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これで中井洽が無事で済んだら、日本は終わりだ。

もう我慢がならない。
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101130/plc1011302110030-n1.htmから

11月29日の議会開設120年記念式典で、民主党の中井洽前国家公安委員長が、来賓の秋篠宮ご夫妻が天皇、皇后両陛下のご入場まで起立されたのを見て「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と不平を漏らしていたことが30日、分かった。自民党は「懲罰の対象になりうる著しく品を欠く発言だ」と問題視している。西岡武夫参院議長も事実関係を調査する意向を示した。

 複数の国会議員によると、秋篠宮ご夫妻は式典会場の参院本会議場に入られ、天皇、皇后両陛下のご入場まで約5分間起立して待たれた。国会議員も立っていたところ、中井氏は1分半ほどで「早く座れよ」などとぼやき始めた。それほど大声ではなかったが、議場は静まっており、周囲に響き渡ったという。

 みんなの党の桜内文城参院議員は30日にブログで「想像を絶することが起こった。これでは国会崩壊だ。1人の国民として今回の野次は決して許すことはできない」と批判した。

 中井氏は30日、産経新聞の取材に「『早く座らないとだれも座れないよ』と言ったかもしれないが、秋篠宮さまに向けて言うはずがない。副議長らに言った」と釈明した。

こんな言い訳が一般社会で通じるはずもない。まず、社会人としてどうなんだろう。最低限のマナーもない。
こんなことが会社であったら、本人のクビどころでは済まない、直属上司も監督責任が問われるような重大な問題だろう。
それにしても、こんな人物が国会議員を長きにわたって務め、政府の要職にあったというのだがら、世も末です。

問題の野次は、1:05あたり。また下コメにあるように、03:13 の辺りでも「長ぇよ!!」って言っているのが聞こえたとある。
よく聞くと、結構ほかにもいろいろ言っているような気がするが……。
一度、本格的な音声解析をして、徹底追及をしてほしい。

それにしても、この問題を取り上げているのが「産経新聞」「時事通信」だけだというのはどういうことだろうか。(30日夜の時点で)
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二十歳の三島由紀夫 その2

11月25日なので三島由紀夫の言葉を引いてみます。
師・清水文雄への手紙」(新潮社)から
恩師・清水文雄へ宛てた書簡

……それはさうと、昨今の政治状勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら気が狂ふだろうと、思はれます。偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、癌症状は着々進行し、失つたら二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思われてゐました。良人(おっと)といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のように。下品な比喩ですが、彼女はまだ若かつたから、日本の男が誰か一人立上がれば、彼女をもう一度女にしてやることができたのでした。しかし、口さきばかり巧い、彼女の財産を狙ふ男ばかり周囲にあらはれ、つひに誰一人、彼女を再び女にしてやる男が現はれることなく、彼女は年を取つてゆきます。彼女は老いてゆく、衰へてゆく、皺だらけになつてゆく、私にはとてもそれが見てゐられません。
このごろ外人に会うたびに、すぐ「日本はどうなつて行くのだ? 日本はなくなつてしまふではないか」と心配さうに訊かれます。日本人から同じことを訊かれたことはたえてありません。「これでいいぢやないか、結構ぢやないか、角を立てずに、まあまあ」さういふのが利口な大人のやることで、日本中が利口な大人になつてしまひました。
スウェーデンはロシアに敗れて百五十年、つひに国民精神の回復することなく、いやらしい、富んだ、文化的創造力の皆無な、偽善の国になりました。この間もベトナム残虐行為諮問会(ストックホルム)で、繃帯(包帯)をした汚いベトナム農民が証言台に立ち、犬をつれた、いい洋服の中年のスウェーデン人たちがこれを傾聴してゐる人がゐましたが、日本が歩みつつある道は、正に、「犬を連れた、いい洋服の中年男で、外国の反戦運動に手を貸す『良心的』な男」の道です。
どの社会分野にも、責任観念の旺盛な日本人はなくなり、デレッとし、ダラッとしてゐます。烈しい精神は時代おくれになり、このごろのサラリーマンは、ライスカレーさへ辛くて喰べられず、「お子様用ライスカレー」と注文するさうです。……」

日付が昭和45年11月17日になっていますので、この1週間ほど後に「あの事件」が起こるわけです。

三島由紀夫の書簡や対談や評論を読むと、激しい舌鋒と鋭い論説に吐胸を突かれたような衝撃を受けることがある。
そして、没後40年経つが、三島が主張していたことは、今や予言のようにことごとく当てはまっており、それに対して、日本の抱える問題(憲法改正、沖縄基地、中国・アメリカの関係などなど)は何一つ改善されていないということに、驚かされる。
三島がいま生きていたら、この日本の状況を何と嘆いただろうか。

三島由紀夫の父・平岡梓著「倅・三島由紀夫」(文春文庫)にこんな記事がありました。

(三島死後)……北京詣での日本政界界のお歴々が口を揃えて周恩来閣下に、「ミシマは消えてしまいました。したがって軍国主義の御懸念はなく、御安心ください」と揉み手でエヘラエヘラと御追従を並べ立てたからでしょう。ことにニヤニヤ笑いの美濃部知事が出かけていって二、三日して、急に周恩来が「ミシマはもう消えたそうだ」と発言したことを伝えて日本の新聞記事は印象的でした。かくて日本はついにかくなりき、の日本の歴史が作られなければ幸いです。

左翼や進歩派のみならず中国や朝鮮にも、三島という人物の存在自体が脅威だったというのが分かります。それにしても現政権の腰ぬけ外交を見ていると、いま日本に必要なのはこんな「口うるさい右派・保守」じゃないだろうか。(まあ「頭でっかちな左翼」もバランス的に必要ですが……)

では、三島は「日本」の未来を嘆いているばかりいるかというと、そうでもない。
実は、三島は日本の若者に希望を託している。
上記、平岡梓著「倅・三島由紀夫」から

公威はあるときわたしに、いつになく真顔で、
「今どきの若い人を、決して馬鹿にしてはいけませんよ。身なりや言葉遣いで判断するのはもっての外です。あとで臍を噛むことになりますよ。彼らは、おかあさんの想像しているような人間ではありません。僕の言っていることを、胸に刻み込んでおいてください。彼ら以外に、日本を守り、日本を立ち直せる実力のあるものは、どこにもいないのです。いったん国難が来たら、彼らはたちまち毅然として国を守り、毅然として敵に立ち向かい、ものの見事にこの日本を立ち直らせてくれますよ。おかあさん北ベトナムをご覧なさい。あの艱難を歯を食いしばって、あくまで耐え、国を支えているのは、他ならぬ彼ら若者なんですよ」
<中略>
ある晩、事件の年の春ころでしたか、倅は、茶の間で、「日本は変なことになりますよ。ある日突然米国は日本の頭ごなしに中国に接触しますよ、日本はその谷間の底から上を見上げて、わずかに話あいを盗み聞きできるにとどまるでしょう。わが友台湾はもはやたのむに足らずと、どこかに行ってしまうでしょう。日本は東洋の孤児となって、やがて人買い商人の商品に転落するのではないでしょうか。いまや日本の将来を託すに足るのは、実に十代の若者の他はないのです」と申しました。

三島は信じている。若者を。
何よりも、若いときに固めた信念が、己を突き動かすことを誰よりも三島はよく知っているから。
三島は20歳のとき、終戦を向かえた。
そのとき恩師・清水文雄に手紙を出している。(昭和20年8月16日)

……玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられたる使命なることを確信しました。気高く、美しく、優美に生き且つ書くことこそ神意であります。ただ黙して行ずるのみ。今後の重且つ大なる
時代のため、御奮闘切に祈り上げます。
 たわやめぶりを みがきにみがかむ 

「たわやめぶり」とは「ますらお・益荒男」のことで、りっぱな男、勇気のある強い男、武人。兵士という意味だ。
三島由紀夫が「日本文化」を守ることが日本の国や民族を守ることにつながるという考え(「文化防衛論」など)は、二十歳のときにすでに出来あがっていたのだ。それは他の書簡などを読むとよく分かる。
二十歳に作られた自身の強い信念が、晩年のあの言動につながっていく。
これは「日本」を思えばこそのことだ。

三島の予言はいま現実となっている。
ならば日本の若者が奮起するという予言も当たることになる。

ただ、喚起を促すといっても武器を持って立ち上がれと言っているのはない。
三島が第一に挙げたのは「自国の文化と歴史と伝統を守ることであり、その根本は皇室にある」ということだ。

若者よ! 三島の言葉を聴け!

握手の時に両ひざを折って敬意を示すことを「カーテシー」というそうだ。

天皇・皇后両陛下
平成22年11月14日 読売新聞 別刷りから「皇室ダイアリー」から。
以下その新聞記事。

天皇、皇后両陛下が1日、生物多様性条約の締約国会議(COP10)で来日したモナコの元首アルベール2世公(52)と、婚約者のシャーリーン・ウィットストックさん(32)を昼食に招いた。
両陛下は外国の元首や王族が非公式に来日した際に、求めに応じて御所で迎えられるが、婚約者と一緒というのが珍しかった。
モナコは世界第2の小国。11世紀に神聖ローマ帝国から一帯を授与され、保護領などを経て1861年に独立した。日本との外交関係は2006年からと新しい。
女優からレーニエ3世公の妃となり、「現代のシンデレラ」と言われたグレース・ケリー公妃はアルベール2世公の母。花や芸術を愛し、1982年に交通事故で亡くなった。
その子息は海洋資源の保護や文化育成に熱心な一方、ボブスレーで冬季五輪に5度出場したスポーツマンである。シャーリーンさんも南アフリカの元五輪水泳選手で、スポーツを通じて意気投合したという。
訪日はシャーリーンさんにとって事実上の外交デビューだった。両陛下の出迎えに緊張していたが、握手の時に両ひざを折って敬意を示す「カーテシー(跪礼・きれい)」は颯爽としていた。共に両陛下と会食ができたことを喜んでいたそうだ。
(編集委員 井上茂男)

いい写真です。これを見て、英国王室ダイアナ妃の写真を思い出してしまった。
天皇陛下とダイアナ妃

外国の要人が天皇・皇后両陛下にカーテシー(跪礼)している画像は検索してみると結構出てきす。
スペイン王太子妃スペイン王太子妃
天皇陛下メッテ=マリット ノルウェー王太子妃
タイの王族、ソムサワリー殿下タイの王族、ソムサワリー殿下

まあオバマ大統領が深ぶかとお辞儀した画像も有名ですが……。
過去記事

外国の要人たちは、日本の政治的トップ・総理大臣に対して、これほどの敬意を払ってくれないだろう。
中国の要人やアメリカの大統領などは、日本の首相がいくら会いたいといっても、適当にあしらうか、たとえ会ったとしても、昼食の合間の数十分であったり、廊下のロビーであったりする。
情けないことだが、これが現実だ。
だいたい、日本は20年で14人、ここ5年で6人も首相がコロコロ変わる国だ。毎年変わるのだから、名前さえ憶えていないかもしれない。こんな国、普通なら信用もされず相手にされないだろう。(日本人だって、菅や鳩山の顔を見て、あれが日本を代表する人物だとは誰も思わないだろう。)
それでも、取りあえずは、日本を「一流国」として扱ってくれる。
経済力があるのからか? アメリカの同盟国だから? 中国への対抗上か?
いや、それだけではないはずだ。

山本七平著「日本人とアメリカ人」(祥伝社、全集ライブラリーでは第13巻)の中から一節。
1975年に昭和天皇がご訪米された。そのときアメリカは天皇訪問になぜか熱狂したという。この取材で米国に行っていた山本七平がこの時の様子を書いている。(以下、抜粋)

なぜアメリカ人は、天皇に興奮するのか
……(天皇に対して)全員が不思議な好意と好感を示した。アメリカ人が使うエキサイトという言葉は非常に意味が広いと思うが、彼女たちは天皇に何かを感じ、何かの刺激をうけ、非常にエキサイトしているのは事実だった。
<中略>
(大使館前で天皇・皇后両陛下とすれ違った女性は、こう続けた)……「一番エキサイトしているのは私ではない。宣教師の娘さんで、沖縄で生まれ育った白人の女性が大使館に勤めているが、この人が、だれよりもエキサイトしている」と。
若い世代のこの反応は、私には不思議だった。
「アメリカ人はなぜ天皇に関心を示し興奮するのか」という質問を、顔を合わせたあらゆるアメリカ人に向かって発してみた。そしてそれへの答えは判で押したように同じであった。「王族といったものがアメリカにないからだ」と。この答えは、答えのようであって、答えになっていない。彼ら自身にも理解できない何かがあるのであろう。
<中略>
(「タイム誌」のシェクター氏との会話で)
「では」と私つづけた。「王族ならだれでもよいのか、王族に興奮しているのではあるが……」と氏は言い、それにつづく答えは、他の人と違っていた。
王族といっても、たとえばアラブの王様にはアメリカ人はもう何も感じない。彼らはすでに「アラビアン・ナイト」的な異国情緒(エキゾチズム)とは無関係な「石油成り金」「石油資本家」にすぎない。
「こうなってしまっては、たとえ王族でも、もうだれも興味も興奮も示さない」と。アメリカにおける石油成り金とか石油資本家という言葉には、一種の侮蔑を含んだ「悪(ワル)の意味があるらしい。確かに、もし天皇がワシントンで石油価格の交渉でもはじめたら、ひどい幻滅で、アメリカ国民のエキサイトなどは一瞬にして醒めてしまうであろう。
また国王(キング)という対象はまだあっても、彼らが皇帝(エンペラー)と呼ぶ対象は、この地球上でも天皇だけになってしまったことも、異常な興奮の一因かもしれない。

30年前に、自分らの国・アメリカと戦争した、その相手国の元首が来たのだから反日デモでも起こると思いきや、逆に米国民が大歓迎で熱狂していたというのだから、面白い。
こういう逸話を聞くと、「天皇陛下」がいかに貴重な存在であるかということがわかる。
歴史的・文化的・伝統的権威を持つ存在の大きさは、日本人よりも外国人の方が分かっているのではないだろうか。

だからこそ、海外の要人は日本の首相に合わずとも、天皇陛下との謁見を願うのだろう。
去年の中国・習近平の記事でも書いたが、日本の天皇陛下に会う事によって、中国国内・国際的に箔が付くというのを十分に知っている。過去記事「天皇陛下の政治利用は許せん! だが、一つ分かったことは、中国では天皇陛下に会わなければ国家主席になれないということだ。

こうしてみても、皇室の存在が、この外交という一面だけを取ってもてみても日本に大きな役割を担っていることがわかる。(まして、民主党の不甲斐ない外交が続いている中にあって、皇室外交はますますは重要になっている。)

なぜ国に権威が必要なのかは福沢諭吉の「帝室論」「尊王論」を読めばいい。過去記事 福沢諭吉「皇室論」「尊王論」を始める前に

天皇陛下の存在は核兵器に匹敵する外交的抑止力になり、皇室そのものが世界遺産にあたるほどの貴重な存在なのだ!


だから、マスコミ報道も、こうした皇室の御公務を報道すべきである。
週刊誌的な報道、「愛子さまが小学校で……」や「雅子さまが……」などといった皇室を貶めるような取り上げ方はやめていただきたいのだ。
過去記事

池上彰のテレビ番組の偏向放送が酷かった。

「【そうだったのか】池上彰とフジTVの捏造をわかり易く解説【Mrニュース】2010.9.28フジテレビで放送された教えてMr.ニュースがひどい内容だったので紹介してみました。」という動画サイトのサムネにつられて見てみた。


これはヒドイ。

麻生太郎元首相は在任時、ホテルのバーで贅沢して庶民感覚がない。それに比べて菅直人首相はラーメン屋に行ったから「庶民派」だといった内容だった。
この動画で検証しているように、菅首相も他の日は帝国ホテルとか高級料亭とかに行っているし、何よりも、鳩山由紀夫の方が贅沢三昧ではなかったのか?(しかも韓国俳優付きで)
なぜ、麻生太郎を貶めて、菅(民主党)を持ちあげるのか。
携帯の着メロを「君が代」にしている麻生太郎と「君が代」を歌わず「日の丸」を嫌悪する菅直人。
どちらが「日本国民」にいいのか、よく考えて放送しろ!
フジテレビって、一応はフジ・産経グールプだろ。(まあ、電通にでも魂抜かれたのか?過去記事「フジテレビの「日の丸」の扱い方はその時によって違うようだ。 」)
見ていて気持ち悪くなった。
バカを教育してやるといったバラエティー番組で、こんなことやられると、まともに信じて洗脳される人が多いんだろうな。
それにしてもカス芸人ってなんなのだろうか。麻生元首相を貶して、何がそんなに面白いのか。
中でも「ビビる大木」って。
「吉田松陰が好き」なんて事あるごとに言っているが、やめて欲しい。普段からのその言動、吉田松陰の精神を理解しているとは到底思えない。
歴史好きということを公言してタレントは結構多いが、なんかみんな表面的なんだよね。
しっかり日本の歴史と伝統と文化を愛し、守っていこうという人は少ない。
ほんとテレビタレント(コメンテーターも含む)っていうのは……。

過去記事でテレビ関連のもをまとめてみました。
またテレビ朝日で反日放送か!? 天皇陛下を天王陛下とテロップ
本当にいらない鳩山首相とテレビ朝日アナウンサー・吉澤一彦
最近の「歴史バラエティー番組」は変だ。 TBS番組へ猛抗議の件
「歴史の話なんて全部ウソ、司馬遼太郎の話もや」島田紳助の暴言に激怒
テレビアナって。 そんなに日本が嫌いなの?
宮嶋茂樹の意見に全面賛成。日テレの「サプライズ怒(ど)っとJAPAN」は腑抜けだった。
とか。

それにしても偏向報道が行われているというのが、よく分かる動画でした。


観光客のお買いものでも国民性っていうのがでるんですね~。

平成22年10月11日 日経流通新聞に「訪日客に売り込む秘訣」という記事があった。
『日本国内で外国人観光客の「消費パワー」の存在感が増している。アジアを中心に最近急増している訪日客の需要を取り込むことは国内の消費関連企業にとって大きな課題であり、ビジネスチャンスでもある。消費動向を探りながら、訪日客に外貨を落としてもらうための攻略法を国・地域別に探ってみた。』とあった。
それぞれの国民性が出ていて結構面白い記事だったので、書き起こしてみました。

以下、その記事。


韓国人観光客(ここは要約)
福島空港では韓国人観光客が多く詰め掛け(多くがゴルフツアー客)で、そのお土産として冷凍納豆がバカ売れしているというのだ。韓国人の健康志向が高まり、日本の健康食品に関心が向いているという。中でも「納豆」が売れ、商品には韓国語での表示のものが売られているという。

ロシア人観光客
ロシアの極東のウラジオストクと航空便で結ばれ、ロシア人観光客の玄関口の一つになっているのが富山県。ディスカウント店の富山県流通センター(富山市)には平日でもロシア人客の姿が目立つ。
売れ筋に一つは品質が安定した日本製の食品やインスタントコーヒーやカップラーメン、洗剤やトイレットペーパーなど箱単位で買い込む常連も多い。
「他人から頼まれたメモを片手に買う人が多い」(同社部長)
人形や皿、つぼ、掛け軸など日本らしさを強調した和雑貨も友人らへの土産用に数十個単位でまとめ買いする。ダイヤモンドの指輪や金のネックレスを好んで買うのは航空機で訪れる富裕層。最近も「百数十万円の指輪を現金で買っていった」と女性販売員。
一般のスーパーやホームセンターで買える商品もあるのにわざわざ同店を多くのロシア人が訪れるのはきめ細かなサービスだ。まとめ買いなどで客が持ち帰れない商品は、2000円で客が乗る船の停泊場所まで配送。家電などには保証書を出し、再来日時の持ち込み修理にも応じる。
簡単なロシア語での接客やロシア語・英語での店内表示はもちろん、米ドルでの支払いや両替にも対応。ロシア人客のハートをがっちりつかみ、常連からの口コミで新規客を増やしている。

インド人客
「午前中に来た客が迷いに迷って、結局購入を決断するのが夕方。そんなことも珍しくはないんですよ」。販売スタッフが23カ国語に対応する東京・秋葉原の総合免税店「ラオックス本店」の店員はインド人客の買い物についてこう話す。主力は中国人だが、インド人客も前年比10%前後伸びている。団体が多い中国人、個人単位で行動する欧米人と違って、インド人客は少人数グループで買いに来る客が多い。
1人に店員の説明をうのみにせず、複数の店員の話を聞き、他店をまわって比較する傾向があり、これが接客時間の長さにつながっているようだ。そんなインド人客を一言で言うならば「コストパフォーマンスを重視する合理主義者」
<中略>
接客は「あくまでビジネスライクに徹べきだ」 “情”では動かないという。「商品提案をする際に、日本人のように雑談をして相手のニーズを探って商品を提供するのはあまり有効ではない。対等な立場に立ち、商品の機能などを丁寧に説明していくのがいい」と強調している。



また各国のお土産の傾向という表も興味深い。
日経 各国の買い物状況


ワサビ味・地下足袋・招き猫…「和風」人気も根強く
年間約10万人の観光客が訪れ、その9割が外国人という京都ハンディクラフトセンター(京都市)では「買うものや買い方にお国柄が表れる」と分析する。伝統・文化・雑貨系と、国・地域によって売れ筋商品が分かれるが、共通するのは「日本らしさ」「和」へのこだわりが依然として強いという点だ。
各国の買い物指向(京都ハンディクラフトセンターから)

アメリカ 「雑食性」 忍者のコスチュームやレプリカの刀、すしマグネットなど雑貨っぽい土産物が好み。商品単価は3000円~4000円。基本的に派手なものが好き。

フランス 「文化系」 日本の伝統や文化への関心が高く。渋めの伝統工芸品を好む。単価は5000円~1万円。英訳したコミックやフィギュアも買う。弁当箱も人気。

イタリア・スペイン 「文化系」 フランス人に流行った物が売れる傾向。10年ほど前にフランス人に人気だった地下足袋を最近よく買う。コミックやフィギュアも好き。

ロシア 「高級品買い」 着物なら絹製、日本人形なら一番大きいもの、と何でも値段が高いものを選ぶ。支払いは現金のドル。京セラのセラミックナイフが今のブーム。

アジア 「小物買い」 1000円前後の紙細工やちりめんの小物、食品サンプルや消しゴムが人気。土産然としたものより、つめ切りなど普段使いの商品を好む。

オーストラリア 「エコ志向」 エコ意識が高くなっているのかプラスチックより木製の商品を好む。風呂敷が人気で、1000円ほどの唐草模様など伝統柄の商品をまとめ買いしていく人も。

欧州では、文化面においてフランスが一歩前を行っているようで、イタリア・スペインがそれに追随していくというのが面白いです。
こういうところにもお国柄というは出るものなんですね~。

「明治大学 国際日本学部」と「チベットのデモ」

平成22年10月17日 読売新聞の「大学進学特集2011 個性が光る大学」の中で紹介されたもの。

明治大学 国際日本学部 “日本文化 英語で語る”
真の「国際人」を育成する――。明治大学(東京都千代田区)が2008年に開設した国際日本学部は、そんな目標を掲げている。
力を入れるのは、幅広い日本文化に関する知識の習得と、「ツール」としての英語力の強化だ。自分が生まれた国を熟知し、それがグローバルな舞台で活躍する条件になるという考えだ。
「アニメ『機動戦士ガンダム』の特徴を述べよ」。9月下旬に行われた3年生の選択科目「アニメーション文化論」。宮本大人准教授(40)は学生約40人にそんな質問を投げかけた。
この授業の目標は、海外でクールジャパンと称賛される日本アニメについて、その歴史や多様な表現を学ぶこと。伝統文化だけでなく、こうしたポップカルチャーも学問としてとらえる。宮本准教授は、ガンダムについて、キャラクターの複雑な心理描写や、単純な「善悪二元論」ではなく現実を投影した世界観などの特徴を列挙した。
必死になってペンを走らせていた学生の一人が石塚稚菜さん(21)だ。高校時代に留学した先で、米国人の同級生から日本のアニメについて質問されたが、知識不足で何も答えられずに悔しい思いをした。そんな経験から、ポップカルチャーの奥深さを感じとろうという日々を送る。
石塚さんの夢はゲーム業界などでクリエイティブな仕事に就くこと。「アニメやゲームはれっきとした日本の文化。世界の人たちにその魅力を伝えたい」と話す。
宮本准教授は「先代の積み重ねでできたのが現代で、アニメはそれを知るための身近なツールである。過去をさかのぼる面白さを感じてほしい」と話す。
英語教育も、国際日本学部では徹底している。
1年目は、平均的な大学と比べて4倍の時間を英語の習得にかける。大きな特徴の一つが授業の空き時間などを利用する「オフィスアワー」だ。11人のネイティブスピーカーの講師たちに学生が授業での疑問点について質問したり、学習方法の助言を求めたりする。講師1人あたり学生3~15人という少人数制で、学生たちは生きた英会話の力を磨くことができる。
〈中略〉
世界中を歩いたジャーナリストで、同学部長の蟹瀬誠一さん(60)は「国際社会で尊敬されるのは、母国の文化を心から誇りをもって語ることができる人。そんな人材を育てたい」と話している。

「アニメ」を「日本文化」として捉え、教えることはとてもいいことだと思います。
大学でこういうことを学べる学生というのは、かなり「しあわせな人たち」だと、私は思う。
この学部の掲げる方針「母国の文化を心から誇りをもって語ることができる人材の育成」に邁進してもらいたいものです。

さて、ここに出てくる、英語教育だが、英語を「ツール」「道具」として使うことについては、何の異論もない。
「ビジネスとしての英語」「コミュニュケーションの手段としての英語」「学問・知識を得るの英語」「洋楽・映画を楽しむための英語」……これらに何の文句はない。
「自国の文化は自国の言語にある」、ここをきちんと踏まえ、日本の文化・言葉を基盤に置くことが重要である、ここを理解していればいい、と思う。(過去記事「英語が世界共通語になったとき、逆に世界の人々の民族意識は強まる……そんな気がする。)

ただ問題なのは、「世界では英語を話す人口が多いので、英語が一番だといった英語第一主義」とか「金儲けのために母国語を捨て英語を優先させるといった経済至上主義」とかいった考え方で、母国語を蔑ろにする考え方にはには猛反発したくなるのだ。
この考えでいけば、もし中国が経済のトップになれば「中国語」を第一としなければならなくなるし、東アジア共同体的思考が高まれば、人口13億人の中国語が日本語を押しのけて「標準語」になることは分かり切っている。
そのときこそ「日本文化」は漢民族の文化に呑みこまれてしまうだろう。(「もうすでに中国の属国化は始まっている」って現官房長官が言うくらいだから)
こういった「世界共通語」的発想は、いつしか自国の文化を衰退させる要因になるのだ。
言語を失えば文化も失う。そして国も民族も滅びることになる。

ここでチベットに関する新聞記事を3つ転載してみた。

ダライ・ラマ「中国は寛容さ失っている」 広島で会見
来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は15日、広島で記者会見を開き、中国の青海省や北京などで中国語による教育の強制に反発して、チベット人学生らが抗議デモを行った背景に「チベットで文化虐殺が起きている。中国は国粋主義に凝り固まっており、寛容さを失っている」と批判した。

 ダライ・ラマは、チベット自治区のラサで住民の多数派になった漢民族が各種の店舗オーナーになったことから、中国語ができないチベット族の働き口がない現状を紹介。中国当局がチベット大学などで教科書をチベット語から中国語に書き換えたことなどにも触れ、「中国は、チベット語を追いやっている」と非難した。大学生らのデモ行進に関しては「彼らが自分たちが置かれた文化的な現状がひどいと思うことは当然だ」と同情を寄せた。
2010年11月15日 朝日新聞


中国でチベット族のデモも拡大 中国語教育の強制に反発
 【北京=川越一】反日デモが続く中国で、少数民族による政府への抗議デモも広がりをみせている。中国語による授業を義務づける教育改革に対しチベット族が反発し、青海省チベット族居住区で火がついた学生による抗議行動が首都北京にも飛び火した。民族同化をもくろむ当局のいき過ぎた教育改革が、漢族への不信感を増幅させている。

 チベット独立を支援する国際団体「自由チベット」(本部・ロンドン)によると、青海省黄南チベット族自治州同仁県で19日、民族学校の高校生ら5000人以上がデモ行進し、「民族、言語の平等」を訴えた。20日には同省海南チベット族自治州共和県で学生が街頭に繰り出し、「チベット語を使う自由」を要求。22日には、北京の中央民族大学でも学生がデモを敢行した。
 英BBCによると、24日には黄南チベット族自治州尖扎県で民族学校の生徒に教師も加勢し、総勢1000人以上が教育改革の撤回を求めてデモを強行、治安部隊が出動する事態に発展した。
 発端は9月下旬、青海省が省内の民族学校に、チベット語と英語以外の全教科で中国語(標準語)による授業を行うよう通達したことだった。教科書も中国語で表記する徹底ぶりで、小学校も対象という。
当局の中国語教育の強化の背景には、中国語が話せないため職に就けないチベット族が少なくないという現状がある。就職難はチベット族と漢族の格差をさらに広げ、それがチベット族の当局に対する不満につながっているのも事実だ。
 しかし、2008年3月、チベット自治区ラサで発生したチベット仏教の僧侶らによる大規模騒乱が示すように、中央政府のチベット政策に対するチベット族の不満、漢族に向けられる嫌悪感は根強い。
 今回の教育改革も、チベット族学生の目には「漢族文化の押しつけ」「民族同化の強要」と映っているようだ。「自由チベット」は中国当局がチベット語の“抹殺”を図っていると主張している。
 同省共産党委員会の強衛書記は21日、黄南チベット族自治州で学生代表と座談会を開き、「学生たちの願いは十分尊重する」と約束した。中国当局が反日デモ同様、教育改革に対するチベット族の抗議デモが、体制批判に転じることについて懸念している状況をうかがわせる。2010.10.24 産経新聞

チベット族小学生もデモ=中国語使用の強制問題
 【香港時事】中国西部の甘粛省で26、27の両日、チベット族の授業で中国語使用を強制する青海省の政策に対し、小学生が抗議デモを行った。ノルウェーの人権団体などが運営するラジオ「チベットの声」が28日、伝えた。
 デモが起きたのは青海省に接する甘粛省甘南チベット族自治州の夏河県。26日に約100人の小学生、27日には小学生と教師合わせて200人以上が「母語(チベット語)使用を擁護しよう」と叫びながら、役場の前などを行進した。
 27日のデモには1000人以上の住民が声援を送った。甘粛省では中国語を強制する政策は行われていないが、同じチベット族として青海省の政策に反発の声が強まっているとみられる。(2010/10/28-16:17)

チベットの問題は世界で注目され、日本においてもその動向は報道されている。

では、チベットというアジアの小国が、なぜ世界中に知られ、いまある現状に対して世界から同情が向くのだろうか。
答えは簡単である。
チベットが仏教を中心とした高い文化を持った国だということが、世界中に広まっているからだ。
それは「ダライ・ラマ」の存在もあるだろう。
そして、チベットが高い文化を持った民族だ、と伝えるものがあったからである。
例えば、
セブン・イヤーズ・イン・チベットブラッド=ピット主演映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」
リトル・ブッタ
キアヌ=リーブス主演、 ベルナルド=ベルトリッチ監督「リトル・ブッタ」
などなど、チベットを舞台にした映画はたくさん作られ、それを世界中の人々が見たことになる。
(他の映画はhttp://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/video.htmlにまとまってました)
そして、その国が中国という大国によって抑圧され民族も滅んでしまう危機にあると知ったのだ。

大切なのは「文化」であり、それを世界に広めることにある。
国・民族を守る最終的な砦は、武力でも経済力でもなく「文化力」なのだ。

こういうことが日本でも起こらないとも限らない。
そのために必要なことは「日本文化」を世界に広めること。
過去記事「アニメは日本文化を救えるか」シリーズはそういうことが言いたかったのです。

だから「明治大学 国際日本学部」のように日本文化を理解し、それを外国に向かって発信できる人材を育成するという教育方針はとてもいいことなのだ。 

守るべきは文化、やはりここに行きつく。

自国を守るものは、軍事力と経済力、そして文化力。

「たかじんのそこまで言って委員会」を見ていたら、宮崎哲弥が、「武力に及ばない外交交渉や政治交渉というのは、戦争に及ばない武力に依存している、各国はこの原理原則に従っている。」と言って会場内で拍手喝さいを浴びていた。
結構分かりにくい表現なのに、スタジオ観客者は本当にこの本意を咄嗟に理解できたのだろうか。
検索すると、この意味するところが分からず質問していたものがいくつかあった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1149987146「ヤフー知恵袋」から。
ここでは、「外交交渉や、政治交渉は、武力を使ってするものではない。口でするものだ。しかし、その外交交渉や、政治交渉というのは、戦争をするための武力、つまり持っている兵器や兵士の質と量に左右される」というものが回答で出いて、これは分かりやすかった。

さて、私はこれを聞いて、ちょっと前に新聞コラムで読んだ「アンソニー・イーデン」の話を思い出した。
記事は以下のもの。
平成22年10月9日付け 読売新聞コラム「五郎ワールド」橋本五郎 日本外交を考える~イーデンの栄光と挫折~
(以下、全文。太字がその部分。)

1977年1月14日、英元首相アンソニー・イーデンは79歳の生涯を閉じた。その日、エリザベス女王は妻クラリッセに心からの弔意を贈った。
「彼は歴史の中で、とりわけ傑出した外交指導者として、勇気と高潔さを有した人物として記憶されることでしょう」
晩年のイーデンは温暖な米フロリダ州で過ごしていたが、肝臓癌で死期が迫っていた。それをイーデンと同じ保守党の下院議員マーガレット・サッチャーから聞いた労働党のキャラハン首相は、英国空軍機をマイアミに飛ばしイーデンが自国で死を迎えられるよう手を尽くした。
イーデンは4人に国王の下で外相を務め、2度の世界大戦と冷戦、朝鮮戦争、インドシナ戦争、スエズ戦争、に深く関与、外交交渉に臨んだ。ヒトラーやスターリンなどの独裁者と会談、チャーチルとルーズベルトを仲介し、アイゼンハワー、フルシュチョフと首脳会談を行った。
「世界政治の舞台でイギリス外交の最後の輝きを示した」。後世の歴史家はそう評価した。
イーデンは『回顧録』(みすず書房)でこう書いた。
「私の世界は戦争にはじまった。それは戦争とその準備や余波のために費やされてきた。このため、第二次大戦の国際秩序をつくり出すためにはこれこれのことができる、という私の自信は、経験によって強く支えられたものとなった。」

尖閣諸島での中国漁船衝突事件をめぐって露わになった日本外交の弱点、「外交不在」を目の当りにし、日本外交はどうあるべきかをイーデンを手掛かりに考えてみたい。
幸い、私たちの前には細谷雄一著『外交による平和」(有斐閣)という、これ以上望むべくもない一書がある。この書をもとに「イーデン外交」の神髄をたどろうと思う。
イーデンは、十分な軍事力を背後に持ち、「力にもとづいた交渉」を通じて「外交による平和」を確立することを求めた。
平和のためにあらゆるものを犠牲にするような卑屈な妥協的態度も、外交による平和の可能性を無視して戦争を求めるような態度も受け入れがたいものだった。その中庸にイーデンの求める平和があった。


困難な問題を外交的に解決するためには、毅然たる態度で交渉に臨みながら、同時に偏見や憎悪を排して柔軟に合意を求める姿勢が必要となる。力と外交の巧みな組み合わせこそが求められるのである。
イーデンは保守党の指導者として、党利党略のため労働党政権を非難するような稚拙な行動はしなかった。1945年7月、チャーチル保守党政権からアトリー労働党政権に代わった。イーデンは外相としての自らの後任に、アーネスト・ベヴィンを強く推薦した。野党議員が後継を推すのも珍しいが、確固たる姿勢でベヴィン外相を擁護し、その政策を支持した。
ベヴィンについては、以前取り上げたことがある。『範は歴史にあり』(藤原書店)に収録されている。ベヴィンほどの能力がなければ、戦後の困難な状況を切り抜けることは不可能だとイーデンは思ったのだ。
しかし、イーデンにも大きな限界があった。1956年のスエズ戦争の処理に失敗し、失意のうちに病気で首相の座を降りざるを得なかった。そこには人間としての弱さもあった。
首相になった政治家としては珍しく権謀術数において著しく劣っていた。煙草も吸わず、友人と酒を飲むこともせず、華やかな舞台も好きではなかった。内向的な性格で、熱心に新聞の政治記事を読み、自らに対する痛烈な批判を神経質に受け止め、神経をすり減らしていった。

政治指導者に求められる資質は外交指導者と同じではない。政治指導者には、国民を動かし議員たちを説得し、世界の世論を魅了する能力が不可欠だ。
「チャーチルは個別の政策で無数の誤謬を犯してきた一方で、政治指導者としての能力においては群を抜いていた」。細谷氏はそう対比する。
翻って、尖閣に対する菅政権の対応を考えてみよう。力を背景に海洋進出するという中国の確信犯的な出方に対し、何を軸に、どんな戦略で臨もうとしているのか。司令塔は誰なのか。ほとんど見えない。
中国人船長の釈放にあたって政治介入があったかどうかが議論になっているが、国益に直結する大問題を一地方検察庁に任せるのではなく、政治の責任において決すべきだったのだ。
首相が繰り返し言う。「領土問題は存在しない」にも問題がある。尖閣が日本の領土であることは異論を差し挟む余地がないのに、領土問題の存在を認めれば、中国側の土俵に乗ってしまうということなのだろう。
しかし、「領土問題は存在しない」は、北方領土についてロシアが、ソ連時代から言い続けてきたセリフだ。何よりも「存在しない」ということで、体を張ってでも守ろうという気概と、あらゆる機会をとらえて国際的にも訴えていくという積極果敢な行動が希薄になる。
「日米同盟」という確固たる後ろ盾とともに、経済力も動員した、しなやかな「外交」が今こそ求められるのである。


本はこれ、細谷雄一著「外交による平和―アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治」
外交による平和
宮崎哲弥や橋本五郎が引用した言葉を簡単に言ってしまえば、国防力を高め、それを外交に生かして国際的に優位に立つ、それが戦争をしないことにつながる、といったところだろう。
オバマ大統領のノーベル平和賞受賞スピーチにこんな一節がある。
「平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっている。平和には責任が不可欠だ。平和には犠牲が伴う。」
平和を維持する上で、現実的に「何が必要なのか」を考えるべき時に来ている。(憲法9条的発想で日本の平和は守れるのか。9条論者は日本でこれを訴えるよりも中国へ行ってその思いの丈を叫べばいい。きっと嘲笑されるか、いいカモ来たと思われるだけだろう)

日本で国防と言うと、やれ「軍国主義だ」「交戦的右翼だ」と声高に騒ぎだす人々がいる。
「平和主義」は、なにも左翼や平和ボケ9条バカだけのものではない。保守の中にこそ「平和主義」があると思う。(他国から侵略・侵入されないように自国を守ること、これによって「平和」が保たれている。これは何も武力による侵略だけではないのだ。精神的・文化的侵略からも守ること、これも重要で、これによって「自国の独立」が保たれるのだ。保守の本質はそこにあると思う。ただし余所から入ってくるものをすべて排他的に拒絶することとは、全く意味が違うことも付け加えておく。)
昔から、日本の偉人たちは「自国の防衛」を常に考えてきた。聖徳太子だって、北条時宗だって、吉田松陰だってそうだ。私の尊崇する新井白石も福沢諭吉も三島由紀夫もそうだろう。(ここで自国の文化力を上げることが防衛力を上げることになる、という話になるのだが、これは別の記事で。)
どうすれば、日本を守れるかをだ。
実際、いまの日本の周りに友好国なんてものはない。(そう思った方がいい)
中国とロシアは領土問題で手を組んで日本の領土に侵入し、頼みのアメリカは日本の民主党政権の反米政策でそっぽを向き、韓国は相変わらず反日感情を弱めることなく、問題が起こればその度に「日の丸」を焼く、オーストラリアは捕鯨・イルカ漁で日本バッシングし、東南アジア諸国は中国漁船衝突事件で日本の対応に呆れ返り、北朝鮮は日本にいつテポドンを撃ち込んでくるかわからない……。世界地図で環太平洋を眺めてみれば、まさに日本は四面楚歌の状況にある。反日勢力に囲まれて孤立無援の中にいるようなものだ。(友好・親善といったって、結局は経済・カネだけの結びつきしかない。それでもまだ日本に「東アジア共同体」って唱えている人がいるのだから驚いてしまうが。)
さらに、経済力も影響力も弱まり、政治も外交も存在しないような状態で、領土もカネも奪われていく日本
四方を敵に囲まれ、自身のみで生き残ることのできない国は、どこかと手を結ばなければ自国は守れない。

橋本五郎はここで「日米同盟」という確固たる後ろ盾を利用しろと説いている。
憲法上、自国で武力を持てないことになっている以上、そうするほかにないだろう。(ここを嘆かわしく思う人も多いだろう)
当ブログではかつて、こんな日米同盟を「織田信長政権内の徳川家康の同盟状態」に似ていることを書いた。
sengoku38氏は“せんごく”の意味を「仙谷官房長官でもあるし、戦国時代の戦国 かもしれない。日本を取り囲む状況は戦国時代さながら、そういう意味にもとれる。」といったそうだ。
まさしくその通りで、今の日本は「列強に囲まれた小国」そんな戦国時代の状況に似ている。
強大な力を持つ織田信長と同盟を結んでいた徳川家康が、この同盟をないがしろにしてその後ろ盾がなくなれば、たちまち自国の領土を周辺諸国が奪いに来る。尖閣諸島の中国や北方領土のロシアはまさしく領土拡張を狙う戦国武将そのものだ。そして、徳川氏(日本)は、織田氏(アメリカ)と手を切って、武田氏(中国)と組むのか、また武田氏をけん制して北条氏(インド)と手を結ぶのか、あるいは遠方の上杉氏(欧州)を頼るのか、そんな選択を迫られていのかもしれない。そんなことを分かりやすく例えながら、今の日本は「戦国時代」と同じ状況になりつつあるという危機感を持っていかなければならない。(しかし……戦後の日本人は「平和ボケ」しすぎ)

武力が、中国への抑止力になるなら、また外交交渉に有利となるなら、それもまた必要となるだろう。(福沢諭吉が生きていたら国益を考え「核保有もやむなし」と言っただろう)
しかし、それも「セコムのシール」(防犯用に玄関に貼ってあるやつ)くらいの役割しかならないかもしれないが、自国に有利に働くなら必要となる。

だが本当に自国を守るためには「武力・軍事力」だけでは不十分なのだ。
国を守るには3つの力が必要で、それが「軍事力と経済力と文化力」だ。
これからの時代は、武力を持って他国を攻め込むというのはなかなか出来ないことだと思う。
違う形の戦争、武力を背景にした文化力(ソフトパワー)の侵略が始まるのではないか、そう予測される。

だから私は必要以上に「日本文化」を広めることを説いているのである。(「アニメは日本文化を救えるか」シリーズの趣旨はここにある。)
かつてアメリカが豊富な経済力と強大な軍事力を背景にして、米国文化を広め、自国の繁栄を築いたように、いまこれを中国が真似ようとしている。
だから、120%の同化力を持つ中国に呑みこまれないために、日本がすべきことは自国の「文化・歴史・伝統」を守り、これを世界に広めることにある。
そのために必要ならば、軍備を強め、経済力を高め必要がある。(「文化」を第一とする。)
この3点は欠けてはならないものなのである。

どうも結局、私の行きつくところは、三島由紀夫の「文化防衛論」や「栄誉の絆でつなげ菊と刀」になってしまう。

追記 宮崎哲弥に橋本五郎、この流れは昔書いた「メッテルニヒとオバマ大統領」と同じだった。

「やむにやまれぬ大和魂」 sengoku 38は現代の吉田松陰だ。そして「日本の中国への属国化は今に始まったことではない」という官房長官。

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」吉田松陰

吉田松陰の安政元年(一八五四)、わずか二十五歳の時の歌である。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。同年三月、伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込んで渡米せんとする計画が失敗して捕らえられ、江戸へ護送される途中の四月十五日に、高輪泉岳寺前を通過した時、赤穂義士に手向けた歌である。
 松陰が國法に触れることは分かっていても、國家を思うやむにやまれぬ思いで米艦に乗ろうとしたことと、赤穂義士が、吉良上野之助義央を討てば、自分たちも死を賜ることは分かっていたが、やむにやまれぬ思いで吉良を討ったこととは相似であり、それが「大和魂」なのである。松陰は赤穂義士に心底から共感したのである。

(四宮正貴の「やまとうたのこころ」から)
吉田松陰は、外国からの脅威に対して日本をどう守るべきかを考え、行動を起こした。
それがたとえ現体制に反抗する無謀な行為であっても、「日本」という国が危機的状況を向かえているのであれば、義憤を持って立ち上がることが当然であるという考えであった。それは「大和魂」を持つ日本人として抑えることのできない感情であった。こういった思想は彼の心の師であった高山彦九郎も強くもっていた。(吉田松陰については過去記事で)

さて、尖閣諸島沖の衝突映像流出事件で、海上保安庁の43歳の男性職員が自分でやったことを名乗り出た。
『映像は元々国民が知るべきものだ。国民の倫理に反するなら甘んじて罰を受ける』と語ったそうだ。
まさに「やむにやまれぬ大和魂」とはこのことだろう。
ここに共感した日本人の多くは、この感情に感応したのではないか。

そんな中にあって「大和魂」のかけらもない日本人が日本国内に多くいる。
特に、仙谷由人官房長官、あなたには驚かされることばかりだ。
相変わらず中国には敬語を使い、「映像を故意に流した人を英雄扱いするな」「機密漏えい厳罰化する」とか言うと思えば、自分等の責任は棚に上げて、最初は「沖縄地検」の所為にし、今度は「海上保安庁長官」の所為にする……。
そしてこんな記事が。

18日の参院決算委員会で自民党の丸山和也氏は、事件で逮捕した船長の釈放には、来月横浜で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)に影響することへの懸念があったとし、釈放直後に仙谷官房長官と電話で話した内容を“暴露”。
 「判決まで拘置して強制送還すべきだった」と訴えると、仙谷氏は「APECが吹き飛んでしまう」と答え、「日本が中国の属国になる」との懸念を伝えると、「属国化は今に始まったことではない」と応じたという。
 仙谷氏は答弁で「健忘症にかかったか、今暴露された会話の記憶は全くない」と否定。18日夕の記者会見では「何らかのことを友人関係で話したとすれば、国会で質問されるのは不本意だ」と不快感を示した。
(2010年10月18日 読売新聞)

「中国への属国化は今に始まったことではない」とは恐ろしい。これは「たかじんのそこまで言って委員会」の10年11月07日放送分でもありました。

現役の日本の官房長官が言うのだから、そのうち日本は中国の属国になってしまうのだろう……。

そして、マスコミの中にも仙谷のような思考を持つ人が「日本側」のつもりでいて、平気で「反日思想」を振りまいているから注意しなければならない。
中でも「崔洋一」の発言にはうんざりする。
この件に関しても、情報漏えいだ、情報管理体制が甘いだの言いつつ、sengoku 38氏が持ち上げられるのがどうも気に食わないらしく、毒を吐いていた。
なぜこんな「反日思想」を振りまく人が堂々とテレビで解説しているのか。なぜ彼のような思想の人物をわざわざ引っ張ってきて解説者とするのか。

こういうマスコミの現状を見ても「日本の属国化」は始まっているのだろう。

大和魂
やはり最後の砦はここしかないのか……。

正田文右衛門さんはなかなかの人物であった。

図書館で郷土資料「館林人物誌」(昭和15年 福田啓作、寺島錬二編)を見ていたら「正田文右衛門」の小伝が載っていた。これを読むとかなりの「人物」だというのが分かった。
この正田文右衛門(3代目)は、美智子皇后陛下の祖先にあたる方である。
正田家家系図

当ブログでは、「美智子皇后陛下は新田一族の末裔であるから、この国を、皇室を守っている!」シリーズその1その2その3その4と4回に分けて詳しく書いてあります。
その正田文右衛門が「館林人物誌」によると、「徳の高い好人物」として興味深い逸話の数々が綴られていた。これが昭和15年編とあるので、別に正田家から皇室に入った方がいるから提灯記事を書いたというわけではない。つまりは、「正田家」が江戸時代から地元の名士であったことは間違いなく、あらぬ噂など全く根拠のないことだというのがこういうところでもわかる。

では、その部分を抜いてみます。
(旧カナづかい、「勵・・黨」などといった難しい漢字は、現代の表記に直してあります。また意味が分かりづらいところは、文意が変わらない程度に表現を変えてあります。)

正田文右衛門、幼名を藤十郎と称し、文政元年七月二日を以て館林に生まれる。
家督を継ぐに及び先代文右衛門を襲名し、隠居後更に文七と改める。祖父の業を継ぎ米穀商を営み、その傍らで質屋も家業とした。
十七歳のころより盛んに販路を江戸へ拡張し、常に高瀬舟数十隻を利根川・渡良瀬川の両川に浮かべ、大量取引に使った。とくに東国での大麦の評判は高く、「本館麦」として世間にその名が広まった。(これは「本場館林麦」の略語だ)
また、海路遠く大阪までその影響力が及んで、当時、道頓堀において「上州米文」の名でよく相場の変動が左右された。また、中央商人と地方商人とのために為替業を営みその取引を円滑にした。
明治維新に至り、世の中の変革を見て、明治六年に米穀業を廃して醤油業を始めた。それ以来生業を堅実に努め、今日の正田醤油株式会社の基礎を作った。平素から勤勉倹約であり、東京・京都へ行くにも絹布をまとわない。父母にも孝行を尽くし、母が目の病を患ったときは、端午の節句で来客が多いときであったが、上州藤岡に名医がいると聞けば、徹夜して母を連れて行って治療させ、失明の難を逃れたこともあった。
また慈善の心にも富み、凶年天災にあたっては窮民に対して私財を投げ打って救済したことは一度や二度のことではない。ことに、安政の大地震のときは、倉庫にあった米穀を舟に満載させ、急遽、江戸に向かって被災民を救った。
かつて次男作次郎は目の病気を患っていた。当時外国人の名医が横浜にいるというのを聞き、住居を横浜の野毛山に移し治療を受けた。これに米人ヘボン博士は深く感ずる所があって、眼病の秘薬を授けた。文右衛門はその効き目に驚き、他の人にもこの薬を分け与えた。それが「米屋精水」として遠近に伝わる。
業務の余暇として、将棋をたしなんだ。二八歳のときに二段になるほどの腕前だった。しかし業務の妨害になるのを恐れて、これをやめてしまった。あるとき、江戸往復の舟中で、賭け将棋をする者がいた。一人が策謀を弄して(インチキ)、カモ相手にたちまち五十両を巻きあげてしまった。これを見ていた文右衛門は傍観しているのに忍びず、絶っていた将棋でこの男と戦って、たちまちこの金を取り戻してしまった。その金をすべて負けていた男へ返し、このイカサマをした男にはいくらかの金を与え、「そんなことではいけない」と将来のことを考えるように諭したという。
その他にも善行や美事はたくさんあった。
明治二十八年三月二十六日、病で没した。七十八歳。石町、常光寺に葬る。遺言により山積する流質物を質入主に無償で返した。郷党(村の人々)はこれを「人徳」だと言った。

備考 
1、石町常光寺の文右衛門の墓石に、蘭舟高橋濟撰文の墓碑銘あり、全文二百三十字より成る。
2、正田家の醤油醸造は大正六年十二月会社組織に改め、正田醤油株式会社と称す。現在資本金百万円、昭和九年十一月本県に行われたる陸軍特別大演習のみぎり、畏くも産業奨励の御思召を以って侍従御差遣の光栄に浴せり。

お~、将棋のエピソードが最高です。大地震で貧窮した江戸の庶民へ食料を運ぶなんていう話もいいですね。

昔の商人にはこういった「仁義」「人情」に厚い人が多く、昔の郷土の偉人伝といった本にはこういった逸話がかなり出てくる。読むと結構グッときます。

それに比べて、現代の浮かれた経営者っていうのは「自分さえ儲かればいい、稼げる人間がエライ」みたいな人ばかりが出現して目立っている。それにホリエモンみたいな人が出てくると、それを担ぎ上げる人がいて、囃し立てるマスコミがいる。こんな風潮を見るとガックリくる。
現代日本において、「徳」「仁」に欠けた世の中を作り出しているのがこの手の人々であるような気がしてならない。
正田文右衛門でもいいし、渋沢栄一でもいいので、江戸・明治期の私利私欲のない商人を大河ドラマにすればいいのに、と最近つとに思う。(戦国、幕末、忠臣蔵はもういいよ)

追記  正田文右衛門の孫・正田貞一郎(のちの日清製粉創業者)のWikipediaにほかの記事があった。

明治4年 5月22日 - 父・作次郎、風邪がもとで26歳で急逝する。母とともに郷里の群馬県館林に戻り祖父・正田文右衛門(3代目)の下で育つ。

祖父・文右衛門(3代)(商人)
1818年(文政元年)7月生~1895年(明治28年)3月没
『正田貞一郎小伝』26頁によると、「(貞一郎の)父母は日蓮宗を深く信仰していたので、父の病気が重くなった時、貞一郎を僧侶にしようと祖父に相談したことがあった。その時祖父は屹然として「貞一郎は私が立派な人間に育てるから心配はいらない」と答えたという。後年、貞一郎は「祖父がいなかったら、私は坊さんになっていたかもしれない」と語った。

お~、やはり文右衛門さんはエライ。この正田貞一郎が美智子皇后陛下の祖父にあたるわけだから、あのまま坊主になっていたら今の皇室の形になっていなかったことになる……。

今度、菩提寺の常光寺に行ってみようと。

矛盾した話

1、小耳に挟んだ話。
中国における反日デモが頻発している。「日本製品をボイコットせよ」「打倒日本」といったプラカードを持って若者たちが行進する映像を何度も見た。そんな中、日本のアニメのTシャツを着ていた人が数人いたといった話を聞いた。(エバァやガンダムだったとか)
日本アニメが中国で広まっているという話を聞くと、そんな話もさもありなんといった感じもするが……。
かつて、南米において反米ゲリラが起こったとき、そのゲリラたちが、リーバイスのGパンを履いて、コカ・コーラを飲んでいたという報道があった。そのとき全共闘寄りの評論家は「アメリカ文化に毒されていて、何が反米か」といってえらく怒っていたのを思い出した。
(「武力よりも文化力」だと最近思う。これはまた別の話)
それにしても、日本のアニメのTシャツを着て「日本製品不買運動」をする中国人は、その矛盾に気づいていないのだろうか。

2、むかし聞いた話。
広島県のある日教組の教師が、自分の息子は公立の学校に通わせず、わざわざ遠くの私立の学校に通学させているという話を聞いた。
「公立校はレベルが低くて、これではいい学校に進学させられない」といった理由だそうだ。つまり自分が教えている公立の学校は、薄っぺらい教科書によるゆとり教育で学力低下が否めず、その教育の基本方針は、何でも平等、競争はしないという平和ボケ教育だということを十分認識しているらしい。つまりこれが教育にはよくないということが現場で教えている教師にはよく分かっているということだ。
日教組教師って……、矛盾した話だ。

3、最近よく聞く話。
「日本の男はさ、草食系で男らしくないのよね」こんな話を平気でのたまう オバチャンをよく見る。そんな者どもがコメンテーターや文化人と称してテレビや雑誌で大声で叫び、マスコミで幅を利かせている。
そして日本の男の若者をつかまえて「男らしくない」と言う女に限って、そんな奴らは大概「女らしくない」のだ。
自分のことは棚に上げておいて、若い男子に「男らしさ」を求めるとは……、矛盾した話だ。
世の中が、社会が、「男らしさ」「女らしさ」を否定するような風潮を作っておいて、それが無くなったら逆に求めるとは…。
こんな「らしさ」の骨抜きを奨励したのは、変なフェミニズムを主張した奴らとそれに同調したマスコミじゃないのか。「草食系」なんて揶揄するくらいなら、まずこんな世の中を作り出した人々を攻めろよ。
そして、「最近の日本の男子は……」の後には、決まり文句のように「それに比べて韓国の男は逞しい、男らしい」といった言葉が続く。何なのだろうか。こういうオバチャンどもは。そんなに韓国男が良いと思うなら、朝鮮半島に渡って戻ってこなくていい。ほんといらない。(その時の渡韓団会長には、鳩山幸かうつみ宮土理か、小沢遼子がいい。こいつらこそ本物のバカだと思う。)

4、気になった話
耳掻き店員ら殺人事件の判決で、死刑が回避された。この判断の良し悪しはここでは問わない。
しかし、この死刑回避の宣告を受けて死刑廃止論者の意気が揚がるのはなぜだろう。
平成22年11月2日付け読売新聞に気になることが記載されていた。

検察幹部の一人「死刑を言い渡すのは、裁判員には相当ハードルが高いということが分かった。今後死刑判決は減るのでは」と話した。
ベテラン刑事裁判官「一般国民にとって、生命で罪を償わせる死刑の重みは、懲役刑と比べて心理的ハードルが高い」
補充裁判員の一人は会見で「死刑でも人が人を殺すことには変わりがないので、『死刑はあり得ないかな』と思いながら審理に臨んだ」と迷いを語り、裁判員によっては死の判断への抵抗感が強いことをうかがわせた。

これはおかしなことだ。すでに「死刑」はないというところから裁判が始まっているということになる。法の下で裁かれるべきものが、まず死刑反対という思想の下(あるは死刑はイヤだという感情)で裁判が行われているということに他ならない。
これはまさしく法律無視であって、これで「正しい裁判・判断」が行われているといえるのだろうか。
死刑判決を出さないために、裁判員裁判を始めたのか? これではそう勘ぐられても仕方ないだろう。
死刑の是非は、専門家でも知識人でも研究家でも意見が分かれ、またここに思想を持ちこんで自分の主義主張を発揮させる場だと勘違いした輩も出てくるほどのデリケートな問題だ。
それを素人の裁判員に、その有無を問うようなこの制度は、そもそも大きな欠陥があるではないか。

こんな矛盾した話はない、と思う。

ということで、最近、矛盾しているなと感じた話を4つつなげてみました。

あと、「岡崎トミ子が国家公安委員会委員長」っていう最強の矛盾した話があるけど、これはあまりにもバカバカしいのでもうやめます。

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