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会津若松に行って来ました。鶴ヶ城は良かった!

福島県の会津若松に行ってきました。

大きな目的は、鶴ヶ城(会津若松城)を見ることと、蘆名氏と新田一族の関係を見るためでしたが、大雨のためにほとんどその目的を果たせず、ただの家族旅行となってしまいました。

まずは、何があっても見たかった鶴ヶ城
 当ブログでは、例の「TBSの歴史クイズ番組事件」についてのあらましと続報について書き、その中で「会津若松のみなさんがんばってください」と呼びかけた記事も書きました。それによってこの件で検索してこられる方もかなり多くなって、またいくつかの拍手をもらいました。そんなこともあって、機会があれば何としても訪れてみたい所だと思っていました。
そのときの記事と続報。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-283.html
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-285.html

会津若松城1
もう雰囲気がいいですね。かなり整備されています。
次年度のNHK大河ドラマ「天地人」の幟がかなり立ってました。「篤姫」「新撰組」のポスターなんかもありました。
会津は戦国時代、江戸時代、幕末といろいろと絡んでいるので、いいですよね。(ここが、群馬県人にはちょっと悔しいところです)
お城の中は博物館のように展示物が並んでいました。
2004年にお城ミュージアムとしてリニューアルされたということで、見やすく、すべてが新しい。これは当時のものをそのまま生かしている松本城とは違う感じで、これはこれでいい。
訪れたときは「会津松平家 歴代城主展」だった。
見てみると、鶴ヶ城歴代藩主の変遷は凄い。
蘆名氏(芦名、葦名)から始まり、伊達正宗、蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行、加藤嘉明、保科正之、そして、松平家。
こういった肖像画を見るだけでも歴史好きにはたまりません。
鶴ヶ城公式サイトhttp://www.tsurugajo.com/renewal/jousetu.html

平成13年(2001年)に復元された本丸内の干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋がなかなか見事でした。
鶴ヶ城

次が行ったのが飯盛山
白虎隊1

長くて急な階段を上って「白虎隊十九士の墓」を見る。
白虎隊自動販売機
これは売店の横にあった白虎隊の図が入ったジュースの自動販売機。
お土産屋さんは「白虎隊」よりも「新撰組」の方が多いような気がしましたが…。

この辺りから天候が怪しくなってきたので急いで移動。次が大内宿。これは家族のリクエスト。何度か旅番組で放送されたものを見たようです。
大内宿2
「会津と日光今市を結ぶ街道として栄え、江戸時代の風情を今に伝える宿場町。往時の面影を残す茅葺き屋根の民家が並び、国重要伝統的建造群保存地区に選定されています」と観光パンフレットにあります。確かに雰囲気がいいですね。
ネギを箸の替わりにして蕎麦を食うのが名物らしい、みんな食べてました。

天候はここで最悪となる。この日は歴史的大雨が降って各地に多被害を出した日。
ということで、近藤勇の墓、会津藩主松平家墓所、蒲生氏郷の墓、旧滝沢本陣、それに葦名家廟所などが見たかったものが、見られませんでした。(墓ばっかりですが…)

取りあえず、東山温泉の宿へ移動。
東山温泉
土方歳三図
ここには、土方歳三が戦傷を癒した岩風呂があるとか。


帰りには磐梯山がよく見えました。
磐梯山

ということで、肝心の「新田一族」ですが、これは、葦名氏と世良田氏、天海の関係のこと。
また白河郡棚倉町にある「新田義貞」に関する伝承のことです。
これは次回書きます。


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完全勝利とはこういうこと?

将棋1
将棋2

将棋ゲームで完全勝利してみました。

子供の才能って様々。「五輪の口パク事件の少女」と「コボちゃん」


ある新聞記事を読んで、思った。
最近7歳になった娘を見て、何か他の人より抜きん出た才能があるのだろうか、と。
小学校1年なので、今のところ学力がどうのこうのというのは分からない。(大天才ではないことは確か) 絵はじょうずだが、まだまだお絵かきのレベル。カケッコはそこそこで、水泳は水に顔をつけられるかどうかがやっと。まあ、「才能」と呼べるものは、まだ見つかっていない。
ただ、敢えていえば「凝り性」、いうなれば「マニアック」なところ。同じ年齢の子なら、飽きてしまうようなことをずっと続けられるということ。
ただそれは「コボちゃん
コボちゃん 2
コボちゃんをボロボロになるまで読み込んでいる。しかも面白いところに栞まで挟んで……。
作家・井上ひさしは数年で広辞苑をぼろぼろにするほど酷使するらしいが、それに匹敵するほどの読み込みようじゃないですか。
これが去年の冬から続いているわけです。
このときの記事
ちょっとオタク?でもコボちゃんというのが「通」でしょう。(これを勉強に生かしたら凄いでしょうね)
何しろ、幼稚園児のとき、伝説の「コボちゃん第7126回」を理解したのだから、これも一種の才能でしょう。
確かに、私の娘には「笑いのセンス」がある。
まだ言葉もそんなに言えない娘が2歳のころの話。所用で銀行に行って、銀行員の受付の人が「○○さん」と私の名前を読んだとき、娘が両手を挙げて「は~い~」と大きな声で返事をした。小さい子があまりにもはっきりと大きな声で答えたものだから、お客さんを始め、行員の方々から拍手が出て、しかも笑いを取ったのだ。
これも一種の才能、一芸に秀でるということです。
いいんです、いいんですよ、これで。
何でも得意とするものが一つでもあれば良しとすべし、「芸は身を助ける」というじゃないですか。

ということで、
あの出来事の続報。
開会式「口パク」問題、歌った少女は傷心状態で“遠い所”に 
北京五輪開会式での「口パク」問題で、実際に革命歌を歌っていた北京市の小学1年、楊沛宜さん(7)に関し、担任の教師が自身のブログで「楊さんは傷つき、落胆している様子だ」と近況を公表した。

 メディアの取材を避けたいとする両親の計らいで、楊さんが「遠い所」に移されていることも明らかにした。
 それによると、楊さんは今月18日夜、開会式で「口パク」をした同市の小学3年、林妙可さん(9)が出演するテレビ番組を見た。司会者は、開会式で全世界に流れたのは楊さんの歌声だったことに最後まで触れず、番組は終了。楊さんは落胆の表情を浮かべたまま、一言も話さずに就寝した。
 翌朝、楊さんが歯形が残るほど強く腕をかんでいたことが判明したという。世間から身を隠さなければならない理由も分からず、楊さんが悩んでいる様子もうかがえる
ため、担任教師は「これ以上、楊さんを傷つけないで」と訴えている。
(2008年8月23日19時30分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/news/topic/news/20080823-OYT1T00580.htm

実際に歌った少女が、私の娘と同じ7歳だ。
そう思うと、小学校1年生の子供にした仕打ちとしては、かなり残酷なことだと思った。
上記の記事を何度も読み返すと、この子の悔しい気持ちがよく伝わってきます。

しかもこの事が発覚した当初は、『沛宜ちゃんは「歌声だけでも披露できて満足、悔しくはない」』と中国五輪関係者は公表していたはずで、この少女も納得していたと伝えられていた。
それが実際は……。
そもそも、7歳の子が、これはやむ得ない事情であると納得し受け入れるなど出来るだろうか。当局がうまいことを云って、言いくるめたに違いないのだ。聞き分けのいい子だね、とか言って。
でも、この子はテレビを見て、幼いながらも現実を知ったんでしょう。
「歌を歌った方の楊沛宜という女の子はかわいさが足りなかったようだ。歯並びの悪い子を出すと、中国のイメージが悪くなると思われたのだろう」というブログ記事もあった。
容姿重視か、むごい話ですね。
腕に噛みついた跡があったというのだから、悔しい思いを悟られないよう、自分の腕に口を押しつけて泣いていたに違いない。両親に泣き声が聞こえないように……。
まさに、気の毒で可哀そうという意味の「いとおしい」の一言に尽きる。

得意としていたもの(この子は歌が上手いということ)が、かえって自分の心を傷つけてしまうものになってしまうとは……、しかも、歌を歌ったことで遠くに逃げ隠くれなければならない、なんでそうなってしまうのか理解することも出来ずに、「もう歌は歌わない」と幼な心に刻みこんでしまうかもしれません。
理不尽な話ですね。

オリンピックというのは、自分の持っている才能を発揮させ、それを大勢の人々に見せる場ではないのか。この子は、自分の才能を出して、結果、傷つき、身を隠さなければならなくなった。
体力を競ってメダルを争う姿を見て感動し、金メダルを取った選手に喝采を送る、それがオリンピックかもしれない。しかし少女の歌声に心を動かされ、そこに酷い裏話があったことを今回のオリンピックで知った。オリンピックが子供の才能の芽を摘んでしまうようなことをしてはいけない。
うわべだけの見栄えを優先させ、人の心を切り刻むことが許されるならば、それは正義、聖戦の名の下に戦争を仕掛ける大国の論理と同じだ。そうなれば「平和の祭典」という名目で行われるオリンピックはこの趣旨からずいぶんと離れていることになる。

これからこの子の運命がどう変わるのか分からない。
しかしあの歌声が多くの人々の心を動かす力があったというのは、事実なのだ。
人の心を震わせる「才能」をこの子は持っている。
それをこのような形で奪ってしまうのは、あまりにも惜しいことではないか。


呑気に「コボちゃん」を読んでいる自分の娘を見ながら、そんなことを考えさせるニュースでした。

「日本人選手がメダルを獲ってもうれしくない」とテレビで言った大学教授

北京オリンピック閉幕の日、平成20年8月24日の朝のこと。
日本人選手がメダルを獲って湧きかえっていたとき、TBSの日曜朝の情報番組「関口宏のサンデーモーニング」を寝ぼけ眼で見ていて驚いた。
日本人がメダルを獲ってもうれしくない」と言っていた人がいたからだ。
その人は、東京外国大教授・伊勢賢治という方だった。

番組後半の「風をよむ」というコーナーでのこと。今回のテーマはタイムリーに「北京オリンピック・五輪から見た現代」。ただこの番組のことかなり斜に構えていて、要は、商業主義に走っているオリンピックを批判した内容だった。結構長いVTRが流されたあと、それに対してコメンテーターが2,3言答えるといったものだった。
まず、作家・幸田真音、元サッカー選手・中西哲生が、まあそれなりにオリンピックの体質を批判し、分かったような分かんないような、コメントを言ったあと、問題の伊勢崎教授に意見が求められた。そして、伊勢崎教授が開口一番に言ったのが「日本人がメダルを獲ってもうれしくない」だった。まずいと思ったのかすぐに訂正し「いや、日本人がメダルを獲っても関心がない」と言い直した。

私、思わず「えっ、それじゃダメ押しみたいじゃん」と突っ込みを入れつつ、のけ反りました。

この教授は「アフガニスタンの選手がメダルを獲って……」と話を続けた、どうやら厳しい環境の他国の選手ががんばっているといった話がしたかったらしい。
だが、最初の一言がインパクトが強すぎて、あとにしたいい話(?)も耳に入らない。

私はこの人がどんな思想を持ち、どんな言動を行っているのか知らない。またそれに対してどうのこうの言うつもりもない。
ただ、この番組での発言は「世の中は日本人がメダルを獲って喜んでいるけど、俺はそんな一般人とは違うぞ。俺は世間に流されない、浮かれることもない。俺の考えはグローバルだ」みたいな思想を表明するために言ったように感じられた。
こういったことを言いたいのなら、一言、二言しか言えないテレビでのコメントで言うことではない。否定的な意見を言うのなら、なぜそうなのかを論理的に説明しないと、天の邪鬼、ひねくれ者にしか見えず、ただ反感を買う浮いた存在となるだけだ。

で、この人のことが気になったのでネットで検索してみた。
そして、Wikipediaを見て苦笑。
自称「紛争屋」だって。
公式の場でも「ノーネクタイ」を貫くだって。(ホリエモンかよ)
まあ、つまりそういう方だったんですね。

ただ敢えてここで一言、「本当にそんなことを思っていても、自分の胸にしまっておけよ」
それだけです。

北京五輪ソフトボール金メダル・「上野由岐子選手」と「アンパンマン」と「榛名牛乳」

北京オリンピックのソフトボールで日本が金メダルを獲った翌日、
ソフトボール・北京
群馬県の地元紙「上毛新聞」の一面。
まるでスポーツ新聞のようですが、群馬県と関連する選手が多いことから、連日このように大きく取り上げられていました。
上毛新聞の記事から、
『ソフトボール代表選手4人を送り出しているルネサステクノロジ高崎営業所の社員ら250人は、高崎市横手町の大会議室で米国との決勝戦を観戦。ソフトボール部応援団の掛け声に合わせて、初回から「ニッポン ニッポン」と大合唱、悲願の金メダル獲得を後押しした。<中略> 太陽誘電の留守番応援部隊は、同日に引き続き同市栄町の江木工場食堂の大型スクリーンで観戦。約130人が一球の行方を固唾を飲んで見守り、ヒットや得点のたびに地鳴りのような歓声を上げた。』
群馬県の企業に所属する選手は、
ルネサス高崎」から、上野由岐子(投手)、乾絵美(捕手)、峰絵美(捕手)、三科真澄(内野手)
太陽誘電」(群馬高崎江木工場)からは、広瀬芽(内野手)、坂井寛子(投手)
そして、ルネサス高崎の総監督は、宇津木妙子(シドニー・アテネオリンピックの日本代表監督)
ということで、群馬県高崎市はソフトボールのメッカなんですね。
ルネサス高崎ソフトボール部のホームページ

さて、日本テレビ・朝のテレビ番組「スッキリ」では、上野由岐子投手の特集があって、見ていてビックリした。
上野選手と榛名牛乳

上野選手の食事風景に「榛名3.6牛乳」が映っている!
まあ考えてみれば、群馬県企業の所属選手なので、群馬の牛乳を飲んでいるなんてことは当たり前なことなんですけど(榛名酪農は高崎市が本社)、見慣れているものがテレビに突然出たので驚いた。
私、ちょっと前までこの辺りの店舗にいたので、もしかしたらこれ俺が並べた「牛乳」だったかも…、もしかしたらお客さんとして見ていたかも……。
ということで意外な接点を見つけて喜んでました。

そして、上野選手は大の「アンパンマン」ファンだという。
上野由岐子
前出のテレビ番組「スッキリ」によれば、
上野選手の部屋はアンパンマングッツで飾られているが、これもソフトボールのおける「大事な精神を象徴」しているということで、「自分を犠牲にして何かを助けようとするじゃないですか。話の中でも自分の顔をちぎってあげたりとか、そういった優しさっていうか、人のためにって働けることがすごいと思うし、いいですよねこのキャラクター、好きです」と語ってました。
002_20071221111223.jpg
こういったところが好きなんですかね。

物語「アンパンマン」は、「心の中の葛藤」を描いていると私は思っているので、3連投を投げ切った責任感の強い上野選手が「アンパンマン」が好きだというのはよく分かります。「アンパンマン」は子供だけが見るただの幼児アニメではなく、奥深い話なんですよ。詳しくは「アンパンマン考」で。
(他にアンパンマンが好きだという有名人、女優の柴崎コウ、力士の雅山などがいます。)

アンパンマンが好きで、群馬の牛乳を飲んで、オリンピックで日本に金メダルをもたらした上野由岐子選手、もうただ尊敬します。
あと、私、思うんですけど上野投手の球を受け続けた捕手の峰選手もスゴイと思うんですけど…、もっと取り上げて…。

「新田義貞ファン」を増やす地道な活動

①上毛新聞  平成20年8月13日の記事から

義貞〝最期の地〟訪問
太田生品小児童ら23人、福井で地元児童と交流
太田市生品小学校6年の児童13人と引率にあたった地元の歴史愛好家ら10人が新田義貞ゆかりの地である福井市を訪問、現地の小学生らと交流、楽しい時間を過ごした。
事業は、新田義貞の旗揚げの地とされる生品地区と戦没地とされる福井市明新地区が交流を深めることが目的。2004年から始まり、昨年は同市から明新小の児童15人が訪れ、生品小の児童と生品神社など義貞関連の史跡を巡った。
小学生らは、現地に到着すると、明新小の児童らの温かい歓迎を受けた。交流会ではこの日のために作った名刺を交換するなどして親交を深めた。
また、明新小の児童とともに義貞の墓があるとされる新田神社を参詣したほか、東尋坊や水族館を訪れ、「最期の地」の雰囲気を味わった。

②上毛新聞  平成20年8月18日の記事から

太田市内の文化財を巡る「おおたんのふる里史跡探検スタンプラリー」が、夏休みを過ごす子供たちに好評だ。7月22日のラリー開始から今月15日までに約2500人が参加。スタンプ設置場所には多くの家族連れ訪れ、連日にぎわっている。
ラリーは地域の貴重な歴史遺産を巡り、文化財を正しく理解してもらおうと市教委が実施している。新田義貞挙兵の地と伝えられている生品神社や高山彦九郎記念館など市内二十二ヵ所にスタンプを設置。31日までの期間内に十七ヵ所以上押印した人を修了者として認定している。
スタンプ設置場所の1つである縁切寺満徳寺資料館は期間中、子供たちの理解の助けになるようにと、市内の国指定史跡を書いた「郷土カルタ」の札を展示。「いざ鎌倉  義貞挙兵の  生品神社」などと書かれた現在の「太田かるた」や合併前の「太田市市民憲章かるた」、「尾島かるた」などを地図とともに紹介。参加者はかるたを通して歴史を学び、地図を見ながら次のスタンプ設置場所を探していた。
ラリーに参加するには、同市教委文化財課などへの申し込みが必要。申請者にスタンプ帳とガイドマップを配布する。参加無料。問い合わせは同課(0276-20-7090)


ということで、
小規模な活動ですが、こういった地道な活動が必要なんですね。「新田一族、義貞ファン」「南北朝時代ファン」が一人でも増えればいいですけど。

「タモリと新田義貞」、「ボンジョヴィと金田一春彦」 (再録)

7日に営まれた漫画家、赤塚不二夫さん(享年72)の葬儀・告別式で参列者の涙を誘ったタレント、タモリ(62)の弔辞が、実はアドリブだったのではないかと話題を呼んでいる。

 事の発端は、代表カメラがとらえたタモリの手元の映像だ。デビュー前からの恩人である赤塚さんに思いを馳せた約8分間の弔辞は、文字に起こすと約1900字にも及ぶ長文。タモリはしっかりと紙に目を通して読んでいるようだったが、カメラに映った手元の紙はまっさらな白紙に見えた。

 これを受け、ネット掲示板では「白紙だったよ! 確かに!」「全部アドリブ!? すごすぎる!」と話題に。弔辞の中で「『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません」と読んだタモリ。「(アドリブ好きな)赤塚さんに捧げたギャグだったのでは」「恩師に見せた最後の芸だったのでは?」などという書き込みが相次いだ。


さすがタモリさん。
ということで、タモリ関連で書いた記事を再録。記事は2本で1年前のもの。

①タモリ、とっさのひと言。……人を好きになる瞬間

人を好きになったり、他人に好感を持ったりする瞬間というのは、意外なところから現れるものです。

あれは、かなり、昔だったと思います。
深夜の番組「タモリ倶楽部」のある日の放送のこと。
また例によって、下らない企画(そこが面白んですけどね)で、いい加減に演奏した曲を回答者が曲名(洋楽)を当てるといった、そんなような企画だったと思います。

確かな記憶はないのですが、出題者はクリス・ケプラーで、回答者側にはタモリ、音楽評論家の萩原健太などがいたと思います。

まあ順調に番組は進み、「空耳アワー」も終わり、コーナーが再開。

そして運命の瞬間が訪れます。

最終問題が出されましたが、難問だったのか、なかなか答えが出ない。しかも答えが出ないと番組もおわらない。そこで司会者が業を煮やしたのか、ヒントを出しました。

「答えの最初の言葉が、ニですよ。ニ」

タモリは答えに窮します。番組的にも何かオチが期待される雰囲気。何かを答えなければならない状況にタモリは追い込まれます。
そして言ったのです。

「ニッ、ニッ、ニッタヨシサダ

画面では、出演者全員がズッコケて、おいおい、洋楽の題名で「新田義貞」はないだろうと、みんなが突っ込みました。それがオチで番組は終わったと思います。

私はこの瞬間、タモリ好きになりました。

人は追い込まれたときに、本性が出るといいます。咄嗟に出たひとことは本音だったということもあります。
タモリの頭の中の「ニ」は新田義貞なのです。
心の片隅に新田義貞のことを思っていなければ、言葉となって出てこないはずです。

意外なシュチュエーションで思いも寄らないフレーズを聞くと、人は心を揺すぶられるようです。

私は、深夜の下らないバラエティー番組で、自分の好きな武将の名を聞いて、その名を口にした人を好きになりました。(この場合は好感を持ったという方が正しいかも)

これは、逆の場合もあるでしょう。

女性を産む機械なんって言って猛反発を食らったある政治家、子猫殺しは現代の警鐘だなんていったある直木賞作家。これらその一言は、心の奥底にある本性なのです。だからその発言でグサっときた人は、一瞬でその人を嫌いになる。
好き嫌いを分けるものは、案外簡単なひと言で決まるかもしれません。
意外な一言、心に響く一言、ドキッとした一言……、いろいろな一言がありますが、他人には何気ない言葉でも、自分の心に引っかかった言葉というものは結構いつまでも忘れずに残っているものですね。


②「ボンジョヴィと金田一春彦」

この2つどう考えても、結びつかないでしょう。しかし、どちらとも私が尊敬し、感謝している人々です。

では、本題。

あれは、15年くらい前だったと思います。金田一春彦さんが「笑っていいとも」に出演していたときのこと。あるコーナーで、レギュラーたちがダジャレをいい、それを国語学者の金田一さんが評価するといった、たわいもないものでした。

あるとき、金田一さんが例題として、「ボンジョヴィ」をもじって「便所び」(べんじょび)と答えたのです。そのときタモリが、「ボンジョヴィを知っているんですか」と大変驚いて、金田一さんに問い返しました。すると金田一さんは「もちろん、国語学者ですから」みたいな返答をしたのです。

私はこのとき、こういう人こそ尊敬に値する人だ、一気に金田一さんを好きになったのです。
金田一さんはこのときでもすでに高齢であり、国語学者の大権威であるから、外国のヘビメタバンドのこと(確かこのときボンジョヴィはブレイクし始めのころで、大多数の人が知っているという存在でもなかったはず)など知らなくても、もちろんいいわけです。
しかし、金田一さんはどこかで、「ボンジョヴィ」という言葉を聞いて、こういうバンドが外国で売れいるぞ、という情報をキャッチし、彼らのことを少しでも調べていたのでしょうか。そうでなければ、とっさにダジャレとして変換するといったこともできないわけです。自分の関係ない分野であろうとも、知識を得ようという姿勢は学ばねばならない、と私は知らされました。
しかも人柄のよさは、口調に、全身から出るオーラからも分かりますね。それに「べんじょび」ってあまりモジリがうまくなくて、そこがまたいいじゃないですか。

金田一さんは死去する直前までNHK教育テレビの手話ニュースなど、バラエティー番組にも出演されていた。優しい語り口で、分かりやすく解説する姿は今でも、よく覚えています。

今、息子さんの金田一秀穂さんが活躍されていますね。ちょっと荒俣宏ぽい雰囲気もあって、コミカル要素がプラスされていていいですね。あの分かり易い解説も受け継がれていて、ちと嬉しくなります。


と、タモリがらみの記事でした。

「地中海で写楽」、読売新聞ってある意味凄い。

平成20年8月4日読売新聞の一面トップに「写楽の肉筆画発見」の文字が躍る。
写楽1面

こんな記事をトップに持ってくるとは、「読売新聞」ってすごいですね。
事件・事故、経済、政治、など実社会にはまるで意味のない事ですから、興味のない人には全く関係ない記事でしょう。
しかし、私にはたまりません。

以下、本文記事を掲載。
『江戸時代の浮世絵版画の巨匠、東洲斎写楽の肉筆扇画面がギリシャ・コルフ島のアジア美術館に所蔵されていたことが分かった。小林忠・学習院大学教授ら国際学術調査団が真筆と鑑定した。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」を題材にした浮世絵で、浮世絵版画の世界から姿を消していた直後の筆と見られる。写楽の肉筆作品は極めて少なく、謎の多い絵師の実像に迫る一級品の手がかりとなる。
扇画面は端の一辺が17,4㎝。竹を素材とする中国製の「竹紙」(ちくし)を使ったと見られ、署名と花押がある。「忠臣蔵」二段目から、四代目松本幸四郎が演じる加古川本蔵と、松本米三郎による本蔵の娘、小波を描いている。
調査団によると、2人がこの父娘を演じた上演記録から、1795年(寛政7年)5月の舞台に基づく絵と推定される。写楽が役者絵などを発表した期間は約十ヶ月で、同年初めには浮世絵版画の制作をやめていることが、その後も肉筆画は描いていたことになる。
真筆と判断した根拠について、小林教授らは、①役者の表情のとらえ方や繊細な色彩など、オリジナルな表現の質などを備えている。②通常、浮世絵に描かれていない場面を取り上げており、場面の選び方がユニーク、などの点を挙げている。
コルフ島のアジア美術館は、19世紀末から20世紀初めにかけて、ギリシャの外交官グレゴリオス・マノスがパリやウィーンで買い集めた日本の美術・工芸コレクションを所蔵している。今回の扇画面もマノスが収集した作品の1つで、幕末・明治時代に流出したらしい。
小林教授は「版画では役者の表情を強調し、奇をてらうイメージもある写楽だが、この肉筆画では抑揚をされた筆致を見せている。彼の表現の本質や実像をとらえ直す上で、重要な作品となる」と話している。』
とある。
小林教授が、これを写楽の絵だと鑑定した根拠として挙げた点がちょっと妙ですが、専門家がそう言うのだから、まさしく「写楽の絵」なのでしょう。
さて、この扇画面の場面は「仮名手本忠臣蔵」の二段目とあるから、これは「桃井館の場」となるはず。
大星力弥が高師直の用向きを伝える使者として、桃井若狭之助の館へやって来て、その口上を小波が受けて、父・加古川本蔵にその内容を伝えるといったあたりの場面だろうか。扇画面には「只今 使者……」と書かれた文字が見えるから、たぶんこの場面だと思うが…。それにしても、この場面は劇としては、あまり重要なところでもないし、かなり地味ところだ。ただ、ここを絵にするという点が、逆に興味深いということになるということか。

または平成20年8月7日の文化面にも関連記事が載っていた。
『写楽作品の多くは他の浮世絵と同様、幕末・明治時代、ジャポニスムに沸く欧米に輸出された。扇画面を所蔵していたのも1世紀前の美術コレクター、グレゴリオス・マノスだ。
この貴族出身の外交官は19世紀末ウィーン大使となり、定年後もパリを拠点に、日本・東洋の美術工芸品の収集に没頭した。やがて財産を使い果たし、コレクションをギリシャ政府に寄贈。これを元に、1928年開館したのがアジア美術館で、直後、マチスは世を去っている。……』

と、こちらの記事は、コレクションしていたマノスを中心に書いてあります。
日本美術への偏愛が伝わってきます。
こういうマニアの人が、結局は、後世に「文化」を残すことになるんですね。
現代でいうところの「欧米のアニヲタ」みたいな人だった
はずです。

また、翌日の文化面に「地中海の写楽」として続きが載ってました。
『~深く流れる日本美術愛~
ギリシャ・コルフ島のアジア美術館の調査は、浮世絵、屏風や軸などの絵画、陶磁器の3班に分かれて進められた。<中略> 実に多彩なものが海外に輸出されてきたことを実感させたが、陶磁器班の調査でも明治の輸出状況を物語る作品が目立った。外国人に好まれる朱などを後から加えたらしい、染付の皿など。そんなコレクションを同館が大切に守り伝えてきたことも強調しておくべきだだろう。 <中略> コルフ島での調査の途中で、小林忠・学習院大学教授は地中海東端に位置するキプロスに足を延ばした。現地の美術愛好家、サノス・ジンティリス氏の日本美術コレクションを見てほしいと依頼されていたのだ。
海運業で成功した氏は、1960年代後半から浮世絵や象牙細工などを集めてきた。浮世絵は当初、絵師の名も知らずに二代歌川国貞の花魁図を買い、今では数百点に及ぶ。幕末・明治の作品が中心で、春画が多く含まれている。「日本美術はシンプルで美しい。性を描いても、幸福と静穏を与えてくれる」と78歳のコレクターは語っていた。
その収集品に、欧文のメモの挟まった20冊ほどの春本があった。ユリウス・クルトの旧蔵品だという。20世紀初め、写楽の評伝を刊行し、再評価を促したドイツの浮世絵研究家だ。コルフ島で写楽の肉筆扇画面に出会ったことを思えば奇縁というしかないが、欧州に流れ続ける日本美術愛の深さを見る思いがした。
氏の邸宅を辞した小林教授は、「こんなに浮世絵を大事にしてくれて、ありがたいことだな」しみじみつぶやいた。』
とありました。

ヨーロッパに「日本文化」を理解する人々が、今も昔も多くいた、ということが分かり、これは、なかなかいい特集でした。


「オリンピック」による「言葉狩り」 !?

北京オリンピックで、北島康介選手が金メダルを取って、ニュース番組やワイドショーが大騒ぎですが、ここで気になった話を一つ。

北島選手の実家はコロッケ・とんかつ屋さんですが、実家であっても北島選手のポスターは貼れないという話を聞きました。以前は貼ってあったらしいのですが、オリンピックの時期は貼ることができないというのだ。ただ「オリンピック出場おめでとう」ぐらいのものはあるらしいが…。
これはどうやら、オリンピックの協賛企業やスポンサー企業以外は、一切こういったものを使用することができないということだ。たとえ自分の実家であっても、商売に関連させて「ポスター」を貼ってはいけない、ということらしい。
JOCのマーク等の使用については(HPより抜粋)「JOCのマークおよびJOCが管理をしている選手の肖像、オリンピックをはじめとする国際総合競技大会のマーク、映像及びイメージ等の使用には、JOCの許諾が必要です。特に商業活動に使用をご希望の場合には、JOCの実施しているマーケティング活動にご参加いただく必要があります。」とある。
簡単にいえば、「使いたければ、カネ払え」ということ。(それはトンデモなく巨額であるが)

そういえば、テレビ番組「笑っていいとも」で「タモリンピック」というコーナーがあったが、JOCのお達しがあって、いまは「いいとも選手権」というコーナー名に変更された、という話をむかし聞いたことがあった。
という、私の勤めている店舗にも、本部(本社)の方から「オリンピックに関する注意事項」の用紙がfaxされてきている。要は、「オリンピック」や「北京五輪」など直接的なものから、「ニッポンがんばれ」「日本選手にエールを送ろう」「金メダル」「銀メダル」「銅メダル」「表彰台」などといったオリンピックを連想させる語句などを一切使ってはいけないといった内容だった。
以前、家電販売店がオリンピックに合わせたキャンペーンを行って、便乗商法だとJOCから訴えられたということがあったらしいが、これが大きな切っ掛けとなったようだ。

勿論、スポンサー企業から集められた資金で、選手を育成したり、施設を作ったりするわけだから、こういったことはシッカリと守られるべきであろう。ただ、感じられるのは、変な「雰囲気」が世の中に流れているということだ。
協賛企業が「カネを出さない企業」に対して規制(牽制)をしようと躍起になっているのか、それとも、一般の企業が異常なまでに「自主規制」(?)をしているのか分からない。ただ、巨額なカネが絡んでいることなので、全体が「過剰反応」になっているような気がする。特に今回のオリンピックはそれが感じられ、北京以降、なお一層この雰囲気が強まりそうな気配がある。

そして、検索してみると、こんな記事が、
『2010年冬季オリンピックに向けて「friend(友達)」、「we're next (次は私達の番)」「Sea to Sky(海から空まで)」といった日常用語から「driven by nature(大自然に駆り立てられて)」、「driven by dreams(夢に動かされて)」などのキャッチフレーズに至るまで数百もの日常用語やキャッチフレーズが続々と商標登録されている。また、一部の懸念をよそに、連邦政府はオリンピック実行委員会による商標保護を強化するため新法規設定に取り掛かっている。法案C-47号では、「2010年」を意味する幾つかの表記の他「バンクーバー」、「金」、「冬季」なども加えられる予定だ。』
http://www.mapletown.ca/news/news_detail.php?news_id=113359という。

なんかこうなってくると異常だ。どんどん酷くなっていく傾向にある。
昔は、政府や権力者によって言論統制が行われ、使ってはいけない「言葉」や「語句」があったが、現代は大企業(オリンピックのスポンサーになれるような企業)が、「言葉」をカネで買って使えないようにする時代となったのだ。これは、大企業による「言葉狩り」だ。

そのうち、「すっきり」「さわやか」「うまい」なんて言葉を買って他の企業に使わせない清涼飲料メーカーや、「安全」「早い」「地球にやさしい」なんて言葉を独占しょうとする自動車メーカーが現れるかもしれません。

追記  最後は妄想のようになってしました。

今年の「新田義貞うちわ」の図柄は名場面「湊川の戦い」

北京オリンピク開幕しましたが、
新田祭りもありました。
というわけで、今年の新田義貞のうちわの図柄
義貞うちわ2008
これです。

たぶん「湊川の合戦」だと思います。
これは、太平記巻十六「新田殿の湊川の合戦の事」の場面で、良く見ると、義貞の乗っている馬に矢が刺さって馬が倒れています。
以下は、この場面の現代語訳を引用(日本古典文庫・山崎正和訳)
「…いつものつねで、新田殿は味方の軍勢を逃すために殿軍にとどまり、くり返しとって返して戦っているうちに、いつしか乗馬には矢が七本も突き立って、馬は小膝を折ってどうと倒れた。義貞は求塚の上におり立ってしばらく乗り換える馬を待っておられたが、味方はこれには気づかなかったのか、いっかな自分がおりて主君を乗せようという者もなかった。
 これを知った敵はすぐさま囲んで討ち取ろうとかかり、義貞の勢いに恐れて近寄ったりはしなかったものの、四方八方から射かける遠矢が雨霰よりも激しく降りかかった。
義貞は薄金と名づけた鎧を身にまとい、鬼切、鬼丸という多田満仲から源氏代々伝わる太刀を腰にしていたが、この名刀を左右の手に抜き持って、上向きの矢はとび越え、下向きの矢はうつ向き、真ん中を射通す矢はふた振りの太刀を交叉させ十六本まで切って落とされた。
そのありさまは、さながら四天王が須弥山の四方からいっせいに放つ矢を、捷疾鬼(しょうしつき)が走りまわって大海に落ちるよりも早く残らず受け取ってかえる早業もかくやと思われる奮闘ぶりであった…」
と、まさしくこの場面ですね。
おー、手にしているのは、源氏の名刀、鬼切と鬼丸ですよ。
そして、後ろ(右手に見える)から馬で駆けてくる人物が「小山田太郎高家」である。
義貞が窮地に立たされているのを見つけると、馬で駆け寄り、自分の馬に義貞を担ぎ乗せ、その馬の尻を叩いて奔らせたので、義貞は辛くも戦死を逃れた。しかし馬を失った高家は、その場において戦死した。この場面も多くの浮世絵や歌舞伎の題材となったようである。
http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&gedai=%B5%E1%BD%F7%C4%CD%BF%C8%C2%D8%BF%B7%C5%C4
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-309.html

また、この地は現在の兵庫県神戸市灘区求女塚古墳公園にあたり、そこに小山田高家の石碑が立っている。Wikipediaからhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A6%E5%A5%B3%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3求女塚

この出来事が、のちの「義貞討ち死に」の伏線につながっていくように見えるのですが、どうでしょうか?



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消えた二十二巻

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