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「浅田真央を…?キム・ヨナ爆笑!韓国TV番組で」の一件について。

 韓国女子フィギュアスケート選手のキム・ヨナが韓国のバラエティ番組に出演した際の動画がユーチューブ(YouTube)に掲載され、物議をかもしているようだ。掲載後1日で約1万回の再生、100件以上のコメントがついている。
 映像は、キム・ヨナが4月25日に出演した韓国のバラエティ番組を編集し、日本語字幕と解説を加えたもので、再生時間は約3分。番組の中でキム・ヨナは、出演者たちとスケートの話題で盛り上がっている様子で、その中では出演者が「アントニオ猪木」や「浅田真央」の名前を連呼している。また、出演者が浅田真央の名前を言い間違えた際、他の出演者と一緒に笑っているシーンもある。
 動画の投稿者は「キムヨナ爆笑!韓国TVで真央中傷コント」というタイトルをつけ、解説の中でも「出演者は明らかに浅田真央のことをバカにしていて、キム・ヨナはそれを大笑いしている。先日の練習妨害疑惑も含めて、スポーツ選手として非常に疑問」といった観点から説明している。この動画に対してつけられた100件以上のコメントも、そのほとんどがキム・ヨナ自身や出演者、そして番組自体を批判する内容で占められていた。
 この動画は投稿者によって編集されたものであり、そこから全てを判断することは危険である。しかし、いずれにせよスケートリンク外の不用意な行動・言動は、マスコミや世論の格好の餌食となる。日本選手いじめと取られるような一連の行動が、キム・ヨナ自身が意図したものかどうかという議論は置いておいて、ぜひ今後もリンク上で浅田真央らと名勝負を繰り広げてほしい。(編集担当:柳川俊之)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090428-00000032-scn-spoから

早速、動画を見てみた。
これは酷い。
余りもひどいので、ブログにYouTubeの動画を貼り付けようと思ってたら、すでに動画は削除されていた。
http://news.searchina.ne.jp/topic/youtube/topic.cgi?topic=y20090428001取りあえず載っていたサイトはここ。
そのうちまたUPされると思うので、見てない方は見て下さい。見れば必ず腹が立ちます。
これは韓国だから云々という話ではなく、もし日本でこんな番組があったなら、直ちに問題になると思うような内容だった。
ただ日本じゃありえないだろうな。2008年に浅田真央が優勝したとき、フジテレビ「とくダネ」では、キム・ヨナの方が上だったなんて平気で放送していたくらいだから。(これは別の意味で酷かったhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1021509555)
日本では、浅田真央が勝ったからといって、キム・ヨナを褒めることはあっても貶めるような番組はこれまで見たことはない。それに、国際大会で日本人が優勝したり、金メダルを取ったりすれば、熱に浮かされたように国民は大はしゃぎはするが、対戦相手をバカにしたり、愚弄するようなことは見られない。これは日本人の国民性だと思う。(ただしひねくれ者の例外の人もいるが…)
これをもって韓国がどうだとか、その国の人がどうだというのをここで問うまい。(そこは「2ちゃんねる」で)
ただ韓国の反日感情はこういったところに出るのかと感じた、一件だった。

もう一点、この件について。
戦いにおいて「対戦相手に敬意を払わない」ということが、私はどうも気に入らない。
これは「WBCの日韓戦で、韓国選手がマウンドに国旗を立てたこと」とか「サッカー日本代表監督・岡田監督の相手国への侮蔑態度」とか「ボクシングの亀田兄弟が対戦相手を罵る」とか「朝青龍の勝てばなんでもいい」とか、そういったことがどうにも我慢がならないのだ。
勝者とは敗者があって成り立つもので、その下には多くの敗者があるということを勝利者は自覚すべきであり、勝負は時の運で、勝者もいつかは敗者になるかもしれないのだ。今日勝ったからといって明日勝てるとは限らない。それなのに、いっときの勝利に浮かれ、対戦相手を卑下するような態度に出る人は、本当の勝利者ではないのだ。
それがどうであろう。このテレビ番組でのキム・ヨナは。
(ここで最も許されざる者は、悪乗りしている芸人や悪意を以て制作しているテレビスタッフであり、それに乗せられているだけではあるが、しかし…)
ライバルをバカにし、おちょくって、嘲け笑うのは、勝者のすべきことではない。
だから、そんな人がいくら勝負に勝ったからといっても、それは褒められるものではない。
もし、日本人がそんな行為をしたら、私はその人を尊敬することはできないだろう。
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草薙剛のあの事件

当初「草薙剛の事件」が報道されたときは「公然わいせつで逮捕」などと大袈裟だったが、次第に状況が詳細になるにつれ、世論は、草薙氏を擁護し、同情していく流れになった。その様が、私にとっては興味深かった。
ファンでもアンチでもない私でさえ、彼を弁護しようという気にさせられた。
そこが不思議だった。

ではまず、丸谷才一・山崎正和対談集「見わたせば柳さくら」(中央公論社)から

山崎 「都市というのは、つまり人工的な世界ですよね。日本の都市というのは、西洋や中国の都市に比べれば融通無碍なものなのですけれども、それでもここは官庁街であり、ここは屋敷町である、というひとつの秩序をもっています。それから、たいていの場合、政治の中心ですから、法という秩序が支配しています。だから、これは広い意味でフォルムの世界だといってもいいんですね。芸術上のフォルムから法律や制度のフォルムまでを含めた、何か形のある世界ですね。これは人間の文化の営みとして必然の産物だけれども、放っておくとだんだん生命力を失います。
これに対して混沌たる生命というのは、やはり土のところにある。つまり、農村にあるわけですね。それが、ときどき間歇的に都市へ流れ込んでいく。そうすると、都会人は狂うんですね。狂って、生命力をとりもどしていく。
丸谷 「狂うことによって、回復するわけですよね」

と、ここから、芸能、田楽、そして、桜の花見へとつながっていく。
要は、都会人は常に抑圧された秩序の中で暮らしているが、それが続くと「生命力」を失う。つまりは、生きていくのが嫌になる。だが、ときどき土のあるところ(桜の花見や公園など)で、馬鹿騒ぎするようなことで生命力を「回復」していくということなのだ。
まさに、草薙剛。
また、相撲取りがなぜハダカなのかというところでは、「日本人の感受性の中に、裸になるというときに秩序の転換があるわけですよ。」とある。ここで例に挙げたのが「ケツをまくる」という言葉で、本文では「いろいろな事が紛糾したときに捨身になるとか、振り出しに戻って日常の秩序とべつのところで勝負しょうとか……」とある。
「日本人がハダカになる意味」は、「日常のリセット」、裸になることによって「穢れを落とし、魂の再生産が行われる」ということだと、私は解釈した。

また酒について一節引こう。
樋口清之著「日本人はなぜ水に流したがるのか」(PHP文庫)から、

「……皆で一緒に飲み食いすることは、神を媒介にして、魂を通じあわせる共同意識、連帯意識の確認行為なのである。
また、酒を飲むと陽気になり、ふだんおとなしい人でも騒いで歌ったり、踊ったりする。いわゆる“無礼講”である。中には暴れだし、けんかをふっかける者もいるが、古代の人はこのことを「酒を通じて神が人の中に入ってきた」状態と考え、一種の「神がかり」だと考えた。
これは悪いことではない。魂に純潔な神が入ってきて、その人間の名誉心や欲望など悪しきことを洗い流して自然な状態に戻すと信じられていた。
つまりは、酒を飲むと自然な状態になり、はだかの付き合いができると考えられていたのである。これが、共飲信仰を生みだす。日本人は昔から酒に頼らなければ、自分を解放できないほど集団、組織の中で抑圧されていたのだろうかとも考えてしまうが、共に飲んで自分をさらけだすことで、関係も深まるのである。」

太字の部分を読めば、なんとなく今回の事件を許してしまう部分がある。これはみんな感じていることなので、「自分を解放してしまう行為をした彼」に共感してしまうのではないのだろうか。
つまり、彼の当夜の行動は、あまりにも儀式がかっていた。
舞台装置が、あまりにも揃っていたのだ。
酔った体(トランス状態)、桜の散った春、夜明け前の静寂、コンクリートで囲まれた都会の中にある唯一の自然(公園)、そして、儀式を執り行う彼ただ一人。
そう世の中の人々は、抑圧された日常からの「魂の再生」を望んでいる。
刑罰的には許されない行為ではあるが、彼に同情する人々は、そこに自分を重ね合わせてしまったのかもしれない。

まあ、ただの酔っ払いの行き過ぎた行為だ、といってしまえばそれまでですが……。


追記  はじめこのことを聞いた時、最初に思い出したのが「尾崎豊が死んだ」ときのことだった。
泥酔状態、半裸で発見、暴れたなど、その時発見されたのが4月25日だったはずだ。
状況もそうだが、その日にちが気になった。草薙の事件は4月23日だった。
春の深夜の深酒は、どうやら人を惑わすようだ。

「新田荘歴史資料館」が開館。しかし太田市ホームページはいまだに「東毛歴史博物館」になっている。

上毛新聞 平成21年4月26日付け

東毛広域市町村振興整備組合から太田市への移管に伴い休館していた、太田市世良田町の「東毛歴史博物館」が25日、「市立新田荘歴史資料館」に改称しリニューアルオープンした。
新たな幕開けを記念した第一回企画展「新田荘の平成名宝展」が同日スタート。平成になってから県や市の重要文化財に指定された「世良田諏訪下古墳群出土埴輪」「爪形文土器」「岩松家伝来の兜」など約70点の文化財を紹介している。
清水市長らによるテープカットの後、開館を待ちわびた市民らが訪れ、地元の名宝を興味深そうに見ていた。
入館料は一般200円、中学生以下無料。企画展は6月14日まで。5月4日を除く月曜日と5月7日が休館

ついに開館したようです。
私はGW中は仕事で忙しいので、もうしばらくしてから行く予定です。

さて、どんな内容かと思い、「新田荘歴史資料館」を検索してみましたが、あまり詳しく書かれたものはないようです。(恥ずかしながら当ブログが上位で出てました)
そして、太田市のホームページを見て、驚愕!
いまだに「東毛歴史博物館」になってる。しかも、「長楽寺」の写真も建て替え前のものが掲載されている。
http://www.city.ota.gunma.jp/sangyou-kankou/kankou-tokusan/ojima.html
真っ先にこういうところから変えるべきじゃないのか!
ちなみに現在の長楽寺は長楽寺 近景こうなっています。

こういうところを見ると、いかに太田市が「歴史・文化」を無策、無視、放置しているのかがよく分かる。
残念でならない。

 太田市の現状の記事のまとめ
「新田市」を誕生させる会。歴史ある「新田」の名を地名にしょう!」
「地図を眺めて胸躍る。各地に新田一族の名前が!」
関連記事①、 
関連記事②
『太田女子高から足利女子高へ「挑戦状」 現代にも残る「新田vs足利」』
『NHK大河ドラマの痕跡はどこにある? 「太田市」と「足利市」と「新田荘歴史資料館」』
「斎藤佑樹君は新田源氏の生まれ変わりか?」
国宝・武人埴輪の故郷はそこではありません。 歴史・文化遺産の放置は本当に許せない!




片岡鶴太郎が太田市に来てしたことは、焼きそばを食って、スイカを食うことだけだった。

群馬テレビ「鶴太郎のぐんま一番」は、金曜日19:30~20:00までの30分番組。
「片岡鶴太郎さん率いる「いいとこ見つけ隊」が県内各地を巡り、地域の潜在力(魅力)にスポットを当てます。見つけ隊と県民とのふれあい体験を通じて、それぞれが群馬の魅力を再発見、評価、紹介します。」と番宣にある。
平成21年4月24日の放送は、「太田市」だった。
私にとって片岡鶴太郎といえば、そりゃ~もう何をおいても「北条高時」なんですよ。
その北条高時が、新田義貞の故郷に来るというのですから、もう大変!?
ある種の興奮や期待があったわけですよ。
しかし……。
番組では、まず太田市の名所・子育て呑龍こと大光院へ行ってお参り。ここで、徳川家康が祖先の新田義重を祀るために建立したなど、といったコメントが入る。
片岡鶴太郎と大光院画像は大光院での鶴太郎。
そして、太田名物の「焼きそば」を食って、藪塚本町に行って小玉すいかを食っていた。
それで番組終了。
がっくり。
一つぐらい、新田氏の史跡に行ったっていいのに……。

分かってますよ。これは地方テレビ局のゆる~い企画だということは十分に承知しています。
そんな身勝手な期待を抱いて番組見ていた私がいけないのですから……。
「いいんじゃね~の、太田名物・焼きソバが宣伝出来たんだから」という声も聞こえそう。
でも見てみたかったな、新田氏関連の場所に行って、「北条高時」が語る姿も見たかったな。
思ったのは、地方ローカルテレビではもったいないほどの有名人を使うのだから、もう少し内容があってもいいんじゃないのかな。これじゃ片岡鶴太郎がもったいない、と思う。
ただ、これも、勝手な私の独り言です……。


奇説その4、「トミー・リー・ジョーンズ」と「中島みゆき」と「アルカイック・スマイル」と「みうらじゅん」

サントリー・コーヒー・ボスの新作CMを見ました。
トミー・リー・ジョーンズが知事に扮するものだった。これ、いいですね。今のタレント知事を揶揄したような内容のもので、風刺も効いている。(ただしロングバージョンでないと意味が通じない。)
ということで、ボス・CMの過去のものが見たくなって、ユーチューブで探して見まくった。
その中の一本に深く感激。

「地上の星」編の1分のロングバージョン。これは初めて見た。NHKのプロジエクトⅩ風なのだが、これは泣ける。コメント欄の中に「この僅か、1分間の短編映画、100億円の超大作より良い。 」という書き込みがあったが、このコメに賛同したい。

ということで、今度はこれに関連して、中島みゆきの「地上の星」を見る。

これは紅白歌合戦のときのもの。
当時この映像は見てなかった。それを今になって見て、ただもう感動した。なんでしょうかこの「神々しさ」、ほとんど神様の領域ですよ。
そして気づく。
中島みゆきが見せる微笑は、「アルカイック・スマイル」ではないかということ。
「アルカイック・スマイル」とは「古拙の微笑。紀元前8~5世紀ごろまでのギリシャ彫刻に見られるもので、ほほ笑むような表情を浮かべているもの」。日本の飛鳥時代の仏像にも見られる。
また、梅原猛著「隠された十字架 法隆寺論」にこんな一節が、「この法隆寺や中宮寺にある仏教の口もとに浮かぶかすかな微笑をアルカイック・スマイルといって、フェノロサはモナ・リザの微笑に比した。モナ・リザは謎の女である。謎の女は謎の微笑を浮かべて、ひとびとを魅了する。法隆寺の仏像も、謎の微笑を浮かべて、ひとびとを魅了する。」とある。
中島みゆきが時折見せる微笑は、どこか人を引き付けるものがある。

そして、「地上の星」を聞いて思った。
「名立たるものを追って、輝くものを追って、人は氷ばかり掴む」
う~ん、この歌詞の意味するところがようやく分かってきた。私もそんな歳になったようだ。


追記 日本の「アルカイック・スマイル」の代表は広隆寺の弥勒菩薩だが、これを基に「ウルトラマン」を造形したという話はよく聞く。また弥勒菩薩=ウルトラマン説は、みうらじゅんが唱えているもので、これを初めて聞いたときはいたく感心したものだった。たしか表情、容姿だけではなく、数億光年離れたところから人類を救いにくる様と、57億7千万年後に衆生を救うという様が似ているなど、諸々の話を熱く語っていた。
この奇説は素晴らしい。
それに奇説を唱えるときに必要なのは「情熱だ」というのも、みうらじゅんを見て知った。

奇説その3  経済欄で、「御霊信仰」?

平成21年4月19日付 読売新聞 経済版「政なび」 から
題は「正論、異論 平氏と源氏」(政治部次長 伊藤俊行)
内容は、麻生総理の民主党への対応を批判したもので、同じ面に「首相上機嫌 浮かれ過ぎ懸念」の記事があるので、ここは一つ叩いておこうといった内容でした。(ほんと政治記事は記者のさじ加減ひとつです。)
で、私の気を引いたのが、記事の最後の部分。

追加経済対策を主導した与謝野財務・金融・経済財政相の祖母で歌人の与謝野晶子は1917年、政友会と憲政会の争いを嘆き、こう書いた。「代議士政治の採用された今日なお、平氏と源氏、新田氏と足利氏の関係を以て対峙」して、「国民の利害と国家の消息とを口実としながら、実は政権の争奪を以て主要な目的としております」(『愛、理性及び勇気』)と。……

ここで国を二分して争うことの例として、与謝野晶子が「新田氏と足利氏」を出していることに興味を覚えました。
現代では、このようなとき「源氏と平家」といった例であれば容易に理解されるが、ここで「新田と足利」などと例えを出してもピンとこないかもしれません。
与謝野晶子がこれを書いた大正6年の当時、新田氏や楠木氏など南朝方は天皇に尽くした忠臣の鑑として持て囃されていたので、一般の人にも「新田、足利」は話として通じていたでしょう。現代では南北朝時代は全くもって不人気なので、「新田って何」っていったところではないでしょうか。
さてもう一つ。与謝野晶子は「平氏と源氏」「新田氏と足利氏」と書いてます。何気なく読み飛ばしてしまうところですが、これ重要です。平氏や新田氏を、源氏や足利氏よりも先に挙げている、つまり滅ぼされる方を先に出している点です。
一般的には、上位の方を先にいう、または親しみを覚える方から言う、のがふつう。
上位の人の名前を先に出すということに異論はないでしょう。ではもう一方のたとえとすれば、サッカーや野球の国際試合では「日本対韓国」などと、日本人は日本を先にいう。これが韓国人だったら「韓国対日本」というはずだろう。また、関西では「阪神対巨人」と必ず阪神を先にいうと聞く。(大阪で「巨人」を先にいったら怒られた、といった笑い話をしていた芸人がいた。)
とにもかくにも、順序はとても大事なのだ。
では、ここでは、なぜ「滅びた方」を先に出すのか。
私は、ここに「御霊信仰」があるのではないかと見る。
「怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。」Wikipedia
この「御霊を鎮める信仰」の一つとして、御霊を慰めるために敗者を勝利よりも上位に奉っているのではないか。
与謝野晶子が新田氏や平氏を先に挙げたのは、無意識的ではないかと思う。だが昔の人々にはこういった意識がまた心底にしっかりと身についていたのはないかと思う。
それがこの「平氏と源氏、新田氏と足利氏」という一文に表れているのだと感じたのだ。

さて、これに合わせてむかし読んだ本のことを思い出した。
「義経記」「将門記」「信長公記」これら何と読むか、ということ。
これ順に「ぎけいき」「しょうもんき」「しんちょうこうき」と読む。なぜ、源義経、平将門、織田信長に合わせて「よしつね」「まさかど」「のぶなが」と読まないのか、不思議であった。
その理由がある本に書かれていて、「このように非業の死を遂げた者を呼ぶ時は、わざと呼び名を変えて読む、そこに「御霊信仰」がある」といったことを読んだ。
確かに書いてあったのだが、どこで読んだかいま思い出せない。
たぶん、梅原猛か小松和彦か荒俣宏か井沢元彦……、そのあたりだと思う。
探してあったら、また書き足します。

歴史上の偉人を映像化するって難しい

孔子 映画化で波紋  カンフーや恋愛「聖人汚す」クレーム
経済発展に伴い大国意識が高まる中国で、儒教や道教など自国の伝統文化を学ぶ「国学」ブームが過熱する中、「孔子」(紀元前551~同479年)の生涯を描いた映画の撮影が、年末の公開を目指して始まった。だが、世界の孔子の末裔でつくる組織や学術団体が「歴史を尊重し、『聖人』としてのイメージを汚してしてはならない」などと公開書簡でクレームをつけ、製作者が慌てて釈明に回るなど、撮影開始後1ヶ月もたたないうちに、いきなり波紋が広がっている。
中国紙「北京青年報」などによると、書簡を発表したのは「中華講師学会」など26団体で、一部マスコミが「孔子の三角関係やカンフー・シーンが描かれる」と報じたことを問題視した。書簡は「孔子の卑俗化は聖人を侮辱するだけでなく、大衆をも侮辱することになる」と非難。
これに対し、製作者側は11日、この報道を否定した上で、「歴史の改ざんはしていない。厳粛な歴史人物映画だ」と強調。
ただ、「映画は芸術で学術ではない。必要な芸術上の想像力は発揮すべきだ」と一定のフィクションに理解を求めており、本格的な論争は公開後に持ち越された。
孔子は、香港の大スター、チョウ・ユンファ(周潤発)氏が演じ、アカデミー賞の最優秀外国語映画賞の受賞を狙っているとされる。<北京=佐伯聡士>(読売新聞 国際版 平成21年4月15日)

(佐伯聡士さんの記事は当ブログ2度目の登場)
イエス・キリストの話が映画化されると(「メル・ギブソン監督・出演の「Passion of Christ(パッション・オブ・キリスト)や、マーティン・スコセッシ監督『最後の誘惑』や、ロン・ハワード監督「ダ・ヴィンチ・コード」など)、よくカトリック系の団体から上映反対運動があります。これと似た感じといったところでしょうか。
で、スケールはだいぶ小さくなるけど似たような話を一つ。

「知名度高め村PRに」「悪役イメージ広めた」

 義仲は京都で乱暴狼藉(ろうぜき)を働いたと伝えられるが、「都での乱暴は、義仲以前もあった。義仲だけに汚名を着せるのは適当ではない」との擁護論も出ている。
 ドラマで、俳優の小沢征悦さんが演じる義仲は、入京後、都での派手な生活におぼれ、兵たちを統制できずにいた。義経は、義仲軍の横暴を止めようとするが、義仲が耳を貸そうとしなかった場面も描かれた。  県内外の郷土史家らでつくる「木曽義仲史学会」の千村清文事務局長(50)は「田舎者という描き方で、視聴者が史実と受け止め、悪者イメージが広がったのでは」 と懸念する。実証的な義仲研究で知られる村の郷土史家、田屋久男さんの長男、万芳(かずよし)さん(51)も「時代背景の説明が不十分で、義仲をそこつ者と描きがちだったと思う」と残念がる。
 一方、評価する声もある。日義村の今井元秀村長は「配役が良く、豪快な武将として描かれた。登場回数も多く、村のPRになった。主役は義経だから、引き立て役となりがちなのは仕方ない」と話す。 NHKによると、義仲入京を放映した6月12日から、26日にかけての3回の視聴率(ビデオリサーチ社調べ)は、関東地区18・9~20・9%、 関西地区14・5~18・2%。義仲の知名度が高まったのは確かと言えそうだ。 日義村振興課は「義仲への関心を一過性で終わらせないため、何をすべきか考えたい」とし、木曽義仲史学会も「今度は、義仲が主役の大河ドラマを」とNHKに陳情する考えだ。


元ネタhttp://ninjax.dreamhosters.com/mnewsplus/news18_mnewsplus/1119/1119927016.html#R860 読売新聞から引用したようだ。
2ちゃんねるなので、この後にだらだらとコメントが続くが、そのどれもが「ドラマなんだから文句言うな」とか「そんなことにケチをつけるな」とかいったものがほとんどだった。
しかし、ドラマ制作者にケチをつけたくなる、この木曽義仲ファンの気持ちはよ~く分かります。(なにしろ私は新田義貞ファンなので…)
ドラマや映画、それに小説の影響力ってほんとに凄いんですよ。
こうして付けられたイメージは、見た人の頭にそのまま刷り込まれ、それを拭い去ることはなかなか難しいものなのだ。
しかもそれが、ドラマや映画となると、物凄い数の人が一斉に同じもの見ることになる。それは、本や史料を読む人の数とは比べようもない。この影響力は計り知れない。
これが良く描かれていればよいが、悪意あるものだとそのイメージだけが印象に残り、その部分がより一層記憶として刻み込まれ、それを基にその人の「人物像」が形成されてしまう。(「義仲は乱暴者」とか「義貞は女に溺れた」とか「吉良上野介は悪人だった」とか)
実は、これは恐いことなのです。
歴史モノの映画やドラマが増えるのは嬉しい限りですが、ひとつだけ作り手にお願い。
ほんと、歴史上の偉人をあまり変な風に描かないで……。
これが切なる願いです。
これが、http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-285.html
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-259.htmlなどにつながっていくわけです。



太田市長と大泉町長のケンカなど見たくない。

全国の新田義貞及び新田一族ファンの方へ、これがいまの太田市の現状です。

「正義が勝った」の大泉・斉藤氏批判  太田市、ブログで
太田市の清水聖義市長は、15日、大泉町長選で、初当選した斉藤直身氏が、テレビのインタビューで「正義が邪悪な者に勝ちました」と発言したことに対し、ブログで「敗者を『邪悪な者』と決めつけるのは、正義をいう人の言葉なのか」と批判した。
ブログでは、斉藤氏が太田市との合併について記者会見で「太田市から合併を申し込んできたのだから、向こうから話をすべきだ」と答えたことについても、「『向こう』とか『こっち』とかはけんか腰の言い方」と嫌悪感を示し、最後には「なんでも斎藤さんが自分でやっていかれればいい。太田市は困りませんから」と“決別宣言”で締めくくっている。
大泉町長選は、同市との合併協議を進めた現職の長谷川洋氏を、協議の白紙撤回を掲げた斉藤氏が破った。斉藤氏は長谷川氏の合併の進め方について「民意を問うてない」などと批判していた。斉藤氏は「ブログに対して反論しない。町長になってから話をしたい」としている。 上毛新聞 平成21年4月16日付け

ということで、問題の市長のブログ記事を読んでみた。
http://blog.goo.ne.jp/shimizu_ota/e/8d7662e7574f3bba1293adb17d720831

一言、「子供のケンカか!」
太田市長も大泉町長も、もっと冷静になってください。こんな言葉じりをとらえて言い争いようなことしている時勢じゃないはずだ。
事は重大だ。http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-469.html
気に入らない相手だからといって、簡単に決別宣言してる場合じゃない。(片方はブログで、一方はマスコミで、こんな恥ずかしいことを公に晒して、全国の方々にみっともない。)
こんなことをトップの2人が表立ってやっていること自体、「民意を無視している」ことだ、ということをよく考えてください。

ということで、新田市を誕生させる会を今一度!

奇説その2 「テポドン=男性器説」はなかなかいい奇説です。

最近読んだ奇説で気に入ったもの
http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009033001_all.htmlから

ロケットは男性器の象徴!? 北“テポドン祭り”計画
奇祭評論家・杉岡氏が力説

98年のテポドン1号発射を祝して北朝鮮が発行した記念切手(クリックで拡大) 北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射後に「平和な人工衛星」打ち上げを祝う“お祭り”を計画していることが30日、分かった。当初は来月4日とみられていたミサイル発射日は、天候の関係から6日以降になる可能性が高いが、専門家はこのミサイルが「北の祝砲になる」と指摘。港湾都市・元山付近で中・短距離ミサイルの発射準備を進めていることも発覚したことから、“祝砲”を撃ちまくって金正日総書記の快気祝いにするつもりのようだ。
 消息筋によると、お祭りは、故・金日成主席の誕生日(4月15日)の祝典と同時開催される。韓流ならぬ朝流スターが所属する数十もの芸術団が公演するほか、平壌市内の金日成広場でも集会が予定されているという。
 コリア・レポート編集長の辺真一氏は「金正日総書記は4月9日に行われる最高人民会議で姿を見せ、完全復活をアピールする。テポドン2号はいわば、健康回復に対する祝砲」とミサイル発射の意味合いを説明する。
 北朝鮮は1998年8月のテポドン1号発射時に記念切手を発行。2006年10月の核実験時も、実験から11日後に平壌で10万人規模の祝賀集会を開催した。
 民間研究者の1人は「祝典は『成功』を前提にしたもの。万が一、テポドン2号が爆発したり途中で落下しても、98年のテポドン1号で衛星を軌道へ乗せるのに失敗したケースと同様、強引に『成功した』と宣言するに違いない」と言う。
 ミサイルと祭りの関係について、奇祭評論家の杉岡幸徳氏は「ロケットは男性器の象徴ではないか。武器の誇示は、性を誇示したいという祭りの根源的なもの。日頃やってはいけない暴力的なことを発散させたり、性の発露としてロケットと祭りはつながりがある」と独自の説を披露する。いずれにしても、北はミサイル発射を控え、興奮状態にあるようだ。


一読するとトンデモ説のようだが、これはいいです。
というのも、以前ここで書いた「恵方巻きとは何か その2 恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか(仮説) 」と一脈通じるものがあるからです。
柱を立てる(諏訪大社の御柱など)、火を付ける(各地の火祭り)というのは祭りには欠かせないものである。また、北朝鮮のミサイルは、中国の旧正月の爆竹に近いものがあるのではないか、とも思ってしまう。
こう考えると、これは深い話なのかもしれない。
ということで、これはいい奇説なのです。

この奇祭評論家の杉岡幸徳氏は、「勾当内侍の野上祭り」を詳しく書いているので、著作も、氏のサイトもよく読んでました。このサイト、実に面白い。

奇説その1 「ネコバスはミフネだから、黒澤明が好きなんじぁないの?」説

昨日、久々に友人と会った。そのとき地元の歴史・文化を放置し続ける太田市長が再選されたことについて、いろいろと語り合って盛り上がった。
そのついでに、「黒澤明はなぜネコバスが好きなのか」という話になった。(暇ですね~)
その時の記事。
友人曰く「ネコバスは、三船敏郎みたいな動きをするから好きなんじゃないの。確か、黒澤が三船を選んだ理由は、動きが躍動的で、力強く、野性味あふれる山猫みたいだ、とかなんとか淀川長治が言っていたような気がする」というのだ。
あまりにも唐突な意見なので思わず吹いたが、その主張を聞いているうちになんとなく納得してしまった。
ネコバスもミフネも縦横無人にスクリーン上で動く。そのダイナミックな動きはまさに黒澤好みだったというのだ。
三船敏郎
ネコバス

それに「となりのトトロ」のネコバスは、物語上、どこか黒澤明の描く「サムライ」ぽい役割に似ていると言うのだ。
たとえば「用心棒」「椿三十郎」も行きがかり上、頼まれて人助けをする(渋い顔をしながらも)、無言(?)でメイやさつきを助けるネコバスの存在と似ているというのだ。しかも、最後には主人公たちに感謝される(トトロでいえば、さつきやメイに。用心棒でいえば助けた妾夫婦や居酒屋の親爺、椿三十郎でいえば若侍たち)が、そんなときも、どこか照れくさい顔をすると、いうところまで似ているというのだ。
それに、無償の行為、困った人を助けるというのが「赤ひげ」のテーマに通ずるという結論まで持っていってしまった。

う~ん、
まあ、
酔っ払いの与太話なので聞き流して下さい。

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消えた二十二巻

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