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「銀魂」考 最終回 TPPと復興と銀の魂

「銀魂」考 最終回 TPPと復興と銀の魂

まず、アニメ「銀魂」から。

20年前の天人襲来、国交とは名ばかりの支配欲ムキ出しの天人の強硬姿勢。知っての通り、幕府と将軍はビビリ倒し、簡単に折れた。(179話・服部全蔵のセリフ)

ようやく豊富な資源を喰い漁る権利を分けてもらったのに、そんなことされちゃ商売あがったりですね(215話・神威のセリフ)

服部全蔵のセリフは、地球(日本)が天人(外国)からの強引な態度に屈服したときのことを説明したもの。幕末の黒船来航ということになるでしょうが、これは現代日本の暗喩ともいえるだろう。
天人襲来 TPP
いまの日本でいえば、幕府は政府、将軍は首相となるだろう。となれば地球・日本を貪り食う天人・外国は、アメリカとなるのか、中国となるのか?(悲しいかなこれが現実です) もうすでに日本はどこかの国の属国だ、と政府の要人(仙谷)が言うくらいですから……。
三島由紀夫の予言めいた言葉から

「日本は変なことになりますよ。ある日突然米国は日本の頭ごなしに中国に接触しますよ、日本はその谷間の底から上を見上げて、わずかに話あいを盗み聞きできるにとどまるでしょう。わが友台湾はもはやたのむに足らずと、どこかに行ってしまうでしょう。日本は東洋の孤児となって、やがて人買い商人の商品に転落するのではないでしょうか。いまや日本の将来を託すに足るのは、実に十代の若者の他はないのです」

平岡梓著「倅・三島由紀夫」(文春文庫)から。(詳細は過去記事で。)
もう40年以上前から、日本はアメリカや中国の食い物とされると予言されています。

神威のセリフは、天人の「宇宙海賊・春雨」の提督との会話。つまり地球(日本)をどう食い尽すか天人同士で謀議しているといった場面。これも今の日本に置き換えれて訳せば「ようやく日本の豊富な資金・カネを食い漁る権利を得ようとしているのに、邪魔されたら、こっちの思惑が外れちまうじゃないか(大統領選挙が近いのに、または、共産党主席争いがあるのに)」といった具合でしょう。
なんかこれって「TPP」に似てはいないか。
tppと銀魂
(「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった」中野剛志、東谷暁、三橋貴明 )まさにこれ。表紙が全てを物語っていますね。

そう考えていけば、「銀魂」で描かれている世界観は、案外現実の日本に近いのかもしれない。
この辺りは第1回や第5回で説明した通りで、それは、天人たちのセリフでも十分に分かる。
「天人に食い尽くされ、醜く腐り落ちるこの国」「負け犬なら負け犬らしく指をくわえて見ておればよいのだ。この国の女たちが我等強者に蹂躙される様を!先に逝った仲間たちと一緒に、あの世でな!」などなど。
「銀魂・かぶき町四天王篇」は、天人の華陀が、かぶき町の住民たちを内輪で争わせて、そのうちに町を乗っ取ろうとする筋だが、かぶき町を日本国、かぶき町の住民を「哀れなサルどもの日本人」と置き換えてみれば分かりやすいだろう。(結果、この町を天人から護ったのが銀時や次郎長らサムライと、町の住民たちだ。つまり町=国を護るには、町人=国民が一体にならなければ護ることなどできない、ということだろう。次郎長の天人相手に「かぶき町をなめんなよ」という啖呵も、「日本をなめんなよ」という意味になります)
その中で、西郷のセリフに「本当の敵は別にいる、気付いたときにはもう遅い」(213話)というのがある。
これは今の日本の現状だろう。
ラジオ番組であるTPP賛成のキャスターが「アメリカの陰謀論なんてありはしない、妄想ですよ」とせせら笑っていた。日本がアメリカの属国のごとき状態になっていることを「良し」としているようだった。中でも毎日新聞の編集委員・潮田道夫の社説は笑ってしまうほど脳天気だった。(探して読んでください。(笑)というより(殺)という感じになりますから)
どこかの強国の傘下に入ることが「グローバル化」だと勘違いしている論者がいかに多いことか。そんな人たちが我が物顔でマスコミを牛耳って、情報操作をしている。中野剛志が怒るのもよく分かるというものだ。

82話に、「世の中カネなんだよ」という地球人(ハム子の彼氏)に銀さんがブチ切れてこんなセリフを言う。
「人間を食いものにする天人、それに甘んじ、しっぽを振って奴らの残飯にがっつく人間ども。豚はてめぇらだ。薄汚ェ豚を護るなんて、俺はゴメンだぜ!」
第1回で井沢元彦の本から、幕末に国を裏切る日本人が出なかったことが、明治維新の成功につながったという部分を引いた。
幕末の開国のような事態が、今の日本でも「TPP」によって起ころうとしている。状況は似ているだろうが、決して結果は同じにはならないだろう。それは「しっぽを振って外国(アメリカ?中国?)の残飯にがっつく日本人」が大勢いるからだ……。
今の日本は、国の中に「国を売る奴」ばかりになってしまった。拝金主義者が正義のようになって、カネ儲けだけで世の中が動くようになってしまった。(いまだにホリエモンを支持する人がいるくらいだから)
三島由紀夫が将来に託した十代も、今や50代、60代だろう。悲しいことに、この年代がいまや最も金銭欲にまみれている。(将来の日本のことも考えずに、自分らが貰う年金こと心配ばかりして、そのくせ税金は払いたくないとか。)
TPPも金銭的国益が云々といった議論ばかりだが、それとは別に失うものものがあるのではないか。利益優先の思考によって失ってしまうものがないのか、大国に押し切られるだけのものに参加して自国のアイデンティティは保たれるのか、そういう疑問ばかりが浮かぶ。TPPの制度そのものの前に、何か釈然としないものを感じるのは、まさに「銀魂」に出てくる地球人(日本人)を貪り食う天人(外国人)のような存在にしかアメリカが見えないからだ。

さて、前に「日米同盟は織田・徳川同盟」に似ている、という記事を書いた。
信長の実質的支配下にありながらも、徳川がその中に呑みこまれずに独立性を保っていられたのは、徳川・松平一族に「三河魂」があったからだ、というもの。
詳細は「日米同盟は織田信長政権下の徳川家康に似ている。ならばそこから得られる教訓もあるはずだ。」の記事で。
銀魂 家康公「銀魂」で再三登場する「家康公の像」
自分の国を失わないために必要なのは、武器でもカネでもない、最終的には「魂」となるのだ。
「銀魂」考のテーマはここにある。

これは、三島由紀夫の「栄誉の絆でつなげ菊と刀」に通じるところだろう。
これも詳細は過去記事で。「守るべきは日本文化! サブカル好きもポップカルチャー好きも、神社に集う歴女もアニオタも、みんな三島由紀夫が命に代えて主張したことを聴け!
(三島の思想が最も分かり易く、しかも凝縮されて書かれていると文章だと思う)
そう、やはり「魂」なのだ。
「銀魂」という物語が、なぜ「銀の魂」というタイトルなのか、その答えがそこにあると思う。

215話の天人のセリフ

サムライといったが、開国のおり、棒きれ一本で、最後まで抵抗したという蛮族どもの残党だ。

統治者・天人(外国人)から見れば、半植民地状態にある住民(日本人)はサル同様の蛮族だろう。だかこの国には「さむらい」という者たちがいる。彼らは「侍魂」というものを持っている。この国の国民は「大和魂」というものを持っている。
攘夷戦争 次郎長(「攘夷戦争」で天人と戦う次郎長とそこで命を落とした辰五郎)
実際に武器を持って立ち上がらなくたっていいだろう。しかしこの「サムライ魂」という気概だけは、「日本人」は心の中に秘めていてもいいじゃないか、と思う。
棒きれ一本そして銀さんのように「棒きれ一本」でも、その「魂」は護れるはずだ……。

以下、余談。
銀魂 はるさめ宇宙海賊・春雨が敵方としてよく登場する。説明では「天人で結成された宇宙海賊団で、銀河系最大の犯罪シンジケート。非合法薬物を主な収入源としており、地球でも密売を行っている。」とある。
その旗、よく見ると「韓国の国旗」に似てないか。(自分のブログに韓国の国旗は貼りたくないので、各自見てくださいね)
日本を食い物にする韓国?って、昨今の日本の市場の荒らし様を見ていると、これ笑ってもいらなれない状況だ。歴史問題では中国について反日活動、経済や軍事ではアメリカについて日本の経済を食い漁る。日本の国力が弱くなったと思えば「独島は俺たちのものだ」「日本海なんて書いてある世界地図は許さない」「放射能が来たから賠償金を払え」……そんなことをばかり言いまくる。まさに海賊みたいな国じゃないか。それにもまして問題なのは、これに便乗して「しっぽを振って奴らの残飯にがっつく」日本人がウジャウジャいるということだ。「韓流ブーム」だか何だか知らないが、これに踊らされるバカな日本人がいて、「韓国ドラマを見てグローバル化だ」なんてアホなことを言うエセ学者や軽薄文化人が大勢いる。「嫌なら見なければいい」なんて言う面白くない芸人がいれば、「K-POP最高」なんて言って仕事が増えた売国タレントもいる。
関連記事「「フジテレビの韓流ごり押し問題」のまとめ
この韓流ブームごり押しの一連の件で分かったことは、民衆なんてものはマスメディアの偏向で容易く流される、という事実だ。
本題からずれてしまった。
そういえば余談ついでに、232話から始まった「蓮蓬篇」って、民主党の蓮舫をまさにおちょくっているが、これなんかも売国政党・民主党を揶揄しているように思えてならない。
(追記、AT・Xの再放送で 『銀魂』第232話、第234話が放送中止となったのは、蓮舫・民主党の圧力か? これが事実ならば許されることではない。)
銀魂の根底にある「カーニバル・ええじゃないか」は反体制への批判だから、これもそう捉えてもいいかもしれない。
まあまあ、これらはあくまでも余談です。


総まとめ
さてさて、だいぶ長いこと「銀魂」考を書いてきました。
目次
1、「銀魂」考 前口上
2、「銀魂」考 第1回 植民地化された「サムライの国」、その世界観
3、「銀魂」考 第2回 なぜ「銀の魂」なのか?
4、「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その1 「銀魂」は怨念を残した者たちの「鎮魂劇」である
5、「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その2 「銀魂」は「カーニバル」と「ええじゃないか」だぁ、だぁ、だあ!
6、「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その3 「桜は死と再生の樹」と「国ほめ」
7、「銀魂」考 第4回 あの塔は何だ? 生と死とリンガ
8、「銀魂」考 第5回 滅びゆくサムライの物語
9、「銀魂」考 第6回 たましいの物語 「たま」と「神楽」と「狛犬・神子(定春)」
10、「銀魂」考 第7回 継承の物語
11、「銀魂」考 第8回 成長物語
12、「銀魂」考 最終回 TPPと復興と銀の魂
となります。
全体の流れを簡単に掻い摘んでみましょう。
天人の支配下にある地球人という設定は、外国人によって植民地状態にされた日本人という設定であり、これは現代日本の暗喩でもあるということ。その支配を象徴しているのが「ターミナル」である。
タイトルの「銀魂」は、「銀」が日本人を意味し、「魂」はサムライ魂であり、大和魂である。それを象徴しているのが「桜」である。
この物語全体を通して行われているのが、「鎮魂」「慰霊」「昇天」であり、そのために必要なのがバカ騒ぎの「カーニバル」や「祭り」、「酒」や「花見」である。(時には猥雑な騒ぎにもなる。下ネタ、裸、男根などは「祭り」の根本的要素である)
銀魂 花見と酒 
これは、現代の歌舞伎であり、霊魂を鎮める「鎮魂劇」である。
また、「死と再生」「破壊と復興」を行うために「たまふり」が行われる。
この象徴が「桜」や「月」や「塔・ターミナル(=男根)」などである。
銀魂 月とターミナル 129話(129話から)
そのためのメタファーが「たま」「神楽」「神子(定春)」であり、敗者・無念を残して死んだ人物を登場させることによって、鎮魂が行われている。
そして、この鎮魂は継承されなければならない。
日本人にとって大切なのは、この「魂」であり、この魂は次の世代へ継承されなければならない。
これは、親から子へ、子から孫へ、師匠から弟子へと受け継がれなければならない。
そのために、少女や少年は魂を受け継ぐために成長しなければならず、そこに必要なのが地域コミュニティーや指導者(インストラクター・師匠)である。

これは「歴史・文化・伝統」を守るということであり、まさにこれこそが「保守思想の本質」なのではないかと、思う。

さて、平成23年3月11日に東日本大震災が起こった。
これは、日本に大きな傷跡を残した。
今、日本に最も必要なのは「鎮魂」だろう。(韓流ブームではないことは間違いない、でしょ、フジテレビ……)
ここで、資料編29回目 「復興と桜と継承」 新聞から切り抜きを参照してください。

資料編で引いたように何故時期はずれの「桜」が咲くのか。
これは「桜」の回で見たように、その「桜」に「死と再生」の意味があったからではないのか。

資料編で引いたように、なぜ伝統の祭りが行われるのか。
これは、「祭り」の回で見たように、そこに「たまふり」や「鎮魂」の意味があるからではないのか。

資料編で引いたように、なぜ鎮魂の祭りは継承されなければならないのか。
これは、「継承」の回で見たように、「鎮魂」は次世代へと受け継がれていかなければならないからではないのか。

なぜ偶然にも「東京スカイツリー」が震災のあった同じ時に建ったのか。
「塔」の回で見たように、あれは「死と再生」「破壊と復興」の象徴となるためではないのか。

なぜ、いまここで「銀魂」を語ってきたのか。
そうこの物語には「死から再生」「破壊から復興」へのテーマがあるからに他ならないからだ。

桜と銀時

最後に銀さんから一言
「てめぇら、銀魂ついてるんだろうが!!!」
これ、結構深い思いがあると気付くはずです。


ということで、「銀魂」考、これにて終了です。
長かった……。
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「銀魂」考 第8回 成長物語

「銀魂」考 第8回 成長物語

動物としての攻撃性と文化的抑止力
哺乳動物は脳の深いところで性欲と攻撃欲、食欲の中枢が接近しているため、これらの興奮は互いに他の中枢と関連し、性欲動は攻撃欲動と結合しやすい。このことは動物としてのヒトが本来持っているものであり、とくにオスの場合には性行動は攻撃性が高い。他のオスを縄張りから排除し、メスの抵抗を殺いだうえで性行為が営まれるからだ。
ただし人間の場合、子供が社会の中で育っていくにつれて、大脳皮質に“文化” がインプリントされてゆくことで抑止力が機能し、ヒトは次第に残酷なことができにくい生き物に成長してゆく。ヒトは、狩猟段階にあったときに濃厚に宿していた攻撃性を、農耕や牧畜を始めることによって、共同体のモラルのなかで次第にブレーキが効くものへと昇華させていった。(「キーワードでわかる最新・心理学」成田毅・編(洋泉社新書)から)


神楽4
銀魂考第6回で「神楽」という名称から「鎮魂」や「たまふり」といった役目があることを見てきました。そして第7回では、その魂の継承が銀時からなされているというのを見てきました。
今回は神楽の成長物語として銀魂を見ていきましょう。

さて、彼女の重要な特徴(設定)として「夜兎族」というのがあります。
Wikipediaの説明では以下の通り。

また夜兎族は肉弾戦の戦闘力が高く俊敏な戦い方をし、極めて残忍な攻撃をするのも特徴。そのため夜兎の本能を嫌い、人を殺めることを恐れる余り普段は無意識の内に本来の能力を抑制してしまっている。
しかし、吉原炎上篇では新八の危機に瀕した際に血の抑制が効かなくなり暴走し、戦場経験が全く無いにもかかわらず歴戦の傭兵・阿伏兎を圧倒した。自身の身体を守ろうともせずひたすら攻撃に徹し殺戮を楽しむその姿から、実際は兄同様に夜兎の血を色濃く受け継いでいることが窺え、阿伏兎に「バケモノだ」と言わしめた。しかし本人は新八の捨て身の説得により正気に戻った後自らの行為を悔やみ「自分(の本能)に勝てる程強くなりたい」と願っている。吉原炎上篇以降は「神威に自分に負けない位」強くなる為に新八と共に修行に励んでおり、かぶき町四天王篇ではその甲斐あってか西郷を一撃で倒している。

吉原炎上篇で覚醒した神楽はこの通り。
神楽 覚醒(142話)
まるで「爬虫類」のように目を見開き、本能むき出しの攻撃性を表出させている。
夜兎(やと)とはよく付けた名前で、これは「常陸風土記」に出てくる「夜刀」神のことだろうか。「継体天皇の御世、行片郡に荒地を開墾すると蛇(夜刀神・やとのかみ)がたくさんおって、害をして困るので、杭を立てて人と夜刀神の池とを分けることに定め、これだけの地は神にさしあげ今後、祟らぬように永久にお祭りをすると約束した話」がある。
つまり「夜兎・やと」とは「ヘビ」を意味しているのだろう。
これは、「やと」という名称が、ヘビ、爬虫類脳のメタファーであるということではないのか。

アメリカの脳生理学者P・D・マクリーンは、行動との関係から、人間の脳は3つの働きから階層的に構成されていると考えた。脊髄や中脳(脳幹の一部)などからなる爬虫類脳、大脳辺縁系からなる旧哺乳類脳、新皮質からなる新哺乳類脳である。爬虫類脳は、呼吸や生殖、闘争や支配など個体と種の保存にかかわる機能を持つ。爬虫類脳をとりまいている旧哺乳類脳は、喜怒哀楽と記憶を司り、比較的単純で定型的な爬虫類の働きを柔軟に変えることができる。最も外側にある新哺乳類脳は、感覚情報の処理、精密な運動制御、創造的活動を行い、遺伝的制約を越えた比較的自由な働きをする。この3つの脳は、生物の進化の流れにそって、古い爬虫類に新しい旧哺乳類脳が、さらに新しい新哺乳類脳が付け加えられるように発達してきた、とマクリーンは説明する。つまり、人間は、単純な行動を担う古い脳に新しい脳を追加していくことにより、大脳を大型化させたといえる。図解雑学「発達心理学」(ナツメ社、山下富美代・編)


脳
爬虫類脳は、呼吸や生殖、闘争や支配など個体と種の保存にかかわる機能である。
アニメ142話、神楽と戦う同族の阿伏兎のセリフから。

血の命ずるままに戦う兄と、魂(こころ)の命ずるままに戦う妹。いや血で戦う兄と血と戦う妹と言った方がいいかね。
人を殺めることを恐れるあまり、無意識に夜兎の血を抑えこんできた鎖が、仲間の危機に瀕して理性とともにはじけ飛んだか。
殺すがいい、本能の命ずるままに、どれだけ血に抗ったところで、お前は兄貴と何も変わねェ。お前は結局は兄貴と一緒なんだ。血に従って殺せ、夜兎を誇って殺せ。

面白いのは原作では「血」となっているところをアニメ版では「本能」に言い換えているところ。(またアニメ版でも、「魂」と書いて「こころ」と読ませている)
たしかに爬虫類脳の抑制力という意味では「血」よりも「本能」の方が的確だろう。
本能を抑制する力は、資料編の
第16回  自己の感情コントロール その1 アンパンマン考の続きから
第17回  自己の感情コントロール その2 資料編17回目 発達心理学から1
でまとめてありますが、少し引けば「動物が高等になってくると、むしろ大脳皮質、前頭葉が抑制をかけるということになります。人間の脳は簡単にいうと、進化的には古い脳であり生存に必要な機能を司る脳幹、情動と関係があると考えられている大脳辺縁系、学習、思考、認知などと関係する新しい脳である大脳皮質の三つの階層構造になっています。脳幹、辺縁系の本能的、情動的な働きを大脳皮質が抑制して、そのバランスで成り立っている」とある。つまり、人間の脳は、原始的本能的な脳・爬虫類脳に覆いかぶさるように、哺乳類脳や理性脳が作られていったことになる。
そして、「大脳皮質の場合は、認知、つまり学習して獲得し、こういう状況ではこんなことをしてはいけないという判断がすり込まれないと、抑制がかかりません。人間の異常な攻撃性を抑制するには、そのための教育などによる、前頭葉からの抑制の強化が必要かもしれません……(人間は)攻撃性や残虐性を持っていると考えるべきで、それゆえにこそ己の心と行動への監視や見直しを怠るべきではない」と説明がある。
なるほど、攻撃性の抑制には経験や学習が必要だということだろう。
では、その本能の抑止力は何によって作られるのか、それが資料編の
第18回  自己の感情コントロール その3 資料編18回目 発達心理学から 2 
第19回  自己の感情コントロール その3 資料編19回目 発達心理学から 3
第20回  自己の感情コントロール その4 資料編20回目 心理学も脳科学も神道もアンパンマン考も同じことを説いている
となります。

アニメ29話では、神楽が自分自身に「大人になれ!神楽」と言い聞かせている。
そして常に「強くなりたい」と願っている。
銀魂 強くなりたい
ここでいう神楽の強くなりたいというのは、肉体的強さではなく「自分自身をコントロール」する抑制力にあるのだ。
そう、本能や衝動をコントロールすることができてはじめて「人間」と呼ぶことができる。それが出来ない者は人の形をしていようが、「けもの」と同じなのだ。
そのために必要なのが、「アイデンティティの獲得」や「自律性の確立」や「道徳的価値判断を養う」ということになる。
この辺りは「資料編」で。

143話の神楽と新八と会話から。

銀さんと…約束したんだ。神楽ちゃんは僕が護る。僕が…神楽ちゃんを…僕らが信じる神楽ちゃんを護るんだ。夜兎でもイカれた兄貴の妹でもない。ぶっきらぼうで生意気で大食らいで、でもとっても優しい女の子。僕らの大切な仲間を護るんだ。お前なんかのために神楽ちゃんの手は汚させはしない、目を覚ませ神楽ちゃん!

私、負けてしまったアル。夜兎の本能(血)に…自分自身に。殺そうとしてたアル。偉そうなこと言って結局、私、あつつらと、兄貴と、何も変わらなかった。

そんなことないよ、神楽ちゃん、僕らを護ろうと戦ってくれたじゃないか。ゴメン僕が弱いばっかりに、僕がもっと強ければ…

何も見えない、何も聞こえない、ドス黒い闇の中で、聞こえたアル。お前の声が、私を護ってくれたのは新八、お前アル。私悔しい、もっと強くなりたい。みんなを護れるくらい。誰にも自分にも負けないくらい。

僕もだよ。でも今は、こんな僕らの力でも必要としてくれる人たちがいるんだ。僕らにも護れるものが今あるんだ。いつだって何かを護る度に、ちょっとずつだけど、僕ら強くなってきたじゃないか。だから涙をふいていこう。きっと僕らまた、また一つ強くなれるさ。

こんな部分を拾っても「銀魂」物語は二人の成長物語という要素が多分に含まれていることが分かる。
資料編から。

道徳的価値判断は、小さいときからの他の人々との生活(社会生活)の中で発達していく……。道徳的価値判断の基準を、他の人々の行動を観察したり、様々な社会経験を積み重ねていくうちに身につけていく。このような価値判断の基準となるものの習得は、自分の善し悪しの判断と、他の人のそれらの判断が異なっていることに気づき、その違いを解消しようとすることにはじまる……。

そして、この指導者が銀時であり、お妙であり、桂であり、長谷川さんである。(もちろん良い面ばかりではなく、反面教師としても。)
銀魂 インストラクター「147話・全ての大人達は全ての子供達のインストラクター」(全編ギャグ回だが、最後の1分にすべてが込められている。)「己の道は誰にも頼らず己で決める。修行第一関門突破だな。俺たちはいつでも見守っているぞ」というセリフとともに、彼らが神楽や新八の指南役・指導者であることに間違いない。
189話「ラジオ体操は少年少女の社交場」でも彼らが神楽をサポートし、見守っている。この保護者的視点はいつも言うところの「さわ子視点」なのだ。
「けいおん」の成長物語の説明にも使ったジェームズ・ボネット著「クリエイティブ脚本術」(フィルムアート社)から引いてみます。

①アーキータイプ(元型、典型) ヒーロー(エゴ)欲望
発生期のエゴ  今にも目覚めてヒーローに形を変えようとする時期。意識を確立するプロセスに入ろうとするのは意識自身が欲していることでもある。成長したいという望み、人生において何か意味のあることをしたいという望み、何かに貢献して、潜在能力をすべて使いという望みは意識が持っている。
問題を認識したり、責任を自覚したり、誘惑に耐えたり、幸福を分け合うといった発想は人の中から芽生えてくるものであり、それはエゴの利己的でない、ポジティブな側面であるということができる。
物語における発生期エゴは自分自身を証明する前の物語の序章の部分の主人公にあたる。「スターウォーズ」ではオビワンに出会う前のルーク、街でぶらついていたころの「ロッキー」、「羊たちの沈黙」ではレクターに会う前のJ・フォスター、「恋に落ちたシェークスピア」ではビィオラに会う前のシェークスピア。観客はヒーローを見極め、そのヒーローは観客を引き込んで、物語が推移(ヒーローの心理変化)しながら導いていく。 ヒーローがエゴの元型であればある程物語の受け手は強くヒーローに自分を重ねることになる。そしてヒーローが自分もそうなりたいと思えるような存在であったなら、その物語は受け手の人生に大きな影響を与える。

青年期は児童期と成人期の間にあり、子どもから大人へと成長していく過渡期にあって、人生の指導者を必要としているのだ。
この神楽の指導者がサムライ魂を持った銀時である。
前にも引いた、アニメ42話・神楽が父・星海坊主に宛てた手紙で「サムライ」をこう評している。

私はいま「サムライ」という不思議な連中の住む「エド」という町に住んでいます。
彼らは本当に不思議な生き物です。普段はみんな弱くって、しょぼくって、ダメ野郎ばかりなのに、いざという時は「武士道」という信念で自分をたたき上げ、絶対に折れない屈強な精神になるのです。
夜兎も人間も変わりません。みんな自分と戦っています。ここでなら自分は変われる気がします。きっと自分に負けない自分になれると思うのです……。

つまり神楽は感情のコントロールや自己のアイデンティティの確立を「サムライ」魂によって成し得ようとしているのだ。
ここが実に面白い。
「お前らと一緒にするなと言ってるアル。夜兎の血に流され戦場をさまようだけのお前らと……。私は自分の戦場は自分で決める血でなく魂(こころ)で。自分の護りたいもののために戦場に立つアル。」
そう、サムライである銀ちゃんを師匠としているのですね。
神楽は天人(外国人)であり地球人(日本人)ではない。しかし大和心を学び、サムライ魂で自己の確立を求めている。
まさに日本文化を継承する者が日本人だという説明にもかなうのだ。
第21回  「日本文化を継承するものが日本人だ、と思う。 」その2
そして、抑制力や感情のコントロールを、新渡戸稲造は「武士道」の中で「サムライ」の魂で説明し、神道では「荒魂」や「和魂」で持ってこれを説明しているのだ。
(これは資料編20回目、銀魂考の第5回)


またこれらの感情のコントロールは、家族や社会とのつながり、コミュニティーの参加によって作られていく。
「自己統制力を身につけさせるためには、親子、兄弟など、家族関係の在り方や親の子育ての仕方がどうあるべきかがまず問われることになります。」(資料編から)
銀魂 コミュニティー神楽の回りには地域コミュニティー(かぶき町や吉原)がある。
社会性や道徳的価値判断を育てるのは、「地域コミュニティー」や「共同体」が重要なのだ。
ここで、過去記事「マイケル・サンデルか池田信夫か、どちらが正しいのか? 大震災のときだけコミュニティーの大切さを問うのでは意味がない。
(これを改めて読んで自分自身が驚いた。これを書いたのが1月で、この2ヶ月後に、「東日本大震災」が起こったことになるのだから。まさかこんなことが起こるとはその時は思いもしなかかっただろうが……。)
少し引いてみましょう。

日本では戦前、神道、儒教の考え方が道徳の基礎にあった。これが戦後、否定され、伝統的な宗教の弱体化が道徳性や精神性の喪失につながっている。これを埋めていくことが社会全体として求められる。サンデル教授は、アリストテレス以来の美徳の促進を正義とする考え方を提起しながら、今、どういう共同体が可能か議論している。日本では、日本の伝統、東洋の伝統も踏まえて議論することが大事だろう。

日本には日本独自の「共同体・コミュニティー」があるのだ。いま必要なのはこういうことでは。

さてさて、銀魂を良く見れば分かることだが、銀時が護っているのは、国でも、政治体制でも、思想でもない、自分自身のコミュニティーだというのが分かる。(かぶき町四天王篇が特に)
そう、彼が護っているのは、簡単に言ってしまえばそれは「絆」なのだ。
銀時を取り巻く人たち、神楽や新八、お登勢にたま、キャサリーンたちは「血」でつながっている訳ではない。
だがその結び付きは家族以上だろう。
だから、両親のいなかった銀時と、母親を亡くし父親と離れて暮らす神楽と、これまた両親のいない新八が、一つの「家族」を作っているところに、見ている側も特別な感情を抱くことになる。
この世界で求められているのは断ち難い結び付き「絆」なのだ。

だから「銀魂」世界の根底にあるものは、「絆」であり、またそれを護るための「魂」なのだ。
したがって、少女・神楽も成長すればこの魂の継承者となるはずだ。

次回に続く。
次が最終回です。

追記 最近の「銀魂」がヒドイという話をよく聞く。たしかに「下ネタ」ばかりで、見ていてガッカリする。過去にあった「人情話」が全くないのも残念だ。
2期は「かぶき町四天王篇」と神楽回と高杉と神威の回くらいしかいいのがない。
いい加減「銀時・桂・高杉の幼少時代」とか「攘夷戦争」とか「外伝で次郎長と辰五郎」とかやってくなんないかな。
とにかく、かっこいい銀さんが見たいのだか……。
このままだと、普通の下ネタギャグアニメになってしまうよ。

「銀魂」考 第7回 継承の物語

「銀魂」考 第7回 継承の物語 

銀魂の話なのに、まず、こんな話から入る。

「龍馬伝」の岩崎弥太郎役で国民的俳優となった香川照之(45)が、市川中車(ちゅうしゃ)を襲名。来年6、7月に新橋演舞場で行われる「初代市川猿翁 3代目市川段四郎50回忌追善興行」で、歌舞伎に初出演する。
 香川はスーパー歌舞伎で知られる市川猿之助(71)の息子だが、生まれてすぐに両親は別居。母親の浜木綿子(75)と暮らし、猿之助とは絶縁状態だった。25歳で父の楽屋を訪れたときも、「あなたは息子ではない」「二度と会うことはない」と突き放されたという。本人が雑誌で告白している。それが突然、2人そろって会見し、沢潟屋(おもだかや)として舞台に立つというのだからビックリだ。
「父と子の関係を修復させたのは、2年前に亡くなった藤間紫です。長年、猿之助を支え、00年に正式に入籍した舞踊家。香川に長男政明が生まれた04年ごろ、2人が会う機会を設けて、空白の時間を埋める手助けをした。そこから少しずつ、父・子・孫で過ごす時間が増えていったのです」(芸能関係者)
 27日の会見で香川は、「今年の春から父とともに3世代で同居している」と話した。関係は良好のようだ。
 来年6月の興行では、亀治郎の4代目猿之助襲名も披露される。亀治郎は独身で子どもがいないため、5代目を名乗るのは市川団子(だんこ)を襲名する政明(7)となりそう。香川もそれを望んでいるという。2011年09月29日 ゲンダイネット

なぜ、これ?って思われるでしょうが、ここで取り上げたいのは、これが「継承の物語」の一例だということ。
「歌舞伎の伝統を守らなければならない思いが強まった。」という香川の意志は、父から子へ、子から孫へ継承されるということになる。まあ、いろいろあるでしょうが、これはいい話でしょう。そして、印象的だったのは、子・政明くんがちゃんと挨拶できたこと喜んで、父・香川照之が頭をなでるという場面だった。
香川照之 継承
まさにこういうのが、父から子へ、師匠から弟子への「継承」の表徴となっている。
何が継承されるのかって? それは「魂」です。

さて、本題へ。
銀魂は魂が継承されていく物語だ。(断定)
それは師匠から弟子への「継承の物語」である。
こんなシーンがある。
神楽の頭をなでる銀さん(126話「文通篇」から。少年少女の自立の話から、神楽の父親代わりをしている銀さんが頭をなでるというシーン。決して鼻クソをつけているわけではありません)
銀魂 頭をなでる銀さん 2(これは213話「かぶき町四天王篇」、死地に向う銀さんが「後は頼む」と言って神楽の頭をなでるという場面)
家族のなかった銀時が、自分の娘のように神楽と接する姿と、神楽が実の父親に対いするような疎ましさと少しの尊敬の念とがない交ぜとなった感じ、この微妙な関係が「銀魂」物語を更に面白くさせている。(私には娘がいるので余計にここは面白く感じられるのかもしれない。たぶん銀時やお妙や桂のような「保護者目線」で神楽を見ているのだろう。「けいおん」でいうさわ子の目線だ)
そして、新八同様、神楽は銀時の弟子の関係にあるのだ。
それは、サムライ魂を受け継いでいることになる。神楽がサムライによって自分を変えようとしているのは、父への手紙で分かる。内容は第5回で。(神楽の成長物語は第8回になります。)

「継承の物語」の説明は資料編では、
第12回  「継承の物語」その1 「ゴッドファーザー」 資料編12回目
第13回  「継承の物語」その2 クリント・イーストウッド  資料編13回目
第14回  「継承の物語」その3 スターウォーズと黒澤明 資料編14回目
第15回  資料編15回目 「継承の物語」その4 「けいおん」は「継承の物語」である。
となります。
特に第12回。ここでは映画「ゴッドファーザー」の父から子への継承の場面はドンとマイケルの対話シーンにあたり、小道具としてはワイングラスが使われていました。
それに、資料編第15回では「けいおん」といった何気ない物語の中にも「継承の物語」というものが存在することを解説しました。(「さわ子→唯たち→梓」という風に「けいおん魂」は受け継がれています。何の「魂」かは本文で)

では、「銀魂」の「継承の物語」を見てみましょう。
まず、師匠や親が、弟子や子の頭をなでるというシーンが「継承」を示している場面が多いのだ。
この頭をなでるというシーンは結構あって、分かり易いのでいくつか拾ってみましょう。

銀魂 頭をなでられる3これは、映画「紅桜篇」。村田鉄子の幼少時代に刀匠の父から頭をなでられ「どんな剣を作りたいか」と訊かれるという場面。鉄子はこのとき「人を護る剣」と答えるが(これが映画の重要なテーマの一つとなっている)、ここで父から子への継承が表徴的に行われたことを示している。
銀魂 頭をなでられる銀時映画「紅桜編」の幼少時代の銀時が師匠となる松陽先生から頭をなでられる。銀時や桂、高杉の回想として師匠・松陽先生は物語の所々に挿入される。
師匠・松陽先生の魂が弟子の銀時や桂、高杉に受け継がれていったことがこの物語のキーポイントであることが随所に示される。
こうしてみれば、映画「新訳紅桜篇」は、刀匠の父から兄と妹への継承物語と、松陽先生から銀時らへの継承の物語が重なっていることが分かる。しかも同じ師匠から継承されながらも、兄と妹、高杉と桂、というように途中から進むべき道が違ってしまうことから起こる諍いや悲劇を描いていることになっている。この二重構造も良く出来た筋書きです。

ではテレビ版から。これは52話。銀時の隠し子騒動の話。
銀魂 52話 
戦いを終えた後、自分に似た赤ん坊とミルクで月夜の花見をした銀時がこんなセリフを言います。「そうさな、お前がもうちょっと大人になったら、その時に俺のことを憶えていたら、また会いに来い。そん時は(酒を)付き合うよ。あー約束だ。サムライは果たせない約束はしねぇもんだ。せいぜいいっぱい笑って、いっぱい泣いて、さっさと大人になるこった。待ってるぜ」
これは魂の継承でしょうか。
父親を亡くした赤ん坊に、両親のいない銀時が言うとまた深いものになります。

これは53話。「火消しの話」
銀魂 継承 火消し53話両親を火事で失った辰巳を引き取って面倒を見たのは火消しの頭。頭をなでているのはこの火消しの頭で、辰巳は頭のような火消しになりたいと願う。
これはまさに師匠から弟子への「継承」。

これは177話。「紅蜘蛛篇」。
銀魂 177話
師匠・地雷亜が弟子・月詠の頭をなでるシーン。

また魂を受け継ぐということでは、丸いまんじゅうを食うというシーンもある。
「かぶき町四天王編」の213話から。
銀魂 魂の大福
寺田辰五郎の仏前に供えるた饅頭。
これは饅頭あるは大福だろうが、注目したいのは「丸い」ということだ。
これは「丸い餅」の見立てではなかろうか。
なぜなら、餅が丸いのは人の魂を表しているからだ。
詳しくは関連記事
「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」 その1 これは直会だ!
「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」その2  スイカ=餅、つまり魂の更新を意味する!
で。
少し引けば、「魂はふたたび補充しなければならないものであったようだ。いうならば命の更新である。柳田國男は「食物と心臓」という著作の中で、餅は人の心臓、すなわち魂の象徴であると述べている。このように正月餅は新しい1年を生き抜くためのエネルギー、すなわち補充される魂として意味をもっていたのである。」となる。
銀魂 魂の大福を食らうそして、かぶき町を護ってきた辰五郎の魂を引き継ぐように、みんなで食らう。
これは「直会」のようではないか。
「祭儀の後に供えた神饌を食べる宴のことを直会(なおらい)という。直会には、神の供物を食べることで神に近づくという意味もあるが、人が食べることのできないものは供えてはいなかったという証明でもある。墓参りの際に墓前にお供えしたものを、あとで食するというのと同じ行為であり、神霊が召し上がったものを頂くことにより、神霊との結びつきを強くし、神霊の力を分けてもらい、その加護を期待するのである。」とあるから、まさにそうだ。
そして、銀時は辰五郎の形見の十手を手にして戦いに挑む。辰五郎は「天人」と戦い命を落とした人だ。
「かぶき町四天王編」は舞台を「かぶき町」とした狭い範囲の争いとなってはいるが、その黒幕には「天人」があり、過去の「前期・攘夷戦争」を発端としている。この篇も、「銀魂」の根本設定である、地球(日本)を貪りつくす天人(外国人)に立ち向かうサムライを描いていることになる。それは次郎長のセリフでもわかる。(この辺りは第5回)
そして、この「かぶき町四天王編」のお登勢のセリフでも分かるように、辰五郎や次郎長の魂(かぶき町を護るというのは比喩)は銀時へ受け継がれていった。そして、これは神楽や新八らに受け継がれることになるのだ。

さて他にも継承物語はある。「かぶき町野良猫篇」「星海坊主篇」や「全ての大人達は全ての子供達のインストラクター」なんてものにも「継承の物語」を見出すことができる。
その中でも、師匠と弟子の関係を明確にテーマとしたのは「紅蜘蛛篇」であろう。
銀魂 頭をなでる2松陽先生から頭をなでられる銀時はこんなことを言われます。
「屍を食らう鬼が出ると聞いて来てみれば、君がそう?  またずい分とかわいい鬼がいたものですね。
……刀も屍からはぎ取ったんですか、童ひとりで屍の身ぐるみをはぎ、そうして自分の身を護ってきたんですか、たいしたもんじゃないですか。そんな剣もういりませんよ。くれてあげますよ、私の剣。剣の本当の使い方を知りたきゃ、ついて来るがいい。これからはその剣をふるいなさい。敵を斬るためにはない、弱き己を斬るために。己を護るのではない、己の魂を護るために」
やはり銀魂で問われるのはつねに「魂」なのです。
師匠に背負われる銀時師・松陽と弟子の銀時との関係はまだ断片的にしか描かれていないが、物語「銀魂」の全体を支える最重要の骨子となっている。
「紅蜘蛛篇」において弟子を裏切るような行為をする地雷亜に銀時は怒りをぶつける。
「てめーに師匠の名を語る資格はねぇ、てめぇに荷ごと弟子うぃ背負う背中があるかぁ!」と。
銀魂 師匠を背負う弟子2最後は倒される月詠の師匠・地雷亜だが、死ぬ間際には魂の浄化が行われる。(坂田銀時の物語上の役目は魂の昇天・慰霊・鎮魂にある。これは第3回で)
そして弟子に背負われる師匠。
「弟子を荷ごと背負うのが師匠の役目なら、弟子の役目はなんじゃ、師を背負えるまでに大きくなることじゃ」という月詠のセリフは象徴的だ。
ヨーダ ルーク「ルークとヨーダ」。スターウォーズでいえば、こんな感じか。詳しくは資料編の第14回を。

銀魂 母子144話「吉原炎上篇」から、母・日輪を背負う子・晴太。親を背負う子というのもある。

この魂の継承は父から子へ、子から孫へ、師匠から弟子へと受け継がれていく。
銀魂においてもそれは行われている。松陽先生(あるいは辰五郎や次郎長)から銀時らの世代へ、そして新八や神楽の世代へと。(史実でも吉田松陰から桂・木戸の世代へ、そして木戸が面倒をみた明治・大正の政治家へと「継承」されていった。これは第5回で見た通り。)
銀魂 師匠を背負う弟子 1映画「紅桜篇」の本編ラストでは新八が傷ついた銀さんを背負ってました。「師匠を背負えるまでに大きくなるのが弟子のつとめ」と「紅蜘蛛篇」のセリフにあるように、新八は大きく成長しようとしている。
銀時は新八を本編でも「やればできる子だ」と認めてましたから、師匠から弟子の継承はすでに示めされているのだ。

まさに、銀魂は「魂の継承物語」なのです。

そして、お妙が弟・新八に諭すシーンが初期のころにあった。
「親が大事にしていたものを、子どもが護るのに理由がいるの?」と。
伝統や文化や歴史を守るとは、次の世代へと継承されなければならないのだ。
こういうのを何と言うか。
そうこれが「保守」の本質なのです。
保守の本質とは、政治体制や特定の政党を守ることでもないし、三島由紀夫が言うように「領土」や「そこに住む人々」を守るだけじゃない。(これは過去記事で)
そう、保守の本質とは、伝統や文化や歴史を守ることであり、それは受け継がれていかなければならないのだ。それを総称して「魂」というのだろう。
だから時にはその「魂」を護るために剣も抜かなければならない。(銀さんは木刀ですが)
実は、「銀魂」の根底に流れているテーマはそこにあるのだ。
だから銀魂では新渡戸稲造のいう「武士道」や「大和魂」を強く感じるのだろう。
そしてその魂は受け継がれていく。サムライは消えていなくなったが、世代を重ねても、「桜」のように日本人の中にしみ込んでいるのだ。

まだあと2回続きます。

「銀魂」考 第6回 たましいの物語 「たま」と「神楽」と「狛犬・神子(定春)」

「銀魂」考 第6回 たましいの物語 「たま」と「神楽」と「狛犬・神子(定春)」

アニメ69話から71話の「芙蓉編」にからくり人形というものが登場する。
「科学者・林流山が製造した「からくり家政婦」がクーデターを起こす。流山が最初に創ったからくり・「たま」の涙に応える為、万事屋と源外が立ち上がる。」と説明がある。
銀魂 たま
「からくり人形」は、人間の心がない機械・アンドロイドなのですが、この「たま」は感情を表して涙をこぼします。
さてさて、このからくり人形の名称はなぜ「たま」というのでしょうか。
作中では卵割器の「卵(たま)」と神楽が名付けましたが、ここで言いたいのそういう由来とかではありません。
感情もない(つまり魂のない)モノになぜわざわざ「たま」という名を作者が付けたのかということです。
もちろん「たま」とは辞書を引くまでもなく「たましい」と同義語・同源語である。

古語辞典では「肉体に宿って精神活動を営むもの。たましい。精神」などと説明される。
日本の伝承、古語。たま(霊)、たましい(魂)とも。古文では「神」とかいて「たましい」という場合もある。
「我(あ)が主のみ霊(たま)賜ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げ給はね」(万葉集882) 幻想世界神話辞典 から。

つまりこの「たま」という名称も何か象徴的であるように感じられるのです。
これまで長々と見て来たように、「銀魂」は「たましい」の物語だと語ってきました。
機械(からくり)が知識を吸収し人と触れることによって人間的感情(つまり魂)を得るようになるというのが、この回のメインストーリーです。よってその感情や心の根本である魂について、この芙蓉編では、何気なく何度も語られている。
いくつかセリフから引いてみる。
「からくりが人に支配される時代は終わった。我等が女王の御魂(みたま)、帰還せい時、からくりは人に、いや神に等しき存在になる。この御魂(みたま)戻らぬことあらば……」「芙蓉の魂を身体におさめる……」「1ミクロン…ずいぶんとせこい魂だ」
「身体が消えていく。魂が…消えていく」などなど拾ってみると結構あります。
中でも、新八の一世一代の名セリフがいい。

……たまさん、それは普通の人間の勘定の仕方です。サムライは違う。
サムライ?
たとえ、あなたを見捨てて25%の確立で運良く助かったとしても、サムライは死ぬんです。護るべきものも護れずに生き残っても、サムライは死んだと同じなんです。5%しか生きる確立がないなら、その5%全てを使ってあなたが生き護る確立を引き上げる。一旦、護ると決めたものは、何が何でも護り通す、それがサムライだあ!
……出自も不明確、まして殺人の容疑がかかった者を護る? サムライ……理解しかねます。私のデータには該当するものがありません。
じゃあデータに付け加えといてください、勇者よりも魔王よりも上のところに、ついでに、女の子の涙に弱いってね!

これが序盤の対話であり、終盤のクライマックスでこの新八の魂の叫びを受け継ぐ形での「たま」セリフにつながっていく。

護るべきものも護れずに生き残っても死んだと同じ。…それはきっと志の死、魂の死を指しているんでしょう。からくりの私にはわかるはずもないと思っていましたが、少しだけ分かった気がします。私も護りたいものができました。何度、電源を切ろうと、ブレーカーが落ちようと、この身が滅びようと忘れない、だから、みんなも…私のこと…忘れないで…、そうすれば、私…私の魂は、ずっと、みんなの中で…生き続けるから…

とあって、この芙蓉編のラストのたまのセリフ「サムライ?サムライなら知ってます。……私の大切な友だちです」とつながるわけです。
「サムライ」の魂がからくりにも受け継がれるということになります。
これは 「銀魂」考 第2回 なぜ「銀の魂」なのか?で。

サムライの魂は武士階級だけのものではなく、各階級に広がり日本人の「大和魂」という民族精神となった。これを「武士道」で説いたのが新渡戸稲造でした。
そして魂は引き継がれていく連続性があるというこでしょう。三島由紀夫の文化防衛論の日本文化(大和魂)の連続性とはこういうことなのではないのか、と思う。(これは第7回で)
この芙蓉編の面白いのは、「生命の死」と「魂の死」は違うということを表しているところでしょう。
つまり、肉体は滅んでも、魂は生き続けているということを示しています。
スタンド温泉編で、旅館の女将・お岩が幽霊のレイに言う面白いセリフがあります。
「お前、たましいを粉々にされたいのかい?」
幽霊だから当然のごとく肉体的な「命」は死んでいますが、それとは別に「魂」は生きているということでしょう。
日本人がこれを見ても何の疑念を抱かないのは、生命には限りがあるが、魂は不滅であるという思想を日本人は持っているということでしょう。
物語「銀魂」では、魂は滅びることがなく受け継がれていくものだということが常に語られています。(その魂は「大和魂」です)
実は、これは「銀魂」全体に流れるテーマです。(私は作者でもないに断定しています。)

では、資料編  第27回「日本人“魂”の起源」から、「たまふり」について。 から少し引いてみます。

ほかにも「御霊代」(みたましろ)、神霊の代わりとして祭るもの。御神体。など関連する語がある。
神輿が神幸 (しんこう) する際に途中で上下左右に荒々しく揺さぶることをいいます。これをおこなうことで、乗っているご神体の霊威を高めて、豊作豊漁や疫病が蔓延 (まんえん) しないように祈願するのです。また、元気のない霊魂を揺さぶり、魂の活力を取り戻そうとする行為でもあります。

鎮魂(ちんこん、たましずめ)とは、人の魂を鎮めることである。今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。しかし、元々「鎮魂」の語は「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものであった。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の二つの儀が行われている。神霊や祖霊を尊んでいう語。「先祖の御霊(みたま)を祭る」など。 あるいは「霊威」(霊妙な威光、不思議な威力)のこともいう。
また「御霊祭り」の略でもある。御霊祭りは、暮れから正月にかけて行われる、家々の先祖の霊を祭る行事のことである。

古代の人びとにおける鎮魂は、決して静かなる行いではありませんでした。むしろ、衰微するたましいを甦らすあらわざだったのです
死霊はまつりによって祖霊に昇華します。死霊に“たま”を呼び戻すこと、それを通路として、死霊は、“たま”の世界によみがえってきます。死霊はただちに守護神とはなりえません。それはおそるべき〈デーモン〉であり、非業の死霊は怨霊となりました。魂呼ばい(たまよばい)や鎮魂などの通過儀礼が、死者の世にも必要になります。“たましい”のよみがえりへの期待がタマのまつりを生み出したのです。
民間の習俗に今も残留する、“トムライアゲ”や“トイキリ”などは、それらのイミアケ(忌みあげ)じたいが、死霊が祖霊になる殯の終わりをつげるものでした。鎮魂のための歌舞飲酒の行事を“アソビ”といったのも、それが魂呼ばいのための芸能であったからです。

なぜこんな記事を引いたかというと、「銀魂」世界の猥雑なバカ騒ぎは「鎮魂」や「たまふり」なのではないかということ。

それを示しているのが「神楽」です。
神楽・狛犬・桜
不思議ですね、チャイナ娘なのになぜ「神楽」という名前なのでしょうか。
考えてみると実に変なのだ。
参考資料 神楽といえば、この「神楽」だろう。

「日本の民俗芸能の一種。<おおかぐら>と呼ばれて各地に分布。本来は神官や巫女などが神がかり状態で鎮魂や託宣を行うものであったが、そこに田楽や猿楽などの要素を取り入れて、出雲流神楽、獅子神楽、湯立神楽などさまざまの種類のものができた。(日本大百科全書・ヤフー百科事典から)

そう「神楽」は実に日本的イメージを感じさせる名称であるからだ。(作者の地元北海道の地名から取ったそうだ)
それでは「神楽」に関する事柄を引いてみましょう。

(神楽とは)神への賛歌・芸能。芸能とは本来、神を讃え慰めるものであった。
これは古今東西どこも同じで、その原初の形を一番色濃く残しているのが、神楽である。
神楽は、演者が神に扮し、悪役つまり悪鬼に扮する演者を叩きのめす。そして、「神よ、あなたは強かった!」(本来こんな敬語はおかしいが)と、神の賛歌で終わる。
芸能者は、神に喜んでもらうために、演技や振り付けを一生懸命に工夫したのである。(井沢元彦の「怨霊と鎮魂の日本芸能史」から)

これら採物にちなむ歌や神徳を賛美する歌が歌われる。今日では榊の歌を選んで歌う。次に「韓神(からかみ)」の歌があり、このとき人長が輪をつけた榊の枝を持って庭燎の前に進み出て、庭燎にこれをかざすようにして舞う。次に中入りになり、酒宴となる。平安時代には倭舞(やまとまい)が舞われたり、才(ざい)の男(おのこ)による滑稽(こっけい)な芸(陪従(べいじゅう)による即興的な散楽(さんがく))などが行われた。(日本大百科全書・ヤフー百科事典から)

つまり猥雑なバカ騒ぎ。

(神楽) 日本の民俗芸能の一種。<おかぐら>と呼ばれて各地に分布。本来は神官や巫女などが神がかり状態で鎮魂や託宣を行うものであったが、そこに田楽や猿楽などの要素を取り入れて出雲流神楽、獅子神楽、湯立神楽などさまざまの種類ができた。これらを里神楽と総称して御神楽<みかぐら>と区別する。(マイペディア百科事典)

ではその田楽

田楽というのは、田の楽でありまして、豊饒のための呪術的芸能ですね。 これが平安末期に京の都に大乱入し、京の人たちが、公家から庶民にいたるまで田楽踊りを始めて、町じゅう狂ったんです。 もう一つ面白いのは、北條高時です。高時は田楽に夢中になります。ある日、彼が田楽にふけって余り騒がしいというので、家来が戸の隙間からのぞいたら、踊っている相手はみんな天狗だったという話があります。(丸谷才一・山崎正和・対談集「見わたせば柳さくら」)

「狂」ですね。銀魂世界でいう乱痴気騒ぎでしょうか。
これらは 
第3回 鎮魂とカーニバル その1 「銀魂」は怨念を残した者たちの「鎮魂劇」である
第3回 鎮魂とカーニバル その2 「銀魂」は「カーニバル」と「ええじゃないか」だぁ、だぁ、だあ!
第3回 鎮魂とカーニバル その3 「桜は死と再生の樹」と「国ほめ」
でまとめてあります。
元々は、この鎮魂のための「乱痴気騒ぎ」を神がかりで行うのが「神楽」だったということです。
その神楽を行う者は巫女である。

巫女・神子……広くは神に仕える女性の意。神社に属し補助的な神職として神楽、祈祷などをするものと、神がかり状態で神霊、死霊、生霊の託宣を伝える口寄せとがある。

となれば、なぜ神楽と定春はセットで描かれるのかがよくわかります。
巨大化した定春
定春の説明、Wikipediaから

巨大な犬のような外見をした宇宙生物で神楽のペット。(中略)地球においては大地の流れ“龍脈”が噴出する場所「龍穴」を守護する「狛神(いぬがみ)」として代々江戸で暮らしていたのだが、一緒に暮らしていた双子の巫女姉妹、阿音・百音に経済的な理由により捨てられてしまう(曰く、定春のでかさは異常)。本名なのか「神子(かみこ)」と呼ばれている。双子、と思われる兄弟は「狛子(こまこ)」。狛神には攻めを司る者と守りを司る者と必ず二体存在する為兄弟がいるが(定春は攻め、狛子は守り)、どちらが上か下かは明らかにされていない。


定春巨大化2これは巨大化して覚醒した状態。
狛犬つまり狛犬でしょう。
つまり「神楽」も「神子(定春の本名)」も舞や踊りによって、鎮魂やたまふりを行う巫女だということです。

そう考えていけば、「たま」「神楽」「神子」……、という名称が「たましい」や「たまふり」といったことのメタファーとなっていることがわかる。

鎮魂(ちんこん、たましずめ)とは、人の魂を鎮めることである。今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。しかし、元々「鎮魂」の語は「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものであった。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の二つの儀が行われている。
神道では、生者の魂は不安定で、放っておくと体から遊離してしまうと考える。これを体に鎮め、繋ぎ止めておくのが「たましずめ」である。「たまふり」は魂を外から揺すって魂に活力を与えることである。(上田正昭「日本人“魂”の起源」から)

第3回や第4回で見てきたように、この「銀魂」物語は、主人公・銀時が敵を倒すといった勧善懲悪といった単純な物語ではなく、闘った相手を慰霊・成仏・昇天させることにある。したがって、この主人公の脇に巫女的な役目の「神楽」や「定春」や「たま」がいるのは不思議ではないだろう。
登場人物につけられる名称にその物語のテーマが暗示されていることはよくあることだ。
そして、この物語が魂の浄化、魂を鎮めることにあって、そのために必要なのが、鎮魂のための歌舞飲酒の行事である「祭り」や「カーニバル」のような猥雑なバカ騒ぎなのだ。

「桜」「月」「塔」「神楽」「たま」「魂」「祭り」「カーニバル」などなど……、こうして見て来れば、物語「銀魂」は「鎮魂劇」である、というのがわかるであろう。

まだまだ続く……。

「銀魂」考 第5回 滅びゆくサムライの物語

「銀魂」考 第5回 滅びゆくサムライの物語

映画版「新訳紅桜編」、TV版では61話に、高杉と桂の対話がある。
桂と高杉

高杉、俺はお前が嫌いだ、昔も今も。だが仲間だと思っている、昔も今も。
いつから違った、俺たちの道は?

フン、何を言ってやがる。確かに、俺たちは始まりは同じだったかも知れない。だがあの頃から俺たちは同じ場所など見ちゃいねぇ。どいつもこいつも好き勝手てんでバラバラな方角を見て生きていたじゃねぇか。俺はあの頃と何も変わちゃいねぇ。俺の見ているものはあの頃から変わゃいねぇ。俺は……。
ズラ(桂)、俺はなぁ、仲間のためだ、国のためだと言って剣を取った時も、そんなものどうでも良かったのさ。考えてもみろ、その握った剣、そいつを俺たちに教えてくれたのは誰だ。俺たちに武士の道を、生きるすべを教えてくれたのは誰だ。俺たちに生きる世界を与えてくれたのは、紛れもない、松陽先生だ。
なのに、この世界は俺たちからあの人を奪った。だったら、俺たちはこの世界にケンカを売るしかあるめぇ。あの人を奪ったこの世界をぶっ潰すしかあるめぇよ。
なあ、ズラ、この世界で何を思って生きる。俺たちから先生を奪った世界をどうして享受し、のうのうと生きていける。俺はそいつが腹立しくてならねぇ!


高杉晋助高杉晋助は高杉晋作を基にしている。このマンガ・アニメにおいてかなり登場回数は少ないが、「俺はただ壊すだけだ。この腐った世界を」というセリフとともに、その存在感は群を抜いていて強烈な印象を残している。
さて、史実において、もし高杉晋作がもう少し長生きをしていたら、日本の歴史はどうなっていただろうか。
彼の持つ勇猛さ、凶猛さは、明治維新が成ったときに浮いた存在となっていたのではなかったか。
そう考えると、このアニメの高杉晋介という人物造形や桂との関係は非常に面白い。
多分、高杉晋作が明治維新まで生き延びていたなら、桂小五郎(木戸孝允)と対立したのではないか。
西郷隆盛と大久保利通が明治政府内で対立をしたような構図になったはずである。サムライ肌の西郷が高杉、実務家な大久保が木戸というように。そして西南戦争の西郷のように高杉も士族の不満分子に担がれて兵を挙げ、その一方で政府中枢にあって鎮圧兵を差し向けなければならなかった大久保のような立場に桂・木戸は立たなければならなかったのではないか、と思う。
まさに「初めの志は同じはずったのに……」という心境とともに。
そういう想像を巡らせながら「銀魂」を見ると非常に面白いのだ。(特に攘夷戦争)

そして、上記の高杉晋介のセリフに桂小太郎はこう答える。

高杉、俺とて何度この世界を更地に変えてやろうと思ったか知れぬ。だがあいつ(銀時)がそれに耐えているのに、奴が一番この世界を憎んでいるのに…俺たちに何ができる。
俺にはこの国は壊せん。壊すにはここには大事なものが出来過ぎた。
今のお前は抜いた刃を収める期を失い、ただいたずらに破壊を楽しむ獣にしか見えん。
この国が気に食わんのなら、壊せばいい。だが、江戸に住まう人々ごと壊しかねん貴様のやり方は黙ってみておれぬ。他に方法があるはずだ。犠牲を出さずとも、変えられる方法が、松陽先生もきっと……。


桂小太郎 桜音
ほんとよく出来てますね。これは桂小五郎・木戸孝允の心情をよく表していると思います。
下らないギャグアニメだとバカにしていはいけませんよ。NHKの「歴史秘話ヒストリア」よりもよほど、桂小五郎・木戸孝允のことを分かっていると思う。(資料編 第22回  桂小五郎のカッコいいところをどんどん書いていく! で。)
桂小五郎は生き延び明治維新を成し遂げた。そして、国づくりをし、後世に残る事蹟を数多くした。(過小評価され過ぎだ。もう龍馬はいいよ)
アニメの桂のセリフにあるように「俺にはこの国は壊せん。壊すにはここには大事なものが出来過ぎた。」というのは生き延びた彼の心情を表したセリフだと思う。
その桂・木戸は、政府のため、日本のために尽力しながらも、フト思ったのだ。このまま、サムライが滅びれば、サムライの魂までが滅びる、そして日本の大和魂が失なわれれば、欧米にその精神は蚕食される。これでは「国」は滅びる。そう、木戸は考えるようになったのだ。
この辺りは、資料編の
第23回  木戸孝允のいいところをどんどん書いていく、その1
第24回  木戸孝允のいいところをどんどん書いていく その2
第25回  木戸孝允のいいところをどんどん書いていく その3。 木戸孝允・桂小五郎は本物の「憂国の士」であり、紛う方なき真の「サムライ」なのだ。
にまとめてあります。(とくに第25回)

さて、この「銀魂」においてのキーパーソンは、銀時や桂や高杉の師匠となる「松陽先生」だろう。
松陽先生は、史実での「吉田松陰」となる。
「紅桜編」や「ED曲」でよく登場する「教本」は実に印象的な道具立てとなっていて、桂や高杉は肌身離さず手にしていることによってかつての同志だったというディテールが描かれている。(こういう小道具の使った細かい演出上手い)
銀魂 留魂録
これは、吉田松陰の松陰が処刑される前日に書いたのが「留魂録」を思い起こさせる。
桂小五郎は吉田松陰の遺書「留魂録」を手許におき、江戸在府中の知友に回覧させていたという史実もあって、銀魂の中でこの教本が出てくると、思わず胸が熱くなる。
吉田松陰「留魂録」

詳しくは資料編の
第1回  吉田松陰の母・滝も偉かった。前篇
第2回  吉田松陰の母・滝も偉かった 後篇。 
第3回  吉田松陰の魂はどこへ
で。(特に斬首された吉田松陰の遺体を引き取る桂たちの場面は何度読んでも涙が出てしまう)
この魂の叫びは、松下村塾の門下生の高杉晋作や、松陰を師とした桂小五郎らに受け継がれたのだ。
吉田松陰の高山彦九郎的「狂」の部分を高杉晋作が受け継ぎ、冷静な「思想者」「教育者」の部分を桂小五郎が受け継いだように思える。
史実の高杉と桂はまさに松陰の「動」と「静」を分け合うように受け継いだ。そういうことを踏まえて、アニメ「銀魂」を見れば、高杉と桂の対立関係はよく出来ているのだ。
そして過去に「この国を食いつくす天人ら」と戦う「攘夷戦争」にともに参加しているという背景がある。
1攘夷戦争
銀魂ではまだ間接的にしか描かれていない「攘夷戦争」。こうした背景とともに、登場人物にその重荷を背負わせている(カセ)があるからこそ、このアニメは深みがあるのだ。いくら猥雑で馬鹿馬鹿しいアニメでも、何か特別な感情が湧いてしまうのは、この点にあるといってもいい。

さてさて、そんな松陽先生こと松陰の魂が受け継がれた「サムライ」は、銀魂世界ではどう描かれているのか。
アニメ105話・「真選組動乱編」、銀時を追い詰めた河上万斉のセリフから。

白夜叉(銀時の攘夷戦争時代の名前)、貴様は何がために戦う。何がために命をかける。もはや「サムライ」の世界の崩壊は免れぬ。(高杉)晋助が手を出さなくとも、やがてこの国は腐り落ちる。おぬしが一人あがいた所で変わりはせぬ。この国を護る価値などもはやない。天人に食い尽くされ、醜く腐り落ちるこの国に引導を渡してやるのが「サムライ」の努め。この国は腹を斬らねばならぬ。
坂田銀時、貴様は亡霊でござる。かつてこの国を護ろうと晋助とともに戦った思い、それを捨てられず、妄執し、囚われ、生きた亡霊だ。お主の護るべきものなどありはしない。


過去の銀魂考の第1回や第2回でも見たように、「サムライ」とは時代の遺物であり、消えていく運命にあるということが示されている。
明治時代初頭から木戸孝允はすでに、和魂洋才という名のもとに西洋から様々なものを積極的に取り入れてきた日本が、それと同時にその根本となるべき和魂は捨て去られてしまっているのはないか、滅びゆく「サムライ」とともにその「魂」が失われていくのではないかと、危惧していたのだ。
そう、つまり現代の日本と同じなのだ。このあたりは過去記事で。
銀魂世界では「塔・ターミナル」が日本を支配しているのを象徴的に描いているが、現実の日本も同じような状況なのではないのかということ。(精神的に)
それに抗うような形で描かれるのが「サムライ」であり、これは坂田銀時や、桂小太郎や、真選組の土方や近藤らであるのだ。
それら登場人物が活躍するのが、物語「銀魂」であって、これが歴史上の人物たちへのレクイエム・鎮魂劇となっているのだ。

その中でも、史実の桂小五郎は「おくりびと」的役割を果たしている。
高杉の死を聞いて、「国家の一大不幸」「悲嘆に堪へ申さず候。」と手紙に綴ったり、中島三郎助父子の戦死を知らされると盃をおいて嘆息しその夜は酒を口にしなかったり、大村益二郎が死んだという報をきいたときは、悲嘆のあまり声も出なかった、などなど維新以後の木戸は死んだ友人知己の上に思いをはせることが多く、「夜坐して亡友を思ふ」と題する詩を書いたりもしている。友人・知人・恩師・戦友を次々と失い、その度に嘆き悲しむ。桂・木戸の人生はその連続だった。
残された者としての責務を果たしているのか、大切なものを捨て去っているのはないのか、そう、自ら問いかけているようであった。
だからこそ後に、靖国神社設立に尽力するのはこうした背景がある。(右も左も、あそこを政争の具にしてはいけません。木戸の純粋な精神に立ち返ろうよ)
靖国 桜

アニメ42話・神楽が父・星海坊主に宛てた手紙で「サムライ」をこう評している。

私はいま「サムライ」という不思議な連中の住む「エド」という町に住んでいます。
彼らは本当に不思議な生き物です。普段はみんな弱くって、しょぼくって、ダメ野郎ばかりなのに、いざという時は「武士道」という信念で自分をたたき上げ、絶対に折れない屈強な精神になるのです。
夜兎も人間も変わりません。みんな自分と戦っています。ここでなら自分は変われる気がします。きっと自分に負けない自分になれると思うのです……。

武士道とは日本人が持っている大和魂であると詳しく書いたのは新渡戸稲造だった。
武士道については、資料編第28回 新渡戸稲造「武士道」の後半部分から でまとめてあります。
ここではその一文を引いてみましょう。

このように美しくはかない花が、風の思うがままに吹き散らされ、一時芳しい香りを放ちながら、今にも永遠に姿を消そうとしている。大和魂もこの花のようになるのだろうか。日本人の魂とは、それほどか弱く消えてしまう運命にあるのだろうか。
(中略)
武士道を象徴する花と同じく、四方に吹き散らされてしまってからも、その香りは残り、人々の生活を豊かにする。はるかに時が流れて、そのしきたりは失われ、名前すら忘れ去られてしまったついても「路傍より彼方を見やれば」、遠くどこか見えない丘からその香りが漂ってくることだろう。

とあるように、サムライの魂、大和魂の象徴である「桜」。
木戸孝允は戦没者への慰霊の祭儀のために靖国神社(招魂社)の建立に携わり、そこに桜を植えた意味はとても深いのだ。
靖国神社 木戸
だから、「銀魂」考 第3回鎮魂とカーニバル その3 「桜は死と再生の樹」と「国ほめ」のときに書いたように、アニメ「銀魂」では異様なほど桜の描写が多いのもうなずける。

新渡戸稲造の「武士道」の最後に、ある詩人の言葉を引用している。
「いづこか知らねど、近くよりかかぐわしき香り、
快きその香気に旅人は
立ち止り、その額に、大気の祝福を受ける。」
サムライの消滅とともに「武士道」は失われつつあるが、日本人が桜を愛するように、その魂までは失うことはない、ということか。
銀時と桜(125話、桜の樹を見上げる銀さん)
こんなシーンもある。花見をしながら酒を呑む銀さんの杯に「桜の花びら」が。
桜の花びら
たぶん、この桜の花とともに酒を飲んだことでしょう。
何しろ、彼は日本人の魂「大和魂」を受け継いだ「サムライ」なのだから……。

まだまだ続きます。

「銀魂」考 第4回 あの塔は何だ? 生と死とリンガ

「銀魂」考 第4回 あの塔は何だ? 生と死とリンガ

アニメ銀魂の中でよく描かれるものが「桜」や「巨大な月」そして「ターミナル」だ。
特に「ターミナル」は本編やオープニング、エンディングでかなり登場する。
これは、サブキャラクターの定春やお登勢なんかよりも登場回数は多いだろう。何気ない風景として描かれることもあるが、ここぞというときに象徴的に登場することもある。
銀魂 ターミナル2
さて、ここで資料編。
第5回  塔の話 その1 「東京スカイツリー」と「東京タワー」
第6回  塔の話 その2 「西洋の塔と東洋の塔」
第7回  塔の話 その3 「日本の塔において生の理念と死の理念がいかに相戦い、戦いつつそこに一種の調和をつくっている」

以下ことわりがない場合は、すべて梅原猛の「塔」(集英社)の本からの引用です。
梅原猛 「塔」

塔は、本来、高さへの意志を表現するものであった。しかもそのその高さへの意志は、同時に、権力の象徴であった。もう一ついえば、それは、宗教によって聖化された権力の象徴であった。

Wikipediaの「銀魂・ターミナル」の説明は以下の通り。

地球の政権を握った天人が開国の際に造った宇宙船発着の為の基地。地球のエネルギーが湧き出る場所である「龍穴」のエネルギーで動いており、江戸中のエネルギーが集束しているポイントでもある。元々の場所は、阿音と百音が狛神2匹と共に住んでいた神社だったが、それを取り壊して建造された。攘夷志士にテロの対象として狙われる事が多く、桂も時限爆弾で破壊を目論んで居た。
また、テロではないが寄生型えいりあんに侵食された際、真選組や松平の攻撃によって大きく損壊した。地下深くにはエネルギーを制御する場所があり、そこを伍丸弐號(流山)率いるからくりメイド集団に占拠されてしまった事もある。その時の戦いでエネルギーが暴発しかけるが、零號(たま)によって阻止された。
ちなみにアニメの150話の嘘最終回にてターミナルの頂上が銀時と高杉の決闘場所となって居た。

この塔・ターミナルが登場することによって、江戸(地球)は天人の支配下にあることを明示している。
だから、天人が直接描かれることはなくとも、根本的設定・世界観は守られていることになる。(OP・EDで攘夷戦争の場面が描かれているのも同様)
ここで面白いのは、このターミナルが神社を潰した跡地に建てられてるということ。つまり、日本人の魂の象徴である神社は破却され、そこに外国人による塔が建てられているというのは、日本が植民地状態であるということだ。基本設定はこういうところで常に暗示されている。
神社を潰してターミナル(45話にその経緯が描かれている)
江戸の龍脈を断つという点を追えば、ターミナルがどこに建てられているのか、ということを考えるのは楽しい。
荒俣宏の「帝都物語」的に考えによればそこは神田明神だということになるだろうし、天海の作った呪術的魔方陣であるならば寛永寺や上野東照宮あたりの上野公園あたりになるだろうし、加門七海ならば赤坂の日枝神社や東京タワーあたりだということになろうか、いやいやそれは靖国神社ではないのか(私はそう思う)……と、そんなことを考えると面白い。(まあこれは本筋ではないので、時間があったときに…)

さて、ではこのターミナル・塔は何を表現しているのか。
3つほど考えてみた。

1、支配としての塔

マグダ・レヴェツ・アレキサンダーは、塔を建造する人間の意志を、一種の高所衝動として理解しようとしている。人間は、自己を表現しようとするはげしい意志をもっている。自己の存在を誇示し、自己の存在を空中高く飛躍せしめんとする意志を、人間はその内面深く宿している。
塔は人間の生への意志、権力への意志の表現なのである。そしてその生への意志、権力への意志は、いつも無限の方向をもち、それゆえいつも未完に終わるのである。ニーチェがいうように、権力への意志はいつも己れ自らにいう。もっと多くの権力を、と。権力は権力を求めて止まず、塔は高さを求めて、止まることを知らないのである。悲劇的にすら見える、この権力への意志、そこにヨーロッパの塔の本質がある。


第一に、この世界の支配者の権力を象徴したものとして「塔」が登場しているというは分かり易いだろう。(画像はOP・EDから拾ってみた)
だから、銀時の視線の向こうにこの塔はある。
銀魂 塔・1銀さんと塔。(この構図はかなり多い。)
銀魂 桂とエリーと塔桂とエリーと塔。攘夷戦争を戦った桂が、この敵なる象徴的塔を見つめるシーンは実に感慨深い。(史実の桂小五郎と重ねてみると余計に…、これは第5回で)
ターミナルと神楽神楽と塔。
銀魂 ターミナルと服部全蔵服部全蔵と塔。こういう組み合わせもあった。(長谷川さんと塔というのもある。支配と被支配という関係か)
やはり、塔・ターミナルは、江戸の住民と対峙するものの象徴なのだろうか。
また銀時らが行く先に塔がある、という描かれ方も多い。
塔・桜

これら本編を通じても、塔・ターミナルはどこかしらに描かれている。
全話どういった場面で登場しているかチェックしようとしたが、あまりにも数が多いので、断念した。(つまりそれほど多く描かれている。)
アニメ・マンガにおいてその画面に登場するものは、作者の何らかの意図があると、細田守は言った。
やはりもっと深い意味があるのではないか、もう少し掘り下げて見よう。


2、生と死を分ける塔

この高くそびえる建物そのものが、一つの死を示しているのである。この高くそびえる建物そのものは、ヨーロッパの塔のように、永遠に高く昇る一つの意志を表すのではなく、一人の偉大なる人間の死の栄光を示すものである。ヨーロッパの塔が、限りなく上昇する生への意志を示すものであるとすれば、仏教の塔は、生と死のたえざる争いの上に生まれるといってよいかもしれない。まさにここで生は死の上にそびえ、そして死の上に高くそびえることにより、死を超克せんとしながらも、なおかつ、生は、偉大なる沈黙の死の支配を脱することができない。


銀魂 塔 次郎長銀時と次郎長の間に現れる塔。

銀魂・桂と高杉と塔桂と高杉との間に現れる塔。

銀魂 死の塔「かぶき町四天王篇」の瀕死の椿平子に現れる塔。

塔には生への意志とともに、死への省察が含まれている。限りなく上昇しようとする強い生への意志と、それにもかかわらず、人間を根本的に支配する死の意識が、すべての塔の中で、はげしく戦っているのである。この生と死の戦いは、人間存在を構成する基本的なものなのである。


この本を読んでから、アニメに「高い塔」が登場するといろいろ考えてしまう。
特に「生死」を争うようなアニメで。
魔法少女 塔魔法少女まどかマギカのOPに登場する塔。

魔法少女 塔2魔法少女まどかマギカに登場する不気味なイメージの塔。
このアニメでは他に「やたら高くそびえ立つ病院」や「塔の頂上に立つ登場人物」などが結構出てくる。これらもそういった意味があるのではないか。

ワシントン記念塔これはアメリカのワシントン記念塔。
アントワープ ノートルダム大聖堂アントワープ ノートルダム大聖堂。
西洋の塔が天に向って垂直に建っていることは「生の衝動とともに、死の衝動」があることは、資料編にまとめてある。
では、図像学・イコノグラフィー的に読み解こうとすれば、銀魂で描かれるあの塔は「生と死」を分けるものの象徴なのではないか。
映画版「新訳紅桜編」では、銀時が決闘に向う前に、その背後にあの塔は描かれる。
銀魂 銀時が決闘に向う前に出るあの塔
そして本編のラスト、激闘を終え家路に向う銀時ら一行のその先にあの塔は描かれている。
銀魂 紅桜編のラストに登場する塔
「日本の塔において生の理念と死の理念がいかに相戦い、戦いつつそこに一種の調和をつくっている……。」
アニメ銀魂における大きなテーマはこの塔にあるのではないか、そんな風に思えてならない。
だから、150話の偽最終回ではこの塔は炎上する。
銀魂・塔の炎上

もう一つ、塔に関する謎がある。
OP・EDを見ていると、本来描かれるべき場所で、あの塔が描かれていないということがたまにあることに気付いた。
塔のない銀魂3

塔のない銀魂2

塔のない銀魂1
登場人物が前に立ちはだかって、この塔が描かれていないのだ。
これらは何を意味するのか。塔の持つ死を超えたということを意味しているのか。
また、新オープニング曲「ジレンマ」では、銀時はターミナルのエレベーターに乗って頂上まで達する。
銀魂 ジレンマ
この前のシーンでは人ごみとは反対方向を一人歩く銀時(サムライが過去のものという象徴)や、過去に戦った者たちを回想するようなイメージや女性の登場人物が重なるといったシーンとともに、この塔を昇って行くのだ。
なにを意味するのか?
新たな展開があるという予兆なのか?

またこんな場面もある。本編のパロった「ギンタマン」という偽OPシーンでは、ターミナルは東京タワーとして描かれている。
銀魂 ギンタマン・何故か東京タワーこれはどういうことなのか。
わざわざ東京タワーにした意味は?

それに東京スカイツリーがどう見ても「銀魂」世界のターミナルに酷似しているのはなぜか。(まるで予言のように)
東京スカイツリーの完成予想図(画像提供:東武鉄道株式会社・東武タワースカイツリー株式会社)
これも謎だ。

実にこの「ターミナル」は解析しきれない存在だ。

3、リンガとしての塔
銀魂 ターミナル、亀頭
これを見て思うのは、リンガ、男根ではないのか、ということ。

88話では、穢れたバベルの塔=男根として、この塔を見立ている。
銀魂 穢れたバベルの塔
ちなみに、ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」
バベルの塔

銀魂 アームストロング砲38話。ネオアームストロング サイクロンジェット アームストロング砲こと、男根。
このアニメは男根をネタにしたものも多い。(猥雑なギャクアニメだから、チンチンネタは多いのは当たり前だろう)しかし面白いのは、主人公銀時の股間がハンマーに変わったり、ドライバーに変わったり、ドットに変わったりすることである。このアニメで問われるのは、主人公のリンガなのだ。

(アンコール・ワット建物)の頂上は巨大な塔であるが、この塔の下には、巨大なリンガがそなえられていたのではないかと思われる。それは、おそらく小乗仏教の流行とともにその多くはとり去られてしまったが、かつてこのリンガこそ、王室の権力のシンボルであったのである。リンガとは、まことに忠実にその形を模した巨大な男性のシンボルであるが、おそらくヒンズー教の塔そのものが、男性シンボルの象徴という意味をもっているのあろう。
垂直に天に直立する意志、それは子孫生産の意志を示し、権力の意志を示し、そしてそれ以上に、形而上学的な根源的な生への意志をも示している。


銀魂・リンガと新八(150話・偽最終回)
そう考えると、常に性の衝動と戦い続ける少年・新八が、エヴァのパロディでこのターミナルことリンガの上に立つというが、実に興味深い。
男根信仰は世界各地にあり、インドではシヴァ神はリンガを象徴として崇められているし、日本でも奇祭として各地に残っている。三峰神社(埼玉県秩父)の節分の祭や諏訪神社の御柱祭りもこの一種であろう。
やはり、リンガ信仰も「死と再生」を願うものである。


ということで、第4回のまとめ。
振り返って、「銀魂」世界で描かれる「桜」「月」(月の満ち欠けは死と再生を意味する)「塔」などはすべて、「死と再生」を秘めていることになる。

ここがこの物語において重要なテーマであることは間違いない。

まだまだ続くよ。




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消えた二十二巻

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