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自己の感情コントロール その3 資料編18回目 発達心理学から 2 

自己の感情コントロール その3 資料編18回目
図解雑学「発達心理学」(ナツメ社、山下富美代・編) から、感情のコントロールに関する箇所を抜き出してみましたの2回目

自己意識の高まり 「私」を意識するとき 自己意識の発達により、私たちは自分を抑えたりすることができるようになる一方、孤独感を感じたりするようになる。
・自分を意識すること
人はいつ頃から自分を意識し、自分と他人は違うものと分けて考えることが可能になるのであろうか。このような自分自身に対する意識を自己意識という。乳児は、生まれながらに積極的に環境とかかわり、自己の位置づけを明確にしていこうとする能力をもつと考えられている。2~3歳になると否定や反抗の行動が多くなる第一反抗期を迎えるが、まだ自分と他者をはっきりと分けることができず、自分の思いが通らないとちょっとしたことで機嫌を損ねることが多い。第一反抗期が過ぎるころ、自他を区別し、自分の存在を確かなものとして位置づけ、反抗や否定は自己主張として発達していく。
・自分をコントロールすること
乳幼児期から児童期と、子どもはその世界を家族から仲間、学校へと広げていく。ときには仲良く、ときにはけんかをして社会性の発達の基礎となる経験をする。この経験を通して、次第に自分をコントロールすることを覚えていく。さらに、「遊びの順番を守る」「決められたことはきちんとやる」などのように、ルールをことばで明確に子どもたちに示すことは、それを手がかりに自分をコントロールすることの発達を促すようである。自己意識の発達は、自分を抑えたり我慢することや、道徳的な判断の発達も含んでいる。
・自分を深めていく
児童期までは、自分と他者を区別するのに特に表面的な特徴が大きな影響をもつ。友人間での人気など、自分の客観的な特徴が自己意識を高めていく時期である。しかし、性的な成熟が進み、青年期になると、自分の内面に目が向けられる。そして、他者とは異なる存在として自分を意識し、孤独を感じたり、自分を受け入れられないという混乱を生み出したりする。

青年期の発達 疾風怒涛の時代 大人への移行期である青年期は自分自身の変化も周囲の環境の変化も大きく、翻弄されがちな時期である。
・青年期はいつからいつまでか
青年期は児童期と成人期の間にあり、子どもから大人へと成長していく過渡期でもある。それでは、具体的に青年期とは、何歳ぐらいの時期をさすのか。明確な基準はないが、おおよそ12、13~25歳くらいまでと考えられる。青年期は生理的成熟(生殖可能な身体をもつこと)を迎えることで始まるとされるが、その終わりを明確にすることは難しいようである。
・青年期の変化
青年期の前半は思春期ともいい、様々な変化が起こる。身長・体重などの発達が顕著で、男子は精通や声変わりが現れ、からだつきも男性らしくなる。女子は乳房の発達や初潮を迎え女性らしくなる。これらは劇的な変化であるため、本人のこころや周囲への影響も大きい。身体的変化は周囲の人の見方を変え、子どもに対する態度や期待とは異なったものをもたせる。青年自身も大人に対する見方を変え、行動範囲を広げ、自由度が増していく。これらは社会的変化といえる。そして、身体的変化、社会的変化とともに「自分が独自の存在であること」に気付き、自己の内面に目が向けられる。そのなかで、孤独感や劣等感に悩まされるなどの心理的変化も急激に起こっていく。
・第二の誕生
青年期は「第二の誕生」ともいわれ、自分が独自の存在であることに気が付いていく。しかし、私たちは一人で生きているのではなく、自分を取り巻く環境とともに生活し、自分の変化と環境の変化を調整しながら適応することを求められる。青年期はこの両方の変化が大きく、大人への移行期のため、適応に多くのエネルギーを必要とする。ゆえに、青年期は大海の嵐に翻弄される小船にたとえられ、危機的な時期とされることが多いのである。

アイデンティティの獲得 私が私であること。 人は誰でも、自分は何者なのかを思い悩む時期がある。この悩みを乗り越えることでアイデンティティが確立されていくのだ。
・自分という存在
「自分は何者なのか」という問いは、誰しもが自らに問いかける問題である。自分らしさを求めて様々な問題を解決することも、人間性の発達なかで重要な課題である。この課題に最も多く直面する時期が青年期であり、それに思い悩む時期でもある。E・H・エリクソンの理論を中心に考えてみる。
・アイデンティティの獲得
「私はほかの誰とも違う私自身であり、私は一人しかいない」「私はいつまでも私のままである」ということを感じることをアイデンティティ(自我同一性)ということばで表す。感覚的なものだけではなく、それを社会の中で地位や役割、職業、身分など現実的な「~としての自分」と一致させて、自信をもつことでもある。アイデンティティとは、私たちの生きる意味や存在の証明ともいえるものである。青年期は、通学、職業などの進路の問題、友だちや異性との関係、さらには人生観や価値観の獲得という問題に直面しがちである。常にそれらの問題に対する選択を迫られるという危機的な状況を経験しながら、次第にアイデンティティを形成していく。
・振り返り、見直すこと
このアイデンティティの獲得は、青年期に突然現れる課題ではなく、それまでの発達段階で獲得されてきた課題や危機を振り返り、見直すことにもつながる。発達の課題を十分に達成し、危機を乗り越えてくれば、「自分とは何者なのか」という問いに対して、自分の存在を確信しやすくなるであろう。それに対して、役割混乱という、自らを見失い混乱していくという危機も存在している。現代社会ではアイデンティティの達成を先送りにしている、あるいは達成できない若者が多くなってきているのではないだろうか。

追記 字ばかりで何か画像がないと淋しいとよく言われるので、ドキンちゃんの画像でも貼っておきます。(しかもアンパンマングミ)
ドキンちゃん
最高の笑顔ですね。欲望が満たされ、その暴走を止める抑止力が効いていると、心の中は平穏となり、こんな笑顔になるのではないか。自己の確立(アイデンティティの確立)には自身の感情のコントロールが必要だということです。

続く……。
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自己の感情コントロール その2 資料編17回目 発達心理学から1

自己の感情コントロール その2 資料編17回目

自己の感情コントロール その1 アンパンマン考の続きからの続き。

図解雑学「発達心理学」(ナツメ社、山下富美代・編) から、感情のコントロールに関する箇所を抜き出してみました。

行動の進化 大脳の大型化の意味  人には、ほかの動物にはみられない特有の行動がいくつもある。これには、脳の大型化が深くかかわっている。
・人間の行動と動物の行動
私たちは、生命維持や種族維持に不可欠なものから、会話、仕事や勉強まで、様々な行動をとる。これらの行動は、人間以外の動物にも共通する単純なものもあれば、人間に特有の複雑なものもある。ことばの能力の一部は高等な哺乳類にも認められるが、文字を書くことは人間特有の行動である。多くの動物は喜怒哀楽の行動を示すが、学問、芸術、宗教などに対する複雑な感情をもつのは人間だけである。このように生物種によって行動のレパートリーが違うのはどうしてか。それは、行動や精神をコントロールする脳に違いがあるからである。
・脳の進化
アメリカの脳生理学者P・D・マクリーンは、行動との関係から、人間の脳は3つの働きから階層的に構成されていると考えた。脊髄や中脳(脳幹の一部)などからなる爬虫類脳、大脳辺縁系からなる旧哺乳類脳、新皮質からなる新哺乳類脳である。爬虫類脳は、呼吸や生殖、闘争や支配など個体と種の保存にかかわる機能を持つ。爬虫類脳をとりまいている旧哺乳類脳は、喜怒哀楽と記憶を司り、比較的単純で定型的な爬虫類の働きを柔軟に変えることができる。最も外側にある新哺乳類脳は、感覚情報の処理、精密な運動制御、創造的活動を行い、遺伝的制約を越えた比較的自由な働きをする。この3つの脳は、生物の進化の流れにそって、古い爬虫類に新しい旧哺乳類脳が、さらに新しい新哺乳類脳が付け加えられるように発達してきた、とマクリーンは説明する。つまり、人間は、単純な行動を担う古い脳に新しい脳を追加していくことにより、大脳を大型化させたといえる。
脳

新生児特有の原始反射 赤ちゃんの初めての行動
人間の行動は、意思とは無関係な反射運動から始まる。なかでも新生児には、特有の原始反射が備わっている。
・反射とは
人間の新生児は、運動能力が未熟で、自分の意思で行動をコントロールすることができない。新生児の行動の多くは、大脳皮質より単純な行動を司る、脊髄に支配された反射である。反射とは、特定の刺激に対して自動的に引き起こされる運動で、意思によるコントロールができない。反射には、持ち上げた膝の下をたたくと足が跳ね上がる膝蓋反射、光の点灯と消灯で瞳孔の縮小・拡大が起きる瞳孔反射、食べ物を口に入れると唾液が出る唾液反射などがある。
・原始反応
反射には、新生児のときにしか現れない原始反射には、いくつかの種類があるが、それらの多くは、新生児が生きていくために必要不可欠な行動である。口唇探索反射や吸啜反射は、唇の周辺に乳房が触れるとそれを吸い、そして流れ込んできた母乳を飲み込むという一連の行動を自動的に行わせる。また把握反射やモロー反射などは、危険や怖いものから身を守る基礎になっている。
・原始反射から随意運動へ
原始反射は生後4~6カ月頃に消失し、随意運動は、意思のコントロール下にあって、自分の欲求や環境に応じて行うことができる運動である。この変化は、原始反射を司る神経系が消失するために生じるのはなく、脳の髄鞘化や樹状突起の発達が進むにつれて、大脳皮質による行動のコントロールが可能になることによって生じる。つまり原始反射が随意運動に抑制されることによって生じるのだ。

幼児期の自我の発達 自立性の生まれる時期
幼児期に入った子どもは、自律しようとし始める。同時に、自分のできないことに気づくことで、恥の感情も芽生える。
・幼児期の課題
子どもは、成長発達とともに、母親(または母性的養育者)との密接な関係に徐々に変化をみせ始める。自分一人でできることが多くなり、母親と自分が違った存在であることに気づき始める。この頃、同時に自律の欲求がみられるようになる。この時期にあたるのが幼児期であり、E・H・エリクソンによれば、獲得すべき課題は自律性であり、それに対する危機が恥と疑惑であるという。
・しつけと自律の関係
自律性とは、初めは自分以外のものから制御されていたものを自分で制御することで、しつけと関係が深い子どもは、初めはしつけという子どもの意志の外にある規範で行動が制御されるが、しつけをもとに、次第に自分の意志によって、子どもが学び取った規範で自分の行動を制御するようになっていく。「自分でできる」ことは子どもに自信を与え、自分で何かを成し遂げたという効力感(こうりょくかん)も養う。そして周囲の人や環境に積極的に働きかける力も発達させていく。このように、しつけは自律性を促すものであり、子どもを親の規範で縛ったり制御するためのものではない。
・恥ずかしいと思うこと
幼児期になり、他人や社会を意識し始めると、「恥ずかしい」、「自分は何もできないんだ」と思うようになる。自分がうまくできないことや他人ができて自分ができなないことを、恥や疑惑として感じるのがこの時期である。これは、失敗したときや叱られたときに感じるのが道徳的な恥に発達していくとされる。しかし、裸を見られてはずかしいと思うような身体的な恥の感情の出現はもう少し遅く、5歳以降発達していくようである。


続く……。

自己の感情コントロール その1 アンパンマン考の続きから

むかし書いた「アンパンマン考」の久々の続きで、これは資料編16回目になります。
直接的には、
アンパンマン考 2 フロイト心理学から。「アンパンマンの世界」は人間の心の中を表している。
アンパンマン考 3 ドキンちゃんはリビドー(本能的欲望)である。
の続きとなります。

まず「アンパンマン考」の要点を簡単にまとめてみましょう。
常に好奇心旺盛なドキンちゃんはリビドーであり、その欲望を満たそうとするバイキンマンはエスである。ただ悪意や欲望は際限がなく、これを表現したものがカビルンルンだ。確かに欲望や悪意はカビのように増殖していく。この欲望の暴走を食い止める自制心がアンパンマンだということ。
ただ、このアンパンマンは最強というわけではない。物語「アンパンマン」を見れば分かるが、必ず一回は負ける。そして自制心は何度も作り直され、欲望に打ち勝つのだ。負けるというのが心の鍛錬ということになる。欲望を遠ざける自制心を育てるには、努力が必要なのだ。これはジャムおじさんが丹念にアンパンマンの顔を作る場面でもわかる。欲望は常に沸き起こり、必要以上に欲望を満たそうとし、時には悪意をともなって暴走を始め、心の中を欲望でみたそうとする。(これには快楽原則があるので、心は欲望の暴走に引きずられていく。)これに打ち勝つのが「アンパンマン」である。欲望は次々と新しく起り、新たな要因が続々と入ってくるので、その度に「自制心」を作り出さなければならない。よって「アンパンマン」の顔を前もって作り置きすることはできないのだ。必要以上の欲望を満たそうとするバイキンマンの暴走があって、それに打ち勝つことのできないアンパンマンがあって、初めてそこであたらしい顔(自制心)が必要となるわけだ。
それが繰り返し行われる。心の中では、生きている限り、欲望と自制心の戦いは行われているので限りがない。だからこそ物語「アンパンマン」はワンパターンといわれるものがずっと続くのだ。
 「欲望の抑制」「攻撃性の抑止力」「悪意の増殖を抑えること」など心のコントロールがアンパンマンの役目となる。

では、なぜ、欲望であるドキンちゃんはバイキンマンとともに行動するのか。過去記事にもあるように、欲望と攻撃性は脳の中で結びついているからだろう。

キーワードでわかる最新・心理学 成田毅・編(洋泉社新書)から。
動物としての攻撃性と文化的抑止力
哺乳動物は脳の深いところで性欲と攻撃欲、食欲の中枢が接近しているため、これらの興奮は互いに他の中枢と関連し、性欲動は攻撃欲動と結合しやすい。このことは動物としてのヒトが本来持っているものであり、とくにオスの場合には性行動は攻撃性が高い。他のオスを縄張りから排除し、メスの抵抗を殺いだうえで性行為が営まれるからだ。
ただし人間の場合、子供が社会の中で育っていくにつれて、大脳皮質に“文化” がインプリントされてゆくことで抑止力が機能し、ヒトは次第に残酷なことができにくい生き物に成長してゆく。ヒトは、狩猟段階にあったときに濃厚に宿していた攻撃性を、農耕や牧畜を始めることによって、共同体のモラルのなかで次第にブレーキが効くものへと昇華させていった。
しかし、本能や衝動をコントロールすることができあがっている“人間”が、壊れてしまうことがある。こうして快楽殺人は起こされる。原因は、脳の障害や精神病、そして乳幼児期体験などだ。
欠陥のある社会的環境で育った子どもは、愛を得られずに途方に暮れるようになり、情性(他者を思いやり、その苦痛に共感できる力)を育むことができない。愛のない家庭はしばしば精神的肉体的な虐待を子どもに与え、こころに傷をつける。そんな悲惨な記憶は、子どもに、性的暴力や破壊を空想する心理的人格的な特徴を発達させてしまいやすい。そういった空想は、次第に現実の世界での破壊的な行為へと結びついていきかねない。

好奇心や欲望(ドキンちゃん)は、攻撃性(バイキンマン)を伴う。、そして、その抑止力としてアンパンマンがいる。物語「アンパンマン」は、心の中で行われる心の葛藤を描いている。
この二つは対立しているようで、どちらも人間の活動には不可欠なもの。要はこれらのバランスが必要なのだ。(情動のコントロール、自律性が重要となる)

ただ欲望は暴走する。悪意の攻撃性も歯止めがなければ止まることなく、限りはない。
人は常に心の中でこの戦いを繰り広げている。欲望を、悪意を、抑えながら生きている。各々がそうして生きていかなければ世の中の社会秩序は保たれないのだ。
人と獣を分けるものはここにあると思う。
誰だって必要以上の欲望は心の中で沸き起こる。誰しもが自らの攻撃性や残虐性が心の中に潜んでいる。これに気づき、これを抑制する感情のコントロールが必要となるなのだ。
美味そうなものがあればその場で食いたいと思うだろうし、いい女を見れば抱きついてみたい、気に入らない奴がいれば殴りたいと思うこともあるだろう、そんな衝動は常に心の中で沸き起こる。だが普通は、そんな情動を抑えているのだ。

だが昨今の事件を見るにつけ、抑止力よりも欲望を満たそうとする力の方が強くなっているように感じる。しかもそのハードルがどんどん低くなっているようだ。自制心も弱まっているし、またこれらの感情をコントロールする力が衰弱しているようだ。
時に、最初は軽いはずだった悪意も、いつしかカビのように増殖し、心の中を埋め尽くし、取ろうとしても取れないほど強固にへばりつく(執念やこだわり)、その果てには、欲望にその身を任せ凶行を犯してしまうことにもなっていく。
それがいつしか、目に見えるものすべてが疎ましくなり、見るものすべてを壊してしまいたくなっていくのかもしれない。そんな事件が増えた。気に食わなければ刃物を持って無差別に人を殺し、わが子に虐待を加え、幼い少女を誘拐して殺す、同級生をいじめ抜いて自殺にまで追い込む……。
動物には本来、生存のための攻撃本能が備わっているはずだが、人間には攻撃性を抑制する力も備わっているはずだ。
それが保たれなければ「人間社会」は成り立たない。
そのために各々の心に必要なのは、欲望を抑制する力、つまり「アンパンマン力」だということになる。

……続く。

「政教分離で公的支援困難 震災で寺や神社の再建進まず。」

平成23年8月19日付け 上毛新聞から

政教分離で公的支援困難 震災で寺や神社の再建進まず。
東日本大震災で損壊した寺院や神社など宗教施設の復旧が進まない。被災した住民から寄進を求めることもできず、政教分離の原則から公的支援も期待できない状況。鎮魂の場としてだけでなく、被災所や集会所として使われていた実績を評価し、行政の支援を求める動きも出ている。
47寺が流失
59宗派が加盟する「全日本仏教会」によると、岩手、宮城、福島の3県で津波で流された寺院は少なくとも計47寺。被災地全域での全半壊、一部損壊は計約2700寺に上る。また神社本庁によると、社殿の全半壊は被災地全域で計309社、神楽殿や社務所の損壊は計1827社だった。
ただ、地域住民も多数被災しており、宗派や団体も施設の再建支援に全力を傾けることはできにくい状況。全日本仏教会は「各宗派でも支援金を募ったが、地域あってのお寺。住民支援の寄付を優先している」と話す。
慈善団体が援助
津波で本堂や庫裏などが流失した宮城県南三陸町の曹洞宗寺院、西光寺では7月に幅約9m、長さ16mの仮本堂が完成。数千万円とされる建設費を負担し寄付したのは世界各地で慈善活動を展開しているフリーメーソン。
曹洞宗からはコンテナハウスと義援金300万円が提供されたが、本堂建設には通常、億単位の費用がかかる。
流された本堂の中に入り本尊や仏具を取り出す住民の姿に胸を打たれた住職の小沢良孝さんが、同県気仙沼市の僧侶千葉省三さんに本堂再建を訴え、千葉さんの知人が日本の団体「ジャパン・フリーメーソン」に取り次いだ。英国を起源とするフリーメースンの会員は宗教は問われないが、秘密結社とみなされ「陰謀論」の対象となることも。しかし、千葉さんは「誤った風評を気にしている場合ではない。今一番欲しいのは、確実な支援だ」と話す。
自力再建に見通しがつかない中、公的支援を求める動きも出ている。
宗教界一丸で
福島県三春町在住の作家で福聚寺住職の玄侑宗久さんは、委員として入っていた政府の復興構想会議で、提言の対象に「神社・仏閣・教会等」の表現を盛り込むよう提言した。
さらに、財団法人「新潟中越大震災復興基金」が、集会所などコミュニティー施設として使われていた神社や寺院に再建費を補助する仕組みを作っていた点にも着目。「地域のコミュニティー施設」という表現も併せて提言したが、提言には盛り込まれなかった。
玄侑さんは「特定の宗教を支援してくれと言っているわけではないのに」と嘆く。神社本庁は「未曽有の災害であり、国には補助金の面で配慮してほしい」として要請活動を検討しており、玄侑さんも「宗教界がまとまって動くべきだ」と訴えている。


似たような新聞記事で、平成23年5月29日 産経新聞から

神様避難する?しない? 悩む神社 宗教法人格取り消しの懸念も
福島第1原発周辺で、神社関係者らが、各神社の御神体を避難させるべきか否かを悩んでいる。いずれも長年にわたり、その土地に鎮座し続けてきた大切な信仰対象。「避難せず、地域の留守を預かる存在でありたい」という考えがある一方で、「避難先で祭礼を続けたほうがいい」との声も。宗教としての実体がないと判断されれば、宗教法人格の取り消し対象ともなりかねず、関係者らは気をもんでいる。(赤堀正卓)
 第1原発がある福島県双葉町、楢葉町などの神社を管轄する、福島県神社庁双葉支部。20キロ圏内に14の神社、20~30キロ圏内に4の神社がある。支部長をつとめる、楢葉八幡神社の岡田正士宮司は、「御神体を避難させるかどうかは、各神社で氏子役員らと相談して決めることになりそうだが、みな悩んでいる」という。
 約千年にわたって応神天皇を祭ってきた岡田宮司の神社は、20~30キロ圏の緊急時避難準備区域にある。約千軒の氏子がいたが「残っているのは、原発の仕事をしている50世帯ぐらい」。岡田宮司自身は「この場所で受け継がれてきた伝統を守ることが自分の役目。氏子らが戻ってくるのを待ち続ける」と残留を決めた。

 何百人もの氏子でにぎわい、地域のコミュニティー形成に役割を果たしてきた春祭り。今年は4月19日に、岡田宮司がたった一人で祝詞をあげた。「早く地域に人が戻れるようにと祈りました」
神社の中には関係者らが相談のうえで、「いつ戻れるのかわからないのだから、避難させて、そこでお祭りした方がいい」と、御神体を総代が預かる形で避難させたところもある。関係者によると、御神体が重量のある岩や石のため、物理的に避難できないところもあるようだ。
 20キロ圏内の警戒区域内の神社はさらに深刻だ。宮司らは着の身着のままで避難せざるを得なかったため、御神体どころか社殿がどんな状態になっているかも分からない。津波で安否不明となったままの宮司もいる。一時帰宅も始まったが、神社は「住居」とはみなされないため、当面は立ち入りができない。神社や事業所への立ち入りが認められそうな6月中旬をメドに、宮司や氏子の役員らが御神体の扱いを決めることになるという。
 神社本庁では「地域の人々が長年にわたって守り、受け継いできたのが神社。避難している人たちが戻ったときに、神社が機能していれば、祭礼などを通じ地域の求心力になるはず」(広報部)と、安易な御神体の避難は勧めたくない立場だ。ただ、「長期避難となる可能性も高いく、地元の事情を優先してもらうしかない」とも話している。
 原発周辺の神社に限らず、岩手や宮城を含めた被災神社や寺の中には、宗教法人としての資格の扱いを気にする所も出ている。宗教法人法の81条で、「礼拝施設が消滅し、やむを得ない事由がないのに2年以上にわたって施設を備えない」などのケースは、宗教法人の解散対象となる可能性を定めているからだ。
 福島県神社庁では「御神体が社殿ごと津波で流され、再建の見通しが立たない所は多い。加えて原発の影響で立ち入りすらできないところもある」という。
 宗教法人法を管轄する文化庁宗務課では、「『やむを得ない事情』にあたる可能性があると思うが、被災状況を調査していくなかで最終的に判断することになる」とする。しかし、地元からは「2年でなんてとても無理。解散対象から早めに外してほしい」といった声があがっている。


神社や寺が日本人にとっていかに重要なものであり、切っても切り離せない存在のものであるかは、当サイトの神社関連の記事を参照してください。
「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。
日本人はなぜ「神社」に行くのか!
「婚活」でも「縁結び」でも「パワースポット」でも何でもいい、とにかく日本人は「神社」に行くことに意味がある。
神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!
日本人にとって神社とは?  日本人度チェック付き
アニメは日本文化を救えるか 第6回 アニメと神社
また地域コミュニティーとしての神社(祭りなども含む)の重要性は、過去記事「いま日本に必要なのは「ディズニーランド」でも「パンダ」でもない。「祭り」や「年中行事」「花見」こそいま行われるべきなのだ!」の中でも触れた。
以下、その時の文章。

また「祭り」には地域コミュニティーの結び付きを強め、近隣住民の絆を深め、他の地域との人々との交流をもたらす。この地域コミュニティーが災害時において大きな役割をしたことは今回の災害でも再認識されたはずだ。
過去記事「マイケル・サンデルか池田信夫か、どちらが正しいのか? 大震災のときだけコミュニティーの大切さを問うのでは意味がない。」
この前、NHKラジオを聞いていたら阪神大震災経験者の評論家が、祭りや町内会のイベントは災害時の予行演習になる、といった話をしていた。確かにそうだ。神社や公民館などに町内の人々が集まり、炊き出しをしたり、テントを張ったり、名簿を作って役割を決めたりする……、これらはまさに災害時に避難した際にすることと同様のことを行うことになる。これだけでも十分に「祭り」を行う価値があるというものだ。

この祭りの中心に神社や寺はある。地方において神社や寺が地域コミュニティーの中心を担っていることへの認識が政府のみならず日本人全体で薄まっているのだ。

日本人にとって、これほど大切な寺や神社の再建進まないのは、「戦後の政教分離政策」と「神社は国家神道に通じ、果ては戦争をもたらすという悪しき思想の刷り込み」によるものだ。その結果、最高裁で「神社は違憲なので撤去」という判決まで出たのだ。
つくづく思う。日本人は日本人たらしめているものをどんどん失っていっていると。
いま日本は滅亡の危機なのか? 何かおかしくないか?

被災地の神社
(画像はhttp://sukekyo.tumblr.com/post/5499130464/jpから)

「嫌なら見なければいい」は禁句、そして「フジテレビ抗議デモ」は革命です。

「フジテレビの韓流ごり押し問題」のまとめ
いま日本は滅亡の危機なのか? 何かおかしくないか?
の続き。

「嫌なら見なければいい」というコメントが当サイトにもよく来る。
例えば、
「批判記事」は悪意あるものなのか?3回目  「酷いテレビ番組を見た」に画像を付けました。のときの「だったら「めちゃイケ」見るな」というコメント。
TBS「テレビ世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」は久々の最悪歴史モノ番組だ!桂小五郎のカッコいいところをどんどん書いていく!の記事の中のNHKの「歴史秘話ヒストリア」などの番組ファンからの「では見なければいいじゃん」的なコメントなど。(まあ保留扱いで表示してませんが)
それはそうだが、この「嫌なら見なければいい」というは禁句だ。これを言ったら、もうこれ以上何も進まないし、議論にもならない、気になったことに口も出せないというのではまさしく「臭いものにはフタをしろ」という考えと同じである。
過去にも書いたことだが、おかしいと思ったら、どんどん声を上げて主張すべきなのだ。

その時の過去記事 「これはおかしい」と思ったら、どんどん声を上げて発信しよう!  BPOがバラエティ番組へ意見書
そのときの記事を抜粋。
ただ、この記事の本意は、ネットは社会の浄化作用を果たしているのではないか?という問いかけであり、その一例として「めちゃイケ」を出したまでのことだった。それが思ってもいない方向(ただの番組批判ととらえられた人が多かった)へ進んだのが、残念だった。(まあ、いま考えるといい勉強になった。)
ネットでは、新聞・テレビが躊躇して取り上げないようなことでも、「これは、おかしい」と思えば一般の人でも声を上げることができ、それが大きな力になって、時として社会を動かすほどのものになる。これがいい方向に向かえば「社会の浄化作用」になるが、行き過ぎれば「スマイリーキクチの件」のようなことになる。
例えば、「ネットによる社会の浄化作用」といえば、当ブログでは、「ミス・ユニバース日本代表」の卑猥な衣装に見る、日本文化の破壊」がある。この記事のときように、「これはヘンだ」と思ってネットで問いかければ、それに応じて賛同してくれる人が多くいた。ネットでは「2ちゃんねる」「サイトへの書き込み」を中心に、非難の声は大きく広がりを見せ、これが当事者たちを動かて、結果的にデザイナーは「衣装を交換する」ことになった。これはネットで批判の声が上がらなければ、なりえなかったことだと思う。
こういったネットの声はいまではマスコミよりも「正論」だったりする。公正さを欠いた偏った報道や社会常識を失った番組、無責任な言葉を連発するコメンテーターや司会者……などなど、マスコミもどこに配慮しているのか、自社に不利益になるようなところには触れようともしない。
だから上記のBPOに寄せられた苦情のように、「変だ」「それはおかしい」と思えば声を上げるべきなのだ。
これは些細なことかもしれない。しかし社会の正常化を保つ意味においても大切なことである。新聞やテレビは自らの権威を保つために、一方的に「2ちゃんねるは駄目だ」とか「ネットの言うことは信用できない」といって封じてしまおうという風潮を作り出そうとしているその態度が問題なのだ。
どんどん「声」をあげよう!
そこに「ネット」の可能性がある。

以上。
いま沸き起こっている「フジテレビ韓流ごり押し問題へのデモ活動」も同じことだ。

さて、ビートたけしがこんなことを言ったらしい。

ツイッターっていえば、高岡蒼甫(29)ってのが韓流ばかり流すフジテレビを見ないって、批判したって。韓流ばかり放送するたって、それである程度、視聴率取るんだから、しょうがないよな。文句言ってる人は、フジテレビの株を持ってるわけでもないでしょ。有料テレビなわけでもないし。いやなら見なきゃいいんじゃねーかってだけだけどな。
他にたくさんチャンネルあるんだし。そもそも、フジテレビはこれまでもジャニーズばっかり出してたし、デモするほど騒ぐのはおかしいよ。オレだって昔、「テレビはツービートの漫才ばっかり流してる」って批判の投書がいっぱい来てたけど、今のツイッターの時代は本当に大変だな。ジャスミン革命とか、イギリスの暴動とか、インターネットひとつでみんな動き出すじゃん。でも、そういうのに乗せられて動くのって原始的だけどな。

「いやなら見なきゃいいんじゃねーか」って……。では、先日彼は「24時間テレビ」を痛烈に批判していたが、「嫌なら見るな」的な発想なら、嫌なら触れなければいいということになるだろう。
「嫌なら見るな」的発言をすれば、すべてがブーメランとなって自分にはね返ってくるということなのだ。
これを主張したら何を言っても「「嫌なら……」となる。
岡村隆志も同様のことを言ったようだが、これもそうだ。 よくAKB48を批判しているようだが、嫌なら見なければいいし、触れなければいい。
「嫌なら……」的考え方が、いかに幼稚で無責任なものであるか分からないのだろうか。それを言ったらおしまいの禁句なのだ。こんなもの「電波法違反」とか「放送局の公共性」とかいった難しいことを持ちださずとも、一般常識で考えても可笑しなことだ言ってやればいい。

あと、たけしの文章の中の「インターネットひとつでみんな動き出すじゃん。でも、そういうのに乗せられて動くのって原始的だけどな。」というのがある。これもヒドイ。
何か、テレビ・マスコミの人々って世の中から乖離してどんどん鈍感になっているような気がしてならない。
テレ朝の「モーニングバード!」の中で羽鳥慎一が、「コミックマーケット80の来場者数3日間で計54万人」という話題の中で「自分がこういう職業(マスコミ)にいてこんなに人が集まるイベントのことを全く知らなかった。こんなことで(自分は)大丈夫なのだろうか」と自問していたのが印象的だった。
それにフジテレビのニュース解説員が「(中国新幹線事故のネットでの反発の解説で)いまやネットの力は大きい。民衆の声を反映している。」などと説明していて、思わず笑ってしまった。おいおい、フジテレビデモやネットでの動きもこのように解説してくれよ。

「フジテレビ韓流ごり押し問題」は、もはや、K-POPがどうとか韓国ドラマがどうだという次元の話ではないのだ。
これは、既存マスコミとネットが対立し、勢力が変わる転換点となる事件になると思う。
旧勢力は没落し新しい波が取って代る、「フジテレビ抗議デモ」はフランス革命でのバスティーユ牢獄の襲撃に似たものになるだろう。(バスティーユ牢獄の襲撃は小さな事件だが、これが切っ掛けで革命が始まる)

ということで、8月21日の「フジテレビ抗議デモ」に参加されたみなさんお疲れ様でした。
これはただの「デモ」や「暴動」や「騒ぎ」ではありません。
「革命」です!

いま日本は滅亡の危機なのか? 何かおかしくないか?

下書きの記事を見ていたら、震災直前にまとめていた記事があって、これをすっかり忘れていた。
今、読み返してみると、微妙に今の「韓流ブームごり押し問題」に関わっているので、あまりまとまっていませんが載せてみました。
以下その文章。

国が奪われるとはどういうことか。
他国が武器を持って侵入してきて領土を奪われる、これは分かりやすいだろう。
だが、現代では「戦争」「侵略」によってこれが行われることは難しいだろう。国際的非難を浴びるからだ。
ではどうするか。
その国の文化を破壊し、歴史を否定させ、その国の国民のアイデンティーを喪失させればいい。
そして、徐々に自分の国の文化を浸透させていけばいいのだ。
この方法で最も有効的で迅速に進めるのはどうするか。まず「金」で釣ればいいのだ。
「こうすれば経済効果が上がる」、「規制を撤廃すれば需要の拡大」、「グローバル化による市場の開拓」……。
耳に心地よい美辞麗句に踊らして、国の根幹に関わることまで失わせればいい。

日本はいまこういう危機的状況にある。
だがそれを国民は知らされず、ただただ金儲けばかりを優先させているのだ。

平成23年2月10日 産経新聞
休日まで中国を配慮? 民主「休暇分散化」構想 今国会中の祝日法改正を目指す 祝日の「意義」はどこへ 

 
民主党は、観光振興や渋滞解消などを目的に地域ごとに時期をずらした連休を導入する「休暇分散化」構想をまとめた。与野党で協議の上今国会中に祝日法改正案を議員立法として提出を目指す。中国の建国記念日「国慶節」(10月1日)に配慮し、10月第1週に連休を設けない方針。日中の観光客がかち合って渋滞・混乱することを懸念したというが、日本の休日が中国の行事に左右されるのは本末転倒だといえる。祝日の「意義」までも骨抜きにされる危険性もある。
 構想は民主党の「成長戦略・経済対策プロジェクトチーム」(直嶋正行座長)がまとめた。
 具体的には、全国を「東日本」(北海道、東北、中部、北陸、北関東)▽「南関東」(東京、神奈川、千葉、埼玉)▽「西日本」(近畿以西)-の3ブロックに分け、10月の第2週は東日本、第3週は南関東、第4週は西日本でそれぞれ土、日曜日を含めた5連休を設定する。 
 プロジェクトチームの資料には、10月の第1週に連休を設けない理由を「中国では10月1日を含む週は国慶節関連の大型連休であり、この時期に国内の連休を設定するとかえって混雑を助長する可能性があるため」と明記された。
 2月3日の党会合では白真勲参院議員が「韓国の秋夕(チュソク、旧暦の8月15日、韓国の旧盆で連休)との重複」についても確認するよう要望している。この構想に対し、民主党内でも「中国を宗主国にしているようだ」「祝日の意味がなくなる」などと批判が少なくない。
 休暇分散化構想は、鳩山由紀夫前政権が「新成長戦略」の一環として掲げ、前原誠司国土交通相(当時)が中心にまとめた。
 当初の政府案は全国を5ブロックに分け、春、秋の年2回の大型連休を設ける案を検討したが、ゴールデンウイーク(GW)の分散化は、その前後を集中的な休業期間とする自動車産業など産業界への影響が大きいと指摘され頓挫。民主党案は秋の連休に絞った。
 一方、観光庁が昨年8月に発表した調査結果では、大型連休を地域別に分ける構想のメリットについて68%の人が「特にない」と回答している。

他のサイトでも散々書かれているので、検索してください。
休暇分散化法案の正体
こんな売国的案を提出し議論する政党がこの国の政権を与る。
他国の祝日に合わせて、自国の祝日をずらすというのが、他の国でありえるだろうか。
これを韓国で例えてみよう。
韓国へ行く日本人は多い。韓流ブームもあって日本人は韓国へ行って「金」を落としてくれる。
ではもっと日本人観光客を増やすために、韓国の休日をずらしましましょう。日本人様がやってこられるのに、自国民の私たち韓国人が邪魔してはいけないから……。それに国全体で祝日を祝うなんて「国粋主義」みたいなこともやめます。これを政府がきっちりと法案にするために日夜議論しております。
って、これが韓国でこんなことがあったら大変なことになるだろう。
暴動が起こり、こんな国会議員は辞職を迫られるどころか、財産没収に逮捕、命さえ危うい。そしてこんな案を賛成する企業には「不買運動」「排除運動」が起こってその企業は存立も危うくなることでしょう。
ましてや、愛国心を煽る中国では尚更だろう。
だが、日本では政府が主導してこんな売国的案をせっせと作っている。
信じられないが、これが事実だ。

祝日の説明にこうある。「建国や独立などのその国の歴史的な出来事に由来したり、功績のあった人物を称えて制定された記念日で、宗教儀礼上の重要な祭祀を行う日である祭日とは異なるものである。
各国の法律において定められるものであるが、祝日と祭日を合わせ祝祭日として、国家の休日として制定される例も多い。」

だが日本ではどうだろうか。
観光庁のサイトにあった休暇分散化ワーキングチームのページを見ると、【資料3】星野委員提出資料
清明節、労働節、端午節、旧盆、国慶節 ……、などの文字が躍る。民主党の白真勲なんか「韓国の秋夕(チュソク、旧暦の8月15日、韓国の旧盆で連休)との重複するから、日本のお盆休みをずらせと言うのだ。
一体どこの国の休日だろうか?
休日改正法案 休暇分散化 中国に合わせる民主党
これを推進する星野佳路なる人物、いや~、実に「ご立派」だ。金儲けに長け、マスコミにも登場する、時代の寵児ですか。

だが、国の根幹を揺るがすことを平気でするホリエモンと同じで、こういうのを本物の「売国奴」という。(本人にはその自覚はないだろう。そこが怖い。)

と、以上です。

まあ、いまの「フジテレビの韓国ごり押し」に何とも言えない反感を覚えるのは、政官民でこのような「朝鮮や中国の文化侵略」「日朝文化融合」といった流れがあることを直感的に感じ取っているからでしょう。
韓流は安くて儲かるコンテンツだから、版権持ってて押せば押すほど儲けが上がるから、といった拝金主義のテレビ局(フジテレビ以外の局も)が、結果として、国を危うくさせていることの罪は深いのだ。
過去記事 「フジテレビの韓流ごり押し問題」のまとめ

バスケットボールをぶつけられて大したリアクションも取れずに、「これはコントだ」それが分からないのは視聴者が悪いというK-POP大好きの芸人・岡村隆史あたりが「フジの韓流押しが嫌なら見なければいい」と言ったそうだが、事はそんな軽い問題ではないのだ。この問題の根は深く、しかも真相は闇の奥底にある、と思う。

そして、今回、ライオンの「バルサン」のCMを見た。
経緯は、ここで。http://rocketnews24.com/2011/08/18/122922/
日本伝統文化の歌舞伎をおちょくり、「2本(日本)はいらない」といった内容だ。これはヒドイ、東海テレビのセシウム君なみの劣悪さだろう。不快感しか湧かないCMにどんな意味があるのだろう。。一体、だれがこういうCMを作るのか、どういう趣旨・意図の下で制作され放送されたのかを説明して欲しい。それまで抗議運動、不買運動止む無しだろう。
フジテレビの「イケメンパラダイス」原爆Tシャツ騒動のように、結局はとぼけられて終ってしまうだろうが……。
切に願うのは、日本の企業が自国の文化や歴史を否定するようなものを作るのは止めて頂きたい、ということだ。
CMを見て買うのは日本人なのだから……。
そして、「サントリーの東海表記事件」

 サントリーホールディングスが国内販売する韓国焼酎を紹介するホームページ上で、日本海を韓国政府が主張する呼称「東海(トンヘ)」と表記していたことが19日、わかった。
 抗議が殺到したため、同社は同日、この表記を削除し、「(日本海の)地名に関する見解を表明するものではない」とする謝罪文を掲載した。
 同社によると、韓国から輸入して販売している「韓国焼酎 鏡月グリーン」の名前の由来を紹介する文書で、「韓国/東海(日本海)」と表記していたという。今年4月に商品紹介のサイトに名前の由来を付け加えた際、誤って掲載されたという。
 同社広報部は「チェックが漏れてしまった。多くのお客様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ない」としている。
(2011年8月19日 読売新聞)

これ絶対に故意にやってるよな。だって、チャン・グンソクをCMに使って、「ソウルマッコリ」を売り込んでる会社だから、どんな弁明したって信用できませんよ。
さすがに、これはヒドイので大手新聞社も記事にしてますね。


それにしても、こういう「反日的」ものが最近目立ってきたのはどういうことだろうか。変な勢力が強くなったのか、それとも日本国民がただ鈍感になっているのか……。

諸外国が「日本という国はどこを攻めれば弱まるのか」と考えたとしよう。「コメ」「エネルギー」「経済」「領土」、そして日本特有のもの「神社」「皇室」「日本文化」など……、上記のように「その国の文化を破壊し、歴史を否定させ、その国の国民のアイデンティーを喪失させればいい。そして、徐々に自分の国の文化を浸透させていけばいい。」のだ。
だが、これら日本をかたち作っているものは自壊状態にある。
日本人の主食の「コメ」は放射能汚染の疑いがあって、東海テレビのセイウム君のようにそのイメージを浸透させつつあり、「エネルギー」資源のない日本で原発は問題を抱え、円高と震災の影響で「経済」は低迷し、「領土」は中国やロシアや韓国に脅かされている。
そして「神社」は最高裁で憲法違反となり撤去、「皇室」は安易な週刊誌的マスコミでその権威は失墜させられ、日本のテレビやマスコミは韓流にブームを作り出して「日本文化」を否定し始める。(そして、これらのマイナスイメージを植え付けさせるにマスコミは大きく関わっている)
歴史・伝統・文化を無くせば「国」「民族」は消滅する、日本はいまその危機にあるのだ。

中川昭一さんが没して2年近く経つ。
その遺言めいた言葉は「日本が危ない」だった。ブログにこんな文章がある「「民主党の風」は「日本破滅の風」だ。絶対に阻止しなければならない。「希望と発展、魂もない国家」にしてならない。これでは日本は沈没する。」とある。http://www.nakagawa-shoichi.jp/talk/detail/20090817_496.html
奇しくもこの言葉は当たってしまいました。
だが、トップページにはこういう言葉がある。
「自分たちの国、そして自分自身をもっと誇りに思いたい」
いまこれを信じるしかない。

「新田義貞うちわ」と「新田一族の浮世絵」などのまとめ

平成23年度「新田まつり」が先日ありました。
とりあえず「新田義貞うちわ」をゲットしてきました。
今年は、これ!

新田義貞うちわ 23年度
今年のものは何故か青味がかっている。
求女塚身替新田 新田義貞元の絵はこちら、「求女塚身替新田」。早稲田大学演劇博物館・浮世絵コレクションの中にあります。「求女塚身替」については、過去記事「今年の「新田義貞うちわ」の図柄は名場面「湊川の戦い」」で。
新田義貞を演じているのは市川団十郎ですね~。
過去の「新田義貞うちわ」は、「ここで」。これで6個目か。
昨年のものはまだ載せてなかったですね。これはあとで載せます。

それにしても、ネットが普及して家に居ながらにして、いろいろなものが見れて便利になりましたね。
昔はそれこそ、図書館にこもって美術館を巡ぐって、丹念に調べなければ見られなかったものが、今はパソコンで検索すれば見られるのですから。
アメリカのボストン美術館 (Museum of Fine Arts, Boston)には浮世絵のコレクションがたくさんあって、そこのホームページから検索すると思わぬものが見られて驚いた。
「nitta」や「yoshisada」と入力してみると結構出てくる。
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「元弘二年五月新田義貞鎌倉合戦」、書いたのは歌川芳員。
sc173040.fpxobj=iip,1.0wid=568cell=568,427cvt=jpeg「Actors Segawa Kikunojo as Nise Yoshioki and Ichikawa Komazo as Yoshisada」と説明がある、新田義興を瀬川菊之丞(かつては江戸歌舞伎の女形を象徴する大名跡)が演じ、新田義貞を市川高麗蔵(高麗屋、市川染五郎、松本幸四郎の名跡)が演じた場面を鳥居清経が浮世絵にしたもの。

sc173042.fpxobj=iip,1.0wid=568cell=568,427cvt=jpeg「新田義貞足利尊氏大合戦」。英語だと「The Great Battle between Nitta Yoshisada and Ashikaga Takauji 」となる、ちょっとカッコよく見えるから不思議。歌川国芳の作。歌川国芳っていいよね、私の好きな浮世絵師です。

他に「二代目市川海老蔵の新田四天王」とかもあって、やはり江戸期では歌舞伎でも新田義貞及び一族がよく題材になったようですね。現代でもやってくんないかな。

そしてこれ!
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説明文に「Kanamono in the form of Nitta no Yoshisada throwing his sword into the sea as an offering」とある。新田義貞・稲村ケ崎の投刀の場面のミニチュア。
欲しい~、めっちゃ欲しい~。
ミニチュアになるくらい義貞も人気者だったんだろうな。

ついでに、丸山才一の「忠臣蔵とは何か」に出てくる新田義貞の話。

山東京伝の寛政十年(1798)の作、『忠臣水滸伝』は、普通『仮名手本忠臣蔵』と『水滸伝』とを合わせたものと見られているようだ。それはたしかにその通りだろう。しかし見方を変えれば、近松と竹田出雲がほのめかしたものを大胆に強調した、と言えないこともない。『忠臣水滸伝』の第一回はこんな設定だった。
北朝の天子、光明の代、洛中では変事がつづき、越前からはじまった悪疫が北陸道に猖獗を極め、京に近づいてくる形勢である。このとき一大臣が奏上していわく。これは前年、越前において自害した新田義貞のたたりにちがいない。そこで、義貞の遺した兜をその遺骨になぞらえ、鶴岡八幡宮においてこれを弔祭し、兜を埋めて墓を築き、亡霊を追善すれば、諸国はふたたび安穏となるであろう。帝はこれを受け容れ、将軍の弟、足利直義に勅命が下った。直義は鶴岡八幡宮において四十七の兜を点検せしめ、義貞の「五枚革固(じころ)、かけたる竜頂的頭兜」を埋めることを高階師直に命じた。師直が地を卜して掘らせると石室があらわれ、さらに掘ると、文字を彫った石板の下に方丈の深さの地穴があって、大昔とともに白気が立ち上り、四十余の金色の光となって八方に飛び散った。「是すなわち四十余座の烈星方に出世すべき時にして、高階塩谷の両家に希代の珍事をひき出し、大星等四十余人の義臣世に美名を顕すべき兆しとぞしられたる。」

「仮名手本忠臣蔵」の場面としては、「大序」にあたる。
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山東京伝も平賀源内も新田一族の話を書いてますね。江戸期において新田氏は題材としても一般的だったのか。
まあそれにしても、「仮名手本忠臣蔵」自体が新田義貞及び新田一族の鎮魂劇であるから……。
理由はここで

「保守政治の本質」を説く中曽根康弘は新田一族の末裔です。

平成23年8月14日 読売新聞のコラム「地球を読む」の元首相・中曽根康弘の記事が「保守政治の本質」について書かれたいい記事だったので、書き起こしてみました。
(菅総理の退陣など現在の政局の説明部分は省略)

菅首相退陣へ 国家なき市民主義の限界 歴史・文化背負う政権を

……そこで、菅政権を検証しつつ新内閣のあり方を考えてみたい。
菅政権を一言で表せば、「過去も未来もない政権」だったと言えよう。
菅政権の唱える「市民主義」とは、私たちの周辺を中心とした政権思想で、歴史や文化の伝統を背負った過去や、目標や思想を持った未来への挑戦にかけた政治思想である。
この「市民主義」なるものは、ややもすれば選挙目当ての狭小で迎合的な主張が主となり、国としての歴史や、文化との連続性がないという弱点がある。

「連続性」とは過去と未来のあいだに立ち、歴史と文化の裏付けとともに、いかにこの国の未来を切り開くかということであり、保守政治はそこに最も心を砕かなければならない。
民主党が国民より負託を受けた継承政権としての意義と意味は、まさしくそこにあった。
なぜならば、菅政権が認められた評価のゆえんは、小沢一郎、鳩山由紀夫両氏らと共に、永く続くことで国民に飽きられてきた自民党に終止符を打ち、新しい路線を築こうと政権を樹立し、二大政党主義への道を開拓したことにあった。
いわゆる憲政への常道を実践したわけだが、政権の実態は、といえば左右中立の同床異夢の者たちの寄せ集めであり、憲法改正に対する一致した見解を形成し得ない。民主党には、いまあ綱領すらない。つまり、雑居的性格から抜け出しきれていないのだ。
菅総理は保守党政治家にない柔らかさと、清潔さと、進歩性を売り物にして政権を保持してきた。だが、透視力や説得力に欠けるうえに当初の推進力が落ち、内閣に対する指導力、統制力は格段に落ちてきた。それは菅総理の国家論を持たない「市民主義」なるものの限界が露呈されたからであろう。
新総理は現状を立て直し、官僚組織を存分に駆使して、震災復興やエネルギー問題など、政治の遅れを一気に取り戻さなければならない。新内閣の下では本格的復興を裏付ける第3次補正が中心課題となるだろうし、言うまでもなく、原発事故による放射能や東電問題、エネルギーなどの対策を早急に講じなければ人心の安定はおろか日本の産業にも重大な支障をきたしてしまう。こうしたことに加え、国の歩みの中でのエネルギー政策の位置付けを明瞭にしなければならない。
しっかりとした方策と説明をもって一日も早く政治の信頼回復を図るべきであろう。
民主党政権には経験不足も手伝って政策や政権運営に対する周到さがない。とくに菅内閣は政治家や官僚や評論家や学者など、総理を補佐すべき人材が欠けている。脱官僚の掛け声のあまり、官僚を遠ざけ、その能力を十二分には活用しておらず、企画力、組織力、情報力が不足している。これでは内閣の能力も発揮できない。
その政治は得てして一過性、功利的、場当たり的になり、「過去」と「未来」とをつなぐ「現在」としての政治的継続性がない。このため、衆目を引く課題を次々と見付けだすことで、政権の延命を狙う「機会主義的」なものとなってきた。
新内閣は、内外の人材を集めて、活用すべきであろう。
外交と安全保障政策について、民主党政権、菅内閣は確たる成果をあげていない。
国としての歴史や文化を背負う気概も見えぬ。菅総理が昨年11月に横浜で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の会場で行われた中国の胡錦濤国家主席との会談の際、メモに目を落としたまま話す映像が報じられたが、これはそうした気概なき姿勢を示すもので、落胆とともに国民の記憶に残っている。
日米安保条約改定50年を経て、米国は日米同盟の強化に向け話し合いに応ずる構えであるが、日本側の態勢が全く整っていない。鳩山内閣では、沖縄基地問題の失言で国際社会から日米関係のありようを疑われ、菅内閣では尖閣諸島近海での中国漁船の領海侵犯、また日本領土の国後島へのロシア首脳の相次ぐ上陸など、日本の主権が侵害された。
これは民主党政権下で日本が弱体化したために起きたと言われている。
日本首相の内政外交における毅然たる信念と強さ、かりそめにも主権侵害を許さないという愛国心の強烈さ、国民の首相に対する信頼度が外国の対日政策決定の基本にあることを忘れてはならない。
2012年、中露など日本を取り巻く国々で首脳が交代、再選の時期を迎える。日本外交はこれを見据えて外交の立て直しを図らなければならない。自民党政権の外交路線との継続性、整合性を図りつつ、内閣として民主党としての独自性を発揮する工夫と熟慮が求められよう。
安全保障を含めた危機管理について言えば、自民党は長い政権の過去から学んできたが、民主党はあらゆる危機の可能性を研究し、事前の準備を怠りなくする必要がある。「市民主義」を超えた理想と政治理念が必要となる。
国会議員の任務は、国家の運営をあずかることである。国家にはそれぞれ固有の歴史や伝統の個性があり、世界の中でその個性に立って諸国家、諸国民とともに世界の繁栄に貢献しなければならない。そして、国家に生きる市民は国家の歴史や伝統から遊離した存在ではない。
国務を担当する政治家の主張が市民生活にのみ焦点を当て、背後にある国家や国民を蔑ろにしては本務に反する。居住地域を大切に生きるという意味で「市民」という言葉を用いるなら結構なのだが、首相の言動に歴史や文化の背景が伴わないのでは迫力を欠く。首相は、一国の歴史や文化を背負った存在なのだ。
菅政権を通し、民族や国家の流れを無視した形での、いわゆる歴史的実験ともいうべき「市民主義」の意味が明らかにされ、国家の統治原理としては甚だ不十分である事が示されてきた。
次期政権は、この教訓を生かさなければならない。

「保守政治」の本質を突く部分を太字にしてみました。簡単に言ってしまえば、「市民主義」=サヨク思想であり、この思想を持つ政治家(政党)が政権の中枢を担うことの悲劇を説いているのだ。
歴史・文化・伝統というものを軽視した政党が、この国を破壊しようとしているとしか思えない悪行の数々は枚挙に暇もない。
首相が変わっても民主党政権である限り、この本質は全く変わらないということだ。

それにしても、こういう記事を読むとどうしても三島由紀夫を思い出してしまう。日本文化の連続性や歴史・文化・伝統を守ることが、日本を守るということは、中曽根康弘のこの記事に共通するところ。
過去記事
守るべきは日本文化! サブカル好きもポップカルチャー好きも、神社に集う歴女もアニオタも、みんな三島由紀夫が命に代えて主張したことを聴け!

やはり中曽根氏は新田一族の末裔だから「保守」なのです。
過去記事 中曽根康弘は新田一族の末裔である。

「日の丸ってあげちゃいけないの?」

小学生の娘が図書館から国旗の本を借りてきた。
ワールドカップやオリンピックといったスポーツで「国旗」を見ることが多くなれば、自然とこういったものにも興味が出てくるようだ。
まあ、自分もそうだったが、この位の年齢にはこんな本をよくみていたものだ。

コロタン文庫194「ドラえもん 世界の国旗全百科」(小学館)
監修・文 辻原康夫、まんが原作 浅野拓
ドラえもん 世界の国旗

パラパラとめくってみる。
各国の紹介と国旗の由来が書かれている。
例えば、
アメリカ合衆国 『政治、経済、軍事とあらゆる面にわたって、世界ゆい一の超大国です。 国旗は通称「星条旗」とよばれ、赤・青・白の3色はいわゆる近代市民国家を意味する色といわれています。 50の星は国を構成する50の州、13本の縞模様は独立時の州の数を表しています。』といった具合である。
他には、中国 『ユーラシア大陸の東半分をしめる大国で、世界一の人口を誇ります。 国旗は「五星紅旗」とよばれ、赤は社会主義の色。大きな星は、中国本土と中国共産党の指導力を表し、4つの小さな星は、労働者、農民、知識階級、愛国的資本家を表しています。』
韓国 『朝鮮半島の南半分にあり、日本にもっとも近い国です。 国旗は「大極旗」とよばれ、円は赤が陽、青が陰で古くからの東洋思想にもとづいた宇宙観を表しています。四すみのしるしは、天・地・火・水などを示しています。白は純潔のシンボルです。』ちょっとカッコよく書きすぎじゃない、と思うくらいだ。
で、日本はといえば、
日本 『通称「日の丸」「日章旗」とよばれ、赤丸は昇る太陽を表しています。長い間、国旗としても地位があいまいでしたが、1999年の国旗・国歌法で正式に国旗に定められました。しかし、日の丸けいようを強制することに、一部では批判もあります。』とある。
何だよこれは。
こんな短い文章の中に、こんな一文を付け加える必要があるのか?
発刊元は、朝日新聞でも毎日新聞でも岩波書店でもなければ「週刊金曜日」のようなサヨク系でもない、「小学館」だ。
実に不可解である。
子供向けのものにわざわざ入れることなのか?
「ドラえもん」を使って親しみやすくさせ、子どもの頭にこういった変な思想を刷り込もうとしているのではないか。
これを読めば「自分の国の旗を揚げてはいけないのかな」と疑問に思うだろう。

他の国のものを読んでみても、こんな否定的なことが書かれているものは一つもない。
なぜ、自国の国旗にここまで自虐的なのか?

それでは、「長い間、国旗としても地位があいまいでした」とか「日の丸けいようを強制することに、一部では批判もありますこう」とかいう文章を読んだ子どもたちがこういうのを見てどう思うのだろう。
なでしこ「なでしこジャパン」

浅田真央と日の丸4「浅田真央」

日の丸「お子様ランチの上に乗っていた日の丸」

これはいけないことなの?って、トラウマになるじゃないか。

図書館に行くと思いの外、「サヨク」系の書物や「サヨク」系の出版社のものが多くあって、偏った思想のものが多い。
どこに言えばこういったことは解消されるのだろうか。


ベトナム、台湾大歓迎。だけど韓国は……。

面白い記事だったので、コペピしてみた。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110811-818611.html

日本・ベトナム特別大使の俳優杉良太郎(66)が企画参加する「日越友好音楽祭」の記者発表会が10日、都内で行われた。08年5月以来2回目で、10月9日にハノイで開催される。豪華な出演陣が登壇した。AAA、AKB48、EXILE、伍代夏子、倖田来未、w-inds.が、ベトナムの歌手たちと競演する。

 日本文化を紹介する目的のほかに、同国のグェン・タン・ズン首相から「日本とベトナムの医療技術供与と人材育成のための基金設立を」と頼まれた経緯もある。東日本大震災時に、義援金1600万円や下着、タオル、靴下などを何万着も支援してくれた恩返しも込めた国家的事業だ。外務省の特別大使で、同国のチュアン国家主席からも外国人に贈る最高位「友誼勲章」を授かっている杉が「日本最高峰のエンターテインメントで応えたい」と発案。EXILEのHIROが「杉さんの社会貢献活動を尊敬していたので、少しでもお役に立ちたい」と言うように、賛同したアーティストたちが集結した。第2回の今回は、チャーター機で飛ぶほど大規模になる。
 倖田が「私らしくセクシーに歌う」と宣言すると、杉は「ベトナムでは、倖田さんは初めて見る衝撃だろう。全国テレビ中継だし、若者たちが服装をまねし始めますね」と予想する。先月来日して、奇抜な衣装とパフォーマンスで驚かしたレディー・ガガのように、倖田が社会主義国ベトナムに文化革命を起こすかもしれない。

どこが面白いかといえば、太字の部分。やはり日本はベトナムとか台湾とかいった親日国を大切にしていった方がいい、と常々思う。(対中国を考えれば、それを取り巻く国々で手を結ぶしかない。ただし朝鮮半島は除く)
それに何たって、ベトナムの反韓国感情は物凄いから……、その点もいい。
http://koko-hen.jp/archives/1908696.html から。これもそのままコペピ。

「被害者史観」韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の「加害責任」
ジャーナリスト 佐藤和
 戦争といえばまず「被害者」だった韓国が、いま揺れている。ベトナム戦争時に従軍した韓国人兵士の「民間人大量虐殺」が報道され、長年のタブーだった「歴史の恥部」の解釈を巡って激しい議論が起きているのだ。
 それは虐殺か戦争か。謝罪はするべきか不要か。どこかで聞いたような議論は、しかしベトナムが謝罪も補償も求めていないことで、むしろ国内の政治問題となる可能性もでてきた。ことの経緯と一般韓国人の認識をレポートする。

「償いの必要はない」といった元司令官
 ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。

 最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は99年、韓国軍がべトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号/韓国の民主化の中で生まれたハンギョレ新聞社は88年創業、現在新聞発行部数は韓国第4位)。

 この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。

 例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。以下、その部分を略して引用すると『大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す』等々だ。
 日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。
 続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪悪感を感じ、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。
 これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ぺージにわたり大々的に報じたのだ。
 タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜(ぼうとく)されたと激しく抗議したのだ。
 ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。
 ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。

韓国・朝鮮人って、他国(特に日本)には憎悪の感情を向けるくせに、自分らはどうなんだ。
韓流ブームなんて浮かれているテレビ局は、こういうのも放送しろよ。日本は侵略戦争を仕掛けた悪い国なんていうのは喜んで放送するくせに……。

k-POP、韓流ドラマなんてもので文化侵略を仕掛ける韓国に、日本も「日越友好音楽祭」といった形で対抗するのはいいことだ。
関連記事 「フジテレビの韓流ごり押し問題」のまとめ 

韓流の次は台湾ブームが来る!  こっちのゴリ押しは大歓迎だよね」の記事も読んだけど、親日国の文化がブームになることに対しては、みなさん大歓迎なんですよね。
ほんと、昨今の「韓流ブーム」に胡散臭いものを感じてる証拠でしょう。

それに杉良太郎さんはガチかっこいい、と思う。そして数々の噂も彼に関しては全く問題ない。過去記事 「日本文化を継承するものが日本人だ、と思う。」で書いたように、大切なのは日本文化を守ることにあるのだから。

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消えた二十二巻

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