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大佛次郎の「帰郷」と、なぜかアニメ「ちはやふる」の2期決定

ドナルド・キーンの記事のとき大佛次郎の「帰郷」の話が出ていたので、読んでみた。
過去記事 ドナルド・キーン自伝から。 日本文化を護るために取るべき道は何なのかを考えてみた

よかったですよ。一言感想を言えば、和辻哲郎の「風土」にある日本的風土を小説化すればこういう風になるのではないか、ということ。ほかに本に関するレビューはアマゾンとかにいいのがあるのでそちらを。(ただし小谷野敦のは当てになりませんので)
では、一節引いてみましょう。

庭の泉水の流れる音がしていた。電灯の輝く下に、畳の上にいて、水のせせらぎの中に坐っているようなものであった。京都でも加茂川の流れの音を聞く例の旅館のほかに、方々の庭でこの忍びやかな水の音楽が、あたりの静けさをいっそう深めているのを聞くことが多かった。ただ一本の古竹を渡した筧(かけい)から滴り落ちる水の音の場合さえある。考えてみれば、外国人の生活にはけっして見られないことであった。どうして昔の日本人が、寝ても起きていても、こうして不断の伴奏のようにして水を聞くのを好んだのか。
考えれば、変わった趣味であった。それももとより、水道の栓を開き放しておくのでは誰れだって我慢しないのだから、やはり水の音でも天然に近いものを聞こうと構えるのだった。人工で作るとしても、なるべく自然の趣きを損なわないように用意するのだ。青銅や大理石の彫刻した群像の立つ噴水のさかんに水の落ちる音とは違う。水を引く意欲は働いていながら、つつましくそれを隠そうと試みる。不思議な民族的習慣なのである。
近代の公園の噴水を俗のものだと感じる点では日本人は共通しているのではなかろうか?日本にある人工の噴水が、どれも趣味も出来も悪いのとは別の話である。
パリあたりの美術的にでき上がったものを見せても、壮麗さを感じても、これはただそれだけのもので、それ以上の奥行も深みもないと感じるのに違いない。それにもかかわらず、堀貫井戸に湧く水の小さい囁きに、佇んで聞き入る日本人は多い。人間の意欲が露わになるのを嫌うのである。生活に制縛されて貧しいものに悦びを見出すのに慣れたというだけのものでなく、祖先から代々血の中に養われてきた特殊な感覚に違いない。外国人にはなく、断絶させてしまうのは、惜しい遺伝なのである。美しくないと誰が言えるであろうか。

小説の中には、こういった日本人の美的感覚や日本の風土に関する記述がかなりある。それがいいのだ。鎌倉、京都、箱根といった場面での日本の風景の描写も素晴らしく、筋そのものよりもそちらに引かれてしまった。
それに「ダイヤモンド」や「汚くない塩」や「サイコロ」といった小道具の伏線の張り方にも、小説家としての上手さを感じました。

さて、こういった日本人の美意識や風土については、当サイトではブルーノ・タウトや和辻哲郎のときに触れました。日本の風土を小説化したのはいくつもありまりますが、その代表格として「帰郷」が挙がるでしょう。そして、その日本人の美意識が現代のアニメにも受け継がれているというのが私の持論です。詳しくは関連記事で、
1、和辻哲郎の「風土」 第五回目 日本の四季とアニメ
2、「アニメは日本文化を救えるか」シリーズ 第9回目 こんな感じでまとめる予定でした。
3、「銀魂」考 第3回鎮魂とカーニバル その3 「桜は死と再生の樹」と「国ほめ」

追記、アニメ「ちはやふる」の2期が決定という報を聞きました。
これはいいニュース。今秋からか、今から楽しみだな。

小説「帰郷」と関係ないって?
そんなことはない、表現形態は違えども、ともに「国ほめ」なんですよ。
私の中では、「帰郷」と「ちはやふる」は同じカテゴリーに入ります。
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歴史ミステリー作家・中津文彦さん死去

歴史推理小説作家の中津文彦さん死去 

盛岡市在住の江戸川乱歩賞作家中津文彦(なかつ・ふみひこ、本名・廣嶼文彦=ひろしま・ふみひこ)さんが24日、肝不全のため、同市内の病院で亡くなった。70歳だった。
 一関市出身で、県立一関一高、学習院大卒業後、岩手日報社で記者を務めた。1982年、「平泉」の歴史を扱ったミステリー「黄金流砂」で江戸川乱歩賞、85年に警察小説「七人の共犯者」で角川小説賞を受賞。幅広い視野と確かな構成力で、東北を舞台にした著作を多く残した。
 中津さんと同じく盛岡在住の作家で親交が深かった高橋克彦さん(64)は、突然の訃報に「ひざが震えてしまった。作家として道案内してくれる人を失ってしまった」と肩を落とした。中津さんが受賞した翌年の83年に高橋さんが江戸川乱歩賞を受賞した時、中津さんが「おめでとう」と祝福の電話をしたのが親交の始まりだ。
 3月20日、中津さんや高橋さんが参加した文学鼎談(ていだん)では、普段は作家としての信念について多くを語らない中津さんが、珍しく熱く語っていたという。高橋さんは「虫の知らせだったのか。プロ意識が高い人だった。あんなに元気だったのに、返しきれない恩義があるのに」と顔を曇らせた。
 中津さんの告別式は5月1日正午、盛岡市名須川町31の5報恩寺で営まれる。喪主は長男、文樹さん。
 中津さんが亡くなって一夜明けた25日、同市中央公民館では、県内ゆかりの作家140人を紹介する「岩手の文学展」が始まった。中津さんの「黄金流砂」の直筆原稿も展示されている。同公民館は大型連休明けにも、中津さんの追悼展示を始める予定だ。(2012年4月26日 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20120426-OYT8T00018.htmから)

ほんと中津文彦さんの本はよく読みました。「闇の本能寺 信長殺し、光秀にあらず」とか「闇の天草四郎」といった闇シリーズや、伊達政宗や源義経といった東北に縁のある歴史上の人物を取り上げていた小説とか、塙保己一を探偵役にした歴史推理小説とか。史料を駆使した本格歴史ミステリー小説作家の第一人者といっていい人だった。いろいろ参考にさせていただきました。
当サイトでも、「義経が生きていた!? みちのく黄金帝国の野望」 で「黄金流砂」、テレビ番組「新説!?日本ミステリー~ 西郷隆盛本当の顔!?~」よりで、「西郷暗殺指令」を紹介していた。
テレビの歴史モノの解説やコメントとかでよく出演してましたね。

あと小説ではないが、井沢元彦、中津文彦、高橋克彦、三人による「歴史ミステリー小説講座」(祥伝社)はためになった。
三彦
この三者の座談会が超面白い。(三人合わせて「三彦会」というそうだ)
過去記事「お勧め「歴史ミステリー小説」とか」、ここで中津文彦さんの推薦歴史ミステリー本を載せています。
この本の中で歴史ミステリーを書くときの史料の使い方についての解説があります。
「一級史料だから重大視する、権威のある人が書き残したものだから大事にするよりも、たとえ小さな事象でも、人間という観点からメリハリをつけて眺めるということも大切さと思います。フラットな視点は学者に任せて、歴史ミステリーを書く以上は史料を立体的に活用して欲しいと思います。」とある。
史料一辺倒ではなく、人物を描いて欲しいということでしょうか。確かに中津文彦さんの歴史上の人物に向ける視線は温かった。こういうところ見習いたいものです。
歴史ミステリー小説にはまるキッカケを作ってくれた作家の一人だった。

ご冥福をお祈りいたします。


谷崎潤一郎の「活動写真の現在と将来」の後篇。

谷崎潤一郎「活動写真の現在と将来」の後篇です。
感心したのは、最後の辺りにある、「我が国古来の有名な小説物語の類を、活動写真によって撮れるようになったなら、どんなに立派な、どんなに荘厳な映画が出来るであろうか、想像するだけでも、予は胸の踊るのを禁じ得ない」の部分だ。
そして、「東洋(日本)の歴史、人情を写した活動写真は、きっと西洋人の嗜好に合うに違いない」から精力的にドンドン作って海外に輸出すればいいと語っている。これなんかまさに映画を「コンテンツ」としてみているということだろう。日本のアニメ・マンガ文化はこれにあたるだろうし、韓国の韓流ドラマもこれに通じる。
谷崎潤一郎は、白黒・無声の活動写真の大正時代において、すでにこんなこと予見するようなことを言うのだから、ほんと一流の芸術家はスゴイなと思う。
では本文を。

予は前項に述べた活動写真の特長に基づいて、ここに彼らに二、三の警告を発したい。
目下の場合、日本特有の活動劇を撮影する営業者、舞台監督、俳優諸氏に、まずもって要求したいのは、徒に芝居の模倣をするなという一事である。自由にして自然なるべき活動劇を、窮屈にして不自然なる実演劇の束縛の下に置くな、という事である。
たとえば、彼らは、一つの場面を写すのに、いつも芝居の舞台面を念頭においている。殊に旧派の俳優のごときは、相変わらず薄っぺらな、横に長い二重舞台を使って、その上に多数並んだまま、一カ所で長いあいだ筋を運んでいる。これらは全く、活動写真の長所を殺しているのである。
西洋では、酒を飲んで酔っ払う光景を写すのに、役者に本物の酒を飲ませて、実際に酔わせる場合があるという。そのくらい自然を尊ぶ活動写真に、芝居の型通り「見え」を切ったり、変な立ち回りをしたりする必要は断じてない。なかでも、予が滑稽に感じるのは、活動劇が依然として男優の女形を使用することである。彼らはまだ、実演舞台と同じような扮装をして、それで見物客が欺かられていると思っているらしい。白粉を濃くすれば自然の白い肌に見え、墨で皺をかけば老人に見えるつもりでいるらしい。
老人は老人が扮し、女は女が扮するのは勿論のこと、なるべくなら頭も鬘を使わないで、禿頭でも白髪頭でも丸髷でも銀杏返しでも、地頭で間に合わす方がいいと思う。殊に散髪物は、日本にはいい鬘がないのだから、ぜひ地頭でやって欲しい。
芝居の模倣をしている間は、活動劇はいつまで立っても芝居を凌駕することは出来ない。これは要するに、活動劇には自ら異なった天地があり、使命があるという事を、自覚していない結果であって、今の活動俳優が、他の俳優に軽蔑されるのはむしろ当然といわなければならない。
もっともそれは俳優の罪ばかりでなく、弁士を持たなければ分からないような脚本を上場する、営業者の罪が大半を占めている。
予は決して、機関車の衝突だの、鉄橋の破壊だのという、大仕掛けな物を仕組んでくれというのではない。何よりまず自然に帰れというのである。そして、忠実に平坦に、日本の風俗人情を写してみろというのである。尾上松之助氏や、立花貞次郎氏の映画よりも、青山原頭のナイルスの宙返りや、桜島噴火の実況の方が、予にとってはどんなに面白かったか分からない。活動写真は筋は簡単であっても、ただ自然であり真実であるがために面白い場合が非常に多い。
何も最初から、高尚な文芸映画を作れなどとは要求しない。通俗な物で結構であるから、活動写真本来の性質に帰り、正しき方法によって、映写してもらいたいというのである。例の名金や、拳骨なども、極めて俗悪な筋であるが、映画にすると小説では分からない自然の景色や、外国の風俗人情が現れてくるために、大人が見ても充分に興味を感ずる。金色夜叉だとか、己が罪だとか、小説としては余り感心のできない物でも、日本の自然や風俗を巧みに取り入れて、西洋流の活動劇にしたら、きっと面白いに相違ない。
けれどももし、一歩進めて、日本に偉大なる興行者、偉大なる映画監督、偉大なる俳優が出現し、我が国古来の有名な小説物語の類を、活動写真によって撮れるようになったなら、どんなに立派な、どんなに荘厳な映画が出来るであろうか、想像するだけでも、予は胸の踊るのを禁じ得ない。たとえば平家物語のようなものを、実際の京都や、一の谷や、壇ノ浦を使い、当時の鎧衣装を着けて撮影したなら、恐らく「クオ・ヴァディス」や「アントニーとクレオパトラ」にも劣らないフィルムが出来るだろうと思われる。平安朝の竹取物語なども、トリック応用のお伽劇としては絶好の材料である。
そういうフィルムが沢山制作されるようになれば、舶来物の輸入を留めて、かえってこちらのものをどしどし輸出する事ができる。東洋の歴史、人情を写した活動写真は、きっと西洋人の嗜好に合うに違いない。音楽や文学や演劇においては、日本の芸術家が欧米に認められる事は至難だけれども、活動俳優にはそんな故障は少しもない。もし日本の俳優の名が、チャーレス、チャップリンのように世界中の津々浦々に響き渡ったら、日本人として快心の出来事ではないか。日本人で世界で名声を得たいと思うのであれば、活動写真の俳優になるのが一番いいであろう。
(弁士に関する後半部分は省略)

谷崎はここで活動写真にしたら面白い題材として「平家物語」を挙げている。
「平家物語のようなものを、実際の京都や、一の谷や、壇ノ浦を使い、当時の鎧衣装を着けて撮影したなら、恐らく「クオ・ヴァディス」や「アントニーとクレオパトラ」にも劣らないフィルムが出来るだろうと思われる。」とある。
確かに、スケールは壮大だし、人間ドラマも濃密だ。活動写真つまりドラマになった平家物語を谷崎は見たかったに違いない。

奇しくも平成24年のNHK大河ドラマは「平清盛」で、平家物語を題材としているようだ。
大河ドラマ「平清盛」
果して、谷崎潤一郎が胸を躍らせるようなドラマになるかどうか……。
最近の大河ドラマはハズレが多いからな……。

谷崎潤一郎の「活動写真の現在と将来」が面白かったので書き起こしてみました。前篇

谷崎潤一郎の全集第二十巻にあった「活動写真の現在と将来」が面白かったので書き起こしてみました。
これが書かれたのは大正6年。この頃の映画はサイレントであり、もちろん白黒、しかもスクリーンの横で活動弁士が熱弁をふるっていた時代であった。まだまだ映画は珍奇なものと見られていて、演劇や歌舞伎といったものより一段も二段も下に見られていた。そんな時代にあって、谷崎は映画がこれから大衆文化として大いに発達し、演劇や絵画などと並び称せられる芸術となるとここで予言している。
まあそれだけなら驚くに当たらないが、よく読むと、三流の俗小説も映画にしたら面白いのではないかとか、怪奇・ミステリィー(ここではエドガー・アラン・ポーや泉鏡花を挙げている)は映画に合う題材だとか、日本の物語を映画化して海外に売り込めといった今風でいうコンテンツ論を展開している。これを大正時代に言ってるのだからスゴイ。一流の芸術家というのは見る目が違う、というのが分かる。
そして、何よりも読みやすく分かり易い。谷崎潤一郎が文章が上手いなんて、もうしごく当たり前なことなんですが、こんな何気ないエッセーのようなものでも、達意の文章をつづられてしまうと、思わず感心していまう。

まあ、ウダウダ私見を書くより、本文を載せた方がいいですよね。
(旧仮名づかい、旧漢字は今風に改めてあります。また分かりにくい表現は文意を変えない程度に言い換えてあります)

活動写真の現在と将来
予は別段、活動写真について深い研究をしたこともなければ、広い知識をもっているわけではない。しかし久しい以前から、熱心なる活動の愛好者であって、機会があればフォトプレイを書いてみたいとさえ思っていた。その為に二、三冊の参考書を読んだこともあり、日活の撮影所などを見せてもらった事もあった。したがって、門外漢ではあるが、一般に活動写真というものの将来に対する考えや、特に日本の興行者に対する不平や不満足や、思いのままに述べてみたいことが沢山ある。
活動写真は真の芸術として、たとえば演劇、絵画などと並び称せられる芸術として、将来発達する望みがあるかといえば、予は勿論あると答えたい。そして、演劇や絵画が永久に滅びざるが如く、活動写真もまた、不朽に伝わるであろうと信ずる。有り体に云うと、予は今日の東京のどの劇団、どの劇場の芝居よりも、遙かに活動写真を愛し、かつそれらの中の或る物は、歌舞伎劇や新派劇でも太刀打ちできないほどの芸術性を発見する。少し極端になるかも知れないが、西洋のフイルムでさえあれば、どんな短い、どんな下らない写真でも、現在の日本の芝居に比べれば、ずっと面白いと云いたいくらいである。
芸術の甲乙はないとしても、その形式が時勢に適応するものは益々発達し、時勢に背反するものは自然と進歩しないようになる。能狂言が、歌舞伎に劣らない内容を有していながら、後者ほど流行しないのはその為であろう。今日はデモクラシーの時代であるから、貴族趣味の芸術はだんだん範囲を狭められていくに違いない。この点において、演劇よりも更に一層平民的な活動写真は、最も時勢に適合した芸術として、まだ大いに発達改良の余地があると思う。あるいは将来、演劇が能狂言を圧倒した如く、活動写真が立派な高級芸術となった暁に、演劇を圧倒する時代が来るかも知れないと思う。
ちょいと考えてみただけでも、活動写真が演劇に勝っている点は非常に多いが、その最も顕著なる特徴は、実演劇の生命が一時的なのに反して、写真劇の生命の無限に長い事であろう。(今日ではまだフィルムの寿命が永久不変ではないけれど、将来必ず、その辺は発達するに違いない。) 実演劇とフィルム劇との関係は、あたかも言語と文字、若しくは原稿と印刷物との関係に匹敵する。実演劇は、限られた観客を相手にして、その場限りで消えていくのに、活動写真の方では一本のフィルムを何回も繰り返して、至る所に無数の観客を呼ぶことができる。この特長は、観客の側からいうと、居ながらにして各国の俳優の演技を、極めて廉価にしかも甚だ簡便に見物し得る利益がある。そして俳優の側からいえば、ほとんど世界中の見物を相手にして、絵画や文学のように複製だの翻訳だのという間接の手段を持たず、自己の芸術を直接に発表し、しかも後世永遠に伝えることができるのである。古来の偉大なる詩人や書家や彫刻家が、自己の芸術によって永遠に生きているかが如く、活動写真もまたフィルムによって不朽の生命を保つことができる。俳優にこれだけの覚悟がつくという事は、その芸術をどれほど高尚にさせ、真剣にさせるか分からないと思う。現在の俳優が、他の芸術家に比較して、品性においても見識においても多く堕落しているのは、主としてその使命の一時的であるという事が頭に沁み込んでいる結果に相違ない。もしくは自分の演技がゲーテの詩の如く、ミケランジェロの彫刻の如く、永く後世に認められ、千載の後までもクラッシックとして尊重させられる所以が明らかになったら、彼らも必ずそれ相応の抱負を持つようになるだろう。
以上に述べた所だけでも、活動写真が将来芸術として発達する要素は十分であると予は信じる。しかしその他の特長を数えて見れば、第二に、取材の範囲がすこぶる広範であって、しかもいかなる場面においても、(写実的なものでも、夢幻的なものでも)芝居ほど嘘らしくないという事実を挙げたい。いうまでもなく、演劇が所期の効果を奏するためには、いかなる際にも写実らしくなければならない。段々世の中が進んできて、見物の神経が昔よりも鋭敏になっている今日、演劇はややもすると嘘らしいという感じを免れない。この点においても、活動写真はより多く時勢に適合してはいないだろうか。今日の人が、象徴的の演出として賛美している能狂言も、足利時代の人々には写実的として見えていた。そして、能狂言の後に一層写実的な歌舞伎劇が起こったごとく、これからの世の中は、更に一層写実的な活動写真によって風靡されはしないだろうか。予にはどうも、そうなるらしく感ぜられる。
写実劇が、いかなる場合にも写実らしいという事は、同時にそれが芝居よりもっと写実的な戯曲にも、もっと夢幻的な戯曲にも適していることを証拠立てる。写実劇に適する事の出来ないダンテの「神曲」とか、西遊記とか、ポオの短編小説の或る物とか、或いは泉鏡花氏の「高野聖」「風流線」の類(この二つはかつて新派で演じたけれど、むしろ原作を傷つけるものであった)は、きっと面白い活動写真になると思う。なかでもポオの物語のごときは、活動写真の方がかえって効果が現れるのではないかと感ぜられる。(たとえば「黒猫」「キリヤム、キルソン」「赤き死の仮面」など)
それから第三の長所としては、場面の取り方が自由自在で、多種多様の変化に富んでいる。それは脚本作家にとっても、実演用の戯曲を作る場合と違って、面倒な約束に縛られる煩いがなく、どれほど便利であるか分からない。限られた面積の舞台の上で組み立てる物と異なり、いかなる雄大な背景でも、いかなる大規模な建築でも、欲するままに使用し得るのみならず、長年月の間に、遠隔の土地に起こった事件をも、わずか数時間の物語に短縮することが出来る。しかしてそれがまた、取材の範囲を広範にする所以である。
ある場面のうち一部分を切り抜いて、大きく映すということ、すなわちディテールを示し得ること、これがどのくらい演劇の効果を強め、変化を助けているか分からない。この意味において、写実的の場面は実演劇のそれよりも一層絵画に近づいている。実演の舞台では、絵画と同じ構図を取ることは不可能であるが、活動写真では立派にそれが行われる。かつ、俳優と観客との位置に、絶えず一定の距離をもっている芝居とは違って、ある時は咫尺の間に迫り、ある時は十町も二十町も離れ得る(意味:アップになったり、俯瞰になったりすることができる) 活動劇の俳優は、動作においても表情においても、充分に自己の技能を発揮することが出来る。観客の側からいっても、立ち見のお客には顔が分からないというような不公平が全くない。
殊に、俳優が実物より拡大される結果として、実演の舞台ではそれほど目立たない、容貌や肉体の微細なる特長までが、極めて明瞭に映し出される。俳優はもはや実演の際のごとくけばけばしい粉飾をもってその年齢や肉体や輪郭をごまかすことは出来ない。美人の役はぜひとも美人の俳優が扮しなければならず、老人の役はぜひとも老人がつとめなければならない。(西洋の活動写真では大概そうなっている)これは、一方において虚偽の技巧を駆逐する効能があると同時に、他方においては、俳優に固有な持ち味、柄というものを尊重する傾向を生み、したがって技芸の領域を複雑にし、深甚にする利益があろうと思う。人間の容貌というものは、たとえどんなに醜い顔でも、それをじっと見つめていると、何となくその所に神秘な、荘厳な、ある永遠な美しさが潜んでいるように感じられるのである。予は活動写真の「大写し」の顔を眺める際に、特にその感を深くする。普通気が付かないで見過ごしていた人間の容貌や肉体の各部分が、名状し難い魅力をもって、今更のように迫って来るのを覚える。それは単に、映画が実物よりも拡大されている為ばかりではなく、おそらく実物のような音響や色彩がないためであろう。活動写真に色彩と音響とがない事は、その欠点なるがごとくにして、むしろ長所となっているであろう。ちょうど絵画に音響がなく、詩に形象がないように、活動写真もまた、たまたまその欠点によって、かえって芸術に必要なる自然の浄化ーーcrystallizationーーを行っている形である。予はこの一事によっても、活動写真が芝居よりは高級な芸術として発達し得る可能性を認めるものである。(キネマカラーという物があるが、現在のところでは、予はあまりあれを好まない)そして、前者は後者よりも、一層絵画や彫刻や音楽の精神に近くはないかと思っている。
以上に列挙した活動写真の長所の多くは、予が新しく説明するまでもなく、すでに誰にでも分かり切った事実である。ただ、この分かり切った事柄を、改めて書き連ねた所以のものは、主として日本の現在の、活動写真の当事者に読んでもらいたいからである。少なくとも彼らは、これだけの長所を充分に認めていない。認めているまでも、利用していないと信じるからである。

後篇に続く。

「涼宮ハルヒの驚愕」が届きました。

5月25日は、「涼宮ハルヒの驚愕」の発売日。
涼宮ハルヒの驚愕 
アマゾンで先行予約していたものが届きました。
「驚愕」の前・後巻に、初回限定版特別小冊子「涼宮ハルヒの秘話」が付いてました。
涼宮ハルヒの秘話
まず、おまけの「涼宮ハルヒの秘話」をパラパラめくる。
スタッフの作業場所の写真が載っていて、イラスト担当の「いとうのいぢ」の本棚に東野圭吾の「幻夜」や奥田英朗の「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」を発見して、思わずニンマリする。
ほかに面白かったのは「涼宮ハルヒ」制作秘話の中のボツタイトル。
「ハルヒ伝 閉鎖空間変化自在編」というのが内容そのものだったので笑った。

では、本編へ突入、と思いましたが、細かい内容忘れてしまっている~。まずは前作「涼宮ハルヒの分裂」から読み直さないと……。
私には半年前のことですが、昔からのファンにとっては4年ぶりですか……。
過去記事 「徒然草」と「涼宮ハルヒの憂鬱」と「三島由紀夫」
まさかこのおっさんが「涼宮ハルヒシリーズ」のファンになるとは半年前には思わなかった、本人が一番驚いているくらいです。
まあ、何にせよ、アニメ・マンガ・ラノベも日本文化です。
過去記事
「アニメ・マンガ」で「文化防衛論」
アニメは日本文化を救えるか 第3回 ソフト・パワーの時代。中国がパンダなら、日本はアニメだ!

あっ、そういえば、和田アキ子が「涼宮ハルヒなんて、みんな知らないと思うけど・・・私、知らないもん」なんて言った件がありましたが、これには私も「激怒」してしまいました。事の顛末
声優さんがどういわれようと構いませんが(ハルヒ役としての平野綾は好きですよ)、作品そのものを冒涜することは許せません。
過去記事 「みのもんた、新作ハリーポッターのネタを割る。私、怒ってます!」のときと同じような感情が湧きおこりました。
まあ、それだけ「涼宮ハルヒシリーズ」が好きだということですね。

谷沢永一さん死す。 

谷沢永一さんが亡くなられたというニュースを聞きました。 

辛口批評の保守派の論客として知られた文芸評論家で関西大名誉教授の谷沢永一さんが8日午後11時23分、心不全のため兵庫県伊丹市の病院で死去した。81歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻美智子(みちこ)さん。専門は近代日本文学の書誌学的研究で、書評や社会評論で幅広く活動。既得権益を守ろうとする人物や行動を、痛烈に批判する舌鋒の鋭さに定評があった。 2011年3月9日


当サイトでは、結構谷沢さんの本からいろいろ引用してました。
とにかく、朝日新聞は森繁久弥さんの墓前で謝った方がいい。の記事では、「こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状」(クレスト社)から。
「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。の記事では「天皇制という呼称を使うべきではない理由」(PHP研究所刊)から。
「奇妙なり一郎」、小沢一郎は平成の清河八郎だ! ということは最期は……。の記事では、「大国・日本の正体」(講談社文庫)から。
「可愛気」と「ダイアナ妃」で考えさせられることの記事では読売新聞の編集手帳の引用から。(元ネタは「人間通」新潮社)
とそれぞれの本から引用させていただきました。
他には『悪魔の思想―「進歩的文化人」という名の国賊12人』(クレスト社) や『山本七平の智恵 日本人を理解する75のエッセンス 』(PHP研究所)や『皇室傳統(皇室伝統)』 (PHP研究所)などもよく読みました。

それにしても、谷沢さんの朝日新聞的進歩的文化人を叩くときの破壊力はすさまじいものがありましたね。
なんだかんだいろいろあるでしょうが、こういう口うるさい論客というのは、左右問わず、いつの時代にも必要ですよね。
そういった意味においても、谷沢さんの「毒」は各方面に影響を与えました。こういう激しさを私も見習いたいものです。
いまは、保守派、反朝日、反サヨクはかなり増えたが、昭和は進歩的文化人全盛の時代だった。保守派論者なんて言うと岩波・朝日新聞系から変人扱いされ(バカにされた)、とても文化人とは見なされない、そんな時代だった。だからそんな時代にサヨク系の人々と争った保守の論者に深く尊敬してしまいます。
山本七平しかり、小室直樹しかり、江藤淳しかり……そして谷沢永一。
彼らの著書を読むと、どこか骨太の印象を受ける。それは知識人なんて自ら嘯いていた左派とガチで闘っていたからだろう。

ご冥福をお祈りいたします。

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消えた二十二巻

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