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お勧め「歴史ミステリー小説」とか

「歴史ミステリー」という言葉で検索されて、このサイト(fc2)に来られる方が、異常に多くなっています。そこで「歴史ミステリー小説」の紹介を少しします。
まずはこれ、『歴史ミステリー作家養成講座』(祥伝社)
saxtukayousei

井沢元彦、中津文彦、高橋克彦、三者による歴史ミステリー小説講座。

これが、面白くって、だいぶ参考になりました。そして「歴史ミステリー小説」という分野を知り、巻末に紹介された本を、順次読んでいったものです。
ということで、今回はこれを書き出してみることにします。(この本では、紹介のみならず、簡単な内容紹介も書いてあります)

古代史ミステリー 
 
高木彬光  「邪馬台国の秘密」(角川文庫)、「古代天皇の秘密」(角川文庫)
井沢元彦  「卑弥呼伝説」(実業之日本社)
長尾誠夫  「邪馬台国殺人事件」(文藝春秋)、「源氏物語人殺し絵巻」(文藝春秋)
中津文彦  「闇の法隆寺―封印された聖徳太子の秘密」(光文社)
井沢元彦  「隠された帝―天智天皇暗殺事件」(祥伝社)、「猿丸幻視行」(講談社)
高橋克彦  「蒼夜叉」(講談社)、「炎立つ」(講談社)
中薗英助  「異文・業平東国密行記」(人物往来社)
 
源平・鎌倉・南北朝ミステリー

高木彬光  「成吉思汗の秘密」(角川文庫)
井沢元彦  「義経はここにいる」(講談社)
中津文彦  「黄金流砂」(講談社)「闇の弁慶」(祥伝社)
斎藤栄   「徒然草殺人事件」(光文社)、「方丈記殺人事件」(光文社)
高橋克彦  「南朝迷路」(文藝春秋)

戦国ミステリー

井沢元彦  「修道士の首」(講談社)
中津文彦  「闇の本能寺」(光文社)、「闇の関ヶ原」(実業之日本社)、「千利休殺人事件」(光文社)
岩崎正吾  「異説本能寺 信長死すべし」(講談社)
荒馬間   「駆ける密書」(河出書房新社)
森真沙子  「家康暗殺―謎の織部茶碗」(祥伝社)
津田三郎  「家康誅殺」(光風社出版)

江戸ミステリー

南條範夫  「三百年のベール」(批評社)
中津文彦  「山田長政の密書」(講談社)、「闇の天草四郎」(徳間書店)、「闇の龍馬」(光文社)
井沢元彦  「葉隠 三百年の陰謀」(徳間書店)、「忠臣蔵 元禄十五年の反逆」(新潮社)
鷹羽十九哉 「私が写楽だ」(人物往来社)、「板前さん、ご用心」(文藝春秋)
高橋克彦  「写楽殺人事件」「北斎殺人事件」「広重殺人事件」「北斎の罪」「歌麿殺人事件」(すべ         て講談社)「春信殺人事件」(光文社)

近現代ミステリー

中津文彦  「西郷暗殺指令」(廣済堂出版)
伴野朗   「西郷隆盛の遺書」(新潮社)、「五十万年の死角」(講談社)
高橋義夫  「闇の葬列」(講談社)
高橋克彦  「倫敦暗殺塔」(講談社)
海渡英祐  「伯林―一八八八年」(講談社)
山田風太郎 「明治バベルの塔―万朝報暗号戦」(文藝春秋)
典厩五郎  「ロマノフ王朝の秘宝」、「紫禁城の秘宝」、「故宮深秘録」(人物往来社)
近藤富枝  「宵待草殺人事件」(講談社)
井沢元彦  「義経幻殺録」(講談社)、「GEN」(角川書店)
景山民夫  「虎口からの脱出」(新潮社)
日下圭介  「黄金機関車を狙え」(新潮社)、「チャップリンを撃て」(講談社)
長坂秀佳  「浅草エノケン一座の嵐」(講談社)
松村喜雄  「謀殺のメッセージ」(廣済堂出版)
楠木誠一郎 「真説・伊藤博文暗殺」(祥伝社)

また、本文で紹介されたもの
豊田有恒  「崇峻天皇殺人事件」
ウンベルト・エーコ  「薔薇の名前」
ジョセフィン・テイ   「時の娘」
など。

ついでに、「ミステリベスト201 日本編」(池上冬彦編 新書館)で選ばれた「歴史ミステリー小説」(ぽいものも含む)も抜き出してみました。

山田風太郎 「明治断頭台」(文春文庫等)
佐々木譲  「ベルリン飛行指令」(新潮社)
檜山良昭  「スターリン暗殺計画」(中央公論社)
笹沢左保  「遥かなり わが愛を」(文藝春秋)
加納一朗  「ホック氏の異郷の冒険」(角川文庫)
赤瀬川準  「潮もかなひぬ」(文藝春秋)

これ以外で近年のものでは、
鯨統一郎  「邪馬台国はどこですか?」(東京創元社)
高田崇史  「QEDシリーズ」(講談社)
ぐらいでしょうか。

この分野で、最近は注目されたものが少ないような気がしますが、どうなんでしょうか。
ネタが出尽くしたのかといえば、そうでもなさそう。(加治将一「幕末維新の暗号」とか、民俗学との融合みたいなものもある。)
それとも、他の分野に分散されているとみるべきなのか。(京極夏彦とか物集高音、または加藤廣「信長の棺」とかも歴史ミステリーとするならば、裾野が広がったというべきなのか)

最近、「歴史ミステリー」という分野に関心が高いことは、テレビの歴史ものや雑誌、ムック本の発行を見ても確かなようです。
ということで、今回は、日本の歴史ミステリー小説(古いもの)を並べてみたわけですが、純粋に「歴史ミステリー」として一番売れたものとなると、これが外国モノのダン・ブラウンの「ダ・ビンチ・コード」となるようです。
「日本の歴史」よりもなじみの薄い「キリスト教もの」が売れまくるわけですから、なんとも皮肉なものです。
しかし、「歴史的もの」と「ミステリー(殺人事件)」とが、違和感なく融合しているという点からいえば、これほど「歴史ミステリー小説」として成功しているものは、なかなかないかもしれません。(作品として面白いか、面白くないかとかは抜きにして。あとは、書かれていることが事実かどうか、といった議論もまず置いといて)
「歴史上の謎の検証」と「ミステリー小説として謎解き」、この2つを組み合わせることが非常に難しいと『歴史ミステリー作家養成講座』にも書かれています。

でも、やはり読みたいですね、
「日本の歴史ミステリー小説」の傑作!

だれか「和製、ダ・ビンチ・コード」書いてください。
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最近の「歴史バラエティー番組」は変だ。 TBS番組へ猛抗議の件

TBS番組「鶴ケ城はふん尿落城」へ猛抗議  3月28日 読売新聞
『東京放送(TBS)系テレビ局が放送したクイズ番組で、福島県会津若松市の鶴ケ城が戊辰(ぼしん)戦争時に落城した原因を「城が不衛生だったから」としたのは不快だとして、市などがTBSと番組制作会社に訂正と謝罪を求める抗議文を送ったことが28日、分かった。
 抗議文などによると、クイズ番組は今年2月16日にTBS系28局で放送。「旧幕府軍が城を明け渡したとんでもない理由とは」という出題で「ふん尿が城にたまっていたため」の答えが正解とされた。
 これに対し抗議文は「開城は応援の望みが絶たれたことや物資の枯渇などが重なったもの」と主張。放送後、市には多数の市民から「名誉を汚された」と抗議のメールなどが寄せられた。
 TBSは「抗議文を精査して、適切に対応したい」としている。』

ほかにこのサイトも詳しい。http://aivix.blog18.fc2.com/

この番組、私も見てました。
これは「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」というもの。司会はロンドンブーツ。ロンブーの淳は自称「歴史好き」「城好き」で、この番組でもいくつか、豆知識を披露していた。
で、この「鶴ケ城の問題」も決勝のクイズ問題だということで、ロンブー淳が、特別に出した問題だったはず。このときかなり得意気に、ロンブー淳が、語ってました。(確か、歴史専門家なみに言ってましたけど)

さて、問題なのは、これが事実かということ。
で、この話は、どこかで聞いたなと、思ったら、「七尾城の戦い」だった。
『…兵力を集めて堅城である七尾城に立て籠もれば、謙信を追い返せると考えていた。しかし1万5000人も集めたため、これが逆に仇となった。これだけの人数の糞尿を処理するトイレが七尾城内部には無く、糞尿を処理しきれなくなって七尾城内部のあちこちで垂れ流し状態となったのである。しかも、季節は夏。このような不衛生な状況で遂に城内で疫病が起こり、畠山軍の兵士たちは戦いではなく、疫病で死ぬ者が相次いだのである。おまけにこの中の犠牲者に、幼君の畠山春王丸までもがいたのである。』(ウィキペディアから)

また、南北朝時代の「金ヶ崎城の戦い」でも籠城した死体が腐り、不衛生となって病気が蔓延した話が出てくる。(このとき新田義貞の長男・義顕が戦死)

この手の話は、調べればもっと出てくるはず。
つまり、籠城戦となれば、この手の話は付きもので、鶴ヶ城に限ったことではないのだ。
だから、「糞尿が臭くって城を明け渡した」なんてのを理由にして、クイズの問題を作ってしまうのが論外なのだ。籠城した城が、臭い、異臭が漂うといったことは、当たり前のことで、(糞尿だけではない、死体、ゴミなど多くある) 糞尿が主因で降伏したというのは、まずありえないということだ。

まず、TBSや番組製作者がしなければならないのは、どの資料を基にして、この問題を作ったのかということ。私が番組を見たときは、ロンドンブーツ淳が自ら出した問題のようにも見えたので、彼が何を読んで、どこからこういった知識を仕入れたのかを、示す必要があるのではないか。それが、抗議してきた者へ、誠意を示すことになるだろう。まず謝罪する前に、そこから始めるべきだ。

そして、問題なのは、この番組だけではなく、歴史バラエティー番組がする「ある一部分をクローズ・アップして、歴史を歪曲してしまう」ことにある。
これは「徳川家康が脱糞した」とか「勝海舟が急所を犬に噛まれた」とか「土方歳三の実家は偽物の薬を売って儲けていた」とかそんなことばかりを取り上げることが問題なのだ。
以前から何度も書いていることだが、歴史上の人物や出来事をバカにし過ぎるんですよ。

以下前に書いた記事の一部
『最近の歴史モノ番組、歴史ミステリー番組は奇説、珍説ばかりを取り上げていて、ついていけない変なものが多い。(私が言うのもおかしな話なんですが)
「歴史上の人物」を現代的視線で捉えて過ぎていて、全く歴史的背景を伝えていないから、偉人たちの言動が滑稽に見えるんですよ。そこを面白がっている。それをつまらない芸人がウケを狙って、下らないコメントを言う。そこがまたイライラするんです。
それに歴史上の偉人を庶民的レベルまで引きずり下ろして、お笑いのネタのしたものも多い。大した見識もなさそうなタレントたちが歴史上の人物をもてあそぶな!といいたいんです。
あと、品川庄司の品川が喜ぶような逸話ばかり取り上げるのも嫌なんですよ。「誰が日本で最初にラーメンを食った」とか「将軍が好みタイプの女」とか、そんなのばかり。たまにはいいけど、そればっかりだと、ちょっと食傷ぎみですよね。』

また1カ月ほど前に書いた島田紳助の「歴史なんて全部ウソ、司馬遼太郎の話もや」発言も変でしたね。
このときも石田三成を馬鹿にした番組トークとなっていました。これは見ていて、思わず激怒しました。
その時の記事 http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-259.html記事を書いたときは、「そんな芸能人の話なんて、無視すればいい。気にしない方がいいよ」みたいコメントも頂いたが、やはり、気になる。彼ら芸能人の発言って影響力が大きくて、こういった番組で放送されれば数千万人の人が見るんだから、やはりコワイんですよ。
こういった知識ばかりが垂れ流されると「日本の偉人たち」は下ネタばかりになってしまうよ。

週刊「歴史のミステリー」第10号

週刊「歴史のミステリー」第10号
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目次
歴史検証ファイル     「関ヶ原の戦いは天下を二分した決戦だったのか?」
                「カエサルを殺したのはブルートゥスだったのか?」
遺跡に眠る謎      「チチェン・イッツァ」
疑惑の真相       「イエスキリストは日本で死んでいた!?」
語り継がれる伝説   「聖杯伝説」
芸術の裏側       「ピーターとウェンディ」ジェームス・M・バリー
人物再発見      徳川光圀



「関ヶ原の戦いは天下を二分した決戦だったのか?」

「1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで、勝利した徳川家康は覇権を握り、一方の豊臣家は急激に衰退した。だが近年、この戦いにまつわる新説が唱えられている。果たして、関ヶ原の戦いは通説通りの天下分け目の決戦だったのか」ということを検証しています。
しかし、読んだところそれほど、新しい説も出てなく、特に目新しいものはない。ただ「関ヶ原の戦い」の前後をまとめたものである。
結論としては、「戦う前から、家康の勝利は決まっていた。それは家康の書状攻勢による勝利であった」「豊臣家を壊滅させた真の天下分け目の戦いは、大坂冬の陣、大坂夏の陣であった」ということが書かれている。
この章で取り上げられたのは、静岡大学教授・小和田哲男氏、歴史家・桑田忠親氏、「真説  関ヶ原合戦」桐野作人氏、「関ヶ原合戦」二木謙一氏、「関ヶ原合戦四百年の謎」笠谷和比古氏、となっています。


「カエサルを殺したのはブルートゥスだったのか?」


「古代ローマ帝国最大の英雄カエサルは、元老院会議の議場で、14人の反逆者の手によって刺殺された。その際にカエサルが発したとされる「ブルートゥス、お前もか」という言葉があまりにも有名だが、この暗殺劇の裏側には何があったのだろうか。」(本文より)
ガイウス・ユリウス・カエサル(前102年~前44年)   古代ローマの将軍・政治家。英語読みはシーザー。
名門の出であるが、平民派を地盤として急速に政界で地位を築いた。前60年ポンペイウス・クラックスと結び、元老院を抑えて第1回三頭政治を行った。ついでコンスルをへて前58年~前51年にはガリア遠征を行い、全土を征服してローマ化し、ブリタニカにも渡った。クラックス戦死ののち政敵のポンペイウスが元老院と結んだのを知り、「骰子(さい)は投げられた」と言ってルビコン川を渡って各地に転戦し、前48年ファルサロスの戦いで彼を倒した。前46年、元老院からインペラントを授けられ、以後、属州政治からの改革や貧困の救済、商工業の奨励、太陽暦(ユリウス歴)の採用などに尽力した。前44年に終身のディクトタトル(独裁官)となり、文武の大権を一身に集めたため、元老院で共和主義者のブルートゥスらに暗殺された。一方、彼はすぐれた文人でもあり、その著「ガリア戦記」「内乱記」は有名。またディオクレイティアヌス帝以降は、正帝をカエサルと呼ぶようになり、インペストラトルという称号とともに「皇帝」の語源となった。  (世界史辞典)

週刊「歴史のミステリー」第10号で、「カエサル暗殺」の謎を検証。項目は6項目。
「カエサルは国賊だったのか?」「元老院とカエサルはなぜ対立したのか?」「ブルートゥスはカエサルを恨んでいたのか?」「暗殺に及んだのはどのような集団だったのか?」「ブルートゥスは首謀者ではなかった」「相続人デキムス・ブルートゥス」
結論としては、カエサル暗殺首謀者はマルクス・ブルートゥスではなく、カッシウス・ロンギヌスではないか、としている。また、「ブルートゥス、お前もか」という言葉は、マルクスではなく、デキムスに向けて発せられた言葉ではないか、としている。
本文で取り上げられた参考文献。「ローマ人の物語 13」 塩野七生氏、「図解 永遠の都・カエサルのローマ」 佐藤幸三氏、「古代ローマ歴史誌」 木村凌二氏、「ローマの歴史」 モンタネッリ、「カエサル」 長谷川博隆氏。ほかにシークスピアの「ジュリアス・シーザー」、プルタルコス「英雄伝」

チチェン・イッツァ
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メキシコのユカタン州にある「マヤ文明」の遺跡。「勝者が生贄となった死の競技場」と説明文がある通り、ここで多くの生贄が捧げられたという。ただこれは「16世紀に侵略したスペイン人が同地の植民地化を正当化するために「野蛮で原始的なマヤ人の生贄儀式」を誇張して喧伝し、処女の生贄伝説が広まったとも考えられる」と書かれています。
これを題材にしたのが、メル・ギブソン監督の映画「アポカリプト」。マヤ文明の生贄伝説等をアクション映画にしている。


イエス・キリストは日本で死んでいた。

青森県戸来村(現・三戸郡新郷村)に残る「キリストの墓伝説」を取り扱っています。
いわゆる「竹内文書」の検証。これは検索すると、かなりの数のものが出てきます。まずは、新郷村あたりからhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%83%B7%E6%9D%91
ここで、参考文献として挙げているのは、山根キク著「キリストは日本で死んでいる」、高坂和導著「超図解 竹内文書」、三谷芙沙夫著「奇の日本史 渡来伝説の謎を解く」
キリスト渡来伝説といえばこれでしょう。
諸星大二郎「妖怪ハンター  生命の樹」で、映画化された「奇談」。エヴァンゲリオンとの関係で何度も書きましたね。
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大人が存在しない「ネバーランド」の秘密

「ピーター・パンの冒険」を書いたイギリスの作家ジェームス・M・バリーの生涯と誕生秘話を載せています。ほかに、ダン・カイリー著「ピーター・パン・シンドローム」「ウエンディ・ジレンマ」を紹介。また近年出た新説「ピーター・パン殺人鬼説」なども書かれています。
映画ではジョニー・デップ主演「ネバーランド」が、ピーター・パンを書いた経緯や、バリーの生涯を描いています。
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監督マーク・フォスター、出演ケイト・ウィスレット、ダスティン・ホフマンなど。
ただ実際は、映画のように、美しい話だけではなかったようだ。バリーは子供たちの思い出だけで暮らす老年であり、ピーター・パンと同じ名前をもつピーターは、物語のモデルといわれ続けるた悩みで、精神錯乱状態となり投身自殺したという。
ある意味、今号では一番面白い記事かも。


聖杯伝説

聖杯とは、イエス・キリストが最後の晩餐でワインを飲むときに使用したといわれる杯で、アリマタヤのヨゼフが十字架上のキリストの血をこれで受けた。これによりこの杯は、奇跡を呼び起こすといわれ、数多くの「聖杯伝説」が生まれた。この後、聖杯はエルサレムからブリタニアに渡り、その地のグラストンベリーという町に埋められたという。これが今のイギリス・グランストンベリーの「聖杯の丘」となる。
この聖杯はアーサー王伝説と結びつき、失われた聖杯を探し求めるという物語となって使われる。トマス・マロリ「アーサー王の死」、クレチアン=ド=トロア「聖杯物語」など。聖杯探求の旅に出た円卓の騎士の物語は、19世紀のバイエルン国王・ルードリィッヒ2世のもと、ワーグナーが「パルチヴァル」という神聖歌劇にした。
「歴史のミステリー」では、ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」「死海文書」「テンプル騎士団」などを紹介し、現在はセント・クレア礼拝堂に埋蔵されているという説を挙げている。
参考文献は「知られざる聖杯伝説―死海文書と聖杯の謎」クリストファー・ナイト、ロバート・ロマス著。
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画像はニコラ・プッサンのアルカディアの牧人たち 

「昨今の幼児・児童虐待事件」と「求められる呑龍の精神」

「幼児・児童虐待」事件について、前回の続き。

先日、娘の卒園式に行ってきました。
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幼稚園に行く機会はそんなになかったのですが、改めて見てみると、こんなにたくさんの子供がいたのか、と驚きました。そりゃ凄いですよ。小さい子供らが百人くらいいて、みんなぴょんぴょんと跳ねながら、楽しそうにはしゃぎ回っているんですから。子供らの嬉しそうな声を聞くと、こっちまで愉快な気分になります。
幼稚園の思い出といえば、「運動会」がよかったですね。園児らが駆け回わり、お遊戯する姿は、なかなかいいもんです。
みんなかわいいですよ。涙腺がゆるくなった祖母がこれを見て泣くのが、分かるような気がしました。

さて、本題。
3月19日、秋田地裁で「連続児童殺害:畠山鈴香被告」に無期懲役の判決があった。
記事を読んでみると、彩香ちゃんの殺害時についての証言は、実に生々しいものがある。
「娘を欄干に座らせ、しがみつこうとしたところを押して藤琴川に落下させ、水死させた。」「接触への嫌悪から苦手意識を持ち、愛したくても愛せない長年の悩みがあった」といい。殺害当日に「(魚を)見たい、見たい」と橋から家に帰ろうとしないため、急激にイライラした感情を高め、彩香ちゃんが怖いといって抱きつこうとした瞬間、とっさに殺意を持って押したと認定した。」

これは怖いです。橋の欄干に座らせ、抱きつこうとしたわが子を、殺意を持って押した、と云うんですから。この心理の変化がリアルで怖い。二重人格者だったら、ここで悪魔が「押せ」って囁いたと、主張するかもしれない。人の心の中に、これほど冷酷で残酷なものが潜んでいるのかと思うと、人間の本性は「悪」なのかと考えてしまう。

ここ数年、幼児に対する虐待、傷害、殺害といった事件が、新聞に載らない日はない。これが比喩でないほどに、増えていると思う。前回書いた『2歳児を放置死させた 29歳の母親』 (埼玉三郷市の島村恵美容疑者)のような、特異な事件も起こった。
それに、自分の子に危害を加え殺してしまう親の行動が、どんどん残忍化しているような気がするのは私だけなのか。
日本全体が利己主義になって、自分だけが良ければいい、自分だけが儲かればいい、自分だけが幸せならいい、自分が気持良ければ他の人はどうでもいい、といった風潮がこういった事件の根底にあるように思う。他人への無関心は、自分の子供にも向けられているような気がしてならない。
少子化社会となって、社会全体で「子どもを育てる」という関心が薄れてきている、とも感じる。また、子供のことを「くそガキ」と平気でいう有名人や、「子供を守ること」と「過保護」は違うことなのに、同じ意味に捉えて攻撃する人も増えたような気がして、そんなことを書く記事をよく見かけるようになった。(勝谷誠彦、キングコングの西野とか)
日本が幼児ポルノの規制がない国として国際的非難を受けているのも、どこか「子供を守ろう」という意識が希薄な証拠なのではないか。そういった「子供への悪意」と「育児の社会的な無関心」が、こうした事件の一因になっているのではないのか。
それに、いつも事件が起こってから、「これはいかん」と騒ぐことも多い。でも、それはニュースとして騒ぐだけで、結局のところ、何の方策も出されないまま、改善もされず、同じような悲惨な事件は繰り返されてくことになる。

そして、もう一つ気になった事件を。

奈良の乳児虐待:体に「死ね」「ブタ」と赤ペンで書く 母親逮捕。

 奈良市で起きた両親による乳児虐待事件で、意識不明となった生後4カ月の次男が病院に搬送された際、体に赤色のペンで書かれた「死ね」「ブタ」などの落書きがあったことが県警の調べで分かった。夫の無職、松本一也容疑者(29)=奈良市月ケ瀬尾山=とともに殺人未遂容疑で逮捕された琴美容疑者(21)が「自分が書いた」と認めているという。
 調べでは、琴美容疑者は、ぐずって泣く次男に育児ストレスを感じ、胸部や腹部に落書きしたという。両容疑者は、次男が生後1カ月のころから、日常的に顔を平手で殴ったり、太ももや首につめを立ててつねったりしていた疑いが持たれている。
 両容疑者には、他に次男と双子の長男と、長女(1)がいる。長男にはつねられた後が十数カ所あり、長女には外見上、虐待された跡はないという。【石田奈津子】毎日新聞 2008年3月11日 大阪夕刊

悲惨な事件です。
この後に、この両親が行った虐待行為を詳しく載せた記事が出たが、これがまた酷いもので、読むのも恐ろしい。
こういった事件を聞く度に暗い気持ちになり、一層気が滅入ってしまう。ただ被害にあった子供のことを考えると居たたまれず、どうにか救う方策はないのかと思ってしまう。「悲しい事件だ」と傍で嘆いているだけでいいものなのかと、娘を持つ親としては思わずにはいられない。
こうなる前に、この子らを救うことはできないのか。不幸な家に生まれてしまった子供は生きていくことさえできないのか、だとすればその子供たちに与えられた宿命は、余りにも「不幸で不公平」だ。社会全体で「子供を守る」といった「意識」が育たなければならないと思うのは、自分の娘が通う幼稚園で、楽しそうにしている園児らを見てつくづく感じることなのです。
少子化対策といっても出産率ばかりに関心がいって、生まれてきた子供たちを守らなければ、全く意味がないのです。「将来を背負うのは子供だけである」といった意識が広まらなければ、この国に未来はなく、日本人というものは滅んで行くことになる。人口低下とともに、経済の活力を失って国力は落ちていくのです。年金を負担する若い人がいなくなったら大変だから、人口を増やそうといったことを言う人もいるが、これは本末転倒。年金問題のために子供を産もうというのは誤ったことだ。まずは「生まれてきた子供たちを守ること」から始めるべきではないのか。
ではどうやって子供を守ればいいんだ?  では虐待を受けている子供を救ういい方策があるのか?  と問われれば、私にいい考えがあるわけでもなく、結局は答えに窮してしまうわけなのだが……。やはり行き着く先は「赤ちゃんポスト」のようなものしかないのか……。

何らかの方策はないものなのか。

現代に求められるのは「呑龍の精神」

と、ここで「呑龍の精神」となるわけです。
呑龍」とは、江戸時代初期の名僧。大光院の開山。
大光院は群馬県太田市にある寺で、広辞苑を引けば出ててくるほどの大寺。いまも「子育て呑龍様」として慕われ、近隣住民のお宮参りや七五三でにぎわう。(かく言う私も、娘もここで七五三をした。そして私の名前まで付けてもらった)

これが、どうして、現代の「幼児・児童虐待、殺害の事件」につながるかといえば、以下の逸話による。
江戸時代初期、世の中はまだ乱世の余燼はくすぶり、天災等の影響もあって、庶民の生活は困難を極めていた。そのために、当時の人々は、家族の人数を調整するために、生まれてきた子供を捨てたり、間引き、子殺しなどを行っていたのである。(当時は生きていくために仕方がないことだが)

呑龍は、その非道を憂いて、近隣の農民にその所業を止めるように説いて回った。しかし、そういったことは減ることはなかった。避妊が行われるわけでもなく、まして子供が増えてしまえば、一家全員が飢え死にしてしまう。いわゆる必要悪として「間引き」が民間に浸透していたのだ。そこでやむなく呑龍は、捨て子や貧しい人々の子供らを寺に受け入れることにした。子供らの悲惨な状態を見かねたものだったのだろう。そして、寺の費用で子供らを養育したのです。
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(画像は「マンガ太田の歴史」より)
ただ、当前のことだが、寺領として与えられた三百石は寺の運営や学僧養成のために使われるのであって、捨て子の養育にあてられるものではなかった。(当時の大寺は、今でいう大学、行政機関のような役割も担っていた)
これを知った幕府は驚いて、呑龍にどうにかするように命じた。まあ、簡単に言えば「そんな子供らを引き受けるな、捨ててしまえ」と暗に命じたに違いないのです。呑龍は悩んだはずでしょう。出世をするなら幕府の言う通りにすればいいことでしょうし、そうすることが「政治的」には正しいことになる。しかし、それでは自分の道徳心や信念を捨てることになる。

だが、ここで呑龍は名案を思いつく。呑龍が現代になっても「子育て呑龍」といわれ、語り継がれる名僧となるのはここからです。捨て子や貧民の子を受け入れ、七歳までは名目上、大光院の弟子とする形にして、子どもたちを寺の費用で養育することにしたのです。
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こうして救われた子供は数多くいたでしょう。これはナチスからユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーや杉原千畝にも匹敵することではないのか。
偉いです。
江戸時代にこんな人道主義者がいた、というのをもっと世間で知られてもいいことです。
そして、もし、現代に呑龍が生きていたら、きっと嘆いていたに違いない。それに、子供らを救う妙案を考え出しているかもしれない。

またもうひとつ「人道主義者」として、呑龍には有名な逸話があります。
元和2年(1616年)のこと。
武州の源次兵衛なる農民が、難病で苦しむ親の治療には、鶴の生き血が体に良いというのを聞き、鶴を捕らえて殺してしまった。
ただ、これが御禁制の鶴だった。どうやらこれは重罪であったらしい。役人に追われた源次兵衛は、大光院に逃げ込んだ。
この話を聞いた呑龍は「禁制を犯したのは重罪であるが、人の命の尊さには代えられぬ」といって源次兵衛を匿い、役人にその身柄を渡さなかった。しかし、役人にも面目がある。掟を破った源次兵衛を捕えなければならず、それを引き渡さなかった呑龍にも罰を与えなければならない。どちらも後に引けない状態になった。並の僧侶なら、ここで権力に屈して、さっさと引き渡していたでしょう。お上に楯つくようなことがただでは済まないと思えば、ここは普通に考えても、引き渡せば簡単に済む話なのだから。
しかし、呑龍はそんなことはしなかった。罪を一身に負い、格式のある住職を惜しげもなく捨てて、源次兵衛をお供につれて旅に出るという方法を取った。そして行き着いた先が信州小諸の仏光寺という小さな草庵であった。そこに籠った呑龍は念仏と修行を続けたというのだ。重罪を犯した名もない農民を守るために、自分のキャリアさえあっさりと捨ててしまうという、当時珍しい「人道主義者」でした。そして二代将軍秀忠の許しが出て、大光院に戻ることになったのが、その5年後のことだったというのだ。
こんな博愛主義者が過去にいたんですね。

さて、この逸話が、「つまらない話だ」という人もいるでしょう。「いい話でもなんでもない」と思う人もいるでしょう。しかし、この話のポイントはここにあります。「影響力の大きい人が、起こした言動は、世間に広く伝わる」ということだ。
大寺を任される住職がこういった行動を起こすことによって、世の中に広くこの話が語り継がれていき、結果、民衆に「博愛、人倫」を広めていくことになった。実際、この逸話が現代にも残り、私もブログに書き、それを読む人が多少なりともいることになる。(呑龍の逸話を書いたブログは検索すると結構ある)
それに呑龍がエリート僧であったことは間違いない。
呑龍が芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれ、大光院が、慶長18年(1611)春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、その開山に選ばれたことからいっても「選ばれた人」であったことは間違いないのだ。(増上寺は将軍家の菩提寺である。そこで修行し、優秀であったのなら、今でいう東大を主席で卒業するようなものだろう)

また、上野国(群馬)で、当時300石の御朱印が下賜されたのは、大光院のみだ。次が世良田東照宮の200石、上州一ノ宮の貫前神社でさえ177石であるから、大光院がいかに破格の大寺であるか分かるものである。その開山に選ばれた呑龍は、今でいう出世を期待されたキャリア官僚だといえるのです。
そんなエリート僧侶が、幕府の命令に反して「子供たちを守り」「農民を助ける」といった行動に出たのである。
それに、呑龍がしたことは、出世や保身ばかりを気にする現代の官僚とはえらい違いで、実に博愛に満ちた行動の数々だった。
呑龍が、捨て子や殺される運命にあった子供を引き取って育てるといったことは、小さなことかもしれない、しかしその行動はのちのち伝説・伝承となり、語り継がれていったのだ。
メッセージはシンプル。「間引きはいけないこと、子殺しはやってはいけないこと」そういった簡単なことを世の中に植え付けようとした。それを、自らの行動をもって、世間に示した。それは「子供を守ろう」という考えを世の中に広め、民衆の意識を変えていこうとしたわけだ。
今の世の中に、そんな役人や議員はいるのか。
改革、改革と口では叫んでいても、保身と出世とお金にしがみ付く、役人や議員たちに、こんな行動ができるだろうか。
しかし、いま起こっている幼児・児童虐待問題で求められているのは、「呑龍のような精神」をもった人道主義であり、エリート官僚のような大きな力を持つ人が行動力と指導力を発揮することなのだ。
そういった人が立ち上がってこそ、世の中が動くのである。(私のような小者がブログにちまちま書いていても世の中は変わらない)

呑龍のメッセージは簡単なもので「子供を守ろう」といったことだ。

慈愛に満ちた行動を起こす人が、世の中の意識を変える。そして子供たちを救うのだ。

だって

未来は子供たちにしかないだから。

娘の卒園式に出て、「あどけない子供たちの笑顔」を見ながら、痛切にそう感じた。

「みのもんたの日本ミステリー」第4回目放送分の感想  その3

「みのもんたの日本ミステリー」第4回目放送分の感想  その3
前回の続きです。

邪馬台国は四国にあった!?

番組ホームページから
『女王・卑弥呼が治めた邪馬台国。その所在地は九州とも畿内ともいわれ、未だ結論が出ない歴史上最大のミステリーの一つとなっている。しかし昨年、卑弥呼の即位と同じ頃に造られた古墳や神獣鏡が四国で発見された! 日本中の歴史学者や考古学者を震撼させた“邪馬台国は四国にあった”という新説を、「魏志倭人伝」の記述とあわせ検証していく。その過程で次々と明らかになる衝撃の事実とは!?』

では「邪馬台国は四国にあった説」ですが、番組では根拠は5つほど上げています。

①2007年3月、徳島県鳴門市に、日本最古の前方後円墳が発見された。「萩原2号墓」といい、石積式の前方後円墳。年代測定によると西暦200年前後となり、時代的には卑弥呼・邪馬台国の時代となる。当時、徳島に力のあった豪族がいた証拠となる。
解説は徳島文理大学教授 石野博信氏で、「卑弥呼が登場するのに大きな役割を果たした一族の墓である」と語り、邪馬台国四国説を推す。
また、国史研究家・高校教諭 林博章氏の解説によればこのあたり一帯は古墳だらけだということ、八人塚古墳は全長60mもあり、付近一帯には1000基の古墳がある。古墳密集地だということ。

②邪馬台国があったとされる場所については様々な説があるが、有力なのは「近畿説」と「九州説」の2つ。
だが、ともに矛盾点がある。「魏志倭人伝」によれば、近畿説(一般的には畿内説というが、番組では近畿説となっているので、近畿説で以下統一)は「方向が違う」、九州説は「距離が合わない」といわれる。
そこで、古代史研究家 大杉博氏の研究によれば、朝鮮から出発した使者は、上陸地が高知県宿毛町あたりではないかと推測(ここが投馬国)、そこから距離的に見て、徳島に至ったのではないかということだ。

③魏志倭人伝によると、邪馬台国について「その山には丹がある」と書いてある。
丹とは水銀のことで、邪馬台国に中には水銀丹(朱)の出る山があると、書き残している。邪馬台国時代の水銀鉱山跡というのは、徳島阿南市の若杉山遺跡でしか見つかっていない。水銀を生産している遺跡は、他の場所から発見されていないので、ここだけらしい。よって「丹がある」という一文からすれば、四国説はかなり有力となる。

④邪馬台国の時代から続く1800年続く一族「阿波忌部一族」がいる。
この一族は、古代から現在まで続く天皇家の宮廷の祭祀をしていたという。儀式の中で、(大嘗祭のことか)、麻で作る織物(アワタエ)を献上する役割である。現在の当主は三木信夫氏であり、番組内でインタビューに答えている。その中身は「阿波には大きな先進文化をもった部族がいたことは確かで、その後、この部族は阿波から近畿へ移動して日本の礎を築いた」と語っていた。

⑤近畿と四国の地名の一致。山城、伊賀、大阪、河内、勝浦など近畿にある地名は、徳島にもある。
徳島や香川で作くられた壺などが、同じようなものが近畿でも出土している。徳島と近畿に何らかの関係があるということか。

と以上が番組内容。

私的感想。
今放送の中では一番信憑性がある。(この説が正しいという意味ではなく、内容があるということ)
というのも、邪馬台国所在地としては、近畿説、九州説のほかに、吉備、出雲、四国、尾張、千葉県、甲信、岩手県などがある。どうやら、四国説はその中でも有名なものであるらしく、この説を唱える人の研究も充実しているようだ。だから「佐々木小次郎は暗殺された」とか「関が原の戦いはエリザベス女王が黒幕だった」などのトンでも説よりもネタ元が確りしている分、中身があるということだ。

私は、鯨統一郎「「邪馬台国はどこですか?」(創元推理文庫)の東北説が好きですね。
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ほかに、地名でいえば、「阿波」の人が、関東に流れて「安房」という地名をつけたという話があって、文化が西から東に移動していったという話を思い出した。そう考えると徳島あたりに大きな勢力があったと考えてもいいかもしれない。(ただしそれが邪馬台国かどうかは分かりませんが)


日本のルーツは古代イスラム 天狗の正体は古代イスラム人だった!?

 番組ホームページから
『第1回の放送から番組が追い続けている壮大なテーマ「日本のルーツは古代イスラエル!?」の調査過程で我々は奇妙な情報を得た。かつて牛若丸が天狗から兵法を学んだという鞍馬山。その中腹にある鞍馬寺には、なんと古代イスラエルのシンボル“ダビデの星”が存在していた…!更に日本各地の天狗の伝説・遺物を調べていくと、その高い鼻や頭につけている兜巾、ホラ貝、大きな葉の団扇と古代イスラエルの共通点が次々と明らかに!?果たして天狗の正体と、そのルーツとは…!?』

ということでこれは、日本人ユダヤ人同祖説。
学研「ムー」ブックスによくあるようなネタ。
番組全体として見ても「ムー」色が強いです。

さて、こういった歴史ものを扱うときは、番組最後とかに参考文献や参考資料といったものが、エンドロールで流れたりします。それを視聴者が見て参考にし、その説はどこが元になっているのかを知るわけですが、この番組にはそういったものが流れません。参考にした資料を全部流せとは言わないが、主なものを言わないとダメです。
多分、この番組はネット情報を主として番組を作っているようです。ネット検索で調査した場面が何度も放送されているので多分そうでしょう。つまり「ハローバイバイ関の都市伝説」くらいのレベルのものが多いということです。

ほかに「NASAが研究する不食現象 日本にも不食の超能力者がいた!?」がありましたが、これはどうでもいいです。

「みのもんたの日本ミステリー」第4回目放送分の感想  その2

「みのもんたの日本ミステリー」第4回目放送分の感想  その2 前回の続き

関ヶ原の戦いの黒幕はエリザベス女王だった!?

番組ホームページから「1600年、徳川家康と石田光成(正しくは「三成」ですが、番組ホームページはこう記載されています) が対決した「関ヶ原の戦い」は、当時世界最大規模の重火器戦で、武器量に勝る東軍が僅か7時間という短時間で勝利を治めたのである。家康がその際に着用した甲冑には、鉄砲の玉をはじき返す西洋式の構造が用いられていた。これら最新の西洋式兵器の入手先は、大分に漂着した1隻のオランダ商船リーフデ号。そしてその陰にはイギリス女王・エリザベスⅠ世の陰謀が隠されていた…!?」

いわゆる、トンでも説です。

その前に番組の内容を書き出します。
①日光東照宮にある家康の西洋風甲冑「南蛮胴具足」を紹介。これは西洋の甲冑と日本のものを折衷したもの。
②西洋のフランキ銃(大砲)を家康は関ヶ原の戦いで使った。大砲の数、西軍5に対して東軍30以上あった。ここは静岡大学教授 小和田哲男氏が解説。
では家康はこういった西洋のものをどこから入手したのか、という問題提起をします。
1600年当時、世界を支配していたスペインとポルトガルは、日本に宣教師が送りこみ、布教の名目で勢力を拡大し、貿易を独占していた。これに対抗するため、イギリスのエリザベス1世は、日本に目を付けたというのだ。当時の日本は銀の産出量が多く、貿易をイギリスが独占しようと考えた、というのだ。
(まあいいでしょう、しかしここからが酷い)

ここからは、歴史研究家 天堂晋助氏の解説。

そこでイギリスが送り込んだ人物が、ウィリアム・アダムスのちの三浦按針だという。アダムスの解説はここでは省きます。
経歴等は下記から。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9
家康がアダムスを重く用いたのは、エリザベス女王の密命があったからだというのだ。
理由
①リーフデ号(オランダ船)には大量の武器が積まれていたが、これはアダムスが大量の武器を密輸し、家康に手渡そうとしたもの。これによって関ヶ原の戦いに勝利したからだという。
②ロンドン大英図書館には、アダムスがイギリスに送った11通の手紙が保管されている。その中にエリザベス女王と密接な関わりを持つ手紙があったという。それはイギリス東インド会社に送った手紙で「東インド会社がイギリスに残された妻に、多額のお金が渡っていた」「我々はもともと日本を目指していた」などと書いてあったという。
ここで、「日本には偶然漂着したのではなく、アダムスは女王の密命を帯びていた」と番組では強引に結び付けていた。(飛躍しすぎ)
③ ではなぜ、エリザベス女王は、家康に勝って欲しかったのかといえば、西軍にはキリスト教信者が多く、スペイン・ポルトガルとの関係が密接だった、これに対抗するために、関ヶ原の戦いでは家康側に勝って欲しくて、加担したというのです。
以上が番組内容。
私的感想。   一言でいえば「ちょっと……」です。どこから突っ込んでいいのか分らないほど、欠陥が多い説だ。
まず、リーフデ号はオランダの船です。英国女王の密命をなんで外国の船で行うのか分からない。それにアダムスはただの雇われ航海士の一人に過ぎない。そんな小人にこんな重要な任を任せるのか。それに、リーフデ号をはじめこれらの船団は航海中に何度も災難にあって、110人いた船員が24人までに減った。ほとんど死んだんですよ。しかも日本に辿り着いたときは、漂着という形だった。アダムスが密命を帯びていたとしても、途中で死ぬ可能性の方が高く、日本にたどり着いたのは偶然に近い。一国の重要な国策が成功するかしないかといったことを、「神頼み」みたいなことに任せていいのか。
それにリーフデ号の武器も家康に献上したような形で放送していたが、これらはただの没収であり、これが家康に渡ったとすれば、偶然の類です。
またここでは、同じく漂着したヤン・ヨーステンが全く扱われてませんけど、これはおかしい。ここでオランダ人を入れると、この説が成り立たないから省いたのかもしれません。大体、そんな重要な密命を帯びているのに、イギリスは一船員のアダムス1人しか送り込んでこないのが不思議。貿易をしたいのなら、イギリスの船で、もっと権限のある人を送るはずです。大英帝国がこそこそする必要などない。
それに、エリザベス女王が関ヶ原の戦いの黒幕みたいな放送だけど、英国にいた女王に、家康が石田三成と戦うなんて予想ができるはずがない。だって、リーフデ号が出航したのは、戦いの2年も前のこと。この時点で誰が誰と戦って、これから先日本がどうなるなんて、誰も予想が付くはずもない。秀吉死後から関ヶ原の戦いまでの激動の時代だ。当時の日本人だって分りゃしない。

それにたとえ情報の行き来があったとしても、通信がない時代のことだ、アダムスに指示を与える機会などない。(リーフデ号が漂着したのが1600年4月、関ヶ原の戦いが9月。つまり5ヵ月しかない。これ以前は海の上にいて情報なんてないわけだ。2年前の日本の状況しか分からないのに、どうやって日本の状況を知ることができたのか。だれが指示を出すのか、考えてみても不可能)

それに最大の欠陥は、もし家康がエリザベス女王の密命を受けて、女王のおかげで勝利したのなら、なぜ鎖国して、オランダとだけ貿易をしたのか、ということ。イギリスを省くようなことをしたら、それこそ誇り気高い英国が何も言わないのがおかしい。(ただしに鎖国が完成したのが、1639年。その間はイギリスと貿易をしていたのか、少し調べてみないと分からない)

この説はみんな後付けなんですよ。家康が関ヶ原で勝った→そのときアダムスが家康側にいた→アダムスはイギリス人→イギリスとスペイン・ポルトガルは対立している→西軍はキリスト教徒(カトリック)が多い→イギリスは対抗するために家康に味方した……。みたいな連想ゲームみたいな説なのだ。

この説を唱えている人は、きっと「映画007シリーズ」が好きで、女王に忠誠を尽すジームス・ボンドとウイリアム・アダムスを重ね合わせているのだろう。

次回に続く。「邪馬台国は四国にあった?」



「みのもんたの日本ミステリー」第4回目放送分の感想 その1


「みのもんたの日本ミステリー」第4回目が、テレビ東京で2008年3月21日放送された。

番組宣伝では
「日本の歴史や事件の裏に隠された様々なミステリーを解明する知的バラエティ第4弾。我々の住むに住む国、日本。この科学の発達した国にも、まだ解き明かされていないミステリーは数多く存在する。次々と解明されていく日本ミステリーという壮大なロマンに隠された謎!みのもんたを司会に、知的好奇心を満たしてくれる衝撃の事実盛り沢山でお届けする。」とある。

いわゆる「歴史ミステリー」ということで、番組を見てみた。過去に「家康、信玄親子説」というトンでも説を出した番組。
まあ真偽はともかく番組内容と解説を書き出してみます。

『佐々木小次郎はキリシタンだった。巌流島の決闘は暗殺だった!?』

巌流島では、小次郎の霊が祟るという、その理由はなぜか、という問題提起から始まります。(すでに怪しい)

1612年、宮本武蔵と佐々木小次郎が対決したとされる「巌流島の決闘」。決闘の立会人は細川藩の家臣だった。
だがここで大きな疑問があるという。①細川藩剣術指南役の小次郎の記述が、細川藩の公式記録に残っていないということ。②武蔵の著書「五輪書」の中に巌流島の決闘の記述はないこと。③武蔵は決闘後、細川藩に匿われていた。鉄砲隊までつけて領地の外に出されていたこと。(沼田家記)

ここで小次郎キリシタン説が出てくる。
長州藩の記録「防長風土注進案」には、小次郎の妻の墓があるという。場所は山口県阿武町の太用寺。この近くの山麓にあるというのだ。
記録では、妻の墓と書かれているが、実際は「小次郎の墓」だった。
言い伝えによれば、小次郎の妻が、遺髪をこの地まで運び、墓にしたということだ。この周辺には隠れキリシタンの墓が多くあり、小次郎の墓とされる横には、6角形の墓がある。これは神父の墓を意味するというのだ。また墓に刻まれた文字は「佐々木古志らう」とある。「古」を分解すると「十」「口」となり、「十」は十字架を意味する。こういったことは、隠れキリシタンが密かに行ったことである。(これは確かにあったことだ)
よって、小次郎=キリシタンとなる。(?)

ここでキリシタンである小次郎を殺すために、細川藩が決闘という名目で「暗殺」を行ったという説を出す。

小次郎は豊前佐々木一族、福岡県の添田の豪族の子孫であったという。
1587年に佐々木一族が中心となったキリシタンらが起こした豊前一揆があった。
このことから、佐々木一族の一員である小次郎を密かに抹殺すことが目的であったというのだ。
キリシタンらを押さえ込み、一揆の誘発を恐れた細川藩が武蔵を使って小次郎を殺した、という結論だ。

巌流島はもともとは船島という名前だったが、決闘後、小次郎の剣の流派の名前「巌流」から取っているという。祟りを鎮めるため、恨みを残して死んだ者の名前を付けたという。(これは正しいと思う)
武蔵のこの後の行動も不自然であり、多くを語らなくなった。これは真相を語りたくなかったのではないのか、ともいっている。

解説は、歴史家・杉山光男氏が行った。

個人的意見
たとえ、佐々木小次郎がキリシタンだとしても、細川藩が小次郎を殺す意味が結局分からない。小次郎がキリシタンを扇動して一揆をおこすような力があったとも思えない。小次郎が殺されたからといって、一揆が起こるほどの人物であったとも思えない。また豊前佐々木一族の一揆にしても、時代は秀吉であり、実際にキリシタンの一揆だったのか。たとえ、そうだとしても、のちの江戸時代である、ここで小次郎、キリシタン一揆、細川藩などがどうも結びつかない。つまり肝心な点が曖昧なのだ。この説を考えた人は、1612年家康のキリスト教廃止の命令、1637年の島原の乱など、一連のキリシタンの事件があって、それを小次郎=キリシタン一揆の首謀者であるというのを念頭に置いてして論を進めたような感じがする。

この杉山光男氏は「家康、信玄親子説」を唱えている人で、ほかに「本能寺の変の首謀者は秀吉だった」といった奇説、珍説を唱えている方。
まあ、これもちょっと怪しい説ですね。(お前が言うなって言われそうですが……)

『聖徳太子は大予言者だった。』

これは、聖徳太子が未来のことを予言して書いたといわれる「未来記」のことを指している。
番組では、
①日本書紀には、聖徳太子を「兼ねて未然に知るろしめす」と書いている。聖徳太子は未来のことを知ることができたと記している。
②楠木正成は、四天王寺にあった「未来記」を見たという。(ただし今は現存しない。)
③京都・大谷大学に写本として「未然本紀」が残っている。これをもとに話を進めていた。
(立教大学教授 小峰和明氏が紹介していた。)

ここで、秋山眞人の解説が入る。(怪しい)  本能寺の変や秀吉の天下統一などが的中していたことを解説。そして、第二次世界大戦やアメリカの9.11テロ事件まで予言していた、語っている。こうなるとかなり怪しくなる。

ここから将来の予言を紹介。

2020年ころ 埋蔵金発見
同じころ   首都移転。北東の方角に移転するという、番組では「那須阿武隈あたり」としている。
2030年地球崩壊。地球に小惑星「アポフィス」が激突か、NASAの観測を紹介。
とここまでが番組内容。


私的感想。
「ムー」か!それだけです。
まあ面白いんですが、あまり「恐怖心」を煽らない方がいいと思います。ノストラダムスの予言が外れたので、次は「これか」って感じ。

さて、楠木正成が「未来記」を見たというのは、「太平記」巻六 正成天王寺未来記披見事 に出てくる。
元弘2年(1332年)9月 楠木正成は天王寺を参詣、そこで長老の僧に「聖徳太子がその昔、百代の帝の治世の安危を慮られて、日本国の未来記を書き置かれたといいますが、それは本当でしょうか。もし差し支えなければ、当代に相当する巻だけなりとも、ひとめ拝見させてください」と頼んだ。僧は「聖徳太子が逆臣物部守屋を討たれ、はじめてこの寺を建立されてから、仏法を日本国中にひろめられたのちに、神代から持統天皇の御代までのことを記した書三十巻は、先代旧事本紀といって、卜部家が代々伝承して有職の家となっております。しかし、それ以外にも一巻の秘書を残されました。これは持統天皇以後末世にいたる代々の帝の御治世および天下の治乱のことを記しております。この書を安易にひもといて見ることはできないのですが、特別のお計らいでひそかにお目にかけましょう」といって正成に見せた。そこに皇朝九十五代目のときに天下が乱れるが、動乱が治まると国は本来の治世に戻る……。などと書かれていた。九十五代目は後醍醐天皇のことであったので、これは天下の動乱も長くはあるまいと正成は確信したという。

ここにもあるように、「未来記」は天皇の治世について書かれたものである。よって、外国のテロ事件なんて全く関係のないことが分かる。「未来記」を使って「ノストラダムスの予言」的にいろいろとこじつけていくのは、どうも無意味である。
だが、「未然本紀」「未来記」を全く否定することもよくない。これらは歴史的な史書としてみるべきであって、そこに書かれている内容や、成立背景を調べたり、なぜ書かれたのか、本当に聖徳太子が書いたものなのか、といった学術的研究がされるべきなのです。

次回に続く。「関ヶ原の戦いの黒幕はエリザベス女王だった」「邪馬台国は四国にあった」など。

週刊「歴史のミステリー」第9号

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目次

歴史検証ファイル    日露戦争で日本は本当に勝利したのか?
               キング牧師暗殺事件の首謀者は誰だったのか?
遺跡に眠る謎      ボロブドゥール寺院
疑惑の真相       ヒンデンブルグ号爆破はテロだった!?
芸術の裏側       「裸のマハ」フランシス・デ・ゴヤ
語り継がれる伝説    浦島太郎伝説
人物再発見        二宮忠八



「日露戦争で日本は本当に勝利したのか?」

日露戦争…1904年(明治37年)、日本とロシアが朝鮮・満州支配をめぐる対立から起こした戦争(~05年)
三国干渉後、ロシアは中国から満州における権益を得、北清事変後は、日本の満州撤兵要求を実行せず、満州の支配のみならず韓国進出の野心を示したので、日本と激しく対立した。日本は日英同盟(02年)によるイギリスの支持を背景に、04年2月仁川沖の奇襲で戦争開始。日本軍は有利に戦いをすすめ、05年3月奉天会戦で大勝、海軍も日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した。しかし、日本軍は軍事・財政的に戦争遂行能力が限界に達し、ロシアでは05年1月、血の日曜日事件がおこり、国内の危機が急迫した。日本を援助したアメリカ・イギリスも一方の決定的勝利による満州独占をおそれ、アメリカ大統領セオドア=ルーズベルトの仲介で、同年9月ポーツマス条約が締結された。これにより、日本は韓国を保護国化し、南満州を勢力範囲とした。しかし、死者10万余人、戦費は約20憶円を要したが、賠償金は得られず、民衆の不満は日比谷焼打ち事件などを引き起こした。
(日本史辞典より)

「歴史のミステリー」では  ①日本に勝算はあったのか?  ②日本は破竹の勢いで勝ち続けたのか?  ③両国が講和したのはなぜなのか?  ④講和条約の内容はどのようなものだったのか?  で日露戦争を検証しています。日露戦争そのものよりも、なぜこの戦争が起こったのか、この戦争の背景と、戦後の影響が書かれています。参考資料として、「太平洋戦争」の本を3冊挙げているので、日露戦争を、第一世界大戦時代を経て第二次世界大戦に突入するまでの切っ掛けとらえていて、その経緯が分かるような説明になっています。よって、日露戦争の「203高地」と「日本海海戦」、「乃木希典」「秋山真之」などはほとんど出てきません。

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今週発売の「新説・戦乱の日本史」も日露戦争を取り上げていますが、こちらは、戦いの様子そのものを扱っているので、日露戦争の経過が知りたければこちらを見る方がよいでしょう。
似たような2冊の本が、同じ週に「日露戦争」を取り上げているのに、そのとらえ方が全く違い、まさに対照的です。
「歴史のミステリー」では、「日本は形式だけの戦勝国だった」として、「列強諸国の代理戦争」「敗戦を意味した戦争継続」と項目を立てて説明しています。
最後に、「(日露戦争後) いったい何が残ったのか?」ということで、イギリスとアメリカの目論見は「日露双方の一方だけが決定的なダメージを受けず、拮抗する勢力、軍事力を保持して満州や極東地域で緊張状態を保ってくれることが望ましいという考えがあった」ということが書かれています。アメリカの真意は、アジアの主導権を握ることにあったので、日露の講和を進めたのであったという。また欧米列強国に操られたのは日本、ロシアであり、両国の中国大陸進出の勢いを鈍化させる目的であった。結果的に、日露戦争は、第一次世界大戦の火種が新たに作られたに過ぎない、と結論付けています。


「キング牧師暗殺事件の首謀者は誰だったのか?」 

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1968年4月4日、公民権運動の指導者マーチィン・ルーサー・キング牧師が、メンフィスで暗殺された。JFK暗殺に次ぐ「アメリカの偉大な損失」といわれるこの事件は、脱獄犯ジェームス・アール・レイの犯行とされているが、暗殺の背後に黒幕がいたという説も囁かれている。(本文より)

「暗殺犯断定の証拠は十分だったのか?」「どのような裁判が行われたのか?」「明確な犯行動機はあったのか?」「レイに背後関係はなかったのか?」ということで、犯人とされているレイが本当に暗殺したのかに疑いの目を向けています。それに人種差別的秘密結社・KKK(クー・クラックス・クラン)や白人至上主義者のアーサー・ヘイニーズ弁護士の動きを追って、レイが実行犯ではないという証拠を示しています。
結論としては、キング牧師が暗殺されたのは「ベトナム反戦運動が原因ではないか?」としていて、首謀者としては、FBI関与説(人種差別主義者のジョン・エドガー・フーバー長官がキング牧師に強い憎悪を抱いていたという)やマフィアや軍事産業が関与したという説を押しています。ノーベル平和賞を受賞した牧師の影響力を警戒し、これ以上ベトナム反戦運動が高まらないようにするために、暗殺したのではないか、と推測しています。
やはりこれも、ケネディ大統領暗殺と同じような陰謀が隠されていると見ている。そして、このあとにロバート・ケネディ大統領候補が暗殺されるわけなので、一連の暗殺事件はすべて関わりがあると見た方が自然ではないか。


ボロブドゥール寺院
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インドネシアにある巨大仏教遺跡。密林の中にあって発見されたのが19世紀だという。8世紀ころに作られたもので、ヒンドゥー教のシヴァ神寺院から仏教寺院へ変化したので、建築様式が独創的である。


ヒンデンブルク号  爆破はテロだった!?
1937年5月6日、巨大飛行船ヒンデンブルクがアメリカ・ニュージャージー州の飛行場に着陸する寸前に、爆発炎上。乗員・乗客97人のうち35人が死亡した。だが、当初、船体の浮上に使用された水素ガスへの引火といわれた事故原因は、結局、特定されなかったのである。(本文より)
豪華巨大飛行船の爆発は、水素ガスの引火が原因だと言われていたが、1972年にマイケル・ムーニーの本から「テロ説」が提唱された。この説では、爆破予告が事前にあったことや反ナチスによる犯行であったこと、実行犯は乗務員でないかということを挙げている。
また近年言われているのが「ナチスによる自作自演説」だという。ヒンデンブルク号を作ったツェッペリン社はナチスの圧力のもと国策会社に組み込まれてしまい、ヒンデンブルク号をアドルフ・ヒトラー号に改名するように迫ったが、これを会社側が拒否したために、ヒトラーに恨まれていたという。そのためにナチスが仕組んだという説だ。
どちらにしても、この事件後、ツェッペリン社は活動を停止され、飛行船時代は終わりを告げ飛行機の時代となった。
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画像は、ハードロックの名盤、レッド・ツェッペリンのアルバムから。

「浦島太郎伝説」お伽噺に隠された謎のメッセージ


浦島伝説のルーツは「丹後国風土記逸文」にあるという。丹後半島にいた日下部首の子孫ということになっていたという。この浦島の祖先の日下部氏は、農耕技術、養蚕織物、稲作に欠かせない鉄の文化を導入したとされる。これらの文化が地方に伝播されるとともに浦島伝説が広まったのではないかという説を解説している。
全国各地に残る浦島伝説には様々なバリエーションがあり、中国や朝鮮半島にも似たような話がある。神仏信仰である龍神信仰と、仏教思想が結びついたものであり、また稲作文化が雨を司る龍神が結びついてできた伝説だということも書かれている。また徐福伝説のあるところにも浦島伝説がある、というのが興味深い。
今号で紹介されている浦島伝説のある場所、京都の宇良(浦嶋)神社、網野神社、嶋児神社。香川県三島詫間町、岐阜県中津川市、各務原市の市杵島神社、長野県上松町「寝覚の床」神奈川県横浜市の観福寺、慶雲寺など。
また、沖縄の旧国名である「琉球」は「竜宮」から転訛したものといわれる。これはいい説明だ。

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画像は江戸時代の浮世絵師・歌川国芳の描いた浦島太郎

映画監督・アンソニー・ミンゲラ死去。


『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー賞最優秀作品賞に輝いた、映画監督・脚本家のアンソニー・ミンゲラが急死したことが明らかになった。享年54。代理人によれば、扁桃腺と首にできた癌の手術を受けた後に大量出血し、ロンドン時間の17日早朝に亡くなったという。
類を見ない才能の持ち主で、1996年~2003年に公開された『イングリッシュ・ペイシェント』、『リプリー』、『コールド・マウンテン』では、アカデミー賞で計24部門にノミネートされた。

アンソニー・ミンゲラといえば「イングリッシュ・ペイシェント」が代表作でしょうが、私的には「コールド・マウンテン」が良かったですね。
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見る前は「南北戦争で純愛物語」というので、あまり期待していなかった。だが、それが逆に良かったのかもしれない。
ニコール・キッドマンとジュード・ロウのメインストーリーよりも、サイドストーリーが良くて、レネー・ゼルウィガー(レニー・ゼルウィガーとも表記)の役は最高だし、フィリップ・シーモア・ホフマンがエキセントリックな曲者の役で出ていて、物語の幅を広げていた。
また、ジュード・ロウがBS・NHK「アクターズ・スタジオインタビュー」でインマン役について自ら解説していて、司会者のジェームズ・リプトンも鋭い質問をしていたので、作品がより深く理解できるものとなっていた。確か「インマン」という役名の意味、とかだった。またナタリー・ポートマンとの場面も詳しく解説していたが、これも結構印象的な挿話となっていた。たしかに、あとになっても記憶に残るシーンだった。
「アクターズスタジオ・インアタビュー」ではナタリー・ポートマンやレネー・ゼルウィガーらも出ていて、「コールドマウンテン」の話をしていたので、出演者たちにとっても重要な作品になっているのだろう。
アンソニー・ミンゲラは、「イングリッシュペイシェント」「コールドマウンテン」「リプリー」のようにハリウッドスターを使う大作でありながら、その人間の内面描写に迫る繊細なものが撮れる監督という評価があるらしい。確かに、主人公ら登場人物が、何かに(戦争や歴史、または「リプリー」ように魅力的な人とか) 翻弄される人間を描くのが上手いと思う。
映画監督としては、54歳といえば、まだこれからという年で、死去するには余りにも若すぎる。もっと長生きしていたらデビット・リーンのような監督になっていたかもしれない。そう考えると実に惜しい。

3階建ての豪邸で、母親の愛を求めて泣き叫ぶ子供は、きっと幸せではない。

今日、テレビのワイドショーを見ていたら、しきりにこの事件を放送していた。
気になったので、少し書きます。

『2歳児遺棄:10日食事させず放置死 29歳母逮捕 埼玉
 2歳の次男を約10日間放置して食事をさせなかったなどとして、埼玉県警吉川署は15日、同県三郷市早稲田2、無職、島村恵美容疑者(29)を保護責任者遺棄容疑で逮捕した。次男は発見時に既に死亡していた。県警は司法解剖して死因を調べ、保護責任者遺棄致死容疑でも捜査する。
 調べでは、島村容疑者は今月3日から13日までの間、以前住んでいた市内の別の住宅に次男の健太ちゃんを放置し、十分な食事や入浴をさせなかった疑い。家の3階で▽健太ちゃん▽長男(6)▽健太ちゃんと双子の長女(2)▽祖母(77)の5人で暮らしていたが、3日に引っ越した際、子供3人を置き去りにした。3階には7部屋あり、別室の祖母とは疎遠で、夫とは離婚しているという。
 14日午後3時過ぎ、島村容疑者から「家に行って子供の様子を見て来てほしい」という電話を受けた両親が3人の子供を発見、同署に通報した。健太ちゃんは布団の上で死亡しており、衰弱していた長女は病院に運ばれた。長男は健康上問題ないという。島村容疑者は「育児ノイローゼだった」などと供述しているという。毎晩のように午前1~2時ごろ「ママあけて」「ごめんなさい」と泣き叫ぶ、長男(6)とみられる声を聞いていた。【西田真季子】毎日新聞3月17日』

この事件、一見ほかの幼児虐待と同じようだが、他とは際立って違う点がある。この容疑者の母親が半端ではなく裕福だということ。実家はかなりの資産家で、子供はこの実家で死んでいたということ。この母親は、子供らを残して、一人でマンション暮らしをしていたということだ。かなり特殊な事例だと思う。
ただ、事件が起こった後で、「なんでそんな女が3人も子供を作ったのか」とか、「他の親類は何をやっていたのか」とか、「そんなに金があるなら保育する人でも雇えばよかったのに」とか、「児童相談所はかなり前から虐待があったことを知っていたのに何をしていたのか」とか……いま、いろいろ言っても仕方ない。
そして、こういったことは、今は置いておく。
同じような年ごろの子供を持つ私にとって、「お金=幸せ?になるのか」といったことを考えさせられたのです。
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写真を見ても分かるように、自宅は3階に7部屋もあるような家で、庭に孔雀を飼っていたという。番組によれば、近所では金持ち一家として有名であり、コーヒーを数本買ってお釣りがいくらか分からない(気にしない)というほど、金銭感覚がマヒしていたというのだ。

さて、こんな家庭に生まれた彼女の子供らは、金銭的に困ることはなかっただろう。
だが、決して幸せではなかった。
3階建ての豪邸で、母親の愛を求めて泣き叫ぶ子供は、きっと幸せではないことだけは確かだ。
お金持ちの家に生まれながら母親から愛されない子供と、お金がない貧困な家庭に生れながらも親から愛されている子供では、一体どちらが幸福なのか。
それに、人は何をもって幸せだというのか。「金か、愛か」そういった根本的なことまで考えさせられてしまった。

この事件を聞いて、思い出したのは、数週間前に描いた「金子みすゞが別れた夫へ宛てた遺書」のことだった。そのときの記事http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-263.html
「あなたがふうちゃんを連れて行きたければ、連れて行ってもいいでしょう。ただ、私はふうちゃんを心の豊かな子に育てたいのです。だから、母が私を育ててくれたように、ふうちゃんを母に育ててほしいのです。どうしてもというのなら、それはしかたないけれど、あなたがふうちゃんに与えられるのは、お金であって、心の糧ではありません。」
別れた夫(事業が成功して金持ちになっていた)が、3歳の娘を取り上げようとした前日の晩に、みすゞは自殺した。
自分の子を守ろうとして、自らの命を絶った母親。(みすゞにはそれしか選択の余地がなかった)
一方では、母性のかけらもなく、子供を死に追いやった、お金だけは有り余っている母親。
母性とは何なのか。善と悪を分けるものは何なのか、そして、残された子供らにはこれからどういった将来が待っているのか……などなど、
とても考えさせられる事件だった。

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