スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「グンソク、グンソク」って、うるさいな!

仕事が休みで朝からテレビをつけっぱなしにしていたが、何なんだよ、あれは。
「グンソク、グンソク」って、うるさいな。何かの宗教か!
韓流スターだか韓国人アイドルだか知らないが、日本に金儲けしにきた整形男・チャン・グンソクに大騒ぎしすぎ。
レディ・ガガのような世界的に影響力のある有名人なら大騒ぎするのもまだ分かる。(しかも親日家)
しかし、こいつは何だ。どう見ても日本の「ジャニタレ」レベルじゃないのか。
「うつみ 宮土理」みたいなおばちゃん共が、ノリピーがクスリでも打っているくらいのハイテンションで、狂乱している姿にウンザリし、呆れかえる。
たぶんこの人たちは気が触れてしまったのだろう、震災のことなど頭からキレイサッパリ忘れて……。
それにメディアも朝から晩までいい加減にしてくれ、ワイドショーも情報番組も他に放送することがいくらでもあるだろうに。

で、BS放送にしてみる。
なに!これは韓国ドラマだらけ。
ヒドイな。
過去記事 「グチ2。 節電、節電と唱えているのなら、まず下らないバラエティー番組や韓国ドラマばかり放送するテレビ局こそ放送するな。」  このときよりも数が増えているぞ。(つまり震災前より多い)
気持ち悪い。これは日本の放送局か。
韓国ドラマを流す時間があるなら、ピーターフォーク追悼で「刑事コロンボ」でも放送して欲しいよ。(日本の刑事ドラマでこれに影響を受けていなものはない、断言できる)
韓国ドラマを流す時間があるなら、「白虎隊」とか「独眼竜政宗」とか被災地が舞台の昔の時代劇でも流して欲しいよ。

先日、会社帰りにラジオを聴いていたが、「ニッポン放送」で「韓国情報番組」をやっていた。
「ニッポンの放送 K-POPナイト HOT Korea!韓国の情報をたっぷりとお伝えします」って……「ニッポン」放送で、韓国情報、思わず笑ってしまった。
そして、家に帰ってテレビをつけると「HEY!HEY!HEY!」で「K-POP」特集。確か朝フジテレビの「めざましテレビ」でも「K-POP」特集やってなかったっけ……。
過去記事 権威とは。 紅白歌合戦と韓国芸能人

もうここまで来ると「洗脳」だね。
震災で「ひとつになろう日本」「まとまろうニッポン」と、日本国内で日本文化の見直しが起こるかと思いきや、そんなの掛け声だけで、マスコミ・メディアのやっていることといえば「韓国による朝鮮文化の侵食」をどんどん推し進めているだけだった。
まさしく鳩山由紀夫のいうところの「文化の融合」だろう。
過去記事  
「鳩山由紀夫首相の施政方針演説の「文化融合」は、最も危険な言葉だ。」
韓国俳優とお食事をする首相夫妻」と「韓国政治ドラマを見続ける外相」と「韓国に行って天皇陛下を侮辱する日本の独裁者
そのうち、犬をおいしく食べる料理番組が放送されるだろう。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2809216/7439711?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

まあ、こういうことを言うと、「ネトウヨ」と揶揄されるようだが、どうだろうか。昨今の韓国ブームはかなり異様だ、と表だって異を唱えるメディアや文化人はいなのかね。それがいないんだよね。ネットの中で騒いでいるだけ。
ほんと、そこが日本の最大の悲劇だといえる。

追記 暇なので川柳風にしてみた。
「フジテレビ 今日も朝から K-POP」 「フジテレビ サッカー放送 韓日戦」(過去記事) 「キムチ鍋 一位になるほど おいしいか」(By 笑っていいとも)
お粗末でした。
スポンサーサイト

井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」などから。

さてさて、どんどん資料を追加していきますよ。
今回は9回目。

前回の「怨念の日本文化 幽霊編」と同じような内容。
テーマは「鎮魂」です。
使用する本は井沢元彦の本。
必要となる文章、「これ」と思った文章を、ランダムに抜き出していきます。
まず、井沢元彦 「井沢式日本史入門講座・4 怨念鎮魂の日本史」(徳間書店)から。
井沢式日本史入門講座・4


世界に先駆けて、『源氏物語』という近代小説が日本に生まれたのは、日本が怨霊信仰の国だったからに他ならない。
物語というフィクションの世界の中で、現実には敗れた人々を活躍させる。それは、現実世界の競争に敗れ、恨みを持った魂を鎮めるためのひとつの手法だった。
こうした、現実とフィクションを切り離して使い分ける「顕幽分離主義」ともいうべき手法は、日本では鎮魂法のひとつとして古くから用いられていたものだった。物語の中なら、どうせ虚構なのだから、勝たせてやってもいいじゃないか、と考えた。つまり虚構と真実を使い分けたのです。これを「顕幽分離主義」とした。この世以外を幽界、それに対して、この世のことを顕といい、両者を分離する考え方……。
(中略)
『源氏物語』の謎を解くカギは、作者である紫式部が、「源氏」を追い落とした藤原氏出身の皇后に仕える女官だったこと、そして藤原氏のトップ道長が紫式部の執筆を応援していることにある。
勝者である藤原氏サイドの人間が、なぜ明らかに藤原氏とわかる右大臣家が源氏に敗れる物語を書いたのか、そして藤原一族のトップがなぜそれを応援したのか。
こうした常識的に考えたらあり得ないことの陰には、必ず特殊な目的が隠れている。歴史を学ぶものは、そのことに気づかなければならない。
この場合の特殊な目的は、「源氏の鎮魂」である。だからこそ、「源氏」物語であり、源氏だけが実名で描かれていたのだ。
怨霊鎮魂の書『源氏物語』は、忽然の生まれたわけではない。それ以前から存在する『竹取物語』『伊勢物語』という鎮魂文学の流れの延長線上に完成されたものである。『竹取物語』では、藤原氏中興の祖・藤原不比等をモデルとした車持皇子を悪人として描くことで、藤原氏に恨みを抱く者の留飲を下げ、『伊勢物語』では、藤原氏の専横を崩そうとした反逆ヒーロー在原業平をモデルとした主人公を活躍させることで、その霊を慰めた。
『源氏物語』は、こうした流れの中で書かれた文学作品なのである。

面白いですね。歴史的勝者が虚構(物語)の中で敗者を勝たせる(褒める、讃える)ことによって、敗者の魂を鎮めていく。これは日本人特有の考え方といってよいでしょう。

「怨霊と鎮魂の日本芸能史」(檜書店)にも同じような内容のことが書かれているので引いてみる。
怨霊と鎮魂の日本芸能史



神への賛歌・芸能
芸能とは本来、神を讃え慰めるものであった。
これは古今東西どこも同じで、その原初の形を一番色濃く残しているのが、神楽である。
神楽は、演者が神に扮し、悪役つまり悪鬼に扮する演者を叩きのめす。そして、「神よ、あなたは強かった!」(本来こんな敬語はおかしいが)と、神の賛歌で終わる。
芸能者は、神に喜んでもらうために、演技や振り付けを一生懸命に工夫したのである。

怨霊信仰の国・日本
怨霊信仰は、日本国の当初からみられる。古くは『日本書記』にも、その例が見られるが、それが一段とポピュラーなものになったのは、平安時代初期からだ。
平安京を桓武天皇が、弟の早良皇太子の怨霊におびえたのは有名な話である。そして、もう一人有名な怨霊をあげるとすれば、やはり平安中期の政治家、菅原道真だろう。
道真は、宇多天皇の藤原氏抑制策の一環として、学者の身でありながら右大臣に抜擢された人物である。だが、それも束の間、藤原時平の陰謀によって九州太宰府へ流され憤死してしまう。すると、それからほどなく、宮中に落雷するなど、様々な不幸が起こったので、人々はこれを「天神」として祭り上げたのである。
恐ろしい怨霊も、丁寧に祭り上げれば、逆に人々を守ってくれる善神となる。善神になった状態のことを「御霊(ごりょう)」という。怨霊信仰を別名「御霊信仰」というのはこのためである。
怨霊を「祭り上げ」て善神に転化することを、「鎮魂」という。
この国は本来平和なはずである。なぜなら神の子孫である天皇が、この国と人々の平安を常に祈っているからである。だが、それでも地震、疫病、不作といった災厄は起こる。それは、怨霊がいるからだ、というのが昔の人の考えであった。
天災だけでなく、戦争や兵乱といった本来は人災に属することまで、昔の人々は怨霊の仕業と考えていた。
そのため、逆にいえば、怨霊を鎮魂することこそ、最大の「政治課題」でもあるということになる。政治とは普通、予算を組み機構を整え人員を配置し、様々な国家としての仕事を行うことをいう。しかし、戦争も怨念が陰で操っているなら軍隊をもって有事に備えるよりも、常時霊を慰めることこそ最も重要なことになるのである。
平安貴族は、この「理念」で政治をしていた。現代の学者は「彼らは何も政治をしなかった」と評価する。確かに現代の目でみればそうだが、彼らは政治をしている、つもりなのである。そして、その最も重要な仕事は歌を詠むことであった。言霊の力で霊を慰めるのだ。
だからこそ『古今和歌集』をはじめ、歴代の天皇はあれほど熱心に和歌を編んだのだ。あれは「芸術」というよりは「政治」なのである。

人はなぜ怨霊になるのか?
それは、この世に強い執念を残して死ぬからである。政治上の敗者となった、というのもあれば、思いを遂げることができなかった、というのもある。
それをできるだけ崇め、ご機嫌をとること、これを鎮魂といい、成功すれば霊は恐ろしい「怨霊」から人々を助ける「御霊」となる。
怨霊は天災(飢饉・疫病等)だけでなく人災(戦争・内乱等)をも呼び起こすものだが、御霊になると逆にそれを防ぐ方に回ってくれる。このプラスマイナスは限りなく大きい。

仏教伝来以後、日本人はそれまで「鎮魂」と呼んでいたことを「供養」と呼ぶようになった。仏教の「現世に執着する人間は成仏できない」という考え方は、「怨霊を御霊に変えねばならない」という仏教伝来以前からの日本人の強い信念(信仰)にピタリと一致した。
人はなぜ怨霊になるかといえば、政争にせよ恋いにせよ、ひとつのことに執着するからである。仏教は「それはいけないことだ」と教えている。だから、結果的に日本人の好みにあい、大きく受け入れられたのだ。これは後に神仏習合という形に発展していく。これはつまるところ、神と仏はもともと一つであるという考え方だ。今では、寺院と神社はったく違う宗教法人だが、中世以降はこれ一つで、僧侶と神官は同じ宗教法人の「同僚」であった。これが分離されたのは、明治の神仏分離令以降のことである。
怨霊信仰と仏教とは、実は似て非なるものである。
なぜなら仏教の大前提には「人は輪廻転生する」というものがあるが、日本は「霊魂不滅である」と考えるからだ。
たとえば、ヤマトタケルの神霊は今でもどこかにいる、と考えるから、われわれはそれを祭るのである。もし、どこかの人間に転生しているとなれば、「ヤマトタケルはいない」ことになってしまうので、祭る必要はなくなってしまう。これは「天神=菅原道真」でも、平家一門でも同じことだ。
霊魂は不滅だと考えるからこそ、怨霊は大問題であり、その鎮魂(供養)は政治上の最優先課題になるのだ。平家は、一度はこの国の「王座」にあった。それがあっという間に没落し、一門の大半が無念の死を遂げた。放っておけば、あらゆる災厄の根源になることは確実だからだ。
(中略)
……怨霊は慰められなけばならない。お経を読み「供養」を欠かさないということも大切なことだが、それ以外にも日本では重要な方法がある。
それは「芸術」で怨霊を鎮魂し、人のためになる善神すなわち御霊に転換させることだ。
「芸術」といったのは、それが必ずしも芸能つまり歌舞音曲に限らないからだ。
たとえば、慰霊されるべき怨霊を絵巻物に描くという方法もある。「あなたはこんな立派な人でした。あなたはこんな素晴らしいことをなさいました」と、絵画の上で、「顕彰」するのである。たとえば菅原道真が「天神」になった経緯を描いた「北野天神縁起絵巻」などはこれにあたる。
では「絵」のかわりに「文字」を使えばどうなるか?
それは『万葉集』のような「歌集」になり、『源氏物語』のような「物語」になる。

せめて物語つまり虚構の上では勝たせてやったのだ。そうすることによって、少しでも怨念を鎮めようという意識が働いているのである。

怨霊信仰では「死後の名誉」を与える。これは儒教圏(中国・朝鮮)のように、虚構を「悪」とみる伝統は、われわれ日本人の中にはないからだ。

言霊というは、言葉には物事を成就させる霊力があると信じることだ。だからこそ、おめでたいこと、祝辞、祝詞は何べん唱えてもいいが、縁起の悪いことは口にしてはならない。柿本人麻呂が「敷島の大和の国は言挙げせぬ国」と歌に詠んでいる「言挙げ」とは、言霊の力を最大限に発揮するため、大きな声で言葉を使うことである。これ自体は、必ずしも悪い意味ではない。「言挙げ」は「無色」の行為である。問題は、使われる「言葉」の内容だ。現に人麻呂は「さきくませ(幸あれ)」と言挙げしている。
大切なのは、どんな言葉を使うかである。
そのため日本では、不吉なこと、縁起の悪いことは、口にするのもはばかれる。一面の葦の原を、葦は「悪シ」に通じるというので「吉原」と呼んだり、「梨」は「無シ」に通じるので「有の実」と言い替えるのもそのためだ。

平安時代に書かれた『源氏物語』や『伊勢物語』には主人公の名が明記されていない。『源氏物語』の主人公は「光源氏」という一種の架空の名前を使うことで、個人を名指ししてはいないが、源氏の一員であることはわかるようになっている。
だから、源氏の鎮魂の役を果たしているといえるのである。
これはおおきな大きなジレンマであるのだが、鎮魂するためには、名前をいわなければならないが、完全に名前をいってしまうと、その怨霊を呼び出すことにもなってしまうので、非常に恐ろしいということである。

世阿弥が確立させた「夢幻能」における鎮魂

怨霊信仰とは、そもそも怨霊に対し畏怖の心を持ち、それを崇めるというものだ。そうして崇められ、奉られた怨霊は御霊(善神)に転化し、人々を守ってくれるというのが、御霊信仰である。
能の登場「人物」は、ほとんどが怨霊である。韓国においては怨みを持つ「霊」などは悪霊に過ぎないと考えるので、一刻も早く消してしまうのが正しい処置だが、日本ではそれは崇めるべきものであり、しかもそれを舞台で演じることは「鎮魂」にもなるので、仮に面に霊が取り憑いていたにしても、それはむしろ丁重に取り扱うべきもの、奉るべきものとなる。
つまり、仮面は御神体であり依代なのだ。当然、燃やすなどとんでもないことになる。
もっとも、完全に霊に憑依されてはたまらないので、面をはずした段階で、御霊との一体関係は途切れる。逆にいえば鏡の間で面を掛けるのが、この御霊との一体化の儀式になっているのであろう。
日本という、御霊信仰の国において、なかなか突破できなかった壁、すなわち「悲劇の主人公は怨霊であるから、これを演ずることは、憑依される危険がある。これをどう乗り越えるか」という難問を、世阿弥は「面」を徹底的に扱う、ということで解決したのだろう。面という道具を用いることで、演者と怨霊の人格を分離させるシステムは完成した。
中略
怨霊を舞台の上に呼ぶ以上、必ず鎮魂して、気分よくお帰りいただかなければ、社会や観客に災いが降りかかりかねない。
そこで世阿弥が考え出したのが「夢幻能」であった。
夢幻能というのは、怨霊が主人公の能だ。まず旅の法師が登場し、そこに怨霊の化身が現れる。怨霊の化身は過去の事績を語る。そして、後場になると、その怨霊自身が現れ、自らの恨みや成仏できない苦しみなどを語るのである。
そして、その苦しみを聞いた法師によって鎮魂される、という構成になっている。
この「夢幻能」によって、世阿弥は、怨霊を呼び出すが、きちんと鎮魂して帰すので、呼び出しても大丈夫だというロジックを完成させたのである。
観客にも鎮魂する場をみせることによって「大丈夫ですよ。怨霊を呼び出しましたが、ほら、ちゃんと鎮魂して帰したでしょ」という安心感を与えたのである。
世阿弥の「夢幻能」と「面」によって、怨霊を舞台化するというタブーは乗り越えられた。能でこの壁を乗り越えられたからこそ、次に歌舞伎という、「面」を用いない舞台が生まれることができたのである。

儒教国には理解できない日本の鎮魂思想
……日本と韓国というと、昨今の靖国問題が想起されるが、実はこの問題にも怨霊信仰が関わっている。
靖国に対する韓国(中国)側の主張はこうだ。
「靖国神社にA級戦犯の霊が合祀されている。A級戦犯とは我らの国を侵略した戦争犯罪人である。その霊に礼拝するとは、戦前の侵略行為を反省していないということだ。少なくともA級戦犯の霊は分祀すべし、この点は譲れない…」
おわかりだろうか、実は彼らは「面を焼け」
と主張しているのだ。彼らには悪人(悪霊)は悪人(悪霊)だということだ。だから当然、そんなものは「抹殺すべし」ということになる。
だが、日本はこれとはまったく違った考え方をする。
たとえば、天神であるが、これはいうまでもなく菅原道真である。
道真が天神として崇め奉られる存在となったのは、彼が死後、生前の無実の罪に怒り、タタリを為したと考えられたからだ。
つまり、道真とは、表面的にいうならば、天皇に害を与えた「悪霊」だということになる。では、その神前に頭を下げることは天皇家に対する侮辱行為なのか、天皇家に仇を為すことを、日本人は祈っているのか?
もちろん、そうではない。道真の霊には、時の帝である醍醐天皇も礼を尽くしている。きちんと鎮魂し奉ればそれは善なる神となり、われわれを守ってくれるからだ。だからこそ、天神は学問の神様なのである。
儒教的(つまり中国・韓国的)考え方では、これがまったく理解できない。
理由はどうあれ、天皇に仇を為すとは、まさに「不忠の臣」であり、それだけで最大級の悪人となる。しかも、一度そういうレッテルを貼られると、はがす方法はない。
たとえば、『三国志』の曹操は漢帝室を滅ぼした「不忠の臣」なので悪人である。彼はいつまでたっても「悪人」であり、名誉は永遠に回復されない。もし名誉回復の可能性があるとすれば、それは毛沢東のようなカリスマ的指導者が、歴史の再評価を行ったときだけである。
東アジアとの摩擦、特に日韓問題は、日本人と韓国人は顔かたちはそっくりなのに、考え方がまるで違うことに起因する。顔が同じだがら、考え方も同じだと、日韓双方が思い込んでいるのが間違いのもとなのだ。
韓国は小泉元総理の日本人の伝統的な考え方が理解できず(むしろA級戦犯を祀らなかったら、かえってタタリがあるという考え方すらある)、自分の考え方に則して「悪」だと思い込むから、そういう「悪」を行う総理に「自決せよ」などとせまることになるのだ。
だが嘆かわしいのは、日本の伝統もろくろく知らないくせに、こうした韓国人の無知と激情に迎合することが「正義」だと思い込んでいるエセ文化人が日本人の中にいることだ。まずは正しく自分たちの文化を把握することが必要だ。その上で、主張すべきは主張すればいい。韓国も今「犬を食うのは野蛮だ」とイギリスなどに非難されている。異なる文化の中で、独自の習慣は尊重しようといえば、わからないはずはないと思うのだが……。

物語の中なら、どうせ虚構なのだから、勝たせてやってもいいじゃないか、と考えた。つまり虚構と真実を使い分けたのです。これを「顕幽分離主義」とした。この世以外を幽界、それに対して、この世のことを顕といい、両者を分離する考え方……。

すべての宗教を飲み込む怨霊信仰
日本に入ってきた宗教は、みな「日本風」に変質してしまうとよく言われる。
仏教も、日本に入ってその教義を大きく変質させた。
例えば、「供養」とは、本来の仏教では灯明や花などの供物を捧げることを意味するが、日本では、それ以外にも亡くなった人の果たせなかった思いを代わって果たしてあげることを意味する。こうした変質が起こるのには、日本人の中にある怨霊信仰が深くかかわっている。
日本人の信仰心、その最も大きな部分を占めているのは、実は怨霊信仰である。だからこそ、仏教であろうがキリスト教であろうが、、どんな宗教もみな、日本に入ってくると、「怨霊鎮魂のためにどう役立つか」という価値判断がなされ、怨霊信仰に即したかたちに変質させられてしまうのである。

「言霊」「怨霊信仰」を説く作家や学者はいくらでもいるが、井沢元彦ほど噛み砕いて説明してくれる人は他にいない。実に分かり易い。
「日本教」や「日本独特の<空気>」を説いた山本七平の後継者だと、密かに思っているが、どうだろうか。

この資料編はまだまだ続きますよ。外堀から埋めていきます。



「怨念の日本文化 幽霊編」から。

これは「資料8」です。
阿部正路「怨念の日本文化 幽霊編」(角川選書)から引用。
阿部正路「怨念の日本文化 幽霊編」

ここで引用していく箇所のポイントは、3つ。
1、日本の幽霊(霊魂)とは何か。
2、幽霊(霊魂)は目的をもって現れる。(目的を果たせば消える)
3、幽霊(霊魂)は現世の人々に語って欲しいということ。
「幽霊は、この世の人々に語りたい多くの〈言葉〉を待ち続けていたし、それをいつまでも〈語り〉続けてほしいと願いつづけていた。」とあるように、日本人の霊魂への鎮魂・供養の基はここにある。これが発展したのが日本の芸能である神楽や能や祭りにつながっていくことになる。
これは、過去記事 いま日本に必要なのは「ディズニーランド」でも「パンダ」でもない。「祭り」や「年中行事」「花見」こそいま行われるべきなのだ!の中で引用した 大村英昭「日本人の心の習慣 鎮めの文化論」と関連するものです。
では本書の引用。


幽霊とは何か
日本の幽霊たちは、実に様々である。そこに、明暗ともにきわまりない日本及び日本人の複雑な陰影の陰を見ることができるのである。
日本の幽霊たちに共通しているのは、それらが、すべて、〈一度は死んだものたち〉であって、もともとは、〈人間そのもの〉にほかならなぬものたちであったという点である。にもかかわらず、生きている間は不運に見まわれて、人間の世界から疎外されたものたちなのである。
霊界にあって、神でも仏でもなく、永遠に低迷しつつ、常に人間を恋しがっているもの。それが幽霊なのである。従って幽霊は、人間にもっとも遠く、そして人間にもっとも近い。
幽霊とは、この世の地獄を見たものたちである。この世の地獄を見た以上、それに執着し、この世に立ち返って、この世の地獄を取り除こうとしたものたちである。地獄とは、地下にあるべきはずのものであって、この世にあり得るべきものではない。にも関わらず、地獄がこの世に在る以上、生きながら地獄に落ちた〈わが身〉とともに、地獄はこの世から消え去るべきものなのである。幽霊は、地獄さながらの〈わが身〉をこの世に立ち返らせて、〈わが身〉を地獄に責め落としたものともどもに、地獄に立ち戻ろうと決意したものたちである。

幽霊の目的
この世に、恐ろしげな姿で立ち返ってくる目的はただ一つ。この世で果たせなかった恋を、そして愛を取り返し、あの世へ持ち帰ろうとするところにある。そのため、この世で凄惨な体験をしたものほど、一層、凄惨な姿でこの世にあらわれる。悲惨であればあるほど、執念が深ければ深いほど、幽霊は必ずあらわれる。
人びとは、死者とのつながりで幽霊を見る。幽霊は死者と切り離すことができない。だから幽霊は恐ろしい限りだが、時として無限にやさしく生者とのふれあいを求めて、あの世から立ち返ってくるものである。愛の奪還という目的をただ一つに置いて、それが果たされれば、静かに消えてゆくのが幽霊である。
筑波山の周辺に伝わる昔話である「頭白上人縁起」は団子屋へ毎晩二文銭をもって団子を買いに来る幽霊があるので、それを調べてみると、かつて殺された女が、藪の中の古塚の中で五歳にまで成長した子供を育てていたが、その子は陽にあたらぬため、頭髪が白かった。この子供がのちに高徳の上人となったというもので、これは、いわゆる〈子育て幽霊〉として同種の幽霊譚は、全国に拡がっているのだが、そこに日本の女のやさしさと、それを認めあった日本人の美しい心を見てとることができる。この場合、幽霊の目的は、明らかに〈子育て〉にある。〈子育て〉にある以上、その子が育ちきるまで、何度も何度もあらわれなければならないのである。いわばこの世の感謝を求め、それを受け取るためにあらわれる幽霊なのである。

〈四谷怪談〉の「お岩」は、「うらめしい伊右衛門どの。田みや、伊藤の血筋を絶やさん」といってあらわれる。末代までもその血筋を絶やそうとして立ち現れるのである。
斎藤別当実盛の幽霊は、討ち死にしてから二百七十年以上もたってから、供養してくれといって、この世の遊行上人の前にあらわれる。真実供養されるまでに、確かに〈うらみ〉が果たされるまで、何百年もの長い間この世に立ち現れるものも、また幽霊の動かしがたい目的なのであった。

盲目の琵琶法師が、更に不完全な耳しか持たないという哀れな話なのだが、幽霊が〈耳〉を欲しがるのは肉体を求めてやまないという一証拠にもなるだろう。更には、なぜ、幽霊が〈耳〉を欲しがるのだろう。そこにお経が書かれていなかったのでひきちぎったというのは、かえって、のちの転化を思わせるのであって、幽霊の目的はその姿を見せることよりも〈訴え〉にあることを意味する。
幽霊の言ったことならば、昔の人は信ずることができたのであると柳田国男はいう。
「幽霊が活きた人に話をする方法は、二通りあるものと考えられて居た。その一つは夢か幻かに現れて語ること。人が追々不実を説くようになって、そんな事を言っても信じない者が多くなったが、それでもなお真面目にこの方法によって、死者の口からある事実を知ったと思っている人が今でも居る。
第二の方法は口寄せという者の口を借りること。これも所謂知識階級こそは、有り得べかざることと考えているが、現在もまだ広く行われていて、それを聴こうとするほどの人ならば、全部でないまでも一部は信ずるに足と思っているのである」(「木思石語」「旅と伝説」昭和四年三月)という。さらには「幽霊は普通甚だしく饒舌なものだった」と付け加えている。
その理由を、益々詳しく且つ具体的に語ってくれぬと、聴く者が合点しなかったからだというのだが、幽霊は、この世の人々に語りたい多くの〈言葉〉を待ち続けていたし、それをいつまでも〈語り〉続けてほしいと願いつづけていたのである。
ために、幽霊は、しきりに、それを聴いてもらうための〈耳〉を求めつづけたのではあるまいか。にもかかわらず、幽霊の〈言葉〉など、〈聞く耳〉もたぬとするものに対して、日本の幽霊たちは、力をふりしぼって抗議したのではあるまいか。平家の幽霊たちに、「平家物語」を〈語り〉つづけながら、〈耳〉を奪われた「耳なし芳一」の姿に、幽霊たちの懸命の〈願い〉がこめられているように思われてならない。
そのことは結局、日本の幽霊たちが、単に〈目〉の領域のみに出現するのではなく、〈耳〉の領域にも深く関わっていることを暗示するものなのである。

 「頭白上人縁起」の話は「子育て幽霊」でWikipedia紹介されている。
それにしても幽霊って饒舌(おしゃべり)だ、というのも面白いなぁ。
成仏や鎮魂というものが日本独特の宗教観であることが「幽霊」によってもわかる。(元々、仏教では魂は輪廻するという考えだから、日本的成仏は独特な考え方である。)

さてさて、どんどん資料を重ねていきますよ。

「塔の話」その3 「日本の塔において生の理念と死の理念がいかに相戦い、戦いつつそこに一種の調和をつくっている」

第1回「塔の話 その1 東京スカイツリーと東京タワー
第2回 塔の話 その2 「西洋の塔と東洋の塔」
の続きで、今回が「塔の話」の第3回目「日本の塔において生の理念と死の理念がいかに相戦い、戦いつつそこに一種の調和をつくっている」です。 長っ!
で、これが資料6となります。

ということで、いつものように梅原猛の「塔」から引用。
今回のポイントは、
1、西洋の塔が垂直への意志、東洋の塔(特に日本)は水平への意志があり、大きな違いがあるということ。
2、それは、宗教的な違いであること。
3、日本の塔は、神の宿る「柱」や「木」が基になっているのではないか、ということ。
4、日本人は「塔」に「生」と「死」を見て、そこに精神的支柱を求めているということ。
まずは、塔はリンガ(男性器)の象徴であるということから。

(アンコール・ワット建物)の頂上は巨大な塔であるが、この塔の下には、巨大なリンガがそなえられていたのではないかと思われる。それは、おそらく小乗仏教の流行とともにその多くはとり去られてしまったが、かつてこのリンガこそ、王室の権力のシンボルであったのである。リンガとは、まことに忠実にその形を模した巨大な男性のシンボルであるが、おそらくヒンズー教の塔そのものが、男性シンボルの象徴という意味をもっているのあろう。
垂直に天に直立する意志、それは子孫生産の意志を示し、権力の意志を示し、そしてそれ以上に、形而上学的な根源的な生への意志をも示している。
アンコールワット

「塔」がリンガを象徴しているというのは、とても分かり易いものだろう。これは東も西も今も昔もすべてにあてはまるところだ。(いかにもフロイトぽい解釈)
リンガに関する過去記事 
奇説その2 「テポドン=男性器説」はなかなかいい奇説です。
2月3日なので、「恵方巻きとは何か 恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか(仮説)」を再録してみました。
これらにも通じる話ではあります。

では、梅原猛の「塔」から。

水平への意志と垂直への意志

涅槃図において、釈迦は静かに横たわっている。ここで働く意志は、垂直を志向する意志ではなく、水平を志向する意志である。垂直を志向する意志が、限りなく己れの権力を増大する意志であるとすれば、水平を志向する意志は安定を欲する意志なのである。
涅槃像 南蔵院
(福岡県篠栗町・南蔵院の涅槃像 )
このような水平への意志は、キリスト図と、キリスト教の塔においては、まったく現れない。そこに現れるのはもっぱら垂直への意志である。十字架にかかったキリストは、死してなお直立している。彼にとって、地上に横たわることは、敗北に他ならない。彼は死においても、なおかつ旺盛なる垂直への意志を保持しているのである。
レンブラント キリストの昇天(レンブラント 「キリストの昇天」)
この垂直への意志は、昇天への意志となる。キリストは、死後三日にして復活し昇天する。昇天は永遠なる生への証しとされるが、それは、限りなく上昇する生への意志の念願といってよいであろう。キリスト教において、死は仏教の涅槃が意味するような、存在の無化でない。死に直面し、生は、かえって、より強い力を発揮するのである。死は来るべき新しい生、永遠の生のための一時の休息にすぎない。死は、むしろ有限な生がその有限を失うことにより、無限にして永遠なる生として生まれ変わる中間段階にすぎない。
この無限永遠なる生への意志が、天上への意志として、垂直的な意志としてあらわされる。アレキサンダーが明らかにした、西洋の塔のもつ無限上昇的性格は、実は、このようなキリスト教のもつ垂直的意志と深く関係しているのである。それゆえ、すべての塔が無限への意志を無条件をもっているわけではない。無限への意志は、キリスト教の塔、特にそのゲルマン的形態において、もっともいちじるしく現れる。
キリストの磔刑 アンドレーア・マンテーニャ (アンドレーア・マンテーニャ 「キリストの磔刑」 )

アレキサンダーは、ロマネスクに代表されるイタリアの塔とゴシックに代表される中北欧の塔を比べている。前者はやはり、完結性、調和性の性格が強いが、後者においては未完結性、意志性の性格が強い。もし塔をして塔たらしめるものが、無限の上昇への意志であるとしたら、塔はむしろ、ゲルマン的塔において、もっともその本質を表現しえたといいうるであろう。イタリアの塔においては、キリスト教の無限上昇の生の理想とともに、美を調和と見る思想が支配し、けっして全体の調和を乱す恐れのあるような建物を建築の中に取り入れなかった。ギリシャ的な美の精神が残っていたといえるのかもしれない。
アントワープ ノートルダム大聖堂(アントワープ ノートルダム大聖堂)

アレキサンダーのこの著書は、西欧的な塔の本質を見事にえがき出すが、これはやはり、あまりにも西欧思想の土台の中から育った塔の考察である。塔のなかには、無限なる生への意志とともに、死への根深い自覚がふくまれているのである。
限りなく高所をのぞみ、限りなく天上への接近を意志する西洋の塔すら、その背後に、死への恐怖を含んでいるように私は思われる。昇天への意志は、死からの脱出の意志なのである。ゴシック建築の多くの塔は、その一つ一つが昇天の意志を秘めている。キリストに倣って天に、永遠なる生へと上昇しようとする垂直的意志のなかに、ヨーロッパの塔の本質ばかりか、ヨーロッパの文化の本質がかくされているのである。
フランチェスコ・グアルディ キリスト昇天祭のサン・マルコ広場(フランチェスコ・グアルディ 「キリスト昇天祭のサン・マルコ広場」)

こう言われると、確かに西洋キリスト教圏では祈りを捧げるのに「天」に向って祈る。教会でもキリスト像は高い位置にあって、自然と上に向って拝むことになる。天に神がいると考えているからだ。(あるいは直接神を見ないようにうつむいて祈りを捧げることもある。これも同じことで、神がいる天に頭を垂れ、自ら神のしもべであることを表現していることになる。)すなわち、ここでいうところの「垂直への意志」ということだろう。
一方、日本はどうだろうか。西方浄土に向って拝む、薬師如来のいる東に拝む、あるいは、「あちらの方向に尊い方がいらしゃる」ということで、その方角に向って拝むことが一般的だろう。(「雨乞い」や「お天道様」に拝むときは天に向って拝む。だがこれも、その方向に向って拝むという感覚に変わりはない) いわば、日本では、神社でも拝殿でも水平方向に拝むことになる。つまりここでいうところの「水平への意志」ということだ。
なるほど、こうみていけば「垂直の西洋と水平の日本」という考えは、非常に面白い考察だと思う。
本書では、同じ権力者の墓でも縦に伸びた「ピラミッド」と横に広がる「仁徳天皇稜」との違いで説明している。

で、塔の話に戻れば、日本の塔には、西洋的垂直の意志と東洋的水平の意志が混ざり合い、そこに日本的精神が合わさっているというのだ。
では、日本人の柱(塔)の本質にあるものとは。

日本の塔において生の理念と死の理念がいかに相戦い、戦いつつそこに一種の調和をつくっている……。

古代の日本人にとって、神は石や木に宿るものであった。神奈備山といわれるあの笠形の形の良い山、その山に神が降りてくる。しかも神が降りてくるのは、尖った岩や高い木を通じてである。私には山の上に聳える高い木に神が降りてくるという信仰が心理的にわかるような気がする。その高い木は、天と地を結ぶものである。天と地を結ぶ古い高い木、それは天と地の接点であり、そこにあらゆる生物の根源がある。天国と地獄の接点、すべてのあらゆる存在するものの原点がそこにあると、古代人は考えた。それは極めて形而上学的な思惟であった。
三輪神社「三輪の神奈備山」(「三輪の神奈備山」三輪神社)

柱、それはいったい古代日本人にとって何を意味したのであろうか。われわれは、「古事記」において、奇妙な柱を知っている。イザナギノミコトとイザナミノミコトは、「天の御柱を見立て、八尋殿を見立て」て国生みをはじめる。天の御柱とは何であろうか。「日本書紀」には、「この時天地の相去ることいまだ遠からず。故、天の柱を以ちて天上に挙げまつりき」と、この国生みの話にちなんで書かれている。これを見ると、柱の役割がだいたい理解される。それは天と地の交流をはかるところである。天から柱を伝わって神々が降りてくる。そしてそこで天と地の結合が行われる。イザナギ、イザナミの結婚が、そういう天の御柱、すなわち天と地の接点をめぐって行われたことは意味が深い。
神木 (注連縄の巻かれた御神木 由岐神社)
かつては山や木に、神が降りてきた。巨巌や巨木が、神の依代であった。しかし、岩や木は不動であり、不動のものにしか神が降りてこないとしたら、不便である。私は柱の信仰は、岩や木の崇拝の後に起こった信仰ではないかと思う。柱は人工的な、移動可能な神の依代である。その移動可能な柱に神が降りてくるとすれば、天地の接点はまさにどこにでも出現可能となる。政治の中心地は天地の中心地である必要があるが、それは文化の発展とともに、山であっては困るのである。都には広い平野が必要であろうが、もし柱に神が降りてくることができるとすれば、平野においても都の建設が可能である。ミヤコとは宮処、すなわち宮殿のある所であるが、ここにおいて、いつも宮殿は宮柱太しりましてという形で語られることに注意したい。柱はまさに、天と地との接点、そこに天の神が降り、地の神が呼応するところなのである。そこは祭ごとの場所であるとともに、政治の中心地でもある。都には、まず柱が建てられる必要がある。私は、最近、万国博の地鎮祭をテレビで見た。ここでも、まず柱がたてられる。柱をたてることは神事なのである。それはここに神が降りてくる知らせなのである。
中略
かつて柱は、まさに祭事と政事の中心地のシンボルであったのである。神を数えるのに、現在もまだ、一柱、二柱というのも、古代人のそういう考え方の名残りであろう。

龍田神社は、天と地の真中にある柱、いってみれば『古事記』に書かれている天の御柱のような役をする柱を祀ることになる。『古事記』では、この宇宙の中心、天と地の接点に立つ柱をまわって、イザナギ、イザナミの両神は、国生みの儀式を行う。この柱は、支配の柱でもある。超越的支配権を象徴する柱である。 
法隆寺

日本人の塔の原型は柱にあり、そこには「神」がいる。(依代、神が降りてくる所)
これは、神に近づこうとして天に伸びていく西洋の塔とは、本質的に違うということだ。
だから、日本人は柱の発展形である塔に特別な感情を抱き、そこに精神的支柱を求めているのだ。

そして、「日本の塔において生の理念と死の理念がいかに相戦い、戦いつつそこに一種の調和をつくっている……。」ということになる。
生の理念とは「西洋的垂直」、死の理念とは「東洋的水平」、そこに日本人的精神が合わさっている、これが日本の塔だということだ。

梅原猛の「塔」では、このあと広隆寺や東大寺や四天王寺などの塔を時の権力者の怨霊封じとして解説しています。
そこをまとめるのは面倒なので、興味のある方は本書をあたって下さい。
ここで必要なのは「日本の塔において生の理念と死の理念がいかに相戦い、戦いつつそこに一種の調和をつくっている」というこの一文です。

さてさて、長々と3回も書いて何がやりたのかというと、これです。
銀魂 塔
アニメ「銀魂」。
この物語に再三登場するこの塔。
東京スカイツリーの完成予想図(画像提供:東武鉄道株式会社・東武タワースカイツリー株式会社)そして、この東京スカイツリー。
この東京スカイツリー、ほんとうによく権力と富の象徴(批判しているのではありませんよ。あくまでも主観的感想)を表している「西洋的な塔」だと思う。
だが、今まで見て来た通り、日本人はここに「精神的支柱」も求めているのだ。
……。

と、これで塔の話は終わり。
これは後の資料に続きます。

塔の話 その2 「西洋の塔と東洋の塔」

前回の「塔の話 その1 東京スカイツリーと東京タワー」の続きで、今回が「塔の話 その2 西洋の塔と東洋の塔」です。
そしてこれが、資料6となります。

梅原猛「塔」(集英社)から。
この本は、「塔」の考察が興味深い前半が大変面白い。しかし後半になると、いつもの梅原猛の論理(法隆寺は何だら、聖徳太子はどうたら)が展開されて急に面白くなくなる。
ということで、ここでは「塔」そのものにスポットを当てたいので、序盤をそのまま書き起こしていきます。

ポイントは3つ。
1、マグダ・レヴェツ・アレクサンダーの『塔の思想』による西洋の塔の精神的目的について。
2、その西洋の塔に対して日本の塔の精神的違い。
3、東洋の塔(特に日本の塔)には、「生と死」の2つの意味があるということ。

……たしかに塔は一つの建造物である。けれどもこの建築物は、他の建築物と一つの点において大いに異なっている。他のほとんどの建築物は、実用性という目的をもっている。家屋は人が住むための、倉庫は物をたくわえるための、浴室は体を洗うための建物である。多くの建物は、それぞれ自己の固有の実用的目的を所有している。もちろん多くの建築物はただ実用的目的のみをもっているのではない。その建築物はさまざまな装飾される。この装飾によって、家屋は豪壮な家屋となり、倉庫は瀟洒な倉庫となり、浴室は美しい浴室になる。しかしなおかつ、家屋は家屋であり、倉庫は倉庫であり、浴室は浴室であるかぎり、それらは、それぞれ固有の実用的目的性を、その核心にもっている。
けれども、塔の場合は事情が違うのである。それは、建築物として、実用的目的をもたない。たしかにヨーロッパにおける多くの塔は、あるいは鐘楼に、あるいは、展望台にすら利用された。しかし、このような実用的目的は塔の場合、二次的な意味をもつにすぎない。まず塔が作られ、たまたま、この塔が、鐘楼や燈台や、展望台に利用されたにすぎない。マグダ・レヴェツ・アレクサンダーは、その著『塔の思想』(池田望訳、河出書房新社)で次のようにいっている。
「塔のもつこれらすべての実用的機能は、たいていの場合、二次的な意味しかもっていないことはあきらかである。塔の発生、塔の芸術的性格・歴史的経過を、この実用的な機能とむすびつけたり、まして、そのような説明のしかたをすることは困難である。慰安の鐘や、時計や、燈火が塔に生命をあたえ、歴史的発展をうながしたのではなくて、まず塔があって、その後に音や、叫びや、光や、歌の機能があらわれたのである。
塔は有用なものであり、われわれにとって絶対不可欠のものだといってよいと思うが、実は単にそれだけにとどまるものではなくて、実用建築物以前のものであり、非現実的な、精神的目標をもつものである」
バベルの塔 2
(ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」)
アレキサンダーが、この塔に関する研究書で、もっぱら考察の対象としたのは、西洋における塔であった。しかし、このアレキサンダーが主張する塔の非実用的性格は、東洋や、日本の塔にもあてはまる。たとえば、ヒンズー教の巨大な塔の群れには明らかに実用的目的以外のものがある。インドの仏塔も、それとまったくちがった形をもつ中国や日本の仏塔と同じく、単に実用的建築物につきるものではない。もとより、仏塔は、その最初の形態において釈迦の墓の標(しるし)であった。しかし釈迦の墓の標としての塔が、真に塔の意味を獲得したのは、その塔が、釈迦の墓の標としての意味を超えることによって可能であったと私は思う。円形に土を盛った釈迦の墓、そこに暑いインドにおいて貴人の象徴である傘が、何重にもかぶせられる。この傘の部分が、墓の標となるが、この傘の部分が、漸次高くなり、ついにここに塔が成立する。そして、こうして墓が、一つの塔になるとき、もはや、塔は、単なる墓の標としての実用的目的以上のものとなるのである。
(中略)
ケルンの大聖堂
ケルンの大聖堂
薬師寺
薬師寺(同じ宗教的意味を持つ塔でも西洋と東洋ではかなり違う)



なぜ塔をたてるか
もし塔が、このように実用的目的性をもたないとしたら、いったい、それはなんのためにつくられたのか、なぜ、人間は塔をたてるのか。なぜ古今東西において、これほど多くの塔が、たてられたのか。もしそれが、まったく実用的目的をもたないとしたら、なぜ、人間はこのような無駄な建築物をたてることに、はかり知れぬばく大なエネルギーをそそいだのか。じっさい塔の建築は容易ではない。空中高く、孤独に突出する建築物は、建築学的にも高度の技術を必要とすると同時に、多くの費用を必要とする。この高度の技術と多くの費用を、人間はなにゆえまったく無意味な建築物と思われる塔に消費したのであろうか。
バベルの塔
(ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」 )

アレキサンダーは、塔を建造する人間の意志を、一種の高所衝動として理解しようとしている。人間は、自己を表現しようとするはげしい意志をもっている。自己の存在を誇示し、自己の存在を空中高く飛躍せしめんとする意志を、人間はその内面深く宿している。そして彼女は、このような説にもとづいて、ヨーロッパのさまざまな塔を説明する。アレキサンダーにとって、ヨーロッパの塔は、いつも、限りなく己を超えようとする高所への意志を表している。それゆえ、この塔は、一つの無限への進行である。ヨーロッパの教会における塔は、長い年月をかけてつくられた。それは長年にわたって、高く、ますます高く建てられ、それが完成された時においても、なおかつその頂上は、より以上の高さへの可能性をうちに秘めている。その完成は一時の終了にすぎず、機会さえあればより高く天にのぼらんとする意志を含んでいるのである。塔が塔であるかぎり、それは、いつも未完であるというのが、アレキサンダーの結論である。
アレキサンダーのこの塔の理解の背後には、ショーペンハウエルや、ニーチェの意志の哲学あろう。塔は人間の生への意志、権力への意志の表現なのである。そしてその生への意志、権力への意志は、いつも無限の方向をもち、それゆえいつも未完に終わるのである。ニーチェがいうように、権力への意志はいつも己れ自らにいう。もっと多くの権力を、と。権力は権力を求めて止まず、塔は高さを求めて、止まることを知らないのである。悲劇的にすら見える、この権力への意志、そこにヨーロッパの塔の本質がある。
サクラダファミリア
(なかなか完成しない「サクラダファミリア大聖堂」)
われわれは、このショーペンハウエルやニーチェの哲学を理論的背景にもつ、アレキサンダーの塔に関する見解に、ひとまず賛成の意を表したい。塔は生への意志の表現として、人間の形而上学的衝動の結果としてつくらているのである。人間は、まったく非実用的とも思われるこの高い孤独な建造物を作った。この非現実的建築物を建設する人間の意志の中に、人間が人間であることを示すなんらの秘密がある。
私はこのエッセイで、順次、日本の塔について究明したい。そこに現れるているのは、いかなる生の意志であるか、その一見無駄な非実用的建築物のなかに、われわれの祖先の、いかなる生への意志が、いかに表現されているのか。
われわれは順次このような視点で、塔を考察するであろうが、われわれがアレキサンダーのように、もっぱら西洋の塔を中心としてではなく、東洋の塔を、特に仏教の塔を考察の対象として加えるとき、われわれは彼女の理論に、若干の修正を加えることを余儀なくされるであろう。


西方の塔と東方の塔
仏教の塔は、すでに述べたように、必ずしも、生への意志によって建てられたわけではない。それは、まず第一に、釈迦の墳墓の標として建てられたのである。ここに偉大なるブッダが眠っている、この偉大なる偉人を崇めよ、というのが墳墓の標としての仏教の塔の最初の意味であった。しかし、この意味は、後に、釈迦の死を示す標から、仏教の偉大さを示すしるしに変わってしまう。むしろ、塔が塔としての意味をもつのは、死のしるしとしての塔から偉大なる教えのしるしとしての塔へと、塔の性格が変わることによってはじまるのかもしれない。
しかも、このような塔建造の意志は、アショカ大王のインド統一の意志と結びつく。アショカ大王の征服意志の偉大さを示すのである。それゆえ、仏教の塔は、ここで、一方には死せる釈迦への崇拝の意味をもつとともに、一方にはアショカ大王の権力表示の意味を持つ。
八坂の塔と京都タワー (京都・法観寺の八坂の塔と京都タワー) 
このように、仏教の塔は、すでにアショカ大王によって建てられた塔において複雑な性格をもつが、それは、その出発点においてもつ、西洋の塔とは異なる性格を、終始保持しているように思われる。それは、やはり、その塔そのものが、その最初の姿において墳墓の性格をもったという特徴に深く支配されている。
中国においても、日本においても、最初に建てられた仏塔は、多く舎利塔の性格をもった塔であった。舎利塔とは、釈迦の骨を収めている塔であり、塔の土台の下には舎利が収められている。つまり、インドから中国をへて日本へと塔が伝わり、その形がまったく変化してしまった後においても、この舎利塔としての性格は、中国や日本の仏塔にも強く残されたのである。
もし、仏塔が、釈迦の墓の標としての意味に支配されているとすれば、アレキサンダーの分析が示すように、西洋の塔の中心が、いつも未完のままに終わる塔の尖端にあったとしても、日本の仏塔の中心を、その尖端に求めるわけにはゆかないであろう。
この高くそびえる建物そのものが、一つの死を示しているのである。この高くそびえる建物そのものは、ヨーロッパの塔のように、永遠に高く昇る一つの意志を表すのではなく、一人の偉大なる人間の死の栄光を示すものである。ヨーロッパの塔が、限りなく上昇する生への意志を示すものであるとすれば、仏教の塔は、生と死のたえざる争いの上に生まれるといってよいかもしれない。まさにここで生は死の上にそびえ、そして死の上に高くそびえることにより、死を超克せんとしながらも、なおかつ、生は、偉大なる沈黙の死の支配を脱することができない。

それゆえ、われわれが仏塔を考察の対象に加えるとき、塔をただアレキサンダーの理論によって考察するわけにはゆかなくなるであろう。塔をたてる人間そのものは、生の衝動とともに、死の衝動をもっているである。晩年のフロイドは、エロス、生の衝動とともにタナトス、死の衝動を人間の二つの大きな衝動とした。生の衝動のみで人間の行動を説明することはできない。思想史的に見ると、十九世紀のショーペンハウエルや、ニーチェの生の哲学は、意志の側面、生の側面から人間を見たが、二十世紀のハイデッガーやヤスペルスの実存哲学は、人間を実存の側面、死の側面から見ようとする。われわれがは塔の考察においても、単なる生の側面ではなく死の側面の考察を必要としないか。塔は、まさに生と死の、天と地の相克の表現ではないのか。アレキサンダーの塔の分析には、生の視点のみがあり、死の視点が欠如していたのではないか。形而上学的なものとは、無限なる生への意志とともに深遠なる死への省察を含むものであろうが、アレキサンダーの形而上学には、生への意志はあっても、死への省察は欠けていたのではないのか。
東京スカイツリーと浅草寺・五重塔東京スカイツリーと浅草寺・五重塔

生と死の争うところ
私は思う。塔には生への意志とともに、死への省察が含まれている。限りなく上昇しようとする強い生への意志と、それにもかかわらず、人間を根本的に支配する死の意識が、すべての塔の中で、はげしく戦っているのである。この生と死の戦いは、人間存在を構成する基本的なものなのである。
われわれは、塔の中に生と死の争いを見る。そこで生が死にいかに勝ち、あるいは死がいかに生を制し、あるいは生がいかに死と親しんでいるかという、人間存在の根源にかかわる知恵がしめされているのをわれわれは見る。
仏教徒が釈迦の墓の標である塔を聖なるものとして尊敬したのは、決して釈迦の説教そのものと無関係ではない。釈迦の思想の中心に死の思想があった。釈迦は人間を、苦悩の相において見た。生老病死、それが、釈迦の見た人間の四つの苦の相であった。しかしこの四つの苦の中で、釈迦がもっとも人間にとって根本的な苦であると考えたのは死の苦である。己れの存在が無に帰してゆく苦しみ、その苦しみにまして深い苦しみが人間にあるのか。釈迦はこの苦の原因を愛執に見た。
愛執を殺せ。生にたいする愛執から死の苦悩は起こる。生への愛執をたち切れ。釈迦は、すべての愛執をたち切って、泉のような静かで浄いさとりに生きることを理想とした。そして彼は、約五十年の間、このような理想を説いて歩いたが、ついにその理想を彼自身が自己の身をもって体得していることをはっきり示す日がきたのである。彼の死の日である。死の日、彼はあくまでも静かであった。彼は泣き悲しむ弟子どもに人生無常の理を説いて、静かに死についた。彼は、死の前のソクラテスのように魂の不死の証明をしたり、イエス・キリストのように死後の復活を予言しようとしなかった。彼にとっては魂の不死も死後の復活も、一つの幻想にすぎなかった。永遠の生の幻想によって死からのがれるわけにはゆかない。人は自然から生まれたようにまた自然に帰れ、釈迦は自然に帰るように静かに安らかに死の懐ろに帰ってゆく。
後年、仏教徒が、釈迦の像を、好んで涅槃図の形で描くのは、けっして偶然ではない。そこに釈迦の教えそのものの具象化があるのである。釈迦をとりまく多くの人間たちや、動物たちまでも、釈迦の死を悲しんでいる。しかるに死に行く釈迦自身の唇には、微笑すら浮かんでいる。その微笑の中に仏教の理想がある。
釈迦涅槃図
(紙本著色釈迦涅槃図 長野県松本市・西善寺)
この釈迦像における涅槃像の優位は、仏像建築における塔の優位性と無関係ではない。塔は釈迦の死の記念塔なのである。釈迦は己の理想に従って安らかで静かな死んだ。その釈迦を記念して、ここに塔が建てられるのである。塔は二重の意味において死の思想を含んでいる。それは死せる釈迦への追想であるとともに、同時にこの塔は、死を人間考察の中心においた仏教思想の表示でもある。
われわれは大乗仏教が、あまりに死の思想に執着した小乗仏教にたいして、生復興の思想運動であったことを知っている。ここで、伝統仏教が、二重の点で、死の思想に執着していることが批判される。伝統仏教、小乗仏教が、あまりにも死んだ釈迦に執着しすぎることによって、その生き生きとした生命力を失ってしまった。大乗仏教は人びとに死せる釈迦からの解放を教えた。そっして死せる釈迦からの解放は、また同時に、釈迦の死の思想からの解放ともなった。死を凝視するあまり、あまりに自由を失った小乗仏教にたいして、大乗仏教は永遠なる生を自覚した自由な生き方をといた。しかしこういう大乗仏教の方向にもかかわらず、仏教は深く死の思想を、その思想の根底に保持している。仏教の塔は、その性格がさまざまに変わるが、それはその端緒にもっていた死の思想を容易に脱することができないのである。
われわれは仏教の塔をキリスト教の塔のように、一つの未完のものと考えることができない。未完のものはインド人や中国人にとってと同様に、われわれ日本人にとっては、けっして美的なものではないのである。限りなく天にのびていく意志、このような意志の直接のあらわれは、われわれ日本人にとってけっして美的なものでも宗教的ものでもない。このような意志を、大地との調和において、安定を保たせる必要がある。


西洋の塔と東洋の塔(特に日本)の違いがよく分かりますね。

さて、次回はこの違いはどこから来るのかです。

塔の話 その1 「東京スカイツリー」と「東京タワー」

東京スカイツリーの開業が2012年5月に近づいてきた。これまでは外観のみで、どこからの眺めがいいとかや、建築の様子とか作業員の苦労話とかいった周辺の話が報道されていたが、それがだんだんと内部の様子や展望台や料金といった具体的なものが取り上げられるようになってきました。
実は、私も昨年の10月に見に行きました。そのときは、まだ隣のビルよりも低かった。
建設中の東京スカイツリー
それがいまは完成して634mに達した。
東京スカイツリー 634m
おっ~、高いですね。

でも、ある人がこんなことを言った。
「なんか、棒が立っているみたいで面白みがない。何か東京タワーの方が親しみがあるんだよね」と。
そして、関西系の芸人は「わてらには通天閣があるねん。通天閣の方がカッコいいねん」と。
……。
よくある、「昔(のモノ)はよかった、新しいものはダメ」といった回顧主義で言っているのかもしれない。
でも何か否定できない。この気持ち分かるような気もするのだ。ここには、単純なノスタルジックな思いや昔のものに好意を寄せるといった感情だけではないように感じるからだ。
東京タワー
改めて東京タワーを見てみる。たしかに東京タワーは姿形がいいのだ。
通天閣やエッフェル塔もそうだが、そう、ここに「安定感」を感じてしまう。
そこに何かしらの好感を得る何かがあるのだろう。

そこで、梅原猛の「」(集英社)の本からそんなようなことを言っている部分を引用してみました。
梅原猛 「塔」

薬師寺の塔
薬師寺を見ると、私は日本を感じる。優美、安定、繊細、流麗、この塔ほど、多くの人に感嘆された塔はない。おそらく、この塔は金堂の本尊、薬師三尊ととに、日本文化を代表するすぐれた芸術品であろう。ある人は凍れる音楽とそれをよび、ある人は動と静との不思議な調和とそれをよぶ。
薬師寺 東塔 1
(薬師寺 東塔)
おそらく、日本が世界に誇りうる塔であろう。この塔の特徴は、何よりも裳層(もこし)である。三重の塔の各階ごとに裳層がつけられている。裳層は、本来ひさしであり、本屋を保護するためのものであろう。しかし薬師寺の場合は、ただの保護のためのものではない。この裳層が、この塔の安定感と優雅性を強めている。
もし裳層がなかったら、この塔はどうなっているのか。どうにも、それは、淋しいものになったにちがいない。何か、内面が欠けているような、ひとりの淋しい男がひょろ長く立っているような印象を与えるに違いない。裳層があるために塔は充実している。そしてその充実感は、本来の屋根の下より、裳層の下の方が強いのである。なぜならそこに、人が登り、回ることのできる、手すりのついた廊下があるからである。つまり、人が歩くことのできる手すりつきの廊下は、二重の屋根におおわれている。それは本来の屋根と裳層との二重の屋根の下にあるが、直接には裳層の下にある。
この裳層は、日本の塔のみにあるものである。裳層は、日本の発明である。この裳層は、建物に複雑性と充実性を与えるばかりではなく、安定性をも与えている。薬師寺の塔を見て、われわれの眼に飛び込んでくるのは、やはり横線である。本来の屋根と裳層との二重の屋根の横線が、まず眼に入る。そして手すりの線、この多くの平行線が、何よりもこの建物に安定感を与えるのである。
西洋の塔は、ちがう。西洋の塔は、何よりも高さへの意志をあらわす。高さへの意志をあらわそうとする西洋の塔は、何よりも縦線を強調する。見る人に、この建物が天上高くのびてゆこうとする意志を、はっきり示さねばならない。塔は、本来、高さへの意志を表現するものであった。しかもそのその高さへの意志は、同時に、権力の象徴であった。もう一ついえば、それは、宗教によって聖化された権力の象徴であった。
しかし、この薬師寺の塔はどうか。それはたしかに高い。しかし、それはほとんど高さを感じさせないのである。そして、高さよりむしろ、それは安定を感じさせるのである。
私は最近、ある塔へ昇った。昇ってみて、私は、塔を支えるものは、たった一本の柱であることを改めて感じた。『日本書紀』が、塔のことを「刹柱」といった意味を、改めて感じた。しかし、日本の塔の場合、この柱は外から隠されている。つまり、大地に根をはりつつ、空中高く飛翔する一本の柱の意志は、ここではたくみにかくされている。そしてこの薬師寺の塔の場合は、その大きな柱の意志を、多くの曲線によって、いっそう目立たなくさせているのである。そして、そこで支配するのは、高さへの意志ではなくて、安定である。高きもの、偉大なるものの安定した姿である。
裳層は、おそらく、安定の感をますためにつけられたのであろう。日本人は、むやみに高いものを愛しはしなかった。たとえば、山にしても、古代日本人が愛した山は、三輪山や、天の香具山の例が示すように、傘形の安定のとれた山である。むやみに高い奇妙な形の山には、神が住むことができなかった。同じようなことが建物にもいえるであろう。高さへの意志を表す塔にさえ、裳層をつけて、平行線を強調しなければならなかった日本人には、やはり強烈な安定への意志が働いているにちがいない。後世、日本人が、城という高い建築物をたてた場合にも、余分な屋根を何重にもつけなければならなかったのである。
薬師寺の塔に中には、そういう安定への意志がある。そして、その点において、この塔ははなはだ日本的なのである。

なるほど。確かに東京スカイツリーは、高さを強調した「西洋の塔」という趣きがある。対して、東京タワーにはどっしりとした安定感を感じさせる「日本の塔」的要素を強く感じる。
東京タワー下からの眺め。
東京タワー 下からの眺め
で、こちらは薬師寺 西塔
薬師寺の塔
この安定感似ていると思う。
こういう視点で見ると、安定感を得られる東京タワーは「日本らしい塔」・和風的要素が含まれたいる塔だといえる。東京タワーが好きだという人の理由は、実はここにあるのではないかと思う。
同じような現代的な塔でありながら、片や「西洋的な塔・東京スカイツリー」と一方で「日本的な塔・東京タワー」、この対照的なものが同時代・同じ空間に存在していることが、面白い。
そう考えると、2つを一度に見ることができるというは大変贅沢なことなのではないか、そう思えてならないのだ。(あくまでも私の考えですが…。)


さて、この「塔」の本は面白いのであと2回くらい続けます。
これは資料5となります。

「涼宮ハルヒ」と「麻生太郎」と「新井白石」

「涼宮ハルヒ」と「麻生太郎」と「新井白石」の記事を3つ並べてみました。一見なんの脈絡がありませんが、むりやりつなげていつもの持論(迷論)をグダグダ書きます。

まず、日本経済新聞 2011/6/12の記事にこんな記事から。
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819696E2EAE2E0908DE2EAE2E4E0E2E3E38AE1E6E2E2E2

「涼宮ハルヒ」にアジアが行列 出版各社が攻勢 小説、5カ国・地域で同時発売

角川は先月25日、「涼宮ハルヒ」シリーズの新作「涼宮ハルヒの驚愕(きょうがく)」を日本、韓国、台湾、香港、中国の5カ国・地域で同時発売した。新刊書籍の同時発売は、同社として初の試みだ。
同シリーズの4年ぶりの新作とあって発売当日には深夜営業する書店も現れ、各国でファンが行列を作った。初版の国内での発行部数は前編後編2冊合計で102万部、海外を合わせると約130万部と、ライトノベルで史上最多だという。
作者の谷川流氏から角川に、新作が完成したという連絡が入ったのは昨秋。国内だけならすぐにでも発売できたが、角川は谷川氏の了承を得たうえで、あえて半年遅らせてでもアジアで一斉に発売すると決めた。
「涼宮ハルヒ」シリーズは、これまで世界で計1650万部(国内はうち800万部)を売り上げている大ヒット作。「過去の作品は15カ国で翻訳されており、新刊を待ち望むファンにいち早く平等に届けたかった」と角川書店の井上伸一郎社長は話す。
涼宮ハルヒの驚愕 中国版
(中略)
アジア同時発売に先駆けるように、角川GHDは昨年5月、中国・広州に49%を出資する合弁会社を設立した。これまでライトノベル70タイトル以上を翻訳・出版し、市場の大きさは確認済みだ。今後は涼宮ハルヒ関連のオリジナルの雑誌の創刊や、キャラクターグッズを発売する計画もある。「将来的には、新刊と同時に電子書籍も世界中で販売する展開も検討したい」(井上氏)
(中略) 
集英社は5月15日から、中国・杭州で発行されている新聞「銭江晩報」で人気漫画「ONE PIECE」の連載を始めた。第1話から掲載し、連載期間は未定という。
 同作は累計発行数が2億冊を超えた国内有数の大ヒット漫画。中国でも600万部を販売している。漫画の出版を手がける中国の出版社と、今回の新聞社がグループ会社だったため掲載を許諾した。「中国での普及と、市場拡大につながれば」(集英社)と狙いを話す。
 涼宮ハルヒもONE PIECEも、出版社にとっては業績をも左右しかねないキラーコンテンツの一つ。ただ国内だけをターゲットにしていては、今後大きな市場拡大は期待できない。官主導の「クール・ジャパン」に後押しされるまでもなく、成長が期待できるアジアへの展開を急ぐのは、各社にとって必然的な流れなのかもしれない。

涼宮ハルヒが経済という観点で日経新聞に載ったということも驚きだが、全世界で計1650万部も売れているということに一層驚愕させられた。(「驚愕」読みました。面白かった。過去記事)
これがライトノベルやマンガ、アニメだからといって軽視してはいけないと思う。日本発の「活字の本」で世界が注目するというものが、ほかにあるだろか。世界で名の通った作家でいえば、ほかに村上春樹ぐらいしかちょっと思い浮かばない。
この新聞記事サイトには、「涼宮ハルヒ」の発売日に書店の前で行列を作る台湾の若者の写真が掲載されていたが、日本から発信された文化に、世界中に熱心なファンがいるという事実を見逃してはならない。(アニメは北米で評価が高い)
言語も文化も違う世界の国々で、同じストーリーのものを読み、同じキャラに共感(萌え)することができるというは実に素晴らしいことなのですよ。
それに、国力が衰退していく現状の日本において、世界に発信できるモノがあるというのが、いまや貴重な存在といえる。まさに、これを日本文化といわずして、何を日本文化というべきなのだろうか。(和田アキ子がハルヒを知らないくてもいい、劇団ひとりがオタクをバカにして「けいおん」のフィギュア齧じろうがこんなアホどもはどうでもいい、大事なのは、世界に熱狂的ファンが多くいるということだ)
過去記事 アニメは日本文化を救えるか  第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。切っ掛けは「タイ焼き」から?……。

アニメは日本文化を救えるか 第8回 大切なことは何か


さて次が麻生太郎。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110613-00000001-gendaibiz-pol

北京で久々に炸裂した麻生太郎「文化担当特使」に民主党外交は学べ 「ポケモンはキュッキュとしか言わないが世界で通用するじゃないか
久々に、'麻生節'が、北京で炸裂した。
 先週、麻生太郎元首相が、なぜか菅直人首相の「文化担当特使」として、6月8日からこちらで始まった「ジャパン・フィルム&テレビ・ウィーク」に合わせて北京を訪れた。
ポケモンはキュッキュッとしか言わねーが、世界中で通じてるじゃねーか。文化交流ってのは、言葉じゃねーんだ。日本の素晴らしいコンテンツは、世界で通用するんだよ! 
「韓国は文化開放に踏み切ってから、日韓関係は劇的に改善された。あんたんとこ(中国)も、早くそうすべきだ! 」
 まさに麻生特使の行くところ、拍手喝采が鳴り止まない。皮肉なことに、民主党政権下になって、これほど北京で人気を博した日本の政治家はいない。

この記事には記者の文章が続く。

21世紀の日中関係において、日本が中国に勝てるのは、たった3つの分野しかない。それは、「先端技術」「サービス」「オタク系文化」である。他のあらゆる分野が早晩、中国に追い越されるだろう。
 だがこの3分野だけは、いわば日本の誇る「三種の神器」である。こうした日本の優位性を、もっと中国にアピールすべきなのだ。

まさにその通り。自国(民族)の独立やアイデンティティは、自国の文化によって保たれる。だからこそ「文化」は大切なのだ。
三島由紀夫も福沢諭吉も新井白石も、過去の偉人たちはみな「自国の文化」を高めることを訴えてきたのだ。
過去記事 守るべきは日本文化! サブカル好きもポップカルチャー好きも、神社に集う歴女もアニオタも、みんな三島由紀夫が命に代えて主張したことを聴け!

ということで、ここで新井白石の人生を基にした小説、藤沢周平の傑作小説「市塵」から、これらに関連するような箇所をいくつか引いてみる。
藤沢周平 市塵

 使節は興味深げにこれら舞楽を見終わったが、中に陵王、納曾利などの高麗楽が含まれていたのは感動したらしく、正使趙泰億は、これらの楽はその名は伝わるものの、楽譜が絶えてわが国ではいまはその舞を見ることができない。しかるにこの国がその楽を伝えていて今日目のあたりにすることができたたのは東来(訪日)の一大幸事である、と言った。
これらの舞楽は昨年上京のときに、白石が狛近家の楽人たちと入念に打ち合わせて用意したものだったので、遠来の使節を楽しませ、かねてからわが国の文化の浅薄ならざることを知らしめるという白石の目的は、二つともに達せられた。

  この日の白石の胸にはもうひとつのもくろみが隠されていた。友好といっても、相手はこちらを、文化的に一段劣る民族と眺めている知識人である。その観念は牢乎として抜きがたいものがあるだろうことが予想された。しかし一方で白石は、今度の朝鮮通信使の来日は、この種の偏見をただす数少ない機会のひとつに違いないと考えていた。機会をとらえて彼らの固定観念にゆさぶりをかけるべきだった。
わが国の文化はもはや昔日の比ではなく、彼らが持つ文化に何ら遜色のあるものではないことを認識せしめる。それが阿諛迎合に拠るのではない真の友好、親睦をもたらし、ひいては白石の意図する対等の国交の基礎ともなる、という考えである。
そういう意図(朝鮮使節使の優越意識にゆさぶりをかける)なり、対応の仕方なりが、相手との間に、今度の改革全般について回っているような、ある種の緊張した空気をもたらすことも十分に予想されたが、白石はそのことをさほど恐れてはいなかった。その種の緊張を乗り越えないことには、お互いをあるがままに認識した上に築かれる対等の世界を生まれないことがわかっていたからである。

 朝鮮使節使の心中にある文化的な優越意識……、中国の風俗をいまに伝え、中華の精髄を遺すのは、天下にわが朝鮮国だけであると、誇らかに言った。露骨なお国自慢、自画自賛というべきものだった。……彼らの選民意識が露骨に出たというばかりでなく、日本を上から見下ろして物を言っているという意味で、かなり無礼なものであった。

 これに白石は反撃した。
「貴国は、周の武王によって貴国に封じられた殷の公人箕子にはじまる国なので、諸君子の来日に大いに期待していたが、いま目のあたりに儀容冠帽等を見るに、それはわずかに近年に明朝の制服に過ぎない」と白石言った。通信使の中華意識、選良意識にまず一撃を加えて、これもなかなか辛辣な言葉である。
白石はつづけて、現在の清国はこのところ制度、文物を改変し、固有の風俗の普及を強要して天下の統制をすすめようとしているらしい。しかるに、すでに清国に臣属を誓っている貴国や琉球国が、いまなお弁髪、左衽を強いられずに済んでいるのは、はたして清国の寛大な処遇のせいか、それとも両国がわが国を後盾としているためかは、何とも言えないところではなかろうかと言った。
豊臣秀吉が二度にわたって仕掛けた侵略戦争が終わると、朝鮮ではかねてからくすぶっていた官僚間の党争が再燃し、およそ五十年ほど前の、わが国の万治二年に起きた己亥礼論を境に、その抗争は次第に激化した。
すなわちわが国の延宝八年に起きた庚申大黜陟と呼ばれる政変では多数の死者を出しし、さらにその後も、党争は王室の世子柵封問題を巻き込んで、李王朝存立の基礎をゆるがすところまで発展した。その様子をすばやく見て取ったらしい、清の康煕帝が、自分の子の一人を、朝鮮王の養子にしたいと申し入れたといううわさがあった。ごく最近のことである。清の皇帝の半強制的なその申し入れは、体のいい譲国の要求にほかならない。
おどろいた朝鮮側は、朝鮮は代々日本と隣交の誼を通じていて、李王朝あるかぎり日本との交際は万世にわたって変じないという約定がある。いまもし要求を容れて李氏が国を譲り、国名が変わるようなことになれば日本との約定はどうなるか、不測の事態にもなりかねないので話はお受け出来かねる、と断ったという。
白石が耳にしているのはそういうことだったが、同じことは昨年対馬藩から幕府に提出された報告書にも記されていて、それにはもし清国の要望を辞退しても聞かれない場合は、これは朝鮮滅亡の時だから、日本に加勢をたのむしかないなどという話があったことも書かれていた。
白石の反駁は、そういう事実にもとづいて行われたので、趙正使が言った清国もわが朝鮮を礼儀の国と認めて非礼を加えることはないという自画自賛的な言葉に対する、痛烈なしっぺ返しとなった。趙泰億はこれについては黙して答えずという態度で応じたが、白石に痛いところを突かれたのはたしかだったろう。……そばに事なかれ主義の幕府要人たちがいたら色青さめたろうと思われる……

 

 今度の通信使来日を前にして、白石と家宣との間に出来上がった合意は、応対儀礼を含む両国の交際にみられる偏り、前回の天和度の通信使来訪で頂点に達した観のある偏った待遇様式を改変し、対等の国交関係を確立することだった。
(中略)
 白石の腹は決まっていた。要求は断固はねつけるべきだった。自分の国の慣習を盾に、すでに渡された国書を書き直せというのは、あまりにも自分本位の無礼な話ではないか。
(中略)
  ―――これは、つまるところ……。文化の争いだ、と白石は思っていた。彼らの要求をいれれば、彼の国の文化に屈することになる。そうなれば、ここまでの努力がすべて水泡に帰するのは明らかだと思われたのである。

 

 老中の笑顔に抗うように、白石ははげしく言い返した。国家の面目といったことには一顧もせず、単にその場しのぎの事なかれ主義で事を済まそうという老中に、強い怒りを感じていた。
「申し上げるならば、これでも少なからずあった争いのごときは、ほとんどが枝葉末節。今度の諱の一件こそ、わが国が譲ることのならぬ一大事と存じます。それがしもまた、はじめに申し上げたことは、死すとも改めますまい」

 

 過度のもてなし、あるいはあからさまな文化的崇拝の表明は、おのずから朝鮮側使節に奢りと文化的優越感をもたし、……白石はわれら対等、換言すれば釣り合いのとれた交際儀礼を確立すべき時期が来たと判断しているのだった。
…ここにきてわが国も文化的に成熟したという自負だった。白石は自分のまわりが多士済々、学問でも詩文の才でも、来日する朝鮮の文人たちと十分太刀打ちできる才能に囲まれているのを感じる。

当時、中華思想にどっぷり浸かっていた朝鮮人が、日本人のことを文化の劣った下等な民族だと見下していたのがよくわかる。その状況を打破しようと新井白石が重要視したのが「文化力」だった。日本の文化力が高いことを示して、これを以ってして朝鮮との外交に対等あるいは優位に立とうとした。しかもこれは朝鮮の向こう側にある清(中国)を強く意識したものだった。(「市塵」はこの朝鮮通信使と新井白石のやりとりがスリリングに描かれていて中盤の山場になっている。藤沢周平巧いなぁ)

宮崎道生著「人物叢書 新井白石」にはこうある。

この正徳元年においては白石はすでに五十六歳、詩人としては第一人者と認められ、学識においても比肩し得る者が少なかったことに加え、朝鮮国の日本観および外交姿勢にも、これまでの朝鮮使節らの日本文化人蔑視にも不満や不快感をも抱いていたから、それらを矯正した使節たちに徳川将軍の威厳と日本文化の優秀性を認識させようとの強固な意図が白石にはあったのである。

新井白石って「分かっている人」だった。
詳しくは過去記事
シリーズ 新井白石編3回目 対中国、対朝鮮、日本の取るべき外交姿勢は、新井白石に学べ。
シリーズ 新井白石編4回目 山本七平が絶賛する新井白石の対中国、対朝鮮外交
で。

戦時では武力が唯一の外交手段となるが、平時においては文化力が外交で大きな力を発揮することになる。文化を全面に出して日本を売り込むことは、かつて新井白石がしたことであり、これを麻生太郎が今の時代で行っているのだ。
文化力はその国の国力に比例する。
それでも、アニメ、マンガ、ラノベはサブカルじゃないか、そんなの文化じゃないという風潮もいまだに強い。
では、歌舞伎や浮世絵や俳句や川柳などはどうだろうか。これらは当時は高級な文化とは言われず、一般大衆が好んだ文化(サブカルチャー)であったが、いまや世界中の人々が認める日本文化となった。
詳しくは過去記事 アニメは日本文化を救えるか  第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。の「職人気質とサブカルチャー」を。
では『源氏物語』はどうだろうか、無名というべき女官が書いたものは現代風にいえば軽い読み物(ラノベ)だったじゃないのか。それが世界で最初に書かれた小説だという、これはいま、日本の誇るべき文化だといわれる。
夏目漱石の『坊ちゃん』はどうだろうか、あれなどは、各々のキャラの立った人物が騒動を巻き起こす学園ドタバタ物語じゃないのか、しかも主人公一人称の語りなんて「涼宮ハルヒシリーズ」のキョンと同じなのですよ。(むろん私の独断、異論は認める) それが、明治を代表する小説の一つとなった。
大衆文化も時代を経ると立派な文化になるのだ。
100年経てば、アニメもマンガもラノベも、平成の時代を彩った「日本文化」と認識されるはずなのです。
きっと……。
(そのころには「日本」という国がなくなって、「○○省」とか「○○自治区」かあるいは「××州」、「××連邦自治管区」となっているかもしれませんが、それでも「文化」は残るのです)

こういう文化、世界が認める日本の文化は、大事にしていきましょう。
これが日本を救うのです。
たぶん。
いや、きっと……。
そう信じています。

またまた転勤!

久々の更新。
というのも、またまた転勤となりまして、バタバタしていてなかなかブログ更新の時間が取れませんでした。
しかも今回異動となった場所が、超忙しい!!
だからといって給料が増えるわけではないし、ただサービス残業が増えるということだ。(サマータイム制度大反対。これが実現されたら残業地獄になる) それこそ、帰宅したら身も心もクタクタで寝るだけの生活となってしまいました。(休暇もただ寝て過ごすという体を休める日になった)
それに今度通う所が、「佐野」って!
栃木の佐野ですよ、ちと遠いよ。

去年の7月に大泉町の場所に異動になってから1年も経っていない。一年ごとに変更って、日本の首相なみにコロコロと変わるなぁ。
過去記事
これを読むと、このころは三島由紀夫ばかり読んでいたころだ。(まさかこの後にアニオタになるとは思いもしていないかった)
それに「二十歳の三島由紀夫」をまだ書いていないじゃん。考えはまとまっているのに……。

それにしても佐野といえば「佐野ラーメン」とか「佐野厄除け大師」とか有名ですが、わたし的には司馬遼太郎が学徒出陣して終戦を迎えたところとして、とても気になっていました。
そう考えると、大泉町の三島由紀夫と佐野の司馬遼太郎って戦争末期に距離的に結構近いところにいたんですね。
しかも両者ともこの終戦体験が後の作家人生において大きな影響を与えるわけですから。
そういえば、美智子皇后陛下は、戦中時に館林に疎開されていたから、狭い地域でニアミスしていたことになっていて、これも大いに気になる。
時代は違うが、他にも桐生の坂口安吾、太田・生品神社の新田次郎、館林の田山花袋、足利の相田みつを、っていうのもあるから、この周辺地域(両毛地域)も掘り起こすと結構面白いですね。

ということで、またぼちぼち更新していきます。

パチンコ屋で営業をする東国原に何を期待しているのか…、私には分からない

東日本大震災が起こって、品不足が起こった。特に乾電池は買占めと供給不足によって完全に売り場から消えた。
そんな事態だったころ、あるスーパーに行ったのだが、驚くことに、そこには乾電池が山積みになって売られていた。
単一電池

単3電池
おおこれはスゴイと思って、一つ買ってみようとしばし眺める。だがよく見ると、メーカー名が「PanascniG」 「HUATAI」となっている。つまり「パナソニック」や「日立」を語った「まがい物」であった。
普通に一流メーカーのアルカリ電池のような顔をして置かれているから、アルファベットに弱い人なら騙されてしまうかもしれない。
そして、手に取って見ると、驚くほど「軽い」。まるで「中身のないスカスカのもの」でこれで実際使えるのか疑わしい。
だが、それでも売れていた。数日後には単一電池は売り切れになっていた。
例えそれがインチキ商品だとは分かっていても、他のモノがないのだから選びようもない、みんな「これでもいいか」と仕方く買っているのかもしれない。
でもね、なんかあまりにも「えげつない」商売じゃないのかという気がしてならない。
平時でもこんな偽物商品は出て回るが、まして緊急時である。
売る側もそんなことは百も承知で、売れるものは何だっていいじゃないかという言うだろう。
だが、混乱期に付け込んでアクドイことをするとは、すこし強欲すぎやしなかと、つくづく思う。

ただ、こういう「まがい物」はどこにでもいるようで、人の弱みに分け入って自分の利のために阿漕なことをする奴は後を絶たないようのだ。

さて、話は変わる。
ある朝、新聞のチラシを見てぶっ飛んだ。
パチンコのチラシだった。
パチンコ 東国原
何これ、「東国原英夫さん大来店!! 日本を、群馬の週末を、元気せんといかん!」って。
あんたアホか!
次の選挙資金集めでパチンコ屋巡りですか?
この東国原は4カ月前までは宮崎県知事であり、この一カ月前に東京都知事選に出馬している。
彼は何者なのだろうか、パチンコ屋回りをする人が、果して政治家と言えるのだろうか。

もうお忘れかもしれないが、東国原は前回の衆院選で自民党に自爆テロ(俺を総理大臣にしろと迫って自民党を分裂させ、党員の信用を失墜させた)を仕掛け、民主党圧勝をもたらした第一戦犯である。しかも自民党惨敗の理由を中川昭一氏や麻生太郎氏の所為にして自分は逃げた卑怯者であった。
いまの民主党による政治の混乱はどこから端を発しているのか、よく思い出してみよう。民主党躍進の後押しをし、あの売国政党に数の力を与えたのが誰かを。
過去記事
東国原知事による今回の「騒動」は、結局は「自民党つぶしの自爆テロなのか?」
東国原知事批判のまとめ。やはり東国原は自民党つぶしの自爆テロだった。

お友達は和田アキ子に島田紳助、都知事選立候補をたけしに相談といった具合で、完全な芸能人であって、TBSの「芸能人感謝祭」で赤坂サカスの周りをマラソンしている方がお似合いだと思う。
ほんと、「まがい物乾電池」のように「軽く」「中身がない」、そのくせ一流メーカーのアルカリ電池のような顔をしているあの「偽物乾電池」とそっくり同じである。

よく、アニメやマンガがパチンコ台になると、「パチ屋に版権を売り渡した売国奴」「北朝鮮に献金するのか」といって関係者を叩く人がいる。まあアニメやマンガや芸能人も商売なのでカネのことを考えなければならない、ある意味人気商売なのだから仕方ないだろう。
しかし、パチンコ屋に営業に行く政治家っていうのはどうだろう。東国原以外にいるだろうか。叩くべきはこんな「エセ政治家」じゃないのか。
奇しくも、東国原がパチンコ屋巡りをしているころ、無駄に電気を使うパチンコ屋は営業を自粛と訴えていた石原都知事がパチンコ業界誌で叩かれていた。
パチンコ業界の黒い話やパチンコ換金合法化なんてことを聞けば、パチンコ屋巡りをする東国原が今後どんな方向性を目指しているか分かるようなものです。
過去記事 「在日同胞が経営するパチンコ店」なんていうのを見ると、パチンコなんてほんといらないと思う。

混乱に乗じて出回る「偽物乾電池」のように、「エセ政治家」が政局の混乱に紛れてのさばらないように、よく注意しなければならない。
偽物を掴まされたといって、後になって叫んでも、それでは遅いのだから……。

 | HOME | 

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

05 | 2011/06 | 07
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  └ 月別アーカイブ
        └ 2011年06月
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。