スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「黒いバナナ」に見る「ブームの終焉」

「朝バナナダイエット」がブームとなり、それについて散々文句を書いたのが約1か月前のこと。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-365.html
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-369.html
(必ずここを読んでから、以下を見てください)

そのブームも去ったようだ。

私の勤める店舗の青果担当の人が、少々黒くなり始めたバナナを半額処分で見切り販売していた。
それでも、売れないという。
しかも、明日には、売れようが売れまいが明日の予定数がきちんと入荷するという。
これは、入荷量を止めることも、減らすこともできない、という事情がある。
品不足状態が続いて問屋優位となり、事前に買い付けないと卸してしてくれないということもあり、
品切れを恐れる担当バイヤーが「まだ売れる」と踏んである程度数を押さえておく、ということもある。(なんか全盛期の「少年ジャンプ」のように返本なし、予定数買取といった状態に似ている。)
「とにかく売れてるから品物を押さえろ」といった感じだろうか。
だが現場では、売れないバナナの山が…。

バナナは、もともと食品として必要不可欠なものではないので、大量に仕入れて売るようなものでもない。輸入量(日本の買付け数)も決まっていてから、1年間にこれだけ売るという数はおのずと決まってくる。だから、突如爆発的に売れたからといって、すぐに対応できるものではない。(このあたりは前回に記事で)
だが、マスコミが煽りに煽った「朝バナナブーム」は突然火が付き、ダイエットに関係のない人までブームに踊らさせれ、「バナナ」を買い求めた。
流通業、スーパー、青果店は、極端な品不足となり、「バナナがないのか!」という客の要望に応えるために、問屋へ注文が殺到し、輸入元はバナナの買い付け量を増やした。(よって、世界のバナナを買い漁ることになる)

しかし、ブームは短かった。

品不足対応で急遽輸入量を増やしたが、なにしろ時間がかかる。このタイムラグが問題だった。
買い集めたバナナは売れることなく「在庫」となったのだ。(工場を増やした「納豆ブーム」と同じ運命)
だが、もっと悲惨なのはバナナが日持ちするものではないということ。、店頭に置いてもせいぜい2、3日が限度。すぐに変色するし、見た目に悪いものはもっと売れない。
では、他の食品のように、店で売れなければ、業者に売って加工食品にするという手もあるが、最悪なことにバナナは別の商品に加工する用途がほとんどない。(バナナチップス、バナナジュースにしたって売れる数などたかが知れている)

では、残ったバナナはどうなるのか。
いわゆる「在庫過多」「売れ残り」はどうなるかだ。
その行く末は決まっている。

廃棄ですよ。ハ・イ・キ。

日本で、どれだけの食物・食糧が捨てられていることか。(コンビニ弁当、スーパーの食材、ファミレスの食べ残し、などなど)
ここに、今回のアホなブームにのせられた「バナナ」も加わることになる。(世界の需要と供給バランスを崩してまで仕入れたものが…)

青果店やスーパーへ行ってみたら、「バナナ」売り場を見てください。少し前まで探してもなかったバナナが、今となっては山積みになって投げ売り状態の「少々色の悪いバナナ」を見ることになるでしょうから。

あれだけ「ダイエットに朝バナナだ」と騒ぎ立てた「週刊誌、雑誌」や「テレビの情報番組」は、ブームが去った後のこういった現状こそ取り上げるべきだ、と思う。
よほどダイエット番組なんかより有益なはずだ。
スポンサーサイト

天海の墓所「慈眼堂」へ。 新田義貞伝承を追う!⑥

前回の続き。

さて、「慈眼堂」です。
場所は、日光山内の西側、二荒山神社の方面にあたる。見学するには、三代将軍・家光廟「大猷院」の受付所で、「慈眼堂を見たいんですけど」と告げて、300円を払わなければならない。
受付の人は「この人、変わった人だな」という雰囲気を出しつつ、
「常行堂と法華堂の間に「慈眼堂」へ進む道がありますから、そこから進んでください」と説明をしてくれて、見開きの小さなパンフレットを渡してくれる。
日光 常行堂(ここが入口)

慈眼堂の説明を読みながら先に進む。
「慈眼堂は慈眼大師(天海大僧正)の墓所です。この境内一帯を、大黒山と称し、歴代法親王様の廟所、護王殿・阿弥陀堂・鐘楼・天海蔵書庫等当山の大切な聖域でございます」とある。

長く急なジャリ道を行く途中、石仏に会う。
慈眼堂 仏像1 この長い道を「延命坂」というらしい。
あがって分かったことだが、かなり高台に天海は眠っていることが分かった。そして、下には大猷院があるので、家光を補佐するといった意味でこの位置に慈眼堂が建てられているのだろうか。
上がりきったところに山門があり、境内に、いくつか建物があり、その奥に本堂がある。
慈眼堂 本堂

墓所はこの裏手だった。
慈眼堂 天海墓所
天海の墓石塔は六部天に囲まれるように立っていた。パンフレットには「梵天、帝釈天、広目天、増長天、持長天、多聞天」とある。
天海の墓は五輪塔で、大きさは北関東随一といわれ、江戸時代を代表する石塔、と説明がある。
この墓所の前にある線香立ての置物。ここに「二つ引き両」の家紋が見える。
慈眼堂 墓所前の置物
建物にも多くの「二つ引両」の家紋が見られる。
「二つ引両」は足利氏系の家紋である。
二つ引両

ここから、天海は足利氏系の人物ではないかと推測され足利将軍落胤説も出てくるわけだ。
ただ、ここでは詳しく説明しないが、新田氏系も二つ引両の家紋を使用していた。(里見氏、山名氏、由良氏など )
まあ、だから何って言われそうだが、これは後で詳しくやることにして、今は、もうひとつ天海が使用していたという「三宅輪宝」。
ここ慈眼堂でも多く見られました。
慈眼堂 屋根1
慈眼堂 紋
これが三宅輪宝。
三宅輪宝
下の画像は東京・上野にある「天海遺髪塔」で、門のところに家紋が入っています。
上野・天海遺髪塔
やはり、天海がこの家紋を使っていたとすれば、「三宅氏」と関わりがあることになる。
三宅氏は、児島高徳を祖とし、奥三河を発祥の地とする。
徳川・松平家と同じ地で発祥し、ともに「新田氏伝承」に関わりを持つ。
果たして何の関連性がない、と言い切れるだろうか。

さて、「慈眼堂」「天海の墓」の裏にまで回ってをつぶさに観察して、その横の小道があるのに気が付いた。この小道の下には木が添えられていて行きやすくなっている。
そこを進むと、その途中に「荼枳尼天」を祀るものが……。
ダキニ天
これは恐ろしい。詳しくはWikipediaの説明を見てください。
この小道は三代将軍徳川家光を祀る「大猷院」へ続く道。その途中に「ダキニ天」とは…。ただしこの道はここから先には行けないようになっていた。
戻って、改めて見ると、何ともいえない恐怖心に襲われた。
「慈眼堂は何かに守られている!」
慈眼堂石仏
慈眼堂 阿弥陀堂
慈眼堂 横の建物(慈眼堂横にある建物の中を覗くと、大きな憤怒の仏像があった…。外から全く見えないようにしてあり、何か封印されているような雰囲気があった。)

慈眼堂は日光山内にあって、異質な存在だ。東照宮や大猷院、二荒山神社、輪王寺などにある華やかさなど、全くない。一時間はここにいたが、「慈眼堂」を訪れた者は、私以外にいなかった。大勢の観光客であふれ返る山内の二社一寺とは、あまりも対照的でここが同じ場所にあるとは思えない。
やはり、人を拒む雰囲気を「慈眼堂」は持っているのだろう。

そんなことを思いつつ、下に降りて、慈眼堂入口にあたる常行堂の建物を仰ぎ見た。
そこに、
常行堂の彫刻
私を凝視し、今にも噛みつきそうな謎の生物の彫刻があった。

やはり、天海は何かに守られている」と確信し、私は逃げるように観光客の人ごみの中へ紛れていった。

次回に続く。





日光へ2回続けて行く。 新田義貞伝承を追う!番外編

新田義貞伝承を追うシリーズが5回目までいって、そのあとパッタリと止まってしまいました。
理由は、明智光秀、三宅弥平次(明智秀満)の家系図、家紋など、調べれば調べるほど、こんがらがってしまったためです。やはり、このあたりは、「敗軍の将」なので分からないことが多いようです。

こうゆうときは神社仏閣巡り
いつもなら、「世良田東照宮」「大光院」など近場で済ますところですが、ここは心機一転。
「天海」がらみで、今回は久々に「日光」へ。
名目上は「紅葉狩り」の家族旅行ということで、日光周辺へ一泊旅行に行って参りました。
(新田義貞伝承なのに、なぜ明智秀満や天海が出てくるのかは、過去の記事で)

まずは、明智平。
明智平 男体山
紅葉がきれいでした。
「明智平」は、「天海が明智光秀にちなんで名付けた」という天海=光秀説の証拠として必ず出される所。
ただ、これも前に書いたことですが、もし、天海が世を忍んでいたならば、みづから身を明かすような「明智」なんて名前は付けるはずがないのでは。(ただし、「明智氏」を偲んで名づけた、ということはあるかもしれない)
それに、「明智平」はもとは「明地平」で、「地を開いた、開発した」という意味であり、これは大正時代以降に付けられた地名であるという説もある。(ただし、「明地」がなぜ「明智」になったのかという疑問は残る。)
天海=光秀説はどうも弱い。
こんな話もあった。
春日局と天海が会ったときに、初対面にも関わらず春日局が「お久しゅうございます」と天海に言ったという。これをもって、天海は明智光秀である証拠だ、というのだが、この逸話には疑問が残る。
「本能寺の変」のときお福(春日局)はまだ幼児であったはずだ。いくら親類にあたるからといって、果たして光秀の顔など憶えているものだろうか。たとえ憶えていたとしても、それを何十年経ったあとで、今の顔と昔の顔を一致することができるだろうか。
またいくら斉藤利三が重臣だったといえ、家臣の娘が、主君だった者へ「お久しゅう~」などと軽い言葉を掛けられるだろうか。春日局が平伏したという話も伝わるが、もし光秀だったとすならば、そんな態度ではいられないと思うが…。
ただ、この逸話が本当にあったことで、春日局と天海が初対面でなく顔見知りだとしたら…。
ただし、天海は光秀ではない。
天海と春日局の関係を合わせていくと、明智一族の中に天海となった人物がいるのでは、と疑っても仕方ないような話も多々ある。
では、だれ……?

と、話が横道にそれていく。

そして、旅はメインの「日光東照宮」へ。
陽明門 裏手
私としては、天海僧正墓所の「慈眼堂」を見たかったのですが、なんと家族の大反対をくらい、普通に「東照宮見学」に路線変更。
「鳴竜」「三猿」「眠り猫」……。
眠り猫
そして、ここでもまた雨が…、会津旅行のときにも雨に祟られ、見られないものが多かった。肝心なときにいつも天候に恵まれない。
で、すごすごと、旅館に退散。
翌日は、戦場ヶ原でお土産買って、中禅寺湖でボートに乗り、華厳の滝を見る。
普通に家族サービス。

だが、家に帰ってから、「なんで慈眼堂を見なかったのか」と、じわじわと後悔の念が広がった。
もうそうなると、気になって、気になって、仕方がない。

「よし、もう一回行こう!」と密かに決め、会社には無理やり年休をねじ込んで、2日後にまた「日光」へ、今度は一人で行きました。(これじゃ会社で出世できませんね)

そして、久々に「慈眼堂」へ。
天海像
(画像は、神橋近くにある天海像)
次回に続く。

「挑戦的な記事」を書く人に唖然とした。

朝日新聞2008年10月23日付けの「私の視点」というコーナーで、かなり挑戦的な記事が載っていた。
書いた人は、作家・森巣博という人。

「ノーベル賞 アメリカ国籍なのに『日本人』とは」というテーマ。
要は、ノーベル化学賞を受賞した南部陽一郎氏は、アメリカ国籍なので、「日本人が受賞したのではなく、アメリカ人が受賞したのだ」ということが言いたいようだ。
まあ、それはそうなのだが、挑発的なのは、以下の文章。

 『「日本人」と呼ばれる確固たる境界をもつ人間の集団が太古の昔から存在し、その性格は、国籍や来歴とは無関係に天賦のものであって、訓練や学習を通して後天的には獲得できない、とするのがほとんどの「日本人論」の考え方だ。 しかしほんの一部の知識人を除外すれば、日本列島の居住民たちが「日本人」などという概念をもったのは、じつについ最近のことだった。すくなくとも、そこいらへんの田圃を耕していたおっさんやおばちゃんたちが、自分のことを「日本人」だと考え始めたのは、西南戦争以降だろう。明治政府の集中した教化(洗脳の別語)の成果だった。
「日本文化、日本人しかわからない」。バカを言ってはいけない。日本人しかわからないというのなら、その根拠を具体的に示してほしい。 残念なことに、そんな奇妙奇天烈な日本人論を信じている人たちが、日本ではまだまだ多数派を占めている。日本人は優れている。日本人は特殊だ。日本人の感性は繊細だ、等々。 ここまで書いたところで、文部科学省が南部さんのを米国籍としてカウントするという報道があった。だが、今年のノーベル化学賞を含め、「日本人受賞者は4人」と表現するともいう。2プラス1が4.確かに文科省が指摘するように、日本の基礎学力はひどく劣化しているのだろう。ノーベル賞受賞は、世界に誇れることである。それで、無自覚なジャーナリストや官僚たちは、どこから眺めてもアメリカ人の研究者を、日本人と呼び換えた。そうする理屈に窮して「米国籍で日本人」なる珍妙な存在まで創り出しながら。」

とあった。確かに、アメリカ国籍だからアメリカ人だという主張はわかる。
だが、この挑発的論調、文脈の底に流れている「悪意」は何なのだろうか。

そこで森巣博なる人物を検索してみた。
日本ではなく、オーストラリア在住。
職業、「国際的博徒」
自称、「チュウサン階級」(「中3程度」の知識水準という意味らしい)
プロフィール、「非国民栄誉賞」を生涯目標とする不良中年、と自ら書いてありました。

で結局は、何者?
「日本人がメダルを獲ってもうれしない」と言った大学教授・伊勢崎賢治も「自称・紛争屋」だと言ってましたが、この手の人ってなんか「妙」ですね。自己顕示欲が強すぎて、注目されたくてわざと際どいことを言うタイプと同じかもしれない。
そして、死刑制度廃止論者。
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_morisu.html
ここに、大層ご立派な「死刑廃止に向けたメッセージ」が載ってました。
私はこれを読んで、あまりのアホな論理にのけぞりました。
これって、「ギャグ」ですよね。もしこれを真剣に書いているとしたら、無差別殺人者並に精神が破たんしている。でも、これも朝日新聞に載ったという。
http://empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/10/post_ddd8.html このブログの方は激怒してます。

こんな人が「珍妙な」論法を振りかざして「日本人論」「死刑制度」を書き、それを、「朝日新聞」が堂々と掲載する。やはり、これはかなりおかしなことだと思う…。

と、ここから、大阪府知事・橋下徹氏なみに「大新聞社」へ罵詈雑言を連ねようと思ったのですが、地雷を踏みそうなのでやめておきます。

ところで、「週刊金曜日」つながりで、あの例の劇団「他言無用」はどうなったの?



農耕民族の日本人に、プロ野球の「クライマックスシリーズ」は馴染まない!

大雑把な話を書きます。

まず、「世界の日本人ジョーク集」早坂隆著(中公新書ラクレ)から、

ロウソクのわけ
 あるアメリカの大学の期末試験。日本からの留学生スズキは合格だったが、アメリカ人のジョンは不合格だった。ジョンは言った。
 「試験に合格するようにって聖ペテロにも聖母マリアにもロウソクの炎を灯してお祈りしたのに、不合格だなんて」
それを聞いたスズキがいった。
 「僕もロウソクを灯したけどね」
 「そうなのかい?君たち日本人も、聖人にロウソクを灯すのかい?」
 「そうじゃないよ。ロウソクを灯して徹夜で勉強したんだ」

これは「日本人の勤勉性について」というところで紹介されたジョークで、欧米人は「日本人を努力を惜しまない人々」と見ていることが分かる。面白いのは、成功するには、欧米人は「神に祈る」、日本人は「努力」だということ。
またこの話が「冗談話」に聞こえないほど、日本人はみずから「勤勉だ」と自任しているのではないだろうか。そして、努力したものにはそれなりの「報い」があると、日本人は信じている。

で、話は変わる。
先日、会社帰りの車の中でラジオを聴いていたら、番組内でかなり怒っている人がいた。
リスナーが電話で意見を言い合うといった企画で、テーマは「プロ野球のクライマックスシリーズ」だった。
どこが優勝するか、といったことよりも、クライマックスシリーズの「制度」そのものに怒っていた。
3位の中日ドラゴンズが2位の阪神タイガースに勝ち、これで、もし1位の巨人・読売ジャイアンツに勝って日本シリーズに進んだら、「今までリーグ戦で優勝した意味がない」といった内容であった。
また続いて出てきた人も同じような意見を言い「半年かけて戦って優勝したのに、数試合して負けたからといって「日本シリーズ」に出られないのは、納得がいかない」、「それでは今までの努力が報われない」「がんばったのに可哀そうだ」といった人もいた。

これを聞いて何となく「日本人」らしい考えだな、と思った。

これって、農耕民族といわれる「日本人」の気質がよく出ている、とも思った。
日本民族は数千年来、水田稲作を中心にした定住型農耕民である。(もちろん非農耕民もいるが、ここではあくまでも農耕民を中心とする)
作物を栽培し育て、その実りを収穫する。それには長い期間を要するわけだ。
つまり「コツコツ」働いた者は、その努力に見合った「喜び」を得られる、といった考えだ。
目標実現のため心身を労してつとめ、その「勤勉性」に美徳を感じ、またその努力には報いがあって、そこに「よい結果」があると信じている。これが日本人の気質だということ。
ここに、プロ野球の「長いリーグ戦」を「農耕」に見立ててみると分かりやすいのだろうか。「コツコツ」と勝ち星を積み重ね、努力したチームが報われて優勝する。ちょうど時期も「春に田植えで秋に収穫」「春に始まり秋に結果」というのも同じで、こういった季節感も重ね合わせてみると面白い。そうなると、農耕社会で収穫を感謝する神事「秋の祭り」は、野球でいえば一年間行われたシメにあたる「日本シリーズ」と似ていて、ともに年に一度の「祭礼」にも通じる。

これに相対するのが、欧米人の「狩猟民族」といった考えだろうか。
狩猟というのは「運、不運」に左右される。よって、「神」の存在が重要になる。
磯部忠正著「日本人の信仰心」(講談社現代新書)には、
「ユダヤ教・キリスト教発祥の地が砂漠であり、これを奉じた民族が遊牧の民であったことを思えば、羊や山羊とともに生活し、同時に羊や山羊を主たる食糧としていた彼らにとって、これらの動物を殺して食べることは、われわれが空気を吸って生きるように、生きることの大前提である。そこに罪とか憐みの情さえおこる余地はないであろう。自分たちの日常の食糧とならない動物を殺したり、食べたりすることについて、彼らには道徳的反省や宗教的判断が生ずるのであるが、それも聖書で示されたとおり、人間が動物とは別の存在で、動物一般の上に位置するという前提に立っている。……」「狩猟や牧畜や漁労の生活は、生命の危険をともなうかわりに、積極的な、果敢な生活を生き方である。そこに生まれる神観や死生観は、おのずから思い切りのいい、透明感なものである。 しかし定住農耕民は、……」
などとある。
つまり、狩猟・遊牧民にとっては、神への服従、祈りが大切となり、日本人・農耕民と大きな違いを見せる。
牛や豚は神が人に与えてくれた(作ってくれた)ものと考え、またすべてものが神から人間に与えられたものと、キリスト教徒は考えている。
だからこそ神から与えられたものを生かした者が称賛される。
それは物ばかりではなく、才能や能力なども神からの贈り物・「ギフト」だと考えたりする。才能のある子供が「神の子」と呼ばれたりするのはその一例。だが日本人は才能は養われるもの、自ら努力して身につけるものと考えている。
よって先ほどの「世界の日本人ジョーク」のローソクの話は、欧米人と日本人と宗教観、思想観の違いをよく表している。

これを踏まえて、「野球の話」に戻る。
さきほどのラジオの人、長いリーグ戦を制したチームが「日本シリーズ」に出られないのは「おかしい」といった件だが、もし、下位のチームが短期決戦で勝ったとしても、それはルールであり、勝ちは勝ちなのだからいいことなのだか、なぜか「トンビに油揚げをさらわれる」ような感じがして、どこか釈然としないものを感じるらしい。しかも、一般的日本人は、タナボタ式に得をした人を、なぜか「ずるい」と感じるようだ。
一方、アメリカ人はそんなことを思うのだろうか。いや、ここが日本人と違い、アメリカ人は「勝ち上がってきた者」こそ称賛されるのである。
アメリカ人の考えでは、「アメリカンドリーム」「フロンティア精神」といった言葉が大好きで、「チャンスを生かす」「征服して開拓する」といったことに美徳を感じる。
こう見ていくと、アメリカ人は「石油を掘り当てて金持ちになった」とか「チャンスを生かして一夜にしてヒーローになった」とか「ラスベガスで一攫千金で大儲けした」、「ウォール街で、株で儲けて大富豪」といった話が大好きで、また美談ともされる。
よって、チャンスを生かして、ワールドシリーズで勝ち上がっていったものを「勝者」とする。
(これはインディアンや原住民を征服した「キリスト教徒」の考えにも通じる。)
この「チャンス」「機会」は神から与えられると、欧米人は考えている。これは、羊や山羊は、神が人間に与えてくださったものと信じている狩猟民族的考えと同じである。

昨今のマネーゲーム、株の売り買いで利益を上げるといったことも「アメリカ人」は好み、反対に「日本人」は、「IT社長が濡れ手に粟で大儲け」「成金主義」なんて者を軽侮し、反発し、「苦節20年で、ノーベル賞」「生涯一筋、本業に励む」なんて話を喜ぶ。
宗教観の違いが、価値観の違いとなってくるわけだ。
他の民族が喜ぶようなことも、日本人には馴染まないことだってあるということだろう。

で、結論として、同じ野球でも、アメリカ・大リーグで行われている「ワールド・シリーズ」出場権は、アメリカ人の感性をとらえたやり方であるが、農耕民族的考えの日本人には「クライマックスシリーズ」は合わない、ということです。
(これはあくまでも私個人の見解なので、そんなことはないといって怒らないでください)


さてこれだけ「農耕民族」「狩猟民族」と書いてきたが、
実はこの分け方はないようだ。
詳しくは、
ヤフー知恵袋http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011236510
教えてgoo!http://oshiete1.goo.ne.jp/qa76436.html
などで、確かにこの通りです。

ただ重要なのは、「日本人って農耕民族だよね」と自ら言い、自らが認めて、それが広く浸透しているという事実。

これは日本人は「自分たちが農耕民族だ」と思うのが好きだということだ。
「農耕民族」の言葉の中に「勤勉」「真面目」「忍耐」「努力」といった意味が含まれていて、日本人の美徳とするものがそこにあるからだ。「それに反して、狩猟民族の欧米人は…」という意味でも使われている。

そう考えていくと、「農耕民族、狩猟民族」なる分け方は、「民族学」的には間違っているけど、日本人を理解する上で「民俗学」的にはとても興味深い事柄だ、ということになる。


追記  この記事のあとに、セ・リーグは巨人が勝ち、パ・リーグは西武ライオンズが勝って、「日本シリーズ」に進出しました。それぞれ長いリーグ戦を制したチームでした。
そのとき巨人ファン、西武ファンでなくても「あ~、よかった」「「苦労が報われた」なんて声が上がり、「3位のチームが勝ったら申し訳ない感じがして、ある意味、ほっとした」と言った中日ファンもいたようです。(テレビの街頭インタビューで見た)
「やっぱり、リーグ戦を優勝したチームが勝って良かった」と思った人は「標準的日本人」だということではないでしょうか。

訪問者数10万で、「拍手」が903個。 ということで「ベスト10」

当ブログ訪問者が10万を超えました。
開設してから約1年半で、この数字が多いのか、少ないのか分かりませんが……。
ただ、このところ訪問者は多くなっていると感じています。

そこでついでに、このブログについた「拍手」の数も数えてみました。

当ブログが789個、小説「東毛奇談」掲載サイトが114個、
合計、903個
お~これは多いと思います。(素直にうれしい)

というこで、どの記事に「拍手」がついているか集計してみました。

10位は、北京五輪ソフトボール金メダル・「上野由岐子選手」と「アンパンマン」と「榛名牛乳」 で、17個。

9位は、光市母子殺害事件の「被害者は1・5人」赤子は0.5人でカウント、青山学院大学准教授・瀬尾佳美と「青山学院高等部の入試問題」 関連記事で、計18個。


8位は、一連の「徳川埋蔵金」関連の記事。あちこち書いてあるものをまとめると合計で、18個。

7位は、TBSクイズ番組での「鶴ヶ城」騒動など関連記事で計25個。これに関連して『歴史の話なんて全部ウソ、司馬遼太郎の話もや」島田紳助の暴言に激怒 』なんてのもありました。

6位は、3階建ての豪邸で、母親の愛を求めて泣き叫ぶ子供は、きっと幸せではない。  これは昨今の幼児虐待などの事件について書いたもので 「ひなまつり」と「金子みすゞ」と「アフガニスタンの女性たち」 、「昨今の幼児・児童虐待事件」と「求められる呑龍の精神」 のもの合計して、24個。

5位は、新田義貞伝承を追うシリーズで、24個。こちらはまだまだ続くものです。

4位は、なんと、「宮崎県・東国原知事批判」の記事。知事を批判した記事に拍手がつくなど1年半前では考えられないことで、最近とみに増えてきました。合計31個。

3位は、 「アンパンマン考」で、合計38個。もう、これは結構褒められました。自分でも好きな記事です。しかも、なぜか、心理学のところにリンクされているとのこと。

2位は、テレビ番組「新説!?日本ミステリー」の記事で、合計52個。特に「新説!?日本ミステリー・関東・謎の日本王国」のまとめ、そして太田市 」だけで26個でした。
最初は、毎週その都度まとめてましたが、間に合わなくなってやめてしまいました。それでも「日本ミステリー」ではヤフー・グーグル検索の上位に出てしまうので、番組内容を知りたい方がやってくることが多いようです。

1位は、ゲ~、なんと「人によって常識の尺度は違う。 神田うのって 」だった。しかも、ダントツの72個。
ちょっとショック。懸命に書いた「アンパンマン考」や「新田義貞伝承」よりも、多いなんて……。
ただ、「都市伝説化」しているこの話、探し求めている方がかなりいるようで、やっと読めたという感謝みたいな気持ちで「拍手」を押していく方が多いようです。しかも「ヤフー知恵袋」にリンクを張られたことから、ここからくる方も多い。

とほかに、「朝バナナダイエット批判」が計14個。「草津温泉コンビニ出店」が13個。「秋の夜長の奇妙な話」が13個。「斎藤佑樹クンは新田源氏の生まれ変わり」関連記事が13個。「皇后・美智子さまと家康と新田源氏」が11個。「デマ、うわさ真相シリーズ、ぐんま国際アカデミー批判」が10個。「諸星大二郎、エヴァンゲリオン」関連が10個。「千利休は新田一族の末裔か」関連が9個。「太田女子高vs足利女子高」関連が9個。「沢尻エリカ=アスカ・ラングレー論」関連が8個。「世界遺産・平泉落選」が8個。などとなっています。

時間、労力もかけたのに、全く拍手がつかないものもありました。
「時をかかける少女」をめぐる話。、 「蘇民祭ポスター」に感じる「恐怖心」。 、 「恵方巻きとは何か その2    恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか(仮説) 」   「朝青龍マレビト論
大発見。国宝・挂甲の武人埴輪は誰かと戦っていた!  などなど。これらは「神田うのの話」よりも、好きな記事なんですけどね。

さて、では肝心の歴史ミステリー小説「東毛奇談」はどうかというと、
掲載サイトの数のものすべてを含めると、
合計184個でした。
不思議なのは、6章「徳川埋蔵金のこと」が25個で、終章「内侍と世良田氏のこと」が62個となっていて、終盤の方が「拍手」が多い、ってことです。
何故でしょうか。
こういうのって、大概、最初の方は読む人が多く、後に続くほどドンドン読む人が減っていくので、それに比例して拍手数も減っていく、と思うのだが…。
この現象は実に不思議だ。

ということで、これからも「拍手」よろしくお願いします。

各地で「新田義貞」「新田一族」を祀る大祭が行われました。しかしその一方で、群馬県太田市は……。

福井の藤島神社で新田義貞を祀る「大祭」が行われたようです。
まずそれに関連した記事を拾ってみました。

新田義貞の無念しのぶ 福井 没後670年を記念して祭

本殿で奉納された雅楽の舞(藤島神社で) 南北朝時代に南朝方の武将として活躍し、現在の福井市で非業の死を遂げた新田義貞の没後670年祭が11日、同市毛矢の藤島神社(山本隆重宮司)で営まれた。
 義貞は上野国(現在の群馬県)の出で、後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵し、鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ。建武の新政を経て、北朝と南朝に分かれて争いが始まってからは南朝の中心武将として各地を転戦したが、1338年に同市内で戦死したとされる。藤島神社は義貞の霊を慰めるために1870年に創建され、義貞のものと伝わるかぶとなどをまつっている。
 祭は同神社奉賛会などの主催で、県内の企業経営者や神社関係者、義貞の子孫ら約140人が参列した。本殿では、県雅楽会が雅楽を奉納したほか、同市新田塚の住民でつくる詩吟グループが詩吟「新田義貞」や唱歌「新田義貞公をたたえる歌」を披露。参列者は義貞の悲運に思いをはせた。
 北海道旭川市からやって来た同市立春光台中1年、新田大地君(12)は、小学生のころに夏休みの自由研究で義貞ゆかりの土地を訪ね歩き、同神社も訪れたことで祭に招かれたという。「神聖な儀式を体験できて良かった。義貞は頭が良く、心優しい武将。でも、中学の歴史教科書ではほとんど扱われていないので残念。もっと多くの人に義貞の功績を知ってほしい」と話していた。

(2008年10月12日 読売新聞)


新田義貞の遺徳しのぶ 福井・藤島神社

福井の地で戦死した南北朝時代の武将、新田義貞の没後670年記念祭が11日、福井市毛矢3丁目の藤島神社で開かれた。神事では義貞の功績をたたえた唱歌、詩吟などを奉納。ゆかりの越前松平家、新田家の現当主はじめ来賓、奉賛会会員ら約140人が参列し、遺徳をしのんだ。
 雅楽が流れる中、同神社の山本隆重宮司ら神職7人による神事が厳かに営まれた。松平家20代目当主、宗紀氏、新田家26代目の陽子氏ら参列者が玉ぐしをささげた。
 義貞戦没の地とされる明新地区から、細川嘉徳さん(73)〓新田塚2丁目〓ら詩吟の愛好家9人が詩吟「新田義貞」を奉納、続いて唱歌を披露した。この歌は同神社の初代宮司が作詞したもので、物寂しげな曲調に、参列者はじっと耳を傾けていた。細川さんは「戦中までは学校でよく歌われていた。義貞公は地元の誇りであり、これを機に歴史を知ってもらえれば」と話していた。
 記念祭は、同神社本殿の改修が成ったのを機に、義貞の功績を見直そうと奉賛会を中心に計画した。
(福井新聞 10月12日)


武将のように勇ましく 新田義貞没後670年で稚児行列
10月5日午前8時00分
新田義貞公の没後670年を記念して行われた稚児行列=4日、福井市毛矢3丁目
 南北朝時代の武将新田義貞公が祭られている福井県福井市毛矢3丁目の藤島神社で4日、没後670年を記念した稚児行列が行われた。きらびやかな衣装を身にまとった幼児、児童325人が父母らに手をひかれながら神社周辺を練り歩いた。
 記念祭は、今年没後670年を迎えたことと、昨年の本殿改修を節目とし、同神社奉賛会が中心となり企画。11日に開く記念祭に先立ち、子どもたちに義貞に親しんでもらおうと稚児行列を行った。
 子どもたちは薄化粧に華やかな衣装をまとい、雅楽隊の奏でる厳かな音色に合わせて、福井商工会議所ビルから藤島神社までの約2キロを歩いた。大鳥居前から社殿まで続く約200段の階段も同神社の山本祥嗣権禰宜(ごんねぎ)を先頭に、一歩ずつゆっくり上がった。

 行列は父母らを合わせると約1000人に上り、同神社付近は見物客も訪れ大勢の人でにぎわった。参加者らは拝殿に着くと手を合わせ、義貞の勇ましさにあやかって健やかな成長を祈った。家族で参加した同市和田中の竹澤佑未さん(7つ)は「階段がつらかったけれど、きれいな衣装を着て楽しかった」と話していた。

(福井新聞10月5日)


地元群馬県太田市よりも、死地となった福井県の方が盛大に行われる。
まったくもって冷たい、地元「太田市」
「新田義貞」「新田一族」を祭るものが行われないとは……。

(「鏑矢祭」はあくまでも鎌倉幕府討伐の挙兵を模したものであり、新田一族の魂を祀るためのものではない)
また新田義興を祀る「新田神社」(東京都大田区矢口)でも今年、大祭があったようで、こちらも大盛況だったようだ。
悔しいので、どんなことをやったのか、載せておきます。


【新田神社鎮座650年大祭】

<祭礼>
鎮座650年大祭 行事日程
●10月4日(土)
 ※「木遣り・まとい振り(江戸消防記念会)・稚児 行列」
   午前11時30分頃より12時30分くらいまで
 ※引き続き 境内で「はしご乗り」披露
 ※「新田神社鎮座650年大祭記念勧進 薪能」
   午後5時より7時くらいまで
●10月5日(日)
 ※「神輿渡御・神幸祭の大行列」
   午前9時より午後2時くらいまで
 ※「子供獅子舞・日本舞踊」
   午後4時30分より5時30分まで
 ※「和太鼓の演奏会」
   午後5時30分より6時30分くらいまで
 ※「宝物殿 特別公開」
   午後4時より9時まで(無料)
 ○4日また5日が雨天の場合、「能・狂言」「和太鼓の演奏
  会」は、地元 矢口西小学校の体育館で上演いたします
  天候不順な時は、当日のこのブログをご覧ください。
 ●10月10日(金)
  ※「鎮座650年大祭 大祭式」
   午前11時より
  ※「立身流 古武道演舞大会」
   午後1時30分より3時すぎくらいまで
  ※「宝物殿 特別公開」
   正午より午後3時すぎくらいまで(無料)
新田神社ホームページhttp://www.nittajinja.org/top.html
とあった。


太田市がこんなことをしたのは見たことがあるだろうか。


邦光史郎著「中世を推理する」(集英社文庫)では「(文化遺産を盛んに盛り上げる足利市に比べて)向いの新田の方は太田市で、いまは工業都市で、特にどうという所ではないが、金山の上に、新田神社ともいう金山神社がって……見晴らしはよいが、何もないところである。」と書かれている。
ほんとうに「新田氏」「歴史」に対して「太田市民」はあまりにも冷たいという印象は、かなりの人が受けたようで、その荒廃ぶりに驚くといった有名作家や紀行作家の記事を何度か見かけた。
新田次郎氏は小説「新田義貞」のあとがきで「新田義貞の出生地よりも遠くなるほど、義貞への評価は高いように思われる」と書いたが、このことがそのまま当たっている、ということになっているようだ。関連記事

では新田氏史跡の残る地元「太田市」はどうかというと…。
旗・2
これは「新田氏累代の墓」がある「円福寺」にあった「新田氏の幟」。色褪せていて、ボロボロでした。
ほかの所では大河ドラマ「太平記」のときの旗がいまだに立ってました。
それは見るも無残な光景です。「放置」というよりも「忘却」といったところでしょうか。
鈴・2
これは「生品神社」の鈴。かなりボコボコで、振っても音は出ません。
「生品神社」は立派な「国指定史跡」ですが、ここでさえこんな状態です。
「鈴」は5~6万円くらいだそうです。(私にお金の余裕があれば寄進したいところです)
太田市は「グンマ国際アカデミー」に何億円もつぎ込んで、こういった文化遺産には「ほっらかし」はないんじゃないの。  
とまた、愚痴が始まってしまいそうなのでここではやめておきます。関連記事① 、関連記事②
新田義興 遺髪塔
これは「新田義興」を供養する寺「威光寺」にある遺髪塔。ポツンと寂しいかぎり。余りにも侘しすぎる。
東京都大田区の「新田神社」を見ると、これって本当に同じ人物を祀っているのか、と疑いたくもなる。
義貞の首塚と内侍の墓
これは群馬県旧尾島町「花見塚公園」にある「勾当内侍の墓と新田義貞の首塚」
とりあえず、石を置いときました、っていう印象を受ける。
他の地にある「勾当内侍の墓」や「新田義貞の墓」などから見たら、どうにもならない状態で、いや、もうすでに忘れられた存在。それとも、なかったことにしているのか。

他の新田氏を祀る社寺を見た人に、「本当に、この地から新田義貞や新田一族が生まれたのか?」と問われたとしても、こんな状態では素直に「ハイ」と言えないのではないか。
どうにかならないのか?

これを踏まえて、もう一度「福井の藤島神社」の記事を読むと、地元「太田市」の盛り下がり方がよく分かります。

追記 この話には後日談があります。関連記事

「日本史ファン」「歴史モノファン」は増えているのか?

読売新聞 平成20年10月17日の記事から

歴史人物像“イメチェン” 実証的「伝記」刊行が盛ん

賄賂政治家として悪名高い田沼意次が商業に注目した開明的な政治家として、教科書が書き換えられるなど、近年、歴史上の人物のイメージが変わり始めている。より実証的な研究が深まっているためで、歴史離れが進む中、まず人物を入り口に関心を持ってもらおうと、人物史シリーズの出版も力が入っている。 <中略> 人物叢書は、東京大学史科編纂所の大日本史科に含まれる人物記録「卒伝」(そつでん)のように、まず基本的な事実を確実に押さえることを目指している。卒伝は、何年何月に何があった、と記録する構成だが、人物叢書では、それに加え、歴史の流れの中での位置づけも探ろうとする。また、5年まえから刊行が始まったミネルヴァ書房の「日本評伝選」シリーズで刊行もすでに60冊を超え、ハイペースで刊行が進んでいる。 
戦前に、大化の改新、建武の新政、明治維新のころの人物などを英雄視して描いた反動で、戦後の教科書では、歴史的事象が中心で、人物そのものを大きく取り上げることはほとんどない。このため、歴史上の人物のイメージは大半が、少年少女向けの伝記やテレビドラマで形作られているのが現実だ。それだけに、学術的な観点から、一人の人間に絞って記述する人物史シリーズの意義は大きい。
五味文彦・放送大学教授(日本中世史)は、「史料の読み込みなど、歴史的研究の質が向上してきて、多くの人が人物史を手がけるようになった」と現状を分析する。ただ、「史料は重要だが、史料と史料の間にあるものも大事。そのために、人情の機微をとらえる人間観察力も必要だ」と話している。」 (鷲見一郎・記者)

とあった。
興味深いところを太字にしてみました。
確かに戦前・戦中で英雄扱いされていた「楠木正成」「新田義貞」なんてまさにその煽りを受けてますね。南北朝時代はタブー視されてますから、手つかず状態。どうにもなりません。

また、こんなニュース記事も見た。
若い女性に「戦国武将ブーム」 「写真撮らせて」「甲冑着たい」
Jcastニュースから http://www.j-cast.com/2008/10/12028334.html

『伊達政宗や真田幸村、長宗我部元親といった戦国武将が若い女性のあいだでブームになっている。戦国時代を扱ったゲームソフトや大河ドラマの影響のせいか、武将ゆかりの地や博物館などで女性の姿が目立ち始めたのだ。
ここ1~2年で「長宗我部元親ファン」が増える
「ゲームの影響なんでしょうか、最近若い女性が増えてきているのは確かで、(参拝客の)90パーセント以上は若い女性です。昔にはなかったことで、ビックリしてます」
と話すのは、高知市の若宮八幡宮の大久保千尭宮司(65)。戦国武将の長宗我部元親が戦勝祈願したとされる同神社に若い女性の参拝客が増え始めたのはここ1~2年のことで、女性客はどうやら「長宗我部元親ファン」らしい。大久保さんは「(坂本)竜馬さんは全国区だけど、まさか元親がそういう対象になるとは」と驚きを隠さない。
突然の「元親人気」を受けて、神社では元親にちなんだミニチュアののぼりや絵馬を製作したところ、売れ行きは好調という。境内には長宗我部元親の銅像があり、こちらも「かっこいい」と評判に。神社周辺にも元親ゆかりの史跡もあり、人気スポットになっているようだ。
「(長宗我部元親について)びっくりするほど知っていて、こちらも勉強しているんですが、逆に質問されたりして。刺激になりますね」
と大久保さんは話す。
こうした戦国武将人気はどうやら全国に広がっているようだ。真田幸村ゆかりの地である長野県上田市では、毎年春に真田一族を模した武者行列がメインとなる「上田真田まつり」が開催されるが、08年4月29日の祭りでも女性客の姿が目立った。同市観光課はJ-CASTニュースに対して、
「若い女性のファンが多くて、甲冑を着た武将と写真を撮りたいという方もいます。女性ファンが増えたのはここ1~2年のことだと思います」
と話す。真田家の家紋である「六文銭」のマークの入ったお土産などを買う女性の姿も多く見られるという。……以下略』

どうやら、人気ゲーム「戦国BASARA」が火付け役となっているようですが、これはこれでイイですよね。

ほんとうに「日本史」を取り巻く状況が変わってきているように感じる。
「歴史ファン」とまではいかなくても、「歴史モノ」に興味がある人が増えたと感じるし、テレビの話題で「徳川埋蔵金」、「篤姫」なんてことが世間話に出てくるなんてこともある。(野球やサッカーの勝敗の話をするように)
昔なら「歴史好き」というのは、オジサンの専売特許みたいなもんで、大概「郷土史家」とか「神社仏閣・お城・古墳・墓巡り」とかいった少々暗い面があった。そういった暗い面がはずされつつあるのだろうか。(これは私の偏見)
ただ、実際に「裾野は広がっているな」、という印象は受けます。

こういったことは、テレビ番組にも影響しているのか、「歴史モノ」を扱うレギュラー番組はここ最近確実に増えた。しかもその中でも2時間、3時間といったスペシャル番組を放送することも、ここのところ多くなっている。少し前なら考えられないことだ。
今まではNHK「その時歴史は動いた」ぐらいで、あとは、民放でも単発であるくらいだった。
それが、いまではゴールデンタイムで長時間放送されている。
巨人の優勝がかかっている試合をやらずに、「歴史モノ」を放送するなんてこと昔なら考えられないことですよ。
視聴率的には10%前後らしいが、これでも「意外にも見ている人は多んだな」と私は思う。
大河ドラマ「篤姫」がヒットして、これが民放にも影響し、普通のクイズ番組でも特集されていたりする。こんな現象もここ何十年なかったことだ。
やはり、「歴史モノ」は確実に増えている。

また、歴史に関する本も増えた。本格的なものではなく、ワンコイン本、新書、歴史雑学の文庫など手軽に買えるものや、ムック本、歴史ミステリーの本などのビジュアル的に見やすいものなどが、かなり多くなっているように思う。
これも、間口が広がり関心を持った人が増えているということではないのか。

まあ、いい傾向です、
「日本史」ファンが増えるといった意味では。

しかし、少し不満が、
これだけいろいろあっても「南北朝時代」は一つもないんですよね。

残念。
でも、
これって、本当は「狙い目」なんですけどね。

TBS「徳川埋蔵金」テレビ放送のまとめ 「キミハ・ブレイク」編

2008年10月14日夜20時からTBS「バラエティーニュース キミハ・ブレイク 」で「徳川埋蔵金」を放送分をまとめました。
ただし、前回の部分を読んでください。(地図、解説等はそちらで)

8時にTBSで「徳川埋蔵金」が始まったのですが、その少し前7時40分ころからテレビ東京「新説!?日本ミステリー」で「篤姫は勝海舟の愛人で、将軍家茂を毒殺した」というトンデモ説を紹介していた。
なんと、同じ時間帯のゴールデンタイム・しかも民放で「篤姫」がダブルブッキングという珍しい光景が起こっていた……。
しかし残念なのは、両方とも「キワモノ」だということ。
いかに大河ドラマがヒットし、それに便乗したものが多いかということですかね。

さて、本編ですが、相変わらず長い前フリ。
そして、掘って、掘って、堀まくる。
「今回は可能な限り深く掘る」なんて言ってますね。
深く掘ればいいってもんじゃないのに、そもそもあるわけないのにね(断言してます)
埋蔵金10


いつものように幕末・小栗上野介(忠順)の紹介VTRが流される。
小栗役には金子昇か。(これはイメージ違うな)
解説には、著作に「小栗上野介」もある歴史小説家の星亮一と江戸研究家の安藤 優一郎
「フランス取材」や「林鶴梁の資料」は前回と全く同じもので使いまわし。ということはあまり新しい解釈はないようです。9年も経っているのに、進展なしか。だったら、そのまま再放送すればいいのでは。
埋蔵金11
なんか今回は何となく「まったり」とした感じがします。前回の1999年の時のほうが生放送だという「緊迫感」があり、埋蔵金が出ないという「戦いに負けた悲壮感」があってよかったな。

さて、今回も小栗上野介を「徳川埋蔵金」の首謀者にしてますが、ここで幾つか重大な間違いがあります。①何度も言ってますが、小栗が幕府最後の勘定奉行ではありません。小栗の後任には、会計総裁に大久保一翁がなっている。江戸城を去るにあたり、引き継ぎが行われるのは当たり前のこと。そこに御金蔵に金がないなんてことあるわけない。ちなみに大久保一翁は勝海舟の盟友。
②小栗斬首は4月6日、江戸城開城は4月11日。御金蔵に金がないのを死んだ小栗の所為にしている。VTRでは前後を入れ替えているので、作為的に小栗が御金蔵を隠したよう作られている。
③番組VTRでは、篤姫が江戸城を立ち去る際、すべてを持ち去ったように作られているが、実際には何ひとつ持ち出していない。「最後まで江戸城にとどまりいよいよ立ち退くというときも彼女だけは、身の回りの調度家具を一切運び出さずに、身一つで一橋家へ移った。『あたふたと財宝を背負って逃げたと思われるのはくやしい。徳川家の大奥がどんなにみごとなものか、長州、薩摩の者どもに思いしらせてやるのだ』 床の間の掛け軸も、金銀の飾り物も、そのままにしてあったという。」(永井路子著「歴史をさわがせた女たち 日本編」文春文庫から)
このVTRでは、篤姫が「御金蔵の黄金」を運び出したように見える。
埋蔵金12

それにやはりタイトルに偽りありで、今回の放送を見ても、篤姫は「埋蔵金」については何も知らないし、全く関与してませんね。(だいたい徳川埋蔵金はないけど)

他にもツッコミ所満載ですが、あとは「東毛奇談」を読んでもらうことにします。
やはり「江戸城御用金は一時的に隠され、明治維新後に使われて、今は存在しない」というのが正解ではないでしょうか。(あくまでも私の説ですが)

TBS「徳川埋蔵金」番組のまとめ

前回の続き。
2008年10月14日夜20時からTBS「バラエティーニュース キミハ・ブレイク 」で「徳川埋蔵金」を放送する。
番宣では
「旬なネタをいち早くお届けする新番組!!
今回は「黄金スペクタクルロマン篤姫は知っていた徳川埋蔵金大発掘」糸井重里と香取慎吾が江戸城から消えた黄金360万両を追う!」
とある。
発掘場所は群馬県渋川市赤城町周辺

詳しい地図で見る

事前知識としては、
「徳川埋蔵金」は、Wikipediaがやはり無難にまとまってました。
また当ブログでは、
①「歴史ミステリー第6号・徳川埋蔵金」で経緯を説明
②デマ・と噂の真相シリーズその2「徳川埋蔵金」、その3、 その4 あたりで小栗上野介が徳川埋蔵金首謀者にしたてられた理由を説明しています。
③ついでに「埋蔵金は日光にある」という説を唱えている「ハローバイバイ関・都市伝説」を、ここでは書いてますが、アホらしいので少々の説明のみです。
④また歴史ミステリー小説「東毛奇談」サイトでは第6章が「徳川埋蔵金のこと」になっていますが、下手な小説風になっていますので多少読みにくいとは思います。ただ、これを読めば、「徳川埋蔵金」についてかなり分かると思います。
そして、「埋蔵金は今はない」ということも分かるかと思いますが……。

さて、では前回9年前に放送されたものをまとめておきます。
1999年12月31日「超えるテレビ」内の1コーナーで「徳川埋蔵金・赤城山発掘プロジェクト」は放送された。放送時間は3時間ほど。

掘った場所は
TBS T-1
TBS T-2
となっていて2008年でも同じ場所を掘るということ。
番組内容ですが、長い前フリ(地質調査とか風水とか、古文書とか古老の話など)が延々と続く。この進行は安住紳一郎アナ。(若くて、細い)
TBS T-3
で、糸井重里が総合司会の福留功男と薬丸裕英に発掘状況を説明。
この番組は1999年の大晦日の夜に生放送されたもの(つまりNHK・紅白歌合戦の真裏)で、2000年までに発見できるか、というタイムリミットを設けた企画だった。
TBS T-4
TBS T-5
写真では分かりづらいが、かなり深く掘ってます。
幕末のあの時代にこれだけ深く掘る余裕があったのだろうか、普通に考えても分からないのだろうか。
「徳川御用金」は一時的に隠すべき性格のもので、山中深くに隠して場所も分からなくなってしまうようなことをするはずがない。
TBS T-6
「徳川埋蔵金」の歴史的背景と「小栗上野介」の説明VTRがあった。これは、よくできているといつも思うが、小栗の性格や仕事振りを紹介すればするほど、「埋蔵金」首謀者のイメージから離れていく。
TBS T-7
これは、「横須賀造船所」の建設費用(現在の300億円総額240万ドル)や、フランスからの借款(600万ドル)など小栗がからんだ金の話から、当時幕府には「隠し金」があったのではないかという推測し、フランスまで調査に行ったもの。この「隠し金」が消えていることから「徳川埋蔵金」とを結びつけている。
TBS T-8
とここで竹村健一と糸井重里、2人による「幕末と現代(1999年当時)が似通った状態であるという経済談義」があった。(ある意味これが一番面白かった。)

とこんな感じでVTRが流され、所々で土木工事の模様が放送されたが、結局はご存知のように何も出てこなかった。

ただ興味深いのは、糸井重里が番組中にも「(埋蔵金)出てこなくても、それはそれでいい」などと何度か言ったりしていること。
糸井氏の心の中では「あるわけないような」と思っているようなニアンスの言葉もあり、「ただ幕府御用金はあったが、どこかに消えた」といった確信だけがあるといった感じに取れる言葉もある。
それは「ルパン3世」の銭形警部が「ルパン」を捕まえたいけど、捕まったら寂しい、みたいな心境なのだろうか。「待て~ルパン」と追いかけているほうが銭形警部は生きがいを感じていて、「追いかけていることにロマンを感じる」といったことなのだろうか。

まあ「埋蔵金番組」は何も出てこないという前提の下に行われるイベント・お祭りであって、見てる人はその「過程」(進行プロセス)を楽しむべきだ、ということなのか。

さて、今回の放送は、終わり次第まとめておきます。



 | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

09 | 2008/10 | 11
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  └ 月別アーカイブ
        └ 2008年10月
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。