スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

歴史ミステリー小説「東毛奇談」第1章 3

1333年5月に新田義貞は挙兵して、十数日で北条氏を攻め滅ぼした。そうだ、義貞軍が鎌倉に突入した場面は確か太平記の巻十に出てくる。それは太平記の前半の山場といってもいい。真船は記事にした内容を思い出してきた。真船がその情景を頭に描いているときに、老人はカバンから太平記の現代語訳を取り出して言った。
「原文ではわかりにくいであろう。訳語を読んであげよう」というと、詩吟でも謡うかのように朗々と読み始めた。

稲村ガ崎干潟となる事

さて、極楽寺の切り通しへ向かった大館次郎宗氏が本間に討たれて、その軍勢は片瀬、腰越までひき退いたと知らせてきたから、新田義貞は勇士二万余騎を率いて,二十一日の夜半に片瀬、腰越を迂回して極楽寺坂へ赴かれた。
明け行く暁の月に敵陣を望まれると、北は切り通しまで山が高く路も険しいうえに、木戸を構え盾を垣のように並べ立てて、そこに数万の兵どもが陣を張って控えていた。南は稲村ガ崎で砂浜は狭いうえに、波打ち際まで逆茂木を厳重に引きめぐらし、沖四、五町のところに大船を並べて船上に櫓を作って横から矢を射かけようと待ち構えていた。
これではこの陣の寄せ手が何ともできずにひき逃いたのはもっともであると御覧になったから、義貞は馬から降りられ、兜を脱いで海上遥かを伏し拝み、竜神に向かって祈られた。

MORE »

スポンサーサイト

歴史ミステリー小説 東毛奇談第1章 2



平成14年 10月。

(東に太田、館林、新田、尾島、……、中央部には前橋、渋川、て、西に高崎、藤岡……、群馬にはどれくらい市町村があるのだろうか)
真船千太は、ふと頭の中をよぎった。地元紙の新聞記者である真船は、記憶をたどって、確か十一市三十二町二十七村であったというのを思い出した。

MORE »

斎藤佑樹君ゆかりの生品神社について……

5月8日に生品神社で、鏑矢祭がありました。鎌倉幕府を攻め落とした新田義貞が挙兵したといわれるこの日、毎年恒例となった祭りが行われました。斎藤佑樹君の出身小学校でもある生品小学校から、6年生男児60名が新田氏の旗印の「大中黒」を染め抜いたはちまきを巻いて、袴姿で登場。南西の方角(つまり鎌倉の方向)に向かって弓を引き「エイエイオー」と元気よく気勢を上げる。これは、義貞が討幕の兵を挙げる際に矢を放って吉凶を占ったという故事にちなんでいます。
私の家族は毎年恒例の初詣に行きますが、いつもの年に比べて、今年は斎藤佑樹君の影響か幾分参拝客は多かったように感じられました。
私はいつも、新田義貞が稲村ケ崎で竜神に黄金の太刀を投げる場面を図にしたもの(太平記の名場面の一つ)を買います。確か500円ぐらいのものです。毎年恒例みたいなもので、それによってツキが良くなったというほどではありませんが、宝くじの小額が当たったり、懸賞品が郵送されたりといった小さな幸せを味わうことができました。
まあ、お守りひとつで御利益が一挙に上がるといったものではないでしょうが、運が良かったと感じたとき、いいことがあったときに、あのときに買ったお守りがよかったのかなと思い出せば、そのお守りの存在価値が上がるのでしょう。

斎藤佑樹君も地元のお守りを持って甲子園で戦ったのかな?
まあ、太田市、旧新田町は新田義貞やその一族ゆかりの神社仏閣が多い(というより新田氏に関連していない神社、お寺を探す方が難しいくらい)ので、きっと初詣や七五三などには「義貞お守り」を買ったりしただろう。(無意識の内にでも)
前回でもいったように、今の活躍の陰に新田一族の魂が込められているのかもしれない。というわけで、斎藤佑樹君ファンを自称する方は、新田義貞のお守りを買ってみては……。(俺は地元観光係か、とツッコミを入れつつ) 武運や勝負ごとにいいかもしれませんよ。
といっても、生品神社の社務所はいつも閉まっていて、イベントがあるときにしか開いてないので、お守りも買えませんが、太田市周辺の大きな寺院でなら買えるでしょう。例えば太田の大光院(子育て呑龍)、世良田東照宮など。

斎藤佑樹君は新田源氏の生まれ変わりか?

5月20日、神宮球場で行われた東京六大学野球の早大ー明大二回戦で観客が3万人を記録した。この日先発した斎藤佑樹投手は、6回まで投げピンチを何度も迎えながらも無失点に抑えた。この大会で斎藤投手は3勝目を挙げ、21回1/3を投げ1失点と好投を続けている。

さて、その斎藤投手の出身地は群馬県太田市である。生品保育園、 生品小学校、中学校と進み、早稲田実業に入学した。

この生品地区は、斎藤佑樹君が中学校に通っているころまでは、「新田町」と呼ばれていた。しかしここ数年全国的に行われている地方自治体の合併運動に押されるように、新田町も太田市に吸収される形で合併した。結果、由緒ある「新田」という地名も失われたのである。

なぜ「新田」という名が重要かといえば、南北朝時代に活躍した新田義貞を始めとする新田一族が本拠としていたからだ。同じ時代に、新田一族のライバルとして戦った足利一族の地名が「足利市」という地名として今も残り、16万人の人口を抱える地方都市として栄えている。(それも太田市と隣接している)それに対して、覇を争って敗れた新田の名前は消えたのだ……。(あまりにも残念)

地名が消えるとともに、突如として現れたのが斎藤佑樹君だ。甲子園を沸かせた去年の夏以来、連日マスコミが、旧新田町にやってきて、斎藤佑樹君の生い立ちを取材していた。(本当に、生品保育園、小学校、中学校の辺りは凄かった)

どの地方にも、地元の英雄というものはいるものだが、この地域から全国的に有名になったのは、新田義貞以来となるわけだ。それだけに、斎藤佑樹君と新田義貞を重ねてしまうのは私だけでしょうか。

太田市、旧新田町の新田義貞に対する感情にはどこか哀感的なものがある。それは、義貞を含め新田一族が悲劇的な末路を辿ったからだろう。鎌倉幕府を倒し、武家の棟梁として全国制覇(これは比喩)する直前まで迫ったのに、その夢は無残に敗れた。しかも宿敵足利氏にその宿願を奪われたのだから、なお一層それを感じてしまうのだろう。

そこに登場した斎藤佑樹君は甲子園で全国制覇を果たしたのだ。

実は斎藤佑樹君こそは新田一族の生まれ変わりだと私は思っている。(真剣ですよ!)

この意見は「斎藤佑樹・青春の軌跡」(高部務著・東邦出版)の中にも斎藤佑樹君が新田源氏の魂を受け継いでいるといった内容のことを書いている。筆者の高部務氏はスポーツライターとして有名な方らしく、ネットで検索するとかなりの著作があり、「オシム主義」「中田英寿」などといった著作をみると、個人に焦点を合わせ、その生い立ちから、何から影響を受けてその個人が成り立っているのか、その業績はどこから端を発しているのかを追究している。その著者が太田市の現地取材を敢行した結果に、斎藤佑樹君が何からその力を得たのか、感じ取ったのではないだろうか。

斎藤佑樹君が通った保育園のすぐ近くには、生品神社がある。この神社は新田氏の産土神(生まれた土地の守り神)で1333年5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より、鎌倉幕府討幕の綸旨を受けて、この境内で旗揚げをし、戦勝祈願をした場所である。このとき鎌倉目指して進軍していった義貞ら新田軍は150騎しかいなかった。だが南下していくうちに北条軍を次々に打ち破り、味方を増やしながら快進撃を続けた。そして遂に稲村ケ崎から鎌倉に侵攻して、150年続いた鎌倉幕府を滅ぼした。後醍醐天皇は、十年、二十年の歳月を費やしても鎌倉を征討するのは難しいと考えていたものを、義貞は旗揚げから14日で攻め落としたことになる。

斎藤佑樹君も当初無名に近い存在であったが、去年の甲子園で勝ち進んでいくうちに、その実力を発揮し、偉業を達成し、名声を得たわけだから、やはり新田義貞と重なるものがある。(この辺はまた次回以降で……)

斎藤佑樹君ファンを自称する方々は、一度「生品神社」を見に行かれていかがでしょうか。本当に殺風景な、寂れた神社です。それだけに、新田一族の無念さが味わえて、感慨深いものがありますよ。

歴史ミステリー小説「東毛奇談」第1章 1

第1章 天狗のこと

 
「御昇進 御昇進」
烏帽子、直垂姿の勅使が恭しく一礼し、声を張り上げて唱えた。
東風吹き渡るこの日、京の都は、厳然たる雰囲気に包まれた。
慶長八年(1603年)二月二日未の刻、京の伏見城において、徳川家康への将軍宣下の儀式が執り行われた。
この日、朝廷の勅使らは、二百人ほどの行列を成して伏見城に現れた。予定通りの刻限に到着し、城内南殿にある対面所の中段に進んだ。それに引き続き、参議勧修寺光豊、大納言広橋兼勝は、上段第二の間の中程に左右に分かれて着座する。家康は、折烏帽子、香直垂の装束で、すでに上段中央に南面し鎮座していた。ほどなく儀式は始まろうとしていた。

MORE »

「物語を物語る」を始める

ブログを始めました。
「物語を物語る」という大層なタイトルですが、この言葉気に入っているのでつけました。
ではなぜ「物語」なのか? 
そもそも「物語」とは話を語ること、またはその内容、よもやま話、談話のことであり、作者の見聞または想像を基礎とし、人物・事件について叙述した散文の文学作品、と辞書では説明しています。また「物語らふ」となると意味が転じて男女が情を交わすといった意味になるそうです。まあ、要は、自身が日常で起こったことや、感じたことを綴りながら、自作の小説を発表していきたいと思っています。

 | HOME | 

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

04 | 2007/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  └ 月別アーカイブ
        └ 2007年05月
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。