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「うの」と「カツマー」と「清貧の思想」

1「勝間和代」と「清貧の思想」

まず、読売新聞 平成21年3月10日国際面から

「清貧カルバンブーム」
禁欲的教理で知られる16世紀のキリスト教宗教改革指導者ジャン・カルバンが、金融危機をきっかけに、オランダで一躍脚光を浴びている。日本でバブル経済崩壊後の1990年代に起こった「清貧ブーム」とそっくりの現象で、華美や快楽、金銭欲を戒める動きが広がっている。
オランダのバルケネンデ首相は先月、金融危機に関する論文で「物欲、金銭への執着、利己的商法が(危機を)引き起こした」と指摘。カルバンの教えに立ち返ろうと国民に呼びかけた。
日刊紙トラウは、自社ウェブサイトに「カルバン度」を試す診断コーナーを開設した。「ぜいたくな食事が好きか」「ファッションにこだわるか」など24項目の設問に答えると、自分がどれだけカルバン主義か、百分率で表示される趣向だ。
カルバンを「16世紀のバラク・オバマ(米大統領)」と紹介する特集記事を載せた雑誌は、発売と同時に売り切れた。
オランダは国民の4割超が「無宗教」を称する一方、国土干拓にまつわる苦難の歴史を背景に、欧州でも特に倹約志向が強いことで知られる。
ただ同国の王手銀行などは過去数年、性急な海外事業拡大に走った結果、金融危機で資金難に陥り、痛手を被った。好調だった実体経済も、2009年の国内総生産(GDP)は3.5%のマイナス成長が予想され、雇用不安が強まっている。
今年はカルバン生誕500周年に当たり、厳しい経済情勢と相まって、国民の“清貧魂”が呼び覚まされたようだ。昨秋以降、新車販売が落ち込む一方、自動車の売上が急増するなど、カルバン旋風は実際の消費行動にも現われ始めている。
<オランダ ブリュッセル=尾関航也>

とあった。
一種の「揺り戻し」現象なのか。
ここでは、17世紀に起こったオランダの「チューリップバブル」には触れていないが、このときも同様に、カルバン主義派と狂乱した市場経済の対立があった。欧州のキリスト教国で、アメリカ型の経済至上主義に対して、反動的な動きが起こるのは、ある意味自然なことかもしない。

そこで、この新聞記事で挙がっていた中野孝次著「清貧の思想」(草思社)読んでみました。(当時は読んでいなかった)
清貧の思想 中野孝次

バブル経済崩壊直後の1992年発行。浮かれた経済市場への反省や、過剰なまでの金銭欲への自省からか、71万部も売り上げたベストセラーとなった。
まずは、本文から、その当時のことが書かれた部分を抜き出してみます。
「八〇年代後半から九〇年代初めにかけてすべてバブルだったということになっているけれども、過去数年財テクなどといういやな言葉が横行し、猫も杓子も株をやって財テクをしないのは人ではないような風潮があった。大新聞までが財テク欄をもうけて金儲けをしかける有様なのを、わたしは終始にがにがしく思っていたが、あんなふうな現象が起こるというのも一般に金があることだけをよしとする風があるからだろう。すべては数字ではかられ、数字であらわせぬ価値は目もかけられないのである。
(中略)
現代のビジネスマンが海外で「かれらは金の話しかしない、すべての価値を金で計ることしか知らない」などと評判を立てられているらしいのをまことに残念なことと思わずにはいられないのである。
日本人はかつては決してそうではなかった。かつてはかれらも人前で金銭の話をするのを卑しみ、なによりも名誉を重んじ、高潔にふるまうことを尊んだ。」とある。

いまから17年前に書かれた本ですが、今でも経済を取り巻く人々の意識は、これとあまり変わっていないようです。いやむしろ、競争・金銭至上主義が強まっているようにも思える。(この間に起こった「ITバブル」が、なお一層世の中にこの考えを浸透させ、金儲け=成功という考えを植え付けて、あたかもそれが正しい考えであるかのようにしてしまった、と思う。)
では、経済不況の真っただ中にある日本は一体どういった傾向になっているのでしょうか?
世間の人々はオランダのように「清貧」を求めているのでしょうか?
一つには、去年あたりから、雇用不安や格差社会を反映して、「蟹工船」「小林多喜二」ブームが起こっている。プロレタリア文学が全盛となった昭和初期と、時代背景がどこか現代と重なっているともいわれる。戦争への流れが加速して、世の中が重苦しい雰囲気となり、経済不況や貧富の格差が広がって、社会主義思想が流行したあの時代と、似ているというのだ。
これも現代日本の一端を反映していると見て間違いはない。ただこれは「清貧の思想」とはまた違った流れのようにもみえる。
ではほかに、危機的状況の日本で、経済を取り巻くものの中で何が流行っているんでしょうか?
まわりの人に聞いてみた。
カツマーじゃないの」という答えが多かった。
なに!勝間和代かよ。
……。
ということで、ここで、「胡散臭い」「怪しい」などと、彼女のことについていろいろ罵詈雑言を書き連ねようと思った。しかし、いろいろ検索してみると、あちこちで散々に書かれまくっているので、ここではあまり書きません。
ただ、私には、この人は「細木数子の変形」にしか見えない。
それは、「占い師」を「経済アナリスト」に替えているだけで、「分かり切ったことと」を自分の色を付けて言っているだけで、見かけは違うが本質的には同じだ、ということなのです。
また、その手法も同じ。自分自身を前面に押し出して売り込む方法だとか、正論や当たり前なことを、あたかも自分が発見したかのように言い切る物言いだとか、自分を高みに置いて、愚昧な者どもへ教え諭してやっているといった態度だとかなどなど、ほとんど両者が同類に見える。
だが、それもよく聞くと、自分がいかに優秀なのかという自慢話しかしていない。そんな点も似ている。それに対して批判してくる人たちには「それは成功した私へのやっかみ。悔しかったらテレビに出て、本を書いて、私みたいに金儲けしてみなよ」といった逆ギレ的言い草も同じだ。だがそのくせ、それだけ自分を立派だと自画自賛しているわりには、本業の占い、経済予想はとんと当たらないから、不思議だ。
それに、ところどころ自分の身の上話や苦労話を織り込んで、同情を引こうとする点や、ギャップを出すためにやけに庶民的な面も見せて共感を得ようとするところも同じ手口。結局はそんなことまでウリに使うのかという点でも共通している。
メディアに露出し、知名度を上げ、講演会や本の出版で、金儲けシステムの構築にひたすら励み、その金儲け至上主義をあたかも正しい教えのように広く「布教」し、自分を「教祖」みたいに祭り上げて、蒙昧な読者を信者に仕立て上げ、金を吸い取り、「ネズミ講方式」でそれを増やしていく点など、ちょっと新興宗教ぽいところも似通っている。
勝間和代は「日本を変える」などと言っているが (細木も同じようなことを言う) 、結局のところ、自分のシンパを増やして「金儲けシステム」を作り出すことが2人の共通した最終目的となっているのである。
これだけ辛辣な言葉を並べるのも、本屋に行っていくつかの「カツマ本」読んだからだ。書店で、彼女の等身大のポスターが飾られているカツマ本のコーナーに立ったが、まずそのこと自体が恥ずかしかった。そしてデカデカと本人の写真が載った表紙の本を手に取るのは、それこそかなり勇気のいることだった。(「断る力」の表紙のこの臆面のなさは、どうだろう。こっちが気恥ずかしさを覚えるほどだった。この自分を売り込むやり方が細木と同じ)
「勝間和代成功を呼ぶ7つの法則 」「効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法」あたりをペラペラめくる。芸人が書いた「タレント本」くらいにクイクイ読める。別段新しいことは書いていないし、内容も大してないのでどんどん読み進められる。(立ち読みで十分) 確かに表現されている言葉は新しく、パッと見、新鮮に映る。しかしこの程度のハウツー本なら昔からいくらでもある。ブックオフに行けば、青春出版社・ワニ本、光文社カッパブックス、祥伝社ノンブックスあたりの100円古本コーナーで売っているものとそれほど変わらない。
それに、すべての勝間本の根底を成している基本的思想は、五日市剛の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」(マキノ出版)や野口嘉則の「鏡の法則」といった種類のものと、わたしにはそれほど変わらないように見える。(「手相をペンでなぞると幸せになる」とかいった程度の本) つまりは、幸せになる(金持ちになる、出世する)ための方法論を唱える一連の本と同類なのだ。(だから売れるのか、と納得) もちろん「経済」やら「ネット」やらの用語を使って新味を出し、それなりに体裁が整えられ、逆シュガーコート(難しい事柄を分かりやすくすることがシュガーコート。この逆で、分かり切ったことをわざと難しい言葉や専門用語を使って表現する。これによって自分を賢そうに偉そうに見せることができる)で包んでいるだけなのだ。
そして、もっとも問題なのが、これを有り難がって聞く人が日本に大勢いるという現実だろう。(この前、麻生首相が、知識者会合に彼女を呼んで高説を聞いていたが、首相がそんなんで大丈夫か?) 国が危機的状態なのに、こんなものが流行ること自体、日本の未来は危うい。
勝間勝代の「自意識過剰なエリート思考」は、ほんの一部の人には有用とされるものであっても、広く一般人には全く意味をなさないものだ。(専門書は英語の原書を読む、十代で源氏物語を読破、最年少公認会計士合格……そんな優秀な頭脳をお持ちの彼女と同じようなことができるわけがないし、マネをしても続かないだろう。大体それができるような知能の高い人は、こんな本はそもそも読まないよ)
これとは、全く正反対に位置するのが「清貧の思想」となるだろう。
「清貧の思想」では、そんな「貪欲な金銭欲」「経済優先の日本」を激烈に批難して、日本人が本来持っていた「日本には物作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりでなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある」という清貧を尊ぶ思想をひたすら説いている。そういった意味でいえば、「清貧の思想」は経済至上主義や金銭欲に対して過剰なまでに批難を加えている「過激な本」だといえるかもしれない。
また著者・中野孝次が例として挙げた本阿弥妙秀は「慳貪(物をおしみなくむさぼること、欲張り)にして富貴なるものを憎んだ」といい、「彼女は他に貧しい者が大勢いる中己に一人が多くの物を所有することを悪と感じていたに違いないのである。」とし、「ある国が他に抜きんでて富める繁栄国、貿易黒字国となる背景には、そのために犠牲になる貧しい国々があるのと同じだろう。全体が貧しい中で一国だけ富裕になるには、たとえ法律が許しても、そこにはなんらかの無理が行われているはずである」と話を続ける。
これは「もしも世界が100人の村ならば」(中野裕弓のサイトhttp://www.romi-nakano.com/100.html)と同じような思想だろう。
経済優先の社会に対する反動的思考は、いつの世でもどこの世界でも芽生えるようである。これは、過度な経済の発展は、突き詰めれば「貪欲な所有欲」を奨励することも意味するので、そこに反発するかのように、人の心の中に、罪悪感が生まれるからだ。
無論、人間には本来競争意識を持っていて、これが社会を発展させているのも事実。また他人よりもお金が欲しい、もっといいモノが欲しいというのも人間社会においては自然なことだろう。 だが必要以上に多くのものを求めることや、「幸福」を計る物差しを分かりやすい金や所有物にするのがおかしいと「清貧の思想」は説いている。(このバランスをいかに上手く取るかが、私は重要だと思う。)
いまの日本は、米国的発想である「人の幸せ=金持ち、成功、出世」という基準判断を容易に取り入れ、これが深く浸透した。そして本来持っていた「日本人の精神」を捨ててしまった、というのだ。この考えは藤原正彦の「国家の品格」にも共通する。
私が、勝間勝代に反発心を感じるのは、競争・金銭至上主義を必要以上に煽り、自分の考えを強引なまでに推し進めている点にある。もちろんこれを唱え、自分の金儲けに利用している経済アナリスト、経済評論家、またはIT社長や成金経営者など、他にいくらでもいるだろう。だが、私の目には、勝間勝代はそれがあまりにも露骨で、その様は異様であり、それがまた細木のように滑稽にも見え、そんなものに踊らされる人々が多くいることが悲しく哀れに思える。
「自分さえ成功すればいい」「私に学べば成功できる」といった、そんな「怪しい教え」を書きまくって、多くの読者を洗脳し信奉者のごとくにしている点において、他の扇動者たちよりもかなり罪深い、ということだ。
そもそも、何をもって「成功」なのか?「金持ち」になること、「出世」することが、人生において「成功」なのか? いろいろ彼女に問うてみたい。(まあ、「金=幸せ・成功」思考が高いので、「年収数千万以上稼ぐ人」とか具体的に金額を言いそうだ。そこが恐ろしい。) また勝間和代の中にある「エリート意識」「選民思想」意識には恐怖さえ覚える。それは本やインタビュー記事、マスコミ出演等で、それが端々に滲み出ている。
あの引きつった微笑の奥に潜んでいる貪婪な金銭欲、願望達成欲に、私は恐ろしいものを感じる。

あるとき、平成21年3月13日放送、テレビ東京「世界を変える100人の日本人」というもの見た。
ここで、「浅野七之助」という人物を紹介していた。「焦土と化した戦後日本の飢餓をアメリカから救った男」ということらしいが、私は全くこの人のことを知らなかった。だがこれは中野孝次のいうところの「清貧の思想」に出てくる本阿弥妙秀の逸話に似ていた。このVTRはとても感動的だった。

盛岡に生まれ、平民宰相・原敬の書生としてその薫陶を受け、大正6年(1917)に渡米する。
農場での労働やホテルのボーイの経験をとおして、アメリカの底辺社会や日系人の実情を知り、のちに新聞記者となって日系人の権利獲得のため論陣を張った。戦後、焦土と化した母国の惨状を知った浅野は在米日系人らに呼びかけて食料品や衣類、薬品を集め、日本戦災救済運動を開始した。これがのちにLARA(Licensed Agency for Relief in Asia)へと発展し、ララ物資として日本に送られ多くの人々が救われた。LARAの活動は、1946(昭和21)年に開始され、アジアへ送られた支援物資の合計は、1952年の価格で、400億円(現在の9000億円相当)を超えた。このうち80億円が日本向けだった。そして1,400万人以上、即ち当時の日本人の6人に1人の割合でその恩恵を受けたと言われ、とくにミルクや衣服、医療品が多く贈られ、子供たちを飢餓から救った。浅野はその後も国際的なジャーナリストとして、また日米の窓口的な存在として両国の相互理解と親善に努め、在米日本人、日系人の権利擁護、拡張のための民権擁護協会、帰化権獲得同盟などに参加した。
昭和62年(1987)5月16日には、“日系人への貢献、ララ物資の送付、日米親善への尽力”などの功績が認められて、サンフランシスコ市長より表彰され、その日が“サンフランシスコ市における浅野七之助デー”と制定された。永住権は持ちながらも、最後まで米国国籍は取らず、日本を想い続けた望郷の国際人だった。

番組ホームページからhttp://www.tv-tokyo.co.jp/100japan/backnumber/index.html
日本人が失いつつある精神がここにあるような気がした。
自分をカツマーなんて言っている人たちには、こんな逸話も馬鹿げた話に聞こえるかもしれない。だがいま学ぶべきは小手先だけの方法論を説く「カツマ本」からではないような気がする。
またこんな文章もあった。
西村雄一郎著「黒澤明を求めて」(キネ旬報社)から。<「侍」に関する部分は、当ブログのWBC・原監督の記事コメント欄でも一部引用しています。>
「(明治時代が明るかったという話から)黒澤監督と話している時の、あの押しても揺るがない自信、威厳、大きさ、怖さ………しかしなかに漂う何ともいえない少年のような抜けるような純粋さ、おおらかさ、ユーモア……私はそこに、明治の人間の気骨を見る。明治という時代の爽やかさを感じる。
そしてもう一歩ふみこんでいえば、その明治のロマンとは、侍のロマンであるとも換言できるのだ。最近NHKの「太郎の国の物語」という番組で、司馬遼太郎が語っていたが、明治という時代までは、侍の生き残りが生活し、その侍が明治国家を支えていたというのである。では侍の精神とは何か?といえば、それは個としての自律心である。一度イエスと言った以上は命がけでその言葉を守り、自分の培った美意識や名誉を徹底させ、敵に対しては情けを持つ、更に透き通った“公”の感覚と、道徳的緊張が明治人の意識の中に流れていたというのだ。そのことは大正、昭和初期に強調され続けた右翼的とか、愛国心とかいった狭量さとは質を異にするが、果たしてそれが、現代の政治家や、宗教家や、芸術家や、若者のなかに存在するだろうか?
私はそれが黒澤明のなかに存在すると思う。明治に生を受けた黒澤監督は、昭和の時代が終わり、二十世紀が終結しょうとするまさにその時に、日本人がかつて持っていたロマンや美意識がグラグラと崩れ去ろうとすることを本気で憂いている。」
これは、突き詰めれば「清貧の思想」と同様の内容となっている。金銭欲が増大すると反比例するように日本人の持っていた美しい精神が失われていくということで、共通した考えとなっている。
となれば、日本の偉大な先人たち黒澤明、司馬遼太郎、中野孝次、最近では藤原正彦らはみな同じようなことで国を憂いていることになる。
いまの日本に必要なのは、強欲な所有欲でも、金銭至上主義でもなく、それらを説く悪書ではない、と思う。
まして、それを必要以上に煽る本でもない。
そして、最後に、
これはだけは断言しておこう。
あと2,3年もしたら、「カツマー」「勝間和代」などと、その名前を言うのも恥ずかしいものになるだろう
彼女の著書「10年後あなたの本棚に残るビジネス書100」に引っ掛ければ、勝間本はその中に一冊も入るまい。いや数年後には、ブームに踊らされた人たちの本棚にも決して並ぶこともあるまい。そしてそれらの本は大量に古本屋の100円コーナーに並ぶことになるだろう。(あまりにも多いと引き取ってもくれない)
これだけは間違いない…。


2 「神田うの」と「清貧の思想」

まず「清貧の思想」に載っていた「外国で聞かれた日本人と日本の批判」を載せておく。
これが痛烈。

―曰く、日本は輸出大国だなどと誇って外国市場を荒らすだけで、自国の利益しか考えない。たしかに日本製品は、自動車、電気製品、エレクトロニクス、時計、カメラ、何でも優秀で安い。それは認めるが、いい物を安く売って何が悪いという態度が露骨で、少しもこちらの事情への配慮がない。これは共存できぬ。このままでは日本は世界中の嫌われ者になるだけだろう。
―曰く、日本人はビジネスマンも旅行者も会って話をすると金の話しかしない。一体かれらには金儲け以外に関心がないのか。政治、音楽、国際関係、哲学、民族問題、歴史などについてはかれらは話すことができないようだ。まるで金のあるなしだけが人間を決めると信じているかのようだ。
―曰く、若い女までが大金を持ってきてブランド品を買いまくる。土地の歴史とか文化への関心をほとんど示さない。自分たちの流儀でふるまい、騒々しく、みっともない。日本の若者はみなあんなふうに自分のことしか考えないエゴイストなのか。
―曰く、日本人で自分の哲学を持ち、自分のライフスタイルに自信を持って、何事についても一見識あるような人をめったに見たことがない。パーティーで土地の人間と対等にいろんな話のできる者も少ない。自国の歴史についても無知だ。
―曰く、貧しい国の人間に対して日本人はなんて傲慢なんだ。自分は富んでいるのだからどんなことをしても許されると思っているのか、等々。
不愉快だからこれくらいで止めるが、そういう意見を聞かされるたびにわたしは情けなくなり、かれらの言い分をある面では認めざるをえないのが口惜しく、いや現在はそういうタイプの日本人がいるかもしれないが、日本人は昔からそんな人間ばかりじゃないのだ、日本人にはまったくそれとは違う面があるのだ、話して来たのが「日本文化の一側面」だったのである。

とあった。

とこれを踏まえて、話は飛びます。
このサイトはなぜか「神田うの」で来る方が異様に多い。書いたのは1回だけで、それもただの噂話を載せただけだった。しかし、神田うのがこんなことを言っていたといってわざわざメールを送ってくる方もいる。まるで、「うのウォチャー」のようなサイトの扱いになっているのが恥ずかしいので、その記事を削除しようと思ったくらいなのですが……。
とそこに、知人がメールとともに、ある番組の映像まで送ってきた。そこで、これを「清貧の思想」と引っかけてネタにしてみることにした。
それは『久米宏のテレビってヤツは!?』という番組で、平成21年2月放送『 カネカネカネカネ…世の中は本当にお金がすべてかスペシャル 神田うの&ホリエモン』というものだった。
あんまりにも「ひどい」と言うので、我慢して見てみた。
確かに…、愕然とした。
そのメールで指摘された箇所は 、
床に大理石を敷き詰めるためにイタリアから職人を呼んだという「うののアトリエ」は、五億円かかったという自慢話はまだ序の口で、「うのが作ったバックが10万円なんて安すぎるぅ~」とか「(シャンパン専用冷蔵庫を自慢気に見せ、そこに20本くらいある)こんなのすぐなくなちゃう。うの1人で1本以上飲んじゃうからぁ~」とか「(月給10万位で暮らしている子持ち夫婦のVTRも放送される中) 5万円じゃ1回の食事代にもならない!」とかいろいろ叫んでました。
それに「うのはお金に興味ないの。(月の生活費に)いくら使っているかわかんな~い」といったところでは、もう「金の亡者」とか「金銭感覚のマヒ」とかいったレベルを遥かに突きぬけ、もう「お金」というが概念さえ失っているようでした。まあ、こんな分かりやすい人はいないでしょう。機会があったら見てください。かなり驚きます。
まあここでコネコネいっても仕方ないですが、一言でいえば、「何かが狂っている」というだけです。
ただ思うのは、そんな「うのブランド」のドレスやバッグを買う人、持っている人ってどんな見識をもっているのか、一度聞いてみたい。
「うのの作ったバック」を持っていて嬉しいですか? と。
(ここで、また情報がきた。週刊現代2009年4月4日号によれば、「飯島愛のお別れ会」で喪服のPRをした神田うのというワイド記事が載っているとのこと。読んでみた。「ブログで葬式ファッション解説、自分のブランドもちゃっかり宣伝」とあって、ここでも「金儲け主義」の神田うのはかなり叩かれていた。)

さて、ここで「清貧の思想」から引用。

「効率的な生産第一主義で物の清算ばかり偏ってしまったのはせいぜいこの半世紀くらいの現象で、それも元はといえば敗戦ですべてを失い、少しでもいい生活をと追求して来た結果である。実際われわれは廃墟の無一文から出発せざるをえなかったのだから、物質至上主義になったのはやむをえない面もあるのだ。が、それだけではいけないことにわれわれはいま気づきだしている。
日本は経済大国になったといっても、それで日本人の生活がゆたかになったわけではなかった。余裕ができたわけでもない。むしろワーカホリックといわれるくらい働きつづけなければならず、狭い家に住み、満員電車に乗って長距離通勤し、夜遅くまで働からねばならぬ現状は、あなた方も知っているだろう。過労死という言葉さえあるくらいだ。
たしかに物は豊かになった。EC圏のどの国にも劣らぬくらい市場に物は溢れている。しかし、物の生産がいくらかゆたかになっても、それは生活の幸福とは必ずしも結びつかない。幸福な生のためには物とはちがう原理が必要であることにわれわれはいまようやく気付きだしている。
いやむしろ物にとらわれる、購買、所有、消費、廃棄のサイクルにとらわれているかぎり、内面的な充実は得られないことに気づきだしている。限りのないものの生産と浪費が地球上での共存の上からも、環境と資源保護のためにも許されないことを知っている。真のゆたかさ、つまり内面の充実のためには、所有欲の限定、無所有の自由を見直す必要があると感じている。人が幸福に生きるためには一体何が必要で、何が必要でないかと、大原則に戻って考え直そうとしている人が大勢出てきている。
日本にはかつて清貧という美しい思想があった。所有に対する欲望を最小限に制限することで、逆に内的自由を飛躍させるという逆説的な考えがあった。」

とある。

さて、これと対極にあるような話。
ある時、テレビ番組でこんなのを見た。フジテレビの女子アナが「恋人を選ぶとき、最初に相手のどこを見るか」というアンケートで、「腕時計を見る」と答えた人がいた。時計を見れば「その人の経済状態が分かる」っていうことだ。きっとこの人は、ロレックスやらブルガリやらのブランドのランクで、人間のランクも決まるのだろう。人の所有物で恋人を選ぶ女子アナってどうなのだろうか、何とも悲しい恋愛観だと思うのだが……。
それで、ほんとに幸せなの?

ある時、テレビ番組「ごきげんよう」で現役東京大学学生・八田亜矢子が「東京大学に受かって、祖父からウン百万もらった」と堂々と(「せしめた」といった雰囲気で)自慢していた。身内からいくら金をせしめようが、私にはどうでもいいことだが、このタレント(東大生ということだけがウリ)の「品のなさ」は何なのだろう。「清貧の思想」にあった金の話しかしないサラリーマンが下品だという意味がよく分かった。悲しいかな、彼女はそれでも日本最高府で学ぶ学生だという。(留年2年だというが)

で、「清貧の思想」から一文。

「ひとたび所有欲にとりつかれると、人は所有の増大にのみ関心を奪われ、金銭の奴隷となって、それ以外の人間の大事には心が及ばない。家族の配慮とか愛とか慈悲とか、人間としての最も大事なことさえ気が向かわず、富貴な人間は必ず慳貪になる、と妙秀(本阿弥妙秀・江戸期の茶人、光悦の母。清貧の逸話を本文で紹介している)が考えていたことは先に言ったとおりです。そればかりでなく、かれらは物の取得や保全に心を奪われて、みずからの精神の自由さえ失っている、と光悦(本阿弥光悦)は考えていました。」


そんなときこんな新聞記事を読んだ。
平成21年3月9日 読売新聞 群馬版から

「赤ちゃんポスト」先駆け かけこみ寺閉鎖
2007年に熊本県内の病院が始めた「赤ちゃんポスト」の先例ともいえる取り組みで知られた前橋市堀越町の保護施設「かけこみ寺」が今月末で閉鎖されることになった。1980年ころ開設されて以来、家庭の事情などで生き場がない子どもたちを長年にわたって受け入れてきたが、近年、公的機関の受け入れ態勢が整ってきたことから、99年から園長を務める成相八千代さん(80)らが閉鎖を決めた。
成相さんによると、駆け込み寺を開いたのは、47年に開設され、NHKラジオ劇「鐘の丸丘」のモデルの一つになった児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」創設者の品川博さん。70年~80年代に借金苦などによる親子心中が相次いだため、一人でも多くの子どもの命を守ろうと、少年の家の近くに開設。財団法人の運営で、役所を通さず、直接、行き場のない子どもたちを受け入れてきた。
また、86年から92年に設置され、生後間もない乳児を身元を明かさずに預けられるプレハブ小屋「天使の宿」では、これまでに約10人を引き取った。
成相さん自身は、都内で保育園に勤める傍ら、開設当初からかけこみ寺の運営に加わった。17歳で終戦を迎えた成相さんにとって、「命は国のもの」だったが、品川さんから「命はその人のもの」と教わり、品川さんが子どもの個性を尊重し、人を押しのけようとすることを厳しく注意する姿勢に触れ、その教えを守ってきた。ただ、思春期の子どもたちの扱いは一筋縄ではいかず、夜中にいなくなったりすることもしばしば。そのため睡眠時間が2時間という日も多かったというが、「子育てには家庭のぬくもりが大事」との強い信念のもと、子どもたちを育ててきた。
しかし、子ども一人一人に目を配りたいと思ったのと、資金繰りも苦しかったため、90年12月に天使の宿に預けられた子どもを最後に受け入れを控え、昨年11月に最後の入所者を社会人として送り出したあとは、事実上、運営をやめていた。
成相さんは「子どもたちと向き合っていると、毎日があっという間だった。逆に教えられることも多く、本当に幸せだった」と懐かしんだ。


借金苦で両親自殺、資金が集まらず閉鎖……。
いまの日本の社会は、これが現実なのかもしれない。
必要とするところに金銭は集まらず、金のあるところには集中して集まる。
そして、いつしか金や所有物が幸せを計る尺度となり、多く持っている人が「人生の成功者」だという。またそんな考えを一層広めて、焚きつけ、煽って、金儲けの種にしている人もいる。
ならば、人より多く金銭を持つ「神田うの」は人生における成功者なのか。金銭欲、所有欲の満たされた「神田うの」は幸福だということなのか。

この法則でいえば
「孤児を育てた人」は幸せではないのか?
戦後、自分が食うのにもさえ困っていた浅野七之助が、祖国に物資を送ったのは「愚かな行為」なのか?
いや、そんなことはないはずだ。

……そう信じたい。

では最後に「清貧の思想」から

しかし人間の向上心には限りがなく、一つの段階が実現されるとそれに満足していないでさらに上を望む。衣食住すべての点でもっと上等をと欲したばかりでなく、今度は新たにステレオを、ピアノを、クルマをと欲望の対象も増えていきました。街には商品が溢れだし、クルマでも電気器械でも住宅でも次から次へ新製品が作られ、魅力的な広告によってわれわれの欲望を刺戟しだしましたから、そのころからわれわれは絶えまざる欲望のとりこになって、新商品を追いつづけて来たような気がします。そしてわれわれはただの人間ではなく消費者という名で呼ばれるようになっていきました。

いつからこんな妙な言葉が使われだしたのか記憶は不確かですが、消費者というこの人間侮蔑的な言葉が1965年ころから、すなわち経済成長を一国の最大の目標としだしたころからの、われわれの状態を正しく言いあてているようです。大量生産=大量消費の時代が始まったのでした。そしてわれわれは、人間にとって一体何が必要で必要でないかを冷静に考えて選択する余裕もなく、ひたすらただ次から次へと市場に出現する魅力的で便利で機能的な商品の消費者とされてしまったのでした。

いま、「あなたは消費者だ」といわれて怒る人はいないだろう。
当時この本はベストセラーとなり、世間で支持された。17年前にはこの考えを受け入れるだけの心の余裕・豊かさが、まだ世の中の人々にはあったということだろう。2009年のいま、この内容で同じような本が出版されても決してベストセラーにならない気がする。 もしかしたら、現代社会に余りにもそぐわない内容だといって「鼻で笑われる」かもしれない。
現代日本では、この考えを受け入れないほど、一層、経済至上主義、金儲け主義は世間に浸透したのだ。

どう思われますか?
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「ゴリラ」の番組を見た

何気なくテレビを見ていたら、最近気になっていた「山極寿一」(やまぎわ・じゅいち)の名が。
番組は「ゴリラ先生 ルワンダの森を行く 」平成21年3月26日 (木) NHK総合19:30-20:45放送

京大・山極寿一教授が26年ぶり!昔なじみのゴリラに再会…覚えてる?▽マウンテンゴリラに異変が!▽戦乱をくぐったゴリラたち
解説:
”ゴリラ先生”こと山極寿一京都大学教授がアフリカ・ルワンダでマウンテンゴリラと再会する。マウンテンゴリラが生息する森はエコツーリズムの観光スポットになっている。山極教授は28年前、この森で2年間暮らし、ゴリラの生態を観察した。ただ、内戦や密猟、農業開発などで生息数は減り続けている。また最近、群れに異変が起きているとの知らせも届いた。マウンテンゴリラの群れには大人の雄が1頭いるのが普通だが、雄が何頭もいる群れが増えてきたという。一体、彼らに何が起こっているのか探るため、山極教授は26年ぶりにルワンダの森を訪ねる。


これはいい番組でした。ゴリラって本当に興味深い動物だというのが分かる。「遊びの天才」で、声を出して「笑う」ことができるというのも知った。
で、山極寿一の本では、「暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る」(NHKブックス)が手元にあります。
山極寿一
もともとゴリラに興味があったわけではなかった。「アンパンマン考」の記事の続きで「人の欲望の抑制力」について書こうとして「タイトル」に惹かれて買ったのですが、ここにゴリラの話は出てきて、これが実に面白かった。(そういえば「アンパンマン考」は全然続きを書いてませんね。)
そして引用したのは、なぜか「クリスマスにケーキを切り分けて食べる意味は?」、「サンタクロース=恵比寿、大黒?」でした。
番組では他に、絶滅の危機に瀕していた中央アフリカ・ルワンダの山岳地帯に棲息するマウンテンゴリラに限り無い愛を注いだ米人女性動物学者ダイアン・フォシーの後半生を描いた映画「愛は霧のかなたに」主演シガニー・ウィーヴァーにも触れてました。
愛は霧のかなたに シガーニー・ウィーバー
そんな内容だとは全く知りませんでした。今度見てみます。



ヒットを当て込んだハリウッド映画が似たような設定になるのはある原則があるから?!

『DRAGONBALL EVOLUTION』(ドラゴンボール・エボリューション、Dragonball Evolution)があまりにもひどいという話を聞いた。
その一因がWikipediaにある。
「原因としては世界観や設定、悟空をはじめとするキャラクターが原作・アニメとかけ離れている事が大きい。この原因としては製作側が『スパイダーマン』や『トランスフォーマー』のように冴えない高校生がヒーローになるというシチュエーションが売れると踏んだためである。しかし、原作やアニメの知名度があまりに高すぎた事からドラゴンボールを知らない人でも作品に違和感を感じる人も多い。」
そこで思い出したのが、1年ほど前に書いた記事http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-321.html

エスクァイア・マガジンジャパン「60年代アメリカ映画」 著者は上島春彦、遠山純生。
P165からの抜粋

『数年間成功し続けた後、AIPは金を払ってくれる観客のことを充分に時間をかけて分析した。彼らの調査結果は目録にされ、宣伝部は自分たちの成功の秘訣が書かれた出版物を出した。このパンプレットは説明していた。「十代の観客という金鉱を開発するにあったって、アメリカンインターナショナルは、彼らの大本営がピーター・パン症候群として知られているところの一片の神聖な論拠に固執している。ピーター・パン症候群は、数年に渡る試行錯誤と調査の末明らかになった。この症候群によれば、
①年下の子供は年上の子供が見るものなら何でも見る。
②年上の子供は年下の子供が見るものは見ようとしない。
③女の子は男の子の見るものなら何でも見る。
④男の子は女の子の見るものは見ようとはしない。
ゆえに、
⑤大多数の観客をつかむには、19歳の男性に照準を定めるべし
。』


これは60年代の話で、いまはこれより年齢層がやや下がって男子高校生に標準を合わせているようだ。ヒットを当て込んだハリウッド映画が似たような設定になるのはこのためなんでしょう。でもそれはあまりにも安易過ぎやしませんか?
「鉄腕アトム」「ルパン三世」「AKIRA」「エヴァンゲリオン」「寄生獣」などなど日本のアニメ・コミック
が次々とハリウッド映画化の話がありますが大丈夫なんでしょうか……。

祝・サムライジャパン優勝。そこでWBCを南北朝時代にあてはめてみる。

 最近更新が滞っていたのは、WBC・ワールド・ベースボール・クラシックをずっと見ていたからです。
何はともあれ、侍ジャパンが優勝してよかったです。
私はおじさんなので、稲葉篤紀や小笠原道大、岩村明憲 らのベテラン勢が頑張っているのがうれしかった。あの面構えが実に素晴らしく、まさに「サムライ」だ。もっとほめて上げて!

それに私としては、韓国チームがマウンドに国旗を立てた時から、もう気になって気になって仕方なかった。
そこでこんな記事が、

[クッキースポーツ]韓国が24日、日本とのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝戦で惜敗すると「太極旗さすパフォーマンス」の縁起の悪さが噂になっている。我が国が太極旗を試合場のマウンドにさした後、毎回日本チームに負けたからだ。 太極旗パフォーマンスは3年前の2006年3月15日、第1回WBC本選にあがって我が国が日本を 2-1で倒した後、米国エノハ球場で初めてお目見えした。宿敵日本を二回も負かした喜びを太極旗パフォーマンスで表現した。国民には太極旗が日本選手たちが見ている前で飜ると、通快さを隠せなかった。しかし、これはかえって日本の戦意を燃やす契機になったし3回目の正面対決である4強戦から6-0完敗にあった。3年が経った第2回WBC4強決定戦が開かれた18日、米国サンディエゴ、ペトコ・パーク。この日、韓国は日本との試合で4-1で勝利して4強進出を決めた後、マウンドに太極旗を再びさした。その時、日本選手たちは太極旗パフォーマンスが再現されると憤慨したことが伝えられた。日本メディア「スポーツ報知」によれば投手松坂は「再び(3年前と)同じ事をしてはいけないと思った」と言ったし、片岡もやはり「頭に来る」と太極旗パフォーマンスに不快感を示した。日本の2塁手岩村も 「率直に良い気分ではない。しかし前の大会で韓国がこんなパフォーマンスをしてくれたおかげで優勝 できた。その悔しさを持って戦いたい」と伝えた。 日本は結局決勝戦で韓国を延長合戦のあげく5-3で倒し、太極旗パフォーマンスは岩村の言葉通り日本チームの団結力を高める装置になったわけだ。北京オリンピック当時日本の星野監督の韓国侮辱発言が韓国チームを刺激し金メダル獲得を導いた契機になったように、私たちの太極旗パフォーマンスがかえってブーメランとして作用したというのだ。日本の情緒で太極旗パフォーマンスは選手たちに極度の反感を持たせるようにしたという指摘も出た。広島平和研究所キム・ミギョン副教授はこの日、某メディアに寄せた寄稿文で「日本では野球選手たちがマウンド掃除までして始めて練習を仕上げる。彼らはマウンドにうずくまって座ってほこりを払い落して野球に対する深い愛情を育てる」と明らかにした。「また敗戦以後、国家と国旗掲揚をめぐり今も法的訴訟が絶えない状況で、韓国チームの国旗セレモニーはこれらの平静心を極度に搖るがした行動ではなかっただろうか」という懸念を示した。 キム副教授は「求心力が不足だった日本選手たちを(パフォーマンスによって)嫌悪という感情で固く団 結させたことは間違いないのではないか」と言いながら太極旗パフォーマンスに惜しさを現わした。ある野球専門家は「実力の他に精神力が勝負の大きな振り子として作用する韓日戦の特性上、相手 に対する挑発には気を付けなければならないという教訓を選手たちは学ばなければならないだろう」 と言った。

元ネタhttp://mobile.seisyun.net/cgi/read.cgi/news4plus/takeshima_news4plus_1237905854/301-400
まったくその通りでしょう。あれが今回の節目となった出来事であることは間違いない、と思う。
ところで、あの韓国国旗は今どこにあるのでしょうか。それが気になる。韓国チームは国旗を立てたまま帰ってしまったのだろうか。
そうなれば、係員が片づけて捨ててしまっただろう。国旗は大切にしないと。
またこんな話もあった。

この行為に楽天の田中将大(19)が激怒。
マウンドにかけだすと、コーチの高代氏に阻まれながらも韓国チームをおしのけ韓国旗を抜き取った。この行為にスタジアムからは大きな拍手。
それでも怒りがおさまらない田中は、韓国コーチに罵声を浴びせた。

これは、ガセネタだったようだ。でもマー君ならやりそうですね。胴上げされずにボコボコにされてましたが……。いいキャラですね、マー君!

さて、あと面白かったのが
2009年3月25日の「夕刊フジ」

渡辺会長「腹が立つ!ふざけんな」…身内の日テレ批判 巨人の渡辺恒雄球団会長(82)は日本代表のWBC連覇に接し、殊勲のイチローを「やっぱりスーパースターだね」と大絶賛。一方で、日本代表に非協力的だった中日と、WBCを中継しなかった身内の日本テレビを鋭く批判した。
 渡辺会長は24日夜、都内ホテルで会食後に報道陣に対応。まずは日ごろから辛口評価しがちな原監督について、「今度はまあ、原君が監督でね、かなり心配しとったが、作戦が功を奏したね。人の使い方がうまかった」と持ち上げた。
 そもそも渡辺会長はWBC監督人事で、昨夏の北京五輪で惨敗を喫した星野監督の続投を望んでいた。紆余曲折を経て原監督に決まっても「原君1人じゃ、とてもできない。ワンちゃん(王貞治日本代表監督相談役)がユニホームを着なくても、かなりの采配を振るってくれなきゃ」と語り、4強も難しいとの見立てだった。
 しかし望外の結果に、「今まで日本一になったことはあるが、何たって今度は…。本当に祝福したい」と満面の笑みだ。
 原監督以上に渡辺会長を喜ばせたのが、お気に入りのイチロー。「35歳、峠を越したのかと思ったイチローがね、最後に勝敗を決めたんだから。歴史的出来事だよね。長嶋(茂雄氏)の天覧試合のサヨナラホームランに次ぐ出来事じゃないか。イチローってのはやっぱりスーパースターだね」と褒めちぎった。
 逆に「腹が立つ。ふざけんなって言いたい」と語気を荒らげたのが、読売グループの日本テレビがWBCを1試合も中継しなかったことだ。「金儲けとは違うんだよ、この世界は。『10億(円)損する』というが、テレ朝もTBSもやってるじゃないか。これだけ全国的人気を博したことを日本テレビがやらんということは我慢ならんね」。読売新聞社がWBC1次ラウンドを主催、監督も巨人の指揮官だけに、日テレがグループの足並みを乱した形となった。
 さらに「(視聴率)40%以上(20日の日本対韓国戦)、こんなのお化け番組だよ。興行的にいえば、そういうことができたっていうことは、まあ“11球団”一致結束してよかったな」とも。「(日本代表に)1人も出さん球団もあった」と、代表候補が全員辞退した中日をチクリとやった。
 最後まで「こんな楽しい日はない。5年に1度だ」とご機嫌だった渡辺会長。この日のお酒は、いつにも増して美味かったに違いない。


いや~相変わらず元気ですね。ナベツネさん。
それにしても、これでは原監督をほめているのかいないのか分からないですが…。
さて本題。こういった力関係を見ると、私はここに、後醍醐天皇と新田義貞の関係に重ねてしまう。
ナベツネさんは、絶対権力を持ち、現場にまでその力を及ぼし、また改革には熱心で、自分独自の考えを強引に推し進めて精力的に力を注ぐ。でもその割には皆がついてこない。改革しようと努めたが結局は武士たちが付いてこなかった後醍醐天皇とナベツネさん、どこかこの「空回り」な感じがよく似ている。
またすったもんだの末に火中の栗を拾う形で監督になった原さんも、時流に押されて兵を挙げた義貞と流れが似ている。それでも現場指揮官としてチームをまとめなければならい原監督、新田義貞のように、上からの圧力、下からの突き上げ、そして外野からの横やり、まさに板挟み状態になるんですね。そこに、対戦相手以外に、味方側からも敵が出てくる。原監督でいえば、野球評論家や大物OB、週刊誌・マスコミなどなど、とにかくいろいろうるさく言ってくる。これが義貞の場合は、義貞が軍事司令官であるにもかかわらず、戦について何も知らない公家衆は何かと口出しをする。しかも公家衆たちは官位も上なので、義貞にはどうにもできない。このジレンマ、中間管理職の悲しいところです。それでも戦い、結果を出さなければならない。
また、何かと義貞に対して足を引っ張るようなことをする公家衆は、今回ではWBC日本代表に一人も選手を出さなかった中日ドラゴンズに似ている。食えない落合監督なんてまさに、狡猾な公家衆と一緒だ。味方なのに、必ずこういうことをする奴は出てくるもので、なにかと現場の指揮官を苦境に立たせる。
それでいて戦いに負ければ現場の指揮官である者が、責任を取らされることになるのだ。こういった立場に立たされる境遇が、原監督と新田義貞とで似ているというわけ。
また個性あふれる選手たちを集めてまとめなければならない原監督は、それは公武寄せ集めの兵を率いる義貞のように苦労しただろう。
そこで原監督の記事。
朝日新聞3月25日付け

忍んだ、信じた―原采配、頂点に 「生涯忘れられぬ」
【ロサンゼルス=福角元伸】原辰徳監督(50)の体が3度、宙に舞った。野球の祖国、アメリカでも古い歴史を持つドジャースタジアムのマウンド付近。「火中の栗」とまで表現された日本代表監督をあえて引き受け、重圧をはねのけて達成したWBCの2連覇。ホッとしたような笑顔で、選手たちを握手でねぎらった。
 監督就任までに曲折があった。メダルを逃した昨夏の北京五輪で監督を務めた星野仙一氏が辞退。その後は日本代表監督のなり手が見つからなかった。そんな中で昨年10月、白羽の矢を立てられた。
 周囲は反対した。父の貢氏からも「受けちゃいかん。先輩の監督方がいるのだから」と言われた。原監督の胸中は違った。「このままでは球界がどうにかなってしまう」。誇り、あこがれであるべき日本代表の要が決まらない。「私でいいのですか。それならば」。第1回監督の王貞治氏らからの要請を受けた。
 巨人監督と日本代表監督の二つを背負いこむことになった原監督は、自分の中で決め事を作った。「一つだけ巨人と区別しよう。『我慢』。これだけは、必ず守ろう」。一流選手が集まる代表チームは個性派軍団だ。所属球団など関係者も多く、様々な思惑もからむ。思い通りにいかないこともあるだろうが、自分がどんと構えていれば、チームは前進すると考えた。
 選手の代表辞退が続いた時期もあったが、「チームを前へ進めなければいけませんから」と平然と答えた。大会が始まると、チームリーダーのイチローが不振を極めた。決勝前まで打率2割1分1厘。それでも「1番」で起用し続けた。「彼はチームの中心ですから」。信の一念でグラウンドへと送り出し続けたイチローが、最後は決勝打を放った。  「あのセンター前というのは、私にとっても生涯忘れられない映像になりました」

大体、義貞も原監督も人柄のよさは似ていると思う。(義貞の人格の良さはあちこちで書いてあります)
どうにも私にはこの2人が重なってみえる。
となれば、イチローは楠木正成だろう。この時代のスーパースターで、しかも「神様的」扱い。
その発言は人事権にまで影響する。(イチローは星野仙一監督解任時、楠木正成は「梅松論」にある湊川の戦い直前の後醍醐天皇への諫言・献策)
そんな英雄・大物までも自分の指揮下にして軍(チーム)を導かなければならないのだ。それは苦悩も多く、指揮官としての孤独感を深めただろう。
それに原采配で文句を言う人や非難するマスコミは実のところ多かった。優勝する前の週刊誌などを読むとよく分かる。
またこんな記事もあった。アメーバニュースhttp://news.ameba.jp/domestic/2009/03/35226.html

「原監督は、昔から批判されやすい」とは野球記者の弁。「これが王監督だったら、ここまで議論にならないでしょう。現役時代から王・長嶋と比較され、成績を残しても、『史上最弱の4番打者』と揶揄されるなど、昔から常に批判対象だった。また、原は打てなくても言い訳をしなかった。爽やかに紳士的に振舞う。清原ほどの才能を見せ付けたことはないし、松井ほど実績があるわけでもない。それも、ファンが批判しやすい一因」
 とはいえ、監督としての実績は特筆モノだ。『巨人の戦力なら、勝って当たり前』とも言われるが、長嶋監督は巨大補強をしても、原監督ほどは勝てなかった。
 野球は、誰でも監督の立場でモノを言えるから、人気がある。野球人気の観点から考えても、ファンが意見を述べやすく、神格化されていない原は監督に適任か。


だが、原監督が義貞のように困難の中にありながらチームを指揮した「名将」だというのは確かなことなことで、あのキューバのカストロもほめているくらいだ。WBCで優勝したからいいようなものの、もし負けていたら、糞ミソに言われていただろう。
でも勝負は紙一重。、負けていたとしても、それは「勝負は時の運」。
義貞は戦いに敗れ「敗軍の将」として、今では散々な言われようだが、もし原采配で負けることになったら、原監督支援の記事を書こうと思っていた。でも勝ったのでその必要もなかったので本当に良かった。

まとめ
後醍醐天皇がナベツネならば、原監督は義貞、そして足利尊氏がマイケル・コルレオーネで、楠木正成がトリックスターということです。
ね、こんな風に南北朝時代も何かに例えると分かりやすくなるでしょう。

「WBC」「ワールド・ベースボール・クラシック」検索で来た方は、このサイト、わけわかんね意味不明のことが書きなぐられているので、全くなんのことだか分からないでしょうね……。

「宗教」「信仰心」ってなんだろう?

9歳少女に中絶手術、医師を大司教が「破門」…ブラジル
 【リオデジャネイロ=小寺以作】世界最大のカトリック人口を抱えるブラジルの北東部ペルナンブコ州で、義父に強姦(ごうかん)され妊娠した少女(9)が今月初旬、中絶手術を受けたところ、カトリックの大司教が、中絶に同意した少女の母親と担当医らを破門した。
 医師側は「少女の命を守るため」と反論、大統領も巻き込んだ大論争となっている。
 地元紙によると、少女は同居する義父(23)に繰り返し性的暴行を受けていた。2月下旬に腹痛を訴えて母親と病院に行くと、妊娠4か月と判明。医師は、少女の骨盤が小さく、妊娠を続けると生命にかかわると判断し、今月4日に母親の同意を得て中絶手術を行った。
 ブラジルでは、強姦による妊娠と、母体に危険がある場合、中絶は合法だが、ジョゼ・カルドーゾ・ソブリーニョ大司教は「強姦は大罪だが、中絶はそれ以上の大罪」と述べ、教会法に基づいて医師らを破門。これに対し、ルラ大統領は「医学の方が正しい判断をした。信者の一人としてこのように保守的な判断は残念」と大司教を批判した。
 大司教は「大統領は神学者と相談してから意見を述べるべきだ」としていたが、高まる世論の反発を受け、司教協議会は12日、「大司教は破門の可能性について言及しただけ」との見解を発表した。今後は、破門の有効性が論議を呼びそうだ。
 カトリック信者の多い中南米では、過去にも、強姦で妊娠した少女の中絶の是非を巡り、激しい論争が起きている。
(2009年3月15日読売新聞)


即日審判で父母の親権停止
 2008年夏、消化管内の大量出血で重体となった1歳男児への輸血を「宗教上の理由」で拒んだ両親に対し、家庭裁判所がわずか半日という異例の速さで親権を一時的に停止、男児が救命されていたことが14日、分かった。病院から通報を受けた児童相談所(児相)は、児童虐待の一種である「医療ネグレクト」と判断し、児相と病院、家裁が連携して法的手続きを進め、一刻を争う治療につなげたケースとして注目される。
2009年3月15日共同通信社


私には、「カトリック」や「輸血を拒否する宗教」に対してどうのこうの言える知識も資格もない。
ただこんな話を聞くと、「信仰」や「宗教」とはなんなのだろうか、と考えてしまう。
人間として持つべき社会的倫理観よりも、信仰心や教義を守る方が大事なのだろうか。
日本大百科全書(小学館)による「宗教」の定義はこうなっている。
「世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則という象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいう。この信念は、生き生きした実在感をもって体験として受け取られ、合理的には解決できない問題から生じる知的、情的な緊張を解消し、人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすものとして期待されている。また、信念を同じくする人々が、教会、教団とよばれる共同体を形成する。 」
太字の部分の一文が、現代の「宗教」に求められているのではないのか。

さて、以下は、3月16日付・読売新聞の社説。

性教育判決 過激な授業は放置できない 東京都議の言動に行き過ぎた面はあったかもしれない。しかし、政治家が教育現場の問題点を取り上げて議論し、是正していくこと自体は、当然のことと言えるだろう。
都内の養護学校の教員らが、学校を6年前視察に訪れた都議から不当な非難を受けたと訴えていた裁判で、東京地裁は3人の都議と都に対して損害賠償を命じた。
 養護学校では、性器の付いた人形を性教育の教材として利用するなどしていた。都議らは教員に向かって「感覚が麻痺(まひ)している」などと批判した。
 判決は、都議が教員の名誉を違法に侵害したと認定した。 改正前の教育基本法が禁じた、「不当な支配」にも該当し、現場に職員がいながら制止しなかった都にも賠償責任があるとした。
だが、都にそこまで教員を保護する義務があったのだろうか。
 当時は、「男らしさ」や「女らしさ」を否定するジェンダー・フリーの運動とも連携した過激な性教育が、全国の小中高校にも広がっていた。 小学校2年生の授業で絵を使って性交が教えられるなどした。 性器の付いた人形が、都内80の小学校で使われていたことも明らかになり、国会でも取り上げられた。文部科学省が全国調査し、自治体も是正に取り組んだ。 都議の養護学校視察は、こうした過激な性教育を見直す動きの一環として行われたものだ。
 原告の教員らは、知的障害のある子どもたちは抽象的な事柄を理解することが困難なため、教材に工夫が必要とも主張している。
 普通の小中高校の場合と同列に論じられないのは、その通りだろう。しかし、性器の付いた人形の使用まで必要なのか、首をかしげる人は多いのではないか。
 養護学校の学習指導要領解説書は、生徒の障害や発達段階を踏まえ、性に関する対応なども重視するよう求めている。
 教育が「不当な支配」に服することを禁止した以前の教育基本法の規定は、日教組などが教育行政の現場への介入を否定する根拠ともされた。 「不当な支配」の文言は、新法にも引き継がれた。しかし、教育は「法律の定めるところにより行われる」とされ、教育委員会の命令や指導は「不当な支配」に当たらないことが明確にされた。
 教育をめぐる問題については、現場の意見を尊重しつつも、広く国民的な議論に基づいて進めていかなければならない。

(2009年3月16日 読売新聞)


信仰、宗教とは何の関係もなさそうだが、そうではない。「哲学、道徳、ナショナリズム、共産主義のようなイデオロギーや社会運動」も一つの宗教とみなせば、ここに出てくる「ジェンダー・フリーの運動」もその一つとなる。
ジェンダーフリーについて書いてあるものを少し読んでみた。「性教育」や「男女同じ便所」など行き過ぎた運動には苦笑しまうほどで、これはまさに迷妄を戒律とした「ジェンダーフリー教」だろう。
この運動の本来の理想は「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること。」であったはずだ。そんな高い理想も「性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる」ことなどで、達せられるはずもない。
「カトリック」や「輸血を拒否する宗教」にも掲げる高い理想がある。だが上記にあった「人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすもの」といういま求められている宗教としての本質を失ってしまい、いつしか教義、戒律を守ることだけが最大の目的となったようだ。

上記にあるこれら3件「カトリック」「輸血を拒否する宗教」「ジェンダー・フリーの運動」は、本質的に似ている。「掲げた理想から遠く乖離していく様や、事象の本質を探究するよりは、末梢的な事柄に拘泥する瑣末主義的な信仰心」といったことからで、これらが同じような形態にあるように思えてならない。

雑多な映画の話。黒澤明は「ネコバス」が好きで、宮崎駿は「太平記」に興味があった!?

「黒澤明・宮崎駿対談集 何が映画か」(徳間書店)から

黒澤 (司会者に促されて)宮崎さんの作品は、僕、みんな見てますよ。「紅の豚」は残念ながら見てないんだけども。
宮崎 いえ、ご覧にならないでください。恥ずかしい……(笑)
黒澤 でもね、言ってくれといわれると困るんだよな。
宮崎 困りますよね。
黒澤 好きなんだよね。好きでさ、面白いから好きになって見てるんでね、それをどう説明したらいい     か……。とくに「となりのトトロ」の、あのバスなんか好きだったな、面白くって。
宮崎 どうも。いやあ……。
黒澤 ああいうことは僕みたいな映画撮ってる限りできないことですから、羨ましいなと思うね。

ということで、黒澤明は「ネコバス」が好きだということが分かった。とっさに「ネコバス」を挙げている点からも、「となりのトトロ」をよく見ていたことになる。
でも、好きな映画として挙げた「となりのトトロ」で、黒澤が興味を引いたのは、ストーリーや面白い場面ではなく、それほど登場しないサブキャラクター「ネコバス」だった。その点が私には気になって仕方がなかった。
ただ単に、そのとき「ネコバス」がパッと頭にひらめいて、ただ口走っただけなのかもしれない。しかし深層心理学において、とっさの一言やポロッと出る言い訳に、ふだんは隠している深層心理や性格が出てくるという。あの不思議な造形の生き物(?)のどこかに、黒澤明の隠された深層心理を知るいいヒントがある(それがどこか作品に反映されているはず)、と思ったのだった。それを基に、またまた話を広げに広げて大風呂敷の与太話を書こうと思ったのだが……、これもまとまりそうにもないのでやめました。(ただ、あとで何か思いついたら書き足します。)
また、黒澤明が大林宣彦監督の「さびしんぼう」が好きだという話も他のサイトで読んだ。(Wikipediaにも出ていた。)
「となりのトトロ」と「さびんぼう」はともに、ノスタルジックな郷愁を誘う雰囲気が漂っている。これが黒澤明の嗜好にあっていたのだろう。
また「さびしんぼう」には富田靖子扮する「ピエロ」のような不思議なキャラが登場する。(ヒロインと二役) そこがよかったのかもしれない。
晩年の黒澤明作品は観念的なものが多い。これを読み解くには、この2作を糸口にしていけば何らかの面白い評が書けるかと思ったのだが……。


で、また「何が映画」からの引用。


宮崎 ……僕は時代劇を一度はやってみたいなと思っているんでけど、こればかりは難しい。どうしていいかわからないんですよね、ほんとのとこ。
黒澤 時代劇、あれは僕はとっても面白いと思うのは、時代劇というと、殿様に対して忠義でなきゃいけないとか、いわゆるそういうモラルがあるでしょう。そういうものはむしろ、徳川時代になって、自分の家の安全のために作ってたんであって戦国時代はとても自由なんですよ。だから、家来であっても「この主人、こりゃだめだ」と思ったら、平気で鞍替えしている。
宮崎 ええ。
黒澤 そういう時代だからこそ、秀吉みたいのが出てきたんだしね。だから考え方が実に自由です。あんな忠君愛国みたいな、絶対に主人には忠実、じゃないんですよ。だめだったら平気で「フン」といって出てっちゃうような時代です。それを書いたら僕は面白いと思いますね。ほんとに自由なんですよ。よくイギリスの人なんかが、シェイクスピアをうまく翻案している。マクベスみたいな人は日本にもいたんですよ。ほんとうにそうなの。だからわりとすんなり、日本の話がシェイクスピアなんかになりますね。シェイクスピアやったらどうですか、日本の時代劇にして。たくさんありますよ、面白いのが。どう?
宮崎 いや、これは……、う―ん。 まずその時代、何を食べていたのか、何を着ていたのか、といところから入らないと。
黒澤 でもね、その文献ならありますよ。昔のもののほうがあるんです。献立を書いたものとかが。
宮崎 室町というのはどうですか。
黒澤 室町頃だってありますよ。室町もいい時代だけどね。しかしやっぱり鎌倉……。
宮崎 南北朝でめちゃめちゃになりますね、「太平記」の時代に。何があったかよくわからな   い。あの時代は僕はどうなのかと興味があって……。
黒澤 そうね、……。


これは、1993年4月の対談となっている。この本では、対談集といいつつも、宮崎が黒澤に質問するという形がほとんどとなっている。内容は「七人の侍」での甲冑や刀、馬のことなど細かい点についての質問が多い。
考えてみれば、宮崎駿はこの後に「もののけ姫」を作っている。1995年から制作が始まり97年に公開。
つまりこの時期が「もののけ姫」の構想段階だということだろう。ここでも「室町時代はどうですか」と宮崎が自分から切り出しているので、この時代を舞台にした話を考えていたのだろう。
この対談が「もののけ姫」に影響されているのではないかと思い、合わせて、浦谷年良著「「もののけ姫」はこうして生まれた」(徳間書店)を読んでみた。
黒澤明 宮崎駿
ここに、黒澤明や七人の侍に関する記事が出てくる。
「主人公アシタカの帯の位置が高いのは『七人の侍』の三船敏郎扮する菊千代と同じ。これは若さと未熟さの象徴……」
「(宮崎)自分でも大好きな時代劇、黒澤映画の最高傑作とも言える『七人の侍』を仮想敵にすることに覚悟が決まったのだろう。」
「(絵本『もののけ姫』のイメージボードが)……導入部は黒澤明監督の『蜘蛛巣城』にそっくり……」
など。
またこの件に関しては、更に詳しいサイトがあったので、そのあたりはそちらをどうぞ。
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/kurosawa_miyazaki.html

ただ、「もののけ姫」の舞台は室町時代後期・戦国時代初期であった。対談集にあったように「興味のあった南北朝時代、太平記の時代」ではなかった。それは私的に残念。ジブリで「太平記」のアニメ化なんてなったら、いいんですけど…。(あるわけないじゃん。)

さて、「となりのトトロ」と「太平記」が出たついでに、トリビア話。
「となりのトトロ」のカンタの声をあてた俳優は、雨笠利幸という子役ですが、この子は、NHK大河ドラマ「太平記」の足利尊氏(真田広之)の子ども時代を演じていた人でした。いまは俳優業をやってないようですが……。

「このミステリーがすごい!~ベストオブベスト~の順位」を見て思うこと。 

前回の泡坂妻夫の記事を書きながら、はっと思い出し、以前買った「もっとすごい!!このミステリーがすごい! 20周年記念永久保存版」を本棚の奥からひっぱり出した。
このミス20周年
これを、パラパラとめくって斜め読みしていたら、これが面白い。
そして、掲載されている「過去20年でもっとも面白かったミステリー&エンターテイメント、1988年~2008年のベストオブベスト」の順位を見て、読んだ当時のことを思い出しながら、いろいろ考えさせられた。
ということで、ベスト40
1位  火車      宮部みゆき   93年
2位  生ける屍の死  山口雅也   89年
3位  魍魎の匣    京極夏彦    96年
4位  私が殺した少女 原寮      89年
5位  新宿鮫     大沢在昌    91年
6位  ダック・コール 稲見一良    92年
7位  空飛ぶ馬    北村薫     89年
8位  双頭の悪魔   有栖川有栖  93年
9位  レディ・ジョーカー  山薫  99年
10位 白夜行     東野圭吾    00年
11位 毒猿 新宿鮫Ⅱ 大沢在昌   92年
12位 男たちは北へ  風間一輝   89年
13位 エトロフ発緊急電  佐々木譲 89年
14位 不夜城     馳星周     97年
15位 煙か土か食い物  舞城王太郎 02年
16位 ダガラの豚   中島らも     94年
17位 絡新婦の理   京極夏彦   98年
18位 時計館の殺人  綾辻行人   92年
19位 三月は深き紅の淵を  恩田陸 98年
20位 模倣犯    宮部みゆき    02年
21位 影武者徳川家康  隆慶一郎  
22位 行きずりの街   志水辰夫
23位 砂のクロニクル  船戸与一
24位 姑獲鳥の夏    京極夏彦
25位 奪取   真保裕一
26位 セント・メリーのリボン  稲見一良
27位 奇想、天を動かす  島田荘司
28位 ハサミ男   殊能将之
29位 そして夜は甦る  原寮
30位 OUT  桐野夏生、
以下40位まで
警官の血 佐々木譲、黄昏のベルリン 連城三紀彦、異邦の騎士 島田荘司、
リング 鈴木光司、亡国のイージス 福井晴敏、生者と死者 泡坂妻夫、
鋼鉄の騎士 藤田宜永、マルドゥック・スクランブル 沖方丁、理由 宮部みゆき、
奇術探偵・曽我佳城全集 泡坂妻夫

これを見ると、2000年以降の作品がほとんど入っていないことが分かる。これは10年前に行われた同企画とほとんど変わらないということ。
総評では「投票者の顔ぶれにあまり変化がないのだから結果が似通うのは当然ともいえるし、評価のブレがないともいえるでしょう。また時の風雪をくぐらないと、ベストオブベストのような企画には評を投じにくいという一面もあるでしょう」とある。
確かにそうなのだが……。
私的には近年のミステリー界は、小粒でそこそこ面白い、小さくまとまった佳作が多いと思う。(それはそれでいいんだけど) ドンと読量感(?)のあるインパクトのある作品が減っているような気もする。そういう目で見れば、たしかに上記に出てくる80年代、90年代の作品群はすごかった。宮部、東野、京極、山と次から次へと新しい作家が登場したが、近年はそういった大物感のある人があまりいないような感じがする…。そういった点から見て、近年の作品が選ばれないのではないかと思う。
それに疑問もある。
恩田陸のベストはこれなのか? 横山秀夫が一つもないのか? あれが入っていて、あの人が入っていない? と、まあいろいろ浮かぶ。

読者投票が以下の通り
1位 新宿鮫     大沢在昌
2位 火車      宮部みゆき
3位 ホワイトアウト 真保裕一
4位 白夜行     東野圭吾
5位 模倣犯    宮部みゆき
6位 マークスの山 山薫
7位 レディ・ジョーカー  山薫
8位 亡国のイージス  福井晴敏
9位 黒い家  貴志祐介
10位 半落ち 横山秀夫
11位 異邦の騎士  島田荘司
12位 永遠の仔  天童荒太
13位 そして夜は甦る  原寮
14位 私が殺した少女 原寮
15位 空飛ぶ馬    北村薫
16位 テロリストのパラソル  藤原伊織
17位 動機  横山秀夫
18位 鉄鼠の檻  京極夏彦
19位 重力ピエロ  伊坂幸太郎
20位 秘密  東野圭吾

これを、選者が選んだものと比較するとものすごく面白い。天童荒太、伊坂幸太郎、貴志祐介といった現在人気の作家がしっかりと入っている。それに、真保裕一は、「奪取」ではなく「ホワイトアウト」の方が選ばれている。横山秀夫が2作も入っている。山薫は「マークスの山」の方が「レディ・ジョーカー」よりも上位。京極夏彦は「魍魎の匣」「絡新婦の理」「姑獲鳥の夏」ではなく「鉄鼠の檻」が入っているという点だろう。(私も「鉄鼠の檻」は好き)
こうして見ると読者選出の方が私は合うかも。ただ、横山秀夫では「震度0」や「クライマーズ・ハイ」のほうが好きだし、東野圭吾は「パラレルワールドラブストーリー」や「片想い」「学生街の殺人」の方が好み。(「秘密」は何故か私の肌に合わなかった)、宮部みゆきでは、「理由」「蒲生亭事件」がいいし、島田荘司は「眩暈」「暗闇坂人喰いの木」あたりの大作が好き。
上記の名前が挙がった以外で、各年のベスト20に入ったものの中で、良かったものを挙げてみると、
赤朽葉家の伝説 桜庭一樹、隠蔽捜査 今野敏、扉は閉ざされたまま 石持浅海、殉教カテリナ車輪 飛鳥部勝則、カムナビ 梅原克文、聖域 篠田節子、グランド・ミステリー 奥泉光……、といったところです。
我孫子武丸、折原一、若竹七海あたりが昔好きでよく読んでいました。
赤朽葉家の伝説画像は「赤朽葉家の伝説」

ついでに外国部門も
1位  薔薇の名前  ウンベルト・エーコ  91年
2位  羊たちの沈黙  トマス・ハリス   89年
3位  ボーン・コレクター  ジェフリー・ディーヴァー  00年
4位  極大射程   スティーブン・ハンター  00年
5位  第二の銃声  アントニイ・バークリー  96年
6位  招かざる客たちのビュッフェ  クリスチアナ・ブランド  91年
7位  少年時代   ロバート・R・マキャモン  96年
8位  緋色の記憶  トマス・H・クック  99年
9位  フリッカー、あるいは映画の魔  セオドア・ローザック  99年
10位 骨と沈黙  レジナルド・ヒル  93年
11位 クリスマスのフロスト  R・D・ウィングフィールド  95年
12位 11の物語  パトリシア・ハイスミス  91年
13位 クリスマスに少女は還る  キャロル・オコンネル  00年
13位 策謀と欲望  P・D・ジェイムズ  92年
15位 暗く聖なる夜  マイクル・コナリー  06年
15位 シンプル・プラン  スコット・スミス  95年
15位 ホワイト・ジャズ  ジェイムズ・エルロイ  97年
18位 夢果つる街  トレヴィニアン  88年
19位 女彫刻家   ミネット・ウォルターズ  96年
20位 誓約     ネルソン・デミル  89年
以下40位まで
ストリート・キッズ ドン・ウィンズロウ、 魔術師 ジェフリー・ディーヴァー、 IT スティーヴン・キング、黄昏にマックの店で ロス・トーマス、 カリブ諸島の手がかり T・S・ストリプリング、
ブラック・ダリア ジェイムズ・エルロイ、 真夜中のデッド・リミット スティーブン・ハンター、
静寂の叫び ジェフリー・ディーヴァー、 内なる殺人者 ジム・トンプスン、
グリーンリバー・ライジング ティム・ウィロックス、 フロスト日和 R・D・ウィングフィールド、
子供の眼 リチャード・ノース・バタースン、 北壁の死闘 ボブ・ラングレー、
あなたの不利な証拠として ローリー・リン・ドラモンド、透明人間の告白 H・F・セイント、
死者との誓い ローレンス・ブロック、 ケルベロス第五の首 ジーン・ウルフ、
壜の中の手記 ジェラルド・カーシュ、 わが心臓の痛み マイクル・コナリー、
猫たちの聖夜 アキフ・ピリンチ

で、ついでに、読者部門
1位 羊たちの沈黙  トマス・ハリス
2位 極大射程   スティーブン・ハンター
3位 ボーン・コレクター  ジェフリー・ディーヴァー
4位 クリスマスのフロスト  R・D・ウィングフィールド
4位 薔薇の名前  ウンベルト・エーコ
6位 ストリート・キッズ  ドン・ウィンズロウ
7位 魔術師  ジェフリー・ディーヴァー
8位 フロスト日和  R・D・ウィングフィールド
9位 ミザリー  スティーヴン・キング
10位 フリッカー、あるいは映画の魔  セオドア・ローザック 
10位 夜の記憶  トマス・H・クック
10位 カリブ諸島の手がかり  T・S・ストリプリング
13位 死の蔵書  ジョン・ダニング
13位 ブラック・ダリア  ジェイムズ・エルロイ
15位 ダ・ヴィンチ・コード  ダン・ブラウン
16位 IT  スティーヴン・キング
16位 少年時代   ロバート・R・マキャモン
16位 推定無罪  スコット・トゥロー
19位 検屍官  パトリシア・コーンウェル
20位 シンプル・プラン  スコット・スミス
20位 静寂の叫び  ジェフリー・ディーヴァー

ここでも、選者と読者の違いが面白い。
ジェイムズ・エルロイも「ホワイト・ジャズ」ではなくて「ブラック・ダリア」。
トマス・H・クックも「緋色の記憶」ではなくて「夜の記憶」。
スティーヴン・キングも「IT」より「ミザリー」が上位。
読者では「ダ・ヴィンチ・コード」「検屍官」「推定無罪」といったベストセラーが選ばれている。

で私の好みはもちろんフロスト警部シリーズです。前にも書きました。新作「フロスト気質」も面白かったな~。関連記事
フロスト気質

あとは、「シンプルプラン」。これは「人間が持っている業」がよく描かれた作品だった。

泡坂妻夫の残した謎

ネタは自身か 泡坂妻夫さん謎めく絶筆 
先月3日、75歳で亡くなったミステリー作家、泡坂妻夫さんが死の直前まで執筆していた絶筆原稿が21日発売の「オール読物」(文芸春秋)4月号に掲載される。話の冒頭部分で終わってはいるものの、残された原稿自体が奇想天外なトリックの名手らしい「謎」を秘めている。
 この原稿は、ヨガ修行者の探偵がイカサマ宗教や超能力のウソを暴く「ヨギガンジー」シリーズの新作で、短編らしい。200字詰め原稿用紙17枚分が泡坂さんの机上に残されていた。
 「ヨギガンジー」は、1980、90年代、本そのものに超絶的な仕掛けをした『しあわせの書』、『生者と死者』を生んだ名シリーズ。泡坂さんは最近数年、時代もの中心に執筆しており、なぜ急に久々の現代ミステリーを手がけたのかがまず謎めいている。
 さらに不思議なのは、死の当日、突然不調を訴えるまで元気に執筆していた泡坂さんが、作中で自らの死を予見するようなヨガのポーズをヨギガンジーに取らせていること。
 ネタばらしになるので詳しく書けないが、ラストの数行も意味深長だ。この原稿を最初に読んだ作家の連城三紀彦さんは、同誌3月号に寄せた追悼文で、「泡坂さんが自分の絶筆としてわざと最後にその文章を残したとしか思えなかった」「トリックの神様とも言える推理作家が、自分の人生をネタに最後のドンデン返しをやってくれた」と驚いている。
 生涯一度の大マジックにあぜんとする読者の顔を、泡坂さんは天国からにこにこ笑ってみているような気がする。(佐藤憲一)
(2009年3月11日 読売新聞)


おっ、と思った記事だったので、そのまま載せてみました。
泡坂妻夫は、「亜愛一郎シリーズ」や「ヨギガンジーシリーズ」も読みましたが、家紋に関する本も結構あってこちらもかなり読みました。(家業が、着物に紋章を描く「紋章上絵師」)

一年ほど前に出版された「このミステリーがすごい」の別冊に、泡坂妻夫のインタビュー記事が掲載されていた。そこに、「ヨギガンジー・シリーズが完結していないので、あれはおいおい片をつけないといけない。」と自身で語っている。となると、それが上記のものだったということになるんでしょうね。
死去する1年前から、これを書こうと思っていたんでしょう、そう考えると感慨深い。
また、「このミス」別冊号には、ヨギガンジー・シリーズ「生者と死者」の話が載っていたがこれが面白い。この「生者と死者」は、すべてのページが袋とじになっていて、そのまま読むと短編小説、袋とじを開けると長編小説になっている、というとてもトリッキーな本。この本なんと、小さな製本屋で一冊一冊手作業で作っていたという。しかし、現在はその製本屋もなくなってしまい、本は全部機械で綴じる時代となってしまったので、この本はつくることができないというのだ。
え~そんな珍本だったのか。だったら取っておけばよかった。
古本屋にあっても袋とじは破られているだろうし…。
アマゾンで見たら未開封のもので1万円以上の値がついている。(開封済みでも2千円) 元が460円の文庫なのに……。
生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術
生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術

見つけたら「お宝」です。

地図を眺めて胸躍る。各地に新田一族の名前が!

ある日のこと。小1の娘が太田市から支給されていた下敷きを使っているのを見た。
その下敷きの表には「太田市憲章」が書いてあり、裏には「太田市の区画地図」が載っていた。
この地図をしげしげと眺め、改めて思った。新田一族の名前が地名として実に多く残っているなと、身に染みて感じ入ったのだった。
太田市区画図

太田市ホームページ「太田市区画地図」
http://www.city.ota.gunma.jp/009access/files/kukaku.gifから

さあ、この地図から新田一族の名前を探してみましょう!
で、奥富敬之著「上州 新田一族」に記載されている「新田一門庶子家の一覧」は以下の通り。
青矢木(青屋木)、浅見(浅海)、荒井(新井、荒居)、安養寺一井(市野井)、今井、岩松牛沢江田、大井田、大岡、大島大舘、岡本、尾崎、小沢、小幡、金井、金谷(金屋)、桐生、久保、額戸(額田、強田)、籠守沢(小守沢)、酒井、佐田、里見、篠塚、青龍寺、関岡、世良田、千、田井、高林(竹林)、田中、谷川、谷島、堤、寺田、得川(徳川)、鳥川、鳥山、豊岡、長岡、中沢、中村、鍋田、成瀬、西谷(西野谷)、新田沢、羽川(羽根川)、畠山、蜂須賀、平賀、古山、細谷(細屋)、堀口、松平、水木、光田(甲田)、桃井、山士(山路)、山名、由良、横瀬、吉田、隈部、脇屋(脇谷)、綿打

太線がこの地図に町名として残っているものです。 でもこれだけじゃない。
綿打は町名ではありませんが、綿打小学校、中学校などの名称があります。
したがって、町名ではなくこういった形で残っているところもあると思われます。
太田市以外では、桐生は、まさしく桐生市として残ってます。
新田四天王の篠塚伊賀守重広で有名な篠塚は、近隣町の邑楽町にあります。
また、この邑楽町には「中野」という地名がありますが、これは、新田義貞が討ち死にしたとき、まさしくそこにいた中野藤内左衛門が有名であり、義貞に退却するようにすすめて、自ずから馬に跳び乗り敵軍に迫って討死した忠臣である。太平記巻二十「義貞自害のこと」にその名が出てくる。この中野氏は新田一族で、地図にある神光寺がかつての中野氏の居城「中野城」があったところ。このサイトが詳しい。http://castle.slowstandard.com/10kanto/17gunma/post_555.html
ちなみに、この隣町・大泉町に児島高徳の墓「高徳寺」がある。


このように新田一族に関連する地名が、この周辺には数多く存在する。まさしく「太平記の里」と言われる所以だろう。
それに、東毛地区以外にも新田一族の名は点在する。上記の新田庶家から拾ってみる。
横瀬は埼玉県深谷市に地名があるが、この辺りも新田一族が支配していました。ここに渋沢栄一の一族菩提寺・華蔵寺がある。(渋沢家は新田一族の末裔であったという説は有名) それにこの寺は新田義重が開基した新田一族ゆかりの寺だというのは「東毛奇談」で書いたところ。http://daikiti431.blog112.fc2.com/blog-entry-17.html
里見氏は、かつての群馬郡榛名町、現在の高崎市里見町にその本拠があった。ここには、里見氏にかかわる史跡が多く残っていて、いまも里見姓が数十家あるという。もちろん千葉県館山市は「南総里見八犬伝」の舞台となった安房国里見家の本拠地なので、そこにも多くの史跡、地名が残っている。このあたりは新田一族・里見氏と徳川家康の関係はこのサイトで散々書いてきたところです。
大井田氏は新潟県十日町市にその地名が残る。また大井田小学校のホームページに大井田氏のことが書いてあったというのは、以前書いたこと。(新田一族の話題。「斎藤佑樹」と「今治市」と「福井県」と「天地人」 の記事のところで書きました。)
越後の田中氏といえば、まさしく新田一族。新潟県には十日町市、魚沼市に田中の地名が残り、 田中温泉は中魚沼郡にある。この周辺はまさしく越後新田一族の本拠地。田中姓については「千利休は新田一族の末裔か?」で触れています。

ちょっと探っただけでもこれだけ出てくる。本格的にもっと調べれば、全国各地で新田一族、または関連した名前を冠した地名が出てくるでしょう。
また、関東から離れた、四国には新田一族の残党が多く残り、新田を祀った神社が多いといった話はよく聞く。また九州には、菊池一族や懐良親王に従った新田一族も多く、太平記巻三十三「菊池合戦のこと」には、岩松、世良田、田中・桃井、江田、山名、堀口、里見らの名が出てくる。これら新田一族とあまり関係ないと思われる地域でも、探せば関連した地名は出てくるのでないだろうか。

また、地名のみではなく、先祖に新田一族に関係した方々が全国に多くいる、というのはこのブログでも書いている。そういった方々からメール、ブログコメントをもらうなど、それらは数十件に及んでいる。
全国各地には、一族の末裔だけではなく、家臣、関係した者ら伝承をもった人々は数多くいるようだ。

こんな話もある。新田次郎著・小説「新田義貞」には、有名な方の先祖が出てくる。箱根・竹ノ下の合戦の章で、中曽根氏が出てくるのだ。
「義貞は竹ノ下の敗戦によって、樋口弥太郎、中曽根次郎三郎、斎藤右馬充等を失った。彼等はすべて、官位を与えられ、侍大将になっていたが、もともと義貞の幼な友だちであり、里見二十五騎として、もっとも信頼していた人たちであった。……」とある。
中曽根氏といえば、元首相の中曽根康弘だ。
中曽根氏の選挙基盤は、高崎市、群馬郡周辺で、まさに新田一族・里見氏の本拠と重なる。生品神社に中曽根康弘元首相書「挙兵650年祈念碑」があるのはこういった関係からだろうか。
 
このように、新田一族は各地に広がっているが、もっと潜在的にいると思う。南北朝時代、新田一族なぞはマイナーなので、気がついていないのかもしれない。ちょっと、気なった方は少し調べてみてください、案外そんな先祖がいるかもしれませんよ。

さて、ということで、ここで今一度叫びます。
「新田市を誕生させる会」発足。いまこそ新田源氏の名を地名に! 記事はここで。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-421.html
やはり、太田市は大泉町と合併したら「新田市」と改称するのが一番いいと思う。



NHK大河ドラマの痕跡はどこにある? 「太田市」と「足利市」と「新田荘歴史資料館」

いつも行くTSUTAYAがレンタル100円だったので、たくさん借りてやろうと思い、店内を物色していたら、そこで、NHK大河ドラマ「太平記」完全版を発見した。総集編ではなく完全版をレンタルしている。
ただよく見たら第1巻だけしかなくて、ほかは貸し出し中だった。(人気なの?)
ということで、1巻だけを借りて、見た。
大河ドラマ「太平記」完全版
いいぞ。とにかくいい。
放送当時は全然興味がなくて、全く見てなかった。だが、「古典太平記」「私本太平記」を読みとおし、「太平記」の関連本を読み漁ってから、いまこうして見ると、これがなかなかよく出来ているのがわかった。
内容もいいが、俳優陣もいい。尊氏役 の真田広之がとにかく若くてハツラツしているし、緒形拳が出てくるとぐっと画面が締まるなと感じ、北条高時役の片岡鶴太郎は最高のハマリ役だと唸り、当時人気絶頂の宮沢りえがピカピカに輝いているなぁ~、などと一々関心しながら見てました。
ほかの出演者も豪華ですね。沢口靖子、陣内孝則、柳葉敏郎、高嶋政伸、片岡孝夫、樋口可南子、柄本明、大地康雄、後藤久美子、原田美枝子、近藤正臣、武田鉄矢、藤村志保、フランキー堺など。
そして、新田義貞役は 萩原健一。でも途中で根津甚八に交替するんですよね。一応病気ということですが、ほんとはアレだったのかもしれないけど…。それに脇屋義助は石原良純か……。
まあそれでも、画面から「義貞」「新田」などという言葉がドンドン出てくるだけで嬉しいです。
それにしても、この時代がドラマ化されたこと事体が奇跡に近いですね。いま考えても、「太平記」の時代を映像化しようとした思い立った方々、それを実行に移した方々、スゴイと思います。それだけでも尊敬に値します。
歴代の大河ドラマでどれが一番良かったか、などというサイトやスレがよく見かけますが、存在意義という点においては「太平記」はピカ一です、テレビ史上唯一の「太平記」の時代を描いたもので、それだけでも希少価値がある。なにしろ歴史モノの番組でさえ南北朝時代は取り上げられることはないのですから。(関連記事)

さて、ドラマのタイトルロールに
大河ドラマ「太平記」1
協力、栃木県足利市と群馬県太田市と出る。
そう、全国には喉から手が出るほど欲しいNHK大河ドラマの撮影地に太田市はなっていた。
でもいまはその痕跡さえない。
足利市には「太平記館」というものが小さいながらも残っていて、そこには真田広之が着た甲冑や撮影風景の写真が展示されている。
足利市「太平記館」2
太平記館 額
太平記のタイトルの額や関連の本なども展示してあった。
足利学校 キティ
足利氏の氏寺・ 鑁阿寺や足利学校の近くにあるのでこんなものまで売っている。(ご当地キティやご当地キューピーのグッズがどれだけ販売されているか、が観光地の知名度のバロメーターとなっているようだ。)

で、いつものように「太田市は?」となればですが……。
なんと撮影に使われたセットは、取り壊したということ。(いつもそんなことばっかりやっている。)
考えてみればかなりもったいない。NHK大河ドラマの撮影地に選ばれ、そのゆかりの地になっているのに、いまではその跡形もない、とは。
大河ドラマに選ばれようと必死になっている自治体や関係団体が全国にはたくさんあるというのに、太田市は今じゃ何も残っていないんですよ!
関連記事

「風林火山」撮影地
これは、長野県千曲市・荒砥城跡(昨年長野へ旅行に行ったときに撮影)、ここは大河ドラマ「風林火山」の撮影で使われたもので、史跡公園となっていた。展示室には、ドラマ撮影時の写真がいくつか飾られていた。(上杉謙信役のガクトの写真もあった。) そこは、入場料が300円だった。その価値があるかは別にしても、料金を取ってでも保存しようというやり方があったということだろう。こういった遺し方も「あり」だったはずだ。
全国では、大河ドラマの誘致活動が活発であるという。(最近の「篤姫」「天地人」などの経済効果が半端ではなく、街おこしという観点からもかなり有効だからだろう) そういった関係者の方へ一言。「太田市は大河ドラマのゆかりの地、撮影地となりながら、その効果を全く生かせず、後年に何にも残すことができなかった」という事例です。これを悪い見本としてください。

さて、嘆いてばかりもいられないので、少なからず全国にいる新田一族ファンに朗報を一つ。

太田市は4月1日に東毛広域市町村振興整備組合から移管される「東毛歴史資料館」(同市世良田町)の新名称を「市立新田荘歴史資料館」にすることを決めた。東毛歴史資料館は3月15日で閉館となり、新名称での開館は4月下旬を予定している。
東毛歴史資料館は現在、太田や館林など東毛地域二市五町の歴史資料などを4千点を所蔵、展示している。今後は、4月下旬の開館に向けて、館林など1市5町に関する資料を関係市町に返却するとともに、収蔵庫内の整理や展示品などの準備を進めていく。
同市では一昨年5月、新田義重の四男・義季が開いたとされる長楽寺(同市世良田町)の西にある「新田家の墓」を新田氏の関係者から譲り受けるなど、同氏関連の資料を充実。今後は、新田義貞に特化した資料館として、リニューアルさせるとともに、来館者の増加なども目指していく。(上毛新聞 平成21年3月2日付け)

とあった。
このサイトで以前紹介した新田一族の資料館の名称が「新田荘歴史資料館」となったということです。

これは楽しみでもあり、また、新田一族、太平記、南北朝時代を盛り上げる切っ掛けとしたいものです。

それにもう一度ここで叫びます。

「新田市を誕生させる会」発足。いまこそ新田源氏の名を地名に! 記事はここで。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-421.html
やはり、太田市は大泉町と合併したら「新田市」と改称するのが一番いいと思う。

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