があんなにヒットするとは誰も思っていなかったからね」。
これまでスクリプト・ドクターとしてタウンが手掛けてきたのは、脚本全体の改訂や再編集で、映画のカギとなるひとつの場面だけを修正するのは初めてだった。これは大きな危険を伴う作業である。
「普段やっているように、脚本を最初から最後まで書き直したわけではなかったんだ。その代わりに、まったく新しい素材を持ってきて、すでに書かれているものと矛盾しないように組み合わせる―――つまり、それまでに撮影されたものや、監督の考えをすべて理解している必要があった。なかなか興味深い経験だったね。普通なら監督と一緒に作業をするから、どう書けばいいのかもわかっているからね」
(中略 タウンが試写を見た後)
それからタウンはコッポラ、マーロン・ブランド、アル・パチーノに会って、この“権力の継承”に関する彼らの意見や登場人物の関係について尋ねた。「マーロンとアルからは多くのことを吸収することができた」とタウンは思い起こす。「特にマーロンからね。彼がドンに、自分自身を表現させようとしていることに気が付いたんだ……思慮深い頷きではなく、ビトー・コルレオーネの語りによってね。この映画のほとんどの場面で、沈黙が効果的に使われていた……登場人物の持つ力は、深い意味を持った沈黙で表現されていたんだ。けれども私が書き直すように言われた場面では、彼は実際に話してしまったんだよ」
タウンは、脚本に書かれていた親子の会話に、マイケルの将来を示唆するような要素を加える必要があった。微妙な権力の移行、愛情、尊敬、人生観の表現、そして親としての悔恨など――すべては暗黒街の陰謀や殺人といったプロットの陰に埋もれていた要素である。タウンは自分のアイデアを書き出したノートと元の脚本を手に取ると、一晩中書き続けて、完成したときには午前4時を過ぎていた。
ゴッドファーザー 継承2(「ゴッドファーザー」のDVDビデオコメンタリー・コッポラ監督の解説では「権力の移行」の説明が少しある。)

「私は権力の継承を表すシーンを書いた。その場面では、2人の男が互いに深い愛情を抱いていることを明確に表現した」とタウンは語る。「息子の将来に対するブランドの不安、権力を手放すことへの不安。息子に自分の役割を継がせることによる安心感と、自分が一線から退くことの寂しさ、こうした相反する感情がこの場面のカギとなるんだ」
「ドンは言う。<我々は注意深く見守る必要があるな>。するとマイケルがこう応えるんだ。<父さん、僕がやるって言っただろう?もうすでにやっているんだ>。ビトー・コルレオーネは心ここにあらずといった様子だが、それは一番下の息子には自分の地位を継がせたくなかったという気持ちの表れなんだ」
「シーンの途中で、2人の男は本当の意味で定められた運命を受け入れる。たとえ思いどおりではなかったとしても、それが指導者につきものの義務なのだ。ビトーはカップを渡さなければいけないし、マイケルはそれを受け取らなくてはいけない。その姿を通して、2人の男が深く愛し合っていることが伝わる。この映画の場合は、単純に愛情を表す描写よりも、はるかに効果的だ。まさに脚本とはそういうものだしね。ほとんどのシーンでは、主題を説明しないものなんだ」
場所はドンの庭に設定された。マイケルはラウンジチェアの端に腰掛け、父親の方に身を乗り出している。ドンは藤細工の椅子に深々とすわり、赤ワインを飲みながら果物をつまんでいる。

この場面は脚本の形式で記すと3ページほどの分量だが、行間を詰めれば1ページにおさまる。そしてスクリーンではわずか3分45秒だが、ドンがマイケルへの夢を語る、2分間近く続く感動的ショットが含まれている。
これほどまでに簡潔でありながら、タウンは傑作と呼ぶにふさわしい脚本を書き上げ、映画史上最も印象的な場面がここに誕生した。改訂された脚本に、コッポラの緻密な演出と、ブランドとパチーノによる卓越した演技が加わり、この映画の最も重要な瞬間を飾る、心を震わせる間奏曲が生み出されたのである。
たとえその名前が『ゴッドファーザー』のクレジットに登場しなくても、タウンの果した役割が忘れられることはないだろう。アカデミー賞の授賞式で『ゴッドファーザー』が作品賞にノミネートされた時流された映像は、この“権力の継承”シーンだった。そしてコッポラは脚色賞を受賞した際に、タウンに感謝の意を表した。「ボブ・タウンに感謝します。彼は、マーロンとアル・パチーノが庭で語らう非常に美しいシーンを書いてくれました」。コッポラはオスカー像を片手に、こう言った「あのシーンはボブ・タウンが創ったものです」
ゴッドファーザー 継承1(「ゴッドファーザー」のDVDビデオコメンタリーの中でも、コッポラ監督のよってタウンの名が出てくる。)

ビトー  「パルジーニがまずお前に仕掛けてくる。お前が絶対的に信頼する誰かを通して接触してくるはずだ。そいつはお前の身の安全を保証して、会合を手配するだろう。そしてその会合で、おまえは殺される」
(ドンは息をついてワインを飲み、マイケルに対して、自分に殺人が迫っているという状況について考える時間を与える)
「昔よりワインが好きになった。飲む量も増えたよ」
マイケル 「いいことだよ、父さん」
(ドンがグラスを見つめる)
ビトー  「どうかな……お前の妻と子どもたちは……お前は家族に囲まれて幸せか?」
マイケル  (うなずいて)「とても幸せだよ」
ビトー  「それはいい。ところで、私がバルジーニの件について調べても構わないかな」
マイケル 「ああ、構わないよ」
ビトー  「昔からの習慣でな。用心に欠かしたことがない。女や子どもは不用心でもいいが、男には許されんことだ」
(ドン、間をおいて)
「息子はどうだ?」
マイケル (微笑んで)「いい子だよ」
ビトー  「日増しにお前に似てくるな」
マイケル 「僕よりも賢いよ。3歳なのに、もう漫画が読めるんだ」
ビトー (にやっと笑う)「……漫画を読む、か」
(ドン、しばらく回想し、顔を上げ、何かを思い出す)
「かかってくる電話もここからかける電話も、交換手に全部チェックさせよう」
マイケル 「もう手配したよ、父さん」
ビトー  「誰が裏切ったとしても……」
マイケル 「父さん、それはわかっているよ……」
ビトー  「ああ、そうだったな。忘れていたよ」
(ドンは顔をしかめ、口ごもって顎をさする)
(マイケルが身を乗り出して、父親の膝を軽く叩く)
マイケル 「どうしたんだい?何か気になることでも?うまくやるよ。そう言ったよね――うまくやってみせるよ」
(ドンはためらい、しばらく考えをめぐらせる。やがて立ち上がり、目を伏せたまま、マイケルの座るラウンジチェアに向って歩き出す)
ビトー  「サンティーノが私の跡を継ぐと思っていた。フレドーは……」
(ドン、マイケルの座るラウンジチェアの端に腰を下ろす)
「フレドーは……そう……私は決して……決してお前にはやらせないつもりだった。私は一生を家族のために捧げた――弁解はしないよ。愚か者になることを拒否したのさ……大物の操る糸で踊らされるような愚か者には。今さら弁解はしない――だが……おまえの時代は……おまえは糸を操る人間になると思っていた。コルレオーネ上院議員とか、コルレオーネ知事とか……そういったものにな」
マイケル (顔を上げる)「別の権力者になるさ」
(ドン、息子に向き直る)
ビトー 「だが……時間がなかったな、マイケル……充分な時間がなかった」
マイケル 「大丈夫だよ、父さん。必ずそうなるよ」
(ドン、マイケルの頭をかかえ、キスをして、頬を軽く叩く)
ビトー 「ふむ。いいか、バルジーニとの会合の話を持ちかけてくる奴は――彼こそが裏切り者だ。忘れるなよ」
(ドン、立ち上がって溜息をつく。マイケルは椅子の背にもたれかかり、考え込む) 
ゴッドファーザー 父から子へ

以上。

実際に映画を見てみても分かるが、ここは一見すれば、アクションシーンもなく、男二人が語り合うだけのかなり地味なシーンと言える。(アル・パチーノとマーロン・ブランドの名演が見れますが)
だが、ここが「ゴッドファーザー」という物語において、最重要のシーンだというのは、監督のコッポラや実際にこのシーンを書いたロバート・タウンの話を読めばよく分かる。
「権力の継承」というテーマを直接的に語らせることなく、父から子へ「継承の物語」というテーマを表現していることになる。
そして父から子へ継承されたものが権力だけではなく、ここで「魂の継承」が行われていったことは明白であろう。(このシーンの後で、「父の死」の場面に続く。まあ、ある意味「死亡フラグ」でもある。)
それは、「魂の継承」は、続編「ゴッドファーザーPARTⅡ」でより鮮明になる。

さて、そこが重要な場面であることに気づかないこともあるだろう。そして説明されなければこれがこの映画の重要なテーマの一つである権力の移行のシーンだと思わないかもしれない。
ただ、ここをきちんと見ないと、軽率な観客は「ゴッドファーザー」もただのマフィアの暴力映画だということになってしまうのだ。(今でさえ名作と言われるが、当時はそういう批評も多かったという)

さてさて、映画やドラマやアニメをただボケっと見ていると、重要なテーマも見逃すこともある。そんな軽率な態度の、トンチンカンな評論家やプロを名乗る批評家が実際にいる。
案外こういうことは多いものだ。
一見、凡庸な物語の中にも、しっかりとした「継承の物語」が隠されていることがあるのだ。
実は、あれも……。

ということで、この「継承の物語」はしばらく続きます。

シドニー・ルメットは職人だった、と思う。

http://www.cnn.co.jp/showbiz/30002401.html

(CNN)「12人の怒れる男」監督、シドニー・ルメット氏死去 
 米映画界を代表する映画監督のシドニー・ルメット氏が9日、ニューヨークの自宅で死去した。86歳だった。家族がCNNに語ったところによると、死因は非ホジキンリンパ腫による合併症。同日午前3時40分、家族に看取られて死去したという。
代表作は、米映画史上屈指の名作とされる「12人の怒れる男」(1957年)。このほか、「ネットワーク」(76年)、「セルピコ」(73年)、「狼たちの午後」(75年)、「評決」(82年)などの社会派作品で知られる。
テレビ業界の実情を描いた「ネットワーク」は同年度アカデミー賞で10部門にノミネートされ、主演男優賞、主演女優賞、助演女優賞、脚本賞の4部門で受賞した。2005年には「アカデミー名誉賞」を受けている。その生涯で数々の名作を手がけたが、自身の監督作品でアカデミー賞を受賞したことはなかった。
1924年6月25日、米ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。両親はポーランド系ユダヤ人で、父親はイディッシュ劇場の俳優だった。幼少時代、一家でニューヨークに移住。ルメット氏は4歳から子役として父親とともに俳優活動を開始し、ブロードウェイの舞台にも立った。その後は演出家として活躍し、後に映画監督に転向した。

シドニー・ルメットでは「狼たちの午後」が好きで何度も何度も繰り返し観ています。
狼たちの午後

BGMを全く使用していないという演出がスゴイ。アル・パチーノが最高で、これは「アクターズスタジオインタビュー」でも自身が解説してました。過去記事
セルピコ」も最初に観た時はそんなに面白くなかった記憶があった。刑事ものということで「ダーティハリー」とか「フレンチコネクション」といった派手なアクションものを期待していたようだ。しかし数10年経て見直した時は、涙が出るほど感動した。正義や正しい倫理観を実際の社会で貫くことの難しさは、自分自身が世事に関わり世の中に交じわっていくことでおのずと分かってくる。そういう社会の清濁を感取できるようになってから「セルピコ」を観ると、主人公の辛さが痛いほど分かってくるのだ。年を取ってから映画を見直すとまた違う印象を得られるということなのだろう。
また、「評決」はポールニューマンが死去したときに見直した。過去記事
これは、副音声の シドニー・ルメットの解説で観ることをお勧めします。
シドニールメットが映画ドラマを志す人に向けて、俳優の演技(ポールニューマンの抑えた演技)や脚本や演出についての細かい説明がなされていて、これがためになります。

さて、シドニールメットといえば「社会派」というイメージが強いですが、ミステリーやサスペンスにも良作が多くあります。「12人の怒れる男」や「未知への飛行」も「ネットワーク」も演出や筋立てはサスペンス仕立てで、アガサクリスティ原作の「オリエント急行殺人事件」や「モーニングアフター」はもろミステリーそのもの、中でも「デストラップ・死の罠」はどんでん返しの連続で、なかなか面白かった。(変な映画ですが)
デストラップ死の罠
「ミステリー作家90人のマイベストミステリー映画(小学館文庫)という本では、推理作家の折原一(叙述トリックの名手)が「探偵スルース」「名探偵登場」とならんで本作を推薦していたのには、思わず納得してしまいました。

シドニールメットの作品群をながめてみると、社会派といっても堅苦しいテーマの作品ばかりではない。その多くの作品がエンターテーメント仕立てであり、その中に社会的テーマを据えている。そしてその作風に「職人的」なものを感じてしまう。
私の中では、どうもシドニールメットと市川崑と通じるものがあるのだが、どうなのだろうか。
こういう映画作家が好きなので、これからこんな映画監督が増えてくれることを願っているのですが……。後継者はいるのかな。

ということで、シドニー・ルメットにはいろいろ楽しませていただきました。
感謝します、そして合掌。

映画「2012」は中国批判?

平成21年11月24日 読売新聞 国際面から

人類を救った秘密基地「中国しか作れなかった」
「中国への皮肉なのか、賛美なのか」―。中国でも大ヒットしている米国の大作パニック映画「2012」(ローランド・エメリッヒ監督)が、賛否両論を呼んでいる。
経済力の増強に伴って高まった大国意識と、底辺にある屈辱の近代史に根差した被害者ナショナリズムが混在する中国国民の複雑な心理を刺激するシーンがふんだんに盛り込まれているためだ。
映画は、古代マヤ文明の地球滅亡の予言をテーマに、2012年に世界各地で大地震などの大災害が起こる中、懸命に生き残ろうとする人々の姿を描いたもの。
国際社会での地位を向上させ、協調を進める中国に、かつてないほどスポットライトを当てている点が特徴だ。主役の米国が、人類の生存に向けて、中国を含む主要国と協力して避難用の巨大な箱船を建造する秘密基地を中国国内に設定したほか、中国軍が避難民の救出に奮闘する様子も描いた。秘密基地を目にした人々から、「中国を選んだのは正しかった。ほかの国に任せていたら完成できなかった」との感嘆のセリフが飛び出す。だが、それは、安価な労働力や一党独裁体制を強調しているとも受け取れる。また、建設に当たった出稼ぎ労働者に乗員資格が与えられないことも「(中国の)人権軽視」を図らずもさらけだした形だ。
中国紙によると、映画は当局の検閲を「ノーカット」で通過した。賛美に対し、「国力が向上したのだから当然だ」と、素直に受け止める見方は多い。ただ、その一方で、有名俳優がブログで「中国を描いたシーンとセリフは非友好的。むしろ、からかわれている」と反発、上映停止を提案するなど、逆に「皮肉」と感じる観衆も少なくないようだ。<北京=佐伯聡士>


佐伯聡士さんの記事は面白い。当ブログでは取り上げるのは6回目。
「中国で「山岡荘八の徳川家康」ブーム、そしてTBS女子アナ・木村郁美アナは偉い。
歴史上の偉人を映像化するって難しい
中国、「愛国映画に外国籍俳優」ネットで批判など

さて映画「2012」ですが、
映画「2012」
「インデペンデンス・デイ」とかゴジラのリメイク「GODZILLA」とかローランド・エメリッヒが監督なので、見る前からどんな映画か想像ができる。まあ、面白くないだろう。しかし、上記の記事を読むと「別の意味」で見たくなった。

奇説その1 「ネコバスはミフネだから、黒澤明が好きなんじぁないの?」説

昨日、久々に友人と会った。そのとき地元の歴史・文化を放置し続ける太田市長が再選されたことについて、いろいろと語り合って盛り上がった。
そのついでに、「黒澤明はなぜネコバスが好きなのか」という話になった。(暇ですね~)
その時の記事。
友人曰く「ネコバスは、三船敏郎みたいな動きをするから好きなんじゃないの。確か、黒澤が三船を選んだ理由は、動きが躍動的で、力強く、野性味あふれる山猫みたいだ、とかなんとか淀川長治が言っていたような気がする」というのだ。
あまりにも唐突な意見なので思わず吹いたが、その主張を聞いているうちになんとなく納得してしまった。
ネコバスもミフネも縦横無人にスクリーン上で動く。そのダイナミックな動きはまさに黒澤好みだったというのだ。
三船敏郎
ネコバス

それに「となりのトトロ」のネコバスは、物語上、どこか黒澤明の描く「サムライ」ぽい役割に似ていると言うのだ。
たとえば「用心棒」「椿三十郎」も行きがかり上、頼まれて人助けをする(渋い顔をしながらも)、無言(?)でメイやさつきを助けるネコバスの存在と似ているというのだ。しかも、最後には主人公たちに感謝される(トトロでいえば、さつきやメイに。用心棒でいえば助けた妾夫婦や居酒屋の親爺、椿三十郎でいえば若侍たち)が、そんなときも、どこか照れくさい顔をすると、いうところまで似ているというのだ。
それに、無償の行為、困った人を助けるというのが「赤ひげ」のテーマに通ずるという結論まで持っていってしまった。

う~ん、
まあ、
酔っ払いの与太話なので聞き流して下さい。

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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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