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ヤマダ電機vsビックカメラは、群馬の県民性?

7月13日、ヤマダ電機がJR池袋駅東口に大型の店舗を出店させた。
池袋には、ビックカメラの本店があり、その地盤は強固だった。そこにヤマダ電機は乗り込んできたのだ。
すでにニュースでも大きく取り上げられ、「池袋決選」といわれるほど、2社による家電量販店戦争は、今後の勢力地図を占う意味でも、大きな話題となっている。

さて、ここでこのタイトルですが、何のことやら分らないと思います。
まずは、ヤマダ電機とビックカメラはともに群馬が発祥地なんだ、ということから説明しなければ、ならないでしょう。

ヤマダ電機
ヤマダ電機の社長である山田昇氏は、1973年日本ビクターを退社したあと、個人で電気店を群馬県にて開業した。その10年後にヤマダ電機株式会社を設立。以後群馬県を基盤に店舗拡大を図り、現在では売り上げ高が1兆円、全国47都道府県すべてに店舗がある、業界NO1になった。そして本社は今も群馬県前橋市にある。

次はビックカメラ。
今の会長である新井隆司氏が、1968年に株式会社高崎DPセンターを群馬県高崎市に設立したことから始まる。
1978年に第1号店である高崎東口店を開設し、ビックカメラ高崎に社名を変更。このあとに池袋に進出して、今の発展を遂げたわけだ。

この2社が激しい戦いを池袋で演じているわけだが、争いはこれだけではないんです。

なんと、ヤマダ電機は本社を高崎東口に移転させ、そこに、都市型の店舗を構えるのだ。ビックカメラにとって、高崎東口は会社設立の聖地である。そこにヤマダ電機が乗り込んで来る。

なんとまあ、えげつない話ですな。

群馬・上州は博徒の国といわれ、江戸時代から有名であった。国定忠治も木枯らし紋次郎も上州。黒沢明の「用心棒」も舞台は上州だといわれる(映画内で空っ風が吹いているでしょう)
それに、剣豪も多かった。新陰流開祖の上泉伊勢守信綱や相馬氏の馬庭念流などがいて、北辰一刀流の千葉周作も剣術で名を上げるためにやって来たのが上州だった。(司馬遼太郎著の「北斗の人」に詳しく書いてあります)
そう上州・群馬は荒くれ、やくざ者が多くいた、喧嘩、争いの好きな県民性があるんです。

そう見ると、ヤマダ電機のやり方は、どこかその筋の人みたい。相手の神経を逆なでするようにけし掛け、喧嘩を売って、相手が立てなくなるまで、痛み付ける。
同業他社は、ヤマダ電機が出店してくると、ヤマダが来たといって怖れるそうです。
うわー、やくざの殴りこみかよー!
そう考えると、この池袋家電戦争は、映画「仁義なき戦い」のようにやくざの縄張り争いのように見えるじゃありませんか。

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