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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その9 「味」と「まがいもの」

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その9 「味」と「まがいもの」

「神道」の章に続くのが、「味」という章です。「味」といっても「美味しい」「まずい」の味覚の方ではなく、「あの役者、味があるね~」とか「渋い柄だね、味があるね~」とかいった感覚としての「味」で、味わい深いとかいった「滋味」という意味である。
日本文化の良さは、この「味」にあるということを、この章で説明している。
とても短い章ですが、「味」があります。


全世界に対して、かくまでに深い意義を持ってきた、そして現在もなお持ち続けているあの偉大な日本芸術と並んでその様式とその意義とを全く異にする、一つの圧倒的な創造が今日存立しているのである。近代の日本においてもあの偉大な芸術の数多い足跡は存在し、さらにこの文化を一個の生きた文化として代表する多くの人々が存在する。しかしながら過去の日本において、すでに価値も何もないものに発生したところのものが、今日では膨大な広がりを獲得し、日本古来の芸術を、今にも圧殺しかねまじき有様を呈している。この種の創造は、日本の教養人にとって恐るべき精神上の圧迫であるばかりではなく、日本以外のあらゆる国にとってもおよそ同様であると云えよう。
この創造を、すなわちこの種の「芸術」を検討することは、ここでは保留しておこうと思う。万一検討するとなれば、私がすでに日本の芸術について記した、あのことを全部反対の側に振り向けさえしたならば、恐らくごく簡単にできることであろうと思う。その意味とは全く反対に解釈すれば、この怪物に寸分違わぬものがあるはずである。
日本の言葉が今日もその生きた表現を失わず、これらの言い表し方によって、かの優秀性を描き出し、さらにこれによって他国の生産物を批判的に解決するということは、明らかに一つの福祉である。これらの言葉の中でも、まず筆頭に置かれるものは、趣味を意味する「味」という言葉である。ただしこの場合の趣味は、決して国際的な意味における趣味ではなく、文化的な伝統によって特に生じてきたものに他ならない。この言葉の場合は、決して国際的な意味における趣味ではなく、文化的な伝統によって特に生じてきたものに他ならない。この言葉には直感的な性質が含まれていて、ある対象に味があるか、ないかということで一同の意見が一致するために、長い議論など少しも要しない。さらにこの趣味、すなわち味の様々の段階に対して、つねにそこに日本的な表現が存在しているということ、さらにあらゆる日本人から、これらの言葉が一切の相関的な連想の下に理解され得るということも、まことに結構なことである。
さらに日本語には恐らく唯一、独自な言葉としてドイツ語のkitschnoの概念に相当する言葉、すなわち一切の卑俗な芸術に対する一個の総合概念としての「いかもの」という言葉がある。この言葉は上記の言葉と同様に、意思の疎通ないし風刺的な批判を容易ならしめるものと云えよう。また思惑的な「いかもの」に対しては、「いんちき」といった表示がある。
言葉は人を殺すことも出来よう。特にこれらの言葉の裏に、なお完全に生きた概念があるにおいて然りである。従ってまた生命を作り出すことも出来得る。では、私たちはこの味とそしてその武器であるいかものに、私たちの希望をかけることにしよう。

「味」の説明はよく分かるが、これだけでは「擬物・いかもの」というのが良く分からない。それは次の章「絵画」を読み進めると説明が出てくる。

これらの美術家達ないしこれら以外の多くの美術家によって、伝統はますます先方へ進められて行くのだ。彼らとても、数にしてみれば、極わずかであるし、従ってその影響も微弱のようではあるが、あの怖るべき擬物(いかもの)の大群も、一度日本の立派な伝統による思想、あの落ち着いた精神がこれに一息くれさえしたら、こんなものは鳥の羽ほどの目方もなくなってしまうことあろう。それはそれとして、あの渋い、澄んだ、己に安んじた、全く日本的の雅趣とも云える。あの「味」こそ、恐らく将来において何時か、日本の美術界に一勢力となる日がくるであろうと思っている。その日が来さえすれば、あの現在の夥しく繁茂している擬物(いかもの)、ほとんど圧倒的な「いかもの」、「いんちき」の類は、一つ残らず秋の枯れ葉のように吹き散らされてしまうであろう。
この素晴らしい国の大地に根を下ろしたものが、やがては新しい美術の春を迎えて、成長し、花咲く日も近いと思う。

要はこういうことだ。当時の日本人は、西洋かぶれ・欧米志向が高まり、自国の文化・日本文化を軽視する傾向にあった。日本には古来から続く素晴らしい文化があるのに、西洋風のまがいものが多くなったことを、ダウトは嘆いている。(しかも逆に西欧・米国では日本文化が好まれている。)
そしてその精神(神道的精神・大和魂)が失われることは、同時に、日本の文化、芸術、美、が失われることも意味することを説いているのだ。
この本を通じて彼が訴えているのは、日本人が日本文化を護らないでどうするといった警鐘を鳴らすことであった。
そういう意味では三島由紀夫の「文化防衛論」にも近いと思う。

さてさて、「芸術」「神道」「味」と3章引いてきましたが、これもこの本の導入部分でしかない。このあと、絵画や工芸、彫刻など細かい日本文化の解説がある。とても面白いので興味のある方は本書をあたってください。

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土瓶・南部鉄器は海外で人気だそうだが、19世紀中ごろ以降のジャポニスム運動で、日本の工芸品が西欧で人気が高かったことが、本書の説明でわかる。
現代のクールジャパンの下地は、このジャポニスムが作ったといえるだろう。南朝鮮文化などという底の浅いものではないことをもっと知らしめた方がよい。

ついでに、本書の序文を載せておきます。

原本序  黒田清
ブルーノ・タウト氏は幸福な人である。
その氏がいずれの国にあっても、その土地の魂に触れる事ができ、またその国の文化が深く蔵している美をはっきり見抜く事のできる人だからである。
滞日数ヶ月にしてすでに小堀遠州を日本最大の芸術家とし、また桂離宮を「日本の最終にして最高なる建築的発光点」と云い切ったのを見ても、氏がいかに鋭い直感と深い洞察力とをもっているかが解るであろう。
我々は、我々の祖先が残して行ってくれた輝かしい文化的足跡から、常に変わざる真理と美とを見いださねばならぬ義務を感じている。
ダウト氏は今、我々と共にそうした仕事に取りかかっているのである。タウト氏の我が国に対する態度は単なる理解ではない、熱愛しているのである。だから氏の前には我が国の文化は嘘がつけない。
本書は氏が日本に着いて以来、変わらず愛を我が国の文化に感じながらなした、深き研究の所産である。単なる印象記ではない。本書をひろく江湖(こうこ)にすすめたい。(昭和11年8月20日)

黒田清という方検索すると、(くろだ きよし1893年(明治26年)8月 - 1951年(昭和26年)1月22日))は、日本の華族。貴族院議員・財団法人国際文化振興会専務理事。爵位は伯爵、とあった。榎本武揚と黒田清隆の曾孫にあたる方なのか。こういう面白い発見もあった。

大まとめは次回にします。
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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その8  「神道」5 神社と日本人、そしてなぜアニメに神社が描かれるのか

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その8  「神道」5 神社と日本人、そしてなぜアニメに神社が描かれるのか 
さてさて、「神道 <単純性の持つ豊富性>」の章の最終回です。
今回はこれまでのまとめの部分となっている。
この章では、西欧・米国を魅了した「ジャポニスム」である日本文化は、その源泉を「神道」の中に見ることができ、よって日本人と神道は切り離すことができないものであると結論付けています。たとえ経済発展によって社会変革が起ころうとも、政治改革が起こって国の体制が変わろうとも、日本人は神道を捨て去ることはできないし、してはならない、ということを説いている。
これは日本及び日本人の根幹であり、まさに国・民族のアイデンティティーに関わることなのだ。
では、本文を。

欧化思想やアメリカニズムは、伝統的な日本の諸形式に比べては純然たる無形式である。もちろん、ここで「無形式」というのは、相対的、批判的な意味で、つまり形式の完全な欠如ではなく、これらの形式が全生活と全く一致せず、内容を欠いているという意味なのであるがーーしからばそれらはただ未だあまりにも新しく、若過ぎるがゆえにのみ、無形式なのであろうか。私はそうは思わないのである。なぜならば、ヨーロッパを基準にして考えれば、それは決して若くはないのである。ところで日本ではすこぶる支離滅裂な、取って付けたような無関係状態にあるので、日本的なるものとの融合は、絶対に不可能のように思われる。
仮にヨーロッパあるいはアメリカの都会で、前述したような祭礼が、外観だけはそっくりそのまま模倣されたとしたなら、これに対して日本人は何というであろうか。いささか贅言かもしれないが、本章の冒頭でも云ったように、日本文化はヨーロッパ文化に莫大な影響を与えて来たのであるし、現在もなお与えつつあるのである。が、もちろんヨーロッパでは、殊に有力なる芸術家の間にあっては、日本的なるものの直接な模倣は、全然行われてはいない。彼らはむしろ日本の影響を、ただ自己の線の洗練のためにのみ利用したのに過ぎないのである。日本のごときかくも遠隔の地の文化が、かかる影響を与えることが出来たのは、一種特別な秘密に拠るのである。そしてこの秘密は、日本文化のあの外見上は素質的なものらしく見える堅実さにもかかわらず、直感的なものや手軽に達せられるものや即興に傾く傾向の中に存するのだと云えよう。私はこのことをあの単純性と極めて豊富な変化との結合から成る神道において、解明せんと試みたのである。
吉田兼好が十四世紀の初頭にものしたアフォリズムの中に、次のような箇所がある。
『すべて何も皆、事の調(ととの)ほりたるはあしき事なり。為残したるをさてうち置きたるは、おもしろく、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、かならず作り果てぬ所をのこす事なりと、或る人申し侍りしなり。先賢のつくれる内外(ないげ)の文にも、章段の欠けたる事のみぞ侍る。』
徒然草の独訳者グンデルト博士は、兼好を「いかなる型にも嵌めることの出来ない、しかも今日に到るまでもあらゆる精神的日本人の中に認めることの出来るタイプ」と称している。それゆえなお一文を引いて見よう。これはほとんどリヒテンベルクの作と云ってもいいくらいである。
「その物つきて、その物を費しそこなふもの、数を知らず有り。身に虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。」
もしこれが精神的日本人のタイプであるならば、神道もまた決して博物館の棚に曝されるようなことはないであろう。神道は今日すでに外観上にさえも、甚だしく合理化されている。例えば、かつては祇園祭の神輿を担ぎ、あるいは重い山車を曳くことは名誉であり、祝福でもあったのであるが、今日ではこれに報酬が支払われている。それにもかかわらず、生命の溌剌さから受ける印象は変わらないのである。これと同様にあらゆる神話や伝説も、多かれ少なかれ合理的な眼で見られるようになっているが、しかもそれらが現代生活に与えているものはなお豊富である。芸術の活動力は、今日日本になお豊富にあふれている、あの源泉から汲みだすことが出来るのである。
近き将来にこの国にいかなる政治的経済的発展が行われようとも、典型的日本の今日もなおかくも活発な文化的生命を鋏をもって切り取り、捨て去ってしまうというようなことは全然不可能であるし、また極めて有害なことであろうと思うのである。

最後の部分が心に響きますね。
過去記事「政教分離で公的支援困難 震災で寺や神社の再建進まず。」や「再建されない神社・寺」と「日本文化」と「グンソク」」でも触れましたが、震災や災害によって被害を受けても、政教分離の原則によって、神社や寺は公的資金が得られずに再建できないというのだ。
日本人にとって神社(寺も含む)・神道は切り分けられないものだと、タウトは熱く語る。関東大震災からの復興を成し得たのも、この日本人の精神(つまり神道的精神)があったからだとタウトは考えた。これらはこれまで引用して来たものを読めば、疑いようのないことだと強く感じるはずだ。
だがどうだ、平成の世の東日本大震災では、政教分離の原則があるから神社の再建はできないというのだ。まして、「神社は憲法違反だ」という極左がいて、最高裁でもそんな判決が出た。(過去記事「「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。」)
日本人の精神の拠り所までも喪失させようというのか!
ここを失えば、日本人はもはや日本人ではないだろう。
そして、そんな状況に陥ることを、手を叩いて喜ぶ国がたくさんあるということを忘れてはならない。

だから、何気なく見ているアニメでも、神社のシーンが出てくると、嬉しくなる。
アニメの中で、神社で頭を垂れる場面。
アニメと神社 
「けいおん」から。けいおんは意外にも神社の登場シーンは多い。
あずにゃん 神社
あずにゃんが先輩の合格祈願をするという「美しい場面」もある。
神社 初詣
「らきすた」から。初詣の場面。父と娘というのがいい。

神社と「ちはやふる」
「ちはやふる」から。近江神宮で参拝する主人公たち。これは本当に和文化にあふれたいいアニメだと思う。

大切なのはこういう日本人の精神を伝えることだ。
しかもこの日本のアニメが世界へ発信され、外国人の日本文化ファンを増やしているという事実がある。これはまさに現代の「ジャポニスム」と言わずして何というのだろう。
だがそれでも「クールジャパンはない、マスコミが吹いたウソだ」とか「広告会社の捏造だ」とか「思っているほどジャパニメーションは売れていないから、日本文化は広がっていない」とか言うのを最近よく見聞きする。これは「経済効果」や「ビジネス」といったカネでしか価値判断をしていない誤った考えだ。売れたとか儲かったとかいった価値判断で「文化・芸術」を見てはいけない。
ゴッホの絵は生前に一枚しか売れなかったし、ジャポニスムの切っ掛けとなった浮世絵は当初、陶器の包装紙でしかなかった。当時は対したカネには成らなかったものが、現代では芸術として評価されているのだ。
文化・芸術というものを、カネという物差しで計ってはいけない。民主党の事業仕分けのような愚行となるだろう。

詳しくは過去記事「アニメは日本文化を救えるか」シリーズで。
第1回 アニメでカネ儲け主義に走れば、アニメ文化は衰退する。
第2回 アニメと日本語
第3回 ソフト・パワーの時代。中国がパンダなら、日本はアニメだ!
第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。
第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。切っ掛けは「タイ焼き」から?……。
第6回 アニメと神社
第7回 これからの「クールジャパン」は、消費される文化を目指すのではなく、日本文化を広め、深める道を進むべきではないのか。
第8回 大切なことは何か


横道にそれた。「神社」に話を戻そう。
神社に関するタウトの文章をもう一度振り返ってみましょう。(「芸術」の章から)

(神道は)一つの自然観であって、個々の現象も、自然の力も、また特殊な力の表出として登場する各個人々々でさえもが、神社の中にモニュメントとして保存されているのである。それらの放射力はこの神社に集中されているのであって、何も入っていないとも云えるこの固有な神社の小ささは、たとえばこれを一冊の書籍としてみれば、尊重している人が心の中でひもとく書、またあらゆるかの偉大な美しい感情が輝き出てくる書であるともいうことが出来得よう。日本の人がある神社に対して懐く尊崇の念は、教会に対して懐くキリスト教のそれとは全くその類を異にするもので、さらにまた寺院とか仏陀に対してわななく人の感情とも、およそ何のかかわりのないものとも云えるであろう。
私はこの神道の中に、真に日本的な芸術や文化感情に対する、その解決の鍵があると考えている。

そう「何も入っていないとも云える小さな神社という空間の中」に日本人の精神や思考やアイデンティティーが、日本の美が、歴史が、伝統が、文化が、ぎっしりと詰まっているのだ。
だから現代の「ジャポニスム」であるアニメに神社が描かれるのは何の不思議ではないのかもしれない。
夏目友人帳 神社
夏目友人帳
神社とアニメ3
ちはやふる
シュタインズ・ゲート 神社
シュタインズ・ゲート
花咲くいろは
花咲くいろは
ひぐらしのなくころ
ひぐらしの鳴くころ
化物語 鳥居
化物語
A I R 美浜町 御崎神社
AIR
などなどちょっと検索すればいくらでも拾うことができる。過去記事でも「それでも町は廻ってる」「かみちゅ」「いぬかみっ」「瀬戸の花嫁」の神社の画像を載せいるし、このシリーズでも「銀魂」「あの花」「日常」を載せた。それほど、アニメと神社は相性がいいのだ。
そして、アニメでは鳥居が描かれることが多いことに気付く。象徴的に描かれる鳥居。なぜ鳥居なのか。
先日こんな記事を読んだ。
鳥居
日本の「鳥居」が頑丈すぎると話題に 海外の反応海外のインターネット上で大流行している話題がある。」というサイト記事だった。
「それが何と、日本の 「鳥居」だと言うのだ。どうやらネット上で1945年、原爆投下で壊滅した長崎で鳥居だけが無傷であったり、2011年の震災時にも 同様の事が起ったことから、 頑丈すぎる「鳥居」は何でできているんだ!と大きく話題になっているらしい。」とある。
大災害にも原爆にも負けない「鳥居」。
それはまさに、日本人の勁さ(つよさ)を象徴しているようだ。(「勁さ」の意味は、過去記事「ドナルド・キーン「日本人よ、勇気をもちましょう」から」、で。 )

アニメを作る方も、観る方も直感的に(しかも無意識に)、神社の中に日本人の心が、魂が、精神が、凝縮されていると知っているのだ。
そう、それはもう、日本人の血に刻まれていることなのかもしれない。

続く。
最後に大まとめをしたいと思います。

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その7  「神道」4 「祇園祭」と「谷崎潤一郎」と「らきすた神輿」

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その7  「神道」4 「祇園祭」と「谷崎潤一郎」と「らきすた神輿」

さてさて、タウトの引用も7回目です。今回は少し長めとなっています。
前回はタウトが愛宕神社へ行き、日本文化の美の源泉が神道・神社にあるという説明から引きました。
そして、震災や大災害に遭っても決して動じることのない日本人の強さは、この神道的精神によるものだということした。
で、今回はそれを受けて、「祇園祭」を見た感想から、「祭り」の中から日本の美を発見していく部分になります。
祇園
若いころ画家を目指していたというダウトなので、非常に細かいところまで観察し、描写しています。

かかる神道の観念を一層明らかにするには、各地の神社の祭神の由来を聞くことが捷経であろう。京都近郊の東海道の沿道に、往昔江戸に下る者がそこまで見送って来た親戚知己と最後の袂を別ったという土地がある。その街道の上手の森の中に一座の神社があるが、ある偉大な音楽家がここで、彼を見送って来た弟子達にその作曲の原稿を形見として贈り秘伝を授けたというのがこの神社の由来である。またある他の京都の神社は、自分の音楽の唯一の理解者であった友人が死ぬや、もはや我が弾奏も詮なしとばかり、楽器を斧で断ち切ったという音楽家の心を称えて建立されたのであった。この場面は祇園会の神輿の上に、眼も綾な活人画風に飾り付けられて、他の様々な場面を現した神輿とともに町々を担ぎ廻られるのである。大昔のある皇子が宮殿を造営するための木を手ずから伐って、工匠達の保護者と崇められたというような美しい譚や伝説は無数にある。
殊に両親愛の譚は極まりなき変化を見せて伝えられている。昔ある男がその両親を養わんがために、自分の息子を生き埋めにしようと犠牲にしようと穴を掘ったところが、その穴から黄金の壷が現れたとか、あるいは母の餓死を救わんとする孝心、神に通じて雪中に筍を掘るという孝子の話等、これらの場面もまた祇園会の神輿に飾り付けられて町々を担ぎ廻られるのであった。神輿およびまた神殿中にある小本陣は要するにかかる話や伝説の主人公の神体の納められている器であって、これらの話や伝説の持つ倫理的精神的力がそこに集中せられている。そこから再び外部に向かって倫理的精神的な影響を放射しているのである。それゆえ信仰形式もまたこの力が弛緩することのないように形成されているのである。
もちろん前述のごとき組織の分化にふさわしく、これらのむしろ感傷的な人間的な物語のみでなく、これと同時に太陽神を解放した神が海と結びついて日本の国土を生成した、というような天地創造の神話も取り扱われているのである。さまざまな神話や伝説の記念日は、ほとんど一年中を通じて連続しており、このような祭日には色と光との大々的な祝典が催される。ちょうど私は三柱の綺羅を飾った金色の神輿が本社から出て、京都の大通りに設けられたいわゆる御旅所に渡御せられるのを、とある小路の二階の廊下から眺めたことがあった。町は御祭気分の興奮に漲り、婦人子供、芸妓、舞奴等はそれぞれ一番美しい着物に着飾り、男の子達は大はしゃぎで町中を走り回っている。やがて大勢の神輿を担ぐ人夫達が、頭領の取る扇子の拍子に合わせて、有頂天に踊りながらやってくる。と間もなく、その反対の方向から本行列が現れて来た。先頭は昔の武士の衣装を着けた人々で、その隊長は馬に跨り、長柄の傘をさしかけられていた。これに続いて色彩豊かな揃いの衣装を着けた仕丁が、様々の神器や太鼓や神剣等を棒持しつつ現れ、その後から氏子である市民達が神々しい青と白の衣装で続いているのであった。こういう厳粛な行列の真只中に、神輿はまるで人の肩の海の上にうかんででもいるように、濤に揉まれ揉まれて町中を走って行き、時々輿丁は腕を伸ばしてそれを出来るだけ高く持ち上げたりするのであった。この神輿は社内用の小さな漆塗りの足の他に、さらに巨大な梁状の足が取り付けられ非常な重量を有しているので、多数の人の肩と腕とが必要なのである。かくしてこの金色の神輿は、力強い男の筋肉に揉まれ、その人夫たちの「ホイナ、ホイナ」と掛け声かけて調子を取って行く様は、誠に白昼の歓喜恍惚の状態である。
夕方になると神殿や祭壇は神道の紋を付け、蝋燭を点した大提灯で一杯に覆われてしまう。神輿が運び出される前に陳列されてあった本社傍らの広場は踊り場と化し、やはり昼を欺く提灯の光に照らされて、実に見事な陶然たる情景を呈するのであった。まるで無限の鎖のように連なっている提灯は、非常にデリケートな明暗の諧調をなして、あたかも光の壁を形造っているごとくに見える。そこに先刻神輿を担ぎ出した輿丁たちが集まって、酒の振る舞いを受けるのである。すぐその隣にある本殿には、御神体はいわゆる旅に出て留守なのであるが、古風な篝火が燃え、商売繁盛夫婦円満等を祈る参詣者が引きもきらぬ有様なのである。それは、たとえ神殿は空でも、神体から発散せされる神力は、常にここに留まっていると信ぜられているからなのである。そしてその周囲一帯には、歳の市風な売店がずらりと並んで、記念品とか蛇の黒焼き等というものを売っているのである。
全日本に有名なこの祇園会がこれほど活発に、かつ色彩、光、音楽の華麗なものとなったというのは、その成立の年に恐るべき疫病流行に対する最後の手段として、諸々の神社の神体を呼び出して、病魔に満ちた空気を清掃するためにあらゆる限りの神力を示顕せしめんとしたことに由来しているのである。この日のために、なお大きな車輪を付けた車が多数に用意せられる。これらの車はいずれも中央に神壇を設け、その周囲にヨーロッパあるいはペルシャ渡来の、往事にあっては確かに貴重な珍品であったに違いない、赤色をふんだんに用いた壁掛けやゴブラン織りが掛け並べられてあり、その上の幔幕を張った席には、揃いの着物の楽師が居並び、前方正面には一人の盛装を凝らし、白粉を塗った稚児(今日では人形を用いることが多い)が立っている。この稚児の席の上は、多く卵形の張り出し屋根になっていて、そこから樹、月あるいは巨大な槍などを表す非常に長い柱が高く突き出ている。これらの車は、多勢の曳子によって長い縄で曳かれながら、町を練って行くのである。家々の屋根よりも遙か高く聳えて動く様は、あたかも教会の塔が揺るぎ出たような偉観である。
その上で演ぜられる音楽は、時々そのリズムを変える。というのは、その車には左右に動く心棒がないので、角を廻る時になると、その拍子を緩め、直線コースの時は速める。すなわち道の如何に応じてリズムを変えるのである。その音色は一種独特のものであって、いわば特別な香気を持っていると云える。この香気は主として車の両側に吊り下げられている鈴によって起こされるのであるが、楽師はその鈴を連ねた綱を交互に引っ張っては、様々な音色を響かせるのである。鈴の他には太鼓と笛とが用いられている。厳粛なリズムではあるが、しかしまた行列全体と同様に多彩である。それは神々を楽しませて、その神輿の活動を鼓舞するためなのである。祇園会の際には、かかる塔状の車(山車)が八台あって、その間を前述のごとき伝説の場面を写した神輿が担いで廻られるのである。

長いので一旦切ります。
そして、後半部分も「祭り」の描写となりますが、読んでいて谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を思い出してしまいました。「電灯の明るさ」とか「日本美は陰にある」とか、ほとんど同じようなことを言っています。
陰翳礼讃
タウトは建築家なので、他の本にも日本家屋や間取り、家具、工芸などの解説があり、「日本文化私観」においても日本の建築物に対しての説明がある。それらが面白いほど谷崎潤一郎と同じ視点を持っているのだ。
「陰翳礼賛」に共感した人は、タウトの本にも共感することができるでしょう。
では後半部分を。

この祇園会の華麗な行列も、これに匹敵する京都の葵祭のそれも、単なる見世物ではなくて、一般市民の漲る祭礼気分の興奮の渦巻きの中に行われるのであって、人々は一年中をかけて、ただこの一時を楽しみにして待っているのである。それは他の、これほど大規模でない祭礼の場合も同様である。
こういう人々の期待も実は当然なのである。なぜならば、祭礼当日に先立つ数夜というものこそ、実に筆紙に尽し難い楽しい情景を展開するのだからである。祭礼用の山車の正面は、神社に見られるのと同様な大提灯が懸け廻らされ、これも特に祭礼のために開放され、飾り立てられた人家から、この車の上にある楽師席に橋の上を多勢の子供たちがひっきりなしに右往左往する。雑踏せる大群衆は、楽師たちの演じる祇園祭の楽の音と提灯の光に魅せられて、すぐ傍らを走る電車や自動車の音などは耳にも入らない。そして誰も皆、ことに婦人子供は、あの世界に有名な、多彩な華美な着物に盛装している。
本通りを離れて横道に入ると、そこはまだ純日本風な家屋が残っていて、幾つかの細い路地に奥に些かな末社がある。これらの路地もやはり提灯で飾られ、また末社の広間には宝庫から出してきた様々の宝物、あの伝説の人形とか、華麗な刺繍を施した祭服、大きなゴブラン織といった類のものが陳列される。これらの古風な町々は、祭礼当日になると一斉に、あの山車に見られたと同じ提灯を唯一の証明とし、その提灯の列は、たまたまそういう狭い街に山車の置かれてあるような場合、山車に懸けられた提灯と融け合って素晴らしい芸術的な統一をなすのである。そして鈴、太鼓、笛の音楽は、さらにこの芸術的統一に最も自然な基調を与える。高く聳え立つ山車のあるこの古風な町の光景こそは、日本の「眼」の文化の最大傑作であり、事実想像以上に美しい。
だが大部分は織物や酒の卸商売であるこれらの町々に見られる、祭礼のために特に設置された店頭の有様は、実に思いがけないような眼の楽しみである、祭礼の夜はすなわち社交の夜である。家々はそれぞれ道に面した室を出来る限り人目に付き、誰でもが入りやすいように設え、そこで家人は友人知己と碁を打ったり、その他種々な慰み事をしている。一家伝来の古い美しい屏風が立て並べられ、大きな花瓶には立派な花束が活けられてある。この場合には、通例の生け花の場合とは異なって、すこぶる多彩であるが、決して趣味が劣っているという訳ではない。これらのことごとくはすべて道に面して飾られてあるのであるが、といって飾り窓風ではなく、上からちょうど頭の高さ位の所まで、幅の広い幔幕で覆われているのである。中へ入って屏風の絵を鑑賞するのは自由どころか、かえって大歓迎される。かかる屏風の絵はしばしば驚くべき名画で、例えば雄大奔放な馬の絵とか、その他に鴎、鴨、鶴、鷲が描かれており、中には数百年前の絵なども交じっていた。
だが私が最も驚かしたことは、屏風による祭礼設備の中に、旧日本の室内構造が完全に純粋な形で残されていたことである。時にはずっと無趣味な、中国の影響を受けた、あまりにもけばけばしい屏風とか、我々の眼にはほとんど俗悪とも見えるような欧風幔幕もあるにはあるが、また時には完全に純粋な様式を保っている室もあるのである。ここでは大部分、現代日本の日常生活に普通に見られる吊電灯が点ぜられていたが、二、三ヵ所、昔風の約1メートル程の高さのスタンド(行灯)を点けている所があった。このスタンドの光線の柔らかさによって、畳と淡黄色を帯びた壁にある日本間の下から1.72メートル辺りまでの所を適度に照明し、室の下半分を引き立たせるのである。それはあたかも畳の上に座っている人の眼の届く範囲に相応しい光である。前面の室を通り抜けると、一本の樹のある小さな中庭があり、その向こうにまた居間があって、その居間の向こうに灯飾を施した樹のある所が見えているというようなこの種の室内設備は、我々の眼を楽しませる最高のものであった。ここに到るとそれはもはや陳列ではなくして、祭礼と現実との交錯であり、それゆえに最も深い、生々しい印象を受けるのである。
上述の一切は蓄音器の騒音とは何の関係もない。それはいかなる無形式ともすなわちあらゆるあの欧化思想やアメリカニズム(醜態カフェー、ダンサー、モボ、モガ、プロシア風アメリカ式の行進曲や制服等々)とも何の関係もないのである。

描写が上手いなあ。それにしても、タウトは「中国の影響を受けた、あまりにもけばけばしい」ものが蔑視し、その一方で、日本文化のもつ「渋み」や「味」のようなものを愛していた。(タウトが、桂離宮が好きで日光東照宮が嫌いだというのが良く分かる。私はどちらも好きですが…)
谷崎潤一郎もドナルド・キーンもこういった日本文化を好んでいた。これが大陸文化との違いです。文化はガラパゴス化しているからこそ価値があるのです。

まだまだ続く。

で、今回のアニメと神社の画像は、「けいおん」から「夏祭り」の場面。
けいおん 夏祭りこの回はちょっと幻想的でした。タウトの説明した「祭り」のようでした。

そして、アニメと祭りといえば「らきすた」でしょうか。
みこし
鷲宮の土師祭では「らきすた神輿」が出て、アニオタの祭典と化しているとか。
批判もあるようですが、今までの説明のように、これも一つの「日本文化」なのです。

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その6 「神道」3 愛宕神社と震災と日本人

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その6  「神道」3 愛宕神社と震災と日本人
前回からの続き

神道・神社を説明するにあたって、タウトは京都の愛宕神社へ行ったときの話を書いています。
愛宕
そこから日本人の宗教観を述べている。
そして、後半部分では、日本人が災害に遭ってもなぜ沈着冷静でいられるのかという疑問について、タウトは日本人と神社・神道の関係によってこれを説明している。
タウトが来日した当時、日本は関東大震災からの復興の最中だった。欧米人にとっても大震災後の日本が復興するかどうかに注目が集まっていたのだ。だが、タウトはそのとき日本人を見て復興すると確信したのだった。
過去記事「ブルーノ・タウトの言葉を信じれば、東日本大震災からの復興は成し遂げられる。」
その復興の大きな原動力は日本人の精神性の高さだといい、その根本に神道があると見抜いたのだった。
東日本大震災という大きな災害を経験した現代の日本も全く同じような状況にあるといえる。大災害に遭った東北人の冷静沈着ぶりは、日本人のみならず、外国人を驚嘆させた。これは今も昔も変わらなかった。
こういう精神を今も日本人は失っていないということが、大変喜ばしいことではないか。
日本人はこの「神道」的精神性の高さを保つことこそが、日本人たる所以となるのだ!

と前置きはここまで、本文を。


今ここに京都愛宕神社の例に取って見よう。ケーブルカーの起点よりもずっと手前の低い谷間に、既に「一の鳥居」が立っていて、往昔はここから険阻な参道を徒歩で登って参詣したものだそうであるが、今日では、まずしばらく電車を利用した後、かなり長いケーブルカーに乗り換え、その終点から徒歩で行くようになっている。老杉の聳える森の間を縫って、長い石段を登ると、そこに社領に入る門がある。それからまた長い道を経て掛茶屋のある展望台に達し、さらに左右両側に石灯籠をつらねた幅の広い険しい大石段を登ると、はじめて正門に達するのであるが、私が行った時には、この正門は丁度改築中であった。神道では、仏教と異なり、陰鬱な黴臭い空気を避けて、二十年ないし三十年毎に徹底的な、だがその形式は旧態そのままを伝える改築が行われるのである。この正門から右折して、非常に長い、屋根のある階段を登って行くと、ようやく本殿の前に出る。この本殿もまた最近に改築されたばかりであった。
私がそこに達したのは、もう闇のひしひしと身に迫る頃で、杉の木立を通してはるか下に京都の灯が見え、周囲はただ寂寞と静まりかえっているのだった。本殿を中心とする神域にはほとんど装飾というものはなく、神殿その他の建造物も建築術の上では、それほど重要なものではない。が、神像や彫刻やその他の宗教的装飾を全然備えていないということは、むしろ人の心を打つ力が大きい。全体が一つの観念の表現に集中されているのである。この官幣社の祭神は、活力と成功の神でもあるところの火神であって、商人達はここで神官より商売繁昌の護符や火災落雷避けの護符を買って帰るのである。この山は元来雷雨をはらむ雲間に聳えているので、そのために雷神がその本陣に鎮座していると信ぜられているのである。だが実際にこの本陣に飾られてある本体というのは鏡と塩である。これはどの神社でもそうなのであるが、塩が海だけを意味するのか、あるいは海と陸とを意味するものであるかは、私には明瞭ではない。しかし鏡の持つ意味は、恐らく「神といひ仏といふも世の中の心のほかのもかは」という源実朝の歌、あるいは謡曲「大社」の中の「いづくにか神の宿らぬ蔭ならん、嶺もをの上も松杉も、山河海村野田残る方なく神のます」という文句の中に現れているのではないかと思われる。
日本でいう神とか神柱とかいう言葉の意義は、キリスト教の立場からいうとそれとは全く異なっている。日本人にとってはーーこの点では総ての南アジア民族に共通なのであるがーー自然あるいは世界というものはあまりにも広大無辺なので、これを唯一の全能神の支配下にあると考えることが出来ないのである。一切の万有が、人間自身もまた、かかる広大無辺なるものの一部であると見なしているのであって、かかる自然宗教は、むしろ古代ギリシアの汎神思想と比較され得よう。神殿あるいは時には「神輿」の中に神が鎮座しているというような場合、ここに神と呼ばれているものは、元来あの広大無辺なる力、自然力とかあるいは万人の尊敬する人徳の一つを指しているのであって、それが純粋に神霊崇拝思想に拠るものか、あるいは単にいわゆる迷信の形で現れているかは、個人的な問題にすぎない。だが迷信がかかる形で現れるその素因も、また日本の自然、日本の生活の中に求められよう。農業の非常に早期な進展、あらゆる職業の極度の発達の中に現れている、日本人の精巧緻密な仕事に対する素質は、社会に対しても極めてデリケートな分化を実現するに至らしめ、その結果がまた上述の進展発達を促進せしめたのでもある。
かかる社会生活上の分化は、その精神的根拠となるものを宗教観の同様にデリケートな分化の中に求めた結果、変化極まりない精神的内容を持った無数の神社の出現となり、社会生活の微妙を極めた諸層の上に臨む上置きとして、これまた同様に微妙を極めた神道の組織が形成されるに到ったのである。この組織が日本人に自制の観念を植え付けたのであって、それは天候の急変、地震、海嘯(津波)等のごとき自然力の突発的襲撃に当たって、沈着冷静の行為を行わしむるためにも欠くべからざるものだったのである。全国民はその独自な地理的状態のために、本来は極度に神経質なのであるが、かかる神経質を毫末も表面に現わさず、自制心によってそれを克服するというのは、社会生活および精神的態度に現れている、あの組織の力に俟つ所が多いのである。それゆえ神社に参詣するとか、あるいは神官から護符、神託その他の物を買い求めて厄除にするとかいうことは、結局自分の神経を安めるためで、現代の精神病医や精神分析学者が応用している方法に均しいと云えよう。しかも宗教問題に関する限り、他宗排斥的な偏狭さはなく、熱狂的な信仰でもないし、また神聖冒涜の観念も存しないがゆえ、誰でもそれぞれ自己流の神恩の有り難さを称えることができるのである。神はここでは酒、石鹸の商標、料理屋その他のあらゆる「俗」用に供せられ得ないほど神聖なものではないのである。

とまだまだ続きます。

で、今回のアニメと神社は、「あの花」こと、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」です。これ結構好きです。
神社とアニメ 4
秩父神社ですね。
懐かしいな。よく仕事の関係で秩父に行っていたので、アニメを見ていて、「武甲山を眺めがらコンビニ弁当食ったけ」とか「仕事の会議で地場産センターに行ったよな」とかそんなこと思い出してしまった。
それに「秩父神社」は天海の徳川埋蔵金探しで何度かあの周辺をうろついていたので、近在の社寺が出ると「あっ、あそこ行ったことがある」とか、そんな具合で、とにかく懐かしかった。(まあこれは別の話ですが)

さて、その秩父神社もいまやアニメファンの「聖地」の一つとなったようで、アニメキャラの絵馬で埋め尽くされている。
絵馬
なぜ、アニメオタ・ファンは神社に集まるのか? 物語の舞台と描かれているから、いえ、それだけではないと思います。
きっと、そこに彼らを引き付ける何らかの力があるからでしょう。

まだまだ続くよ。

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その5  「神道」 2 日本人の血の中に浸み込んでいる精神性

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その5  「神道」 2 日本人の血の中に浸み込んでいる精神性
「神道 <単純性の持つ豊富性>」の2回目です。

神道の「観念(イデー)」は、確かにはなはだ「原始的」である。人間および人間生活と自然および自然力との結合がそれである。ある神社を尋ねて行くと、必ず森とか山とか海辺とかに遭遇する。だがかかる自然との結合が、恒に極めて情緒豊かな、誰の眼にも疑いのない高い美しさを伴っているという事を考えなければならない。加えるに、そこにはなんら建築上の一定の型というものは見出されず、高山あるいは平野の鬱蒼たる古木の間に設けられた大規模な神社から、到る所の町村に見られる小神社、私邸の庭園やビルディングの屋上にある神殿、小料理屋の室内に飾られた祭壇ないしは一般家庭の台所にある、豊頬便腹(ほうきょうべんふく)の美味と健康の神を祭った神棚等に到るまで、その変化は実に無限である。供物用の皿や花立を有する墓碑も、またこの種のものの一つであるが、かかる墓地から受ける印象は、手入れの行き届いた墓標とは云えないものがある。むしろ自然の手に任せて、その自然の中に溶け込み、消滅し去って行くもののように見えるのである。ことに田舎の墓地は、特定の範囲に限られることはなく、樹の下とかその他任意の一隅散在し、全然自然の風景の中にその姿を消してしまい、いわば死者の身体も霊も、大自然の中に吸収融合せられてしまうようになっているのである。それゆえ汽車の窓から通りがかりに眺めただけでは、まるで目に付かないのであるが、農家の構造とか農民の習慣とかを見慣れて、田園生活に関する若干の知識が出来上がると、そこに初めて非常なる細心さと抑制とをもって取り扱われている日本の風景のこの細部の姿が、眼前に現れて来るのである。
上述のごとき、比較的明瞭に宗教的特色を有する事象の他に、なお路傍や庭園の中等に、種々な伝説的あるいは神話的意味を有する石造の小神社が見出される。これらの人目に付かないような神社の傍らには、幸運のマスコットたる狐の石像があり、その横には狐の住処を象徴的に現した石の洞が設けられている。また「狸」の奇怪至極な変化の話を聞いたり読んだりする。日本人は、狸が実際に人間に、特に坊主に化けるということを真面目に信じているのである。これは恐らく微妙な風刺なのかもしれない。狸が化けるのは臆病愚鈍な人間を弄んだり、あるいはかかる妖術によって不当に苦しめられている者の守護をしたり、または自分を助けてくれた人に報恩の意を表したりするためである。この現象はドイツのリーゼンゲビルゲ地方に行われている山霊リューベツァールの物語を想起させられるものがある。この地方の勧善懲悪の意を含む民俗的諧謔説話は総てこの山霊を中心として語られているのである。リューベツァールと狸、この両者は民間の諧謔心理を具体化したものであって、最初の農夫の中の道化者が面白半分に同時にまた別な新しい怪談を呼び起こすために、これらの姿とそれに関連する迷信を利用したものであろうが、やがてそれは滑稽なおとぎ話として口から口に伝えられ、その内には信ぜられるようにさえもなってくる。そしてまた新しい道化者が現れて、新しく付け加えられて来た様々の変化を使って、新しい滑稽談を仕上げるというような具合なのである。これは日独いずれの場合にも同様である。だがここに、狐の信仰が中国から渡来したものでありながら、神道に結合されるのに対し、狸説話が純日本のものでありながら仏教に結合せられたということは、大衆というものがあらゆる教義的な拘束から完全に離れた自由な立場にあるということを証するものであると云えよう。思うに、結局はこれも一つの風刺なのかもしれない。
神社に祭られた諸々の神々に関連して伝えられている神話、伝説、譚の類は、あたかも熱帯に繁茂するテンジョウ植物のように錯綜を極めているので、ほんの半ばだけでもこれに通暁することは容易ではない。ここに、あの評論家達の主張する神道の単純原始性とは全然反対の現象ーー詩味と連想の豊富さが現れているように思われるのである。ヨーロッパ人としては、恐らくとうてい通暁出来ないような無数の譚や伝説は、あたかも我々ヨーロッパ人が子供のころに聞かされる童話の場合と同様に、日本人の血の中に浸み込んでしまっているのである。
加えるに日本人は即興を愛することの強い国民で、この即興を愛する心こそは、一般にみられる厳格な形式尊重と正反対をなすところの、日本の諸芸術の、殊に斯道の達人の社交的娯楽として現れている絵画と抒情詩(和歌)の特質なのである。もちろんこの際建築だけは例外である。とはいえ、この建築の場合にも、その構造上から云えば、柱を組み合わせただけにすぎない日本家屋には、無限な変化を与える余地が残されているのであって、要するに、あの優雅な茶室のごときは、趣味の洗練された茶の湯宗匠のものせる抒情詩に他ならない。今日においても、大工が拙劣な建築家の精密な設計図などは無視して、全然独創的にそれよりも良いものを造ることがあるが、これも結局今述べたことと変わりがないのである。
だがこの国民の即興を愛好する心は、その最上の捌け口を、あの前述のごとき譚に見出したのであった。それは神道の根本思想が極めて単純素朴であるからに他ならない。この根本思想を最も良く表しているのは、大懸かりでいてしかも簡素な神社の境内の施設である。

ここに「たぬき」をめぐる伝説や物語が出てきますね。
ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」を思い出していまいました。
ポンポコ
たしかにあそこに日本の原風景や日本人の精神性があったように思います。

ここで狛犬のことを「幸運のマスコットたる狐の石像」と云っているのが面白いですね。
神社とは面白い空間で、こういう
武田神社 キティちゃんキティちゃんが神社の境内にあったりする。
「単純性の持つ豊富性」とは何でも受け入れてしまう包容力が神社にはある。
だから、アニオタや歴女といったものまで幅広く受容する寛容性がある。

過去記事
日本人はなぜ「神社」に行くのか!
神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!
ほんとに、神社は不思議な空間だ。

まだまだ続きますよ。

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その4  「神道」1 日本文化に魅せられた欧米人たち

ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その4  「神道」1

日本文化の美に魅せられたタウトが、その独特な文化の源泉がどこにあるのかを考えた。その結果、行きついたのが「神道」だった。
その彼が「神道」について書いているのが本章となります。
タウトの意見のユニークな点は、外国人の芸術家が日本文化と神道の関連性を語っているところにある。日本文化や日本人の精神や神道について書かれた日本人論は数多くあるが、こういう視点はなかったのではないか。(いまでは多く見かけるが)
また、これが戦前の1936年・昭和11年に書かれたことも重要で、第二次世界大戦突入の直前という世界的に不穏な空気にあった、という時代背景が彼に大きく影響している。(タウト自身もナチスドイツからの亡命者)
そんな暗雲漂う時期にあって、日本人が日本文化を護り、その原点に帰ることを熱意を持って語っているのだ。
グローバル化だ!中国の膨張化だ!TPP参加でアメリカ標準に合わせろ! 平成の世の現代にあって、「日本文化」の危機は、当時と同じなのかもしれない。
では、本文へ。(この章は長いので何回かに分けて載せていきます)

神道 <単純性の持つ豊富性> 1

日本文化は、ただにアジア自身にとってのみならず、多くの点で、他の諸外国にとっても重要な価値を持っている。地球は実にこの島国に、いわゆる未曾有の価値を有する財宝を持っているのである。ドイツでは一時文化という語が多くの賢明な人々によって避けられていたことがあったが、それは、この語があまりにも激しい濫用のために空虚なきまり文句となってしまったためでもあり、ことに、それが多くの点で全然完全な内容を持たないようになったためである。では、文化という語の内容はいかなる点に存するのか、それは人生の諸相が一つの調和的な総体に結合せられる点にあるのだ。そしてヨーロッパ人の一部には、少なくとも現在までもなお生命を有している純日本的な伝統に関する限り、日本にこそ、これが実現されているのだと唱えている者がある。
だが一方には、これと対立的に、日本文化のかかる完成が結局同時にその弱点であると見なしている者もある。かかる人々は、この偉大な、あらゆる細部に到るまで精緻の極を尽くして完成された調和というものは、全然発展性のない硬化状態に陥るものだと考えているのである。それゆえ、エミール・レーデラー教授は、その著書「日本ーーヨーロッパ」の中で、ヨーロッパ文化を能動的でかつ他の影響にも敏感な動的文化と呼んだのに対し、日本文化を定着不動の静的文化と称している。彼の説に拠ると、あらゆる思想、時代傾向有力な人物、あるいは団体の影響に対して直ちに反応を示すことが、ヨーロッパ文化の長所と云っているが、しかしこの特質こそがヨーロッパの流行(モード)の混沌状態の素因なのであって、ここから典型的な欧米流行の概念が生じて来たのである。この概念の及ぼす影響の範囲というものは、たんに衣装や家屋のみに止まらず、理論、思想ないしは、その結果全然方向を見失った全生活態度にまでも及んでいるのである。レーデラー自身もまた、欧米が日本に及ぼした影響は、単に機械工業、特に軍需工業の上にのみ限られているのであって、真に文化的な影響は極めて皮相的なものに過ぎないことを確認している。これに反して、ヨーロッパが日本から摂取した影響は、文化的な事象にのみ見られ、ことに芸術と建築の領域においては、かなり深く滲透している所がある。現代建築術はその発生の時(1900年前後)以来、直接に日本の影響を受くるところ甚大なものがあるのである。要するに、日本からヨーロッパに渡来した所のものは何ら文明的なものではなく、欧米から日本に渡ったところのものは、何ら文化的なものではなかったのである。
日本の文化は決して地球上の諸文化の一つであるというに止まらず、生命力旺盛な調和である。それゆえ、いわば生きている存在たるかかる現象に対して、死人の特性、すなわち硬直状態を云々するのは誤解を招いた結論であると云わねばならない。それよりむしろ欧米における似非文化を指摘して、文化なるものの特徴は、人生の諸相を一つの調和的総体に融合せしむる点にあることを強調する必要があるのだと思われる。日本文化が芸術及び人間生活において恒に簡素を好む傾向を包蔵するものであるとするなら、これは実に、欧米の教養ある人々が、良い意味で「現代的(モダーン)」と呼んでいる所のものに他ならない。それゆえ、少数であるが、西洋の賢明な人々の持っている生命ある文化の概念は、良き日本の伝統に見られる原理と完全に一致するものと云えよう。
これを解明するためには、まず日本文化の根源、その中心にまで遡らねばならない。日本文化の根源をなし、中心となすものはすなわち神道である。なぜならば、神道はその根源を二千年の昔に有し、他国との関係は全然なしに生まれ来た、太古以来の純日本的所産であるからである。神道の内容は極めて単純で、天皇を中心として結晶し、日本国民相互間および国民との間の結合を醸成せる祖先崇拝観念が、その内容なのであるが、レーデラーはこの単純な根本の内容こそ、あのいわゆる硬直状態の原因をなすものだと見なしているのである。他の説教中心の宗教と並べて、これを一つの宗教と見る時、神道はもちろんそれほど内容豊富ではない。それゆえ、個々人がそれぞれの心の悩みの解決を見いださんとする時には、進んで仏教に入り、後にはキリスト教にも頼るようになったのである。だがこれらの宗教もまた、日本に入るや、神道発生の起因である日本人の楽天的素質、社会観のために、日本的に改造され、これらの宗教の中にある一切の陰鬱な威嚇は、自己の心霊生活の愉悦を得るための手段に変えられたのであった。この間にあって、神道もまた絶えず改新を続け来ているのであるが、これは、簡素なるものの中に、いかに大きな創造力、いかに自在な伸縮性があるからということに対する好例であると云えよう。日本文化の批判家は、まずこの現象を深く掘り下げて行って、文献研究のみに頼らずに、神道が全日本の国民生活の上に投影している、あの極まりない変化の姿を自分の眼で見る必要があろう。かくして後、これら批判家は日本文化がこれまでに示して来た力の由来する所を発見し、最も単純なるものこそ最も内容豊富なるものの母胎であることに、気づくに到るであろう。

面白いですね。日本文化がこれほど西欧文化に影響を与えていたとは。当時の外国人の芸術家が語るのだから事実なのだろう。
西欧・米国の知識人・文化人に愛された「日本文化」。こういう「ジャポニスム」があったことをもっと広めていいのでは、と思う。
韓流ドラマ、K-POPなんて「パチモン」が多少売れたくらいで喜んでいる韓国とは比較にならないじゃん。

このシリーズでは、現代の「ジャポニスム」であるアニメに登場する「神社」の画像を載せていきます。
アニメと神社 2 「日常」今回はアニメ「日常」です。
最近このアニメの舞台が群馬県伊勢崎市だと知った。この神社はもしかして華蔵寺近くの神社なの?ちょっと仕事帰りに写真撮ってきます。


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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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