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ブルーノ・タウトが観た「相撲」

相撲を何気なく観ていたけど、面白かったな。
鶴竜のあの泣き顔のような表情や朴訥とした感じがいいよね。

さて、ブルーノ・タウトの「ニッポン ヨーロッパ人の眼で観た」(篠田英雄訳 春秋社)の中に相撲に関する記事があり、これがなかなか秀逸だったので書き起こしてみました。

昔風の唄や音楽を演じる寄席、街頭に設けられた天幕張りの小屋掛け、神社の祭礼に因んで建てられる野天の芝居小屋等もまたすぐれた伝統に属している。なかんずく祭礼の芝居興行では、伝統はまたしても神社崇拝と融合しているのである。
相撲場(注 ダウトは、1933年5月19日に、東京両国の国技館で相撲見物をした)の中央で肥大な肉塊が相打つのを二万の観衆が喧嘩しながら観ている有様は、上に述べた事物(注 先に能や芸妓などの日本の伝統文化)とはまるで反対の現象であるように見え、最初はやや野蛮な感じさえする、しかしこの興行物とても決して例外ではない。これは東京の国技館大相撲である。大入満員の広大な場内で数時間注意して見物すれば、ここにもやはりいろいろな関連が見出されるのである。オーケストラさながらの指揮下に応援している学生達の拍手のコンサートがあり、また双方の力士をそれぞれ声援する叫喚のコンサートがある。白(天)、黒(地)、赤(火)、及び緑(風)の四本柱で支えられた屋根の下で行われる肥大な両力士の力技は、決して粗野なものではない。彼らは十五分間も四股をふんだり見合ったりして仕切の前技を見せる、それは非常に緊張したものであり、これによって二人のうちのどちらかが神経質であるか、また力はあるにしても疲労しやすいかということが判る。角技そのものは、注意して見物する観客にとってはこのような観察の当否を証明するものでしかない、もし双方の神経の強さが同等であれば、知性的な顔をしている力士の方に賭ければ間違いない。
肉塊をもって相打つ角技であるが、力士にもやはり或る種の洗練と立会いの気品とが肝要なこととせられている、これは柔道や剣道あるいは弓道のような武技についてもまったく同様である。つまり大切なのは常に立派な態度であって、徒に相手を打ち負かそうとする興奮ではない。ある柔道の選士は沈着な態度だけで勝を獲ているように思われた、観る人は、彼の術や技を殆ど問題にしないのである。対手者が互いに交わす伝統的な敬礼は、競技を実に一つの社交的形式にすら化している、また一同が玉座の前で致す最敬礼は、すべての競技者を一の全体に結集する。蹴鞠の戯(注 ダウトは同年5月7日に京都の華族会館で蹴鞠を観た)は今日の蹴球の起源をなすものと思われるが、しかし現在の蹴球戦に見られるような醜態な面は絶対に現れることがない、およそ競技のなるものに対する実に高貴な模範である。蹴鞠は約一千年を経ているし、また装束はほぼ六百年前のものである。この見事な装束は、両腕を振りまわしたりするような下品な態度を拒み、またそれ故にこそますます沈着が肝要になるのである。それだから蹴鞠の名手は必ずしも年齢の若いことを必要としない。最も優れた視覚文化の意味において蹴鞠戯の示す美しさと優雅な社交的形式とを本義とするこのような伝統が、今なお維持されているところに、私は現代日本の最も重要な特性を見るのである。
現代の日本では、競技は本来の根本的性格を顕示している、この性格はアメリカと異なり、今日でも英国に培われているものとまったく同様である。アメリカに由来するスポーツは、あたかも古代ローマの剣闘士試合の如きものに堕し、またあらゆる不快な随伴現象をともなって群衆の加虐本能を煽りたてる手段になり果てた。アメリカでは、一切の文化が停止している。これに反して日本では、生活全体との関連が維持されているのである。

お~上手い文章だな。つくづく感心してしまう。相撲の中にも日本の美を見出し、米国的スポーツとは違うものだと主張している。
相撲が持つこういう一面も失わないでほしい、と願うばかりだ。
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「賜杯」の意味。天皇と相撲、そしてこの国の体質。

平成22年7月28日の毎日新聞から
「江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の肉筆画で所在不明になっていた「鍾馗(しょうき)図」と「三福神の相撲図」を栃木市出身の旧家が所有していたことが分かり、同市が27日発表した。2点の存在は1975年ごろに確認されたのが最後。専門家によると、現存する歌麿の肉筆画は40点ほどしかない。所有者から寄託を受けた市は年内にも一般公開したいとしている。」
この中で気になったのが「三福神の相撲図」だ。産経新聞に説明があった。
「縦約82センチ、横約39センチ。七福神の恵比寿が行司役で、大黒天と布袋が相撲をとる様子が描かれ、縁起がいいという。2作品とも1790年代前半の作品とみられ、ヒゲの一本一本まで詳細に描かれ、ダイナミックかつ繊細なのが特徴だ。」
三福神の相撲図
そうこれは「縁起物」だ。七福神が出てくるのはもちろんだが、「相撲」を描いていることも縁起がいいことの一つになっている。
その理由は、相撲が天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事だということに他ならないからである。

それを踏まえて以下の記事を読んでみましょう。
平成22年7月26日 読売新聞「よみうり寸評」から。

「この国の横綱として、力士代表として天皇賜杯だけは頂きたかった」白鵬は日本人以上に日本の力士として名古屋場所を勤め上げた◆「この国の…」を聞いてそう思った。その思いで15日間を勝ち抜いた。3場所連続全勝優勝、47連勝の偉業をなしとげ、一人横綱の重責を果たした白鵬に喝采(かっさい)。千秋楽、把瑠都とのがっぷり四つの力相撲には感動した◆力士が土俵上で踏む〈四股(しこ)〉は地中の邪気を祓(はら)い、大地を鎮める神事に由来する。今場所の横綱は地面の下の悪霊を踏みつける思いで四股を踏み、土俵入りを務めたのではないか◆優勝旗を受けた白鵬の目に涙があった。賜杯を始め、いつもの場所なら続く数々の表彰がない。NHKのTV中継もない。異例、異常で不名誉な場所だった◆大相撲存亡の危機の名古屋場所を全勝で乗り切った安堵(あんど)と、大記録の達成が「こんな場所なので」素直に喜べない悔しさ残念さが、ないまぜになった涙だろう◆数々の不祥事は積年の病弊の噴出だ。改革の断行なしに大相撲の明日はない。

また『前日の表彰式で涙が止まらなかった白鵬。「国歌が終わり、土俵を見たら、いつもなら置いてある天皇賜杯がなく、さびしくて自然に(涙が)出た」と理由を話した。』という話も伝わっている。

いま「相撲は神事である」というのが分かっているのは白鵬だけである。
こういう原点を国民も力士も相撲協会も見失っている。
今一度そこに立ち返る時なのだ。
過去記事一覧
「神事としての相撲」その3 力士は日本の土地を守る防人だ。
「神事としての相撲」
「神事としての相撲その2 相撲の原点は五穀豊穣を願う儀式にある。」
朝青龍マレビト論
テレビ番組「田舎に泊まろう」と相撲巡業はマレビトか?

なぜ力士は地方を巡業するのか。
なぜ神社で奉納相撲が行われるのか。
なぜ四股を踏むのか。
なぜ古墳に力士の埴輪があるのか。
なぜ幕末に黒船が来たときに力士が出迎えたのか。
そして、なぜ天皇陛下から力士へ顕彰が行われるのか。
「相撲は天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事」であり、それが「古来から皇室とつながるもの」であることを基本としなければ「相撲」はその存在価値がない。
国技である相撲と脈々と続く皇室は「日本」を守るという点において強く結びついている。
だからこそ「賜杯」は大きな意味を持っている。
皇室がスポーツ選手や文化人を顕彰する意味は過去記事「園遊会」と「福沢諭吉」で。
白鵬はそこに気づいているからこそ、あの涙があると、私は解釈した。

丸谷才一、山崎正和の対談集「見わたせば柳さくら」(中央公論社)から相撲に関する部分を少し引いてみましょう。

丸山: あれは(相撲)発生的にいえば格闘技ではなくて、神事なわけですね。だから、神事であるという意識が、国民の精神の表層を二、三枚はいだところで、ずっとつながってきていると思うんですね。それがあるから、こんなに長い間もっているので、この意識がなかったら、もうとうに滅んじゃっているでしょう。
<中略>
折口信夫の説によると、もともと相撲の発生状態では、勝ち負けが決まっていたというんです。
……つまり、儀式なんです。勝ったほうの村の田圃の稲がよくできるというおまじないの儀式であった。それが、しだいに呪術的起源が忘れられて、単なる勝ち負けのお遊びになってしまったというわけですね。
山崎: ……少し後の時代でも、東方と西方というのがあって、東が勝つと野のものがよく実る、西が勝つと山のものが実る、というような呪術的な信仰があったようですね。
<中略>
ある百科事典によると、相撲の語源は「素舞い(すまい)」であったという。つまり、伎楽とか舞楽が面をつけたり衣装をつけて舞うのに対して、こちらは裸で舞うという意味で、「素舞い」だったというんですね。
……最初から相撲というのは、舞いの一種だと考えられていたのであって、格闘技だとは思われていなかったかもしれません。
……しかし格闘技になりながらでも、神事の名残という気持がするほうの人にも見るほうの人にも、脈々として残っていたということですね。

山崎: それにしても、歴史的アナクロニズムの話が出ましたけど、相撲のもっている儀式性というか呪術性というか、これまた実に重層的で、ごちゃまぜですね。どうみても、これは神道にまつわる行事という側面をもっているんですね。実際に、聖武天皇のときですが、豊作を感謝して、伊勢神宮その他もろもろの神社に奉納するために相撲をやらせた、というのが残っていますから、これはもう、明らかに日本の神道ですよ。

山崎:天子は南面するんですね。というと相撲の正面というのは北側なんです。天子が南面するものだとすると、その両側に東西を配するのは当然のことでありまして、日本の天子の持っている中立性というものの象徴です。
しかし、天子は常に南面して、左右を争うに任せている。そう気がついたとき、ふと面白いと思ったのは、日本の国土を、東日本、西日本というでしょう。日本という国土は斜めになっているんですから、南日本、北日本でもよかったはずだけれども、一般的には明らかに関東、関西です。今度、そう考えると、分かるような気がするんです。つまり、天子は南面しているんだから、観念的に南面してるんですから、東と西しかあり得ない。

天皇と相撲と神道は深く結びついているのだ。
そして、服装などひとつ取って見ても相撲の中に日本の歴史と文化が詰まっていることは分かる。
行司の服装は平安時代以降の公家のものであり、手にする軍配は室町・戦国時代以降の武家のもの。相撲取りの紋付・袴に髷姿は江戸時代、観客の桟敷も呼び出しも江戸時代、そして力士のまわし姿は埴輪の時代からその原型があるわけで、あの場所に日本の伝統歴史が融け合っているのだ。
そこを忘れてはいけない。
「相撲」に関して論ずることが、実のところこの国をかたち作っている根本は何なのかということを、再認識するいい機会なのかもしれないと、いつも思う。
それは、「皇室」を考える上でも重要なことなのだ。
そういったことを総合して何度も言うが、天皇賜杯の意味をよく理解しているのは、白鵬だけなのである。

さて、以下長文を引用します。相撲とはあまり関係がないかもしれないが、「皇室」に関してなるほどいい例えだと感心したので引いておきます。
三浦朱門の『天皇』(海竜社)から    

どの国にも、それぞれの体質がある。

外来文明は日本の伝統にとって、いつでも問題をおこす。第一は奈良時代であり、次は戦国時代と同時にやってきたキリシタン文明は、大航海時代といわれるヨーロッパ勢力の世界進出の、日本における波動であったかもしれないが、この外来文明は日本の根幹を揺るがす大問題となった。このときは鎖国政策によって事の解消を図った。
その次は幕末から明治の西欧文明の本格的な輸入である。明治政府は外来文明と伝統文化との調和を図ろうとして、ある程度成功したかに見えたが、第二次世界大戦という形で破綻を見た。戦後、また新しい西欧文明の輸入があって日本の繁栄をもたらしたのではあるが、また別の混乱を招いてもいる。
どこの国にも、その国の個性といったものがあって、それによって新しい物を生みだしもするし、伝統的なものを保持することもある。この個性はまた、外来の物への対応に際してもさまざまな働きをする。

アメリカは新しい国だし、さまざまな文化的背景、遺伝子を持った人々が造った国家だったから、国の体質を言わず語らず、といった不定形なものに頼ることができず、いわゆる成文憲法を作った。その後、多くの修正条項を加えたが、それは憲法の意味が誤解されそうになった場合、あるいは新しい現象が起きて憲法の条文の精神を生かすために、その新現象の意味を明確にせねばならない場合に、憲法に付加条項がつけ加えられた。
同じアングロサクソンが主体になって造られた国である英国の場合は、アメリカ的な意味での成文憲法はない。日本なら最高裁にあたる裁判所での判例が、憲法的な意味を持つとされる。それが英国の「国の体質」という、つかみどころのない物を示すものとされてきた。
いずれにせよ、一つの国家の体質というものは、言葉で表わされる部分もあるが、言わず語らずのうちに、人々の間に分かたれている部分もある。
国家の体質を舟に例えてみる。勿論、大きな船もある小さな船もある。その構造も、用途も一応はさまざまである。いずれにせよ、船全体が、その国の体質、そのものとする。多くの国民は自分の乗る船のごく一部しか知らないし、知る機会もない。ただ船に乗り合わせた人々の間の秩序維持については、船の構造に関連してそれなりのルールがある。その代表がブリッジで船の運行の任にあたるのだが、彼らも、船内状況のすべて、倉庫の中や燃料の状況、機関室やそれらの部署に勤務している人々の状況を把握しきっているわけではない。
ただ一般的に言えることは、船の重心が喫水線より高ければ、船は不安定である。わずかな波にも大きく揺れるし、揺れた結果、船の重心から下ろした垂線が、船外に外れると船は転覆する。逆に重心が喫水線よりずっと低いところにあると、揺れは小さいし、転覆の危険は遥かに小さくなる。
だから重心は低い方が安定度は高いのだが、それはまた、危機への対応の鈍さにつながるかもしれない。そもそも船が揺れるのは波浪の影響である。台風が来れば波浪も大きくなる。しかし重心の低い船は動揺が少ないことに安心して、台風の発見も遅れ、危機感も鈍くなり、その結果、抜き差しならならぬ状態で危機に直面することになる。
重心の高い国は不安定で、それだけに波浪の影響も受けやすい。それで台風が来ると真っ先に転覆してしまうのだが、国民もその辺を承知していて、さっさと船を捨て逃げてしまう。いわゆる難民になる。また危機への対応は一つにはブリッジにいる運営の責任者の手腕によるとは言いながら、全員が天候の状況に敏感になり、大事に到る前に舵取りを正しく行うこともできる。
日本という国の重心が高いのか、それとも低いのだろうか。
今から千数百年前は不安定だった。いやそもそも日本という船は出来ていなかった。船が建造される過程を、私はこれまで書いてきたつもりである。日本という船の重心にあたるのは天皇であると私は思う。当初、重心は高かった。天皇は国土の範囲を定める戦いでは陣頭に立ったし、国内の政争でも自ら軍を率いて戦った。しかしまもなく、重心は低くなる。歴史という貨物が次々に積み込まれて、重心は低くなる一方だった。
中国の場合は、王朝の交代によって、歴史という貨物は整理され、船外にほうりだされたから、重心は常に高いところにあり、時代の変化にも敏感に反応していた。つまりこの国は有史以来何度も転覆を繰り返してきたのだが、積み荷が波にさらわれることで、船体が軽くなり、再び浮上することを繰り返してきたから、転覆の経験は忘れられ、数千年わたって嵐を乗り切ってきたかのような印象を国民が持つようになった。確かに船体は三千年来、同じ物を補修して使っている。
日本は王朝の交代がなかったために、重心は低くなり、ついにはほとんどの乗組員には重心の存在は意識されないようになる。そしてブリッジにいる船の運行にあたる人たちは、自分が船の全責任を負っていると錯覚するかもしれないし、重心の存在を知らない国民もいようが、ほとんど船底近くにある低い重心が船を安定させていることを、忘れてはなるまい。

天皇は日本文化の重心、変わりにくい部分

日本という船は何度か転覆の危機を経験した。他の国なら革命とか王朝の交替が行われる事態である。しかし重心の低さによって、その度に復元してきた。
第二次世界大戦の敗北は象徴的に言えば、船の甲板が垂直になり、海中にほうりだされた人も多く、船室の中に水が入り、居住区は混乱し、荷物のかなりの部分は水に浸かった。しかしこの度も日本という船は転覆せずに復元したのである。
社会学という学問を作ったといわれる人で、フランスのオーギュスト・コントという学者がいる。彼は社会に変化する部分と、比較的変化しにくい部分があるとして、社会静学と社会動学があるとした。変化する部分、社会動学のほうは観測しやすいから、彼はその部分から手をつけたが、社会静学は学問としての可能性を示したに止まった。
社会に敏感に変化する部分と、比較的動かない部分があることは、昔から日本でも気付かれていた。俳諧の社会にも不易流行という言葉がある。変わらざる部分と、流れ行く部分である。そして日本にあっては天皇の存在は不易の分野に属する。勿論、それは人間の制度であって、日本という国家、社会の体質も長い間では変わるのである。その変化の形によっては、不易といわれる部分も、時代と共に変わっている。
日本にあっては、天皇の存在が船の低い重心となり、また比較的変化をしない部分となってきた。その変わりにくい部分が日本という国の体質、つまり日本的なもの、日本の意識的・無意識的な価値観、つまりは日本文化そのものであろう。天皇はこうして日本文化の重点であり、その揺れを示す座標でもある。
この世に永遠なものはないから、将来、日本に皇室がなくなる時が来ないとは言えないが、その時、われわれは何によって日本を代表させようとするのか。大統領制はその一つの答えであろう。日本が共和国になって、大統領を持つようになったとしよう。
戦後の総理でマスコミや国民の間で圧倒的な人気のあった人、たとえば田中角栄や細川護煕という人などは、その人気の絶頂時、総理就任直前に大統領選挙があれば、選挙民の過半数の支持を得て、大統領に選ばれた可能性が極めて高い。しかしこの二人が総理をやめた事情を思えば、国民は彼らを大統領にしたことを後悔するのではないだろうか。
大統領は国民が選んだもので、今の総理より遥かに大きな権限を持つようになろう。いまでも選挙民に直接選ばれる知事は都道府県内では、総理より比較的大きな権限を持っている。大統領が私情に基づいた人事を行って、妙な人を公職につかせ、退職後のことを考えての開発事業を行ったり、私行上の問題などを起こせば、国民はこんな人に日本を代表してもらうわけにはいかない、という気になるだろう。
その点、お気の毒でもあるが、皇室は千年の洗練を経て、誠に清潔な環境に置かれている。天皇がインサイダー取引をして、不当な利益を得たり、ホステスと浮名を流すことなどありえないのである。
ローマにパンテオンという、今日に残る最も完全な古代ローマの遺跡がある。それは巨大なドームを持つ円形建築だが、その中央部に丸い穴が開いている。そこから太陽の光も入ってくるし、雨も降りこむ。それが無かったら、ドームの中は照明をしようとも、暗く封鎖されて息苦しい世界になるだろう。
私は日本の民主主義というのは、このパンテオンのようなものだと思う。民主的な構造を持つドームの中央に穴が開いている。その空間が皇室である。空間というより無と言ってもよい。力学的に組み上げられたドームの巨大な重力はそのドームの中心に集中するが、頂点の空間は、いわば無重力地帯である。
民主主義というのは多分に堅苦しいもので、その運営や手続きは面倒なものである。その規制と規約によって作られた国家体制の中央にあいた空間、それが天皇だと言えないだろうか。
ドームの内部を支えているのは、一つ一つ組まれた石材だが、何もない空間ドームの床に丸く太陽の光を投射する日もあり、雨の日は床の一部を濡らすこともある。そして何よりもその空間のおかげで、ドームの中は昼間であれば、何時も穏やかな光が満ちあふれているのである。





「神事としての相撲」その3 力士は日本の土地を守る防人だ。

前回までの記事。

「神事としての相撲」
「神事としての相撲その2 相撲の原点は五穀豊穣を願う儀式にある。」
朝青龍マレビト論
テレビ番組「田舎に泊まろう」と相撲巡業はマレビトか?

相撲は天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事だということが根底にある、どうもそういったことが置き去りにされている。そんな気がしてならない。朝青龍の騒動で、テレビのコメンテーターがシタリ顔でトンチンカンなことを言っているを見ると、どうにも歯がゆい思いになる。
なぜ伝統・文化・歴史が大事なのか、もっと根本から説明しなければ、いくら品格だ、人格だ、礼儀・作法だと言っても、「相撲はスポーツだ」と思っている人にはいくらい言っても話は通じまい。

伊勢神宮の奉納相撲のサイトに「神々と皇室につながる「相撲」の歴史」の記事があり、これを読むと相撲が日本の文化・歴史に深く関わっていて、「なぜ相撲が国技なのか」ということがよく分かる。

また相撲の歴史をさかのぼれば、神話時代にまでその根源を求めることができ、各地で力士をかたどった埴輪や弥生式土器は作られていた。これが全国各地の古墳から出土したいる点から見ても、力士には邪気を払い、土地を守るという信仰が日本国内でひろく伝わっていたことがわかる。
力士 埴輪(去年、群馬県立歴史博物館で開催された「埴輪展」で展示された力士の埴輪。福島県泉崎村から出土、5世紀末ころのもので最古の力士埴輪。画像は相撲ナビページから。)
こういうモノだけでも見ても、相撲が日本の文化・歴史に深く入り込んでいることが分かるというものです。
また古墳時代の力士は頭に「はちまき」を巻いていたという。これは後の下級武官が冠に巻く「抹額」に形骸を留めるもので、「戦士」特有な容装と考えられる、とある。
よって古来、力士は「日本の土地を守る戦士」としての役目も負ったのだ。
こういった視点で見れば、以下の件は違った一面が出てくる。
http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/yomu/001/077.html 

嘉永7年(1853)、日本と国交を結ぶためペリー率いる黒船が浦賀に来航。その際、日本側からの贈答品として米200俵などがアメリカ使節に贈られた。米俵を船まで運ぶ役割を担ったのが大関・鏡岩、小柳をはじめ、階ヶ嶽、猪王山、常山、荒馬、雲龍…といった当時の花形力士25人である。
 米俵200俵といってもそこは力自慢の力士たちである。次々に米俵を運び込み、あっという間に荷役を完了してしまったそうだ。なかでも圧巻だったのが、身長208cm、体重150kgの巨体を誇った白真弓。なにしろ1度に8俵の米俵を運んだそうだから、そのケタ外れの怪力は、さぞやアメリカ水兵の度肝を抜いたことだろう。
 『ペルリ(ペリー)提督の日本遠征記』には「重い肉塊は一見あたかもかげろうのようであり、荷物は羽毛のようであった」と記されている。米俵を運ぶ力士たちの俊敏さと怪力ぶりが、掛け値なしに賞賛されているのがこの一文からも良くわかる。

ペリー来航時に、日本では力士が登場する逸話がある。
錦絵 相撲
http://ameblo.jp/kamoshikamaru-zeki/entry-10191948762.htmlにもっと詳しい記事があった。 

【大相撲豪傑列伝】(4)ペリーの前で米国格闘家に圧勝 小柳常吉
2008.10.18 17:41日米スポーツ交流の始祖は、力士とレスラー、ボクサーによる異種格闘技戦だった。主役となったのが小柳。天保から嘉永にかけて優勝5回、優勝同点1回を記録した当時の第一人者だ。
 歴史的な戦いは、黒船で来日したペリー提督の前で行われた。日米和親条約が締結された嘉永7(1854)年の2月26日。大関小柳、鏡岩以下38力士が、力技披露のために幕府から横浜に招集された時のことだ。
 土俵入りやけいこ相撲、米俵運びなどを見せたところ、米国側の随行レスラーとボクサーが「チャンピオンに挑戦したい」。指名された小柳と米国人ボクサーの間でこんなやりとりがあった。「投げ殺してもかまわぬか」「かまわん。だがな、殴り殺すことも許されるのか」。殺伐とした中で、小柳と身長208センチの幕内力士、白真弓が出陣して相撲技で粉砕した。
 面目をつぶされた米国側は、レスラーのウイリアムスとブライアン、ボクサーのキャノンが3人で同時に小柳に襲いかかった。小柳は、キャノンのパンチをかわして小手投げを打って踏みつけ、タックルにきたブライアンを小脇に抱え込み、ウイリアムスを足払いで倒した後にベルトをつかんでつるし上げてしまった。一瞬の圧勝劇だった。
 現役力士の異種格闘技戦としては、幕末の関脇両国が十両時代に黒人レスラーをKOしたり、明治初頭の関脇鞆ノ平が十両時代に米国人ボクサーを倒したり、横綱初代若乃花や輪島の師匠の大ノ海が引退直前の十両時代に渡米しプロレスラー30人に全勝した例などがある。しかし、江戸(東京)大相撲の第一人者の実戦は小柳だけ。現役最強力士の強さを立証した事例として特筆される。

ペリー来航 相撲
横浜の応接所で行われた相撲見物では、たまたま,力士の顔が血まみれになった取り組みがあって,「残忍な見世物」であったと「ペリー提督日本遠征記」に記述があるそうだ。

それにしても、日本はなぜ外国人に相撲を見せたのでしょうか。
日本にも「力の強い者がいるぞ」「体の大きいものがいるぞ」といったところを見せて、力負けはしない、という意志を示したかったのだろうか。
もちろんそれは一番の理由だろう。
しかし、前回の記事でも書いたように相撲が「五穀豊穣、天下泰平を祈って奉納される。力士が四股を踏み、地霊を鎮め大きく両手を広げて、邪気を祓い清めたものだ」という神事という面からみれば、異国から武力を示して強圧的やってくる敵から防衛する役目を負っていたとも考えられるのではないだろうか。
前回引用した注連縄の意味に「神や人の占有地であることを示すしるし。また道しるべの標識。草を結んだり、縄を張り巡らしたり、木を立てたりしたものであり…」という意味があり、相撲取りがする注連縄にもこの意が込められている。
となれば、相撲取りたち存在そのものに「日本の領土」を守るという「防人」の役目があるといえるのだから、外敵の目の前で四股を踏み、儀式にのっとり相撲を見せるということは神事そのものだ。

しかしこういう人もいるだろう「いまの力士は外国人ばかりで、日本人なんかいやしないではないか」と。
とここで、玉木正之の言葉「(外国人力士は)世界中から日本に集まって五穀豊穣を願って四股を踏む人たち」となるわけだ。
外国人力士はみな「マレビト」である。(過去記事「朝青龍マレビト論」)
「マレビト」の定義でいいものがあったので転載しておく。http://www2s.biglobe.ne.jp/~marebito/marebt.html から

マレビトとは、客人をあらわす言葉「まろうど」の、古い形の言葉です。国文学者で民俗学者の折口信夫が展開した「マレビト論」のおかげで、民俗学のキーワードとなりました。
 折口信夫は、さまざまな地方に伝わる祭りや伝説などに共通して現れる「村の外からやってくる者」を、マレビトという言葉でまとめました。たとえばお盆にあの世から帰ってくるご先祖様も、東北のナマハゲも、沖縄の八重山地方で豊年祭に出現する「ミルク神」も、みんな「マレビト」の仲間です。それだけではなく、普通の人間も時には「マレビト」として、準神様扱いされることもありました。たとえば遠い所からやってきた旅人。昔は旅人を歓待することは、ごくあたりまえの風習でした。それがどんな様子だったかは、たとえば「世界ウルルン滞在記」などのTV番組を見ていると、なんとなくわかるような気がします。
 マレビトはみんな、ある種の力を持っていると考えられていました。それはマレビトがそこの共同体に属さない、異質の存在であるがゆえの力。それは必ずしもよい方向に働くとはかぎりません。時には村に災厄をもたらすマレビトもいたのです(ちなみに「疫病神」もマレビトの仲間)

何度も言うが外国人力士はみな「マレビト」である。
ここは前に書いたのでそちらを。
日本人は力士・相撲取りを神事を執り行う「神」と見ている。
そして外国人力士は海の彼方からくる「マレビト」と見ている。

そして、
白鵬や琴欧州らは帰化し、土着した神となった。
白鵬 挙式(和服を着て明治神宮で挙式する白鵬。日本人そのもの。)

だが、朝青龍は禍(わざわい) をもたらす神・禍神となり、日本で暴れるだけ暴れてモンゴルに帰った「荒ぶる神」だった。
朝青龍 モンゴル(モンゴルに帰り民族衣装をまとう朝青龍)
日本に留まらない神・朝青龍を、日本人は反撥する。(スポーツとして相撲を見ている人は朝青龍を擁護し、伝統・歴史を重視する人ほど朝青龍を批難する。それはこういう点に出てくる)
だから日本人はいつも朝青龍がモンゴルに帰るのかをいつも話題にするのだ。(過去記事)

日本人にとって相撲取り・力士は五穀豊穣を願い、日本の土地を守るという「神」に近い存在であり、外国人力士が日本に留まるか(日本人になるか、ならないか)、祖国に帰ってしまうのかは、非常に重要な問題なのだ。(これは高見山や小錦や武蔵丸や曙が日本に帰化し、日本人になったため、彼らはいまでも好意を持って受け入れられている)

それを日本が「排他的なムラ社会だから朝青龍を排除している」とか、「日本の旧態依然とした悪弊的社会的システムだ」といった人もいる。しかしこれは浅慮だと思う。
日本及び日本人、日本文化は奥深いのだ。

「伝統としての相撲」「歴史としての相撲」「文化としての相撲」ここを守らねばならない。


「神事としての相撲」その2 相撲の原点は五穀豊穣を願う儀式にある。

2月28日放送分の「たかじんのそこまで言って委員会」を見た。(群馬県人なので見るのが大変)
その中で「朝青龍の引退問題」についてのスポーツライターの玉木正之が「神事としての相撲」を語っていた。
要旨は本人のサイトで言っていたことと同じなので転載しておく。
http://www.the-journal.jp/contents/tamaki/2007/09/post_33.html

 相撲は神事で、単なるスポーツではないというなら、なおさらである。
 文化の担い手、その実践者として、いかに優秀(な経歴を持つ人)でも、その文化の何に価値があり、何が重要なのかということをはっきり認識し、きちんと説明できるとは限らない。
 そういうことは、外部にいる人のほうが客観的によく見える場合が多い。
 ましてや近年のように日本の文化とはまったく異なる文化のなかで育った外国人力士が増えてきた場合は、「俺の言うとおりにしろ」「俺のやることを真似ろ」では通じないことも多いだろう。
 形は真似させることができても「仏作って魂入れず」になりかねない。
 なぜ四股を踏むのか、なぜ巡業という興行形態があるのか。本欄では詳述できないが、それらは、ただ力士が身体を鍛えるためとか、昔からそうしていたからとか、相撲協会が公益法人だからというにはとどまらない、日本文化の長い歴史的背景が存在する。
 それらをきちんと言葉で説明できなければ、異文化に育った力士は(最近の若い力士も)理解できないだろう。


また番組の中で、「外国人力士ばかりでどこが日本の国技といえるのか」という意見に対し、「世界中から日本に集まって五穀豊穣を願って四股を踏む人たちが出てくるわけで、彼らに日本文化をきちんと教えればいい」と玉木氏は言ったが、私はこの意見に大いに賛同する。
こういう視点で相撲を語ってくれる人がなかなかいない。
大竹まことがラジオ番組で「神事としての相撲」という話となったとき、「しんじ?って何。人の名前?」とか言ってましたが、こういうのがコメンテーターとか司会とかして、一応は文化人と呼ばれるのだからどうにもならない。

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「神事としての相撲」についてのいい記事があったので載せておきます。
茂木貞純「日本語と神道 日本語を遡れば神道がわかる」(講談社)

力士・力人 ちからびと
りきしの醜名(四股名)になぜ山や海の名がつくの?
強大な「ちから」を有した人が「ちからびと」である。相撲の力士である。相撲に似たような競技は、日本だけでなく広く世界中にあるが、相撲のごとく精神性が高く、様式化されたスポーツはほかにない。数少ない日本固有の伝統競技といってよいだろう。
この力士の醜名(四股名)には土地の名前をつけることが多い。「しこ」は頑強・頑丈なことを意味し、転じて醜悪なイメージが生まれたもので、最初から漢字「醜」の意はない。
(山・海・島などの醜名を付いた力士の名を挙げて) その数は少なくない。
相撲の歴史は古く、遠く第十一代垂仁天皇の時、当麻蹶速と野見宿禰が相撲をとったという伝承があり、この勝負に勝った野見宿禰が相撲の祖神とされている。全国各地の神社では、神事として相撲が行われる。神社本庁教学研究所の調査によれば、現在も四千近い神事相撲が行われている。境内に土俵のある神社をよく見かけるのはそのためである。
神事相撲は、五穀豊穣、天下泰平を祈って奉納される。力士が四股を踏み、地霊を鎮め大きく両手を広げて、邪気を祓い清めたものだともいわれる。勝負相手のいない「一人相撲」(大山祗神社)などの神事もあり、この場合は目に見えない神が相手ともいう。また、東西の勝負により、豊作を占う所もある。この場合は、○○山、○○里は、地域の代表であり、山と里の勝負ということにもなり、勝った方が豊作になるという。力士は地域の代表であり、地域を守る神でもある。横綱はまさに注連縄である。
醜名にどうして山や海の名がつけられるのか、このように考えていくと、少し理解できるだろうか。体力・気力が「ちから」と考えられ、その力を最も多く保有しているのが力士であった。私たちは「力」をいただくことによって生命を維持できる。現実にはそれは五穀、得にお米によって支えられてきた。五穀豊穣を祈る祭礼に力士は密接不可分な関係にある。

五穀豊穣を願って儀式を行うとなれば、力士は天皇陛下と同じ役割を負っているということだ。横綱となれば尚更である。だからこそ品格が求められるのである。
朝青龍を擁護する人が「会ってみたら案外いい人だった」「気さくな人だった」と妙なことを言うのはおかしなことでいまは彼の人柄が問題となっているわけではない。こういった擁護をする人(テレビのコメンテーターが多い)には「神事としても相撲」という点が全くないのでトンチンカンなことになるのだ。
また、「勝てばいい」「強ければいい」「ヒール・悪役がいた方が盛り上がる」というのも「神事」という視点に欠けているし、こんな人は実際に多い。相撲協会も朝青龍を批難するマスコミも、相撲が格闘技的一面だけで成り立っているわけではないということももっと知らしめなけければ、いくら「伝統だ」「格式だ」といっても一般人には通じないだろう。

ではついでに上記にある「横綱は注連縄である」という「注連縄」とはどういった意味があるのかを「日本語と神道  日本語を遡れば神道がわかる」から引いてみましょう。

しめ(占・標・注連)
注連縄には元来どんな意味があるのか。
神社に注連縄はつきものである。どんな神社にも必ず張り巡らしてある。稲藁でさまざまな形に造り、鳥居や神殿の入り口などに張る。出雲大社の太くて大きな注連縄は有名である。
さて、この「しめ」の意味は「神や人の占有地であることを示すしるし。また道しるべの標識。草を結んだり、縄を張り巡らしたり、木を立てたりしたもの」(小学館古語大辞典)と解説される。動詞の占む(占有する)の名詞形であるとする。
「明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」(万葉集 第八、一四二七)
この歌は、春に先がけて若菜や山菜を摘み取ろうと印を立てて他人に取られないようにしておいた所に、明日は出かけようと思っていたが、あいにく昨日も今日も雪に降られてしまった、という意味である。この場合、たぶん木や杭を立てて、私のものでありますよ、ということを主張したのである。
宮本常一氏の随筆の中に流れ着いた流木の話があり、最初に見つけた村人がその流木の上に小さな石を置く、するとすでに第一発見者があり、他の者はけっして手を出さない、そうしたルールが日本の社会には根強くあったという。これもシメだろう。
伊勢神宮でどの古社では、シメ縄を張るのではなく、榊の小枝を柱につけて、シメとしている。民間でも「柴立て」などと称して祭りが近づくと、集落の出入り口に榊の小枝を立てて、祭りの空間であることを示す風習が今もある。
シメ縄を張る習慣は古く、神話の中にこんな話が伝えられている。天照大御神の天石戸隠れの神話は有名だが、神々が苦心の末に天石戸から大御神に出ていただき、平和と秩序を回復し、再び天石戸に戻られないよう、シメ縄を張ってしまった。この縄を「日本書紀」では「端出之縄(亦左縄と云ふ)と表現している。
ふつうの縄は右綯いであるが、神事に使用するとものは古来左綯いであることを示す起源神話である。シリクメとは端出と表記しているように、横綱の垂れ下がりのように藁の先端を出して綯うことを示しているようである。九州各地では、この垂れを七・五・三と決められた数だけ下げ、これを七五三縄と呼んでいる。この垂れ下がりには、現在は神の四垂(しめ)をつけるのが一般的になっている。神さまが占有している神聖な土地であることを標示しているのがシメ縄である。

これだけでも相撲が神事と関わりが深いのがよく分かる。(「相撲 注連縄」などで検索すればいろいろ出てきます。)

次回も「神事としての相撲」を続けます。

相撲を「世界市民」レベルで語る「粕谷一希」ってそんなにエライ人なのか?

粕谷一希」がどんなに偉いか知らないが、変なものは変だと言いたい。

平成21年10月16日 読売新聞「文化面」から
大相撲 国技と国際競技の溝
粕谷一希(評論家)

大相撲秋場所が終わってしばらく経つが、今も余韻が残っている。千秋楽の最後まで白熱の土俵がつづき、門外漢のひとりに過ぎない私などもTVを通じて、毎夕楽しんだ。危ぶまれた朝青龍も白鵬もモンゴル出身だが、彼らだけではない。琴欧州や日馬富士など、上位陣の多くが外国人になってしまった。これは21世紀の日本にとっておめでたいことだが、多少の懸念がないわけではない。いまの相撲協会の対応を眺めていると、一方で国際化の波をうまく受け入れていながら、他方で国技としての性格を強調しすぎるように見えることである。
問題は、朝青龍が地方巡業をサボってモンゴルで競技に出たという事件で顕在化した。問題はともかくも収まったが、どうもものままでゆくと、これからも繰り返される可能性がある。相撲が日本の伝統的な国技であることは当然だが、これだけ国際化すると、柔道同様、国際社会との間に不適応が起こりかねない。
朝青龍は「私は日本が好きだから」と愛嬌を振り巻き、内館牧子さんとの握手が大きくTVの映像に映し出されていた。本来、朝青龍がサボったことも、祖国の政府の依頼だったようで、そうだとすれば、外国出身の力士たち全員の問題となる可能性がある。要するに、今日、相撲は国技であると同時に国際競技となりつつあり、外交問題となる側面をはらんでいる。出身地が中国周辺、ロシア周辺の小国であることも問題を複雑にしている。
モンゴルという存在は、ジンギス汗、クビライ以来、日本との関係は深く長い。梅棹忠夫という人類学者は、現地観察を「モンゴル族探検隊」(岩波新書)という大ロングセラーとしてまとめ、著作の出発点とした。また、司馬遼太郎は大阪外国語大のモンゴル語科を卒業し、晩年の著作は、「草原の記」(新潮社)だった。梅棹さんも司馬さんも、日本を代表する著作家であるが、お二人の観察はモンゴルを拠点として、中国大陸やシベリアに及んでおり、今後とも東アジアを占う重要さを含んでいる。
モンゴルと交流することは、そうした歴史や文明とつながっており、日本側の国技という視点だけではすまない問題であろう。伝統は大切であり、儀礼や格式は社会の基礎である。ただその伝統も不断に外からの波によって変革を強いられているのが歴史である。21世紀の日本人はこの二面性を巧みに使いこなし、国際社会から親しまれ、尊敬される存在となる必要がある。
グルジア出身の力士がいる。このスターリンの出身地が、今日のロシアの中で難しい立場に立たされている。われわれは、グルジア出身の力士と付き合うことで、自然にグルジアという地域の今日の問題を学びとることができる。そうした世界市民となることも、日本人としての伝統を磨くことと同様大切であり、21世紀を生きる資格要件のように思う。われわれ自身の振る舞い方を工夫してゆきたいものである。


これを読んでいて、「ハァ~」と首を傾げるような記述ばかりで最後には呆れてしまった。(朝日新聞にありそうなコラム)
変なところをいくつか挙げてみる。
外国人力士が帰国したときに問題なるのは「朝青龍」だけであり、この特異な人物、一人を取り上げて、「国際問題だ」「国際社会との不適応」などと結びつけるのには、無理がある。
それにいつから相撲が国際競技になったのか?外国人力士が増えたことが、これイコール「国際的競技」となったわけではない。相撲はスポーツではなく、「日本文化」の中でしか成立しないものだ、ということはかつて書いた。
本文中にある「21世紀を生きる資格要件のように思う。われわれ自身の振る舞い方を工夫してゆきたいものである。」って言うけど、どんな振る舞い方すればいいの? あれ、「相撲、国技と国際競技の溝」の結論は? 相撲の話どっかいっちゃってるし……。
まあ、このエライ人が言いたいのは「日本の伝統、歴史はほどほどでいい。(ほんとのこと言えば必要ない) 日本も国際社会に生きていくために立派な世界市民になろう」ということだろう。だから「相撲」はこのことが言いたいための「ダシ」に過ぎない。

世界市民」って。
これ左の人の大好きな言葉。同義語が「世界平和」で、反対語が「民族主義、国家主義、ナショナリズム」……、あとは検索してください。

それにしても、「相撲」をネタにしてこんな事を言う人が周りにいたら、私はその人を罵倒し、コケにします。それがどんなに「エライ」人でも……。

過去記事
テレビ番組「田舎に泊まろう」と相撲巡業はマレビトか?
朝青龍マレビト論
「神事としての相撲」
「私は帰ってきた」朝青龍の言葉に見るマレビト。

「私は帰ってきた」朝青龍の言葉に見るマレビト。

<大相撲初場所>「私は帰ってきた」朝青龍、崖っぷちから栄冠
「私は帰ってきました」。国技館の1万1千人、さらにメディアを通したファンの前で、涙ながらに言葉を絞り出した朝青龍。「次はない」と語ったがけっぷちからはい上がり、栄冠をつかんだ。
平成21年1月25日 毎日新聞から。

私は帰ってきた」、これが朝青龍の優勝インタビューの第一声だった。この言葉が出た途端、その場にいた観客たちが歓声を上げた。
私はこれをテレビで見て思った。
「やはり朝青龍はマレビトだ」と。
「朝青龍マレビト論」を押している私としては、外国人力士が日本に来て相撲を取ることが自体がマレビトだと考えているので、ここでの朝青龍の言葉は、「日本に戻ってきた」という意味としてとらえた。
関連記事
朝青龍マレビト論
「神事としての相撲」

もし、朝青龍が今場所休場し、モンゴルに帰っていたら、その時点で即引退勧告が下り、それを大多数の日本人が支持しただろう。
しかし、朝青龍は不調にもかかわらず初場所に出た。その姿に日本人は「おかえり」ムードで歓迎した。たとえ朝青龍が優勝しなくとも、日本人は彼を喜んで受け入れたはずだ。
そこにマレビト論の根幹がある。

しばらくしてから、新聞記者やマスコミの質問に注目してもらいたい。必ず出るのは「朝青龍がモンゴルに帰るか、どうか」なのだ。故郷に帰る帰らないが問題になるのは朝青龍くらいだろう。


そして、相変わらず土俵上の荒っぽさが問題になっていた。
だが、「荒ぶる神」が崇められるのも、日本人の特異性。
いまの朝青龍人気を見れば、彼もそうした存在になったかようだ。

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