スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アニメは日本文化を救えるか  第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。切っ掛けは「タイ焼き」から?……。

アニメは日本文化を救えるか 
第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。それが日本を守ることになる。


さて、このシリーズも5回目。
ここまでのまとめ。
日本のアニメの世界的な広がりや、アニメ文化を生かしてビジネスに生かそうといった、櫻井 孝昌 の著作を立て続けに読んだ。アニメ文化外交 (ちくま新書)、ガラパゴス化のススメ(講談社)などで、まさしくこれらの意見に賛同するばかりである。(日本アニメが海外に広く浸透していることが良く分かる)
日本において「ガラパゴス化」ともいうべき形で独自に発展したアニメ文化だが、これをコンテンツ産業として世界に発信していこう、というのがいまの識者の考えていることのようで、実際この流れに沿って進んでいるようだ。
外務省や産業通産省など官僚・国がアニメ産業に関わることを皆が強調しているが、これに対する不安感はどうも拭い切れない。これによって、この文化が衰退していくのではないかという危惧は多くの人が感じているところで、Amazonのレビューにもあった。
こういった点について、杉山知之著「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)から抜粋してみる。
杉山知之著「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」

一方で、「国が支援・育成するというと業界がダメになる」「サブカルチャーが国に庇護されるのはいかがなものか」という声もある。この意見にも一理あるけれども、国が取り組むことには、金銭面以外での意味が大きい。
イギリス王室は、1965年、わざわざ女王陛下の誕生日にビートルズをバッキンガム宮殿に招いてMBE勲章を贈ったが、ビートルズだって当初はサブカルチャーだったはずだ。
端的に言って、これまでマンガ、ゲームといったオタクの好むものは、個人の進路としても産業としても、メインストリームではなかった。あえて極論すれば日蔭者扱いされていた。中学生くらいの子どもが「マンガ家になりたい」「アニメを作りたい」「ゲームデザイナーになりたい」などと言い出したとき、諸手を挙げて応援する親は少数派だった。
日本の場合「国や政府(お上)が勧めていないことはやらない方がいい」と、影響を受けやすいように思う。
しかし逆に、国が注目して本気で取り組んでいるとなると、人々の意識は確実に変わってくる。2004年、アニメやマンガなどの日本のコンテンツ法(コンテンツ産業の保護・育成及び活用の促進に関する法律案)が成立し、省庁が正面から取り組みはじめたことは、その意味からも大きい。
もちろん「オタクな業界」が、日本の将来を背負って立つという保証を国がしたわけではないし、就職後の安泰を約束したわけでもない。だが、日本にとって大切な産業であることをはっきりと国が認識したことを示している。
国外においては日本ファンを増やし、国内では表舞台の産業の認識を改める。こうした側面からコンテンツ産業を捉えることが欠かせないと思う。

確かに、これはこれでいいことではある。
ただ、私が憂慮するのは、アニメを必要以上に金儲けのためのビジネスとして利用することを第一優先させていいものだろうかという点にある。
市場を睨んで一般受けする無難な作品ばかりが作られようになれば、日本のアニメの独自性がいつしか失われていくことになるだろう。これでは本末転倒となる。
日本のアニメを経済原理に晒せば、例えば、ハリウッド映画のようにいつしか13億人の中国市場を狙ったものが作られ、一般受けの無難な作品ばかりとなるだろう。それが果して「クール・ジャパン」といえるのか、ということで、この辺はこのシリーズの一回目で触れたところだ。

では、私がなぜ日本のアニメを強く推すのかといえば、アニメを通じて日本文化が世界に広まり、それによって海外の日本ファンを増やすことになり、それがひいては「日本」を守るということにつながるからだ。
これはこのシリーズで一貫して訴えているところである。
だから、コンテンツ産業として、経済効果を狙って、といった形でアニメ文化を世界に広げようということとは、根本的に違う点である。

上記、杉山知之著「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」には、「日本アニメファンを日本のサポーターにしょう」といった内容のことが書かれている。その部分を抜粋してみる。

21世紀、国の力量を計る指標は、経済の規模だけではない。文化が発信する面白さや、その影響力が比重を増してくる。地球全体のキャパシティからも経済発展には限界があるが、文化力はそうではない。
コンテンツ産業が日本の強みであるという認識が広まって、注目されているのは喜ばしいことだ。ただ経済的観点からの数字に重きが置かれて、それ以外の価値があまり注目されていないように感じる。
本来なら「海外のアニメファンは日本のサポーターだ」と云えるような政策をとるべきだと思うのだ。国策として「日本のファンを作る」イメージだ。
海外のアニメファンは、日本文化は素晴らしいと感動し、日本に好感を持ってくれているのだから、まぎれもなくサポーターである。彼・彼女たちは、アニメだけでなく、さまざまな日本製品を買ってくれるはずだ。そんな見方があってもいいのではないだろうか。たとえば外務省や経済産業省を挙げて、大々的に「世界オタク大会」を開催するようなことを、なぜ行わないのかと不思議なくらいである。
政治家や官庁の人たちが、コンテンツ産業によって日本の存在感が示せることを認識したことで、振興策がとられるようになったのだから、首尾一貫が望まれる。前章で述べたクリエイター育成分野の問題を含め、このあたりの整合性が今後の課題だろう。

海外の日本アニメのファンが日本文化に好感を持って、日本サポーターになること、ここが重要だ。実際にアニメから日本文化に目覚めたという海外の人はかなり多い、という。こういう市民レベルでの日本文化の普及が、今の日本に必要ではないのか。

こんな新聞記事を読んだ。

中ロ、領土問題で日本けん制 「歴史認識」共有の声明
平成22年9月28日 毎日新聞から
 【北京=池田実】中国を公式訪問中のロシアのメドべージェフ大統領は二十七日、胡錦濤国家主席らと会談した。両首脳は第二次大戦終結六十五周年の共同声明に調印し、対日・対独戦勝の歴史観共有をアピール。資源・エネルギー分野などの協力文書にも調印した。
 大統領の訪中は二〇〇八年五月以来で、両国首脳の会談は今年五度目。沖縄県・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、日中両国の対立が深まるなか、中ロとしては終結六十五周年の共同声明を出すことにより、領土問題で日本をけん制する狙いもあるとみられる。
 中国国営の新華社通信によると、会談で胡主席は領土問題などでロシア側の協力、支持を求めた。これに対し大統領は「戦略的提携を強化していきたい」と応じた。

領土問題で、中国、ロシアは手を組んで日本に対抗しようとしているようだ。そんな中で、日本の民主党政権の反米政策でアメリカは反発し、韓国は相変わらず反日感情を弱めることなく、オーストラリアは捕鯨・イルカ漁で日本バッシングし、東南アジア諸国は中国漁船衝突事件で日本の対応に呆れ返り、北朝鮮は日本にいつテポドンを撃ち込んでくるかわからない。
世界地図で環太平洋を眺めてみれば、これこそまさに日本は四面楚歌であろう。
反日勢力に囲まれて孤立無援の中にいるようなものだ。
それでもまだ日本に「東アジア共同体」って唱えている人がいるのだから驚いてしまう。
経済力も影響力も弱まり、政治も外交も存在しないような状態で、領土もカネも奪われていく日本。
これから何が日本を守っていくのか。(「憲法9条」って言わないで!)
それは「文化」しかないのではないか。
そう強く思うのだ。
世界中に「日本ファン」(「親日家」「知日家」)を増やすことが必要なのだ。

だから私のアニメの見方は少し違う。
例えば、「フルメタル・パニック!」というアニメがある。(これは「ふもっふ」を含め傑作だと思う。ハリウッドで実写版が制作予定)
これが動画サイトにupされているスペイン語字幕が付いたものに、登場人物のセリフの中に「宮本武蔵」が出てくる。そうすると、画面上には、その宮本武蔵の説明がスペイン語で紹介される。
フルメタル・パニック 宮本武蔵
こういうのが重要。これで、スペイン語圏の人が「宮本武蔵」を知る。もしかしたら、それに興味を持ち「そういえば『バカボンド』っていうマンガも宮本武蔵だったけ」「宮本武蔵のチャンバラ映画っていうのもあるんだって」といって内田吐夢監督の映画に興味を持つかもしれない……。
もう一つ「フルメタルパニック!」から。
今度は、主人公「いい国つくろう鎌倉幕府」と言おうとして「室町幕府」と間違い、他の登場人物が「鎌倉だろ」と突っ込む場面。これは英語字幕版。
フルメタルパニック 「いい国作ろう室町幕府?」
ここで、画面上に「This means make a good country……」と解説が入り、セリフには「muromachi shogunate」と入る。shogun(将軍)+ate(「…の職務」の意の名詞語尾)→将軍職、つまり幕府となるのか。
英語圏の人がこれを理解できるのか分からないが、「shogun(ショーグン)」って「サムライ」で一番偉い人じゃなかったけ、といった感じで「日本の歴史」に興味を持ってもらえればいいわけだ。
こういう一つのアニメからでも、「日本」へますます興味が湧いてくれる可能性があるのだ。

杉山知之著「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」はいい本なので、もう少し面白いなと思ったところを引いてみます。

フランスでは1980年代に日本のアニメからマンガへ広がっていくブームが起こった。きっかけは「めぞん一刻」。多少カットされた部分はあったようだが、基本的にアニメがそのまま放送されて、大変な人気を博した。
今や日本でも廃れてしまったキッチン・風呂なし、玄関とトイレ共同の下宿館を舞台に、若くて美貌の未亡人が管理人としてやってきて、優柔不断な主人公が恋心を抱くところから物語はスタートし、ライバルの登場やささいな事情からのすれ違いをドタバタと繰り返す。
このアニメもやはり日本製とは思われていなかった。古い下宿館が舞台だから、登場人物は靴を脱いで建物に入って行くわけだし、ヒロインは竹箒で下宿館の庭を掃いている。けれども、子どもたちは不思議と思わずに見ていたらしい。
魅力的な作品だったことは間違いない。大人になっても忘れられず、どこに国のものかと興味を持つと日本製だった。そこでオリジナルのビデオを取り寄せて見るというブームが起きたのだ。
私が驚いたのは、フランス人が、描かれた文化の違いをものともせず「面白い!」と受け入れていることだった。多くの日本製アニメは、無国籍だったり、西欧的な雰囲気への憧れが底流にあったりしたので、ヨーロッパで放送されても受け入れられるようにと思っていたが、「めぞん一刻」が受け入れられるとなると話はまったく違ってくる。
色濃く描かれた日本の生活習慣はともかくとして、そんなことよりも注目すべきは、本質的にこの作品が日本人同士の心の機微を背景にした壮大なすれ違いの物語である点だ
浪人生だった主人公は恋心を抱き続けても踏み出せない。別な女性から言い寄られても断れない。ヒロインの「管理人さん」も、主人公の思いに気付きながらも、優柔不断な態度を取り続ける。つまり「めぞん一刻」の世界には、日本文化そのものが凝縮されていた。
原作は青年誌「ビッグコミック・スピリッツ」に連載されたが、キスひとつするまで大騒ぎするような、青年誌よりも牧歌的な物語だった。日本人が見ても「まどろっこしい」と思うエピソードの繰り返しを、驚異的なストーリーテリングの巧みさで引っ張っていた。
それが、アニメとしてテレビで放送されることで、ときに高慢な自国の文化に誇りを持つフランスのような国にもブームが起こる。アニメは文化の違いを超えて、夢中になれる表現形態である可能性を示す好例だと思う。

絵柄や卓越した作画技術で、まず度肝を抜いたわけだが、二十一世紀になると日本的な心性や文化を含めて受け入れられるようになった。この数年、それまでの海外アニメと、注目される日本のアニメのどこが違うのかという分析がなされるようになった。
大勢の結論には、私も賛成するのだが、こういうことになる。
日本のアニメにしてもマンガにしても、まずキャラクターがいる。当然のことながら、このキャラクターたちには性格や個性の違いがあり、それぞれに生い立ちや背景が設定されている。作品中で語られない部分までも徹底的に作り込んでいるのである。そうしたキャラクターが複数登場して、その中で話が構築されてくる。
しかも、日本では、一話完結だけでなく、大河ドラマのように物語の中の時間が流れていくことが多いので、その中でキャラクターの個性や背景が絡み合って、事件が起きたりエピソードが語られたりするわけだ。
それに対して、とくにアメリカのアニメに顕著なのだが、海外のアニメではストーリーに重きが置かれている。主人公が置かれた状況の面白さや突飛さを生かすために、ストーリーが作られることろがあるので、キャラクター自身がそれほど緻密に描かれない。
なおかつ通常は一話完結なのである。
考え方や作り方がまったく違っているわけだが、やはり日本のアニメやマンガのほうが、海外の人もキャラクターに共感できるし、思いを込められるようだ。
感情移入して自分のことのように思い入れたキャラクターが、困難にぶつかったり悩んだりしながら目的を遂げていくのだから、作品の世界に引き込まれるのは当然だ。気が付けばすっかりハマっているということになる。

さらに、杉山知之氏は、これら日本アニメの根底には「日本の文化、伝統や日本の世界観など長い歴史の中で蓄積されたもの」があるからこそ、この隆盛があると書いている。
「日本文化」を守ることが大切である、と改めて思い知らされる。

さて、最後に、もう一つ。今度は「瀬戸の花嫁」という傑作ギャグアニメの英語版から。
瀬戸の花嫁 タイ焼き
「夏祭りの屋台でタイ焼きを買う」という場面(これだけで日本的風景)で、「タイ焼き」の説明が英語で付く。
「A Taiyaki is fish-shaped pancake with bean filling」とある。

次に「けいおん」から。登場人物のあずにゃんが「タイ焼き」を食べて喜色満面の表情を浮かべる場面。
けいおん Do you like taiyaki? 
英語字幕では Do you like taiyaki?と出る。

タイ焼きを見たこともない外国人が、「アニメに出てくるなんだこのタイ焼きという食べ物は?」と思うはず。これで日本の食べ物を知る一つの切っ掛けとなるのだ。(他の日本の食べ物でも英語で解説が付いていた。)
日本のアニメをよく見ると、食べ物を食べるシーンは異常なくらい多く描かれ、それが「日本の独自の食べ物」であることも多い。(例えば「たこ焼き」だったり「タイ焼き」だったり「焼きそば」だったり……。「流しそうめん」をギャグにしたアニメも見た。それに英語やスペイン語、ハングル語、中国語などの字幕が付いて、ネットによって世界中に配信されている)
それを登場人物がウマそうに食う場面を見れば、「あれは何だ、俺も食いたい」と思うはずである。
何度も言うがこう言うことが大事なのではないか、と思う。

大仰に「日本文化」を広めようとするより、こういった身近なことの方が「文化」というものは浸透していくのではないか、最近はアニメを見ながらそんなことばかり考えている。

さて「アニメは日本文化を救えるか」シリーズはあと1回だけ続けます。

スポンサーサイト

アニメは日本文化を救えるか  第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。

アニメは日本文化を救えるか 
第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。

前回記事からの続き(少し追記しました。)

ここ近年やたらと「日本はガラパゴス化している」と必要以上に唱える人々が多い。
ただ、吉川尚宏「ガラパゴス化日本」(講談社現代新書)などを読むと、私はどうもこういった説に違和感を覚える。
とりあえず、本書の要点は3つで、挙げてみる。
1、日本製品のガラパゴス化「日本企業が作り出すモノやサービスが海外で通用しないこと」
2、日本という国のガラパゴス化「日本という国が孤立し、鎖国状態になること。地方だけではなく、東京を含め日本全体が鎖国状態となるリスクをはらんでいること」
3、日本人のガラパゴス化「最近の若い人のように、外に出たがらなくておとなしい性向のこと」
まあ、1は改善しなければならないし、こんなことはガラパゴス化なんて言葉を用いなくても、普通に経済・市場を考えれば、需要にあったものを供給しなければ経済的発展など望めないのだから、すぐに分かることだろう。(だから世界市場・世界規格に合ったものを日本が作るといったことに対しては、反対の余地はない。)
ただ、問題なのは2と3だ。
なぜか日本の問題を語るとときに必ず展開される「日本は閉鎖的」「内向き」という考え方、これにはもううんざりする。過去記事
そして本書を読むと、シリコンバレーで働く渡辺千賀の本を引用してました。(そんなにシリコンバレーで働いていることがエライのかね?)
過去記事でも書いたように日本を悪ざまに言いまくるこの人の記事を引くくらいだから、この本の傾向はよく分かるというものだろう。
また、日本人の若者が海外に出ることが減っているといったことで論を進めているが、これについても過去記事で書いたように、全くそんなことはない。それに無理にでも若者が海外に出ていくことを推奨しているが、なにか「外国に出ることがいいことで、日本にいることは悪い」といった思想を振りまくことに、何か意図的なものを感じてしまう。
そして、この本では「柔道をJUDOとして脱ガラパゴス化をしたから、グローバル化に成功した」などといったことが一章にわたって書かれている。
あまりにもバカらしいので、ここでは細かく検証しないが、まったくこの人には「日本の歴史・文化・伝統」の重要性が分かっていないのである。
まあ、気になった人は読んでみるといいでしょう。(この論説が正しいと思う人がいても、それはそれでいいですが……)

さて、では、「日本のガラパゴス化」を声高かに唱え、「日本の閉鎖性」を説く人たちのこの根底には何があるのでしょうか。
どうもその考えの根本には「日本の社会を解体しよう」「日本の国柄を変えてしまおう」といったものが透けて見えるのだ。(本人にその自覚はなくとも、その言説、その論陣は、「日本解体」そのもの。)
だから、いま日本にある問題、「格差がある」「景気が悪い」といったことをすべて「社会が悪い」「国が悪い、政府が悪い、役人が悪い」として、ならば「国のシステムを変えればいい」「今の日本の社会は悪弊そのものなので、すべて壊してしまおう」という思想が根底にある。
そして「日本人は悪だ」「皇室があるから政治が悪い」といったことを無意識のうちに国民に刷り込もうとしている。
だから「日本はガラパゴス化している」といって「改革」を訴える人々に私は警戒心を抱いている。

さてさて、そんな中で、この「ガラパゴス化」はすべていけないのではなく、逆に「ガラパゴス化」こそ日本再生のカギだと唱える本を読んだ。
芦辺洋司著 「超ガラパゴス戦略」(WAVE出版)
超ガラパゴス戦略
この本は良書。
私がこの本に感じた良い点は、「日本文化」の存在価値を大いに認めて、それを経済に、また日本再生に生かせ、と論じているところにある。本文にこうあった。

これまで、日本のビジネスについて各方面から「ガラパゴス化」が論じられてきた。そして、ガラパゴス化により日本の産業が衰退することを危惧するといった論旨のものがその多くを占めてきた。
しかし、本書はそれとは正面から立ち向かう、まったく異なる論を展開している。そして、現状から出発し、いま、国内およびグローバル市場で実際に展開している進化の法則を探りつつ、戦略的フレームワークの設定、戦略的ベクトルを提示した。日本のビジネスが絶滅しないための、さまざまな方法論も提案した。それをもって、戦略的ガラパゴスが目指した…

まさに「日本文化」を否定して「日本は閉鎖的」だと論陣を張る人々とは180度違うのだ。(第2回の「日本語とアニメ」でも触れたように)
それでは、「日本文化」「アニメ」に関する部分もあったので抜き出してみる。

日本人は弱点を補強することから物事を始めようとするクセがある。……弱点を議論する前に「強み」は何だろうかと考える。弱点を克服して戦うのではなくて、強みを生かして戦いに臨むのが戦略の常套手段だからだ。
ここまで、経済環境を取り巻く変化、改革に向けた外貨獲得と投資先国家への転換を述べてきた。この二つのアプローチを実施するにあたって、戦いに勝つ「強み」は日本にはないだろうか。
この問いに答えるためには、現状を客観的よく見据えて分析する知力、歴史に学ぶ姿勢、そして何より、この日本に潜在的に蓄えられた日本本来の強み・底力を再発見する作業が、まず求められる。それにより「ガラパゴスの種」を発見するのだ。
そして、この再発見の上に立って、何を国内に残し、何を外に出すべきかを選別するのである。この「選別」と「集中」を最も的確な方法で行い、最も有効な手段で成果につなげるためのフレームワークが「超ガラパゴス戦略」である。
日本は島国である。そして、日本語というかなり独特の言語を古来、国語としてきた。そのため、ヨーロッパ系の言語とはもちろん、中国や韓国など他のアジア圏の言ともかなり違いがある。これは、良い意味でも悪い意味でも“文化的垣根”になっている。
また島国であることに加え、江戸時代という三〇〇年にわたる時代を通じて、政策的に他の国々とはかなり限定的・選択的な交流しか行ってこなかった。そのため、技術にとどまらず、人々の感性・習慣・思考法など、文化全般に及んで独自性が強く、「ガラパゴス的」ともいえる特徴を数多く備えている。
これらの特徴はまた、モノ作りやサービスを飛躍的に進化させていく原動力である。そう考えれば、隔離されているという意味ではなく、商材やビジネスの競争力を生み出す独特の進化を可能にする環境といえる。これは大変な強みではないだろうか。
そして、これらの強みを縦横に活用し、日本発の製品・サービス・情報・ビジネスが世界を変え、世界をリードしていくことを今、目指そうというのが、戦略のコンセプトである。
つまり「世界を変える島国」となることが目的なのだ。同時に、それこそが、ほとんど唯一残された日本の生き残る道となるだろう。それを達成するためにここで提案するのが、超ガラパゴス戦略なのである。

超ガラパゴス戦略とは、日本の独自の文化や環境を積極的に活用し、世界に通用する産業を戦略的に生み出そうというものである。
その一つとして、真似をされにくい種を見つけて進出する方法である。わかりやすい例でいえば、日本のアニメは世界で高い評価を得ている。と同時にあのテイストそのものは外来種では模倣できない「種」である。

職人気質とサブカルチャー
それでは、独自の進化を育む土壌とは、いったいどのようなものであろうか。どのような環境の中で、それらは生成・発展し、あるいは、進化を遂げるのであろうか。
その問いに答えるカギは、作る側と使う側の両面から眺めると、見えてくる。そのカギとは、「職人気質」と「サブカルチャー」である。
日本のモノ作りを支えてきた価値観は、いわゆる職人気質である。職人は現代のマーケティング活動といった、市場のニーズを推し量り、「売れるものを作ろう」という動機に基づいて仕事をしない。自身がイメージした孤高のゴールにどれだけ近いモノを作ったか、それが彼らのモノを世に出す基準である。そのためには、あらゆる努力や工夫、ひいては修業もいとわないのである。こうして追い求めたモノは、自己満足の欲求に応え、ある意味で過剰品質な製品といえる。しかし、こういった作り手側の文化が、日本の市場や産業に対してさまざまな提案をしてきたのもの事実である。
こうした作り手側の提案によって生まれたモノは、コストや生産性を度外視した製品であり、金融資本主義的な見方をすれば、非常識で玄人ウケしかしないガラパゴス進化の産物と映るかもしれない。グローバル経営を誤解した連中からは、職人などというのは、古臭くて、まずははじめに駆逐すべき敵なのだろう。しかし、そういった表面だけを見て、世界に通用しないといいきるのは理論が飛躍しすぎていないだろうか。
ビジネスのモデルを考える際に、顧客(カスタマー)、競合(コンペティター)、自社(カンパニー)という三つに視点がある。
この中で最初に、かつ謙虚に考え抜かなくてはいけないのは、自社の視点である。つまり、わが社はいったい何を作りたくて、どうどうやって世の中に貢献しようと思うのか。その際に自社が持っている職人気質、つまり孤高のゴールは何なのか、を再認識することは、世界に共通するモノ作りの出発点のはずである。
さて、作り手側の文化の担い手が職人であるとするならば、サブカルチャーは使う側の文化といえる。この国には、すでに江戸時代のころより、サブカルチャーの重厚な蓄積があった。今、世界的な好評を博している東洲斎写楽や葛飾北斎、歌川広重などを代表とする浮世絵をはじめ、山東京伝・曲亭馬琴・式亭三馬・為永張水などの作者をもって知られる戯作、そして近松門左衛門や竹本義太夫の名で象徴される浄瑠璃、さらには歌舞伎も、みなこの時代の所産である。
これらはおしなべて、庶民の文化の佳日である。朱子学を精神的支柱とする徳川幕藩体制、武家階級による支配体制の文化とは異なる独自の文化、いわゆる、サブカルチャーである。江戸時代は、まさに、サブカルチャー爛漫の時代であった。
さて、「サブカルチャー」を精密に定義し、明確に位置付けすることは至難であるが、ここでは、一応、ほぼ一般的な理解に沿って、「メインカルチャー」(正統的・支配的な文化)の対義語として、「ある社会内で、その社会全般よは価値基準を異にする一部の集団を担い手とする文化。下位文化」と定義しておく。
ヨハン・ホイジンカ(1872~1945 オランダの歴史家にして文明評論家)は、人間を「ホモ・ルーデンス」(「遊ぶ人」を意味)と規定した。猥雑さをも呑み込むサブカルチャーを内に育む文化は、それを許容する雅量も備えているものといえる。それゆえ、そこから、重層的な文化が熟成し、基層文化の裾野も広がり可能性を限りなく保障する。
こうしたサブカルチャーの醸成は、その社会のありようを示す一つの指標である。なぜならば、その社会の所得水準にとどまらないある種の豊かさ、一応の平和、余暇時間などのゆとり、寛容な精神性などがサブカルチャーの発展の条件となるからである。
サブカルチャーが、まさに遊び心のあるところに芽生え、涵養されていくものとするならば、衣食住といった生活に必須の物資を得るだけが精一杯の経済圏では、モノに対する「こだわり」は生まれにくい。現代の日本は、社会インフラも衣食住といった、生活のベースとなるモノはコモディティ化している。したがって、自身が気に入ったモノを求めるとき、コモディティの部分ではなく、そこを超越した感性を満たすものを追求することとなる。
こうして追い求めたモノは、自己満足を満たしてくれる製品となる。こういった使い手側の文化が、日本の市場や産業に対してさまざまな提案をしてきたのも事実である。
ところで、感性を満たすモノ作りを推進する現代日本のサブカルチャーの一つとして、「オタク文化」と呼ばれるものがひそかに大きな意味を持っているのではないかと考えている。
「オタク」とは、特定分野のみに異様なまでの関心を示し、深く通暁した若者を指す言葉として定着した新語である。もともとは、熱烈なアニメ・マンガファンに対して使われ、この言葉で示される対象となる若者たちが、話し相手とお互いに「オタク」と呼び合う習わしがあることから、このように命名されたともいわれる。
そして「鉄道オタク」「アイドル・オタク」といったように、さまざまな分野のマニアに対して使われるようになってきた。現在では、「オタク」はすでに市民権を得て、その裾野を限りなく広げている。
さらには、、この潮流は国境を突き抜け、世界にまで広がりつつある。米国でも、自らを「OTAKU」と称する若者が増えている。また、2004年の「ベネチア・ビエンナーレ(国際展示会)」において、日本は「おたく:人格=空間=都市」というタイトルで、オタク趣味が秋葉原などの都市空間に与えた影響に関する展示を行い、大反響を呼んだ実績もある。
中略
欧米とはかなり様相の異なる文化圏に属する日本の、しかも、かなり閉ざされた世界に芽生えたオタク文化は、今や、インターナショナルとなった。そして、そこからの派生形として生まれたものが、キャクターに恋する「萌え」である。バーチャルで、命を持たず、血も通わない、二次元の世界上にのみ躍動するイリュージョンのような対象しか恋せないという新しい境地に達するオタクが増えてきた。
中略
アニメーション作品でいえば、日本のマーケットに合わせた作品がたくさん制作される。しかしユーザーはそれを受動的に享受するだけではなく、例えば、それに “コスプレ”といったような価値を加えてしまう。そして、それを海外のアニメファンがネット上で知ることによって強い関心を示し、海外に波及していく。そして、そのうちのあるものは、グローバルスタンダードの位置を占めるのである。
中略
このようなベクトルはどのように生まれるのかといえば、やはり、先に挙げた国民性やその国の文化など、不確定で、不可視なさまざまの要因に負うところが多い。そして、それらが複雑に絡み合い展開するところに発するものだ。ただ、そのメカニズムがある程度まで解明でき、把握できれば、戦略敵ガラパゴス化は可能になる。

まさしくこの通りだと思う。「職人気質とサブカルチャー」などなるほどと納得してしまう。

そして、第一回で書いたように 経済原理をアニメに導入すれば、文化性・独自性を失い、その価値を失う、つまり強みである「ガラパゴス化」が消えてしまうということだ。これは第二回の日本語にも通じることである。

文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。
この一言に尽きます。

さて、毎回何かしらアニメの画像を載せているので、今回も載せてみた。
小学校低学年の娘が見ていた「リルぷりっ」
(たまたま一緒に見たといっても、私は新聞を読み、不甲斐ない日中外交をする民主党の悪口をブツブツ言いながらだが……。)

今回は、十五夜が近いというので、「かぐや姫」を基にした話だった。
ユーチューブの動画サイトでは早速、英語の字幕が付いたものがUPされていた。
リルぷり
なるほど字幕では「プリンセス かぐや」とある。
リルぷり かぐや姫
ここで「かぐや姫」つまり「竹取物語」がアニメの主人公らの話と絡まって紹介されている。
リルぷり 月見
また、主人公らが「お月見」をする場面もある。
この回では、色取りの綺麗な「着物」や「扇子」、「日本の庭園」「日本家屋」など和風なモノが多く登場し、そして「十五夜」という日本の風習を通じて、「月」をめでるという日本人の心や精神までも、この愛らしいキャラアニメで何気なく紹介されていることになっていた。
興味深いのは、世界の子ども(大人も)がアニメを通して、これらの「日本文化」を見ることになり、日本最古の物語「竹取物語」も知るということだ。
日本人が見れば何でもない話だろうが、これを動画サイトを通じて世界中の人々が見ることになるのだから、毎回言うが、これが実にスゴイことなのだ。
またこれを、子どもが見るものだからといって馬鹿にしてはいけない。
海外の大人たちが、小さい頃「ドラえもん」や「アルプスの少女ハイジ」「キャンディ・キャンディ」などの「ジャパン・アニメション」を見て育ったと語っている記事はいくつも読んだ。またこれらの子どもが大きくなり、日本のアニメがハリウッド映画として作られたという話も聞いた。(「マッハGO!GO!GO!」や「鉄腕アトム」など)
そして重要なのが、かつて日本のアニメに育った外国の子供たちが、いまや大人になり「日本の伝統・歴史・文化に興味を持ち、「日本」を尊敬しているというのだ。
こんな形で「日本文化」が広まり、「日本ファン」が増えていることになっている。
こういうことが大事なのです。

それが結果、「日本」を守ることになる。
「アニメ文化」で「国・民族」を守る。
これが「アニメ・マンガで文化防衛論」なのです。

このシリーズは、まだまだ続きます。

アニメは日本文化を救えるか 第3回 ソフト・パワーの時代。中国がパンダなら、日本はアニメだ!

アニメは日本文化を救えるか
第3回 ソフト・パワーの時代。中国がパンダなら、日本はアニメだ!


アニメの話なのに、中国のパンダの話から入る。
マイケル・ユー「パンダは日本に必要ですか? 中国ソフトパワー戦略の脅威」(PHP)という本がある。アメリカ在住の韓国人が日本語で「中国のパンダ外交とソフト・パワー」について書いた本である。
パンダは日本に必要ですか?
中国がパンダをフルに外交に使って、自国のイメージアップを図っているのかがよく分かった。(「希少価値を高めるためにパンダの数を調整している」とか「パンダの原産地はチベットだ」とか「7世紀に中国から日本へパンダを贈ったという史実を勝手に作って、日本はかつては中国・唐と柵封関係にあったということにしようとしている」とか……興味深い話がかなり書いてあった。)
これは良書です。
そこで、この本の中から、中国のソフト・パワー戦略が書かれていたので、抜き出してみた。

……問題なのは、この愛くるしいパンダが、中国という国と深く結びついている点である。
パンダを好きになれば好きになるほど、共産党独裁国家である中国がもつ矛盾と悲劇から目を背けたくなる。パンダはパンダ、中国は中国と、二つを分けて理解できる人がいないことはないが、いまだ多くの欧米人は中国の現実を知らず、この二つを分けて考えることは困難だ。まして子どもであれば、なおさらである。欧米人はパンダを見ると、中国ファンタジーに陥ってしまうのである。
中国は現在、人権問題、環境問題、言論統制、最近では食品問題と、連日のように世界中に衝撃を与えている。多くの国の常識とは異なる価値観で生きている国なのである。このなかでパンダは、中国の分身として、中国の恥部を隠す仮面という役割を担っているといえよう。
国際政治の視点で見ると、パンダは中国のイメージを向上させるための、中国だけがもつ「ソフト・パワー」のシンボルである。
「ソフトパワー」とは、ハーバード大学のジョゼフ・ナイが主張した概念である。「軍事力や経済力などの外的な強制力」という古典的パワーを「ハード・パワー」と呼び、それに相反して「その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力への支持や理解、共感を得ることによって国際社会から信頼や発言力を獲得し得る力」が「ソフト・パワー」である。
ジョゼフ・ナイのソフト・パワー論によると、真のスーパーパワー(超大国)になるには、軍事力、経済力などのハード・パワーを持つだけでは不十分である。マクドナルドやコカコーラ、スターバックスにMTVやニューヨーク・ヤンキース、インターネットにCNN、ミッキーマウスとハリウッドなど、多様なジャンルの文化コンテンツ、すなわちソフト・パワーを有してこそ、アメリカという国家とアメリカ人は世界の一流となることができる。イラク戦争であきらかになった軍事力の限界、不動産バブルからはじまったウォール街の大混乱など、既存のハード・パワーだけでは真のスーパー・パワーになれない、というのである。
このソフト・パワー論をもっとも模範的に受け入れている国が中国である中国は独自のソフト・パワーを有効に使うことで、アメリカに対抗できると考えているのだ。そうして、中国製製品がもつ否定的なイメージを払拭するために、または民主主義体制の台湾と競争する過程においても、ソフト・パワーを積極的に活用している。
中国のソフト・パワーは、多様な分野に及んでいる。本書をお読みしていただければ分かるとおり、中国に関連するものは何でも利用している。従来は中央政府のみが主導していた海外でのソフト・パワー・イベントも、いまでは地方政府や民間団体が行うまでに拡大し、その結果、ヨーロッパやアメリカでは、大都市だけでなく、中小都市でも、それらイベントが見られるようになっている。
20世紀末から本格的に始まった中国のソフト・パワーは、わずか10年で、アメリカのソフト・パワーを追撃するレベルまで達している。そして、国際政治の行方を左右するあらゆる問題に直結している。アフリカで展開する資源外交、東南アジアを対象とした辺境外交、日本で胡錦濤国家主席が約束したパンダ寄贈外交、2008年オリンピックと2010年上海万国博覧会など、数えるときりがない。
中国は、1979年からの中越戦争を教訓とし、以後、他国と大きな武力衝突をしていない。軍事というハード・パワーにかえて、ソフト・パワーを全面に出しながら、世界中に中国の文化と価値観を広めているのだ。まさに文化戦争である。その結果、多くの国が中国の友人となり、少なくとも敵になることを避けている。欧米学界や欧米メディアが、中国を正確に理解するためには中国のソフト・パワーを注視する必要があると考えるようになったのも、当然の結果といえよう。
……中略……
チベット人虐殺と四川大地震という大参事を全世界が非難と憂慮で見守るなか、なぜパンダについてのニュースが頻繁に流れるようになったのか。アフリカの独裁国や中国周辺の発展途上国では、なぜ中国発ソフト・パワーが効果をあげているのか。国家間の友好増進が目的であるパンダに、なぜ1億、2億円という高額なレンタル費が支払われるのか。そしてその金はどこに泣かれて行くのか――こういう疑問は、堰を切ったように出てくる。
アメリカが中国のソフト・パワー戦略の最重要国であり、最先端の地であるからだ。アメリカで展開される中国ソフト・パワーの実状と現況は、今後、アメリカ以外の国に広がっていくであろう。

中国という国がいかにしたたかに「パンダ」をソフトパワー戦略に使っているかがよく分かります。
そのパンダだが、最近こんな記事を見た。

中国のパンダ死亡記事 2010/09/13
中国報道「パンダ死亡で賠償4200万円」=神戸・王子動物園
 神戸市立王子動物園で9日、14歳の雄のパンダ「コウコウ(中国名は龍龍=ロンロン)」が死亡した件で、日本側は賠償金50万ドル(約4200万円)を支払う取り決めだ。東方網が報じた。
 中国野生動物保護協議会によると、日中双方の取り決めにより、貸し出したパンダが死亡した場合の賠償は50万ドルと決められている。(後略)

ああ、賠償金まで払うって、何なのだろうか。それに、日本政府から中国へパンダ助成金が何億円も出ているという話も聞いたことがあるが、これも元をたとれば税金だろう。事業仕分けで「文化・科学」の予算を切るくらいなら、こういうところから国費を節約しろよ、と思う。
ほんと、パンダは日本にいらない、そう思いませんか。

とパンダの話はこれくらいにして、もとの話に。
中国のソフト・パワー戦略の先兵役が「パンダ」だとすれば、その中国文化をさらに広く深く世界に広めようとした政策が「中国語学校」だ。
上記の同本からその部分を引用。

中国語の世界化のためにつくられた孔子学院、中華思想輸出の尖兵である孔子学院
……中国ソフト・パワーの結晶体といえる中国語を輸出する前線、すなわち孔子学院の理念的背景として、春秋時代の孔子が復活したからだ。
孔子学院は、現在中国政府が主導するソフト・パワーの中心的存在である。言語は、文化と文明を語る最高の影響力を持つ。孔子学院は中国語を世界へ普及させる機関であり、中国人、中国史、中国文化を縦横につなげる中国そのものを輸出している。
中国経済が世界から注目されるのに比例して、中国語に対する需要も増加している。孔子学院は、中国語の需要に対応するためにつくられた21世紀型中国の最大のソフト・パワーである。龍やギョーザ、万里の長城といった娯楽を超えて、頭脳に訴えるソフト・パワーとしての中国語の学校が、ついに誕生したわけだ。


悔しいことではあるが、日本よりも数段、中国の方が「ソフト・パワー」の力を十分に認識しているようだ。また中国のソフトパワーを更に広めるものが、中国文化の核となる「中国語」だということもしっかり分かっている。
文化を広めるには、まずその国の言語だ。
それが将来、その国・民族の存亡にかかわることなのだ。
だから、日本で「英語公用化問題」のとき、「経済原理主義に従えば、英語にするのが一番だ」という論理が幅を利かせ、「母国語を大切にしよう」「文化を守るのは言語から」といった基本的な話があまり出てこないのが、残念なのである。
前回記事。
その点、非常に残念であるが、中国の方が賢いと言わざるを得ない。(そのうち日本は文化面から中国に呑みこまれてしまうだろう。)

さて、では、そう考えたとき、日本のソフト・パワーで一番強いのは何であろうか。
それがアニメである。
そして事実、日本文化を海外に伝え、日本語を広めて、外国人の日本ファンを増やすということに多大な貢献をしている。
それは前2回で見てきたことである。

では、ほんの一例を出してみよう。
画像はアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」から、主人公ら3人が「浴衣」を着ているという場面を、ユーチューブから抜いてみた。
涼宮ハルヒ 浴衣
この動画では英語の字幕が付いていて、この動画は世界中の人々が見ているのだ。
これの何が大事かというと、英語字幕では、浴衣は「yukata」と表示され、彼女らは夏祭り「o-bon festival」に行き、金魚すくい「goldfish caching」をし、花火大会「a fire festival」を見ると、英語で表示されている。
つまり日本文化が英訳で説明されているのだ。
そして、画面には「たこ焼き」や「(お祭りで売っている)お面」や「屋台」、「太鼓や笛の祭り囃子」など日本文化を伝えるものがここに詰まっている。
そして、このアニメを見たフランス人や南米人や東南アジアの人々など世界各地の人々が、日本文化を憧れの目で見ている、ということだ。
これは実にスゴイことなのだ。
どんなにエライ学者でも高慢な政府役人でもコロコロ変わる大臣でも「日本文化を伝える」という意味において(文化=国家・民族)全く役に立っていない。
アニメの方がはるかにこれに貢献しているということなのだ。

日本のイメージアップという点において、アニメは中国のパンダに匹敵する役割を果たしているということだろう。

まさにこれが私が自説とする「アニメ・マンガで文化防衛論」ということだ。

ということで、この説明は次回以降にも続く。「アニメは日本文化を救えるか」シリーズはまだまだ続く。

追記
これを書いているときこんな記事が……。

[中国人船長釈放]「日本このまま沈む」石原都知事
中国人船長の釈放決定について東京都の石原慎太郎知事は24日、定例会見で「政府は非常に間違った判断をした。(釈放の)論拠はわが国の利益だろうが、利益とは金目の問題。それ以上に国家として、民族にとって大事なものがある」と述べ、「日本はこのまま沈む」と嘆いてみせた。
 中国政府の対応については「居丈高でやくざのやり方。暴力団の縄張りの拡張と同じだ」と改めて厳しく批判した。
 一方、都は中国野生動物保護協会からパンダのつがいを借り受け、来春に上野動物園(台東区)で公開する準備を進めている。影響を問われた石原知事は「パンダもらって尖閣を渡すのか。そんなもの考えたら分かることだろう」とだけ述べ、会見を切り上げた。借り受け計画を白紙に戻すともとれるこの発言について都幹部は「パンダと今回の問題を一緒にするなという意味だと思う。都としては計画をこれまで通り進めていきたい」と語った。【石川隆宣】平成22年09月24日 毎日新聞http://news.livedoor.com/article/detail/5030206/から 

パンダが中国にとって重要なソフトパワー戦略の先兵になるものと考えれば、日本にこんなものはいらないだろう。平和ボケした日本人の大半は少しこういう意識が欠落しすぎている。
今回の「沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件」や「中国紙による「沖縄は日本が不法占領」との論文掲載」などの記事を見るにつけ、愕然とする。こうやって中国はジワジワと日本を蚕食していく気なのだろう。
過去記事 日本人はそのうち結婚相手も職も土地も水も金もすべて中国人に奪われるだろう。の記事
今回の事件が、金欲ボケして中国経済にすり寄り、国家的危機のなくした日本人の目を覚ますいい機会になればと思う。
そうでなければ、近い将来、日本は強力な同化力をもつ中華思想文化に呑みこまれてしまうであろう。そう危惧するのは私だけではないはず。

守るべきは日本文化。

私は私の出来ることをしよう、改めてそう決意しました。

アニメは日本文化を救えるか  第2回 アニメと日本語

アニメは日本文化を救えるか
第2回 アニメと日本語
前回記事
アニメの話なのに、なぜか「英語の公用語化は是か否か」という話から入ります。
以下、読売新聞 平成22年9月6日付けの文化面「月刊ディベート」から。
「英語の「公用語化」を打ち出す企業が相次いでいる。グローバル化の中では当然とする見方もあれば、そこまですべきか、疑問の声も聞かれる。自身も英語に堪能な識者3氏に、その是非や教育論を聞いた。」ということで3人の意見が載っていた。

過去記事 英語が世界共通語になったとき、逆に世界の人々の民族意識は強まる……そんな気がする。 と深く関係するので、まずそちらを読んでから入って下さい。
では、新聞記事を。

政治学者 猪口孝
内向き思考の改善に
企業の英語公用語化は、利益になるからやる。国際的な企業買収が増え、外国人の社員・株主が増えている現状で、英語を使用するメリットがあるということだ。企業の自由であり、是非を言っても意味がない。
問題は中央官庁。役人の英語力が少ないため、国民に上質のサービスを提供できないように見える。薬事行政など、英語で得られる世界の科学的知見をどれだけ生かしていけるのか。公務員には今以上の英語能力が必要だ。公用語というと議論がややこしくなるので、単純に国家公務員試験に「TOEFL(トーフル)何点以上」といった受験資格を設け、日本語と英語のちゃんとできる人間だけが受験できるようにすればいい。
私は大学入試でも英語科目を廃止し、TOEFL」の報告性にすべきだと提案している。日本の英語教育は、教師の質の問題や、意味のわかりにくい受験英語の隆盛という問題がある。英語学習は公的制度に全面的にはよらず、基本的に個人が自力で行うものとし、外国で英語を身に着けた若者でもtoeflの得点さえあれば活躍できる仕組みにすれば、実際に使える日本人は増える。
英語を学べば日本語がおろそかになり、日本文化が失われるという意見には反対だ。英語を使えるようになることで知識体系が広がり、世界を広く、深く知ることができる。
世界には未知の可能性があることが分かり、日本人の内向き志向の改善にも役立つだろう。
英語拡張はアンゴラサクソン支配という人がいるが、国家統制の強いフランス語などと違い、英語はオープンで参加型の言語。postpone(先延ばし)に対してprepone(前倒し)という単語を使ってきたのはインド人だが、今や立派な英語だ。

つまり効率を考え、すべてを合理的に考えれば「英語」にするのが一番妥当だという意見だろう。極論すれば、もし中国が世界の中心となれば日本も中国語を使おうという論法になる。
「母国語と民族について」「文化は言語を基本としている」ということがあまりにも分かっていない。まあ政治学者らしい堅実的な意見だろうか。

アメリカ文学者 佐藤良明
「負の英語教育」精算を
社員が英語に堪能であることが企業業績に直結する業界で、楽天の三木谷浩史社長のとった行動は、スマートで合理的だ。社員教育の熱意も買う。だが実効性はどうか。1年半余りで、国際舞台で仕事ができる日本人社員はどれほど増えているだろう。
日本の「英語ができない問題」の根はあまりにも深い。公教育100年の空回り。英語をしゃべることも読むこともできない大半の国民は、だまされた思いでいる。理由は簡単、きちんとコーチされていないのだ。
企業にしたら自助努力しかない状態だ。たかが英語、とは言ってられない。かつては黙々と良質の製品を作っていればよかったが、いま「売り物」の主体は、サービスや情熱へと移行している。しかもマーケットは「世界」である。
グローバル化した経済において、闘う相手は英語を駆使するプロの仕事師だ。剛速球もくるし、カーブも鋭い。これに対する現実的教育目標として、まず高校球児に匹敵する基礎の力を育んでいくこと。全員でなくてよい。だが早期に10万人、いずれは100万人を育成したい。無理だとは思えない。信頼できるコーチの下で、日々3時間の特訓を3年間続ける。野球部員が普通にやっていることだ。
代替的教育ルートを整えながら、国鉄を解体したときの決意で近代日本の負の遺産となった「英語教育」を精算すること。それなしに、今後の日本が世界をひっぱるのは難しい。
企業も、志望大学に受かっても就職できない若者たちも、マジな英語力を求めている。ふたつの切なる必要が手を組むために、誰が、何を仕掛けていくのか。新種の通信機器の浸透とともに、地殻変動はすでに大規模に起こってきている。

「文化と言語」がまったく分かっていない、経済・市場を基本にすると文化が失われるということも分からず、問題の本質にも触れていない。「世界の言葉をすべて英語にせよ」と言っているのと同じで、政治学者よりも合理主義的である。本当にこの人はこれでも「文学者」なのだろうか。まあアメリカ文学専門だから英語第一主義というのも仕方ないか。

数学者 藤原正彦
まず自国の文化・伝統

英語を公用語にすれば企業の国際競争力が高まる、というのは幻想だ。「日本人で英語のうまい人」で社員を固めれば、似たような人材ばかりになってしまう。多様な発想のぶつかり合いが消え、企業活動は立ちゆかなくなる。公用語化しても失敗に終わるだろう。
20世紀を通じて英語経済は斜陽だったが、日本経済は飛躍的に伸びた。英語と経済の好不調は無関係だ。日本の成長は国語・算数といった労働者の基礎学力の高さに支えられてきた。英語の下手な国が最高の初等中等教育で勝ってきたわけで、経済沈滞は政策の誤りに過ぎない。
英語より国語の方がはるかに重要だと認識すべきだ。母国語は祖国そのもの。文化や伝統、情緒などを包摂する。地球が英語で塗りつぶされたら、各国で美しく花開いた文化が台無しになる。祖国を捨ててまで金もうけをしたいのか、と言いたい。
そもそも日本語と英語の構造が違いすぎて、日本人に英語は難しすぎる。全国民が無理をして勉強するのはエネルギーの壮大な無駄遣い。英語とどう折り合いをつけるかを考えた方がいい。
まず小学生は国語を徹底的に学ぶべきで、英語の必要はない。中学生で必須にし、授業数を今の倍にする。ここで自分の適否を見極め、高校では選択制に。英語を使う職業に就きたい人は学校で週10時間、家で20時間ぐらい勉強すべきだろう。僕は受験英語だが、そうして努力し、しゃべれるようになった。
実際は、海外で流暢な英語などいらない。問題は話す内容で、たとえ片言でも自らの考えを持ち、自国の文化や伝統について語ることができれば、国際人として尊敬される。そのためには、話す技術を磨くより読書して教養を身に着けることだ。

当ブログでは、藤原正彦氏の本は何度も引用している通り、この意見に賛成である。
過去記事で。

さて、この英語公用化の問題はもともと一企業のことであり、部外者にはどうでも話なのに、なぜかいまだに取り上げられる。
三木谷社長もこの英語公用化ばかり聞かれて困る、と他の記事に書いてあった。まあ、自分の会社なのだからどうぞ勝手に社内を英語にすればいい。
だが、なぜ皆がこの事に関心を寄せるのだろうか。
どうしてこれを問題視するのか。
そして、この「英語公用化」の記事が経済面ではなく、なぜ「文化面」に載っているのか。
……。
つまりこれは経済や一企業の問題ではなく、「文化の問題だ」とみんなが本能的に感じ取っているからに他ならない。
楽天の食堂では、「みそ汁」が「ミソスープ」になっているというのが話題になっていたが、これはただ表記が変わったという話ではない。「miso siru」ではなく「miso soup」と、日本語そのものの「みそ汁」という固有名詞を意味まで変えて英訳しているのだ。
細かいことだと思うでしょうが、そうではない。こんな些細なところにも、日本人が日本語を失ったときの危機感というものを敏感に感じ取って、「自分らの文化を守ろう」という保守的な反動が無意識に働いているからに違いない。(これは日本人に限ったことではないはず。韓国人や中国人、それにフランス人や中東の人々たちに、自国の言語を捨て「英語」に統一することについて聞いてみればよい。)
そこを考えないとけないのに、「英語教育がどうとか」「日本人は内向きだ」「TOEFL何点以上」なんてそんな話になる。「その国(民族)の言語を失えば、その国(民族)の文化は失われる」という根本が分かっていない人が多すぎる、ここを押さえなければ話は進みまないのに。この基本を踏まえてこからの「英語教育」です。
(戦争で占領国がまずすることは、その国の言語を禁止することにある、といったことを見ればすぐに分かるはずだ。)
それは以前の記事にも書いたことだが、ここには英語による日本語の駆逐があり、つまり経済至上主義は結果的に文化を追いやられるということにつながるのだ。(民主党の事業仕分けで予算をまず最初に切られたのはカネにならない「文化・科学」だった)
過去記事
金儲けだけに走れば、結局は独自の文化も失われることになる、これは「アニメは日本文化を救えるか第一回第一回 アニメでカネ儲け主義に走れば、アニメ文化は衰退する。」でも触れたところ。

さてさて、アニメの話なのに、なぜ日本語の話なのかといえば、最近よく耳にする「海外の日本語ブーム」があるからだ。

「アニメ・マンガの日本語」世界的人気に
 「モテモテ」「ムカつく」「かかってこい」など、日本のアニメや漫画によく出てくる表現を学べる外国人向けサイト「アニメ・マンガの日本語」が人気だ。
 独立行政法人・国際交流基金関西国際センター(大阪府田尻町)が2月に開設したところ、アクセス数は半年間で約120万件に達した。海外のアニメファンの心をしっかりつかんだようで、利用者は世界165の国・地域に及ぶ。
 日本のアニメや漫画は海外でも若者らに支持されており、最近では「漫画を日本語で読みたい」というファンが増加。ところが、日本語の教科書にはない表現も多く、意味が分からないまま、読み飛ばしている人も多いという。
 外国人の日本語研修を行っている同センターにもそうした相談が寄せられ、学習サイトの開設を計画。「鉄腕アトム」「ドラゴンボール」など約300 の作品を調査し、登場機会の多い少年や少女、侍など8種類のキャラクターごとに、それぞれが多用する計3000種類のセリフや表現を収録した。
 日本語で書かれたセリフを選択すると、意味や使用方法が英語で表示され、発音を聞いたり、クイズ形式で学んだりすることも可能。プロの漫画家が書 き下ろしたオリジナル作品を通じ、「モグモグ」「ざわざわ」などのオノマトペ(擬態語・擬声語)の意味を学べるコーナーなども設けた。制作費は約800万 円。
 担当者は「予想以上の反応。サイトを機に、日本への理解がさらに深まれば」としている。アドレスはhttp://anime-manga.jp
(2010年8月21日16時12分 読売新聞)

動画サイトを見ると、「アニメソングを日本語で歌う外国人」というのはよくあるし、「日本語そのままのアニソンでダンスを踊る」というのもよく見る。

世界の「ハレ晴レユカイ」の動画。(こういうのを見ると、海外では、ころころ変わる日本の総理大臣の名前よりも、涼宮ハルヒの名前の方が広く浸透しているかもしれない。)
驚くべきことに、海外のアニメ・マンガファンは「日本語を基本としている」という事実がある。
これはある意味「日本語が一部ではあるが世界共通語になっている」ということなるのだ。(「日本語」への関心と興味が広まっていることは間違いないことである。)
ではここで、清水馨八郎「日本文明の真価」(祥伝社・平成11年)という本から一節引いてみます。


日本語の世界化こそが真の国際化
日本語は高度で難解な言語だったので、学習しなければ覚えられなかった。それで江戸時代に寺子屋が栄え、盛期にはその数三万にも及び、民百姓でも、みな読み書き算盤の教養を身につけていた。当時すで識字率は世界一になっていた。
この学習熱は明治になって尋常小学校に受け継がれて、早くも世界有数の教育国家になっていった。この素地があったから、西洋文明もきわめて短期間に容易に吸収することができたのである。
明治の先覚者の外国語輸入に格別な努力と技法があったことは既述したが、ここでも改めて再確認し感謝しなければならない。公園、野球、哲学、経済などの新漢語で日本語のまま西洋文明を学ぶことができたからだ。
先覚者は現代人のように外来語の発音をそのままとったバンク(銀行)メール(郵便)、エレキ(電気)JRなどと軽薄な舶来趣味をとらず、どこまでも日本語アイデンティティを主張したのである。これが明治人の見識というものである。常に和魂というバックボーンで裏打ちされていたのである。このように、母国語に自信を持って日本文化を貫いたから、その後の日本の発展が得られたのである。
一方インドや東南アジア、アフリカの植民地民族は、母国語を捨てさせられ、宗主国の言葉を秀でたものとして競って学び、公用語にもしてきた。かれらは国際会議などで欧米語をペラペラに話して得意になっているが、皆一様に貧しいままである。
その中にあって日本人は非白人の中で欧米語を話すことが一番下手な民族である。そのことがかえって日本を世界有数の先進国に突出させたのである。秀でた日本語を守り抜いたからである。日本人が欧米語を話すのが下手なのは、日本が独立国で一度も白人の植民地にならなかった証拠でもある。日本人の英語下手は誇るべき日本文化なのである。
世界の人が日本で人類に感動を与えた国際人を三人挙げよと問うたら、紫式部と横山大観と棟方志功であった。三人とも英語は全然知らなかったし、フォークやナイフでの食事マナーも知らなかった。英語を話せることだけが国際人の条件ではないのである。
戦後の日本では、国際化という言葉が、舶来、上等、一流を意味する枕詞として軽々しく流行してしまった。英米語普及度が国際化の尺度になってしまったが、これは植民地的国際化の段階のことである。欧米先進国に追い付き、追い抜せの時代は過ぎたのである。経済や文化で突出した日本は、これから日本文化(和魂)と文明(和才)を輸出しなければならない使命を帯びている。
したがってこれからの日本の国際化とは、英米語が外国人のように話せるようになることではなく、世界の人々にいかに日本語を普及させていくかの課程でなくてはならない。従来とはまったく方向が逆になったとしるべきである。
英語というヨーロッパの田舎言葉が世界語になったのは、英国が七つの海を武力で支配して世界の富を独占したからである。人々は争って英語を学び、英国に接近せねばならなかったのである。
今、一つの船に多くの異国民が乗り合わせたとしよう。初めのうちはみな勝手に自国語を喋っているが、そのうちに、いつの間にか一つの言葉に統一されていくという。それはポケットに一番のお金を持った人の言葉に統合されていくからである。英国人が一番金持ちだったから、英語が国際語になったわけである。
ところが、今その金がジパングに集まり出した。世界で今、一千万の人々が日本語を学びはじめている。日本語は世界語になろうとしている。したがって日本の従来の国際化教育は、180度転換を迫られている。かつて英国が英語教師を世界に派遣したように、日本も日本語教師を養成して世界の要請に応えなければならない。
ユーラシア西端、英帝国はかつて軍事力を背景にして世界の富を集め、英語文化を世界に普及させ、パックス・ブリタニカを実現させた。ユーラシアの東端日本は武力でなく、文化力、道義力で日本語文化を世界に普及し、パックス・ジャパニカ(日本を中心とする世界平和)の理想を実現できる国なのである。

10年ほど前に書かれたこの本を読んだときは、「日本語の世界化」なんてありえないと思っていた。
だが昨今の「海外のアニメ・マンガによる日本への憧れ」「海外で日本語ブーム」なんて記事や報道を見ていると、「日本語の世界化」というのもあながちバカげた話でもないようにも思えてくる。
評論家の日下公人もいくつかの著書で「日本語が国際語になる」といったことを書いている。
過去記事

実際、アニメを見て、日本の歴史や伝統文化に興味を持ったという外国人はかなり増えているようだ。
上記の清水馨八郎の言葉に「かつて英国が英語教師を世界に派遣したように、日本も日本語教師を養成して世界の要請に応えなければならない。」とあるが、この日本語普及のための教師は、なんとユーチューブなどの「動画サイト」がこれを果しているのだ。
まさかこんな形で、しかもアニメが「日本文化」を広めるとは、10年前は誰も思っていなかったでしょう。
大事なのは手段ではなく結果なので、海外へ日本語を広め、日本文化の理解を深めたという意味において、アニメ・マンガは大きな働きをしたということになるでしょう。
そう考えていけば、「お偉い政治学者」や「言語の大切さの分からない学者」よりも、アニメやマンガの作家の方が遥かに「日本文化」に貢献しているのだ。(それに付随して経済もお金も付いてくる。)

だが、世間ではいまだに「アニメ・マンガなんて子どもの見るものだ」「アニメはオタクのもの」なんて偏見がある。そして、この偏見は根強く日本国民の中に残っている。
大事なのは、アニメによって日本文化が海外に広まり、日本ファンが増えているという事実を日本国内で伝えていかなければならないのだろう。
そう考えると、やはり「アニメの殿堂」は必要だったと今でも思う。
そして、ユーチューブにフランスの「漫画博物館」のニュース動画があった。これを見るといろいろ考えさせられる。

芸術の国フランスで20日、漫画博物館がオープンした。日本では、政府が進める「アニメの殿堂」建設計画に与野党から批判の声も上がっているが、フランスでは、税金を投入することに反対の意見はまったくなかったという。
漫画やアニメなどの文化を保護するために、政府が計画を進めている「国立メディア芸術総合センター(仮称)」、通称「アニメの殿堂」は、日本では「税金の無駄遣い」との批判も上がっている。
一方、フランス中西部アングレームに20日、「漫画博物館」がオープンした。
世界中から集められた5万冊の漫画とアニメなどの原画8,000点が、4,500平方メートルの敷地に収められている。
この博物館には、手塚治虫氏をはじめ、海外にも大きな影響を与えた日本の漫画が数多く展示されている。
フランスでも日本の漫画は大人気で、売り上げ総数の4割を日本の漫画が占めている。
博物館の図書館には、手塚作品や「北斗の拳」など、およそ1万5,000冊の日本の漫画が所蔵されている。
漫画博物館のシモン館長は「子どもだけでなく、誰にとっても漫画は大切な文化の一部です」と語った。
この博物館オープンにかかった費用は、およそ13億円で、日本の計画のおよそ9分の1だが、そのほぼすべてを税金で賄った。
訪れた人は「本当にいい文化政策だよ」、「漫画は、誰も動かなければ失われかねない文化遺産。だから、行政が金を出すのはいいことだよ」などと話した。
日本では賛否が分かれている「アニメの殿堂」だが、漫画やアニメを芸術ととらえるフランスでは、税金を投入することに反対の意見はまったくなかったという。

本当に日本とフランスのアニメ・マンガに対する考え方の違いに愕然としてしまう。
まずはそこから払拭しなければならないだろうか。

この「アニメは日本文化を救えるか」シリーズはまだまだ続きます。

追記  画像がないと寂しいと前に言われたことがあるので、1枚画像を。
けいおん!! 神社で願掛けをする梓
「けいおん!! 第22話 受験」から。神社で先輩が大学受験で合格するように祈願する梓。
アニメでこういうシーンは結構多い。
それでは、外国人がこれを見てどう思うか考えてみよう。(すでに動画サイトで海外の多くの人々が「けいおん!!」を見ている。ファンもかなり多いようだ。)
「日本人は無神論者だと言うが、そんなことはないじゃないか!
日本人って他人を思いやるんだな!
それにあの「神社」って何だってなんだ!」
……。

こういうところから「日本文化」は広まるということです。
ではまだまだ続く。


「アニメは日本文化を救えるか」  第1回 アニメでカネ儲け主義に走れば、アニメ文化は衰退する。

「アニメは日本文化を救えるか」 
第1回 アニメでカネ儲け主義に走れば、アニメ文化は衰退する。


最近、「アニメを売り込め!」「クール・ジャパン!」をお題目とした新聞記事がいくつか出ていたので転載してみた。

クール・ジャパン 海外の人気を成長に生かせ
 海外での日本ブームは「クール(かっこいい)・ジャパン」と呼ばれている。これを企業の海外進出につなげることに、もっと知恵を絞りたい。
 日本のアニメや漫画は海外の若者から絶大な人気を得ている。ファッションの注目度も高い。すしなどの和食は「健康にいい」と好評だ。
 しかし、その人気が、必ずしも日本の関連産業の海外展開に結びついていない。アニメ産業は中小零細企業が圧倒的で、繊維産業の輸出も伸びていない。世界で急増する和食レストランも、その多くが日本人以外の経営だ。
 日本がせっかくの人気を経済成長に生かせないのとは対照的に、アジア各地で存在感を増しているのが韓国である。
 経済産業省の報告書によると、香港、バンコク、シンガポールなどのCD・DVD売り場は、韓国ドラマや韓国人歌手らのKポップがあふれている。中国では「韓国のユニクロ」と言われるファッション企業が売り上げを急速に伸ばしている。
 韓国ドラマが人気を得ると、韓流スターの着こなすファッションを売り込み、「韓国ブランド」の向上をテコに、韓国製品の売り上げにつなげる――というビジネススタイルを、官民挙げて築きつつあるようだ。
 日本は、海外で「クール」ともてはやされることに満足して、ビジネスに生かす発想と努力を欠いていたのではないか。
 経産省が6月、クール・ジャパンを日本経済活性化の起爆剤の一つと位置づける「文化産業立国戦略」を策定したのも、そうした反省に立ったものだろう。
 戦略では、海外展開に必要なノウハウも資金も不足している中小企業を対象に、商品開発から海外での販売契約まで一貫して支援する仕組みを整えることを盛り込んだ。着実に実施してほしい。
 政府は従来、クール・ジャパンの関連産業の育成は経産省、文化交流は外務省、和食の海外PRは農林水産省という具合に、各省庁が縦割りで対応してきた。
 これでは、「日本製イコール高品質」というブランドイメージが確立する欧米市場はまだしも、成長著しいアジア市場は韓国勢に席巻されかねない。
 韓国に倣い、省庁別でなく、ファッションと映画、食文化と漫画といった分野横断型の連携を強化すべきだ。省庁の“垣根”が依然高いなら、閣僚など政務三役が政治主導で進める必要があろう。
(平成22年8月30日 読売新聞 社説)

霞が関ウオッチャー:クール・ジャパンも縦割り打破で
 海外で「クール・ジャパン」と人気の日本のファッションや漫画。国内外への情報発信や人材育成を進めるため、経済産業省内に18日、「クール・ ジャパンプロジェクトチーム」(PT)が発足した。同省クール・ジャパン室を中心に各局の職員計40人が参加する大型プロジェクトになった背景には、製造 業同様、コンテンツ産業でも、アジア諸国に急追されているという危機感がある。
 7月上旬、日本文化を紹介する「ジャパン・エクスポ」がパリ郊外で開催された。日本の人気漫画のコスプレで盛り上がる若者を横目に、視察中の渡辺 哲也クール・ジャパン室長(PT事務局長)は、韓国政府系機関による韓国漫画ブースの展示に見入っていた。日本アニメの人気の高い欧州で目の当たりにし た、「クール・コリア」だった。
 韓国政府は約10年前から海外で通用する文化産業の育成に乗り出した。今では韓流ブームの日本をはじめ、アジア全体で韓国俳優や歌手が人気を博している。彼らは、自国企業の広告塔を務め、製品のイメージアップと輸出競争力の向上、雇用創出に貢献している。
 09年には「コンテンツ振興院」を新設し、文化、映像、ゲームなどの政府系5機関を統合。省庁の枠を超えて、文化政策や人材育成、海外戦略を一元 的に担当している。産業育成は経産省、文化交流は文化庁や外務省、和食普及は農林水産省など、縦割りで取り組んでいる日本とは大違いだ。
 渡辺室長は「オールジャパンで巻き返さなければ」と語るが、省庁の垣根を取り払うのはこれから。「他省庁を引っ張る気概」(直嶋正行経産相)で臨めるかが問われることになる。【立山清也】
毎日新聞 2010年9月1日 東京朝刊

アニメを売り込め、文化輸出で経産省が新部署

経済産業省は28日、日本のアニメやファッションなど文化関連産業を育成する専門部署を、来年度に新設する方針を固めた。

 経産省は製造業をはじめとする「従来型産業」の振興に力を入れてきたが、海外で根強い人気がある日本のアニメやファッション産業などを、新たな輸出産業に育てる狙いがある。
 新設されるのは「クリエイティブ産業部」(仮称)で、担当職員は50人程度の人員を想定している。2011年度予算の概算要求の組織改正案に盛り込む。
 政府は新成長戦略で、ソフト産業で「20年にアジア市場で1兆円の収益を上げる」目標を掲げている。新設部署は、映画やアニメの制作に関する資金調達、流通ルートの確保などを支援する方向だ。
(2010年8月29日19時07分 読売新聞)

これらの記事を読むと、どうも「韓国もやってるから日本もやろう」「儲かるならうちもやらなきゃ」といった感覚で、アニメを「金儲けの道具」として扱っているようにみえる。
だが、これではダメなのである。
私がいう「アニメ・マンガを売り込め」というとは、そこに日本文化があり、それを世界に広めることが「日本を守る」という事につながる「文化防衛論」にある。
過去記事
「けいおん」で「アニメ・マンガで文化防衛論」を説いてもあまり分かってもらえなかったけど、めげませんの記事や、
守るべきは日本文化! サブカル好きもポップカルチャー好きも、神社に集う歴女もアニオタも、みんな三島由紀夫が命に代えて主張したことを聴け!の記事や、
「アニメ・マンガ」で「文化防衛論」
など。

だが、新聞・マスコミ、政府の「アニメを売り込め」というのは、そこに「新たなビジネスチャンス」「成長産業」「外貨獲得」といった「金銭、モノ」としてしか見ていないのではないのだろか。
そこだけを追求していけば、いずれは失敗するであろう。
日本のアニメやマンガが発展したのはその独自性にあるのであって、市場やマーケィングばかりを追えば、ディズニーアニメのように平均的で無難なツマラナイ作品ばかりが作られていくことになる。
そうなれば本末転倒。市場重視の量産体制ならハリウッド制作のアニメにいつか日本アニメは駆逐されてしまうだろう。
そして、市場至上主義となれば、いつしか「中国」受けのいい作品ばかりが作られることになる。

ボンドカーも中国車の時代へ?中国企業、競ってハリウッド映画のスポンサーに―中国紙http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100906-00000025-rcdc-cnから
……ハリウッド映画のスポンサーになることは、中国企業にとって世界にアピールする絶好のチャンス。一方で米国市場の観客動員数が頭打ちとなるなか、ハリウッド側も新たな市場と資金確保の機会をうかがっている。ロサンゼルスのある映画制作会社は、中国のあらゆる業界はハリウッドにとっての「金鉱」だと話す。「わたしたちが(金融危機によって)受けた打撃は小さなものではありません。生き残ろうとするならば、今までの枠組を越えた発想が必要なのです」と中国との提携の意義を話している。

ハリウッド映画も人口12億の中国市場を取り込もうとして、中国人に受けのいい作品が多くなったという。
実際、日本でも「国民的アニメ「一休さん」、中国向けに映画化決定」という記事があった。http://www.hollywood-ch.com/news/10081801.html?cut_page=1

東映アニメーションが中国の2社とタッグを組み、中国向けに劇場アニメ「一休さん」を製作することになった。
TVアニメシリーズ「一休さん」は、1975年から82年にかけ、テレビ朝日系で放送された人気作。中国でも83年に初めて放送されて以来、何度も再放映され、今でも多くの中国人が「一休さん」のキャラクターや主題歌を知っているという。
タッグを組むのは中国のメディア企業SMG社と子ども向けの専門チャンネルToonmax社。SMG社は中国で数々の劇場アニメのヒット作を送り出し、Toonmax社は子ども向けの専門チャンネルとして、上海では絶大な支持を得ているという。
中国はアニメビジネスでも非常に大きな可能性に満ちた市場。「一休さん」は多くの中国人に愛されていることから、子どもだけでなく、親を含めて幅広い年齢層を取り込めると、共同製作が実現した。
東映アニメが脚本、キャラクター制作、背景美術、色彩設計、絵コンテのプリプロダクション部分を担当し、中国側が以降の作画などを行う。2012年2月、中国全土で劇場公開予定。日本公開は未定。
(キネマ旬報 8月上旬号より)

日本のアニメなのに、日本公開は未定とはどういうことだろう。
こうして市場主義に走れば、いくら日本独自のアニメといっていても、いつしか中国人向けのものを作るようになるだけだ。それはもう日本のアニメとはいえない代物あって、ましてや、そんなものは「日本文化としてアニメ」ではない。また中国人が喜ぶようなものを他の海外の人々が見て、「ジャパン・クール」といって好意を寄せてくれるはずもない。

それにアニメを国を挙げて売り込むといっても、どうも何か疑問が残る。
どの作品を、どの制作会社を売り込むの?それをどうやって選別するの?
まあ、政府のお役人の推奨するアニメなんて、考えただけでもクソ面白くないものばかり選びそうじゃないか?
「フルメタ?ふもっふ」、「涼宮ハルヒ」、「らきすた」、「けいおん」を経済産業省の役人が見るのか?(例えが、京都アニメーションばかりですいません)
それを面白いと思える柔軟な頭はあるのか?
アニメに付随するフィギャアやアニソンやコスプレを理解できるのか?
どうせ、結局は「ジブリ作品」とか「はだしのゲン」とか「美味しいぼ」とかそんなのを推奨するんじゃないの?

また、平成20年のときの新聞記事にこんなのがあった。「麻生太郎元外相が発案した外務省の「アニメ文化大使」に「ドラえもん」が起用され、高村正彦外相から就任要請書が手渡された。」
「ドラえもん」って……。無難過ぎ…。「クール・ジャパン」ってそういうことじゃないんじゃないの。
国、役人のやることって結局こういうことにしかならない。
それにやはり、役人の頭に「カネ儲け」という考えしかなければ、結果的に、このアニメ文化の衰退まで招きかねなそうだ。

そんな中「アニメ売り込め」に否定的な記事があった。
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20100901-00003453-r25&vos=nr25ln0000001

「国がアニメを輸出」にネット住民「マジやめろ」
8月28日、朝日新聞のニュースサイト『asahi.com』が報じたところによると、文部科学、経済産業、外務の各省が、アニメや漫画、食など、日本文化の海外発信に力を入れるため、来年度予算で27億円の予算獲得を目指していることが明らかになった。
これは、今年6月、「日本の戦略産業分野である文化産業(=クリエイティブ産業:デザイン、アニメ、ファッション、映画など)の海外進出促進、国内外への発信や人材育成等の推進」(経済産業省のHPより)を目的として経済産業省内に設置された「クール・ジャパン室」を中心に行われる事業。『asahi.com』によれば、
「衣服や家電、 アニメ、日本各地の特産品などをどう売り込むかという戦略をつくる」(経産省)
「海外の芸術家に滞在制作をしてもらう事業(アーティスト・イン・レジデンス)をしている自治体などへ助成」(文科省)
「海外にある大使館などで、日本食の料理教室や日本酒の試飲会」
「日本のファッションについてのセミナーや展示会を催したりする」(ともに外務省)
などが計画されているという。
このニュースが報じられると、ネット住民がとりわけ食い付いたのは、「アニメ」という項目。2ちゃんねるでは、この事業に対し、「もっとお金をかけるべきだし遅すぎるぐらい」
「外貨獲得できるなら何でもいいよ」「文化を輸出することはその国に好意的な感情を抱くかという根本的なことにも直結する」と、評価する声も出ているものの、大多数のネット住民の意見は「こんなことしか誇ることのない国………………」「マジでやめろ 日本の恥」「日陰者が日向にでるとろくなことがない」「そんなものに頼らなきゃならんほど落ちぶれてんのか終わってんなそんな国」
と、否定的。ネットにはアニメや漫画好きの人が非常に多いため、「やっと時代が俺たちに追いついた」的な喜びの声が多いのかと思いきや、不満気な意見が圧倒的多数を占める意外な結果となった。

この否定派の後ろ向き意見には賛成できない。
私は肯定派の「文化を輸出することはその国に好意的な感情を抱くかという根本的なことにも直結する」という意見に大賛成なのである。(これが「アニメ・マンガ文化防衛論」である)
だがそこに「過大なカネ儲け主義を持ちこむな」ということでなのである。

そして、外国に売り込む前にすることがあるのではないかと思わせるような記事があった。

「昔ばなし」のアニメ会社破産 少子化で需要低迷
 「まんが日本昔ばなし」などを手がけたアニメ制作会社「グループ・タック」(東京)が東京地裁から破産手続き開 始の決定を受けたことが3日、明らかになった。少子化によるテレビアニメの需要低迷などが影響し、スポンサーの撤退が相次ぎ、業績が悪化していた。負債総 額は約6億円とみられる。
 同社は1968年設立で、人気青春アニメ「タッチ」など有名作品の制作にかかわった。最近では2005年に公開された劇場用長編アニメ「あらしのよるに」が日本アカデミー賞の優秀アニメーション作品賞を受賞するなど高い評価を受けていた。
 しかし、経営トップが今年7月に死去したことで社内態勢も混乱。自主再建を断念し、8月31日に東京地裁に準自己破産を申請していた。2010/09/03 【共同通信】

まずは国内のアニメ制作現場を充実させる事が最重要なのではないか。聞けば、アニメ制作会社はどこも厳しいという。「売り込め!」たって、何よりも優良な作品が作られなけれる環境作りが必要だろう。
それに新聞記事のように、アニメ制作会社の倒産の理由が「少子化で需要低迷」にあるとすれば、日本ではなお一層少子化が進むわけだから、この産業は衰退となるわけだ。
つまり、日本国内の需要が減るのであれば、「アニメ産業」は必然的に、外国へ活路を見出さなければならない。

どのみち、アニメは海外に売り込むことになるのか。

さて、ではアニメの何を売り込むのか?

「カネ儲けの道具として」か「日本文化の一つとして」か……。
……。

ということでしばらくこれを続けていきたいと思います。
次回に続く。

追記
画像がないと何となく寂しいので、雑誌「DIME」の8月24日号を。
「DIME」 表紙が「けいおん!!」
表紙は「けいおん!!」だった。
普段はアニメとはあまり関係のない大人の雑誌にもこういう特集をするという現象が出てきた。
「アニメ絶対主義 ヒットの秘密を総力取材」とあり、ビジネスとしてのアニメ特集が載っていました。
そして、付録の「けいおん クリアファイル」は娘が使っています。
そういえば、「けいおん」の原作もいつの間にか娘の本棚に。関連記事
日本は、親子でアニメやマンガの話が出来るいい国だということでしょうか。

石井慧よ!本当の「売国奴」とはこういう奴のことを言うのかもしれない。

最近、私の嫌いな人がのさばっていてうんざりする。
東国原が都知事選立候補?って。 (今の民主党に数の勢力を与えた自爆テロなのに、過去記事)
ホリエモン(堀江貴文)と勝間和代がネットで対決!って。(カネ儲け主義を蔓延させる日本の癌)
管直人首相就任で、その夫人菅伸子は姜 尚中を呼んで対談!って。(ガチ左翼)
年に300回以上性行為をする青木裕子アナは、矢部と付き合うって。(どうでもいいけど、中川昭一さんの件は忘れない)
太田光は相変わらず9条バカをさらけ出し(太田総理終わってよかった、あれは最悪だった。)、TBSの「関口宏のサンデーモーニング」やテレビ朝日の「やじうまワイド」と「スーパーワイド」のコメンテーターどものサヨク的発想と発言をまき散らす。(ほんと気味が悪い。)

さてさて、そんな中、こんな記事が……。

石井慧、柔道復帰に日本連盟激怒!米国代表で「リオ五輪狙う」
夕刊フジ2010年9月10日(金)http://news.goo.ne.jp/article/fuji/sports/zak20100910004.html
 北京五輪柔道男子100キロ超級金メダリストでプロ総合格闘家の石井慧(23)が9日、仰天構想を明らかにした。今後、米ロサンゼルスへ移住し、米国籍を取得、柔道米国代表として2016年リオデジャネイロ五輪出場を狙うというものだ。
 一度は決別した柔道界に戻ることを宣言した石井は、「プロになってから柔道はやっていないが、ボクには研ぎ澄まされた感覚がある。(再び五輪で)金メダル、いっちゃうんじゃないですか」と自信満々だ。
 石井は五輪金メダリストということで、永住権は申請後1~2年ほどで取得できると専門家は見る。米国では永住権があれば、プロ格闘家でもアマチュアの柔道大会に出場可能。ただ米五輪代表に必要な市民権取得にはさらに5年かかるため、2年後のロンドン五輪でなく、6年後のリオを目指すという。
 一方これまでの経緯もあり、日本の柔道関係者は不快感いっぱいだ。金メダルを獲得した北京五輪直後に柔道界を飛び出し、格闘家に転向。そしてこの日、52年ぶりの東京開催となった「世界柔道」の初日に合わせ、話題をさらうかのように報道陣を前にしての仰天発言。全日本柔道連盟の吉村和郎・強化委員長は「未練がましい。あんなに大騒ぎして格闘界にいったくせに、ダメだったから戻ってくる、そんな筋が通るわけがないだろが!!」と声を荒らげた。
 五輪の舞台で、日本代表と星条旗をつけた石井が激突…。因縁、遺恨たっぷりのメダル争いが実現するか。

はっきりいって私は石井慧が嫌いである。当ブログで書いてきたように、「強ければいい」「勝てばいい」といって驕り高ぶる人たちが嫌いなのだ。
過去記事
「服装の乱れ」国母和宏の一件に見る擁護派の思考。とか、「浅田真央を…?キム・ヨナ爆笑!韓国TV番組で」の一件について。
指導者の資質が本当に問われるのは勝負に「負けた」ときだ! 高校野球の監督の件について思うこと。
などなど。

さてさて、石井慧だが、こいつは天皇陛下の前で「日本人として大和魂を持って天皇陛下のために戦っています。常にその心を持っています。」と大見得を切った奴だ。(こんなことを陛下の前で言うだけでも十分不敬だが……)
それが、数年経ってみれば、アメリカ国籍を取って恩義のある日本柔道界に反逆するようなことをする人物だったのだ。
もともとこの人には、「大和魂」なんてなかったということです。(誰だよ、こいつが右派だといったのは…。)
それに石井慧は、園遊会で天皇陛下から「次のオリンピックは目指されますか」と尋ねられたときに「目指しません」と明言し、柔道以外の道に進むのかという問いには「はい。そうですね」と答えたはずだ。
こんなウソつきはいない。(しかも陛下の前で……)
きっと「次じゃない、次の次のオリンピックだ」と言い訳するだろう。東国原ぐらい汚い野郎だ。
そして、陛下に「目指さない、ほかの方向へ行かれるわけですね。今回の優勝がいい意味で契機となって、よりよい道を歩まれるよう願っています」とありがたい言葉までかけられたというのに、それも反故にする気らしい。
こういう奴を本物の「売国奴」というのかもしれない。

アメリカ国籍を取得して、日本に歯向かうような真似をするならば、まず貰った紫綬褒章を返還しろ。
そして、日本に二度と戻ってくるな。
マスコミももう彼を取り上げるな! 面白おかしく取り上げるから調子に乗るのだ。

そして、日本の格闘家よ、柔道家よ、こいつを倒してくれ!
心ある勇者よ、頼む!
こいつだけはどうも許せない!

何でも「カネ」を基準にしてモノを考えると道を誤る。

馬鹿な記事を読んだ。
http://news.livedoor.com/comment/list/4999835/から。

結婚より「愛人」の方が合理的? 19歳女性に「月3,4回、15万円支給」
結婚するより愛人を持つ方が合理的――42歳の独身男性が書いたそんなブログがネットで話題になっている。この男性の愛人はアイドルグループ「AKB48」風の19歳の女性で、月15万円の手当は「安い」と考えている。そして、「結婚するメリットは大きい」とする公認会計士で経済評論家の勝間和代さん(42)に異論を投げ掛けている。
話題のブログは「はてな匿名ダイアリー」の2010年8月31日付けに掲載。タイトルは「愛人を作った」。結婚したものの12年前に離婚し子供はいない。年収は650万円で安アパート暮らし。酒も煙草もギャンブルもやらない。そして今年の春先に無性に寂しくなってしまい、なぜか、結婚、彼女ではなく「愛人が欲しい」と思ったのだという。
勝間和代は結婚の合理性を述べているが・・・・

この男性のブログによれば、愛人が出来て3ヵ月が経過。愛人はサイトで募集し、35歳の人妻から16歳の高校生まで応募があり、数人と面接した。愛人にするために提示した条件は月に3、4回会い月に15万円を支給。女性が愛人の間は彼氏を作らない、女性の部屋に泊まることができる、などを条件にした。男性は妻がいることにし、安アパートということもあり自分の部屋には愛人を招かないことにした。
愛人を作った感想は「ほんとに若い愛人はいい!」。たいしたことのないウンチクを語っても超感動してくれ、さほど高くなくともご馳走すればすごく喜んでくれるなど新鮮な感覚が味わえ
「これで年間180万円、これが安いか高いか?私は安いと感じる、むしろ、この程度で彼女を拘束していいのかとさえ感じる」と書いている。そして、勝間和代さんは結婚の経済的合理性を述べているが、どう考えても愛人を作ったほうが経済的合理性を感じる、というのだ。
勝間さんの結婚に対する考え方とは、週刊マンガ誌「モーニング」に09年に連載された「勝間和代の『誰でも出来る』日本支配計画」の第36回「結婚のすすめ (1)35歳独身限界説」に登場する。ここには、結婚は人間を大きく成長させ、家庭内外の経済的な生産性も上がるなどと書かれている。
「見合いして挙式して半年で別れるより安いことは確か」
男性は、結婚しても毎日セックスしたいわけじゃないし、一人になりたいこともある。一人でいて寂しくなることもあり、そんなこんなで愛人の存在の方が合理的だとし、
「もちろん恋人でもいいけど、若い愛人は本当に生活に張りを与えてくれる事がわかった」
と書き、暫くは若い愛人のいる今の生活を続けたい、と綴った。
このブロブには233のブックマークが付いていて、
「見合いして挙式して半年で別れるより安いことは確か」
「それもひとつのライフスタイルだよなあ、と正直思う。ただ愛人さんに本気で惚れそうで心配」
「月15万円の予算があると仮定するならもっと様々なアイデアが頭を駆け巡る」
などの感想が出ている。

何でも金銭やコストに換算していけば、こう言ったバカげた話になる。「結婚」は「性生活」だけではないし、まして「合理性」や「生産性の向上」などといったものと最もそぐわないものである。
愛人作った話を偉そうに自分のブログに載せて、それを正当化するために流行りの似非評論家の話に色を付けてみました、ぐらいの下らない話だ。
若い女と楽しくやっているというだけのバカな奴の戯言で、それ以上でもそれ以下でもない。
だが、問題なのは、これに同調する人間が結構多いということだろう。
日本の社会性が崩壊している、というのがこんな下らない話でも窺われて、嘆かわしくなる。
何もかもカネを基準にしていくと、人間らしい情の部分は失われていく。
もともと、「愛情」や「友情」や「人情」なんて感情をカネに換算することなどできないのだから。
(ホリエモンが「愛もカネで買える」と言って、もてはやされた頃から、世の中はおかしくなってしまったのだろうか)
そうやって世の中のことをなんでも金銭に換算していけば、「親が死んでも葬式も出さず、年金もらったほうが得だ」という風潮が生まれてくるのだ。

だいたい勝間和代も「結婚の合理性」ってなに? 皇室さえもコスト計算してしまう愚者だから、自分で自分の首を絞めているのだ。
過去記事
勝間和代の「皇室はコスト問題」発言にモノ申す。
「うの」と「カツマー」と「清貧の思想」
渡辺千賀の「日本はもう立ち直れない」と忌野清志郎と小室哲哉など。
こういう自信過剰な経済評論家や経済アナリストが増えて、自分の愚かしい考えを広めて、世の中を悪くしている。
それに、何となくこのアホ男の記事を読んでいて、社会や家庭といったものを壊すことを喜んでいる社会学者もこんなことを言っていたのを思い出した。(宮台真司、上野千鶴子など)
ほんとこういう学者や評論家やコメンテーターはもういらない。こんなのが世の中に跋扈して、日本を悪い方向に導いている。マスコミも取り上げるなよ。

一年前に衆議院選挙で、民主党が勝って政権交代が起こればこれだけ家計はお得だ、なんてマスコミ報道を見たが今は、どうだろうか。(過去記事)
「家計が潤う」なんて話はどこかに吹っ飛んでしまい、それどころか、日本経済は一層悪化しているじゃないか。
それに外交、内政、売国政策、どれをとってもいいところがない。
何でも、金銭、コスト基準でものを選択してくと、道を誤ってしまうのだ。

三島由紀夫が予言した通り、「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。」という日本になったのだ。
関連記事

今の政界は南北朝時代と似た状況だ! ならば政界再編は必ず起こる!?

現代の事象と南北朝時代を重ね合わせると面白いシリーズ。
過去記事
祝・サムライジャパン優勝。そこでWBCを南北朝時代にあてはめてみる。
楠木正成はトリックスター!そして、木曽義仲=新田義貞=明智光秀説など。

まず、平成22年8月18日 上毛新聞から。

安中で尊氏側近の書状発見
南北朝時代に室町幕府を開いた足利尊氏の下で執事を務めた高師直(こうのもろなお、生年不詳~1351年)の書状が安中市の旧家で見つかり、市教委に寄託されていたことが17日までに分かった。尊氏が北朝の光明天皇に征夷大将軍に任じられ、室町幕府が名実ともに成立した1338(暦応元)年の前年、四国の守護に指令を出したもの。安中市教委主事で学芸員の佐野享介さんによると、37年には後醍醐天皇による建武の新政が崩壊し、すでに幕府側に実権が移っていたことを示す貴重な史料という。
 書状のあて先は讃岐(現在の香川県)の守護、細川顕氏(あきうじ)(生年不詳~1352年)。京都の寺院、浄金剛院が讃岐国大内郡与田下村郷(現在の東かがわ市)に領有していた荘園で、木村五郎という人物が乱暴しているのを止めるよう命じている。
 安中市教委によると、書状の最後に記された師直の花押が、過去に見つかった同時代の師直の花押と一致。筆跡も師直の右筆(ゆうひつ=書記官)と似ており、紙質からも南北朝時代のものと判断できるという。
 この書状を写したとみられる文書が「讃州府志」という歴史書に載っているが出典は示されておらず、原本の所在は分かっていなかった。写しでは「木村五郎」の記述が異なっているが、「讃州府志」の記述は誤りが多いことが「香川県史」で指摘されているという。
 木村五郎は古くから讃岐にいた有力者か土豪と考えられる。高師直は南北朝の動乱で主に軍事面で活躍。室町幕府成立後、足利尊氏の弟、直義と対立し、殺された。
 書状は顕氏のもとか、浄金剛院で保管されていたと考えられるが、安中市の旧家にわたった経緯は分からない。
 書状が見つかった旧家は江戸時代、薬などを安中藩に調達した商人で、現在も薬局を営んでいる。当主の男性は「質店も営んでいた祖先が、かなりの目利きで、貴重な史料を集めたらしい。歴史研究に役立てるのなら光栄なこと」と話している。
 書状は安中市学習の森ふるさと学習館で10月22日から来年1月30日まで開かれる企画展「西上州の中世」で公開される。

「高師直の書状が見つかった」という新聞記事。
この時代、南朝方からも、足利方からも、もちろん新田義貞からも、諸国の武将、寺社などに宛てた書状は多く残っているから、これ自体はそれほど珍しいものではないと思う。
ただ、この書状の面白い点は、高師直から守護職に命が出ているということ。ここが興味深い。
高師直は尊氏の執事であり、武士から提出される報告や申請を尊氏に取り次いだり、尊氏が武士に下す命令などの伝達役であった。
現代に例えると、将軍を首相とすれば、執事は官房長官か党の幹事長あたるだろか。守護職つまり県知事に、官房長官あたりの要職者が指示を出したということになる。
何が面白い点かといえば、尊氏や直義の名で命じているのではなく、高師直の名で命が出ているということだ。
こののちに、高師直ら一派が、足利幕府の分裂の危機を招くこと(観応の擾乱)になるわけだから、そういった視点でこの書状を見ると意味深いものになる。
これを現代の民主党の内部分裂と重ねると、なお一層面白いということだ。

まず、この書状が出た1337年はどういう年かというと、この前年に後醍醐天皇が吉野に逃れ南朝を開いて、南北朝時代がはじまり、新田義貞はこの前年に北国落ちして、この翌年に戦死する。足利尊氏は政権を奪取して、京の都に足利氏の政治基盤を築こうという年だ。
そして、尊氏と弟・直義の対立、それに高師直の勢力伸長、これらによる内部分裂の兆しが見え始めた年でもある。
奥富敬之「上州 新田一族」(人物往来社)から

この延元二年(1337年)の中頃は、半世紀の余に及ぶ南北朝内乱期にあって、ひときわ目立つ特異な時期であったと云えるかもしれない。南党の総帥格の新田義貞を討ち漏らしたとはいえ、その軍勢に対して完膚なきまでの敗北を与えた今、足利党の緒将は、目下京都で建設中の幕府の緒要職をめぐって、もっぱら猟官運動に忙しく、地方の南軍諸氏の動向などにかまかけている余裕はなかった。一方、完敗したとはいうものの、新田党諸勢はもちろん、南党諸氏の士気も、決して弱まっていなかったのである。
このようなところから、この時期、ほぼ全国が北党の勢力下にあったとはいえ、その権力が完全に及ぶのはわずか京都とその周辺のみで、残りの日本列島のいたる所で南軍の蜂起、跳躍が見られたのである。

後醍醐天皇の建武の新政から「政権交代」した足利幕府を民主党に置き換えてみれば分かりやすいだろう。
権力闘争によって内部分裂を始める足利方と、一枚岩になれずに権力闘争している今の民主党政権の状況はとてもよく似ている。

菅氏・小沢氏一騎打ち、会談決裂出馬を表明
 菅直人首相(63)と民主党の小沢一郎前幹事長(68)は31日夕、それぞれ記者会見し、9月1日告示、14日投開票の党代表選に立候補することを表明した。
 両氏はこれに先だち、鳩山前首相の仲介を受けて党本部で会談したが、対決回避では合意できず、話し合いは決裂した。首相を選ぶことになる代表選は、政権運営のあり方、消費税率引き上げを含む衆院選政権公約(マニフェスト)修正の是非、「政治とカネ」の問題への対応などを争点に、党を二分する戦いとなる。
 小沢氏は会談で、「せっかく政権交代を成し遂げたのだから、協力していかなくてはいけない。選挙は選挙として戦おう」と出馬の意向を伝え、首相は「結果がどうあろうと、全党一致で協力できるよう全力を挙げたい」と応じた。(9月1日 読売新聞から)

両者とも選挙後は挙党一致体制などと言っているが、今の状況をみるとそんな穏やかに事が収まるようにはとても見えないが。
互いに弱点を突き合うだけの罵り合いになって、それが結果的に民主党の欠点をさらけ出し、自分らの政党の政権求心力を著しく貶めていることになっているのだから。だれ、こんな政党を選んだのは?
去年、政権交代したときは、朝日新聞や毎日新聞、テレビ朝日にTBSなど左派系マスコミが「民主党万歳」の提灯報道をしていたものだが、今は全く嘘のようで、批判・批難・罵詈雑言……一斉に面白く書き立てている。これじゃ「2ちゃんねる」も笑えないえげつなさだ。可笑しなものである。
まあ、民主党をまったく信用していない私としては、どんどんやってくれ、という感じだが、そうも言ってられないか。 管直人と仙谷由人はかつて過激派全共闘のリーダーであるし、やることは「反日」そのもの。いまに「文化大革命」をおっぱじめそうだ。方や、小沢・鳩山は異様なほどの韓国・中国に媚びを売る政治家で、その腰巾着である輿石東は日教組って、どうなってる。
まあ、どちらに転んでも「サヨク的政権」だということですが……。

さて、それはいいとして、本題。
誰がリーダーか、どの指示に従えばいいか、それが分からない状態の組織は混乱状態に陥る。
足利幕府の初めと今の民主党政権は同じようなこの混乱状態にある。
足利政権は、尊氏と直義の対立、そしてここに高師直が加わる。民主党は小沢一郎に管直人の権力闘争、そしてそこに鳩山由紀夫が加わる。鳩山由紀夫は「トロイカ体制」などと言っていたが、三頭政治がうまくいくはずもないのに。

では足利幕府開幕時はどうであったか、佐藤進一著「日本の歴史 南北朝の動乱」から。

……個別に兵糧米徴収にあてる土地を指定して、これを兵糧料所とよんだり、とくに軍事上の要害地に指定したり、同じく軍事的に重要な関所や港津を指定して、管理権を握ったりすることもおこなわれた。
以上の緒措置は尊氏の軍事指揮権にもとづいて、具体的には各国の守護がこれを執行する。<中略>
ところが、これらの措置は幕府支配地へも及ぶわけだから、それを合法的に実施するには、最初にまず北朝の許可を得なければならぬ。その交渉は直義の職務である。また実施段階で、守護が法令に違反して恣意的な分給をおこなったり、分給された武士が兵糧米を徴収するだけでなく、土地そのものを取り上げたり、侵害したりする。それら種々様々の非法が各地に発生すると、荘園内領主側は裁判でこれを争う。裁判の最高責任者は直義である。
尊氏が、国主・庄園領主の権利を侵害する側の責任者であり、直義がかれらの権利を保護する立場におかれるという奇妙な対立がここに生まれる。
こうした尊氏と直義の立場の違いが、二人の性格と見識の違いをいっそう先鋭化し、二人を対立と衝突にまで追い込むのだが、尊氏が初めから直義の対立者としてあらわれるのではなく、高師直という特徴ある人物が尊氏の代弁者としてまずは登場するのである。

つまり、指示系統が尊氏と直義の2つに分かれていた。一つの部署を統括する際には、命令系統は1つに統合されていないと、その部署は混乱をきたすことになる。これは、管理・統治の基本である。
だが、足利幕府では、2つあって、これに高師直という勢力が加わって、ますます混乱をきたしていた。
そして、高師直が実質的権力を握ったのは、尊氏の名代として軍事指揮と恩賞の実権を左右する、天下の武士の急所を押えたことによる。
つまり「金」と「人事」を押さえたわけだ。
まるで、幹事長時代の小沢一郎か。高師直は日本史上最悪の悪人といわれるくらいだから、こんなところも似ている。
だが、高師直は戦が強かった。(四条畷の戦いの勝利は、彼ら一派をより増長させた)
それに「元祖バサラ」と言われるくらいだから派手で金回りも良かったから、部下や田舎の武将などには妙に人気あった。(こんなところも似ている)
いつの時代も、戦(つまり選挙)で勝ったり、戦上手の猛者は、周囲の者や地方の者たちが嬉々として担ぎ上げることになる。
一方、足利直義は「堅物」だったと言われ、原理原則を厳格に守る人だった。これはまるで、管直人みたいだ。
こんな正反対の二人が権力闘争すれば、内部分裂するのは当然である。
さてさて、歴史通りにいけば高師直も直義も敗者となるわけだが…。
となれば、小沢も管も共倒れとなるのか?
(足利幕府では、高師直も直義も殺され、最後は尊氏一人になったから、足利幕府は分裂しなかった。だれが尊氏となるか今のところ分からないが……)
まあ、これらはあくまでも私の予想。

さてさて、では、南朝方はといえば、これが今の自民党にあたる。ともに、政権を奪われてからは「凋落」していく一方だ。
まとまりのない自民党やそれぞれの思惑でバラバラの野党。このままではとてもではないが民主党政権を倒すことなどできそうにない。
これも足利政権(民主党)に対抗するためには一つにならなければならないが、吉野の公家方や北畠親房や新田氏、楠木一派などなど、思惑も違えば、立場も主義主張もまるで違い、とてもまとまりそうにない。ただ「反足利」というスローガンの下に南朝方がまとまっているに過ぎない。(「反足利」を「反民主党」に言い換えればいい)

でこの時代、何が起こったといえば、「直義・師直の抗争はやがて直義・尊氏の抗争に変貌して、ついに幕府は救いがたい両党分裂におちいる。これに南朝が加わって三者鼎立となり、その間に合従連衡がおこなわれて、錯雑した政治状況が展開される。」(上記、佐藤進一の説明から)
高師直死後は、直義が南朝に和平交渉をもちこんだり、今度は尊氏が南朝方に帰順する形で講和を結んだりと、自分等の権力保持のために「敵方」とも構わずに組むという形勢となった。
(「観応の擾乱」「正平一統」などの説明は面倒なので、Wikipediaヤフー百科事典で。)
となれば、これは今でいう「政界再編」となろうか。
そう、今の政界を南北朝時代に重ねていけば、きっと「政界再編」が起こる。また、これがなお一層進めば、今よりも大混乱の時代が来る、そう予測できるということだ。
佐藤進一著「日本の歴史 南北朝の動乱」にはこんな記述がある。

直義の追討に際して、尊氏は南朝に和を請うた。前年、当の直義が和平折衝を重ねた相手に対してである。三分した天下で力のバランスの優位を保つための努力であるが、それにしても講和に際して尊氏のとった態度は、前章でみたように(尊氏は南朝と裏で通じていたり、南朝に政権を譲るなど大きく譲歩した形を取っていた)、直義とは著しくちがっていた。
つまり、直義が自分の政治原理(足利政権優先)を崩すまいとするのに対して、尊氏の方は成り行きしだいである。それでも尊氏はまだ南朝に譲歩すべき限界を考えていたらしいが、息子の義詮は父親に輪をかけた状況主義者だった。それで、父子の間で講和条件がついて折り合いがつかず、南朝の使者入京の知らせがあった直後、父子の間が険悪らしいという噂が立ったくらいである。

何度も言うが、南朝を自民党、足利政権を民主党と云い換えれば、裏で自民党と手を組もう画策する小沢一郎は、尊氏にあたるか。では息子の義詮は、といえば、権力闘争の状況悪しと見て、もっと安易な方策で自民党やみんなの党、あるいは公明党と手を組もうなんて考える輩が民主党の中から出てくるかもしれない、そう考えられるということだ。
そうなれば、ここでも対立が起こることになる。
そして、南朝方も政権を奪うチャンスは何回かあった。(京都入ること三回、武蔵野合戦では、新田義興・義宗兄弟が尊氏を自刃直前にまで追い詰めた。太平記では三十一巻)
ならば、自民党にもその機会は巡ってくるということか……。
でもいまの自民党じゃな……。
(真正保守はどこに?)


過去に起こったことは、同じようにして、その後の時代にも繰り返し起こるという、ならば、政界再編は必ず起こる、そう思えてならない。

ということで、南北朝時代と今の政界をからめて遊んでみました。
こうしてみると、結構、南北朝時代も面白いでしょ!

 | HOME | 

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

08 | 2010/09 | 10
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  └ 月別アーカイブ
        └ 2010年09月
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。