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「賜杯」の意味。天皇と相撲、そしてこの国の体質。

平成22年7月28日の毎日新聞から
「江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の肉筆画で所在不明になっていた「鍾馗(しょうき)図」と「三福神の相撲図」を栃木市出身の旧家が所有していたことが分かり、同市が27日発表した。2点の存在は1975年ごろに確認されたのが最後。専門家によると、現存する歌麿の肉筆画は40点ほどしかない。所有者から寄託を受けた市は年内にも一般公開したいとしている。」
この中で気になったのが「三福神の相撲図」だ。産経新聞に説明があった。
「縦約82センチ、横約39センチ。七福神の恵比寿が行司役で、大黒天と布袋が相撲をとる様子が描かれ、縁起がいいという。2作品とも1790年代前半の作品とみられ、ヒゲの一本一本まで詳細に描かれ、ダイナミックかつ繊細なのが特徴だ。」
三福神の相撲図
そうこれは「縁起物」だ。七福神が出てくるのはもちろんだが、「相撲」を描いていることも縁起がいいことの一つになっている。
その理由は、相撲が天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事だということに他ならないからである。

それを踏まえて以下の記事を読んでみましょう。
平成22年7月26日 読売新聞「よみうり寸評」から。

「この国の横綱として、力士代表として天皇賜杯だけは頂きたかった」白鵬は日本人以上に日本の力士として名古屋場所を勤め上げた◆「この国の…」を聞いてそう思った。その思いで15日間を勝ち抜いた。3場所連続全勝優勝、47連勝の偉業をなしとげ、一人横綱の重責を果たした白鵬に喝采(かっさい)。千秋楽、把瑠都とのがっぷり四つの力相撲には感動した◆力士が土俵上で踏む〈四股(しこ)〉は地中の邪気を祓(はら)い、大地を鎮める神事に由来する。今場所の横綱は地面の下の悪霊を踏みつける思いで四股を踏み、土俵入りを務めたのではないか◆優勝旗を受けた白鵬の目に涙があった。賜杯を始め、いつもの場所なら続く数々の表彰がない。NHKのTV中継もない。異例、異常で不名誉な場所だった◆大相撲存亡の危機の名古屋場所を全勝で乗り切った安堵(あんど)と、大記録の達成が「こんな場所なので」素直に喜べない悔しさ残念さが、ないまぜになった涙だろう◆数々の不祥事は積年の病弊の噴出だ。改革の断行なしに大相撲の明日はない。

また『前日の表彰式で涙が止まらなかった白鵬。「国歌が終わり、土俵を見たら、いつもなら置いてある天皇賜杯がなく、さびしくて自然に(涙が)出た」と理由を話した。』という話も伝わっている。

いま「相撲は神事である」というのが分かっているのは白鵬だけである。
こういう原点を国民も力士も相撲協会も見失っている。
今一度そこに立ち返る時なのだ。
過去記事一覧
「神事としての相撲」その3 力士は日本の土地を守る防人だ。
「神事としての相撲」
「神事としての相撲その2 相撲の原点は五穀豊穣を願う儀式にある。」
朝青龍マレビト論
テレビ番組「田舎に泊まろう」と相撲巡業はマレビトか?

なぜ力士は地方を巡業するのか。
なぜ神社で奉納相撲が行われるのか。
なぜ四股を踏むのか。
なぜ古墳に力士の埴輪があるのか。
なぜ幕末に黒船が来たときに力士が出迎えたのか。
そして、なぜ天皇陛下から力士へ顕彰が行われるのか。
「相撲は天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事」であり、それが「古来から皇室とつながるもの」であることを基本としなければ「相撲」はその存在価値がない。
国技である相撲と脈々と続く皇室は「日本」を守るという点において強く結びついている。
だからこそ「賜杯」は大きな意味を持っている。
皇室がスポーツ選手や文化人を顕彰する意味は過去記事「園遊会」と「福沢諭吉」で。
白鵬はそこに気づいているからこそ、あの涙があると、私は解釈した。

丸谷才一、山崎正和の対談集「見わたせば柳さくら」(中央公論社)から相撲に関する部分を少し引いてみましょう。

丸山: あれは(相撲)発生的にいえば格闘技ではなくて、神事なわけですね。だから、神事であるという意識が、国民の精神の表層を二、三枚はいだところで、ずっとつながってきていると思うんですね。それがあるから、こんなに長い間もっているので、この意識がなかったら、もうとうに滅んじゃっているでしょう。
<中略>
折口信夫の説によると、もともと相撲の発生状態では、勝ち負けが決まっていたというんです。
……つまり、儀式なんです。勝ったほうの村の田圃の稲がよくできるというおまじないの儀式であった。それが、しだいに呪術的起源が忘れられて、単なる勝ち負けのお遊びになってしまったというわけですね。
山崎: ……少し後の時代でも、東方と西方というのがあって、東が勝つと野のものがよく実る、西が勝つと山のものが実る、というような呪術的な信仰があったようですね。
<中略>
ある百科事典によると、相撲の語源は「素舞い(すまい)」であったという。つまり、伎楽とか舞楽が面をつけたり衣装をつけて舞うのに対して、こちらは裸で舞うという意味で、「素舞い」だったというんですね。
……最初から相撲というのは、舞いの一種だと考えられていたのであって、格闘技だとは思われていなかったかもしれません。
……しかし格闘技になりながらでも、神事の名残という気持がするほうの人にも見るほうの人にも、脈々として残っていたということですね。

山崎: それにしても、歴史的アナクロニズムの話が出ましたけど、相撲のもっている儀式性というか呪術性というか、これまた実に重層的で、ごちゃまぜですね。どうみても、これは神道にまつわる行事という側面をもっているんですね。実際に、聖武天皇のときですが、豊作を感謝して、伊勢神宮その他もろもろの神社に奉納するために相撲をやらせた、というのが残っていますから、これはもう、明らかに日本の神道ですよ。

山崎:天子は南面するんですね。というと相撲の正面というのは北側なんです。天子が南面するものだとすると、その両側に東西を配するのは当然のことでありまして、日本の天子の持っている中立性というものの象徴です。
しかし、天子は常に南面して、左右を争うに任せている。そう気がついたとき、ふと面白いと思ったのは、日本の国土を、東日本、西日本というでしょう。日本という国土は斜めになっているんですから、南日本、北日本でもよかったはずだけれども、一般的には明らかに関東、関西です。今度、そう考えると、分かるような気がするんです。つまり、天子は南面しているんだから、観念的に南面してるんですから、東と西しかあり得ない。

天皇と相撲と神道は深く結びついているのだ。
そして、服装などひとつ取って見ても相撲の中に日本の歴史と文化が詰まっていることは分かる。
行司の服装は平安時代以降の公家のものであり、手にする軍配は室町・戦国時代以降の武家のもの。相撲取りの紋付・袴に髷姿は江戸時代、観客の桟敷も呼び出しも江戸時代、そして力士のまわし姿は埴輪の時代からその原型があるわけで、あの場所に日本の伝統歴史が融け合っているのだ。
そこを忘れてはいけない。
「相撲」に関して論ずることが、実のところこの国をかたち作っている根本は何なのかということを、再認識するいい機会なのかもしれないと、いつも思う。
それは、「皇室」を考える上でも重要なことなのだ。
そういったことを総合して何度も言うが、天皇賜杯の意味をよく理解しているのは、白鵬だけなのである。

さて、以下長文を引用します。相撲とはあまり関係がないかもしれないが、「皇室」に関してなるほどいい例えだと感心したので引いておきます。
三浦朱門の『天皇』(海竜社)から    

どの国にも、それぞれの体質がある。

外来文明は日本の伝統にとって、いつでも問題をおこす。第一は奈良時代であり、次は戦国時代と同時にやってきたキリシタン文明は、大航海時代といわれるヨーロッパ勢力の世界進出の、日本における波動であったかもしれないが、この外来文明は日本の根幹を揺るがす大問題となった。このときは鎖国政策によって事の解消を図った。
その次は幕末から明治の西欧文明の本格的な輸入である。明治政府は外来文明と伝統文化との調和を図ろうとして、ある程度成功したかに見えたが、第二次世界大戦という形で破綻を見た。戦後、また新しい西欧文明の輸入があって日本の繁栄をもたらしたのではあるが、また別の混乱を招いてもいる。
どこの国にも、その国の個性といったものがあって、それによって新しい物を生みだしもするし、伝統的なものを保持することもある。この個性はまた、外来の物への対応に際してもさまざまな働きをする。

アメリカは新しい国だし、さまざまな文化的背景、遺伝子を持った人々が造った国家だったから、国の体質を言わず語らず、といった不定形なものに頼ることができず、いわゆる成文憲法を作った。その後、多くの修正条項を加えたが、それは憲法の意味が誤解されそうになった場合、あるいは新しい現象が起きて憲法の条文の精神を生かすために、その新現象の意味を明確にせねばならない場合に、憲法に付加条項がつけ加えられた。
同じアングロサクソンが主体になって造られた国である英国の場合は、アメリカ的な意味での成文憲法はない。日本なら最高裁にあたる裁判所での判例が、憲法的な意味を持つとされる。それが英国の「国の体質」という、つかみどころのない物を示すものとされてきた。
いずれにせよ、一つの国家の体質というものは、言葉で表わされる部分もあるが、言わず語らずのうちに、人々の間に分かたれている部分もある。
国家の体質を舟に例えてみる。勿論、大きな船もある小さな船もある。その構造も、用途も一応はさまざまである。いずれにせよ、船全体が、その国の体質、そのものとする。多くの国民は自分の乗る船のごく一部しか知らないし、知る機会もない。ただ船に乗り合わせた人々の間の秩序維持については、船の構造に関連してそれなりのルールがある。その代表がブリッジで船の運行の任にあたるのだが、彼らも、船内状況のすべて、倉庫の中や燃料の状況、機関室やそれらの部署に勤務している人々の状況を把握しきっているわけではない。
ただ一般的に言えることは、船の重心が喫水線より高ければ、船は不安定である。わずかな波にも大きく揺れるし、揺れた結果、船の重心から下ろした垂線が、船外に外れると船は転覆する。逆に重心が喫水線よりずっと低いところにあると、揺れは小さいし、転覆の危険は遥かに小さくなる。
だから重心は低い方が安定度は高いのだが、それはまた、危機への対応の鈍さにつながるかもしれない。そもそも船が揺れるのは波浪の影響である。台風が来れば波浪も大きくなる。しかし重心の低い船は動揺が少ないことに安心して、台風の発見も遅れ、危機感も鈍くなり、その結果、抜き差しならならぬ状態で危機に直面することになる。
重心の高い国は不安定で、それだけに波浪の影響も受けやすい。それで台風が来ると真っ先に転覆してしまうのだが、国民もその辺を承知していて、さっさと船を捨て逃げてしまう。いわゆる難民になる。また危機への対応は一つにはブリッジにいる運営の責任者の手腕によるとは言いながら、全員が天候の状況に敏感になり、大事に到る前に舵取りを正しく行うこともできる。
日本という国の重心が高いのか、それとも低いのだろうか。
今から千数百年前は不安定だった。いやそもそも日本という船は出来ていなかった。船が建造される過程を、私はこれまで書いてきたつもりである。日本という船の重心にあたるのは天皇であると私は思う。当初、重心は高かった。天皇は国土の範囲を定める戦いでは陣頭に立ったし、国内の政争でも自ら軍を率いて戦った。しかしまもなく、重心は低くなる。歴史という貨物が次々に積み込まれて、重心は低くなる一方だった。
中国の場合は、王朝の交代によって、歴史という貨物は整理され、船外にほうりだされたから、重心は常に高いところにあり、時代の変化にも敏感に反応していた。つまりこの国は有史以来何度も転覆を繰り返してきたのだが、積み荷が波にさらわれることで、船体が軽くなり、再び浮上することを繰り返してきたから、転覆の経験は忘れられ、数千年わたって嵐を乗り切ってきたかのような印象を国民が持つようになった。確かに船体は三千年来、同じ物を補修して使っている。
日本は王朝の交代がなかったために、重心は低くなり、ついにはほとんどの乗組員には重心の存在は意識されないようになる。そしてブリッジにいる船の運行にあたる人たちは、自分が船の全責任を負っていると錯覚するかもしれないし、重心の存在を知らない国民もいようが、ほとんど船底近くにある低い重心が船を安定させていることを、忘れてはなるまい。

天皇は日本文化の重心、変わりにくい部分

日本という船は何度か転覆の危機を経験した。他の国なら革命とか王朝の交替が行われる事態である。しかし重心の低さによって、その度に復元してきた。
第二次世界大戦の敗北は象徴的に言えば、船の甲板が垂直になり、海中にほうりだされた人も多く、船室の中に水が入り、居住区は混乱し、荷物のかなりの部分は水に浸かった。しかしこの度も日本という船は転覆せずに復元したのである。
社会学という学問を作ったといわれる人で、フランスのオーギュスト・コントという学者がいる。彼は社会に変化する部分と、比較的変化しにくい部分があるとして、社会静学と社会動学があるとした。変化する部分、社会動学のほうは観測しやすいから、彼はその部分から手をつけたが、社会静学は学問としての可能性を示したに止まった。
社会に敏感に変化する部分と、比較的動かない部分があることは、昔から日本でも気付かれていた。俳諧の社会にも不易流行という言葉がある。変わらざる部分と、流れ行く部分である。そして日本にあっては天皇の存在は不易の分野に属する。勿論、それは人間の制度であって、日本という国家、社会の体質も長い間では変わるのである。その変化の形によっては、不易といわれる部分も、時代と共に変わっている。
日本にあっては、天皇の存在が船の低い重心となり、また比較的変化をしない部分となってきた。その変わりにくい部分が日本という国の体質、つまり日本的なもの、日本の意識的・無意識的な価値観、つまりは日本文化そのものであろう。天皇はこうして日本文化の重点であり、その揺れを示す座標でもある。
この世に永遠なものはないから、将来、日本に皇室がなくなる時が来ないとは言えないが、その時、われわれは何によって日本を代表させようとするのか。大統領制はその一つの答えであろう。日本が共和国になって、大統領を持つようになったとしよう。
戦後の総理でマスコミや国民の間で圧倒的な人気のあった人、たとえば田中角栄や細川護煕という人などは、その人気の絶頂時、総理就任直前に大統領選挙があれば、選挙民の過半数の支持を得て、大統領に選ばれた可能性が極めて高い。しかしこの二人が総理をやめた事情を思えば、国民は彼らを大統領にしたことを後悔するのではないだろうか。
大統領は国民が選んだもので、今の総理より遥かに大きな権限を持つようになろう。いまでも選挙民に直接選ばれる知事は都道府県内では、総理より比較的大きな権限を持っている。大統領が私情に基づいた人事を行って、妙な人を公職につかせ、退職後のことを考えての開発事業を行ったり、私行上の問題などを起こせば、国民はこんな人に日本を代表してもらうわけにはいかない、という気になるだろう。
その点、お気の毒でもあるが、皇室は千年の洗練を経て、誠に清潔な環境に置かれている。天皇がインサイダー取引をして、不当な利益を得たり、ホステスと浮名を流すことなどありえないのである。
ローマにパンテオンという、今日に残る最も完全な古代ローマの遺跡がある。それは巨大なドームを持つ円形建築だが、その中央部に丸い穴が開いている。そこから太陽の光も入ってくるし、雨も降りこむ。それが無かったら、ドームの中は照明をしようとも、暗く封鎖されて息苦しい世界になるだろう。
私は日本の民主主義というのは、このパンテオンのようなものだと思う。民主的な構造を持つドームの中央に穴が開いている。その空間が皇室である。空間というより無と言ってもよい。力学的に組み上げられたドームの巨大な重力はそのドームの中心に集中するが、頂点の空間は、いわば無重力地帯である。
民主主義というのは多分に堅苦しいもので、その運営や手続きは面倒なものである。その規制と規約によって作られた国家体制の中央にあいた空間、それが天皇だと言えないだろうか。
ドームの内部を支えているのは、一つ一つ組まれた石材だが、何もない空間ドームの床に丸く太陽の光を投射する日もあり、雨の日は床の一部を濡らすこともある。そして何よりもその空間のおかげで、ドームの中は昼間であれば、何時も穏やかな光が満ちあふれているのである。





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あだち充も群馬県人。とりあえず「前商」応援するか。

最近、群馬のコンビニ「セーブオン」に行くと、「クロスゲーム」のポスターが貼られている。
クロスゲーム
どうやら全店挙げて「あだち充」のキャンペーンをしているようだ。

そして、読売新聞にこんな記事があった。(平成22年7月18日付け)

タッチ、クロスゲーム・・・あだち充さん故郷描く
 甲子園、連れてって――。伊勢崎市出身の人気漫画家あだち充さんの代表作「タッチ」に登場するヒロイン・浅倉南の名ゼリフ。主人公・上杉達也に託した夢は、夏の高校野球群馬大会で戦う球児たちも今、それぞれ追いかけている。そんな夏の青春を描くあだち作品に、実は故郷・伊勢崎の風景が度々登場している。

■「誇り持って」
 あだちさんは、伊勢崎市の中心街で少年時代を過ごした。近年のヒット作「クロスゲーム」には主人公・樹多村(きたむら)光の実家として、スポーツ用品店「ホシノスポーツ」(曲輪町=昨年閉店)が登場。幼なじみの月島姉妹の父親が営むバッティングセンターは、西に約2キロ離れた「ドリームスタジアム」(連取町)だ。
 作中は「キタムラスポーツ」「月島バッティングセンター」と名前こそ違うが、外観は全く同じ。地域情報サイト「アイマップ」が、春から特集を組んで紹介した。運営するNPO法人代表の小久保剛利さん(47)は「特徴に乏しいと言われる伊勢崎だが、街並みが作品に登場することを知り、地元の人に誇りを持ってほしい」と企画の意図を語る。
 あだち作品を手に取ると、伊勢崎の景色をすぐに見つけることが出来る。主人公の国見比呂が中学時代のひじの不安から立ち直り、愛好会から甲子園を目指す「H2」。「伊勢崎織物会館」(曲輪町)が繰り返し現れ、本町通りを代表する老舗「井下時計店」(本町)がある交差点も丁寧に描かれている。いずれも伊勢崎駅から徒歩で行ける。
 “月島姉妹の家”のドリームスタジアムは、子供たちに人気だ。経営する松島克典さん(54)は、「練習に来る子たちは、『光のように頑張ろう』と思っているみたいだ」と目を細める。あだちさんと同じ前橋商業高校の出身だが、群馬大会では「すべての球児を応援したい」。樹多村たちが夢を目指した舞台から、エールを送る。
■応援に夢中
 あだちさんを担当する小学館編集者の市原武法さん(36)はクロスゲームの連載前、取材で共に伊勢崎を訪れた。「これを食べなきゃ」と、焼きまんじゅうをごちそうになった。毎年、あだちさんは甲子園の季節になると群馬代表の応援に夢中になるといい、市原さんは「やっぱり、故郷が好きなんだと思いますよ。『タッチ』でも、舞台となる校舎は母校の前橋商業を描いてますから」と語る。故郷への思いが、作品を甘酸っぱく彩るのかもしれない。


そして、今日(7月27日)には、

第92回全国高校野球選手権県大会は最終日の27日、前橋市の上毛新聞敷島球場で決勝を行い、前橋商が3-1で前橋工を下し、3年ぶり5度目の甲子園出場を決めた。

あだち充の出身校である「前橋商業」が甲子園出場を決めた。あまりにもタイミング良すぎだろ!

それにしても、嵐の櫻井 翔が前橋や伊勢崎によく来ていた話過去記事や、「伊勢崎市の歴史」のマンガを書いたのは里中満智子だったり(過去記事)と、結構「伊勢崎」も面白い町だな~。

「義貞弁当」が最優秀に!

平成22年7月24日 上毛新聞から
http://www.raijin.com/ad/minori/monogatari/
ぐんまの物語弁当

「ぐんまの物語弁当コンテスト」実行委員会は、本年テーマ「物語弁当・人物編」の最優秀賞(県知事賞)として、「和田英の富岡日記弁当」「新島襄の洋風弁当」「勝つぞ!義貞弁当」の3点を決定しました。それぞれ高崎弁当、おぎのや、登利平の3社が商品化します。

とある。
この中に「義貞弁当」が選ばれていた!
義貞弁当あなたはエライ!
そして、説明が最高だ。

歴史に名高い勝利の味
鎌倉末・南北朝時代の南朝方の武将。数々の逸話が残るが武将らしさを示すよう、戦いにものがたりのスポットを当てた。食材は近場や県内で手に入るものでメニューを考案。県産の卵そぼろを義貞軍、鶏ひき肉のそぼろを幕府軍に見立てる。卵そぼろを少なめ、鶏そぼろを多めにし、少数の軍勢で勝利した義貞軍を視覚で訴えた。青のりコンニャクは三角にカットし、線対称に盛りつけることで榛名湖畔に映る緑の榛名山を表した。右側には、円の中に太く一文字を引いたシンプルで力強い新田氏の家紋を意識した。

それにしても「勝つぞ!義貞弁当」というネーミングもいいな!

新聞紙上に選定委員長の作家・火坂雅志のコメントが出ていたので、併記しておきます。
「いずれもご当地の食材と地域愛がこもった力作ぞろい。選定に悩んだ。食べる楽しみ、知る楽しさが湧き、群馬の元気につながることを期待した」とある。
火坂雅志は「児島高徳」の小説を書いたくらいなので、新田義貞がここで選ばれるのは当然でしょう。

発売されたら買ってみます。
商品化するのは「登利平」。とりあえずホームページはここです。

読売新聞の「今に問う言葉」から

読売新聞に「今に問う言葉」というコラムが週一で掲載される。昔の評論家の言葉が紹介され、選者による短い解説が付いている。これが結構ためになり、また心に響く。
5月ごろは徳富蘇峰の言葉が掲載されていて、当ブログでも書き起こしていた。過去記事
先月は、福田恆存だった。
保守派ばかりかと思ったら、今回は戦前のリベラリストの評論家・清沢洌という方。(やはり松岡正剛の千夜千冊が詳しい。)
全く知らなかったのだが、今回掲載されたものを読んで興味が湧いた。
以下書き起こし。

「注意すべきは発足期にたつ支那であって、日本の時代は過ぎたのではないか」
清沢洌(1929年10月、『転換期の日本』)
世界恐慌頃に清沢洌(きよさわ きよし)が外国人から聞いたとして書き著している言葉だが、状況説明のために清沢自身が作り出した言葉といってもよいであろう。「日本はもう行くだけ行ったのではないか。進むだけ進んだのではないか。生々たる発育期をすぎて、静止状態に入ったのではないか」という文章が続く言葉である。
日本の息詰まりは常に隣国中国の勃興との対比で語られるというのが近代日本において繰り返された思考のパターンであることがよく理解される言葉といえよう。現在我々は何回目かのこのパターンに入っているわけである。
清沢は言う。「日本は今悩んでいる。日本はどこへ行くのだ、日本は何をするのだ、日本はどうなるのだ。そういう声が、秋の稲穂が風にささやくように、どこからともなく聞こえて来る」「現代日本の著しい特徴は悲観と不安である」。悲観と不安の中このパターンはどのようにして乗り越えられて来たのか。歴史に学ぶべきであろう。(筒井清忠・帝京大教授)

確かに現代の日本の閉塞感と当時の状況がよく似ている。1929年だから昭和4年(なぜ元号で書かない?昔のものは元号の方が分かり易い)というから昭和初期の戦争前において清沢は何らかの危機感を感じていたということだろうか。

それにしても、この新聞記事を読まなかったら、清沢洌という人物を知ることもなく、こういうことを言っている人がいたということも知ることはなかった。
優れた先人たちが語る現代にも通じる鋭い言葉も、それらを掘り起こす人や広める人たちがいなければ、埋もれたままになってしまう。
それこそが日本の国にとって、また日本人にとっての大きな損失ということになるのだ。
先人達の言葉に耳を傾け、歴史に学ぶ姿勢を持つことが今の日本に必要だ、ということがこの「今に問う言葉」コラムでよくわかる。

日本人はそのうち結婚相手も職も土地も水も金もすべて中国人に奪われるだろう。

まず読売新聞の記事から
http://job.yomiuri.co.jp/news/ne_10071601.htm

中国10年後 嫁不足2400万人 一人っ子政策影響か
 【北京=佐伯聡士】中国では、19歳以下の男女比が著しく不均衡なことから、2020年には結婚適齢期を迎える男性が女性より約2400万人も多くなり、結婚相手を探すのが極めて困難になることがわかった。共産党機関紙「人民日報」が、政府系シンクタンク社会科学院の報告書をもとに伝えた。

 人民日報の特集記事(8日付)によると、伝統的な男尊女卑の考え方が依然根強い上、「一人っ子政策」のため、出産前に性別を鑑定し女子なら堕胎するという違法行為が横行していることが男女比不均衡の原因だ。男性の結婚難を背景に、女性を誘拐して売り飛ばすなどの犯罪行為が増えており、浙江省では、既婚女性の省外出身者20万人中、3万6000人が誘拐の被害者とわかったという。
(2010年7月16日 読売新聞)


そして次が、都民の100人に1人が中国人 日本のネット民が拒否反応の記事。http://j1.people.com.cn/94474/7064715.htmlから

 日本の華字誌「中文導報」はこのほど、東京都在住の中国人の数が 2007年、13万人を超え、統計によると東京都民の100人に1人が中国人という計算になると報じた。さらに2007年以来、東京在住の中国人は毎年約 1万人ずつ増加しており、このまま増えつづければ、2015年には20万人を上回る見通しだという。これについて日本のネットユーザーは「東京が乗っ取られる」と抵抗感をあらわにしている。環境時報のウェブサイト「環球網」が伝えた。

 東京在住の中国人の数が急増している状況に対して、日本のネットユーザーは懸念を示している。「もう実質植民地。併合されてるんですよ」「完全に植民地にするつもりだよ」「乗っ取られるのも時間の問題」「都内で電車に乗ると必ず中国語が聞こえてくる。やっぱり増えてるよな」「これが中国の新植民地主義か」などの書き込みがあった。なかには「民主党が中国にビザ緩和してたよ。4億人くらいだっけ」と中国人が増えた原因を民主党政権が行ったビザ発給要件の緩和と結びつける声もあった。
 このほか「低所得の肉体労働者が留学という名目で中国から日本に押し寄せている」とし、「中国人は教養がなく危険」と非難するユーザーもいた。ひいては「強制送還しろよ」と公然と呼びかける過激な発言も見られた。一方で「北京、南京、西安は全部中国にあるのに東京だけ日本にあるのはおかしいだろ。もう中国にあげちゃえよ」と冷めた態度のユーザーもいた。(編集YT)「人民網日本語版」2010年7月14日


この2つの中国関連の記事を合わせて考えてみよう。
2400万人もの独身男性の中国人は嫁・女を求めてどこにいくのか、想像してみよう。
女がいて、職があって、裕福そうで、ビザをホイホイ出してくれる隣国があるじゃないか、そう考えるに違いない。
そんな中国人が大挙して日本にやってきたらどうなるだろうか。
……。
今でさえ日本人男性は結婚相手を探すのに苦労しているのに、昆虫のような繁殖力を持ち、120%の同化力を持つ中国人が来たら日本はどうなるか。
……。
ほんとこれは日本男児全体に係る大問題ですよ。

そしてこんな話を聞いた。
都心のコンビニのバイト募集で面接に行った学生が、店長に「うちは日本人は採りませんから」と言われた話だ。これは一昔前なら笑い話になったものだが、職のない時代では笑えない深刻な話だ。そう言われれば、東京のコンビニやファミレスの店員は中国・朝鮮人ばかりだ。
そのうちコンビニのバイトのような仕事さえ、日本人は奪われてしまうだろう。
……。
また、日本の各地で中国人が集団で住居し、独自に中国人タウンを作っているそうだ。その地区では中国語が日常で飛び交いまるで標準語のようになっているそうだ。
……。
また、中国資本が日本の水源地を買収 危機感強める林野庁、調査開始の記事や日本企業の買収を進める中国マネーなどといった話も聞く。

日本人は知らず知らずのうちに職も異性の相手も土地も水も企業も金も奪われていくのだ。
……。
これで彼らに外国人参政権が与えられたら、まさに日本という国はなくなってしまうだろう。

現代において武器を持って他国を侵略するということは(国際的批判を浴びるため)難しいだろうが、こうやって徐々に他国に侵入していくことは実に容易だ。
だからこそ守るべきは「自国の文化」なのだ。
過去記事
また、恐ろしいのは、こういった事態になっていることを知らず呑気でいる日本人がほとんどだということだろう。
またもっと恐ろしいのは、こういったことに全く政治家もマスコミも触れないということ。

やはり何かおかしい。


追記 10年後っていうと、私の娘が18歳となる。まさに妙齢。だからこんな新聞記事にも、私は敏感になってしまう。
 

守らねばならない「ぎりぎりのもの」~吉田松陰とサッカー日本代表チーム~

何となく前回の続き
自分の考えと合い、これはいいと思うものを転載してみました。

中西輝政「日本人のこころとかたち」(PHP)の守らねばならない「ぎりぎりのもの」の部分から。

日本の存立を考えた戦略家・松陰
近代国家の運営において、どこの国でも重要なことは、「戦略を考える立場の人間がどれほど物事を深く考え、同時にそれがその人たちの使命感(こころ)とどれほど固く結びついているか」ということです。それによって、その国の運命は決まってくるからです。
現在、日本の国のあり方を根底から考え直さなければならない時代に直面しています。「これからの日本」という大きな国家戦略を考えるとき、深い使命感と結びついた戦略的思考が何よりも問われる時代が到来していると思います。
では、そのような点で貴重な示唆を与えてくれる先人が、我々のなかにいるのでしょうか。こう尋ねられたならば、二十一世紀の日本の進むべき大きな方向と重なり合っているという点、つまりこれまでとは違う新しい視点から、今、我々はもう一度、吉田松陰に注目すべきだと思います。
たしかに松陰はこれまで「至誠の人」と表現されるような精神の純粋性と強い使命感、責任感を有した人として広く知られ、尊敬されてきました。
しかし、松陰は、激しい国際環境にもまれ、文字通り激流に浮かぶ木の葉だった幕末という時代に、日本という国の存立のための戦略を、同時に深く鋭く考えていた数少ない日本人だったのです。
これは、山鹿流兵学を家学とする家の跡取りとして鍛えられた「兵学者・松陰」としての一面でもありました。そして、「兵学者」としての戦略的思考と「至誠の人」の使命感は、松陰のなかでは他に例がないほど深く結びついていたと私は見ています。
これまで松陰は、思想家や教育者などの面から語られることが多かったように思います。いずれの場合も重要であり、また強烈なイメージを後世に伝えているのは間違いありません。しかし、現代の私たちは、その総合的な人間像、何よりも「兵学者・松陰と至誠の人・松陰がどう結びついていたか」というところに、より大きな関心を向ける必要があると思います。

「自分が国のために何ができるか……」
吉田松陰がアヘン戦争のニュースを耳にしたのは、十五歳のときでした。兵学者ゆえにいち早く西洋の脅威に気が付き、以後「この脅威の本質は何か」「西洋諸国と戦争して勝てるか」ということを考え抜いていくことになります。
十代後半の松陰は、そのために猛勉強をしました。ロシアがカムチャツカ半島まで達したことはペリー来航以前に知っていましたし、イギリス艦隊の編制、船に積んでいる大砲や陸兵の数という情報まで入手していますが、それだけではありませんでした。「日本はどこから攻められると一番危ないか」という問題意識をもって日本各地をくまなく見聞してまわり、すでにペリー来航の前年には、遠く津軽半島にまで足を延ばしていたのです。
この頃の松陰は、公的には長州藩の末席にいる一人の武士でしかありません。しかも、形の上だけの兵学師範の跡取りでした。日本全体の外交、国防を担うのは幕府であり、その意味で松陰は正式に何の役目もない、一民間人にすぎない存在でした。そういう二十代前半の若者が日本国中を歩き、海防対策を考えるという行動をとったのです。
この行動力と知性を支えたのは、松陰の精神性(こころ)といえるでしょう。「こうだ」と思ったことは実現しなければいけない。他人ではなく、自分がどうするかが大事なのであり、自分の身を厭い、利を計る、ということは松陰の眼中にありませんでした。それはJ・F・ケネディの有名な言葉「国は自分に何をしてくれるのかを考えるのではなく、自分が国のために何ができるかを考えなければならないときがある」を連想させるものがあります。
民主主義が国民が主権者です。しかし、そもそも「主権者」とは国に対し最も重い責任を負い、時に自分を犠牲にして、与えられた部署でそれぞれの役割を喜んで果すものなのです。そういう民主主義の主人公である「主権者像」が松陰の口をついて表れたのが「草莽崛起(そうもうくっき)」<民間人が立ち上がる>という言葉だったのです。
残念なことに、現在の日本では「有権者」という座にあぐらをかきながら、自分が主人公、当事者である、という感覚を持たない国民が大手を振って闊歩しているように思います。よくも悪しくも国民を代表するのが民主主義の指導者だから、国民が「まとも」にならなければ、この国はまともな指導者を持つことはできません。本来の主人公である国民の自覚、これが切実に求められていると思います。

技術ではなく精神こそが、国を守る最後の押さえ
しかし、ただ「立ち上がって」闇雲に走り出すことが良いということではありません。
兵学とは戦略論です。「自らが日本の国としての存立を担わねば」という強い使命感にうながされつつも、「いかにして夷狄に勝つか」ということを戦略的思考で考え抜いた吉田松陰が得た戦略は、「尊皇攘夷」ということでした。
ただし、普通にいわれるところの尊皇攘夷――日本は神の国であり、それゆえにこの日本にはどんな夷狄も入れてはいけない――とは異なります。松陰の場合、「(始めに)勤王ありて攘夷にあらず。攘夷なるがゆえに勤王たるべからず」という彼の残した言葉が示すように、「尊王は国を救うための戦略であり、攘夷のためこそ開国し、西洋の進んだ文明の利器を導入する」という合理的で深く戦略的な発想があったのです。
つまり、「攘夷」は討幕をするための戦術としてあるもので、「開国」も和魂つまり日本のアイデンティティを再生するための方便だったのです。そこに、日本が守らなければならない「ぎりぎりのもの」があるという、国家戦略の出発点をしっかりと把握していたのです。そして、それは失ってしまえば、日本は必ず滅びる、と深く考えていた点で、松陰は、いわば世界史の普遍性と結びついた本当の攘夷論者であったといえます。
では、松陰が見出した守らなければならない「ぎりぎりのもの」とは何でしょうか。
それは古来続いてきた日本のアイデンティティであり、日本の精神文化です。そしてそれがまた、戦略的にも日本防衛の最後の拠り所と考えたのです。
そのことは、佐久間象山の門下に入って西洋の軍事技術を学んだ後に詠んだ次の句に象徴されます。
「備えとは、艦(ふね)や砲(ほう)との謂い<意味>ならず、この敷島の大和魂」
一見すると「竹槍云々」といった昭和の軍国主義者の走りなのではないか、と、受け止める向きがあります。しかし、それは大間違です。
「大砲、船などの技術は必要だが、これはどこまでいっても外来の才に過ぎない。守らなければならない日本の精神性(こころ)が、この国を守る最後の押さえでもある。この一点を押さえていたら、我々は、より有利に外国と競争できる」という意味だと私は理解しています。この松陰の戦略は、一言でいうと「和魂洋才」ということなのです。そして、この松陰の発想こそ、世界のどの時代の文明史にもあてはまる普遍的真理を伝えるものです。

他国も認める「日本文明」
吉田松陰が達したこの「和魂洋才」の哲学こそ、日本という国についてつねにあてはまる「国家戦略」の基本といえるものです。そのことを、文明の視点から私なりに説明しておきたいと思います。
日本が属する文明は「日本文明」です。十九世紀に日本に来た西洋人たちは、「この国の精神文化は、同じアジアの国とはまるで体系が違い、ましてや西洋とは全く違う」と口々にいいました。これは二十世紀の文明論者トインビーであれ、現代のサミュエル・ハンチントンであれ、みな同じことを指摘し、西洋キリスト教文明、イスラム文明、中華文明などの文明圏と並立する、一つの独立した文明圏として、「日本文明」を挙げているのです。
日本以外の他の文明は、一つの文明圏の中にたくさんの国が属していますが、日本文明だけは一国で一文明をなしています。この「一国・一文明」というところに「日本の宿命」があるのです。
もし、国が滅びたらどうなるのでしょう。たとえば、イギリスという国が滅んでも、イギリス人には宗教や精神文化、生活習慣などで、ほとんど共通している国が何十ヵ国もあります。イスラム文明でも中華文明でも同じであり、同じ文明圏のどこへいっても、自分の持っているアイデンティティを放棄せずに生きていくことができます。
しかし、日本は違います。日本人によっては、国家の運命と文明の運命がまったく重なり合っているのです。国が滅べば、私たちの精神の拠り所、アイデンティティをなくしてしまうことになるのです。だからこそ、松陰のみならず、西洋の脅威にさらされた幕末の日本では、あれほど強烈な危機意識が生じたのです。

日本人は「誇り」と「宿命」を忘れている
松陰は、この一国・一文明という日本の本質を的確にとらえ、「文明の核となる精神を崩したら、日本文明は滅び、この国も滅びる」、と同時に「国が滅びれば、日本の心も永遠に滅びる」と考え、戦略と精神の両立の必要を深くとらえました。
そこで、古代から連綿としてある「和魂洋才」という日本史に普遍的な日本の生存戦略に、誰よりも深く思い至ったのです。和魂をなくしたらいずれ日本人は「無魂」になり、無魂になれば、いずれ必ず「無才」になっていくことの恐ろしさをわかっていたのかもしれません。
「まず日本の精神性というものがあって、その上に外来の物質文明を接ぎ木する。そこに日本の生存が開けていく」、決してこの順序が逆になってはいけないのである。
この「和魂洋才の国家戦略」はまさに明治維新の選択でした。しかし、二十世紀の日本人は「大国になった」と意識したとき、この「日本の宿命」がもつ重さを忘れてきました。二十一世紀の日本が直面している問題の本質は、ここにあると思います。
日本の場合、つねに「戦略と精神」つまり「型と心」は、深く一体でなければならないのです。


これを読んでいて真っ先に思い浮かべたのが、ワールドカップ日本代表らの言葉であった。彼らは何度も「日本人としての誇り」という言葉を口にしており、それが強く印象に残っていた。
例えば、闘莉王選手の「僕は日本人になったことを誇りに思う」とか、松井大輔選手の「日本人としての誇りを感じる」とかいったこと、また岡田武史監督の「ピッチの中でも、日本の代表として、日本人の誇りを持って、脈々とつながってきている日本人の魂を持って、戦ってくれた。この選手たちを、本当に誇りに思います。」や「日本人の誇りを持って、またアジアの誇りを持って、最後まで戦ってくれた。」といったものだ。
試合という「ぎりぎり」の戦いの中で、選手や監督たちの最後に拠り所となったのが、「自身のアイデンティティ=日本人としての誇り」だったということなのだろう。
上記で引用した文章の「誇り」「精神」「守るべきもの」といったものと通じてくる。
また上記引用部分に「松陰が見出した守らなければならない「ぎりぎりのもの」とは何でしょうか。それは古来続いてきた日本のアイデンティティであり、日本の精神文化です。そしてそれがまた、戦略的にも日本防衛の最後の拠り所と考えたのです。」とある。まさにこれに尽きると思う。

今回のワールドカップは、図らずも日本国民全体に日本人としてのアイデンティティを思い起こす契機になった。
それは試合に勝った負けたといった結果以上のものを、国民にもたらしたのである。
それは日本人が失ってはいけないもの、「日本人のこころ」「大和魂」ということであり、サッカー日本代表チームがそれを教えてくれたのだ。

どんな偉い評論家の言葉よりも、一国の首相の演説よりも、ワールドカップの一勝の方がよほど重みがあるということだ。

英語が世界共通語になったとき、逆に世界の人々の民族意識は強まる……そんな気がする。

平成22年7月2日、こんなニュースがあった。

楽天の三木谷浩史社長が「社内の公用語を英語にする」と発表した。
同社はグローバル化に向けた第一歩として社内の公用語を英語にするとしていることから、記者会見も英語での開催となった。英語を公用語として採用する理由について、三木谷社長は「日本企業をやめて、世界企業になるための一歩と考えている」と強調した。

別に、一企業がどんな方策を取ろうとも、ワンマン社長がどんな妙案を打ち出そうとも、それは各々の会社の経営方針だから部外者があれこれ言うのは筋違いかもしれない。しかし三木谷社長のインタビュー記事を読んでどうも気になる部分があった。

まじめな話、英語化というのは、日本にとって歴史を覆すぐらいの大きな挑戦。でも、それぐらいのことをしないと、日本は終わりだと思っている。日本の文化や伝統を重んじるのはいいと思う。でも、ガラパゴス状態から脱して、多様化しないとサバイバルはできない。

伝統や文化を守り続けると、いつしか世界から孤立してガラパゴズ状態なると、彼は考えているようだ。
これは違う。
強大な影響力を持つ大国(日本にとってはアメリカや中国のような大国)に呑みこまれないためには、独自の文化・文明が、特異性が、必要なのである。なぜ何の変哲もない南洋の小さな島々であるガラパゴス諸島の名が世界中に広まっているのか、なぜ世界の人々に注目され、観光客や研究者がこぞって訪れるのか。イグアナやカメが見たいなら他のところにでも構わないはずだ。それはガラパゴス諸島には決して他には見られない独自の発展をした生物がいるからに他ならない。
これを文化・文明に例えればいい。
極論すれば、文化・文明を興すにあたっては、ガラパゴス化こそが必要なのである。(日本のような辺境の小国は特に)
他と違う秀でた特異性があるからこそ注目され、尊重もされる。
日本の「アニメ・マンガ」「弁当」が外国から注目されるのは、他の国々には替え難い特殊性があるからだ。
まあこの点は横道にそれてしまうので、過去記事等、また別の機会にするが、重要なのは、その独自の文化を有するには独自の言語が必要だということだ。
日本人が日本語を捨てれば、日本文化は保たれず日本という国も成り立たず、日本民族というものもいなくなることになる。(三島由紀夫「文化防衛論」)
文化=国家!
これは当ブログで再三言っているところだ。

そして、こういうことが全く分かっていない人がいる。
日本憲政史上最低の首相・鳩山由紀夫だ。退陣表明演説にこんな一節があった。

東アジアの共同体の話もそうです。今すぐという話ではありません。でも、必ずこの時代が来るんです。おかげさまで3日ほど前、済州島に行って、韓国 の李明博大統領、中国の温家宝総理と、かなりとことん話し合ってまいりました。東アジア、われわれは1つだ。壁に「We are the one」、われわれは1つである。その標語が掲げられていました。そういう時代を作ろうじゃありませんか。
 国境を越えて、お互いに国境というものを感じなくなるような、そんな世の中を作り上げていく。そこに初めて、新たな日本というものを取り戻すことができる。

まさに最悪。こういう思考がどれだけ中国を喜ばすのか分からないのか。こんな首相を、民主党を、日本人は選んでしまったところに今の不幸がある。(管首相も似たような思想の持ち主)
中国が近隣諸国を中国化する同化力は120%ある、といったのは山本七平だが、まさしくその通りである。(かつての朝鮮は中国以上に中華思想に染まっていた)
そして、今回の「英語」と云う点においては、アジアが一つになろうというスローガンが「We are the one」だという英語を使っているというのはどういうことなのだろうか。
一国のリーダーがこれに何の疑問も持たないといったところまで「英語の侵食」が進んでいるということだろうか。
他の過去記事鳩山由紀夫首相の施政方針演説の「文化融合」は、最も危険な言葉だ。

さて、何度も言うが、グローバル化していく上で、英語を自分の会社の公用語にするという三木谷社長に対してどうのこうの言うつもりはない。商売道具として金儲けとして「英語」を必要とするならばどんどん取り入れるがよい。しかし、国の文化や歴史、言語を否定するような発言だけは許せないだ。自分の拝金主義を持ってして日本の将来を語り、文化歴史を否定するような態度が、私には不愉快なのである。(私のような低所得者の庶民が、こんな飛ぶ鳥を落とすような大社長に対して失礼なことだとは思うが、言いたいことは言わせてもらう。)

またこのような大経営者の発言を奇貨として、「英語第一主義」「英語教育編重」を叫ぶ声が一層広がるのを危惧するのだ。
過去記事 など

自国の言葉を捨て、便利な世界共通語の英語を使おう!というこの軽率な考えが、広まることを恐れる。これを良しする風潮が広がることも恐れる。そして、ひいてはこれが結果的に自国の「文化」を失うということになると全く国民が気づいていないということも恐ろしい。

そんなことが書かれているのが、水村美苗「日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で」だ。
日本語が亡びるとき
英語が世界の普遍語となり、結果、英語文化が他の文化を圧倒し駆逐していくということが書かれている。
一節引いてみよう。

……より根源的には、すべての日本人がバイリンガルになる必要などさらさらないという前提――すなわち、先ほども言ったように、日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきであるという前提を、はっきりと打ち立てるということである。学校教育という場においてそうすることによってのみしか、英語の世紀に入った今、「もっと英語を、もっと英語を」という大合唱に抗うことはできない。しかも、そうすることによってのみしか、<国語>としての日本語を護ることを私たち日本人のもっとも大いなる教育理念として掲げることはできない。
人間を人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも、長い<書き言葉>の伝統をもった日本語なのである。


この本はいい。
三島由紀夫の一連の「文化防衛」論や藤原正彦の論理と同じである。(主義・思想は違うだろうが、日本文化を守ることが肝要である点では同意だ。)

そして、
藤原正彦著「古風堂々数学者」の中の一篇から長いが引いてみる。

真の国際人
ここ二十年のあいだ、毎年のように海外の土を踏んでいる。欧米、アジアを問わず、英語の便利さは年々高まっている。ついに世界語になった、との感を禁じ得ない。中世ヨーロッパにおけるラテン語のように、学会では二十年以上前からすでに英語を支配となっていた。それが今ではほとんどすべての分野でそうなっている。ASEAN(東南アジア諸国連合)においてさえ、年間三百近い会議はすべて英語で行われている。
学術交流や外交ばかりでなく、留学や民間組織の国際交流はますます盛んとなり、ビジネスの世界では中小企業までが海外に出る時代となった。このグローバル化した世界で、貧弱な英語ではみすみすチャンスを逃したり競争に負けてしまう。国の将来は国民の英語能力により左右されるということで、アジアでは小学校で英語を教える国も増えてきている。わが国でもこれにならい、また国際人養成ということで、2002年より小学校に英語教育を導入する予定となっている。
しかし、英語の重要性の増大がそのまま母国語や母国文化の危機につながることは、案外忘れられているようである。
言語は文化と不可分である。英語が世界語として長年君臨すると、必然的に英語圏文化が世界に君臨することになる。例えば日本文学は主に日本人だけ、仏文学は主にフランス人だけに読まれるのに対し、英米文学は世界中の人々に読まれることになる。文学だけではない。時間を競うような情報は、すでにインターネットがそうであるが、完全に英語に牛耳られるだろう。
そうなると英語はさらに重要となり、必ずや母国語を圧迫するようになる。母国語の圧迫は母国文化の圧迫である。母国語の確立が最優先であるはずの小学校で英語を教えるというのは、その第一歩を踏み出すということになろう。
その結果として各国の文化がどうなるかは、アイヌや琉球のたどった運命を見ればおよそ見当がつく。言語の導入は西暦、アラビア数字、メートル法などの導入とは本質的に異なるものなのである。
無論、英語か文化かの二者択一ではない。文化的植民地とならぬための「節度ある」英語教育が望まれるのである。ここで注意したいのは、英語が経済的繁栄に結び付く、と考えるのは早計だということである。英語を最も得意とする英国が一世紀近くも斜陽経済を引きずり、英語の最も不得意な日本がここ半世紀間、世界史上でも有数の繁栄を謳歌したのである。また、英語が国際人につながるわけでもない。アメリカ人やイギリス人の中にも、国際人と呼べる人は数少ない。国際人かどうかの判断は、いかに語るかでなく何を語るかによりなされるからである。
わが国では、英語教育に多大な時間を費やしているが、使いこなせなるようになる者はわずかにすぎない。私も中学高校を通じ、他のすべての教科を合わせたくらいの時間を英語に費やした。にもかかわらず渡米した当初は英語に大いに苦しんだ。その後滞在が長くなり、どうにか通ずるようになったが、彼らとの交流の中で痛切に感じたのは、ぎこちないままの英語の不便より、日本の文化や歴史への理解不足である。あの莫大なエネルギーの半分でも、古典や漢籍などに向けていたらと悔悟の念にかられる。
小学校では何をおいても国語をたたき込み、それを基に母国の文化、伝統、情緒などを培い、その国の人間としての根っこを形成すべきである。これがぐらついていては、英語がいくら流暢でも、真の国際人にはなりえない。この意味で小学校の国語は、一国の生命線といって過言ではない。わが国は伝統国家として、英語への思慮ある距離感覚を持つことが肝要ではなかろうか。



最近こんなコメント記事を読んだ。
「Youtubeを見ていると、若い人ほど国境を越えて友人を作っているようだ。 そんな時代に、「日の丸バンザイ」ってやっても、付いて行くのは中高年世代が大部分だろう。 これからますます、その傾向は強まっていくだろう。 通信技術の発達と、民主主義の拡大が、国家至上主義を滑稽なものにしてしまうだろう。なぜなら、外国に多くの友人を持つ者にとって、国境はもはや障害にしかならないから。」
世の中に、こんな「平和主義的、世界市民的」発想の持ち主は多い。
私にはとてもこんな思想は持てないが、確かに将来的に国境という意識は薄まっていくかもしれない。
だが、国の境という意識がなくなればなくなるほど、逆に民族意識は高まるのではないかと私は思っている。
俺は日本人だ、私は中国民族だ、朝鮮民族だ。いや、俺はブラジル人だ、フランス人だ……、そんな風に人々は国の境が薄まったときに「民族意識」を強く持つようになるのではないのか。
そのときに必要なのはその民族の文化であり、独自の言語であろう。
それを失ったときに、その民族も消滅するのだ。

日本人がいま必要なのはこの危機感であり、自分の文化を失わないようにこの意識を高めるところにあるのではないか。
最近、強くそう思う。
だから楽天の社長が自分の会社を「英語化」するといったどうでもいいような話にも強く反応してしまうのだ。




参議院選で思ったこと。

民主党大敗とは言われてはいるが、民主党の当選者の顔触れを見ると、日教組や労組出身者はそのまま残っている。総数が減っているから、実のところ党内の日教組・労組の割合は増えていることになる。
ということは、与党内では一層「左」の勢力が増しているということになっているのだ。これは実のところ、不気味なことで危惧すべきことだ。
日教組の代表のような輿石東が当選したという時点で、この選挙は「保守派」にとって「勝ち」とはいえないような気がしてならない。
たとえ千葉景子法相のような売国的な大臣が落選しようともだ。

2010年7月12日 読売新聞から

それでも強い民主の労組候補…比例当選者の6割
 参院選では民主、自民両党ともに比例選での得票が伸び悩み、07年参院選より議席数を減らしたが、民主党の労組出身候補は手堅く当選を重ね、強さを見せた。
 一方で、政権交代に伴い、業界団体出身候補は明暗が分かれた。
 民主党の連合組織内候補は、11人のうち10人が当選し、個人名票の党内順位も上位に名を連ねた。同党の比例選当選者16人のうち、連合候補が6割超を占める結果となった。
 連合は04年は8人、07年は7人の候補全員を当選させてきた。ただ、今回は候補増で票が分散されることに加え、北海道教職員組合の違法献金事件などで「労組マネー」に批判が集まったことから、連合の動きが鈍るとの見方があった。
 実際、日教組出身の那谷屋正義氏ら現職6人のほとんどが04年に比べて得票数を減らす見込みだ。それでも6人全員が当選、逆風下でも安定した組織力を見せ、労組が民主党の基盤を支えている実態を改めて浮き彫りにした。


今回の参議院選の民主党の敗北の要因に、「消費税の問題」や「管首相のブレ」などを挙げる評論家も多い。だが本当にそれだけが原因だろうか。民主党の「本質」「本性」がネットを通じて広がり、この政党の怪しさに気が付いた人も多いはずだ。それが選挙の結果に少なからず影響を与えているなのに、それをテレビ、大手新聞メディアで指摘する評論家、コメンテーターが一人もいないというはどういうことだろう。
ネット世界とメディアの認識の差が一層広がっているように感じる。
私が今回の選挙で感じたのは、「民主党が負けた、自民党が勝った、みんなの党が躍進した、谷亮子がどうした」といった結果よりも、右と左の争点を故意に取り上げないマスコミ・メディアの態度に一層の不審感を募ったということだった。



皇后さまの駒野選手へのお気遣いに頭が下がります。

いい話。

 皇后さまも駒野ファン?…岡田J、両陛下と懇談
天皇、皇后両陛下は9日、サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で16強入りを果たした日本代表の岡田武史監督らを皇居・御所に招き、懇談された。

 招かれたのは、岡田監督のほか、主将の川口能活選手、ゲームでキャプテンマークを付けた長谷部誠選手、日本サッカー協会の犬飼基昭会長の4人。
 岡田監督らによると、両陛下は、深夜や未明に行われた日本の試合のほとんどをテレビ中継で観戦していたといい、「本当にご苦労さま。チームが一つになって戦っているのがよく分かりました」とねぎらわれたという。
 また、チーム全員のサイン入りユニホームが贈られたが、岡田監督は「私たちも誰のものか分からないサインを、皇后さまは『これは駒野さんのね』と言い当てられた。両陛下はサッカーに詳しく、本当に光栄でした」と感激した様子で話した。(平成22年7月9日 読売新聞)

皇后陛下がわざわざ駒野選手のことを触れたのは、彼へのお心遣いに違いありません。ミスをした駒野選手へ「がんばれ」といったご声援を送っている、そう思えてなりません。皇后陛下のまなざしは実に優しい。それに、新田源氏の血を引く末裔なので、こういった敗者の気持ちに感応してしまうのではないしょうか。
関連記事
また他に、皇后さまはデンマーク戦の際、試合が始まる午前3時半に目が覚めたら、陛下も目を覚ましており、「見ましょうか」ということで「一緒にテレビを見ました」と話したといったエピソードや、両陛下から「チームが一つになって、日本人として戦ってきてくださった」と言葉をかけられたといった逸話も実にいいですね。

浅田真央選手などの冬季オリンピック後の「園遊会」と「福沢諭吉」の記事でも書きましたが、天皇皇后両陛下と日本代表選手らを招いてお言葉をかけられること、これが本当に意味深いものであるとつくづく思う。

それに、FIFAワールドカップ日本代表帰国会見での岡田監督の言葉も良かった。
ピッチの中でも、日本の代表として、日本人の誇りを持って、脈々とつながってきている日本人の魂を持って、戦ってくれた。この選手たちを、本当に誇りに思います。

「脈々とつながってきている日本人の魂」それを象徴するものは皇室に他になりませんから…。

転勤!

ここのところブログ更新していませんが、それは仕事の都合でここのところ忙しかったため。
というのも、突然の転勤。
勤務地は、前橋から何と大泉町へ。

何たる奇縁。
三島由紀夫のことを書いているときに、その大泉町へ行くとは!
しかも、三洋電機(旧中島飛行場跡地)の近く。

過去記事

後で、児島高徳の墓にもまた行ってみます。

追記 W杯でブラジルが負けた試合の朝、ポルトガル語を喋る方々が集まっていて、少々騒いでおりました。
   まあ、そういう不思議な街です。

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