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生品神社は、群馬一のパワースポットだ!

情報が来ました。取りあえずそのまま記載します。

週刊誌の女性自身「11月18日発売 2377号」から、「年末ジャンボ 全国新★大当たり(金)神社16」の記事において、全国のパワースポット神社の一つとして「生品神社」が紹介された模様です。
以下、その記事。

売り場へ“出陣する”前に縁起のよい神社で雄叫びを!
「ジャンボの時期には生品神社の神主さんに祈祷してもらっています。それから当たりが出始めていますね」(ジョイフルCC新田店・飯塚昭店長)
08年のサマーで3億円が当選。生品神社は鎌倉時代の武将・新田義貞が出征するとき拠点にした縁起のいい神社だ。出陣の儀を行ったという旗挙塚には、いまでも彼のパワーが眠っているという。この旗挙塚にお参りし、新田義貞のパワーを授かってから宝くじを買いに行こう!

とあった。
当ブログでは、2年前に『生品神社のあの「鈴」が新しくなってる! そして県下一宝くじが当たる「ジョイフル本田」で高額配当が当たった方へ』で似たような書いていました。(まさか、これを見て書いたとは思いませんが……)
まあ、当たった人は、狛犬くらい寄進してもいいと思うのですが。これはマジなお願い。

それにしても、「生品神社」は古ぼけた小さな寂れた神社ですが、私も行く度に「ここには何かある」と感じられてなりません。
よくよく考えてみても、「出世神社」といってもいいんじゃないでしょか。
今をときめく斎藤佑樹選手と生品神社(鏑矢祭)の関係や、作家・新田次郎氏は生品神社滞在後に大作家になったし、群馬県知事の大沢正明知事は生品神社で選挙の旗揚げして知事に当選した、といったこともある。
それに境内には「陸軍大将 鈴木孝雄」「皇太子(昭和天皇)」「福田赳夫」「中曽根康弘」など著名人の名前を見つけることができる。
これって結構スゴイことなんじゃないの!

よし、ここを群馬一のパワースポットとして売り出して、新田義貞の知名度をますます高め、「新田市」誕生を目指すぞ!
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何処に行こうが「斎藤佑樹選手」を応援し続けます。だって新田一族だもん。

あ~、遂にドラフト会議か。
そうかあれから4年か……。
当サイトも約4年ほどダラダラと続いていますが、最初に書いたのは「斎藤佑樹君」の記事でした。
1 斎藤佑樹君は新田源氏の生まれ変わりか?
ここから始まったんですね。(ただ、懐かしい)

それから、何かにつけて斎藤佑樹選手については書いてきました。
2 「斎藤佑樹君は新田源氏の生まれ変わりか」の続き
3 斎藤佑樹くんゆかりの生品神社のお守り
4 新田次郎氏と斎藤佑樹くん  その3
5 「富士重工・スバル」と「新田義貞せんべい」と「新田一族」
6 新田一族の話題。「斎藤佑樹」と「今治市」と「福井県」と「天地人」
7 「ポルシェよりもスバル」斎藤佑樹くんの地元愛に、心を熱くする。
8 斎藤佑樹選手は新田一族ですから…
9 斎藤佑樹選手、地元に凱旋! そして誰かが言った「新田義貞に次ぐ『地元の偉人』だ」と…。
10 ワールドカップ日本代表のいい話とこれから「佑」の字が流行るんじゃないという話。
11 新田義貞像を地元が復元へ! そして私の激しい妄想。
12 生品神社でえびす講。「斎藤佑樹と新田次郎と碇シンジ」
などなど。
13 斎藤佑樹が甲子園で優勝したときに持っていたのは、新田義貞ゆかりの生品神社のお守りだった!!

そして今日が運命の日。
……。
日ハム。
……。
北海道。
……。

いや、これからも応援しますよ。
新田一族として。
これも宿命です。

新田一族に関連した地名・「笠懸」が消えたのは、いまさらだが口惜しい。

平成22年10月11日 上毛新聞から  

疾走する馬上から矢を射る「笠懸の武技」が10日、みどり市笠懸町鹿の「吹上地区ひまわり畑」の特設馬場で行われた。青空の下、大勢の観光客が勇壮な武技を楽しんだ。
 源頼朝が新田荘(現在の太田市付近)で狩りをした際、風に飛ばされて地面に転がった従者の笠(かさ)を見て「射よ」と命じたのが笠懸の始まりとの伝承があり、同町の地名の由来になっている。
明治期以降は行われなくなっていたが、旧笠懸村の村政100年記念で1989年に復活した。地元住民でつくる笠懸保存会(大沢嘉久会長)が同ひまわり畑のまつりに合わせ、毎年この時期に行っている。
武技は笠懸のほか、流鏑馬(やぶさめ)も行われた。射手が鏑矢(かぶらや)を的に当てると、観光客は歓声を上げて喜んだ。

さて、この祭りがあった周辺はかつて「新田郡笠懸町」とよばれていた。しかしいまそこは「みどり市」という。
「2006年3月27日に群馬県新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村が合併し、群馬県12番目の市として誕生した。また、平成の大合併において、群馬県で新たな市として誕生した唯一の市である。この合併により新田郡と山田郡は消滅した。」とあるように、これによって「新田郡」もなくなり、歴史ある「新田」の地名も完全に消えてしまった。4年前のことである。

Wikipediaの「笠懸」の項目には以下の通り記載されている。

笠懸(かさがけ)とは、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を放ち的を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式・様式のこと。流鏑馬と比較して笠懸はより実戦的で標的も多彩であるため技術的な難易度が高いが、格式としては流鏑馬より略式となり、余興的意味合いが強い。流鏑馬、犬追物と並んで騎射三物と称された。現在は笠掛とも表記する。群馬県新田郡笠懸(かさかけ)町(現みどり市)の名は、源頼朝がこの地で笠懸を行ったことに由来するという。


吾妻鏡」にはこうある。http://katohjuk-web.hp.infoseek.co.jp/aduma13-04.htmのサイトから。

建久四年(1193)四月小廿八日甲子。將軍家、上野國自り還御す。
此の間、 式部大夫入道上西 〔足利式部大夫義國が息新田大炊助義重〕の新田舘に於て御遊覽す。
其の所自り直に還御すと云々。

現代語:建久四年(1193)四月小二十八日甲子。将軍頼朝様は、上野国(群馬県)からお戻りです。この間に、式部大夫入道上西〔足利式部大夫義国の息子の新田大炊助義重〕の新田の屋敷で遊覧しました。その場所から直接お帰りだそうです。

参考:式部大夫入道上西は、新田義重。義国の子。義家の孫。上州新田庄に住み新田本家発祥。異母弟が源性足利氏。

源頼朝が新田荘を訪問したのが4月、その翌月の5月に有名な曾我兄弟の仇討事件が起こるわけだから、そういった意味でも興味深い。

検索すると、もっと詳しいことが分かる。
「新田乃庄」のホームページから
http://www.nittanosho.com/p/dorayaki/index.htm

超大判どら焼き「源氏相伝」由来

建久4年春、征夷大将軍、源頼朝公は、下野国那須野から上野国三原の辺りで狩りをされたことがありましたが、
鎌倉へお帰りの途中、新田義重公に招かれ、新田の館と呼ばれていた彼の居城「寺尾城」に立ち寄られて何日かを過ごされたと、史書「吾妻鏡」は伝えております。
言い伝えによれば、このとき義重公は、新田の勇士の中から豪弓の使い手3人を選び、流鏑馬を披露いたしました。
その日は折悪しく風が激しく吹き荒れていましたが、射手たちは舞い上がる砂塵を物ともせず、松に懸けた陣笠を見事に射抜き、頼朝公より恩賞を賜りました。
ときに頼朝公は「ここ新田の庄の新田原を、これより『笠懸野』と呼ぶがよかろう」と
命名されたということです。
また、義重公は宮廷に大炊介として仕えたことがあり、接待料理の製法にも詳しかったので、この日、頼朝公のために、陣中の大銅鑼を焼鈑の代用として、即席の焼き菓子を献上しましたところ、頼朝公は殊のほかお気に召されて、「おお、まことに佳き味よ、以後源氏の相伝とせよ」と賞讃され、義重公は大いに面目をほどこしたということであります。以来、新田の庄寺尾城より伝統の名菓が、しばしば鎌倉大将軍に献上されてきたと伝えられております。

この「新田乃庄」や「寺尾城」は前に書いてました。過去記事 新田一族ニュース、「新田義重と寺尾城」読売新聞から。

「笠懸」という地名は、こうやってみても歴史的に由緒ある地名なのだが、合併するとあっさりとこれを捨ててしまった。そして新しく付けた市名が「みどり市」っていうのでは、あまりにも安易すぎやしませんか。
ひらがな地名のイタイ名前として「さくら市」や「みどり市」がよくネットで挙げられてますよ……。(変な形で全国区に。残念。)

そしてなによりも、これで新田一族の関連した地名がなくなってしまったのが悲しい。「新田郡」を。

歴史ある地名は残した方がいい、と常々思う。
過去記事 「安土」の地名を消すな! そして「新田」の地名を再び!


そして、ついでに「さくら市」というのも調べていたら……、
なるほど……、
これも、
新田義貞に関連した所だったのか……。

続く。

アニメ一つも読み解けない朝日新聞に大新聞を名乗る資格はない。

http://www.j-cast.com/2010/10/22078952.html?p=1から。

人気漫画「けいおん!」のファンたちが怒っている。朝日新聞の記事で、「けいおん!」にはストーリーがなく、登場キャラクターも成長しないと指摘されたからだ。
記事が掲載されたのは2010年10月21日付けの朝日新聞大阪本社版の夕刊。「みんなのマンガ学」というマンガをテーマにしたコーナーで、「文化系部活シリーズ2 けいおん! 『萌えキャラ』ゆるーい日常」という見出しが付いている。
四コマ漫画の基本「起承転結」や「オチ」が重視されていない
筆者は、京都国際マンガミュージアム所属の研究員。「けいおん!」は主人公の女子高生・唯が、同級生3人と一緒にバンド活動をする様子を描いた4コマ漫画と紹介。描かれているのは「フツウの女子高生のゆるーい日常」が中心で、ライブの高揚感などを描いた他の「音楽マンガ」とは違うとしている。
また、四コマ漫画の基本「起承転結」や「オチ」が重視されていないうえ、ストーリーもないため「登場人物たちが成長しない」と指摘する。
記事は「オチも成長もない日常をユートピア的に描いた本作は、ブログやツイッターといったメディアを介し、他人の何でもない日々とゆるやかにつながりたい、と思う現代人の志向にぴったりなのかもしれない」と結んでいる。
人気漫画を社会的背景と絡めて批評した記事だが、21日夕方、その内容が2ちゃんねるに貼り出され、注目を集めた。「これはひどい 成長も変化もあるだろうが」
2ちゃんねるの「けいおん!」ファンには「ストーリーも成長もない」という表現が気にいらないようだ。
「ストーリーがないってのは1万歩譲ってまぁわかるけど 成長が無いってのは無いわ」
「これはひどい 成長も変化もあるだろうが」「これは見事な酷評…」といった反論が殺到した。
「こんな浅薄な理解力でマンガ研究員を名乗れるの?」という、記事を書いた研究員批判も出た。ちょっとした批評記事から騒動となってしまった訳だが、ITジャーナリストの井上トシユキさんは、「2ちゃんねるでは目の敵にされている朝日新聞に書かれたということも大きい」と見る。
「自分たちが愛してやまない美少女キャラが登場する『けいおん!』を批判する記事が朝日新聞に載ったということで怒りも倍増しているのでしょう。ネットユーザーは、自分は他人を批判するけど、自分たちや自分の好きなものが批判されるとすぐカチンと来て個人攻撃に走りがち。昔からですけど、そろそろ冷静になってもいいのでは」


さてさて、当ブログでは「けいおん」については少し前に、かなりの長文を持って書いた。(これでもかなり削った。)
今日も部室でお茶を飲む。 「けいおん」は奥が深い!の記事。

ここでは、この物語が全編を通じて見れば「恋愛・性的経験を一切用いずに友情と自己実現だけで少女の成長物語を描いた」物語で、これが「大きな成功のカギ」であると書いた。(また最終回や番外編はここでは触れていないが、ここでも成長物語、継承の構図、空に描かれたものなどなど、いくらでも「成長」も「ストーリー・物語」も見出すことができる。)

それなのに、こういったことを何一つ見出すことができずに「けいおん!にはストーリーがなく、登場キャラクターも成長しない」とよく言えるものだ。しかも「京都国際マンガミュージアム所属の研究員」などというもっともらしい肩書を名乗って、よくこんなことが書ける。
こんなトンチンカンな見方しかできない人が会社員だったら、即刻クビだろう。

また、このITジャーナリストの井上トシユキというのも、見当違いの意見だ。たぶん「ネット対朝日」という単純な紋切型の意見しかない。この人もこの問題を見通していない。
そして、何よりも問題なのは「朝日新聞」。
こういったコラムを載せること自体、この主張を支持していると見ていい。
つまり、アニメ一つ読み解けない新聞が、世の中や政治・社会を読み解くことができるのか。(できないんですよ)
大体、戦後中国礼賛の記事を書き続け、あの「文化大革命」をもてはやした朝日新聞だ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A0%B1%E9%81%93%E5%95%8F%E9%A1%8C(こういう新聞社です)
いまさら何を書いても驚かないが……。

そして、こういう細かいところで良く分かる。
なぜ「けいおん」がヒットしたのか、なぜ社会現象になるほど支持されたのか、そういう読者の知りたいところは調べようとはしないし、書かない。
まず、その理由を追うことが、メディアの使命じゃないのか。
そういうことを怠り、ただアニメ・マンガが読み切れないのにその専門家(研究員?)を名乗る人の言葉やステレオタイプのことしか言えない解説者の意見をそのまま載せるとは……。
そんなものは「大新聞社」(?)の名を語るな。欺瞞もいいところだ。

ということで、いつもの朝日新聞批判でした。

久能山東照宮が国宝になるなら、世良田東照宮も国宝に!

平成22年10月16日 産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101016/acd1010161202004-n1.htm
 権現様で日光超えを! 「久能山東照宮」が国宝へ 「観光振興」と期待膨らむ

「県民にとって東照宮と言えば久能山なのだが…」。そんな主張もかき消されるほど、これまで「日光」の大きすぎる存在を感じていた静岡県民に朗報が舞い込んだ。国の文化審議会が15日に文科相に行った答申で、静岡市駿河区の久能山東照宮が国宝に指定される見通しとなった。全国に約600あるという東照宮社殿の特徴となっている、権現造りの先駆けとしての価値が認められた形。「世界遺産」日光東照宮の社殿の“ルーツ”として、久能山の知名度アップへ期待感が広がる。
 つづら折りの階段を登ること約30分。一ノ鳥居から数えて計1159段もあるという石段だが、高度が増すにつれて奥行きが広がる駿河湾を眺めていると、アッという間に一ノ門にたどりついた感覚だ。久能山東照宮は、駿河湾をのぞむ小高い山の上にある。
 永禄11(1568)年、駿府へ進出した武田信玄が久能城を築き、武田氏の滅亡とともに徳川氏が領有した。信玄の軍師であった山本勘介が掘ったという井戸も残っている。
 家康は生前、大御所として駿府に在城しているとき、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたとされている。その家康は死後、この地に葬られることを遺言で残し、二代将軍秀忠によって社殿が整備された。日光東照宮は、久能山から亡きがらの一部を後に移したものだ。 今回、国宝に指定されたのは本殿と拝殿、石の間からなる複合社殿。江戸時代を通じて全国に波及した権現社殿の先駆けとなった、最古の東照宮建築という価値が認められたものだ。
 昨年まで社殿の塗り替え工事が行われており、極彩色の彫刻などは鮮やか。これらの装飾は桃山文化の名残をみせつつ、江戸初期の特徴をよく表していると説明されている。
 そのほかにも神庫や神楽殿、鼓楼などの建物は、すでに重要文化財に指定されており、これに今回、新たに「神餞所」も重文に加わる。
 “門前町”の根古屋地区では、知名度アップとともに観光客の増加が期待されている。土産物店「かどや」の川嶋久樹さんは「駐車場のスペースが少ないので、少し心配」としつつも、他県からの行楽客を呼び込めるとして「大変ありがたいこと」と繰り返していた。

いいことです。
そして一言。
久能山東照宮が国宝になるなら、世良田東照宮も国宝に!!!
その価値は十分にあります。
日光東照宮の謎

図は講談社現代新書「日光東照宮の謎」p34の図から。

社殿の豪華さや建物の大きさが問題ではありません。
世良田東照宮が東に向いて建っている(つまり西に向かって拝むことになる)意味を考えれば、歴史的価値は大きい。

理由は、http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-328.html東毛奇談で。
世良田東照宮 正面
世良田東照宮・正面門「新田荘遺跡 東照宮境内」の石碑。



ハロウィンよりお月見を、ボジョレー・ヌーボー解禁日より新嘗祭の日を……。

ここ最近、スーパーやコンビニへ行くと、ハロウィンに関する商品が氾濫していてうんざりする。
毎年、思うのだが、「ハロウィン」という行事が日本に必要なのだろうか?
Wikipediaにはこう解説がある。

ハロウィン 、あるいはハロウィーン「Halloween, Hallowe'en」はヨーロッパを起源とする民族行事で、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。
ケルト人の行う収穫感謝祭が、カトリックを信仰する他民族にも受入れられたものとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で主に行われる行事であって地域性が強く、キリスト教の広まる地域であれば必ず祝われるという訳ではない。

こんな外国の風習まで無理に取り入れるのは、どうなのかなと思ってしまう。
「バレンタインの経済効果を秋でも当てたい」という浅ましい商魂を持つ関連企業が躍起になっているのが、鼻について嫌な気分になる。
それにも増して、ディズニーの文化侵略の戦略の一環といったものがここに感じられて、気味が悪い。(ハロウィンって、ディズニーの秋の恒例行事ような感じになっている。日本にこんな悪習は別にいらないんじゃない。中国のパンダと一緒。)
とにかく、「儲かれば何だっていい」っていうのが端々に感じられて不快な気分になるのだ。

で、今日10月20日は「十三夜」、お月見の日だ。
というのに、ハロウィンの盛り上げ方に比べてどうだろうか。
日本人だったら、伝統ある風習こそ守っていくべきではないのか、と思うのだが……。
http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/13.htmにいい解説があったのでコピペしておく。

日本では、古くから秋の名月を鑑賞する「お月見」の風習があります。お月見というと旧暦八月十五日の十五夜がもっとも有名ですが、日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじていました。 中秋の名月(十五夜)はもともと中国で行われていた行事が日本に伝来したものですが、この十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。 一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていました。これは十五夜だけでは、「片月見」といって嫌われていたからです。
十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれていますが、十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれています。これはお供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだそうです。中秋の名月の後なので、「後の月」と言われたり、「小麦の名月」と呼ぶ地方もあります。これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。 十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。

今日はあいにく天気が悪く、いいお月さんは出てませんが、月を見ながら団子を食いました。(本来なら清酒というところでしょうが、酒が飲めないので……)
スーパーに行くと、ハロウィンの商品は入口のいいところでド~ンと展開されていましたが、「お月見コーナー」は売り場の片隅でひっそりとしてました。

何か違うような気がする! 
どこかずれている!


あの「ボジョレーヌーボー」だってそうだろう。
去年書いた「ボジョレー・ヌーボー」って、もう商品価値もない!の記事でもあるように、こんなモノいらない。
元々、「ボジョレーヌヴォーはそもそも当地の農民が収穫を祝ったのが始まりとされる。」というのならば、日本だったら、今年とれた新米「日本酒」「清酒」を飲んで祝え!
それが筋というもんです。(酒が飲めなきゃ、新米のせんべいでも新米の餅でもいい)
なぜ、日本人がワインの収穫を祝うようなもので狂喜乱舞するのか。

ここまで怒るのは、このボジョレーの解禁日の近くで、日本では11月23日に新嘗祭があるからだ。
「稲の収穫を祝い、豊穣を祈る式典。11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。秋に新穀を供えて神を祭る稲作儀礼である。」(Wikipedia)
まさに日本では大切な収穫を祝う日であるが、「勤労感謝の日」となってからは、軽視されすぎている。
「戦前の天皇行事・国事行為だから云々」「国家神道だから云々」といったことで否定する輩もいるが、「新嘗祭」にこそ、日本人が食物に感謝すべき魂の原点があると思う。

だから、ワインの解禁日に狂乱するくらいなら、「新嘗祭」のある11月23日こそ国民挙げて祝うべきだ!!

薄もやの中、ぼんやりひかる月をながめながら、そんなことをあれこれ考えた。

リルぷり 月見(アニメ「リルぷりっ」から。過去記事)

「歴史ツアー企画」だって。「新田義貞ツアー」があれば行きたいな~

平成22年10月6日付け「日経流通新聞」から

歴史ツアー企画 社内の知恵結集 日本旅行が横断組織
日本旅行は歴史に詳しい社員を集めた社内横断組織「歴史プロジェクトチーム」を結成した。歴史に関心を持つ消費者の旅行需要が拡大していることに対応し、歴史に残る出来事の舞台を巡るツアーなどを企画する。第一弾として「パワースポット」と「坂本龍馬」をテーマにした国内旅行商品を発売し、それぞれ30人分の発売を目指す。
チームは当初、13人で発足。歴史好きを自任する社員は誰でも参加できる仕組みとし、社内向けシステムでの情報交換を通じて、商品を企画していく。
パワースポットのツアーは島根県出雲市の出雲大社を訪ねる。11月19日出発の1泊2日で価格は5万2800円から。坂本龍馬のツアーは京都市内の龍馬ゆかりの場所を巡る内容。東京発の1泊2日で価格は4万9800円。今後は古代建築や仏像などをテーマに取り上げるという。

日本旅行のページにはこんな記事も

【日本旅行歴史プロジェクトチーム】
・日本旅行および日本旅行グループ内の、歴史に関する専門知識を有するスタッフ(歴史マイスター)および“歴史好き”メンバーで構成。
・歴史に関心の高いお客様層に対し、ニーズを調査するとともに、従来にない商品提供を行うための活動を行う。
・メンバーは、「龍馬ファン」、「新撰組ファン」、「戦国武将ファン」、「歴史学専攻者」、「古代建築研究者」、「三国時代ファン」、「パワースポット専門家」、「仏像専門家」、「古美術研究会所属員」、「日本風俗史学会会員」など多彩な人材が集っている。


いや~、こういうのいいですが、やっぱり「南北朝時代ツアー」「新田義貞ツアー」なんてないですよね。
寂しい限りです。
まあどっちにしても、5万もかけて行けるほどのカネも休みもないし……。

大変だ!

「Cハードディスクの空き容量が足りない」という表示が頻繁に出るようになったので、ファイルや画像をDドライブに移したり、要らないデータ等を削除したりした。
そしたら、いままで書きためていたワードのデータや文書エディターに書きためていた文章まで消えてしまった!
そのため、ただ今、データの復元作業や消えてしまったファイルを探したりと大変な状態になっています。
ということもあってしばらく更新してませんでした。
すいません……。

パソコンの素人は、知らないことはあまりやらない方がいいということを改めて感じました。

あれっ、ワードが開かない……、どうしょう。




コラム「雀が無事なら人類も無事」と中国の「雀撲滅運動」

平成22年10月10日の読売新聞に一面に「雀が無事なら人類も無事」というちょっと目を引く見出しのコラムがあった。
これが良かったので書き起こしてみました。

コラム「地球を読む」からグレアム・フライ氏(前・駐日英国大使、現・ロンドン大東洋アフリカ学院理事)

生物多様性会議「雀が無事なら人類も無事」
英国の首都ロンドンの南西部にある、王立植物園「キュー・ガーデン」。その一角、京都・西本願寺の「勅使門」を模した「日本門」の近くに句碑が建っている。
「雀らも 人を恐れぬ 国の春」
これは70年以上も昔、高浜虚子がここを訪れて詠んだ句である。いまこれを書いている、英国の筆者自宅でも、雀が屋根に巣作りをし、庭で遊んでいる。その楽しげなさえずりを聞くうち、東京の英国大使館の雀を思い出した。日本鳥類保護連盟理事だった河野洋平・前衆議院議長のはからいで、大使館に巣箱が取り付けられ、おかげで大使館もまた、にぎやかな雀の声に包まれた。
だがこうした雀の学校の繁盛は、実は例外である。英国でも日本でも、雀の数は減り続けている。特に英国では、過去四半世紀に半減している。素朴な雀たちもまた、自然界が危機に瀕していることを教えている。
今年は、国連が定めた「国際生物多様性年」である。今月には名古屋で、生物多様性条約の第10回締約国会議(COP10)が開催される。果して名古屋会議は、長期的な成果につながる国際合意を生むか。それとも、空虚な演説と宣言にとどまるのだろうか。
2002年の第6回締約国会議で、「生物多様性の損失速度を10年までに顕著に減少させる」ことに合意した。だが、この目標は達成されていない。
この地球にひしめく驚くほど多様な生命は、人間活動のせいで、ますます急速に消滅しつつある。その基本原因の第一は、世界の人口が、1960年の30億から現在の68億へと急速に増大していること。そして第二は、我々が優先度を意識していないことにある。
人類は自然界の一部であり、自然は我々の心を揺り動かす。これは、大自然の力を畏敬する神道の伝統を持ち、それが何世紀にもわたり芸術作品を生みだしてきた日本に、特にあてはまると言えるだろう。
実際、忙しい都会生活の中で、我々の多くは、山や海を訪れて息を吹き返す。だが現代社会は、我々の物質的な必要と欲望を満たすことに高い優先度を置く。先進諸国の政府は、経済成長を生み出せるかどうかで、評価される。環境保護では選挙に勝てないのである。
発展途上諸国の立場は、さらに鮮明だ。経済発展は国家の最高目標であり、環境被害は無視されることが少なくない。

かつて産業革命当時の英国は、空気を汚染し、河川の生命を殺した。日本もまた、奇跡的な成長の間に自然体系を傷つけた。そして、今や中国が、同じ道をたどっている。しかしながらこの問題は、もっと真剣に取り組むに値する。これは単に動物の数や、人間の精神的、文化的な幸福の問題ではないのである。
生物多様性は生態系を下支えし、我々に食料や淡水、薬品を提供し、我々を自然災害から守ってくれる。国連事務総長は、現在の傾向が続くならば、地球の各地で、生態系がこうした必需品を提供する能力が危機的に低下する臨界点に近づく、と警告している。

<以下、中略。要点は日本政府がすべきこと3点。第一、名古屋会議で、具体的な目標を設定させる。
第二、生態系と生物多様性を経済に生かす、革新的なアイデアを探ること
第三、日本国内の議論を盛んにすること。といったことが書かれている。>

子どもたちは、教育を通じて、自然についてより多くを学べるのではないだろうか。耕作地の放棄を食い止め、田園風景を回復するために、どうすれば若い農業者を増やせるだろう。好景気の時期に干拓された干潟や沼沢地の一部を元に戻し、災害対策や漁業振興に役立てることはできないのだろうか。
どうやら雀の話が複雑になってしまった。要するに筆者が言いたいのは、鳥類を救えば人類も無事でいられる、ということなのである。

面白いのは「スズメ」の話を枕にして自然について述べていること。そして、自然と人類が共に共生していくためには、「神道」的日本の精神が必要だと言及していることに共感を覚えた。


スズメ
日本では、童謡「スズメの学校」や昔話「舌切りすずめ」などがあるから、雀は昔から親しまれた存在でした。まあ何よりも見ているだけで、「和み」ます。

さてさて、こんな愛くるしい存在のスズメを根絶やしにした国がある。
それが中国だ。

世界史上最大の虐殺魔・毛沢東
毛沢東は1958年から62年にかけて、大躍進政策を推進した。全国の農村に原始的な溶鉱炉を築かせて、製鉄事業に着手させたのだ。農民は農作業を放棄して、鉄の生産を競い合いあったから、農業生産物は激減した。燃料の薪を手に入れるために樹木は切り倒されて、山は丸坊主になった。この結果激しい飢饉が起こり、中国全体で3000万人もの餓死者が出たといわれる。
1955年、中国の毛沢東が「雀は悪い奴だ」と言ったとたん、中国各地で雀の大虐殺が始まった。
雀抹殺専門の突撃部隊が2400作られ、1年で11億匹の雀を虐殺し、1967年迄に雀を浄化すると宣言した。しかし、雀を殺し過ぎて雀が食べていた昆虫が大繁殖して、大凶作に見舞われた。この愚行により、中国全体で4000万人もの餓死者が出たといわれる。

「文化大革命」は1966年5月に始まり1976年10月の「四人組」(毛沢東夫人江青をかしらとする反革命集団)粉砕までの10年と5ヶ月で終わりを告げた。それは共産党の最高指導者である毛沢東が自ら起こし、その指導のもとに億万大衆が参加するという長期にわたる特殊な大衆運動であった。
この期間、知識層などを中心に2500万人が虐殺されたといわれる。http://current-affair.blog.so-net.ne.jp/2006-02-19-2

中国の文化大革命で行われた大躍進政策の「雀撲滅運動」だ。
ユーチューブに、この様子が描かれているドキュメンタリー番組がUPされている。

(雀撲滅運動は7分過ぎから)
中国国民が雀をみんなで追いかけ、木を揺さぶって止まれないようにしてパチンコや鉄砲で撃ち殺した。多く殺せば報償が出され、少なければ叱られ翌日はもっと構えろとハッパをかけられたという。
他にも「文化大革命」についての動画はあるが、見るほどに身振いする。
(この雀が日本人とならなければいいが……)

実は上記の雀のコラムを読んで、私が真っ先に思い浮かべたのは、実はこの中国の雀撲滅運動だった。
というのも、中国の反体制作家、劉暁波がノーベル平和賞受賞が決まり、中国がこれに反発して多くの国を敵に回すようなことをしているという新聞記事や、尖閣諸島問題や軍備拡張で中国脅威論などなど、ここ数日中国関連の記事が紙面を賑わせているからだ。
(中国が経済を優先させ環境問題に消極的だということも上記コラムで触れていることもある)

中国の膨張は世界の脅威となる。そのとき世界の平和は?
そうしていくと、雀が平和の象徴である「雀が無事なら人類も無事」という言葉も深い意味にも取れる。

そして日光東照宮にある雀の彫刻は「平和」を象徴しているという話も思い出した。

東照宮の数ある彫刻の中で、なんといっても有名なのは東回廊の蟇股の「眠り猫」です。
奥宮への入口にあり、昔から左甚五郎作として、数々の逸話が伝えられています。
牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。
猫の彫刻の裏側には、竹林に遊ぶ2羽の雀の彫刻があります。
猫が寝ているから雀は楽しく暮らしていられます。
これは戦乱が治まり、平和な時代が訪れたことを意味しているそうです。
https://tabidachi.ana.co.jp/card/1182429から

高藤 晴俊著「日光東照宮の謎」 (講談社現代新書)にもこの解説はあります。過去記事
東照宮 雀


そんな裏読みが出来るコラムでした。

追記 中国に敬語を使う仙谷由人は「事業仕分けを政治の文化大革命だ」といった。
恐ろしいことである。
文化大革命」は、20世紀における最悪の出来事だと私は思っているので、日本の政治家(しかも官房長官)がこんなことを言う奴は許せない。
漢字が読めないといって首相の座を引きずり下ろしたマスコミだが、こういう本物の売国奴は叩かない。
それも恐ろしい。

アニメは日本文化を救えるか 第6回 アニメと神社

アニメは日本文化を救えるか 
第6回 アニメと神社

最初に弁明。
日本のアニメには結構「神社」が描かれることが多いということと、それらが動画サイトを通じて中国や韓国で流され多くの人々が見ているということ、これに合わせて「日本植民地時代に中国や韓国で建立された神社の行方」や「日本の国家神道」など、ここでまとめて書いてみようと思いました。しかし、これがなかなか上手くいきません。
なので、さわりだけをちょっとまとめておくだけにします。

さて、まず、http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0513&f=national_0513_004.shtmlの記事から

【韓国ブログ】韓国人の嘆き「神社で反日感情に気づいた」
世界的不況と言われる世の中、それでも日常からしばらく脱出できる旅行は相変わらず人気で、ゴールデンウィークに韓国を訪れた日本人観光客は10万人前後だったという。韓国人にとっても日本旅行の人気は衰えない。
  韓国では、自身の旅行体験を写真とともにブログに載せるネットユーザも多い。多くのブログには「清潔・静粛・整理・整頓」などの見た目や「最高のサービス・勤勉な国民性・すぐれた先進文化」等々短期滞在でも感じられる日本の良さが綴られている。それに、様々な媒体と想像で重ねてきた日本に対する印象が、実際訪日してから変わったというユーザーの声も多い。
 そんな中で、自分の対日観を再認識し驚いたと語るブロガーもいる。ハンドルネーム・ハチュウォンというブロガーは「最近はどこの国に行ってもいつもその土地の風習に沿って香を焚いたり賽銭を入れたりしてお願いことをするが、何故か日本の神社では素直にできない。罪悪感というか・・・」と感想を綴っている。
 さらに、「自称オープンマインドで生きてきたつもりだった。国内のWBCでの過剰反応やキム・ヨナVS浅田真央の過激な報道を見ながら、すべて反日教育のもたらした結果だと批判的だった。しかし、こんな私に反日感情が潜んでいたとは驚きだ」と反嘆きになっている。
 近くて遠い韓国と日本、さまざまな問題を抱えているが、このブロガーのように素直な韓国人がいることは喜ばしいものである。(編集担当:金志秀)

韓国・朝鮮人にとって「神社」は、日本を象徴するものであり、日本による植民地時代の嫌な思い出となっている。また反日教育もあって反射的に敵対意識をむき出しにしてくる。
だから、日本敗戦後、中国・朝鮮にあった神社は徹底的に破却された。
産経新聞 平成21年5月17日「【週刊韓(カラ)から】ソウルの「神社跡」をめぐる」の記事から
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090517/kor0905171300000-n1.htm

日本統治時代、朝鮮半島にたくさんの神社が創建された。当時京城と呼ばれたソウル市内にも数多くの神社があり、古い地図を見ると朝鮮神宮、京城神社、乃木神社、稲荷(いなり)神社…と次々に見つかる。昭和20年、日本の敗戦を受け、ソウル市内にあった神社はすべて壊されたが、その遺物がわずかに残っている。ソウル市立大学国史学科の鄭在貞(チョン・ジェジョン)教授らの案内でソウル市内の神社跡をめぐった。
……
朝鮮神宮の祭神は、天照大神と明治天皇で、1925年(大正14年)に創建されたが、日本の敗戦により廃座。敗戦直後、汚されることを恐れた神主らが昇神祭を開き、拝殿の中にあった御幣などすべてを自分たちで手で燃やしたという。その後、地元住民らによって敗戦から1週間以内に建物も完全に破壊されたようだ。
……
階段を登り切るとまた広場が現れ、右手に伊藤博文を暗殺した安重根の記念館、左手にソウル科学教育館があった。この辺からさらに奥に入った所が朝鮮神宮の境内だったという。記念館辺りには社務所があったようだ。
……
1936年、神社規則の改定により「一邑面一神社主義」(村ごとに1つの神社をつくる政策)が打ち出され、朝鮮全土に国家神道の普及が図られることになった。翌年から大々的に神社参拝の強要が始まったとされる。それまでは朝鮮人への参拝は強制されていなかったが、その後年々朝鮮人の参拝が強化されたようだ。
……
 境内があった場所には、芝生が植えられ、牧師の祈念碑が建てられていた。周辺には、鳥居の台石や当時の石畳とみられるものも残っていた。また、神社への寄進者と思われる日本人名が彫られた石が逆さまになって使われている石段もあった。
 大正12(1923)年と記された句碑もグラウンド横に建てられている。この句碑は、グラウンド工事の際、土の中から出てきたという。
 祟義学園はもともと平壌にあったが、神社参拝を拒否したため廃校にされた。日本の敗戦後、京城神社があった場所をわざわざ選んで学校を再建したそうだ。
加藤神社は、加藤清正ゆかりの神社だった。加藤清正は、文禄の役で南大門から漢城(現・ソウル)に入城し、首都攻略の先陣を切ったとされる。神社があった場所はちょうど再開発の工事中で、神社は跡形も無くなっていた。
……

乃木神社の跡地には児童福祉施設が建ち、灯籠や石段に使われていた石材がテーブルやベンチになっていた。

ここまで徹底的に神社を破壊したのは、ここに深い憎悪を込めていたからに他ならならない。また神社が日本人の心の拠り所だと十分に知っていたからこそ、ここまで解体したのだ。
当サイトの神社関連の記事。
「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。
日本人はなぜ「神社」に行くのか!
「婚活」でも「縁結び」でも「パワースポット」でも何でもいい、とにかく日本人は「神社」に行くことに意味がある。
神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!
日本人にとって神社とは?  日本人度チェック付き

これらでも分かるように神社は日本人にとって切り離せないものである。

そして、韓国では日本文化を排除してきた。
愛知淑徳大学 の論文から、http://www2.aasa.ac.jp/faculty/tagen/thesis/2003/005263/

韓国では第二次世界大戦後、植民地時代の苦い、雪辱的な歴史から日本文化を排除し、政府はそれらの輸入を禁止してきた。1998年のソウルオリンピック前後から国内市場の開放を進められてきた韓国は、中国や旧ソ連など共産主義の国々の映画をも上映するようになった。しかし、日本の文化だけは韓国市場から締め出すことをしていた。
では、なぜ韓国政府は、日本大衆文化を禁止してきたのだろうか。一つ目に、歴史的な外交関係と、そしてそれが元となる韓国人の民族感情がある。1945年以前の日本の占領により形成されたこの民族感情は、朝鮮戦争で日本が取った徹底した第三者的な姿勢などを通じてより一層、強くなっていく。韓国人が、日本の大衆文化に触れることで戦争世代の人々が過去のイメージを取り戻してしまうのではないのか、日本への怒りを沸騰させてしまうのではないのかという恐れがあった。そして、日本文化の流入を防ぐことで、韓国人の民族アイデンティティを守ろうとする狙いがあったのである。戦後も、日韓の間の度重なる外交問題は、民族感情を大きく揺るがす。外交問題が日本大衆文化の開放計画に大きく影響を与えたものとして、 2000年の教科書問題や靖国問題による開放の中断は記憶に新しいことである。それ以前にも、90年代初めの従軍慰安婦の問題などを含め、幾多の問題が日本大衆文化の禁止政策に影響を与えてきた。

ほんの10数年前まで、韓国では日本文化はタブーだった。それが今では……。
さて、中国も韓国と同じように日本文化の流入を制限して、「日本文化による自国のアイデンティティの影響力」を今も警戒している。

「ドラえもん」もダメ…日本のアニメの放映禁止に
 中国政府は13日までに、日本など海外のアニメ番組をゴールデンタイムに放映することを9月1日から禁止する方針を決定し、全国のテレビ局に通知した。中国紙、北京青年報が13日に報じた。
 中国では日本のアニメ番組が圧倒的に人気を集めており「日本文化に若者が感化されてしまう」(国内ウェブサイト書き込み)と警戒感を示す声が高まっている。今回の措置はこうした懸念に応えるとともに、自国の「貧弱」(同紙)なアニメ産業を保護育成する狙いがあるとみられる。
 禁止方針を決めたのは中国国内の映画や放送を管理する国家ラジオ・映画・テレビ総局。同局の「アニメ番組の放送基準に関する通知」は、午後5時から同8時までの間は、海外アニメ番組の紹介なども禁じている。
 しかし、国産アニメは最も視聴率の高い番組でも「『ドラえもん』の4分の1」(同紙)にすぎず、テレビ局関係者から不満の声が上がっている。
 香港の人権団体、中国人権民主化運動ニュースセンターは13日、「中国の青少年に大きな影響を与えている日本アニメ文化の一掃を狙った措置だ」とする見解を発表した。同センターは、「中国で放映された海外アニメ番組のうち日本のアニメが92%を占めており、これを懸念する声が上がっていた」と指摘。さらに、今年3月の全国人民代表大会(全人代=国会)でも日本アニメ規制論が取り上げられたとしている。(共同)ZAKZAK 2006/08/14から

それが、いまでは、日本の文化(アニメ・マンガ・Jポップ・ファッション・ドラマ……)が、韓国、中国の若者に大きな影響を与えている。

そして、韓国・中国政府が、最も日本的であって禁止したいものであったはずの「神社」は、動画サイトを通じて今やバンバン流されている。それを彼の国の若者は見ているのだ。(上記の記事等を踏まえながら下記の画像を見ると面白い)
瀬戸の花嫁 神社
ギャクアニメの傑作「瀬戸の花嫁」から、神社の場面。(デートの場面) ハングル文字の字幕。
けいおん 神社
「けいおん!!」から、神社で合格祈願する憂と梓。中国語の字幕。

けいおん 神社 中国語字幕
同じく「けいおん!!」これも中国語字幕。

らきすた 神社で参拝
「らきすた」 神社で参拝
らきすた 神社で
「らきすた」神社のシーン。主要登場人物が巫女役。
いぬかみっ 巫女
人気アニメ「いぬかみっ」で描かれる巫女。
けいおん 神社 狛犬
「けいおん」で描かれた「神社と狛犬」(上記掲載の神社とは別の神社)
けいおん 鳥居
「けいおん」鳥居
かみちゅ 神社
神社が舞台の人気アニメ「かみちゅ」
かみちゅ 手水
同じく「かみちゅ」の手水。
らきすた 手水のつかいかた
「らきすた」の一場面で出てきた「手水のつかいかた」のカット。
韓国動画サイト かみちゅ
これは韓国動画サイトの「かみちゅ」
中国動画サイト かみちゅ
これは中国動画サイトの「かみちゅ」
上記のアニメはどれもが、中国・韓国においても人気アニメだというから、多くの人が見たでしょう。
(ちょっと探っただけでもこれだけ拾える。他にいくらでも見付けることができるでしょう。)

そして、これらに登場する「神社」が、とてもいいものとして描かれている。
先輩や姉が大学に合格するように祈願するとか、今年がいい年でありますようにと願うとか、恋人がデートの場所としたり(夏祭り)、屋台が出ていて楽しそうとか、あるいは悪い悪霊を退治するとか、巫女さんがかわいいとか……。
日本人はこれを見ても普通のことだと思うが、「神社」を知らない外国人が見たら、きっとあそこは「いい場所」(それこそ「パワースポット」)なのだと思うに違いない。
それを、本来なら中国人や韓国朝鮮人が忌み嫌うはずの神社が描かれたものでも、何の抵抗もなく熱中して見ているのだ。
ちょっと前まで、官民挙げて日本文化流入を恐れていた国がだ……。
憎き日本人の象徴である神社、我等の民族アイデンティティを傷つけた神社、と心に刻んでいた民族が、何を思ってこれらの「日本アニメ」を見ているのか、「神社」をどう思っているのか、一度中国人や韓国朝鮮人に聞いてみたいものだ。


さて、私のアニメの見方は他の人とは少し違うかもしれない。
どのように日本文化が描かれているかという点に注目しながら見ている。つまり、日本をあまりよく知らない外国人が初めて日本アニメを見たら、どう思うかという視点に立っているのだ。
そういった点で注視していくと、結構新しい発見がある。
例えを挙げてみる。
らきすた おみくじ
「らきすた」神社でおみくじを買うという場面。凶が「bad」で、大吉が「Very good」って、面白い。
それに宗教的場所で占い的なものが日本以外にあるのだろうか。
多分ないと思う。こういうのが「神社」の不思議だ。
らきすた 雑煮
「らきすた」新年でお雑煮を食うという場面。見にくいが英語字幕で「雑煮」の説明がある。
Zoni-soup:a broth eaten with rice cakes.New Years meal 成るほど。
この後、親子がコタツに入ってお茶を飲みながらテレビを見るというシーンがある、こういう何気ないシーンも実に日本的。
フルメタル・パニック ハリセン
「フルメタル・パニック」から。ボケた人にハリセンで突っ込みを入れるというシーン。「ハリセン」が外国人に分かるか疑問だが、これを見て「ここは笑うところだ」と理解すればいい。こういうのも実は日本独特なことで、独自性こそが文化なのだ。(ガラパゴス化の回を)
フルメタルパニック ずっこけ
「フルメタルパニック」から。ボケたので全員が倒れるという「吉本新喜劇」のような場面。
ギャクというのは、その国その民族によってかなり違う。笑いのルールが分かるというのが、その国を理解する近道かもしれない。そういった意味で見れば、こういう日本人が見ても何でもないようなシーンも、意味深いということだ。

フルメタルパニック 温泉
「フルメタルパニック」から。「日本人のバケーションには温泉がかかせません」というセリフがあって、みんなで温泉にいくという回。外国人は「なるほど日本人は温泉が好きだな」と納得するだろう。
実際、日本といえば「温泉」を思い浮かべる外国人は多く、温泉目的で日本に来る観光客は多い。
フルメタルパニック 座敷で刺身
「フルメタル・パニック」から。旅館で座敷にみんなで座って、ご飯を食べるという場面。そして「刺身が舟盛り!」。「木で作った舟のミニチュアに、頭を残した魚の切り身が!」なんともファンタステック!と思うかも。
けいおん 「日本人ならコメ食え!」
「けいおん」から。登場人物の一人(律)が叫びます。「日本人ならコメを食え!」と。
動画サイトには英語、スペイン語、中国語など字幕が付いたものがUPされているから、世界中の人がこれを見ます。そして、日本人はコメを食うことは特別なんだ、と思うことでしょう。
けいおん I am Japanese
同じく「けいおん」から。私はご飯が好きと答える理由に、「だって日本人ですから」と答える。「Of course I am Japanese」の字幕が!
けいおん ご飯とみそ汁
女子高生が片手で箸を持ち、もう一方の手で茶碗を持ってご飯を食べる。(ご飯が大盛り!)
そして、ちゃんとお味噌汁を両手(片方の手を添えて)で飲んでいる。
こういう箸と茶碗で食べるという「日本式食事スタイル」も外国人には新鮮に映るかもしれません。
こんな何気ないシーンが好き。

上記で示した何気ないアニメの一場面も、実は「日本文化」を伝えるということに役立っているのです。
この点は、このシリーズでしつこく言っているところ。
日本アニメを世界に広めていくことは、、実は、「日本ファン」「日本贔屓」を海外で増やしているということなのです。
文化=国家、民族。
文化を守ることが、国を守るのです。

さてさて、アニメやサブカルチャーが国の発展に大きく関わると気付いた国があります。
それが中国です。
http://www.infochina.jp/jp/2009/0412/1MMDAwMDAwMDk1Mw.html、
中国のコスプレ大会は国家事業である。5億5000万人が見るコスプレ中継などの記事から。

中国文化部によると「21世紀は『ソフト、コンテンツの時代』。魅力あるコンテンツは国境を越えて影響しあう時代」と証言している。
08年までに中国では450ヶ所以上の高等教育機関でアニメ関連の専門科が設立されたほか、アニメ関連企業は5400社以上、アニメ関係の各種教育機関は1300ヶ所以上ある。またアニメ産業が集積する園区(産業パーク)は中国全国で30を越え、国家級のアニメ産業基地は17ヶ所以上もある。中国政府は民間との協力を積極的に推進したことから、近年中国のアニメは数々の大きな成果を収めたという。また、国内のオリジナル・アニメ作品数も急増、その受け皿となる巨大な放送ネットワークも形成、サブカルチャーの一大産業へと成長しつつある。特にこの3年は急速に技術・制作体制が整い、国内において複数のヒット作品が生まれているといい、こうしたコンテンツの供給側が育ったことから受け入れる視聴者側・市場も急速に成長しているという。
コスプレ大会を開催するようになったのとちょうど同じ時期、中国政府は、中国国産動漫の振興を促すために全国のいくつかの拠点に「中国国家動画産業基地」を建設している。そう、中国は国を挙げて動漫に関するあらゆる産業に対し、一斉に肩入れを始めているのである。
 04年、テレビや映画を管理する国家広播電影電視総局(広電総局)が国産アニメのテレビ放映を60%以上とするなどの目標を掲げ、アニメ産業振興を打ち出す。これを受け、数万平方メートルの敷地を有する生産拠点「動漫産業基地」が全国17カ所に誕生。アニメ企業も5400社以上に急増した。06年、広電総局は外国アニメのゴールデンタイム放映を禁止。日本アニメを締め出した。

映画や音楽やポップカルチャーといったアメリカ文化を世界中に広めたことが米国の発展につながったように、中国は自国の発展拡張(膨張)の手段として「ソフトパワー」に目をつけました。
中国のソフトパワー戦略は「パンダからサブカルチャー」に移ったのです。

それにしても、この規模でやられたら、日本のアニメも力負けして呑み込まれるような気がしてなりません。
実際、いろいろ記事を見るとその傾向はすでにあるようです。
そのうち日本アニメも、中国や韓国にあった神社のように跡形もなく消し去られているようなことにならなければいいですが……。

それにしても日本は何か立ち遅れているような気がします。
「文化」や「科学」を軽視する政府(事業仕分けは最悪)やサブカル・アニメ・マンガに全く理解のない世の中、「アニメの殿堂は税金の無駄使いだ」と喧伝しまくったマスコミ……。
「ソフトパワー」を軽視し過ぎている。

うかうかしていると、領土やカネや技術のみならず、こういった文化面でもそのうち中国に呑み込まれる時がくる。
そう思えてなりませんが……。

そういう危機感は持っていてもいいと思う。


さてさて、「アニメは日本文化を救えるか」はこれで一応終了。
反応薄ですが、どうでしょうか?

またネタが溜まったら続きを書きます。



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消えた二十二巻

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