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鳩山由紀夫首相の施政方針演説の「文化融合」は、最も危険な言葉だ。

鳩山由紀夫首相は1月29日の衆参両院本会議で、就任後初の施政方針演説を行った。
全文読み通し、ニコ動でその模様を見てみたが、1時間はあまりにも長すぎる。まるで宗教の演説を聞いているようで、苦痛そのものだった。
それに、「地球のいのち」「いのちを守る」「宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年」「鉄人28号のモニュメント」などといった言葉がちりばめられていて、これが国会演説?って疑いたくなる内容だった。「幸福実現党みたい」「地球市民」といったコメントがあったが、まさしくその通りである。
こんな変テコな演説文はどうやら、劇作家・平田オリザ氏(内閣官房参与)が書いたらしい。(怪しい人物だな…)
きっと、オバマ大統領に影響され、ここはひとつ国民を感動させようと、気負って書いたのだろう。ただ、そういうのがチラチラ見えて、こっちが気恥ずかしくなってしまう。
そんなのは自分の劇団でやってくれ。

さて、私が気になったのは、「文化融合の国、日本」の部分だ。 

日本は四方を豊かな実りの海に囲まれた海洋国家です。
古来より、日本は、大陸や朝鮮半島からこの海を渡った人々を通じて多様な文化や技術を吸収し、独自の文化と融合させて豊かな文化を育んできました。漢字と仮名、公家と武家、神道と仏教、あるいは江戸と上方、東国の金貨制と西国の銀貨制というように、複合的な伝統と慣習、経済社会制度を併存させてきたことは日本の文化の一つの特長です。近現代の日本も和魂洋才という言葉のとおり、東洋と西洋の文化を融合させ、欧米先進諸国へのキャッチアップを実現しました。こうした文化の共存と融合こそが、新たな価値を生み出す源泉であり、それを可能にする柔軟性こそが日本の強さです。自然環境との共生の思想や、木石にも魂が宿るといった伝統的な価値観は大切にしつつも、新たな文化交流、その根幹となる人的交流に積極的に取り組み、架け橋としての日本、新しい価値や文化を生み出し、世界に発信する日本を目指していこうではありませんか。

一読すると、正論のように見える。しかし、日本は海外からきた文化と自国の文化を「融合」させたきたわけではないのだ。ここは重要。
融合とは、二つのものが溶け合って一つになることをいう。その時出来たものは、前のものとは違うものになることを言う。
日本文化は、外からやってきたものを取り入れ消化し、自分のものとしてきた。大きな日本文化という柱があって、そこにもの新しいものを取り込んで独自のものを作り出す、そこに特長があるのだ。
仏教も、浄土宗や浄土真宗などはもとの仏教から離れた思想であり、まさに日本仏教といえる。(宮崎哲弥)
儒教が入って来た時、その思想は取り入れたが科挙は取り入れなかった。つまり、文化が混ざり合う「融合」ではなく「吸収」なのだ。(例が少なくてすいません。取り急ぎ書いているので……。過去記事で)

従って、「融合」という言葉を使う自体、「日本文化」というものを全く理解していない証拠なのだ。

では、なぜ「融合」という言葉を鳩山首相は使うのか。
実は、方針演説の文章を見れば、これを意識的に使っているのがわかる。

(文化立国としての日本)
「新しい公共」によって、いかなる国をつくろうとしているのか。
私は、日本を世界に誇る文化の国にしていきたいと考えます。ここで言う文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのではなく、国民の生活・行動様式や経済のあり方、さらには価値観を含む概念です。
厳しい環境・エネルギー・食料制約、人類史上例のない少子高齢化などの問題に直面する中で、さまざまな文化の架け橋として、また、唯一の被爆国として、さらには、伝統文化と現代文明の融和を最も進めている国のひとつとして、日本は、世界に対して、この困難な課題が山積する時代に適合した、独自の生活・行動様式や経済制度を提示していくべきだと考えます。文化の国、人間のための経済にとって必要なのは、単に数字で評価される「人格なき教育」や、結果的に人類の生存を脅かすような「人間性なき科学」ではありません。一人ひとりが地域という共同体、日本という国家、地球という生命体の一員として、より大きなものに貢献する、そんな「人格」を養う教育を目指すべきなのです。

多くの国の人々が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいと憧れる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化を育んでいきたいのです。

 昨年の所信表明演説で、私は、東アジア共同体構想を提唱いたしました。アジアにおいて、数千年にわたる文化交流の歴史を発展させ、いのちを守るための協力を深化させる、「いのちと文化」の共同体を築き上げたい。そのような思いで提案したものです。



こういった所を見れば、首相本人が言った「日本列島は日本人だけのものではない」という本意をここで具体化させているということわかるというものだ。
アジアの文化、つまりは中国や朝鮮の文化と日本の文化を「融合」させる、という意味でこの言葉を確信的に使っている。さらに「国民の生活・行動様式や経済のあり方、さらには価値観」をすべてをアジア(要は中国・朝鮮)と「融合」させるという意味であり、これは完全に中国に取り込まれるという意味にしか取れないのだ。

まさに「文化の融合」とは、「日本文化の消滅」、さらに「日本国消滅」を意味している。

こんな恐ろしいことを日本国の首相自らが国会で演説するとは……。

こういうのを読むと、三島由紀夫の「文化防衛論」などで説いた意味がよく分かる。

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何度でも言う、学校の授業に「日本文化」を!

http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-696.htmlからの続き。
読売新聞の「教育ルネサンス・和文化を知る」シリーズが続いています。
学校教育に「日本文化」を取り入れた結果、いい傾向が現れている、というものを事例を織り交ぜ取材したもので、本当にいい特集なので、「日本の文化・歴史・伝統」に危機感を感じている人は是非読んでください。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100119-OYT8T00219.htm
いま学校教育に「日本文化」の見直しの波が来ていることが分かりますから。

前のときは、第4回まで紹介しましたが、いま(1月27日現在)、第7回まで続いていました。
(すべて抜粋なので、全文は元サイトで)
第5回は「職人の技 学ぶ意欲刺激」


 専門のコースを設け、和文化を広く教える学校がある。
 専用の研磨機が据えられている。男女9人の生徒が作業台に向かい、高速で回転する研磨機に直径約16センチの平皿をあて、模様を彫っていく。
東京都立大江戸高校は、2004年、不登校の経験者や他校の中退者などを受け入れる都のチャレンジスクールとして江東区に開校した。午前、午後、夜間の3部がある定時制で、下町文化が残る地域の特色を生かそうと、当初から江戸の文化を中心に学ぶ「伝統・文化」のコースを設けている。
 前・後期制をとっており、江戸切り子は、選択科目「伝統工芸実践」の後期授業で学ぶ。前期はべっ甲細工を体験した。選択科目はこのほか、木彫や押し絵羽子板などの「伝統工芸入門」、和太鼓などの「邦楽」、「陶芸」「茶道・華道」「江戸切り子」などがあり、各科目とも2コマ連続で実践的な授業をしている。
 伝統工芸関連の授業では、学校の委託を受けたプロの職人が講師を務める。
 
 伝統工芸を目当てに、入学する生徒は、3年生の女子(18)は、「本物の職人さんに教わるなんて、普通は経験できない。この学校に来て、得した気分」と話していた。

 東京都教育委員会は、「国際社会で生きる上で、日本の伝統と文化を理解することは大切」などとして、05年からアニメなど現代文化を含めた「日本の伝統・文化理解教育」の普及を推進。独自教科として開設する学校に対し、講師への謝礼を支援しているほか、年間のカリキュラムや教材集などを作成し、導入の便宜を図っている。
 今年度は、高校や特別支援学校など都立46校が、「伝統・文化」を開設。将棋や紙すき、日本舞踊、津軽三味線など様々な実践がなされている。定時制課程での開設は、大江戸高校も含めて10校に上る。
 同校の岡昇校長(57)によれば、伝統・文化の授業には、生徒の好奇心や挑戦意欲を刺激する効果があるという。
 「生活との関連性を説明しているので、小中で学びに興味を持てなかった子も関心を持ちやすい。伝統工芸の授業では、ものをつくることで達成感が味わえ、前向きな気持ちがわいてくる」という。
 伝統工芸を体験し、将来の目標を定める生徒もいる。
 江戸切り子を受講する、3年の男子(17)は、「手元に作品が残るので、うれしい。将来はぜひとも工芸の道に進みたい」と話していた。

 記者の関仁巳さんは「伝統・文化が行く道を照らし、生徒たちは前へ進む。」と結んでいる。視線が実に優しい。いいですね、私もそんな学校に行きたかった、そして私の娘もそんな学校に行かせたい。

第6回目が「華道・茶道通し国際理解」
 国際化という文脈の中で、伝統文化を学ぶ。

 1分間の沈黙の後、華道の授業が始まった。講師の説明を聞きながら、生徒たちが、慣れた手つきでマツやセンリョウを順番に生けていく。東京都中野区の女子校、東京文化中学・高校で、中学2年の授業を見学した。
 全授業で行われている1分間の沈黙は、初代校長の新渡戸稲造(1862~1933年)が国際連盟の事務次長時代、様々な宗教の国が参加する国際会議の際に行い、会議効率を高めたことに由来する。同校では、こうした精神のもと、日本の伝統文化体験と異文化体験を両輪にした、国際理解教育を実践している。

 きっかけは、「これからは国際化の時代」として、1978年に始めた希望者対象の海外語学研修旅行。新渡戸が校長在職中に病死したカナダで、夏休み中の3週間を過ごし、ホームステイなどを体験するというものだ。そのお礼のパーティーで、生徒たちが茶道や書道を披露したところ、ホストファミリーがとても喜んでくれた。以来、国際交流には日本の伝統文化が不可欠だとして、教育に取り入れている。
 現在、華道は中2で、茶道は中1で、いずれも週1回、総合学習の時間を利用して教えている。また、中学の音楽で三味線を学習し、中高で、江戸時代から伝わる思いやりのある所作、「江戸しぐさ」を学ぶ時間もある。
 2003年度からは、カナダを訪ねる中3の修学旅行を実施。生徒たちは、書道やよさこいソーランなどを披露する。国内大学の外国人留学生を招いて話を聞く会などもある。「日本との文化の違いが分かるから、外国の人と話すのは楽しい。来年の修学旅行も楽しみ」などと中2の生徒たちは話す。
 「違いを認め合う心」を新渡戸は大事にした。その精神は、14歳の少女たちにも確かに受け継がれているようだ。
京都市左京区のノートルダム学院小学校では、2001年度から、全校生徒が茶道を通じて礼法を学ぶ。カトリックの同校とは意外な取り合わせだが、「茶道のおもてなしの心や感謝の心は、キリスト教の精神に通じる。日本文化を知ることは、日本人として国際社会で生きていく上でも大事」と行田隆一教頭(55)は話す。

 国際理解教育 国際平和の実現のために、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が提唱。1953年発足の「ユネスコ協同学校計画」(現ユネスコ・スクール)に文部省(当時)が参加し、日本でも次第に広まりだした。2006年改正の教育基本法は、「伝統と文化の尊重」とともに、「他国の尊重」「国際社会への寄与」を教育目標のひとつに掲げる。

記者の関仁巳さんは「宗教を超えて、和の心が広がる。」という言葉でしめくくっている。確かな視点だ。「国際交流」「グローバル化」などのために「英語教育重視」などと唱える人もいるが、まずは「日本文化を知る」ことが国際交流の基本となるという点を忘れなるなないでほしい。
関連記事 「ブラジル人学校設立」と「藤原正彦」
身近な出来事で「亡国論」!?

第7回が、近所の「師範」が教師役

地域をあげて、和文化教育を実践している。
「豊かな心」の育成を目標に、静岡県島田市では昨年度から、市立の全小・中学校がそれぞれテーマを決めて、和文化教育を実践している。
 研究指定校の一つ、市立島田第二中学校では、2年の11月から3年の10月まで、木曜午後の総合学習の時間をすべて「和文化学習」の時間にあてている。生徒は、「日本舞踊」「琴・三味線」「詩吟・尺八」「陶芸」「お茶」「剣の心」「紙」「筆」の8講座から一つを選択し、1年間、継続して学ぶ。

 尺八、詩吟など、教員だけでは教えられない5講座には、地域の人材を活用。現在、山田流の琴の師範ら14人が外部講師として授業を支える。
 華やかな雰囲気に包まれていたのは武道場。日本舞踊を学ぶ女子14人が、扇を手に舞っていた。2室ある音楽室では、琴・三味線を選択する32人が、琴と三味線に分かれて練習していた。
琴を学ぶのは、すべて女子。床に座り、1本ずつ自分で調弦し、ほぼ楽譜に頼らず曲を演奏していた。隣の部屋では、男子も参加し、三味線を合奏。音程をはずす生徒もいたが、それでも最後まで手を止めず、目は真剣そのものだった。
 昨年秋、和文化学習の講座を終えた3年生は、次のように感想を述べている。
 「練習するほど感覚がつかめ、充実感があった」「集中してものを作る楽しさを知った」「和文化は気を和ませ、落ち着かせてくれる
 同じく研究指定校の市立島田第三小学校が重点的に取り組むのは、「美しいしぐさ・ことば」の習得だ。呼吸を意識しながら丁寧にお辞儀をする「三息の礼」を全校で実践。職員室に入る時は、必ずクラスや氏名を名乗り、出る時もきちんとあいさつをするよう指導している。
 授業では、1年生に俳句創作、4年生に落語の実演などもある。13あるクラブ活動は、「焼き物」「大正琴」など、すべて和文化がテーマだ。
和文化教育には、学校と地域の交流を促進する狙いもある。同小のクラブ活動も、地域の人たちがボランティアとして支えている。

 記者の関仁巳さんは「和文化が、町の代名詞になる日は近いかもしれない。」と一文を寄せている。そうなることを私も望みます。「和文化教育には、学校と地域の交流を促進する」まさにこの通り。

わたくし何度も言いますが、学校教育に「日本文化」を、これがこの国を建て直す重要な骨格となると、信じて疑いません。
前の記事「市川団十郎が事業仕分けで文化事業費が削られて激怒した件」などとつながってくることと思います。

三島由紀夫ではないが「国を守るには、日本の文化・伝統・歴史・(皇室)を守る」しかない。

普段はそんなこと意識していない歴女もオタクもサラリーマンも……。
関連記事日本人はなぜ「神社」に行くのか

 

「市川団十郎」と「三島由紀夫」と「井上馨」

平成22年1月23日 朝日新聞 別刷り「be」にいい記事が載っていた。

事業仕分け」に注文  歌舞伎俳優  市川団十郎
昨年12月14日、市川団十郎はスーツにネクタイ姿で国会に赴き、民主党筆頭副幹事長の高嶋良充と向き合った。
「子どもたちが伝統芸能に接する機会を狭まれば、未来の日本の顔を奪うことにもなります」
国の歳出削減に向けた「事業仕分け」で「子どものたまの優れた舞台芸術体験事業」など関連予算が削られそうになっていた。
この国では、「文化大国」とは名ばかりで、歌舞伎のような伝統芸能であっても「国家に益なき遊芸」という明治以来の考え方が根深い。体系的な文化政策はなく、「予算カットは文化から」という風潮も否めない。
団十郎は、日本舞踏市川流の家元でもある。この日は日本舞踏協会幹部として要望団に加わり、思いを訴えた。
「国は武力ではなくならない。相手の国の文化、言語、芸術をなくすことでなくなるんです。ヨーロッパの国々には、国の存亡にかかわるという観点から、『国防省』とほぼ同格の『文化省』や『文化保存省』があります」
1985年に十二代目を襲名したときに米国で講演をした。海外で襲名披露興行をするのは、歌舞伎が初めての試みだった。団十郎は思った以上の好感触を得た。世界に数ある芸術の中での歌舞伎、世界の中の日本を考えるきっかけとなった。「海外の芸術と比べ、日本の伝統芸能はもっと重視されていいはずだ」
日本では、高度経済成長を経てバブルへ突き進んでいた時代。急速に欧米化が進み、和室や着物など歌舞伎と共有できる生活習慣がどんどん減っていった。「歌舞伎を含め、伝統芸能の存続は危うい」  伝統芸能の真髄を見極めようと、錦絵や和漢の文献を研究した。先行芸能の能楽から、古代の「古事記」にまでさかのぼって調べ、考えを練った。
歌舞伎には演出家が存在しない。スターの役者が自分のやりやすいように演出も兼ねる、役者本位の芸能だ。それでも何百年もかけて、代々の名優が「型」を作り、後続が研磨してきた。
「将棋にも組み上がった最高の型がある。型には、合理的な理由がある。そこから一歩出ようとするなら、たいへんな工夫をしないといけない」
<中略>
「歌舞伎がよければ、着物も和楽器もよくなる。そうした文化の連鎖を断ち切らせないぞ、と自分に言い聞かせています。大げさにいえばそれが日本のためになると信じて」

正しくこの通りである。
これを読んでいたら、三島由紀夫の「文化防衛論」を思い出してしまった。
一部引用。

かくして創り出される日本文化は、創り出す主体の側からいえば、自由な創造的主体であって、型の伝承自体、この源泉的な創造的主体の活動を振起するものである。これが、作品だけではなく、行為と生命を包含した文化概念の根底にあるもので、国民的な自由な創造的主体という源泉との間がどこか絶たれれば、文化的な枯渇が起こるのは当然であって、文化の生命の連続性(その全的な容認)という本質は、弁証法的発展ないしは進歩の概念とは矛盾する。なぜならその創造主体は、歴史的条件の制約を乗り越えて、時に身をひそめ、時に激発して(偶然に残された作品の羅列による文化史ではなくて)、国民精神の一貫した統一的な文化を形成するはずだからである。

ここだけ抜き出しても何だか分からないでしょうけど、市川団十郎が言う「日本文化を守ることは国としての日本をも守る」という点において大筋で一致していると思う。
三島由紀夫が繰り返し説いているのは、「(日本の歴史・伝統)文化の連続性の破壊が、国を滅ぼす」(だから日本文化の象徴となる天皇を守ろう)、ということだ。
三島由紀夫は全共闘・共産主義と戦っていたが、市川団十郎は民主党と戦った。
三島と団十郎が重なってみえる。
さて、歌舞伎に関しては、明治の政治家・井上馨にも触れて置きましょう。
当サイトでは、新田一族として井上馨を取り上げていますが(「上州遷都論」と井上馨  新田義貞伝承を追う!実は東毛奇談の続編。シリーズ9回目)、歌舞伎との関連はhttp://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-533.htmlで紹介しました。この部分を再録しておきます。

井上は明治二十年に明治天皇、皇后、皇太后をその麻布鳥居坂の私邸に招待して、九代目団十郎、五代目菊五郎、初代左団次らの勧進帳などの歌舞伎芝居を天覧に供した。宮内庁では前代未聞のこととして猛烈に反対したらしい。というのは、このころは歌舞伎役者はいまだ社会的身分としては江戸時代いらいの河原乞食扱いをうけて蔑視されていたからである。しかし井上はその権威で宮内庁の反対を押し切ってしまった。
井上の主観的意図は別として、これはまことに大変なことだったのである。天皇が見物したことによって、歌舞伎役者は、これまでの社会的賤視を脱却して、芸能界における近代的市民権を獲得することになったのである。またこれを機会に近代文化としての演劇改良、育成が世上の課題とされはじめた。その意味で井上は伝統演劇復興とその近代化の大恩人となった。それは日本の近代演劇をかざる一大事件であった。
井上は明治九年から二年間、財政経済研究のためにヨーロッパを視察している。彼はこのときイギリスなどで、芸術が社会的にいかに尊重されているかを知悉したとみられる。その点で彼はたんなる傲岸な官僚政治屋ではなかった。歌舞伎にたいする正しい評価と取扱いもそのあらわれであったといってよい。

井上馨が日本の伝統芸能の保護者となった、という点について語られることはあまりない。(新田一族の伝承者なのでもちろん尊皇家でもある)
「鹿鳴館」を建て、西洋文化を積極的に取り入れ、西欧かぶれの人物のように言われているが、実はそれだけではないのだ。茶湯の復興、古筆物、古画、仏画、彫刻、陶磁器の蒐集などにも力を注ぎ、明治期において日本文化を保護した有力な政治家として井上馨は甚大な貢献を果たした。再評価してほしい。

どうも現政権は「日本の文化・伝統・歴史」(皇室を含む)を粗略に扱っているように思えてならないが、井上馨が外国の文化や産業の流入を進めるとともに、既存の日本文化を守ったという点を、現代の政治家も見習うところもあるはずだ。

新田義貞うちわ2(新田義貞を演じた市川団十郎)
三島由紀夫→「鹿鳴館」→井上馨→「新田一族」→市川団十郎、とむりやり結び付けてみました。




北森鴻さん死去。「蓮丈那智のフィールドファイル」シリーズ好きでした。

 

北森 鴻氏(きたもり・こう=ミステリー作家、本名新道研治=しんどう・けんじ)25日、心不全のため死去、48歳。山口県出身。葬儀・告別式は26日午前11時から山口県宇部市中野開作403、やすらぎ会館で。喪主は父利夫(としお)氏。95年「狂乱廿四孝」で鮎川哲也賞を受賞しデビュー。99年、連作短編集「花の下にて春死なむ」で日本推理作家協会賞を受賞した。

嘘だ!北森鴻さんが死ぬなんて……。
ということは、「蓮丈那智のフィールドファイル」シリーズはもう読めないのか……。
「凶笑面」「触身仏」「写楽・考」の3作、ほんと最高でした。
諸星大二郎の「妖怪ハンター」が好きな私にはたまりませんでした。
そのときの記事「本邦初、民族学ミステリーを書いた北森鴻
北森鴻

残念です。
合掌。

学校の先生たちよ!「日本文化の教育」と「コンドームの付け方実習」どちらが正しいのか考えよう

読売新聞の記事「教育ルネサンス」の「和文化を知る」シリーズがもの凄くいい。学校で「日本文化」を授業に取り入れた結果、良い結果を出しているという事例を多く掲載していた。

とりあえず第一回目をそのまま転載しておきます。
2010年1月19日 読売新聞付け サイト元http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100119

美しい日本語 身に着く授業 日本語の美しさを学び、伝統文化を知る。
「四角は」から始め、10以上の言葉をつなげて、「ひかるはみんなの笑顔だよ」で終えるのがルール。前回までの授業で、思い浮かんだ言葉を画用紙に書き出し、うまくつながるよう整理した。ひと組ずつ順番に歌い、歌い終わるたび、ほかの児童が「サメが出てきたのが面白い」などと気づいたことを述べていた。
 新発田市では今年度、文部科学省の教育課程特例校制度を利用し、独自教科の「日本語」を新設した。市内の全小中学校で年間20~35時間を教えている。
 狙いは、古典作品などを通じて日本語の美しさに触れ、表現力やコミュニケーション力を養うとともに、日本の文化や伝統に誇りを持つ心を育てること。市教委が作成した教科用の図書には、論語や俳句、短歌が数多く並ぶ。
 一方で、子どもたちがあきずに「楽しく」学べるよう、各校で授業を工夫している。
 同小の6年生の授業を見学すると、児童が机を向かい合わせにし、「長久安全」「至誠一心」などの4文字熟語が書かれた10枚の札をカルタのように取り合うゲームをしていた。
 これらの言葉は、2004年の新発田城の復元に際し、町の繁栄を願って選ばれた「願文(がんもん)」。ゲームを終えると、この日の主題の、自分たちの願いを漢字4文字にまとめるオリジナルの願文作りに取り組んだ。
 各学年とも、授業では、各自が感じたことや思いを発言したり、文章にしたりする機会を設けている。「作文などでも難しい漢字を使い、こった表現をする児童が増えています」と、同小の研究主任の鈴木真史教諭(45)は話す。
 意欲の証しのひとつは、廊下の壁に並べられた児童作の五言絶句の漢詩。「金木犀(きんもくせい)」「鶯(うぐいす)」など学校で習わない字が多く見受けられた。

 新発田市が参考にしたのは、東京都世田谷区の取り組みだ。
 同区では、「日本語は思考や表現の基盤。日本文化の理解に不可欠」として、03年度から俳句作りや百人一首大会など、小中各校で日本語を重視した授業や行事を取り入れてきた。日本語教育特区の認定を受け、07年度からは教科「日本語」の授業(年間35~70時間)を全小中学校で導入し、教科用図書を作成した。

 区立船橋小学校の1年生の授業。冒頭に全員で宮沢賢治の詩や論語を暗唱した後、山上憶良の短歌の学習に入った。意味も説明するが、目的はリズムや響きを味わうこと。一首だけだが、授業の終わりには多くの児童が暗唱できるようになっていた。
 小学校は古典や現代詩などの朗読・暗唱が主だが、中学の「日本語」は、三つの領域に分かれる。現代文などを読んで意見交換したりする「哲学」、ゲームの説明書作りなどにも取り組む「表現」、衣食住や伝統芸能などの知識を深める「日本文化」だ。
 「自分の言葉で徹底的に考え、表現させています。受験の論文や面接にも役立つはず」と区立八幡中学校の君島光司校長(61)は話す。
 言葉を友とし、子どもたちは明日への力を身につける。(関仁巳、写真も)
 教育課程特例校制度 学習指導要領によらずに学校や地域の特色を生かした教育課程を編成できるようにする制度。内閣府が認定していた教育特区に替わるもので、手続きの簡素化を図り、08年度から文科省の指定になった。

◇ ◇ ◇ ◇
見直されはじめた伝統

 茶道や和楽器、郷土芸能、古典の朗読など、伝統文化を重んじた学習に力を入れる学校が増えている。「和文化教育研究交流協会」理事長の中村哲・兵庫教育大教授(61)によれば、小・中・高で全国1000件以上に上るという。
 きっかけは、現行の学習指導要領(小中は1998年告示、高校は99年告示)に、総合的な学習の時間の設置や中学音楽の和楽器の必修化が盛り込まれたこと。さらに、06年の教育基本法改正で、教育目標の一つに「伝統と文化の尊重」が掲げられ、新学習指導要領に伝統や文化に関する教育の充実がうたわれたことから、動きは活発化した。
 「戦後社会の行き詰まりで、教育界が長く遠ざけていた日本文化が見直され始めた」と背景を説明した上で、中村教授は、こう指摘する。
 「大事なのは、単に過去の遺産を継承するのでなく、現代社会との関連性を踏まえ、新たな文化の創造へとつなげること。そうした視点を持った教員の養成も必要で、国の後押しに期待したい」

教育基本法改正が機能し始めて上手くいっているようです。(安倍晋三元首相の成果)
重要と思うところは太字にしておきました。「戦後社会の行き詰まりで、教育界が長く遠ざけていた日本文化が見直され始めた」この一言に尽きます。「日本文化」は教育にもいいという証拠です。
さらにこの「和文化を知る」シリーズは計4回続いた。
第二回目は、礼儀作法を柱に、広く伝統文化を教えている。

百人一首を授業に取り入れた結果「伝統文化に取り組むようになり、態度はさらに良くなった。登下校時の町の人へのあいさつも定着してきている」といった話や、「古典の暗唱や音楽の和太鼓、総合学習のわらじ作り、クラブ活動の生け花、武道など、広く伝統文化の要素を取り入れている。給食の時間には、はしの持ち方なども指導した」結果「騒ぐ児童はなく、スムーズに授業を進められるので、勉強がはかどる」


第三回目は、書道で養う静かな心

「重きを置くのは、字の上達でなく、書道の作法を通じて、伝統文化への関心や落ち着いて物事に取り組む姿勢、思いやりの心を育むことという。」「あいさつと礼儀作法の「礼節」、敬語の使い方が中心の「ことば」、「実技体験」の三つで構成。実技は地域で盛んな剣道と茶道を採用した。男女とも小学3、4年は茶道、5、6年は剣道を、中学生は茶道と剣道の両方を学ぶ。「男子も女子も、実技を楽しみにしている。目上に対する言葉遣いが良くなった」と話す。


第四回目は、相撲・武道で礼節育む 

勝ってもガッツポーズはせず、負けて泣いても相手への礼は忘れない。勝敗に関係なく、「がんばった、がんばった」と言って肩をたたき、健闘をたたえる――。榊校長は、「今の子どもは、遊びの中で友だちの体に触れることがない。相撲を通じて人の温かみや重みを体で感じ、相手を慈しむ心が育っている」と話す。居合道は、91年に文部省(当時)の武道指導推進校になったのを機に始めた。「伝統文化や礼儀作法、節度ある態度、集中力など多くを学べる」「武道のおかげで、姿勢が良く礼儀正しい子が多い」

といった話が掲載されていて、実に心良い。どんどん広まってほしい。
このシリーズを書いた「関仁巳」という記者を尊敬します

さて、こういった取り組みがある中で、何とも理解に苦しむ教育が行われている。

こんな「性教育」がいまだに行われているのか。
小学校低学年に「コンドームの付け方」の練習。
性器が精巧に作られた人形により性交を見せる。
性器の名称やセックスなどといった言葉をちりばめた歌をみんなで歌わせる。
挙句、その性教育の教材を保護者に見せないように回収する。
などなど。

日教組やジェンダー問題に熱心な人たちよ、教えて欲しい、「何を子どもたちに教えたいのか」
そして、学校の先生たちよ「いまだに皇国史観だの軍国国家につながるなどとって日本文化を敬遠し、過激な性教育するのか」「どちらが教育に、子供たちに必要なのか」その辺をよく考えてほしい。

誤った教育方針は、学校を国を荒廃させる。

こんな国にはなりたくないでしょう。

韓国・大邱市で起きた小学校高学年男子児童らによる女子児童への集団性的暴行事件。

小学校2年生の娘を持つ親の切なる願いです。

「夫婦別姓」を問うコボちゃん

読売新聞の4コママンガ「コボちゃん」は面白い。しかも時折、世相を鋭く風刺したものがあって感心する。
平成22年1月21日付け
コボちゃん 9860
ヒロコちゃん 「にわとりはチキンっていうのよ」
コボちゃん  「知ってる」

ヒロコちゃん 「オスのにわとりはコックっていうのよ」
コボちゃん  「それは知らない」

ヒロコちゃん  「メスはヘンっていうの」
コボちゃん   「ふーん」
先生      (ヒロコちゃんは英語をちょっとやってるのよね)

コボちゃん   「すると、にわとりは夫婦別姓か……」
ヒロコちゃん  「?」
先生      「コボちゃんはおとなの話をちょっと聞いているのね」

ふ~、と考えさせられる。
これ実に深い内容だ。
よく見るとコボちゃんの表情は暗い。
なぜか。
コボちゃんの家は、祖父・祖母・父・母・本人の5人家族。
そしてもう少し経つと、弟か妹が出来る。
そんなとき、コボちゃんは「家族で名前が違う」っていうのは「夫婦別姓」だという話をちらっと聞いたのかもしれない。
それってどういうことなんだろう、と幼いながらも、ふしぎに思っていたんじゃないかな。
おじいちゃんとおばあちゃんで名前が違くって、おかあさんとおとうさんで名前が違くって、自分と兄弟も名前が違うって、なったら、バラバラで、なんかさみしくなっちゃうな、ってそんな表情をしている。
これは傑作です。

「夫婦別姓」、家族という視点から、もう一度よく考えてみよう。

「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。

谷沢永一の「天皇制という呼称を使うべきではない理由」(PHP研究所刊)などを読むと、日本共産党がどのように成立し、それがソ連に利用され、いかに日本の歴史と文化と伝統を破壊しようとしてきたのかが分かる。本書には、1932年日本共産党が発した文書「日本帝国主義と日本革命」「日本における情勢と日本共産党に任務についてのテーゼ」の中に、「天皇制打倒」「革命的な闘争」「プロレタリア独裁を守り大衆を救う」といった文言に交じって、こんな一文がある。
「すべての地主、天皇および寺社の土地の無償没収

さて、北海道砂川市にある空知太神社が、政教分離判決裁判で違憲とされた。
毎日新聞の社説は「市有地に神社 最高裁の「違憲」は妥当だ」、朝日新聞の社説は「この点について判決は、違憲状態を解消するために、原告が求めるような施設の撤去だけでなく、土地の譲渡や有償での提供などの手段もありうると述べた。現実的な取り組みを例示したということだろう。 」とあり、最後は「靖国神社」「護国神社」にまで言及している。(反日新聞のこの喜びようは何であろうか)
つまり、神社や鳥居を破壊し、その敷地を取り上げろということになる。
こういうものを「日本の文化・歴史・伝統の破壊」というのだ。
日本にはこういった神社が全国で1000件以上あり、他に慰霊塔、忠霊塔など施設の土地や維持費などもあり、これらは自治体が把握できないほど無数にあるといわれる。
これらもすべて「憲法違反」「法律違反」だということだ。

混乱もたらす恐れ--百地章・日本大教授(憲法)の話
 判決は極めて疑問の多いものだ。公有地上に神社という名の宗教施設があるというだけで、由来や実態などを十分考慮せず、違憲としている。過去の判例が形式的側面にとらわれず、社会通念に従って判断するよう求めてきたことと矛盾する。判決に従えば、全国の公有地上にある施設の合憲性が問われることになりかねず、大変な混乱をもたらす恐れがある。(毎日新聞)

なるほど、日本を解体するのにこれほど効率の良い方法はないであろう。革命などを起こさずともいとも簡単に共産主義者の思う通りになるとは…。
時事ドットコムに地元住民の声が出ていた。

「地域の神様」「単なるお守り」=雅楽、みこの舞いも-市有地の神社・政教分離訴訟
 明治時代に農村の豊作祈願のため建てられた北海道砂川市の二つの神社は普段、宮司はいないが、毎年の春と秋には市内の別の神社から宮司の派遣を受け、例大祭が催されている。住民からは「単なるお守り」「神社という意識はない」との声が上がる一方、「地域の神様。大事にしたい」と話す男性もいた。
 空知太神社は春秋の祭りで、鳥居の両脇に「地神宮」と書かれたのぼりが立てられる。同神社の総代長によると、秋祭りでは近隣の農家からの米や野菜などが祭壇に供えられ、宮司によって祝詞が上げられるなど、かなりのにぎわいをみせる。
 別の神社の祭りの際には、空知太神社にもみこしが回り、雅楽が流されるほか、みこの舞いも見られるという。
 現在は町内会館が併設されている。このため、「神社という意識はない。地域の集会所」と話す男性町民がいる一方、神社に向かい手を合わせる高齢女性の姿も見受けられる。
 一方、富平神社は民家約30戸が点在する農村にある。社殿は既に老朽化しているが、最近まで別の神社の祭りの際には、みこが舞っていた。
 農業の男性(55)は「単なるお守り。先人が造ったものを辛うじて守っているだけ」と宗教性を否定したが、農業岡田圭司さん(41)は「昔からある地域の神様。大事にしたい」と話している。

こういう声は届かなかったようだ。
最高裁の裁判官14人の内に、「合憲だ」としたのが1人しかいなかった。
朝日新聞にその方の意見が載っていた。

堀籠幸男裁判官「市が無償で提供することは憲法に違反しない。神道は、日本列島に住む人々が集団生活を営む中で生まれた、生活に密着した信仰というべきもので、その生活の一部になっている。これと、創始者が存在し、確固たる教義や経典を持つ排他的な宗教とを政教分離原則の適用上、抽象的に宗教一般として同列に論ずるのは相当ではない。」

 これは全くもって「正論」である。この短文の中に、「神道」の本質を述べ、異論をはさむ余地がまったくないほど「日本人の宗教観」と「他の宗教」の違いを示している。堀籠裁判官は、まさに尊敬に値する人だ。
大多数の意見の中、ただ一人反対意見(しかも正論)を語るとは、まるで東京裁判のパール判事のようだろう。

では、この原告はどんな人物だったのか。朝日新聞に詳しく載っていた。

 最高裁の違憲判決を導いた原告は、砂川市に住む地域住民2人だった。
 信教や思想の自由が抑圧される時代に戻したくない――。原告の一人で元中学校教師、谷内栄さん(79)は、この一心で裁判を続けてきた。「憲法をつくった人の思いを受け継ぎたい」と、日本国憲法の文庫本をいつもポケットに入れている。
 空知支庁奈井江町で生まれ、「軍国少年」に育った。海軍のパイロットに志願した年、日本は敗戦を迎えた。
 戦後、近所の牧師が英語を教えてくれた。キリスト教に触れて信仰の道に進んだ。 家が貧しく、思うように進学できなかったが、定時制高校などをへて、「平和の尊さを教えたい」と教師に。道内の中学校で英語を教えた。
 30代後半に住んだ地域で、神社の祭典費が住民から強制的に徴収されていることに疑問を持ち、政教分離の問題に関心を強めた。定年後、空知太神社の土地が市有地と知り、提訴に踏み切った。
 もう一人の原告、高橋政義さん(87)とは、首相らの靖国参拝に反対する「滝川平和遺族会」の活動で知り合った。高橋さんは太平洋戦争で中国大陸に出兵。今回の裁判の意見陳述では「幾多の罪を重ねた自分を深く反省します」と謝罪から始めた。
 戦前の教育や国家神道に影響を受けた体験を踏まえて、「政教分離の原則は、日本国民やアジア太平洋地域の人々に甚大な被害を与えた反省から生み出された」と指摘。「私は宗教としての神社神道を否定も肯定もしない。公の財産を宗教上の組織団体のために使うことに異議を申し立てる」と訴えていた。

「平和の尊さ」とか「戦争責任の反省」とかいかにももっともらしいことを言う。中学教師だったというから、悪名高きかの「北海道日教組」だったのだろうか、まさに典型的な日本人の皮をかぶったガチガチの左翼思想者。自身の戦争体験が、ルサンチマン(怨念・憎悪)の塊となって、天皇・国家への復讐心に変化したようだ。「神社神道を否定も肯定もしない」とは言うが神社そのものに嫌悪感を抱き、存在そのものを否定したいからこそ、最高裁まで争うのだ。この恐ろしいまでの執念は、地域社会の役割を担っていた神社をぶっ潰そうが、それがどんなに大きな混乱を招こうが、一向に構わないとなれば、己の我執を満たすための「利己主義」の極致に達しているだろう。
問題なのは、この原告の男がこの後、どんな行動をするかだ。
こういうタイプの人間は粘着質だから、きっと役所にねじ込み「憲法違反だ」とこのお題目を盾にして騒ぐに違いない。いや、勢い余って、「これは法律違反だから」といって鳥居や神社建物を壊すかもしれない。老人だといって油断してはならない、どうせその背後には変な団体がくっついているのだろうから。
よく観察する必要があり、また事後も報道するべきだろう。
それにしてもこんな騒動を起こす人がいる地元の方々もさぞや大変ではないだろうか。私の回りにこんな輩がいたら勿論議論を吹っ掛けますけど…(怪しい団体が束になっているだろうから勝てるわけないか…)
それにキリスト教徒か。
日本のキリスト教団体が反日活動をしているというのは、渡部昇一や八木秀次の本で読んだ。宗教を否定する共産主義者と手を組んでいるという時点で、それが本当に「宗教家」のすること?と疑いたくなる。
このサイトが詳しい。http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52363305.html

北海道の小さな神社の裁判だが、この影響は計り知れないほど大きい。
この違憲判決がどれほど反日勢力に弾みをつけることになるのか、考えただけも恐ろしい。

今、日本の文化と伝統は破壊され、日本の国は破壊されようとしているのだ。
最後に三島由紀夫の文章を引く。

……たとえば、国を守るということだが、その国とは一体何だ。―と質せば国土だという返事がくる。しかし、家庭を守り、家庭の延長としての村を守り、町を守り、府県を守り、それから国を守るという、一連の地域共同体へのつながりがあり、それがさらに天皇陛下とつながって、一つ引っ張ると芋蔓式に自分と社会、国家というものが一本の綱のようになっていた昔と違って、こういう綱が現代は断たれてしまっている。これが日本が敗戦したからというだけではなく、世界的な傾向としての都市化現象、近代化現象の結果そうなっているのであり、工業化の勢いが前資本主義的地域共同体をばらばらにしてしまったためである。
このように地域共同体が崩壊してしまった中で、いったい国とは何かと問われると、仕様がないから国土といい、その国土を外敵から守るのが防衛だ、と答える。しかしその国土というのは単なる地面であって、それがたとえ日本が共産政権になったとしても何んの変わりもない。<中略>
また国民を守ることが日本の防衛だという答えもある。しかし国民を守るということは、人間を守ることであるが、人間にもいろいろあり、日本のような国はなくなってもいいんだ、という人もいる。日本ほどいやな国はないと思っている人もいる。国境をなくして、世界国家にしたらどうだといっている人もある。そういう人間を全部ひとからげにして守ってやろうといっても、いや、お前なんかに守って欲しくないと言われたらどうするか。<中略>
それでは何を守るか。
日本の防衛とひと口にいっているが、具体的にわかりやすい言葉で表現することは非常に難しい。こういうことになってしまったのは、やはり現世界がイデオロギーの終焉時代にあるからだという人もいるが、それは間違いで、相変わらずイデオロギー病が全世界に広がっており、お互いにイデオロギーで人間がいがみ合うように、政治勢力が操っているとしか考えられないのである。
その情勢の中で、何とかしてわれわれは国民的統一体としての核心をもたなければ国はばらばらになってしまう。
<中略>
われわれは何を守るか、ということだが、日本は太古以来一民族であり、一文化伝統をもってきている。従って、守るべきものは日本というものの特質で、それを失えば、日本が日本でなくなるというものを守る以外にないと思う。
左翼の人たちは非常に日本人ぶる。日本人としてこういうものを我慢していられるか、日本人として米軍基地を撤退させなけらばならないんだという。そういう限りにおいて“日本人”という言葉を持ち出すのだが、それでいて彼らは一民族、一文化伝統、一言語という、世界でも稀な国家的特色を、彼らの思想といかに調和させていうかという説明が少しもできていない。むしろそれを断ち切ることが彼らの政治目的なのである。<後略>

(新潮社「三島由紀夫全集35「栄誉の絆でつなげ菊と刀」から)
左翼主義者が「アイヌ」「沖縄」を持ち出して日本は一民族ではないと主張するのは、日本の国民統一体を削ぐために利用しているのである。(これは本題とずれるので後日)

三島由紀夫はこのあと日本を守るには日本精神、天皇、日本文化を守ればいいと説く。(これは「文化防衛論」につながる)
したがって、ここは、日本人の精神の原点である神社は守らねければならない。

だからこそ、こういった左翼主義者の反日思想の男(日教組・日本キリスト教徒団体、おまけに自虐史観)が、やっきになって神社の破壊を目論むのだ。
げにも、恐ろしいことだ。
社会主義も共産主義も無くなった、日本のどこにそんなものがある、という学者や知識人がいる。
いや、日本ではそれは無くなったのではなく、密かに浸透してしまったようだ。この件はその一端を見せられたような気がする。
今後も「違憲判決」の影響の行方を十分に注視していかねばならないだろう。

過去記事

日本文化論。「オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある。」 明石散人「日本史鑑定」から

小沢一郎が12月12日ソウル市内の国民大学で講演を行い天皇陛下は韓国から来たなどと言った発言(過去記事)や、平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、今上天皇は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言(Wikipedia)などを引いて、「皇室・天皇は朝鮮系だ」「日本文化は朝鮮・中国の亜流だ」といった日本の文化・伝統・歴史を貶めるサイトを良く見かける。
中杉 弘のブログというサイトに「天皇が平成13年に桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫だと言われたことがありますが、桓武天皇の生母が200年以上前の武寧王の子孫だと言う意味であり、直接百済から嫁に来たわけではない。ましては百済の王女でもなんでもない。」という記述があり、これが正しいのではないかと思う。

それにしても、日本文化は、何でも朝鮮や中国からやってきた(または朝鮮が起源である)といった説を唱える人が何と多いことか。
とくに最近話題の内田樹「日本辺境論」はとくに酷く、これは卑怯な駄本である。(理由は後日書く)

日本が朝鮮経由で中国文化に影響を受けたことは紛れもない事実である。しかし、それを基に独自の発展をしてきた日本文化にこそ価値があるのに、ルーツや根源探しばかりに目を奪われるのはいかがなものだろうか。

こんな愚論には「オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある。」と説明をする明石散人の説で対抗したい。
日本文化を理解する上で「分岐点」というのが重要だというのがあまりも明解に書かれていて、膝を打つほど感じ入ったので、ここはあえて長文引用しています。
日本史鑑定 (徳間文庫): 明石 散人, 高橋 克彦著から
明石散人

オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある。
「何が日本独自のものか」とよくいわれますが、それは分岐点をどこに置くかという問題だと思うんです。
これは何に対しても言えることで、人間とチンパンジーの分岐はどこだ、ゴリラとオラウータンはどこだ、と分岐を明確にすることが重要なんです。
それをしないで、ただ根源を辿っていくと、結局、人間もネズミも同じものになっちゃうんですね。
以前、将棋は日本固有のものだといって、面白がりの中でテレビ番組にしたり、「謎ジパング」という本にも「とにかく日本に伝承される何事も、日本で独自に始まったものはなく、中国・朝鮮・インドから伝わってきたとしがちなのが我々日本人。植物(花や木)・遊戯・文学・美術・楽器……、何故か全ての分野にわたって、その根源を海の向こうに求めてしまう。将棋もその一つである」と書いたんです。そうしたら橿原研究所のある研究員が、こういう論文を書いたからといって送ってきたんですが、彼の手紙の冒頭に「明石さんの説と違って、僕の論は中国渡来説なんです」と書いてあったんです。でも、これは大いなる勘違いで、僕はそういうことを言っているんではないです。何事も「分岐」ということを明確にしなかったらダメだ、「分岐」を曖昧にすると人間もネズミも一緒になってしまうというような意味、つまり、僕はあくまでも分岐を定めた上で将棋は日本固有のものだと言ったんです。
どういうことかというと、中国・韓国・タイ・チェスの駒数はいずれも三十二枚で取り捨てルールなんです。でも日本の将棋は駒数が四十枚で、先が三角になって進方向性を示していて、更に取り捨てルールではなく取った駒をまた使うことができる。つまり、駒数・方向性・駒の再利用という日本独自のルールになったときに、「日本将棋」になったんだということなんです。
それ以前に、中国から伝わったということは当たり前のことであって、そんなことをいえば着物だって人と諍いをすることだって何から何までみんな外来のものですよ。分岐をしっかり見極めないと、みんな一緒になっちゃうんです。アルタミラやドルドーニュの壁画に影響されたとでも言うんでしょうが、人の思考のパターンなんてものは、多少の時間のズレはあっても同じことを考えるようになっているんですよ。博打がどこで最初に始まったのか知りませんけど、こんなものはお互いが影響されることなく、ごく自然に世界のあちこちで大した時間の差もなく発生したんです。空気や岩石は世界中どこにでもあるけど、別に日本の空気はイギリスからやってきたわけじゃないし、日本の変成岩は何億年も前からちゃんと日本にあるんです。
例えば、着物ってどこの物だと聞かれたら誰だって日本の物だと思うでしょう。でも中国の隋の頃から、いやもっと前の炎帝・黄帝のころから中国人も着物っぽいものは着ているんですよ。だから問題なのは、じゃあいつから「日本の着物」になったのかということになるんですね。中国に古くから着物のようなものがあったからといって、着物は中国の影響だと言ってしまったんでは、オリジナルの文化というもの自体が成立しなくなってしまう。
ですから着物って何だ、どこから日本固有のものになったんだとなると、これは帯の発明なんだと思います。帯を結ぶという「様式」です。帯には日常を含めていろいろな式典ごとに様式があって、それはそれぞれ全部違いますよね。着る人の年齢によっても違う。つまり結ぶものに対して様式を持たせるものが帯なんです。この帯の発明があって、ここで初めて「着物」と言えるんです。時代的には鎌倉・室町の頃でしょう。
だから僕には、十二単は逆に日本的なものとは思えないんです。あそこには様式的な帯というものがないですから。
オリジナリティとは、そういう風に考えていくもんだと僕は思っているんです。分岐を明確にしなければね。そうじゃないと、最も日本的な「日本刀」でさえペルシャ刀の系列になってしまう。
他にも「日本」とつくものがありますよね。例えば「日本書紀」。これは国史です。でもあれが中国の影響を色濃く受けていることは誰でも知っていることです。それを真似したと取られてしまえば、そうかも知れないけど……。そういう論理というのは一見正しいようで、実は人間とネズミは同じものだと言っているのと同じことだと思うんですよ。僕が、将棋は日本人が発明したというのは、こういう意味なんです。日本の誰が始めたのか知りませんけど、日本将棋には日本人による創作上の分岐が明らかに見えるんです。つまり、将棋は日本固有の発明だと言って間違いないし、むしろ日本固有の文化だと言わなければいけないんです。
文化の交流・影響は対等性を持って初めて成立する。
だからそこで最後の分岐がなされたかということを明確にすることが、すべての文化の発祥を捉えることになるんだと思います。本来「鑑定」というのはそういうことであって、分岐をどこに置くかということで目筋が決まってくるんだと思います。
どうもこのところの文化論というのは、いつも何か、その分岐点の線引きが成されないままに論議されていて焦点がずれているんですよ。
「日本的なものは何だ」ということを突き詰めるには、分岐をどこにするのかということを決めることです。そこで初めて日本の文化が語れるんだと思います。
縄文・弥生を念頭に置き、同時代に当たる中国の秦の始皇帝の物なんかを見ると、あまりにもレベルやボリュームが違いすぎていて、当時の日本があの文化の影響を受けたとはとても思えないんですよね。当時の日本では中国文化の影響は受けきれないですよ。影響を受けるということは、ある意味で対等性を持つということですからね。
日本が中国と対等性を持つのは、やっぱり聖徳太子の時でしょう。「日出ずるところの天子、書を日没するところの天子に」という一文に見られるように、あそこで初めて対等という意識が生まれて文化の影響ということが見られるわけです。対等だからこそ遣隋使・遣唐使というものが派生していくんだと思います。
日本が中国の影響を受けたということは、厳密な意味では遣隋船以前は無いと考えていますし、それ以前のことは、切って捨てたって良いんだと思います。それは単に物が少し入ってきたというだけのことに過ぎません。このレベルのことを影響とか交流といってしまうのは誤りだと思うんです。そうじゃないと際限の無いことになってしまう。
(前方後円墳を例に出して) これも分岐という視点で考えればわかりそうなことなんですが、敢えて交流・影響というもので考えてしまうから、そういうことも混濁してわからなくなっちゃうんですよね。だから分岐論をもう少し文化に対してハッキリさせていくと、日本の文化というのが逆にわかって来るんじゃないかという気がしますね。
日本文化と言えるのは聖徳太子以降だと言える断然の憑拠は煬帝に対する国書です。あれがとにかく国という意識を持つ最初ですよ。この国書は日本が孤立・固有のものだということを初めて明言し、それと同時に、自分の地域性ということを「日出ずる」と表現したことはとても大きな意義を持っているんです。聖徳太子は、自分より東に国は無い、この日本こそ根源であると言い、これが当時の日本人に初めて固有のアイデンティティを誕生させたんだと思います。
僕はアイデンティティを「根源に対する無意識の帰属意識」と解釈しているんですが、例えば、サッカーのワールドカップ予選を通過した時、あれほどみんなが感激したのは日本のサッカーが勝ったからではないんですよ、「無意識の帰属意識を持つこの日本が勝ったからなんですよ。でも誰もアイデンティティが確認されたとは思っていない。だから根源に対する無意識の帰属意識なんです。
その辺の約束事がどうも明確になっていないといつも感じるんです。アイデンティティ、アイデンティティと言うけれども、それって何なのということですよね。
ある意味で、ルーツを探すことは愚かなことだと思います。大事なのは分岐点を探すことじゃないでしょうか。

ほんとに実に明快な説明。天皇・皇室もこれにあてはまると思います。DNA鑑定で、日本人はどこから来たとか、日本人は朝鮮人や大陸系が多いとか、そんな根源を探ることはあまり重要ではない。(参考にする程度でよい。) 独自の文化を知るには、上記にあるように「分岐点」を見極めることこそが必要なのだろう。
そういった点でまさに「文化分岐点論」は正論だと思う。
これを指摘した明石散人は、本当に尊敬に値する。過去記事

日本人及び日本文化を知りたいなら、内田樹の「日本辺境論」なんかよりも、明石散人や山本七平を読んだ方がいい。


「中川昭一さんの百か日法要」と「石川議員逮捕」は、新しい保守派の始まりだ!

仏教の民間信仰では、死者は死後7日ごとに、あの世で裁きを受けると考えられている。七七日(7日が7回)つまり四十九日目に最後の裁きを受けて、浄土に行けるかどうかが決まる。この日に死者追善の法要を行う。
この次に行われる大きな法要が百か日法要といわれるもので、これは故人が新仏になってはじめて行われる法要なので、かつては盛大に行われた。ただ今では身内・近親者で行われることが多い。

100日目というは、いろいろな節目となる。
生まれて百日経つと、「食い初め」と言われる「百日祝い」が行われ、死後の百か日法要があって、また満願成就のために百日間同じ社寺に参詣することを「百日参り」「百日参り」というものもある。

さて、中川昭一さんが急逝して、はや百日が過ぎた。
先日の1月9日に、身内・近親者による「百か日法要」があったようだ。
そして、奇しくもこの日、民主党の石川知裕衆院議員は、民主党のを小沢一郎幹事長側が水谷建設から計1億円の裏献金を受けたとされる疑惑を特捜部に供述し、15日小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金問題で、東京地検特捜部に逮捕された。
石川議員は、北海道11区で、中川昭一さんを破って当選した、あの人物だ。
まさか死して自ら敵討ちというわけではないだろうが、偶然というには余りも出来すぎている。
昔から、何が望みを叶える(逆に怨みを晴らす)などを達成するには、百日の祈願が必要だった。例えば、太平記には「住吉四所の明神、日吉七社権現を勧請し奉て、座さまさずの御修法を百日の間行はせらる。」や「井手左大臣橘諸兄公の後胤たりと云へども、民間に下て年久し。其母若かりし時、志貴の毘沙門に百日詣て、夢想を感じて設たる子にて候とて、」「頼豪是を忿て、百日の間髪をも不剃爪をも不切、炉壇の烟にふすぼり、嗔恚の炎に骨を焦て、我願は即身に大魔縁と成て…」などと何度も出てくる。
天上から中川昭一さんがこの現状を憂いて、これでは「日本が危ない」と手を差し入れたのかもしれない。
または、無念の憤死はこの世に強い執念を残し、これを受けた右派・保守派が小沢一郎・民主党に強い呪詛を掛けてこれが叶ったのかもしれない。
あまりにも感傷的な思いかもしれないが、ここはそうであったと信じたい。(保守瓦解の今、悲しいかな、もう神頼みしかない状態)
この一件がそれほど大きな衝撃になったことは間違い。
過去記事

検索していたら、「十勝毎日新聞」にこんな記事が、
http://www.tokachi.co.jp/feature/201001/20100116-0004017.php から

十勝の政治 一気に混迷
民主憔悴、自民に故中川氏夫人待望論
 「政治生命を断たれたも同然だ」
「1月15日、石川知裕衆院議員逮捕」は、十勝の政治関係者に大きな衝撃を与えた。翌16日午前、帯広市内の後援会事務所に駆け付けた石川議員の支援者は「(議員は)辞めざるを得ない」と声を震わせた。
 中央政界では、石川議員の離党を含めて進退の憶測が飛び交っている。議員辞職に伴う衆院統一補選は不可避との見方は強い。中川昭一氏が死去した十勝の政治情勢は、混迷の度を一層深めた。
身内に辞職示唆
 東京地検特捜部の強制捜査が行われた翌14日、石川議員は身内に電話し、捜査の行方次第では辞職の覚悟もにじませた。7日にも帯広市内で、自身が起訴された場合の進退について「そのときに判断する」と憔悴(しょうすい)した表情で語り、辞職の選択肢を否定しなかった。
 民主党支部、後援会の幹部は強制捜査があった13日以降も一様に「本人を信じている」と繰り返す。昨年8月の衆院選で「中川王国」を破った石川議員に代わる人材のあてなどないのも実態だ。16日、後援会の幹部が対応を協議。ただ内部的な混乱は否定できず、情報収集に終始した。
 選挙区の統一補選の選挙日は年2日。9月16日から翌年3月15日までに欠員が出た場合は4月の第4日曜が投票日となる。今年の場合は4月25日。「超短期決戦」がにわかに現実味を帯びる。陣営内からは「石川さんはまだ実績に乏しく、カリスマ性もない。復活は困難だろう。冷静に対応を考えるべき」との意見も出ている。
弔い合戦探る
一方、自民党サイドでは補選をにらんだ動きが始まっている。中川昭一元財務・金融相(故人)の旧後援会などでは、郁子夫人の待望論が再燃。ある関係者は「短時間となれば候補は限られる。中川家なら中央政界でも支えてくれる人がいるはず」と示唆。別の関係者は「郁子夫人も無念を晴らしたいという思いはある。弔い合戦になる可能性は極めて高い。公示前日に名乗りを上げても十分に勝てる」とみる。
16日に十勝入りした中川義雄参院議員は、「こうなった以上、早く候補を探さなければならない」と力を込める。近く、党支部や旧中川後援会の幹部と協議する考えだ。
前回衆院選で新人の渡辺紫氏を擁立した共産党も4月補選を視野に入れる。陣営では「渡辺氏は有力な候補。ただちに補選の対応に関し検討を始めたい」とする。
 歓喜の衆院選勝利から一転、暗闇に迷い込んだ民主党十勝。19日に常任幹事会を開くが、現時点で補選を含めた対応の方向性は見えない。石川後援会の関係者は危機感を漏らす。
「4月の市長選も7月の参院選もすべて狂った。補選でさえも戦えるのかどうか、まったく分からない…」(岩城由彦)

とあった。アホか。早く気付けよ。
中川昭一さんを落として、こんな小沢の走狗に票を入れたなんて、いまでも十勝・帯広の方々を許せない。一生後悔するがいい!

さて、百箇日法要はは卒哭忌(そっこくき)ともいい、「哭」は、声をあげて泣きさけぶ、「卒」は、終わる、という意味で、故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃、それが百箇日を迎える頃だ、ということから卒哭忌といわれるようになったというのだ。
http://www7.ocn.ne.jp/~kokubo/regain2.htmから

49日の法要を「満中陰」と言うように、百ヶ日のことを「卒哭忌」と言う場合があるそうです。
・卒(そつ)とは → おわる、終えるという意味。
・哭(こく)とは → 大声を上げてなげき泣くという意味。
・忌( き )とは → ここでは「仏事」という意味。
つまり、卒哭忌とは、「なげき泣くことを終える仏事」ということです。
大切なあの人を見送ってから、百日がたちました
あの日以来、涙が乾かぬほどに泣き、なげいてきましたが、
いつまでも泣いてばかりはいられません
今日からは、前を向いて、
お念仏の中に亡き方と共連れの道を歩んでいきます
卒哭忌(百ヶ日の法要)とは、このような思いの仏事でありましょう。
思いますに、百日という期間は、人間にとって新しい環境(状態)を受け容れるために必要な時間なのかもしれません。

もう、嘆き、憂いる時期は過ぎたのかもしれない。新しい段階に入ったのです。

忠臣蔵の赤穂浪士では、主君・浅野内匠頭長矩の百日法要が終ってから、大石良雄は山城国の山科に移り住み、ここから主君の仇討を計画したのです。
時は来た。
新党大地の鈴木宗男は16日の民主党大会で小沢一郎を擁護して「検察が正義と思ったら大間違い。間違った権力とは断固戦っていこう」と演説をぶったそうだ。
なに!、その言葉そっくり返す。「民主党が正義と思ったら大間違い。間違った権力(小沢)とは断固戦っていく
そうここから、保守の逆襲は始まるのです。
鈴木宗男は中川昭一の葬儀でわざとらしく白い大きなハンカチを取り出して泣いてみせたが、こいつは石川知裕を全面バックアップし、中川昭一さんを追い込んだのだ。
平成のキワモノ、「巧言令色、鮮なし仁」という言葉の似合う人物。小沢一郎と鈴木宗男、ほんといいコンビだ。
それに民主党大会で鈴木宗男が堂々と演説して、党員から大喝采を浴びるって、どういうこと。
民主党って、ほんとに社民党とか旧社会党議員とか日教組とか韓国狂いの首相とかそんな人々集まりだ。(民主党の6割が保守って本当なのか?)

そしていま、私は、新しい保守の政党が出来ることを祈っている。
(ただあの不誠実な「東国原英夫」はいらない。あいつが自民党への自爆テロがいまの小沢の独裁政権につながっているという自覚がまるでない。顔も見たくないのにテレビにちょこちょこ出て偉そう言っている。虫唾が走る。こんな奴ばかりが残って、真の保守の政治家は端に追いやられ、死に追い込まれた。どうにかしてほしい)

民主党や自民党を割って政界再編し、新しい保守党を作る人を……。
だれが立ち上がるだろか、
いま、それに期待している。

ラジオのコメンテーターもびっくりするほど酷い。

朝、会社に向かう車中で、ラジオをよく聴く。
私にとっては貴重な朝のニュースの情報源。
TBSにしたり、NHKにしたり、文化放送、ラジオニッポンにしたりと、あちこちザッピングしながら聴く。これが、それぞれ局によって偏りがあって実に面白い。
特に、ラジオニッポンの「上柳昌彦のお早うGood Day!」は民主党マンセーが凄くって笑える。政権交代したころはお祭り騒ぎで、ラジオパーソナリティが「わくわくする」とって大喜びだったが、問題続きの鳩山政権の昨今は、意気消沈したのか、葬式のように暗い放送となっている。(「関口宏のサンデーモーニング」のような状態。)
そして今日(平成22年1月14日)の放送は、あまりにも小沢や民主党の肩を持つので、驚いた。
その内容が、番組ホームページに出ていたので転載しておく。

ジャーナリスト岩上安身『小沢問題は何が問題なのか?』
民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出した。
日本中が「小沢氏の膿が出るに違いない」と思っている。
では聞く、果たして問題はナンなのか?どんな疑惑があるのか?はっきり言おう、何が問題なのかを、検察も、マスコミも明らかにしていない。
問題があるかないかわからないのに「問題」だと言っている。これは、医者がメスを持ってお腹を割いてから病巣が
どこにあるかを考えるようなものだ。病巣がそもそもあるのかないのかさえわかっていない。
 マスコミは確証を持って報道しているのか?何か掴んでいるのか?同じストーリーを同時期に書くのはおかしいではないか。検察からのリークだけで記事を書いているのではないのか。これを言っているのは私だけである。
 小沢擁護とかそういう話ではない。問題が明らかでないので問題にしているのが問題だと思わないか。

ほんと驚くわ。いやいやこれは小沢擁護そのものでしょう。こんな人がジャナリストだって……。
まあ、番組もいつもこんな感じで民主党を応援しています。いや、ほんとある意味、面白いや。

そして、同日の同時間帯の文化放送「吉田照美 ソコダイジナトコ」の一コーナーでは、アーサービナードなる詩人がいい加減なことをくっちゃべっていた。
外国人参政権法案に関することで、外国人なので賛成なのは分かる。しかしその理由が酷い。「外国人に乗っ取られるというけど、それは日本人に自信がないからだ」とか「外国人をバンバン入れて日本を元気にしょう」とかそんなレベルの話を5分くらい延々としていた。
この人、アメリカ人だというが、まったく問題点が分かっていないようだ。
外国人参政権で問題なのは「在日韓国人」だろう。そこには「在日特権」や「永住権」いや、韓国による「内政干渉」など根深い問題があるのに、うわべだけの薄ぺらい部分だけをアメリカ人が(それも専門家でもない)いい加減なことを言っている。一応公共電波に乗るんだから、その位のことには言及してから、「賛成」「反対」を言って欲しいものだ。

それにしても、テレビもラジオもコメンテーターが酷い。もうちょっとまともな人を使って欲しいよ。
切なる願いだ。

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消えた二十二巻

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