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「継承の物語」その3 スターウォーズと黒澤明 資料編14回目

資料編14回目 「継承の物語」その3 スターウォーズと黒澤明

「継承の物語その1 ゴッドファーザー」「継承の物語その2 クリント・イーストウッド」の続きです。

『スター・ウォーズ 完全基礎講座』(扶桑社)の中にいい説明があったので引いてみます。
スター・ウォーズ 完全基礎講座

ルーカス 黒澤の意志を継ぐ者 鈴木勉
(「スターウォーズ」が黒澤の「隠し砦の三悪人」の影響を受けていることの説明のあとで) なぜルーカスはこれほど大胆に黒澤を引用したのか。
「スター・ウォーズ」は「自分は黒澤の正当な後継者である」というジョージ・ルーカスの宣言だったのだ!
(中略)
「私は黒澤の後継者だ」
これこそ、ルーカスの作品、ルーカスの行動の原点なのだ。これを前提に彼のキャリアを再検証すると、常に一貫した姿勢を貫いていることがわかる。
(黒澤とルーカスの関係についての説明)
続いて映画の内容に目を向けてみよう。黒澤の映画が世界中で高く評価されている理由として、その芸術性の高さと、根底に流れる強烈なメッセージ(ヒューマニズム)を挙げることができる。特に見過ごされがちなのが後者の「メッセージ」だ。善と悪の対立を背景に、その混乱の中で果敢に自分の理想を追い求める人間の気高さに黒澤は目を向ける。たとえ彼(彼女)らの行為が敗北に終わったとしても、その過程を描き出す黒澤の筆致は力強く、限りなく優しい。極論してしまえば、彼の映画はすべて、登場人物の精神的な成長の物語なのである。だから、そこには常に師と弟子の関係が登場する。デビュー作「姿三四郎」では柔道家・矢野正五郎(大河内伝次郎)と姿三四郎(藤田進)、「七人の侍」では、島田勘兵衛(志村喬)と勝四郎(木村功)、「赤ひげ」では新出去定(三船敏郎)と保本登(加山雄三)の関係がそれにあたる。当然のごとく、ルーカスはスター・ウォーズをルーク・スカイウォーカーの成長物語として描いた。それは撮影台本のタイトルが「スター・ウォーズ ルーク・スカイウォーカーの冒険」だったことからも明らかだ。才能はあるが、未熟で無知な主人公、ルーク。彼は、師・オビ=ワン・ケノービ、そして後にヨーダの圧倒的な能力に感嘆し、彼らの弟子、若きジェダイとなって修行を積むことを決意する。若さゆえ、時に師の教えに反発し、自分勝手な行動をとることで危機に陥るが、最終的には自分の意志でそれを乗り越え、無事大団円を迎える。二人の師に精神的な成長を祝福され、満足な笑みを浮かべるルーク……。
まさしくスター・ウォーズは黒澤映画の精神を受け継いでいる。そして私の目には、若きジェダイと、映画界最高の師(マスター)である黒澤の弟子ルーカスの姿がオーバーラッップして見える。

1990年3月26日、黒澤は映画史上3人目のアカデミー名誉賞を受賞したのだが、その時のプレゼンテーターがルーカスとスピルバーグだった。(中略)
この時、黒澤はルーカスからオスカー像を受け取り、ルーカスは黒澤から目に見えぬバトンを手渡されたに違いない。

まさしくこの通り。物語「スター・ウォーズ」は「継承の物語」そのものといってもいい。
ヨーダ ルークルークとヨーダ
ヨーダ オビ=ワンヨーダとオビワン
オビ=ワン ルークオビ=ワンとルーク
オビワン クワイガンジンクワイ=ガン・ジンとオビ=ワン
と様々な「継承の物語」がある。
このほかにも、銀河帝国皇帝ダース・シディアスと弟子ダース・モールの関係やボバ・フェットの父と子といったストーリーまであるがこれはまた別の話。
ジェダイの騎士たちが継承していったものは何か。オビワンやルークに継承されたが、アナキンことダースベーダーに継承されなかったものは何か。
一言でいえば「魂の継承」ということではないでしょうか。

さて、黒澤明の映画の継承の物語といえば、「赤ひげ」があろう。赤ひげ先生こと新出去定(三船敏郎)と若い医師保本登(加山雄三)の関係はまさに「スター・ウォーズ」で描かれる師弟関係であろう。
黒澤明 赤ひげ


文章中の「七人の侍」では島田勘兵衛(志村喬)と(木村功)の関係もそうであろう。
戦いが終って、師匠の勘兵衛から弟子の勝四郎が学んだことは何であろうか。決して剣術や戦術といった単純なものではなかったはずだ。
7人の侍

そして「野良犬」。Wikipediaによれば、「2002年に公開されたジョージ・ルーカス監督の映画『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』の序盤で、ジェダイの師弟で師匠のオビ=ワン・ケノービが、ライトセーバーを落とした弟子のアナキン・スカイウォーカーを咎めるシーンは、本作での拳銃を盗まれた新米の村上を、ベテランの佐藤が叱責するシーンの引用である。」とあった。確かにそうですね。
「野良犬」は後の国内外を問わず刑事ドラマ・映画の原型といえる傑作です。
野良犬

と「継承の物語」はあちこちにあります。

まだまだ「継承の物語」を続けます。

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「継承の物語」その2 クリント・イーストウッド  資料編13回目

資料編13回目 「継承の物語」その2 クリント・イーストウッド

継承の物語 その1 ゴッドファーザー」からの続き。
今回は「クリント・イーストウッド」です。
彼の関わる作品の多くに「継承の物語」があります。
中条省平著『クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男 』(朝日新聞社)からそんな箇所をランダムに引いていみましょう。
クリント・イーストウッド 中条 省平
文中で何度も登場する「イニシエーション」という言葉ですが、通常「通過儀礼、入会」などといった意味で使われますが、ここでは「手ほどき,手引き 秘伝を伝えること,伝授」という意味で使われています。
要は、「継承」ということです。

「パーフェクト・ワールド」でも、子供を愛する心やさしい犯罪者と無垢な少年の逃避行というドラマを借りながら、そのヒューマニズムの底には、狂気にも似た「私怨」、報復への欲望が濁っている。「パーフェクト・ワールド」は、年上の男が少年を人生のイニシエーションに導くという構図において、かつてイーストウッドが撮ったロード・ムービィー「センチメンタル・アドベンチャー」によく似ている……。
(中略)
こうした、いわばアメリカ映画の過去と現在と未来の縮図のまっただ中に身を置いて、イーストウッド自身が、多くのベテランたちから、プロの「カツドウ屋」としての教育とイニシエーションを受ける日々だったのだ。
この秘儀伝授の期間は、1959年から66年まで、丸7年間も続いた。その間、イーストウッドは国外でセルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」に主演して国際的なスターとなり、ついに「ローハイド」でも主役のエリック・フレミングを追い落として、単独で主人公の座に着き、牛追いの隊長となる。ついに、若造がベテランをしのぎ、息子が父に勝ち、王位は簒奪されたのだ。だが、イーストウッドの単独主演による「ローハイド」は20話あまりしか続かない。教育とイニシエーションという固有の主題が完遂されたいま、もはや「ローハイド」には存続の理由はなかった。
イーストウッドは、みずから教育とイニシエーションを重大な主題とする映画作家に成長していく。

イーストウッドが最初に手がけた最初の教育とイニシエーションの映画は、「サンダーボルト」だった。総監修にイーストウッドがあたり、監督はマイケル・チミノ(当時31歳、初監督)。(中年の元強盗が、昔の仲間や若造と組んで銀行強盗を繰り返す。「サンダーボルト」(74))
イーストウッドによるマイケル・チミノというシネアストの教育とイニシエーションの映画でもある。その成果が目覚ましかったのは、イーストウッドに導かれたチノが次作の「ディアハンター」で師匠より14年も早くアカデミー作品賞と監督賞を制覇してしまったことを見れば一目瞭然である。

「アウトロー」は、ジェイミー少年のエピソードには、イーストウッドによるサム・ボトムズの役者としての教育とイニシエーションの現実と、戦士として生きることを学びはじめたジェイミーの物語が二重写しになって投影されているのだ。

クリント・イーストウッド 2
「センチメンタル・アドベンチャー」イーストウッドが教育とイニシエーションを映画全編の主題にすえて、彼のもっとも個人的な感情にあふれるロード・ムーヴィ。

教育という主題がさらに厳密な方法と過程の問題として追求されるのは、「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」においてである。なにしろこれは、古参の軍人がまったくやる気のない新兵を一人前の戦士に鍛えあげて戦場に送り込むという、完結したひとつの教育の過程をまるごと映画にしたものだからだ。
(中略)
軍人のトムは、むろん戦争を否定していない。だが戦争で死ぬことを否定しようとつとめている。いずれにしても、戦争の起こることを否定できないのならば、戦争で生き延びるために、全力をつくすのが兵隊の義務と希望であり、新兵たちがその義務と希望をできるだけ効率的に実現するのを助けることが、自分の義務であり希望だと考えているのだ。
その意味で、「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」は、やはり老ベテラン軍曹が新兵たちに「生き延びる」ことの技術と倫理を実践的に教育するサミュエル・フラー監督の「最前線物語」に極めて近い姿勢をもっている。

「ルーキー」は教育とイニシエーションが主題で、ベテラン刑事(イーストウッド)が若い刑事(チャーリー・シーン)を、事件捜査のなかで一人前に教育してゆく物語である。

こう見ていくとイーストウッドの映画には「継承の物語」が多い。そしてそこで継承されていくものは「魂」である。
これが最もよくあらわれているのが「グラン・トリノ」だ。
「グラン・トリノ」

町山智浩による『グラン・トリノ』解説から(http://d.hatena.ne.jp/Auggie/20100101/1263613730から)

 コワルスキーはグラン・トリノをモン族の少年に遺す。あんなにアジア人が嫌いだった男が。エンド・クレジットで流れる主題歌にもあるとおり、グラン・トリノとはコワルスキー自身のことだし、それを他人に授けるということは、アメリカン・スピリットの継承を意味している。
アメリカの魂を継ぐのは白人とは限らないということだ。思い返せばイーストウッドはこういう話ばっかり作っている。『ハートブレイク・リッジ』なんかも、黒人やメキシコ人にアメリカ兵の魂を叩き込む軍曹の話だったし。


ニコニコ動画に町山智浩に映画の解説があったので貼り付けておきます。

魂(スピリット)の継承がこの映画のテーマだというのが分かる。「グラン・トリノ」はそういった視点から見てもよくできた映画だというのがよく分かる。

「継承の物語」はまだまだ続きます。

「継承の物語」その1 「ゴッドファーザー」 資料編12回目

資料編 第12回目 「継承の物語」その1 「ゴッドファーザー」

映画やドラマを見ていると、「継承の物語」を発見することがある。
父から子へ、母から娘へ、師匠から弟子へ、権力者から次の権力者へ、王から王子へ、先輩から後輩へ、分かり易いところでは、老刑事から若い刑事へ、ベテラン医師から見習い医師へ、カンフーの達人から未熟な弟子へ、と多種多彩、様々なバージョンがある。
これがメインストーリーとして描かれることもあれば、別のサブストーリーであったり、また隠れたテーマとして描かれることもある。そういった視点で見ると、かなり多く見付けることができるだろう。
そこで継承されるものといえば、人生の教訓や処世術であったり、または権力の移行だったり、秘伝伝授といったものなど、これまた様々なものがある。
ただここで取り上げたいのは、「移行・継承」されるものが、技術や富や世代交代といった単純なものではなく、物語の根幹を成すような「大切な何か」(「何か」はそれぞれの物語によって違う)がしっかりと受け継がれていく物語に注目していきたい。
そして、これがしっかりと描かれたものを、私は勝手に「継承の物語」と呼んでいる。(検索しても出てきませんよ)
端的に一言で言ってしまえば、それは「魂の移行」、「魂の継承」だ、言ってもいいだろう。
資料編の第3回が「吉田松陰の魂はどこへ」(吉田松陰の魂は松下村塾生や桂小五郎へ引き継がれた)で書いたように、資料編は「魂」についてまとめています。

さてさて、「継承の物語」で最も分かり易いものは、「師匠と弟子」の関係だろう。
映画「ベスト・キッド」では、弱い男の子が空手の達人から学んだこと(受け継がれたこと)は、ただ空手が強くなるという技術だけではなかったはずだ。空手大会で勝利したことは、彼が大きく成長していく中での通過点一つにしか過ぎない。この男の子は空手を通じて師匠から「大切な何か」を受け継いだのだ。細かいことは省くが、それは映画を見れば容易に分かるはず。
また日本のドラマにも多くあるだろう。思いついたものを挙げれば、刑事モノで「踊る大捜査線」がある。いかりや長介演じる和久刑事と織田裕二演じる青島刑事の関係の中にも「継承の物語」がある。そこで継承されたのは、ただの刑事の心得や仕事術といった単純なものだけではないだろう。たとえこれ以降、いかりや長介・和久刑事が登場しなくても、青島刑事の警官としての姿勢に(人生においても)大きな影響を与えていること分かる。それは青島刑事が直接的なセリフを吐かなくても、それは十分に伝わってくる。そしてこれは深津絵里の恩田刑事にも受け継がれていることが分かるだろう。(映画版はクソだが、あそこには「継承の物語」がふんだんに盛り込まれている。)

また変形した「継承の物語」も提示しておけば、、ポール・ニューマン主演の「暴力脱獄」がある。ここでのラストでは、残された刑務所の囚人たちが、主人公の死を英雄的に語る場面で終わる。ここにもその「魂」が受け継がれていることになるので、これも「継承の物語」だといえる。
また、クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」も「継承の物語」である。ここで継承されたのは「アメリカ文化」とその「魂」であり、その象徴として米国車の「グラン・トリノ」が有効に使われている。これは次回以降。
これら次回以降まとめる「黒澤明の映画」や「スター・ウォーズ」といったものも最も理解しやすいものであろうし、一見何の内容もなさそうなアニメ「けいおん」も実は継承の物語である。(過去記事、「今日も部室でお茶を飲む。 「けいおん」は奥が深い!」 詳細は次回以降)

では、今回は「ゴッドファーザー」を取り上げてみましょう。
「ゴッドファーザー」はまさしく父から子への「継承の物語」と言えるでしょう。
そのことが良く書かれている「ゴッドファーザー」の本から引いてみます。
ハーラン・リーボ著「ゴッドファーザー レガシー」から
ゴッドファーザー ハーラン・リーボ著
「スクリプト・ドクター」という章をそのまま書き起こす。
以下引用。

ロバート・タウンは、全編中、最も重大な場面の脚本を、わずか一晩で改訂しなくてはならなかった……。「あれほど追い詰められたことはなかった」

5月の終りには、主要なシーンの撮影はほとんど終わっていた。屋外で行われる結婚式、頼みごとに耳を傾けるドンの姿、“馬の首”、ウォルツの撮影所を訪れるヘイゲン、そしてマイケルがファミリーのドンとして初めて会談を行うシーンなどは、問題なくフィルムに収められた。
ブランドの撮影もスムーズに進行した。しかし彼を撮影するために残された時間はわずかだった。ブランドの都合による中断を計算に入れても、彼の契約期間は6月の第1週目には終ることになっていた。
それまで、ブランド自身が問題になることは一切なかった。問題は、まだ撮影していない彼の登場シーンの脚本に、手を加えなければならないことだった。制作中に脚本のカギになる要素を絶えず修正してきたにもかかわらず、ビトーからマイケルへの権力の継承という、最も重要な部分には誰ひとりとして満足できていなかったのである。2人の登場人物の関係を完全なものにするためには、力強さと感情表現が不足していた。
(中略 修正前の脚本など省略)

この会話は、原作からほぼそのまま引用されたものだが、父と息子が互いに抱いている愛情や尊敬の念、そして世代間の権力の継承を充分に表現できていない。製作初期段階では、コッポラはさまざまな場面を即興で演じさせ、それによっていくつかのセリフを修正する時間があった。しかし監督としての作業に忙殺され、この最も重要な場面を書き直す余裕を失っていた。第三者の協力が必要なことは明らかだった、コッポラは、ロジャー・コーマンの下で働いていた時の仲間に助力を求めた。それはハリウッドで最も優れたスクリプト・ドクター(訳注 脚本校閲者。製作におけるあらゆる段階で脚本の手直しを請負う)として名高い人物だった。
(中略)
タウンは6月2日に撮影現場に到着した。そしていくつかの場面に対して多少の編集や追加などの修正作業を行った。彼は『ゴッドファーザー』の脚本に対して行ったスクリプト・ドクターとしての作業を、「大手術ではない、一部にメスを入れただけだ」と語っている。彼が手を加えた部分には、マイケルがソロッツォとマクラスキーの殺害を宣言する場面も含まれていた。
しかし彼の最も重要な任務は「権力の継承」の場面を仕上げることだった。「フランシスは途方に暮れていた」。タウンは語る。「原作では、ビトー・コルレオーネとマイケルの関係は解決していない。だが、彼はこの2人の場面を必要としていたんだ。口癖のように言っていたよ。<観客に、2人が愛し合っていることを分からせることを分からせたいんだ>ってね。だからといって2人が実際に愛し合っている様子を描いても、うまくいかないんだ」
他の場面に関しては、タウンの仕事は「一部にメスを入れただけ」だったかもしれないが、一連の権力の継承場面では大幅な変更を余儀なくされた。しかも、マイケルとドンのシーンの撮影は、タウンがニューヨークに到着した翌日に予定されていたのである。その次の日にはドンが死ぬ場面を撮影し、それでブランドの仕事はすべて終わることになっていた。予定が順調に進んだ時の話だが。
「あれほど追い詰められたことはなかった」とタウンは語る。「非常に緊迫した雰囲気だった。この映画があんなにヒットするとは誰も思っていなかったからね」。
これまでスクリプト・ドクターとしてタウンが手掛けてきたのは、脚本全体の改訂や再編集で、映画のカギとなるひとつの場面だけを修正するのは初めてだった。これは大きな危険を伴う作業である。
「普段やっているように、脚本を最初から最後まで書き直したわけではなかったんだ。その代わりに、まったく新しい素材を持ってきて、すでに書かれているものと矛盾しないように組み合わせる―――つまり、それまでに撮影されたものや、監督の考えをすべて理解している必要があった。なかなか興味深い経験だったね。普通なら監督と一緒に作業をするから、どう書けばいいのかもわかっているからね」
(中略 タウンが試写を見た後)
それからタウンはコッポラ、マーロン・ブランド、アル・パチーノに会って、この“権力の継承”に関する彼らの意見や登場人物の関係について尋ねた。「マーロンとアルからは多くのことを吸収することができた」とタウンは思い起こす。「特にマーロンからね。彼がドンに、自分自身を表現させようとしていることに気が付いたんだ……思慮深い頷きではなく、ビトー・コルレオーネの語りによってね。この映画のほとんどの場面で、沈黙が効果的に使われていた……登場人物の持つ力は、深い意味を持った沈黙で表現されていたんだ。けれども私が書き直すように言われた場面では、彼は実際に話してしまったんだよ」
タウンは、脚本に書かれていた親子の会話に、マイケルの将来を示唆するような要素を加える必要があった。微妙な権力の移行、愛情、尊敬、人生観の表現、そして親としての悔恨など――すべては暗黒街の陰謀や殺人といったプロットの陰に埋もれていた要素である。タウンは自分のアイデアを書き出したノートと元の脚本を手に取ると、一晩中書き続けて、完成したときには午前4時を過ぎていた。
ゴッドファーザー 継承2(「ゴッドファーザー」のDVDビデオコメンタリー・コッポラ監督の解説では「権力の移行」の説明が少しある。)

「私は権力の継承を表すシーンを書いた。その場面では、2人の男が互いに深い愛情を抱いていることを明確に表現した」とタウンは語る。「息子の将来に対するブランドの不安、権力を手放すことへの不安。息子に自分の役割を継がせることによる安心感と、自分が一線から退くことの寂しさ、こうした相反する感情がこの場面のカギとなるんだ」
「ドンは言う。<我々は注意深く見守る必要があるな>。するとマイケルがこう応えるんだ。<父さん、僕がやるって言っただろう?もうすでにやっているんだ>。ビトー・コルレオーネは心ここにあらずといった様子だが、それは一番下の息子には自分の地位を継がせたくなかったという気持ちの表れなんだ」
「シーンの途中で、2人の男は本当の意味で定められた運命を受け入れる。たとえ思いどおりではなかったとしても、それが指導者につきものの義務なのだ。ビトーはカップを渡さなければいけないし、マイケルはそれを受け取らなくてはいけない。その姿を通して、2人の男が深く愛し合っていることが伝わる。この映画の場合は、単純に愛情を表す描写よりも、はるかに効果的だ。まさに脚本とはそういうものだしね。ほとんどのシーンでは、主題を説明しないものなんだ」
場所はドンの庭に設定された。マイケルはラウンジチェアの端に腰掛け、父親の方に身を乗り出している。ドンは藤細工の椅子に深々とすわり、赤ワインを飲みながら果物をつまんでいる。

この場面は脚本の形式で記すと3ページほどの分量だが、行間を詰めれば1ページにおさまる。そしてスクリーンではわずか3分45秒だが、ドンがマイケルへの夢を語る、2分間近く続く感動的ショットが含まれている。
これほどまでに簡潔でありながら、タウンは傑作と呼ぶにふさわしい脚本を書き上げ、映画史上最も印象的な場面がここに誕生した。改訂された脚本に、コッポラの緻密な演出と、ブランドとパチーノによる卓越した演技が加わり、この映画の最も重要な瞬間を飾る、心を震わせる間奏曲が生み出されたのである。
たとえその名前が『ゴッドファーザー』のクレジットに登場しなくても、タウンの果した役割が忘れられることはないだろう。アカデミー賞の授賞式で『ゴッドファーザー』が作品賞にノミネートされた時流された映像は、この“権力の継承”シーンだった。そしてコッポラは脚色賞を受賞した際に、タウンに感謝の意を表した。「ボブ・タウンに感謝します。彼は、マーロンとアル・パチーノが庭で語らう非常に美しいシーンを書いてくれました」。コッポラはオスカー像を片手に、こう言った「あのシーンはボブ・タウンが創ったものです」
ゴッドファーザー 継承1(「ゴッドファーザー」のDVDビデオコメンタリーの中でも、コッポラ監督のよってタウンの名が出てくる。)

ビトー  「パルジーニがまずお前に仕掛けてくる。お前が絶対的に信頼する誰かを通して接触してくるはずだ。そいつはお前の身の安全を保証して、会合を手配するだろう。そしてその会合で、おまえは殺される」
(ドンは息をついてワインを飲み、マイケルに対して、自分に殺人が迫っているという状況について考える時間を与える)
「昔よりワインが好きになった。飲む量も増えたよ」
マイケル 「いいことだよ、父さん」
(ドンがグラスを見つめる)
ビトー  「どうかな……お前の妻と子どもたちは……お前は家族に囲まれて幸せか?」
マイケル  (うなずいて)「とても幸せだよ」
ビトー  「それはいい。ところで、私がバルジーニの件について調べても構わないかな」
マイケル 「ああ、構わないよ」
ビトー  「昔からの習慣でな。用心に欠かしたことがない。女や子どもは不用心でもいいが、男には許されんことだ」
(ドン、間をおいて)
「息子はどうだ?」
マイケル (微笑んで)「いい子だよ」
ビトー  「日増しにお前に似てくるな」
マイケル 「僕よりも賢いよ。3歳なのに、もう漫画が読めるんだ」
ビトー (にやっと笑う)「……漫画を読む、か」
(ドン、しばらく回想し、顔を上げ、何かを思い出す)
「かかってくる電話もここからかける電話も、交換手に全部チェックさせよう」
マイケル 「もう手配したよ、父さん」
ビトー  「誰が裏切ったとしても……」
マイケル 「父さん、それはわかっているよ……」
ビトー  「ああ、そうだったな。忘れていたよ」
(ドンは顔をしかめ、口ごもって顎をさする)
(マイケルが身を乗り出して、父親の膝を軽く叩く)
マイケル 「どうしたんだい?何か気になることでも?うまくやるよ。そう言ったよね――うまくやってみせるよ」
(ドンはためらい、しばらく考えをめぐらせる。やがて立ち上がり、目を伏せたまま、マイケルの座るラウンジチェアに向って歩き出す)
ビトー  「サンティーノが私の跡を継ぐと思っていた。フレドーは……」
(ドン、マイケルの座るラウンジチェアの端に腰を下ろす)
「フレドーは……そう……私は決して……決してお前にはやらせないつもりだった。私は一生を家族のために捧げた――弁解はしないよ。愚か者になることを拒否したのさ……大物の操る糸で踊らされるような愚か者には。今さら弁解はしない――だが……おまえの時代は……おまえは糸を操る人間になると思っていた。コルレオーネ上院議員とか、コルレオーネ知事とか……そういったものにな」
マイケル (顔を上げる)「別の権力者になるさ」
(ドン、息子に向き直る)
ビトー 「だが……時間がなかったな、マイケル……充分な時間がなかった」
マイケル 「大丈夫だよ、父さん。必ずそうなるよ」
(ドン、マイケルの頭をかかえ、キスをして、頬を軽く叩く)
ビトー 「ふむ。いいか、バルジーニとの会合の話を持ちかけてくる奴は――彼こそが裏切り者だ。忘れるなよ」
(ドン、立ち上がって溜息をつく。マイケルは椅子の背にもたれかかり、考え込む) 
ゴッドファーザー 父から子へ

以上。

実際に映画を見てみても分かるが、ここは一見すれば、アクションシーンもなく、男二人が語り合うだけのかなり地味なシーンと言える。(アル・パチーノとマーロン・ブランドの名演が見れますが)
だが、ここが「ゴッドファーザー」という物語において、最重要のシーンだというのは、監督のコッポラや実際にこのシーンを書いたロバート・タウンの話を読めばよく分かる。
「権力の継承」というテーマを直接的に語らせることなく、父から子へ「継承の物語」というテーマを表現していることになる。
そして父から子へ継承されたものが権力だけではなく、ここで「魂の継承」が行われていったことは明白であろう。(このシーンの後で、「父の死」の場面に続く。まあ、ある意味「死亡フラグ」でもある。)
それは、「魂の継承」は、続編「ゴッドファーザーPARTⅡ」でより鮮明になる。

さて、そこが重要な場面であることに気づかないこともあるだろう。そして説明されなければこれがこの映画の重要なテーマの一つである権力の移行のシーンだと思わないかもしれない。
ただ、ここをきちんと見ないと、軽率な観客は「ゴッドファーザー」もただのマフィアの暴力映画だということになってしまうのだ。(今でさえ名作と言われるが、当時はそういう批評も多かったという)

さてさて、映画やドラマやアニメをただボケっと見ていると、重要なテーマも見逃すこともある。そんな軽率な態度の、トンチンカンな評論家やプロを名乗る批評家が実際にいる。
案外こういうことは多いものだ。
一見、凡庸な物語の中にも、しっかりとした「継承の物語」が隠されていることがあるのだ。
実は、あれも……。

ということで、この「継承の物語」はしばらく続きます。

平成23年7月18日の記念に!

平成23年7月18日の記念に!
なでしこ、ワールドカップ優勝、やったね!
なでしこ
澤兄貴カッコよすぎ!!

PKを蹴る前に、少し空を見上げる熊谷紗希の表情が良かったなぁ~。

最近気になったテレビ番組のこと。「視聴率3・9%のグンソク」と「ビビりの劇団ひとり」。

まず一つ目。
いや~、これは笑った。「TBSのゴールデン番組 「ファミ☆ピョン チャン・グンソクSP」 驚異の視聴率3.9%」
元ネタhttp://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/1543913.html

TBSゴールデンより高い!なでしこ未明の中継で驚異の視聴率
2011.07.14
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110714/enn1107141600014-n1.htm
日本が初の決勝進出を決めたサッカー女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会のスウェーデン戦で、フジテレビ系が中継した14日午前3時35分から後半途中の午前5時までの平均視聴率は、関東地区で5.4%、関西地区で3.9%と、深夜未明の視聴率としては異例の高さとなった。ビデオリサーチの同日の調べで分かった。
瞬間最高は調査時間帯の最後に当たる午前4時59分の8.1%(関東地区)で、後半10分の時点だった。
深夜未明帯の平均視聴率は通常1%台かそれ以下が普通で、5%超は極めて高い。
ちなみに13日午後7時のTBS系番組「ファミ☆ピョン」は3.9%(同)で、ゴールデン帯にもかかわらずサッカー中継より低かった。同試合はNHK・BS1でも中継され、NHKによると、午前3時10分から同5時までの平均視聴率は3.2%(関東地区)だった。午前5時以降の平均視聴率は15日発表される。

グンソクって人気ねえな。 韓国・韓流ブームってほんとにマスコミのごり押しだってよく分かる数字だよね。
過去記事 「グンソク、グンソク」って、うるさいな!

それにしても、日本女子サッカー「なでしこ」が活躍して、何がうれしいって、テレビのワイドショーがこれを放送する分、韓国俳優とかK-POPとか垂れ流さないから、ほんと気分がいいよ。
過去記事 「安藤美姫ちゃん、ありがとう! フジテレビの韓国マンセ~はもう見たくないので……。」のときと同じだ。
ほんとに、もういい加減、韓国・朝鮮の情報を番組はいらない。
韓国料理、韓流ドラマ、韓国音楽……、こんな朝鮮文化情報ばかり流されちゃんじゃ、日本人のテレビ離れが進む理由も分かるというものです。

二つ目
日本テレビ『スタードラフト会議』に出演したお笑い芸人の劇団ひとりが、『けいおん』のフィギュアを舐めたり口の中に入れたりして、妻の大沢あかねのブログが炎上した件で、先日その続きのようなものが放送されていたようだ。
早速、探してみた。7月12日放送「アキバ軍団RABと劇団ひとりついに和解…フィギュアを巡る騒動に終止符」と番宣にあった。
見てみた。
一言、くだらね~。ひとりがこいつらをプロディースするという形で決着、モロに番組ネタで、それ以外に何も起こらず面白くも何ともなかった。
私が前回分のものを見ていて不快だったのは、ひとりが齧ったぬいぐるみが、私の娘が大事にしている「けいおん」のぬいぐるみと同じだったからだ。(お友達たちは違うキャラを持っているそうだ。小中学生にもファンが多いのに)
うわ~小学生の娘がこれを見たらショックだろうな、トラウマになるんじゃないという位ヒドイ内容だった。
それにしても、相変わらず、けいおんファン=オタク→気持ち悪い、という図式は変わらないようで残念。ファン層はオタクだけじゃないのに……(アンチのファンの豚扱いは何なのだろうか)
過去記事
今日も部室でお茶を飲む。 「けいおん」は奥が深い!
「けいおん」で「アニメ・マンガで文化防衛論」を説いてもあまり分かってもらえなかったけど、めげません

さてさて、この一連の経過の中で劇団ひとりがTwitterの中でさらに「オタク」をおちょくったような謝罪をして、「完璧にネタした芸人魂」といって、このツマラナイひな壇芸人を持ち上げるバカが結構いることに驚いた。
また、「けいおん」だから「フィギィア」だから別にいいじゃんと、「アンチ」が喝采しているというのもおかしなことだ。
この時、たまたま出てきたのが「けいおん」のモノであって、他の自分の好きなものや贔屓のキャラのものだったら自分がどういう気持ちになるか、そういう単純な想像もできないらしい。

では、これが「芸人魂」だというのなら、今回オタク集団が再登場したときも前回同様に「フィギュア」を舐めまわすことくらいのことをすればいいのである。前回笑いを取ったというのだったら、また「オタク」を罵倒し、すべての「アニオタ」を敵に回すくらいのやんちゃを見せれば、それこそ芸人として褒める人がいてもいいだろう(私は否定するが)。しかし、今回、彼にそんな気配はまるでなかった。「もう、からみたくない」という態度で、オタク集団の方が面白かったくらいだ。(芸人なら貪欲に笑いを取りにいけよ!)
そして、ツイッターでコソコソと当て付けを言う、ラジオでかくれてゴチョゴチョと皮肉を言う、そんな程度の卑怯者なのだ。
つまり、劇団ひとりはただの「小心者」であって、「ホビロン」でも「マダオ」でも褒めすぎで、ただの「チキン野郎」であり、「面白くもないビビり芸人」なのだ。
ほんとに「芸人魂」があるなんていうのなら、劇団ひとりに、自分自身の好きな「KARA」のCDや、嫁・「大沢あかね」がからんで小銭を稼いでいる「アンパンマン」の縫いぐるみを渡してみろよ、絶対齧んないから。また、同じような状況にして、AKBや韓流スターとか和田アキ子とか島田紳助とかの写真を渡してみろよ、それでも舐めまわさないから。
「笑い」ではなく、「芸能界」で生きるための計算しているから、絶対にやらないはずだ。

だが芸能界にいるのだから、そのくらい当たり前だという反論もあろう。
しかし、彼は、バカにしていいもの(舐める、齧るは、その象徴)と、汚してはいけないものの間に明確な線を引いて、「アニメ」とか「けいおん」とか「オタク」とかこいうのはバカにしてもいいものと、そう判断しているのだ。私にはそこが不愉快なのだ。
いいですか、これはこの時出てきたのがたまたま「けいおん」であって、あの流れの状況だったら、出されたアニメキャラは同じことにされていたはずだ。

だが、前回の反響やオタクからの反撃があったから、ひとりは「ビビり」になって、彼の中で新しい「38度線」が引かれた。
「アニメ」「けいおん」はこれはバカにしてはいけないものなんだな、と判断した、だからもうアニメキャラのぬいぐるみは齧らない、そう計算したのだ。(陰ではコソコソと文句を言っているはずだ。)
内心では思い切りバカにしているのを、それとなくチラチラ出しつつも、この業界で生きていくにはここにあまり触れないでおこう、そういう打算的卑しい計算しているのだ。
これのどこが「芸人魂」?
そしてこの判断基準の原因として、娘の持っている「けいおんのぬいぐるみ」が使われていることに、私は怒っているのだ。
こういうのが芸人と称して、テレビのバラエティ番組にのさばっているのだから、いまのテレビは面白いはずがない。
テレビの視聴率が全体的に下がっているのは、つまらない芸人たちの多用に問題があるんじゃないのか。

追記 さて、いま「劇団ひとり」のことを書いていますが、これはすべて「爆笑問題の太田光」にも当てはまります。
こいつも計算高く、意地汚く、面白くない。
芸能界で最も過大評価されているのは「「爆笑問題の太田光」でしょう。
TBS日曜昼のラジオで「日本人のノーベル賞受章の科学者たち」を思い切りバカにしていた。あれは酷かった。
何様のつもりなのだろうか。たぶん総理大臣よりも天皇陛下よりも自分はエライと思っているに違いない。

資料編11回目 丸谷才一「忠臣蔵とは何か」 その2

資料編11回目
前回からの続き、丸谷才一「忠臣蔵とは何か」から、必要な部分だけを抜き出していきます。
丸谷才一「忠臣蔵とは何か」

ここで取り上げるポイントは、3つ。
1、「仮名手本忠臣蔵」が御霊信仰の物語であること。
2、この物語に「国ほめ」という信仰が含まれているということ。
3、カーニバル的要素があるということ。

一文で言い表している部分を引き出すとすれば、『「仮名手本忠臣蔵」によって味あうものは、御霊会=カーニヴァル的世界感覚とでも形容するしかない猥雑な静けさ、秩序感にあふれた混冥(こんめい)、感動と哀愁と解放と浄化である。』、あたりになるだろう。
それを、端的に一言で言ってしまえば、「鎮魂」となるでしょう。

また何十回と言っている「仮名手本忠臣蔵が新田義貞及び新田一族の鎮魂劇である」というのは、「東毛奇談」第5章で詳しく書いてあります。(ここでも、「忠臣蔵とは何か」取り上げています。)

さてさて、では本文からの抜き出しを。
1、御霊信仰の部分

……これは柳田国男と折口信夫によって説かれて以来、次第に浸透して、今ではもう定説となった考え方だが、宗教論的な層で言えば、「曽我物語」は御霊信仰の物語である。御霊信仰の定義づけはむづかしいけれど、ここではとりあえず、非業の最期をとげた者、殊に政治的敗者の怨霊がたたって疫病その他の災厄をもたらすという日本の古代信仰、と言って置こう。アメリカの宗教学者ロバート・J・スミスが御霊をvengeful god(復讐神)と訳しているのは、わかりやすくていいかもしれない。そして、死霊が怒って禍をもたらすと考える以上、それを何とかなだめようと企てるのは当然のことだった。たとえば貞観五年(863)は春のはじめから疫病がはやって死者の多い年だったが、五月、清和天皇は、神泉苑という御苑を開放して、早良親王ほかの怨霊を慰撫するため、御霊会を催した。こういう折には、僧が経を読み、楽師が音楽を奏し、力持ちの相撲、役者の芸などを見物するのが当時の習わしだったと『三代実録』に見える。この信仰がそののち一向に衰えず、むしろ盛んになったことは、菅原道真、平将門、後鳥羽院などの例によって明らかである。

(丸本歌舞伎時代物には)呪術性とりわけ御霊信仰がある。能や相撲の場合にしてもそうだが、一体に娯楽の基盤には祭祀という性格がしっかりとあって、それが常に作用していたし、ときにはすこぶる露骨な形で現れた。丸本歌舞伎時代物でこの局面が典型的に現れているのは『菅原伝授手習鑑』で、言うまでもなく、これは菅原道真の怨霊慰撫が全体を貫いている。

本書では、佐藤忠男の「忠臣蔵――意地の系譜」から引いているが、これは分かり易い。

「弱者がある政治的主張を内に含んで盛大に意地をはったにもかかわらず、それが政治的にさらに問題をこじれさせることにならずにむしろ体制の強化に役立つ伝説へと発展的に解消していったのは、一切が、祖霊信仰という共通の信仰的基盤の中で丸くおさめられたからである。日本人のごく一般的な意識の中では、神道も仏教も、先祖の魂を祀るということの二つの異なった形式以外のものではない。この祖霊信仰がひとつの極端な形としては、怨みを残して死んだ者の霊はたたる、という御霊信仰になるが、『忠臣蔵』は怨みを残して死んだ浅野の霊を四十七士が晴らしてくれたのだからめでたい、ということになる。」

ここはまさに「御霊信仰」の部分をそのまま抜き出しました。

次が 2、「国ほめ」の部分。

地理への関心ないし国ほめの要素がある。これは一方では、すこし前から盛んになった東西交流のあらわれであり、他方では、王朝和歌の歌枕や古代の国見にまでさかのぼることのできるものだが、丸本歌舞伎時代物は諸国名所を舞台にすることを好んだ。たとえば『義経千本桜』では、大物浦にもその気配はあるけれど、吉野山が典型的にそうだった。「吉野の花の爛漫と、吹雪にまがふ山おろし」に、もうひとつ、狐火などというしゃれたおまけまでつけてもらって、観客は居ながらにして名所見物を楽しみながら、国土を賛美したのである。この国ほめにはもちろん呪術的な意味合いがあって、古代人の場合ほど単純ではなかったにしても、賛美された国土は豊饒と安穏をもってお返ししてくれるはずだと心のどこかで期待していたにちがいない。地理に対する知的な関心や観光趣味の底で、古代信仰の名残りが脈打っていたのである。

歳時記性という要素がある。これも至って分かりやすい。例えば『義経千本桜』、伏見稲荷鳥居前の場で、梅が咲いている。下市村椎の木の場は秋で、いがみの権太が木の実を拾うコツを教える。吉野山道行の場と川連法眼館の場は春で、芝居小屋のなかで豪勢な花見酒である。四季の移り変わりで情趣を出すという狙いもあるが、俳諧の場合でも季語を支えているのは、四季の正しい循環とそれによる五穀豊穣を祈る心だった。丸本歌舞伎時代物に同じ信仰がはたらいていることは念を押すまでもない。

義経千本桜『義経千本桜』 四段目 吉野山花見

(「忠臣蔵」の説明から)足かけ三年にわたる出来事なのに、陽春にはじまり早春に終わり、結末は発端にきれいにつづいて、季節は円環を形づくるのである。これが人々の心に与えた不思議な感銘は、やはり見逃してはなるまい。
(仮名手本忠臣蔵は)そこでは、御殿から陋屋まで、遊所から高家の邸の炭部屋まで、征夷大将軍の弟から盗賊まで、足軽から大名の夫人までという構図によって、社会全貌が示させる。南北朝時代は江戸時代とそっくりな身近なものとなり、その異様な混淆は、年号のある歴史ではなく歴史一般を差し出す。舅殺しかもしれない猟師は忠義な武士であり、遊女は猟師の妻であり、もっとさかのぼれば武士の恋人である腰元だった。しかも、大星由良之助の向こうには大石内蔵助が透けて見え、顔世御前の面輪はまるで瑶泉院の色っぽい妹だという、事実と虚構との二重構造によって、「実は――」はいっそう込み入ってくる。大名と浪人の切腹は社会の礼法を保證し、長く長くつづく焼香の手本となるだろう。鎌倉、東海道、山崎街道、祇園、山科は日本の地誌を代表し、道行の桜と菜の花、水無月の鉄砲雨、討ち入りの雪は、この風土の暦の全体を暗示する。このような秩序のなかでこそ、巧妙に秘匿された御霊神(歌舞伎役者たちは今でも塩谷判官のことを「判官様」と呼ぶ。ちょうど「東海道四谷怪談」のお岩を「お岩様」と呼ぶように。これは明らかに御霊神への畏怖の名残りである)は天下をおびやかし、それを慰撫しようとして四十七人の浪人は画策し、供物としての首は見事に献げられ、そして茶を飲んだり、弁当を使ったりしながらゆるゆると見物していた人々は、物騒な祭儀がとどこおりなく終わったことを喜んで、一種晴れやかな祝意を表しながら、この興行は四十七人の怨魂を鎮める祭だから彼らが自分にたたることはまずなかろうと、意識下の仄暗いところで楽観することができた。「仮名手本忠臣蔵」はそういうそれまでの演劇の集大成でありながら、しかも呪術性があらわではないという点でも、当時としてはまったく新しい形、未来に向けて用意された宗教劇であった。
(中略)
この事件それ自体が、芝居ごころのふんだんにある祭祀、式次第にきちんとのっとった大がかりな祭典劇であるということを漠然と感知している……。

長々と引用したが、簡単に言ってしまうと、高貴な人から下賤なものまで、季節は春夏秋冬の一年中、地理的には東西南北の隅々まで、そういったものすべてがこの物語の中に組み込まれているということ。また、これを語ること・演じることで、結果、魂の鎮魂・慰霊が行われていることになっているのだ。これがまさに、日本という「土地」を褒めること、「国ほめ」という信仰にもつながっていくことになる。
本書では、「仮名手本忠臣蔵」の中に、この信仰が含まれているということを詳しく解説している。
そして、こういう一文がある。
『江戸中期の人々は、自分の属している社会が無事に存続するための儀式としてあの芝居を興行し、見物した。』
つまり観る側にも「鎮魂」という意識があったということだ。
劇や物語の中にこういう信仰が根底に流れているというのは、「仮名手本忠臣蔵」に限ったことではないだろう。他の歌舞伎の中にも、また日本で昔から行われていた能、神楽、祭といった儀式・劇・祭事の中にも、しっかりとこの信仰が根付いている。表現する方法は各々違えども、これらはすべて同じ(日本的)信仰が根幹となっているのだ。
詳しくは過去記事「井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」などから。」で。
だが、余りもに浸透し過ぎて、逆に現代の日本人には、そこに気付かないのか、それとも本来の意味が忘れて去られてしまったのか。どちらにしても日本の劇・物語・祭事・儀式といったものの中の「魂を慰める」という「鎮魂」があるということを忘れてはならない。
それは、東日本大震災という「厄難」を向かえた今、尚更考えるべきことなのだ。
(だから、「祭り」は中止せずにドンドン行うべきなのだ。 過去記事 いま日本に必要なのは「ディズニーランド」でも「パンダ」でもない。「祭り」や「年中行事」「花見」こそいま行われるべきなのだ!)


で、次が、3、カーニバル的要素があるということ。

彼らが、大名の火事装束に通う趣きのある大星由良之助に衣装に触発されて見たものは、華麗な装束に身を固めた塩谷判官が上天にあって、四十七士を指揮する、あるいはむしろ守護する、姿であったろう。この幻想は当時の人々の世界像からすればごく自然な帰結であった。彼らはわれわれと違って死後の世界の実在を信じていたし、死者の霊が生者と語り合うというのは、ほとんどすべての人が受け入れている(受け入れているふりをする)風俗だったからである。言うまでもなくこの幻想は危険きわまりない。ほんの少し延長すれば、いや、このままでもすでに、幕府に対する藩ぐるみの反逆、大がかりな内乱を意味するからである。

(「地震 雷 火事 親父」の「親父」は幕府と解説したことを踏まえて)……つまり庶民の生活にとって最も迷惑なもの四つを並べた物づくしで、四つ目は実は幕府を指していたと解釈している。すなわち悪政は、死人の霊を味方に引き入れて戦うに値する、ずいぶん格の高い敵(かたき)であった。
しかし暴政苛令が地震、雷、火事と同じくらいの困りものだとしても、ブレス・キャンペインもデモもストライキも許されていない以上、それを攻撃する手立てはなかった。辛うじてあったとすれば、せいぜい浄瑠璃と歌舞伎くらいのものか。そこで民衆は気の弱い(そして意外に賢い)息子よろしく、この権柄づくしな親父に手向かうため、浄瑠璃や歌舞伎を見物しながらまこと悠長に気勢をあげることになる。三都の芝居小屋において歌舞音曲で景気をつけながらおこなわれたのは、権力に対する面従腹背の反抗、二枚舌の政府批判、呪術による蜂起であった。


仮名手本忠臣蔵 1
(「道行旅路の花婿」の場面)

カーニヴァルは主としてカトリック教国の春の祭りで、三日間にわたって行列、仮装、見世物、馬鹿騒ぎを行う。現在ではブラジルのリオ・デ・ジャネイロ、フランスのニース、アメリカのニューオリーンズなどのものが有名だが、かつてはローマのカーニヴァルが最もよく知られていた。デュマの『モンテ・クリスト伯』から引用すれば、こんな調子の祭だったのである。

ポポロ広場には、いま、狂気じみた騒がしい大乱痴気の光景が示されていた。仮面をつけた連中の波は、あらゆるところから溢れ出していた。ピエロ、アルレキンや、ドミノや、侯爵や、トランステヴェールの服装をした連中や、騎士や、百姓などをいっぱいつめこんだ馬車が、町中のあらゆるところに流れ出していた。これらすべての人々は、喚きたて、身ぶりをしながら、麦粉をつめた卵とか、コンフェッチとか、花束とかを投げつけていた。友だちだろうが、見ず知らずの人だろうが、知っている人だろうが、知らない人だろうが、相手構わず、悪口雑言を浴びせかけ、投げつける。だが、誰もそれに対して腹を立てる権利がなく、ただ笑って済ませるしきたりになっていた。(中略)
じっさい、このときの、広い美しいクール町のことを思い浮かべていただきたい。両側には、端から端まで四階五階という大きな建物が並んでいる。至るところの露台には綴錦が掛けられて、窓口では織物がかけられている。それらの露台や窓口には、三十万人の見物が詰まっていた、ローマの住民、イタリー人、それに世界おありとあらゆる隅々からやって来た外国人、家柄の上からの貴族、財産の上からの貴族、つまりありとあらゆる貴族階級が集まっていた。美しい婦人たちも、この光景に心を奪われ、露台の上に身を屈め、窓の外まで乗り出して、通りかかる馬車にコンフェッチを雨霰と投げかける。(後略)

この祭(カーニバル)の起源ははっきりしないけれども、もともとは自然界の死と再生に関係のある、太古も農耕儀式だったろう。むずかしく言えば、それは農耕儀式以上のもので、年の再生と年の植物の再生を祈ることによって太初の時に回帰し、宇宙創造が年々に反復されることを祝う儀式(エリアーデ『聖と俗』)ということになる。
(中略)
『仮名手本忠臣蔵』は、このカーニヴァル型の祭とそっくりの構造で出来ているようにみえる。
仮名手本忠臣蔵002
(「道行旅路の嫁入り」の場面)
『仮名手本忠臣蔵』には高師直の戴冠とその王冠が奪われること、ないし春と冬の争い以外にも、カーニヴァルを思わせるものが数多い。たとえば馬鹿騒ぎとしては一力茶屋がある。見世物、つまり音楽と踊りに当たるものとしては、細かく拾えばほかにもいろいろあるにしても、さしあたり三段目の「道行旅路の花婿」と八段目の「道行旅路の嫁入」が代表だろう。後に書き足したものであるにせよ、大詰の両国橋押戻しの場はカーニヴァルの行列に見立ててもよい。あれは広場から南の通りを出てゆく祭で、その点もよく似ているようだ。そして仮装に当たるものとしては、芝居だから当たり前と言えば当たり前だが、まず役者が大星由良之助や顔世に扮し、しかもそれが大石内蔵助や瑶泉院を意味しているという二重の仮装がある。高家付人、小林平八郎が女の衣装で立ち回りするのも注目に値しよう。男が女装し女が男装するのはカーニヴァルにつきものだからである。(中略)
なお、カーニヴァルが民衆の政治的鬱憤晴らしの場になることはよくあった。

この本が奇抜でユニークな点は、終盤に展開される、「火事装束から御霊信仰=カーニバル論」だろう。詳しいことは本書を当たってもらいたい。(ぶっ飛んでいて面白い)
この説が正しいとか間違っているとかは私には分からない。そういうことは、私にはムズカシイことなので、学者先生や専門家たちが論争すればいいという、別次元の話だ。
ただ、自説を貫くために、古今東西いろんな話を引っ張ってきて、付会的に関連付けしてしまうこの強引な手法、一見なんの関係もなさそうなものまで持ち出して、幻惑的に自説と結び付けてしまうトリッキーな語り口、これが私にはたまらなく、好きなのだ。
もう、至高の芸といってもいい。
こういう芸風は、山本七平や井沢元彦や梅原猛にもあるので、この「強引論理タイプ」、右も左も関係なく大好きです。
この論法技術、是非とも見習わなければ……。

横道にそれました。
本題に戻して、今回のポイントは、「御霊信仰」「国ほめ」「カーニバル」の3つです。
そして他には、「御霊信仰=カーニバルには馬鹿騒ぎが必要だ」ということと、「男が女装し、女が男装するのはカーニヴァルにつきもので、カーニヴァルが民衆の政治的鬱憤晴らしの場になること」というところかな。(これはあとで重要な点になります。)

と、まだまだ「資料編」は続く。

資料編10回目 丸谷才一「忠臣蔵とは何か」 その1

資料編10回目。
今回は前回の井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」やその前の「怨念の日本文化 幽霊編」に続いて、丸谷才一「忠臣蔵とは何か」を取り上げます。
ただしいつものように、資料として必要な箇所をダラダラと抜き出すだけで、本の感想や要約ではありませんよ。
必要なのはキーワードの抽出。ここでは「鎮魂」「カーニヴァル」「御霊信仰」などです。

とその前に、昔の「歴史読本」に「忠臣蔵とは何か」を特集した号があったので、そこから各人の文章を抜き出していきます。
歴史読本 「忠臣蔵」とは何か
(「昭和63年1月号」、パラパラめくると「歴史文学賞」の最終候補に宮部みゆきの「かまいたち」の名を見つけました。まだまだ新人のころの宮部。そのくらい前の本だ。古本って、こういう発見があるから面白い。)

では、以下引用。
小田晋(精神医学者) ドラマ「忠臣蔵」の解読――日本人像を映し出す鏡

……つまり丸山氏は、赤穂浪士たちは、御霊である主君への鎮魂のためにあの復讐を行ったとするのである。狂気が聖なるものとされるのは、多くの場合、古代信仰の担い手であるシャーマンや呪医のような巫者が、巫病といわれる狂気を通じて成巫したり、筆者が1967年にネパールで観察した例のように、てんかん発作やマラリアによる熱性せん妄が巫者になる契機とねりうるという事実から、民俗心理の古層に組み込まれている観念であるからだと思われる。
ボアズ(『心理人類学』創元社 1987)がいうように、古代的タブーの発生は、タブーになる対象に対する矛盾した感情がもとになっているのであり、戦いで殺された死者は憎むべき敵ではあっても、怨霊であるから畏敬されねばならない――というのは古代人や未開人に共通の観念である。それは必ずしも日本民族固有の観念ではないけれども、わが国の特徴は洗練された高文化の基底にこういう古層が、比較的変形されずに組み込まれているところにあり、それが柳田・折口学のような日本民俗学が独自の学問として成立する根拠ともなっているのである。


小室金之助(創価大学教授・弁護士) 忠臣蔵論争

昭和59年に、丸谷才一氏は、『忠臣蔵とは何か』を発表し、従来、忠臣蔵が儒教的美意識の典型的表現だなどと漠然と考えられてきた「仮名手本忠臣蔵」が、実は将軍調伏という恐るべき意図さえも孕んだいわゆる御霊信仰を支えとする祭祀劇であったとする新しい説を唱えられた。すなわち、氏は、忠臣蔵を事件としても演劇としても支えたのは民俗信仰の一種である御霊信仰であって、その背後には、冬の王を殺して春の王を迎えるヨーロッパのカーニバルと通う思想があったとされるのである。
丸谷才一「世紀末そして忠臣蔵」には「四十七士は浅野内匠頭の怨霊が祟ることを恐れて、怨霊をなだめる儀式として仇討をした。あれは武士道の現れではなくて古代信仰の表現だった。そして江戸の市民は四十七士の死霊が祟ることを恐れて芝居の忠臣蔵を上映した」とあり、浅野内匠頭の「遺恨」が怨霊と化し、江戸の町を漂う。その霊を鎮める儀式が忠臣蔵だ。


山崎哲(劇作家) 怨霊の誕生 転位した討ち入り劇

内匠頭の遺恨は彼ら(赤穂浪士)にとっての怨霊に昇華し、討ち入りはたんなる仇討ちから「怨霊をなだめる儀式」へ転位していったのだと思う。こうしてここに大衆と浪士らの無意識が結びあい、事件が怨霊鎮めの儀式、あるいは祝祭劇として展開されていく筋道ができあがった。


横木徳久(文芸評論家)

丸谷氏はまず、「忠臣蔵」と「曽我物語」との相似点を論究し、民衆が共感を抱く背景に御霊信仰、すなわち「非業の最期をとげた者、殊に政治的敗者の怨魂がたたって疫病その他の災厄をもたらすという日本古代信仰」があると指摘する。そして、この「御霊信仰」が、日本という枠組みを越えたカーニヴァル的な性格さえ含んでいるという大胆な推論を行っている。
「つまり『仮名手本忠臣蔵』にはカーニヴァル的な要素と御霊会的なものがどちらも充分に含まれていることになる。こんなふうに言えば、御霊会はともかくカーニヴァルのほうは、奔放な空想力の所産として呆れられそうな気がするけれど、ニースやリオ・デ・ジャネイロやニューオリンズの祭が直接この芝居に関係があると考えているのではもちろんない。もう少し手の込んだ構図にわたしは心を寄せている。わたしが思い描く時間の枠組みは気が遠くなるくらい大きいので、平安初期の御霊会よりも遥か古く、カーニヴァルの祖先らしい古代ローマにサトゥルナリア祭よりももっと昔の、東西における太古の祭りを想像したいのである。」
(中略)
文化人類学者の山口昌男によれば、カーニヴァルとは「秩序の拘束から離れて気儘に戯れ日を過ごす」ことであり、未開では「王権の反秩序儀礼」としての意味を担っているという。
元禄時代の「王権」は、言わずと知れた悪政の徳川綱吉である。民衆の不満は潜在的に充満していたと考えられる。そうした民衆が「忠臣蔵」に激しい共感を寄せ、現在に至るまで愛されつづけている点は興味深い謎であり、いろいろな解釈を可能にする。丸谷はそこに「太古の祭」という原初的なエネルギーを感じとり、最新の概念を導入してその解明を果敢に試みたといえよう。


とこれらを読んでいくと、前回の井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」でまとめた「鎮魂と慰霊」が、「忠臣蔵」という劇・物語の中に濃厚に取り込まれていることがわかるでしょう。

では、次回で丸谷才一の「忠臣蔵とは何か」の本編の抜き出しを行います。

「忙しいから短い手紙は書けない」は名言だな~。

パスカルの言葉から
「忙しいから短い手紙は書けない」
文章を短くしょうとすればするほど長い時間がかかる、という意味だ。
確かにその通りですね~。

検索すると、「もっと時間があったなら、私はさらに短い手紙を書くだろう」ともある。(http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/239ec7864aa06ca99baaf3ed61d1114d)
まあ、どちらにしても意味は同じ。

短い文章で気持ちが伝えられる人に憧れてしまう、今日このごろ。

桂小五郎のカッコいいところをどんどん書いていく!

激怒!
これはいけません!

NHKの「歴史秘話ヒストリア」の「桂小五郎」の再放送を見た。
タイトルに「逃げちゃだめだ~逃亡者・桂 小五郎 明治をひらく~」とある。ホームページ番宣には「小五が「逃げの小五」になったワケ  幕末維新のヒーローたちの中でもイケメンで人望もあった桂小五郎。しかし彼には“どたんばで逃げる”という弱点がありました。池田屋事件では仲間がたおれる中、小五は屋根伝いに脱出。さらには禁門の変で戦う部下を尻目に、一人行方をくらまします。自分の弱さに苦しむ英雄の迷走物語。 」とある。

ヒドイ内容だった。

まずウソが多すぎる。歴史的考証などまるで無視だ。
それに、番組制作者が思い描いている「物語」に沿って描かれている。つまり45分のドラマを作るような感覚で、歴史上の人物をその中に当てはめている。(この回でいえば、弱虫で逃げてばかりいる小五郎が、恋人の幾松・友人の坂本龍馬の助けを得て立ち直る。めでたし、めでたし……、そんな安っぽい話にしてしまう)
ほんと、最近の歴史モノの番組はオカシナものばかりだ。(NHK大河ドラマも含めて)
過去記事
TBS「テレビ世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」は久々の最悪歴史モノ番組だ!

「だったら見なければいい」と言われるだろう。確かにそうだ。しかし、例えば桂小五郎に興味があって初めてこの人物に触れようとこの番組を見た人はどうだろうか。それがこんな番組制作者の偏ったモノをみれば、その偏見を持ったまま歴史上の偉人をこれから先ずっと見ていくことになる。(今回の場合は「桂小五郎は逃げ回ってばかりいた弱虫」といった誤った偏見を持つことになる)
少し前に見た歴史モノバラエティーで、坂本龍馬を紹介していたとき、あるおバカ女タレント(里田まいかスザンヌだったと思う)が「あっ、この人、日本で最初に水虫になった人でしょ、靴を履いてるから、知ってるよ」といってドヤ顔になっていた。たぶんどこかの歴史モノの「実は○○」ネタで仕入れてものだろう。
何が言いたいのかというと、こういうイメージを付けてしまうとなかなか取れない。それを歴史上の偉人たちが、どんな偉業を成し得たか、日本のためにどんな苦労をしてきたかを、すっぽり抜いてしまい、こんな悪いイメージだけを植え付けていいくことになる。こういうことが、番組を作る人たちには、イケナイことだと全く分かっていないということだ。
ある歴史上の有名人を祀った神社で、そこにいた観光客が「この人、人妻好きだったんだってよ」といってその人物をバカにしていた。こんな気持ちで神社に来たとしても敬意なんて気持ちは沸き起こってはこないだろう。それはやがて歴史や歴史上の偉人たちの軽視につながる。
昨今の歴史モノを取り扱ったテレビ番組が、悪意ある情報を垂れ流す罪は実に大きいのだ。
この点は過去に何度も書いているので過去記事で。


さてさて「歴史秘話ヒストリア」の「桂小五郎編」に戻る。
どこがどうイケナイのか一々取り上げるのは面倒なので、あまりにもヒドイところだけを挙げてみる。
①桂小五郎が、幕末江戸三大道場の一つ「練兵館」の塾頭となったは、「話合いがうまく、人をまとめるのが上手かったから」といった内容になっていた。
おいおい、桂小五郎は、戦後の平和主義者かよ、話し合うことが好きなサヨクかよ。そんな描き方だった。
桂小五郎を舐め過ぎだ。彼の剣術が凄かったから、塾頭にまでなったのだ。「小五郎は上段のかまえを得意とし、大柄な彼が竹刀を上段に振りかぶると、気魄はあたりを圧した。」といわれ、大名や藩に請われては、師匠の斎藤弥九郎にともに武家藩邸に出稽古に行ったり、剣技を教えに行っている。
以下、木戸孝允の生涯を描いた名著村松剛「醒めた炎」(中央公論社)からいろいろ引いてみる。
村松剛「醒めた炎」

吉田松陰が獄中から小五郎に宛てた手紙には、「吾が友桂小五郎は武人なり、」という。武人とはここでは単に大言壮語する口舌の徒ではない、という意味である。「武人にして、書生に非あらず。」したがって小五郎は、軍事には十分通じていると思う。しかし国防のことは重大であり、くれぐれも「書生の粗心」をもって計算を誤ることのないようにというのが、一文の趣旨だった。

吉田松陰いわく小五郎は「ペラペラ口の軽い男ではない、侍である」ということだ。この番組はどうしても小五郎を「弱い男だった」としておきたかった(その後に成長して立派になったという物語にしたかった)が、そんなことは全くないのだ。
ちなみに、吉田松陰は桂小五郎を高く買っている。

「江戸藩邸の大検使役に抜擢されたのも吉田松陰の熱心な運動と、周布政之助の推挽による。周布は、松陰を説得できる男は、小五郎しかいない松陰が入江杉蔵に宛てた手紙「ああ、われの敬信する所の者、ひとり桂と来原とのみ」……。
小五郎のすすめにおとなく従った。小五郎の真情を、無垢な彼の心は素直にうけとめていたのである。
高杉普作に宛てた手紙には「桂は厚情の人物なり。此の節同志と絶交せよと、桂の言なるをもって勉強してこれを守るなり。」

などなど、松陰と小五郎の深い友誼関係を示す逸話はいくらでもある。小五郎は吉田松陰の遺書「留魂録」を手許におき、江戸在府中の知友に回覧させていた。
過去記事 吉田松陰の魂はどこへ
これのどこが「弱々しい男だというのか」

それでは、わたしの好きなエピソードを引いてみよう。

江戸の台場建造
勉学熱心なこの男は自分の無学に気がつくと、師匠の斎藤弥九郎にたのんで江川太郎左衛門の弁当持ちの人足に化け、品川台場の築城工事の現場に日参することにした。
斎藤弥九郎は江川の兵学上の師として遇されていたので、台場建設の現場に同行し、その弥九郎の弁当持ちとして小五郎が頬かぶりをしてついて行く。茶屋などで休むときには江川と弥九郎とが座敷に入り、お供の小五郎は土間で待っているのである。
品川の茶店の土間で座って待っていたとき、店の婆さんが小五郎の顔をまじまじと見て、
「おまえさん、そんななりぃしてなさるが、ただのおひとじゃあないね。」
「とんでもない」と、小五郎が慌てて否定した。外様の長州藩士が変装して江戸の台場をさぐっているなどということが知れたら、当時まだ幕府は長州藩を信頼していたとはいえ、ただではすまないだろう。
江川にさえ、彼ははじめ素性をかくしていた。婆さんは、「そうかえ。ただの人夫ってえご面相じゃないんだがねえ。」
それから彼女は小五郎に、懇懇と説教をはじめた。以下、小五郎の藩の後輩、山尾庸三の回想による。
「足下は奴僕の群にあるべき人ではない。すみやかに心を決して適当の業務をえらび、おほいに青雲の志を立てて怠り忘れてはならぬ。」
彼はすでに大組士であり、幕藩体制ではこの身分は生涯たぶん変わることはなく、茶店の婆さんなどにおだてられたところではじまらない。
しかし小五郎は、神妙にきいていた。婆さんのことばが彼にはよほど心にしみたと見え、後年いくどもこのはなしをくりかえしている。

こんな逸話一つとっても桂小五郎が「ナヨナヨした弱い人物」ではないことがわかる。

② 番組では、池田屋事件のとき桂小五郎だけが逃げて生き残り、卑怯者という描き方となっていた。この「逃げた」ということを殊更に強調してある。番組が描いたシナリオ上、どうしてもここを彼の「トラウマ」とさせたかったのだろう。
さて、史実はどうだったのか、事件のあった時間に桂小五郎は、池田屋にいなかった。小五郎は池田屋に早く来すぎていて、まだだれも来ていないと聞くと、あとでまた来るといい残して対馬の藩邸に向ったという。
『醒めた炎』では「大島友之允と話こんでいた小五郎はひとを出して何が起こったのかをたしかめさせた。
変事と聞いて剣をとって立ち上がった小五郎の前に、大島が立ち上がった。突出は、自殺にひとしい。
小五郎の回想の筆記が、山口の歴史資料館に保存されている。(「桂小五郎京都変動ノ際の動静」毛利家文庫、筆記者は杉山孝敏)。これによると、「大島かたくこれをとどめ、ひとをやり動静をうかがわしむ。時に宮部鼎三(蔵)、吉田稔麿等以下みなすでに殺される。」とある。
番組では、佛教大学教授の青山忠正が、乃美織江の言を引いて、「小五郎は屋根伝いに逃げた」と解説している。(この青山忠正なる人の解説もヒドイ。小五郎を卑怯者のごとく解説している。ほんとに学者なの? 番組も制作者の描いたシナリオ通りに解説する人を使ったとしか思えない。)
『醒めた炎』では「小五郎とならんで京都居留守役をつとめていた乃美織江は、彼(小五郎)が新撰組の斬込みにあってから屋根伝いに対州藩邸に逃げ延びたと思い込み、手記にそのように書いている。
屋根伝いの脱走は乃美の手記によって一時定説化されたと見え、大正十年刊行の『防長回天史』までがこれを本文では採用し、補遺で訂正しているのである。池田屋と対州藩邸は近いとはいえ、あいだに岩国の藩邸をはさんで路地が二つあり、屋根から屋根への跳躍は不可能といってよい。」とこの説を否定している。
どちらが正しいのだろう。Wikipediaでは2つの説を載せている。
ただ番組では副題に「「逃げちゃだめだ~逃亡者・桂 小五郎」とあるくらいだから、どうしても桂小五郎には逃げ回ってほしいのだ。でも、村松剛もいうように、この時代の志士はみな「逃げ回った」。高杉晋作も伊藤俊輔(博文)も井上聞多(薫)も坂本龍馬も、それこそ幕府側の勝海舟や徳川慶喜、近藤勇だって身の危険を感じれば直ちに逃げた。
それを桂小五郎だけにその汚名を被せ、長州藩士が死んだことをみな小五郎の所為にするかのように描く、ほんとにヒドイ。
吉田松陰は言った「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし  生きて大業のみこみあらばいつでも生くべし」と。桂小五郎は明治は生き残って大業を成した。とすれば「逃げの小五郎」は、小五郎への褒め言葉である、私にはそう思うのだが。
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アニメ「銀魂」の中に登場する桂小五郎をモデルにした「桂小太郎」。この桂は自らに綽名された「逃げの小太郎」を誇りにしている。

では、少し小五郎の人物を『醒めた炎』からエピソードを拾ってみよう。

有備館(長州藩が江戸の桜田の邸に開いていた道場)の舎長に彼が就任したころの有備館は規律が弛緩し、仮病をつかって何日も道場に出て来なかったり、吉原に遊びに行って明方に帰って来たりする塾生が少なくなかった。
小五郎は規則違反者には、たとえ自分より年長の武士であろうと遠慮なく退塾、禁足を命じ、この男としては珍しく大声で怒鳴ってもいる。一部の塾生が舎長排斥の運動を起こしたが小五郎はその方針をつらぬき通し、質の悪い何人かを国許に追い返して、有備館に道場としての厳しさをよみがえらせた。
有備館の風紀を彼が一新させたことが、小五郎への藩内の評価をたかめたのである。
(中略)
江戸詰家老の宍戸備前守は「桂小五郎をよほどよほど見こまれ候趣にて」と周布政之助が驚くほど、小五郎に惚れ込んでいたのである。

ド・ヒュブネル男爵(オーストリア人・フランス駐在全権公使、ナポレオン三世から大士官の勲章を受ける)は明治四年に日本に来て、東京で参議、木戸孝允に会った。「一見して非凡な人物であることがわかる」と、六十歳になるこの練達の外交官は書いている。
「彼は長州藩の指導者であり、一八六八年の革命の主要な推進者の一人である。ダイミョウたちに版籍を奉還させた有名な誓願書を、ミカドに宛てて書いたのは彼だった。
木戸の態度と物腰とは庶民のものであって、事実歴史の舞台に出て来る前の彼はサムライだった、とヒュブネルはいう。
「しかしこれほど強烈に精神の力を感じさせる風貌に、私はこの国でかつて出会ったことがない。彼がものをいうとき、その表情は独特な生気をみなぎらせる。(中略)一見して非凡な人物であることがわかるのである」
木戸はこのとき、三十八歳だった。ド・ヒュブネル男爵は殆ど息子に近い年齢の彼から、よほどつよい感銘をうけたらしい。庶民風の態度、物腰というのは、いわゆる殿さま顔とはちがう、という意味かと思われる。

こういう桂小五郎の人物を示すエピソードはいくらでも出てくる。
これらを読んでも、番組のように桂小五郎は「女々しい人物」であったのだろうか。

③ 但馬の出石に潜伏していたとき小五郎は、ウジウジした生活をしており、それを立ち直らせたのは幾松であったと描き、その言葉は「しっかりしなはれ」だったとか……。
もうこの描き方はこれはどうにもならない。しかもなかなか長州に帰らないのも小五郎自身の「逃避的」性格によるとしている。
長州に帰るにしても甚助兄弟の助けを借りなければならないし、野村靖之助の手紙で藩の情勢のおおよそは分かったが詳しい情報までは分からない。
それに長州までの道のりには幕府の関所がいくつもあり、すぐに帰れる状態になく、なによりも準備が必要だったのだ。
実際、長州藩では高杉がクー・デタを起こして俗論党と呼ばれる守旧派を一掃しているが、開明派と攘夷派が対立し、高杉晋作や井上馨、伊藤俊輔博文らは斬奸の対象となっている。
そういう諸般の事情を番組は全く描かない。(番組内では、高杉晋作の名が一度も出てこない。幕末長州藩を取り扱って、それはありえないことだろう)
奇兵隊ドラマ「奇兵隊」高杉晋作(松平健)と桂小五郎(中村雅俊)

そして、決定的ウソを放送する。
幾松に励まされ改心した小五郎は、その決意として改名し「木戸貫冶」とした、という。
これは大嘘だ。
何よりも「木戸」姓にしたのは、長州藩の藩命によるものだし、「木戸寛治」としたのは、長州に帰ったあとの慶応一年九月といわれ、潜伏していた時期よりも一年も後のことだ。
歴史モノでこういうウソはいけない。
何かを意図として、分かってやっているとしたら、なおのこともっと悪い。
「逃げちゃだめだ」物語としては、どうしても「改名」するほど本人が変わったと表現したかったのだろう。
だがもうこれは歴史モノではなく、歴史上の人物を使った創作ドラマだと言っていい。
いや、「歴史秘話ヒストリア」は歴史情報ドキュメンタリー番組という大層なものではなく、架空歴史妄想番組だといってよいだろう。

では、桂小五郎は本当にそんなにウジウジしていたのか?
『醒めた炎』から長州に帰った直後の小五郎のエピソードを一つ引いてみましょう。

伊藤俊輔が刺客に狙われ馬関の町を転々としていた。刺客団の首領は長府藩の馬廻士で、泉十郎という。
下関に着いた小五郎は対馬藩御用の桶屋久兵衛の店に泊まり、翌朝さっそく俊輔を呼んだ。俊輔はこのころは定宿の紅屋にもどって、裏の土蔵にひそんでいた。
小五郎の顔を見て、若い俊輔は両目に涙をたたえた。問われるままに俊輔がその窮状を訴えると、小五郎は、
――もってのほかだ。野々村勘九郎を呼べ。
泉十郎の旧名が野々村勘九郎だった。泉は野々村を名乗っていた時代に江戸の斎藤彌九郎の道場で剣を学んでいたから、小五郎は大柄で総髪のこの男をよく知っている。
小五郎よりは六歳若く、塾頭だった彼から見れば弟子といってよいだろう。つまり小五郎の帰藩後の最初の仕事が、俊輔暗殺団の鎮撫だった。
幕府による再征が目前に迫っているというのに、防長二州内で同胞あい食むとは何ごとかと叱りつけると、根が純情な泉は巨体を小さくしてあやまり、俊輔のところに詫びに行った。
小五郎の帰国は長州藩にっとって、「大旱に雲霓を望むごとき有様だった」、と伊藤はいっている。霓は虹を、意味する。

カッコイイですね。
果してこれが番組が言うように「陰鬱でグズグズした卑怯な男」だろうか?

④そして、もういい加減「龍馬病」から脱しようよ。
「薩長同盟」も「大政奉還」も龍馬発案で、小五郎がこれらを果たしたのは、龍馬の友情、約束のためだった的な内容。
何なのだろうか、幕末・維新の偉業はすべて坂本龍馬が行ったかのような風潮にはウンザリだ。もう司馬遼太郎「竜馬がゆく」の呪縛から解き放たれないと、西郷隆盛も勝海舟も木戸孝允もすべて小物扱いになってしまうよ。
言っておくが、「薩長同盟」は小五郎の持論であって、龍馬に言われなくてもそんなことは十分に分かっていた。
だが、後半は龍馬が主役のような感じで、万事がこの調子だ。もういいよ。
一々言うのが面倒なくらいだから、ここらでやめておく。
さてさて、そして番組ラスト五分くらいは、小五郎さん立ち直ってよかったね、と大団円。
こんな軟弱な人が明治維新を行ったのだから、あなたもやればできる、みたいな印象で終わりました。
……。
だめだこりゃ。

お口直しに、古川薫「桂小五郎 奔れ!憂い顔の剣士」(小峰書店)の始まりがカッコいいので、引用して終わりにします。

世の中が変わるときの歴史は、新しい時代を産みおとすための苦しみからはじまり、それは期待をはらみながらも残酷で、悲壮で、そして華麗な青春の舞台でもある。
徳川幕府の政治体制が揺らぎ、近代国家に生まれかわろうとする日本の幕末といわれる時代の主役もやはり若者にまわってきた。彼らはすぐれた英知と、たくましい行動力をもって志士となり、夜明けの地平を走った。
加熱する列島の土を蹴って突進し、あるいは燃え尽き、あるいは死線を越えて、志をつなぎながら、時代の舵輪を握ったのだ。
いまここに登場する長州藩士・桂小五郎も激動の日本い生まれ出た二十歳の若きサムライである。本州さいはての長州から剣術修行で江戸に出た彼は、練兵館道場の荒稽古に耐えて神道無念流免許皆伝の剣士となるが、黒船来航に遭遇して時代にめざめた。
近代兵器アームストロング砲を搭載した巨大な軍艦。黒船は空砲を轟かせて日本人を威圧し、国をひらけと強談判。幕末の日本人がはじめて経験した異国の風圧。それを「外圧」という。日本人はこのときから長い期間にわたって外圧という悪魔に脅かされた。桂小五郎はそれから外圧と戦う剣士となった。剣士の魂を心に秘めて、小五郎は新しい軍事技術に取り組んだのだった。
眉濃く、眼光涼しく、口元ひきしまり、鼻すじとおった好男子。無口で、いつも憂いを含んだ微笑みを浮かべ、志士のなかでは最高のハンサムといわれた。「憂い顔の剣士」桂小五郎。
その憂いとは憂国の憂いだが、中世ヨーロッパの女性たちがあこがれ、かのドン・キホーテが空想した美しい甲冑の戦士。それが魅惑的な憂い顔の騎士である。いざ「憂い顔の志士」桂小五郎の飛翔する人生を語ろう。

やるなら、このくらいカッコよくやって欲しかったなぁ~。

読売新聞「今に問う言葉」、三島由紀夫編

読売新聞が週一で掲載しているコラム「「今に問う言葉」に三島由紀夫が取り上げられていたので、書き起こしておきました。
平成23年6月27日 読売新聞「今に問う言葉」  三島由紀夫『文化防衛論』(1969年)

「平和を守るにはつねに暴力の用意が必要である」
三島由紀夫は『文化防衛論』で、日本文化の国民的特色を論じた。そして戦後の日本の文化がその平和主義によって、「何か無害で美しい、人類共有財産であり、プラザの噴水の如き」ものになったと断じた。つまり、ダイナミックな力と形を失った「博物館的な死んだ文化」であると。
力への意志の喪失。「平和を守る」という行為と方法が、全て平和的でなければならぬという考え方。それは「文化主義的」な妄言であり没論理でしかないが、それこそが戦後を支配してきた風潮なのではないか。
今回の震災と原発事故を機に文明社会の転換がしきりに言われる。行き過ぎた文明社会への反省とその価値を改めること。真の「豊かさ」とは何かが問われ、日本文化の再発見を訴える論者もいる。
しかし三島が四十年前に突きつけた、戦後的な「価値」としての平和主義への根底的な批判は、未だに何か危険なものとして蓋をされたままだ。
(富岡幸一郎・文芸評論家)

ここ一ヵ月ほど三島由紀夫が続きましたが、次は伊藤博文のようです。
このコラムのことは去年のいまごろ書いてましたね。これは短くまとまっていて結構面白い。
過去記事 読売新聞の「今に問う言葉」から

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消えた二十二巻

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