スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アメブロでベトナム戦争での韓国軍の所業について書くと、削除されると聞いたので、試しに載せてみる。

「2ちゃん的韓国ニュース」のサイト記事を読んでいたら面白いことが書いてあった。
「アメブロで韓国軍のベトナム戦争の所業を書いたら削除されたでござる」という記事。
どうやら、アメブロではベトナム戦争での韓国軍の所業について書くと、削除されるというのだ。
これは本当なのか?
事実なら許されることではない。
そこで、昔、自分が使っていたアメブロのサイトがあるので、そこに試しに載せてみた。
http://ameblo.jp/pcscd431/
どうなるのかな?
それにしても、ネット上でも散々書かれていることなのに、削除勧告って何なのだろうか。
アメブロは「中国」並に検閲があるのか、最低だな。
ほんと、ハングル文字が若者の間で流行っているという捏造放送するNHKくらい最悪だ。

こっちサイトでは、過去に韓国軍がベトナムで行った所業の記事は載せましたけ。
過去記事 「ベトナム、台湾大歓迎。だけど韓国は……。

2ちゃん的韓国ニュースの韓国 「米韓FTAで国民が暴動起こしそうだから、竹島使って反日運動を盛り上げます!」
の記事もそうだけど、こういう報道はマスコミはやらないんだよね。
それに、KARAとか少女時代が紅白に出演するってどうなんだろう。日本人歌手は暴力団と付き合いがあるとNGといいつつも、KARAとか東方神起とかやばくないのか? 韓国芸能界なんて黒社会にどっぷり浸かっているじゃない。枕営業に奴隷的契約、怪しい芸能事務所……そういうのはいいのかよ、NHKさん?(東方神起の裁判ではあちらの暴力団みたいのが芸能界を牛耳っていると云う記事が朝日新聞に出ていたが……)

何となく関連記事「権威とは。 紅白歌合戦と韓国芸能人


スポンサーサイト

二十歳の三島由紀夫 その4 資料編

二十歳の三島由紀夫 その4」 資料編
二十歳の三島由紀夫 その3 戦時下の最後の青春
からの続き。
今回は前回の「中島飛行機製作所」時代から広げて、二十歳の三島由紀夫が残したものを全集の中から拾っていきます。
まずは出した手紙から。

三谷信
昭和20年1月6日 「日本文化を馬鹿にするアメリカ人」のこと。
1月27日  「豊饒の海」の基となる「輪廻、記憶」といった内容がある。
2月4日 少しオトナになった気持ち 
4月21日 特攻隊 日本文化の記述 
8月22日 日本文化の世界化 

清水文雄
8月16日 伝統護持を誓う 

中河与一
6月27日 新しい世紀、輪廻、運命 

神崎陽
8月16日 戦後の戦い宣言

野田宇太郎
9月2日 日本文化の復興 

野津甫 
10月8日 文士の話 


昭和20年作の小説(数字は収録されている全集の巻数)

1月 空襲の記 26
2月 中世 16 、備忘録 26
6月 エスガイの狩 16、黒島の王の物語の一場面 16
   二千六百五年に於ける詩論 36
7月 別れ 26、後記 26
8月 昭和二十年八月の記念に 26
9月 戦後語録 26
10月 菖蒲前 16
その他は、長柄堤の春 26、米人鏖殺 36


以下、二十歳ころの自分を振り返って書いているところを抜き出してみました。

20年でプッツリ切れている――最長の元号「昭和」
私は大正十四年生まれですから、満年齢でいいますと昭和と同じ年なんです。だから自分のゼネレーションという感じは強いが、私の昭和は二十年でプッツリと切れている。
二十年以降はもう昭和と思っていないから何年続いても関係ありません。二十年で切れた理由?いわぬが花ではないでしょうか。ははは。よろしゅうござんすか。
(初出 朝日新聞 昭和四十五年七月二十九日 全集36巻)


学生の分際で小説を書いたの記
終戦まで私は一種の末世思想のうちに反現実的な豪奢と華麗をくりひろげようというエリット意識に酔っていた。
そこで私はたびたびの空襲に退避を余儀なくされる。中島飛行機小泉工場の事務所で公然と原稿をひろげて、小説「中世」を書いていた。
大学の勤労動員先のその工場では、私は病弱を口実に事務のほうへまわされていたので、そういう芸当ができたのである。
(全集28巻)


三島由紀夫 中世
「三島由紀夫 中世」(講談社文芸文庫)、アマゾンのレビューにいいのがありました。

私の十代
私の十代は戦争にはじまり、戦争におわった。一年一年、徴兵検査の年が近づく気味の悪さというのは、今の十代にはわかるまい。(全集28巻)

「盗賊」ノートについて
私の作品集のあとがきの中で、……その年の十月に妹は死ぬ。私は満二十歳、東大法学部の学生である。そのころの私の生活体験から、この小説の構想が生じた。しかし作品の書かれる動機は純粋なものだけはありえない。それまでせいぜい百八十枚程度の作品しか書けなかった私は、終戦を機会に人をおどろかすような一篇のかなり長い小説を書こうという野心を起こしたのである。


空襲の記
中島飛行機小泉工場
一九四五年一月十九日午後三時半
昭和二十年一月十九日の午後二時というところ、工場の警笛つとああしき音色に鳴りて警報を知らす。事務室は色めきて、所長室附女の子の言によれば、敵数編隊なりなどといいて挺身隊の女子どもは家や身支度にいそがしければ我も持物とりまとめ外套をなどす。防護団の勤怠簿を恰もつけおわりしなれば、其れを副分団長なり山崎義道君に渡すに、折よしとて同君は勇んで外へ走りゆく。――たちまち拡声器なりひびきて、女子学徒国民学校児童の待機を命ず。われらは未だ退避したくもしえざるなり。されど東部軍情報によれば敵わずか二機、中部軍管区より侵入して東進し、帝都に入ることなく、相模灘上空を旋回中とあり、数編隊など大嘘なりと、はや手袋を脱ぎなどして、火にあたりゐるに、事務員はなお書類の片付けなどに忙し。救護係の米丸氏、万一の場合にしらすべき場所、住所、氏名、本籍などをわれら四人に書かせ、また「止血 時 分」としるしたる赤刷の荷札の如きものを示す。血止まりし時これを胸に下ぐるなんめり。皆笑いて、今日は大したことなし、など語りゐるに、突如拡声器は鳴りひびきて、全員待避を告ぐ。挺身隊の女子たちは、重要書類の箱をあつめ、待避のまえにこれをしまうはざるべからずと急ぐありさま、われも共につきて戸外に出でしに、人の流れ、正門をめざして奔流す。
われもまじりて走る打ち、同じ帝大の学生を見出、共に走るに、われは工務課なり、共に来たまえという。
正門の外は漠々たる荒野にて、黄塵は、風あらばさぞ激しからんと偲ばざる。されど今日は風一つなき早春の佳日、日はうららかに空は青々たり。
門外に出づれば、ただ見る黄土の緩丘に群衆二筋にわかれてただ疾走す。ややゆけば走り疲れてしとみえ、群衆みな歩み、ただ気ぜはやしき人々のみなん走りける。七、八百米ほど隔たる丘上の松林に、無数の小穴を穿ちて待避壕とせり。ここまで来れば安心、まだ敵機も来らねば、調査課の壕を探さんと歩むに、知れず。人多くこの松林をすぎ、職員受託の近傍をめざしてゆくにぞ、彼処ならんと後につきて、三、四百米ほど歩みしか、同じく松繁るれる丘上に一団の人あり、図書係の人なりという、こおにゐたまえと親切にいはるるにぞ、落ち着くことしばし。人々手をかざして、あれは敵機にや、なんどと揣摩す。
ややありて米丸氏自転車を以ってここに来る。懐かしさに歩み寄れば、我を探して来れり、という。陳謝して、わが粗忽を恥づ。米丸氏云う、「外の壕ならば入れてくれぬもはかりがたし、探しに来れり、帝大の高橋君のみは課の壕へ来りしも、朝倉君、臼井君はゆくへしれず」と云う。自転車につきそいて、調査課の壕へ歩みつつ、米丸氏の話をきく。
「中島飛行場は、待避命令を出すが、早すぎるととて非難あり。よって慎重を期し、ラジオ以外の特別の情報によりて危険を判断し、待避命令を出すなり。(以下省略)(巻26)


終末感からの出発
また夏がやってきた。このヒリヒリする日光、この目くるような光の中を歩いてゆくと、妙に戦後の一時期がいきいきとした感銘を以てよみがえってくる。あの破壊のあとの頽廃、死ととなり合わせになったグロテスクな生、あれはまさに夏であった。かがやかしい腐敗と新生の季節、夏であった。昭和二十年から、二十二、三年にかけて私にはいつも真夏が続いていたような気がする。
あれは凶暴きわまる抒情の一時期だったのである。
しかし私の私生活は殆どあの季節の中を泳がなかった。私はようするに小説ばかり書いて暮らしていた。しかしあの時代の毒は私の皮膚の中から、十分に滲透していたと思われる。
昭和二十年の早春、大学の勤務動員で群馬県の中島飛行機小泉工場に行っており、やがて神奈川県の高座工廠へ移った。終戦を迎えたとき、私は後者の動員学徒であった。日本の敗戦は、私にとって、あんまり痛恨事ではなかった。
それよりも数ヵ月後、妹が急死した事件のほうがよほど痛恨事である。
私は妹を愛していた。ふしぎなくらい愛していた。当時妹は聖心女子学院にいて終戦後しばらくは学校の授業も勤労動員のつづきのようで疎開されていた図書館の本の運搬などを手伝わされたりしていたようである。ある日、妹は発熱し、医師は風邪だと言ったが、熱は去らず、最初から高熱が続き、食欲が失くなった。慶応病院に入院したが、すぐに人事不省に陥りやっとチフスと診断が確定すると、当時隔離病室が焼けていたので、そのまま避難病院へ移された。体の弱い母と私が交代で看病したが、妹は腸出血のあげく死んだ。死の数時間前、意識が全くないのに、「お兄ちゃま、どうもありがたう」とはっきり言ったのを聞いて、私は号泣した。
戦後にもう一つ、私の個人的事件があった。
戦争中交際していた一女性と、許婚の間柄になるべきところを、私の逡巡から、彼女は間もなく他家の妻になった。妹の死とこの女性の結婚と、二つの事件が、私の以後の文学的情熱を推進する力になったように思われる。
種々の事情からして、私の生活の荒涼たる空白感は、今に思い出してもゾッとせずにはおれない。年齢的に最も溌剌としている筈の昭和二十年から二、三年の間というもの、私は最も死の近くにいた。未来の希望もなく、過去の喚起はすべて醜かった。私は何とかして、自分及自分の人生をまるごと肯定していまわなければならぬと思った。しかし、敗戦後の否定と破滅の風潮の中で、こんな自己肯定は、一見、時代に逆行するものとしか思われなかった。それが今になってみると私の全く個性的事実だけを追いかけた生き方にも時代の影が色濃くさしていたのがわかる。そして十年後、私は堕落したか、いくらか向上したかは、私自身もわからない、おそらく堕落したであろう。ゲーテの「エグモント」の言葉ではないが「我々がどどこへ行くかを誰が知ろう。どこから来たかさえ、ほとんどわからないのだから」
しかし省みて後悔しないことが一つある。私はあらゆる場合に、私の「現在の」思考を最も大事にして来た。私は一度も錯覚に陥ることを怖れなかったのである。(昭和三十年八月 28巻)


実は、この時代の平岡公威である三島の手紙や小説などを研究することで、後年の三島の精神心理が、または自決の謎が解けるのではないかとにらんでいる。
昭和20年の終戦前まであった陽気さは、東京大空襲以来ガラリと変わり、「8月15日の終戦」と、この後に続く「妹の死」と「失恋」によって、三島の青年期は終わったと見ていいだろう。そしてこれがあの最後の自決につながっていった、と思う。(読めば読むほどあの死にダイレクトにつながっている。)
「二十歳の三島由紀夫にすべての謎がある。」そう思えてならない。(なんか安っぽいミステリー小説の惹句みたいになっていますが……)
そして、どこに三島の精神的ターニングポイントがあったのか、なぜ三島は「二十歳」というものにこだわったのか、その謎に迫りたいと思う。(と言いつつもかなり苦戦中)

続く。

二十歳の三島由紀夫 その3 戦時下の最後の青春

11月25日なので「二十歳の三島由紀夫 その3」を書きます。

過去記事 
1、二十歳の三島由紀夫 その1 三島は二十歳のとき群馬県太田市(新田)にいた!
2、二十歳の三島由紀夫 その2
の続きとなっています。
ということで、今回は三島由紀夫こと平岡公威が群馬県太田市にいた1カ月間に的を絞って資料を列挙していきますが、その前に画像をいくつか載せておきましょう。
西小泉駅2
昭和20年の1月、平岡公威はこの駅を降りた。それから66年経った現在の「西小泉駅」はこんな感じ。
三洋電機 正面
そして、「中島飛行機小泉製作所」の跡地は、現在の「三洋電機 東京製作所」となっている。
三洋電機 看板
だがこの「サンヨー」の名称も「パナソニック」に吸収合併して消えることになる。そして、あろうことか家電販売事業を中国企業の「ハイアール」へ売却してしまった。となるとここはどうなるのか?
それにしても歴史とは分からないものだ。日本の主要軍事産業拠点から、戦後は世界有数の家電メーカーとなり、それが今では中国企業に買収されてしまうとは……。それにしても「中国」って、三島由紀夫もあの世で嘆いているに違いない。
道路標識これは道路標識。「大泉町」の位置が分かるでしょうか。
館林には、この時期、正田美智子さま(現皇后陛下)が疎開されていた。北を目指せば大泉から足利、佐野へと続く、その佐野には学徒出陣して駐屯していた司馬遼太郎が昭和20年6月から9月半ばまでの4ヶ月間いた。狭い地域に、後に有名となる人物が集中していたことの奇妙さ、前に少しふれましたね。

さて、では三島由紀夫全集から、年表を抜き出すと、 

昭和20年1月10日 学徒動員として中島飛行機小泉製作所に行く。原稿用紙に書かれたメモには「○交通 浅草雷門より東武電車、伊勢崎行又ハ大間々行、普通二時間、急行なら一時間半にして館林着。ここで西小泉線に乗り換え(この乗り換え頗る面倒)約廿分にして終点西小泉着。この間最短三時間、最長五時間 切符の入手頗る困難」とある。勤労動員の正式名称は「東京帝国大学勤労報国隊」。群馬県新田郡太田町小泉製作所東矢島寮11寮35号室が住所。
1月11日 両親宛葉書・第2信(工場での郵便物の扱いについて、明日から工場で組み立て教育があり、その後で部署が決まること)
1月12日 14日まで工場で教育を受ける。
2月4日 夜8時に動員先から東京の帰宅

とある。まさに一ヶ月間だった。
約一カ月の間に出した手紙は、
平岡梓 倭文重 宛は21通 (父・母)
平岡美津子 千之 宛 1通 (妹・弟)
三谷信 宛 3通 (学習院の同級生・前橋予備士官学校)
中河与一 宛 1通 (小説家・「中世」を〈文芸世紀〉に掲載するときの恩人)
清水文雄 宛1通 (学習院の教師・「三島由紀夫」のペンネームを決める)
となっている。

いくつか引いてみましょう。

1月12日 中河宛 「中世」の原稿を工場から帰寮してから書いているといった内容である。
「…尤も工場の中へ入ると、「工場」というよりIndustryという輝かしい言葉の誘惑を思うことがあります。あの轟音にはどこか哀切なものが溢れ、強い悲劇的効果があると存じました。……」


1月13日、1月20日、1月27日 三谷宛
「君も吹かるる赤城颪(おろし)に、僕も朝夕吹かれ居り候。これなん、常套句にて、実際は朝と夕は嘘のように凪ぎ申候。昼すぎから紅塵を巻き上げ目もあてられず候。さても聞きしにまさるものに有之候。」「朝は霜白き野道を工員の群にまじりて曙の横雲にほふ東を指して歩み候。耳もちぎれむ寒さなれども……」

このころは中世に関心があったようで「世阿弥の生涯」「能楽全書」室町の御伽草子などが出てくる。また午後は空襲警報で待機などといったものも見られる。

1月22日 清水宛 
「…総務部調査課文書係という机を与えられ、さて馴れぬ身にてこれという仕事もなく、朝は七時半より、夕べは五時範まで、消閑に心をいたす情無さ。……」
「やや、暇あれば書きかけて未だ果さぬ小説「中世」の構想に幻を追ひ、顔美き巫子綾織が面影、容貌魁偉なる東山殿義政公の姿、禅師霊海、能楽師菊阿弥など、つれなき作者に捨ておかれて影はおぼろにうすれてゆく絵姿をば偲び候。六十五枚を重ねて、完成なほ行末の緒覚束なく、書きては消し、消しては書きつつ、ただすぎし世の金光まばゆき幻影に我を忘れ居り候。あるいは仏臭き中世のお伽草子を弄び、物語の晦渋、構想の破調、とらえがたき話の筋、辿りがたき作意の韜晦、文章の錯綜。模糊として織糸もほころび果てし曼荼羅を目のあたりみる心地して、「面白し」といふにあらず、「巧みなり」といふにあらず、ただ「ありがたき」心地のするにぞ、これぞ文学の忘るべからざる源流なりと感銘仕候。……」

三島が工場の机で小説「中世」を書いていたというのが友人の手紙でも分かります。

昭和20年1月30日 三谷信宛
土曜通信の番外として今、鹿島の部屋で書いています。鹿島から今八度の熱で遠い法科の寮から体温器と薬とそれに「つけたり」としてこれら体温器並びに薬の所有者にして漫才の相棒たる僕とを取り寄せし我儘三昧。
やれ流行性脳炎じゃないか、やれ急性肺炎じゃないか、やれ東京へかえりたい、やれ例の人が東京で待っている、やれ君から借りた本はつまらない、やれ二、三日内に又出張する。などとしきりに御託をならべているところです。僕はその枕許で、五分間の体温計を十分間とらせ、二粒服用の薬を三粒のませ、早く寝ないと流行性腹炎になると脅かし、まるで女学生みたいだとからかい、おのろけを言わないように口止めをし、大童の最中です。この男始末に負えません。
さてこの男が何を喋り出しそうですから傾聴傾聴。因果なのはこの子であります。口から先に生まれまして、喋りはじめると口をひねっても、くすぐっても、とまりません。おのろけ病という奇病にかかっており、帝都の人々を悩まし、今また小泉の地元にまみれまして土地の御面々を悩ましまァす。東西、とうざーい。
(全集 補巻から)

面白い文章ですね。これが戦時中とは思えないほど朗らかした内容だ。
そして、東京都渋谷区大山町一五の自宅の 平岡御父上 御母上宛にはほぼ毎日出していることになる。
その内容は「荷物が届いた。髭剃道具を忘れた。戦況の話。「演劇界」の雑誌を送ってくれ。新聞を送ってくれ」といった日常生活に関する内容のものが多い。
長期間、親元を離れて暮らすという経験は彼にとって初めてのことであったようだ。戦時下ではあったが、どこか実家を離れるという解放感もあるせいか、文面は妙にウキウキしている。
その中でもいくつか引いてみれば以下の通り。

昭和20年1月17日
……思いがけなく帰京でき、時ならぬ正月を致し候。後で思えば、十四日はわが誕生日、――寮へかへりて、速達及び御手紙拝見、殊に御母上様の御文章、感銘深く、ゆかりも深き廿一歳の一月十四日、御母上様の御廿一にて、小生を生ませ玉ひし記念の日に、わが家へかへれしも何かの縁。思えば思ふほど、御心づくしのホット・ケーキの美味しさ、忘れがたく候。――豆、乾パンなどハ同室の諸君とわけ合ひ、けふすでに一缶、消費致候。

昭和20年1月19日 
……そう毎々わが家へかへりては、次第に歓迎されざるに至るべし、そのたびたびにホット・ケーキ二切れというわけにはゆくまじ、……


昭和20年1月24日
相不変御便り申上げ候、相不変の毎日に有之、きのうは机上にシンチンガア氏が著書「文化の省察」を繙き、百頁がほど読み進み候。こちらの事務室は仕事がなく困り居るていに有之、のべつ火に当たって馬鹿話をし居り候。その一つを紹介せんに、「それどこで買ったんべえ、ハアずいぶん高いだべなア、……ホウ一円五十銭で買ったか。おしいことしたなア」(おいしいトハ「ウマイコトヲシタ」ナドノ意ナリ)
手紙を書いたり、本を読んだりしていると、すぐ「平岡さん、火に当たりませんか」といふ声があり、ふと顔をあげれば、どこの机も、勤務時間中といふにガラ空きにて、みな火に当たってタバコを吹かし候。かかる処世法を「中島式」という由、聞きて候。
こちらへ来ても帝大の学生は不可思議なる尊敬の目を以って見られ、小学生などはゾロゾロついてまゐり候。
「ハア帝国大学だんべえ」と人の顔をのぞくにぞ、黙阿弥全集抱えあるくは恥ずかしく候。

昭和20年1月31日
……事務所というところは面白い。人臭い所です。戦争がすんでから書く風俗小説の材料ができます。課長が席を外すと、皆火に当つたり、おしゃべりをしたりしてゐます。僕が本をよんでゐると、急に眩しくなった。オヤと思うと、遠くの机から女の子が鏡でいたづらをしてゐるのです。この女の子には、今年兵隊にゆく事務員山崎君が悩んでゐて、僕はしきりに聞かされ、同情させられ、「世話好の親友」の役どころをふられそうになって閉口してゐます。田舎の人たちは精神年齢が低いのでしょうか。好い年をしてゐてまるで子供ですねえ。


また、昭和20年2月2日付けには「友人と部屋でスルメを焼いて火事になりそうになったこと」といった内容のものも送られている。
群馬から1カ月で23通も出していた手紙ですが、5月に神奈川県高座海軍工蔽寄宿舎へ入ると、そこからは3通しか出していない。しかも短文である。これは検閲が入り滅多なことは書けないという理由があるが、今までの量を見るとかなり少ない。
戦況が悪化したのはこのときからだろうか。三島が出した手紙の内容をたどっていくと、東京大空襲があってそこから状況ががらりと変わっているのがわかる。
つまりその前の平岡公威くんにとって、太田市で過ごした一カ月間が最後の青春の1ページのような経験だったのかもしれない。
そして、この後に「終戦」「妹の死」「失恋」と立て続けに彼に衝撃を与える事件が起こる。これが人生の転機(「精神的な死」と本人は言っている)となったのだ。
そう考えると、太田にいた期間が、平岡公威の最後の青年期だったといえるのではないか。
三島由紀夫 十代書簡集画像は「三島由紀夫 十代書簡集」の表紙。15歳ころの平岡公威。
だれかに似ていると思ったら、エヴァの「碇シンジ」だった。
シンジ
そういえば、戦時下における青春、思春期の不安定さ、繊細なハート、そういうのも似ている。

次回に続く。

「コピーのコピーのコピー」も一つの文化だと思う。

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ、J-CASTニュース 11月22日(火) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111122-00000005-jct-entを読んだ。ここでは思ったことを少しだけ記します。 

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ
世界中で大ヒットしたアニメ映画「攻殻機動隊」などの監督、押井守さん(60)が現在のアニメ作品について「オタクの消費財と化し表現の体をなしていない」と批判した。
 ネットではこの発言に納得する人もいるのだが、自分達の好きなアニメを批判していると感じたアニメファンは「押井こそオワコン(終わったコンテンツ)」などと押井さんに対する盛大な批判を展開している。
■ほとんどのアニメはオタクの消費財と化した
 朝日新聞は2011年11月21日付けの電子版コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは 「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」と語ったという。つまり、制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメはオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから「表現」が制作者から無くなった、という批判だ。

「ほとんどのアニメはオタクの消費財と化した」とあって、確かにその手のモノの数は増えただろうし、言いたいことは分かる。まさしく正論だとは思う。しかし何か釈然としなのは「コピーのコピーのコピー」も一つの表現、文化じゃないか、と思うからだ。
文学や美術に限らず、古参が新参に苦言を呈し、先達者が後進者を模倣だ亜流だといって、批難することはよくあることである。それは芸術の進歩という面でみればある意味、健全な道であるともいえるだろう。
ただ、消費文化としてすでにアニメやマンガがその中に組み込まれている以上、売れるものを追い、流行に媚びるというのは仕方ないことである。なにしろ資金がなければ産業として成り立たないし、その土台なくして発展もない。だが、その一方で「創造性」や「芸術性」をも発展させなければならないという矛盾をはらんでいる。これは映画・ドラマ・音楽・出版すべての芸術産業が負う宿命だろう。(こういうのを二律背反というのだろうか。)
だがこれを押井氏のように否定的に捉え過ぎるのはどうなのだろう。
「流行に媚びたもの」も「売れ筋を追ったもの」も、実質的にはその時代の大衆が欲したものであり、引いてはそれはその時代を象徴する「文化」であるといえるのではないか。
日本文化の歴史を眺めてみれば時として「大衆文化」が主流となることがある。「大衆文化」とは、サブカルチャー、大衆の活力が生み出した文化だといえる。このあたりは過去記事「アニメは日本文化を救えるか  第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。」でまとめてあります。参照してください。
少し引いてみれば、「メインカルチャー」(正統的・支配的な文化)の対義語として、「ある社会内で、その社会全般よりは価値基準を異にする一部の集団を担い手とする文化。これが下位文化=サブカルチャーである」とある。
これを江戸時代の大衆文化に当てはめてみる。
正統的文化「能」に対する下位文化が「歌舞伎」であり、正統的文化が大名お抱え絵師であれば「浮世絵」師は下位文化となる。芭蕉らの俳諧が上位文化であれば、「川柳」は下位文化となり、漢文・漢詩といった武家の上位文化に対するものが大衆が好んだ娯楽「戯作」となる。これら下位文化は上位文化を基にしたコピーのコピーのコピーだったはずだ。だがそのコピーの中から日本文化を代表する「芸術」が生まれたことになる。
当時のサブカルチャーの担い手である歌麿や馬琴らは「表現」しようという意識は強くもっていたが、そこに芸術家が持つ自己本位で身勝手な「思想性」や「芸術性」などといった高尚なものを持って制作し続けたのであろうか。彼らは自らを表現しながらも、「売る」「売れる」ことを考えて(それは大衆側・消費者側に立って)、「もっと面白いものを」「もっと奇抜なものを」と制作に励んでいたはずだ。
今でこそ浮世絵は芸術品と言われるが、当時は美人画が流行ればこぞって美女を描き、風景画が好まれると聞けば争うように風景を画材にし、そして(現代のアイドル商法のように)人気の歌舞伎役者を図柄にし売りまくった。 そして時には、猥雑な春画を描けば、滑稽な風刺画も描いたのだ。(まるで現代のマンガ・アニメじゃないか) だがその絵も必要がなくなれば捨てられ、最後には陶器の包装紙に使われるようなモノであって、まさしく「消費財」としての扱いでしかない。
だが「コピーのコピーのコピーのような消費財」どうなったか。それは欧州に渡り「ジャポニスム」という日本趣味を生み、ゴッホやセザンヌなど印象派の画家たちに大きな影響を与えることになる。そして、いまや浮世絵は「芸術品」となり、その担い手は「芸術家」となった。
では、現代のアニメはどうか。アニメ上位文化の宮崎駿アニメや押井守のアニメ(?)は海外に影響を与え、賞を獲り、多くのファンを獲得している。それでは上位文化アニメのコピーのコピーのコピーである「萌え」や「流行作の亜流」の下位文化アニメは海外で影響を与えていないのだろうか? ファンが全くいないのか? 日本国内で支持されていないのか?
そんなことはないだろう。多くの支持を獲得し、ファンの裾野を広げる結果になった。
何が言いたいのかと言えば、コピーのような低俗な文化も大衆を動かすような活力があれば一つの「文化」になるということだ。
重要なのは、大衆文化としてこれを失わせないような活力を維持させること。それには「消費財」であっても、大衆から支持される続けることは、結果その文化の継続につながる。現代の市場主義においてはこれは「売れる」「流行を追う」という意味にもなろう。
ゴッホが絵画活動を続けられたもの兄のテオの生活援助があったからだし、ルネッサンス期の偉大な芸術家が活躍できたのも富豪のパトロンの資金提供があったからだ。
芸術や文化を産み出すには何よりもカネがかかるのだ。
そして、突出した芸術は、多くの「まがい物」の中から突如として出現する。優れた表現者は亜流や胡散臭い模倣者の中から突然登場するものなのだ。
オタクの消費財となったものから下位文化の中にもそういった素材(人材)がきっとあるはずである。(かつての日活ロマンポルノ映画の中から、今や日本を代表するような映画監督を多数輩出したこと忘れてはならない)
そこから後世に残るような「文化」が生まれるかもしれない。
必要なのはその土壌を失わないようにすることではないのかと、思う。


以下、蛇足です。
和辻哲郎「風土」の「第四章 芸術の風土的性格」の冒頭にディルタイの「詩人の想像力」を引いている。その部分を載せてみた。

「あらゆる時代や民族からさまざまの芸術の形式がわれらにせまってくる。文芸の種類の区別とか規則とかというものはみなことごとく消え失せてゆくように見える。のみならず東洋からは、原始的な、無形式な文芸や音楽や絵画が押し寄せてくる。それらは半ば野蛮であるが、しかし今でも長いロマーンや20フィート幅の絵画においてその絵画においてその精神の戦いを戦いきるというような、そういう民族の心たくましき活力に充たされたものである。--こういう無支配の情勢において芸術家は規則から離れ、批評家は価値を高めるためにただ、一つ残された標準として彼自身の個人的感情に頼ることになる。そこで、公衆が支配者になる。巨大な展覧会場や、さまざまな劇場や、また貸し本屋などに押し寄せてくる群衆が、芸術家の名声を作ったり壊したりする。ーーこのような趣味の無支配状態は、いつまでも、現実の新しい感じ方がこれまでの形式や規則を破り去って芸術の新しい形式が生まれ出ようとしている時代を示すものである。しかしそれは決して長続きするはずのものではない。芸術と美的思索との間の健全な関係を再び打ち立てることは、今日の哲学や美術史、文芸史の生ける任務の一つである。」

この引用から和辻は持論の「風土論」を展開し、芸術を解説する。そして章の結びで日本の芸術についての言葉で締めている。

我々はかかる風土に生まれたという宿命の意義を悟り、それを愛さねばならぬ。かかる運命を持つということはそれ自身「優れたこと」でもなければ「万国に冠」たることでもないが、しかしそれを止揚しつつ生かせることによって他国民のなし得ざる特殊なものを人類の文化に貢献することはできるであろう。そうしてまたそれによって地球上の諸地方がさまざまに特徴を異にするということも初めて意義あることとなるであろう。

昭和四年に書かれたものなので、アニメなどといったものとは全く関係がない。ないが、これをアニメに置き換えてみると面白い。
日本の文化は「ガラパゴス的」な独自発展をし、それを基にアニメは一つの文化となった。「経済」と「芸術」といった矛盾をアウフヘーベンし、世界の文化に貢献できるのは日本の文化である、と私は勝手に脳内変換している。
まあ、あまり関連性のないものを付けてみました。

新田義貞及び新田一族ニュース 今回はてんこ盛り。

2011年11月12日福井新聞から  http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/31478.html

義貞かぶと印「押しに来て」 有志、新田神社近く設置
福井市新田塚地区の有志らでつくる「ふるさとの歴史を考える会」が、南北朝時代の武将新田義貞のかぶとをデザインしたスタンプを作り、同市新田塚町の新田神社近くに設置した。訪れる観光客や歴史愛好家に興味を持ってもらおうと、地区の歴史や地名の由来を書いた台紙も用意。会員はぜひスタンプを押しに来てほしいと呼び掛けている。(久慈かおり)
 同会は10月に発足。県内の約40人が所属し、本県ゆかりの人々への理解を深めようと活動している。先月は作家の中島道子さんを招き、明智光秀に関する講演会を開いた。
 スタンプは、新田塚自治会連合会や同神社奉賛会と協力して作った。直径約7センチの円形で、新田家の家紋である「大中黒」と、新田塚地区で見つかった義貞のかぶとをモチーフにしたデザイン。小林幸二会長(63)=同市新田塚2丁目=が今年8月にイメージを提案し、福井工大デザイン学科の教員が仕上げた。
 スタンプは、新田神社の2軒隣にある和食店「食のすす竹」の店先に置いた。神社の境内にはスタンプについて知らせる看板を設け、今後、地元の小中学校や町内会にも案内文を出す。
 同会は義貞にゆかりがある市内の寺社や史跡にもスタンプを設置し、スタンプラリーができるようにしたいと計画している。小林会長は「新田神社を拠点に、地域全体で盛り上げたい」と意欲を見せていた。

ほんと福井のみなさんありがとうございます。新田氏の地元の群馬県、特に太田市はこういう「歴史」のことに関してはまるで無関心で、「焼きソバ」ばかり焼いている。困ったものだ。
(ここに明智光秀の名が。新田氏と光秀はこういう地縁から何らかの関係があったと考えられるし、徳川家康が新田氏を名乗ったことも考えれば……、そしてそこに出てくる名前をたどれば……「本能寺の変」も違った見方ができるはず。まあ、これは「東毛奇談 第4章」で。)

で、次が10月24日付け読売新聞から

町田時代祭り、勇壮な流鏑馬に歓声
 鎌倉街道の要衝として、新田義貞ら多くの武将たちが活躍した往時をしのぶイベント「町田時代祭り」(町田市観光コンベンション協会など主催、読売新聞東京本社など後援)が23日、町田市内で開かれた。
 祭りは今年で2回目。石阪丈一市長ら約80人がよろいカブト姿などで町田商工会議所前から芹ヶ谷公園まで約1キロを行進した後、同公園でハイライトの流鏑馬(やぶさめ)が披露された。
 鎌倉武士の文化を国内外で紹介している全日本戸山流居合道連盟(本部・町田市)の旗谷嘉辰(よしとき)会長(62)ら10人が、馬上から約4メートル離れた的を狙って次々と矢を放った。会場には約5000人の観衆が集まり、命中するたびに大きな歓声があがっていた。旗谷会長は「町田の祭りとして、流鏑馬を定着させていきたい」と話していた。

ここに新田義貞の名前が登場する。埼玉から東京、鎌倉にかけて新田義貞及び新田一族の関連した史跡や寺社は多く残り、それにまつわる祭りや儀式も多くある。
これらをバラバラに行わないで、「新田氏」あるいは「南北朝時代・太平記の時代」の関連したイベントとして連携すれば、大きな展開が見込めるのではないのか。その音頭をとるべきなのが「太田市」じゃないのかなと、つねづね思う。「英語学校」を作っている予算があるなら、そこに回せと思うのは自分だけじゃないはず……。

そして福井市の観光案内ページから。
http://www.fukui.asovino.net/page/magazine/201111.html

今年8月、福井市出身の清水智信選手が、WBAスーパーフライ級タイトルマッチに勝利し世界チャンピオンになったのは記憶に新しい出来事ですよね。実は、清水選手はフクイに凱旋したとき、祈願成就のお礼の参拝に藤島神社を訪れていたんです。藤島神社は、世界戦の前に清水選手の後援会が必勝祈願したところであり、また、毎朝、清水選手のお父様が参拝に訪れているところなのだそう。くじけず、あきらめず、世界に挑戦し続けた清水選手の努力と周囲の人の熱意に、勝負の神様・義貞公が微笑んでくれたのでしょう。
藤島神社のシンボルともいえるのが、義貞公が着用していたと言われる兜「鉄製銀像嵌冑(がんちゅう)」です。国の重要文化財であり、お守りや絵馬にも取り入れられ、「勝守」としてパワーを発揮しています。七五三では、健やかに育つよう男の子は義貞公の兜を再現したレプリカをかぶり、女の子は御鏡を持って記念撮影をします。

 お~、ボクシングの世界チャンピオンか。日ハムの斎藤佑樹といい、「新田氏」系寺社は「勝負運」に強いということですね。ここを推していきましょう。
過去記事 斎藤佑樹が甲子園で優勝したときに持っていたのは、新田義貞ゆかりの生品神社のお守りだった!!

そして、アニメ「それでも町は廻っている」に新田義興を祀る「新田神社」が登場するという話を聞いた。
それでも町は廻っている
「東京都大田区の下町・丸子で育った女子高生、嵐山歩鳥を主人公に、彼女の周りで起きる日常の出来事を中心に描いてゆく日常コメディー。」という説明がある。舞台地が下丸子、武蔵新田ということらしい。
さっそく見てみた。
きゃ~!!!。
確かにエンディングに「新田神社」が!!!!!
それでも町は廻っている 新田神社良く見ると狛犬の台座に新田氏の家紋「大中黒」が!!!
ということは、毎回「大中黒」が放送されていたのか、胸熱だな。
しかも地元ということで、新田神社が本編に何度も登場しているらしい。
それでも 新田神社
もう、これだけでも感涙ものですよ。
「らきすた」の鷲宮神社や「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の秩父神社みたいに盛り上がってくれればいいと思うが、もう放送終ってるのね。(2期あるとかないとか、でも原作は続いているし……)

ちなみに、こちらは群馬県太田市由良にある新田義興を祀る寺「威光寺」。(地名が「由良」っていうのは、もちろん新田氏一門の名。太田市周辺は新田氏と関連の名したものがほとんどだ。やはり「新田市」にしようよ。過去記事 地図を眺めて胸躍る。各地に新田一族の名前が!)
威光寺 正面

新田義興 遺髪塔
こちらは、新田義興公遺髪塔
新田義興に関する過去記事 
安部龍太郎を歴史小説家へ導いたのは、新田義興だ! 間違いない。
破魔矢の由来、「日光・大猷院」と「新田神社」と「鏑矢祭」
各地で「新田義貞」「新田一族」を祀る大祭が行われました。しかしその一方で、群馬県太田市は……。

全国各地で新田氏に関する活動が行わることは嬉しい限り。
そして、世界チャンピオンやアニメなどといった注目されやすいものと関連付けていくことが大事だろう。こういやって地道に「新田氏」ファンを増やしていくことが肝要なのだ!

外国人の方から見た「日本」、 最近の新聞記事から

最近の新聞記事から、外国人の方から見た「日本」といった内容のものを書き起こしてみました。
11月2日付け 読売新聞、ドナルド・キーン、瀬戸内寂聴の対談から

寂聴  キーンさんが大震災後に帰化を表明され、日本人は大変感激しました。
キーン  意識的に勇気を与えようとしたのではありません。第二次大戦末期、詩人の高見順は上野駅で静かに順番を待つ人々をみて、私はこの人たちと一緒に生きたい、一緒に死にたい、と日記に書いた。私も大震災で、同じ気持ちになりました。家族を失い、家を流されても、じっと耐え忍ぶ東北の人々の姿を見て、日本人になりたいと思ったのです。黒い津波が押し寄せる映像を何度も見ながら、松島は、中尊寺はどうなっただろうと眠れなかった。私のこころはすでに日本人です。
(中略)
あらゆるものは移り変わる……。それを一種の美学とするのは日本だけです。今あるものを守る、捨てる、あきらめる。古いものと新しいもの、はかなさと永遠。矛盾するものを全部抱えるから、日本文化は豊かになりました。

ドナルド・キーンさんはもうすでに日本人ですね。いつも思うのは「日本文化を継承するものが日本人」だということ。日本人の血は受け継いでいても反日的言動を行う人は日本人とは言えないだろう。
過去記事「日本文化を継承するものが日本人だ、と思う。 」その2
そんな日本人風の人は多いが、こんな人たちよりよほどキーン氏の方が日本人なのではないだろうか。
過去記事「銀」は日本人の美意識、つまり魂だということ。

平成23年11月11日 朝日新聞の全面広告、「明治学院大学」出身の戦場カメラマン・渡部陽一と学長・大西晴樹の対談から


渡部  僕の戦場カメラマンのルーツは、明治学院大学の授業にあるんです。
大西  本学の創設者は、ヘボン式ローマ字を考案したヘボン博士です。博士は1859年に来日しましたが、当時の日本は開国したばかりで辻斬りがあるといわれており、博士の周囲は日本へ行くことに反対しました。それでも宣教医師として、危険をかえりみずに日本にやってきた博士の志は、渡部さんと通じるものを感じます。
渡部  ヘボン博士は、日本の文化に敬意を払い、思いやりの心をもって、日本にとけこんでいかれましたね。
大西  博士は医師でしたので、身分にわけへだてなく、無料で日本患者を治療し、庶民から親しまれました。渡部さんは、戦場に日記を持っていって、現地の人たちとコミュニケーションをはかるそうですね。
渡部  僕は学生時代からずっと日記をつけていて、写真などもコラージュのように張り付けていています。それらは今や米俵のようになっていて、重さは7・5キロもあります。日本語を書いてあげたりすると、アフリカの子供たちは大喜びします。一気に仲良くなり、家族のような信頼関係ができるんです。
大西  ヘボン博士は、日本人患者に片言の日本語で「それはなんですか?」と聞いて、言葉を聞いて、言葉を覚えていったそうです。そうやって書きとめたものが日本最初の和英辞典になっていきました。博士は、発音を教わった名もなき日本人たちを「生ける教師=リビングティーチャー」と呼んでいます。

これは「明治学院大学」の広告だった。ヘボン博士の話が面白かったので載せてみました。

11月8日 朝日新聞・群馬版から

ボリビアの日系2世「しょうゆ広めたい」 みどり市の老舗で研修
みどり市大間々の老舗のしょうゆ醸造会社に7日、南米のボリビアから日系2世の研修生が訪れた。
「日本文化を継承し、ボリビアで本物のしょうゆを広めたい」と意気込んでいる。
研修生の山口鈴香さん(27)は、3歳の時に長崎からボリビアに移った父を持つ。現地の大学で食品加工を学び、国際協力機構の研修事業に応募し、5月に来日。東京農大短期大学部でしょうゆづくりを学ぶ。指導教授に勧められ、九州のしょうゆ醸造元の後継ぎ、堤裕一朗さん(22)とともに研修に訪れた。醸造会社は、江戸時代創業の岡直三郎商店。2人はしょうゆの香りが満ちている大間々工業で、木樽などを見て回った。
山口さんによれば、ボリビアでは日系人社会でもしょうゆが普及し始めているという。「最も売れているブラジル産はトウモロコシを原料としているらしい。でも日本とは味が違うから、大好きな卵かけご飯のあわない」
現場研修は一週間。大学ではこうじ菌の採取、培養を研究しており、今回の研究でこうじづくり、仕込みを身につけたいという。「12月には帰国し、ボリビア生まれのこうじ菌、大豆、塩を使い、来年には本物のしょうゆづくりを始めたい」(大道裕宣)

こういうことが大切なことだと思う。
前に、醤油や味噌をインドに広めようとしているインド人の新聞記事を載せましたが、日本文化を広めるのに「食文化」は大事なことだろう。
過去記事 食文化って大事だとつくづく思う。
韓国ドラマ・KーPOPの流入は、韓国の食文化を広め、ひいては韓国文化の浸透につながった。これは日本だけではない、アジア諸国は韓国文化に染まったのだ。ソフトパワーで侵入し、ハードを売る、日本がこれをするべきだったのに、この口惜しいが、韓国にソフトパワー戦略で負けたのだ。
過去記事 アニメは日本文化を救えるか  第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。切っ掛けは「タイ焼き」から?……。
まあ、ここでなんやかんや言ってももう遅いだろう。
しかし、「ボリビアに醤油」こういう地道な活動が日本文化の普及の足掛かりになるはずだ。

ということで、3つ集めてみました。

「偉大な」日本史、再評価の時

平成23年11月 読売新聞のコラム「ワールドビュー」から。 

「偉大な」英国史、再評価の時 欧州総局長・鶴原徹也
キャメロン英首相が来夏のロンドン五輪を好機として英国を世界に売り込む宣伝戦に乗り出した。うたい文句は国名に引っ掛けた「グレート・ブリテン」。「英国は商売、投資、研究開発、スポーツ、観光すべてがグレート(素晴らしい)」と請け合う。
だが、国内の評判は芳しくない。保守系ザ・タイムズ紙は「今夏のロンドン暴動で傷ついた英国像の回復も図るものだが、『グレート(偉大な)』という言葉の乱発はむしろ反感を招きかねない」と懸念を示す。
懸念の源にあるものは英国人が自国の「偉大な」過去、特に世界随一の超大国だった大英帝国について抱く複雑な心理だ。植民地収奪・奴隷酷使を負い目としてか、英国人は概して帝国史に触れたがらない。学校教育は帝国史を深く教えない。
「帝国の英雄のほとんどが顔に泥を塗られている」。新著「帝国」を著した評論家ジェレミー・パックスマン氏は保守系デイリー・テレグラフ紙への寄稿で嘆く。19世紀のアフリカ探検家バートンは人種差別を非難され、20世紀初頭に南極点に到達したスコットは仲間を犠牲にしたと糾弾され、ボーイスカウトの創設者ベイデン・パウエルは愚か者呼ばわりされているーー。パックスマン氏は「大英帝国は自由貿易体制と議会制民主主義を世界に広め、今日の国際秩序のひな形を作った」として再評価を訴える。
偉人要覧「メード・イン・ブリテン」を今月出版した元銀行家エイドリアン・サイクス氏は「我が国に輝かしい過去があることを子供たちに知ってもらいたい」と話す。同書は近代物理学の祖ニュートン、「種の起源」を書いたダーウィン、電磁気学を積み上げたファラデーなど3000人を逸話付きで紹介。同氏にとって最大の偉人はシェークスピアだ。「インターネット、航空管制、世界経済の共通語となった英語の礎を築いたのだから」
小春日和の日にロンドン南東の旧グリニッジ天文台を訪れた。帝国時代の19世紀後半、経度0度の「本初子午線」通過点として国際的認知を得て、世界の標準時間を刻む地になった。天文台は時間と位置の物差しを与えて航海を容易にし、帝国の海軍、商船の世界展開を支えた。今では博物館となり、世界からの観光客が本初子午線をまたぎ、片方の足を東経、もう片足を西経に置いて記念撮影に興じている。学芸員は「確かに天文台は帝国とともにあった。すべては移り変わる。世界はより密接に結び付き、英国は小国になった」と静かに語った。
帰路、テムズ川を船で運ばれながら、ある感慨にとらわれた。たゆたう英国で出会えた人々の多くはそれぞれ素晴らしかった。

時代によって歴史上の人物の評価は変わるといわれる。当然のごとく左翼的な思想が強くなれば、帝国主義時代の英雄や偉人などは真っ先に「やり玉」に挙げられるだろうが、保守ぽいイメージのあるイギリスでここまでの事態になっていようとは思わなかった。
だが、読んでいて、これが余所の国とは思えなった。
本文に「帝国の英雄のほとんどが顔に泥を塗られている」とあるが、それでも日本のほうがはこれよりもヒドイのではないだろうか。なにしろ、「あの戦争」の後遺症で、進歩的文化人や左翼思想者が跋扈し、狂ったように歴史上の偉人たちの評価基準を180度変えてしまったからだ。
特に南朝方の武将たちはひどいもので、皇国史観によって利用されていた分、今では不当なほど低い扱いにされている。
それに、当ブログ的には高山彦九郎や中島知久平ら新田氏系の偉人達などはまるで「戦犯」扱いだ。
戦後民主主義全盛のころは、これらの歴史上の人物の名を聞くだけで、過剰的拒否反応を示していたという。
だが、もうそんな時代は過ぎ去った。いまこそ、新田氏系の偉人達の再評価をしてほしいと、思う。
そして、イデオロギー抜きで「南北朝時代」を再認識してもいい時期になったのではないだろうか。

それに、気になるのが、「明治の元勲」たちへの不当な評価だ。
第二次大戦の原因を明治維新・幕末まで遡らせて、その戦争責任を明治の元勲や幕末の志士にまで求めるといった風潮を作り出そうとしている学者どもが多くいる。そして、それを肯定化し、その論理を定着化しようとするNHKのテレビ制作者たちがいる。
これ基に番組を作り、本放送、3チャンネル(教育、今はEテレ)、BSなどで何度も繰り返し放送し、終わったかと思うと、また似たような内容の番組を際限なく作り続ける。
NHKの歴史ドキュメンタリーや歴史検証番組や戦争特集など、このサイクルが実に気味悪い。自虐史観なんてものではない、自国否定史観だ。

それに異常なほど坂本龍馬を持ち上げるのは何故だろうか。そこに反体制の英雄、コスモポリタンの先駆け、アナーキズム的憧れを抱かせるように描くのは何故だろう。
吉田松陰を歴史番組などで取り上げるのはいいが、その思想や「狂」の部分を取り除き、平等思想の教育者として、封建主義を否定したリベラルな人物として扱うのは何故だろう。
福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」というのも、人はスタートは同じだが、人の努力によってゴールは違うという意味で、貧富の差、賢愚の差は否定していない。(だから勉強しなさいというのが「学問のすすめ」だろう。) それをまるで、すべての人間が平等でなければならないといった空想的左翼思想者かのように論じるのは何故だろう。
諭吉は本来強烈な保守思想な持ち主であり、(ネトウヨのような)天皇崇拝・中朝蔑視・戦争推進論者だが、サヨク思想家にとって都合の悪い部分は「実は弟子が書いたのだ」とか、丸山真男のように保守的な部分は全部無視して、まるで進歩的左翼主義者のように仕立ててしまうのは何故だろうか。
日本の偉人・英雄はすべからく「サヨク」思想ではなければ、何か不都合でもあるのか。
つまり、いまだに日本は奇妙なサヨク思想に染まっているという証拠なのだろう。
要は、日本も上記新聞のコラムのような英国と同じ状態にあるということだ。

新聞のコラムのタイトルは「偉大な」英国史、再評価の時とある。
ならば、ここも、「偉大な」日本史、再評価の時 と是非ともなりたいものである。

天皇陛下に関する新聞記事から

朝日新聞 平成23年11月4日のコラムから。

記者有論
社会部 北野隆一
戦争体験 天皇陛下と水木氏の問い
10月13日、秋の園遊会があった。天皇、皇后両陛下が主催し、各界功労者を招いて懇談する場だ。今回は女子サッカー・ワールドカップで優勝した「なでしこジャパン」の佐々木則夫監督と沢穂希主将や、東日本大震災の被災地で福島第一原発に近い、福島県富岡町の遠藤勝也町長らが両陛下と言葉を交わした。
漫画家の水木しげるさんもその一人だ。妖怪漫画「ゲゲゲの鬼太郎」や連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でおなじみであることに加え、私にはもう一つ関心があった。戦争体験についてどんなやりとりをするのだろうか、と。
水木さんは太平洋戦争激戦地ラバウルで爆撃を受け、左腕を失った。マラリアで生死の境をさまよったこともある。1989年に昭和天皇が亡くなった際の心境を、自伝漫画に「昭和から『平成』になって、なぜかボクの心も平静になった」と書いている。そして「戦争中はすべて天皇の名ではじめられ、兵隊もその名でいじめられたから、つまりやり場のないイカリを、無意識に“天皇”にむけていた、それがなくなったのだ」とも。
水木さんは、文化功労者として皇居での茶会に招かれた昨年11月、天皇陛下は水木さんの左腕をいたわりながら、「戦争の痕は大丈夫ですか。ラバウルで、本当に大変な経験をねえ」と声をかけた。水木さんが「大丈夫です」と答えると、天皇陛下はこう言葉を継いだ。「だんだん年月がたつとみんなそういうものから離れていくから、そういう問題をいつまでも心にとどめておくことは、とても大事なことだと思います」
2000年のオランダ訪問に同行したときのことを思い出した。天皇陛下は晩餐会で、オランダ人戦争捕虜の存在を念頭に「戦争による心の痛みを持ちつつ、両国の将来に心を寄せる貴国の人々のあることを、私どもは決して忘れません」とあいさつしている。
一兵士としての戦争体験を漫画で描き続けた水木さん。日本軍が「玉砕」したサイパンをはじめ、各国で戦争による犠牲者慰霊の旅を続けてきた天皇陛下。共通するのは、戦争を忘れず、後世に伝えようとする姿勢だ。それは私たち、後に続く世代への重い問いかけでもある。

朝日新聞にしてはいい記事だと思う。
天皇陛下と「陛下」と一応敬称は付けていますが、「お言葉」を言葉としたり、「崩御」を亡くなるなどと、まるで敬語を使っていません。まあ今さら朝日新聞にそんなことは言っても仕方ないのでしょうが……。この記者はここで「あの戦争」を忘れるなといったセンチメンタルなメッセージを訴えたかったのでしょうが、陛下のエピソードがいいので、そんなものは吹っ飛んでしまいました。
まあ、そんなわけでこれは良記事です。

で次は、産経新聞サイトからのコピペ。

トルコ大統領がお悔やみの手紙 宮崎さん死去悼む
2011.11.12
 トルコのメディアは11日、同国東部ワンで地震によるホテルの倒壊に巻き込まれ、東京のNPO法人「難民を助ける会」の宮崎淳さん(41)が死亡したことを受け、トルコのギュル大統領が天皇陛下宛てにお悔やみの手紙を送ったと伝えた。ダウトオール外相も在トルコ日本大使館を訪れた。
 宮崎さんは、10月下旬に大規模地震に見舞われた被災者の支援を現地で続けていたため、トルコ市民からも「なぜ宮崎さんを守れなかったのか」などと悔やむ声が広がっている。ワンに宮崎さんの名前を付けた病院を建設しようとの呼び掛けも出ているという。
 現地を訪れた同会の大西清人事務局次長によると、宮崎さんの遺体は11日、検視が終わった。同日夜にも西部イスタンブールに搬送され、できるだけ早い便で日本に戻る予定。(共同)

トルコの親日ぶりが窺えます。大統領自らっていうのがスゴイな。
何よりもこういった親書が「天皇陛下」に宛てて届くということをよく考えましょうね。
日本大使館でも日本政府でも総理大臣でもない。陛下宛に来るということを。
これは以前にも書いたことだが、東日本大震災のとき、英国のエリザベス女王や米国オバマ大統領ら諸外国からお見舞いの親書が届けられたが、それは「天皇陛下」宛であった。
過去記事
 日本人がギリギリまで行ったその先にあるものは、「皇室・天皇」だ。
握手の時に両ひざを折って敬意を示すことを「カーテシー」というそうだ。

海外から見れば、日本の元首は「陛下」であるということは明らかなのだ。
どんな国にはその国を象徴するような中心となるべきものは必要である。前に三浦朱門の「天皇」(海竜社)から引いたが、「皇室」は日本のそれにあたる。

日本にあっては、天皇の存在が船の低い重心となり、また比較的変化をしない部分となってきた。その変わりにくい部分が日本という国の体質、つまり日本的なもの、日本の意識的・無意識的な価値観、つまりは日本文化そのものであろう。天皇はこうして日本文化の重点であり、その揺れを示す座標でもある。

過去記事 
「賜杯」の意味。天皇と相撲、そしてこの国の体質。
ここで長文引用。

海外から認められている日本の象徴を、日本人に誇りとしなければならない、と思う。

義貞公の銅像再建に向け募金開始の続き。

義貞公の銅像再建に向け募金開始の続き。
前回http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-935.html
小学校に通う娘が用紙をもらってきたので、載せておきます。

太田市 生品神社 新田義貞公銅像 再建趣意書
新田義貞公は、元弘三年(1333年)五月八日に、太田市新田市野井町の生品神社神前にて義旗を挙げ、源氏の軍勢を催して破竹の進撃と激闘の末に、北条高時の鎌倉幕府を打倒した武将として、余りにも有名であり、郷土の誇りです。
しかし、この由緒ある神社に鎮座されていた新田義貞公の銅像が平成22年2月に盗難に遭い、以来戻ってくることを、一同願っておりましたが、それも叶わず、今日に至りました。
われわれは、この神社とゆかりの深い新田義貞公銅像の再建を願い、有志一同今日まで数度にわたり、研究・協議を重ねてまいりました。その結果、像の再建は新田義貞公を顕彰し、その偉業を子々孫々に伝えると供に、青少年の未来に夢と希望を与えるものと確信し、この度、再建することになり、下記のように概要を取りまとめました。
時節柄、誠に恐縮に存じますが、本事業をご理解頂きご協力くださいますようお願い申し上げます。
なお、銅像のデザインおよび制作は、脇屋義助の子孫(24代目)である脇屋幸正氏(太田高校卒、東京芸大大学院修了)が献身的にしてくださることになりました。


1、完成…平成24年3月末日
  披露…同年鏑矢祭日(5月8日)
2、銅像…身長約180cm(以前は約80cm)で、鎌倉市稲村ヶ崎にて太刀を投げ入れる伝説の立姿
3、 設置場所…添付別図の位置とする(照明を設け盗難防止を計る)
4、予算総額…1500万円
5、募金…1500万円
  期間…1年間(平成23年4月~24年3月)
集金…口座振込および直接集金
芳名碑記載(真鍮板に記載)…1万円以上は芳名を記載、1万以下でも所属の団体の合計が1万円以上なら、団体名を記載。

生品神社 新田義貞公銅像再建に関するお願い

(前文略)…たどれば、新田義貞公の銅像につきましては、元々、生品小学校の敷地内にされていたものを、生品神社に移設したと聞き及びました。このように生品小学校ともゆかりのある文化財であることや、また、生品小学校と生品神社は鏑矢祭など、教育活動を通じて深い関わりをもちながら今日に至っております。
そこで、地元の象徴である新田義貞公の再建に向けて、世論も盛り上がる中で、銅像再建委員会も発足し、現在、募金活動等が展開されようとしています。
このような機会に、銅像再建委員会・生品小PTA、そして、学校が手を携え、再建に向けていくらかでも協力できればと思っております。(後文略)

前回と同じような内容ですが、少し詳しくなってきました。

新田義貞の記事を載せると全国から反応が来るので、募金活動も少し広げてみればいいのに、と思う。
ある金額以上募金してくれたら、「義貞うちわ」を送付するとか……、どうでしょう。
自動販売機につけるというのは前に書いたけ。過去記事「新田義貞の自動販売機とうちわと蘭奢待

何か進展があったらまた載せます。

「銀魂」考 最終回 TPPと復興と銀の魂

「銀魂」考 最終回 TPPと復興と銀の魂

まず、アニメ「銀魂」から。

20年前の天人襲来、国交とは名ばかりの支配欲ムキ出しの天人の強硬姿勢。知っての通り、幕府と将軍はビビリ倒し、簡単に折れた。(179話・服部全蔵のセリフ)

ようやく豊富な資源を喰い漁る権利を分けてもらったのに、そんなことされちゃ商売あがったりですね(215話・神威のセリフ)

服部全蔵のセリフは、地球(日本)が天人(外国)からの強引な態度に屈服したときのことを説明したもの。幕末の黒船来航ということになるでしょうが、これは現代日本の暗喩ともいえるだろう。
天人襲来 TPP
いまの日本でいえば、幕府は政府、将軍は首相となるだろう。となれば地球・日本を貪り食う天人・外国は、アメリカとなるのか、中国となるのか?(悲しいかなこれが現実です) もうすでに日本はどこかの国の属国だ、と政府の要人(仙谷)が言うくらいですから……。
三島由紀夫の予言めいた言葉から

「日本は変なことになりますよ。ある日突然米国は日本の頭ごなしに中国に接触しますよ、日本はその谷間の底から上を見上げて、わずかに話あいを盗み聞きできるにとどまるでしょう。わが友台湾はもはやたのむに足らずと、どこかに行ってしまうでしょう。日本は東洋の孤児となって、やがて人買い商人の商品に転落するのではないでしょうか。いまや日本の将来を託すに足るのは、実に十代の若者の他はないのです」

平岡梓著「倅・三島由紀夫」(文春文庫)から。(詳細は過去記事で。)
もう40年以上前から、日本はアメリカや中国の食い物とされると予言されています。

神威のセリフは、天人の「宇宙海賊・春雨」の提督との会話。つまり地球(日本)をどう食い尽すか天人同士で謀議しているといった場面。これも今の日本に置き換えれて訳せば「ようやく日本の豊富な資金・カネを食い漁る権利を得ようとしているのに、邪魔されたら、こっちの思惑が外れちまうじゃないか(大統領選挙が近いのに、または、共産党主席争いがあるのに)」といった具合でしょう。
なんかこれって「TPP」に似てはいないか。
tppと銀魂
(「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった」中野剛志、東谷暁、三橋貴明 )まさにこれ。表紙が全てを物語っていますね。

そう考えていけば、「銀魂」で描かれている世界観は、案外現実の日本に近いのかもしれない。
この辺りは第1回や第5回で説明した通りで、それは、天人たちのセリフでも十分に分かる。
「天人に食い尽くされ、醜く腐り落ちるこの国」「負け犬なら負け犬らしく指をくわえて見ておればよいのだ。この国の女たちが我等強者に蹂躙される様を!先に逝った仲間たちと一緒に、あの世でな!」などなど。
「銀魂・かぶき町四天王篇」は、天人の華陀が、かぶき町の住民たちを内輪で争わせて、そのうちに町を乗っ取ろうとする筋だが、かぶき町を日本国、かぶき町の住民を「哀れなサルどもの日本人」と置き換えてみれば分かりやすいだろう。(結果、この町を天人から護ったのが銀時や次郎長らサムライと、町の住民たちだ。つまり町=国を護るには、町人=国民が一体にならなければ護ることなどできない、ということだろう。次郎長の天人相手に「かぶき町をなめんなよ」という啖呵も、「日本をなめんなよ」という意味になります)
その中で、西郷のセリフに「本当の敵は別にいる、気付いたときにはもう遅い」(213話)というのがある。
これは今の日本の現状だろう。
ラジオ番組であるTPP賛成のキャスターが「アメリカの陰謀論なんてありはしない、妄想ですよ」とせせら笑っていた。日本がアメリカの属国のごとき状態になっていることを「良し」としているようだった。中でも毎日新聞の編集委員・潮田道夫の社説は笑ってしまうほど脳天気だった。(探して読んでください。(笑)というより(殺)という感じになりますから)
どこかの強国の傘下に入ることが「グローバル化」だと勘違いしている論者がいかに多いことか。そんな人たちが我が物顔でマスコミを牛耳って、情報操作をしている。中野剛志が怒るのもよく分かるというものだ。

82話に、「世の中カネなんだよ」という地球人(ハム子の彼氏)に銀さんがブチ切れてこんなセリフを言う。
「人間を食いものにする天人、それに甘んじ、しっぽを振って奴らの残飯にがっつく人間ども。豚はてめぇらだ。薄汚ェ豚を護るなんて、俺はゴメンだぜ!」
第1回で井沢元彦の本から、幕末に国を裏切る日本人が出なかったことが、明治維新の成功につながったという部分を引いた。
幕末の開国のような事態が、今の日本でも「TPP」によって起ころうとしている。状況は似ているだろうが、決して結果は同じにはならないだろう。それは「しっぽを振って外国(アメリカ?中国?)の残飯にがっつく日本人」が大勢いるからだ……。
今の日本は、国の中に「国を売る奴」ばかりになってしまった。拝金主義者が正義のようになって、カネ儲けだけで世の中が動くようになってしまった。(いまだにホリエモンを支持する人がいるくらいだから)
三島由紀夫が将来に託した十代も、今や50代、60代だろう。悲しいことに、この年代がいまや最も金銭欲にまみれている。(将来の日本のことも考えずに、自分らが貰う年金こと心配ばかりして、そのくせ税金は払いたくないとか。)
TPPも金銭的国益が云々といった議論ばかりだが、それとは別に失うものものがあるのではないか。利益優先の思考によって失ってしまうものがないのか、大国に押し切られるだけのものに参加して自国のアイデンティティは保たれるのか、そういう疑問ばかりが浮かぶ。TPPの制度そのものの前に、何か釈然としないものを感じるのは、まさに「銀魂」に出てくる地球人(日本人)を貪り食う天人(外国人)のような存在にしかアメリカが見えないからだ。

さて、前に「日米同盟は織田・徳川同盟」に似ている、という記事を書いた。
信長の実質的支配下にありながらも、徳川がその中に呑みこまれずに独立性を保っていられたのは、徳川・松平一族に「三河魂」があったからだ、というもの。
詳細は「日米同盟は織田信長政権下の徳川家康に似ている。ならばそこから得られる教訓もあるはずだ。」の記事で。
銀魂 家康公「銀魂」で再三登場する「家康公の像」
自分の国を失わないために必要なのは、武器でもカネでもない、最終的には「魂」となるのだ。
「銀魂」考のテーマはここにある。

これは、三島由紀夫の「栄誉の絆でつなげ菊と刀」に通じるところだろう。
これも詳細は過去記事で。「守るべきは日本文化! サブカル好きもポップカルチャー好きも、神社に集う歴女もアニオタも、みんな三島由紀夫が命に代えて主張したことを聴け!
(三島の思想が最も分かり易く、しかも凝縮されて書かれていると文章だと思う)
そう、やはり「魂」なのだ。
「銀魂」という物語が、なぜ「銀の魂」というタイトルなのか、その答えがそこにあると思う。

215話の天人のセリフ

サムライといったが、開国のおり、棒きれ一本で、最後まで抵抗したという蛮族どもの残党だ。

統治者・天人(外国人)から見れば、半植民地状態にある住民(日本人)はサル同様の蛮族だろう。だかこの国には「さむらい」という者たちがいる。彼らは「侍魂」というものを持っている。この国の国民は「大和魂」というものを持っている。
攘夷戦争 次郎長(「攘夷戦争」で天人と戦う次郎長とそこで命を落とした辰五郎)
実際に武器を持って立ち上がらなくたっていいだろう。しかしこの「サムライ魂」という気概だけは、「日本人」は心の中に秘めていてもいいじゃないか、と思う。
棒きれ一本そして銀さんのように「棒きれ一本」でも、その「魂」は護れるはずだ……。

以下、余談。
銀魂 はるさめ宇宙海賊・春雨が敵方としてよく登場する。説明では「天人で結成された宇宙海賊団で、銀河系最大の犯罪シンジケート。非合法薬物を主な収入源としており、地球でも密売を行っている。」とある。
その旗、よく見ると「韓国の国旗」に似てないか。(自分のブログに韓国の国旗は貼りたくないので、各自見てくださいね)
日本を食い物にする韓国?って、昨今の日本の市場の荒らし様を見ていると、これ笑ってもいらなれない状況だ。歴史問題では中国について反日活動、経済や軍事ではアメリカについて日本の経済を食い漁る。日本の国力が弱くなったと思えば「独島は俺たちのものだ」「日本海なんて書いてある世界地図は許さない」「放射能が来たから賠償金を払え」……そんなことをばかり言いまくる。まさに海賊みたいな国じゃないか。それにもまして問題なのは、これに便乗して「しっぽを振って奴らの残飯にがっつく」日本人がウジャウジャいるということだ。「韓流ブーム」だか何だか知らないが、これに踊らされるバカな日本人がいて、「韓国ドラマを見てグローバル化だ」なんてアホなことを言うエセ学者や軽薄文化人が大勢いる。「嫌なら見なければいい」なんて言う面白くない芸人がいれば、「K-POP最高」なんて言って仕事が増えた売国タレントもいる。
関連記事「「フジテレビの韓流ごり押し問題」のまとめ
この韓流ブームごり押しの一連の件で分かったことは、民衆なんてものはマスメディアの偏向で容易く流される、という事実だ。
本題からずれてしまった。
そういえば余談ついでに、232話から始まった「蓮蓬篇」って、民主党の蓮舫をまさにおちょくっているが、これなんかも売国政党・民主党を揶揄しているように思えてならない。
(追記、AT・Xの再放送で 『銀魂』第232話、第234話が放送中止となったのは、蓮舫・民主党の圧力か? これが事実ならば許されることではない。)
銀魂の根底にある「カーニバル・ええじゃないか」は反体制への批判だから、これもそう捉えてもいいかもしれない。
まあまあ、これらはあくまでも余談です。


総まとめ
さてさて、だいぶ長いこと「銀魂」考を書いてきました。
目次
1、「銀魂」考 前口上
2、「銀魂」考 第1回 植民地化された「サムライの国」、その世界観
3、「銀魂」考 第2回 なぜ「銀の魂」なのか?
4、「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その1 「銀魂」は怨念を残した者たちの「鎮魂劇」である
5、「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その2 「銀魂」は「カーニバル」と「ええじゃないか」だぁ、だぁ、だあ!
6、「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その3 「桜は死と再生の樹」と「国ほめ」
7、「銀魂」考 第4回 あの塔は何だ? 生と死とリンガ
8、「銀魂」考 第5回 滅びゆくサムライの物語
9、「銀魂」考 第6回 たましいの物語 「たま」と「神楽」と「狛犬・神子(定春)」
10、「銀魂」考 第7回 継承の物語
11、「銀魂」考 第8回 成長物語
12、「銀魂」考 最終回 TPPと復興と銀の魂
となります。
全体の流れを簡単に掻い摘んでみましょう。
天人の支配下にある地球人という設定は、外国人によって植民地状態にされた日本人という設定であり、これは現代日本の暗喩でもあるということ。その支配を象徴しているのが「ターミナル」である。
タイトルの「銀魂」は、「銀」が日本人を意味し、「魂」はサムライ魂であり、大和魂である。それを象徴しているのが「桜」である。
この物語全体を通して行われているのが、「鎮魂」「慰霊」「昇天」であり、そのために必要なのがバカ騒ぎの「カーニバル」や「祭り」、「酒」や「花見」である。(時には猥雑な騒ぎにもなる。下ネタ、裸、男根などは「祭り」の根本的要素である)
銀魂 花見と酒 
これは、現代の歌舞伎であり、霊魂を鎮める「鎮魂劇」である。
また、「死と再生」「破壊と復興」を行うために「たまふり」が行われる。
この象徴が「桜」や「月」や「塔・ターミナル(=男根)」などである。
銀魂 月とターミナル 129話(129話から)
そのためのメタファーが「たま」「神楽」「神子(定春)」であり、敗者・無念を残して死んだ人物を登場させることによって、鎮魂が行われている。
そして、この鎮魂は継承されなければならない。
日本人にとって大切なのは、この「魂」であり、この魂は次の世代へ継承されなければならない。
これは、親から子へ、子から孫へ、師匠から弟子へと受け継がれなければならない。
そのために、少女や少年は魂を受け継ぐために成長しなければならず、そこに必要なのが地域コミュニティーや指導者(インストラクター・師匠)である。

これは「歴史・文化・伝統」を守るということであり、まさにこれこそが「保守思想の本質」なのではないかと、思う。

さて、平成23年3月11日に東日本大震災が起こった。
これは、日本に大きな傷跡を残した。
今、日本に最も必要なのは「鎮魂」だろう。(韓流ブームではないことは間違いない、でしょ、フジテレビ……)
ここで、資料編29回目 「復興と桜と継承」 新聞から切り抜きを参照してください。

資料編で引いたように何故時期はずれの「桜」が咲くのか。
これは「桜」の回で見たように、その「桜」に「死と再生」の意味があったからではないのか。

資料編で引いたように、なぜ伝統の祭りが行われるのか。
これは、「祭り」の回で見たように、そこに「たまふり」や「鎮魂」の意味があるからではないのか。

資料編で引いたように、なぜ鎮魂の祭りは継承されなければならないのか。
これは、「継承」の回で見たように、「鎮魂」は次世代へと受け継がれていかなければならないからではないのか。

なぜ偶然にも「東京スカイツリー」が震災のあった同じ時に建ったのか。
「塔」の回で見たように、あれは「死と再生」「破壊と復興」の象徴となるためではないのか。

なぜ、いまここで「銀魂」を語ってきたのか。
そうこの物語には「死から再生」「破壊から復興」へのテーマがあるからに他ならないからだ。

桜と銀時

最後に銀さんから一言
「てめぇら、銀魂ついてるんだろうが!!!」
これ、結構深い思いがあると気付くはずです。


ということで、「銀魂」考、これにて終了です。
長かった……。

 | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

10 | 2011/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  └ 月別アーカイブ
        └ 2011年11月
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。