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「ミス・ユニバース日本代表」の卑猥な衣装に見る、日本文化の破壊

ほんと、どうかしてるとしか思えない。
宮坂絵美里
なんすかこれ!
普通に見ても「それはないだろう」と思う衣装だろう。
私には、頭のイカレタ、ヤリマン女にしか見えない。

産経ニュースから 
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090728/tnr0907281357010-n1.htm

過激すぎるミスユニバース日本代表の衣装に、抗議、批判、非難
8月1日から選考が始まる「ミス・ユニバース」の日本代表、宮坂絵美里さん(25)がナショナルコスチュームとして着用する衣装に批判が起きている。牛革レザー製の黒振り袖に、下半身はショッキングピンクの下着とガータベルトというド派手な衣装だが、これに対し、帯職人や着物の販売店がデザイナーに直接抗議しているほか、デザイナーのブログにも「日本が誤解される」などと1000件以上の抗議が寄せられているのだ。
 「私どもが衣装合わせに立ち会った時点では、丈は短いものの下半身は隠れており、デザインも異なるものでした。私どもがあの衣装を目にしたのは、皆さんと同じ発表会の当日。事前に分かっていれば辞退申し上げたのは間違いありません」
 今月22日に発表された衣装について、黒地に金箔をあしらった帯を手配した東京・銀座の老舗呉服店の担当者は、こう話した。同席した京都西陣の帯職人も「目のやり場に困った」といい、呉服店は発表後、デザイナーに抗議した。近く、ミス・ユニバース事務局にも抗議する予定という。
 この衣装をデザインしたのは、和服再興を目指して東京・原宿を中心に展開するデザイナーズブランド「義志」(よしゆき)の緒方義志社長。ミス・ユニバース2006年準優勝の知花くららや、07年優勝の森理世の衣装も担当した実力者で、今回もミス・ユニバース事務局の有名プロデューサー、イネス・リグロン氏から直接指名され、いくつかの候補の中から、今回の衣装を選んだのだという。ちなみに、股間に露出しているのは下着ではなく、「ピンクのレオタードに和服を羽織っている姿」なのだという。
しかし、ミス・ユニバースの最新情報を伝える米サイト「ビューティーイン ページェンツ」は「世界中のファンは一様にポルノ女優のようだという反応を示した。イネス氏以外は、この衣装が優勝の機会を損なうと考え失望した」などと論評。動画投稿サイト「You Tube」にも批判コメントが相次いでいる。

 緒方氏は一連の批判について、同社のブログで《今年の狙いは、「着物は奥ゆかしき日本人女性の象徴である」という現代の日本人が作り上げた妄想と、「着物は未来永劫変わってはならない」という、これまた現代の日本人が勝手に作り出した不文律の否定》としたうえで、《日本人女性には世界を虜にする情熱的で官能的な一面がある》などと釈明している。
 また、イネス氏も自身のブログで《ファッションの保守主義者や流行遅れの“恐竜”たちは彼女のコスチュームを批判していますが、ファッショニスタたちはそれを愛しています。私が気にするのはファッション産業の有力者の評価だけ》(夕刊フジ訳)などとコメントしている。


まあ、ミス・ユニバース・日本代表の宮坂絵美里に罪はない。彼女は着せられる人形でしかないのだから。こんな着物(?)を着せられて、彼女が「おバカ」にしか見えないので、可哀想なくらいだ。(これを着ることを拒否する権利がないのなら、まさに「着せ替え人形」そのものだ。となれば彼女自身の人格も人権もないことになる。だったら「美を競うミス・ユニバース」とは何なのだろうか?)
だが一番の問題なのは、これをデザインした「緒方義志」というお方だろう。
まず、日経ネットから  http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=226717&lindID=4 
これは批難を浴びる前の自信満々の緒方義志氏のコメント。

デザインを担当した緒方義志(『義志』デザイナー)は、「今年のナショナル・コスチュームは、日本人の民族衣装である着物を軸にするということにこだわり つつ、斬新で刺激的なスタイリングに挑戦しました。着物は元来肌の露出をできるだけ抑える装束ですが、時代が変わり、生活様式が変わり、女性の美や色気に対する価値観も多様化する今日、着物の着方や見せ方ももっと多様化することで進化していくべきです。そんな最先端の流儀発信を、美しく知的でファッショナブルな日本一の美女が担うことで、世界の注目はより高まり、同時に日本人の意識や関心も高まるはず。そんな思いを込めて、デザインしました。宮坂さんは特に脚が美しいので、その魅力を最大限に引き出すべく、着物の裾は極短丈にし、その下にはネオンカラーのストッキングとガーターベルトで下半身をさらに強調しています。着物という保守的な装束が直接的な色気の表現とうまく融合し、強烈で魅惑的な印象の衣装に仕上がりました。」と述べています。


あぼーん、
もうアホとしか言いようがない。
私にとって、ミス・ユニバースだとか日本代表がどんな衣装を着るだとか、そういったものには全く関心がない。しかし、ここで猛烈に怒りがこみ上げてくるのは、緒方義志氏とやらの批判に対するコメント(太字)の部分だ。この物言いは何なのか。
緒方義志氏は、その業界では有名な方らしいが、この一連の言動を見れば、私には「日本文化」を貶める売国奴にしか見えない。
この歪んだ日本文化への認識は何であろうか。「日本人を勝手に妄想」しているのは彼自身の方ではないのか。(なんでも改革、進化、革新といった考えは、その「文化」を改悪させ、結局は破滅させる。)
そんな人が、保守的だとか日本人だとかを語るな。
はっきりいってこんな衣装で「日本代表」を語って世界に恥じを晒すくらい出ない方がいい。

ただ救いがあるのは、これを見て「おかしい」と声を上げた人が大勢いるという点だ。
この衣装を見て「ポルノ女優」と表現したのが、感覚的にも一番正常だろう。

それでもこの衣装で出場するのだろうか。

となれば、これはある意味、「注目」だ。

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「天皇論」と「今後の方針」

自分の娘が小学校に通うようになると、自然と「教育問題」に目が向くようになった。
独身時代には考えられないことだった。
今、全国の学校では「学級崩壊」や「過激すぎる性教育」、「なんでも平等、順位をつけない」、「君が代を歌わない・日の丸を揚げない」「自分の思想(反日・反愛国心)を押しつける教師」などなど、そんなことが現実に存在するのだということも知った。
「教育現場」はまさに「社会の縮図」だと感じる。そして諸悪の根源が「日教組」にあるという話も決して極端なことではないと感じ始めている。

そんなある日、会社の昼休みにテレビを見ていたら「販売期限切れのコンビニ弁当を値引販売するのか、廃棄処分にするのか」とかいったものを放送していた。これを見ていたうちの一人が、そういえばちょっと前にこんな話があったよね、という感じで話を切り出した。
それは、「ある小学校で「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。 給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と母親から申し入れがあった」 という話で、一時期2ちゃんねるでもスレが立って盛り上がったネタだった。
ここでは、「アホな親やな~」とか「いや押し付けはいけない」とか、思ったことを勝手に言い合って、気軽な無駄話には丁度いい話のタネとなった。(考えてみれば平和な会社です。)
結局は、誰もが否定をしないような「いまは教育がなっていない」とか、「学校や家庭で常識を教えないのが悪い」とかいった、無難なところで落ち着いた。(まあ世間話ですから)
しかし、なぜか私にはそれがいつまでも気になって仕方がなかった。どうも腑に落ちないのだ。直感的にはこれが変な話だというのは分かる。しかし、いざ他人を納得させられるように説明しろといわれたら、これがなかなか難しいのではないかと、思ったのだ。

そんなときニコニコ動画でたまたま見た「ある動画」を見て深く感動してしまった。
朝まで生テレビ!徹底討論!皇室は必要か」の中の「小林よしのり」の演説だった。
動画は約3分。
猪瀬直樹、笠原英彦、工藤雪枝、小宮山洋子、四宮正貴、高橋鉱、遥洋子、宮崎哲弥、森岡正宏、八木秀次、司会・田原総一朗といった論客を黙らせ、(最後に田原がからむ) 3分間有無を言わせない小林よしのりの「語り」がなによりも凄い。宮崎哲弥が最後に思わず「すばらしい演説でしたね」と呟いてしまうのがわかる。
内容は「皇室」「天皇制」ついてのものだが、何よりも心を動かされたのは、「食べられる、という感謝の気持ちを日本人はどこに向ければいいのか」という点だった。

ニコニコ動画版

ユーチューブ版

この回のものは本になっていて、上記タイトルと同名で、田原総一朗責任編集、PHP研究所から出版されていた。
この部分を転載しておきます。(ただし本の方では、田原が「アメリカの侵略だよ」とかいった部分や、細かい部分は変更されていたので、そこは動画の方を基にしています)

田原 小林さんは、やはり天皇というのは続いたほうがいい?
小林 続いたほうがいいと思います。それはなぜかというと、たとえばわしは伊勢神宮に行ったことあるけれどもね。あそこは、20年に一度、遷宮をやって、天照大神が遷ってしまう真ん中のところまでわしは入れてもらって、見たこともありますけれどもね。
伊勢神宮には、内宮と外宮があって、外宮に豊受大神というのがいて、そこで大御饌祭というのを毎朝、毎夕やってるわけですよ、神官が。
その単に食事を、昔からの手で火を起こすところから作って、豊受大神と天照大神にお供えするんですよ。たったそれだけのことを毎日、毎日やる。それがお祭りなんですよ、それが。お祭りといったら、ハレとケがあって、そのハレのときにもの凄く大騒するところだっていう話じゃないわけ。
で、ただ毎朝、毎夕ご飯を作って、お供えするということが、なぜお祭りなのかと。でも考えてみればよ、この日本の古代から、ご飯をちゃんと作って、食べられるということがどれほど有難いか。他の国のどこでも、まともに食事のできないし、飢餓もいっぱいあって、イラクもあんな状態で。
そんな中で、ただ毎朝、毎夕、本当に有り難くご飯がいただけるということが、そのことがお祭りに匹敵するほどのめでたいことだという、その神事を、ずっと伊勢神宮では毎朝、毎夕やっているわけですよ。
で、誰が見ているわけでもないのに、毎朝、毎夕、お祭りをやっている公の感覚、無私の感覚というものが、皇室の中にもちゃんとありますよ、行事がね。そういうことの大切さを考えておかないと、日本人が「次からね、民主主義がいい、近代社会がいい、と言いながら、合理主義いい、近代がいい」と言って、どんどん驕り高ぶっていってしまっていることの歯止めの部分、本来日本人は何に感謝し、何に伏し、生きていくのかというものを守っているというね、そこに天皇の価値があるわけですよ。われわれは、もう一度そこに立ち返って、考えてみなきゃいけない。
田原 うん、近代主義も民主主義も、いま相当危ないというか、やはり曲がり角に来ているんですよ。そこからやはり天皇問題というのは考えなきゃいけない。
小林 だがら、「民主主義が普遍的で、この民主主義を世界中に広めなければならない」とか言っている
田原 アメリカだろ、あんなものは侵略だよ、一種の。
小林 「(それに)みんなでアメリカについていこう」とか言っている連中に、伝統のことを語る資格なんかあるわけないんですよ。
田原 (やばくなってきたと察して)、CM!
宮崎 すばらしい演説でしたね~
以上。

飢餓で食べるものもない国、内乱で秩序もなく殺戮が行われている国、ストリートチルドレンが学校にも行けず路上にたむろして売春・強盗・殺人を犯す国……、地球上ではこういった国の方が多いだろう。なんだかんだいってもやはり日本人は裕福で幸せな国なのだとしみじみ思う。(日本のネットカフェ難民をVTRで見た南米のホームレスが、冷暖房完備の個室で寝るところがあって、飲み放題でシャワー付き、これは貧困でもなんでもない、と言っていた。またコンビニ弁当の廃棄のVTRを見て憤慨していた外国の浮浪者もいた。これはネタだろうが、確かに貧困な国から見れば、日本は何とも恵まれた国だ、と思うだろう)
こんな平和な国に生まれたという幸運を、噛みしめなけらばならない。(ちょっと、想像してみればいい。思想統制され貧困にあえぐ北朝鮮に生まれていたら、内乱で祖国を追いやられ難民キャンプで暮らすアフリカの国で生まれていたら、中国の圧政に苦しまされ「漢民族」に怯えて生きていかなければならないチベットやウイグル地区に生まれていたら、硫酸で顔を焼かれるアフガンの女性に生まれていたら等々……、ほんとうに日本に生まれてよかったと思うはず。社民党の福島瑞穂は「日本に生まれて恥ずかしい」と言ったらしいが、そう思うならあなたが理想とする北朝鮮にでも行けばいい。そんな人が次期大臣候補とは、情けなない。)

人は生まれてくる場所と時代を選べない。
その時代、その国に生まれ出たのは、その人の運命だから、どんな境遇にあってもその状況下で生きていかなければならない。ある人はその境遇を恨み、神や運命を呪うかもしれない。また逆に、生きてる、モノが食べられるという「喜び」を得られたならば、人はそこで何かに感謝するだろう。
キリスト教徒なら神に感謝するだろうし、イスラムの国なら、アッラーの神に感謝するのだろう。
となれば、日本人はどこに感謝すればいいのだろうか。
そんなヒントがここにあった。
小林よしのり「天皇論」
小林よしのり「天皇論」
現代に生きる日本人は「天皇」というと、「戦争責任」だとか「右翼」だとかいって敬遠する傾向にあるようだ。
日本人の多くは自分は無神論者だというが、畏敬の念というのはほとんど誰もが持っているもので、(中には相当な偏屈者もいるが) 知らず知らずのうちにどこかに感謝の気持ちを持っているはずだ。(いや持っていて欲しい…)
その祈りの対象となるのが「天皇」なのではないか、ということ。
八木秀次氏は「日本の天皇は、かつては世界中に存在したが今は日本にだけに残ることになった「プリースト・キング」(祭祀王)である。日本の祭り主、これが天皇の本質的性格である」と書いている。
祭祀王の天皇陛下に畏敬の念を示すことは、すなわち神(自然・天…)に感謝することになる。
また、こう書くと「天皇」は「現人神じゃない」とか「人間宣言した」とかいって、攻撃してくる人も多くいる。しかし天皇陛下への尊崇の念は、カトリックでいうローマ法王へ尊崇の念と同じことで、カトリック教徒が神を信仰すると同時に、法王を尊崇するのと同じことなるのだ。天皇やローマ法王などは、神と人との媒介者で、その祭祀王へ祈ることで神に通じるのではないだろか。
ただ日本国と他の外国諸国との違いは、日本は一神教ではなく八百万の神がいる多神教であるということだ。私は、「日本の神々」とは私たちを生かしてくれる「自然の恵み」そのものすべてを称して「神」と言っているのではないかと思っている。
やはり、西洋でいうところの「ゴット」と、日本人のいうところ「神」は全く異質なものなのである。(これは後に書く) 
やはりこれまでの日本の歴史をみれば、「天皇」とは「皇帝(Emperor )」ではなく、「祭祀王(プリースト・キング)」に近いものなのだといえよう。

ただこうやって書くと拒否反応を示す人はかなりの数存在する。
天皇・神道を宗教と思っている人も多い。(これは明らかに思い違いなのに、そういったことは学校では教えない) 日本では、宗教=悪という風潮もあるので、「俺は無宗教だから、天皇も神社も関係ない」という人も多い。
また、神=天皇とひとくくりにして、近代合理主義・戦後民主主義には必要ないといって「皇室」を忌み嫌う人もいる。また、いまだに「戦争責任だ」「軍国主義だ」「階級闘争だ」とすべてをここに結びつけて、狂人のように声高に叫び回る人がいる。またインテリ左派を気取って「天皇制とはね……」と理屈を捏ねまわして悦に入っている人もいる。まあどれもこれも個人の主義・思想だから、それらすべてを否定しようとは思わない。だが問題なのはこれを教育現場に持ち込んで、子供や学生に誤った考えを植えつけているということだろう。
そんな教育を受けた子供は「天皇を敬ってはいけないんだ」「日本はいけない国なんだ」という拒否反応を示す人も多い。(かくいう私もそうだった)
こういう教育が「人・物への感謝の気持ち」を育てられない人々を生んでいる。
こういった「畏敬の念」や、「感謝の気持ちを持たない」人間が結果として「金を払っているんだから『いただきます』をいわせない」といった類の親を作り出しているのではないだろうか。一見「バカ親の話」も、実は現代日本全体を覆っている病魔が発露しているだけなのかもしれない。
この呪縛を解くのは容易ではないだろう。

話が飛んだ。
日本の祭り主である祭祀王・天皇の祭祀には「食」に対するものも多い。特に「新嘗祭」に代表されるように「稲・米」に関するものが主要となっている。
新嘗祭は「新穀を神にささげて収穫を感謝し、きたるべき年の豊穣を祈る祭儀。日本書紀、古事記にもその語がみえ、当時から最も神聖な行事の一つであった」とある。
その新穀も天皇が自ら育てる。「今上天皇も吹上御苑の東南にある小さな水田で、ゴム長靴を履いて自ら田植えをされ、稲を育てられ、刈入れをされている。」http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/943483から
文藝春秋平成21年6月号に皇室の特集の田久保忠衛氏の項に天皇陛下のお言葉が載っていた。

皇室の伝統についての質問に、「私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎこれを守ってきました。この中には新嘗祭のように古くから伝えらてきた伝統的祭祀もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます」
民のために神への祈りを捧げる皇室の伝統は守られている。日本の天皇は外国の覇王とは異なる。(田久保氏の弁)」

とあった。
やはり、日本では稲・米は重要なのだ。
では、なぜ稲なのか。
三浦朱門著「日本の体質 天皇」(海竜社)の中の「米を治めたものが国を治める」の章から 

元々稲というのは不思議な作物である。すべて植物は連作を嫌う。連作すると土壌にその作物を好餌とするバクテリアや昆虫などがはびこって収穫を減らしてしまう。それで麦を主食とするヨーロッパでは、今年麦を作ったところは翌年、草を生やす。次の年には牛や馬を追い込んで、草を家畜の餌にし、かつ動物の排泄物による土地の肥沃化を図る。そして麦を作ったから3年後に、再び麦を作ってきた。
しかし水田は絶えず水が流れて毒素を洗い流し、また新たな養分をもたらす。それで千年でも連作が可能なのである。たとえば奈良盆地の山沿いの水田には、千年以上も稲を作り続けてきた土地があるはずだ。
また稲は一粒の籾が、二百日ほどでの間に数千倍になって戻ってくる。……稲作地帯では一人の農夫が多人数の食糧を供給することだってできる。ここで食糧生産に従事しない人口は、工芸の専門家に、あるいは文化や武術の専門家になる。農業生産性の高い土地は、武芸を専門にする男も沢山雇えるし、武力においても他の地域を圧倒するようになる。大和地方が古代日本において、強力な政権を作りだす条件は、この生産性の高さによるものだったと私は考えている。

稲、つまり米が、日本国の根幹を成し、文化・武力の発展の根源であることを意味し、稲作文化は日本国の根底にあるからだ。
稲・米を守ることは、つまり日本を守るということ。
昭和天皇が最期の病床に臥したとき、お見舞いに上がった宮内庁長官に「雨は続いているが、稲の方はどうか?」と尋ねられたという。こういった逸話にもあるように、天皇と稲と日本国は、不可分の関係であることを示すものなのだ。
つまり稲・米は日本の繁栄の象徴であり、それを持ってして祀る天皇こそが日本の祭祀王なのだ。まずそこに天皇の存在意義がある。
だから、日本人は素直に天皇陛下に畏敬の念を持って然るべきなのである。
まずイデオロギーを捨て、そこに立ち返るべきだ。
こういったすべてのものをひっくるめて先ほどの話(「いただきます」を言わせない親)、食べ物を「いただく」という言葉に表れているのだと思う。

最近は「天皇論」「皇室問題」「天皇制」が書かれたものをいろいろ読んでいます。(それこそ右のものから、それこそ朝日・岩波のような左のものまで)
右翼も左翼も日本国の争点はすべてにおいて「皇室」(天皇制)に帰着する。
日本の国のあり方はやはりここに関わっているのだ。
「立憲君主制」「共和制」「戦争責任」「憲法9条」……、結局は「皇室問題」に立ち戻る。
そして現在、「皇室」は危機を向かえていると感じる。「女姓天皇」「長子継承」はこれからも問題になるだろう。それに「皇室」軽視、「天皇制廃止」をもくろむ政党が、政府の中央に立つことも予測され、そうなるとどんな事態になるの分からないし、マスコミの奇妙な「見せ掛けだけの皇室擁護」や「白い共産主義」は看過することはできない。
過去記事

まだまだ「天皇論」は続けたいと思います。

で、今後の方向性。

まず、八木秀次著「Q&A よくわかる天皇制度」のあとがきにこんな文章がある。
(「天皇制度」は左翼主義者の敵性用語ですが、八木氏は本書の中でこの言葉を敢えて使うことのことわりを入れています)

脳科学者の茂木健一郎氏が「中央公論」2006年(平成18年)1月号に、「天皇家と偶有性」と題する短いエッセイを書いている。
ここでいう「偶有性」とは、歴史は何があるかわからない、偶然の積み重ねである、ということだが、そう述べた後に茂木氏は次にように書いている。
「天皇家が永遠に存続するということが保証されているわけではない。50年後にはなくなっているかもしれない。そうなってしまえばそれなりにやるしかない。偶有性を引き受けて生きるしか道はないからである」
だからこそ、実際に続いてきたという事実が重みを持つ。継続を支えてきた祖先の努力に対して敬意を払う気持ちは、科学的方法論の有効性を信じ、合理主義者として現代を生きる私の中にも存在する。有識者会議の報告書からは、そのような歴史への情熱(パトス)が感じられなかった」
ここで茂木氏は「継続を支えてきた祖先の努力」に着目している。天皇家すなわち皇室は「なんとなく続いてきた」わけではない。いつなくなるかもしれない危うい綱渡りの中、「実際に続いてきた」。そこには「祖先の努力」があり、先人の明確な意志が働いている。しかし、そのことが政府の設置した「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーを含めて現代の日本人にはわからなくなっている。茂木氏の言うことはそういうことだろう。

とある。
ということで、「新田義貞伝承を追う。実は東毛奇談の続編」のこれからの方針。
「東毛奇談」では日本の激動期に、必ず登場する「新田一族」というのがテーマでした。
「新田義貞伝承を追う 実は東毛奇談の続き」構想は、上記の「皇室継続を支えてきた祖先の努力」にもあるように、「皇室が危機に陥るときに必ず新田一族の末裔や児島高徳の子孫らが登場し、皇室を助ける」という内容で書き続ける予定です。
現時点で第12回までいきました。
いま、中間地点あたりで、今後の予定としては、「天海の魔方陣」、「新田氏の末裔を名乗った新井白石は皇室を守った」「新田義貞を尊敬した尊王家・高山彦九郎が幕末維新運動の火をつけた」「坂本龍馬は、明智秀満の子孫であるなら、児島高徳の意志を継いでいるのか」 そして、「正田家が新田一族の末裔ならば、美智子皇后陛下や皇太子殿下やそして悠仁親王は……」(すべてタイトルは仮)、といった順序で進めていきます。

ただ、これが思うようになかなか先に進みません。
いざ書く段になると気負いばかりが立って、思った以上に時間がかかってしまう。このペースでは何年もかかってしまうのではないかというほど。(これでは不測の事態に間に合わない)
まあ、誰に頼まれたわけでもないし、自分の妄想に近いものをただダラダラと書き連ねて、一体何になるんだ、といった卑屈な気持ちになって落ち込むこともある。
ほんとになぜこんなことをしているのか自分でも分からないが……。
こんな心境です。http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-374.html

でも最近この動画を見ると元気になる。


続く……。

道州制・北関東ブロックの州都候補に「新田」地域を!

平成21年7月20日・上毛新聞から


「道州制」州都候補、「前橋・高崎」と「両毛地域」
群馬県経済研究所は、都道府県に代わる新たな広域自治体として議論されている道州制に関する調査結果をまとめ、「北関東州」州都の本県関係の有力候補について、合併を前提とした「前橋・高崎地域」と、本件と栃木県にまたがる「両毛地域」の2カ所を挙げた。
地方制度調査会や自民党道州制推進本部の区割り案は、本県と栃木県、茨城県の3県に、埼玉、新潟、長野県のいずれかが加わる形になっている。
州都候補の調査は、6県の主要都市について、経済規模など拠点性を中心に検討。①人口②事業所の数③商品販売額④製造品出荷額―などを得点化して比較した。
合計得点で、1位はさいたま市、2位は新潟市、。前橋市は6位、高崎市は7位だったが、合わせると4位に浮上する。同研究所は「前橋・高崎が州都の候補となるためには、合併が最低条件」と指摘した。
また、州都候補として、太田や桐生、足利、佐野市などが一体化が進む11市町による両毛地域の優位性に言及。「全体を一つの都市と考えれば、いづれの区割り案でも地理的にほぼ中間に位置する北関東有数の都市になると」と説明している

とここにもあるように、道州制が導入されたとき、北関東ブロックの州都がどこになるかというのが話題になっているようです。(道州制自体が問題、課題が山積で、導入されるかどうかも分からないのに、議論になるのは区割りと州都といったものばかりだ。)

また同日の毎日新聞にも同様の記事が載っていますが、こちらは群馬県以外の都市も載っていた。

◇前橋、高崎合併すれば2位グループに
 開会中の全国知事会で地方分権が議題となる中、群馬銀行のシンクタンク「群馬経済研究所」は、地方分権の目標ともいえる道州制が実施された場合に県内に州都が置かれる可能性について、調査報告をまとめた。同研究所は「『北関東州』の州都の県内の有力候補地は、前橋市と高崎市だが、それぞれ単独ではなく、候補になるためには両市の合併が最低条件」としている。
 調査は、前橋、高崎両市と、北関東州に組み込まれると予想されるさいたま市、宇都宮市、茨城県の水戸市と日立市、ひたちなか市の3市合計、長野市、新潟市が対象。人口▽事業所数▽従業員数▽商品販売額▽納税義務者1人当たりの課税対象所得--など10項目で、1位が8点、2位が7点と順位を得点化した。
 総合ポイントが最も高かったのは、さいたま市で76点。製造品出荷額(5位)を除く9項目で1位だった。人口、商品販売額など6項目で2位だった新潟市が、55点で続いた。
 前橋は28点、高崎市は26点で、それぞれ下から3番目と2番目だった。最下位は長野市の22点。ただ、前橋、高崎両市が合併した場合は50点になり、新潟市、茨城県3市(54点)と、拮抗(きっこう)するという。
 これまでに出された地方制度調査会の答申や自民党道州制推進本部の中間報告の区割り案では、北関東州に埼玉県を含める案と含めない案がある。同研究所は「埼玉県が含まれた場合は、交通の利便性など条件面で他県を大きく上回り、同県への州都設置の可能性は極めて高くなる」としており、埼玉県が入るかどうかで大きく変化するという。
 その上で、県内への州都設置に向けた課題として「研究機関や専門サービス機関など知的産業の集積と、人々を引きつける魅力ある地域文化の構築」を挙げた


ここで私が気になるのは、人口とか商品販売額とかいった都市の規模の大小で州都を決めるのはおかしいという点だ。これでは州都への一極集中を促進させるだけで、ただ「ミニ東京」を作るだけではないのか。
まずは、州都の位置、地の利、利便性、用地確保といったものを問うた方がいいのではないのだろうか。

そういったことを踏まえて、もう一度地図を眺めて考えてみましょう。
やはり、上記新聞本文にあるとおり、どうみても北関東の中心地は「両毛地域」になる。
そして、これまで当ブログで取り上げてきた「井上馨の上州(新田)遷都論」を見ても分かるように、「新田周辺」は地の利がいいことがわかる。
なにしろ、東京から新田周辺に「帝都」を移そうとした位ですから。
詳しくはシリーズを。
「上州遷都論」と井上馨  新田義貞伝承を追う!実は東毛奇談の続編。シリーズ9回目
「新田遷都」総まとめ  新田義貞伝承を追う! 実は「東毛奇談」の続編 第11回
あたりで。

でも、これは、私にとっては大問題となる。
「両毛地域」となれば、位置的にみても、都市の規模からいっても、知名度からいっても、「足利市」が中心となる可能性が高い。
となるとだ。
「新田」が「足利」に吸収されるような形になるのではないか……、
それは困る。大いに困る。
「歴史ある新田を地名にしよう!」という趣旨で当ブログをやっているのに、新田どころか太田市まで足利に飲み込まれたら、どうにもならない。

と思いつつも、「大丈夫、大丈夫、実現されませんから」っていう声もあり、余計な心配だということだろうか。



追記しました。

追記しました。
①江口版木枯らし紋次郎http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-488.html
②またテレビ朝日で反日放送か!? 天皇陛下を天王陛下とテロップhttp://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-539.html
③東国原知事批判のまとめ。やはり東国原は自民党つぶしの自爆テロだった。http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-536.html

の3記事です。

新田氏関連ニュース。「里見氏」と「榊原康政と俳優・川野太郎とつつじが岡公園」

新聞に出ていた新田氏関連記事。

里見氏発祥の地PR
25日から 地元有志らフェス開催
 江戸時代の長編伝奇小説「南総里見八犬伝」に登場する里見氏の発祥の地とされる高崎市里見地区をPRしようと、地元有志らによる「里見の郷フェスティバル」が25日から、初めて開かれる。
 曲亭馬琴作の同小説は、現在の千葉県南部を舞台に、8人の剣士ならぬ犬士が活躍する奇想天外な物語。里見地区は1100年頃、新田氏の祖・新田義重の庶長子とされる新田義俊が本拠とし、里見姓を名乗ったのが始まりとされる。子孫は後に各地に散らばり、房総半島を拠点とした里見氏が小説のモデルとなっている。
 25日には同地区の「たかさき人権プラザ」で、新田氏一族の子孫で元埼玉県立高校教諭の新田純弘さんが「新田氏と里見氏」と題して講演したり、近くの梨園でオカリナ演奏会が開かれたりするなど、7月下旬から8月末まで様々なイベントが行われる。
 中嶋講二実行委員長は、「里見氏発祥の地はあまり知られて来なかったので、これを機に関心をもってもらえれば」と話している。(平成21年7月16日 読売新聞)

里見氏については、当ブログでいくつか書いてます。 

もうひとつ

二度目の康政役に決意 「天地人」出演中、川野太郎さんが墓参り
NHK大河ドラマ「天地人」で榊原康政を演じている俳優の川野太郎さんが14日、館林市楠町の善導寺を訪れ、康政公の墓前で手を合わせ役作りへ決意を新たにした。
川野さんは2006年(平成18年)放送の「功名が辻」でも康政役で出演。2度も同じ武将の役が回ってきたことに縁を感じ、お盆を機に墓参を思い立ったという。
康政公については「12歳の時から家康に仕え、徳川四天王として戦人のイメージがあるが、本当は優しい人だったのだろう」と推測した。(平成21年7月15日 上毛新聞)

エライぞ!川野太郎!!
こういう真摯な気持ちに頭が下がります。
川野太郎

さて、榊原康政は「上野国館林藩の初代藩主。天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると上野国館林城(群馬県館林市)に入り、忠勝と並んで家臣中第2位の10万石を与えられる。館林では堤防工事や、街道整備などに力を注いだ。」とWikipediaにもあるとおり館林市と縁が深い。

この榊原康政のどこが「新田一族」ネタかって声もあるでしょうが、実は新田義貞・勾当内侍の伝説に深く関わっている。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-520.htmlでも書きましたが、館林のつつじが岡公園と関係がある。
つつじが岡公園ホームページから

古来から自生していたヤマツツジの古木に加え、寛永(かんえい)4年(1627)、第9代館林城主松平(榊原)忠次(さかきばらただつぐ)は、当時領内であった新田郡武蔵島村(現在の尾島町)から、新田義貞の妻(匂当の内侍)(こうとうのないし)遺愛のツツジを数百株移植し、更に寛文(かんぶん)年間(1661~1672)には第12代城主徳川綱吉(つなよし)が、日光の山より数株のツツジを移植したと言われています

このツツジの伝承は、峰岸純夫「人物叢書 新田義貞」にも出ている。
内侍の墓 案内板太田市(旧尾島町)武蔵島の柊塚の案内板。
ということでした。
少々強引ですが、結びつけてみました。
このように「新田氏」の伝承はいろいろなところに眠っています。

直木賞作家・北村薫は達人だ。

第141回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考委員会が15日、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、直木賞は北村薫さん(59)の「鷺と雪」(文芸春秋)に決まった。

平成21年7月15日

おめでとうございます。というよりやっとですね。もうとっくの昔に受賞してもおかしくない作家ですよね。
私は、推理小説にはまっていた時期によく読んでました。
ちなみに、私のベストは「円紫さんシリーズ」の「六の宮の姫君」です。
北村薫 六の宮の姫君
芥川龍之介や菊池寛など大正昭和の文学をめぐるミステリー。殺人も事件も起こりませんが本格的謎解きとなっている。
主人公が卒論を書くために文献を紐解いて、仮説を立てていくという地道な作業をしていくのだが、その過程で行われる思考が、実にスリリングでサスペンスに富んだものであると読者は知ることになる。論文を書くというプロセスが、実は謎解きミステリーと同じ方法だということだ。こんな風に書くとそんなの当たり前じゃないかといわれそうだが、実際にこれをエンターテーメント・推理小説にするとなるとなかなか難しい。大きな事件も起こらず、女子大生が卒論を書くという設定だけで、見事な本格推理小説にしているというところが凄いのだ。(しかもガチガチの固いものにもなっていない)
北村薫の第一の功績は、ミステリーの幅を広げたという点にあるといわれるが、それは円紫さんシリーズの中でも特に地味な「六の宮の姫君」を読むとよくわかる。これで本格謎解きが成立させてしまうのだから、殺人事件のナゾを解くだけがミステリーじゃないんだというのがわかる。(これは私の中で衝撃的だった) この方法論は歴史ミステリー小説にも通じるので、私もかなり影響されました。 

また北村薫は本読みの達人としても知られ、北村薫が書いた帯のついた本も多い。
この帯の文が鋭く、わかりやすいとの評価があり、北村薫の推薦の帯が付いた本にはハズレがない、ともいわれた。
以下「このミステリーがすごい!傑作選」(別冊宝島編集部編)、座談会の部分からの引用。


A、(帯の話で)……北村薫のは含蓄が深いですね。
B、森博嗣の3作目「笑わない数学者」の推薦文はとくにすばらしい。あそこに北村薫の文章がないと、勘違いした批判がすごく出たんじゃないか。一見ありがちなトリックでひっぱる失敗作に見えるけど、そうじゃない読み方があるんだと、この短い中にちゃんと書いてある。表紙の裏の帯にかくれている部分を読んでから本文にかかれば、心の中に準備ができているから、なんでこんなすぐにわかるトリックに誰も気がつかないんだとか、腹を立てることもないわけです。ほかにも、ほめるのが難しい作品ばかり、うまくほめている。作品に欠けている部分を補完してやったり、「名探偵の掟」は作品自体は東野圭吾のものではわたしは買わないですけど、この帯の<自虐趣味>というのも、ある程度読み方を誘導していて感心しました。
C、さすが、元教師。
D、北村薫が作品にそって、読者指導的に誠実な文章を書くタイプ……。


ちなみに、東野圭吾「名探偵の掟」の帯は「本格推理の自虐趣味が<をかし>の領域に行き着いた」
森博嗣「笑わない数学者」の帯は「森博嗣の名刀……その切っ先がどこに向いているかを見誤ってはならない」
とある。
私が気に入っているのは、高田崇史 「QED―百人一首の呪 」 (講談社ノベルス・第9回メフィスト賞受賞作)の帯。
《この作品には虚を衝かれました。なるほど、こういうやり方もあるのかと感心しました》
この帯に惹かれて、この本を手に取った。私はこれで歴史ミステリー作家・高田崇史を知ることなる。

この本を読むと、北村薫の文がじつに的確だとわかる。この小説ですぐれている点は「トリッキーな方法論」であることを見事に見抜いているからだ。
そこをうまくくみ取って、一文にしていまうのだから、まさに「匠」の業師だ。

そしてしみじみ思った。
こんな先生に国語を教わりたかったな……と。

またテレビ朝日で反日放送か!? 天皇陛下を天王陛下とテロップ

平成21年7月14日、テレビ朝日「学べる!!ニュースショー!(毎週火曜19:00 - 19:54)を後半から見ていたら、画面下に「お詫びと訂正、番組中「天皇陛下」の字幕に誤りがありました。訂正しておわびいたします。」のテロップがやけに出ている。
もうそれこそ5分おきに流されるので気になって仕方がなかった。
前半を見ていなかったので、何が起こったのかわからない。そこで検索してみると、http://unkar.jp/read/live23.2ch.net/liveanb/1247562306、2ちゃんねるで実況していた。
それによると、何と!
天皇陛下を天王陛下とテロップで流していたらしいしかも数回。
そして、司会者は陛下といった敬称を付けずに「天皇」と呼び捨てだったという。
ほんとなのか?
となれば、これは、口がすべったとか、言い間違いとかのレベルではない。
生放送ではないので、編集段階で気づくはず、といった指摘もある。
まあ、普通の日本人では間違わない。どこをどう間違えば「天皇」を「天王」と書き間違えるのか、それを放送するまでスタッフが誰も気が付かないというのが不審だ。
これはどうみても故意だ、そう思えて仕方ない。
なにしろ、悠仁親王誕生の放送のとき局アナが喪服で出てくる「テレビ朝日」だから、このくらいのことならやりかねない。その時の記事

追記 
この件に関して、「やはりわざとではないのか」、「中国(シナ)側の人間がスタッフにいるのではないか」といった声を聞きました。
なぜ「天皇」のテロップが「天王」となったのか。
まず「天皇」の称号の説明から。
八木秀次著「Q&A 天皇制度」(扶桑社)から、抜き出してみます。
まず「冊封」の説明。

中国は漢の時代から、周辺諸国との間に君主と臣下の関係を結んできた。臣下の国は、中国皇帝の求めに応じて出兵したり、朝貢したりする義務があり、公定は朝貢した指導者にその国王の称号を与え、支配権を認めていた。これを冊封政策という。冊封とは位を授けることで、古代中国では「冊」と呼ばれる皇帝の勅書をもって爵位を授けていた。卑弥呼も中国皇帝によって「倭王」に冊封されていたので、この時代の日本は中国を中心とする東アジアの国際関係に組み込まれていたことがわかる。
聖徳太子は、日本が独立した国家として発展するために、大陸から進んだ文化や制度を取り入れる必要があると考えたのである。しかし、日本の主体性を守るため、隋の冊封はあえて受けないようにした。


これを踏まえて「日本の自主独立を示した「天皇」の称号」の項目から

わが国で「天皇」の称号が使われたのは、608年、三度目の遣隋使に託した国書の中である。前述のように(隋に宛てた国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」と書かれていた。太子は、文面で対等の立場を強調することで、隋に対して服属しないという決意を表明していた。)、「天子」の称号が煬帝の怒りを買ったため、その称号は使えない。しかし、再び「倭王」の称号に戻り、中国に自国の支配権を認めてもらいたくもない。日本が中国の文明に吸収され、固有の文化を失ってしまうことは避けなければならなかった。
このとき国書には、「東の天皇、敬(つつし)みて、西の皇帝に白(もう)す」と書かれている。皇帝の文字を避けながら、それに劣らない称号を使うことで、両国が対等であることを表明したのである。こうして使われ始めた日本の自立を示す天皇の称号は、以後、途切れることなく、現在まで続いている。
日本が君主の称号として「天皇」を使うようになった経緯を、高森明勅ウジは『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)で次のように解説している。
五世紀ころのわが国の君主号は「王」であり、尊称として「大王」が使われていた。「王」という称号を使ったのは、前掲のように中国の皇帝から倭国の「王」に冊封されていたからである。「皇帝」や「天子」は「王」より上位の称号にランクされている。
「王」という称号は、六世紀後半の敏達朝まで使われたが、次の用明朝では「帝王」あるいは、「帝皇」が使われるようになる。これは、君主を王と称している百済に対して、その上に立つことを主張するため(津田左右吉説)と思われる。
中略
つまり、 「天皇」号は、一時的には中国に対する対等国として、日本の国際的な立場を主張する君主の称号であったが、同時に、国内においては、豪族の王たちを束ねる中心としての宣言を意味していた。しかも、その根拠は神代からの歴史的、宗教的権威に裏付けられたものであったのである。


とここからも分かるように、「天皇」の称号は「独立国家・日本国」を宣言するものであり、「王」の称号は中国の属国を意味するのだ。

そう考えると、「天王」というのは、かなり意味深い。
そして、この根底にある悪意はなんであろうか。
この間違いは、ただのイージーミスなどというだけではすまされないのだ。
どこかに「反日思想」が隠されているのではないか、と思われてならない。

これは続けたいと思います。

鳩山由紀夫は「フリーメイスン」説で、あれこれ想像してみた。

「変なことに気づいてしまった」という勢いだけで書いたものです。
軽~く読み飛ばしてください。

仕事帰りにコンビニに寄ってあれこれと雑誌を物色していたところ、そこにいかにも怪しそうな表紙が私の興味を引いた。
怖い噂の真相
怖い噂Vol.02 あぶない噂の真相(ミリオン出版)
手にとってパラパラとページをめくる。う~んまさに私好み。この胡散臭そうな内容がたまらない。

その中でも、特に驚いたのはこの記事だった。
「大手メディアが報道できない危険な"タブー・ファイル"/民主党代表・鳩山由紀夫はやっぱり「フリーメーソン」だった?テレビ映像が捉えた"奇妙な指のサイン"」だ。
鳩山由紀夫 フリーメンソン画像はこれ。

これは凄いな!
本文には細かい説明があった。
でも大丈夫なの、次の総理大臣になる人(現時点ではまだ分らんが)の秘密なんて暴いちゃって…。
それに民主党ではこのことに関してはタブーだというし、フリーメイスンってナゾの秘密結社なんでしょ、これ別の意味で「ホラー映画」とか「幽霊」なんかよりも「怖い」よ。
しかもこれが普通にセブンイレブンの本棚に「女性セブン」とか「テレビガイド」とかと同じように並んでいるという状況も「怖い」。(しかも590円って、安い。)

さっそく家に帰って、ネットで「鳩山由紀夫 フリーメイスン」と検索すると、これが山のように出てくる。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50783468.html
http://blog.livedoor.jp/tokyokitty_seed_destiny/archives/51614222.htmlなどが詳しい。
キャー、鳩山由紀夫が常に口にする「友愛」がそんな意味だったとは……。
遅ればせながら、そんなことは全く知らなかった。
フリーメイスンといえば、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ=コード」「天使と悪魔」とか、加治将一の「幕末 維新の暗号」とか陰謀論のお話の一つにしか過ぎない思っていたのだが、それが現代日本のトップの政治家もこのメンバーだったとは! 日本は大丈夫なのか?(まあ、ちょっと影響受けすぎですけど)

そしてある事に気がついた。
上記リンクサイトにもあるように、麻生太郎と鳩山由紀夫の対立は、ローマカトリックとフリーメイスンの戦いだということだ。これは麻生太郎首相が敬虔なクリスチャンだからだ。
となると先日のことは重要な意味をもつ。(気づいたのはここ)

ローマ法王と会談へ 麻生首相、イタリア到着
 【ローマ7日共同】麻生太郎首相は7日未明(日本時間同日午前)、主要国(G8)首脳会議(ラクイラ・サミット)に出席するため、日航チャーター機でローマのレオナルド・ダビンチ国際空港に到着した。
 首相は7日昼(日本時間同日夜)、ローマ法王ベネディクト16世(82)と法王庁(バチカン)で初めて会談する。日本の首相と法王の会談は、1999年の小渕恵三元首相と前法王ヨハネ・パウロ2世(いずれも故人)以来10年ぶり。今回はカトリック教徒の麻生首相の要請で実現した

09/07/07 共同通信の記事から。

そう麻生さんがイタリアサミットまで耐えて首相を辞めずにいたのは、ローマ法王に会うためだったのか?
そしてそこから帰国してからすぐに「衆院解散」を決めたことになる。(選挙という戦いを決心したということか?)
何かの確約を得るため?
まさに麻生vs鳩山兄の戦いは、欧米の宗教戦争の代理戦争ということなの?

う~んちょっと想像しすぎですね。
まあ、ここでまでくると雑誌「ムー」あたりが書きそうなネタだな。
これを膨らませていけば一冊くらい書けそう。
でも、これをネタにして書くのは今のうちしかないんですけどね。




東国原知事批判のまとめ。やはり東国原は自民党つぶしの自爆テロだった。

東国原知事による今回の「騒動」は、結局は「自民党つぶしの自爆テロなのか?」 の続きです。
(過去の東国原氏の批判記事はここから入ってください)

麻生首相は13日昼、自民、公明両党の幹部と首相官邸で会談し、21日にも衆院を解散し、8月18日公示、30日投開票の日程で総選挙を断行する意向を表明し、与党側が受け入れた。首相は東京都議選で与党が大敗しても自ら解散する決意を固め、与党側と日程の調整に着手。与党内で解散先送り論が強いことも踏まえ、お盆後の投開票で総選挙に臨むことを決断した。


と、大きく政局が動きました。この東京都議選の自民党の大敗の一因として、東国原知事の騒動があったことは間違いなく、自民党幹部や政治評論家、テレビコメンテーターもそこに言及している。
私は前回、この東国原氏の騒動を「結局は、自民党つぶしの自爆テロなのか?」と称した。まさしくこのとおりになったわけだ。この騒動は自民党側にマイナスに働き、騒動の元となっている東国原氏は自分の失策が露呈されただけで、国政に進出という野望も崩れ去り、最後は宮崎に戻るしかない状況となっている。(現時点ではまだ分からないが、これでも自民党が東国原氏を担ごうというのならば、かなりのボンクラだろう)
「私が、次期総裁候補として、次の選挙を、自民党さんは、お戦いになる、お覚悟があるか、とおうかがいしました」と大見得を切った東国原氏だが、一番「お戦いになる覚悟」がなかったのは、当の本人だった。わけだ。

では、東国原氏の批判はどうなっているのかを大別してみましょう。
①宮崎を捨てて、国政に行くのか!という宮崎県民に同情したような意見。
②また、これを発展させた、「任期途中で投げ出すのか」、「そもそも知事の仕事をしているのか」、「テレビに出過ぎ」という批判。
③暴行・淫行、不倫という過去問題を突っ込んだもの。こんな人が閣僚になったら諸外国で恥ずかしい、といった危惧。
④「総理候補にしろ」「大臣ポストをよこせ」という傲慢な要求に対する反発。
⑤そもそも「政治家」としての資質を問うもの。
といったあたりになるだろうか。

ここ最近の週刊誌による東国原氏の記事を見ていると、ほとんどが酷評で、週刊大衆ぐらいがいまだに持ち上げているくらいだった。
少しまとめてみましょう。
週刊新潮 7月9日号
これは見出しが面白い。「寝言は寝て言ってくれ!「東国原宮崎県知事」の傷だらけ(暴行・淫行、不倫)の脛(すね)がゲラゲラ嗤っている。」

県議による証言
「ここ最近、知事は、県議会でも事務方の用意した原稿を棒読みするだけ。心ここにあらずといった感じで、まったく仕事に熱が入っていなかった。(中略)今回任期途中で知事を辞めるんでしょうけど、政治の根幹であるその部分(経済政策、福祉政策など)での成果は何も残せていません。」
別の県議
「県議会での彼は“性根が座っちょらん”と陰口をたたかれていて、要はまるでやる気がないんです。記者会見で見せる姿とは、まったく違うんですよ。この2年間、私たちは知事を真近で見てきました。だから、彼が県政にすっかり興味を失い、国政に行きたくて堪えられないだろうなと、皆感じていました。」また後援会組織を作り直しましょうかという県議の提案も断ったという。つまり次の知事選には出ないということらしい。
しかし、国政に出られなかったら、また知事選に出るんでしょうか?後援会作りを断るというのは地元基盤を作らないということでは?見通し甘いというか、宮崎は捨てて、早く東京に帰りたくて仕方ないんでしょう。こういうところでも彼の本性が分かります。  

週刊文春 7月9日号
本気で総理になりたい東国原知事の邪悪な野望
ここでは「宮崎は悲鳴を上げている」という県政関係者が興味を引く。
「雇用が本当に厳しい。派遣切りも大量に行われている。知事が有名になったおかげで県庁に観光バスが乗り付けているし、観光客数も表面的には増えていますが、お客さんは宮崎に宿泊するわけではない。鹿児島からバスで入って、大分や熊本に抜ける。宮崎は、悲鳴を上げています。」
また、元鳥取県知事・慶応大学教授の片山善博氏の言では、「東国原知事は、宮崎県の優秀なセールスマンだと思います。しかし、知事の本業である財政改革などの改革を行おうとすれば議会や県庁に官僚組織が反対しますし、本来、4年間でも基礎固めで精一杯。その本業分野で東国原知事が実績を上げたという話はまったく聞きません。県産品を売ることにはだれも反対しないでしょうが、改革ではないのです」とあった。
ここでも「県政の意気込みがまるでない」という話が出てくる。
つまり、知事就任当初は仕事をすればするほど反発や反対勢力もあるということ。石原都知事も橋下知事も田中康夫前長野県知事も、敵対勢力との戦いがあったのだが、東国原知事にはそれがない。そこがおかしいというのだ。つまり、上文にもあるように「県政にやる気がない」「官僚の原稿を棒読み」といったもので、しかも週末には地元にいない。となれば県政幹部や県の官僚にしてみればこれほどやりやすい知事はいないということだろう。まったく反発がないというは、県政が上手くいっているのではなく、「よっ、日本一の知事」「さすが県のトップセールスマン」とおだてられ上手に利用されているということなのだ。
それに東国原本人は気づいていない。
宮崎という田舎の県でこんな状態なのだ。こんな人が国政に参加し、もし大臣にでもなったら、それこそ海千山千の中央官僚の思うがままさせられてしまうだろう。

本文最後では「国民はいつまでこんな茶番に付き合わされるのか」と結んでいる。

FLASH 7月21日号
タイトル「そのまんま東知事 金と女と総理、強欲一代記」
オンナ、日本一「女性スキャンダル」まみれ知事、「まだまだ51歳!この下半身だって、どげんかせんと……」とあり、知事就任直後、知事宅にお泊りした日本テレビ女性記者や、出馬前に路上ナンパされた女性などが写真付きで出てました。
また、カネ、「国政目指して稼いでナンボ!」ということで、東国原知事の所得合計が5464万円で日本一稼いだ知事となっていす。(2位は石原都知事3600万円で、ダントツということです)
驚きは、08年知事が県外出張した日数は138日、まる1日県庁を空けたのは94日とある。(本当にこれで県政をまっとうしたとよく言えるよ。)
また、「入閣見送り」の7月1日の夜に、東国原知事は周囲に当り散らし「週刊誌に潰された」と言った、という。
これ違うんじゃないの?            

春日井商工会議所青年部創立30周年記念式典が11日、春日井市松新町のホテルプラザ勝川であり、東国原英夫・宮崎県知事とタレントのみのもんたさんが講演した。時の人の話を聞こうと市民や報道関係者ら約500人で超満員となった。
 東国原知事は、芸能界から知事を志した過去を振り返り、宮崎県の宣伝大使として大忙しの日々を軽妙な語りで紹介した。自民党から衆院選出馬を要請されたことには「私が出馬条件を話したら、古賀(誠・自民党選対委員長)さんの目が点になった」と明かし、会場は爆笑に包まれた。


渦中の最中に他県で後援会だとか、爆笑を取っていたとか、そんなのばかりだが、問題なのは、みのもんたとの会話で
「霞ヶ関と言った瞬間、グワーきますよ。手を替え品を替え、スキャンダルで潰せ、東を潰せ、何かないのか、失言はないのか、と。これが霞ヶ関のいわゆる抵抗なのかとヒシヒシ感じます。私は吹き飛ばされると思います」といっていた。
自分が批難されているのは、「週刊誌」や「霞ヶ関」のせいだと思っているのだ。
東国原本人には非は自分にないと本気で思っているようである。
これが国民の拒否反応だということが分かっていないようだ。

週刊文春7月16日号

東国原と橋下、タレント知事の「光と影」 政治ジャーナリズムが報じない2人の正体
筆者はジャーナリストの上杉隆。
ここでは、東国原を「地鶏とマンゴーのセールスマン止まり」「ポスト欲しさに沈没寸前の自民党に飛び乗ろうとし、その上、コケてしまった」とし、橋下知事はこれとは大違いでかなり持ち上げている。

週刊現代7月25日号
「朝日新聞女性記者にマジギレ」の記事で、本文には「それにしても、この程度の質問で感情的になるようでは、国政転出後が思いやられる。もう少し宮崎で修行を積んでからのほうがいい」とある。
これに関連して、

日本テレビ系報道番組での東国原英夫宮崎県知事と元検察官の河上和雄弁護士の、白熱したやりとりがネットで話題になっている。河上弁護士は東国原知事の人気はTVで「作られた」もので、いつ下降するかわからないし、「地方分権を叫んでいるだけで国はやっていけない」などと痛烈に批判した。東国原知事は地方分権以外についても考えていると反論。さらに、河上弁護士の「しゃべり方がおかしい」と激怒、非常に険悪な空気になった。
「マスコミ、特にテレビが作り上げたものだと思うんです」
日本テレビ系報道番組「バンキシャ!」(2009年6月28日放送)に東国原知事が出演した。国政進出を考えた理由を聞かれると、地方と都市部の格差を是正するには中央集権という画一的な制度を変える必要があるが、宮崎県知事という立場では限界があるため「次期自民党総裁候補として出たい」と説明した。当選後は国の行政を半分以下にスリム化し、国民生活に直結する部分の権限は地方に与える、という「公約」を述べた。
河上弁護士はかなり不満の表情だった。東国原知事の首長としての功績はよくわかる、としたうえで、まず、こんな言葉を投げかけた。
「自民党から出馬の誘いがあったのは、あなたの人気ですよね。国民的人気と言っていいかもしれないけれど。それはマスコミ、特にテレビが作り上げたものだと思うんです」
人気というのはあやふやなもので、その土台が崩れてしまったら終わり。人気の怖さを知事は考えた方がいい、と突っ込んだ。
知事が、「人気というものは世論の支持、ということですか?」と尋ねると、河上弁護士は、人気というのはテレビが囃し立てると出るもの、テレビが背を向けたとたんに人気はなくなる、と説明。これに対し知事は、「テレビに出ても人気の出ない人もいる」とし、「河上弁護士の言っていることはわからない!」と反論した。
河上弁護士はさらにこう言った。
「地方分権は大切な一つではあるけれど、それだけで国はやっていけないからね。(自民党の政策を)あなたは変えようとしているのだから、それならばちゃんと変えようとする方向性を出さなければいかんでしょう」
知事から国際問題や財政、医療などの問題についての発言が聞こえてこない、というのだ。
「しゃべり方もおかしいですね。ビックリします」
知事は、地方分権は自分の最重要課題だから真っ先に話しているし、他の様々な国の問題についても考えている、とした上で、
「おかしいですよ、それ(河上弁護士の発言)は。おかしいですよ、人気がどうのこうのとか」
すると河上弁護士は、「あなたの意見に反対する人間を、『おかしい』と言って切り捨てるのがおかしいんだよ!」これに対し、知事は、「えぇー?そのしゃべり方もおかしいですね。ビックリします、もう」
とやり返し、非常に険悪なムードになった。

JCASTニュースからhttp://www.j-cast.com/2009/06/29044236.html


というのもあった。

ほんとうによく激怒する方だ。ここで取り上げただけでも3回ある。過去の暴行事件といい、激情しやすいのか、となれば、まず、政治家としての資質を疑わなければならないのではないのか。

週刊現代7月18日号
タイトル、それはありえないから、東国原英夫「俺が総理でどこが悪い!」
単独インタビュー(ノンフィクションライター・柳川悠二)
これはすごいですよ! 突っ込みどころ満載です。
「私のような人物が出馬を整える事態ともなれば、国民に自民党は変わったという印象を与え、勝つ可能性も生まれるのではないでしょうか。
とはいえ、別に私は自民党にこだわっているわけではない。もし民主党から出馬要請があれば、自民党と同じ条件を提示させたうえで、出馬することもありえます。しかし現段階で民主党からは何もないんですよ。先日、偶然にも鳩山代表とレストランでお会いしましたが、「選挙応援してくれ」というような一言はありませんでした。雑談だけで終わって、「あー、民主党さんからは何もないんだあー」という感じでしたね。」
うわ~民主党にふられて恨み節ですか。「自民党とお戦いになる覚悟」はどこにいったのだ。
そして地方分権の重要さを述べた後「その願いを自分の手で達成するには、総理大臣になるしかないんです。」とある。まだこんなことを。
そして「自分が総理大臣になったら真っ先に北朝鮮を訪問したいと考えています。もちろん、外交交渉等はできないかもしれませんが、韓国を含めて朝鮮半島が安定しないと、アジアの平和はありませんからね。まず私がかの国に赴いて、拉致問題、核の問題についての話し合いのテーブルを設置し、アジアの平和を築いていきたい。」
これどうなんでしょうか。土下座外交?
それに国連でもオバマ大統領でも中国でもできないことを、県政を2,3年しかしたことのない、外交経験ゼロの人に何ができるのでしょうか?言うのは簡単だが本当に自分の手で実現できると思っているのか? これこそ外務省の為すがままじゃないですか。
まさに口先でここまできた人だというのが分かる。

そして首相公選制を導入、道州制の導入、それぞれの州に大統領を置き州知事が権限を持つ国家体制を取り入れるとも言っている。
となれば天皇制を廃すのか、日本の国体を解体するということですね。これは大問題だ。(実はこれが一番酷いかもしれない) 自分が何を言っているのか分かっているのか。(右派はどう思うの?)
本文最後には「改革者はいつの時代も奇人。僕なら10年で総理大臣になれる」と密かに明かした野望だという。

ホントに凄いや!

週刊ポスト・7月24日号から
ビートたけし「東国原総裁選出馬は独裁者! 大いに語る」

本文から抜き出してみました。
「もう迷惑してるんだよ、東国原のヤローにはさ。あいつが古賀サンに自民党から出馬を要請されて、「全国知事会マニフェストを受け入れ」に加えて「自分を総裁選候補にすること」なんて条件出しちゃったおかげで、オイラもいろんな人から質問攻めでさ。一部じゃオイラが裏で糸を引いているんじゃないかとまでいわれているんだけど、ほんとジョウダンじゃないぜっての。」
「総裁発言での自民党の反発はごもっとも……東の要求に党内が激震しちゃうんだから、自民党も相当困ってるんだな」
「自民が選挙に勝てばいいけど、負けて下野したらどうなるかね。そしたら東はただのヒラ議員。そしたら一応は代議士に収まるけど宮崎県知事ほど注目は集まらない。それに民主党政権は長くは続かないだろう。小沢、鳩山の金の疑惑もあり脇が甘い。もって1年くらい。そしたら東も目が当てられないよ。小選挙区で出ようにもそもそも基盤はないわけで、比例でもう一度出馬しょうにも、今ほどの人気が維持できるかなんて全然わからない。下手すると一時大人気だった田中康夫のようにいつの間にか影が薄くなって「新党を作ります」なんてひとりで吼えてるなんてことになりかねない」
などなど、ほかに面白いことが書いてありました。

また田中真紀子の講演会の話が面白かった。
「(渡辺喜美議員が田中真紀子を訪ねてきて)用件は何だと尋ねると、『新党をつくるのに数が足りない。そこでねぇちゃん(田中真紀子のこと)と組みたいという。選挙が終わらなきゃダメだと答えました。すると、ギョロ目の渡辺は、『大阪の橋下知事が是非、田中真紀子さんに会ってみたいといっている。橋下も呼ぶから来てくれ』だって。宮崎のらっきょ頭の東国原も同じことをいってるとか。そんなのばっかりさ」「知事も落ちたもんですよ。橋シタだか橋ゲタだか知らないけど、そんなものに会いたくありません。渡辺は、『橋下は礼儀正しいし、東国原よりよっぽどいい』というけど、だったらあんたが付き合えばいいだけでしょ。私が会う必要はありません、ときっぱりいいました。」とあった。
そうかこんな動きもあったんですね。
この2人の騒動、知事の質の低下を評論家の小沢遼子もラジオで嘆いていました。


また気になったのは、日本テレビ系「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」7月3日放送分での東国原知事の出演シーンのこと。
「どんな人が総理大臣になったらいいと思いますか?」と質問されて、東国原氏は「現実的には橋下府知事、想像的には太田光、北野武、島田紳助。政治家では石原伸晃、後藤田正純、蓮舫なんか面白い」と答えた。
お前はその辺の中学生かよ。テレビに映っている人しか挙げないなんて、(ちなみに後藤田正純の妻は女優の水野真紀) タレントぽい人が総理になれないということ。政治の劣化も著しく、軽々しいものになった。
それに「憲法を改正して首相も国民が直接選ぶ大統領制にしよう。……そうすれば面白い」
何度か出てくる「大統領制」、確かに自分は人気者だから日本の元首にでもなれる、と本気で思っているのだろう。
また頻繁に「そうすれば面白い」「何々すれば面白い」と「面白い」という言葉を連発させる。
政治は「面白ければいいのか」。そういう彼のスタンスがよく出ている。

といったところでしょうか。

で、最後にひとつ。
大阪府の橋下徹知事は12日夜、大阪市内のホテルで3回目となる政治資金パーティーを開いた。宮崎県の東国原英夫知事も出席し 一方の東国原知事は、熱っぽく語る橋下知事に「坂本龍馬に見えてきた。僕は勝海舟でいいですというのがあった。

これは許せん。自分を勝海舟に見立てるとは。
自分がそんな大きな器であるのか、偉大な存在であるのかを本人に直に聞いてみたい。

窪島一糸著「勝海舟の戦略論」(中経出版)から勝海舟の評を引いてみる。
「幕末から維新への歴史的の大転換期の中で、海舟の置かれた立場や生き方や果たした役割を考えるちき、知れば知れるほどその評価が決して誇大でもなく至当なものであることがわかる。自分を鍛えてやまぬ克己心と実行力、四十俵小普請組という底辺から身を興して幕府のトップレベルまでのぼりつめていく実力、そして、世界情勢の的確な把握と自国のあり方を見定める大きく深い客観的な先見性・洞察力・分析力など、いずれをとってみても、この時代において海舟がひときわ飛びぬけた存在であったことに異を唱える人はあるまい」
まあ、自分を勝海舟になぞりたいという気持ちはわかる。でもこのパーティーの会話からいくと「勝海舟でいいや」という軽い気持ちが見えて、そこに尊崇の気持ちがないのが許せんのだ。まさに「幕末維新の志士ゴッコ」をしているだけにしか見えない。

東国原氏に日本を動かす力があるのだろうか。芸人時代の師匠に一渇され、「ヘナヘナ」と尻つぼみするような者が、「総理大臣」をやらせろというのは増長慢にもほどがある。
それに彼に忠告するような人が回りにいなかったのか。
見てみるとテレビのお仲間ばかりではないか。
秘書はクロマニヨン吉川、芸人時代の一番弟子・早川信吾、大森うたえもんなどのタケシ軍団のお仲間たち。バラエティー番組の人々、北野武、島田紳助、田中義剛、そしてお礼の挨拶は欠かさないという和田アキ子……。まったく
だが「自分を勝海舟でいいや」といった東国原氏だが、その勝海舟の回りにはおおくの人材が集まった。
大久保一翁、山岡鉄舟、佐久間象山、、西郷隆盛、新門辰五郎、外国人には英国人パークス、アーネスト・サトウ、仏人ロッシュ、松平春嶽、島津斉彬、山内容堂など藩主も協力者になった、門弟には伊藤祐亨、陸奥宗光、坂本竜馬、またライバルは小栗忠順(上野介)、福沢諭吉などなど。
そうこの時代を代表するような人物が勝海舟の回りにいたのだ。
そもそもこんな大人物と自分を同列にする自体が不遜である。

これでもまだ東国原氏を国政に大臣に、いや総理総裁にしようと思いますか?
またマスコミもうこれを最後に、彼をおだて、のせて、ちやほや持ち上げて、つけ上がるらせるようなことはやめにしてほしい。

それに、お願い。総裁候補要求云々の話は出馬要請を断るためのジョークだったなどといって、逃げ道を作る可能性も十分にありうる。彼の今までのヤリ口を見ればそんなことを平気で言うだろう。
もし、そんなことを言い出したら、この騒動を起こした原因を追及してください。

それに一度でもこんな人が総理大臣をやらせろと言わせないような政治を行って欲しいものだ。

追記
2009年7月15日 の記事から。http://www.excite.co.jp/News/politics/20090715/20090716M10.127.html

<東国原知事>転身断念 初々しさが「変貌」 しらける県民

 自民党の古賀誠選対委員長は14日、東国原英夫宮崎県知事の次期衆院選への擁立について「合意に達しなければ、東国原氏の方でご判断いただくことだ」と述べ、事実上断念する考えを示唆した。出馬を働きかけていた古賀氏が選対委員長の辞意を表明したことで、自民党内の東国原氏擁立論は立ち消えになる見通しだ。国政転身騒動は、支持率低下に悩む自民の救世主になるはずが、都議選敗北の「戦犯」にされてしまう予想外の展開をたどった。昨年秋に続く2度目の騒動は、支持者の間にも微妙な影を落としている。
 宮崎県延岡市内で情報誌を発行する男性(66)は2年半前、東国原氏が訪ねてきた日のことをよく覚えている。広い額に、よく動く大きな目。「初々しくて『応援してくれるところもないんだろうな』って、同情したね」
 東国原氏が出た県知事選は、官製談合事件で逮捕された前知事の辞職を受けて行われた。当初は泡沫(ほうまつ)に近いとみられていたが、「宮崎をどげんかせんといかん」「宮崎に骨を埋める覚悟で頑張る」という訴えは、事件で政治不信に陥った有権者の心をつかんだ。
 マニフェストを読み「よく勉強している」と感じた延岡の男性は、知人に東国原氏を紹介し、草の根の選挙運動に加わった。だが、07年秋には、当初は純朴と感じた知事の「変貌(へんぼう)」を感じたという。
 市内であった知事の政治資金パーティー。選挙中は見なかった建設業者や地元企業幹部が顔をそろえていた。会費は1人1万円。「彼を応援したのは、ほとんどが庶民だったはず。会費も高すぎて普通の人は出られんよ」。知事の後援会が主催した政治資金パーティーは07~08年に計11回。集めた金額は約6000万円に上る。
男性は、今回の騒動を愛憎半ばする複雑な思いで見つめている。当選後は県産品のPRに飛び回り、宣伝効果は就任1週間で約165億円と試算された。「休みなく働いてくれた知事に、県民はみな感謝している。職責を全うすれば『国政へ送り出そう』という声が自然に出るのに、なぜ待てなかったのか」
 東国原知事は昨年10月、失言問題から国政不出馬を表明した中山成彬・前国土交通相に後継を持ちかけられ、一時は前向きな姿勢をみせた。結局断念したが、ある自民党県議は「断念の翌11月ごろから、自民党と出馬に向けた交渉が始まった」と証言する。交渉は水面下で行われたが、「土産」(出馬条件)はずばり入閣だったという。そして、知事は次第に国政への秘めた思いを隠さなくなった。
 発言はエスカレートし、知事から飛び出した「『出るな』と言うなら(残りの任期は)ふらーっとさせてもらう」などの言葉は、知事を今まで支えてきた人たちをしらけさせている。知事が全国知事会から宮崎に戻った15日、ある県議は「『すべてを投げ捨てて』ならともかく、自分で『自分を総裁にしろ』では通らない。県民を踏み台にしたと言われても仕方ない」と、厳しく切り捨てた。


「(残りの任期は)ふらーっとさせてもらう」って!
東国原氏の本性はこういうところにあると、よく覚えておいてください。

http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-49.htmlで、安国寺恵瓊の有名な予言を引いたのは「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺はなどに成さるべく候かと見及び申し候。左候て後、高ころびに、あおむけに転ばれ候ずると見え申候。」
地方分権とか、政策とかは相変わらず自画自賛だが、自身の増長慢で、周りが見えなくなった人間が最後にはころげ落ちるということだ。

日本芸能にも大きく貢献した井上馨。 その他エピソードなど。

「新田義貞伝承を追う!シリーズ」で、ここしばらく井上馨のことを書いてきました。
ただいろいろ調べていましたが、まるまる一冊井上馨を描いた本というのほとんどない。
大概は、伊藤博文に関する本や鹿鳴館に関しての本などに添え物として登場ことが多い。
なかなか主役にはならないようだが、これが調べれば調べるほど、なかなか興味深い人物であり、面白い逸話も多いことに気づく。
中でも、妻・武子との出会いは最高の逸話だ。(まるで新田義貞が勾当内侍に一目惚れするような電撃的な出会いがある)
山田風太郎 エドの舞踏会
山田風太郎 「エドの舞踏会」にこのエピソードが詳しく書かれています。(これは傑作です。山田風太郎の明治ものは名作揃い) ぜひ一読を。そしてだれかドラマ化してくれ!

またそんな中で、「史話 日本の歴史25」(作品社)の中にある原田伴彦著「明治資本主義の勧進元 井上馨と東都財界」に井上馨の逸話が載っていたので転載します。 (重要なところは太字にしてあります。特に最後のエピソードが最高にいい。)

豪胆と金と色
明治の茶の湯と復興が近代財界と結びついて行われていたという点からすれば、近代財界の最大の育成者として、また明治の数寄者の代表的な一人として、まず登場させたいのが、明治の元老として、伊藤博文とならぶ井上馨である。
井上馨は萩藩士の百石とりの井上光亨の子で、天保六年(1835年)いま山口市の温泉町の湯田で生まれ、同藩の志道慎平の養子となった。藩主毛利敬親の小姓役となり聞多と名のった。
彼の維新に至るまでの経歴は、かなり波乱にみちている。安政二年(1855年)、21歳のとき藩主に従って江戸へ出て、蘭学研究を志し、江戸太郎左衛門の塾で砲術を研究した。
やがて長州藩に尊攘論の声が高まると、彼は高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔(博文)ら過激派の同志と、文久二年(1862年)に品川御殿山イギリス公使館の焼き打ちを行っている。彼はなかなか豪胆なところがあり、放火して仲間が逃げ去ったあと、ひとり踏み止まって様子をみていたが、火の勢いが十分でないところをみると、もういちど屋内に入り、別の焼弾に火を付けて、これで十分と見届けてから逃走している。このとき一同の土蔵相模という遊郭から勢揃いして出発しているのだが、彼らの居つづけた妓楼の借金の六、七十両の金策は、彼がたくみに江戸の藩邸の重役をゴマ化して調達している。後に井上は財政家として明治政府で腕を振るうが、彼は若いときから金策の名人という特殊な才能をもっていた。
中略
ところで井上は、佐久間象山に教えられて攘夷のためには海軍力を強めなければならぬと考えていたので、その研究のため、翌三年に藩の留学生として伊藤ら四人とイギリスに渡ることになった。このとき彼は志道家を去り、井上姓にもどった。公使館を焼いたそのすぐ後にそのイギリスに行くというのだから、彼の変わり身の早さがうかがわれる。上海について、外国の様子を知ったとたんに彼は攘夷論の迷夢からさめて、開国論に転向した。同行の伊藤が攘夷論をすてたのはイギリスに着いて、ヨーロッパ文明をじかに見聞してからである。
ロンドンにいることわずか半年、たまたま長州藩が下関で外国商船を砲撃したというニュースにひじょうに憂慮した彼は、ただちに帰国して、海外の情勢を知らせ、藩に開国方針をとらせねばならぬと考え、伊藤と二人で元治二年(1864年)六月、横浜に戻った。ただちに帰藩して英仏ら四カ国艦隊と戦うことを止めさせようと努力したが、ついにそれは成功しなかった。彼はこのとき藩論を動かすために死を覚悟している。事実、その九月には、夜中に反対派の刺客に襲われ、後頭部、胸、腹、背など六ヶ所を斬られ、四十針を縫うという瀕死の重傷を負った。

長州藩は四カ国艦隊の下関砲撃による敗戦後、開国、倒幕に藩論を統一した。井上は薩長連合に奔走し、ついに幕府は亡んだ。
明治新政権は薩長藩閥政府といわれるように、長州出身者の羽振りはまことにすさまじい。井上は伊藤や山県有朋とならんで、長閥の巨頭となった。明治二年、造幣頭として大蔵省にはいり、大蔵大輔(次官)として活動する。大蔵卿(大臣)の大久保利通は海外視察で留守をしていたので彼は事実上の大臣であった。当時の大蔵省はいまの自治、農林、通産、郵政各省の仕事を担当しているので、彼の役割はひじょうに大きかった。新通貨や度量衡制度、通商会社の樹立、銀行設立、鉄道建設など、財政、貿易、海運、殖産、交通、通信にわたる近代的諸制度や近代的産業育成の基盤づくりにおける彼の貢献はすこぶる著しい。
ついで元元老院議官、参議兼工部卿となり、明治十二年から外務卿に転じ、内閣制度の成立とともに第一次伊藤内閣の外務大臣となり、この間八年、条約改正に努力した。その後の官歴をみると、農商務大臣(黒田内閣)、内務大臣(第二次伊藤内閣)、朝鮮公使、大蔵大臣(第三次伊藤内閣)などを経て、元老の待遇を受け、大正四年に八十一歳で病没するまで、政財界における大御所的存在だった。

三井の番頭さん
彼の政界、官界での表面的な活躍のほかに、特筆すべきものは、殖産興業の推進すなわち資本家階級とくにいわゆる政商を中心とする財界の育成であった。日本資本主義発展の民間におけるパイオニアを渋沢栄一とすれば、井上は官界におけるその牽引的存在であった。明治に発展した巨大財閥で彼の息のかからぬのは三菱だけであった。
三井物産は彼が作った貿易会社である「先収会社」の後身である。とくに彼の三井家との提携は露骨であり、公然たる手厚い援助を加えた。はやくも西郷隆盛が彼のことを「三井の番頭さん」とからかっている。山路愛山は「現代金権史」で、井上は世に「黒幕大蔵大臣」と称され、「三井家と云う王国に若し摂政関白あらば候たしかに其人なるべし」とのべ、また明治四十三年刊の横山源之助の「明治富豪史」には「富豪界の頭目といえば大勲位侯爵井上馨を想起するであろう。(中略) 九州の具島家は井上侯爵を神仏の如く仰ぎ、(中略) 井上侯爵は、三井、鴻池の二大富豪を左右に控え、藤田、古河二家を足下に踏まえ、南は九州より、北は北海道の漁業にまで及んでいる」と述べている。土屋喬雄教授はその著書「近代日本の政商」で井上は政商の「守護神」であったと考えてよいとのべられている。
それはともかく、志士あがりの政府大官で、資本主義経済というものの先の見通しがよく分かっていたのは、彼と松方正義だけだったといってよい。日本の近代化のための殖産興業は、彼にとって至上命令だった。それだけに利権を求める政商や富豪にとっては、井上はもっとも頼りになる人物であった。まさに近代金権政治の象徴的存在である。戦後の利権政治家などは足元にも及ばない大型スケールである。
井上の雅号を「世外」(せがい)といった。たぶんに世俗を超脱したような印象をあたえるが―明治以後は、彼の周辺には俗臭粉々で、いわゆる汚職の疑惑に充ち溢れていた。明治三十四年に彼は内閣組織の命を受けたが、組閣に失敗した。明治の元老の大物ぞろいのうち、ついに首相になれなかったのは彼ひとりであるのは、いささか不思議である。僚友で四度も首相になった伊藤博文は、なんとかして一度だけ井上を首相にしたいと努力したが果たせなかった。「貧官汚吏の家元」と目された彼に運がなかったといえばそれまでだが、彼のまわりにそれを阻む、公私を混濁するある種の妖気がなかったともいいきれない。
しかし彼は、人物としては直情径行で、ときに「雷親爺」といわれるほどのやかまし屋であった。ふだんは閻魔様が塩辛をなめたり、不動様が毛虫を噛んだりしたような面貌をしていた。機嫌の悪いときの顔つきといったら天下一品といわれただが、他方では臨機応変、細かいところに気のつく、また他人の世話好きな性格であった。維新前の行動をみると、その人となりは、一個の利欲にのみ目のくらむようなものではなかったことはたしかである。
ともかくも彼は力の人であった。桐野利秋が、「もし井上が士族兵でも率いてやってきたら、とてもそれに抗するものはないだろう」と嘆じたともいう。桐野は西南役の薩軍の驍将で、幕末には「人斬り半次郎」の異名でならした男である。桐野が一目置くくらいだから相当なものである。

鹿鳴館と歌舞伎

明治における彼も社会的足跡はまことに多彩だが、そのうち興味のある2,3のことをあげようその一つは東京の銀座街の建設である。明治五年二月の東京の大火事で銀座が焼けた。彼は伊藤と相談して、その焼け跡に煉瓦づくりの洋館街を建設することを計画し、太政官の認可をとった。
銀座が東京の中枢として将来発展性のあることを見抜いた点はまことに見事である。こうして銀座は文明開化の中心地となった。明治十五年の槎盆子「銀座小誌」には、街路の幅十五間。桜桃松柳などの樹木を両側にうえて、中央を馬車道とし、その外を人道とした。よるになるとガス灯が点ぜられて不夜城の巷になったとある。また香夢仙史著わすところの「銀街竹枝」には、いささかオーバーだが、こんな詩がある。

次は井上がいわゆる鹿鳴館時代の立役者であったことである。井上は条約改正に腐心し、そのためにとったのがいわゆる欧化政策だった。そのシンボル鹿鳴館は井上が明治十六年に日比谷につくったものである。上流貴顕の絢爛たる夜会、宵から夜半まで踊りぬく舞踏会、仮装舞踏会などは、保守主義者から軽佻浮薄と批判された。欧米の外国大公使が外務省にやってくると、外相伯爵の井上自身が飛び出して馬車の扉をあけることさえあったという。井上の条約改正の試みは、欧米先進国の壁が厚く、ついに交渉は失敗に終わったが、いかに彼がそのために心血をそそいだかがうかがわれる。
その井上も、国内の人民に対しては王者のごとくであった。彼が熱海の温泉に保養にいくとき帝国海軍の軍艦でのりつけ、軍艦がサーチライトを照らしたため、あわてふためいた熱海に住民は、火事かと思って、消防車をくり出したという話もある。
もた、井上は明治二十年に明治天皇、皇后、皇太后をその麻布鳥居坂の私邸に招待して、九代目団十郎、五代目菊五郎、初代左団次らの勧進帳などの歌舞伎芝居を天覧に供した。宮内庁では前代未聞のこととして猛烈に反対したらしい。というのは、このころは歌舞伎役者はいまだ社会的身分としては江戸時代いらいの河原乞食扱いをうけて蔑視されていたからである。しかし井上はその権威で宮内庁の反対を押し切ってしまった。
井上の主観的意図は別として、これはまことに大変なことだったのである。天皇が見物したことによって、歌舞伎役者は、これまでの社会的賤視を脱却して、芸能界における近代的市民権を獲得することになったのである。またこれを機会に近代文化としての演劇改良、育成が世上の課題とされはじめた。その意味で井上は伝統演劇復興とその近代化の大恩人となった。それは日本の近代演劇をかざる一大事件であった。

伝統芸能の理解者
井上は明治九年から二年間、財政経済研究のためにヨーロッパを視察している。彼はこのときイギリスなどで、芸術が社会的にいかに尊重されているかを知悉したとみられる。その点で彼はたんなる傲岸な官僚政治屋ではなかった。歌舞伎にたいする正しい評価と取扱いもそのあらわれであったといってよい。
この伝統芸能への理解は、彼の茶湯への関心に通じるものであった。彼は財界の最高のスポンサーとしての社交生活をくりひろげるうちに、茶湯の復興に力をつくすことになった。前述した二十年に私邸に行幸を仰いで天覧制を催したのも、その主な目的は、本邸鳥居坂邸に設けた茶室の八窓庵開きであった。
ちなみに八窓庵は、その由来縁起によると、茶祖珠光の遺物という東大寺塔頭四聖坊の茶寮であった。そのかみ勅使が正倉院に下向のおりには八窓庵で茶を供するという由緒をもったといわれる。ところが明治はじねに荒廃し、十三年にはわずか三十円で、ある風呂屋に落札され、あわや薪物にされようとした。このとき稲生真履という人がこれを惜しんで三十五円でこれを買い戻したのを、井上が譲り受けて、大阪から海上を東京に輸送し、鳥居坂邸に建設し、後年麻布の内山田の本邸に移されたものである。
井上は明治二十八年の還暦のころから、しばしば東京で茶会を催している。晩年の四十三年には内山田の八窓庵の工事完了とともに、しきりにここで茶筵を催している。興津や鎌倉の別邸でもしばしば茶会を行った。招きに集まる同好の士をみると、益田孝、加藤正義、原冨太郎、三井八郎右衛門、三井高保、三井八郎次郎、朝吹英二、近藤廉平、根津嘉一郎、安田善次郎、石黒忠直、高橋是清、大倉喜八郎、高橋義雄、山本条太郎、馬越恭平など、財界を中心とする錚々たる顔ぶれである。

美術品と茶道具
井上は美術品への嗜好が強く、また観賞眼にも富んだらしく、大名物として徽宗皇帝筆の桃鳩図、周文筆山水図、雪舟筆瀑布図、十一面観世音幅、孔雀明王幅などの国宝級のものをはじめ、古筆物、古画、仏画、彫刻、陶磁器など天下の奇什珍品を蒐集した。これには徳富蘇峰の言をかりれば天下の財権の三分二を握ることによって彼が蓄積したすばらしい財力が与って力あったことはいうまでもない。茶道具としては、松島真壺、道仁作田口釜などのほか、古河男爵家から利休いらい世の銘物とされている長次郎作雁取茶碗を入手したことなどが有名である。
井上は茶事ばかりでなく、割烹に精通していた。みずからしきりに腕を振ったという。とくに出汁づくりにはうるさく、一家言をもっていた。明治四十五年に、興津の別荘に皇太子(大正天皇)が遊びにきたとき、自分の手料理で饗応した。あとで皇太子が宮中の大膳職に「井上の家で出た料理でとくに美味いものがあったがあれをぜひ食べたい」といいだした。どんな料理なのか、困った大膳職が井上家に問い合わせていろいろ調べてみると、なんとタクアン漬けだったそうである。

以上。

井上馨といえば「鹿鳴館」などで西洋かぶれといった印象が強いが、この文章を読むと、歌舞伎、茶の湯、美術品など日本芸能にも大きく貢献していたことがわかる。
また、あまり人をほめない勝海舟であるが、胆力のすわった井上馨の豪勇ぶりをほめているといった話もありました。

余談ですが、三島由紀夫の戯曲「鹿鳴館」の主役・影山は、井上馨をモデルにしているといわれる。妻・朝子は、武子となっている。内容はまったくの創作ですが、設定を井上馨にしているということです。
鹿鳴館 田村正和
画像は平成20年1月5日(土)に、テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャル「鹿鳴館」として放送されたもの。番宣には「本作はをテレビドラマ化したもの。文明開化の明治時代の社交界で繰り広げられる舞踏会に渦巻く男女の愛憎劇が展開される。」とある。
主役の影山役・田村正和の顔に刀傷があるので、これで井上馨だということがわかる。それに二枚目というイメージが何となく合います。
妻・武子に相当する役には、黒木瞳があたっています。なるほど、これもイメージが合う。
おっ黒木瞳か。南朝方の私としては、これは応援しなければならい。
理由はhttp://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-433.htmlで。

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消えた二十二巻

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