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浅田真央選手が日の丸を肩に背負った写真が、朝日新聞に載ったかどうかの結果発表。

前回の続き
さて、浅田真央の銀メダル獲得で、翌日の朝日新聞がどういう写真を使うか気になって見てみました。
浅田真央 朝日新聞一面
まあ一面はこんな感じでした。
他紙も「日の丸」を全面に、という感じではなかったが、スポーツ面や社会面では「日の丸」を肩にかけた浅田真央の写真が載ってました。
浅田真央 銀メダル
これは「上毛新聞」の一面。これが普通でしょう。(この涙目の表情がいい。)

それでは、他に朝日新聞に日の丸の写真がないか探してみました。
浅田真央 朝日新聞
あった、ありました。
白黒。しかもちっちゃい。
この画像を使う意図がわからんし、多くの写真の中からこれを選んだとしたら、センスがないと言われても仕方ない。
でもよ~く見ると、この写真が使われた意味が分かる。
観客席の「韓国の国旗」が一番目立ってる!

そう、朝日新聞とは、そういう新聞なんです。

朝日新聞に日の丸の写真が掲載されることはない、ということが2月25日号の週刊文春に掲載されていたそうです。
http://netadane.net/?p=1299
やはり、みんな感じていることなんですね。

追記
浅田真央関連記事で一番良かったのは、これでした。
 

【バンクーバー五輪女子フィギュアスケート】実況を務めたジャパンコンソーシアム(NHKと民放の共同取材チーム)の刈屋富士雄アナウンサー(49、NHK)は「最高レベルの争い。特に最終グループは今の女子フィギュアの最高の演技を出し合った」と各選手の見事な戦いぶりを絶賛。
 これまで数々の名フレーズを残してきたが「浅田選手の演技が終わった瞬間、コメントが浮かびませんでした。演技自体は絶賛したかったのですが、浅田選手の気持ちを思うと何と表現したらいいか分かりませんでした」と説明。「点数では負けましたが、人の心を揺さぶることが本質でもあるフィギュアとしては浅田選手の演技は最高でした」と賛辞を送った。

http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/kfuln20100227006005.htmlから。
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浅田真央の日の丸が一番大きかったよ。

浅田真央、銀メダル!

バンクーバー冬季五輪第14日の25日(日本時間26日)、フィギュアスケート女子のフリーが行われ、浅田真央(19)=中京大=が合計205.50点で銀メダルを獲得した。浅田は五輪ショートプログラム(SP)史上初のトリプルアクセルで2位につけていたが、フリーでは2度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に成功したものの、3回転ジャンプが乱れた。SPで首位に立った金妍児(キムヨナ)(19)=韓国=は歴代女子世界最高得点の228.56点で金メダルを手にした。


私はなぜか「うれし涙」よりも「くやし涙」に心を動かされてしまうタチなので、あの浅田真央の涙に感激してしまった。
「キム・ヨナとの宿命の対決」とか「同じ年のライバルとは何とも皮肉な運命なのか」といろいろありますが、ここでは日の丸こと。
浅田真央の日の丸とキム・ヨナの韓国国旗の大きさが違いすぎの件。
テレビの解説者も思わず、「韓国国旗小さくないですか」「日の丸が一番大きいですね」と言ってしまうほど。
浅田真央と日の丸1

浅田真央と日の丸2

浅田真央と日の丸3
一目瞭然、カナダや韓国の国旗よりも日の丸が断然に大きい。
お~これは日の丸を手渡した人がエライ。
これで、私にはキムヨナより浅田真央の方が大きく見えた。
もう一枚。
浅田真央と日の丸4
これは朝日新聞には絶対載らない写真。
明日の朝日新聞が楽しみです。日の丸は載せないくせに、韓国国旗は一面を飾りそうなので……。
オリンピック開幕で日本人選手団の様子を報道しない「朝日新聞」って。なぜそこまで「日の丸」を嫌悪するのか。の記事。

コボちゃん 日の丸読売新聞の4コマまんが「コボちゃん」も日の丸を持っている。
朝日新聞では絶対にありえないこと。
高橋大輔選手が銅メダルを取ったときは、読売新聞や産経新聞が「日の丸を手にした高橋選手」を一面にもってきたが、朝日新聞・毎日新聞等は高橋選手だけで、会場の観客が振る「日も丸」も写り込まないような写真を使っていた。こんなところでも新聞各社の姿勢がよく分かります。

高橋大輔選手「日の丸が掲揚されると、再び涙が込み上げた。」「アメリカ国歌が流れたんですけど、日の丸を見るとうれしくてちょっと涙が出てきた」

 高橋大輔 (銅メダルを首にかけて)重い。実感はまだないですけど。(表彰式で自分の名前に)お客さんが盛り上がってくれたので、 すごくうれしかった。この場で日の丸が揚がって、すごく気持ちが高ぶった。うれしくてちょっと涙が出てきた。(今回は)試合が終わるまで、その時々を楽し めた。すごく充実したオリンピックを終えることができた。(時事通信)


フジテレビ「スーパーニュース」では、(日の丸を見ていて、涙が出てきましたよね。一番何が胸にこみ上げてきたんですか?)
安心感とうれしさですかね。

いいですね。日の丸に寄せる感情が心地いい。

でもこんなコメントでさえ朝日新聞では載ることはない。
ほんとどうかしている。

勝間和代の「皇室はコスト問題」発言にモノ申す。

週刊文春 2010年3月4日号にこんな記事が。

勝間和代「皇室はコスト問題」ぶっちゃけトーク公開

いまや著書の累計発行部数が270万部以上の超売れっ子経済評論家、勝間和代氏(41)。2月15日に日本外国特派員協会で行われた新書「チエンジメーカー」(講談社)のPRを兼ねた講演と午餐会で、テレビでは聞くことのできない“ぶっちゃけトーク”を繰り広げた。

記事の前半は「日本の高齢化問題」の発言を取り上げている。
問題は後半部分。

「そしてこの日、参加者の注目を集めたのは、次の発言だった。「勝間氏が“日本人は受け身だ”と発言したのに対し、日本人の女性記者が“日本人の依存心は天皇制への依存心と関係があるのか? 天皇制についてどう考えるか?”と質問した。すると勝間氏は、『ロイヤルファミリーが外交上に与える好影響を考えると、日本にロイヤルファミリーがあっても悪くないと思うが、コストの問題だと思う。国民がコストを払ってまでロイヤルファミリーを維持したいのであれば、(現状は)ある意味中途半端。もうちょっと、ロイヤルファミリーの幅を広げてあげないと、非常にロイヤルファミリーだけが孤立してしまって、逆に不幸な状態になっているのではないかと個人的には思う』と答えたんです」
発言の真意について、勝間氏サイドはこう説明する。「“コスト” というのは純粋に経済学的な意味でのコスト(予算措置)であり、“国民が天皇制を負担に感じている”といった意図ではない。国民や外国からの権威としての信頼度が高いのであれば、むしろもっと予算を増額すべきだということを説明した」
それにしても、皇室の存在までも「コスト」とは…。何でもカネに置き換える、人ぞ淋しき。

とあった。

さて、私はもちろん「勝間和代」がキライだ。これは過去記事でも書いたところ。「うの」と「カツマー」と「清貧の思想」
それに、「まだカツマーっていたの」とか「あの本の表紙のポーズはどうかやめてくれ」とか、常々思ってはいたが、いまさらそれは本当にどうでもよかった。
しかし、上記の記事は許せない。
これ本当なのだろうか。もし事実だとすれば、彼女は相当「イカレている」と言わざるをえない。
「チエンジメーカー」という本がどんな内容かは知らないし、興味もない。ただ、この女性記者の意地の悪そうな質問からいって、「日本に大きな変革を求める」といったような踏み込んだ内容だったのだろうか。
そもそも、勝間の上から目線の発言は何なのだろうか。270万部も本を売った経済評論家は、そんなにエライのか。「国民がコストを払ってまでロイヤルファミリーを維持したいのであれば、……」などと言い放つ様は、いまどき共産党の幹部でももう少し表現に気を使うぞ。
「コスト」に予算措置という意味があるのか分からないが、ここでいう「コスト」とは明らかに「コストパフォーマンス」のことだろう。「投入される費用や作業量に対する成果の割合」つまり、「皇室の存在」を金額換算して、ただの外交の道具の一つとしか見ていないということだろう。
また、この弁明の説明文を読んでも「効果が高いのなら費用を掛けるべきだ」という意味なので、結局同じことを言っているのに過ぎない。
では、逆に「外交でコストパフォーマス」が得られないとなれば、皇室は不要で「予算カット」を要求し、「中国のお偉いさんとの会見」を拒否でもしたら、外交的価値がないといって「天皇制廃止だ」とでも主張するのだろうか。

「文化概念としての天皇」の価値というものが分かっていないから、こういうことを言うのだろう。
「文化」というものを貨幣価値で評価することは難しい。それが念頭にないと、「蓮舫」のように事業仕分けで「文化事業の予算」をバンバン切っていくことになるのだ。勝間はレンホウと同じだ。(過去記事)

「国家=文化」、こういう意識が少ない人物が、今の日本では影響力の大きい地位を占めている。
これは実に憂うべき事態だ。


ただ、ここでは一つ「皇室の予算を増やす」という点だけには賛成しておこう。
ここで福沢諭吉の「帝室論」を引いておく。
福沢諭吉「日本皇室論」現代語訳(島津書房)
福沢諭吉「日本皇室論」現代語訳(島津書房 財団法人・無窮會) 池田一貴・訳 平沼赳夫・監修 から、その一部。

帝室は人心収攬の中心となり、国民政治論の軋轢を緩和し、海陸軍人の精神を制御して使命を与え、孝子・節婦・有功の者を賞して全国の徳風を篤くし、文を尚び(とうとび)、学士を重んじるという実例を示して、わが日本の学問を独立させ、芸術を衰頽以前に救出して文明の富を増進するなど、その功徳が至大至重であることはいうまでもない。
ところが、軽はずみな書生輩は、こうした大徳の重要性を弁える(わきまえる)ことができず、たとえそれを口にしても、まったく心がこもっていない。畢竟、無知の罪なのだ。一方、丁重で着実と称する長老の輩も、じつは案外性急であり、熱心さが昂じて過激になり、かえって恩徳のあることを忘れて、狼狽し騒ぐ。これもまた、無知の罪である。無知の罪は、下心があって意図的にそうしているのではない。だから、これを恕し(ゆるし)、正常に帰ることを期待したい。
天下が皆、正常に帰着したとしょう。そこで帝室が、これまで述べてきたような事柄に着手しようとするとき、第一に必要なのは資本である。明治十四年度の予算を見ると、帝室及び皇族費は百五十万六千円で、宮内省の定額は三十五万四千円とある。この金額が多いであろうか、少ないであろうか。
イタリアの帝室費は三百二十五万円で、皇弟の賄料が六万円、皇甥のそれが四万円、その他、国皇の巡狩費または皇居建築修繕費などは別に国庫から支出するという。英国はその富裕のわりには、他の諸国に比べれば帝室費が少なく、二百万円以内だがその他にランカスター候国から入る歳入もある。ゲルマン(ドイツ)は三百八万円のほかに、帝室に属する土地山林がはなはだ広大で、そこからの歳入はことごとく宮殿と皇族の費用に充当される。オランダは三十一万二千円のほかに、かつて第一世ヴィレム王の時代から王家の私的財産に属するものが非常に多いという。
右の各国に比べると、わが帝室費は豊かとは言えない。金員の額も少ない上に、帝室の私有財産たる土地もなければ山林もない。今後国会開設以後においては、必ず帝室と政府との会計上もおのずから区別されなければならないので、今から帝室の費用額を増やすべきであり、また幸いにして国中に官有林も多いので、その一定部分を割いて永久に帝室のご所有に供することも緊要であろうと思う。
パシーオ氏は英国政体論でこう述べている。
「世論ではいろいろな意見が喋々される。例えば、帝室はすべからく華美にすべきだ、と言う者がいるかと思うと、いやすべからく質素であるべきだ、と言う者もいる。はなはだしいのになると、華美の頂点を極めるべきだと言う者がいれば、これとは正反対に帝室を廃止すべきだという者までいる。しかし、これらはその場限りの空論でしかない。今の民情を察して国家の安寧を維持しようとすれば、中道の帝室を維持することが緊要なのである財政運用の観点から観察すれば、例えば、人心収攬の中心という機能を発揮するために百万ポンドを帝室に奉じることが最良の策だとすれば、百万は百万の働きをすると言えよう。ところが、これを削って七十五万ポンドとし、運用法を変えた結果、人心を得ることができなかった場合は、結果七十五万ポンドは全損ということになる。これは拙劣もはなはだしい政策である云々」
これは、簡単な議論ながら、事理を尽くしたものということができる。すべて帝室の費用は一種特別なものである。公然たる費用があるのは当然だが、場合によっては、使途自由にしてほとんど帳簿に記す必要もないような費目もあるだろう。これは最も大切な部分である。
例えば昔、フランス皇帝第一世(ナポレオン1世)の先后ジョセフィーヌは高名な賢婦人で、常に内助の功によって皇帝を支え、皇帝の過失を補い、宮中(帝室)と府中(政府)とを問わず、人心を掴んで離散させないように努めていたが、皇帝の心変わりで皇后を離縁して以来、たちまち内外の人望を失ったことがある。近年では、今のイタリア皇后マガリタはつとに賢明順良と評判だった。よく人心を収めて皇帝を輔翼(補佐)し、間接的に、政治上の波風も平素も皇后の徳によった鎮静したことが少なくないという。
このように、帝室の徳が民心に伝わるのは一種微妙なものであり、冥々の間に(自然に)尋常ならざる勢力を盛んにすることもできるだろう。ふだんなら万乗(一万台の軍用車)を率いる皇帝が、お忍びで外出し、貧しい男を助けたことがきっかけとなり、その地方の人民が殖産の道に励むようなことがある。一兵士の負傷について質問したことが、三軍の勇気を奮い立たせたこともある。花の筵、月の宴などについても、決して軽視してはならないのである。
こうしたことにつけても、必要なのは財である。しかも、その財を費やしても、帳簿に記入できない費目もあるだろう。私は、細目を論じているのではなく、ただ皇室費が全体として豊富になることを祈っているのである。

福沢諭吉の天皇・皇室観は現代にも合う。
勝間和代に言いたいのは、まず「日本の文化、歴史、伝統」をよく考量した上で「皇室・天皇陛下」のことを語ってもらいたい。すべてをカネに換算して思考するだけが正しいのではない、と知るべきだ。

勝間ついでにあと一つ。
最近、香山リカと勝間の論争を売りにした雑誌を見かける。
あれは、私から言わせてもらえれば「似たもの同士の茶番劇」「安ぽいマッチポンプ」。
この二人、主張していることは一見正反対のことを言っているように見えるが、実は同じことをいっているのだ。
ともに「個の確立」を説いているにすぎない。要は「どうすれば“幸せ”になれるか」「どうすれば自己実現されるのか」というものを説いているだけで、その方法論の違いを言い争っているだけだ。(あくまでも商売上の戦い。いや上手くやって、雑誌でちょこちょこ、二人仲良く細かく稼いでますね。香山リカも勝間と同じで、細木数子方式で自分を売り込むことに余念がない。)
二人の説く「やり方」は違うようだが、目指しているところは同じ。「個の実現」ということでは、目的は同じなのだ。彼女らにとって、あくまでも大事なのは「自己の確立」「自己実現」、「自分」、「個人」「わたし」「あなた」「しあわせ」しかない。
そして重大なことに、そこには“公”という概念がまったくない、ということ。
「迷える人びと」を「自分が編み出した方法論」で、諭し、導いていく、という点では、まさに宗教と同じで、勝間もリカちゃんも、ある種「教組さま」。そうやって「辻説法」でもして、信者を増やして、自分の本を互いバンバン売り込んでください。(香山リカも新しい方向性・飯のたねを見つけたようで…、いまどき「プチナショナリズム」じゃ食っていけないから…)
どうぞ、それはあなたたちの自分の領域内で勝手にやってちょうだい…。

ただし、一言付け加えれば、
くれぐれも「皇室」や「日本文化・歴史・伝統」には踏み込んでこないように……。
くれぐれも……。

「安土」の地名を消すな! そして「新田」の地名を再び!

平成22年2月24日、テレビ朝日の「スーパーモーニング」を見ていたら、「近江八幡市・安土町合併」問題を取り上げていた。
「安土町(あづちちょう)は、滋賀県東部の、琵琶湖東岸に位置する町。日本史の時代区分の一つである安土桃山時代の語源ともなった安土城が建てられた地として知られる。」Wikipediaから。
織田信長ゆかりの地で全国的にも有名だ。
その「安土町」が合併によって、その地名が消えてしまう危機にあるという。
安土 信長の館(安土町にある「信長の館・安土城の天守上部復元」の画像)

こうして歴史的な地名が消えていくことに、私は深い怒りを感じる。
ここで過去記事

「新田」という地名、さてなんと読みますか?

さて、読まれている方の中で、住んでいる場所の近くに「新田」という地名があったら、何と呼ばれていますか?
かなりの確率で「しんでん」と呼ばれているはずです。

あさのあつこ氏の小説「バッテリー」では、主人公が活躍する場所が、岡山県の新田市ということになっています。これは架空の地名で、ここでは「にった」と呼んでいます。

さて「新田」と書かれていれば、大体「にった」と読みますが、地名となるとほとんどが、「しんでん」となります。
検索してみると、「にった」と呼ぶのは千葉県千葉市新田ぐらいで、ほかの宮城県中新田町、愛知県高浜市新田、岩手県盛岡市新田町、山梨県甲府市新田町、山形県東根市新田町、東京都足立区新田、京都府宇治市新田、長野県や新潟県の各地にあるこれらほとんどすべてが「しんでん」とよんでいるんです。
なぜこうなるかは、意味があります。
江戸時代を中心に新田開発が進みそこから、地名を「しんでん」と名付けたというのが多いようです。
しかしそれだけでしょうか。
私の考えでは、「にった」と呼ぶことがためらわれたか、江戸幕府による「新田」の徹底した封印が行われたからではないか、ということです。(あくまでも私個人の仮説であり、詳細は歴史ミステリー小説「東毛奇談」第3章の徳川家康改姓のことで書きました。興味のある方は、のぞいて見て下さい)

そして群馬県新田町です。
ここでは新田と表記して「にった」と呼ばれていました。新田一族の本拠地であり、徳川家発祥地の尾島町は新田郡の中にありました。独立した自治体で「にった」とよばれていたのはここだけだったはずでした。
でもこれらはすべて過去形で言わなければなりません。
その「にった」と呼ばれた町、郡は、太田市に吸収合併される形で、今は消滅してなくなってしまいました。
国の地方自治体合併運動という名の効率主義のために「にった」という地名は消えたのです。800年以上続いた地名も消えるときはあまりもあっけないもので、新田義貞が名もない兵士に討たれて、犬死と評されたくらいの儚さです。
新田一族が守ってきた一族の名を冠した地名が消滅した(合併した)のは平成17年3月のことでした。

一度消えた地名は元には戻らない。
合併しても、○○市××町として地名が残るからいいじゃないかという意見もある。(ここでいえば、近江八幡市の安土町、太田市の新田として)
一見いいように見える。だが、この妥協によって、結局は歴史的価値のある「地名」が消えていったのだ。

先日、新田氏ゆかりの生品神社で新田義貞の銅像が盗まれた。この事件はNHKニュースでも放送されたが、「群馬県太田市にある生品神社で……」となる。決して群馬県旧新田町とはならない。私に言わせれば、これは「新田氏」にかかわる「新田町」のニュースだ。過去記事 
また、斎藤佑樹くんの話題がマスコミで出るとき、「群馬県太田市出身」と紹介される。これだって私に言わせれば「群馬県新田」の出身だろう。なぜなら彼は「新田一族の生まれ変わり」だからだ。関連記事

公共施設の名称も「新田町図書館」が「太田市新田図書館」となり、「新田町役場」は「太田市市役所新田支所」となる。商業施設も「新田店」が「太田西店」となっていく。こうして徐々に徐々に「地名」は失われていくのだ。

これはその地域に住んでいる方々だけの問題ではない。
滋賀県の「安土」の問題も人ごととは思えない。
地元の方々、ここは是非とも踏ん張って「歴史ある地名」を残してください。

そして、「新田市を誕生させる会」発足。いまこそ新田源氏の名を地名に!を再び!

その他の関連記事





福沢諭吉と三島由紀夫と新井白石は、「天皇を文化の象徴として、日本を守る」という点において同じ主張をしている!

天皇・皇室を文化の象徴として、日本を守る。
福沢諭吉の「帝室論」「尊王論」などで説いていることと、三島由紀夫の「文化防衛論」等で主張していることと、そして新井白石の考えていたことが、大枠で同じなのではなかったのか、今そんな考えに取りつかれています。

これを直感的には掴んでいるのだが、説明する段になるとどうにも難しい。

ということで、諭吉と三島と白石をチャンポン・同時進行で読んでいます。

だた、何でこんなことしているのか自分でも分かりません。
誰かに頼まれているわけでもないのに……。
こんなの、一生かかっても終わらないだろうに……。
と、ここのところ意気消沈気味。

それでも少しずつまとめて載せていきます。

これが最後には「新田義貞伝承を追う! 実は東毛奇談の続編」につながるわけです。(何のことか分からないと思いますが……)



市川右近が新田義貞を演じる!?

歌舞伎俳優の市川右近(46)が3日、神田明神(東京都千代田区)で豆まきに参加した。4月に新橋演舞場で上演される「四谷怪談忠臣蔵」で新田義貞などを演じる

(スポニチ02・03)という記事が。
これは、どうやら市川猿之助の「四谷怪談忠臣蔵」を市川右近が演ずるということなのか。
過去記事

新田義貞 市川右近

松竹のサイト「通し狂言 四谷怪談忠臣蔵」から  http://engekilife.com/play/15106

『四谷怪談』と『忠臣蔵』二つの世界が一つになって、縦横無尽に駆け巡る!
澤瀉屋一門が魅せる猿之助エンターテインメント!!

鶴屋南北の傑作『東海道四谷怪談』は『仮名手本忠臣蔵』の外伝という構想で描かれました。『四谷怪談』に登場する民谷伊右衛門は、実は浪士として、討入に加わるべき存在だったのです。江戸時代、『四谷怪談』が初演された折には、『忠臣蔵』と場面を交互にして、二日間にわたって上演されました。市川猿之助は、この構想を生かし、昭和五十五年四月に両作品を一つにした『双繪草紙忠臣蔵』を昼夜で通し上演。平成十五年七月には、猿之助歌舞伎のエッセンスをさらに盛り込み、全く新しい発想のもと、両作品の登場人物たちが縦横無尽に駆け巡る『四谷怪談忠臣蔵』を創り出し、いずれも大きな人気と評判を集めました。
物語は、高師直に新田義貞の霊が乗り移る発端から始まります。序幕は『忠臣蔵』の「松の間」「判官切腹」の後、『四谷怪談』の世界になり、「浅草観音」「伊右衛門浪宅」までがスピーディーに展開され、幕切れの「両国橋」では、きらびやかな花火を背景に、義貞のご落胤である大盗賊の暁星五郎が飛行の術を使い悠々と去っていく姿を宙乗りで描きます。二幕目以降も『四谷怪談』の「隠亡堀」、『忠臣蔵』の「討入」と随所に名場面が続き、大詰には何トンもの本水が降り注ぐ「大滝」が舞台上に出現。豪快な立廻りをご覧に入れます。
今回は、市川猿之助が演じた直助、暁星五郎、天川屋義平の三役を市川右近が勤め、澤瀉屋一門が総出のもと、坂東彌十郎、市川門之助が加わり、波乱万丈、見どころ満載の舞台に挑みます。陽春ならではの超大作にどうぞご期待下さい。



「仮名手本忠臣蔵が新田一族の鎮魂劇である」と私は思っていうので、これは以前から気になっていたもの。しかし、まだ見てません。
行きたいのですが、これがなかなか行けない。
残念。

とりあえず東毛奇談 第五章 仮名手本忠臣蔵のこと。でもリンクしておきます。



大変だ! 生品神社から新田義貞の銅像盗まれた!

大変だ!

生品神社から新田義貞の銅像盗まれる。
 19日午前11時ごろ、群馬県太田市新田市野井町の生品神社から「新田義貞の銅像がなくなった」と市教育委員会を通じ110番があった。太田署は窃盗事件として調べている。
 市教委によると、神社は武将新田義貞が鎌倉幕府を討伐しようと挙兵した場所とされる。
 太田署によると、よろい姿で刀を両手で持っている銅像が、足元からもぎ取られた。高さ約80センチで約240万円。挙兵650年を記念し、1983年に境内に設置された。
 散歩中の住民が銅像がないのに気付いた。神社は「いたずらだとしたらひどい。早く戻してほしい」と困惑している。



NHKの首都圏ニュースでも放送していた。
新田義貞銅像 2

新田義貞の銅像 1

新田義貞 銅像3

詳細はまだ分かりません。
取りあえず、速報のみ。何か分かり次第書き足していきます。
明日、見に行きます。

当ブログでの生品神社の関連記事。
新田次郎氏と斎藤佑樹くん  その3
5月8日、新田義貞挙兵の日。生品神社、鏑矢祭。
生品神社のあの「鈴」が新しくなってる! そして県下一宝くじが当たる「ジョイフル本田」で高額配当が当たった方へ
など。

追記(平成22年2月20日)
早速、生品神社へ行ってみました。
この日の生品神社この日の生品神社。

新田義貞銅像5
銅像の台座部分。ない、なくなっている!
新田義貞銅像 4
良く見ると、接合部分のネジが外され、銅像を後に倒してから、引き抜いたという感じだ。かなりの力技である。一人ではできない。複数犯だろう。台座も1メートルはあるので持ち上げるにしても重かったはずだ。
一度、二度の下見はしたはずであり、昼間はそれなりに人目もあるので、(近くには眼科医院があり、通学路でもある)盗まれたのは夜か早朝だろう。となれば、かなり寒かったはずである。ここ数日は雪も降り、うっすらと積もっていたからだ。
そこまでして盗むとすれば、ただのイタズラではない。何が目的だろうか。仏像なら売ることもできるが、銅像となると売ることは難しいのではないだろうか。それも人気の戦国武将や幕末の人物というわけでもない。
何故「新田義貞」、何故「生品神社の銅像」なのか、そこが分からん…。
新田義貞銅像 台座
台座の裏側に銅像の由来が彫られている。「昭和16年3月10日に職員(23名)と児童(1654名)の勤労作業及び廃品回収作業の収益金をもって新田公の偉烈を偲い建設された銅像を挙兵650年を記念してこの地に安置する。」そうこれは、地域住民の子どもらの「勤労奉仕作業」によるお金によって建てられたもの。
これを盗むとは、盗難犯は許さん!
新田義貞銅像 中曽根康弘
盗まれた銅像の横には、中曽根康弘元首相の「挙兵650年祈念碑」がある。
中曽根康弘が新田一族の末裔(里見氏系)であることは、過去記事で書きました。

それにしても、この銅像を盗んでどうするのか。
そこを犯人に聞いてみたい。
そして何よりも「新田義貞公」の銅像を粗略に扱っていないか、それが心配である。

この記事は、何か分かり次第、書き足していきます。


私は、「国母選手」より「ホリエモン」とか「河野太郎」とかの方がヒドイと思う。

もういいやと思っていたが、 この話題について。

服装の乱れやもの言いで議論を呼んでいたバンクーバー五輪、スノーボード・男子ハーフパイプ代表の国母和宏選手(21)が2010年2月18日、決勝に進出したものの、8位に終わった。

この日のテレビのワイドショーを見ていたが、「母親が『至らぬ息子で御免なさい』とインタビューに答える」とか、「難病の友人のために募金活動」とか、「地元取材ではいい青年だった」とか「年上女房、学生結婚で話題豊富」といった話をさんざん放送していた。
「服装の乱れ」国母和宏の一件に見る擁護派の思考。で前回書いたことだが、「オリンピック」で国民が期待しているのは、「物語」「グッド・ストーリー」である。
国母選手には「逆境をはね退けた」「オレ流貫いてメダル獲得」「どうだ、見たか! 腰パンパワー」とかそういったタイトルが紙面を飾って、「悪役」から一気に「英雄」へというドラマを期待していた。2日くらい前から、「バッシング」から「擁護」へと世間の流れがあり、国母選手物語は「復活」「逆境を覆す」という筋書きの「物語」となるはずだった。そんな劇的な「ドラマ」があることをオリンピックに求めているのだ。
だからこそ、マスコミやネットで盛り上がり、どんどんハードルを上げていったのだ。

だが、結果は……。
「勝てばいいんだよ」「結果を出せば文句は言わせねぇ」という話にもならなかった。

ここまで、メダルの獲得数は少ないし、場つなぎとしては十分話題作りに役だったと、マスコミと思っているでしょうが。(こうやって、世論はマスコミに作られて行くんでしょうね)

あと、気になったことが一つだけある。
それは、河野太郎のブログで書かれた「ルールと価値観」という題名の国母氏の擁護論だった。
http://www.taro.org/2010/02/post-716.php
これは酷い。ホリエモンの記事と双璧を成す。
擁護すること、批判することは、別に構わない、それは各個人の考えだから。またそれをネットに載せようと、公式の場でしゃべろうと一向に構わない。どんどん発信していくべきだと思う。過去記事
だが、これはどうも気に入らない。なにかどうも論点がズレているような感じがするからだ。(特に最後の自分の話は意味が通じない。)
ここでも、謝罪会見にあまり触れていない。
擁護派の多くが、服装の乱れについて述べ、それは価値観の違いだからとか、注意しない周りの大人が悪いとか、マスコミが騒ぎ過ぎとか、ピーコはあのファッションはおかしくないと言っていたとか、そんな論議になってしまう。会見の件は一端外して、なんて言う人もいる。
これは、ホリエモンもそうだが、服装の乱ればかりを注視し、なぜこの件がこれほど大きくなったのかという点を見ていない。何度も言うが、この件は明らかに「あの謝罪会見」の不味さに問題があったのだ。何か不祥事が起こり、謝罪会見をしたりするが、それがかえって事を大きくしていることが多い。

例えば、トヨタのリコール問題の社長の会見、小沢一郎の天皇陛下異例会談の時の逆ギレ会見、朝青龍問題の高砂親方の会見、故中川昭一さんの会見、船場吉兆の腹話術会見などなど、事が起こった後の対応の拙劣さが、事態を悪化させている件はいくらでも上げることができる。

「謝罪会見」をするときに必要なのは、真摯な態度。
そのとき、当事者が「不謹慎な態度」を取るようなことになれば、まさに火に油を注いでいる状態となる。
今回の件もあの時「すいませんでした」と真面目に謝れば済む話だったろう。
大人とは、腹では「何だよ、うるせ~な」と思っていても、表向きは「ほんとに申し訳なかった」と言うものだ。
社会人となり会社にいけば、そんな場面の連続だ。
「この頭は何に使うか知ってるか? (頭は)使うためにあるんじゃなくて、下げるためにあるんだ」と会社の上司が言っていたという話を聞いた。

「オリンピックで人生を変えるつもりはない」と国母選手は豪語していたらしいが、逆の意味で彼の人生に今回のオリンピックは影響を与えたといえるだろう。

今回の件では、「ホリエモン」や「河野太郎」など、私の嫌いな人々が擁護派に回っていた。しかもその論理たるやお粗末と言える。彼らは「服装が乱れていてもいいじゃないか」「それを許さない社会が悪い」といった論理で、最後には、自分らの話を持ち出して「自分を擁護」している。これが「自分勝手」な話の連続だ。読むに堪えない。
彼らは十分に大人であり、社会的にも立場がある人なんだから、もう少しは「大人の意見」を聞かせて欲しい。これでは「2ちゃんねる」の方が余程まともな話が聞ける。
私は、国母選手よりも、こういったトンチンカンな意見を言う人(しかもこうした有名人や政治家)の方が問題だと思う。



日本人にとって神社とは?  日本人度チェック付き

神社違憲問題の続報。
ここからの続きなので、まずそこを読んでから先に行って下さい。

以下の新聞記事は、朝日新聞 平成22年1月27日付けのもの。

神社判決  悩む自治体  違憲の無償提供全国に多数、売却なら住民負担  たどったら江戸時代
北海道砂川市が市有地を神社に無償で提供しているのは「政教分離原則に反して違憲だ」とした最高裁大法廷判決の波紋が広がっている。全国で同様のケースが次々と判明。ただ、提供の経緯をたどると江戸時代までさかのぼるような「地域密着型」の施設もある。違憲解消のために有償に切り替えるのも容易ではなく、各自治体は頭を抱えている。
 
問題の「震源地」となった北海道。明治から昭和初期にかけての開拓時に道内各地で神社が建てられた経緯がある。こうした中には、自治体が公有地をただで貸している例が少なくない。
北見市では15の神社に無償で提供していた。「最高裁が違憲した以上、何らかの方法で解決しなければ」と神社を管理する地元住民と近く協議する。22日には、市議会でこの方針を説明した。
最高裁は判決の中で、違憲状態を解消するには氏子側に土地を譲渡したり有償で提供したりといった手段があり得ると言及した。ただ自治体にしてみれば、そうは簡単にいかない事情もある。
7神社に土地を貸す苫小牧市は「違憲判決は無視できない」としながらも「土地の売却や有償契約は住民に負担を強いることになる。地元の意向も十分聞きたい」という。
実際、道有地に立つ札幌市の「中の島神社」では、道が町内会側と売却交渉を続けてきたが、価格面で折り合えない状態が続いている。道有林課によると、札幌や函館の道有林には11の神社やほこらがあり、年3千~1万7千円で貸し付けているという。
高橋はるみ知事は21日の記者会見で、中の島神社のケースについて「放置するわけにはいかない。売却が理想だが、有償貸し付けなどについて調整したい」と述べた。

各地では、最高裁判決を受けた緊急の調査が行われている。静岡市は26日、その結果を発表。私有地65カ所で社や鳥居、地蔵堂など宗教的な建造物が見つかった。公園や道路、小学校、斎場など、その範囲は日常生活の隅々にまで広がる。今後、所有者や設置の経緯などを調べるが、時間がかかりそうだ。
というのも各地で見つかっている「無償提供」例の中には先祖代々続いてきたケースが少なくないからだ。
長崎市では、キリスト教弾圧で殉教した26人をたたえる「日本二十六聖人記念館」のほか、二つの神社が市有地にあった。市は「江戸時代に住民が建てたようだ。市が土地を提供したというよりも神社が立っていた土地が市有地になった」。
岩手県では盛岡市で7件見つかったが、2件は管理者がおらず、朽ち果てている状態。宮古市では市有地にある5神社のうち、熊野神社の歴史は1539年にまでさかのぼる。土地は市と神社の共有で、昔から、正月や祭事には市民が訪ねる。
裁判所の土地に宗教施設があったケースもある。徳島地裁の敷地には昨年5月まで、御倉稲荷社というほこらがあった。1876年に高知裁判所徳島市庁が開設されたときにはすでにあったらしい。「国有地に神社があるのは問題」と1987年に県議会で指摘があり、20年余りを経て、市内の神社に移転された。
神社4カ所に無償提供している山梨県都留市の担当者は「何らかの対応をせざるを得ないが、今の状態が生活に溶け込んでしまっているので、簡単には変えられない」と苦慮している。


アサヒドットコムから
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000001001270003

静岡市は26日、鳥居や地蔵など宗教的ともとれる建造物や工作物が、市有地65カ所に計80件あることを確認したと発表した。北海道砂川市が神社に 土地を無償提供していることについて、最高裁が違憲と判断したことを受け、緊急調査した。同様に調査する自治体も出始めたが、どこまでが違憲なのか判断に 悩むケースも多いようだ。
 静岡市は22日から25日にかけて調査した。疑わしき対象はすべてリストアップする方針で、さらに増える可能性もあるという。
 65カ所の内訳は、自治会館の敷地として無償貸与している土地のほか、公園、道路、学校、斎場など。確認された建物や工作物には、鳥居14件、社6件、ほこら6件のほか、地蔵尊、閻魔(えんま)堂、庚申(こうしん)堂、石碑、忠魂碑が含まれている。
 市は今後、管理者や祭事の実態、設置経緯などを調べたうえで対応を決める方針。だが、はっきりした判断基準があるわけではない。
 今回の判決で、最高裁は「宗教施設の性格や無償提供の経緯と態様、これに対する一般人の評価などを考慮し、社会通念に照らして総合判断すべきだ」との基準を示した。表現が抽象的として、線引きに苦慮する自治体が多いのが実情だ。
 近く調査を始める県の担当者は「どの程度で『宗教的』なのか判断が難しい。外形的にしっかりとした構造物があるなど、問題になる可能性があるものに限って調べるといった方法も必要かも知れない」と指摘する。
 これまでの調査で、疑わしいケースが数件確認されている三島市では、共有財産が市有地となったケースや小さなほこらなどが、そもそも宗教施設に該当するのかなど、検討を積み重ねているという。

日本人にとって神社・神道は、生活レベルまで密接に結びついており、切り離すことなど到底無理なことなのに、最高裁はこういった点を全く考慮せず、「政教分離」という一点のみによって判決した。この判決が、こうした混乱を引き起こしてしまったのだ。(これから先も全国で混乱が予想される)
そもそもこの北海道の砂川市の件も、2人の老人の戦争体験と神社・皇室へのルサンチマン(怨念)によって起こされてたものであった。これが日本全国にどれだけ影響し、日本の根幹を脅かすものであるのか、彼らは考えたことがあるのだろうか。それでも彼らは、神社を見れば「軍国神道だ」「先の戦争に結び付く」と騒ぐのだから始末に負えない。

彼らの最終目的は「神社や鳥居を破壊し、その敷地を取り上げること」にある。これは前回触れた。
ハッキリ言って、これは静かな「文化大革命」なのだ。
日本の「歴史・伝統・文化」そして精神を破壊し、アイデンティティーを崩壊する出来事であり、それはいま現在、静かに潜行されている。
別に外敵は武器を持って日本に攻め入らなくても、内部から崩壊させる事が出来る。彼らはどこを攻めればいいか十分に知っている。それは「神社・皇室」(=日本文化)である。

では、「神社は違憲だ」などと言う人たちにとって、どこまでが許容範囲なのか教えて欲しい。
いくつか例を出してみましょう。
豆まきこれは、神社での節分・豆まきの様子。場所は東京・府中の大国魂神社だ。
この日は 芸能人、ラグビー、サッカー選手や、仮面ライダーも来る。
「神社」に怨念を持っている人々はこういうのも嫌うのだろうか? だったら「神社・神道は軍国主義につながるから反対だ」と抗議しに行けばいいのに。こういうのは許すのだろう。

奉納相撲これは、奉納相撲。四股を踏むのは朝青龍。そして場所は「靖国神社」だ。
ほらほら、「神社は違憲だ」という方々、早く反対運動でもすればいいのに。でもそういう無茶はしない。適当な反対運動だ、こういうご都合主義が許せない。
神事相撲は全国で4000以上が現在でも執り行われている。相撲と神社は切り離せない関係にある。(神事としての相撲)
「神社は違憲だ」という人が相撲を見ていたり相撲の話をしていたら、突っ込んで上げてください。
巫女これは「巫女のキティちゃん」、ほらほら「神社は違憲だ」という方々、こういうのも怒らないと。巫女は神子と表記し、「神に仕えて神楽・祈祷を行い、または神意をうかがって神託を告げる者」という。
こういった「かわいいもの」で子どもらを「国家神道」に洗脳しているとでもいうのだろう。そしてそれが「戦争につながる」といった妄想につながっていくのだろう。

らき☆すた 神社これ鷲宮神社にある「らき☆すた」の看板。「神社は違憲だ」の方々、こういうのもケチをつけないと。「オタク」や「アニメファン」に、「神社は過去に戦争を引き起こたものだ」と切に訴えて「戦争の脅威」からどうぞ彼らを救ってあげてください。
きっとその「何でも戦争に結び付ける妄想ぶり」に呆れられ、「2ちゃんねる」に書かれまくられ、「ツイッター」でつぶやかれまくられますから。過去記事(「アニメファンの聖地「神社」)
アンパンマン ひなあられアンパンマンのひなあられ。
「ひな祭り」がお内裏さまとお姫さまを飾るというのでも分かるように、元をただせば「宮中」つまり「皇室」を祀る行事だということだ。「日教組」の強いところは「ひな祭り」を否定しているという話も聞いた。
しかしこれほど民間に広まっている行事もないだろう。
「神社は違憲だ」などという人々は、自分に娘(孫)がいたとしても、その信条から「ひな祭り」をしてこなかったのだろうか。普段は「反日」「皇室反対」などと言っているのに、こういった行事だけは世間体を気にしてしているのだろうか、そういうのをどこで線引きしているのか、問いただしてみたい。
開運ばかうけこれは、「開運ばかうけ」という商品。受験シーズンになると「合格祈願」のお菓子や食品が大量に発売される。そのパッケージには、神主や巫女、神社がプリントされている。そしてスーパーやデパートなどの売り場には段ボールの「鳥居」などを飾って「神社」を模しているものが作られている。
これを見て「軍国主義だ」「あの戦争では……」などと思う人はまずいない。しかし、世の中には、自身の戦争体験から異常なまでの神社への怨念を持っている人がいる。そんな人々が「神社は違憲だ」と訴えて、それに乗っかる「反日」勢力がいるということだ。

それにしても、「神社は違憲だ」という人々は、自分の子ども(孫)が「合格祈願のお守り」を持っていたら怒るのだろうか。
そういうのが不思議
七五三 神社これは「七五三」の写真。この他にも「お宮参り」「産土参り」などがあるが、「神社は違憲だ」と唱える人々は、自分の子どもや孫にこうした行事をしてやったのだろうか。
「神道は軍国主義につながる」と主張する人々は、一切の神事、神社にまつわる行事をしないのだろうか。「初詣」は? 新築するときの地鎮祭は? 結婚式で三三九度をやったら「それは、軍国主義だ」とでもいうのだろうか?
たまたま入った食堂に、神社で買った「熊手」や「商売繁盛のお札」が飾ってあったら、それは「軍国主義だ」といって店主に文句でもいうのだろうか? 「交通安全」のお札をもらっても、うちは軍国主義のものはもらわない、と言って断るのか? 
娘や息子が「学業成就」のお守りを持っていたら、それは「軍国主義につながる」とでも言って捨ててしまうのだろうか……。こんなのはいくらでもある。
日本及び日本人にとって、「神道・神社」は到底切り離すことなどできない。

日本代表絵馬 写真は師岡熊野神社の「サッカー日本代表絵馬」。そもそも、日本代表のシンボルマークは「八咫烏」であり、鹿島アントラーズのシンボルマークの鹿は、鹿島神宮の神鹿を模している。
また、サッカーチーム・ジェフユナイテッド市原が、姉埼神社で毎年恒例の必勝祈願を行ったときのミラー監督の参拝のコメントが面白い。「こういう儀式をしてチームにいいことが起こるなら何でもするよ」。外国人にも神社参拝がすんまりと受け入れられる。宗教の壁を越えている。「神社」とはこういう不思議な存在である。
さて、それにしてもサッカーと愛国心は相性がいい。スタジアムには「日の丸」の旗が翻り、顔に日の丸をペイントするサポーターがいる。
これをみて「日本はウヨク化している、危険だ」という人もいる。あれを見て「プチナショナリズム」なんていった目立ちたがりのサヨクがいたが、「神社は違憲だ」という人々と同じなのだろう。

必勝祈願 阪神 これは神社に必勝祈願する阪神タイガースの選手たち。他の球団もほとんど神社に参拝し、必勝祈願をする。スポーツ団体では普通に行われていることで、オリンピック・JOC幹部が明治神宮で五輪必勝祈願をしたといった記事も見た。大学箱根駅伝の選手たちが神社で、神主さんから祈祷を受けていた映像を見た。神社で「必勝祈願」をしたということに対して、怒る人がいるのだろうか?
「神社は違憲だ」「神社は軍国主義を連想する」と云った人々は、神社に行って「神の御加護」を得たスポーツ選手をどう見るのか、聞いてみたい。自分の信条を守りたいのなら、ほとんどのスポーツ観戦はできないことになる。
しかし、こういうのは許してしまうのだろう。

夏祭 神社 これは神社で行われた「夏祭」の様子。
これを見て怒る人はない。しかし今回「神社は違憲だ」と訴えた人は、祭りの金を徴収されたことが、事の発端だった。
世の中には、こういう偏屈な人がいる。自分の怨念を晴らすためには、多くの周辺住民の楽しみさえ奪ってしまう。
神社を見れば「我々は国家神道によって洗脳され戦場に送られ、上官に殴られた」「それもこれも軍隊が悪い、いやそれを指揮した国が悪い、いや日本国民をまとめた天皇が悪い」と思う。
その妄執が年を重ねても消えず、宿怨となり、「天皇」へ怨みを晴らそうとしても出来ることが出来ず、それを「神社」への怨みへ変えたのだ。
初詣 イメージ これは明治神宮の初詣の様子。
正月行事は元をただせばほとんど「神道」に関わるもの。だから「神社は違憲だ」なんていって最高裁まで持ち込むような人は、正月も普段通りに生活しなければならないだろう。
お年玉をあげる、餅を食う、日本酒を飲む、コメを食う、突き詰めていけば「日本人」の原点「神道」に行き着く。 芸能も文化も商売も、その歴史を辿っていけば、「神社」と関係してくる。
茂木貞純著「日本語と神道」(講談社)などを読むと、「たべもの」「いのち」「はし」「まつり」などなどその語源が神道から派生していることが良く分かる。そうなると彼らは日本語も喋れなことになる。彼は自分らの子どもにどんな名前を付けたのだろうか? 聞いて見てください。神道から派生した言葉が入っていたら、突っ込んでください。(例 売国奴政治家・福島瑞穂の「瑞穂」なんていうのはほんと彼女にはもったいない名前だ。「瑞々しい穂」つまり水とコメを表しこれほど日本らしい名前もない。)

このようにして見ていけば「日本人と神道・神社」は切り離すことができないことがわかる。
また普段は気が付かない日常生活レベルのものも数多くある。
だから最高裁の判決はどう見てもがおかしく、根本的に、争点となっている「政教分離の原則」という視点で「神社」を語ることがそもそも間違っているのである。

神社の否定は日本人のアイデンティティの根本否定に通じる。これは危ういことである。
北海道片田舎の小さな神社で起こった事件は、大きな意味を持った。
「神社は違憲」というのが「日本人の精神の破壊」を意味する。だからこそこれは、「静かな文化大革命」だといえるのである。(「文化大革命」は近代人類史上最悪の事件)

では、ついでにあと2枚。
上村愛子 日の丸これはバンクーバーオリンピックに参加する前の上村愛子選手。「日の丸」に書かれた応援メッセージをもらってうれしそうです。
しかし、世の中には「日の丸」に嫌悪感を覚える人もいる。それに「日の丸反対」の朝日新聞は、オリンピックでさえ「自国の国旗」が写った写真は掲載しない。過去記事
そんな中、日教組のような反日教師は「日の丸・君が代」は学校では反対して抵抗でしているくせに、こういったオリンピックやワールドカップ・クラッシックベースボールなどとなると、その声を上げないから不思議だ。日の丸・君が代が戦争に結び付くなら、そういうときにこそ反対運動をすればいい。どこにその狂おしいまでの熱意を隠してしまうのか。いつものようにキチガイになって声を荒げて訴えればいいのに。朝日新聞の投稿欄「声」にチマチマと書いてないで、そのご高説をさらけだせばいいのに、と私はいつも思う。

で最後は神社とは関係ないが、もう一枚の画像を。
ハイチ 自衛隊 これは自衛隊。これで、拒否反応を示す人も多いだろう。
でもこれはPKO活動で「ハイチ地震救済」に行くときのもの。
鳩山首相も「命を守る国、日本、まさにここにありということを世界に示してもらいたい」といつもの迷調子で訓示した。国連も現地も日本の軍隊(外国人からみればあれは明らかに「軍隊」でしょう)に大きな期待を寄せている。実際、被災地では日本の自衛隊の活躍は目覚ましく、現地では感謝される。
これに対し、朝日新聞や赤旗新聞のサイトは「派遣には慎重な対応を」などといった記事があった。ハイチへの救援が遅れたのは、こういった足枷手枷をはめてがんじがらめにした左翼マスコミではないだろうか。もたもたしている間にも命は奪われている。
それでも軍服姿で敬礼となれば「先の戦争」を連想してしまうだろう。この嫌悪感は「神社」の比ではないだろう。


さて、どこまでが許容範囲だったのだろうか。
「神社は違憲だ」「神社は軍国主義につながる」という人々は、もちろん「全部許せない」となるはずです。
そうでなければおかしい。
一つでも許せるものがあると言うのなら、
私は「あなた方の主張は一貫性がない」といって罵倒します。

「服装の乱れ」国母和宏の一件に見る擁護派の思考。

 公式服装の乱れと態度の悪さで批判にさらされたスノーボード男子ハーフパイプ(HP)日本代表の國母和宏の一件だが、このところ「擁護論」が出てきた。(本来「國母」ですが、ここでは「国母」の字で統一表記します。)

産経新聞記者の清水満の「別にいいのでは…朝青龍とは違う」では、「五輪選手として「品格がなっていない」と責められるのは、逆に違和感がありましたね。」「TPOを考えろって思ったけれど、ソレはソレで監督責任者が注意すればいい。ま、その前に、五輪関係者が過剰反応して?入村式を欠席させたりするから、かえってことを大きくした。いまどきの若者なんだから…で目をつむっていいケースだと思いますね。」といった論理展開で書かれている。これが、ベテラン新聞記者の記事だというだから、唖然とするばかりだ。記事に付いた読者コメントの方が正論だというのが救われる。

総合格闘家・山本“KID”徳郁の記事では、「このスノボの子はかわいそうだな」「試合前にこんなバッシングしてどうすんだよ。すんなら後にしろって感じだな」本当にニュースに出てくる自称評論家は気持ちのちっけえヤツらばっかだな」、「まだ朝青龍の事やってるよ暇なフニャチンばっかだな」といった内容。
まあ自分と重ね合わせ、「強ければいいんだよ」「結果を出したら文句は言わせない」という主張したいのだろう。


国母ファッションはスノボ「定番」 JOC目くじら立てすぎの声も
のコメントでは、大方が国母氏への批判だが、そんな中、こういうコメもある。
「macy200001 服装云々なんてどうでもいい話で、要は結果だろ。本当にくだらないニュースだ。国母も中途半端な反省会見などせず、自分も主張を貫くべきだと思う。まあ、このニュースを見て、物事の本質に目を向けず、型にばかりこだわってているところが、当に日本的。日本経済が行き詰ってるのも、その腐った思考を改められないからなのかもな。」

いうなれば「批判するのは、世間が悪い、社会が悪い、いや国民が悪い、結果日本が悪い」といったことらしい。
こういう輩は結構多い。同じような事件が起こったときに必ず吹き出てくる「結局、日本人が、国が悪い」といった人種である。一定数はいるようだ。
こういう変人の意見が読めるのが、ネットの利点であるともいえるが…。

また擁護派で多いのは「金メダルを取って見返してやれ」といった内容。いわゆる暖かい目で見守りましょうといったもので、これは、萩本欽一の記事にもあった。
同じような内容だが、正反対に「メダルを取ったら、逆におもしろくなる」という扇情型の人もいる。

私は、「服装が乱れている」といったことよりも、「あの会見」の方に問題があったと思う。
服装・髪型・鼻ピアスなどといった外見上のものはいつでも直せるし、監督者が注意すればいいことだ。
服装問題、それ自体は大きなことではない。
だからそこを問題点とすると、この件がなぜこれほどまでに大きくなったのかという本質が見えてこない。そこだけを見ればたしかに「騒ぎ過ぎ」ともいえる。
「いいじゃないか服装も個性だ」なんて擁護や、「TPOを考えればいいんだろ」なんていう話にもなる。
しかし、あの会見の何ともいえないイヤな感じ、そこに問題点がある。
服装の乱れといった表層的な問題のみを取り上げて意見を言う人は、浅慮だという他ない。
物事にたいする姿勢とか態度、応対の仕方などは一朝一夕には直らない。そして、あの会見を見れば、彼がいままでどんな生き方をしてきたのか、どういう風に社会に接してきたかが分かる。子どものころからチヤホヤされて「世の中をなめている」というのが透けて見えてくる、ここに反感をもってしまうのだ。(そう感じた人は多い)

人はスポーツを観戦するときに、どこを見るのか。
ただ、勝った負けたという結果だけを見ているわけではないだろう。
強ければいい、勝てばいい、結果を出せば文句は言わせない、といったものに、人々は案外反感をもつ。これは日本人に限ったことではない。
2009年大晦日の格闘技での青木真也を見て、「何だあれは」と怒る人が普通である。
「勝てばいい」「強ければいい」という論理だけでスポーツは成り立たっているわけではない。
そうでなければ、スポーツ観戦は、ただ「氷の上を滑っている」「デカイ男同士が殴り合っている」「球を投げて棒で打って走っている」というただの現象や運動を見ているだけということになってしまう。これでは何の面白味がない。
スポーツを見るということは、選手を演者として、そこに一つの物語(ストーリー・ドラマ)を見ているということなのだ。
オリンピックに参加するまでの過程、メダル獲得までの道程を知ることによって、この「物語」は更に面白味が増幅される。選手たち(演者)の過去や背景は一つの物語を作り上げる上での重要な要素であり、オリンピック選手になるまでのストーリーに観客たちは思いを馳せる。
そういった「物語」があるからこそ、初めて私たち観客は競技を観戦したときに、感動したり、感嘆したりするわけなのだ。
だからこの物語の演者である選手たちに、社会的規範やルールまでを求めてしまうのは当然であり、プライベートのことまで含めてすべてが「物語」の延長だからだ。

本日は2月15日なので、上村愛子が4位だったという報道が、新聞で埋め尽くされ、テレビのワイドショーは彼女のことばかり放送していた。上村愛子には「オリンピック雪辱の物語」「母娘物語」「新婚・夫との愛情物語」「引退後は夫婦でペンション経営」というものがあり、十分「物語」として語られる。惜敗の4位であっても「涙の会見」は十分、感動的ストーリーとなる。
それに比べ、過去の金メダルリストの里谷多英はどうだろう。普通ならメダルを2個も取って実績もある里谷にもっと注目も期待も集まるはずだが、結果のみの報道しかない。それはかつて、泥酔事件を起こし、あまりいい噂のない里谷。(例の流出ビデオもあるし)
彼女には語られるべき「物語」がない。

オリンピックに求められるのは、選手たちが紡ぎ出す「物語」なのだ。
これは、「青木美帆物語」「本橋麻里物語」「安藤美姫物語」でもいい。
だが今回の国母和宏はどうだろうか。
出てくる話は、どうも鼻に付くものばかり。
ここには、一般観衆が欲している「物語」がない。
しかも、オリンピックで紡ぎだされる期待すべき「物語」までも自らが壊した。
オリンピックで作られる「物語」に対する国民の理想は高い。
それは、「勝てばいい」「強ければ文句を言わせない」といったものではない。
あくまでもそこまでに至る美しい「物語」を求めているのだ。(メダルが取れれば尚更良いが)
その舞台を、あんなことで壊した国母に対して怒りがおさまらないのはそこにある。

そこを観客はそれを求めている。服装の乱れ云々といったことで怒っているのはなく、国民の求めている「物語」を作らず下らないことで「理想」(「オリンピックに幻想を抱き過ぎている」という人もいた)を壊したということに、怒っているのだ。だからこの件がオリンピックではなく、スノボーの国際大会とかなら、誰も文句は言うまい。

注目を集めれば公私を問わず社会的規範を求められるのは、芸能人でも政治家でも同じことで、これは朝青龍でも同様。こういったことを何て言っていいか分からずに「品格」とか「人格」とか「社会人として」と表現しているに過ぎないのである。

そんな中、擁護派において一番アホなのを載せておく。
堀江貴文、ホリエモンの記事だ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4604094/

服装に関しては原理主義者が多いのね。どうしても許せないって思っちゃうんだろうか。服装なんてどーでもいい派の私としてはなんかこの程度で強制送還なんてあほかいな、って思うのだが原理主義者にはどうしても許せないことらしい。
例えばゴルフ場なんか服装原理主義者の巣窟だ。来場するときはジャケット着用なんてざらにある。真夏まっさかりのときでもそうだったりする。そして襟付きのシャツでないとプレイさせてもらえない。これはほとんどのゴルフ場でそうだ。ポロシャツとTシャツなんてどこも変わらないと思うんだけど、そういう普通の感覚は受け入れられない。とにかく襟さえ付いていれば問題ないのだ。
しかもほとんどのゴルフ場で「イン」しなければならない。裾が出ていたら絶対駄目なんだ。腹が出ている私はどうしてもこれが嫌なんだけど。だってでっぷりと腹がベルトからはみ出るのはみっともないったらありゃしない。まあこれはやせればいいんだろうが、ゴルフの後はご飯がうまいんだよねぇ。。。
あ、競馬の馬主席もそうなんだよな。ネクタイ・ジャケット着用。でも女子は別に不要なの。なんだかなあ。一々ネクタイつけるの面倒だからジッパー式のネクタイ貰ったよ。これは凄い便利。結び目が超綺麗なの。絶対ジッパー式ってばれない(笑)
んで会見で肩肘ついて話したとか言われてまた文句言われてる。もうさ高校球児とかじゃないんだからさ。そんなんで文句言うなよな。ていうかイジメでしょこれって。まあ原理主義者は宗教みたいなもんだからその呪縛から解けない限りは、国母選手みたいなんは絶対「悪」なんだよね。んでさ、国母選手のほうも「なんでこんなんで文句言われなきゃいけないわけ?」って思ってるからイデオロギー対決で戦争状態になってたりするわけだ。
シーシェパードの問題とか、テロとかの問題となんら変わりはないな。お互い歩み寄るしかないのかな。でも本質的な競技の問題とは関係ないんだから、処分とかはいらないとおもうぞ。

この件を「服装問題」を表面だけで論ずるのは、浅慮に過ぎる。これはまさに、その典型。しかもそれを最後は「社会のせい」「日本が悪い」とする。これは中学生並みの発想だ。堀江貴文、人間が変わったと言われる。しかし、これを読んでも分かるが、本質的には何も変わっていない。

ホリエモンは、「儲ければいい」「金を稼げればいい」という風潮を世の中に植え付けた人間だが、それが「強ければいい」「勝てばいい」「結果を出せば文句はいわせない」といった論理を展開する人々と同じなのは納得がいく。
そして朝青龍や石井慧や国母和宏などが、みな堀江貴文と同じ思考である。
彼らは「日本の癌」である。
こういった「強ければいい。それが許されないのは、社会・国が悪い」といった風潮が蔓延している。これは良くはない傾向だ。

続きあり。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-715.html

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