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田中真紀子、小泉純一郎、超絶のトーク

参議院選挙が終わり、ワイドショーも政治ネタで盛り上がってますね。
丸川珠代だの、さくらパパだの、田中康夫だのがテレビに出てますね。
でもやっぱり、面白いのは、田中真紀子小泉純一郎の講演会でのトークですね。
凄い、超絶、面白すぎ、その話芸は、きみまろ以上ですな。
そこで、どこがどう面白いのか、観察してみた。
まず、田中真紀子。
彼女の場合、まず、毒を吐くところから、話が入ります。

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今こそ朝青龍に鉄槌を! いまこそ、日本の品格を示すいいチャンスだ。

朝青龍の一連の騒動に「物語を物語る」的に一言いいたい。
経緯は省略。
私がこの問題で気になるのは、力士は相撲が強ければいい、横綱は優勝すればいいという、考え方です。
横綱としての人格、品格、云々よりも、勝てば文句を言わせない、という朝青龍の態度、姿勢が気に入りません。またそれを許している相撲協会、また社会の風潮が気になってなりません。

これは「金持ちは、社会の成功者だ」という社会の風潮に物凄くよく似ている。
朝青龍の言動が、ホリエモンや成り上がりのIT社長の言動に重なって見えるんですよ。
これは「勝ち組、負け組なんて分け方もうやめませんか」という記事にも共通します。
朝青龍の強ければいい、相撲は勝負に勝てばいい、というやり方は、欲深い畜生のようで、とてもあさましく感じる。
勝つ、優勝するは=金を生む、ということである。すべてのプロスポーツがそうであるが、朝青龍の言動には、金への執着が貪欲に感じられる。またそれに群がる取り巻きどもが、彼に苦言を呈することができない状況となっているのだ。
欲深い世の中の象徴のような人物ですよ、彼は。

一時的に謝罪はするだろう、次の場所がんばります、とも言うだろう。
でもね、私には、いまは謝っておけば、そのうち世間は忘れる。また相撲でも取って金を稼ごうというのが、見え見えなんですよ。
許してはいけません。また起こしますよ、問題を……。

いま、朝青龍に鉄鎚を下すことができるのは相撲協会だけなのに、朝青龍に対してなぜあんなに弱腰なのか。

相撲が日本の国技ならば、いまこそ、日本という国の人々が持っている品格を知らしめるいい機会だと思う。
社会にも、国民にも海外にも、卑しいものの考え方を正すためにも……、

横綱に品格、人格を求めているなら、こんなに問題を起こし続けている人物が横綱であること自体がおかしい。となれば、横綱昇進を審議している意味がないということだ。昇進があるなら、降格もあるべきだ。それが世のならいでしょう。
いま、朝青龍に厳しい処分が下されれば、国民は納得し、溜飲が下がり、よくやったと賛美するだろう。しかし、もし仮に甘い処分が出されれば、非難の矛先は相撲協会に向くことになるだろう。
朝青龍が相撲を辞めても、モンゴルに帰っても有名人として生きていけるだろうし、また格闘技を続けたければ、K-1にでも行けるだろう。
しかし相撲協会が、生ぬるい処分でも下せば、一力士に規範を示すこともできないことになり、その存在意義もない。


結論は8月1日に出される。ある意味、非常にたのしみだ。

選挙報道前後のマスコミ報道に対する、「物語を物語る」的感想。

「自民党大敗。参議院は民主党が第1党になる」今日の話題はこれに一色でした。朝からテレビワイドショーは、選挙結果を報道し、それを受けて安倍首相の進退問題に、話題が移ってきました。安部首相はいま重大な岐路に立たされたわけですね。安倍首相の選択次第で、自民党、安倍さん自身の今後の行方にかなりの影響が出るでしょう。
 マスコミはいま「安倍首相やめろコール」、「民主党応援、自民党批判」にだいぶ傾いています。国民もその傾向にかなり引っ張られている、と私自身は感じています。これはかなり危険ですね。小泉首相の時とは、まるで、逆。
小泉パフォーマンスに踊らされ、自民党圧勝に導いたのは、マスコミでしょう。その結果がどうでしょうか。年金、教育、格差、これらの問題を作ったのは小泉政権の無策、強引な改悪的政策の結果が、いま噴出しているんですよ。
5年前から、諸問題の対策、対応に手をつけていれば、事態は変わっていたはずです。

マスコミは国民の声を反映しているように一見みえますが、実は国民を一方向に向かわせるという危険性を常にはらんでいるということです。
特にマスコミの何でも反対、何でも批判という旧社会党的姿勢(ここでいうのは思想のことではない)に似ている。では次はどうする、どうすればいいという建設的意見はすっぽり抜け落ちているのです。
なぜそうなるのか。それは批判する方のが楽だからです。人の行動を第三者的立場で攻撃するほど面白く、簡単で安易な方法はないからです。
しかも、もっともらしい正論で攻撃する。
正論を用いて、相手を追い込み黙らせて、勝ったような気になる。それを見ている視聴者は自分が勝ったような気になる。ここにマスコミ=視聴者(国民)という一体感が生まれるんです。
だから、マスコミ報道は国民の意志だという幻想が発生する。
だから、マスコミ報道を自分の意見だと思わないようにすることが必要だと思います。
現状必要なのは、些細な批判避難ではなく、問題解決への方策を探すことであって、マスコミ報道に惑わされない意見を持つことでしょう。

これは、政治報道に限らず、サッカーのオシム監督への報道とか、あらゆるところで見られる現象です。

まとまらない。またしても逃げの記事

またしても時間がない。毎日更新を目標にしているのに、今日という日はあと1時間しかない。

新田次郎氏の話の3回目、斎藤佑樹くんとの関係で書き進めていたが、
どうにもまとまらない。

こうして、あーして、あれも入れてとして行くうちに、どんどん論旨が別の方向になってどうにも締まらない内容に……。

別に誰に頼まれて書いているわけでも、特定の読者がいるわけでもないのに、
書き続けている状況は、自分でもオカシイと思っている。
自分を追いつめているだけで、「ブログを書くという行為」の本来持っている楽しみを見失っているのかもしれない。
別に夕飯に食べたおかずが旨かったとか、遊びに行った先で誰かがコケタだの、上司や職場の悪口でも、テレビのネタでも何でもいいはずだ。
それでも、文章の上手い人が書けば、十分面白い内容になるんですから。

昔は、上手い文章を書く人を見掛かると感心したものだが、最近は、羨むというより、妬みに似た心境になる。
映画「アマデウス」のサリエリ並みに、人の才能に嫉妬するようになってしまった。

おー欲しいのは、筆力。

読むように書けたら、こんなに苦悩することもないのに!


今、悪魔が出てきて、魂と筆力を交換しよう、といったら、進んで悪魔の要求を受け入れるだろう。

いや、「今この商材を買えば、寝ている内に、筆力がアップするでしょう」というメルマガでも来たら、即刻銀行へ行って金を振り込むかもしれない。

うおー、今自分は自民党並に、崖っぷちにたたされているぞー







新田次郎氏と生品神社  その2

さて新田次郎氏の話の続きをしましょう。
新田次郎氏の本名が藤原寛人であり、長野県に生まれた、といったことまでは書きました。
学校は無線電信講習所本科(現電機通信大学)を卒業。その後中央気象台に就職し、富士山測候所に勤務、のちに満州国中央気象台に転任した。

実は、この間の昭和14年夏に雷雨観測のため、1か月間、生品神社社務所を借りて滞在した、ということが小説「新田義貞」の中に書かれている。

そうなんです。新田次郎氏は生品神社と関係があったんです。

しかも、これは、彼が作家になる12年前、「新田義貞」を書く37年も前の出来事です。そして新田次郎氏が生品神社に滞在していたころは、作家になろうという意思は全くなかった。

不思議な縁ですね。

私は運命論者だから、新田次郎氏が作家になる前に生品神社を訪れ、新田姓を名乗り(たとえそれがペンネームであろうと、新田を名乗った時点で、新田氏の宿命を背負う)、のちに新田義貞の小説を書くことは、彼の持って生まれた因縁なのです。きっと。私はそう断言します。


そして、新田次郎氏は小説「新田義貞」を書くために、30年ぶりに生品神社を訪れます。
だが、そこで目にしたものに、愕然とします。
かつては神主もいた生品神社でしたが、今は無住で、社殿、境内は荒れ放題となっていた。また取材のために、新田関連の寺社を巡りますが、そのたびに、落胆のため息をもらすことになる。どこへ行っても遺跡は放置されたままで、荒廃していたんです。そして、石ころだけが乗せてある新田氏累代の墓に手を合わせて、落涙した。
あまりの衝撃だったのか、小説内のあちこちで、この荒廃ぶりを表記している。

またあとがきには「新田義貞の出生地よりも遠くなるほど、義貞への評価、関心が高いように思われた」と書き残している。

つまり、地元である太田市が一番無関心だということなんです。
いつのまにか消えた遺跡さえあるという。
関連の寺や神社でさえそのようなのだから、
名前が消えても、気にならないんですよ。

そう地名さえなくなってしまった。
新田という地名は現在なくなっている。
2年前に消滅した。

もし新田次郎氏が生きていたら、どう思っただろうか?何と言っただろうか?
新田一族が守った名を残せ、と叫んでくれただろうか。
いや、それとも消えゆくもののために泣いてくれただろうか


新田次郎氏の話は次回に続きます。

歴史ミステリー小説「東毛奇談」 第6章 4

そこに「ところで今はそんな話をしに来たわけではないんですが……」と真船が本題に戻そうとした。
「そうだな。徳川埋蔵金は存在するか、だったな。それで千ちゃんはどう思うよ?」
「うーん、どう考えても怪しいですね。今回いろいろ調べるまでは、テレビ番組や雑誌でしか得た知識しかなかったので、漠然と埋蔵金が出て来るんじゃないかと思ってました。それは真剣にテレビを見てましたよ、当時は」
「あの『徳川埋蔵金発掘シリーズ』は平均視聴率が20%を超えていたといいますから、かなり話題になったわね。他局でも亜流番組が沢山出たし、今でも埋蔵金発掘番組を見かけるわ。それに時々雑誌に取り上げられたりして、今でも関心は高いわね。ついこの前の大晦日の夜、紅白歌合戦の裏で特番を組んで放送したときも赤城山を掘ってたわ」
「まったく何かのイベントと間違ってるんじゃねーか。ここまで来ると、埋蔵金が有っても無くても関係ねーみたいだ。山を掘り返すことが目的となっている感じだな。それに一番の問題なのは埋蔵金発掘を夢やロマンだとしていることだな。やっぱりそこに持っていくのはズルイぜ、真実からの逃避に他ならないからな。素直に視聴率狙いですと言えばいいんだ」

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新田次郎と新田義貞。その1

国家の品格」の著者である藤原正彦さんの父は、作家の新田次郎氏である。

「強力伝」で直木賞を受賞し、歴史小説「武田信玄」は、10数年前に中井貴一が信玄役でNHK大河ドラマとなった。(「風林火山」とはまた趣が違うので、一読お勧めします)
「八甲田山死の彷徨」は高倉健主演で映画化され、名セリフとともに大ヒットした。また現代小説の大家でもあり、山岳小説という新しい分野を切り開いた、昭和を代表する大衆文学の雄である。
また、夫人は藤原ていでこちらも作家。

ということで、新田次郎氏の家族は、みな藤原姓なのに、なぜ新田次郎氏だけ新田姓なのか?

その理由は、新田次郎氏が明治45年6月6日、長野県上諏訪町大字上諏訪角間新田で生まれたことによる。
本名は藤原寛人で、新田次郎はペンネーム。地名の新田から姓を、また次男坊という意味でこの名前となった。また「しんでんじろう」では響きが悪いので「にったじろう」にしたというのである。(ここでも新田と書いて「しんでん」と読む)
そこで、同じ新田姓である新田義貞に機縁を感じて、小説「新田義貞」を書いたという。
小説の解説で、新田次郎氏は新田義貞を始め一族の対してかなりの同情を寄せていることがわかる。
では以下引用。

「義貞の人間像について、新田次郎氏は次のように語ったことがある。『中世武士道を生きた人ですよね。馬鹿正直で、無骨で、純粋の坂東武者、大義名分のために死をおそれず、ぶつかってゆくんです。その性格を、海千山千の後醍醐天皇の野望に、うまく利用されたわけですね』こうした義貞像を、成長期から時代の流れに沿って追い、悲劇的な最後をたどっているわけだが、彼(新田次郎)は調べてゆくうちに、義貞が決して凡将ではなく、むしろかなりの智将でありながら、非情な政治に翻弄される姿に、同情を禁じ得なくなったようだ。

西洋風にいえば、騎士(ナイト)とも言える、彼の人間性に惚れこんで書いた」』

騎士ですよ、ナイトですよ。時代小説の巨匠が義貞をこう評した。

たしかに、義貞は中世西洋映画に出てくる騎士に印象が重なる。

刀を抜けば、降ってくる矢を次々と切って落とす。神技と称される武芸を持ちながら、
雪中の海に船を浮かべ、横笛を吹いて親王を励ます、風流をも持ち合わせる。

顔に矢傷がある、無骨で、愚直な坂東武者でありながら、

月の夜、琴の音色に誘われて、たちまち宮中女官に一目惚れをする。

何とも、義貞は、人間味があふれてますね。


おっ新田次郎の話をしてない、では続きということで。
新田次郎と生品神社の関係は次回で……。

勝ち組、負け組なんて分け方もうやめませんか!?

7月19日、村上ファンド元代表の村上世彰被告に2年の実刑、追徴金11億4900万円の判決が下った。
彼も数年前までは、勝ち組といわれ、時代の寵児と言われた人物。それが今や負け組といわれる。
コムスングットウイルも、NOVAも、日産のカルロス・ゴーン氏も数年前は勝ち組といわれていたんです。それが今ではどうでしょうか。
そういえば、羽賀健二も逮捕されるまえは、「負け組から勝ち組へ」なんて書いていた週刊誌があったくらいだった。
さてなんでそんなことになるのか。
それは無理に勝ち負けの2つに分けているからでしょう。

そもそも、「勝ち組」「負け組」という分け方に意味があるんでしょうか。
それに、どの時点をもって勝ち負けを決めるのか。

人は時に勝ったり、負けたりする。

一時的勝負で、人を2つの組に分けることに自体に問題があるんです。

それに他人の評価によって勝っているように見えるし、負けているように見える。

一番の問題は経済的成功を勝ちにしていることでしょう。結局は、金持ちを勝者にしているだけなんです。その金持ちがコケたときに、マスコミは総攻撃する。そのネタのために作った、用語なんですよ。

だから、私のお願いは、この勝ち組、負け組という分け方を、歴史上の人物に当てはめないで欲しいということです。
源頼朝は幕府を開いて政権を手に入れた。歴史的には勝ち組でしょうが、その人生は勝ち組でしょうか?兄弟たちを攻め殺し、その子孫は3代で途絶えた。
足利尊氏はどうでしょう。室町幕府を開いた彼は、一応は勝ち組でしょう。が、尊氏にその実感があったでしょうか。仲の良かった弟を毒殺に追い込み、実の息子と戦い、天皇とも争わなければならなかった一生を勝ち組、負け組などと簡単に分けることができるのでしょうか。
では織田信長は、坂本龍馬は、西郷隆盛は、……。
今でもこの分け方で歴史上の人物を記事にしている本、月刊誌、週刊誌、また歴史を扱う本まで多くある。

あまりにも安易すぎる。
そもそも歴史上の人物たちに負け組など存在しない。
歴史を変えるような場面に登場する人物たちは、たがいに影響をしあって存在している。時に生死を分けあうことにもなるが、その時死んだ人物は決して負け組ではない。歴史は勝者ばかりで成り立っているわけではないのだ。
敗者も歴史を成すものである。
だが敗者は負け組ではない。
決して…。

だから私は、「勝ち組」「負け組」という分け方が嫌いです。
よってこの用語を多用する解説者やコメンテーターを信用してません。






映画「ファンタステック・プラネット」を観た。

熱が下がらず、会社を休んだ。病院に行く度に点滴を打たれるので、腕が麻薬中毒者のように、注射針のあとだらけになってしまった。
家にいても、寝てるだけ。あまりにも暇なので、録りためていた、ビデオを見ることにした。
中でも、先日NHK・BSで放送していた「ファンタステック・プラネット」は昔から見たかった、アニメ。
レンタルビデオで見かけることはなく、放送されことも滅多にない作品だ。

『ステファン・ウルのSF小説を映画化し、1973年のカンヌ映画祭では、アニメ作品として初の審査員特別賞を受賞した。資本はフランスだが、チェコ・アニメの名匠イジー・トルンカのスタジオで製作されたカルト・アニメだ。
青い皮膚に赤い目という巨大なドラーグ人が支配する惑星で、人間たちは彼らのペットになるか、害虫のように殺されるしかなかった。しかし、ついに人間たちはドラーグ人に対して反乱を起こす。
切り絵を動かすようなシンプルなアニメの手法が、物語の不気味さを倍増。ぎこちない動きは、子ども時代に初めて恐ろしい絵本や童話を目にしたときのトラウマ的感覚を呼び戻すかもしれない。SFなのに原始生活を送る人間たちという設定や、耳が翼になって飛ぶ虫をはじめとした、強烈なビジュアルの惑星の動植物も心をざわめかせる。ただ「すごいもの」を期待すると、肩すかしを喰らうのも事実。音楽との恐ろしい融合を果たした、マネキンのダンス・シーンだけでも本作を観る価値はあるかも。(斉藤博昭さん解説 アマゾンDVDから引用)』

見始めたら、もう画面に釘付け。
うーわーすげー、と感嘆の声を上げる。
噂通りの幻想的な映像、奇抜なストーリー。フランス語がまたいい味出してる。

だが、しばらく見てる内に何かに似てることに気付く。
主人公の顔といい、背景の絵といい、ストーリーといい、これって、諸星大次郎じゃん。
もしかして有名な話なんですかねー。この映画と諸星大二郎の関係って。
この映画の方が古いんだから、諸星大二郎の方が影響を受けたということですか?……。
そんなことを考えながらも見終わり、熱が上がって、一眠り。
そしたら、この映画の奇妙な感覚が残っていたのか、幻想的なちと恐い夢を見た。起きたら、熱にうなされたように、呻き声を上げていたとか。

「ファンタステック・プラネット」という映画の私の感想。
「体調が悪い時にこの映画を見ると、その日の夜は、奇妙で幻想的で、少し怖い夢を見ることになる。見るときに注意が必要」ということになるかな。

追記…諸星大二郎原作の映画「奇談」(阿部寛主演)は、DVDで発売されていますが、どこのレンタルショップにもありません。いったいどこにあるんだ~。

みのもんた、新作ハリーポッターのネタを割る。私、怒ってます!

ただいま体温38度。病院で点滴打ってきました。
朦朧状態ですが、どうしても書きたいことが……。

7月23日、朝の情報番組「あさズバ」でのこと。
ハリーポッターの完結編(英語版で日本語版は来年)が出版されたことがVTR付きで放送されました。
問題はこのあとです。VTR明け、みのもんたは英語版のハリーポッターを開いて、
本の中身から単語を拾って○○などと言い始めた、しかも最後のページを開くと××と書いてあるなんて言い始めた。
おいおい、ネタを割るな。しかも楽しみにしている読者にヒントを与えるようなことを言うな、と思わず叫んでしましました。
しかも、このときのみのもんたの態度が許せない。口が滑って言ったとか、思わず出てしまったというレベルではない。完全に物語のネタを割ることを面白がっているのだ。
へなへな笑いながら、ちょっと小馬鹿にしたような態度。みのもんたの心の中には、ファンタジーなって子供の読むものだ、こんなものに熱狂する人を取り上げるのがおかしいみたいなことが、言葉の端端ににじみ出ている。

許し難い行為だ。

これは、「物語」を冒涜し、「作者」を侮蔑し「物語を楽しむ者」を凌辱する行為だ。
「物語を楽しむ」ことを奪う行為を許してはいけません。


限界なのでもう寝ます。これだけは書いておきたかったんです。



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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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