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「がんばれ日本!」 こんな時代だからこそ、日の丸をふって応援しよう!

ここのところサッカーワールドカップ 南アフリカ大会を見続けいて、ブログの更新が滞っています。

やはり日本が勝つと盛り上がりますね。
日本代表の海外報道日本代表の活躍で「サムライジャパン」として外国で賞賛されるのもいい。

日本代表と日の丸肩を組んで「君が代」を歌う日本の選手たち。こういうシーンもいいもんです。
日本人が一つにまとまるという点においてもいいことだ。

それにしても「日の丸」「君が代」反対などと云っている(自称)文化人や評論家らは、こういう時になると何処に行ってしまうのだろうか。朝日新聞やテレビ朝日あたりは普段、「日の丸・君が代=侵略戦争のシンボル」と主張しているくせに、今は気味が悪いほどおとなしくなっている。
「偏狭ナショナリズム」「日の丸に支配された選手たち」なんていう谷口源太郎 [スポーツジャーナリスト]のような思想の人物は、日本中で「日の丸」が振られている今こそ、自分の主張を大声で叫べばいいのに、空気を読んでか黙っている。きっと「国民が熱狂しているときは沈黙している方が得だ」とでも思っているのだろう。
こういう時に、彼らの主義・思想がそんなに「強い信条」でもないというのが、よく分かります。
それに、「ぷちナショナリズム」なんて命名して、サッカー日本代表の応援で日の丸を振ってる若者を批判していた香山リカだが、朝のワイドショー「スッキリ」(日本テレビ)に出ていて「日本がんばってください」なんて言っているのを見たが、これには呆れかえった。(出演者のだれか「あなた日の丸や君が代が嫌いですよね」と突っ込んでやれよ。ラモスと討論させたいな)
ほんと、こういううす甘い「サヨク」って節操がない。どうせW杯が終わったころに「日本の国歌・国旗は気持ち悪い」って言うんだろうな。

さて、ワールドカップ関連で興味深かったのが、読売新聞の「人種融和の象徴」だった仏代表崩壊、問題は…」の記事だった。

【パリ=林路郎】サッカーのワールドカップ(W杯)で、まさかのグループリーグ敗退となった前回準優勝国フランス。非白人選手のスターも多く、1990年代には「多人種融和の理想を体現した」ともてはやされた仏サッカーだが、今回は内紛により自壊した揚げ句、史上最低とも言える結果を招いた。
 「ドメネク(監督)長期支配の惨めな終焉(しゅうえん)」(ル・モンド紙)。1勝もあげられず、スキャンダルに明け暮れた仏チームと運営責任者に対し、主要メディアは連日、集中砲火を浴びせている。W杯出場を決めた試合のゴールが元主将ティエリ・アンリ選手によるハンド絡みのアシストだったことに始まり、大会中は選手の練習ボイコットもあった。4月には、2選手の少女買春疑惑もあった。

 「サッカーがフランスの恥になってしまった」
 98年に仏チームをW杯優勝に導いたエメ・ジャッケ元監督はテレビ番組で、著しい品位低下をこう嘆いた。
 選手育成の在り方を問題視する識者は多い。10歳代半ばでプロ入りし、有力選手になれば20歳そこそこで年収10億円前後を手にする。「大半は学業そっちのけで、生活の現実や苦しみを知らない。子供のまま大きくなった利己主義者たち」。スポーツ記者パスカル・コキ氏はブログにこう記した。
 「政治とスポーツが作り上げた人種融和の虚構まで崩れ去った」。こう指摘するのは、カーン大学のパトリック・バソール准教授(社会学)だ。
 W杯優勝チームにはアラブ系、アフリカ系、中南米系の選手が多く、国民的英雄のジネディーヌ・ジダン選手もアルジェリア系だ。現在の代表チームの主流も非白人選手。移民国家フランスの社会の下層で多くの移民、その子孫が貧困にあえぐ中、その「夢」をつなぎ留めてきたのがサッカーだった。しかし、バソール氏は「(移民を含む一部選手による)買春や薬物使用、マフィアとの接触など多くの問題が表面に出てきた」と、「夢」の効果に限界が見え始めた、とみる。
 「恥知らず」な一部選手に敗因を求める声も後を絶たない。評論家らは「愛国心を持たず、国歌も知らない」「大金を得られないW杯では手を抜き、フランスに所得税を納めないと吹聴する」「他人への敬意を持たない」と散々だ。

 サルコジ大統領は24日、アンリ選手から事情を聞くため、エリゼ宮に招いた。サッカー連盟のエスカレット会長に辞任を迫る閣僚もいる。フランスは2016年、欧州選手権を開催するが、チーム再建は容易でないようだ。

 ◆W杯フランス・チームの内紛=FWアネルカ選手がメキシコ戦のハーフタイムでドメネク監督に悪態をつき、仏サッカー連盟は同選手追放を決めた。占星術による選手起用を公言してきた同監督と選手間の長年の亀裂は決定的に。このほかエブラ主将が「選手やスタッフしか知り得ないことを漏らした裏切り者がいる」などと記者会見で発言、波紋を呼んだ。(2010年6月24日23時00分 読売新聞)

なるほど、フランス代表の中には「国歌も知らないような選手」がいたのか、これじゃ負けるわ……。
でも、他の国のことをあれこれ言ってられないかも。
なにしろ日本は、政権与党の民主党やその党首である菅首相は「君が代」「日の丸」に何の愛着も持っていないというから。
これじゃ、フランスのサッカーチームどころの問題ではなく、国が崩壊してしまうだろう……。
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二十歳の三島由紀夫 その1 三島は二十歳のとき群馬県太田市(新田)にいた!

最初のきっかけは、文藝別冊「総特集 三島由紀夫」(河出書房新社)の中の一文だった。

松本健一、安彦良和の対談の部分から。

松本健一「……(三島由紀夫)が戦争中に学徒動員で私の育った中島飛行機の飛行場に行ったというのは意外でしたね。というのは中島飛行機というのは群馬県の太田市に本社と工場があったんだけど、そのほかにも三鷹とか宇都宮とかいろいろなところにあるから、学徒動員で必ずしもそこに行くとは限らないんです。」
安彦良和「結構レアな遭遇なわけですね。」
松本健一「そうなんです。(笑)。彼がちょうどそこに来た直後に私が生まれたという形になるわけで、あんなところにいたのかという感じはあるんですが、そこは戦後体制の一種のエアポケットみたいな場所で、中島飛行場があった場所に米軍司令部が置かれたために、私が大学に入った昭和三十九年の東京オリンピックの年まで町の真ん中に星条旗が翻っていたんです。……」

何と、三島由紀夫は、終戦の年に学徒動員で群馬県太田市(新田)にいたというのだ。

「三島由紀夫全集 巻42」の年譜によると以下のようにある。

昭和20年1月10日 
学徒動員として中島飛行機小泉製作所に行く。原稿用紙に書かれたメモには「○交通 浅草雷門より東武電車、伊勢崎行又ハ大間々行、普通二時間、急行なら一時間半にして館林着。ここで西小泉線に乗り換え(この乗り換え頗る面倒)約廿分にして終点西小泉着。この間最短三時間、最長五時間 切符の入手頗る困難」とある。勤労動員の正式名称は「東京帝国大学勤労報国隊」。群馬県新田郡太田町小泉製作所東矢島寮11寮35号室が住所。

確かに住所が群馬県新田郡太田町とある。(余談、やはり大泉町を含めこの周辺は「新田市」がふさわしい。)

さてさて、この事実を知ってからが大変だった。
というのも、三島由紀夫こと平岡公威が、群馬県太田市(大泉町)にいたということになれば、新田氏に関連する神社仏閣や場所を訪れたことはないか、新田義貞や児島高徳に新田一族に関した記述はないか、太平記や南北朝時代に関して記したものはないかと、全集を読み、書簡を読んで、三島由紀夫関連本を渉猟していくことなった。
そんな話が一つでもあればいい。そこから付会して、斎藤佑樹と関係させたり(富士重工・スバルの前身が中島飛行機製作所)、児島高徳の薫陶を受けた(大泉町に高徳関連の社寺がある)とかいった話にして、いつものように膨らまして無理やりにでも三島由紀夫も「新田一族」の一員にしようとした。
だが残念なことに、そういった記述は何一つ出てこない。

しかし、三島由紀夫の書簡や小説・評論をいろいろと読んでいくと、思った以上に中島飛行場の話は出てくることが分かった。
そしてこの時期が、三島由紀夫の人生にとって大きな転機になっていて、短い「中島飛行場の時代」が一つの分岐点になっていのではないか、と思えてしかたならなくなった。

と話を進める前に、とりあえず「中島飛行製作所」の説明。
 群馬県百科事典(上毛新聞社)から。

中島飛行製作所
1917年(大正6年)末から1945年(昭和20年)8月までの29年間、新田郡太田町(太田市)を本拠に発展した民間軍需航空機制作会社。戦前、本県最大の軍需工業で、重工業発展の先駆け。1917年12月、中島知久平が設立。大光院東側の旧博物館を借り、10人足らずの同志が知久平とともに「飛行機研究所」の看板をかけ、飛行機の設計や製図、試作業務を始めたのが最初。〈中略〉
1931年12月に、株式会社「中島飛行機製作所」となる。
1920年、太田町東端に工場(現富士重工)を新築、主力工場とし本社を置き、1923年、日中戦争勃発後は国の指定管理工場となり、軍事景気の波に乗り増資を重ね、前橋、小泉(大泉)、尾島、桐生、堤ヶ岡、本庄、大宮、田沼、足利、宇都宮、武蔵野、田無、多摩、半田、浜松、三島、黒沢尻など各地に工場を建て、研究所や飛行場を建設した。1941年以降は太田は陸軍機専用工場(海軍機は小泉)となり、全国から徴用工・動員学徒・女子挺身隊などが集まり、終戦時5万人が働く一大軍需産業に発展した。生産機数は陸・海軍・民間機を合わせて126機種、約3万機を数え、我が国総生産機の約3割を占め、太田工場だけでその半数1万5000機に達した。
隼・鍾馗・呑龍・疾風・月光・零戦など陸海軍の重爆撃機・艦載機・戦闘機と寿・光・栄・護・誉などの発動機は有名。
戦局が重大化した1945年4月、中島飛行機は国家管理下に置かれ「第一軍需工廠」と名称を変え、工場疎開や地下工場の建設までして生産に努めたが、資材不足や激しい空襲のため生産はマヒし、8月17日、軍需工廠機能は停止した。紆余曲折の後、1946年7月、財閥解体指令によって12の会社に分割。1953年、5社合併し現在の富士重工業株式会社が設立された。

他に「富士重工、スバル、中島飛行場」で検索すればいくらでも説明があります。
ついでに大泉町の説明は、「1941年に中島飛行製作所が作られ、太田・尾島と合わせて一大軍需工業地帯となる。 第二次大戦後、工場は米軍に管理され、1959年に返還された。1961年旧中島工場跡に東京三洋電機を誘致した。」とあり、三島由紀夫がいた工場は、今は三洋電機になっている。

大きな地図で見る
これを見れば周辺に「新田氏史跡」が多いというのが分かる。(ちなみに大泉町は「ブラジル人」の街として全国的に有名。サッカーワールドカップ時期になると、テレビでよくここが中継される。)

さて、「中島飛行場」時代の三島がどのようであったか、今回は自伝的小説「仮面の告白」から引いてみます。
(M市近傍のM市というのは、前橋市のこと。N飛行機工場が中島飛行場のこと。二十一歳とあるが、当時は数え年なので、満二十歳ということになる。)

戦争の最後の年が来て私は二十一歳になった。新年早々われわれの大学はM市近傍のN飛行機工場へ動員された。八割の学生は工員になり、あと二割、虚弱な学生は事務に携わった。私は後者であった。それでいて去年の検査で第二乙種合格を申し渡されていた私には今日明日にも令状の来る心配があった。
黄塵の湧き立つ荒涼としたこの地方に、横切るだけで三十分もかかる巨大な工場が、数千人の工員を動かして活動していた。私もその一人、四四〇九番、仮従業員九五三号であった。この大工場は資金の回収を考えない神秘的な生産費の上にたうちたてられ、巨大な虚無へ捧げられていた。毎朝に神秘な宣誓がとなえられているのも故あることだった。私はこんなふしぎな工場を見たことがない。近代的な経営法、多くのすぐれた頭脳の精密な合理的な思惟、それらが挙げて一つのもの、すなわち「死」へささげられているのであった。
〈中略〉
(空襲サイレンが鳴って)……事務員たちは重要書類の箱を抱えて、地下の金庫へいそぐのだった。それらをしまいおわると我がちに地上へ駆け出し、広場を横切って駈けてゆく鉄兜や防空頭巾の群衆に加わった。群衆は正面をめざして奔流していた。正面の外は荒涼とした黄いろい裸の平野であった。七八百米へだたった緩丘の松林に無数の待避壕が穿たれていた。それへ向かって砂塵のなかを、二筋の道にわかれた無言の・苛立たしい・盲目的な群衆が、ともかくも「死」でないもの、よしそれが崩れやすい赤土の小穴であっても、ともかくも「死」でないほうへ駆けるのであった。
〈中略〉
(召集令状を受け取り、即日帰郷を命ぜられて) ……営門をあとにすると私は駆け出した。荒涼とした冬の坂が村のほうへ降りていた。あの飛行機工場でのように、ともかくも「死」でないもの、何かまれ「死」でないものほうへと、私は足が駈けた。

つまり、三島由紀夫の歴史の中でも重要で、よく話題になる「召集令状」を受けて兵庫県に行くエピソードの直前、そのときに「中島飛行場」にいたのだ。
ユーチューブにこの時代のものがあったので載せておきます。

中島飛行機製作所での学徒動員の生活の印象がよほど強かったのか、「仮面の告白」でも何度かその名は登場する。
「……肺病やみの大学生ばかりが抵抗感のない表情で固まり合っているあの飛行機工場の寮」とか「まだ二十一歳で、学生で、飛行機工場へ行っていて、その上また、戦争の連続のなかで育ったなかでも……」といった表現で、「中島飛行場」が、「死」としてメタファー、「生と死を分けるもの」を印象付けさせるものとして比喩的に使われているようだ。
肉体的な生死のみならず、「精神的な生と死」としての分岐点として「中島飛行場」時代があると思われるのだ。

終戦の年である昭和20年、三島由紀夫の二十歳の年は、彼にとって激動の年であった。
その年の初頭、昭和二十年の冬に、群馬県太田市(当時は新田市)で過ごした日々は何であったのか。
その後、三島由紀夫こと平岡公威はどう変わったのか……。

これを解くカギは「ホット・ケーキ」です。

これを次回から続けていくことにします。



「こめ」「弁当」「おにぎり」で「文化防衛論」。「サマーウォーズ」と「エヴァ」と「コボちゃん」

「こめ」「弁当」「おにぎり」で「文化防衛論」の補足。
外国人が日本のアニメに出てくる「おにぎり」「弁当」に興味を持って、それが「BENTO」ブームの切っ掛けの一つとなったという話がどうもにも気になって仕方なかった。そこで最近見たアニメから「おにぎり」「弁当」の場面を拾ってみることにした。
まずは、細田守監督の「サマーウォーズ
サマーウォーズ
(和文化にあふれたいい映画だ。けなす奴は許さない。「時をかける少女」の記事はここで)
そして、画像は中盤、祖母が死去した後に親戚一同が食事をする場面。
サマーウォーズ 「おにぎりと花札」「おにぎりと漬物と花札」
「食べる」という行為ほど人と人を結び付けることはない。
特に、日本人にとって人と人を結び付けるものは、やはり「米」「ご飯」なのだ。
また、同じモノを分け合って食べる、同じものを一緒に食すというのが、「神人共食」「共食、神饌」「直会」に通じる。
(関連記事は、「クリスマスにケーキを切り分けて食べる意味は?」、「サンタクロース=恵比寿、大黒?」「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」 その1 これは直会だ!と、「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」その2  スイカ=餅、つまり魂の更新を意味する!)

そういう視点でみれば、みんなで「おにぎり」を食べた後に親戚一同が結束し、敵と戦うという意味も一層深まっていくだろう。

次は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
エヴァ破(やはりエヴァはいい。過去のエヴァ記事はここ)

画像は、碇シンジが綾波レイ、式波・アスカ・ラングレー、葛城ミサトの4人分の「弁当」を作る一場面。
エヴァンゲリオン破 「弁当」
公式サイトには「シンちゃん弁当」というのがあった。
エヴァ シンジ弁当
この「弁当」が次の展開を生むことになり、レイの心を開いてアスカとの関係のアクセントになるという重要なものとなっている。
「食」が人を結ぶ重要なものだと考えれば、この弁当というのは物語上大きな役割を持っている。
そして、「弁当」という概念がない外国人には、これが奇異に映り、その特殊性が「日本文化」と見えるわけなのだ。
(特異性・特殊性が独自の「文化」となる。関連記事)
やはりここでもはずせないのは、「こめ」「おにぎり」なのです。
(「ポケモン」や「ドラゴンボール」など海外で人気のアニメの中で、他にも「おにぎり」や「弁当」を食うという場面はいくらでもあるはずだ)

さて、もうひとつ。
読売新聞の「コボちゃん」が連載1万回を超えて、妹が生まれた。その時の記事
この妹の名前を公募し、その応募が4万を超えたという記事を見たが、その名前の一覧を見て驚いた。
コボちゃん 妹の名前候補(読売新聞から)
何と「穂」「米」「実」という字が多いこと。
こういうのを見ると、日本はつくづく「稲作の国」「コメ文化の国」だと思う。

ここで、柳田国男の言葉を。
「……今日では大陸から朝鮮を南下し、海峡をぴょんと渡って日本に入って来たろう、文化も人間もみんなそうして入って来たろうと、簡単にきめる空気が非常に強いが、私ははっきりとその説に反対している。何故なら南からでなければ稲は入って来ないし、稲が来なければ今の民族は成立しないと思うからである。今の民族は単に百姓が米を作るだけではなく、皇室も米がなければ神様をお祭りすることができないのである。神様を祭る時の食物には必ず稲が入っている。したがって私は日本民族は稲というものと不可分な民族だと確信している。」(「新編 柳田國男全集第12巻 解説の中「故郷七十年」から)

日本人と米、稲作文化と日本文化は切り離せない関係にある。この米と日本人との関係は、すでに日本神話から始まっており、今でも新嘗祭や各地の祭りなどにつながる日本文化の源泉になっている。現代日本人は知らず知らずのうちにその影響を今でも十分に受け継いでいるのだ。
だから日本のアニメの中にも何気なく「米」や「ご飯」や「おにぎり」などを食べるシーンが登場し、それが物語上において大きな変化を与える暗喩として使われることがある。それはアニメ・マンガに限らず、文学・映画・ドラマの中においてもいくらでも見出すことができるだろう。
また、重要なのは、それを見た海外の人々が、「何だあのライスボール(おにぎり)は」「何でライスをボックスに詰めて学校に持って行くんだ」「なぜ桜の下で弁当を食うと嬉しいんだ」などと奇異に思うだろう。そして、何で登場人物らみんなこれを食べた後に物語に変化(登場人物の心境の変化)が起こるんだろうと、直観的に感じ取ってそこに疑問を感じることになる。その疑問が、日本文化への興味となり、結果日本文化への好意の持つ切っ掛けにつながっていくことになっているのだ。
外国人はそこに、日本人にとっての「米」「ごはん」「べんとう」には何か見えない力があると感じているはずなのだ。
ここで「日本人と米」(勉成出版)から、学習院大学教授・吉田敦彦の文章から一文を引用。
「日本人は米を自分自身のメタファーと考えるほど、米と自分自身の血筋とかまた命や魂まで密接に結び付ける。そういう自己認識がまさに、自分と米との関係の認識であるかのような観念を文化の中で根強く培っている……〈中略〉日本人の米食願望、米に対する非常に強い執着をもって、自分のアイデンティティや生命そのものまで米と結び付けてきた。」
この精神が日本人の中にしっかりと染み付いている。日本人である以上、否定しようにも否定できない事実なのだ。
これが日本文化であり、日本人の根底にあるものなのだ。

それが今、アニメ・マンガを通じて世界に広まっていき、認識され、尊敬され、日本文化を愛したりもする。

「国家=文化」

日本人はどこを守ればいいのか、よく考えればきっと見えてくるはずです。

世界が憧れる「日本文化」、そんなことが書かれている新聞記事をいくつか拾ってみました。

最近の新聞紙面から、「日本文化」について語っているもので、「これはいい」と思うもをいくつか拾ってみました。

平成22年6月14日 読売新聞文化面から
文化外交 今こそ強化 仏での成功 専門官育成を 渡邊啓貴(東京外国語大教授・国際関係論)

今年3月まで2年間、在仏日本大使館広報文化担当公使を務めた。その体験で得たものを述べてみたい。
フランスではさまざまな領域で日本文化が浸透している。政府は2000年代前半以後、観光客の来日キャンペーン、知的財産戦略計画・日本ブランド戦略などを通して広報文化外交の推進を目指してきたが、「国際ブランド」は着実に根付きつつある。政府が英仏独伊4カ国に対して行った調査では「日本を信頼できる」としる意見は80%以上であり、日本は「豊かな伝統と文化」の国とみなされている。
パリには日本料理店が500あるとも言われ、昼食時は有名な料理店は高額にもかかわらず満席。オペラ座界隈のラーメン屋にはいつも列ができている。有名なフランス料理店が、うなぎの蒲焼の一品をメインで出すご時世である。
日本ポップカルチャーの見本市「ジャパンエキスポ」は昨年4日間で16万5千人を集めた。コスプレの若い男女が闊歩する様を、現場で見た日本人はみんなその隆盛ぶりに驚く。日本のマンガの翻訳本は実に年間130万部も販売される。
漢字ブームに乗って広まり始めた書道に加えて、華道、茶道、柔道、折紙など伝統文化の紹介はいたるところで行われているし、それらはフランス国内に150もある日仏友好協会の中心的活動である。フランスは柔道人口では世界一で60万人に達する。
あるときフランス人の青年が、「実はアニメなどを見ていくうちに日本文化に歴史と伝統があることを発見しました」と筆者に語ったときはわが意を得たりという気持ちだった。
問題は、今後この傾向をどこまで外交関係の発展に結び付けていけるか、という点である。そのためには、文化担当専門外交官を本格的に育成していく必要があると思う。文化交流を海外で担っているのは国際交流基金であるが、文化事業には政治家・企業が密接に絡むことも多い。
ハコモノに対する厳しい批判はあるが、パリでは中国や韓国も文化外交を強化している。現存のパリ日本文化会館の事業規模をしっかり確保した上で、文化人・有識者との強い人脈を形成し、それを外交実務に展開していける人材の養成が必要である。
とくに知的交流の強化には単なる著名人の派遣の域を超えて、時宜に応じた企画を実現できるような広範に及ぶ専門性の高い日常的な相互交流活動が不可欠である。広報文化外交は今や日本外交の最重点強化領域となっていることを痛感する。


平成22年6月12日 読売新聞 奈良フォーラムの記事からのコラム
伝統と近代化両立 東大教授 北岡伸一 

国連大使として米国で過ごして、日本は国際社会でとても人気があると痛感した。強烈な軍事力や圧倒的な経済力があるわけではない。が、日本は伝統を保持しながら近代化を遂げた極めて珍しい国だ。法の支配や自由、人権、民主主義といった近代化の課題を達成しつつ、万葉集を現代でも楽しむような文化的連続性は世界でも珍しい。
中国文化圏の辺境にあった日本人は、自分を世界の中心と思わず、自己の位置を相対化し、他国の良いところを見つけ、吸収しょうとする姿勢を保つことができた。多様な民族の共存が必要な今後の国際社会に、不可欠な資質だ。
日本の切り札は文化であり、これは世界に通用する。
遣唐使に比べ、なぜ日本人は内向きになってしまったのか。外に向けて挑戦するためのアイデアを思い浮かべる時、関西人のコミュニケーション能力は、アジアとの関係深化の突破口になる。リスク回避ではなく、チャンスをつかむという考え方が必要だ。
今の日本は戦略性が欠如している。奈良時代の前後には何度も遷都を行うなど大胆な政策決定があった。微修正でなくゼロベースからの国家戦略だ。


平成22年6月16日 読売新聞 「顔」のコーナーから 
「竹取物語」をベンガル語に訳す ムハマド・アルシッド・ウッラさん(59)

「この美しい物語を通して、日本のすばらしい文化を祖国、バングラデシュに紹介したかったのです」
来日30年。独学で日本の歴史と文化に取り組んできた。ベンガル語は仮名と同じ48文字。作中の和歌はひと文字ずつベンガル語に置き換えた。「五七五七七のリズムを伝えたくて。英語にはできないことでしょう」
科学者の卵として慶応大学に留学、微生物の研究にあたった。博士号も取得した。しかしその興味は、民族も宗教も習慣もひとつ鍋でかき回したような祖国とは対極にある文化へ。「不思議で科学より奥が深い」と魅入られた。アジアでは珍しくない竹も「ここではアートになる」。
日本で勤めた会社は辞め、語学教師や外国人が関係した犯罪の通訳をしながら、書棚を埋める研究書に向かう。
「世界に日本のような文化はない。特異とも言われるが、それは誇るべき違い」と語り、今の日本でその伝統が軽んじられていることに心を痛める。
埼玉県鳩山町で妻、和枝さんと暮らす。自室は畳。寝る時は布団。次は百人一首を、という。


そして、傑作がこれ。
平成22年6月5日 上毛新聞 芸能面からのコラムから。
どう!?コレ 映画「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」「伝統芸能」引き継ぐ

日本ならではの伝統芸能といえば、何を思い浮かべるだろうか。歌舞伎、狂言それとも落語?でも皆さん、何か一つ大事なものを忘れていませんか。それは「戦う美少女」だ!
「はぁ?伝統!?」との突っ込みもごもっとも。しかし実際、美少女がスーパーヒロインとなって、華麗に悪をやっつける作品が、日本では欧米に比べて圧倒的に多いのである。
主流は漫画やアニメだが、実写作品でも歴史に残る傑作が生み出されてきた。北川景子が美脚を見せつける「美少女戦士セーラームーン」や南野陽子や浅香唯がたんかを切った「スケバン刑事」。薬師丸ひろ子は「セーラー服と機関銃」の「カ・イ・カ・ン」で一世を風靡した。
彼女たちは大ブレークし、スターとしての地位を確立。清純の象徴ともいえるセーラ服が、常に戦闘時のコシチュームとなっていることも見逃せない。
そしてまた、脈々と受け継いできた「伝統」を引き継いだ映画が新たに誕生した。その名もずばり「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」である。
ある日突然、「ミュータント」に変身した少女が、悪の組織と戦いを繰り広げるバイオレンスアクション。主演は元JJモデルの新進女優、杉本有美。暴力とは無縁としか思えぬ超美少女だ。
ところが、映画はバイオレンス描写が激烈を極め、終始、スクリーンに血しぶきが飛んでいる。なのに不思議と、その猟奇性とセーラー服姿の美少女とのコントラストが「カ・イ・カ・ン」となって、爽快感さえ抱いてしまうのだ。はっきり言って、カルトな作品。でも、その筋のマニアは決して見逃さない。完成前の段階で欧州7カ国での上映が決定。世界は「戦う美少女」を渇望しているのだ。
キャッチフレーズは「日本映画史上最も過激なアイドル映画」。配給元によると「90%以上の観客が男性」というのがちょっと残念。男子も女子も仲良く手を取り合って、この日本の伝統芸能を継承していこう!

美少女戦士がどうとかということではなく、日本で生まれた独自性、特異性こそが外国でも注目されるという点においていえば、これも「日本文化」の一つであるのだ。この記事がいいのは、「目の付けどころがいい」ということ、こういう記事に私はしびれてしまう。
これは、「新しい文化だからといって軽視してはいけない。そこに日本の魂が入っていればそれが日本文化だ」三島由紀夫も言うところと同じである。関連記事

さて、「こめ」「弁当」「おにぎり」で「文化防衛論」でも書いたように、日本文化を広めることが日本を守るということにつながる。

それなのに、民主党政権のすることいえば「文化・科学」事業の軽視、予算の削減、あるは廃止……。関連記事
こういう「文化を守る」(=伝統、歴史)ということを明確に打ち出す政党が一つくらいあってもいいのではないか、と最近つくづく思う。

「はやぶさ」快挙の陰に神社のお札。やはり日本人が最後に頼るのは神社!

いい話です。
「はやぶさ」快挙の陰に真庭の中和神社 

 快挙の陰に、真庭の神社の“御利益”―。 小惑星探査機「はやぶさ」担当チームの責任者は、地球に帰還できない危機に際し、重要部品と同じ文字を冠した中和(ちゅうか)神社(真庭市蒜山下和)を参拝、お札をはやぶさの管制室(神奈川県相模原市)にまつって成功を祈願していた。
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の広報部によると、参拝したのは昨年11月。はやぶさの電気推進式の「イオンエンジン」4台のうち3台が故障し、残る1台も寿命間近という最大のピンチに陥ったときだった。
 チームは故障したエンジンのうち、1台のイオンを噴射する部品と、もう1台の電子を噴射する重要部品「中和(ちゅうわ)器」が無事なことに注目。遠隔操作で回路をつなぎ、2台で1台分の推力を発生させる離れ業に挑んだ。
 神にも祈りたい気持ちのチームが全国を調べたところ、読みこそ違うものの中和神社が見つかった。川口淳一郎宇宙機構教授がポケットマネーで参拝し、お札を持ち帰った。イオンエンジン内の「中和器」は作動し続け、はやぶさは地球帰還軌道に乗った。
 偶然にも、道中安全の神としても信仰されている中和神社。入沢喜一宮司(44)は「はやぶさの帰還は関係者の努力のたまものだが、当神社の加護がいささかでも世界的な快挙に貢献できたのであれば、大変な光栄だ」と話した。

平成22年6月14日 山陽新聞から。http://svr.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010061420531990/
日本人が最後に頼るのはやはり「神社」なのです!
過去記事「日本人はなぜ神社にいくのか
日本人にとって神社とは?  日本人度チェック付き
日本人の中に「神道」は深くしみ込んでいる。それは自分が気づかないほど自然な形で。
山本七平はこれを「日本人教」と呼び、すべての日本人は「日本人教徒」だといった。

神社で「ミッション系の大学に受かりますように」と祈願しても決して拒まれることはない。
キリスト教会で結婚式を挙げるのに、大安や仏滅を気にする人がいても不審だとは思われない。
教会や寺を建てるのに神道の地鎮祭をする。
などなど……。
日本人の宗教観の不思議さは、神道の寛容性、柔軟性からきていると思う。
やはり、日本人の精神の根源は「神社」にある、と思う。
関連記事 「婚活」でも「縁結び」でも「パワースポット」でも何でもいい、とにかく日本人は「神社」に行くことに意味がある。 
神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!など。

ほんとうにこのままでいいの?

「開いた口はふさがらない」とはまさにこういうことを言う。

科学予算削減の民主、はやぶさ絶賛は「現金過ぎ」 (読売新聞)
 「世界に冠たる快挙」なのに予算は減額? 
 宇宙航空研究開発機構の小惑星探査機「はやぶさ」の帰還に、菅内閣からは14日、冒頭の仙谷官房長官の発言をはじめ絶賛が相次いだが、科学技術予算を削り込んできた民主党政権の“現金さ”にあきれる声も出ている。
 菅首相は同機構の川口淳一郎教授に電話し、「日本の技術水準の高さを世界に強くアピールした」と称賛。宇宙開発担当の前原国土交通相も「宇宙開発史に画期的な一ページを加えた」との談話を発表した。
 しかし、後継機の開発費は、麻生政権の2010年度予算概算要求時の17億円が、鳩山政権の概算要求やり直しで5000万円に、さらに「事業仕分け」を経て3000万円まで削られた経緯がある。福山哲郎官房副長官は記者会見でこの点を問われ、「今回の成功を受け、11年度予算は検討したい」と述べた。(平成22年6月14日)

過去記事「事業仕分けで削減された芸術・文化・スポーツ事業の影響はこれから起こる。」「「日本」「文化」「科学技術」、そして「亡国への道」」でもあるように、これからもこんなことは起こるだろう。
「事業仕分け」は民主党の評価できる点だなどと政治評論家やコメンテーターがよく言うが、あんなパフォーマンスじみた茶番劇を絶賛する馬鹿がいることが信じられない。(「宝くじ販売停止」などといって拍手喝さいされ「どや顔」する寺田学など見ればよく分かる)
そして、出世した蓮舫は、……。

省庁版仕分けを視察=蓮舫行政刷新相
 蓮舫行政刷新担当相は14日午前、外務省による省庁版事業仕分け「行政事業レビュー」を視察した。海外の政府関係者らを招へいする事業で、通訳の手配方法などをめぐる議論の様子を見た後、蓮舫氏は「行政刷新会議の事業仕分けよりも具体的な議論が展開されている。非常に評価したい」と記者団に述べた。
 行政事業レビューは、12府省で計170事業を対象に行われ、15日に全府省の作業が終了する。蓮舫氏は「すべての結果に目を通し、省内でもっと(見直しが)できるのではないかという部分は整理したい」と語った。(2010/06 /14 時事ドットコムから) 

で、切られるのは、結局……。

日本文化発信事業を「廃止」=府省版仕分け終了-外務省
 外務省は15日、府省版の事業仕分け「行政事業レビュー」の2日目の作業を行った。取り上げた広報・文化交流などに関する13事業のうち、中・東欧諸国に日本文化を発信する事業を「廃止」とした。先月26日にスタートした行政事業レビューは15日、全府省で終了。結果は2011年度予算編成作業に反映される。
 廃止となった事業は、ハンガリー、ポーランドなど4カ国に日本語教育や日本文化普及のためのボランティアを派遣するもので、09年度予算には1億6600万円が計上されたが、「国費で行う必要性がない」と判断された。 また、国連環境計画(UNEP)国際環境技術センターへの拠出金など10事業を「抜本的改善」、2事業を「一部改善」とした。(2010/06 /15 時事ドットコム)

他にも切るところはあるだろうに、切られるのはこういった「文化」「科学」事業ばかりになる。「日本文化普及」は不必要なのか?
結局は結果を出すために切られても文句の出ない「文化事業」が停止されることになる。こういった安易な削減が随所に現れてきている。

ここには、文化事業(科学も文化)を軽視する国が国力を弱めていくという危機意識もない。
「国=文化」、この概念がない政党が政権を握っている以上、日本はひたすら「亡国の道」を進むだろう。

「コボちゃん」1万回、妹が生まれた! 

「コボちゃん」1万回、妹が生まれた! 

読売新聞朝刊社会面の四コマ漫画「コボちゃん」(植田まさし作)が14日、連載1万回に到達した。
 1982年4月1日の1回目から28年。読売新聞の連載漫画でも、故鈴木義司さんの「サンワリ君」(1万1240回)に続く記録だ。
 また、当初から一人っ子だった主人公、コボちゃんの家に第2子が生まれた。読者から募集した名前も近く発表される。(平成22年6月14日 読売新聞)

当ブログではなぜか「コボちゃんネタ」は多い。
理由はここで。
ということで、連載一万回記念の本日の新聞は永久保存です。
ほかの記事はここで。
ちなみに、
コボちゃん 1万回
とこんな感じの「女の子」でした。
コボちゃん 10000回
一面に出ていたものもいい。
コボちゃん 子育て支援
これに合わせて紙面4ページほどの「コボちゃん」の特集と「子育てに関する記事」があったがこれもよかった。

「コボちゃん」は時事ネタを取り上げるのも早く、それが滅法面白い。
紙面の特集記事みたいにコボちゃんと世相と合わせて解説していけば、立派な「平成史」になりそうだ。
そのうち本になるだろう。

「こめ」「弁当」「おにぎり」で「文化防衛論」

本居宣長の「玉くしげ」にこんな一節がある。(現代語訳から)

稲は、人の命を続かせ保たせて、この上もなく大切なものであるが、その稲が万国にすぐれて比類のないことをもつて、その他のことはこれに準じて知るべきで ある。ところが、この国に生れた人は、元来稲には馴れてゐて普通のこととなつてゐるから、それに気がつかないのである。幸ひにこの御国の人間と生れたから には、これほどすぐれて結構な稲を、朝夕一ぱいに食べるにつけても、まづ皇神たちの有難い御恩籟を思ひ奉らなければならないことであるのに、さういふ考へ さへなくて過すのは、実に畏多いことである。

この一文で本居宣長は、世の中の人々は美味い米を食っている(これによって命をつないでいる)のに、ちっとも感謝していない、「今の日本人何たるか」と嘆いております。いつの時代にも「今の若いもんは……」と憂うる気持ちを持つ先達者はいるものです。
江戸時代においては、庶民は滅多に白米は食べられませんでしたし、ほかの国の米が美味いか不味いかは分からなかったはずです。しかしここで本居宣長は、「こめ」「稲作」が日本文化の根源であるのだからそこを敬わなけらばならないと言いたかったはずではないでしょうか。(これが尊王思想につながっていく)

日本は「千五百秋瑞穂国」という美称を持つ稲作文化の国で、「米」は単なる作物や食べ物ではなく、日本の文化そのものであるといってもいい。しかし、この米への「感謝」の気持ちは、現代の日本人においてなお一層希薄になっているようです。
もし現代に本居宣長がいたら、日本の根幹を成す「文化」を軽視し過ぎている、いまこそ原点に立ち返るべき時なのだ、と訴えるに違いないでしょう。

さて、前回の記事のとき、youtubeでいろいろ見ていたら、関連動画として「bentoブーム」「アメリカで人気 日本のお弁当 」といったものが大量に出てくる。
「クールジャパン」や「ズームインサタデー」やその他ニュース番組の特集などだろう。
これらを次々と見たが、これが滅法面白い。
「米を炊いておにぎりを作るヨーロッパ人」「日本のサイトを見てデコキャラ弁当を作るアメリカ人」「コンビニ弁当に感激する南米人」などなど。
「弁当」や「おにぎり」が外国にはないというから、これは立派な「日本文化」だと知ることができた。

上記動画には、アメリカ人の子どもが「ドラゴンボール」や「ポケモン」を見ていて登場人物が食べる「ライスボール」(おにぎりのこと)に興味を持ったというのが出てくる。
これなんかは、「アニメ、マンガで文化防衛論」と通じる話で、ほかにアニメの主題歌がCoolなので日本語で歌いたい、アニメに出てくる着物がKAWAIIので興味を持つ、NINJAが振り回す日本刀がかっこいいと思うのでコスプレしてみた、神社でお祈りしている主人公を見てあそこに自分も行ってみたい……などなど、こうやってアニメ、マンガを通じて日本文化は伝播していくのだ。

その国の文化を広めることはその国の防衛力を高めることにつながる。
戦後日本は、アメリカのテレビドラマやハリウッド映画を見て、その「米国式文化」に憧れた。ファッション、スタイルの外見から始まって、果ては、行動様式、物の考え方といったその精神にまで日本人は影響されてきた。
しかし今はこれが「アニメ」「マンガ」によって逆に日本文化が外国に影響を及ぼそうとしているのだ。
ここに日本の食文化である「ご飯」や「弁当」「おにぎり」も加えていいだろう。
日本人と米「日本人と米」(本の表紙がいいので載せてみた。本の内容は、なぜか韓国の稲作についての記述が3割も占める少し「左」ぽい本だった。)

さて、外国での日本式「BENTO」ブームは、日本の食文化に興味が湧くきっかけにもなっているという。これはかつての「スシ」「高級和食」といった外食系のものではなくて、ごく家庭的な内食系のものが流行となっているようだ。それだけ奥が深くなっているといえる。
要は日本の主食である「ご飯・米」が注目されているということであるようだ。
前に「外国人が購入する電化製品ベスト5」の中に「炊飯器」が入っていることについて書いたが、これは外国人に「美味いご飯」が食べたいという需要が高まっているという証拠だろう。
過去記事(「日本文化」を売り込むことが閉塞感の打開策になるのでは……。)
炊飯器が売れるなら日本の高品質のコメも求められているはずだ。

http://www.heiwaboke.com/2007/07/post_1025.htmlからの記事。

政府は世界的な日本食ブームも追い風に、2013年までに農林水産物の輸出額を現行の約2・6倍の1兆円規模とする「攻めの農政」を進めており、中国への コメ輸出再開に、大きな期待がかかっている。
贈答用にも
北京市のイトーヨーカドー亜運村店では、午前9時の開店と同時に、新潟産コシヒカリと宮城産ひとめぼれの2品種が発売された。2キロ・グラム入りの袋を9 袋も購入した一番乗りの会社員・銭盛利さん(50)は、「上海で日本のコメを食べ、とてもおいしかったので買いに来た。
全部自分で食べるつもりだが、おいしければ知人や親類にも贈りたい」と満足気だった。
店頭では炊きたてのご飯も提供され、試食の輪が広がった。円年妹さん(94)は「こんなにおいしいコメは食べたことがない」と感想を述べた。
価格はコシヒカリが2キロ・グラムで198元(約3200円)、ひとめぼれが同188元(約3008円)。
これに対し、中国産は安いもので同8元程度と、価格では20倍以上のハンデがある。
しかし、中国のコメの年間消費量は2億トン超と、日本(約900万トン)の20倍以上。
都市部では富裕層が急速に増えており、高級食材や贈答用として受け入れられれば、潜在的な市場規模は大きいと関係者は期待する。
前日には北京の日本大使館で、中国の関係者を招いての試食会も開かれ、スシなどの和食が振る舞われた。

おいしい日本の米をもっと売り込むことはできないのか。
またこういうことも考えられる。海苔を巻いてご飯を食べる、調味料に日本人が使う醤油や味噌や酢を使う、米飯が広まれば、それに合わせた食材も売れる。もしかしたら、ふりかけやレトルトカレー、お茶漬け、漬物なんて、ご飯がおいしく食べられる食材も求められるかもしれない。ご飯の食文化が広がれば、外国のコンビニでも「ライスボール(おにぎり)」が並ぶことになる。
それに、箸や茶碗を使ってみる、弁当を入れる容器や、それを包むもの(「ふろしき」を初めて見た外国人は「これは便利だ」と驚いたという)も必要だ……などと様々な「ご飯」の周辺を取り巻くモノへと興味も広がっていくはずだ。

そうなると、米から作られる「日本酒」は、「せんべい」は、「餅」は……、とこれまた加工品としてのコメが注目されるわけです。
「日本酒輸出が快調 仏で「ボルドー」なみ人気?」の記事。
これを読むと、海外では「SAKE」で通じるようだ。

米が美味いということに気づけば、「餅」のおいしさも分かるはずであろう。熱帯地方ではカビが生えやすいが、個包装なら保存も効く。それに腹にたまるから飢餓地帯には喜ばれるはずだろう。
過去記事(「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」 その1 これは直会だ!)

これらすべてをひっくるめて日本の食文化・米文化をもっと世界に広めていくことはできないのか、ということだ。
日本人には、それが身近なもの過ぎてこれが「日本文化」だと意識することはないが、これらは外国人にとっては「日本文化」そのものなのだ。
ただ米を輸出する際にかかわる問題点もある。
http://www.aqua-consulting.co.jp/blog/21.html
http://allabout.co.jp/career/worldnews/closeup/CU20080609B/index2.htmなど。
またアメリカ政府が日本にもっと「米を輸入」するように圧力(ミニマム・アクセス米)をかけているという話から一筋縄ではいかないが……。

またこんな新聞記事も見た。

平成21年7月26日付け 読売新聞 総合面から 

アフリカ向けコメ開発 収穫量多い新品種
政府はアフリカの食糧確保を支援するため、新しい品種のコメの開発に乗り出す方針を決めた。アフリカの気候に適し、多くの収穫が期待できる品種を開発するとともに、生産や流通の支援にも乗り出す。新興国の経済成長で食料の需要が逼迫すると懸念される中、貧困国が多いアフリカでは食料の安定確保が大きな課題となっており、政府は今後5年間で約2000万ドル(約19億円)を支出する方針だ。
日本は1994年、病気や乾燥に強いアフリカの稲と、アジアの陸稲を掛け合わせたアフリカ向けのコメ品種の開発に成功し、99年に「ネリカ米」と名付けた。新たな品種は陸稲よりも多くの収穫量が期待できるアジアの水稲とアフリカの稲を交配する計画だ。5年以内の開発を目指す。
政府と国際機関である「アフリカ稲センター」(本部・ベナン)、「国際稲研究所」(本部・フィリピン)が協力して開発にあたる。生産に適した場所の選定や栽培技術の研究も行う。資金は、世界銀行による開発援助を支援するために日本が設けている信託基金から出す。
政府は今年中にアフリカの数カ国を選んで現地の農家を対象にコメの生産や流通、販売の支援を行い、コメの消費を定着させる取り組みも始める。
政府は2008年の第4回アフリカ開発会議で、アフリカでのコメの生産量の倍量を目的とした「アフリカ稲作振興のための共同体」を設立。17年の生産量を2800万トンに増やすことで合意している。

アフリカで日本の稲作文化を伝える。必要なのはこういったことでしょう。
稲作文化は日本の伝統文化に他ならないから、これを広めることは、アフリカでコメを通じて「日本文化」を理解してもらい、友好を深めることにもなる。(アフリカ諸国は数が多いので、国連決議の投票に影響すると言われる。日本が友好国だというのを「食」を通じてアピールすることも出来る。)
これは、中国のように未開地域の土地を買い漁り、現地住民を奴隷のごとく利用する政策とはわけが違う。
過去記事(アフリカの土地を農地を買いまくり帝国主義化している中国)

稲作文化を広めること、これは日本文化を広めることにほかならない。
そして「文化概念としての天皇」
天皇陛下 田植え
天皇陛下の写真
田植えは農業を奨励するため昭和天皇が始めた恒例行事で、陛下が引き継いだ。秋に収穫したコメは皇室の神事などに使われる。
http://www.komenet.jp/database/culture/culture02/culture02-6.htmlから

米は霊的な力をもつと考えられていました。古代の宮廷では、皇太子の天 皇即位式にイネの初穂を神に供え、その霊力により天皇の霊魂の再生と復活を祈願する国家的な大嘗祭(だいじょうさい)の儀式も行われました。米の霊的な力 は、あらゆる悪霊を追い払えると考えられ、そうした観念は神仏の前で米をまいたり、出産の際に女性がこもる産屋に米をまいて清めたりする習慣として今日ま で残っています。同様に、餅や節分の豆まきも悪霊ばらいの意味があると思われます。米は神聖であり、特別に霊的な力を持つという信仰が古代 からあったのです。
古代から稲霊(いなだま)あるいは穀神に関する信仰があり、イネに宿っ た精霊は米倉で年をとり人びとのもとを来訪します。この稲霊が人びとの先祖霊だと考えられていました。稲作の豊饒をもたらす神はふつう田の神として一般に 知られ、えびすや大黒とみなす地域もありました。

日本人にとって「米」とは特別なものであり、日本文化の根本に「米」はある。

そして、世界に日本文化を広めるということと同時に、日本人がこうした日本文化の本質をよく理解し背負っていくことが重要となってきます。
外国に日本の文化を広めても、その肝心の日本人が自国の文化に無知で、自分らの文化を大切にしないのでは、元も子もありません。
ここで三島由紀夫の言葉を引いてみます。

……そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かということを考えますと、次のようになります。未来を信じないということは今日は生きることですが、刹那主義の今日に生きるのでないのであって、今日の私、現在の私、今日のあなた、現在のあなたというものには、背後に過去の無限の蓄積がある。そして、長い文化と歴史と伝統が自分のところで止まっているのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。つまり、自分が支えてきた文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。今、私が四十歳であっても、二十歳の人間も同じ様に考えてくれば、その人間が生きている限り、その人間のところで文化は完結している。その様にして終わりを繋げていけば、そこに初めて未来が始まるのであります。
われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の蓄積の最後の成果であり、これこそ自分であるという気持ちを持って、全身に自分の歴史と伝統が籠っているという気持ちを持たなければ、今日の仕事に完全な成熟というものを信じられないのではなかろうか。或いは自分一個の現実性も信じられないのではないか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。自分の背中に日本を背負い、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負っているのだという気持ちに一人一人がなることが、それが即ち今日の行動の本(もと)になる。

(三島由紀夫全集・巻35から「日本の歴史と文化と伝統に立って」)

我々日本人が失いつつある「日本文化」だが、アニメやマンガや弁当やおにぎりといった意外なものを通じて世界に広まりつつある。
関連記事
これからの戦争は武器を持って他国を攻め入る(侵略される)といったことは、余程のことが起こらない限りと起こらないと思う。(ただし抑止力としての軍備は必要)
では何が国を守るのか、何が民族を守るのかといえば、自国を守るのは「自国の文化」を守ること、これに尽きる、と思う。
自国の文化を高めること、これは核兵器を持つことに匹敵することなのだ。(ただし「核議論」をすること自体が抑止力になる。)
「国=文化」
日本文化を広めること、それは外国への防衛力となる。
もし、万一「日本」という国土を失い「日本人」という民族が消滅してしまったとしても、地球上に文明的人類がいれば、かつてそこに世界に広がった「日本文化」は消滅することはないだろう。

だからこそ日本人はどこを守っていけばいいのか、それがよく分かってくるだろう。
三島由紀夫の「文化防衛」「文化概念としての天皇」は、そんなことが言いたかったのではないか……と最近強く思う。

追記 
中川昭一「日本を守るために日本人が考えておくべきこと」中川昭一「日本を守るために日本人が考えておくべきこと」を改めて読む。
中川昭一さんは保守の立場から農政を見ていた貴重な政治家だったと思う。特に熱心に取り組んでいた「水の問題」は、「日本文化」として「農作物のため」という面があることを知った。水問題解決を日本の得意ワザに「水」が日本の安全保障などを読むと「日本の得意(特異)分野」(=日本文化)を生かそうという視点をしっかりと持っていたことが分かる。
現在こういう視座を持つ政治家がいるだろうか……。


追記2
続きを書きました。
「こめ」「弁当」「おにぎり」で「文化防衛論」。「サマーウォーズ」と「エヴァ」と「コボちゃん」

正義感ある少年を自殺に追い込んだものは何だろうか。

ある事件の報道を聞いて真っ先に思い出したのが、藤原正彦「国家の品格」(新潮社)の一節だった。

私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父(註・新田次郎のこと)がいたことでした。父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」と言われていました。
父は「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりするのは卑怯だ」と言うのです。私にとって「卑怯だ」と言われることは「お前は生きている価値がない」というのと同じです。だから、弱い者いじめを見つけたら、当然身を躍らせて助けに行きました。
私は体格がよく力も強かったので、必ずいじめている者たちを蹴散らしました。それを報告するたびに父は本当に喜んでくれました。あれほど喜んでくれたことは、他にはほとんど思いつきません。
〈中略〉
父の教えが非常に良かったと思うのは、「それには何の理由もない」と認めていたことです。「卑怯だから」でおしまいです。

昔は、いじめている側にも「これは卑怯なことだ」という負い目をはっきりと持っていた。だからこそ、弱い者いじめをする悪者を糺す「正義の味方」が登場すれば、その時点でイジメも終わった。
かつての日本人はそんな精神を持っていた。
だが今はどうだろうか。

いじめられた友を救えなかった 遺書残し中3自殺
平成22年6月9日 東京新聞夕刊http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010060902000191.htmlから

川崎市多摩区にある市立中学三年の男子生徒(14)が、いじめにあっている友人を救えなかったことに苦しんでいることをうかがわせる遺書を残し、同市麻生区の自宅で自殺していたことが九日、分かった。
 神奈川県警麻生署によると、七日午後四時五十分ごろ、帰宅した生徒の母親(44)が、自宅トイレで倒れている生徒を発見。救急搬送後、死亡が確認されたという。死因は薬品による中毒死とみられる。同居の祖母(74)が同日午後四時ごろ、トイレに入る生徒の姿を目撃していたという。
 同署の調べで、A4判の紙に手書きの遺書がトイレ内に残されており、文中にはいじめという言葉や、特定の友人の名前があった。「おれは正義感が強い性格」「友達を救えなかった」「十四年間、楽しい人生を過ごした」「人にやさしくという姿勢を貫いた」などという趣旨の内容だった。同署は、生徒が友人がいじめにあっていることを苦にしていたとみている。
 生徒は六日まで修学旅行に参加し、七日は代休だった。麻生署によると、友人らは「男子生徒は修学旅行中、楽しそうにしていた」と話しているという。
 この中学の校長は、本紙の取材に「生徒が亡くなったことにショックを受けている。いじめがあったかどうか調査した上で対策を考えたい」と話した。川崎市教育委員会指導課は「お子さんが命を絶ってしまったことは残念。スクールカウンセラーを派遣し、他の生徒の心のケアに当たる」としている。

こんな強い正義感を持った子が自ら命を絶たなければならないとは、なんと悲しいことだろう。

いまの学校では、イジメる側は常に多人数にあって優位な状態にあるから、一人では到底立ち向かうことなどできない。ましてや、友を救うなんてことは難しい。しかも、逆に助けなどすれば、刃向ったということで今度は「自分」がイジメられる対象がになるという陰湿なイジメの体質もある。
しかも親や学校に言えば「告げ口」をしたということで、これもまた新たなイジメの対象となる。
こんな状況では、どうしたってイジメられた子など救えることはできないのだ。
昔のように簡単にはいかない。
しかも問題なのはイジメる子供らの心の中に「これは悪で、卑怯なことだ」という意識が欠落している点にある。反対に、この正義感ある自殺した少年の中には、何が良いことで、何が悪いことか、ということをしっかりと分かっていた。しかもこの世の中では、正しいこと・良いことが筋を通して行われることは難しいということも分かっていた。
そんなことが分かっていたからこそ、余計に苦しみ、命を絶つところまで追い込まれたのだろう。

かつては、善行と悪行という区別がはっきりと分かれていて、それを大人はしっかりとそれを意識し、子供に教えていた。
だが、いまの日本人には、この美徳というべき精神(この少年が持っていた心)を失ってしまったようだ。
再び、藤原正彦「国家の品格」の引用。

私は「卑怯を憎む心」をきちんと育てないといけないと思っています。法律のどこを見たって「卑怯なことはいけない」なんて書いてありません。だからこそ重要なのです。
「卑怯を憎む心」を育むには、武士道精神に則った儒教的な家族の絆も復活させないといけない。これがあったお陰で、日本人の子供たちは万引きをしなかった。
ある国の子供たちは、「万引きをしないのはそれが法律違反だから」と言います。こういうのを最低の国家の子供たちと言います。「法律違反だから万引きをしない」などと言う子供は、誰が見ていなければ万引きをします。法律で罰せられませんから。大人になってから、法律に禁止されていないことなら何でもするようになる。時間外取引でこそこそ株を買い占めるような人間がどんどん生まれてくる。
家族の絆の中にいた日本の子供たちは、万引きなんかしたら「親を泣かせる」「先祖の顔に泥を塗る」、あるは「お天道様が見ている」と考えた。だから万引きをする者は少なかった。卑怯なことをする者が少なかったのも同じ考え方からです。家族の絆が「卑怯を憎む心」を育て、強化し、実践させる力となるのです。

『武士道』の中で新渡戸は、「武士道の将来」と題した最終章にこう記しました。
「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。〈中略〉その象徴(シンボル)とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」
「武士道精神」の力は地上より滅びません。まず日本人がこれを取り戻し、つまらない論理ばかりを頼っている世界の人々に伝えていかなければいけないと思います。

うす甘いサヨクがこれを読んでだら笑うでしょうか。しかし、この精神は、人々の心が荒廃がした今の世の中にこそ必要だと思う。
この少年の自死を無駄にしてはいけない。己の命に替えて訴えたかったことがあるはずだ。

続いて、西部邁「国民の道徳」(産経新聞社)からの引用。

……私徳というのは、自分の内面において、たとえば篤実・清廉に生きようと構えることであり、それにたいして公徳というのは、他者との関係において、たとえば公平・勇敢に生きようと努めることである。個人主義の弊害は、私徳についてはヒューマニズムにもとづいて喋々するが、公徳についてはほとんど一言もないという点である。両親・教師に課される義務の主たるものは、子供たちにたいして公徳を躾けることである。もちろん人々の外面的な関係を律するものとして法律があるわけだが、その法律はどのようにしてできているのか。ヒューマニズムにあっては、結局、私徳しか持たぬ人々が多数集まって、それぞれの便宜調整するための法律を作るという(社会契約論の)理屈になっている。自分は他者とどのようにつながりを持つべきか、つまり他者との協力・責任・情愛のあるべき姿はどういうものか、についての公徳がなおざりにされている。つまり、パブリック・マインド(公共心)にもとづくものとしてのリーガル・マインド(法律心)が欠如している。所詮、私徳の技術的調整として法律がつくられているものだから、対人関係における公徳が育たなくなっている。公徳にもとづかないような法律は、つまるところ、外的強制にすぎない。そういうものは、隙あらば破られる、ということにならざるをえない。公徳にもとづいて内発的に法律に従う、それが法律心のあるべき姿だといってよい。
しかし、子供にたいする公徳の躾がなおざりにされている。そういう子供が大人になれば家庭、学校、地域社会、職場、議会のすべてにおいて公徳の欠如が目立つことになる。公共心をなくした人々が、妄想に駆られて、殺人を犯してどこが悪いのだというふうに法律心を踏みにじるのは、近代個人主義のおおよそ必然の帰結といってよい。

藤原正彦は「武士道」から、西部邁は「公と私」の観点から語っているが、言いたいことは同じである。
現代日本の「道徳意識の欠如」だ。
道徳意識とは、「人間の行為・行動について正邪善悪を知り、また正善を志向し邪悪をしりぞけようとする精神。良心とは違い、自他を含めた社会全体に関係するもの」である。
いまの戦後学校教育においては、子供がこういった精神を養うことをあえて遠ざけてきた。(いまだにこの悪弊というべき思想が主導となっている)
今のイジメ問題は、道徳教育を避けてきた戦後民主主義的学校教育に主因があるように思えてならない。
正義感を持った少年を自殺に追い込まないためにも、根本からの見直しが必要なのではないか。

そして、これは、学校だけの問題ではない。学校が社会の縮図ならば、まさに社会全体の問題といえる。


「新田義貞公の軍旗が特別公開」の新聞記事

平成22年6月4日 上毛新聞から。
新田義貞 軍旗

義貞軍旗70年ぶり公開 新田神社社宝“挙兵時”の歴史物語る
新田義貞が鎌倉攻めの際に掲げたとされる軍旗が3日、70年ぶりに公開された。太田市の新田義貞公顕彰会(板橋明治会長)が市内で開いた総会後、社宝として保管している新田神社(同市金山町)の青木繁徳宮司が会員約35人を対象に紹介した。大半の会員が初めてで、歴史を重ねた古旗を食い入るように見つめていた。
 公開された軍旗は「中黒古旗」。1333(元弘3)年に義貞が挙兵した際、太平記の一節にある「生品明神の御前にて旗を挙げ」た時のものと伝えられている。
 軍旗は長さ約3・1メートル、幅約0・8メートル。桐生で織られたと伝わる2枚の細長い絹布を縫い合わせている。中央には新田氏の紋「大中黒」を示す太い帯が墨で塗られている。
 1940年以降、公式に公開されたことはなかった。青木宮司は「顕彰会の人に一度見てほしかった」と話している。
 板橋会長が旗の寸法や由来を解説すると、会員たちは真剣な表情でメモを取っていた。テーブルの上に置かれた軍旗を前に、素材や書かれている文字について次々と質問していた。
 板橋会長は「軍旗は新田一族のよりどころ。感激した」と喜びを語っていた。
 同会は1979年に地元の住民らが設立。研修会などを通して義貞の功績について理解を深めている。


ほかに検索すると、読売新聞にも記事があった。

新田義貞公の軍旗70年ぶり特別公開
新田義貞が1333年に鎌倉幕府打倒のため生品(いくしな)神社(太田市)で挙兵した際、陣頭に掲げられたと伝えられる軍旗が3日、太田市内で開かれた「新田義貞公顕彰会」の総会後、会員向けに特別公開された。普段は同市金山町の新田神社に保管され、1940年以来70年ぶりの公開といい、集まった会員はそばに近寄り、まじまじと見入っていた。
 同会によると、軍旗は幅約80センチ、高さ約3・1メートルの絹地に家紋の元になっている「大中黒」が描かれている。絹地は現在の桐生市川内町で織られたと伝えられる。新田神社には明治初期、一族の子孫から寄贈されたといい、大切に保管されてきた。同会が設立20年を迎えることや、会員には新田氏の一族や臣下の子孫もいることから、「本物を見てもらいたい」などとして公開した。軍旗の存在については、軍記物語「太平記」に記されている。



また毎日新聞にも掲載されていたようだ。

新田義貞:軍旗に感嘆、75年ぶりに公開 太田の神社・顕彰会総会で展示 /群馬
 ◇鎌倉攻めで掲げたもの?
 鎌倉末期の武将、新田義貞が鎌倉攻めで掲げたとされる軍旗が3日、75年ぶりに公開された。義貞ゆかりの新田神社(太田市金山町、青木繁徳宮司)の社宝で、同市浜町の市福祉会館で開かれた新田義貞公顕彰会(板橋明治会長)の総会で展示された。
 軍旗は、元弘3(1333)年、義貞が同市新田市野井町の生品神社で挙兵した際に掲げたとされ、幅2・7尺(約80センチ)、長さ10・4尺(約3・1メートル)。個人から寄贈されたもので、同神社が所蔵している。1935(昭和10)年以来の公開といい、板橋会長が「めったに見られないので、触らずじっくり見てほしい」と話すと、総会に出席した約20人の会員は、感嘆の声を上げながら熱心に見入った。
 板橋会長と青木宮司によると、軍旗は年月の経過で黄ばんだり、かすれたりしているが、新田家の家紋「大中黒」が3枚の絹生地でつぎ合わされて描かれているのが分かる。桐生市に伝わる伝統の「桐生仁田山織(にたやまおり)」で織られたとみられ、墨で「臨兵闘者階(皆)陣列在前行」など密教の呪文も書かれているという。
 同顕彰会は義貞の功績を学ぼうと90年に地元の歴史愛好家らが結成。毎年ゆかりの地を訪ねるなどの活動を続けている。【亀井和真】

あれ、75年ぶりになっている。
毎日新聞には旗に書かれていた呪文というのが載っていて興味を引く。

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