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民主党大勝……それでいいのか?保守は負けたわけではない。政権交代の次は、政界再編だ!

民主党308議席確保!
政権交代実現!
自民党大敗!

明日の新聞の見出しにはこんな文字が躍るだろう。
お祭り騒ぎのテレビのワイドショーを見て、自民党が大負けしたことに、留飲を下げたという人も少なくないだろう。
そんな、マスコミが推し進めた民主党ブームに流された大多数の人々も、一年後、いや半年後くらいになれば「こんなはずではなかった」と思うに違いない。
鳩山由紀夫の「匿名献金問題」、民主党内の思想、信条、政策はバラバラ、大臣任命時の混乱(社民党から大臣?日教組出身者の文科相?中国寄りの防衛大臣?) 中国寄りの外交で、アメリカが黙っているはずもないし、北朝鮮からミサイルが打ち込まれたら? 新型ウィルスの対策は?……。
それに、小泉チルドレンが小沢チルドレンに変わっただけで、ただむやみに若いが何をしているのか分からないという議員が増えただけなのだから。(民主党の当選者の顔ぶれを見てみれば、「杉浦大蔵」みたいな若造ばかり、あんなのが東大出のバリバリエリート官僚と戦えるのか? 右も左も分からない新人議員が増えて喜ぶのは官僚だろう。)

多くは語るまい。選挙前にいろいろ書いた、今さらどうのこうの嘆いても仕方あるまい。
(ただ、中川昭一を落とした北海道11区だけは恨む過去記事)

しかし、「保守派」支持にとってはこれで良かったのかもしれない。
これで、自民党の高齢大物議員が引退し、世代交代が進む。
これで、与党に「公明党」「創価学会」がいなくなって良かった。
自民党は解体するという話も出ているがそれでもいい。
大丈夫、旧社会党の極左から靖国神社参拝賛成の右派までの寄せ集めの民主党だ、いつかは分裂する。(民主党よ、過半数以上取ったのだから、社民党なんかと組むな)

そのときこそ、チャンスだ。
次のステージは、政権交代ではない、政界再編だ!
民主党の右派と自民党の右派が組んで新党を作るときだ。
新しい保守だ!
「日本の歴史、伝統、皇室、国旗、国歌といった基本的なものは守った上で改革をする」という方針が
このときに守られる。
本当に、私が望むのは本物の「保守」党だ。
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新田義貞関連の記事 「太平記登場回数は2番目に多い」

峰岸純夫著 歴史文化ライブラリー272「足利尊氏と直義 京の夢、鎌倉の夢」の中に書いてあった「太平記 人物名記述回数100回以上のベスト9

1、足利尊氏 464回
2、新田義貞 381回
3、後醍醐天皇 327回
4、高師直 241回
5、足利直義 231回
6、足利義詮 200回
7、楠木正成 173回
8、新田(脇屋)義助 118回
9、北条高時 112回


こういうものを見ると、「太平記」において、新田義貞及び新田一族の記述がいかに多かったのかというのが分かる。
新田義貞の初登場は巻7「新田義貞賜綸旨事」で、その死が巻20「義貞首懸獄門事付勾当内侍事」である。(ただし巻23「大森彦七事」では義貞は怨霊となって登場する) 太平記全40巻のうち3分の1しか実質的に活動していないが、その割合から見れば、義貞の登場回数はかなり多いことになる。
ちなみに足利尊氏は巻3「笠置軍事付陶山小見山夜討事」から巻33「将軍御逝去事」まで登場するので、その活躍期間は義貞の2倍長いことになる。
つまり、義貞は太平記の中盤において集中的に登場していることになるのだ。
そう見ると「北国落ち」してからは、中央政局とはあまり影響がないのに、異常なほど、義貞周辺の記述が多いのが不思議なのだ。こうした点を見ても、太平記の中盤の作者は、義貞の周辺にいた人物ではないか、といえる。やはり児島高徳か?http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-405.html
そして、脇屋義助が8位というのが、意外だった。義助の死は巻22「義助朝臣病死事付鞆軍事」で、やはり活動期間は短い。しかし、兄・義貞と行動を共にした名参謀といった記述が多いようだ。また脇屋義助は、義貞死後の巻21、22にその名が集中するから、このころの南朝方の中心人物となっていた証拠だろう。(義助がもう少し長生きしていれば、状況は変わったはずなのに……、ほんと新田氏は不運な一族だ) またこのあたりの行動の記述が詳細な点からみて、「太平記」中盤の南朝方の作者は、新田一族と行動をともにしていた人物となる。となれば、児島高徳か、その周辺人物となるだろう。

さて、新田義貞及び一族の登場回数が多いのは、太平記・南北朝の時代が、新田対足利の武家の覇権争いという一面もあったから当然だといえるのだ。
ただ、「義貞と尊氏の実力を比較して、新田氏は足利氏のライバルではなかった」という人が結構いる。
これは明らかな間違いだ。
義貞死後の新田一族の戦いも凄まじく、足利氏打倒の執念はより一層激しくなっていく。太平記全体を眺めれば、これは「義貞vs尊氏」という単純な構図ではなく、「新田一族対足利家」で、新田一族の決死の総力戦のような形になっていくからだ。
たとえば、義貞の遺児である義興、義宗、義助の遺児である義治は「武蔵野合戦」(巻33)で足利尊氏を自刃させる直前まで追いつめている。
義貞の遺志を継いだ者が、足利方に戦いを挑むような様相を呈していく。だから義貞の遺児らを含めて「新田対足利」というライバル関係にあったといえるのだ。
ほかに、「新田幕府の可能性はあったのか?」
新田義貞ファンは「高柳光寿」の擁護論を読んで、立ち上がろう!あたりが関連記事。

また、義貞の死をもって新田一族が滅亡したかのように言う人もいる。
その人は、新田一族が「源義経」や「平家」のようにパッと消えてなくなったように思っているのだろう。
これも間違いだ。
新田一族は滅亡したわけではない。義貞死後も、新田一族は各地で足利方と戦っている。太平記の後半を読めば新田一族の名が多く出てくることを知らないのだろう。
地図を眺めて胸躍る。各地に新田一族の名前が!の記事から。
ここに一族の名は書いてあるが、その他にも新田一族の家臣というのも数多くいて、いまもその子孫だという家は多く存在しているのだ。
藤島神社・新田禰宜のつれづれ日記」には「聖飢魔IIのデーモン小暮閣下の祖先が新田義貞の家臣だった(デーモン小暮本人の弁)」といった話が載っていた。
全国各地にこういった話がゴロゴロ残っている。そう、新田一族や家臣らは消えてなくなってしまったわけではなく、地下に潜って生き残っていた者たちもいたのだ。(これが「東毛奇談」のテーマでもある。) 

最後に「新田義貞」情報。
平成21年8月29日付け 上毛新聞「ちょっといい話」から
新田義貞「和太鼓」

新田義貞を縁に交流
福島県白河市で今月上旬に開かれた「スポーツ和太鼓フェスティバル」。県内外から12団体が出演した熱気あふれる会場で、太田市の新田太鼓保存会(原田均会長)がひときわ勇壮な和太鼓の音を響かせた。
郷土ゆかりの武将・新田義貞をシンボルに掲げて和太鼓演奏に取り組んでいる同保存会と白河市の交流は676年前の縁が結んでくれた。
同市は、義貞とともに1333年の鎌倉攻めに参加した結城宗広の古里。今年1月、太田市へ視察に訪れた白河市議が、同保存会の歓待を受け、力強い演奏に感激。鎌倉攻めの縁もあって盛り上がり、フェスティバルへの参加が決まった。
本番では、メンバー15人が舞台に上がり、義貞の生涯を表現したオリジナル曲「新田義貞太鼓」を披露。新田氏の「大中黒」の旗を掲げながらの熱演に、大きな拍手が送られた。
滞在中も結城氏ゆかりの名所に案内されるなど、予想外の歓迎を受けた。白河市の鈴木和夫市長も「素晴らしい演奏で盛り上げてくらた」と感謝し、今秋に開かれる「食と職の市」への招待を約束。会長の原田さんは「一生懸命やっていると、いいことがあるな」と胸を熱くした。
1983年に結成。「新田太鼓の輪を広げ、後世に残るものに」という思いで続けてきた。四半世紀を過ぎ、夢に近づく一歩を、ほかでもない義貞が導いてくれた。「郷土芸能としては、まだまだ駆け出し。期待に応えられるよう、もっと腕を磨かないと。原田さんは気持ちを新たにしている。 (金田圭子)

この白河市の近く棚蔵町に新田義貞と勾当内侍の墓がある。
「新田義貞伝承を追う ①各地に残る勾当内侍の墓の謎」

何はともあれ、ここに熱い「新田魂」を感じます。
ということで、全国の新田義貞ファンともに立ち上がりましょう!

伊藤洋一著「日本力」は面白い。 なるほど「中国には祭りがない」のか!

毎朝のマイカー通勤で、TBSラジオの「森本毅郎・スタンバイ!」を聞く。
この番組では朝7時から、日替わりで経済や政治の専門家がコメンテーターとなって、ニュースを解説していくコーナーがある。
取り上げるニュースも他の局とは違う経済系が多く、これが分かりやすくてとても重宝している。
ただ当ブログでは「株価が当たらない経済専門家たち」という記事で少々悪口を書いたが……。
さて、そのコメンテーターの中で金曜日を担当しているのが「伊藤洋一」。
テレビでもよく見かける方だ。

ある日書店で、その伊藤洋一氏の本を見つけた。
日本力  アジアを引っぱる経済・欧米が憧れる文化!』(講談社プラスα文庫)
伊藤洋一「日本力」
まず、表紙と題名に惹かれて手に取った。
経済書だけど、これが異色「日本文化」についての記述が多くて異様なほど面白かった。
まえがきには

優れたモノやサービスを作り出す能力という点において、日本には他の国々にはないパワーと価値観があると筆者は考える。そもそも「士農工商」のように、身分制度の中に「工」をしっかり入れている国は、私が調べる限りではほとんどない。日本にはいにしえの「工」が作った逸品が数多く残る。日本は大陸から技術を持つ人々を数多く迎え、その人達の技術を伝承し、さらに磨きを掛けて育ててきた。そうして磨いた技術、美的センスは、いつの時代にも世界に通用するだろう。依然として、そして今後も、日本の作り出す製品の素晴らしさは、世界を魅了するだろう。
たとえ人口が減っても、日本人は悲観論に振り回される必要はない。なすべきことはいろいろあるが、今後も大きく変化する世界の動きの中でその流れをつかみ、それに知恵を使って参加し、その文化、製品、考え方、そしてサービスで世界と交流していけば、日本は今後も世界において独自の地位を占め続けるだろう。

とある。
日本を「溢れんばかりの創造性に恵まれた民族」として、日本の底力、魅力を存分に書いています。また韓国、中国、インドの現状と未来についても詳しくこれも参考になる。
日本国内を覆っている悲観論を吹き飛ばしていく勢いが貫らぬかれていて、とにかく前向きなのだ。
なぜか読んでいて「元気」になれるという稀な経済書だ。
この本は必読です。

その中で、これはなるほどと唸ったエピソードを引用してみます。
長文ですが、あまりにも感心したので、そのまま引用しました。

「祭りなき国」の民衆は

中国に関して、日本人がほとんど知らない一つの重要な事実を指摘しておこう。これは、筆者も富士通総研経済研究所の方に聞いて驚いた。筆者だけでなく、日本人はこれを聞くと誰しもが驚く。しかし、中国問題を考えるとき、非常に重要なポイントなのである。
中国には「祭り」がないのである。2004年末だが、私が司会しているラジオ番組で、南京出身の柯隆さんが、以下のような非常に興味深い話をしてくれた。
「中国には日本各地で開かれるような祭りがないのです。かつての中国には祭りがありました。民衆はそこでエネルギーを発散していた。不満のはけ口だったのです。今の日本の祭りにはそういう意味合いもあります。
ところが今の中国には祭りがない。共産党革命が起きた時に、新政府が祭りを禁止したのです。民衆の熱意が発揮される祭りが、共産党は怖かったからです。その代りに共産主義・毛沢東思想を学ぶ勉強会を行った。しかし、これでは民衆のストレスは溜まるばかりです。時には民衆の暴動も起こるし、サッカー場で騒いでみたくなるのもうなずけます」
これについては、中国を旅行や出張で訪れる普通の日本人は気づかない。中国で育って、日本に来て、そして、日本で生活した人しか気づかない、重要な日中の違いなのである。柯隆さんは、まさにそういう人であった。柯さんも、そして筆者も、これは今の中国で起きている一連の出来事を理解するうえで、極めて重要なポイントだと考える。
「祭りはしばしば民衆に楽しみを与えると同時に、民衆の不満のガス抜きに使われた」というのは、多少歴史を調べたことのある地方史家の私の父親なども、しばしば口にしていた。その祭りは今でも日本各地にあって、中には相当乱暴な、男や社会のストレスを発散させるようなものがある。死者もしばしば出る諏訪の「御柱祭」、岸和田の「だんじり祭」などが代表的なものである。地方史の専門家であった、父親は、「諏訪には民衆暴動の記録はない」「これは(全国でも)非常に珍しい」と言っていた。これは、「諏訪には非常に荒々しい祭りがあったからだ」とも考えられる。そういう大きな祭りは、日本国内に数多くあって、ニュースにしばしば登場する。
「祭り」には、「ハレ」(晴れ着の語源と言われる。普段と違うことをすること)と「ケ」(日常生活)という区別で考えれば、明らかに「ハレ」である。そこにしばしば無礼講で、社会的地位の差なく盛り上がり、楽しみ、そして一年の区切りをつくっていく。祭りを盛り上げるのは創意である。それは想像力・創造力の源泉ともなる。これこそ「日本力」の根源ではないか。
日本では明らかに、祭りが一年や季節の区切りとなっている。それは社会の安定にとって極めて重要だ。さらに重要なのは、日本では祭りが増えている、ということだ。都市などでは筆者の生活圏だけ見ても、たとえば、東京の高円寺の阿波踊り、阿佐ヶ谷の七夕など「借り物祭り」が増えている。こうした祭りが、日本という国を極めて多様にしていると言える。
中国に祭りがないというのは実に意外だが、事実である。中国出身の柯隆さんだからこそ、日本との差を確信できるのであろう。「春節は中国の祭りだ」という人もいる。しかし、春節は日本で言ってみれば正月である。正月は日本では祭りではない。日本の祭りの多様性と頻度は、世界でも例のないものである。これも、「日本力」のバックグランドにある「遊び心」をくすぐる要因になる。
確かに、中国に2004年だけで3回行った私も、「中国の祭り」については聞いたことがない。リオのカーニバル、アイルランドの聖パトリック・フェスティバルなど、日本にいても世界各地の祭りは報道される。しかし、「中国の祭り」は聞いたことがない。
祭りのない国は寂しいし、ましててや日本のように職場で働いたあと同僚と酒を飲みに行くといった習慣のない中国では、民衆、特に8億人いる農民の生活は、一貫して「ケ」の連続のようなものである。
むろん、それだけが反日デモ、さらには反日デモの騒擾の原因だと言っているわけではない。大きな事件やその発展には、複雑な要因がからまっている。しかし、映像を見る限り笑顔もあるデモが徐々に盛り上がって険悪な破壊行為になるまで発展する展開を見ていると、「祭り」さえも許されない中国社会の窮屈さが、「反日」という理由を見つけながら、サッカー場や諸都市の路上で爆発している印象がする。
祭りは、言ってみれば「管理された騒擾」である。人々はそこで日頃の「ケ」の生活を忘れ、「ハレ」の数日間に賭け、そしてそれを楽しむ。1年の間に日程がきっちり決まっているのが祭りだ。人々はそこで鬱屈を晴らそうと日々働き、「ハレ」の日を楽しみ、そうすると次の日からの「ケ」」がまた新鮮になる。
中国要人に極めて近い人は、2005年の春に吹き荒れた反日デモと騒擾に関して、「よかった。あれで鬱憤晴らしができた連中も多いだろう」と語っていたという。この人物が、「よかった、よかった」と素直に喜んでいたらしい。こうした発言が反日デモ仕掛け説につながるのだが、筆者は、中国の反日デモにも、たしかに「管理された騒擾」の面はあったし、日本の祭りと同じ要素を持っていると思う。だからこそこの人物は、「よかった」と快哉を叫んだのである。
中国の「管理された騒擾」が日本の祭りと違うのは、時期も対象も決まっていないということだ。それを決めるのは、共産党である。ベオグラードの中国大使館がアメリカから誤爆されれば、その矛先はアメリカに向く。中ソ対立が激しかったときには、それがソ連にしばしば向いた。ベトナムに向いたこともある。今回の反日デモ・騒擾には、そういう要素があったのである。しかし、それが最後まで管理されていたかどうかは疑問だ。
2005年春の一連の反日デモや騒擾は、日本の安保理入りや歴史教科書問題など政治を起点としていると言われる。それはそうだろう。しかし、デモが拡大し、それが騒擾にまで発展する背景には、「中国には祭りがない」という日本人が気づかない要因が影響しているように思う。

これは面白い。
「ハレ」と「ケ」という記述がある経済書というのはあまりないだろう。私にはこの視点がたまらない。
中国の文化大革命は「旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣」をことごとく破壊してしまったから、「祭り」がない。これを逆にいえば、日本がこういったモノを守ってきたからこそ、今の経済の発展があるともいえるのだ。
ここに注目し、重要視した伊藤洋一氏は鋭いということなのだ。
また、あとがきには、「この本の出版の直前に亡くなった尊敬すべき父親、伊藤麟太郎にも心からの感謝をしたい」とあった。なるほど、郷土史家の父親の影響があったのだ。こういったところに目を付ける点からみても、これは確かなことだろう。

さて、他に『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識』(ビジネス社刊・日下公人との共著)という、実に「そそられる題名」の本もあるらしい。これもさっそく探して読んでみます。




身近な出来事で「亡国論」!?

雑多な記事をまとめてみました。

①夏休みも終わりに近づいて、小学2年生の娘に宿題の進行状況を聞いてみた。
ほとんど終わっているが、「読書感想文」だけ終わっていないという。
本はいろいろ読んでいたが、どれで書くかで迷っているという。
たまたまそばにいた祖父は、「そりゃ読書感想文といえば、二宮金次郎とか野口英夫とかだろう」と言っていた。私もこれには賛成だったが、今の子供はそういった人物伝を読まない(学校でも積極的に読ませない)ということなので、当然、人物伝で「感想文」は書かない。
ならば、ということで、学校が薦める図書の一覧を見た。驚いた。
見たのは「先生のすすめる 夏休みすいせん図書 2009年版」(企画はトーハン、全国SLA選定、全国図書館協議議会選定など)というもの。
低学年には、「かいけつゾロリ」や「ちびまる子ちゃん」などアニメの本が推薦され、絵本みたなものが多かった。中学年には動物もの、魔女、姫様などといったファンタジーぽいものばかりが並ぶ。
う~ん、なるほどこれが「ゆとり教育」かとつくづく思った。別にアニメの本がダメだとかいっているのではない。そんなものは親に隠れてでも読むんだから、べつに学校で推薦しなくてもよいのではないか。
もっと読ませる本が、物語が、人物伝が、あるのではないのだろうか。
だが、驚くにはまだ早かった。
5・6年生の推薦図書の中にあったものは、……、
オバマ  YES WE CAN!」(岩崎書店)  だった。
何でだよ。なぜ日本の子供が現職アメリカ大統領の出世物語を読まされなければならないのか?
これを不可解なことだと思わないならば、神経が麻痺しているか、相当にアメリカに毒されているのだろう。
別にオバマ大統領個人については何の文句ない。
ただ、日本以外のどこの国で、現職の元首の本を推薦する公的な機関があるのかということだ。
「自国の偉人」を読ませるのではダメなのか。(ここでは日本人としては「北島康介」の本が紹介されていたが。)
まあ、百歩譲って、アメリカ大統領でも「リンカーン」や「J・F・ケネディ」ならまだ分かる。評価が確定されているからだ。だが、オバマ大統領は現職である、これからどんなことをするか分からない、核兵器のボタンを押すかもしれなし、国際関係がこじれて戦争を引き起こすかもしれない、まだ未知数なのだ。その辺の感覚が分からないのだろうか。幼い頭に他国の元首の美談を埋め込まれたらどうなるのか、そういった危険性を考えてみたことはないのだろうか。日本はアメリカ合衆国の51番目の州ではないのに。
これは「英語教育の一環」なのか、または単純な「アメリカ万歳主義」なのか、私には分からないが。
そういえば、日本共産党の志位委員長がオバマ大統領に手紙を出して、返事がきたと大喜びし、街頭演説でアメリカの大統領を絶賛していた。イデオロギー的に相容れないはずの共産党までもが「アメリカ大統領」にすり寄る姿が滑稽でもあり、恐ろしくもある。まあ、こことは何の関係もないだろうが、あまりにもアメリカ大統領を尊崇し過ぎではないのか。

それでも、「毛沢東」や「金日正」の伝記を読まされるよりはいいだろうが……。これも、日教組出身の文部科学大臣が誕生したらありうるかもしれないけど……。

②先日、「ネプリーグ」というクイズ番組を見ていたら、フジテレビ女子アナウンサーが、「日本の祝祭日は?」という問いに、「う~ん、父の日、母の日、クリスマス、ハローウィン」と答えていた。タイムアップで焦っていたとはいえそれはないだろう。
これは、ただ単に「おバカな女子アナ」がいた、という話ではないかもしれない。
「日本の祝祭日」をカレンダー上での休みの日くらいの認識しか、ほとんどの国民が持っていない。
「なぜその日が日本の祝日なのか」ということに関して、全くの無関心で、大概の人は興味もないだろう。「日本人だけど日本の祝祭日の意味も知らない」というのが現実だ。
また学校でもその由来を教えていないし、マスコミだってその由来を詳しく言っていたのを見たことがない。
なぜなら、日本の祝祭日が、もともと皇室のものと結びつくから、学校では教えないし、触れたがらないのだ。
それに、「海の日」「みどりの日」なんて、曖昧、漠然としたものまであって、祝日の本来の意味(なぜその日を祝うのか)が失わているのだ。
じつは、こんな珍回答も、日本の祝祭日の存在意義を問う問題提起をしているのかもしれない。
それにしても、「ハローウィン」なんて日本人には何の関係もないけど、いまでは日本の祝祭日よりも認知されている……。悲しいことだ。

③ユーチューブで見た画像。日本テレビの早朝の情報番組でのこと。
番組冒頭、女子アナ4人が並んで、「12月24日、今日は天皇誕生日で、クリスマスイブですよね」という挨拶に、他の3人が「そうですよね」といって番組が始まる。
そして、その発言をした女子アナが「訂正です。先ほどは天皇誕生日とお伝えしましたが、今日は振替休日でした。」と謝罪する。といった動画がある。
天皇誕生日は12月23日だ。
「クリスマスイブ」が頭にあったのだろう。
②の話とどこか似ている。それに両方とも、女子アナウンサーという人気職業。難関をくぐりぬけてなった人たちで優秀であり、報道をするという職業柄、祝祭日に敏感でなければならないはずだ。
しかし、無意識のうちに、日本の祝祭日よりも外国の行事の方が重要だと思っているのではないのか、だから、咄嗟にこんなことを言うのだ。どうもそんな感じがする。

それに、休日の設定がおかしい。経済効果のためだけに、日にちをずらして振替休日にする。連休にすれば景気がよくなるという発想だ。そもそも、祝祭日はその日であることが重要なのに…。なんでも金に換算し、文化・歴史もコストパフォーマンスに変える。
自国の文化よりも経済活動を優先させる思考は、いつか国を滅ぼす。

そういえば「徳川家康ってだれ?」っていったフジテレビの女子アナがいたというが、本当なのか。
検索すると、この人、幼年期にはアメリカンスクールに通っていたとある。
やはり、日本人だけど、日本のことは教わらなかったのだろう。
高学歴は「英語」を重要視するから外国志向が高くなる。大学受験では英語の得点配分が高いから、「受験のための英語」に勉学の時間を費やすことになる。だから、「徳川家康」よりも「英単語」となるわけだ。
よって、高学歴でも意外と、知識、一般教養のない人が多くなるというわけなのだろう。女子アナとかが出るクイズ番組を見れば時々そんな場面に出くわす。

④よくある「アニメ30連発」とか「懐かしのアニメベスト50」とかを見て思ったこと。
アニメ「一休さん」の最終回はシュールだと言われる。お経が流れ、一休さんがひとり去っていく場面がラストシーンになっている。
ここで、ゲストは、「怖い」とか「やめて~」なんて声を上げる。
そして、「フランダースの犬」の最終回で、ネロが死ぬ場面では、賛美歌が流れ、天使が舞い降りる。そこでお決まりのようにゲストが涙を流す。
一言、「お経や坊主が怖くて、なぜ賛美歌や天使が美しいのか!」
日本的なもの(ここでは仏教的なもの)は怖いものなのか?
「欧米文化」が必要以上に「美化」されていて、これが日本人の頭にしっかりと刷り込まれている、証拠だ。

⑤旅館に行くと、「こういう額縁の裏にお札が貼ってあるんだぜ」とかいう人がいる。お札が貼ってあると、その部屋で不幸があった印だというのだ。
おかしなことを言う。
お札=幽霊になっている。
お札は幽霊を近づけないものじゃないのか。反対だよ。お札自体が怖いものになっている。
ここに刷り込みがある。
寺や神社は怖いという「刷り込み」がはびこっている。古い、寂しい、おまけに霊が出る、という。
逆に、教会は賛美歌があって、ステンドガラスで綺麗、美しいという。
寺のお墓は「肝試し」で、外人墓地はデートスポットだって。
何なんだろうか。
寺・神社(日本文化)はマイナスイメージ、教会・西洋建物(欧米文化)はプラスイメージを植え付けられている。

⑥昔、同級生が大学受験し、キリスト教系大学と仏教系大学に受かった。
キャンパスにチャペルがあって「欧米風」の雰囲気が良かった、という理由だけで、キリスト教系大学に入学した。
だが、教会のある本校に通ったのは、ほとんどなくて、通学したのは地方の校舎。しかも、時代遅れの「マルクス経済学」を仕込まれた。
安易な考えだったといま後悔している。
欧米崇拝主義はどこにでもある。

⑦アニメ「戦国BASARA」を見た。伊達政宗が「英語」をしゃべっていた。きっと「英語」をしゃべるとカッコいいという記号なのだろう。
もし、伊達政宗が外国語をしゃべるとすればきっと「ポルトガル語」か「スペイン語」だ。
説明はめんどくさいので省く。

英語崇拝主義の現れだ。

東国原知事があの騒動後に会見をした。
「2009年8月14日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で記者会見を開き、衆院選をめぐる自民党からの「出馬騒動」を振り返った。知事は「行動が早すぎた」「首相になるためには、もっと英語を勉強しないといけない。まだ早い」などと、当分国政は目指さない姿勢を改めて示した。」

相変わらず「首相になりたい」といっている。(ここは、笑うところですよ)
そしてその第一歩に「英語を学ぶ」って。(問題はそこじゃないのに)
英語ができれば首相になれると思っている。
きっと英語=国際人という思考なのだろう。

以上7つ話題をつなげてみました。
私は別に「英語教育」「欧米文化」すべて排除しょうという思想を持っているわけではない。
「朝青龍マレビト論。」や「渡辺千賀の「日本はもう立ち直れない」と忌野清志郎と小室哲哉」などの記事で書いたように、「外国から良い点を吸収し(マレビト論)、日本固有の文化と混じり合ったとき生まれたものが『日本ブランド』で、これは世界中どこにもないオリジナルの文化となっている。これが日本文化の特長である。」と考えている。 (司馬遼太郎はこれを何でも吸収して自分のものにするから「胃袋の文化」とか言ったものをどこかで読んだことがある。)
ただここで大切なのは、「自分」を見失なわないことだ。他人の言動に「自分」が左右されないようにしっかりと「自分のモノ」をしっかりと持っていなければならない。そうでなければ、他人は「自分」をなんでも言うことを聞くロボットだと思われるからだ。
この「自分」という箇所を「日本」に当てはめ、「他人」をアメリカでも中国でも何でもいい「外国」に当てはめれば分かりやすい。この大切にしなければならない「自分のモノ」というのが「自国の歴史であり、文化であり、母国語・言葉(日本語)である」ということです。

最後に一言。
「自国固有の歴史文化を慈しまなければ、いつしか外国の文化に浸食され、いつしか国を失う」

中国、「愛国映画に外国籍俳優」ネットで批判

平成21年8月20日 読売新聞から

愛国映画に外国籍21人 「中国籍捨てたのに」ネットに批判続々
10月の中国建国60年に合わせて上映される大作映画「建国大業」の出演者の中に外国籍の俳優が少なくないとして、「中国籍でない俳優が建国記念日を祝う映画に出演するのは適切ではない」などと批判する声がインターネット上で出ている。
中国紙「重慶晨報」(電子版)が伝えた。「建国大業」は、人民政治協商会議(政教)第1回会議前後の毛沢東や周恩来、孫文夫人の宋慶齢らの活躍を描いた歴史巨編で、建国60年を祝って制作される愛国映画の決定版だ。172人にのぼる人気スターや著名監督が出演し、歴史上の人物を演じることで話題を呼んでいる。
だが、同紙によると、このうち21人が国籍を中国から米国やシンガポールに変更していたため、ネット利用者間で、「自国の国籍を捨てるような人物が愛国の情熱をどう表現するのだろうか。しかも建国60年祝賀映画への出演とは皮肉なものだ」などと疑問を呈する声が出ている。
外国での活動に便利なことから、米国籍などを取得する中国人スターは少なくないが、昨年、著名な中国女優、コン・リーさんがシンガポール国籍を取得後、ネットで「裏切り者」との批難が噴出した。「建国大業」の制作会社は「外国籍の俳優が出演しても、作品に影響しない」と反論しているが、過激なネット民族主義は簡単に容赦してくれないようだ。 <北京=佐伯聡士>


やはり「中国籍を捨てた有名人」というのが中国人には気に入らないのだろう。
「捨てられた」という意識が強いのか。
これが日本だったらどうなるだろか。批判が出るかな。
大体、日本を出て外国籍を取った俳優ってあまり聞かないけどいるの?(マシ・オカは?)
日本から中国、韓国、アジアっていうのはまずなさそうだけど、アメリカ、欧州の国籍に移ったというのなら探せばありそうだけど……。
でも、そんな俳優が日本の映画に出てもこんな騒ぎにならないような気がする。(愛国映画でも)
どうだろうか、そんなことを想像すると結構面白い。
また逆に、日本の歴史上の人物を、外国人俳優が演じるっていうのはどうだろうか?
たとえば、韓流スターで想像してみる。
ヨン様の坂本龍馬とか、ウォンビンの織田信長とか、東方神起の白虎隊とか…う~ん、やはり、ありえない。これだったら日本でもネットで批難噴出するだろう。(その前に韓国で批判爆発するだろうけど)

それにしても、中国で近代を舞台にした「愛国映画」って、どうみても日本は敵として描かれるんだろうな。またしても「反日映画」誕生か。
これに対抗して日本でもオールスターで「愛国映画」作って欲しいよ。
その位の意気込みのある映画制作会社は日本にはないのか?


「日の丸」「君が代」を衆院選の論点に!

ここからの続き

いま、フジテレビでは女子バレーボール「ワールドグランプリ」を放送している。
試合前に、「国旗掲揚」「国歌斉唱」もきちんと放送される。もちろんだが、日本人選手たちは、みんな歌ってましたし、真鍋代表監督も大きな口を開けて歌ってました。当然のことですが、対戦相手の外国人選手も自国の国歌を歌っていました。
もうこれだけで私の中の好感度はグンと上がります。「勝った、敗けた」は問いません。(もちろん日本が勝てばうれしいですが…)
その裏、TBSでは「世界陸上・ベルリン大会」を放送していた。男子100mでボルト選手が世界新記録で優勝し、女子100mはフレーザー選手が優勝した。ともにジャマイカの選手だった。優勝したあと、ジャマイカの国旗を肩にしウイニングランしながら大喜していた選手に、ジャマイカ国旗をあしらった衣装を身にまとう観客たちも、大興奮していた。
別に日本の選手が優勝したわけではないのだが、こういう光景を見るとなぜかこっちまで嬉しくなってしまう。

この部分は8月23日の追記 

陸上・世界選手権最終日(23日、ベルリン)市街の周回コースで実施した女子マラソンで、尾崎好美(第一生命)が2時間25分25秒の2位でゴールし、銀メダルを獲得した。


尾崎好美と日の丸 2
尾崎好美と日の丸 1
日の丸を背にして、準優勝を喜ぶ尾崎好美選手。

自国の国旗を掲げる、自国の国歌を歌うということは、世界では当り前のことだ。しかし、ある国ではこういったことに抵抗感を示す人々がかなりいて、恐ろしいことに、子供たちに自国の国歌・国旗は「悪」だと教える先生が存在している。しかもそれは決して小さい勢力ではないという、そんな国があるのだ。
それが「日本」だ。
しかもその勢力が強力に支持している政党が、近々、日本の政権を握ることになる。

民主、日の丸を切り貼りして党旗作成 HPから削除
民主党が今月8日に鹿児島県内で開いた総選挙への決起集会で、日の丸の国旗2枚を切り貼りしてつなぎ合わせ、民主党の党旗のように掲げていたことが17日、わかった。 この日開かれた党首討論会で、麻生首相が指摘し、民主党の鳩山代表を追及。鳩山代表は「大変申し訳ない」「われわれの神聖なマークなので、きちんと作られなければいけなかった」などと釈明した。集会で問題の旗が掲げられた様子は民主党のホームページにも掲載されていたが、同日削除された。

 麻生首相は党首討論で、民主党が日の丸の旗を切り刻んで上下につなぎあわせていたと支援者から報告があったと説明。「日本の国旗を切り刻むという行為がどういうことなのか。許し難い行為」と指摘すると、鳩山代表は「民主党のマークは確かに国旗を切り刻んで作れるかもしれないが、そんなけしからんことをやった人間がいるとすれば、大変申し訳ない」とした上で、「それは国旗ではなくて、ある意味でわれわれの神聖なマークなので、きちんと作られなければいけない話だったと思っている」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090817-00000584-san-polから


民主党拾った問題の画像。いま必死に削除しまくっているらしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090816-00000535-san-pol
8月16日 産経新聞から

 麻生首相「民主本部には国旗飾ってあるのか」 
麻生太郎首相は16日午前、遊説先の山梨県大月市内で街頭演説し、「民主党の党本部に国旗が飾ってあるか、党大会で飾ってあるのか。ぜひ聞いてみたい」と述べた。
 その上で、「家族、郷土、日本を守る。これが真の保守政党の守るべき要だ。その中の一つが国旗だ」と自民党への支持を訴えた。


http://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009080800335から
 

民主は日教組から影響=麻生首相
麻生太郎首相は8日午後、都内で街頭演説し、民主党について「国旗が民主党本部に飾ってあるか。党大会に国旗が掲揚されているか。おかしい。明らかに日教組の影響を受けているとしか思えない」と指摘した。さらに、「(愛国心を盛り込んだ)教育基本法(の改正)などは自民、公明両党で一緒にやった」と強調、 衆院選での支持を訴えた。
 民主党は党本部に国旗を掲げていないほか、党大会の際の国旗掲揚もしていない。 
 これに関連し、河村建夫官 房長官は同日、山口県美祢市で講演し、「日教組のイデオロギー政策が日本の教育を大きくゆがめたのは事実だ」と批判した。民主党政権になれば日教組出身の 同党の輿石東参院議員会長が文部科学相になる可能性もあるとして、「輿石さんは『政治が教育に口を出すのは当たり前だ』と言っている。本当にそういうことが許されていいのか」と語った。(2009/08/08-22:00)



これらを読んでいて、「国旗」「国歌」に関した事件をあれこれ思い出した。
http://myhome.cururu.jp/hououjihidemasa/blog/article/21001563573から。

東京都国立市立国立第2小学校で「土下座要求事件」が起こったのは2000年3月24日の事だった。 関係者によると、卒業式が終わった後の24日午後0時40分ごろ、校庭で6、7人の児童が、澤幡校長に「校長先生は昨日、夜12時まで先生たちと話し合っ た。先生みんなが(国旗掲揚に)反対しているのに、なぜ掲げたのか」「二小は49年間、掲揚しなかった」「式は私たちのもの。旗を降ろせ」などと詰め寄っ たという。その後、校長と、子供たち、先生、保護者の間で次のようなやりとりがなされた。
A教師 校長先生、子供たちは国旗を揚げたことを怒っているんではなく、自分たちで作り上げてきた卒業式を勝手に変更したことを怒っているんです。そのことを分かってあげてください。
《子供たちが興奮状態になり、泣き出す子も》
児童  謝れ
児童  土下座しろ
 保護者 子供たちに謝ってほしい
校長は結局「君たちにつらい思いをさせて、悪かった」と謝罪し、子供たちはさらに「教頭はどうなんだ」「校長やめろ」 などと追い打ちをかけた。

詳細は上記URLで。
またその他に、
広島県立世羅高校では、卒業式における国旗・国歌の扱いで、校長先生が自殺した、といった事件や
大阪府門真市立第三中学校では、170人の卒業生のうち国歌斉唱したのは男子生徒たった一人だった事件や、
 東京・日野市立小学校では、入学式で君が代のピアノ伴奏を拒んだ女性音楽教師が裁判になった事件、など後を絶たない。

さて、今回の衆院選だが、時代の趨勢で政権交代は仕方ないだろう。しかもこの責めは自民党側にも大いにあって、「長期政権で腐敗とした」「借金だらけ」と言われたら何の反論もできない。しかも群馬県の小選挙区・自民党立候補者は、小渕優子を除いて、尾身幸次、笹川堯、谷津義男、福田康夫がすべて70歳以上だ。これってどういうことだ、いくらなんでも応援のしようもない。
保守支持としては複雑な心境になるのだ。「政権交代」「新しい政治を作る」といったスローガンに心もなびくというものだ。
ただ問題なのは、そんな勇ましい掛け声を叫び続ける民主党の背後には、社民党、旧社会党がいるということだ。
どうも信条的にも、心情的にも受け入れられない。
国旗を蔑ろにする政党が与党になったらどうなるのだろうか?
日本の教育を歪めてきた「日教組」の人が「文科省」の大臣になったら日本はどんな国になってしまうのか?
それに「子供が18歳になったら、家族は解散しましょう」なんて平気で言ってしまう人(社民党党首・福島みずほ)が内閣の中枢に入ったら、世の中どんなことになってしまうのか?(詳細はこのサイトで)
北朝鮮、社民党、日教組、これらの言葉で検索すればするほど恐ろしい事実が次々と……怖すぎだ。
もっと恐ろしいのは、こういったことをテレビ、マスコミが全く取り上げないということだろう。
目先の経済対策、景気対策ばかりが論点ではないはすなのに……。

さて、
先日、山梨県の温泉に行って旅館に泊まった。そのとき子供の夕食のご飯の上には、堂々と「日の丸」が立っていた。
日の丸
うちの子供のところだけたまたまそうなったのかと思ったが、他の家族のお子様ランチを見て驚いた。見ると、すべてのものに「日の丸」が立てられていたのだ。
お~、これはいいことだ!
やはりコメには日本の国旗がよく似合う。(「コメと日本人」はここで)
それにしても、もしこれが、左翼思想の方や日教組の方の家族だったらどうなったのだろうか。
こんなお子様ランチの日の丸でも、ヒステリックに喚き立てるのだろうか?
だれか、試してほしい。(テレビのどっきり番組でやってみれば、結構面白いことが起こるんじゃなの? 社民党とか日教組の家庭とか。おバカ番組よりよほどいいぞ)
しかし、この旅館にいた子供たちは、「日の丸」を見てみんな喜んでましたよ。
今の子供たちは、サッカーや野球やバレーボールなどスポーツの影響で、「日の丸」にいい印象を持っている。いや、ここに「イチロー」や「サッカー・ワールドカップ日本代表選手」や「日の丸背負ったオリンピック選手」を重ねているのだろう、カッコイイというイメージさえ抱いているのだ。(本当ですよ、回りの小学生とかに聞いてみて下さい。ほとんどが「日の丸」を好きと答えるから) でも本来はこれが「自国の国旗」に対する真っ当な態度であり、国旗を大切にする、自国を愛する、ということは、まさに「世界の常識」なんですから。
竹村健一「正論」(平成12年6月号)から
「アメリカでは幼稚園のころから“I pledge my allegiance to the flag of the United States” (私はアメリカ国旗に忠誠を誓います)と、毎朝胸に手を当てて暗唱させる。国歌が演奏されれば立ち上がって脱帽させる。」という。
だいたい「日の丸」に悪い感情なんて子どもはもともと持ちようもない。
悪いのは「日教組」だ。「日教組」が、そこに「日本が戦争を起こした」とか「お国のためにこの旗のもと…」とか、「平和のために国旗は揚げない」とかいった話を、幼い頭の中にどんどん刷り込んでいくのだ。こうして「日の丸」への嫌悪感が植え付けられていく。考えてみれば残酷な話だ。
「戦争を語り継ごう」「悲惨な戦争体験を伝えよう」といった話は、あって然るべきで、十分に必要なことだ。しかし問題なのは、彼らの持っている「特殊な思想」を織り込むことによって偏った教育をするから「日本」がおかしなことになっている。ここに「天皇制」「国旗・国歌」=「悪」といった公式を「日教組」が必死になって教え込んでいる。(ゆとり教育で必要なことも教えないくせに…)
この「国家否定」の教育は、いつしかすべての権威あるものを否定することなってくから、無秩序な世の中を作り出していくことになる。やがて「自己否定」「無気力」「無活性」の世界が覆い尽くして、「自分さえよければいい」という個人主義になる。今の日本はまさにこんな状態だ。(「閉塞感」の元凶はここにある、と思う)
もうそういった時代は終わりにしたい。そんな世の中の雰囲気を一掃してほしい。

しかしそんな悠長なことも言ってられない状況になってきた。この日教組が強力に支援している「民主党」が政権を握る。果たして、どんな教育方針を示してくるのか、そこが注目点だ。

また、自分には小学校に通う娘がいるので、なおさら人ごとではないのだ。

「君が代」(小学校2年生の音楽の教科書裏表紙に載っている「君が代」)

日教組が強い地域では、音楽の教科書に載っている「君が代」に、強制的に紙を貼らせて、見せないようにしているというのだ。
想像するだけで恐ろしい。
小学校低学年でこんなことをさせられるとは……。
これはトラウマになるだろう。これが心の傷になったという話は、検索すればいくらでも出てくる。
これが教育と呼べるのだろうか?
そして、最も恐ろしいのは、こんな蛮行を推し進める日教組が、日本の教育の舵を握ろうとしていることだ。
もし、私の娘が通う学校で、「教科書に紙を貼らせる」なんて指導があったら、断固戦いますよ。
本当に許しません。
そんな日教組教師とは徹底的に戦います。
先に宣言しておきます。


新田義貞うちわ

平成21年8月8日、新田まつりがありました。
ということで、今年の新田義貞うちわの図柄はこちら
新田義貞うちわ2009
少々赤っぽい感じがします。
まあ、「千と千尋の神隠し」のDVDぐらい赤みがかっています。

ということで過去の新田義貞うちわの画像を。(もっとあったと思ったのですが、なくなってしまった。)
新田義貞うちわ1

新田義貞うちわ2

新田義貞うちわ2006

義貞うちわ2008
こちらは去年のもので、記事にしました。過去記事
この記事のコメにもあるように、新田義貞ファン及び新田一族関連の方々で欲しいという方も多いようです。(朝倉様、今年のはどうですか?)
新田役場に電話で問い合わせて、在庫があれば送ってくれるようです。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-388.htmlコメ欄

「靖国神社」をめぐる麻生首相と鳩山代表。

産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090812/plc0908120315002-n1.htm から

麻生太郎首相が終戦記念日の8月15日に靖国神社を参拝しない意向を示唆した。その理由を「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」と述べている。本意とすれば、いささか残念である。
 麻生氏はかねて、靖国神社の非宗教法人化を主張していた。だが、それとは別に、麻生氏は現在の宗教法人としての靖国神社にも敬意を表し、平成17年に外相になる前は春秋の例大祭に参拝していた。首相になってからも、例大祭に真榊(まさかき)を奉納し、戦没者に哀悼の意を捧(ささ)げてきた。それはそれとして評価されるべきだ。
 だが、さらに踏み込み、麻生首相が8月15日に靖国神社を参拝することを期待していた遺族や国民は多かったはずだ。靖国神社にまつられている戦死者は、私事でなく、国のために尊い命を捧げた人たちである。首相が国民を代表して慰霊することは国の指導者としての務めだと思われる。
 確かに、今日のような状況下で首相が靖国参拝すれば、中国や韓国などが反発し、それに便乗した反対勢力が騒ぎ立てることが予想される。首相が言う「静かに祈る場所」の環境が一時的に損なわれる懸念はあるが、それは参拝する側の責にのみ帰すべき問題ではなかろう。難しい判断ではあるが、麻生首相に再考を求めたい。
 小泉純一郎元首相が毎年1回、靖国参拝してきた平成13年から18年にかけ、民主党は常に首相参拝に反対してきた。その間、代表が鳩山由紀夫、菅直人、岡田克也、前原誠司、小沢一郎氏へと代わったが、「靖国神社に『A級戦犯』が合祀(ごうし)されているからだ」という反対理由はほぼ共通していた。
 今年も、中国中央テレビの報道などによると、岡田克也幹事長が今月初め、中国メディアに対し、「靖国神社に第二次大戦のA級戦犯が合祀されている以上、日本の首相は参拝すべきではない」と述べたと伝えられている。鳩山代表も海外メディアとの会見で「(首相になっても)靖国神社を参拝するつもりはない」と語った。
 中国に媚(こ)びた姿勢と受け止められてもやむを得ない。
 靖国問題では与野党内に、いわゆる「A級戦犯」分祀論や無宗教の国立追悼施設建設構想などさまざまな意見がある。衆院選では、有力政治家たちの靖国をめぐる言動にも注目したい。

産経ニュース2009.8.14
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090814/plc0908142004006-n1.htmから

国立追悼施設 首相「作っても靖国の話なくならない」
 麻生太郎首相は14日夜、民主党が政権を獲得した場合、靖国神社に代わる新たな国立戦没者追悼施設の建設を目指す方針を固めたことについて「国民の合意が得られるかが一番の問題だ。施設を作ったら靖国の話がなくなるかというと、そんな簡単にはいかない」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
 追悼施設問題を衆院選の争点として取り上げるかについては「国のために尊い命を投げ出した人を、国が最高の栄誉をもってまつることを認めない国はない。靖国の話は政治や選挙のような騒々しい所で話す筋の話ではない」として、争点にふさわしくないとの考えを示した。
 首相がかねて提唱している靖国神社の非宗教法人化には「英霊をきちんと国としてまつってしかるべきだ」と述べた。

いろいろ意見はあるでしょうが、私は、麻生首相のこの考え、大人の対応に賛成します。(いまはこれがベストな判断だろう。参拝すればそれこそ、民主党・社民党に格好の攻撃材料を与えることになるわけだから)
で、問題は、民主党の鳩山代表の「靖国神社に対する言動」です
朝日新聞 http://www.asahi.com/politics/update/0811/TKY200908110333.htmlから

民主党の鳩山代表は11日、総選挙後に鳩山政権が実現した場合の靖国神社への参拝について、「当然、そのようなポスト(首相)に就いた時に参るつもりはないし、閣僚にも自粛をいただきたい」と語った。鳩山氏は首相の参拝に対し、A級戦犯合祀(ごうし)を理由に反対してきたが、自らが首相になってもその立場を貫く考えを明らかにした。
 総選挙前に開いた海外メディア向けの記者会見で、歴史認識に関する香港の報道機関の質問に答えた。
 岡田克也幹事長も同日、記者団に「(党の09年版)政策集に考え方は書いた。靖国に総理が行くべきでないというのは、党の歴代代表の一貫した姿勢だ」と述べた。政策集には「靖国神社はA級戦犯が合祀されており、総理や閣僚の公式参拝には問題がある」と明記。「何人もわだかまりなく戦没者を追悼し、非戦・平和を誓えるよう、特定の宗教性を持たない新たな国立追悼施設の設置に向け取り組みを進める」としている。

太字の部分を噛み砕いていえば、「靖国神社へ参拝に行くような奴には、閣僚ポストをやらんぞ」ということです。つまり「靖国神社」を踏み絵にしているわけです。
過去の総理大臣でここまで「個人の考え・思想」を束縛した人がいたでしょうか。自民党内でもいろんな意見があり、それぞれの考えがあって、参拝に行く、行かないというのは個人の判断に任せていたはず。
上記の麻生首相の言う通り「靖国神社問題」は、党・派閥を超えたものであって、これをもってして党の意志統一を図る道具として使うべきではない。
これはまさしく「思想統制」に他ならないのだ。鳩山由紀夫という人物の危険性はこういうところにある。
つまり、民主党が政権を取ったら、日本国の政権を与かる政党の中で誰一人として、靖国神社へ参拝に行く人がいないということになるわけだ。
この結果を喜ぶのは「中国」と「韓国」だけだ。
これでいいのだろうか?
麻生外相の時の記事を。 読売新聞-「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」平成18年1月28日
 

麻生外相は28日、名古屋市で開かれた公明党議員の会合で、靖国神社参拝について「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べ、天皇陛下の靖国神社参拝を実現することが望ましいとの考えを示した。  そのうえで、「参拝できなくなったのは、(三木首相が1975年に私人を強調して参拝したことに伴う)公人、私人の話だ。解決の答えはいくつか出てくる」と語った。  首相の参拝に関しては、「外国から言われて決めるのは絶対通ることではない」とし、「靖国問題が終わったら、日中間の問題がすべて解決するわけではない。隣の国なのだから、ある程度緊張感を持ってやっていく以外に方法はない」と述べた。

まさに正論。

さて最後に馬鹿な記事を一つ。
爆笑問題の戦争論」(幻冬舎)、「靖国神社」の部分を引用(小泉首相時代のもの)

太田 しかし小泉さんもそんなにお参りしたいんだったら、近所のお稲荷さんで済ますわけにはいかないのかね。
田中 それじゃ何の意味もねえだろう。
太田 だいたい何をそんなに願い事してんだろうな。
田中 知らねよ。
太田 どうせ「息子の孝太郎に主役の仕事がきますように」とかだろ。

芸人だからってこれはないよ。 なんでも茶化せばいいと思っている太田光。
「靖国神社」を軽々しく扱うな!

テレビ番組「太田総理」での最近の太田光はあまりにもヒドイので、いつか書きます。

何なんだ今回の衆議院選挙の雰囲気は! 民主党で本当にいいのか!そして、中川昭一を!

何なんでしょうか、今回の衆院議院選挙の妙な雰囲気は?
「民主党が政権とれば、高速道路が無料になる」とか「最低賃金時給1000円になるぞ」とか「国公立の高校が無料になるよ」とか……、そんな景気のいい話ばかりをあちこちで聞かされる。
政権交代で「バラ色の世の中」がやって来るみたいな雰囲気が漂っているが、そんなわけはないだろうに……。
なぜか目先の損得しかみんな考えられなくなっているようだ。こんなに浮かれていていいのだろうか。(ぼちぼち風向きが変わってきて、民主党への批難記事も出始めてはいるが)
マスコミも似たようなもので、最近の週刊誌の見出しには笑ってしまう。
「鳩山総理は日本を幸せにするか」(週刊現代)、「民主党政権〈仕事と生活〉「得する人」「損する 奴」」(週刊ポスト) 乗り遅れるな!マニフェストで見えた儲かる株一覧表、民主党政権でマネーはこう動く」(週刊朝日)「カネ、クルマ、エロ… 新体制はオレたちにどんだけ優しいんだ? 政権交代ピンポイント検証」(週刊プレーボーイ)
他の雑誌も同じような特集があって、どれもこれも「どっちがお得か」なんて話しか出てこない。
おかしなことだ。
外交、防衛、教育、皇室、靖国、そんな話はまるで出てこない。あるのは景気対策ばかりだ。もっと大局、将来のことを語ってくださいよ。

日本人の矜持 9人との対談」新潮社から

藤原正彦氏の言
「明治維新の頃に来たイギリス人のチェンバレンは、「日本では金持ちは威張らないし貧乏人は卑下しない」と驚きました。アメリカ人のモースは、「日本に貧乏人は存在するが貧困は存在しない」と言いました。欧米と違い日本では貧乏人が、金のためなら何でもしそうな獰猛な目つきをしていないし、絶望に打ちひしがれた虚ろな目もしていない、と不思議に思ったのです。それが今の日本は、とくにバブル以降、金、金、金になっちゃいました。
10数年前までは、形勢を見て有利なほうへつくことを「日和見」とか「風見鶏」とかって馬鹿にしていました。ところが今や、勝ち馬に乗ることが賢いことで、自らの信条を貫くのはバカだというふうな風潮になってしまっている

まさにこんな感じだ。
それに気になるのがテレビのコメンテーターや評論家・専門家の人たち、いかにも正論のような「やくみつる的」言い放し論法の輩が多すぎる。
「麻生さんは漢字読めない」とか「カップラーメンの値段が分からない」とか、そんなことばっかり突っ込んでいる朝のワイドショーもどうにかしてほしい。(特にテレビ朝日)
専門家ならもっと踏み込んだ意見を聞かせてほしい。文句だけならその辺のおばさんでも言える。もっといい方策があるなら提示しろと言いたい。(やくみつる的コメンテーターの話は以前の記事で)

だいたい「麻生さん」って、さん付けっていうのがおかしい。会社勤めの人なら分かるだろうが、役職で呼ばないのは失礼な話なんですよ。自国のトップなんだから、麻生首相、麻生総理と呼ぼうよ。そういった権威を無視するようなことを作りだすマスコミが、世の中に無秩序な世界を生み出しているってことに気づいていないのか。(麻生総理大臣を見下すフジテレビ安藤優子のインタビューの記事)
まったく!こんな悪習を作ったのはだれだ! 思うにこれ「コイズミさん」からだろう。(小泉純一郎の「置き土産」はとんでもないものばかりだ)
全くこんなテレビのコメンテーターに流される国民も民度が低くなっている証拠ではないのか。
なんでも「庶民感覚の目線で」だとか「私たちの税金が」だとか「国民レベルで」だとか、そんな「国民の声」と称されるVTRも垂れ流しにされている。「戦後民主主義」「なんでも平等主義」の歪んだ構造だ。
周りの国々を見れば日本がどんなに豊かで平和な国か分かっていない。その恩恵を十分に受けているくせに、何かあれば「政治が悪い」「総理がダメだ」「自民党が腐敗している」…、みんな「お上」の所為にしているだけじゃないのか。(「過去記事」)
それを、民主党に過度な期待を寄せて、大丈夫か! そんな急激に世の中がよくなるはずもないのに。(自分にカネが少しでも多く回ってくれば、それが「いい政治」だという風潮になっている。自分さえよければいいという個人主義は、やがて拝金主義となり、結局は経済優先志向で、国を売ることになる、ということなのだろうか)
それにマスコミは「揚げ足取り」がお得意だから、いろいろと難癖ネタを報道・記事にするに決まっているのだ。「やっぱりダメだった民主党」とか「バラマキ路線失敗」とか「連立分裂でバラバラ」とか「宇宙人、鳩山」とか、こんな見出しが紙面や画面上に踊るのは、もう目に見えている。

こんな混乱状態の日本を喜ぶのは、アジアの周辺諸国だけだよ。

読売新聞 平成21年8月11日付け「09衆院選 海外の見方1 中国 日米関係を注視」から

「日本の野党に米国を怒らせる勇気はない」―。民主党が政権公約(マニフェスト)を発表して間もない7月末、中国の夕刊紙「北京晩報」がこんな見出しの記事を掲載した。同紙は、民主党が、「これまで主張してきた脱・米国のスローガン」がマニフェストから消え、米国との緊密な関係堅持を掲げる「慎重な選択」を行ったと伝えた。
その上で、陸上自衛隊のインド洋での給油活動反対がマニフェストに盛り込まれなかったことや、日米地位協定についても「改定を提起する」との表現にとどめたことを挙げた。そして、中国紙「光明日報」も今月3日、「民主党は政権党になることを目に向け、対米政策を一歩一歩調整している」と指摘した。
こうした報道から、民主党政権になっても、日本の対米政策に大きな変化はないと、胡錦濤政権が受け止めていることがうかがえる。中国について、マニフェストは「信頼関係の構築に全力を挙げる」としか言及していないが、外交筋は「どちらの政権でも戦略的互恵関係を目指す構図に基本的に変化はないというのが中国の立場だ」と強調する。
日中関係筋によると、中国は、自民党政権が日米同盟を強化し過ぎることを懸念する一方で、民主党政権が「対等な日米関係」をどう具体化するか不透明に感じている。
だた、中国筋は「中国は、民主党が勝利する場合でも、圧勝による強力な単独政権よりも社民党などを加えた連立政権を望んでいる」と指摘する。あまりに強大な民意を得ると、東シナ海問題やチベット問題、新疆ウイグル自治区の人権問題などで強硬姿勢を打ち出す可能性もあるからだ。特に鳩山代表はチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したこともあるため、一定の懸念もあるという。
中国紙「新京報」は2日、「自民、民主のどちらかが政権をとろうと、与野党とも来年の参院選に狙いを定めているので、今後1年、日本の政局は平穏ではない」とする専門家の分析を紹介。中国は不安定な政局の行方を静観する構えとみられる。(北京 佐伯聡士)


翌日の読売新聞、「衆院選 海外の見方2 韓国「追悼施設」に期待」の記事があった。

日本国内では大きな争点になっていないが、自民、民社両党の政策のうち、韓国で最も注目を集めているのは、靖国神社参拝や「従軍慰安婦」など、歴史問題に関するものだ
民主党は政権公約(マニフェスト)のもととなった今年の政権集で、首相・閣僚の靖国神社公式参拝は「問題がある」と明記、従軍慰安婦問題に「引き続き取り組む」と具体的に述べた。これに対し、自民党の公約には歴史問題への明確な言及がない。有力紙の報道は、「民主党は歴史問題解決に積極的に取り組もうとしている」(中央日報)などと民主党に好意的だ。
韓国国会有数の日本通である与党・ハンナラ党院内副代表、申志鎬議員も、民主党の政策を「自民党に比べて進展している」と評価。さらに民主党が政権集で、戦没者を追悼する「国立追悼施設」の設置に向けて取り組むとした点に着目し、「韓国の知識人、政治家が考えてきた解決策であり、実現すれば歴史問題で画期的な出来事になるのでは」と期待感を表明した。
ただし、韓国で民主党への期待が膨らむ一方というわけではない。民主党の政策集は、韓国が実効支配する竹島について、日本が「領土主権を有する」と明記した。日本の責任ある政党としては当然だが、韓国では「独島」(竹島の韓国名)はナショナリズムの象徴であるだけに、韓国日報が「独島について民主党が譲歩拒否」と表現するなど敏感に反応している。
一方、韓国では、北朝鮮政策をめぐる自民、民主両党の公約は、それほど注目されていない。両党の公約に大差がないことに加え、北朝鮮をめぐる国際社会の動向を左右するのは、日本ではなく、オバマ政権の出方だと考えられているためだ。(ソウル 森千春)


中国・韓国のマスコミの方が日本をよく見ているようだ。しかも民主党政権を歓迎している。
日本国民は自分個人の損得ばかりに気を向けていて、周辺諸国の動きを考えていないようだ。

そもそも、鳩山由紀夫が総理大臣になれば、国の代表となるわけだが、民主党は「君が代」「日の丸」をどうするのかね?
党の本部に日の丸がない党が政権を握るわけだが、それこそ中国や韓国のほくそ笑む顔が目に浮かぶ。自国の国歌・国旗を軽視する政党が、政権を与かるという国が、日本以外にどこに存在するのか私に教えてくれ!
それに民主党が政権を取ったら、総理大臣として出席する皇室主催の宮中行事に、彼らがどんな顔をして出席するのかも、見ものである。鳩山由紀夫や左派の閣僚が、「日の丸」や「皇室」に頭を下げるのか、よく見させてもらおうじゃないか。
それに、皇室軽視、もしくは天皇制廃止を念願としている社民党、その党首の福島瑞穂が大臣になったらどうなるだろうか。(少子化対策・男女共同参画担当大臣」「環境大臣」あたりで入閣という噂が…)  大臣就任となれば、皇居での認証式がある。このとき天皇陛下から大臣ひとりひとりに辞令を配られる。このときに彼(女)らの信条を捨てて、頭を下げるのだろうか。
そこが大いに見ものである。(ここが突っ込みところでもある)
今の政治体制の日本で、左派系の人が政権を握ったら矛盾だらけになるのは、火を見るより明らかだ。(昔の細川・羽田・村山政権の悪夢が蘇る)
民主党がイマイチ信用ならないのは、こういったバリバリの左翼の人々までいることだ。

さて、先日、保守系の人と話をした。
そのとき「あの件がなければ、中山さんも首相候補だったのに」と悔やんでいた。
その人とは「中川昭一」元財務大臣のことだ。
中山昭一が偏向番組を放送したNHKに怒鳴りこんだことを褒め、常に対中国、対韓国で強い姿勢を示していた姿に心酔していた。
確かに、実績は十分だ。Wikipedia
よく考えてみても、会議中に酔っていたわけでもない、会議に不手際があったわけでもない。(しかも外国メディアは中川氏に同情的だった) 小沢一郎や鳩山由紀夫のように、政治献金問題を起こしたわけでもない。何の法律違反も、政治倫理に反した行動を取ったわけでもない。もう反省は十分だろう。失敗は誰にだってある。彼はただ酒好きで失態を一度犯しただけなのだ。非難をした人は、そんな失敗をしたことが一度でもないとでも言うのか。ここは草薙剛を許したような寛大な心があってもいいじゃないか。左側に傾く政党が躍進しようといているいま、これに対抗するには、中川昭一のような人物が日本に必要なのだ。
3度も警察沙汰になった人が「総理大臣」を要求するくらいだ(もちろん、あの東国原知事のこと)、これだけの実績を、「酔っぱらった」というだけで捨ててしまうのは、惜しいのではないか。
この人は「酒」さえ断てば、問題はなくなる。左派に対抗できる人物を国会に残してほしい。
これは日本国としての問題だ、北海道11区だけのことではないのだ。
そこを選挙民は考えてほしい。

朝日新聞と中川の対立の根は、1998年に中川が小渕内閣で農水大臣をつとめていた際、省内の会見場に日の丸を掲揚したことに対して朝日新聞が批判したことが発端である。2008年10月17日には、閣議後の会見の場で中川が日の丸を掲揚した際、会見を主催する財務省の記者クラブ・財政研究会の一部の記者が「国民の中には違和感を持つ人もいる」と発言したが、それに対して中川は「世界に発信する場という認識で国旗掲揚は当然だ」と述べた

(Wikipedia)から。この逸話だけでも十分だろう。

それにしても、民主党は、左派の方々や社民党と連立を組むというのが、どうも気になる。
これに対する「ネット」と「マスコミ」の温度差もかなり違う。この大きな相違は何なのだろうか。
だが、民主党が政権を取ったら、一層危機感が募り、逆に保守系、右翼系の結束が強まるのではないか、と思う。となれば、いままで以上に「2ちゃんねる」や「動画サイト」や「右派系サイト」は激しくなるだろう。
(一部、敬称は略しております)


スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」その2  スイカ=餅、つまり魂の更新を意味する!

前回の続き。
「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」その2です。
前回では、「スイカ割りは、祭祀、神事である」というところまで考察してみました。
今回は、「スイカは餅を見立てたもの」ということで話を進めます。
スイカ割りに使われるスイカには、神事として用いられる供物としての役割があり、祭祀が終わったあとにみんなで食べるという「直会」という意味があるのではないかと、私は思い至った。
これは、「その年の山野の収穫物を神に捧げ、行事が終わった後にはこれを神前より下げて参列者で分け合って神に感謝しつつ食べる。」という「神人共食」と同じなのではないか、ということだ。
それを発展させて、思いついたのが、「正月に食べる餅」と「夏(お盆)に食べるスイカ」が同じ意味を持つというのではないか、ということだった。
その説明の前に、民俗学における重要な考えを説明する。
「図解雑学 民俗学」(ナツメ社)から

正月もお盆も、本来は先祖の霊や神々を迎えて祀り、豊作と家族の健康を祈願するという素朴な年中行事だった。
今日では、お盆が墓参りや先祖祭りのイメージが強いために、正月と比べ神聖な性格の行事とみなされていない。しかしお盆は、本来正月と同様にきわめて神聖な意味をもつ年中行事であった。

 お盆と正月はもとは同じ意味をもつ行事であったということだ。
以下、「日本民俗文化体系 9巻 暦と祭事」(小学館)から関連部分の引用。

「一年両分性の原則」
単位行事の一つ一つが他と非連続で内容的に独立性完結性が強い一方、類似するもう一つの行事をペアとして持ち、かつその二つの行事がほぼ半年を隔てて配置されているのが特徴である。正月と盆をはじめ、氷の朔日(6月1日)と川浸り朔日(12月1日)、春彼岸と秋彼岸、夏至と冬至など

折口信夫「年中行事」から
「日本の年中行事に、通じて見られる根本の論理は、繰り返しと言う事であって、民間の行事・風習には、何事によらず、繰り返すことが多い。春やった事を、夏・秋といふ風に繰り返して行ふのである。すると、其繰り返した行事・風習に、春だからかう、秋だからあゝだ、此の目的の為に行うのだ、と言う風な時代相当の合理観の加え理会をして来る。日本の年中行事は、複雑に見えるが、元は簡単で、大抵は、その一つの繰り返しなのである。」
折口には、継承し一年単位で循環するという観念があったのではないか、年中行事を単位行事レベルのみで考えるのではなく、繰り返しという相互の関連性の中で考えようとした。

柳田國男は正月と盆の行事細部と観念について分析し、二つはともに先祖祭りの機会であるという点で一致する行事であったことを述べている。
「今でこそ一方は仏事、こちら(正月) は清浄第一のめでたい儀式であるが、是だけの一致は無意識には起りさうに無い。殊に暦の頒布さられず、又読む人も少なかった農村の間では、以前は正月もやはり盆と丸半年を隔てた、春の初めの月の満月の宵であったことを考えると、この類似は(正月の松迎え等と盆棚・盆迎え等の類似)には一定の計画があったことを推定せずには居られない」
年中行事には、対置的行事といったような6か月を隔てて類似の行事が配され、半年ごとに繰り返されるもののあること、およびそのような事実から、年中行事には一年二期区分とか一年両分性とかよばれる構成原則がある。

とある。
つまりは、「お盆と正月はもとは同じ意味をもつ行事であった」という点からいって、正月の行事にあたるものが、お盆にも繰り返される、ということになる。
となれば、日本人の正月にとって重要なものなる「餅」は、お盆ではこれが何に相当するのだろうか?
(稲作、米と日本人の関係については過去の記事「天皇論」で)

その前に、正月に食べる「モチ」については以下の説明を、「図解雑学 民俗学」から

正月に歳神に供えたお下がりの餅を雑煮に入れて食べるのは、神から新たな魂を授かるという意味があった。正月の餅も魂の象徴であり、正月は命の更新だったのである。
お正月にはなぜ餅を食べるのか。 それは正月は命の更新を行うときであり、そのための大切な食物が餅であった。 
現代人は一度授かったら生涯それが機能するものと思っているが、古くは、魂はふたたび補充しなければならないものであったようだ。いうならば命の更新である。柳田國男は「食物と心臓」という著作の中で、餅は人の心臓、すなわち魂の象徴であると述べている。このように正月餅は新しい1年を生き抜くためのエネルギー、すなわち補充される魂として意味をもっていたのである。
ところで関西では必ず「丸餅」だが、関東では細長い餅を切ったいわゆる「角餅」が一般的である。現在ではどちらも餅には違いないのだが、本来の意味から考えると関東の角餅は邪道な餅だと言わざるを得ない。そもそも「モチ」という言葉は「丸い」という意味を持つ。たとえば「望月」(もちづき)といえば満月を意味するし、「餅肌」というのは丸みを帯びたふくよかなイメージがあることはいうまでもない。まして餅が魂を象徴するのだとすれば、当然丸くなくては話にならない
日本人が正月に必ず餅を食べるのは、正月の歳神から新たな1年を無事に暮らすための魂を授かるという意味があった。正月は命の更新を行う時であり、そのための大切な食物が餅だったのである。


以下「ものと人間の文化史 89巻 もち」渡部忠世、深澤小百合(法政大学出版局)からの関連部分の引用

和歌森太郎
日本が農耕社会化して、とりわけ稲作の経過における作業の折り目ごとに、呪術的祭儀が種々行われるようになり、それを神事として行うに至るとその機会をハレとし、それ以外をケと呼ぶようになった。」
稲作儀礼はその豊穣を祈念して、イネの栽培過程の折目に神を祭ることである。大きくは予祝、播種、田植え、収穫の儀礼に分けられ、その折々に餅や赤飯などを田の神や農神に供える
また、通過儀礼と餅も関係が深い。人の一生には、出産、誕生、結婚、死など必ず人生で通過する節目があり、その折々に儀礼が行われる。妊婦には餅を贈る習慣、満一歳の誕生日には一升餅を背負わせ歩かせる風習、誕生餅を搗く、初潮の赤飯、婚礼には餅や赤飯が出され、葬式にも餅が出される。相撲取りがときおり餅を搗くというのもそうかもしれない。


日本では餅は単なる食べ物というよりも、精神的価値の付与された特別な存在として扱われてきた。宮本登は「餅は共同体全体に生殖的な活力を与え、農耕を強化するものが餅であるという。集団の生活基盤の精神的シンボル」

丸い餅=魂を意味する。それが年の初めの正月に「餅」を食べることで魂の充填していた。
では、夏は何を食べればよいのか?
それが、夏を象徴する食物であり、丸い形状であるスイカではないのか、ということである。
これは「鏡餅」がこれに近いかもしれない。鏡餅も供物としての役割を終えれば、「鏡開き」となり、皆で食することになる。
このとき、神様への供物なので、包丁で「切る」のは礼を欠き、縁起が悪いとされ、木槌などで砕き割るのが風習となっている。
まさしく、「スイカ割り」と同じだ。
鏡モチ鏡餅
スイカスイカ

正月=お盆では、モチに替わる代用品(米から作られる餅は夏場はできない)としてスイカが用いされているのではないか、ということだ。

さて、もうひとつ補足。
ここで、「スイカ」が夏の魂の更新として選ばれた理由には、スイカの中身にもある。
中が「赤い」という点が実は重要なのだ。
結論からいえば、その「赤」が赤飯につながり、「赤飯・小豆→スイカの中身」として見立てたのではないか、という仮説である。
前出の「ものと人間の文化史 89巻 もち」から「赤飯」の説明部分

赤飯はモチ米にアズキやササゲを入れて蒸したおこわであり、今日ではハレの日の代表的な食べ物の一つである。
赤飯はアズキの煮汁でモチ米を赤色にすることに意味があるのだが、なぜ赤く染めるのか。野本寛一「焼畑民俗文化論」では、アズキが年ごとに衰える焼畑の地力を回復させる作物で、焼畑農民の火に対する尊崇の念がアズキの赤に込められている。アズキの持つ生命力、生命再生への畏敬の念が、アズキを入れた赤飯というハレの日の食べ物に具体化したという考えがある。
また柳田國男は「稲の日本史」のなかで、アズキの必要性と赤飯の関係を次のように語っている。
「あれは豆が入用なのではない。赤い色が入用だった。現在でも小豆を食べる日をずっと当たってみると、必ずしも祭の日とはいえないかれども、日本では物忌みをして、潔斎に入る日と、ふだんの生活にもどる日の境目を、この赤い食物によって意識させようとしております。潔斎に入ったら、今までしておったことを皆やめる。そうして異常な精神状態が神祭の前何日の間続けられる。その時点の重要さを自ら印象づけるために、小豆または赤飯の赤色が使われたとみりよりほかはないのであります。
柳田は物忌みという境目に赤色を食べるのが必要であるとして、赤飯もそのひとつと考えいる。祝い事だけでなく、凶事の赤飯もある。


餅の説明にも出ましたが、稲作文化において、米から作られるモチや赤飯は神に捧げられる供物として、また神人共食、直会として、最も重用されてきた。(米から作られる「清酒」も同様で、神前に供えられた)

ではよく見てみましょう。
スイカの種が、赤飯のアズキに見える。
スイカの中身スイカ
赤飯赤飯

まさしく「ハレ」の食物だといえる。
しかも、ともにをかけて食べる。
スイカには甘味が増すために塩をかけているが、それだけではあるまい。「民俗学的」に言えば、塩には邪気を払い、清めという意味があるからだ。(葬式帰りに体にかける塩、相撲取りが土俵に撒く塩、家や部屋の四隅に盛る塩、などなど)

正月=お盆(夏)としての補足。
「スイカ割り」はうまく割れないから面白いんだ、というのもある。確かにそうだ。あれはとんでもないところを叩いたりするのが「可笑しい」。とにかく楽しい遊び(私的には神事)だ。
さて、上手くいかないというのを喜ぶという「遊び」が正月にもある。
「福笑い」だ。
ともに共通点がある。目隠しをすること。周りの人の声を頼りにすること。しかも、笑いを呼ぶ。
正月に笑いは必要なのだ。笑いには呪力があり、笑うことによって神を招き、魔を払うと言われる。「笑う門には福来たる」ということわざも元はこういう意味である。また日本神話、「古事記」にも笑いの呪力がよく登場する。帝京平成大学「お笑い学講座」に詳しい。(また、正月にお笑い番組、寄席の番組が増えるのはこのためといった話をどこかで読んだが、どの本かは忘れた。)
やはり「福笑い」「スイカ割り」はこういった点でも同じなのだ。

結論、正月(冬)=お盆(夏)→餅=スイカ、ということ。「スイカ割り」は、稲作を中心とする農耕民族の年中行事の一つの変形であり、夏にスイカを食うのは「魂」の更新である。

以上、珍説・奇説シリーズでした。

追記 鏡餅の英訳が面白い。
「round rice cakes offered to the gods at new year's」
これ、ずばりそのままで分かりやすい。

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