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和辻哲郎 「風土」第六回目 「我々はかかる風土に生まれたという宿命の意義を悟り、それを愛さねばならぬ。」

和辻哲郎の「風土」、第六回目
引用してきた第四章「芸術の風土的性格」も大詰めです。このシリーズでは、意識的に「日本」に関する部分を中心に引いてきましたが、本書で記述的に多いのはヨーロッパに関するところでしょう。
第四章も、冒頭から前半の大半は西洋(特にギリシア人)についての説明であり、これと東洋(特に日本)とを対比させることによって、風土が及ぼす人(文化・芸術)への影響を考察している。この比較文化論が面白い。

分かりやすい一例は、古代ギリシア人・ポリュクレイトスの彫刻と日本の推古仏(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像)だろうか。
ポリュクレイトス
推古仏
ギリシア人・ヨーロッパ人が作り上げた芸術が、合理的規則の中にそれを求めたのに対して、日本人・東洋が求めた芸術は不規則なもの、気合いの中にその美を求めた。
その違いを生んだのが「ところ」つまり「風土」ということだ。(詳しくは本書をあたって下さい。)
また、東洋と西洋の自然に対する考え方の違いを、和辻はゲーテと芭蕉を例に出して説明している。
ゲーテゲーテ
芭蕉松尾芭蕉
両者の比較で、西洋と東洋の思考の違いを説明したのも分かり易かった。

かくして我々は自然の合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現れて来たのを見る。それはちょうど人が自然において何を求めているかを反映したことになるだろう。ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ「征服さるべきもの」、そこにおいて法則の見出さるべきものとして取り扱われた。特にヨーロッパ的なる詩人ゲーテがいかに熱烈な博物学的興味を持って自然に対したかはほとんど我々を驚倒せしめるほどである。人はその無限性への要求をただ神にのみかけて自然にはかけぬ。自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神が造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現れたものとしてである。
しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。人はそこに慰めを求め救いを求める。特に東洋的なる詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、そこに知的興味は全然示さなかった。自然とともに生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱を目ざした。かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さを持って初めてあり得たことであろう。
人はかかる自然に己れをうつし見ることによって、無限に深い形而上学的なるものへの通路をさし示していることを感ずる。優れたる芸術家はその体験においてかかる通路をつかみ、それを表現しようとするのである。

風土が芸術家に影響を及ぼすということだ。言われてみればその通りだろう。

津田左右吉「歴史論集」にもそんな文章があった。

芸術と社会
芸術のための芸術と一口でいってしまえば、社会との関係などは初めから論にならないかも知れぬ。けれども芸術を人生の表現だとすれば、そうして、人が到底社会的動物であるとすれば、少なくとも芸術の内部におのずから社会の反映が現れることは争われまい。芸術の時代的、または国民的特色というものは畢竟ここから生ずるのである。まして、芸術の行われる行われない、発達する発達しないというような点になると一般社会の風俗や思潮に支配せられないはずがない。

芸術と国民性
(ステレオタイプの国民性を否定して)……まして芸術家はそういうあやふやな国民性論を念頭にかける必要があるまい。のみならず、国民性も国民の趣味も決して固定したものではない。要するにそれらあは国民の実生活によって養われたものであり、国民生活の反映であるから、国民が生きている限りは生活そのものの変化と共に絶えず変化してゆくものである。それが動かないようになれば国民は死んだのである。ただその国民趣味に新しい形を与え、新しい生命を注ぎ込んでゆくのは芸術家である。芸術家は意識してそうするのではないが歴史の跡から見るとそうなっている。この点から見ても芸術家は過去の国民趣味に拘泥するべきものではない。
もう一つ考えると、芸術家も国民である以上、意識せずとも国民性はその人に宿っているはずであるから、どんな芸術家でもその人の真率な作品は取りも直さず国民性の現れたものである。国民性というものが現在生きている国民の心生活の外に別にあるものではなく、そうして趣味の方面ではそれが芸術家によって表される。趣味の上に新しい生命を得ようとする国民の要求は絶えず新しい境地を開こうとする内的衝動となって芸術家を権化せられる。だから一心不乱に自己を表出しようとする芸術家は即ち無意識の間の国民の要求を実現させつつあるものである。知識として国民性を云々しないでも、生きた芸術として国民性を形づくってゆくのが芸術家である。

津田は「国民性」という枠組みで括っているが、これも「風土」によって形成されるのだから、結局は和辻と同じことを言っているのである。
生まれ育った場所(つまり風土)に影響されない芸術家というのはいないだろう。国だとか故郷だと環境だとか、言葉は違うが、畢竟、これが和辻のいうところの「風土」ということにとなるのだ。

そして「風土 第四章」はこんな一文で終わっている。

そうして世界が一つになったかのように見える今では、異なる文化の刺激が自然の特殊性を圧倒し去ろうとするかに見える。しかしながら自然の特殊性は決して消失するものではない。人は知らず識らずに依然としてその制約を受け、依然としてそこに根をおろしている。
(中略)
我々はかかる風土に生まれたという宿命の意義を悟り、それを愛さねばならぬ。かかる運命を持つということはそれ自身「優れたこと」でもなければ「万国に冠」たることでもないが、しかしそれを止揚しつつ生かせることによって他国民のなし得ざる特殊なものを人類の文化に貢献することはできるであろう。そうしてまたそれによって地球上の諸地方がさまざまに特徴を異にするということも初めて意義あることとなるであろう。

和辻はこんな言葉で締めくくった。(いい言葉なので、太字にしてみた)
これが書かれたのが昭和四年だというのに、全く色褪せていないのだから驚く。
簡単に言ってしまえば、違う風土では、そこから生まれる文化も考え方も当然違う。それをまず互いに知り、他の文化を尊重し合うことが大切。どこの文化が優れているとか劣っているとかということでなく、ましてそれによって各国、各民族の優劣をつけるというのではない。
そして、和辻が最も主張したかったのは、己の文化を理解し、愛すること、だろう。
日本人には独自の美的感覚がある。(それは日本の風土、移り変わりの激しい四季によって形成された)
それを、愛すのだ!
そう訴えている。

和辻哲郎の「風土論」は、マルクス・唯物論者や左翼系学者からかなり批判されたそうだ。
確かに、そうだろう。内容的には保守的論理で書かれたものだ。しかし、これは、決して排他的国粋主義ではない。
「みんな違って、みんないい」(なぜか金子みすず)、和辻の精神の基本はここにある。
これが、読んでいて私には心地いいのだ。

このシリーズは終わり。
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和辻哲郎の「風土」 第五回目 日本の四季とアニメ

和辻哲郎の「風土」 第五回目です。
前回の「気合い」による日本文化の説明から、更に細かい考察に入っています。そして、今回ここで引くのは、日本の四季の説明部分です。
これが実に上手い。どう上手いのかというと、まさに文学的なのである。本書の後書き解説によれば、和辻は「天才的な詩人的直観」に優れていると評されているそうだが、感受性・直観力はもちろん、文章表現も所々で詩人・文士のような描写をしている。だから「風土」を読んでいて心地いいのは、これがただの肩ぐるしい論文ではなく、どこか文学的要素を感じられるからだろう。
和辻の経歴を見れば、谷崎潤一郎と交友があったり、学生時代に同人誌を作るといったことから、文学的才能も持ち合わせていたというのが分かる。
(寺田寅彦が夏目漱石の門下生だったりと、文学的才能がある人の書く論文や随筆は読みやすく、面白い)

さてさて、ブルーノ・タウトの「日本文化私観」の大まとめと「アニメは日本文化を救えるか」シリーズのまとめ記事で、和辻の「風土」を引用しようとして苦戦した、という記事を以前書いたが、引用しようとしたのは、まさに今回の部分。
過去記事 
「ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その8  「神道」5 神社と日本人、そしてなぜアニメに神社が描かれるのか」
「アニメは日本文化を救えるか」シリーズ 第9回目 こんな感じでまとめる予定でした。

ただこの部分だけを引こうとすれば、前後の「気合い」や「東洋と西洋の風土の違い」「日本の台風的性格」といった箇所も引用しなければ意味が通じないし、では要約すればいいじゃんとも思ったが、これもなかなか上手くいかなかった。(だれか私に文章力と要約力を下さい)
そこで、必要箇所をまとめてそのまま引いていこうとしたのが、この和辻「風土」編です。
ということで、本文をどうぞ。

(西洋、東洋の気候の違いの説明をした後、これらを受けて日本の説明が入る。)
日本の風景が優美であると言われるのは、変化に富んだ小規模の起伏や鮮やかな色彩や大気の濃淡などによるのであって植物の形が温順であるからではない。植物の形にのみ着目して言えばそれはむしろ荒々しい乱れた風景である。それに反してヨーロッパでは、日本のごとき根強い雑草がはびこらず、従って柔らかい牧草が穏やかに大地を包み、樹木は風の苦労を知らない整った姿で立っている。それは実に温順な感じである。人がここから秩序正しさを感ずるのはいかにも自然なことであろう。
湿気はまた大気の感じを著しく異なったものにする。日本において我々が日常に触れている朝霧・夕靄、あるいは春霞などの変化に富んだ大気の濃淡は、一方では季節や時刻の感じあるいは長閑さや爽やかさの気分のごときものとして、他方では風景自身の濃淡のおもしろみとして、非常に重大な役目をつとめている。しかし湿気の乏しいヨーロッパの大気は、単調な靄あるいは霧を作り出してはいても、それによって我々の気分に細かい濃淡を与えるほどの変化には富んでいない。北欧の特徴である単調に陰鬱な曇り日、南欧の特徴である単調に明朗な晴天、――この単調さが確かにヨーロッパの特徴であると言えよう。これはまた気温の変化とも密接に関係する。
参考画像 (夕霞の画像)
寒暖計はヨーロッパの一日にも気温の高低のあることを示しているが、しかしそれはただ物理的な事実であって、我々の気分の上には決して顕著でない。湿気と温度との相関関係から起こるあのさまざまな現象、――たとえば夏の夕方の涼しさ、朝の爽やかさ、秋には昼間の暖かさと日暮れ時の肌寒さとの間に気分を全然変化させるほどの烈しい変化があり、冬でさえも肌をしめるような朝の冷たさの後にほかほかした小春日の暖かさが来る、――そういう変化に富んだ現象を我々はヨーロッパにおいて経験することができない。北欧の夏の暑さは冬服でも堪え得るほどの穏やかなものに相違ないが、しかし日が暮れても爽やかな涼しさがあるわけでなく、夕立が来てからりと気が晴れるというような変化があるわけではない。少し誇張して言えばそれは数ヶ月にわたる単調な一つの夏の気分である。単調に慣れたヨーロッパ人でさえもさすがにそれには堪え兼ねて土地を変えることによりその単調の苦しさを脱しようとする。冬になれば昼間も夜と大差なく零下何度の大気が静かにじっと淀んでいる。我々の肉体を緊縮させるという点では零下三度も零下十度も気分の上でいっこう変わりがない。たまに晴れた日があって日当たりのいい個所に行っても、その日光はちょうど月光と同じように何の暖かさもないものであり、従って日陰と日向にいささかの変わりもない。それは北を遮った日向がほかほかと暖かいのに一歩外に出れば寒風が肌を刺すというような日本の冬よりも、かえって堪えやすいのみならず、また進んでこの寒さを征服しようとする人間の意力を刺激するものであろう。だから人はこの単調さを、人工的に作った暖かい世界で人工的なさまざまの刺激によって克服することに努力する。
広重 夕立(歌川広重「「大橋安宅の夕立」)
こういう気候の特性は、人が自ら自覚している以上に我々の経験の深みにからみ合っているものである。植物でさえも顕著にそれを示している。日本において我々が見る新緑は、春を待ちかねた心が鮮やかな新芽の色を心ゆくばかり見守る暇もないほど迅速に、伸び育ち色を増す。柳が芽をふいたと気づいてからそれが青々と繁り出すまでは、実に慌ただしいと思うほどに早い。しかるにヨーロッパの新緑はちょうど時計の針を見守るような感じを与える。新芽は育っているに相違ないし、一月たてばかなり変わりもするが、決して我々が胸を打つような変化を示さない。紅葉もまたそうである。八月にはもう黄ばんだ葉がからからと音をさせている。しかし艶のない黒ずんだ緑は相変わらず陰鬱に立っている。そうしていつ変わることなく緑の色が徐々に褪せて弱々しい黄色に変わって行く。十月下旬にあらゆる落葉樹の葉が黄色になるまでの間、かつて我々の目を見晴らせるということが(ヨーロッパには)ない。夜の間の気温の激変で初霜がおり、一夜の間に樹の葉が色づくというようなあの鮮やかな変化は決して見られない。植物におけるこのような気候との関連は、移して我々の心の姿とも言い得るであろう。
ちはや(アニメ「ちはやふる」から、日本人独特の色使い)
我々はヨーロッパ人の中に身を置いた時、我々自身がいかにはなはだしく気分の細やかな変化を必要とする人間であるかに驚かざるを得なかった。単調になれたヨーロッパ人はちょうど樹の芽が落ち着いているのと同じように落ち着いている。ヨーロッパ人のうちで最も興奮性に富むと言われるイタリア人ですら、その言葉の抑揚や身振りが変化性に富んでいるほどには決して気分の細かな変化を求めない。もとよりこの落ち着きは、偉い禅僧が獲得しているであろうような、根深い人格的な落ち着きではない。ただ気分の単調に慣れているというだけの、いわば気分の持続性である。それに比して我々は、夏の日に蝉の声を聞かず秋になっても虫の音を聞かぬというようなことさえ著しく淋しさを感じるほどに、日常生活にさまざまの濃淡陰影を必要とする。ヨーロッパの近代文明を実に忠実に移植している日本人が、衣食住においては結局充分な欧化をなし得ず、着物や米飯や畳に依然として執着しているということは、それが季節や朝夕に応じて最もよく気分の変化を現わし得るという理由に基づくのではないであろうか。
夏目 ご飯(アニメ「夏目友人帳」からご飯の画像)

気候の特性はただに気分のみならずまた実用的な意味においても人間の生活を規定する。最も著しい例について言えば、ヨーロッパの農業は雑草との戦いを必要とせず暴風・洪水の憂いも少なく季節の迅速な移り変わりにせき立てられることもない、はなはだ悠長なものである。湿気なものである。湿気の関係からうねを作る必要もなく一面ばら蒔いた麦は、黄熟してからでも静かに一月ぐらいは立っていてくれる。七月の終わりに悠々と麦刈りをやっている農民は、九月の初めにもまだ悠々としてそれを続けている。それに比べれば、旬日の間に麦を刈って田を植え、しばらくたつと炎天の水田に田の草を取り、その息をつくまもなく台風と暴風というごとき人力のいかんともし難い自然の威力の前に心を悩ませるという日本の農民の労働は、そのめまぐろしさと烈しさとにおいて到底同日の論でないばかりでなく、自然と交渉する態度においてもおのずから異なざるを得ないであろう。単調にして温順な自然に征服的に関係するヨーロッパ人が、土地のすみずみをまで人工的に支配したその支配を容易ならしめるために熱心に機械を考えるのに対して、徹底的に征服するというごときを人間に望ませないほど暴威に富んだ自然からその暴威の半面としての潤沢な日光と湿気を利用して豊かな産物を作り出そうとする東洋人は、人工的な手段を思うよりもむしろ自然自身の自ずからなる力を巧みに捕らえ動かそうとする。かかることがやがて合理的な性格の著しい技術とただコツをのみ込む事によって得られるような技術との相違となって現れるのであろう。
いろは(アニメ「花咲くいろは」から、田んぼの画像)

所々、アニメの画像を入れてみました。
過去記事でも入れたように、日本文化の継承は意外にもアニメにも受け継がれている。
何気ない風景の描写に、日本の風土を感じる。アニメを見ていると、和辻的にいう「朝靄」や「夕霞」などなど日本的なもの(「四季・湿度」)を表現しているものを多く見つけることができる。
アニメ 風景1(「夏目友人帳」の夕日)
アニメ風景2(「ちはやふる」から新緑からの木漏れ日)
これらはほんの一例。
最近のアニメを見て驚くのは、その絵の素晴らしさ、美しさである。そこには日本文化特有の意匠や構図が描かれているだけではない、日本の美しい四季が描き出され、日本の風俗、習慣さえもそこに盛り込まれている。
まさに、これこそが「国ほめ」なのだ。(「国ほめアニメ」を褒めよう!)
それは、ハリウッドのピクサーCGアニメにはない「美」なのだ。(CGアニメがリアルになればなるほど(特に人間)、入り込めず、全く心を動かされない。たとえそこでいい話が展開されようとも、感動的な物語が描かれようとも、私にはどうも機械的なものが動いているようにしか見えないのだ。まあこれは私だけだろうが……。)
金銭ベースのビジネスで見れば日本のアニメは大して儲かっていないだろう。しかし大切なことは、そこではない。大事なのは、こういった「日本的な美」をアニメを通じて世界中の人々が見るということだ。
それは「ジャポニスム」の浮世絵のように、最初は些細なことから始まり、そこからどれだけの多くの海外の人々(特に欧米知識人)が、日本贔屓・日本文化愛好家(日本ファン)になったことか。そこを忘れてはならない。(ここはブルーノタウト編やアニメは日本文化を救えるか編で説明しています。)

では、少し関連のある新聞記事を。平成24年2月12日 読売新聞の「皇室ダイアリー」から

1月28日、学習院大で開かれた国際シンポジウムで、三笠宮家の寛仁さまの長女、彬子さまが、若手研究者の一人として研究報告をされた。
彬子さまは、現在、立命館大学衣笠総合研究機構に勤務、海外の日本美術コレクションや文化交流史を専門にされている。この日のテーマは「海外における『日本』像の発信」で、内容は主に、大英博物館が19世紀から20世紀にかけ日本の文物をどのように収集展示してきたかや、同館の日本関連展示の最近のトピックだった。
「海外で5年以上過ごし、日本のイメージが二極化していることを実感しました」など、体験をまじえ豊富な文献を示して滑らかに語る内容には引き込まれた。
特に、同館の日本陶磁器のコレクションの始まりから、「MANGA(マンガ)」が成熟した日本独自の表現方法として同館で「展示」されている事実までを通史的に解説し、当時の関係者の思考にも言及して解釈を加えている点が印象的だった。
博士課程修了後も研究を続ける「ポスドク」と呼ばれる若手には、能力があるのに任期付きの不安定な立場でいる人が多い。学術分野での女性皇族の活発な活動が知られることは、多くの若手研究者にスポットがあたるきっかけにもなるだろうと思う。(編集委員 小松夏樹)

興味深いのは太字の部分。「マンガが成熟した日本独自の表現方法」として海外に認知されている。それはアニメも同様だろう。言うなれば、日本人が持つ独特の「美」意識は、形を変え、表現方法を変えながら、過去から現代へと継承されているということだ。
日本文化は、時代々々で断片的に興隆しているわけではない。日本人が持つ独特の美意識が、上古の時代から綿々と受け継がれてきたものが重層的に積み重なって「日本文化」となったのだ。(三島由紀夫がいう「文化の連続性、文化のコピー」というのはこういうことだろう)
それを和辻哲郎は、まず東洋と西洋の「風土」違いによって説明し、また大陸文化のシナと台風的性格の日本の気候・風土の違いによって、これを解説しようとしたのだと思う。
「日本文化」の考察、この一点だけでも十分に「風土論」は不朽の価値があるのだ!

さてさて、和辻が解説した日本独特の「風土」が、アニメやマンガで描かれているのを発見して、思わず嬉しくなる。最近はこんな視点でアニメを見ている。

……「風土論」はあと1回で終了予定。

和辻哲郎「風土」の第四回目  気合いによる説明と寺田寅彦

和辻哲郎「風土」の第四回目  気合いによる説明と寺田寅彦
前回の「気合い」による日本文化の説明の続きとなっています。
日本人特有の美的感覚は、この「気合い」にあるということを和辻は述べている。それは、連句、文芸、歌舞伎、茶の湯、能楽といった日本文化の中に秘められている。これは日本人は直観力に優れているからだといえるだろうというのが和辻の考えであった。
Wikipediaの日本文化の項目に上手い説明があった。(Wikipediaだといってバカにしてはいけない。上手いまとめ方や秀逸な記事を発見して、思わず感心してしまうことが多々ある。誰が書いているのか?ちょっと尊敬してしまう)
季節の部分から。

国土の大半が温暖湿潤な気候帯に属し、春夏秋冬がはっきりと推移するこの国においては、この気象条件から、稲作による定住生活が生活の基盤となった。それゆえ、この国に棲む人々は四季の移ろいに敏感で、穏やかではあるが自然に対して感受性の鋭い国民性が育まれた。また、周囲を海に囲まれ個立した島国であることで、他民族との接触に一定の制御が加えられ、前記の特質に加えてさらに、独特の繊細で豊穣な文化を醸し出す下地ともなってきた。

これがまさしく和辻の「風土」論だろう。

では、以下引用。

この種の特殊なまとめ方を思うとき、連想は我々の文芸の一つの特殊な形式「連句」に連れて行く。連句においてはおのおのの句は一つの独立した世界を持っている。しかもその間に微妙な「つながり」があり、一つの世界が他の世界に展開しつつ全体としてのまとまりを持つのである。
この句と句との間の展開は通例異なった作者によって行われるのであるから一人の作者の想像力が持つ統一は故意に捨てられ、展開の方向はむしろ「偶然」にまかされることになる。従って全体としてのまとまりは「偶然」の所産であるが、しかもそのために全体はかえって豊富となり、一人の作者に期待し得ぬような曲折を生じるのである。しかしながら「偶然」がどうして芸術的な統一を作り出し得るのであろうか。ここでも答えは気合いである。しかも人格的な気合いである。一座の人々の気が合うことなしには連句の優れたまとまりは得られない。人々はその個性の特殊性をそのままにしつつ製作において気を合わせ、互いの心の交響・呼応のうちにおのおのの体験を表現する。かかる詩の形式は西洋人の全然思い及ばなかったものであろう。
連句以外にも日本文芸はこれに類似した特殊性を持っている。かけ詞(ことば)による描写のごときがそれである。内容的には何のつながりもないように見えるものが、ただ言葉の連想によって次から次へ並べられる。内容の論理的な脈絡に従って描写するやり方に比べると、これはまさしく非合理的のはなはだしいものである。しかもこのような連想による言葉の羅列が、全体として強く一つのまとまった情調を浮かび出せる。なぜならばそれは言葉の知的内容から見て脈絡のないものであっても感情的内容から見て互いに相つながっているものだからである。人はこの種の描写の代表的なものを『太平記』や近松の戯曲の道行きなどにおいて容易に見出し得るが、さらに現実の直写をもって聞こえた西鶴においてさえも著しく目立つものであることに気がつかねばならなぬ。西鶴は確かにその作品のとことどころを連句の呼吸で描写した。前句の言葉の感情的内容が、その知的内容と独立に次の句を呼び起こし、かかる句の連鎖をもって事件の率直な描写に代えている場合が少なくない。このような言葉による一種の点描法も、知的内容において合理的な脈絡を見るのではなくただ気合いにおいて言葉の脈絡を感ずるという特性によってのみ可能とせざるものであろう。
この種の特徴の気合いの芸術としての能楽においても、茶の湯においても、歌舞伎においても、それぞれに見出し得ると思う。はるかギリシアの伝統を引いている仏教美術においてさえ、それはいくつかの適例を持っている。元来日本人は芸術的な国民として世界に許されているものであり、また実際内なるものを直観的な姿においてあらわにするという能力には優れた国民である。
しかしギリシア人が「見ること」において感じたのに対して、日本人が「感ずること」において見たという相違は見逃すわけには行かない。そうしてこの特殊性においては日本はシナやインドと共通である。ただ異なるのは気合いによるまとめ方であって、その点から見るとインドの芸術はまた全然異なったものになる。想像が混沌として群がっているようなアマラヴァティの浮き彫り、尖塔が混沌として集まっているようなヒンドゥの殿堂、――それらに見られるまとまりは合理的な規則にもとづくものでないとともにまた右に言うごとき気合いによるものでもない。われわれはそれが何であるかを言うことはできぬが、ただそれが合理的を圧倒することによって、また感覚を酔わせることによって得られるものであるとだけは言い得ると思う。
我々は「規則にかなうこと」を視点として東西の芸術を比較してみた。そうしてそれが西洋の芸術の性格であるとともに東洋の芸術の性格ではなかったことも明らかにした。我々はなおこのほかにもいくつかの視点を選ぶことができるであろう。特に「人間中心主義」ごときを。しかしここには問題を簡単にするためにただ右の一つの視点を保ちつつ次の問いに移ろう。右のごとき特殊性は「ところ」の相違とどう関連しているであろうか。

ブルーノ・タウト的表現部分を太字にしてみた。
日本文化の特長である滋味を、「味」とか「粋」とか表現することがあるが、和辻はこれを「気合い」という言葉を使って言い表している。
ここではその妙味を「連句」・「俳諧」で説明しているが、似たようなものを読んだのを思い出した。
同年代の物理学者・寺田寅彦の随筆の「涼味数題」だった。
寺田寅彦 随筆集

 ……少なくも日本の俳句や歌に現われた「涼しさ」はやはり日本の特産物で、そうして日本人だけの感じうる特殊な微妙な感覚ではないかという気がする。単に気がするだけではなくて、そう思わせるだけの根拠がいくらかないでもない。それは、日本という国土が気候学的、地理学的によほど特殊な位地にあるからである。日本の本土はだいたいにおいて温帯に位していて、そうして細長い島国の両側に大海とその海流を控え、陸上には脊梁山脈がそびえている。そうして欧米には無い特別のモンスーンの影響を受けている。これだけの条件をそのままに全部具備した国土は日本のほかにはどこにもないはずである。それで、もしもいわゆる純日本的のすずしさが、この条件の寄り集まって生ずる産物であるということが証明されれば、問題は決定されるわけであるが、遺憾ながらまだだれもそこまで研究をした人はないようである。しかし「涼しさは暑さとつめたさとが適当なる時間的空間的週期をもって交代する時に生ずる感覚である」という自己流の定義が正しいと仮定すると、日本における上述の気候学的地理学的条件は、まさにかくのごとき週期的変化の生成に最もふさわしいものだといってもたいした不合理な空想ではあるまいかと思うのである。
 同じことはいろいろな他の気候的感覚についてもいわれそうである。俳句の季題の「おぼろ」「花の雨」「薫風」「初あらし」「秋雨」「村しぐれ」などを外国語に翻訳できるにはできても、これらのものの純日本的感覚は到底翻訳できるはずのものではない。
 数千年来このような純日本的気候感覚の骨身にしみ込んだ日本人が、これらのものをふり捨てようとしてもなかなか容易にはふりすてられないのである。昔から時々入り込んで来たシナやインドの文化でも宗教でも、いつのまにか俳諧の季題になってしまう。涼しさを知らない大陸のいろいろな思想が、一時ははやっても、一世紀たたないうちに同化されて同じ夕顔棚の下涼みをするようになりはしないかという気がする。いかに交通が便利になって、東京ロンドン間を一昼夜に往復できるようになっても、日本の国土を気候的地理的に改造することは当分むつかしいからである。ジャズや弁証法的唯物論のはやる都会でも、朝顔の鉢はオフィスの窓に、プロレタリアの縁側に涼風を呼んでいるのである。
 この日本的の涼しさを、最も端的に表現する文学はやはり俳句にしくものはない。詩形そのものからが涼しいのである。……

なるほどなるほど、面白いなあ。
ほかにもこんな文章がある。「場面から場面への推移の「うつり」「におい」「ひびき」には、少しもわざとらしさのない、すっきりとして気のきいた妙味がある。これは俳諧の場合と同様、ほとんど説明のできない種類の味である。」(「映画雑感2」)「二十余年前にワシントン府の青葉の町を遊覧自動車で乗り回したことがあった。とある赤煉瓦の恐ろしく殺風景な建物の前に来たとき、案内者が「世界第一の煉瓦建築であります」と説明した。いかなる点が第一だかわからなかったが、とにかくアメリカは「俳諧のない国」だと思ったのであった。」(記録狂時代」)などなど、寺田寅彦は日本文化が持つ独特な妙味を「俳諧」で言い表しているのがわかる。

このころの日本人の知識人や日本に興味を持ち研究した外国人は、日本人が持つこの独特な「味」(日本文化のグルタイン酸、うまみ成分)を何とか説明しようとしなんですね。
実に面白い。

まだまだ続くよ。

和辻哲郎「風土」の第三回目 「気合い」による日本文化の説明

和辻哲郎「風土」の第三回目 
今回より「第四章 芸術の風土的性格」から、日本に関する部分を引いていきます。
前回は「第三章の日本の台風的性格」からでしたが、第四章はこのすぐ後に続いている章で、この本の総まとめ的記述となっている。(この後、第五章があるが、そこではヘーゲルやヘルデル、ハイデッカーなどの考察となり、哲学的内容となっている。「風土」との論考としては第四章が全体の総括となっている)
その第四章の前半部分ではヨーロッパの芸術・美の説明があり、それを受けて日本の芸術・美の解説に入っている。
この比較文化論的展開は、ブルーノ・タウトの日本文化の説明と同様で、日本の独自性が「日本文化の美」となっているという説明である。
引用する部分で和辻は、特に「気合い」という言葉を使って、日本文化の特異性を説明している。
気合といっても、体育会系の人(松岡修造のような)が好きな気合、つまり「あることに精神を集中してかかるときの気持ちの勢い。また、それを表すかけ声。」というのではなく、「物事を行うときのこつ。また、互いの間の気分。息。呼吸。」といった意味の「間合い」とか「絶妙な組み合わせ」とか言った意味合いで使っている。
文章を読むと分かるが、日本人が持つ特有の美的感覚である「味」といった意味と同じであろう。(過去記事「ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その9 「味」と「まがいもの」)
ではどうぞ。


(前略)
西洋の庭園が人工的な秩序的であり、シンメトリーや統一性に「美」を求めたのと違い、日本の庭園は全く違う。
無秩序な荒れた自然のうちに自然の純粋な姿を探り求めた。それを日本の庭園は自然の美の醇化・理想化にほかならぬ。仕事そのものにおいてはギリシアの芸術と規を一にすると言ってもよい。
そこでかくしてできあがった庭園はいかなるまとまりを持っているであろうか。簡単なものになると、それはただ杉苔の生い育った平面に一本の松、あるいは五七の敷石があるきりである。(たとえば大徳寺真珠庵方丈の庭、玄関先、桂離宮の玄関先など)それは統一すべき多様さを持たない、従って本来統一されている単純なものに過ぎないとも言えよう。しかしこの杉苔は自然のままではこのように一面に生いそろうこともないのである。それはただ看護(人の手を加えるといった意味)によって得られた人工的なものにほかならぬ。しかもこのように生いそろった杉苔は刈りそろえられた芝生のような単純な平面ではない。下より盛り上がって微妙に起伏する柔らかな緑である。その起伏のしかたは人間が左右したのではない自然のままのものであるが、しかし人間はこの自然のままの微妙な起伏が実に美しいものであることを知って、それを看護によって作り出したのである。従ってこの起伏する柔らかい緑と堅い敷き石との関係にも庭作りには非常な注意を払っている。敷石の面の刻み方、その形、その配置、――面を平面にし、形を方形にするようなことも、幾何学的なシンメトリーとして統一を得るためではなく、苔の柔らかい起伏に対する対照のためである。
従ってその配置は、苔の面が細長い道である時には直線的に、苔の面がゆるやかに広がるときには大小呼応して参差(しんし)と散らされる。それは幾何学的な比例においてではなく、我々の感情に訴える力の釣り合いにおいて、いわば「気合い」において統一されている。ちょうど人と人との間に「気が合う」と同じように、苔と石と、あるいは石と石の間に、「気」が合っているのである。
西芳寺(京都・西芳寺。通称「苔寺」)

庭園のまとめ方に最もよく似たまとめ方を持つものは、恐らく庭作りがそこから多くを学んだであろうと思われる絵画である。長方形の画面の上部左寄りに濃淡を異にする四五の竹葉が墨をもって描かれている。それを受けた淡い竹幹が左の縁に沿って立つ。その他の大部分の画面は空白であるが、そのただ中に、竹葉のやや下に、濃く描かれた一羽の雀が飛んでいる。かかる絵の構図にはシンメトリーというごときことはいかなる意味でも認められない。しかもそこには寸分の隙もないつり合いが感ぜられる。何ものも描かれざる空白が、広い深い空間として濃い雀の影とつり合い、この雀の持つ力が、淡い竹葉のうちに特に際立って濃くされた二三の竹葉の力と相呼応する。こうしてそれぞれのものが動かすことのできない必然の位置を占めている。このような気合いとしてのつり合いの関係によって、物象がただ片隅に描かれているようなこの画面をも豊かなまとまりあるものとして感ぜらせしめるのである。この種のまとめ方は宋元舶載の小さな画帖の絵にも、足利桃山から徳川へかけての大きい襖絵・屏風絵にも、非常に多く認められる。梅の枝に雀のとまった小画、梅花が水に面して立つ屏風絵、御所車のまわりに人の群れている小屏風絵、――そういうものにおいて不規則に画面の横から突き出た梅の枝の形や、その上の梅の花の配置や、その中にとまった雀の位置などの間の実にほどのいいつり合い、あるいは咲き乱れた紅梅の木の形とそれに面する水や築山の間のほどのいい色や線の調和、あるいは御所車を画面の端に寄せて、人物の向きを巧みに配合しつつ空白である他の側に向かって漸次人の群を薄め減らして行く構図のほどのいい動きかた、――これらのほどのよさは一見して明瞭であるが、しかしこのほどのよさの基礎となっている規則を我々は見いだすことができない。それはただ直覚的に得られた、そうして一分も動かすことのできない「気合い」である。
武蔵(宮本武蔵の「竹雀図」)

が、絵画のまとめ方の特殊性はこのような「気合い」によるもののみではない。それは空間芸術として一目に見渡せる場合のまとめ方、すなわちシンメトリーや比例に代わるものとしてのまとめ方であるが、我々の絵画においてはさらに時間的な契機を入れた特殊なまとめ方が重要な位置を占める。すなわち絵巻物のまとめ方である。西洋の絵画においては物語を題材とした続きものを描く場合でも、続いているのはただ物語の内容だけであって、絵自身は一々独立した構図を持つか、あるいは一々独立しつつ装飾的な大きい全体にまとめられているかである。しかるに絵巻物においては構図そのものが時間的に展開し行くように作られている。物静かな構図に始まってそれが徐々に複雑の度を加えつつついに無数の物象の組み合わせによる極度に複雑な構図となり、やがてまた徐々に単純に帰りつつきわめて簡素な構図をもって局を結ぶというごとく、それはむしろ音楽の展開のしかたに似たものである。我々はこの集まっては散り散っては集まるというごとき移り変わりによってしばしば胸を打つごとき美しさを感じせられることがある。もとよりこの種の絵のおのおのの部分は、それだけ切り離してもまた絵としてまとまった構図を持ち得るであろう。しかしそれは本来展開し行く全体のある一定の部分として作られたものであって、その部分の意義は全体において初めて充分に発揮される。伴大納言絵巻のごとく一つの物語を題材とするものはもとよりであるが、鳥羽僧正筆と称する鳥獣戯画巻のごとき、あるいは雪舟の山水長巻のごとき、全然題材の束縛を受けないものにおいても、全体としての構図の展開は確かに主要事とされている。構図の移り変わりに従って筆調もまたおのずから移り変わっているごときは、展開し行く全体についての充分な理解を示すと言えよう。しかしこの展開の仕方においても我々は音楽におけるような規則的なるものを見いだすことができない。それは同じテーマを繰り返す展開ではなくして常に他の姿に移りゆく展開であり、しかも全体として一つにまとまっているのである。それはもし比すべきものを求めるならば、非合理的なる契機に充たされる生の統一的展開のほかにないであろう。
20110110125328.jpg
(鳥獣戯画巻)



続く

和辻哲郎「風土」から。 第2回目 日本人特有の性格「しめやかな激情」

和辻哲郎「風土」の2回目ですが、その前に、読売新聞の投稿欄の記事から。(平成24年2月8日付け)

住民を救った町職員、尊い使命感学んで(埼玉県 農業 78)
東日本大震災で忘れられない報道がある。宮城県南三陸町で、住民に避難を呼びかけ続けた町職員の遠藤未希さんが、津波の犠牲になったというものだ。この出来事を、埼玉県が4月から県内の公立小中高校で使う道徳の教材に、「天使の声」というタイトルで取り上げるという。
当時24歳だった遠藤さんは、防災対策庁舎の2階から「津波が来ています。早く逃げてください」と呼びかけていた。この防災無線を聞いて、どれだけ多くの住民の命が救われたことだろう。
思いやりの心や使命感を持つ尊さについて、児童や生徒に学んでもらうことは真の教育と言えるだろう。
我々は、大きな悲しみをもたらした震災から、様々なことを学び、将来を担う子供たちに伝えていかなければならない。

さて、同じ事柄を扱いながらも、全く方向性の違うものが朝日新聞の投稿欄に出ていた。(2月6日付け)

職員の犠牲 美化より教訓に (フランス在住 大学院生 25)
宮城県南三陸町で津波避難を防災無線で叫び続けて亡くなった遠藤未希さんが「天使の声」と言う題で埼玉県の公立小中学校の道徳の副読本に載るという。「人を思いやる心を育む」ために使われるそうだ。 だが、果たして、皆の為に自分の命を犠牲にすることが、本当の意味での「思いやり」になるのだろうか。確かに、町職員が町民の命を守る使命を全うしたことは尊いことである。ただ、職員がなぜ自分の尊い命を犠牲にせざるを得なかったのか。その原因の中には、避難を誘導する放送が無人で機械化がされておらず人力に頼った対策の不備はないか等を考えることも大事なように思う。尊い犠牲は美化した悲劇にするよりも、有事に命を救う対策にこそ生かされるべきだ。

実にアサヒ的発想で恐ろしくなる。(こういう否定の仕方はないだろう。そう感じるのは私だけなのだろうか。そして行間からあふれ出てくる何ともいえないこの冷淡さは何だろうか)
そして読売と朝日のカラーがこれほどはっきりと出ていることにも驚く。(投稿記事といえども、選ぶ側に思想や意図や思惑があることは間違いないからだ)
さてさて、ここでは二紙の違いを書きたいわけではない。
この話を聞いて、何故、特別な感情が湧きあがってくるのかということ。
遠藤未希さんのあの最期の映像を見て思うのは、実に「日本人的」だということ。イタリア客船座礁事故では、イタリア人の船長は乗客を置き去りにして真っ先に逃げたが、遠藤さんはそうしなかった。
多くの日本人(アサヒ的思考者以外)は、遠藤さんの行動の中に何らかの「美しさ」を感じたのだ。
そして、そこに日本人が求める真の精神(そうありたいと願うもの)」が、そこにあるとも気が付いた。(だから教科書に載せようとしている)
では、どこに感応したのか。
それは教科書的な「思いやり」や「使命感」、ましてや「アサヒ的教訓」以外のもの、(いや、それ以上の)のものがそこにあると直観したからだと思う。
多くの日本人が、日本人特有の精神を、「遠藤さんの最期」に感じ取ったのだ。
では、その「特有の精神」とは何か。
ということで、それが今回の和辻哲郎「風土」の2回目のテーマとなる。
この件に関して言えば、和辻の説くところの、「激情」と「死へあきらめ」がない交ぜとなった「日本人的」性格だということだ。
その説明が以下にある。(文章は前回「第三章モンスーン的風土の特殊形態・日本 ・台風的性格」からの続きなので、前回分も読むともっと分かりやすくなる)

次にモンスーン的な忍従性もまた日本の人間において特殊な形態を取っている。ここでもそれは第一に熱帯的・寒帯的であるここでもそれは第一に熱帯的・寒帯的である。すなわち単に熱帯的な、従って非戦闘的なあきらめでもなければ、また単に寒帯的な、気の長い辛抱強さでもなくして、あきらめでもありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従である。暴風や暴雨の威力は結局人間をして忍従せしめるのではあるが、しかしその台風的な性格は人間の内に戦争的な気分を湧き立たせずにはいない。だから日本の人間は、自然を征服しようともせずまた自然に敵対しようともしなかったにもかかわらず、なお戦闘的・反抗的な気分において、持久的ならぬあきらめに達したのである。日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)は、右のごとき忍従性を明白に示している。
第二にこの忍従性もまた季節的・突発的である。反抗を含む忍従は、それが反抗を含むというその理由によって、単に季節的・規則的に忍従を繰り返すのでもなければ、また単に突発的・偶然的に忍従するのでもなく、繰り返し行く忍従の各瞬間に突発的な忍従を蔵しているのである。忍従に含まれた反抗はしばしば台風的なる猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、しかしこの感情の嵐のあとには突如として静寂なあきらめが現れる。受容性における季節的・突発的な性格は、直ちに忍従性におけるそれは相まつのである。反抗や戦闘は猛烈なほど嘆美せられるが、しかしそれは同時に執拗であってはならない。きれいにあきらめるということは、猛烈な反抗・戦闘を一層嘆美すべきものたらしめるのである。すなわち俄然として忍従に転ずること、言い換えれば思い切りのよいこと、淡泊に忘れることは、日本人が美徳としたところであり、今なおするところである。
桜の花に象徴させられる日本人の気質は、半ばは右のごとき突発的忍従性にもとづいている。その最も顕著な現れ方は、淡泊に生命を捨てるということである。この現象はかつてキリシタンの迫害に際しての殉教者の態度としてヨーロッパ人を驚嘆せしめたように、近くは日露戦争において彼らに強い驚きの印象を与えた。反抗や戦闘の根底に存するものは生への執着である。しかも生への執着が大きい・烈しい客観的な姿に現れたときに、その執着を全然否定する態度であった。日本人の争闘はここにその極致を示している。剣道の極致は剣禅一致である、すなわち闘争をば執拗な生への執着から生の超越にまで高めることである。これらを我々は台風的な忍従と呼ぶことができる。
そこで日本の人間の特殊な存在の仕方は、豊かに流露する感情が変化においてひそかに持久しつつその持久的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が反抗においてあきらめに沈み、突発的な昂揚の裏に俄然たるあきらめの静けさを蔵すること、において規定せられる。それはしめやかな激情、戦闘的な恬淡である。これが日本の国民的性格にほかならない。

本当にいい説明だと思う。日本人の性格をこれほど上手く表現しているものはないと思う。
そして和辻は、「しめやかな激情」という語の注釈をしている。

「しめやかな激情」
愛情を「しめやか」という言葉で形容するのは、ただ日本人のみである。そこには濃やかな感情の静かな調和的な融合が言い現わされている。「しめやかな激情」とは、しめやかでありつつも突如激情に転じ得るごとき感情である。すなわち熱帯的な感情の横溢のように、単調な激情をつづけて感傷的に堕するのでもなければ、また湿っぽく沈んで湧き立たない感情でもない。

なるほど。いい言葉だ。
また「恬淡」(てんたん)という語を辞書を引いてみると「心やすらかで無欲なこと。あっさりしていて物事に執着しないさま。」とある。まさに「さくら」だろう。
新渡戸稲造の「武士道」でも、同様に、日本人の精神を「さくら」に例えているが、まさしくその通りだ。
過去記事「資料編を追加します。 第28回 新渡戸稲造「武士道」の後半部分から。
そして「突発的忍従性」や「しめやかな激情」、それは日本人特有のものであるから故に、なおさらそこに美しさを感じるのだ。

だから、日本人的精神のあふれた「さくら」のごとく美しい行動を示した遠藤さんに、多くの日本人は心を動かされたのだ。
参考資料 桜(画像はアニメ「ちはやふる」から。日本人は昔から「桜」を描いてきた。その精神はアニメやマンガにも受け継がれている)

……続く。

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