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アンパンマン考 1 事の発端

Ⅰ事の発端、娘の疑問と父娘との対話

月曜から木曜までの夕方6時から1時間、BS4チャンネルで「アンパンマンくらぶ」が放送されている。アニメのアンパンマンが4本と「はるなおねえさん」のコーナーが本編の前後、途中にある。このコーナーではアンパンマンにちなんだ料理を作ったり、工作をしたりする。
この番組を5歳の娘は毎回欠かさずに見る。私も仕事が休みの日はつられて何気なく見ている。夕食を待つ間、娘が大人しくしているので、丁度いい時間帯なのだ。
さて、大人が見れば「アンパンマン」はどれも似たような話で、展開に変化はなく、出てくる登場人物(?)はだいたい同じだ。退屈というわけではないが真剣に見ているわけではない。
そこで、このワンパターンの勧善懲悪アニメを毎日のように見ている娘に「飽きないのか」と聞いてみた。
だが当然のように「面白い」という。
「へー、どこが?」と訊き続けた。あれだけ真剣に見ているのだから、何か子供が引き付けられる何かがあるはずだ。ちょっと興味が湧いた。
「うーん、アンパンマンがずっこけたりするところとか、ドキンちゃんの目がハートになるところ」と答える。と言いながら、目はアンパンマンを流しているテレビに釘づけのままである。
「ふーん」確かにビジュアル的に子供が喜びそうなところだ。でもそれだけで見続けるほど、単純ではなさそうなので「どこかもっと面白いところがあるんじゃないの?」と畳みかけてみた。
「だってみんな見てるし。○○ちゃんなんてアンパンマン博士なんだよ~」と答えながら、バイキンマンがアンパンチを食らって飛び去って行くのを見ながら「でもなんでアンパンマンとバイキンマンはいつもケンカしてるの?」と逆に質問してきた。
不意のカウンターパンチで「おっ」と唸ってしまった。「鋭い」そこに気付いた娘は偉い。確かにそれがこの物語の根幹だろう。私も見ながら「アンパンマンとバイキンマンが戦い続ける」ことがどうも不思議なことだと思った。パターン化された物語には、普遍的なメッセージが隠されている。馬鹿にしていけないのだ。老人が「水戸黄門」を見続けるのと同じだ。夢中になって見るのは、人を引き付ける魅力がどこかにあるはずなのだ。
そこで、アンパンマンに関して娘が不思議に思っていることを出させて、いろいろ聞いてみた。
要約してみれば大体こうなる。
「やっつけたバイキンマンはすぐまた出てきて、いたずらをするのはなぜ?」
「××マンとか○○マンとかなんで身の回りのものが出てくるの?」
「なんで人の形をしているのはジャムおじさんとバタコさんだけなの?」
とかいろいろ出てきた。言われてみれば確かにそうだ、と感心もした。
ただやはり「アンパンマンとバイキンマンがいつも戦っている」のが一番の不思議らしい。
どうやら、バイキンマンが全くの「悪」というわけでもなく、また悪であるべきドキンちゃんの存在がとても不思議だからだろう。「悪が絶対悪でない」「やっつけられる者が全くの悪」でないということだろうか。

よし、ここはアンパンマンの謎を解いてやろう。それが分れば幼児がアンパンマンを夢中になって見る理由も分かるかもしれない。

「物語を物語る」なんて大層大袈裟なサイト名でブログを開設しているのだから、ここはひとつ娘の疑問ぐらい簡単に答えてやろうと思ったのだ。だがそれが間違いのもとだった。
考えれば考えるほど、「物語としてのアンパンマン」は深いことが分った。

まずネット検索したが大したものは出てこない。「バイキンマンの資金源は?」とか、「なぜアンパンマンはマントがなくては飛べないのか?」といったものばかり。どうも安直なものばかりでどうも納得がいかない。それに、逆に謎が増えてしまうのである。
そこで途中まで書いていた「朝青龍マレビト論」を書き終えてから、準備に入って、数か所の図書館を回り、本を借りまくって、本屋に行って関連のありそうな本を集めた。
そして、アンパンマンを見ている娘の横で、私は娘以上に真剣に画面を見つめ、ノートを片手にして、気なった箇所をメモしていった。
そんな私の姿に、妻は「そんなことしたって、1円にもならないのに」とこぼし、呆れ果てた。
「くそー」こうなったら意地でも「娘の疑問」に答えてみるぞ。
それは自分の納得のいくものにするぞ。
それに是非とも、クリスマスまでにしたいのだ。(これには訳がある)


とは言ったものの果たして書き切れるのか。
期限はあと10日ほど……。

予定としては、
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とこんな感じとなります。

「神事としての相撲」  大相撲の国際化、スポーツ化、格闘技化は本当に良いことなのか?

前回「朝青龍マレビト論」からの続き。

12月3日に、朝青龍は第10代横綱・雲竜久吉が土俵入りをしたと伝えられる福岡県柳川市の三柱(みはしら)神社で雲竜型の土俵入りを奉納した。約1000人が観衆が見守る中、火災で焼失した拝殿の復興と新築工事の安全を祈願して、朝青龍は四股を踏んだ。

こういった儀式を執り行うのも横綱の職務となっている。これら儀式は、神前で土俵入りを奉納する、または相撲を取るといった形で行わることが多い。では「東毛奇談」から一例を上げてみましょう。昭和55年5月27日、群馬県大泉町の高徳寺で行われた児島高徳600年忌祭のとき、四股を踏んで奉納土俵入りを行ったのが、今の相撲協会理事長で当時の横綱・北の海である。そのときの太刀持ちが増位山、露払いが闘竜であった。これは当時相撲協会理事だった三保ヶ関親方が児島高徳の子孫に当たるという理由で行われたものだった。意味合い的には、先祖の霊を慰めるということになるだろう。

さてこのように、神事として、奉納相撲や土俵入りが行われることは多い。たとえ本物の力士が呼ばれなくても、地元の人々が力士となって相撲の儀式を取り行うことも全国各地で行われている。相撲には呪術的要素があり、相撲取りは神事を執り行う存在であることを、日本人は潜在的に感じ取って知っているのだ。  これこそ日本人が相撲を単なるスポーツとしてとらえていないということであり、また、単純に裸の男同志がぶつかり合うだけの競技や格闘技と考えていないということではないか。
そもそも、力士は何故四股を踏むのか? 相撲取りはなぜあんなに太っているのか? なぜ見ている人々は「よいしょ」とかけ声を掛けるのか?と様々な疑問がわく。その辺りを追究していけば、「相撲は神事」であるということを理解できるのではないでしょうか。ではその辺りを羅列して、前回の記事の補足をしていきます。

丸谷才一、山崎正和の対談集「見わたせば柳さくら」(中央公論社)の中で、「芸能としての相撲」という章がある。ここに相撲に関する逸話が豊富に載せられ、神事としての相撲が詳しく書かれていた。まずここに書かれていることを抜粋していきます。
相撲は「肉体そのものを様式化した別世界」である、ということ。「日本にある様々な伝統芸能として、風俗の細部にわたるまで伝統をのこしているのは、相撲しかない。歌舞伎役者や能の役者は舞台上ではカツラをつけ、衣装を着て演じているが、日常では洋服を着て普通の髪型をしている。劇場の世界は日常から抽出された世界であるが、相撲取りは普段の生活もその世界を続けている。それは相撲力士の格好は歴史的なごりを残していることでも分かる。生活全部を様式化してしまって別世界を作っている」ということ、確かに、朝青龍がモンゴルでは着物も着ずに、髷を結っていないと相撲関係者が怒っていた。伝統芸能に携わる方々は普段は洋服ですから、相撲界ではかなり厳しく、伝統を守ろうとしていることになる。
「時代的混乱がカオスをもたらす。相撲取の世界では裸が正装である。日本人の感受性の中に、裸になるときに秩序の転換がある」 これは、行司の服装は平安から室町のもの、相撲取りは江戸時代の風俗、呼び出しは江戸時代の服装で髷がないので頭髪だけ明治以降、検査役は紋付き袴で髷がない、といった感じで日本の風俗が時代を関係なく盛り込まれている状態である、といったこと。
「決り手は芸の型である」 相撲というのは、スポーツというよりは芸能に近い。相撲の勝負というのはすべて決り手というものがあって、四十八手あるいは百七十手という、とにかく名前のついた、すでに分類された方法でしか決して勝負が決まらない。名前のつかないような勝ち方でも、無理やりでも決り手の中に決めてしまう。これは歌舞伎などの様式的演劇と似ていて、芸の仕草にひじょうに細かく名前がついている。要するに、人間の身体的な運動やその表現に、あらかじめ名前の枠がついていて、その中で行動している。そういう点で、相撲はまさに「芸」である。勝ち負けだけじゃない。勝ち負けはあるけどもその形が問題になっている。何でも決り手を無理矢理、すでにある決り手の中に入れてしまうという傾向は「日本文化の特性」だ。例として、和歌、投扇などを上げている。
「かつて、勝ち負けは決まっていた」 相撲は発生的にいえば格闘技ではなくて、神事である。だから神事という意識が国民の精神の表層を2、3枚はいだところで、ずっとつながってきていると思う。それがあるから、こんなに長い間もっているので、この意識がなかったら、もうとうに滅んじゃっているでしょう。と丸谷氏は語っている。  折口信夫の説によれば、もともと相撲の発生状態では、勝ち負けが決まっていたという、儀式であった。勝った方の村の田圃の穂がよくできるというおまじないの儀式であった。それがしだいに呪術的起源が忘れられて、単なる勝ち負けの遊びになってしまったという。  また相撲の語源のひとつに「素舞う(すまう)」であったという。伎楽とか舞楽が面をつけて舞うのに対して、こちらは裸で舞うという意味で、素の舞い、「素舞い」という意味であったという。  行為の模倣、それが発達していって格闘技になった。しかし大事なのは、格闘技でありながらでも、神事の名残という気持ちがする方にも見る方にも、脈々と続いていた。相撲の持っている儀式性や呪術性が複雑かつ重層的で、混ざり合っていた。これは神道にまつわる行事という側面をもっている。聖武天皇のとき豊作を感謝し、伊勢神宮などの神社に奉納する相撲をやらせた、呪術的行為。神道レベルでない民間信仰も残っている。相撲取りの裸に触ってツキをもらう、相撲取りに子供を抱いてもらうと、その子供が健康に育つという俗信もある。陰陽道の影響もある。行司の「はっけよい」は「八卦よい」からきてきる。土俵にかつてあった4本の柱はそれぞれ玄武、青竜、白虎、朱雀を表す。
「天皇と相撲と日本人、番付の不思議」  天覧することが多い。天皇がご覧になることが多いということ。豊饒信仰、土地への祝福というのがあって、相撲取りのしこ名の名前に土地の名前が多い、場所の場内放送ではかならず出身地が紹介される。外国人力士でも同様だ。つまり出身地を言うこと自体、土地への祝福となる。相撲取りの存在とは、そういった神事的意味合いが強い。(産土信仰か?)
日本人はランキングを付けるのが好きな人種である。しかし西洋のものとは大きく違う点がある。それは、東西に分けて2系統あるということ。「東の横綱、西の横綱」と言った感じである。なぜ東と西に分かれているのか?宮本徳蔵氏よると、天子(天皇)は南面して座る。両側に東と西に配している。天子は常に南面して、左右が争うに任せている。ここでも天皇の存在がある。
「日本文化にはスポーツはない」  日本には元々球技といったものがない。蹴鞠はあるが、これは中国から輸入されたもので、宮中だけのもの。球技の原形は動物の首を取って投げ合って争うという狩猟民族の風習から始まっている。日本にこの風習はなく、足が速いとか、物を遠くに投げる、高く飛ぶといったことはそれほど尊重されなかった。よって日本ではスポーツに当たるものは発達しなかった。柔道、剣道、弓道は武士が行うもので戦闘の練習といったもの、これは見世物ではない。唯一、相撲だけが見世物として発達したものだった。
相撲の勝負は「序破急」の構図である。「序」で睨み合って気が充実してくると「破」がくる。立ち上がって勝負し、あとは一気に「急」に終わる。この「序破急」は音楽・舞踊などの形式上の三区分。舞楽から出て、能その他の芸能に用いられる。
また力が均衡して勝負が持久戦になると「水入り」が入る。勝負の途中で水が入るという不思議なルールもある。立ち会いも審判(行司)が試合の開始を決めるのではなく、選手同士の「気」で決めるというのは、格闘技、スポーツとしては異例のルールである。
またこの対談では、相撲をバロック様式に例えている。バロックとは、16世紀末から18世紀前半に行われた芸術様式で、「歪んだ真珠」を意味する。古典的な調和と均整を理想とする静的なルネッサンス美術に対して、動的で劇的迫力に満ちた性格を「バロック」の語で表した。
西洋の「フリークス」への関心、中国文化での「小人、宦官」などといった関心は日本に薄かった。しかし、身体が大きいという相撲取りへの関心は強かった。相撲取りの身体は、均整のとれたものではなく、異常に腹が出ていたり、非常に身体が大きかったり、体重が重いほど尊重されるなど、その特異性が求められた。 「スポーツというものが育たなかった中で、相撲がひじょうに色の濃い呪術性と芸術的性格を残していったのは当然のことでしょう。おそらく小人も受け入れず、宦官も認めなかった日本文化の中で、身体的に対するバロック的趣味がかろうじて表れているのは、相撲だけ。だから江戸時代には女相撲とか座頭相撲など、全部そこに流れて込んでいく。どの国のスポーツも、ある程度は見世物になっていくけども、あそこまで様式美をもった見世物、肉体そのものまで変形して様式に奉仕するのは相撲だけ」と2人は語っている。
また、様式美を徹底して追求している点も歌舞伎などの芝居と同じであると指摘している。それに、宮中の儀式だけではく、武士にも好まれた点を上げている。武士的というものでは、曽我物語の発端も相撲の争いから始まっている点や織田信長が相撲を好んだという例を上げている。相撲は、これら尚武の精神と結びついて「武士的なものと結びつくことのできた呪術的芸能だった」と結んでいる。
よって「相撲はひじょうに流行ってずっと持続した。持続しながらも、しかしスポーツというものには、遂にならなかった。ならなかったからこそ、これだけ続いている」と結論付けている。

丸谷才一と山崎正和の対談集の中ではしきりに「相撲の中の呪術的要素」を取り上げていました。そこで手元にある本の中から、その辺りのものを拾ってみました。

KAWADE夢文庫、「呪術 世にも不思議な物語」より引用
「塩が消毒の役目のほかに、塩は清めの意味を持つ神聖なもの。土俵を清めて自分を祓い、けがなどがないように祈る行為がある。塩をまく行為は、江戸時代に勧進相撲が盛んになった元禄年間に、地中の邪気を祓って土俵を清めるために始められたという説がある。  また、勝ち力士が勝ち名乗りを受けるときに、手刀を切る行為も不思議な行為である。「あれは心という字を書いているという人もいるが、邪気や悪霊を祓いのけるのと同時に、相手方の無念や怨念が憑かないためのお祓いの意味もある。この行為は、昔、力士が大名のお抱え力士だったことに関係している。当時の勝負は藩のメンツをかけたもので、場合によっては切腹する者も出る可能性があった。そこで、勝負の後も慎重にお祓いを行って、相手方の無念や怨念が憑かないようにしたものだ。」

学研 「陰陽道の本」から引用
「反閇は、道教の歩行呪術に淵源を発している。道教では禹歩という北斗七星の形や八卦の意味を込めた歩行呪術があり、これによって、道中の安全や悪鬼、猛獣を避けることができるとされている。これは日本においては「反閇」と呼ばれ、歩行法も少々趣を異にする。いわゆる継ぎ足とでもいう歩き方で、先に出た足に後の足を引き寄せて、左右に歩みを運ぶ。いってみれば、単純なものだが、これによって、悪星を踏み破って、吉意を呼び込むというもので、やはり陰陽道独特の星辰信仰の上に立脚した呪法といえる。反閇は、後に陰陽道だけでなく、様々な民間儀礼にも入り込んでいった。たとえば、相撲で踏まれる「四股」もその延長線上にある。
芸能は鎮魂の儀式と唱えた民俗学者は折口信夫である。
鎮魂祭はもともと陰陽道でも行われていたが、神道などにも採り入れられるようになった。鎮魂の儀式といえば、のちに触れる能楽もそうで、舞台を踏み轟かす所作は、反閇につながる。
反閇は秘呪を唱えながら、独特の足捌きで力強く足踏みをする呪術的行為であり、古代中国の禹歩の法に源流があるとされている。陰陽道でも魔除けや清めの儀式として伝わったものである。これは悪い霊魂が地面から頭をもたげないようにする封じ込め=地霊鎮めの働きのほか、悪霊を追い祓う意味もあった。  中略  なお昨今の相撲ブームとなっているが、あの四股を踏むという行為も実は反閇の変形である。そして、芸能方面に関していえば、幸若舞や猿楽能、歌舞伎などの足を踏みならす基本動作も反閇の一種なのである。その際、異様な掛け声が発せられることがあるが、その掛け声こそは、その場所にいる邪霊や悪霊を祓い清めるというきわめて根源的な呪術作用であった。これらはすべて陰陽道から発生しているのである。」

鬼が作った国・日本  小松和彦・内藤正敏著(光文社文庫)より引用
「横綱は神様的存在で、だから注連縄が張られている。絶対にその地位から落ちない。弱くなったら引退させられるだけ、呪力がなくなったと思われるから。それに力水は勝った力士しかあげられないのは、マナ(呪力の伝達)であるから。ちなみに注連縄とは、神前や神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄のこと。シメとは占めるという意味。
弓取り式については「陰陽師は弓を使って怨霊を調伏していく法があって、それが修験道にも取り入れられた。修験道の五方鎮めで弓矢を射つという呪術があって、これの名残りが相撲の弓取り式であろう。東西南北の四方に中央をいれた五方の悪魔祓いである。相撲をとって土地を荒らすわけだ。そのために地の霊が目をさまして驚くから、それを鎮めなければならない。ですから弓取り式は、五方鎮めであり、地霊鎮めなのです」

といったことで、神事としての相撲について書かれているものを列挙してみました。まだこの他にも、歴史的背景や地方を巡る興行、民俗学的にもたくさんあるでしょうがこのくらいにしておきましょう。

では、これらのことを踏まえて、記事を一つ。
読売新聞8月23日オピニオンの記事から。本田博氏(東京都立科学技術大・非常勤講師)の記述。
大相撲  現実を踏まえ国際化を進めよ
『朝青龍騒動が迷走を続けている。日本相撲協会から出場停止や謹慎などの処分を受け、過度の精神的ダメージを受けた朝青龍に対し、あくまで建前を押し通す高砂親方らの方針が行き詰まっているからだ。心の病気との診断が相次いで下されている以上、協会側は、最も信頼のできる医師の意見を尊重すべきだ。近年、モンゴルをはじめ米国、欧州、ロシアなどの外国出身力士の活躍が目立ち、日本の国技である相撲のも国際化の波が打ち寄せている。今や幕内力士の4人に1人が外国人。朝青龍問題を契機に、思いきった角界の国際化を進めてはどうか。外国人力士なくしては角界がなりたたないという現実を踏まえつつ、提言してみたい。
まずは、角界の閉鎖性の改善である。協会側は、関取には国籍は関係ないとしているが、外国人からすれば、想像もしなかった厳しい稽古に耐え、ちゃんこや古いしきたりなどに慣れ、日本語を徹底的に学ばなくてはいけない。本人たちから見れば角界への同化圧力は相当な負担だ。しかも年寄襲名には日本国籍が必要という壁もある。朝青龍はモンゴル人女性と結婚し、特に夫人にとっては慣れないしきたりの中で家族と横綱を守ってきた。人知れない苦労やプレッシャーがあるのは当然である。祖国で十分にリフレッシュして次の場所に備えようと考えるのは十分理解できる。今後は、外国人力士とその家族の精神面での負担の軽減やケアに配慮する態勢が不可欠だろう。特に配偶者が日本人でない力士の場合、地方巡業の代わりに、時には祖国で相撲の普及にあたることなどを認め、国際化の地ならしを図る措置を取っても良いのではないか。  朝青龍への対応だけでなく、引退した曙の格闘技への転向の仕方などを見ると、横綱まで務めた外国人力士の活かし方にぎこちなさを感じる。引退後の道も角界で国際的に幅のある選択肢を探るべきだ。協会が元外国人力士や国際感覚豊かな実務家及びカウンセラーを役員として積極的に受け入れれば、もう少し外国人力士の立場に立って考えることができるだろう。そしてこの際、大相撲という事業の国際化に前向きに取り組んではどうか。海外に、地元の賛同と協力を得て相撲協会を創設するなどを視野に入れると、外国出身力士及び元力士の活用が不可欠となり、より発展的なアイデアも出てくるだろう。彼らが国際的に貢献できるような環境を整えるべきだ。  私が以前、米国ペンシルバニア州の小学校に招かれ、相撲を教えた時、男女ともすぐに我を忘れて相撲に興じていた。後日、児童たちに感謝状まで届けられ、国際的な普及拡大の可能性が感じられた。海外にも相撲協会が誕生し、予算などでも無理のない範囲で地元在住の力士を入れたモンゴル場所、米国場所、欧州場所、ロシア場所などの定期開催や、年に1回、世界場所を日本で開催することなどを視野に入れれば夢がさらに広がる。海外で育った力士を角界の大使にする機会なども増えるのではないか。  協会も「世界の相撲」としての将来構想を持てば、制度的にも戦略的にもグローバル性や融通性を持たせることができ、日本文化推進の一助にもなる。  白鳳の横綱昇進まで1人横綱として日本相撲界を引っ張ってきた稀有の功労者がうまく立ち直り、国内はもちろん国際的にも相撲界に大きく貢献できるよう温かく見守るべきだ。協会には、英断と、迅速な対応を期待したい。』

といった記事だ。要は「大相撲の国際化を進めることが、角界の発展につながる」と言いたいのだろうか。前回の中島隆信氏とは逆の意見となる。
本田氏の意見は一見正論のようだが、ここに「相撲は神事である」という大事なことがスッポリと抜け落ちている。また相撲は日本独自の文化がしみ込んでできた「芸能」であることが全く考慮されていない。むやみに国際化を進め、格闘技化・スポーツ化を目指すならば、それこそ「文化」を捨てるということがあまり理解されていないようだ。

丸谷才一氏は「スポーツ化しなかったから相撲は続いた」と言っている。スポーツ化・競技化を無理に押し進めれば、「勝てば何をしてもいい」という意識の力士が増えていくことは目に見えている。いままで紹介してきたように神事・芸能としての相撲を排除したものは、もはや相撲ではない。
そこに「勝てばいい。強ければいい」という品格のない横綱が生まれたのだ。だから朝青龍が出てきたのは、あまりにも象徴的だった。(だから時代に寵児ともいえるが) よって、その「相撲は神事である」という意識を失った力士・横綱たちに「品格」を求めるのは、ある意味無謀なことなのかもしれない。
相撲の中にある神事的意味を、無意識の内に理解することのできる日本人にこそ「相撲の存在意味」がある。外国人が見て楽しむことができる相撲を目指すなら、土俵入りもいらなければ、四股をいらないだろう。土俵の代わりに丸いリングを作り、まわしの代わりにパンツをはかせ、行司の代わりに審判が必要になる。国際化を目指すならば「SUMOU」となるのだろうか。
それに、日本文化として、発展してきた相撲が、現代の世界の国々で通用するか、そこが疑問だ。「格闘技」として発展させようとしても、ほかに魅力的な格闘技はいくらでもある。今さら、相撲をSUMOU化しても意味がないのではないか。外国人が相撲を観るのは、そこに「日本文化」があることを知っていて、芸能の一部として観ているのではないのか。(ただ単に物珍しさだけかもしれない)
外国人力士が増えたから、大相撲の本格的国際化を進めるのは、危うい選択であろう。(ただ誤解のないように言っておくが、日本文化の紹介として外国での興行はどんどんすべきである、と思っている)また前回書いたように、外国人力士を迎えるということは、外のものを取り入れ融合させ、日本文化として取り込んでいくという日本独自の文化性からである。外国人力士を受け入れることと、相撲を世界に広げることは全く違うことではないのか。

「神事としての相撲」について書かれたものを朝青龍騒動から多く見かけるようになった。これは失っているものを見直そう、原点に帰ろうという意思が働いているのではないか、と思う。私が思うに、いま世間が相撲界に求めているのは、「ただ強い者」「勝ち驕っている者」ではない。求められているのは「日本的精神をもった勇者」ではないのか。だから「一儲けしてすぐにモンゴルに帰ろうとする奢り高ぶった朝青龍」を日本人は否定するのである。



朝青龍マレビト論。

12月7日、冬巡業から復帰した大相撲の横綱朝青龍(27)が「右足関節周囲炎」で全治約4週間であることが分った。この怪我による初場所への影響も懸念されている。
さて、記者からは「今後の予定は?治療でモンゴルへ帰るのか?」という質問が出た。これに対し朝青龍は「帰国はない」と否定した。
世論の関心はなぜかそこに行く。彼の怪我の具合とかではない。問題は朝青龍が「日本に留まるのか」それとも「モンゴルへ帰るのか」ということなのです。
なぜでしょうか?どうもそこら辺りに朝青龍問題の根幹がありそうです。
では本題に入る前に気になった記事を一つ。
「朝青龍が愛されないワケ スポーツ考現学」読売新聞11月30日のコラムから、日本人が朝青龍を嫌悪する理由が、記者独自の視点で書かれています。
少し抜粋します。
『前略   間違った主体(朝青龍)が、正しいことをする。(強い横綱でいる)と感じてしまった。それが僕らにはやり切れなさと嫌悪を生みだす」「(相撲)は我々にしか近づけない、日本人にしか分らないものと思われてきた。でもその頂点に外国人(間違った主体)が立った時、我々は、侵されたと感じてしまう」という社会学者で京大教授の大澤真幸さんの意見を受けて、こう書かれている。『外国人力士はこれまでもいた。例えば、高見山は大変な人気者だったが、「我々の“神聖な場所”にあこがれ、でもたどり着けなかった。だから愛された」。曙のように横綱になった力士もいたが、彼らには文句を言えた。体ばかり大きくて押すだけ。あれは相撲じゃない、とか。朝青龍は日本人同様に小柄で、技も多彩。技量だけ見れば理想の横綱だった。 「我々にしか分らない何かがある」という考えは、言い換えれば「日本は特殊だ」という排他的な思考である。それは、人々の心に潜むナショナリズムそのものだと言えるだろう。 以下略』

うん、何か違和感を感じる。
「朝青龍を嫌う日本人の心の奥には排他的なナショナリズムが潜んでいる」というが、他の外国人力士はあまり嫌われていないではないか。(白鵬は?)
それに朝青龍が愛されないのはそれだけはないはず。日本人に朝青龍を受け付けない理由があるはずだ。(ただし日本人にファンも多い)
「なぜそれほどまでに朝青龍は嫌われるのか?」という問いに私が答えるとすれば、「朝青龍はマレビトなのに日本を蔑ろにしているから。そこに日本人が反発している」と答える。

日本は、外国からやってきた文化を積極的に受け入れ、元々日本にあった文化と取り込んで、独自の文化として発展させて、自分のものとしてきた。
大まかに言えば、日本は、縄文・弥生時代の昔から、中国大陸より伝えられてきた文化・文明を吸収してきた。それが明治以降は欧州の先進国から文化・文明を積極的に取り入れ、戦後ではアメリカ文化を吸収しているといえる。異論もあろうが、まずここで重要なのは、文化は常に外からやってくる(または取り入れている)という点でしょう。
ただ日本人は伝えられたものをただそのまま受け入れているのではない。取り入れた文化を自分好みに変えるという点で他にはない特異な文化を生み出しているといえる。
簡単に図式化すれば、「文化の到来」→「吸収」あるいは「折衷」→「日本独自の文化」となるだろう。
ここで俗ぽい例えを。   (あまり上手い例えではないが、雰囲気だけでも)
・クリスマスという行事があることが日本に伝わる。(文化の到来)
・クリスマスには催事を行うことを知る。それを真似て日本人も行う(吸収)
・ただ、行事といってもお花見と変わらないパーティーだけが行われるだけ。そこにキリスト教の宗教性はない。日本人のお祭り好きという特性が加わる(接合)
・本来行われる教会での儀式などにはキリスト教徒でない限り参加しない。ただケーキを食う、デートをするといった日本人好みの行事に変わっていく。そこには元々あったクリスマスの意味はなく、キリスト教徒から見れば可笑しな行事でしかない。それでいて、すでにクリスマスは日本人にとって重要な行事となっている。(日本独自の文化)

あるいは、伝えられた文化と元々あった文化の良いところを組み合わせ「折衷」させた文化というものもある。「仏教と神道」が代表例で、仏教が日本に伝えられたときも、日本人の古来からある神々と結びつけて取り入れてしまった。神仏習合、本地垂迹説である。七福神の「大黒天」も日本に伝えられたとき、日本神話の大国主命として習合され、同一視されている。また変わった例としては、キリスト教が禁止された江戸時代には、隠れキリシタンがマリア観音を作り、ひそかに信仰は続けられた。マリア様と観音、これも一種の融合である。
日本人は元々あった文化と結びつけて、日本独自のモノに変えて、取り込んでいくという気質があるのだ。よく言われることだが、初詣では神社へ行き、クリスマスを祝い、葬式は仏教、占いは風水や八卦の中国文化などなどと多彩である。何でも吸収し、自分のものにしてしまう。日本人にはそういった特別な資質がある。
まあ何も、宗教を持ち出さなくても身の回りに、こういうことはいくらでもある。例えを一つ。コンビニエンス・ストアーのシステム(セブンイレブン)はアメリカから輸入されたものだが、それを日本的なものに変化させて発展させている。アメリカ人にコンビニで「おでん」や「おにぎり」を売るなど考えつかないだろう。米国の作り出した流通システムを輸入し、実に日本的なものを売って、日本独自なものに変化せているのだ。
まとめれば、日本人は「伝えられた外国からの文化を受け入れ」、「吸収し」、「変化・融合あるいは折衷させ」、「独自に発展させて」、「他に類を見ない文化を作り上げていく」となる。
さてここで、あまりにも良い記事で、実例も載っていたので全文そのまま転載する。(実にいい記事です)
「海外出稼ぎ技術者のブログ」の記事から、
技術と文化
色々な国に行って技術の指導や教育を行うのですが、開発途上の国に行くとその国の技術者から、いつも言われるのが、自分の国は今遅れているが将来必ず日本を追い越します、と言う言葉です。しかしいつも彼らに私らが言うのは、日本もその間進歩しています。そして技術と言うのは、文化でもあります。技術を取り入れるのであれば、その技術の背景となった文化も取り入れなければ、あなたの国は所詮日本を追い抜くことは出来ません。と話すのですが彼らは異国の文化を取り入れるだけの寛容さが全然無い為、技術水準が教えられた国の水準以上には絶対に進歩しません。今の韓国は、技術と言うものが金儲けの手段にしかなっていないため、ある程度のレベルに達すると成長が抑えられてしまいます。それ以上に成長しようとすると、日本からすべての物理的な物を輸入しないと成長できなくなっています。ある欧米人が「韓国人はI-Podみたいな創造的物作りは、絶対に出来ない」と言っていましたが、その通りです。日本の場合は、昔から技術と文化は両方とも輸入されて、其れを日本文化と技術に取り入れることによって、進歩してきたため、今でも新技術を他国から導入するとその国の文化的背景まで知ろうとします。その為新技術が自分のものになり、他国で開発された以上の品質を獲得するのです。しかし今の開発途上国は、文化に対する異国への寛容さがほとんどないですし、また知ろうともしません。これではいくら技術を移転しても、猿真似と一緒です。韓国は今では、国として退化しつつあり、中国は他国の技術を盗むことに専念する模倣国家に徐々に成り下がっています。インドの場合は、インド文化と異にするものは、排除する方向に動いています。故に日本が他の国に技術を教えても彼らは、そんな技術より今現在の金儲けの技術がほしいだけなのです。今の状況が続く限り日本は安泰みたいな気がします。尚、今欧米では日本の文化知ることにより技術革新を行おうとする風潮が起こっています。これが本格化するとまた、欧米文化の中に日本文化が取り込まれて更なる発展を欧米がやり遂げるかもしれません。日本人の良いところは、どんな文化も取り入れて自分のものにする能力かもしれません。この能力がある限りアジアの中ではずっと先頭を走ることが出来るかもしれません。
http://mitubachibrog.spaces.live.com/Blog/cns!1E37E32729DFBD3B!1156.entry


さて、この記事から、日本人は外国から技術のみを取り入れるのではなく、文化も取り入れるということが分かる。
これは日本人特有の現象であることはこの記事からよく分ります。アジアのみならず、世界のどの国でも、余所の文化を抵抗なく受け入れる人種は他にないでしょう。
では、「なぜ日本人は外国からの文化を容易に受け入れることができるのか」

それは、古来よりある、「マレビト」「寄り神」「エビス」信仰があるからではないでしょうか。(ここで少しずつ朝青龍のこととつながります)
「寄り神」「エビス」は異郷から漂着、来臨する神。海の彼方から来る神。神の主要な降臨形式、海は水平線で空と接しているので、天津神(天神)も海から漂着物を神の来現とした。(マイペディアより)
「マレビト」は、まろうど。語源は稀(まれ)人で、遠方から稀に訪れる神聖な旅人の意。古い時代には客人を仮装した神とみなして歓待し、女性が一夜妻として奉仕する習慣もあった。神は海や空のかなたから季節的に来臨するという古代信仰、(えびす、年神、寄神)大和朝の皇子の遠征物語、弘法大師をはじめとする遊行僧の伝説などは神聖な客人の思想を伝えている。客人歓待は世界各地でみられた習慣で、食物や宿舎を与えてもてなすほか、性の歓待もみられた。(百科事典マイペディアより引用) 折口信夫が民俗学に取りいれた思想である。
つまりは、遠くからの客人をもてなし、それによって禍福を得るといったこと。

日本が海に囲まれた島国であり、優れた文化・文明は海の向こうからやってくるということもあって、神は遥か海の向こうから来ると信じられていました。
実際、中国大陸から多くの文化は吸収したし、戦国時代には鉄砲やキリスト教など西洋の文明がやってきました。(鉄砲伝来などまさに漂着といった感じ) 明治維新以後も文明は常に外国からやってくることになる。
それを吸収し、自分のものにしていくという気質が日本人にはあった。
文化や文明の力が自分らを豊かにし、幸福になるとすれば、海の向こうからやってくるものが「神」として崇められるのは、自然な流れとなるでしょう。
つまり、文化の到来=神となる。

その一方で、自分らの生活を一変するようなものが外からやってくるというのは、喜びと同時に恐怖でもあろう。
死を与え、禍をもたらすのも日本では「神」として崇められる。(天神様も牛頭大王とか)
実際に死をもたらす疫病や武器も海の向こうからやってくるからだ。
望もうが、望むまいが、それはやってくる。しかもいつやってくるか分らない。現代のように飛行機でくるわけではない。しかもいつどこにそれが現れるかはわからない。それは漂流物に近いから、これを昔の人々はこれらを「寄り神」「エビス」「マレビト」と呼び、崇め・祀ったんだのではないか。確かに昔の文化の到来は漂着に近い感じである。
さて、ここで朝青龍である。
朝青龍の問題を「朝青龍=マレビト」と見立てると分り易い。相撲はかつては神事であり、土俵で行われる相撲は神事の儀式である。相撲取りは神事を行う者、あるいは神である。(このあたりは次回で) 
「相撲道とは何か」(大鵬監修、ロングセラーズ)という本では、「8章 横綱とは神と同格の象徴である」と書かれている。
この神となるべき横綱が、日本文化を受け入れようとせず、(ここでは日本での巡業や行事を蔑ろにして、すぐにモンゴルに帰国してしまい、挙句はモンゴルでの行事を優先させてしまうこと)あまりにもモンゴル色が強すぎる朝青龍に日本国民が反発しているのだ。
ここで9月24日読売新聞「潮流」から慶応義塾大学客員教授 中島隆信氏の記事を引用する。
『前略    日本相撲協会の使命は相撲という伝統文化を守り、後世に伝えることである。文化は競争によって異質化する。その典型が柔道だ。国際的スポーツになった一方で、柔道着は青くなり、技の美しさは消え、わけの分らない勝負が増え、柔道の文化性は大きく後退した。文化に保守性はつきものだ、大相撲が力士という内輪の人間だけで固められているのも、伝統文化として他のスポーツとの競争から身を守るための術である。横綱はそうした相撲界の保守性の頂点に立つ存在なのである。その仕事は現役時代だけに留まらない。年寄として協会に残り後進を育てるとともに、自らが盾となって外部に吹き荒れる改革の嵐から相撲会を守るのである。現役時代の貢献度が高かった横綱に一代年寄などの特権を与えて、優遇するのは、引退後にそうした役割を率先して担ってほしいからなのだ。年寄として協会に残ろうと考えている横綱は、おそらく自分がそうした使命を帯びていることを自覚しているに違いない。だから「品格」があるように努めるのだ。仮に横綱が率先して相撲界の秩序を乱す行いをし、それが力士全体に広がれば、結果として年寄になった後の自らの仕事をやりにくくするのである。
「年寄を捨てた朝青龍」このように考えると一連の朝青龍問題の真相が見えてくるだろう。彼はごく普通の「好青年」に過ぎないのである。ただ、今までの横綱と違うのは、「品格」を身につけるインセンティブ(動機付け)がないだけなのだ。その理由として考えられるのは、朝青龍には引退後に日本国籍を取得して年寄として協会に残り、相撲文化の維持のために尽くす気がないということだろう。そうした気があれば、自ら一代年寄を放棄していると受け取られかねない行動をとるはずがない。巡業は相撲文化の普及に欠かせない活動だ。しかし、現役時代に稼げるだけ稼いで、引退後のビジネスの資金にしようと考えている力士にとっては何の意味もないのである。』

この記事でも書かれているように、朝青龍には日本へ愛着があまりないように見える。つまり、ここが問題なのだ。彼は「土着しない神」である。いずれは、「故郷に帰る神」である。
その土地に現れて神事を成す神は、それこそ「客人・マレビト」なのである。
日本人は、相撲の頂点に立つ横綱に、「日本に残る神」となることを望んでいる。とくに日本の国技である相撲の頂点に立つ朝青龍に過大な「日本人との融合・同化」を求めているのだ。相撲は日本国と同意語であるから、朝青龍に「日本文化」の中へ溶け込んで欲しい、という願いが大きいのである。だから相撲巡業をほっぽり出し(日本を捨てて)、サッカーに興じること(相撲=日本を蔑ろにする)に、日本人は許せないのである。
さて、海を渡って異郷の国からやって来た神は定期的に現れ、祭りや儀式を行う。これが相撲でいえば巡業や本相撲にあたるわけだ。「マレビト=朝青龍」は、この行事さえさぼり、儀式のルール(横綱らしい相撲)を違反することに、日本人は猛烈に怒るのである。
その不満が、朝青龍への反発となって噴出しているのではないか。
では、他の外国人力士はどうあろうか。小錦は日本にいてタレントとして活躍している。すでに日本文化と融合し、独自なモノとして変化し定着している。曙は相撲をやめてしまい格闘技の世界に行っても、日本に留まって、決して日本を見捨てずにいるということだ。k-1も日本が生みだした文化であるからだ。彼らに批判はそれほどない。日本に留まっているということが重要だから、たとえ相撲界にいなくてもいいということである。曙はいくら負け続けても、朝青龍のように世論から言いがかりのような非難は浴びないことでも分かる。
だから「日本が好き」「日本文化がいい」という外国人を日本人は異常なほどに好む。そんな外国人タレントたちは持てはやされ、愛される。「日本ダイスキ」なんて片言の日本語で言われればそれだけで、日本人は彼らに好意を持つのだ。日本文化を吸収したもの(または吸収しようと試みているもの)を日本人は喜んで受け入れているのだ。

さて、マレビトは神であるが、福を与える神だけではない。

禍(わざわい) をもたらす神をそのときどきもやってくる。

朝青龍はまさしく禍神といえるのではないか。

騒動、混乱を招く神は禍神であるからだ。



次回に続く。

「徳川埋蔵金」「埋蔵金」の語に何があったのか?


ここの2,3日「埋蔵金」「徳川埋蔵金」という言葉でこのサイト(fc2)にやってくる人が大変多くなっています。何かあったのでしょか?
自民党の中川秀直元幹事長が過剰な特会積立金のことを「埋蔵金」と称したことからでしょうか。
しかし「徳川埋蔵金」で入っている人もかなりいるので、「埋蔵金特集」とかテレビか何かでやったのでしょうか。
でもサイトでは木村拓哉が群馬県太田市に引っ越してくるという「デマ」に合わせて書いたことと歴史ミステリー小説の中で書いたことなので、その部分だけ読んでも訳が分らないと思うんですけど。
何が知りたくてやって来たのかな~。

「朝青龍、再来日? 帰国? いやマレビトの来襲」の記事の「未完の弁明」

11月30日朝青龍の謝罪会見が行われた。予定通りのゆる~い謝罪で無難な記者会見となっていましたね。
来日前、横綱審議委員の方々はあれだけ怒っていたのに、本人が現れたら結局は腰砕け。あの怒りは見せかけだけの表面上でのパフォーマンスだったんでしょうね。だれかが怒っていないと今まで言っていたことの格好がつかないという感じで、最終的には「まあ、まあ」と仲裁者が入って、「反省していそうだから、初場所がんばれ」みたいな雰囲気を作り出すために必要な演出のようでした。あれではどうみても御赦免となった朝青龍の逃げ勝ちとなってしまった。

といったツカミで、「朝青龍=マレビト説」を書き続けていましたが、どうにもまとまらなくなってしまいました。書けば書くほど収拾のつかない状態に。「新田次郎と斎藤佑樹」の記事前後に書いたような「泥沼状態」になってしまった。
しかも、思っていたことがうまく書けないもどかしさにイライラして、すべてを投げてしまいたい気分に。そして定期的に現れる「筆力のない自分への自己嫌悪」にまた陥ってしまった。この「落ち込み」の心理状態はかなり深く、立ち直るまでに時間がかかります。よってブログ更新も滞ってしまった。
ただ、プロ作家でも人気ブロガーでもないので、急がずに書いていくことにします。気が向いたときにまた寄ってみてください。そのころには記事が載っているでしょう。
内容としては「相撲巡業は、マレビトでは?」と「神事としての相撲」の記事を発展させたものです。http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-98.html
あと今年中に必ず「アンパンマン考」を書きます。物語としての「アンパンマン」真剣に考察します。デスノートやエヴァのときのように、またいろんなところから資料を強引に引っぱってきて、牽強付会の私的解釈を書きたいと思います。これは5歳の娘の「なんでアンパンマンはばいきんまんと戦い続けるの?」という質問に答える形なので、絶対にクリスマスまでに書きます。

ではまた。

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消えた二十二巻

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