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福沢諭吉「尊皇論」現代語訳 3 最終回

福沢諭吉「尊皇論」現代語訳 3 最終回

この問題に関連して言えば、藤原家のことがある。藤原家と帝室の因縁ははなはだ深く、帝室に密着して帝室と栄枯苦楽を共にしてきた。千百年来、人臣の上に位するものは藤原一門に限るとされ、太平の時代にも戦乱の時代にも、かつて変動したことがない。天下万民からみても、藤原とあればその当人が賢いかどうかは問題にされず、その家を重んじるという習慣が形成されてきた。私は、俗世界の政権を常にこの家門に当てようと思っているわけではないが、藤原家はたとえ政治の世界外に置かれても、その地位が常に人臣の上におかれるよう願っている。これは、もちろん藤原家をひいきするものではない。尚古懐旧という考え方からして藤原を重んじる情は帝室を慕う情と符号するからである。
たとえば、家来が主人の物を大切にするのは、主人その人を大切にする心情と変わりがない。一振りの太刀、一領の紋服といえども主人がかつて身につけたものであれば、これを大切にするのが人情である。ましてや器物以上の存在である人間で、しかもその人の家門は唯一無二の名族と称され、千年の古(いにしえ)から帝室の左右を離れたことがないのであれば、なおさらのことである。それを重んじるのは人情の自然である。すなわち、帝室を重んじる誠の心から出たものなので、藤原家の家柄を重んじることは間接的に帝室の基礎を固くするための方便であることを知らなければならない。
事の大小や軽重は同じではないが、またその国家経営上の利益もまったく違うけれども、二十年前に行われた廃藩の事情がこれに似ている。その当時、王政維新とともに諸藩も藩政改革と称してさまざまな新法を施行した。その改革の中で諸藩が申し合わせたように旧来の重臣・家老を退けた。そのため藩主の勢力がひどく損なわれ、続く廃藩という大挙に及ぶことになったのだ。藩主の身になって考えれば「唇滅びて歯寒し」の事実を見ることができる。当時この廃藩という大改革が容易にできた原因はいろいろあるけども、その一つは藩主が長年利害を共にしてきた左右の親臣の力を失ったことである。
藤原家の場合は実に帝室の左右であった。名族だからといって政治上の特権をほしいままにしない限りは、人臣のなかでも最上の栄誉を与えても問題はないだろう。問題がないだけでなく、帝室維持のためには大事なことであろう。
また、世間の人々が華族を目して「帝室の藩屏」と称するけれども、ただ漠然とそれを口にするだけで、これまで明白な説明がなされなかった。それは、思想の手落ちだと言わなければならない。思うに私の所見では、華族を藩屏にする理由も、前に述べた理由に他ならないと信じている。
日本の華族は大名や公卿の子孫であり、その人物を見れば必ずしも特に知徳に秀でた者であるとは限らない。華族の中には資産家もないわけではないが、民間にも富豪は多く、華族の右に出る者はいくらでもいる。では、人物・財産とともに特別抜きん出ているわけでもないのに、なぜ華族を帝室の藩屏と称するのだろうか。私はそれを華族の家柄に帰せざるを得ない。
今の華族本人は必ずしも大智大徳ではない。ときに平均以下の人物もいるだろうし、その財産も誇るほどではない。しかし、家の由緒をたずねてその祖先の功業を聞けば、由来が古くて他の人ではかなわないものがある。だからこそ世間の人々は、現在の華族本人の人物や財産を問うことなく、はるか昔の祖先を想起し、あたかも現在の人を古人の代表であるかのようにみなし、古を慕う心で今を尊敬しているのである。これが、尚古懐旧の人情である。こうした気風が盛んであることは、自然に帝室の利益となるので、華族を帝室の藩屏とすることは決して荒唐無稽なことではないのである。
進歩が日々新たな時代の道理から論じれば、何の功労もない人が栄誉を受けることは納得できないように思われるけれども、その栄誉や名声が政治社会を妨害するようなことがなければ、いささかも意に介する必要はない。華族は帝室の藩屏として尊敬すればよいのである。
ひそかに案ずるに、前述のような理由で、華族を保存する利益があるとすれば、逆に新華族を作ることは、国家経営の策とは異なるように思われる。昔からの華族が国家の役に立つのはそれが旧家であるという由緒の一点にあるのであって、ちょうど稀有な古物珍器のようなものである。その点で、一般の人が競争できないところに無限の重みを感じたわけである。ところが、今の人の働き次第で誰でもが華族の仲間に入れるとなれば、華族全体の古色が奪われることになる。それは国家経営のためには利益にならないと私は感じる。
世の中の道理論者は古色に関してこういう説を述べる人がいる。すなわち、「家の由緒が古いから華族になった人も、本人の働きによって華族になった人も、華族は華族である。『新しい・古い』の色を分ける必要があろうか」と言うのである。そこで、私が仮に一例を設けて日本国民の情に問いを発すれば、民情は今もなおこの『新しい・古い』の色を識別する力があるので、論者の疑惑を解くことができよう。
道理論者は華族に新古の色なしと言った。では、その言葉に従って、古い華族も新しい華族も認めることにしよう。そこで数年以内に帝室に皇后陛下を迎える立后の大典があると仮定してみよう。このとき、新しい皇后の候補に上がる女性は必ず華族の中から選ばれることになるだろう。わが帝室は古来、外国の王家と結婚するという先例がないので華族の中から選ばれることになる。では、その華族はどのような華族であればよいだろうか。旧例に従えば、藤原一門の名族か、あるいは武門華族の旧大家となるだろう。なぜなら、皇后の宮は我々日本国民が国母として仰ぎ奉るお方であるがゆえに、名族大家に固有の由来を心に銘記して仰ぎ奉るという感触があって、心が落ち着くからである。
ところが一方、そのころたまたま新たに華族に列せられた新家があり、爵位も高く、その家娘はたいへん怜悧にして、容色も十人並み以上の者だからということで、かしこくも立后の候補者になったと仮定すれば、外面の形はまったく差し支えなさそうだが、日本国民は、情においてこれを受け入れ、この娘を国母として仰ぎ奉ることができるだろうか。私は一論者として判断するだけだが、論者もまた情をもつ人間であるから、天下万民とともにこれに対して否と答えるだろう。
では否と答えるのは何故だろうか。新しい華族は確かに紛れもない華族であるが、その家には歴史上の由緒がないため、現在の爵位はともあれ、その娘を国母とするには躊躇するからであろう。
ということは、最初に華族の『新しい・古い』にはこだわらないと言ったことは単なる道理であって、後で躊躇したことが人情なのである。道理は人情に勝てないことを知るべきである。
華族が華族として世に重きをなし、一般国民が尚古懐旧の情を涵養して華族を重んじる。華族が自然に帝室の藩屏となる理由は、その人の才知によるものでも財産によるものでもなく、ただ歴史上の家柄だけにある。天下万民が皆華族の古さと新しさを見分けるだけの見識があるので、帝室の古さをわが日本の至宝として、その尊厳・神聖を長く永久に維持するためには日本史の中で由緒久しい公卿や武家の華族に古色が伝わっていることが幸いとなる。一時的な便利さのために華族に新彩色を加え、古来固有の華族色を損なわないようにすることが、私の衷心から祈るところである。

次に帝室の神聖を維持する手段について触れよう。それは日本全国を同一視して官民の区別なく、至尊(天皇陛下)のあたりから恩徳を施し、民心を包含し収攬して、日新開明の進歩を奨励することである。
本来、私の見解は帝室を政治の世界外の高所において仰ぐことを持論としたものであり、施政の得失のようなことは、至尊の責任ではない。帝室は政府の帝室ではなく、日本国の帝室であると、私は信じて疑わない。従って、帝室から降臨するところに官や民の差別があってはならないのは無論のことだが、外面的に見れば政府の筋はとかく帝室に近いため、官と民が相対したときは、帝室をまるで政府内部にあるかのように見る人がいないわけではない。しかしこれは大いなる誤解というものだ。
たとえ実際問題として、帝室が政府に近いとしても、政府の方はただ一時的な政府であって、職員の更迭のたびごとに施政方針を改めざるを得ない。ましてや近々国会も開設されて、やがて国会が形づくられれば政府の交替はたびたびのことになるであろうから、万年変わることのない帝室が、このような不安定な政府と密着すると言うことに理があるだろうか。それはないだろう。いわんや政府と密着して利害をともにすることもないであろう。はなはだしい場合は俗世界の政府と一蓮托生になるような忌まわしい事態に至ることがあるかもしれない。それは私が最も否定するところであり、帝室は断然政治の外に独立して、無偏無党の地位に立たれることをあくまでも祈願している。
元来、帝室は天下万民の上に降臨し、恩徳の源泉となるべきであり、どんな場合でも人民の恨みの対象になってはならない。しかし今政治の性質を吟味してみると、いかに完全な政府と称するものでも、全国の過半数の歓心を得るだけであって、残りの半数弱のものは政府に対して多少とも不平をもっている。まして、現在の人間を平均すれば、私欲が深く浅慮は浅く、ややもすれば自分を反省せずに他人を恨むような者が多いのだから。法律の明文によって判決が下され、言い分がない場合でも、敗訴した者は何らかの口実をつけて不平を唱えるものである。ある命令が下されて、人民の一部分だけに有利な場合、他の一部分にはある程度の不利が生じる場合が多い。税金が引き下げられたときはさしたる評判もたたないけれども、増税されたりあるいは新税が設定されたりすると、人々は口をそろえて苦情を言い立てる。
ことに今の日本の状況においては、文明の進歩に伴って政府の費用は増加して止むことがない。それは、大局的に見て避けがたい事実である。一方において人知が発達するに従って言説が巧みになり、財政論の喧嘩は間違いなく予期できるであろう。この種の不平や苦情は人間社会では普通の出来事なので、その折衝に当たって巧みにこれを切り抜け、多数者の賛成を後ろ盾にして、少数者に失意を押し付け、こうして一時的な安寧を得るのが政治的のやり方である。
こういう事柄は大変面倒で耐えられないように思われるが、そこはそれ、それなりの人がいる。世間からそういう適当な人物が現れて、単にこの種の厄介事を厭わないだけではない。さらに、政治正面にあたって、国民の中の一定の人々を喜ばせると同時に、他の人々を恐れさせる。誰それを友として、誰それを敵とする。右を見て喝采を聞くかと思えば、左を見て予想外の非難を浴び、一喜一憂したり、一安一危したりして、ほとんど心身の休息がないのに、かえってそれを楽しむ人もいる。ひどい場合は自分の健康を害して苦しみ、さらには死んでも後悔しない人もいる。
この種の人を名付けて政治家というのである。だから、帝室の高所から臨み見れば、俗世界にそのような政治家がいることこそ幸いである。一切の俗務はこういう政治家にすべて任せて、毀誉褒貶に対処させ、一定の人望がある間はこの施政権をまかせ、彼に人望がなくなれば他の者に変えればよい。そうした者たちの間には、政敵があったり、政友があったりで、ときにして大いに人に恨まれ、また時として大いに人を恨み、その政治家の苦情や煩悶は見るに忍びない場合が多い。しかし帝室はひとり悠然として一視同仁の精神を体し、日本国中ただ良民があるだけで友や敵という差別はない。いかなる事情に迫られても帝室が時の政府と一蓮托生になることは断じて私が反対するところである。
なぜなら帝室は、純然たる恩沢や功徳の源泉であって、不平や恨みの府ではないからである。帝室は政府の塵外に独立して無偏無党で円満にして限りない人望を集めるべきなのだから。
明治維新以来、わずか二十年を経て、今なお封建的な主従の余臭が残り、理屈を超えて君上を尊崇する日本国民であればこそ、今日の政治関係法の規則に利害を感じることもあるが、帝室に対し奉りては一点の不平もなく、さらに痛痒を訴えようとするものもない。そのような状況ではあるが、封建時代から生きてきた人々はしだいにこの世を去り、その第二世、第三世として生まれてくる者は、文明流の男子となる。そのような二世三世の人々は、だんだん人情に冷淡になり、逆にだんだん法理に習熟し、これに熱中するようになって、法令が発令されるごとに、その文章を読み、その意義を論じ、その発令の大本に関して帝室にまで溯ってあれこれ述べ合うようになれば、これをどうすればよいか。畏れ多くも尊厳・神聖を俗事のように理解するものであり、そのような災いが広がることは実に計り知れない。そうなってから国家経営の担当者たちはにわかに狼狽す、尊王の精神家が切歯扼腕しても、事すでに遅しという嘆きになるのではないか。私が深く恐れることである。
人間というもの一代限りのものではない。自分の死後を思わない者はいないであろう。いやしくも後世のことや子孫のことを思ってわが日本社会の安寧を祈る者であれば、帝室の尊厳・神聖をわが国の至宝として、これに触れることなく、自分の欲を忘れ心を静かにし、今の社会の現象を観察して将来の社会の行方を予測し、現在はまったく無害であっても、百年後には不安だと思いつくような事柄があれば、そういうことを決して等閑に付してはならない。そのような意見をつまらぬ話だとか、思い過ごしだとかいって、笑う人達がいるかもしれないけれども、そんなものをはばかる必要はない。それが正しかったかどうかの結論は、棺桶の蓋を覆った後にわかるだろう。

右に述べたように、帝室は、政治の外に在す(まします)ので、作為もなく無事であるかどうかといえば、決してそうではない。至尊(天皇陛下)の地位は、直に事に当たることこそないものの、日本全国を統御しておられるし、政府も帝室の統御の下にある。政府は国民の有形部分を司り、帝室は国民の無形の人心を支配するものだと言ってよいだろう。すでに人心を支配してその活動の源をなっているので、帝室の一挙一動までもが全国に影響する。それが容易でないことではないということは、もとより論を俟たない。
広く日本社会の現状、すなわち民心の活動を見渡せば、今日は文明が日進月歩する世の中である。だから、学問教育の道が興らなくてはならない、商工業の法も進まなければならない。人民の徳心も涵養(かんよう)しなければならない。宗教の布教も勧めなければならない。さらに細事にわたれば、日本固有の技術は一芸一能といえども保存奨励しなければならない。これらの事項はすべて日本国の盛衰と興廃に関わるものだから、帝室の余光でその進歩を助ければ、その功徳の広がりは無辺に及ぶだろう。
例えば、学問教育の分野について天下の学者を優待し、商工業を活発にするには徳に功労者を表彰し、孝子・節婦を褒め、名僧・知識(高僧)を優遇し、琴・将棋・書画から各種技芸に至るまで保護するようなことは、いずれ皆、帝室から直接お達しなされれば、天下の面目を改め、文明の進歩を促すことになる。そればかりではない。されに民心は靡然として帝室の恩徳の深さに感動し、おのずから帝室の尊厳・神聖の基を固めることができるだろう。
こうしたことは、ひとり私の個人的提言ではない。私の独創でもない。これらは西洋諸国で有識者が常に言及することである。また、西洋の帝王も、それを無視したりせず、学術や商工業などについては細事でも漏らさず奨励の意を示し、有名人・功労者であれば対象は朝野を問わず一様に厚遇する、という事例は、私が常に耳にするところである。
元来、帝王は一国を家にするものである。一家の身内については差別することなく、あまねく恩徳を施して、あまねく人心を収攬するという趣意であろう。私はその規模の大きいことに感服しているが、それだけでなく、さらに突っ込んだ言い方をすれば、その策略が巧みであることに驚いている。
帝王は一国を家にして、その家人を差別しないとの考えを定めたからには、国民の処遇において官・民・私などによる差別はもとよりあってはならない。帝王の地位が政府に近いからといって、政府関係者が偏って、厚遇するようなことがあるとしたら、政府外の人民は、帝王の子供という立場にありながら、子供として見られないため君父に近づくことができず、その結果、王家は国民の過半数の人心を失ってしまうだろう。だからこそ、王家が恩徳を施すにあたっては、官・民の分野を差別するようなことは決してしないのである。
また、名のある人物や功労のある人物であれば、たとえ一芸一能の者といえども不問に置かず、必ず彼らを眷顧する(特に目をかけて愛顧する)というのは、次の意味を持っている。すなわち、およそ天下に名の知れれた人物は、必ず同類の人々に囲まれて存在している。徳義上から彼に従ったえい、彼と交際する人は多い。だから国の帝王が、そういう仲間の頭領や代表者を選んで表彰するなどの殊恩を施せば、その恩沢の及ぶ範囲は、単にその代表者だけでなく、門弟・弟子・友人にまで広がり、周囲はあたかも自分たちまで同様に恩沢に浴したかのような心地がして、君恩の厚さに深く感謝するのである。王家にとっては、人望の要所に雨露を垂らすことによって全面を潤すことに他ならない。しかも、こうした人物は必ず普通人以上の人物だから、彼が喜びを広げる効果も他人以上であるという成果を考慮すべきだろう。「母鶏に餌して雛子を集める」とか「老牛を呼んで群犢(ぐんとく・子牛)を来す」とかいうのは、こういう意味であろう。
これは西洋の慣行とはいえ、その事情を分析して観察すれば、王家の精神的な工夫はじつに巧みであると言うほかはない。
その点、わが国の帝室は、もともと日本国を一家と視てきただけでなく、その歴史においても事実、万民の宗家だったのだから、帝室の天下に対する一視同仁は意図的に案出した策略ではない。それは人情にも道理にも共に合致したものであるため、今の文明の時代にあたって、あまねく至尊の光明を照らして、諸般の世俗事の改進を促し、同時に人心を収攬することは、帝室維持の長計ともなるであろう。私が帝室を仰いで、特に日新奨励のことをあれこれ申し述べるのも、おのずから由縁があるからである。
前述の所論は、すべて「尚古懐旧」の点から説き出したものである。その考え方はもとより健全なものだが、古旧を慕うものは固陋に陥るという弊害を免れがたい。それが極論に至れば、時勢の変化を知らずに、日新開明の考え方に敵対する者さえないわけではない。だから私は、特にそのへんに注意したうえで、尚古懐旧の人情に依存して帝室の神聖を維持すると同時に、その神聖の功徳をもって人文の開進を援助することで、帝室が日本の至尊の存在であるのみならず、文明開化の中心となることを祈って、特別にわがささやかな真意を明らかにしたのである。
最後に、重複をはばからずに一言して、読者のお耳を煩わせたい。
本論文の主旨は、もとより、ただ尊王の一点にある。私の持論として、帝室を政治の世界外の高所に仰ぎ奉ろうとするものである。しかし世人の中には、その真意を玩味せずに、そんなことを言うなら、天子は虚器を擁するものでしかなくなる、とばかりに不平を鳴らす者もあろう。しかし、それでは私の真意は伝わっていない。私は徹頭徹尾、尊王という考え方に従って、帝室の無窮の幸福を祈るのみならず、その神聖に依存して俗世界の空気を緩和するという功徳を仰ぎたいと願う者である。だからこそ、帝室の幸福を無窮にし、その功徳を無限にするため、政治の世界外ということを主張しているのである。
そもそも、帝室が政治の世界外にあるといっても、それはただ、政治の具体的な折衝に当たらないというだけのことであって、もとより政治を捨てるという意味ではない。永遠無窮に、日本国の万物を統御したまうと共に、政府もまた、その万物の一つとして統御の下に立つべきことは論を俟たない。天下のうちにこの統御から漏れるものは何もないのである。
だから、政治の世界外にあるということは、虚器を擁するということではなく、天下を家にして、その大器の要を握るもの、と言うことができる。
もしも、そうではなく、日本国の中にただ政治と名づけられた一局部の一器しかないと考え、それに直接関係していないからといって、虚器を擁するものだと決めつけ、そのような局部の「虚」を「実」にしょうとして、動静定まらない政府に密着し、政府と活動を共にするようなことになれば、一時的には、盛観を呈することもあるかもしれないけれども、それが万年の長計とならないことは明らかである。
現今、朝野の士人は、だれ一人として尊王の主義でない者はない。心からそう考えていることは疑いもないが、王を尊ぶという心があるならば、その尊ぶ方法を講じることが最も緊要である。事の利害得失は三年五年では分からない。十年でも分からないとはいえ、私はただ後世の日本や我々の子孫をひどく後悔させたくないと思っている。だから、尊王の人々も、今日にあって思想を緻密にし、眼前の利害を離れて、再三再四熟慮されるよう、私は切に希望するものである。

  了

以上、福沢諭吉「尊皇論」現代語訳 終わり。
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福沢諭吉「尊皇論」現代語訳 2

福沢諭吉「尊皇論」現代語訳 2

第二の問題だが、世の人々は皆、帝室が尊いことを知っているのに、その尊さの所以を説く人がいない。それを説かなければ帝室の尊さの根拠が確固たるものにならない。そのために今、私が特にそういう説を述べるのも無益なことではなかろう。
そもそも私の立論の眼目は「尚古懐旧の情」に基づき、帝室の尊厳・神聖をそうした人情に訴えることにある。
およそ人間社会にある有形の物について、その価値とはどのようなものであるかということを考えると、一つは労働の多寡によって定まるものと、もう一つは感情の深浅に従って生じるものという、二様の区別があるように思われる。
金銭を宝として、衣装や什器を貴重なものとするような考えは、その金銀を鉱山から掘り出して、精製するに至るまで、非常に多くの人力を費やしているからであり、あるいは、絹糸や絨毛を織って衣装を仕立て、金属や材木などを使って有用な什器や贅沢品を作るために、人間の労働が多くを費やされているために、その価値はまさしくその労働の多寡に準ずると言えよう。これが売買市場の物価であり、道理に適ったことである。しかしそれだけではなく、実際の社会では、このような道理にそぐわないものもまた少なくない。
大家の書画や外国の奇物などは、前述のような道理以外に価値があるものだ。その書画が特別に巧みなわけではなく、その奇書が実用性の高いものではなくても、大家の人物が高尚で容易に筆を取らない人であったり、遠い外国への道が遠くてその物を入手することが困難であったりすると、そういう理由で価値が生まれるのである。これは、人々が稀有の品を悦ぶ心情から出たものであり、これは日本唯一にして国中に比類がないとか、世界第一の品であり第二の物がないとかいうことで、たとえそれが瓦の破片であろうと石の塊であろうと、生活上役に立たないものであろうと、これに巨万の金を投じて購入するということは古今の事実であり、常にそれを見ることができる。このようなものを名付けて情緒的価値(センチメンタル・バリュー)という。
思うに、古器珍品を愛玩するようなことは、単に富豪の人々だけが物好きでおこなっているように見えるけれども、決してそうではない。このような事実は、広く公共の世論に求めても見出すことができるのである。
例えば、地方の一寒村に樹齢千年の老松樹があるとしよう。世間の人々はこれを常に不思議な物として、神として重んじている。この大木を切り倒せば、稀有の良材が入手でき、これを金銭に替えることができるだけでなく、その木の陰にあった地面三反歩は良田となり、毎年の所得は米にして何俵にもなるだろう。
しかし、もしこれを伐るべきか、あるは保存すべきか、との議論が起こった場合には、村議は必ず保存という意見が多数を占めるだろう。なぜなら、その老松樹は近隣諸国に比類ない名木であり、おのずから村の飾りとなり、また一種の名誉だからである。これは、他の群村にない大木がわが村に存在して、日常会話の言葉にも老樹・名木といえば、あたかも当村の専有にして、誇らしいものであるために、村の人心は最終的には名を重んじて、利益を顧みないという世論を形成したのである。
このように在来の名木を伐り倒さないだけでなく、なにか昔から歴史上に名のある場所や人物のためには、千年百年の後に石碑や銅像などを建てて、記念にする場所がある。その他、古城跡、古戦場、神社仏閣、名所旧跡などは、すべて日常生活には直接役に立たないものであり、経済的な観点から殺風景に論じれば無用の長物ではあるが、天下の世論はそれを破壊することなく無用の長物の保存のためにかえって金銭を支出して惜しまないようである。
このように見てくれば、人間世界の万物について、その価値を評価する際に、労力の多寡を基準にするのは単に商売や工場上の話でしかなく、世界中の至宝と称してその価値の高い物は、必ず日常生活の実用に相応しくない品であり、実用から離れれば離れるほど、いよいよ人々が貴ぶのが常である。
某国の帝王は大変美しい遊覧船を所有しているといっても、それだけではまだ驚くに足りない。世界に無比のダイヤモンドを所有しているといって初めて人に誇ることができる。宝石と船のどちらかが実用に近いかといえば、もとよりそれは船である。しかしながら、船は人力で作ることができる。だから価値が高くないのである。それに反して、巨大なダイヤモンドはいかに人力を投入しても、それを得ることは困難である。このようなものには最終的には天与神授nものという名前がつけられ、世界のいかなる物は、経済的には直接実用の役立つものではなく、かえって無用の品に限るように見える。はなはだこれは奇妙なことであるが、人事の実相においてはこれが現実なので、いかなる理論家といえども、現在この世に生きる限りは、このような奇妙な現実に従わざるを得ない。
確かに、人類を指して理を論ずる生物といい、現代社会を称して道理の時代と名づけることがある。それは、人間問題の一局面に適用すべき言葉であり、世界無数の人々は心情(情緒)の海に漂っており、道理が作用するような事象は十のうちわずかに一か二あるだけであろう。

人間世界で、稀有の物品は実用性のあるなしにかかわらず、珍奇なものとして貴ばれるが、その中でも、とりわけ珍奇な物はたいてい年代の古さから生じる。さらにその上に、歴史上の人物がかかわっている場合は一層の声価が加わるようである。
古器や古銭は、その年代が古ければ古いほど世に珍重されるのが常である。三千年前の古鏡や二千年前の銅貨などは誠に珍奇であるが、その鏡が昔の何々皇后の御物であり、その銭が何々帝の手にした物であったといえば、珍品の中でもほとんど出色のものという位置づけを得るであろう。確かにこういうものは年月の経過とともにしだいに消滅してゆくものであり、しだいに忘却されるものであるが、そういう中でまれに存在するものがあり、かつ有名人の手に触れたとの由来があれば、これは珍奇中の珍奇であり、その品物に情緒的価値が生まれるのも偶然ではない。
さて、無生物である物品にこのような形で価値が生まれるのであれば、生物である人間に価値が生まれることもまた間違いない。その人間の価値とは何であろうか。それは歴史上の家名である。
人には皆、必ず祖先がある。人事(人間の事柄)は複雑で、その興廃・滅亡が激しいので、数百年または千年という家系が明らかな者ははなはだ稀である。なかには、家系が明らかな場合もあるだろうが、祖先の功名がさほど大きくなく、単に何世の血統を無難に引き継いで来たというだけではあまり芳しくない。
しかしながらここにある人がいて、その人の家系は何百年も前から歴史上明らかであり、その宗祖某は何々を創業して家を起こし、その第何世の主人は何々の偉功をもって家を中興し、その子々孫々、今に至るまで家が継続してきた、ということであれば、たとえ現在のその人の知徳が凡庸であっても、ひどく無知で不徳のないかぎりは、彼は社会において栄誉を維持することができるだろう。ましてや、その人の徳義や才知が平均より大きく抜きん出ている場合はなおさらである。他の何倍も世間から大きな尊敬を受けるに違いない。
そのようになる理由は何であろうか。それは、社会の人心が、今のその人を重んじているからではなく、その家の由来と祖先の功業に価値を見出しているからである。

前述の言葉は人情の違わぬものであり、それにぴたりとあてはまるものとして、わが日本国には、帝室というものがある。この帝室は日本国内の無数の家族の中で最も古く、その起源は国の開闢とともに始まり、帝室以前に日本に家族はなく、開闢以来今日に至るまで国中に生まれた国民は、ことごとく皆その支流に属するものであり、いかなる旧家といえども、帝室と新古の年代を争うことはできない。
国中の家族は各々固有の家名・族姓なるものを持ち、互いを区別しているけれども、ひとり帝室だけはその必要性がない。何姓とも言わず、何族とも唱えず、単に日本の帝室と称するほかはない。その由来が古いことは実に飛び抜けて際立っており、世界中に比類がないと言うことができよう。まして歴代に英明な天子も多く、その文徳・武威の余光が今日に至るまで消滅していないだけでなく、さらに、こと得失は別として、およそ古来、国史上の大事件で帝室に関係ないものはないほどなのだから、なおさらのことである。人々の心に最も深く刻まれていることは、あげつらうまでもなく明白なことである。
尚古懐旧ということが現代人にとって普通の情緒であるとすれば、日本国民なら、この帝室の古きを尚んで(たっとんで)、旧を懐う(したう)のは当然であろう。
瓦片石塊であっても古いものは尊重し、老樹古木のようにその由来を聞けばこれを伐るには忍びない。それ以上に人類に関しては、その血統が古いものは、祖先の功労が何であれ、おのずから世間に重んじられるだろう。これに加え、英雄豪傑の子孫ということになれば、その子孫が賢くても愚かでも、あたかも祖先を代表してこの世にいるように思われて、一層人望を集めることだろう。そうであれば、帝室はわが日本国において最古最旧であり、皇統連綿として久しいだけでなく、列聖の遺徳もまた今なお明らかで見るべきものが多い。これは天下万民がともに仰ぎ見るところであり、その神聖・尊厳は人情の世界において決して偶然なことではないということを知るべきである。
確かに世上に尊王は多く、その所説は大変優れているけれども、帝室の神聖を説明するにあたっては、ただ神聖であるがゆえに神聖である、と言うに過ぎない。古代において民心が素朴で簡単であった時代であれば、事を説く筆法も簡単な方がかえって有力であったろうが、人間文化がしだいに進歩して世事も繁多になるに従い、人の心もおのずから多端にして、見聞の領域が広くなっている。百般の事物に接しても、まずその理由を吟味して、しかる後に信疑を決するような時勢になると、帝室のことに関しても時として単なる妄信では安心できないという者もいるだろうから、私は尚古懐旧の人情に訴えて拙い言葉を重ね、天下後世のために述べてきたのである。
尊王の士人は、もとより私にとっては良好であり、その志は誠に嘉み(よみ)すべきことである。しかし、帝室の神聖さに関して、簡単な説法で他人に盲信や盲従を促すようなことは、もはや現代のやり方ではない。尊王の志はそのままにしていささかも曲げる必要はないが、さらに進んで、議論の上で私と同じ方法に進むことを祈るのみである。
私は、このような立論をするときは、天子の聖徳についてあれこれおしゃべりすることは好まない。ことに世の論者たちが聖徳云々を説くにあたって、ややもすれば直接政治に関係することが多いのは、私としては最も忌わしく思うところである。元来、政治・法律は道理の分野のことであり、その利害が分かれる部分も道理に基づくことなので、さまざまな利害が伴う社会にあって、億兆の人民に聖徳の問題と政治の問題とが直接関係があるような思想を抱かせるのは、時として施政のためには便利かもしれないが、時として聖徳に累を及ぼす恐れがなきにしもあらずである。
実際、政治はその時々の政府の政治であり、帝室は万世を貫く日本国の帝室なのである。帝室の神聖さは政治の世界外の高所にとどまって広く人情の世界に臨み、その余徳を道理の分野にも及ぼして全国の空気を緩和することが、私の持論として密かに希望するところなのである。

第三の問題、帝室の尊厳・神聖を維持する方法をどうするかという問題については、私は二つの手段を考えている。その一つはすでに前項において触れたが、尊厳・神聖の理由は、尚古懐旧の人情に基づくと述べたとおり、今これを維持するにも、まずそうした人情に依存しなければならない。これを第一の手段とする。
そもそも、文明が日々新たになる今日にあって、尚古懐旧とは字づらからして不都合に見え、老論囚循説などというそしりもあるかもしれないが、すこしく視野を広くして考えれば老ではなく、囚循はかえって活発さを生みだす手立てであることが判明するだろう。
本来私が帝室の神聖を守って、帝室を無窮に維持したいと考えるのは、日本社会の中央に無偏無党の一焦点を掲げて、人民が仰ぎ見る場所とするためである。帝室が政治の世界外の高所にあって、至尊の光明を放ち、これを仰ぎ見れば万年の春のようで、万人が和楽の方向を定めこうしてゆるぎない国体を作りたいと欲するためである。
こうして下界の民間を見れば、下界の紛擾の俗世界であり、なかには名誉に熱中する者がいれば、利益を争う者もしる。学者の理論、政治家の意見は、千差万別の利害に汲々として、優れた者が勝ち、劣った者が負ける。こうして、時に苦情が昂進して騒がしくなることもあるだろう。しかし、これらは民間の自由に任せて帝室の感知するところではない。競争は文明進歩の約束であるとしてこれを放置し、あたかも俗世界の万物を度外視するように見えるが、その実は俗世界を包含し、一種無限の勢力(威厳)をもって、間接的に民心を緩和されているので、紛擾も競争も常に極端にいたることなくとどまることができている。
およそ人間社会の安寧を害するものは極端論であり、極論よりはなはだしいものはない。完全で健全な主義を称するものであっても、それが極論に至れば、危険性が生まれる。ましてや現在の人類があえて文明の名目で行うと言っても、その言行はすべて小児の「戯れであって、頼りにならないことが多いからなおさらである。さらにまた古来より伝わってきた教育に従って、事物の両極端だけを知り、思想が浅慮で度量が狭隘で、これまで自尊自治がどういうものであるかを理解していない日本国民としてはなおさらであろう。これは多数のわがままな子供達と変わらない。
もしもこうした連中を放置して行き着くところまで走らせたりしたら、その極端の災害はどうなるであろうか。政治家の軋轢などは岩石が衝突するのと同じで、敵と味方が煩悶し争うなかで、自分から砕け散ってしまうことだろう。このようなことは、自由な活動をしているようでいてかえって自由から遠いというほかはない。私が帝室の尊厳・神聖を仰いで、民心緩和の功徳を享受したいと思うのは、それによって百般の競争が極端に流れるのを防ぎ、健全無害の範囲内で自由にさせようとする微意からである。だから、尚古懐旧によって帝室を守ることは、文明日新の活動に欠かすことのできない方法であると知るべきである。
尚古懐旧の人情は帝室を守るために大切なものだとしても、その人情を利用する手段については少々考えるところがある。
およそ天下の物は単独で高いとされることはなく、また単独で貴いとされることもない。その高貴は他の高貴に比較した後でよく現れてくるものである。そして、比較する範囲は広ければ広いほど最高のものであることを証明することが出来る。
例えば、昔の何某を称して「漢学の大先生」というときは、その時代に漢学が大いに流行して、学者先生が多くいる中でその何某が抜群であるために、先生上に大の字を冠して大先生と呼ぶわけである。
相撲に大関(当時の最高位)という名称があるのは、それ以下の者たちも力士として世に知られている中で、最大最強の実力があるためである。もし、他に比較するものがなければ大先生とか大関とかは、たとえどれほど学力・筋力があろうともその「大」をあらわす手だてはないであろう。
帝室の由来は非常に古くて、その古さは実にわが国では群を抜いているけれども、他の古い物に比較すれば、ますますその重さに感じることができるのは人情の自然の勢いである。だから、およそ国中の古代に属する者はこれを保存してその領域を広くし、国民が古きを尚び旧を懐うという気持ちを高め、こうしてますます帝室の古い光を明らかにすることは、大変緊要なことであろう。
八幡宮や天満宮は古くて貴い、高野山は山深く本願寺(p102、本文では「本願時」)は大きい、というようなわけで人民はこれらを仰ぐけれども、応神天皇は第何代の天子にして帝室の起源に比べれば古いとは言えない、菅原道真公はわずか千年前の王臣にすぎない。高野山は何々天皇が勧請したものである。本願寺は何々天皇の御代に開基し、以来、帝室に対して何々という由緒がある、などといえば、人民はそれを聞いて、同時に帝室の高さを知り、尚古懐旧の気風がいよいよ盛んになり、それによって帝室の基礎もいよいよ固くなる。それが人情の世界に必然的な勢いであると知るべきである。
近年、政府の方でも神社仏閣の保存に注意しているようだが、それはこの辺りの趣意に出たものであろうか。その趣意はともかく、私はこれに賛成せざるを得ない。なぜなら国中の寺社はたいてい皆、由来が古いから、国民がその古さを慕うことは帝室を慕う端緒となるからである。そのことは、帝室の由来に対する比較の領域を広くするからである。
この点から考えれば、出雲の国造、阿蘇の大宮司、あるは本願寺の門跡などは、その家の由来が古くて尊いだけでなく、国民があたかもその人を神や仏として崇めてきた稀有な名家である。それを愚民の迷信と言えばたしかに迷信であろうが、人知の不完全な現在の小児社会では、彼らが神仏視するものをそのままにして、懐古の記念に残すことは帝室の利益になることであり、またそのほうが知者のやり方であろう。
ところが今や、その神仏は下界に降って、人間世界の華族に変わってしまった。日本の戸籍簿の上に異様な半神仏・半人類を登録することは、気が引けるという意味もあるだろうが、これは思想の潔癖と申すもので、錯綜した人間社会の万事万物を一直線の縄墨にあてて、切り捨てようとするようなことをやるべきではない。その心の単純さは、小児の域を脱していないと言ってよいだろう。
文明開化の天地ははなはだ広大である。いやしくも国家経営上の利益とあれば、どんな異様なものでも、余裕をもって受け入れなければならない。ましてや帝室の神聖を守るという点から見れば、その異様さが異様であればあるほど効果があるだろうと思われる。私は国造、大宮司、門跡などの人々の運命がどうであるかについては関心がないけれども、彼らが人間界に降りてしまったことは、帝室のことを考えれば惜しいことであり、できれば今からでも旧態に復帰することを祈るものである。

福沢諭吉「尊皇論」現代語訳 1

福沢諭吉「尊皇論」現代語訳 1

わが大日本国の帝室は、尊厳にして神聖である。我々は臣民として帝室を仰ぎ、帝室を尊ばなければならない。ということは天下万民の知るところである。帝室を尊ぶのは、なにかの下心があるからではない。ほとんど日本国人の固有の性(さが)から生まれたように見える。古来から今日に至るまで、そのことに疑いを容れる者はないけれども、開国以来、徐々に文明が進んできて、様々な種類の議論も多い世の中となったことで、私は尊王の大義を単に日本人の性質とだけは言わず、さらに一歩を進めて、国家経営の必要においてもこの大義を無視すべきではないと信じるので、たとえ今日では無用の論のように思われようとも、天下と後世社会の安寧のために、尊王論の一編を記して、子孫に残すことにした。これは、無用な労ではないだろう。
今、その立論を三つに分ける。
第一、国家経営上における尊王の必要性はどのようなものか。
第二、帝室が尊厳・神聖である所以はどのようなものか。
第三、帝室の尊厳・神聖を維持する工夫はどのようなものか。

第一に、日本人の尊王の心はほとんど天然の性情から出てきたものである。試しに今、下層の男女に向かって、帝室はなぜ尊いのかと尋ねれば、ただ帝室であるがゆえに尊いと答えるだけであって、これを特段疑う者はいない。単に下層の男女だけでなく、上流の有識者や、あるいは平生から尊王の志が厚いと称する人間に質問しても、帝室は万世一系の至尊であると答えて、それ以上詳らかに説明する者ははなはだ少ないようである。今のところ、私も強いてその説明を求めるわけではない。実際においてもまたそれは無用である。
しかしながら、文明の開化や進展が際限なく、今日では論議がかまびしくなっていて、今後ますますはなはだしい状態に至る可能性がある。そんな世の流れにあって、こうした議論は時として人情を後回しにして道理に訴え、帝室のことに関しても単に道理の方面から言葉を発して、国家経営上における帝室の効用はどのようなものか、などという問題にぶつからないとも限らない。もしも、そんな場合には、私はかの下層の男女のように、あるいはまた世間のいわゆる尊王論者のように、単に帝室であるがゆえに帝室は尊厳・神聖であると答えるよりも、当方からさらに一歩進めて、質問者の質問に応じて、国家経営上における尊王の必要性を説明し、それによって他に満足させて、人情と道理の両方の点から、ますます尊王の心を養成したいと欲するのである。

人の性は善であるというけれども、一方から人間の俗世界の有り様を見れば、およそ人として勝つことを好み、多くのものを求めない者はいない。すなわち、これは人生に備わる名利の心であって、社会活動を起こす根本でもある。また人間の知力や工夫は際限のないものであり、好みの物や求める物を得るためには種々様々の方策を使って、ほとんど至らないところがない。しかして、その方策たるや性質の正しいものもあれば、正しくないもあり、あるいは、当事者自身は正当なことだと答えても、他人から見れば正しくないこともある。あるは昔の時代においては正しく理にかなった事柄も、今の風潮では理にかなわないものもある。そうした事情ははなはだ錯綜しており、容易に判断を下しがたい。そうした中で、徳義心の発達がなおまだ完全ではない浮世の俗物たちが名利を求めてやまない状態なので、心が険しくなるのを誠に当然の勢いである。心の中に隠れている間はまだ平和を装うこともできるが、それが外に現れてくると、小さな場合は個々人の不和争論となり、大きい場合は党派間の軋轢あるいは戦争に立ち至ることにもなるだろう。社会にとってこれほど大きな不利益はない。
畢竟、その大本を尋ねれば、その原因は勝つことを好み、多くのものを求める性情にある。これを調和させることはなかなか容易ではない。天下の人をことごとく全て勝たせようと思っても、勝敗とは相対立する言葉であり、負ける者がいなければ勝つ者はいない。天下の人をことごとくに多くの物を獲得させようとすれば、この多い少ないもまた相対立する言葉であるから、他人の中に「少ない」と言う人がいなければ、自分が「多い」という感覚は得られない。ということは、すなわち名利とするには、天下の名誉・利益をあげて一人の身に集めて初めて満足することができるだろうけれども、逆に言えば、その一人を除く他人の人々は全て不平をもたずにはいられない。これまでますます不都合であって、これを実際に行うことができないのは明らかである。
それゆえ、国家を経営する要諦は、社会の人々を不平や怨嗟の極みに追い込まず、また逆に満足・得意の極みにも上げずに、まさにその中間の地位を授け、苦楽喜憂が相半ばする状態で、両極端に逸脱しないように図ることこそ肝心である。これを名づけて、その分を得たものという。
政府や法律や、宗教・道徳の感化のようなものは人事の理非を明らかにし、人心の欲を制御してこの逸脱を禁じ、またこれを未然に防ぐ方便である。しかし、それだけでは、なお足りないものがあるように思われる。
ことに、わが日本国のごときは、古来、士族的な習慣を形成して政治に熱心になる者がはなはだ多く、その熱意の度合も非常に高くて、法律や道徳の教えの力も、時として効力がないような事例が無きにしもあらずである。これは歴史が明らかに証明しているところであり、日本固有の気風なので、こうした気風の中にいて政治社会の俗熱を緩解・調和するためには、おのずからまた日本に固有の一種の勢力(権威)がなければならない。すなわち、私がこの勢力(権威)のあるところを求めれば、それは帝室の尊厳・神聖であると明言するものである。

名利(名と利)の両者はともに人の欲するところであるが、いま名誉と利益とを分けて、そのどちらを重んじるかと尋ねれば、人の性情は名を先にして利を後にすうものだと答えざるを得ない。およそ人間にとって、衣食がすでに足りて肉体を保つに欠乏がない以上は、求めるものは全く名にあるということができるだろう。
大厦高楼(たいかこうろう)・錦衣玉食(きんいぎょくしょく)は際限のないことだが、本人の肉体や口腹に必要なものは限界があるので、それ以上はことごとく皆、外聞のためにするだけである。すなわち名のためにするものであるから、人生の利益を求めて多くのものを欲するというのも、その実は名を買いたいためであるということができるであろう。
世の中には守銭奴というものがいる。守銭奴のなすところを見ていると、どんなに外聞の悪いことでも忍んでただ銭金を求め、畢竟の目的は利益の外にないように見えるけれども、その本心を叩いて真の面目を正してみると、その人の心では人生に銭金がなければ安心できない、金が無く貧乏の淵に沈むと、どのような艱難辛苦をなめ、どのような恥辱を蒙るかも分からない。その用心のためには、金銭こそが第一に必要なものである。ましてや、平生においても金銭は権力の元であり、おのずから世間に我が身の重要さを示すことができるということで、結局帰するところは名のために他ならない。
そうであれば、人の性情はこのように名を好むものであり、その名を買うのに最も便利なものが金銭であるため、俗世に名利(名と利)の紛争がおきるのも怪しむに足りない。
さて、そのような紛争に際して、はっきりと勝敗がつく場合は、ちょうど相撲の勝負のようなものなので、特に心配には及ばないけれども、人事(人間の問題)はたいてい無形の状態で、錯綜するものが多いため、これを判断するのは容易ではない。場合によっては国の法律に訴えて、黒白をつける方法もあるけれども、法律は単に外面や有形の部分に力があるだけであって、無形の心情に深く関与することができないため、法律では満足することができない。ここに至れば、初めて仲裁の必要性があることが分かるであろう。そもそも、ここにいう仲裁という文字は、単に紛争の場合を司るだけの意味ではなく、平生の人事においてもその働きははなはだ広い。仲裁は常に人心の激昂を緩解・調和するものなので、その効用をたとえて言えば、病気の急性症状に対して緩和剤が必要になるようなものだとわかるだろう。
例えば、市中の血気盛んな少年たちが祭礼や火事場において、甲と乙とが衝突し、針小の行き違いから棒大の争いを引き起こし、東西二つの団体が睨み合い、お互いに後に引かれぬ意地の争いとなって、警察など恐るるに足らず、死ぬはもとより覚悟だと言って、まさに一大不祥事になろうかとするその瞬間に、群衆の中をかき分けて出てきた者は、かねて名を聞く何々組の親分で、単身素手で二つのグループを右と左に押し分け「この喧嘩はこっちがもらった!」と大声一喝すれば、双方の激昂もたちまち静まり、総勢が粛々としてその場を引き上げ、果ては仲直りの盃をもって穏便にことの始末がつけられる、というようなことは大きな町では珍しくない出来事である。
思うに、この少年たちが血気にはやってその行き着くところ、生命も惜しくないと言うまでに至ったとはいえ、もしその瞬間に本心を聞き出したとしたら、彼らは特に殺伐・残忍を好むわけではなく、先程はただ義侠と好男子という名(面目)のために引くに引けなかっただけである。今は親分の扱いとなったので、双方の面子も立つということになれば、たとえ少々の不平があったとしても、そこは親分に対する子分の義理として、勘弁しなければならない。すでに勘弁すると覚悟を決めた以上は、一言半句も苦情を言わないことが、かえって好男子であるとして、一切の進退を全て親分の処置に任せたのは、親分の名望がもとより高いからであるが、その内実は、子分の者たちも親分の仲裁の扱いを好機として、自らの面目も立つからである。こうして、親分一人の名望は数多の子分の無事を維持する機関の働きをしており、緩解・調和の絶妙な効果をもつものということができるだろう。
右のようなことは、社会の下流と言われる市中の少年たちの仲間でよく行われることであり、有識者がいつも等閑視するようなことだが、こうした俗塵の世界の事象を解剖して、その真相を見抜けば、紳士・上流の社会も、こうした市中の少年たちの仲間と、取り立てて異なるところはあるまい。
商人たちが利を争い、学者たちが名を争い、政治家たちが権を争うようなぉとは、外見だけを見れば、やや穏やかにして、美しいように見えるけれども、その争いの実質は上流も下流も同様で、別段違いがあるように見えない。
こうしたことを、これら当事者たちのなすがままの成り行きに任せてしまえば、争論は止まるところがなく、単に社会の騒擾を招くだけでなく、当事者自身も行きがかり上、後に引けない意地の争いになり、内心では大変に当惑することが多い。
あの利益獲得を目的にする商人の争いは、その活動がまだ金銭の領域に止まっていて、その金銭によって名を買うまでに達していないことが多いため、単に金銭の授受によって調停にいたることもあるけれども、争いが全く金銭を離れるか、または金銭を第二の問題として、もっぱら名誉・権利の問題で熱くなった場合にいたっては、その争いもまた一層の激昂を増すものである。ことに政治の論争のごときは最も激しいものであって、ときとしては由々しき大事に至る場合もないわけではない。
こうして、国家社会は、政治家の玩弄物となって予想外の災難を被る可能性もあるのだが、この一大事の時にあたって、これを上手に調和し、また平生より微妙不思議の勢力(権威)を輝かして、無形のうちに災いを未然に予防できるのは、ただ帝室の神聖があるだけである。
一杯の酒で志士の方向を改めさせ、一言やさしい言葉で反逆心を秘めた人間の野心を制するようなことは、決して他に求めることができない。
帝室は、もとより政治の世界外の高所に立ち、施政の得失にちうてはいささかも責任のないものであり、そうした政治の熱い世界から、離れることが遠ければ遠いほど、その尊厳・神聖の徳はいよいよ高くなり、その緩解・調和の力もまたいよいよ大きくなるだろう。帝室は単に社会経営に必要であるだけではない。いやしくも帝室の尊厳を欠き、神聖を損なうことがあれば、日本社会はたちまち暗黒になるであろうことは、古来の習俗・民情を考えれば疑いのないところである。

西洋諸国民は、多数・少数の数をもって人事の方向を決定する傾向があり、我々日本人は、一人の大人の支持に従って進退を決める習慣がある。これは古来、東西で趣を異にするところであり、その是非・得失は容易に判断することができない。多数主義であれ、大人主義であれ、数千年数百年の習俗を形成してそれが人民の情を安んずる時は、どちらでも社会の安寧を維持するに足るであろう。
ところが、わが日本は三十年前、にわかに国を開いて西洋人に接し、よくよくその事物を観察すれば、有形無形ともに西洋人に及ばないところがあることを見出し、これを名付けて西洋の文明開化と称した。そして、ひたすらこの文明開化を採用しようとして、これに熱中するなかで、人間社会のことを決めるのに多数主義を用いるのも開明のひとつであると聞いて、徐々にその多数主義的傾向に向かい、民間のことを処し、人を推薦するなどのことにおいても、ややもすれば投票の多数によって決め、また政治のある部分においても既にこのような方法を用いるものが少なくない。近代に至って、国会の開設などというものが天下の多数を議決するのに多数決を用いるという仕組みであり、これは日本開闢以来の一大変化と称することができるだろう。
そもそも今日、全世界において人間を支配しているのは西洋の文明開化であり、とてもそれに反対することはできない。それだけでなく、文明開化そのもの性質を吟味しても、その得失をならしてみれば、美点がはなはだ多く、わが日本国人も徐々にその方向に進む方が利益が大きいので、多数決の実施を決して非難すべきではない。ついには国中で公私・大小の人事の可否・進退を決めるのに、この多数決の方法を用いるに至るであろう。
これは私の最も賛成するところであるが、ただこのさい心配なのは、幾千年来、大人の支持に従うという習慣を形成してきた者が、多数の命ずるところに服することができるかどうかという一事である。たとえ約束としてはこれに余儀なく服するとしても、その多数なるものを尊敬し、あたかもこれに一種の神霊(精神)を付して、一も二もなく服従することが西洋国人のようになれるかどうかには疑問が残る。
趣はやや異なるが、ここに一例を示そう。
明治の初年来、維新政府の上層部において困難としてきたものは、人物の進退や政令の施行を一人の意のままにすることができないという事情がそれである。本来、今の政府の組織は、大人主義のようであるが、もしも実際に大人主義に基づくものであれば、情実や由緒などは問うに及ばず、政府の首座に立つ者が厳重にその職権をふるい、自分自身の心で施政の方向を定め、意見の違う者はこれを退け、その専権はあたかも徳川幕府の筆頭老中のようになるべきはずなのに、実際の事情は初めからそうではなかった。
上層部の人々はとりもなおさず同胞の兄弟同様であり、その出身の由来にさしたる優劣もなく、それに加えて衆議をもって事を決する、などという話も少なくなかった。なんとなく多数主義の趣があったために、大人専権ということを望むことができず、一方で、その多数主義が公然たる形をなして、これに頼るのであれば多数主義を根拠として、おのずからまた有力な専権を振るうことができるのだが、またそうでもなかった。大人主義に似て大人の存在を許さず、多数主義のようであってその多数が明らかでなく、こうしたことが政府の全体を悩ませていたようである。
こうした事情はひとり政府のみならず、民間にも行われていて、時として紛擾を醸し出すことが多い。これは今日わが国一般の時流であり、これを評して大人主義から多数主義へ変遷する過渡期の難渋ということもできるだろう。
そうはいっても、前に述べたように、西洋流の文明開化は無限の勢力があるものなので、結局、政治においても、またその他の人事においても、大人主義は廃れ、多数主義に勢力を占められることになるだろう。これは今後の多数に関して私が予言するところである。

右のことは、有形の人事政治上の問題について大人主義から多数主義へと移る難しさを述べたことであり、天下において誰もこれを易しいと言うものはいないだろう。有形の部分だけは多数をもって制しなければならない。民事または政治において事を決し人の進退を決定するに当たり、投票の数においてこうだと言えば、それを翻すことはできないけれども、日本の民情はなお、未だ多数を憤り、多数を愚弄する者もあり、またあるいは多数を争って失敗し、翻って大人主義を唱える者もあるだろう。これは人事変遷の波乱であり、この波乱に浮き沈みする熱い世界の俗物たちは、もはや数理の外に飛び出して、情感の内部で煩悶しているので、これを緩和する手段は法によることができない。また、理に頼ることもできない。法律や道理の外に、一種不思議の妙力を得て、初めて鎮静の効果を発揮することができるだろう。
譬えて言えば、人身の病において有形の肉体の思いは、学理上の医薬によって治すことができるだろうけれども、無形の精神病は往々にして理屈以外の療法を施して功を奏することが多いのと似ている。
されば、かの俗世界に浮沈して勝ち負けを争う連中も、一方から見ればしごく神妙にして国のために役立つこともあるかもしれないが、裏面からこれを見れば、功名症というべき一種の精神病にかかっている者が多いので、それを和らげてときどき軽快にしてやるためには、理外不思議の療法がなければならない。これすなわち、私が特に帝室の尊厳・神聖に頼る所以である。
例えば、甲乙同等の人がいる場合、どちらかを上とし、どちらかを下とすれば、それは不平の元となるだろう。そこで、甲に実を与えて乙に花を持たせ、あるいは表では甲を重んじて、裏では乙を敬い、昨日は酒を飲ませ、今日はお茶を飲ませるなど、無限の方便に無限の意味を持たせて人を満足させるのは、帝室の光明以外に求められないだろう。
また政治家が施政の得失を論じて、水と火のごとく相容れず、あるいは特定の人物を出世させたり左遷させたりして、失意と得意の境遇が分かれたりしたら、法律上はともかく、情実においては、もはや堪忍できないといって対立する双方が敵対し、その興奮が頂点に達して、それが多くの人々に波及していけば、時として腕力や凶器に訴えようとするような状況にも陥るだろう。しかしそのような時でも、政治の世界外で高所にまします帝室の深い思し召しは云々などと忠告すれば、彼らの興奮がたちまち冷めて、平常心を取り戻すという予想外の効果を顕すだろう。たしかに、こうした功名症の患者も、もともと残忍・酷薄なわけではなく、必ずしも他人を不幸に陥れて自分だけが良くなろうというような悪意があるわけではない。彼らは時として意外に淡泊なのだが、こうなっては外聞が悪いとか不名誉だとか言って、ただ世間に対する体面を保つ必要に迫られて、内心では不本意ながらも意地を張り、嫌なことも押し通そうとするものが多いというのが常なので、そういう場合に至尊(天皇陛下)の深い思し召し云々という言葉があれば、それが幸いして、自分の一身の栄誉と恥辱をこの一言に頼り、それまでの限りない煩悶から洗い流すように脱却して、体面を全うすることができるのである。
これは単に本人にとって幸いであるのみならず、実際には社会の安寧を獲得したのと同じであり、社会経営上の大きな利益ということができよう。西洋諸国の帝王などは、その由来をたどれば、もとより日本の帝室に遠く及ばないけれども、彼らは帝室の尊厳・神聖の威力によって人民の心を調和し、社会の波乱を静めるのである。それだけでなく、おのずと世の中の務めの方向性を示し、文学や技芸などを奨励して、民間の利益や国益の基(もとい)を開くものが少なくない。ましてや、わが至尊である帝室ならばなおさらのことである。国家経営上における尊室の功徳は、さらに一層大きなものがあるだろう。私は人々がこれを金科玉条として、汚すことがないように祈るものである。

福沢諭吉「帝室論」現代語訳 11 最終回

福沢諭吉「帝室論」 11 最終回

帝室は人心収攬の中心となり、国民政治論の軋轢を緩和し、海陸軍人の精神を制御して使命を与え、孝子・節婦・有功の者を賞して全国の徳風を篤くし、文を尚び(とうとび)、学士を重んじるという実例を示して、わが日本の学問を独立させ、芸術を衰頽以前に救出して文明の富を増進するなど、その功徳が至大至重であることはいうまでもない。
ところが、軽はずみな書生輩は、こうした大徳の重要性を弁える(わきまえる)ことができず、たとえそれを口にしても、まったく心がこもっていない。畢竟、無知の罪なのだ。一方、丁重で着実と称する長老の輩も、じつは案外性急であり、熱心さが昂じて過激になり、かえって恩徳のあることを忘れて、狼狽し騒ぐ。これもまた、無知の罪である。無知の罪は、下心があって意図的にそうしているのではない。だから、これを恕し(ゆるし)、正常に帰ることを期待したい。
天下が皆、正常に帰着したとしょう。そこで帝室が、これまで述べてきたような事柄に着手しようとするとき、第一に必要なのは資本である。明治十四年度の予算を見ると、帝室及び皇族費は百五十万六千円で、宮内省の定額は三十五万四千円とある。この金額が多いであろうか、少ないであろうか。
イタリアの帝室費は三百二十五万円で、皇弟の賄料が六万円、皇甥のそれが四万円、その他、国皇の巡狩費または皇居建築修繕費などは別に国庫から支出するという。英国はその富裕のわりには、他の諸国に比べれば帝室費が少なく、二百万円以内だがその他にランカスター候国から入る歳入もある。ゲルマン(ドイツ)は三百八万円のほかに、帝室に属する土地山林がはなはだ広大で、そこからの歳入はことごとく宮殿と皇族の費用に充当される。オランダは三十一万二千円のほかに、かつて第一世ヴィレム王の時代から王家の私的財産に属するものが非常に多いという。
右の各国に比べると、わが帝室費は豊かとは言えない。金員の額も少ない上に、帝室の私有財産たる土地もなければ山林もない。今後国会開設以後においては、必ず帝室と政府との会計上もおのずから区別されなければならないので、今から帝室の費用額を増やすべきであり、また幸いにして国中に官有林も多いので、その一定部分を割いて永久に帝室のご所有に供することも緊要であろうと思う。
パシーオ氏は英国政体論でこう述べている。
「世論ではいろいろな意見が喋々される。例えば、帝室はすべからく華美にすべきだ、と言う者がいるかと思うと、いやすべからく質素であるべきだ、と言う者もいる。はなはだしいのになると、華美の頂点を極めるべきだと言う者がいれば、これとは正反対に帝室を廃止すべきだという者までいる。しかし、これらはその場限りの空論でしかない。今の民情を察して国家の安寧を維持しようとすれば、中道の帝室を維持することが緊要なんである財政運用の観点から観察すれば、例えば、人心収攬の中心という機能を発揮するために百万ポンドを帝室に奉じることが最良の策だとすれば、百万は百万の働きをすると言えよう。ところが、これを削って七十五万ポンドとし、運用法を変えた結果、人心を得ることができなかった場合は、結果七十五万ポンドは全損ということになる。これは拙劣もはなはだしい政策である云々」
これは、簡単な議論ながら、事理を尽くしたものということができる。すべて帝室の費用は一種特別なものである。公然たる費用があるのは当然だが、場合によっては、使途自由にしてほとんど帳簿に記す必要もないような費目もあるだろう。これは最も大切な部分である。
例えば昔、フランス皇帝第一世(ナポレオン1世)の先后ジョセフィーヌは高名な賢婦人で、常に内助の功によって皇帝を支え、皇帝の過失を補い、宮中(帝室)と府中(政府)とを問わず、人心を掴んで離散させないように努めていたが、皇帝の心変わりで皇后を離縁して以来、たちまち内外の人望を失ったことがある。近年では、今のイタリア皇后マガリタはつとに賢明順良と評判だった。よく人心を収めて皇帝を輔翼(補佐)し、間接的に、政治上の波風も平素も皇后の徳によった鎮静したことが少なくないという。
このように、帝室の徳が民心に伝わるのは一種微妙なものであり、冥々の間に(自然に)尋常ならざる勢力を盛んにすることもできるだろう。ふだんなら万乗(一万台の軍用車)を率いる皇帝が、お忍びで外出し、貧しい男を助けたことがきっかけとなり、その地方の人民が殖産の道に励むようなことがある。一兵士の負傷について質問したことが、三軍の勇気を奮い立たせたこともある。花の筵、月の宴などについても、決して軽視してはならないのである。
こうしたことにつけても、必要なのは財である。しかも、その財を費やしても、帳簿に記入できない費目もあるだろう。私は、細目を論じているのではなく、ただ皇室費が全体として豊富になることを祈っているのである。

ある人はいう。
「帝室の大名声をもって天下の人心を収攬するという説はよかろう。しかしながら、帝室が功労者を賞し、文学芸術を保護・奨励するにあたっては、気になることがある。過去の慣習から帝室に近づく者は、とかく古風な人物が多いため、実際に褒賞などに着手するにあったても、おのずから古を貴ぶ気風が強くなりかねない。例えば人を賞するにも、いわゆる勤王家に偏り、それ以外の人々はその機会が少なくなるのではないか。あるいは学術を奨励するといっても、専ら皇漢(皇国と中国)の古学に重きを置くようになるのではないか。とはいえ、駸々たる(しんしんたる・進行が遅い)文明進歩に質する必要があるのも事実だから、どうしたらよいのか」
このような説があるけれども、私はいささかもそれを恐れていない。
嘉永六年の開国以来、わが国の流れを一変させたのは西洋近年の文明である。この大きな流れが進行する間には、ときに支障もあるだろうし、妨害もあるだろう。しかし、それは局所的な障害であって、それを憂いる必要はない。古学は、日進月歩の学問に対して有害のように見えるけれども、その害などはただ一時的・部分的でしかないだろう。千人・百人の古学者がいるといっても、天下の大勢をどうすることもできまい。しかも、そのような古学流の中にも、物理法則の部分を除けば、学ぶべき点が少なくない。私は努めてそれを保存したいと思う者である。
まして、私が帝室を仰いで人心の中心に奉りたいと思うのは、帝室の無偏無党の大徳に浴して、一視同仁の大恩を蒙りたいと思っているからであり、私の志や願いは決して裏切られないだろう。帝室は、新しいものに偏せず、古いものに与せず、蕩々平々(とうとうへいへい・ゆったりとして公平に)として、まさに天下の人心の要所を握って、人心とともに活動するものである。帝室はすでに政治党派の外にある。その帝室が、どうして人心の党派をおつくりになるだろうか。謹んで帝室の現実のお姿を仰ぎ奉るべきである。



福沢諭吉「尊皇論」 1 に続きます。

福沢諭吉「帝室論」現代語訳 10

福沢諭吉「帝室論」現代語訳 10

しかしこう反論する人もいる。
「前述されたような諸芸術を保護するために、帝室を頼みとするのはよいとしても、そうした芸術の中には、今日ではまったく無用のものがある。そんなものを、どうしようというのか。無用の芸術を保護するために有用な人の心を煩わせ、当然ながら、いくばくかの金も費やさねばならない。それこそ、まったく無用なことである」と。
このような説をなす人は、まことに今日だけの人であって、明日ということを知らない者である。
人間の文明は、時間的にも限りがなく、空間的にも広がりが大きい。文明の流れは、千年をもって一日とするようなものだ。今日ただ今の目で見て無用であるからといって、千年に生きる文明の材料を投げ捨ててよいものであろうか。今日、土の中から出土する勾玉・金環なども、その大昔の時代にあって経済理論に明るい書生がこれを評すれば、もしかしたら無用の物だと言われてしまうかも知れないが、数千年を経て、今日の我々が勾玉の細工と金環の鍍金を視察すれば、わが日本には数千年前から既に鍍金の技術があったことを知り、その文明レベルを推し量ることができる。したがって、今日は無用の物であっても明日には無用ではないことを知らなければならない。
ためしに現在の書画骨董を見よ。十数年前は、埃に埋もれて顧みる者がなかった。緋嚇の鎧一領の値段を二朱といっても買う者などいなかった。名家の筆になる金屏風も、その金箔の地金を取り出すために焼いてしまうような時勢であったが、今日はまったく正反対である。鎧も刀剣も骨董として珍重され、書画に至っては一片の紙帛が何百円もすることがある。わずか十年の時間が経過しただけでこの変わり様である。まして今後百年を過ぎ、千年を経たら、なおのことではないか。
人の好みや尊重心の変化は決して予測できないものであるから、保存できる物は保存し、伝えるべき術は伝えて、わが日本文明の富を損なわぬようにすることが緊要である。
諸芸諸術は、無用ではないばかりか、わが国固有の美術であって、西洋人にはまったく知られていないものがある。茶を喫むにも方法があり、これを茶の湯の道という。花を器に挿すにも方法があり、これを挿花立花の術という。香料を薫じてこれを嗅ぐにも方法があり、これを薫香の芸という。この類のものはすこぶる多く、西洋人に説明するにも容易にその意味を理解させることは難しいだろう。また、御家流の文字のように、基本は支那から伝わったものでも、支那流の外に一種の書法を確立したものもある。その方法の伝授はわが国固有のものであり、美術の中では大切なものであろう。これらはいずれも皆、わが文明の富であり、外人に誇るべきものである。
その他に、蒔絵、塗物、陶器、植木、割烹などの諸芸術については、逐一説明するのは私の手にあまるし、また本論の趣旨でもないので、それは省略する。ただ私が願うのは、これらの諸芸諸術を、たかだか政治革命のような小さな政変のために断絶させてはならない、という一点のみである。
昔、封建時代において三百諸侯の生活はすこぶる高尚なものであって、それを維持するために諸候みずから芸術を保護して、その進歩を助けたことは人の知るところである。諸候の領内には武具・馬具の職工は無論のこと、茶道の坊主がおり、御用の大工・左官がおり、蒔絵師・御庭方がおり、料理人・指物師など、皆たいてい譜代世禄の家来であった。彼らはその職業で利益を射止めるよりも、名を争うことに執念を燃やしていた。それが、いわゆる芸術家の功名心というもので、その功名心から往々にして尋常ならざる名人が生まれ、また名作も少なくなかったのである。実のところ、その名作の代価を見積もるために、名人の家系に数代にわたって宛がわれた扶持米を積算すれば、非常に高価なものについたことだろう。しかし、封建諸侯は会計が変則的であって、収入を考えずに支出をする人々だったから、高価な代償など気にしてはいなかったであろう。
今後は、世に富豪も出てくるだろうし、その富は昔の諸候に勝る場合もあるだろうが、彼らが収支バランスの常則にしたがうとなれば、芸術に対する功徳は簡単に望めそうにもない。
今日では、芸術家に世禄を支給するようなことは行われないが、なんらかの方法を設けて芸術家の功名心を奨励する必要性があることは明らかに分かるだろう。では、どんな方法があるのか。前節で、帝室は栄誉の源泉であると言った。ということは、芸術家の栄誉もこの源泉から湧き出る方法によるのが一番である。
その先例を挙げてみよう。徳川の時代に、陪臣や浪人のうち、儒者や医師などで高名な人物があれば、「御目見被仰付」として呼び出して将軍に拝謁を許し、時にはその人物に葵の紋服を賜った例もあった。ひとたび拝謁した者は、たとえ幕臣でなくとも、いわゆる「御目見以上」(旗本のこと。御家人は御目見以下)の格式となり、諸藩士より一段上に位した。これは幕府の旗本と同格になるので、儒者や医師の身としてはほとんど無上の栄誉であり、世間の名望もはなはだ高かった。
儒者や医師だけでなく、囲碁・将棋などに巧みな者の場合も、名人の誉れのある者には拝謁を許し、さらに碁所・将棋所といって、その芸の宗家にはたっぷりと扶持を与えた。毎年恒例の行事として、幕府の殿中で、上覧の囲碁将棋会を開いて屈指の者どもが芸を闘わせるときには、将軍も必ず親から(みずから)出座して観戦したのである。代々の将軍が皆、囲碁将棋をたしなんだわけではないだろうから、ずいぶんと迷惑に思った将軍もいたかもしれないが、俗世間ではそれを「御城碁」「御城将棋」と呼んでいた。これに出場する当人は、その日一局の勝敗で、生涯の栄辱を占ったりもした。はなはだしい場合は、勝敗の心労のために吐血して死んだ者もいたという。
その他、能楽者にも扶持を支給したり、刀鍛冶・彫刻師にも宛行(あてがい・扶持米や給与)を与えたりするなど、様々な工夫をこらしたて、徳川幕府十五代の間に芸術奨励の一事はじつによく行き届いたのである。
しかし今日では、もはや幕府はない。諸候(大名)もいない。ならば、全国の人心の中心であり栄誉の源泉たる帝室が、今の民情を視察し、これまでの例を斟酌して、あるいは勲章の法を設け、あるいは年金の恩賜を施し、あるいは当人に拝謁をお許しになり、あるいは新旧の名作物を蒐集なされるなどのことがあれば、天下の人心は翕然(きゅうぜん)として一中心に集まることだろう。そうすれば、栄誉の源泉に向かって功名の心が生まれ、まさに衰えようとしているわが芸術を挽回し、さらに発達の機を促すことにもなろう。それだけではない。帝室を慕う人々の心には一層の熱が加わり、ますます帝室の尊厳・神聖を仰ぐに至るであろう。

福沢諭吉「帝室論」11 に続く

福沢諭吉「帝室論」現代語訳 9

福沢諭吉「帝室論」現代語訳 9

前述の論旨において、帝室を仰いで学術の中心として奉じたいと述べたのは、わが日本の学問を独立させたいからである。たとえその学問内容は近年の西洋文明から受容するとしても、やがては日本独自のものとして独立させることが私の趣意であり、それがちょうど今の漢字が、その源泉は支那(中国)から受容したものであっても遂にわが国のものとして独立したようなものである。そのようにしたいとの趣意から、学問のやや高尚な分野について説を立てたのだが、そのほか以下に述べる芸術についても、帝室を頼みとしなければならないことがすこぶる多い。
そもそも一国の文明の要素は限りなく繁多なものであり、人間社会の一事一物にいたるまで文明の材料とならぬものはない。日本内地の人民と北海道のアイヌとを比較すれば、内地は文明であり、北の地は非文明だと言えるだろう。なぜなら、内地は人事(人間に関する事柄)が繁多であり、北の地は簡約だからである。内地の人民は三度の食事をするにしても、一人一人にお膳やお椀や箸を準備するが、北海道のアイヌでは往々にしてそれがない場合がある。このように人間社会では、わずかに箸一膳の有無によっても文明の高低をうかがうことができる。箸は文明の産物である。箸を使うことも文明の事象である。箸を作り、箸を売買することもまた、文明の事象である。ましてや箸以上の事物はなおさらのことだ。そうした事物が多ければ多いほど文明の高さを証明することができる。要するに、人事の繁多こそが文明開化だと言ってもよいだろう。
ゆえに、一国の文明を進めるためには、人事の繁多を厭わしく思ってはならない。むしろ、それを勧奨してますます繁多にすることが必要である。
今から二十年前(江戸時代)には、二汁五菜といえば大変なご馳走とされたものだが、今ではそのほかに西洋風の料理まで食べる。わが人民は、洋食が旨いかまずいかを味わおうという知見を増やすことで文明を進めたのである。
二十年前までは、ただの漢籍を読んでいれば学者といって恥ずかしくなかったのだが、今では漢籍の他に洋書をも知らなければ、学者の世界で暮らしてゆくことはできない。わが人民は横文字を理解するという知見を増やして文明を進めたのである。人事繁多の世の中になってこそ、文明進歩の秋(とき)と言うことができる。
しかしながら、これらは旧文明に新文明を加えたという話なので、これについての議論は他日に譲ることにする。私がここで改めて論及したいのは、旧来わが国に固有の文明の事物を、保存したいという問題である。これについても、重ねて帝室を頼みとせざるを得ないのである。
そもそも政治革命は、人心にはなはだしい激震を及ぼすものである。政府がここに一新すれば、人心もそれに従って一変し、人々の嗜好の趣も以前とは変わることが多い。ことに、わが日本の近時の革命(明治維新)は、たんに内国政治が変換されただけでなく、ちょうど外国との交際(外交)の新時代にも際会したため、外の新奇なものが流入してきて、内の旧套(昔の古い形式)が侵蝕された例が少なくない。
実際問題、旧時代の事物だといえば、それが役に立とうが立つまいが利害得失を弁別することもない、旧い(ふるい)ものに対して何にでも「旧」の字に「弊」の字を加えて「旧弊」なものだと決めつけてしまう。この「旧弊」という熟語は下層社会にまで浸透し、これも旧弊だ、それも旧弊だ、とばかりに旧時代の事物を破壊する者は、世間から「識者」であるかのように見られる有り様だ。そんな勢いで、内と外の両方の力で人心をひっくり返したため、その有り様はあたかも秋の枯れ野に火を放ったかのようで、際限なく燃え広がり、ほとんど旧来の文明を一掃してしまったと言ってよい。
太陽暦を採用して五節句を廃止し、三百藩を廃して城郭を破壊し、神仏混淆を禁止して寺院の景観を傷つけたようなことは、今さら回復するのも難しかろう。また今となっては実際、利害関係に鑑みて回復できないケースもあるだろうから、これの問題はしばらく不問に付することにする。
ここで私が特に注目するのは、日本固有の技芸である。今日それを保存したいと寛げれば難しいことではなく、逆に放置閑却すれば、根絶する恐れのあるもの、これである。
日本の技芸には、書画があり、彫刻があり、剣槍術、馬術、柔道、相撲、水泳、諸礼式、音楽、能楽、囲碁将棋、挿花、茶の湯、薫香など、その他大工左官術、盆栽植木屋術、料理割烹の術、蒔絵塗物の術、織物染物の術、陶器銅器の術、刀剣鍛冶の術など、私はこれらすべて逐一記することはできないけれども、その項目はおびただしい数にのぼることだろう。
これら諸芸術は日本固有の文明であり、今日その勢いは、すでに激震に襲われて次第に衰えようとしているため、それが消滅しないように救出することは、実に焦眉の急であると言わねばならない。
なぜなら芸術は、数学・工学・化学などと違って数値と時間で計量できるものではなく、規則・法則の解説書で伝えてゆくことができないからである。ことに日本古来の風習として伝承されてきたものの中には、規則にのっとったものであっても、人から人へ、家系から家系へと秘法が伝えられてきたものが多く、その秘伝は個人の内部に保持されているため、その人が亡くなればその芸術も滅んでしまうのは当然の運命である。今日そういう人は細々と生き残っているが、その人もまさに余生残り少なくなっているのである。
今、こうした火急の事態を救出するには、どのような方策をとるべきだろうか。こうしたものを今日の文部省に託すことはできない。実際、託そうにも、省の資格では実行しがたいことが多いだろう。ましてや国会開設後の政府では無理というものだ。国会の政府となれば、ただ冷やかな法律と規則に依存し、道理の中に局促して(束縛して)、かろうじて国民の外形を管理するだけのことだから、そうした政府の高官が、眼前の法的な人間社会問題に不要な芸術を、管理支配して、特にこれを保護奨励するというようなことは、まったく想像もできないことである。このような場合に唯一、頼みとして望みをつなげるのは、ただ帝室あるのみである。
帝室は政治社会の外に立って、高尚な学問の中心となり、同時にまた、諸芸術を保存して衰頽から救いたまうことがおできになるのである。

福沢諭吉「帝室論」現代語訳 10 に続く。


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消えた二十二巻

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