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斎藤佑樹選手、地元に凱旋! そして誰かが言った「新田義貞に次ぐ『地元の偉人』だ」と…。

平成22年3月30日、夜7時から9時まで群馬テレビで「富士重工対早稲田大学」の野球の放送があった。
ローカル放送とはいえ、ゴールデンタイムにアマ野球の放送!?
というのも、斎藤佑樹選手が登板したからだ。

◆アマ野球オープン戦 富士重工3―2早大(30日・太田市民球場) 早大の斎藤佑樹投手(4年)が30日、地元の群馬・太田市民球場で行われた富士重工とのオープン戦で凱旋登板。観衆6000人が詰め掛けるフィーバーで、将来的に同球場を「佑ちゃんスタジアム」とする夢プランも浮上した。
 内野の人工芝を改装後、初の一戦で清水聖義・太田市長は「我々の後輩、斎藤君を迎えることができてうれしい」とあいさつ。郷土のヒーローを冠した球場名の変更案について「いいですね。いずれ外野の芝を張り替える時にでも」と前向きに語った。
 期待に応え、斎藤も同市の生品中時代以来となる群馬のマウンドで躍動した。自宅から車で約15分の同球場では念願の初登板。しかも先発で対する阿部次男投手(37)は小、中学時代に野球教室で制球の極意を学んだ師匠だ。06年の日本選手権MVP左腕と初対決で「スピードがなくても低めを丁寧について抑える阿部さんは、あこがれの投手。投げ合えて光栄でした」。互いに5回を投げて勝利は譲ったが、斎藤も最速142キロで9安打3失点に抑えた。
 集まったプロ4球団7人のスカウトにも健在をアピールし「ドラフトイヤーの今年、来られたのは大きい」。プロとして次に上州の地を踏む時は、ここが“ホーム球場”となっているかも―。

報知新聞http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/ama/news/20100330-OHT1T00302.htmから。
テレビからなので画像が悪いですが、こんな感じ。
斎藤佑樹と富士重工斎藤佑樹選手
日の丸とスバルと大中黒日の丸とスバルの旗と大中黒の旗(太田市の市章は新田氏の大中黒)、こういうのが気になる。
富士重工と大中黒そして富士重工の選手はユニホームの肩には大中黒がある。

「新田源氏」を背負って戦っている富士重工の選手たちと新田一族の生まれ変わりである斎藤佑樹が同じマウンドで戦っているんですから、私にしてみれば感涙ものです。
関連記事等は大体「斎藤佑樹選手は新田一族ですから…」にまとめてあります。

そして、翌日の新聞では、読売新聞、毎日新聞、東京新聞など一般紙から、日刊スポーツ、スポーツニッポンなどなどスポーツ紙まで、多くの新聞がこれを取り上げていた。「地元で親善試合をした」というだけでこれだけの記事になるのだから、斎藤選手の注目度は衰えることなく、今もってかなり高いということを再認識させられた。
そんな中、いい記事だったのが「朝日新聞」だった。

群馬県太田市出身で東京六大学野球の早大野球部で主将を務める斎藤佑樹投手(21)が30日、故郷に錦を飾った。社会人野球の強豪、地元の富士重工と練習試合で対戦し、市運動公園野球場でマウンドに立った。

 市によれば、同球場約31年の歴史のなかで、過去2番目に多い6千人の観客が詰めかけた。
 同市での試合で登板するのは、地元の生品中学から東京の早稲田実業に進学して以来初めて。
 斎藤投手と同じ旧新田町地区の女性(43)は、甲子園の決勝が忘れられない。公民館で大勢の地元の人たちとテレビ観戦したがものすごい熱気だったという。「斎藤君は地元のヒーロー。試合で投げる姿をぜひ直接見たかった」
 斎藤投手がかつて所属していたリトルリーグチーム「生品リトルチャンピオンズ」の現在のメンバー、篠塚洸希君(10)は「自分もピッチャーなので、うまくなって甲子園に行きたい」とマウンドの先輩を見つめた。
 少年時代の斎藤投手の試合を見たことがあるという男性(72)は「当時はずば抜けた印象はなかったが、立派に成長した。今や、新田義貞に次ぐ『地元の偉人』だね」。清水聖義市長は「斎藤君が地元のマウンドに立つことは私自身の念願でもあった。さらに全国に羽ばたいて」とエールを送った。
 試合は、先発の斎藤投手が序盤、制球に苦しみ、富士重工が3―2で勝った。斎藤投手は5回を投げて被安打11失点3だった。
 斎藤投手は「ふるさとで登板できてうれしい。0点に抑えたかったが、シーズン開幕に向けて勉強になった」と話した。母のしづ子さん(50)はバックネット裏から息子の姿を見守った。「大勢の人に歓迎してもらえて感謝しています」と語った。

http://www.asahi.com/sports/update/0330/TKY201003300500.htmlから。新田義貞に次ぐ『地元の偉人』、この一言に尽きます。

そして、読売新聞、上毛新聞では、斎藤佑樹選手の出身を「旧新田町(現太田市)出身」と記していた。
これはうれしい。
やはり、斎藤佑樹選手は新田(町)出身というのがよく似合う。
だって、斎藤佑樹選手は新田一族ですから…

さて、平成の大合併は終わり、太田市と大泉町の合併もなくなりました。
しかし、「新田市を誕生させる会」発足。いまこそ新田源氏の名を地名に!運動は続いております。
こういうのを機会に周知されていけたらと思っています。

追記 斎藤佑樹選手、生品神社には行ったのかな……。
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技術力が高く世界的に有名な日本の企業が、中国企業に買収された! 群馬県太田市から

日経新聞から

中国企業による日本企業のM&A(合併・買収)が本格化してきた。買収を足がかりにほかの企業と提携する動きもある。世界同時不況からいち早く抜け出した経済力を背景に、技術やブランドを求めて日本企業に触手を伸ばしている。

中国の波が群馬県太田市にまで……。
日本経済新聞、平成22年3月27日付けから

中国の大手自動車メーカー、比亜迪(BYD、広東省)は、日本の金型大手オギハラ群馬県太田市)の工場を4月に買収する。自動車の車体を複雑に成型できる高い技術と技能を取り込み、中国で生産する車種に活用する。中国の製造業は技術やブランドを持つ先進国の企業を買収する動きを本格化させており、同様の動きは日本でもさらに広がりそうだ
<中略>
従来金型も自社生産してきたがデザイン性と剛性が必要な車体用は特に難しく、複雑な曲面を多用する日本や欧米勢の車種とは商品力には差があった。このため、取引があったオギハラに工場買収を打診。設備過剰を解消したいオギハラも合意した。
 買収後は館林工場で高精度の金型をつくって中国に持ち込み、量産ラインで使う。中国人社員を派遣し、オギハラのベテラン技能者からの技術継承も目指す。金型技術を磨くことで、輸出も視野に入れた品質と競争力の向上を図る。
 オギハラはものづくりの基盤となる金型の技術の高さで知られ、国内外の大手メーカーに自動車用の製品を供給してきた。ただ円高と内需低迷などで1990年代半ばから業績が悪化。09年3月期の単独売上高は約225億円、最終損失が19億円と3期連続の赤字となった。
 この間、02年には米投資ファンドのリップルウッドによる買収計画が表面化。03年に大和証券SMBCグループが筆頭株主となり、09年にタイの自動車部品大手、タイサミットの傘下に入った。館林工場の売却で国内生産能力を2割程度削減し、収益力を立て直す。
 中国の製造業は技術力強化などを狙って先進国の企業や事業部門の買収に積極的。事例が少なかった日本でも、今年2月に部品メーカーの寧波韻昇(浙江省)が旧いすゞ自動車系の電装品メーカー、日興電機工業(神奈川県秦野市)を買収するなど次第に活発になっている。


オギハラといえば、「自動車用プレス金型」で有名な企業あり、そのホームページには「国内はもとより世界の名だたる自動車メーカーのほぼすべてにお取引きをいただいております。」とあるように高い技術力を有していた。
それが、自動車を中心にした産業の集積地であり、北関東工業製品出荷額第一位の都市である群馬県太田市にあったのだ。
地元民にしてみれば、こんな世界的に有名な企業があることが誇らしくもあった。
それが、中国の企業に買収されていく。これは実に象徴的事件だといってよい。
他に

中国の自動車部品メーカー、寧波韻昇(浙江省)は自動車部品メーカーの日興電機工業(神奈川県秦野市)を買収する。2010年1月末をメドに大和証券グループなどから発行済み株式の79・1%を買い取る。中国は今年にも世界最大の自動車市場になることが確実。海外企業を買収して技術や販路を取り込む動きが始まっており、その波が日本にも及んできた。

といった記事も日経にあった。日本で蓄積されてきた技術力や生産性や高い品質は、こうやって中国に流出していくのだろう。
ますます中国への警戒感は募るばかりだ。
日本vs中国4
関連記事
最近の中国の動き


日本は中国と同じ文化ではない。ここを強く主張しなければいつしか併吞されてしまうだろう。

「たかじんのそこまで言って委員会」の番外編「たかじんのいつまでも反中で委員会“アジアはひとつになれるのか”」・平成22年3月14日放送分を見た。
(群馬県人なので見るのが大変だ。)
とにかく、この回は中身が濃かった。
三宅久之 靖国参拝
「三宅久之 靖国神社参拝」、「チベットの政治学者ペマ・ギャルポと中国人の張景子のバトル」、「在日韓国人の大学教授・朴一の妄説」などなど、とにかく最高に面白かった。
しかし、それにしても張景子にはびっくりした。中国人の代表としてあちこちの番組に出演しているが、日本に帰化し「日本人」となっていたとは。しかも「パスポートをとる便宜上のために、日本国籍を取った」「私は中国人だ。国籍は関係ない」などと言い張っていた。(しかも、他の出演者にその点を突っ込まれていたが、それでもヒステリックになって反論していた。)
この番組のおかげで、中国人・朝鮮人が帰化しても「反日」的人間が紛れ込んでいるということも知った。
外国人参政権が欲しければ日本に帰化すればいい、という考えを改めなければならないかもしれない。申請時に「日本に忠誠を誓わせろ!という項目を入れろ」という三宅久之らの意見はもっともだ。
こういった現実を全国の日本人がすべて知るべきだといった意味でも、この番組は関東でも放送した方がいい。(深夜でいい)
ユーチューブで動画がUPされる度に速攻で削除してしまうのは余りにも惜しい。

そんな中、首都圏(全国ネット)で一部似たようなものが放送されたが、あまりにもヘタレで偏った内容だった。
3月26日テレビ朝日系列で「緊急!世界サミット“たけしJAPAN2”2010日本を考えるTV」。番宣は以下の通り。

「世界のたけし」が世界26カ国、総勢42名の外国人と大激論!出口の見えない不況、沈みゆく日本への世界からのダメだしにたけしが大反論!そこに見えた日本の未来とは?
日本の問題「少子化」「経済不況」「税金」3つのテーマで世界と激論。 中国は「経済不況」から脱出するには「中国人への偏見を捨て、中国の日本進出を受け入れるべき」と猛烈主張。それに対し、たけしが大反論!

この番組「2」とあるので、去年放送されたものの続編だ。その時の記事
やっぱりというか、今回も作り手の意識が何となく「反日」的なんですよね。少子化対策ではフランスを真似て「結婚しなくても子供を産める」とか、「税金と福祉の問題」では税金を高くしても福祉を充実させて北欧型の社会システムにしょうとか。
なんか「社民党」が振りまくスローガンを聞いているようで、とても気持ちが悪くなった。

この番組の欠陥は、好き勝手なことを言う外国人に対して、正論で返す日本人がいないという点にある。
高橋ジョージ、町山智浩、西川史子、ブラックマヨネーズでは、とてもではないが、まともな反論ができないので、見ていて物凄くイライラさせられる。
こういう点が「たかじんのそこまで言って委員会」との違いではないのか。

で、今回2つの番組を見ていて気になったのが、2つの番組に中国人代表として孔健と張景子が出ていて同じことを言っていること。「中国・韓国・日本は同じ文化圏なのでひとつにまとまる」とか「箸や漢字を使うから同じ文化圏だ」と中国人が主張をすることだ。つまり彼らは、日本・韓国や東南アジアの国々を含めすべてを「中華文化圏」にしようと考えている。これが最近は「冗談」に聞こえなくなってきた。
日本vs中国1

日本vs中国2

では、本当に日本は中国と同じ文化圏なのか。
まず彼らが言う「箸や漢字を使うから同じ文化圏」というのはどうだろうか。
そこで今回はこの「箸」と「漢字」に絞って日本と中国の文化の違いを見てみよう。

まず「箸」。
日本では「箸」と書いて「はし」と読む。
同じ「はし」と読んで「橋」という字があるが、これは偶然ではない。これには深い意味がある。
ちなみに、「箸」は中国語で「筷子」と書き、韓国語では「젓가락」と書く。「橋」は中国語で「桥」、韓国語で「다리 」と書く。
「日本語と神道 ~日本語を遡れば神道がわかる」茂木貞純(講談社)から引いてみましょう。

はし(橋・梯・階・箸)
橋は神道と関係があるの?
大河に橋をかけることは、大きな労力と技術力が必要で、近代に入るまで河口付近に橋はなかったといってもよい。川はむしろ境界であり、川が国境であることが多かった。東京の隅田川にかかる両国橋は、大橋ともよばれ、長さは九十六間(約一七五メートル)あったが、万治二年(一六五九)に初めて架橋された。江戸幕府が開かれ、半世紀も経なければならなかったわけである。
中略
橋の語源は、端(はし・物事のはじまる処・尽きる処など)と同根で、「端と端との間にわたすもの」(「岩波古語辞典)とのこと。
古代社会にあっては、たとえ小さな流れであっても、地域社会を区切る大切な境であった。ここに橋をかけることは、人や物の移動・交流が前提で、情報の伝達が限られていた時代には大きな決断が必要であったろう。現に江戸幕府は東海道筋の大河に幕末まで架橋を許さず、封建制維持に利用した。
橋をかけることは、分断された空間を結ぶことであり、未知の世界と繋がることであり、人々に期待と不安の双方をもたらす。ゆえに橋詰は、守るべき大切な場所とされ、聖なる場所ともなった。
中略
古くから多くの人や物、さらには目に見えない霊魂の往来のあったことを示している。橋が単に他国への通路というだけでなく、未知の他界への通路であった。ゆえに橋は神橋にも大いに関係があるといえよう。

箸を大切にする日本人
箸は「食と口との間(はし)を渡す意と云う。或いは、竹の端と端とにて挟めば云うか、物をはさむに用い、食事などする具。古への箸は、一条(ひとすじ)のものを折り曲げて、その両端にてはさみなり。後、竹、木、象牙などにて、細長く作り、二本を合わせて、指の間に用いて用いる。今は割り箸もあり」(大言海)
箸を使って食事をする風は、神代から伝わる日本人の文化である。神話の中で、須佐之男命(スサノオノミコト)が高天原から追放されて、出雲国へ天降り、川のほとりに立って、箸が川上から流れてくるのを発見し、上流に人が住んでいるに違いないと思って訪ねて行くと、おじいさんとおばあさんが娘を中において泣いていた。有名な八岐大蛇退治の話に続く部分である。古代社会で箸が人間生活の象徴としてとらえられていたことがわかる。
人間は食べ物を体内に摂取することにより、活力を得て生活することができる。その橋渡しをする食器を「ハシ」(箸)といった。私たち日本人にとっては必要欠くべからざる道具である。
ゆえに日常生活の中でも大切に扱われ、様々な箸にまつわるタブーも生まれた。さらには割り箸という独自の文化も生ずるに至った。
神事の中で神饌とともに特別な箸を添える古社がたくさんある。檜・杉・柳などが多く、手で削った箸を供えることが多い。天皇即位大嘗祭には、竹の折箸(竹の中ほどを折って麻糸を通し、ハサミ状にしたもの)が使われるという。また、夏祭りなどには青芽(あおがや)の箸が使われるなど、身近な木や竹を利用してきたことがわかる。
生後百日目に「お食初め」を行うが、これを「箸初め(はしぞめ)」ともいう。お正月やお盆には、特別の箸を準備することが多い。めでたいときは、ふつう柳の丸箸を使う。葬儀の枕飯には、隆盛にした御飯に一本箸を立てる。これはけっして行ってはならないタブーでもある。骨を拾う「二本箸」等も食卓ではしてはならないマナーである。
材料として柳や竹が用いられるのは、「新春に真っ先に芽を出す柳や強靭な生命力を持つ竹などのように、絶えず新生脱皮をはかる「生命更新」の祈りを強烈に込めたのであった」(本田壮一郎「箸の本」)とされ、大切に箸箱に入れ、他人の使用を嫌った。箸は東アジア全域で使われる食器であるが、日本では独特のマナーや信仰にまつわる箸の文化が生まれた。

日本人の箸には独自の文化があり、そこに食物を口に運ぶ、つまり生命の橋渡しという意味が込められている。
中国人はどうだろうか。箸にそんな思いを寄せるだろうか。箸に文化を求めるだろうか。「4つ足はテーブル以外はみな食べる」といった貪欲な食物文化をもつ中国人にこの繊細な文化はわかるまい。
それでも箸は食べ物を口に運ぶための「道具」として中国からやってきたのではないか、という人もいるだろう。
しかしここは、文化はオリジナリティではなく「分岐点」から始まると唱える明石散人の説が正しいと思う。
詳しくは、日本文化論。「オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある。」 明石散人「日本史鑑定」からの記事で。

さて、もうひとつの「漢字」。
「漢字を使うから日本は中国と同じ文化圏だ」という点だが、これもおかしい。
なぜこういうことを主張するのかといえば、中国の周辺諸国は「周りの国は、我ら中華文化圏の一部だ」という思い込みがあるからだ。
それを認めない国は、排他的だ、友好的ではない、というわけだ。特に日本は独自な文化を持っていると主張しているから気に食わない、中国から文化を輸入したくせに認めない生意気な国だと思っている。
そして日本を罵るのに使う言葉が「島国根性」だ。
日本vs中国5

かつて金 美齢が「中国は韓国を忠実な第一の弟子、日本はその下の第二の弟子とみている。あの小さな島国が大中国を攻めたのが今でも許せないという考えが今でも残っている」という話を「たかじんのそこまで言って委員会」で言っているのを思いだした。
日本vs中国6

では、日本は漢字を使うから中国文化圏に組み入れられてしまうのか。
実はそうでもない。そこで関連本2冊からそれぞれ引用します。

高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書)から。(関連がありそうな部分を適度に引いています。他にもこういった記述があるので、本編を当たってください。)

中国にはその二千年も前から文字があったのに日本にはなかった。これは、中国の文化がすぐれた文化であり、日本の文化が劣った文化であったからだ、と思っている人があるが、そうではありません。中国文化は早く生まれた文化であり、日本の文化はおそくうまれた文化なのである。文化も個人とおなじで、早くうまれるものがあり、あとからうまれるものもある。
早く生まれたからあとからうまれたかは、優劣とは関係がない。これは個人について考えてみればだれにもわかることですね。

日本語とは無縁
つぎに、日本人が漢字をもちいるようになり、現在ももちいていることから、漢語と日本語とは同系統の言語であるように思っている人がある。しかしそれはまちがいである。漢語と日本語とはもともとまったく別個にうまれた言語であって、類縁関係はない。
言語の系統と、それをどういう文字をつかって表記するかとは、多くのばあい無関係である。たとえば、日本語をローマ字で書きあらわすことができる。しからばその時、日本語は英語やドイツ語と同系統の言語になるかと言えば、そんなことはない。子どもでもわかることである。
もともと世界の文字は種類がごくかぎれたものである。ある言語が文字で書きあらわせると言っても、その多くは無縁の言語を書きあらわすためにできた文字を借りもちいているのである。日本語もそうである。日本語とは無縁の、漢語を書きあらわすためにできた文字(すなわち漢字)を借り、これを多少なおしてもちいているのである。カタカナやひらがなは日本独自の文字であるが、これとても漢字を簡略化して 借的にもちいているにすぎない。(「かしゃ」漢字は、漢語の一語一語を書きあらわしたものだから、みな意味を持っている。しかし時に、意味を捨ててその字の音だけをもちいることがある。つまりもっぱら音をあらわす文字としてもちいている)

日本語に親戚なし
漢語と日本語とはもともと親類関係にない。
漢語は「支那西蔵語族」に属し、チベット語、タイ語、ビルマ語などと系統をおなじくする。日本語はこの語族とは無縁である。日本語は地球上どこにも親戚のいない言葉である。(他にバスク語など)

日本語は漢語と系統を異にするにみならず、また性格がまったく異なる。もし日本語と漢語と英語の三つをとってくらべてみるならば、漢語と英語とは、系統は無論ちがうけれども、かなり似たところが多い。英語と日本語も少し似たところがある。しかし日本語と漢語とほとんど似たところがない。

日本が中国から漢字をもらったことをもって恩恵をうけた、すなわち日本語にとって幸運であったと考える人があるが、それも間違いである。
それは日本語にとって不幸である。
第一に、日本語の発達がとまってしまった。
当時の日本語はまだ幼稚な段階にあった。たとえば、具体的なものをさすことばはあったが、抽象的なものをさすことばはまだほとんどなかった。個別のものをさすことばはあったが、概括することばはなかった。
第二に、漢字は漢語は書きあらわすためにできた文字である。そこに日本語を無理に合わせた。
なぜそんな不便な文字を、なぜ日本人は採用したのか。
もし、漢字と同時にアルファベット文字が日本にはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。
しかしその時、日本人にとって、漢字はこの世で唯一の文字だったのである。これ以外に別な文字が有り得る、とは、当時の日本人には思いもよらないことであった。すなわちそれは、「漢字」なのではなく、たった一つの「文字」であったのだ。



笹原宏之著「日本の漢字」 (岩波新書) (こちらも気がついた部分をランダムに抜き出しております。全編興味深い文章が書かれていますので、本編を当たってください)

漢字そのものの形は、当時の中国や朝鮮で行われたものが流れ込む一方で、日本独自に変化させたものが出てくるようになった。中国や朝鮮から伝わった漢字では十分でないと考えられた場合には、漢字に新たな用法を与え、さらに中国での漢字の構成方法にならって新たな日本産の漢字すなわち「国字」を生み出すにいたったのである。国字には、日本酒や日本刀など、日本独自の文化にかかわる文字が多くある。
和語に漢字を当てはめたものだけでなく、そもそも音読みする漢字を組合わせて新たな言葉を造ることさえ行われてきた。それが「和製漢語」である。

このように、世界中の文字や記号とその配列方法からいわば「いいとこ取り」をしてきたこと、それを自分たちの適したものへと改良していく柔軟で自由な態度が、日本の文学の多様性と結び付いているのである。

現代の日本人が、日本語を表記するための多彩で特殊な文字に囲まれ、その上それらを使いこなしているという事実は、世界の状況から考えて目をみはるべきことといえる。日本人は、外国から帰ってきた説きに日本の文字の美しさに初めて気づくという話をよく耳にする。実際に、筆者にも体験したことがある。このことは、日本の文字の特異性について、ほとんどの日本人が無意識でいられることと関連している。
このような日本の文字の多様性は、正書法のない整理すべき無秩序で、改めるべき状況とみるべきであろうか、それとも自由な選択が可能でさらによりよい方に進みうる豊かさととらえるべきであろうか。その答えは、文字の使用者、つまり日本人一人一人の意識にかかっている。少なくともこのような現状は、日本人が外来語を受容し、和製英語を造り出すまでに変容させてきた態度や、教会でクリスマスを過ごし、お寺で除夜の鐘を撞き、神社に初詣に出かけるという一週間を過ごす人がいるように、固有の文化の中に外来文化を程よく採り入れて消化し、自分たちに合うように改造を加えてきた精神と、根を同じくしているといえるであろう。

漢字は、漢字圏の中で使われ続ける中で、それぞれの社会のもつ様々な事情、諸文化や言語を複雑に反映することとなった。文化の違いで言えば、たとえば山岳などの景勝地に大きく地名を書いて示すかどうかにも差がある。語彙の面では、起源を等しくする漢語を共有するケースが多いことは事実だが、本来、音韻の体系が全く異なった別々の言語であり、文法も互いに異質であるということが前提である。かつて「同文同種」が強調されたこともあるが、たしかに唐代などの知識層であれば、漢文を通じて意思の疎通ができたであろうし、また筆談によって交易を行う人々もいたわけである。しかし、それぞれの言語を表記するために使われる字種はもちろんのこと、個々の字を見ても、形・音・義(意味)ともに各国語に合わせて独自の変容を遂げている。さらに、その組み合わせ方には、それぞれの語の文法的な特徴も深く関わり、独特な熟語が多数形成されている。
文字だけによる国際交流は、込み入った内容になるほど誤解の元となりかねない。
では、今日、漢字圏において漢字は、共通の文字となり得るか。この点について少し詳しく検討してみたい。
それぞれの国で漢字が造られる、国ごとに使われる漢字の字種は異なる。とりわけ各国で新たに造られた漢字は意外に多い。

漢字の字体を統一すればすべてのコミュニケーションがよくなるのだ、というような意見が今でも聞かれる。それが実現するならば、確かに一定の理解を可能とする便宜はあるだろう。しかし、それ以前に、日本以上に韓国やことに北朝鮮では漢字を使わなくなっているという現状があり、ベトナムでは漢字を全廃したという事実がある。
(韓国ではハングルのみで漢字はほとんど使われない。中国は新字体・簡体字の略字が使われている。)

コンピューター上での国際的な文字の基準として制定されたユニコードで、日本と中国で「字体統合」された「骨」一文字でさえ強い批判が起こった。

漢字文化圏と呼びうるものはかつて確かに存在したし、かなりの変容を経た今でもなお部分的には通用する概念であろう。しかし、その変容を経た漢字をどうとらえるのがよいか。それには、まずそれぞれの言葉を学習するしかない。文字は、ことばを表記するために生まれたものである。中国語、韓国語、そしてベトナム語を外国語として学びながら、そこに絡まりついた漢字を観察する。自国の周りの国のことばと漢字は、発音、意味ともに理解できる、少なくとも辞書を引けば理解できる、それは教養というものであろう。さらに、自らの日本語の存在が当たり前になっているとすれば、それも自覚的に、かつ客観的に見つめ直すしかない。そうすれば、日本の漢字は、他国の漢字とは異なる存在であり、それを日本の文字として尊重するとはどういうことなのか、身をもって実感できるはずである。

これら2冊の引用部分を読んでも「日本」と「中国」は違う文化だということが分かる。
それでも中国人は「同じ漢字文化圏なのだから東アジアで一つになろう」なんて強弁してくるだろう。
こうして吸収されていったのが「ウイグル」や「チベット」だ。
経済力も軍事力も強大になった中国は、周辺諸国を脅かす存在になった。そして「文化」まで同じだ、と言われたら、たちまち日本を始め周辺諸国は飲み込まれてしまうだろう。
なんどでも言う「文化=国家」なのだ。

こういった現実を見せられると「日本を守るには日本文化を守れ」と説いた三島由紀夫の「文化防衛論」の意味がよくわかる。
だからこそ、鳩山首相が施政方針で「他国と日本の文化を融合させる」と演説したことが非常に危険な言葉だということになるのだ。

本当に「日本文化」を大事にしていかなければならない。

指導者の資質が本当に問われるのは勝負に「負けた」ときだ! 高校野球の監督の件について思うこと。

開星の校長、向陽に謝罪=不適切発言で監督処分も-高校野球

 第82回選抜高校野球大会で開星高校(島根)の野々村直通監督が21世紀枠の向陽高校(和歌山)に敗れた直後に不適切な発言をしていた問題で、開星の大多和聡宏校長は23日、和歌山市内の向陽を訪れ、同校の板橋孝志校長に直接謝罪した。
 両校長は面会後に記者会見し、大多和校長は「素晴らしい試合をされたのに勝利に水を差してしまい、応援されている方々にも不快な思いをさせてしまったことに謝罪の意を伝えた」と説明。これに対し、板橋校長は「大変遺憾。21世紀枠で出場できたことに誇りを持っていたので非常に残念だが、すぐにおわびに駆けつけてくれたことは真摯(しんし)に受け止めたい」と応じたという。
 大多和校長は、野々村監督に関し「何らかの処分をしなければならないと思っている。本人によく話を聞いてから考えたい」としている。問題発言の要因については「うちの力が足りなかったことを反省しなければならないが、おごりが空回りして感情的になり、適切な対応ができなかったのではないか」と語った。
 開星は22日、向陽に1-2で敗れ、野々村監督は試合後「21世紀枠に負けたのは末代までの恥です」などと発言。23日午前、甲子園球場内の大会本部を訪れ日本高校野球連盟などに謝罪した。(2010/03/23)
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2010032301019から 


もちろん、私はこういう人は嫌いである。
「浅田真央を…?キム・ヨナ爆笑!韓国TV番組で」の一件について。
サッカー日本代表・岡田監督に見る「指揮官」の資格とは
「フットサルでオウンゴール6発、「負けろ」指示」で思うこと。 
にも同じようなことを書いているのでここでは繰り返えしませんが、ほんとに聞くに堪えない話だ。

実は「いい人だ」とか「学校では人気の先生だった」とかいった話も聞くが、ここで問うべきは「人格」のことではなく、人を率いて戦いをする指導者としての資質の問題だろう。
そして、指導者の資質が本当に問われるのは勝負に「負けた」ときだと思う。
敗北の後に指揮者が慌てふためいて「腹を切りたい」などというのは、もっての外で、とてもではないが一軍を率いる将の器ではない。(軽々しく「切腹、腹を切る」という言葉を使ってほしくない。本来の意味が分かっているのかと問い詰めたいところでもある)
いつも思うのが、こういうときにこそ歴史から学んでほしい。
戦国時代の名将と言われる武将たちは「負けた」後、どのように対処したのだろうか。勝負に負けたからといって、相手をなじるようなことは言わず、すべてを投げ出してしまうようなことはしなかったはずだ。そんな大将の下に誰がついていくだろう。今まで連戦連勝だった大将も、勝負に負けたから「末代の恥」「腹を切りたい」などといえばその時点で一気に信頼を失う。

では、「太平記の時代」ではどうであったろうか。
私の尊敬する新田義貞は負けの連続であったが、すべてを投げ出すような真似は決してしなかった。
「北国落ち」する前には再起を誓い、その後何度も敗北を味わったが、一族・家臣や決して多くなかった支援者をよくまとめ、越前において勢力を盛り返した。
足利尊氏も新田軍に大敗を喫し、命からがら「九州落ち」した後には、自軍を立て直して、京都へ捲土重来し勝利した。
自身が滅亡するかもしれない大敗を経験した後で、どうのような言動を行ったか、それが名将と愚将を分ける分岐点とるなのだ。
開星高校の監督は、甲子園出場を何度も果たした名監督だといわれるそうだ。
だが、完全に見くびった相手に敗北したからといって「野球はやめる」など悲嘆に暮れる将は、その器に非ず、つまり一軍を率いる「監督」の名に値しない人ということだ。
こういうのは、決して「勝負ごと」に限らないことだろう。「会社」や「組織」、「政治」「社会」においても相通じることだ。

どうでもいいような今回の高校野球監督の件でも、こういったことを学べるということだろう。



「地方の文化と誇りを取り戻そう」と「新田氏・児島高徳研究でサントリー地域文化賞」

平成22年3月21日付け 読売新聞の一面コラム「地球を読む」、山崎正和の「地方分権 文化と誇りを取り戻そう」の記事が良かったので書き起こしてみました。

かねて地方分権の声は喧しいが、地方とは何か、地方の振興とはどういうことか、根本的な問題意識に立った議論はなされてきたのだろうか。かつて中央教育審議会の席上で、知事会の代表が権限を委譲せよと文部科学省に迫ったことがあった。すると次に口を開いた町村会の代表が、知事にたいして権限委譲を要求したのに私は思わず笑ってしまった。
考えてみれば地方社会は近代国家以前からあったのだし、権力の担当者と関係なく存在していた。藩主は国替えをさせられても、農民や町民は地域にとどまった。前近代の行政は明らかに今より劣っていたのに、地域社会ははるかに元気であった。地域振興を語るのなら一度、この原点から考える必要があるのではないだろうか。
元気だった昔の村や町は、たんにものを生産する場所ではなかった。鎮守の社や檀那寺があって、人が四季を祝い祭りを楽しむ場所であった。古くはそこから観世の能が生まれ、阿国の歌舞伎が育ち、伊勢の本居宣長や大坂の山片蟠桃など、学者や文人をも輩出して日本文化の基盤を養った世界であった。
ものを生産するにつけても、かつての村や町は付加価値の創出、いわば文化産業の育成に熱心であった。米や野菜のような一次産品をはじめ、繊維、紙、陶器、漆器、刃物などの工業品にも各地の名産があって、収入だけでなく地域の誇りを生み出していた。
今日の地域を貧しくしているのは、たんに金銭的な富に欠乏だけではなく、こうしたかつての文化力が衰退したという思いと、それに伴う誇りの喪失ではないだろうか。この悲観を生んだのはもちろん近代化であり、知恵と文化の源泉が西洋に移り、輸入の窓口である東京に集まったという実感だろう。
だが政府にも自治体にも長らくこの事実の自覚がなく、地域振興といえば公共事業と、大企業の工場を地方へ誘致することに明け暮れていた。教育も文化も中央が地方に供給するものとなり、昨今ではとくに福祉を供給することに関心が集まっている。政府と自治体の権限争いは、要するにこの供給の権力をめぐる奪い合いなのである。
これは少しおかしいのではないかと、私が漠然と気づいたのは30年ほど前のことであった。私も近代化は世界の趨勢であり、国家が大きな役割を演じるのは当然だと認めていた。だがその前提のもとでも、地域にまだ文化的な活力が残っていて、人がただ糊口を凌ぐだけでなく、自力で価値を生んでいることを信じたいと考えたのである。

おりからサントリーが財団をつくるという話が起こって、それを手伝うことになったのを機会に、「サントリー地域文化賞」を創設した。地域文化活動を毎年5件、顕彰して励まそうという企画である。昨年で31回、169件の贈賞を終わってみて、私はその内容の豊かさに驚き、地域は今も文化を生んでいるのみならず、逆に文化によって地域が作られるという実感さえ味わっている。
振り返ってみると、地域文化の歴史は4段階に分けられるといえそうである。第一段階は近代化以前、自然に地域が文化を生んでいた段階である。この段階もまだ現代に遺産を残していて、たとえば高知の「よさこい祭り」をはじめ、中世の風流や西洋のカーニバルのように、郷土の祭りを創作する運動が全国に展開している。地域文化賞では、札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」が受賞した。
第二段階は近代化の受難期に、それでも地域で文化を守る運動が続いた時代である。東京以外で西洋文化を受容しながらも優れた業績が多く、受賞した福島の「FMC混声合唱団」などはパレストリーナのミサ曲を得意としてローマ法王庁で演奏している。
この時期の活動は音楽や演劇など、組織的な団体によるものが多く、有能な指導者の存在が目立つ。
中略
ところが80年代に移ったころから機運に変化が起こり、意識的に文化活動を地域振興に役立てようという動きが芽生えた。贈賞式に自治体の首長が同伴する姿が増えたのを皮切りに、活動を行政が支援したり、ときには主導する傾向が目立ち始めたのである。
いわば地域文化の第三段階が始まったわけだが、あくまでも先導するのは草の根の住民であり、それを自治体が活用している場合が多い。
中略
それとともに先端的な第四段階の波頭も目につくようになって、地域が全国的な文化活動の拠点となり、あらためて「地域が日本文化をつくる」伝統の再生を予感させている。
中略
本来なら文化庁がするべき仕事を、地域の私企業が自腹を切って担っているのである。
今後の課題は行政の側にあって、とくに全国の公民館が果たしうる役割は大きい。法律では社会教育を目的に設けられた機関だが、今後は啓蒙だけでなく、住民の積極的な創作活動に手を貸すことが必須だろう。

ということで、地方の弱体化は、産業や公共事業といった収入面の減少のみだけではなく、地方の文化が衰退し、地域に誇りが喪失したからだ、といった点を指摘している。なるほど、なるほど、良く分かる。
また、日本の情報・文化の発信地が東京に集中しているというのも原因の一つだろう。いま本当に「東京の一人勝ち」「東京=日本」のような状態で、これが良いことだとは到底思えない。(やはり解決策は、首都移転・首都機能分散化しかない)

さて、上記の新聞記事を読んで、文化面での地域活性化として一役買っている「サントリー地域文化賞」というのを聞いてひとつ思い出した。
これである。
細谷清吉著「篠塚伊賀守重広 新田義貞四天王」 (群馬出版センター)
篠塚伊賀守
当ブログでは度々出てくる義貞家臣の四天王の一人に篠塚伊賀守。この人物について書かれた貴重な本だが、この著者である「細谷清吉」さんは「サントリー地域文化賞」の受賞者である。
サントリー地域文化賞のホームページに詳しいことが書かれていた。そのままコペピしておきます。
 http://www.suntory.co.jp/sfnd/chiikibunka/kantou0002.html

1986年受賞 群馬県/大泉町 細谷 清吉氏(個人)
-地域住民を巻き込んだ郷土史研究と自費出版活動-
群馬県邑楽郡は、利根川の北岸に位置する沼沢の多い地で、その地名は遠く「続日本紀」にも登場する古代から開けた土地でもあった。反面、上州は江戸文化圏内に位置していた関係で、必ずしも独自の文化が育ちやすい土地柄ではなかった。

 細谷清吉氏はこの地に生まれ、教職を務めるかたわら、万葉集の東歌の地理的考証を進め、次第に郷土の歴史にも強い関心を示すようになっていった。細谷氏は教職を退いた後、郷土史の研究に本格的に没頭し、篠塚家譜や盛照翁文書、穐妻道場の伝記、小林家の専光寺世代由来の文書、龍泉院・茂木家に伝えられた富岡家譜など、在地資料を中心に郷土史にとっては極めて貴重な資料を発見していった。
 研究を続ける一方で、細谷氏は新田庄寺尾城史跡保存会、児島高徳公史跡保存会、新田史研究会などの会長を務め、常に地元の人々や歴史愛好家とともに、失われゆく郷土史や歪められた郷土史を豊富な史料と克明な考証によって一つ一つ明らかにしていった。
 とりわけ、邑楽郡は太平記に記された南北朝時代の武将、児島高徳終焉の地と言われるため、高徳の研究には力を注ぎ、高徳の死後600年に当たる1982年には、児島高徳公史跡保存会が中心となって、種々の記念事業を企画、顕彰供養碑、玉垣、歌碑を建立し、横綱北の湖の土俵入りを行った。
 細谷氏の研究は単なる郷土史にとどまらず、郷土に関係した人物を生き生きと甦らせ、先人の人生の中に、故きを温ねて新しきを知ろうとする氏の人生観を反映させている。その成果は『中世の邑楽町』、『天匂践を空しうする莫れ』、『中世の大泉町』『篠塚伊賀守重広』『義貞太平記』などの自費出版物を通じて発表されている他、地元での講演会も数多い。
 なお、氏は教職の途中において失明という不幸に遭遇したが、氏の研究はご家族や地域の人々のあたたかい協力の下に着実に進められていった。
 故りし世の 目には見えざる史の道
 照らす光は心なりける
と詠む氏の姿勢には、ハンディを感じさせない研究心の強さが現われている。

知らなかった。新田氏関係の本や児島高徳に関しての資料はかなり参考にさせて頂きました。その本の著者がこんな偉大な方だったとは。
これは郷土史家の鑑ですね、私もこの「研究魂」見習いたいです。

さて、ここで、読売新聞のコラムで山崎正和が言った「地域の文化と誇りを取り戻そう」というスローガンが響いてくる。
地方のみならず、日本の再生の一つのカギは「地域が全国的な文化活動の拠点となり、あらためて「地域が日本文化をつくる」伝統の再生」というところにあるような気がします。(これ、ほんとにいいコラムだと思います。)

では、私の地元である太田市いや新田市周辺ならば「新田氏」関連だろう、という話になるわけだが、どうでしょうか。
いや~、「新田氏関連の社寺」はボロボロで、挙句「新田義貞の銅像は盗難」されてもそのまま……。
福井市には福井市の明新地区に新田神社があることから、義貞の歴史を生かしたまちづくりを目的に活動している委員会があるというのに、太田市はどうなの?
関連記事
「英語特区」の前にやることがあるんじゃないですか?
重要なのは、地域の特色を生かした地域振興ではないのか。

「桃太郎VS金太郎 強いのは」の記事が面白かった。

こういう記事は大好き。
平成22年3月21日付け 読売新聞から
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20100321-OYT8T00209.htm?from=yolsp
桃太郎vs金太郎


[発言小町@新聞]桃太郎VS金太郎 強いのは…
団体戦と個人戦 侍とサラリーマン桃太郎と金太郎、どっちが強い?

インターネットの掲示板「発言小町」に、こんなユニークな書き込みがあった。「団体戦なら桃太郎」などと思い思いの分析で盛り上がった。比べているうちに、物語を読み返したくなるかも。
「桃太郎――桃から生まれる。大変な力持ち。犬・猿・キジを子分にする。鬼を退治した」「金太郎――やまんばと赤竜との間に生まれる。怪力。クマ・鹿・猿などを友とする。大イノシシを退治」
 投稿は、桃太郎と金太郎の特徴を列挙した上で、「どっちが強いと思いますか?」と問いかけた。
 すると、「個人戦では金太郎、団体戦では桃太郎に軍配があがるのでは」「桃太郎は刀を持ち、優秀な人材のスカウト能力にたけている戦術家です。でも、さしで勝負したら、クマ相手に訓練している金太郎の勝ちはいうまでもありません」という意見や、「注目すべきは仲間。金太郎サイドは数が多いし、強そう」という見方など、思い思いの見解が寄せられた。
 「金太郎は坂田金時と名前を変え、酒呑童子を退治した実績があるが、桃太郎は鬼ヶ島以降の実績がなく、金太郎の方が強くなったのでは」と、後日談をふまえた分析も。テレビドラマをもじって「桃太郎は侍、金太郎はサラリーマンだから、桃太郎が強いかな」との書き込みもあった。
 昔ばなし研究所所長の小沢俊夫さんは、「強さの比較はしたことがない」と笑いつつ、「鬼ヶ島の鬼を全部やっつけたのだから、桃太郎の方が強いのでは。でも、犬と猿とキジがいたからできたとも言える。どちらが強いのでしょうね」と、頭を悩ませる。
 小沢さんによれば、金太郎は「伝説」。伝説は地域の歴史や人物と結びつき、伝わっている話で、強そうな大男などが出てくるものが各地にあるという。一方、桃太郎のような「昔話」は架空の話。「事実と関連のある伝説の主人公よりも、架空の話の主人公の方が強いかもしれませんね」と小沢さん。
 逆に児童文化研究家の加古里子(さとし)さんは「実在とされる人物にまつわる伝説の方が実際にありそうで、金太郎の方に分があるのでは」と話す。「ただ、桃太郎の強さには、家族愛といった要素もある。どちらに自分の感情移入がしやすいかにもよるでしょう」
 人気はどうだろう。
 書店では「桃太郎の話は、ストーリー展開がおもしろく、絵本の種類も豊富。それに比べると、金太郎の絵本は少ないようです」(大手書店の児童書担当)。
 人形の久月(東京)の広報担当によると、「金太郎と桃太郎は、よろいかぶとと一緒に飾る脇飾りの代表格。売れ行きは、金太郎が桃太郎の2、3倍売れる」という。「金太郎は『健康優良児』という印象があるからでしょう」
 ルパン対ホームズなど異なる小説の主人公が対決するような設定には、人をわくわくさせるものがある。時には、頭を柔軟にして、想像の世界を楽しむのもよさそうだ。

これについてのレスがある。。http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0306/299547.htm
これも読んで行くと面白い意見があって楽しくなる。こういうことを真剣に考える人たちが沢山いるというのが、いいんですね~。
こういうのも「日本文化」を語るということになるんです。

鳩山首相が韓国俳優と会う度に、韓国への便宜的政策が取られるのは気のせいか? 

鳩山首相が懲りずにまたあの韓国人俳優と会ったようです。
平成22年3月19日付け 産経新聞より
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100319/plc1003192135029-n1.htm

鳩山由紀夫首相は19日、幸夫人が17日に韓国の人気俳優、イ・ソジン氏を首相公邸での夕食に招き、自身も加わったことを明らかにした。夫人はイ氏の熱烈なファンで、首相も就任前後から計4回、一緒に面会。首相周辺からは「特定の外国の人とばかり会うのは誤解を招きかねない」と懸念する声が出ている。
 韓国紙の報道によると、幸夫人は天ぷらなど手料理を振る舞い、イ氏から民族衣装のチマ・チョゴリを贈られたという。首相は稲盛和夫内閣特別顧問らとの会食後に加わった。
 首相は19日夜、記者団に「私が帰ったときにお開きになった」と述べた上で「これ以上、妻のプライバシーにかかわること(への言及)は遠慮したい」と語った。
 イ氏は、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与を求める在日本大韓民国民団(民団)の広報大使も務めている。

旦那がいない間に、若い男を自分の家に引き込んだ夫人を、亭主が妻のプライベートだから関係ないといった、何ともおバカな話だが、こんな「滑稽な夫婦」が、日本の首相官邸にいること自体が日本国民の不幸である。
そんなに朝鮮が好きなら、韓国に行ったまま帰ってこなくてもいいのに。(お仲間のうつみ宮土理や平田オリザとかも連れていけば…)

さてさて、話はそんな簡単でことではないようだ。イ・ソジンって、本当に怪しい韓国人俳優だ。これは過去に何度も書いた。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/?q=%A5%A4%A1%A6%A5%BD%A5%B8%A5%F3
それにいくらプライベートだといっても、場所は首相公邸だ。これまでに特定の外国人俳優を何度も首相公邸に引き入れたなんて事例はあったのだろうか。国家機密的にいっても余り勧められることではないと思う。(この俳優が工作員だったら、盗聴器でも仕掛けられたら……、そんな想像力はないのか。私の妄想・杞憂でなければいいが)
また、イ・ソジンは不審だ、特定の人物と何度も会うこと自体が疑わしい、そんな記事も他にあった。
というのも、韓国との外交で様々なことが起こる前後に、イ・ソジンが鳩山首相の前にチョロチョロと顔を出し、まるで韓国政府のメッセンジャーのような役割をしているからだろう。

 鳩山由紀夫首相が日韓の過去の問題に対して、韓国に順次賠償を行っていく意思があることを非公式に表明したと、韓国の複数のメディアが8日、一斉に報じた。
 韓国経済新聞(電子版)は「韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会側の代理人、マイケル・チェ弁護士が、韓国内の通信社のインタビューに応じ、鳩山首相が日本統治時代の朝鮮人の徴用や徴兵、慰安婦問題などに関して、順次賠償する用意があると、米国のある議員に伝えた」と報じている。
 太平洋戦争犠牲者遺族会は「鳩山首相と米国議員の会談は、鳩山首相側からの要請で実現し、総理官邸で極秘裏に行われた」とコメントしているという。
 韓国の朝鮮日報は「過去、慰安婦問題に関して、日本政府に謝罪を要求する決議案を米議会に提出した、マイク・ホンダ米下院議員は、鳩山首相の発言が伝わると『鳩山首相の前向きな姿勢を歓迎すると共に、今後に期待したい』と語った」と伝えている。
 今年は、日韓併合100年目にあたる節目の年で、韓国では今後の展開に注目が集まっている。

ほんとどうかしている。
外国人参政権、夫婦別姓、過去の戦争の謝罪と補償、靖国神社不参拝・戦没者慰霊施設を推進、天皇陛下の韓国訪問提案……。鳩山首相の「友愛」政策は、すべてが韓国にプラスになっている。(朝鮮学校無償化は見送りがあるが、これなどは、朝鮮学校が北朝鮮系だから、これは日本のことを思って見送ったのではなく、韓国に配慮したのだと思えば、すべては話が通じる。)
辻元清美が進める「休日分散化案」も中国・韓国の意向があるという話がある。(検索すればいくらでも出てくる)
日本の祝祭日を何だと思っているのか、これはまさに日本文化の破壊そのもの。

また鳩山政権が推し進めている「夫婦別姓」も中国人・朝鮮人が流入するための下準備の法制だという話も聞いた。
理由はこうだ。中国、韓国は元々が夫婦別姓であり、また日本人と結婚すれば、日本人の名前にする必要がない。そこに結婚仲介者が介入すれば、偽装の結婚や養子縁組などが行われ、中国名・韓国名の名前を持ちながら日本国籍を得る流入者が増えるというのだ。
そこでこんな記事がある。


カンボジア政府、韓国人男性との結婚を禁止
カンボジア政府が、同国の女性と韓国人男性の結婚を当分の間認めない方針を打ち出した。カンボジア政府が禁止している、結婚仲介業者を通じた複数の女性との見合いが韓国人によって行われていること、また1カ月間現地に滞在し、書類審査や面接などを受けなければならないとされる、「熟慮期間」の義務も守っていないというのが理由だ。韓国政府の消息筋は19日、「カンボジア政府が今月5日、同国の韓国大使館へ文書を送り、こうした内容を通知した」と語った。同大使館は8日から、国際結婚に関する領事認証の申請の受け付けを中止し、来月1日からは、カンボジア人配偶者の韓国への定着を支援するプログラムも暫定的に中止する方針を打ち出した。
 韓国政府の関係者は、「国際結婚は、男女が自らの意思に基づいて交際し、結婚後は現地に住むという選択もあってしかるべきだが、カンボジア人の国際結婚の60%を占める韓国人との結婚は、大部分が仲介業者を通じたものであり、結婚後は韓国に住むことを強要される。また、カンボジア人女性25人を集め、韓国人一人との見合いをさせる業者が摘発されるなど、現地で韓国に対し批判的な世論が高まっており、こうしたことが今回の措置の背景にある」と語った。(平成22年3月20日 朝鮮日報) http://news.livedoor.com/article/detail/4670188/ から

韓国の結婚仲介ブローカーが暗躍しているようだ。夫婦別姓は、日本人との偽装結婚がし易くなり、日本に居住する中国人・朝鮮人は増大していくことになる。なし崩しに入国審査が甘くなって、違法居住者や密入国者も増加していく、そして……。
ここに外国人参政権が付与されたらどうなるだろうか。
考えるだけでも恐ろしい。

他国を我がものにするには、昔だったら戦闘機や戦車で攻めるしかなかっただろう。
しかし今の日本を攻めるのにそんな武器は必要ない。
法改正をすればよい、文化・歴史・伝統を潰せばいい、これだけで「日本」という国は弱まる。

在日朝鮮人の民団、日教組、労働組合から支援を受けた民主党は、どこの国の政党だろうか、どこに顔を向けて政治を行っているのか。
「政権交代だ」と上手い言葉で国民を欺き、その数の力で国の根幹を揺るがすような制度を導入しようとしている。
日本国民の大多数が反対している「外国人参政権」「夫婦別姓」は、どの国に配慮した法律なのだろうか?

また中国人・朝鮮人は、ちょっと騒げばいいときっと考えているのだろう。日本国内にいる売国奴・反日サヨクがすぐに呼応して活動してくれる。バカな彼ら・彼女らは「天皇の戦争責任だ」「日本には民主主義がない、日本のシステムを変えろ」「日の丸・君が代は軍国主義だ」「神社は違憲だ」「沖縄に米軍はいらない、出て行け」などと必死になって唱えてくれる。こんな楽な方法はないので、中国・朝鮮がこの「カード」を手放すはずがない。
その結果がどうだろうか、日本の国力はどんどん落ちていった。

日本はいま、自壊しつつある。
この状況を喜んでいるのは誰あろう、中国人・朝鮮人だ。
武器など用いずに、易々と日本の領土に侵蝕している。
こうやって静かに蚕食されていくのだ。

その手助けを鳩山=小沢政権が行っている。民主党政権がこのまま続いたら、ほんとに恐ろしいことになる。
だが、その民主党の中の6割が「保守系」だと、誰かが言った。
本当に与党の中に「保守」がいるなら、本当に民主党の中に「自国を愛する者」がいるなら、いまこそ党を割ってでも立つべきだろう。

いまはそこに期待するしかない。

追記
外国人参政権についての記事だが、これは本当なのか?
イザ http://snowdrop.iza.ne.jp/blog/entry/1381409/から

2012年に在日韓国人に徴兵義務が強制される。拒否すれば財産没収。これは正式に決定済みの事項であり、在日韓国人が参政権をほしがる全ての原因はコレだったんじゃないか?
2012年以降、在日韓国人は兵役をこなすか、手数料を支払うかしかなくなる。ただし、兵役に行くor国籍を認めて代金を支払うと特別永住資格を喪失する。そういう現実を前に、日本で選挙権を手に入れ、法律を捻じ曲げて永住権を維持する必要があったのだと。
早ければ2012年に海外の永住者は国政選挙権を得る事
結果として(以下のソースは2chなので、韓国にて本当に制度がこういう風に運用されるのかどうかは不明ですが、もしそうなら…。在日韓国人してみれば、まさに地獄への片道切符になり得る話。)
1. 韓国が在外僑朋に参政権を認めた場合に一度帰国して住民登録が必要になる。地方選挙に参加する為に韓国国内の地方自治体に住民登録をしなければいけない。
2. ただし、住民登録した場合は特別永住資格を失う。
更に、在日韓国朝鮮人は、日本から出国する際に“再入国許可”の申請が必要になり、この許可が無いと日本に戻ってくる事ができない。
なお、一部の在日韓国朝鮮人は難民として“永住許可”を得ているので、祖国に住所を得る=難民では無くなるので“永住許可”が取り消される可能性がある事。
さて、韓国には兵役義務があり、日本で特別永住資格を取得し、日本で暮らしている在日韓国人に対する兵役義務問題が浮上する(らしい)。何故なら、公選法は国政選挙権を有する=韓国籍であることと規定し、国籍法は韓国籍=兵役義務特例あり)と規定している。


http://snowdrop.iza.ne.jp/blog/entry/1381409/から。

神社とは。「お宮参りをする首相」と「憲法違反の神社」

平成22年3月7日 朝日新聞から 

鳩山由紀夫首相が7日、東京・谷中霊園を訪れ、幸夫人とともに、この日が命日の祖父、鳩山一郎元首相の墓参りをした。首相は墓参後、記者団に「鳩山の名に恥じない仕事をやらせてもらいたい、という思いと、先祖のおかげでこの立場に立たせてもらっているということの感謝の思いを墓前で申し上げた」と語った。
 首相はこの日、終日、家族と過ごし、墓参前には、ロシアから一時帰国した長男紀一郎氏の一家と公邸近くの日枝神社を訪れ、1月に生まれた孫のお宮参りをした。

鳩山首相でただ唯一感心するのは、よく神社参りやお墓参りをよくすることだ。(靖国神社には行かないが…)
過去記事
孫を抱いて「お宮参り」をする幸夫人の動画を見たが、これは意外だった。宇宙人的思考の彼女が、日本の文化・伝統をしっかりと行っている姿が新鮮に見えた。

日枝神社日枝神社
日枝神社 猿日枝神社にある「猿の像」。
日枝神社の神使が「猿」なので、これに由来した像がいくつも見られる。
それに、日枝神社は比叡山の日吉大社より勧請した神社であり、天台の山王信仰であるから、天海との関係もある。また日吉大社は新田義貞が願文を捧げた神社であり、そして徳川家康が……と、これではどんどんと本題から離れていくので今回は割愛します。
以下は関連記事で。

このように「日枝神社」一つ取っても歴史がぎっしりつまっているので、私ら歴史ファンにも「神社」はたまらない場所なのだ。
「オタク」も「アニメファン」も「参拝女子」も「歴女」も「癒されたい人」も「パワースポットで幸せを求める人」も「景気回復を願うサラリーマン」も「孫の将来を願ってお宮参りする首相」もみな、神社に集う。
日本人の真髄は神社にあると、無意識のうちに感じているからに他ならない。
これは当ブログの最近のテーマでもある。

しかしその一方で、「神社は違憲だ」という人々がいる。
過去記事
「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。
日本人にとって神社とは?  日本人度チェック付き
この影響が私の地元である群馬にも出てきた。

北海道砂川市の政教分離訴訟で最高裁が違憲と判断した、神社などへの公有地の無償提供について、県内でも、類似事例が少なくとも桐生市と邑楽町で計6件あることが読売新聞の調べで分かった。調査中と回答した自治体もあり、同様の事例は今後増える可能性がある。
 邑楽町は、今年1月の最高裁の判断を受けて調査を実施したところ、町内5か所で町有地の一部に神社や薬師堂などの宗教施設が立っており、無償で提 供していることを確認した。このうち4か所の土地は、昭和50年代に個人から寄付され、残りの1か所は太平洋戦争後の連合国軍総司令部(GHQ)の指示に 基づく政令で町に移管された。5か所のうち、4か所では施設で祭事を行っていることも確認された。
 同町では、4か所について、地元の自治会などを地方自治法で定める、法人格を有する「地縁団体」に認可をした上で、土地の所有権を移転することを視野に、近く地元住民と交渉を始める。残り1か所は、元の所有者に返還する方針という。
 桐生市では、同市織姫町の市有地内に「織姫神社」が立っており、地元の行政区が管理している。地元住民によると、近年は神事はなかったが、昨年11月には執り行ったという。同市財政課では「違憲なのかどうか判断できない」と困惑している。
 このほか、大泉町では「調査中」としながらも、町有地内に同様の事例がある可能性を認めている。太田市は、3月下旬までをめどに調査中としている。
 町村部では、読売新聞から取材を受けて初めて最高裁の判断を知った例もあり、なしと回答した自治体でも、本格的な調査を実施した自治体は少ない。 政教分離を目的とした戦後の土地移管で、土地の所有権が不明な事例も多いとみられ、本格的な調査をしなければ実態把握は難しそうだ。

(平成22年3月12日 読売新聞)
一地域だけでこれだけ出るのだから、全国で膨大な数の「違憲神社」が存在することになるだろう。
「神社」というものが、地域住民と密接にからみあい、日本人の心の奥に染み込んでいるので、他の宗教施設のように分けることなどできるはずがない。これは最高裁の判決が間違っていたとしか思えない。

読売新聞で「違憲神社」として画像で掲載されていたのは、「荒神神社」。場所は邑楽町中野。
邑楽郡(大泉町や邑楽町など)にも、「新田一族・一門」の関連神社・寺院は多い。
児島高徳関連の寺社「高徳寺」「児島神社」は大泉町にあり、邑楽町には新田家家臣・四天王の篠塚伊賀守重広の菩提樹「大信寺」がある。
邑楽町中野ではフラっと立ち寄った神社が、篠塚伊賀守重広を祀った神社だったりする。
邑楽町 八幡神社
新田家臣・篠塚伊賀守の神社篠塚伊賀守を祀る「八幡神社」
つまりこういうのがゴロゴロあるのだ。

もし、こういった新田一族関連の神社で「違憲神社」が発見され、その社殿が解体されるようなことになり、土地を自治体に返納なんてことになったら、私は嚇怒し、行動しますよ。
もう、「神社は違憲だ」なんていう奴は許さない!

他には神奈川県の事例が出てました。

有償貸し付け検討も
 横浜市は8日、北海道砂川市が市有地を宗教施設に無償提供していたのは政教分離に反し「違憲」とした最高裁判決を受け、同様の事例について調べた 結果、49か所の市有地に鳥居や祠(ほこら)、山門など71の宗教施設が設置されていたと発表した。市では、宗教的行事も行われていれば違憲状態とみて、 利用実態を調べ対応を検討する。
 市によると、調査は2月、市有地の現地確認などで実施した。見つかった宗教施設は、鳥居33件、祠16件、墓地6件、山門2件、その他(石碑、石柱など)14件。鳥居は、神社の参道の一部が市有地になっているケースが多かった。祠は、公園や福祉施設などにあった。
 川井浄水場青山水源事務所(相模原市)の一角にある祠は、「渇水にならないように祈願するため、大正時代に市が設置した可能性がある」(市水道局)。
 中央卸売市場本場(神奈川区)の敷地内には、商売繁盛を祈願する稲荷神社があり、市場関係者が管理している。
 墓地6件については、1908年から48年まで、市町村以外は墓地の新規経営ができなかったため、寺院などが土地を市に寄付したうえで無償使用してきたという。
 砂川市のケースについて、最高裁は、神社が町内会館と一体化して鳥居などとともに市有地上にあり、祭事なども行われていたことなどから、「神社施設にほかならない」と指摘した。
 そのため、市では、各施設で宗教的な行事が行われている場合は、「土地の使用許可や譲渡、有償での貸し付けなどが可能かどうか個別に検討したい」(市財産管理課)としている。

(平成22年3月9日 読売新聞から)
今後、これからも「違憲神社問題」の影響は全国で拡大していくでしょう。

この問題は追記していきます。


「婚活」でも「縁結び」でも「パワースポット」でも何でもいい、とにかく日本人は「神社」に行くことに意味がある。

今年に入って「神社」に関する話題が増えてきました。
「婚活」とか「縁結び」とか「癒しスポット」といったものですが、とにかく「神社」に親しみを持ってもらうことが肝心なので、ここは「よし」としましょう。
とうことで、いくつか「神社」に関する記事を拾ってみました。

平成22年2月26日放送分、テレビ東京「たけしのニッポンのミカタ!」から。

願望を神頼みで叶えたいと神社通いをする「お参り女子」が急増。縁結びの神社やパワースポット巡りをしている30歳の女性に密着。神社側もブームに乗ろうとキティちゃんとコラボしたスタンプを作成するなど必死の様相。ある寺では、神様を萌えキャラクター化。メイドとのイベントを開催し萌えキャラファンが集結するなど大人気に!更にサラリーマン男性の中には山伏修行をする人まで!?太一のミカタではパワースポットグルメを紹介!
「お参り女子急増中」
日本は今、空前のスピリチュアルブーム。仏像展が日本の美術史上、最多の入館者を集め、女性誌では当たり前のように聖地特集が組まれ、パワースポット(明治神宮・清正井)として紹介された途端に、沸き水求めて人が殺到するなど様々な社会現象を巻き起こしている。……

記事は番組ホームページからhttp://www.tv-tokyo.co.jp/mikata/backnumber/100226.html
神社巡り女子こんな感じだった。

番組内で、荒俣宏が関東のパワースポットとして「上野公園の天海遺髪塔」を挙げていた。これは驚き!私もここは好きな場所で、上野に行くと必ず寄ります。なにしろ新田一族にとって天海は重要な人物ですから。
荒俣宏推薦 天海遺髪塔
関連記事

そして、神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!のときに取り上げた萌え寺こと了法寺が放送されていました。
この日はオタクのファンが集まって「餅つき大会」が行われたようです。
萌え寺で餅つき
お~これも日本的ですね。「神社仏閣で分け合って共に食す儀式」とはまさに直会。しかも「餅」は農耕民族の日本人にとっては、魂の象徴であり、命の更新を意味する重要なものだ。
「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」 その1 これは直会だ!」
「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」その2  スイカ=餅、つまり魂の更新を意味する!」
オタクファンとか寺の関係者とかもそういうことを無意識のうちに行っているようだが、これこそまさに「日本人」そのものを象徴している。(アニメ文化も日本文化)

ほかに、神社とコラボするキティちゃんということで様々なグッズの紹介。
キティと神社
神社とキャラクターはとても相性がいい。
他の宗教だったら考えられないことだ。イスラム教やキリスト教やユダヤ教でこんなことをしたら大変なことになるだろう。
ここに日本人の宗教観の特殊性や文化性の違いがある。

さて他に新聞紙上でも「神社」関係の記事があったので書き起こしてみました。
3月5日付け 読売新聞 文化面から
「パワースポット」の吸引力

「力がもらえる」「癒される」。神社仏閣から山、森林など、そこに行くと元気になる場所「パワースポット」が人気を集めている。人を引きつける背景を探った。(泉田友紀)
緑深い東京・渋谷区の明治神宮御苑に、順番待ちの列がずらりと並ぶ。お目当ては苑内の「清正井」。ここはかつて熊本藩主加藤清正の別邸で、加藤清正にちなんで名付けられたとされる。神宮がこの地に設けられるきっかけにもなった由緒ある場所だ。
昨年末、テレビなどで「携帯電話の待ち受け画面にすると、御利益がある」と伝えられ、一時は5時間待ちの列ができた(現在は整理券を配布)。「いま求職中なので、御利益があれば、と思って」。神奈川県から来た40代の女性は、神妙な面持ちで水に手をひたしていた。パワースポットとは、聖地や、占いなどで「気」が集まるとされる場所を指す。
明治神宮にとどまらず、伊勢神宮、天孫降臨の伝説が残る宮崎県・高千穂など、近年のパワースポットの人気はすさまじい。
月刊「crea」(文芸春秋)は3月号で「47都道府県のパワースポット」と銘打ち、神社仏閣から巨木、温泉、霊山まで、各地の人気スポットを紹介。「婚カツに効く参り方」「美仏&秘仏ガイド」などの情報も盛り込み、発売から約10日で完売した。
井上敬子編集長は「記事は時々組んでいたが、丸ごと1冊というのは初めて。30歳前後の女性は仕事の面でも、結婚、出産といったプライベートの面でも、人生の選択を迫られる機会が多い。自分に向き合う場を求めているのではないか。不況のなかで悩んでいる人も多く、お金をかけずに前向きになれる点もいい」と語る。
“神道ブーム”とのかかわりを指摘するのは、井上順孝・國學院大学教授(宗教社会学)。「ライフスタイル誌で神社が特集されるなど、数年前から神道がに注目が集まっている。以前は国家神道のイメージが強かったが、最近はマイナスのイメージはほとんどなくなった。神道は元々、長い歴史のなかで、人々の生活と結びついて展開してきた。古いけど目新しいものとして、受け止められているのではないか」。実際、パワースポットには神道にまつわる場所が多い。「神社が境内に自然を残していることも大きいでしょう」
建築史が専門の鈴木博之・青山学院大学教授は、ブームの背景に「どこに行っても同じような建物が立ち並ぶ、のっぺらぼうな社会への違和感がある」とみる。「世界が普遍的になればなるほど、個々の場所が持つ固有性が大切に感じられるようになる。特に個性を持った場所に立って、自分の立ち位置を確認しているのではないか
パワースポットに集まるのは若い女性という印象が強いが、清正井には老若男女、様々な人が訪れていた。
「定年後、神社めぐりをする男性も多い。合理性を追求する社会の枠組みを外し、肌感覚で神聖なものを触れてみたいと思うのは、男女を問わないはず」(井上教授)。
パワースポットブームは、行き詰まりを見せる経済効率偏重の近代社会へのアンチテーゼなのかもしれない。

大学教授の意見や記者の感想がいい。ただブームを追ったという記事ではなく、一歩踏み込んでいる点がいいです。

明治神宮 清正井
ちなみに「清正井」はこんな感じらしい。

平成22年2月22日付け 日経MJ新聞「ブームの予感」から
婚活参拝 花盛り 妙齢女性もその親も良縁は神頼み?

手を合わせ祈願するのは、良い相手との出会い。「婚活」に励む妙齢の女性の間で、神社やお寺への参拝がブームになっている。訪れる前に、歴史やお参りの作法を“予習”する熱心な参拝者も少なくない。仕事に遊びにと、せわしない日常から離れ、静かな境内で自分と向き合いたい。そんな思いで足を運んでいるようだ。

とあり、一面にわたって「婚活に神社参拝」する女性が取り上げられていた。
ここで紹介されていた神社仏閣は、
「縁結び玉」を配る埼玉県川越の川越氷川神社。
縁結びで有名な出雲大社の分祠がある東京都港区の出雲大社東京分祠。
良縁を結ぶ力が強いといわれる「愛染明王」がある東京都八王子市の高尾山薬王院。
独身男女の出会いの場「縁結びの会」を実施している東京都台東区の今戸神社。
でした。

他には、http://otona.yomiuri.co.jp/pleasure/ginza/100212_01.htmから。 

東京のお伊勢さまで良縁祈願
プランタン銀座の初売りで販売した婚活成就を願う福袋には、ピンク色のオリジナル絵馬を入れていたのだが、1月末でお客様からの回収を終え、いよいよ神社にご奉納することになった。
 回収した絵馬は15枚。どれにも、恋の実りを切に祈る、熱きメッセージがつづられている。
 奉納先は、格式ある東京五社の一つで、縁結びの神様として知られる千代田区の東京大神宮にお願いした。
平日朝早くから、婚活世代の女性たちでにぎわう
 下町の商店街の風情が残る一角に、木立に包まれた境内が広がる。鳥居をくぐったと同時に、頬にひんやり風を感じたのは気のせいだろうか。
 「何ごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」(西行)
 神社に来ると、なぜか背筋がぴんとする。
  東京大神宮は、東京における伊勢神宮の遥拝殿として1880年(明治13年)に日比谷の地に創建された。関東大震災後の昭和初め、現在の飯田橋に移った。 伊勢神宮と同じく、ご祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)らで、「東京のお伊勢さま」とも呼ばれ、親しまれてき た。
境内には、縁結びの札掛けの場所も
 また、天地万物の生成化育、つまり結びの働きを司る造化の三神が祀られていることから、縁結びにご利益がある神社としても知られるようになった。1901年(明治34年)、日本で最初に神前結婚式が行われたのも、この神社なのだそうだ。
 こうした来歴を聞くと、めぐり合いと縁結びの神様のお働きに、願い事を託したくなる気持ちもよくわかる。

彼女らがお参りするときに、少しでも神社の由来・由緒などを頭の片隅に入れてくれればいいのだが…。

さて、こういった記事に関して、「神社で婚活ってなに」「最後は神頼みかよ」といった、ちょっと否定的なコメントをいう人も結構いる。
でも考えてみれば、日本人なくして「神社」も「神道」も成り立たず、日本人が消えれば、当然のごとく「神社」「神道」も消えていくことになる。
男女が結びつかなければ子孫は続かない。
これこそ「日本」の根幹にかかわる大問題なのだ。
少子化で子供の数が減り、将来的に日本人がいなくなれば、それこそ商売繁盛や五穀豊穣どころではない。
とにもかくにも男女の結びつきこそが日本民族にとっての最重要課題なのだ。
だからこそ「神社」にとって男女の「縁結び」は最重要なことになる。
よって、何時間も並んで参拝する女子を笑うことはできない。
となれば、良縁を結婚を求め神社を巡る女子も無意識のうちに「日本人の危機」を感じとって、日本人にとっての心のよりどころである「神社」へ向かうのではないだろうか。

オタクもアニメファンも参拝女子も景気回復を願うサラリーマンも、みな最後には「神社」集う。
過去記事
先行きが不安定なこの時代、日本人としてのアイデンティティを皆が求めているのではないだろうか。


さて、これだけ「神社」(寺社も含む)が注目されている一方で、「神社は違憲だ」という最高裁判決の影響があちこちで出始めているようです。

これについては次回で……。






「神事としての相撲」その3 力士は日本の土地を守る防人だ。

前回までの記事。

「神事としての相撲」
「神事としての相撲その2 相撲の原点は五穀豊穣を願う儀式にある。」
朝青龍マレビト論
テレビ番組「田舎に泊まろう」と相撲巡業はマレビトか?

相撲は天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事だということが根底にある、どうもそういったことが置き去りにされている。そんな気がしてならない。朝青龍の騒動で、テレビのコメンテーターがシタリ顔でトンチンカンなことを言っているを見ると、どうにも歯がゆい思いになる。
なぜ伝統・文化・歴史が大事なのか、もっと根本から説明しなければ、いくら品格だ、人格だ、礼儀・作法だと言っても、「相撲はスポーツだ」と思っている人にはいくらい言っても話は通じまい。

伊勢神宮の奉納相撲のサイトに「神々と皇室につながる「相撲」の歴史」の記事があり、これを読むと相撲が日本の文化・歴史に深く関わっていて、「なぜ相撲が国技なのか」ということがよく分かる。

また相撲の歴史をさかのぼれば、神話時代にまでその根源を求めることができ、各地で力士をかたどった埴輪や弥生式土器は作られていた。これが全国各地の古墳から出土したいる点から見ても、力士には邪気を払い、土地を守るという信仰が日本国内でひろく伝わっていたことがわかる。
力士 埴輪(去年、群馬県立歴史博物館で開催された「埴輪展」で展示された力士の埴輪。福島県泉崎村から出土、5世紀末ころのもので最古の力士埴輪。画像は相撲ナビページから。)
こういうモノだけでも見ても、相撲が日本の文化・歴史に深く入り込んでいることが分かるというものです。
また古墳時代の力士は頭に「はちまき」を巻いていたという。これは後の下級武官が冠に巻く「抹額」に形骸を留めるもので、「戦士」特有な容装と考えられる、とある。
よって古来、力士は「日本の土地を守る戦士」としての役目も負ったのだ。
こういった視点で見れば、以下の件は違った一面が出てくる。
http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/yomu/001/077.html 

嘉永7年(1853)、日本と国交を結ぶためペリー率いる黒船が浦賀に来航。その際、日本側からの贈答品として米200俵などがアメリカ使節に贈られた。米俵を船まで運ぶ役割を担ったのが大関・鏡岩、小柳をはじめ、階ヶ嶽、猪王山、常山、荒馬、雲龍…といった当時の花形力士25人である。
 米俵200俵といってもそこは力自慢の力士たちである。次々に米俵を運び込み、あっという間に荷役を完了してしまったそうだ。なかでも圧巻だったのが、身長208cm、体重150kgの巨体を誇った白真弓。なにしろ1度に8俵の米俵を運んだそうだから、そのケタ外れの怪力は、さぞやアメリカ水兵の度肝を抜いたことだろう。
 『ペルリ(ペリー)提督の日本遠征記』には「重い肉塊は一見あたかもかげろうのようであり、荷物は羽毛のようであった」と記されている。米俵を運ぶ力士たちの俊敏さと怪力ぶりが、掛け値なしに賞賛されているのがこの一文からも良くわかる。

ペリー来航時に、日本では力士が登場する逸話がある。
錦絵 相撲
http://ameblo.jp/kamoshikamaru-zeki/entry-10191948762.htmlにもっと詳しい記事があった。 

【大相撲豪傑列伝】(4)ペリーの前で米国格闘家に圧勝 小柳常吉
2008.10.18 17:41日米スポーツ交流の始祖は、力士とレスラー、ボクサーによる異種格闘技戦だった。主役となったのが小柳。天保から嘉永にかけて優勝5回、優勝同点1回を記録した当時の第一人者だ。
 歴史的な戦いは、黒船で来日したペリー提督の前で行われた。日米和親条約が締結された嘉永7(1854)年の2月26日。大関小柳、鏡岩以下38力士が、力技披露のために幕府から横浜に招集された時のことだ。
 土俵入りやけいこ相撲、米俵運びなどを見せたところ、米国側の随行レスラーとボクサーが「チャンピオンに挑戦したい」。指名された小柳と米国人ボクサーの間でこんなやりとりがあった。「投げ殺してもかまわぬか」「かまわん。だがな、殴り殺すことも許されるのか」。殺伐とした中で、小柳と身長208センチの幕内力士、白真弓が出陣して相撲技で粉砕した。
 面目をつぶされた米国側は、レスラーのウイリアムスとブライアン、ボクサーのキャノンが3人で同時に小柳に襲いかかった。小柳は、キャノンのパンチをかわして小手投げを打って踏みつけ、タックルにきたブライアンを小脇に抱え込み、ウイリアムスを足払いで倒した後にベルトをつかんでつるし上げてしまった。一瞬の圧勝劇だった。
 現役力士の異種格闘技戦としては、幕末の関脇両国が十両時代に黒人レスラーをKOしたり、明治初頭の関脇鞆ノ平が十両時代に米国人ボクサーを倒したり、横綱初代若乃花や輪島の師匠の大ノ海が引退直前の十両時代に渡米しプロレスラー30人に全勝した例などがある。しかし、江戸(東京)大相撲の第一人者の実戦は小柳だけ。現役最強力士の強さを立証した事例として特筆される。

ペリー来航 相撲
横浜の応接所で行われた相撲見物では、たまたま,力士の顔が血まみれになった取り組みがあって,「残忍な見世物」であったと「ペリー提督日本遠征記」に記述があるそうだ。

それにしても、日本はなぜ外国人に相撲を見せたのでしょうか。
日本にも「力の強い者がいるぞ」「体の大きいものがいるぞ」といったところを見せて、力負けはしない、という意志を示したかったのだろうか。
もちろんそれは一番の理由だろう。
しかし、前回の記事でも書いたように相撲が「五穀豊穣、天下泰平を祈って奉納される。力士が四股を踏み、地霊を鎮め大きく両手を広げて、邪気を祓い清めたものだ」という神事という面からみれば、異国から武力を示して強圧的やってくる敵から防衛する役目を負っていたとも考えられるのではないだろうか。
前回引用した注連縄の意味に「神や人の占有地であることを示すしるし。また道しるべの標識。草を結んだり、縄を張り巡らしたり、木を立てたりしたものであり…」という意味があり、相撲取りがする注連縄にもこの意が込められている。
となれば、相撲取りたち存在そのものに「日本の領土」を守るという「防人」の役目があるといえるのだから、外敵の目の前で四股を踏み、儀式にのっとり相撲を見せるということは神事そのものだ。

しかしこういう人もいるだろう「いまの力士は外国人ばかりで、日本人なんかいやしないではないか」と。
とここで、玉木正之の言葉「(外国人力士は)世界中から日本に集まって五穀豊穣を願って四股を踏む人たち」となるわけだ。
外国人力士はみな「マレビト」である。(過去記事「朝青龍マレビト論」)
「マレビト」の定義でいいものがあったので転載しておく。http://www2s.biglobe.ne.jp/~marebito/marebt.html から

マレビトとは、客人をあらわす言葉「まろうど」の、古い形の言葉です。国文学者で民俗学者の折口信夫が展開した「マレビト論」のおかげで、民俗学のキーワードとなりました。
 折口信夫は、さまざまな地方に伝わる祭りや伝説などに共通して現れる「村の外からやってくる者」を、マレビトという言葉でまとめました。たとえばお盆にあの世から帰ってくるご先祖様も、東北のナマハゲも、沖縄の八重山地方で豊年祭に出現する「ミルク神」も、みんな「マレビト」の仲間です。それだけではなく、普通の人間も時には「マレビト」として、準神様扱いされることもありました。たとえば遠い所からやってきた旅人。昔は旅人を歓待することは、ごくあたりまえの風習でした。それがどんな様子だったかは、たとえば「世界ウルルン滞在記」などのTV番組を見ていると、なんとなくわかるような気がします。
 マレビトはみんな、ある種の力を持っていると考えられていました。それはマレビトがそこの共同体に属さない、異質の存在であるがゆえの力。それは必ずしもよい方向に働くとはかぎりません。時には村に災厄をもたらすマレビトもいたのです(ちなみに「疫病神」もマレビトの仲間)

何度も言うが外国人力士はみな「マレビト」である。
ここは前に書いたのでそちらを。
日本人は力士・相撲取りを神事を執り行う「神」と見ている。
そして外国人力士は海の彼方からくる「マレビト」と見ている。

そして、
白鵬や琴欧州らは帰化し、土着した神となった。
白鵬 挙式(和服を着て明治神宮で挙式する白鵬。日本人そのもの。)

だが、朝青龍は禍(わざわい) をもたらす神・禍神となり、日本で暴れるだけ暴れてモンゴルに帰った「荒ぶる神」だった。
朝青龍 モンゴル(モンゴルに帰り民族衣装をまとう朝青龍)
日本に留まらない神・朝青龍を、日本人は反撥する。(スポーツとして相撲を見ている人は朝青龍を擁護し、伝統・歴史を重視する人ほど朝青龍を批難する。それはこういう点に出てくる)
だから日本人はいつも朝青龍がモンゴルに帰るのかをいつも話題にするのだ。(過去記事)

日本人にとって相撲取り・力士は五穀豊穣を願い、日本の土地を守るという「神」に近い存在であり、外国人力士が日本に留まるか(日本人になるか、ならないか)、祖国に帰ってしまうのかは、非常に重要な問題なのだ。(これは高見山や小錦や武蔵丸や曙が日本に帰化し、日本人になったため、彼らはいまでも好意を持って受け入れられている)

それを日本が「排他的なムラ社会だから朝青龍を排除している」とか、「日本の旧態依然とした悪弊的社会的システムだ」といった人もいる。しかしこれは浅慮だと思う。
日本及び日本人、日本文化は奥深いのだ。

「伝統としての相撲」「歴史としての相撲」「文化としての相撲」ここを守らねばならない。


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消えた二十二巻

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