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美智子皇后陛下は新田一族の末裔であるから、この国を、皇室を守っている!その5 シリーズ第25回

新田義貞伝承を追う! 実は「東毛奇談」の続編 シリーズ第25回
美智子皇后陛下は新田一族の末裔であるから、この国を、皇室を守っている!その5

前回の続き
さて、ここまで、「正田氏と新田氏」の関係をただひたすら引用してきました。それもこれも「正田氏」のルーツをさかのぼっていくと「新田一族」にたどり着く、という結論のためです。
この点においてはこれくらいで大体は分かって頂けたかと思います。(それでも、一部のアンチ皇室の輩は納得が行かないでしょうけど……。)

ただ、正田氏が「新田一族」「新田源氏」「新田一門」だから何んなんだ、と言う人もいるでしょう。
新田氏の末裔だからどうした、という人もいるでしょう。
しかし、「正田氏の祖先は新田一族だった」という事実が肝要なことなのです。
それは、このシリーズのテーマは“「新田氏」に関連した人々は、それを自覚するとたちまち「尊皇家」になって、「新田源氏の使命は皇室を、国を守ることにある」と悟る”ことだ。
よく美智子皇后は平民の出だから云々と言った話をよく聞くが、正田家はただの家ではない、その系譜は、新田一族の末裔である。
新田一族の末裔である美智子皇后は御自ら皇室の中に入って、天皇陛下を支え、国(国体)を守っているのだ。

地縁や血縁の結び付きは、本人が思っている以上にその影響下にある。そんなことは意識もしていないという人もいるだろうが、そんなことはない、それは当人が気がつかないほど自身の内部にしみ込んでいるものなのだ。だれもここから逃れられない。
「自分の祖先が○○だった」「○○と同じ出身校だ」「おらが村の英雄は○○だ」ということに影響され、自ら行動指針というか行動規範の基を作っていくことになる。
そこを意識することによって、祖先(あるいは地元の英雄とかいったもの)の持っていたイデオロギーまでも背負っていき、その後の行動・活動に影響を及ぼす。

例えは悪いが、政治家の鳩山邦夫が「俺の親戚は坂本龍馬だ」と言ったことがありました。本当かどうかは分かりませんし、どうでもいいことなのですが、ここで重要なのは、「みんなが一緒にやれるように(幕末に薩長連合を仲介した)坂本龍馬(の役割)をやりたい」と連携に意欲を示した、といったところにある。
血がつながっているから、その人と同じ考えのもとに同じような行動するというのは、本来脈絡のない話である。しかし世間一般では、血縁者だから同郷だからその人の考えを引く継いで同じ行為をするというのは、大いに賛同される話である。
ただ、ここでは本人の資質によるものなのか鳩山邦夫の件は大衆に受け入れませんでしたが、本来、先人の遺命を引き継ぐ、先祖の遺訓を受け継ぐというのは美談の類になるべきものである。

これは自分が思っている以上にその人の心や思考までも形づくってしまうので、歴史上の人物でもこういった逸話は多いだろう。
例えば、草莽の臣である高山彦九郎は、新田郡細谷村の5月8日生まれたが、この日が新田義貞の挙兵の日であることや、高山氏が新田一門であったため、同郷の英雄である義貞の生涯に共鳴していったという。そして、新田一族の使命を自覚したのだ。それが「尊王思想」である。後の破天荒な行動は幕末の志士たちに多大な影響を与えた。『松陰』の号が高山彦九郎の戒名『松陰以白居士』からとったいう説や、中岡慎太郎、細谷村にある高山彦九郎の墓を訪ねているなどといったことだけでも分かる。(その他は歴史ミステリー小説「東毛奇談」第6章 12で)
高山彦九郎にとって、生まれ育った場所や祖先が「新田義貞及びその一族」に関連したことが、後々までの行動指針となった。
高山彦九郎が引き継いだのは「新田源氏の末裔は皇室(国)を守る」という使命感だった。

一つ「新田氏」関連の話を。
手島仁著「中島知久平と国政研究会」(みやま文庫) から。 

琴子(小川平吉の二女)は宮沢裕との間に、喜一・弘・泰をもうけた。喜一は第78代内閣総理大臣で、金井之恭の曾孫にあたる。岩見隆夫「再見戦後政治」によれば、岸信介・福田赳夫・宮沢喜一は戦後政治の三秀才で、頭脳明晰さは世界的な水準であるという。岸は福田を後継者とした。福田も宮沢が政敵の池田勇人―大平正芳系の人物であったにも関わらず、福田内閣の経済企画庁長官に抜擢し、OBサミット(インターアクション カウンシル)の後継者とした。これは戦後政治を彩る秀才の系譜であるが、福田が宮沢に目をかけたのは、上州人の血が流れていたことも、その理由であったと思われる。新聞記者などが、保守陣営のリベラリストの代表格である宮沢が熱烈な天皇主義者であることに驚きの反応を示したが、宮沢の皇室主義は、新田源氏の末裔である勤王金井家の血筋から来る筋金入りの正統なものであった。

宮沢喜一が金井之恭の曾孫に当たるとは思いもよらなかったが、(金井之恭は新田岩松家の支流。これは後で)
いま、ここで重要なのは、太字の部分で「新田源氏の末裔は皇室・天皇主義になる」ということだ。
こういう認識はみんな持っているようで、戦前では特に感じていたようだ。

この「新田氏=尊皇家」というのは新井白石にもある。
宮崎道生著「人物叢書 新井白石」から
「白石が自らを新田氏の子孫と考え、その自覚のもとに生きたことの意義は大きい」「白石その人が、自らの祖先を清和源氏で新田の支流であるとの意識を抱きながら生きたという事実は、白石の生涯を考える上できわめて重大な案件だったとして重視しなくてはならないであろう。」とある。
つまり、新井白石は幕内にあって珍しく尊王家であり、朝廷・皇室も世継ぎ確保のために備えをすべきであるとして宮家の増設を提言し、これが閑院宮家であり、今の皇室の系譜となっている。(関連記事 シリーズ 新井白石編その2 新井白石が皇室の系統を守ったのは、彼が新田源氏だったからだ。)

また、水戸徳川家は「もし徳川宗家と朝廷との間に戦が起きたならば躊躇うことなく帝を奉ぜよ」との家訓をもつほどの南朝びいきの尊皇家だが、新田源氏の末裔であることを一番強く打ち出していたのが水戸徳川家だった。
同じ新田源氏末裔を称していた徳川の他家との特異性はどこにあったのか、これは後に書く。(「新田肩衝はなぜ水戸家にあるのか」)

ここでの要諦な点は「新田一族の末裔の使命は、この国を、皇室を守る」ということにあるのだ。

ならば、ここまで見てきたように、新田一門である「正田氏」もその使命を背負っていることにある。
だからこそ、「その1」で書いたように美智子皇后の使命感にあふれたお姿の意味も分かるというものである。
内側から皇室を支えている。
いま思うと、戦後の「サヨク」思想全盛の中で、皇室が倒されなかったのも、この国柄(天皇制)が壊されなかったのも、国民的人気を得られた美智子皇后の影響は大きかったのではないか。
「週刊誌的皇室」と揶揄されながらも、いま現在、「平成の皇室」が国民から支持されているのは、美智子皇后陛下の献身的お姿にある。

時代々々で皇室の在り方は変化している。現代において皇室の在り方として、いまは現状しかないのではないのではないのか。(「開かれ過ぎている」という懸念もあり、これについては問題も多いが……)

そうなれば、美智子皇后の血を受け継ぐ皇太子殿下や秋篠宮殿下、そして悠仁親王、敬宮愛子内親王、眞子内親王、佳子内親王もこの系譜にあり、この「使命」を受け継いでいることになる。


歴史的に新田義貞はその名を残したが、その生涯は余りにも短く、歴史上で大きな業績を残したとは言い難いかもしれない。しかし俯瞰して長いスパンで、目を凝らしていくと、そこに「新田氏」(児島高徳を含む)の末裔やら関係した人物が現れていることに気づく。(鎌倉時代末期・南北朝時代だけを見て「新田氏」を語ってはいけない)
そして彼らは、この国を守るためにどうすればいいのかを考え、行動した。

新田一族の末裔がこの国で果した役割は決して少なくないのだ!

このシリーズ「新田義貞伝承を追う! 実は「東毛奇談」の続編」では、まだまだそういった人物を掘り起こしていきます。
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消えた二十二巻

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