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子供の教育。フランソワ・カロンの「日本大王国志」から

フランソワ・カロンの「日本大王国志」(東洋文庫)に、江戸時代初期の日本人の子供についての記述がある。
これが興味深い。

第十九問(章)
子供の教育
彼らは子供を注意深くまた柔和に養育する。たとえ終夜喧しく泣いたり叫んだりしても、打擲(ちょうちゃく、意味:なぐること)することはほとんど、あるいは決して無い。辛抱と柔和を以て宥め、打擲したり、悪口したりする気を起こさない。子供の理解はまだ発達していない。理解力は習慣と年齢によって生じるものなるを以て、柔和と良教育とを以て誘導せねばならぬというのが彼らの解釈である。七・八・九・十・十一及び十二歳の子供が賢くかつ温和であるのは驚くべき程で、彼らの知識・言語・対応は(老人の如く)、和蘭(オランダ、注1)では殆ど見られない。丈夫に成長したといっても、七・八・九歳以下の小児は学校へ行かない。この年輩で修学してはならぬという理由で、従って彼らの一群は生徒ではなく、遊戯友達の集会で、これが教育に代わり、彼らは野生的にまた元気一杯になる。学校へ行く年齢に達すると、徐々に読書を始めるが、決して強制的でなく、習字もまた楽しんで習い、嫌々ながら無理にするのではない。常に名誉欲をうえ付け、名誉に関しては他に勝るべしと激励し、短時間に多くを学び、これによって本人及び一族の名誉を高めた他の子供の実例を挙げる。この方法により彼らは鞭撻の苦痛がもたらすよりも、更に多くを学ぶのである。
(以下略)
注1 オランダではほとんど見られない。日本の小児の天国であるとは、オランダ人のみならず、ヨーロッパ人の一致して言うところである。

フランソワ・カロンの経歴 [1600ころ~1673]滞日オランダ商館長。オランダ船員として来日、日本婦人と結婚。通訳となり、出島商館長を務めた。のち、東インド会社で東洋貿易に従事。カロンの著作は、江戸時代初期の日本の情勢を伝える貴重な書となっている。
そのカロンが、日本の子供とその教育に驚いたようだ。

昨今、日本国内でも幼児虐待事件が後を絶たない。中にはしつけと称して虐待を行うといったものもあるようだが、それは教育ではない。たぶん親も子供なのだろう。
どうも昔の日本は、大人も子供も「おとな」だった。そういった成熟した精神をもった社会を形成していたのではないか。
だが、こうした日本人が持っていたいい面も、いまは失われてつつあるようだ、そう思えてならない。
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ブルーノ・タウトが観た「相撲」

相撲を何気なく観ていたけど、面白かったな。
鶴竜のあの泣き顔のような表情や朴訥とした感じがいいよね。

さて、ブルーノ・タウトの「ニッポン ヨーロッパ人の眼で観た」(篠田英雄訳 春秋社)の中に相撲に関する記事があり、これがなかなか秀逸だったので書き起こしてみました。

昔風の唄や音楽を演じる寄席、街頭に設けられた天幕張りの小屋掛け、神社の祭礼に因んで建てられる野天の芝居小屋等もまたすぐれた伝統に属している。なかんずく祭礼の芝居興行では、伝統はまたしても神社崇拝と融合しているのである。
相撲場(注 ダウトは、1933年5月19日に、東京両国の国技館で相撲見物をした)の中央で肥大な肉塊が相打つのを二万の観衆が喧嘩しながら観ている有様は、上に述べた事物(注 先に能や芸妓などの日本の伝統文化)とはまるで反対の現象であるように見え、最初はやや野蛮な感じさえする、しかしこの興行物とても決して例外ではない。これは東京の国技館大相撲である。大入満員の広大な場内で数時間注意して見物すれば、ここにもやはりいろいろな関連が見出されるのである。オーケストラさながらの指揮下に応援している学生達の拍手のコンサートがあり、また双方の力士をそれぞれ声援する叫喚のコンサートがある。白(天)、黒(地)、赤(火)、及び緑(風)の四本柱で支えられた屋根の下で行われる肥大な両力士の力技は、決して粗野なものではない。彼らは十五分間も四股をふんだり見合ったりして仕切の前技を見せる、それは非常に緊張したものであり、これによって二人のうちのどちらかが神経質であるか、また力はあるにしても疲労しやすいかということが判る。角技そのものは、注意して見物する観客にとってはこのような観察の当否を証明するものでしかない、もし双方の神経の強さが同等であれば、知性的な顔をしている力士の方に賭ければ間違いない。
肉塊をもって相打つ角技であるが、力士にもやはり或る種の洗練と立会いの気品とが肝要なこととせられている、これは柔道や剣道あるいは弓道のような武技についてもまったく同様である。つまり大切なのは常に立派な態度であって、徒に相手を打ち負かそうとする興奮ではない。ある柔道の選士は沈着な態度だけで勝を獲ているように思われた、観る人は、彼の術や技を殆ど問題にしないのである。対手者が互いに交わす伝統的な敬礼は、競技を実に一つの社交的形式にすら化している、また一同が玉座の前で致す最敬礼は、すべての競技者を一の全体に結集する。蹴鞠の戯(注 ダウトは同年5月7日に京都の華族会館で蹴鞠を観た)は今日の蹴球の起源をなすものと思われるが、しかし現在の蹴球戦に見られるような醜態な面は絶対に現れることがない、およそ競技のなるものに対する実に高貴な模範である。蹴鞠は約一千年を経ているし、また装束はほぼ六百年前のものである。この見事な装束は、両腕を振りまわしたりするような下品な態度を拒み、またそれ故にこそますます沈着が肝要になるのである。それだから蹴鞠の名手は必ずしも年齢の若いことを必要としない。最も優れた視覚文化の意味において蹴鞠戯の示す美しさと優雅な社交的形式とを本義とするこのような伝統が、今なお維持されているところに、私は現代日本の最も重要な特性を見るのである。
現代の日本では、競技は本来の根本的性格を顕示している、この性格はアメリカと異なり、今日でも英国に培われているものとまったく同様である。アメリカに由来するスポーツは、あたかも古代ローマの剣闘士試合の如きものに堕し、またあらゆる不快な随伴現象をともなって群衆の加虐本能を煽りたてる手段になり果てた。アメリカでは、一切の文化が停止している。これに反して日本では、生活全体との関連が維持されているのである。

お~上手い文章だな。つくづく感心してしまう。相撲の中にも日本の美を見出し、米国的スポーツとは違うものだと主張している。
相撲が持つこういう一面も失わないでほしい、と願うばかりだ。

「ちはやふる」は国ほめアニメ

平成24年3月12日付け 日経MJ新聞に「ちはやふる」に関する記事が掲載されていたので引いてみた。

かるた漫画「ちはやふる」 ファン呼び込みへ大津市が実行委
競技かるたに取り組む高校生を描いた人気漫画「ちはやふる」に描かれた大津に漫画・アニメやかるた、百人一首ファンを呼び込もうと、市やびわ湖大津観光協会などは「ちはやふる・大津」キャンペーン実行委員会(脇博一会長)を設立した。アニメファンが訪れる“聖地”となるようアピールする。
ちはやふるは講談社の漫画雑誌で掲載中。コミックは15巻までに累計600万部を発行し、昨年テレビアニメになった。大津には百人一首第1首を詠んだ天智天皇をまつる近江神宮があり、かるたの各種大会が開かれ漫画にも登場した。
実行委は市や近江神宮・観光・市民団体や運輸・旅行・放送関係企業・団体の代表と、滋賀大学漫画倶楽部のメンバーが参加。まず近江神宮や最寄り駅などに登場人物入りの歓迎看板を設置。観光情報誌やホームページでもPRする。2012年度以降の関連商品企画に向けた知的財産権の調査・調整や、アニメファンの集まる地域の事例研究、市内ゆかりの百人一首15首を中心に和歌の調査も進める。

「ちはやふる」いいよね。競技カルタのルールは分からなくても十分に楽しめるのは、登場人物それぞれに背景があり、なぜ彼らがマイナーな「カルタ」をするのかが上手く描かれているからだ。ちょっとした対戦相手(小学生や中年女性など)や脇役(先生や家族)にもきちんとバックストーリーが描かれ、各々の言動理由の心理的描写(独白)も描かれるので共感(物語に入り込むための感情移入)がし易くなっている。それらが千早らの成長を促すように描かれている。ほんとこれはよく出来ている。私が創作やシナリオの先生なら教材に使いますよ。
ちはや かな
でもアニメは終了って。
もちろん2期やるよね。
このアニメが認められないなんて、世の中間違っている。

あ~、銀魂も夏目も終わって、「国ほめ」アニメが減っていく……。

「国ほめ」アニメの説明
1、和辻哲郎の「風土」 第五回目 日本の四季とアニメ
2、「アニメは日本文化を救えるか」シリーズ 第9回目 こんな感じでまとめる予定でした。
3、「銀魂」考 第3回鎮魂とカーニバル その3 「桜は死と再生の樹」と「国ほめ」

イチローは「帰国」であって、「来日」ではないのでは。

細かいことですが、気になったので記しておく。

TBSラジオの爆笑問題の番組をたまたま聴いていたら、「イチロー来日、イチロー来日」と何度も言っていて、あららと思った。
「来日」とは、「外国人が日本に来ること」を意味する。
日本人が日本に帰ってくるのに、ふつう「来日」という言葉は使わない。
まして、イチローは歴然たる日本人である。
ただ、マリナーズがアメリカの球団であり、そこに所属している者は当然アメリカ側チームであるから、その視点に立てば「来日」の言葉を使うことは間違いではないだろう。
もちろんそんなことは百も承知だ。
それでもただ、イチロー個人を話題にして、日本人が日本に帰ってくるのに「来日」の言葉を使うことに違和感を覚えるということだ。
ネットで調べてみると、「イチロー来日」という言葉を使う新聞と、「イチロー帰国」という言葉を使う新聞がそれぞれあるから、各々の判断で使っていることが分かる。(これが面白い)
上手い使い分けだったのが、ディリースポーツだった。

今月28、29日に東京ドームで、アスレチックスとの今季米大リーグ開幕戦を迎えるマリナーズの選手、監督、スタッフら一行が23日夜、成田空港着の航空機で来日した
 イチロー外野手、岩隈久志投手、川崎宗則内野手の日本人3選手もメンバーの一員とした帰国した。 マリナーズは開幕前の25日に阪神と、26日に巨人とオープン戦を行う。(2012年3月23日)

マリナーズとして来日、イチローら日本人選手は帰国、としている。
お~、新聞社やマスコミならこのくらいの考慮があってしかるべきだろう。

言葉一つでいろいろ考えさせられた。

日本は韓国の文化植民地に成り果てたか?

朝からテレビを見ていて、気持ち悪くなった。
TBSのみのもんたの番組では、東方神起を見て元気になったとアンケートの紹介があり、その後の「はなまるマーケット」では、「IKKOさんと新大久保に行っこう!」とかなんとかで思い切り「韓流特集」をやっていた。どこの局もちょこちょこ「韓国ごり押し」を挟んでくるのでイライラする。
ムカついたので、BSにしたら、これが相変わらず韓国ドラマだらけ。ほとんどが通販と韓流って、BSって存在価値ないわ。
そして、気になったのは朝鮮王朝モノが増えていることだ。
番組表から拾ってみると、BS日テレの「王と妃」「王妃チャン・ノクス-宮廷の陰謀-」、BS朝日「太祖王建[テジョワンゴン]」、BSNHKの「トンイ」、「朱蒙」、BSフジ 「幻の王女 チャミョンゴ」などなど、他に歴史モノもあるだろう。(朝鮮王朝が今も続いていたらみたいなトレンディードラマもある)
過去記事「NHK大河ドラマ「平清盛」が王家にこだわるのは、その後に韓国王朝を描く「イ・サン」があるからだ。それは「王家」と「皇室」を同列にしたいため。…などなどいろいろ勘繰ってみる」でも書いた通り、こういやって朝鮮王朝をこぞって放送する意図はなんなのだろうか。天皇陛下のご病状とともに今後増えることだろう。
過去記事「「日本人は土人だ」と罵った浅田彰、それを叩いた谷沢永一

それじゃ~、動画サイトでバラエティ番組でも見るかと思い、「もやもやさま~ず」で川越の特集があったと聞いたので、探してみて見た。
そして唖然とする。
川越 ハングル
川越駅にハングル文字が……。
そして、観光案内板にもハングル文字が……。
「小江戸」なのに、ハングル文字が踊る街って、どういうことよ。
いくら韓国からの観光客が多いからって、街中をハングルで埋め尽くさなくっても、いいじゃんねの。欧米人観光客がこれを見たら、日本は朝鮮のハングル文字を使うんだと思うだろうよ。(アジア人の顔なんてみんな同じに見えるのだから、民族の区別は文化で見分ける。その基本は文字だ。そういうことが分かってないのか)
川越は江戸情緒や日本的風景を売りにしているのに、これじゃ本末転倒だよ。朝鮮文字が氾濫しているんじゃ日本の観光地としての雰囲気が丸つぶれじゃないのか。
これじゃ天海さんも泣くよ。(新田氏関連の調べモノで、昔よく喜多院に行ったけど、今はこんな韓国ごり押しみたいな街に行きたくない。)

で、これについて検索してみると、「姉妹都市を独断で打診 小江戸川越観光協会が韓国側に」などという記事が出てくる。
http://pub.ne.jp/threeforest/?entry_id=1644183
なるほど、こういう経緯があったのか。(川越ってどんだけ韓国好きなんだよ)

いま日本各地の観光地は、韓国人観光客を当て込んで「ハングル文字」の案内板や朝鮮人に合うような施設を作っているという。
そのうち、民主党が言うように「韓国の祝日に日本に来てもらうために、日本人は邪魔になるから重ならないように日本人の祝祭日を変えよう」なんてことにも成りかねない。
過去記事「いま日本は滅亡の危機なのか? 何かおかしくないか? 
(白真勲とかこういうのが日本の国会議員だというのだから、悲劇というほかない)
「韓流ブーム」もカネになるからいいじゃないという安易な受け入れが、いつの間にか韓国・朝鮮文化汚染を受けることになる。
韓国人がネットにこう書きこんだ。「日本は韓国の文化の植民地になった」と。
日本のテレビを見て、観光地を見て、彼らはそう確信し、高笑いしているだろう。
もうイヤだ。寛容も大概にしないと、自国の文化を奪われるぞ。

神社とは。 ガンプラとシュタインズ・ゲートと砂川神社訴訟

平成24年3月2日 上毛新聞から、「おっ」と心を惹かれた記事だったので抜いてみた。

プラモのルーツは家康?
翌日は徳川家康を祭る久能山東照宮を参拝した。2010年末に社殿などが国宝に指定されてから参拝者が急増。ことに昨年は50年おきの漆塗り替え作業が完了し、今が一番美しい輝きを放っている時期だ。境内に葵の御紋をまとったガンダムのプラモデルが陳列されている。
「静岡に多くのプラモデルメーカーが集まるのは、元をたどれば東照宮がきっかけ」と解説するのは姫岡恭彦権宮司。東照宮造営のため全国から集められた腕のいい宮大工や漆職人、飾り金具職人たちの一部は、造営が終わっても静岡の地にとどまった。それが模型産業の基になったというのだ。

「バンダイ」が徳川家康公をモチーフにした「機動戦士ガンダム」の新作プラモデルを奉納し、それが境内に展示されているとあった。
ガンダム
家康公が身につけたと伝わる黄金色の甲冑姿をしているという。
過去記事「武人埴輪からガンプラへ。日本人は昔からこういうモノにワクワクしていたんじゃね。」でも書いたように、ガンプラは埴輪までさかのぼれるのではないかというのが私の考えだが、何はともあれ、「日本文化」(技や技術、美意識)は現在も連綿と、形は変えながらも受け継がれているということだ。

さて、検索するともう少し詳しい新聞記事があった。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/feature/shizuoka1297494125514_02/news/20110212-OYT8T00424.htm

バンダイだけでなく県内は、「タミヤ」「青島文化教材社」「ハセガワ」など、世界トップクラスの模型会社が集積するが、源流は江戸期に遡るとされる。天下を取った徳川家康は、全国から腕利きの職人を呼び寄せて駿府城を築城。2代将軍秀忠は、久能山東照宮を建設し、精緻な木彫りを施して家康の霊廟(れいびょう)を収めた。
 大規模な公共工事が一巡した後も、一部の職人は定住。技巧を生かして漆器やひな人形作りなどに転じ、木工産業の隆盛につなげた。昭和初期には木製の模型飛行機を製造し、戦後は素材をプラスチックに変えて、黎明(れいめい)期のプラモデル産業に進出。「何を使い、何を作るか……」。世相の変化を敏感に嗅ぎ分けつつ、職人たちの工夫は続いた。
 ガンプラは、静岡市葵区長沼の「バンダイホビーセンター」で生産される完全な「メード・イン・静岡」だ。工程はほとんど無人で、「多色成形機」17台が24時間体制で稼働する。色や素材の異なるプラスチックを約20秒で「ランナー」と呼ばれる1枚の部品パネルに加工し、1日1万個分を作る。
 「世界で唯一」のハイテク設備だが、プラスチックの成形に使う金型は熟練工が仕上げる。最新の素材は、薄いプラスチックに顔料を混ぜる。岸山リーダーは「光が透けない工夫。存在感が増す」と説明する。最新技術の中に、匠の技と工夫が脈々と息づく。
 テレビシリーズで人気を集めたガンダムだが、放送のない年も毎年必ずガンプラの新商品を出し続けた。値段は今も30年前と同水準の315円からで、子供でも作れるよう接着剤なしのはめ込み式だ。地道な営業努力もあり、親子2代のガンプラファンも珍しくない。00年には海外に販路を広げ中国や韓国、シンガポールなどアジアを中心に10年間で計約2500万個を売った。
 芳賀准教授は、「プラモデルは今、大人の遊び。子供世代や海外へ活路を求める時、静岡ゆかりのガンダムは『ホビー大使』の役割が期待できる。静岡の懐の深さだ」と指摘する。(2011年2月12日 読売新聞)

なるほど面白い。「ガンプラ」一つで日本文化・歴史、伝統、技術を語れるというところが。

そして重要なのは、これが「神社を介して伝わっている」ということと、ガンプラを「神社に奉納」しているという点だ。
キリスト教、イスラム教、仏教(日本仏教以外の)など他の宗教では、まずこんな光景は見られないだろう。なによりも厳格な宗教では偶像崇拝を禁止しているだろうが、それでも、己の神をこのような形にしたものを寄付されても決して受け取ることなどないだろうし、場所によっては神様を侮辱する行為となり罰せられることになるだろう。
だが日本人は別にこれを変な話だとは思わない。(笑い話にはなっても、怒りだす人はないだろう)
こんな話一つとっても、神道や日本人が実に不思議な宗教観を持っているということが分かるであろう。

さて、神社に奉納というので思い出したのが、アニメ「シュタインズ・ゲート」だった。
秋葉原を舞台にしたタイムトラベルモノのSF、萌えやオタクもふんだんに盛り込まれるいかにも現代的アニメだが、ここにも面白いことに「神社」は登場する。それが浮いた存在でもなく、渾然一体となってこの物語に溶け込んでいる。
シュタゲ(アニメで描かれる柳林神社。モデルは「秋葉神社」というらしく、聖地になっているとかなっていないとか)
今のアニメには「神社」(それに関連して巫女や鳥居、また境内など)が多く描かれている点はこのサイトで散々書いてきた。
過去記事で。
1、「ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その8  「神道」5 神社と日本人、そしてなぜアニメに神社が描かれるのか」 
2、神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!
あたりで。

そして、この「シュタインズ・ゲート」では、「IBN5100」という古いコンピューターが奉納されるという話が出てくる。これがこの物語では重要な役割を果たす小道具となっている。
ここで注目したいのは、コンピューターを神社に奉納するという行為そのもの。そこが実に興味深い。(そう感じるは自分だけなのか?)
奉納ですよ、骨董品のようなコンピューターを……。
そしてもっと特異な点は、日本人はこれを不思議なことだと思わないことだ。(誰もここに突っ込まない)
「シュタインズ・ゲート」は海外でも人気のアニメ(ゲーム)であるから、外国人もこの場面を知っているはずだが、どう思うのか。果して、この「日本人的感覚」を理解できるのだろうか。(だれか訊いてみて!)
キリスト教徒が教会に古いコンピューターを奉納(寄付)するだろうか、イスラム教徒がモスクにこれを預けるだろうか、これは絶対にない。(IBN5100に金銭的価値があれば話は別だろうが)
要は、ここで言いたいことは、日本人は大事なものを「神社」に奉納するこという行為そのものに、何の違和感も持たないということだ。
奉納は「氏子・檀家が神仏を敬い、また鎮め愉しませる目的のため、人々にとって「価値のあるもの」を供物として神仏(お墓なども含む)に捧げる宗教的な行為のことをいう。」とWikipediaに説明がある。(この説明文は上手い)
シュタゲの場合は、未来のために大事なものを預かってもらうという形であるが、あくまでもこれを「奉納」と言っている。
物語の中盤はほとんど「IBN5100」を巡って話が展開されている。このコンピューターが、登場人物たちに影響を与え、未来人の人生も変わり、果ては日本の国全体の将来をも変えるほどの大事なものになる。それほど大事なものが「神社に奉納」されていたという形で描かれている。
これが別に、銀行の金庫や大地主の蔵の中にあっても物語上何の支障もない。だが時空を巡る物語なので、「とき」と「ところ」が不変である場所が必要となろう。となれば、それが「神社」となるのだ。だから、日本人がこの物語を見ていて、そんな大事なもの(価値あるもの)が神社に奉納されていても何の不思議にも思わないのだ。神社は過去・現在・未来をつなぐ「場所」だということだ。(いつも思うのだが、日本人のタイムマシーンの「ゲート」は神社になるはずだ。これは別の話で、後につなげる)
地震が起ころうが、社会変革が起ころうが、株価が暴落して日本経済が壊滅しようが、「神社」は必ずそこにあるということを日本人は確信している。つまりこれは日本人が神社に大きな信頼を寄せているということに他ならない。この信頼感は深く、心の奥底で強く結ばれているのだ。(しかも自分でも気が付かないような、無意識のうちに……)
ブルーノ・タウトは神社と日本人の関係についてこう言った。
「近き将来にこの国にいかなる政治的経済的発展が行われようとも、典型的日本の今日もなおかくも活発な文化的生命を鋏をもって切り取り、捨て去ってしまうというようなことは全然不可能であるし、また極めて有害なことであろうと思うのである。」

となれば、バンダイが家康を象ったガンダムを神社に奉納するという行為も、とても意味深いものになるはずだ。
過去からの技術、技、そして美意識が現在に受け継がれ、それが未来へもつながっていこうという願いが込められているということだろう。
それをつなぐのが、「神社」なのだ。
神社に日本人の魂が込められている、そこに日本人の源があるとか、言われるがそれはこういう意味なのではなかろうか。

さてさて、「砂川神社訴訟」で、新しい判決が出ていた。
当ブログでも何度か取り上げてきたもので、いわゆる「神社は憲法違反か」というものを問う裁判だった。
過去記事 1、「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。
その裁判結果が、「北海道砂川市が法人格のない神社に市有地を無償で提供してゐることが憲法の政教分離原則に違反するかが争はれた訴訟の差し戻し後の上告審で、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は二月十六日、原告住民側の上告を棄却する判決を言ひ渡した。」となり、違憲状態ではないとなったようだ。当然のことだろう。
産経新聞 平成24年2月16日の記事から。

政教分離訴訟、住民側の敗訴確定 最高裁も砂川市の提案評価
 北海道砂川市が市有地を空(そら)知(ち)太(ぶと)神社に無償提供していることが憲法の政教分離原則に違反するかどうかが争われた訴訟の差し戻し上告審判決で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は16日、市側が提案した有償での貸与案などについて「違憲性の解消策として合理性を有する」として、違法確認を求めた住民側の上告を棄却した。住民側敗訴とした札幌高裁の差し戻し控訴審判決が確定した。裁判官5人の全員一致の結論。
 市有地提供をめぐっては、1、2審判決とも違憲と判断。最高裁大法廷は平成22年1月、違憲状態と判断した上で撤去や明け渡しでない現実的な解決を求め、2審判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。
 差し戻し控訴審で、市側は、市有地に立つ町内会館にある祠(ほこら)を同じ敷地内の鳥居付近に移し、一角を年約3万5千円で氏子側に提供するなどと提案。控訴審判決は「解決策は合理的かつ現実的」として、住民側の請求を退けていた。
 同小法廷も、こうした市側の提案を評価し、解決策が実施された場合には「一般の人から見て、市が神社に対して特別の便益を提供し、援助していると評価されるおそれがあるとはいえない」と判断。また、「直ちに撤去させると、平穏に行ってきた祭事などの宗教活動の継続を著しく困難にする」と指摘した。
 砂川市の善岡雅文市長は「市が主張した解決策について、適切に判断いただいた」とコメント。原告側は会見で「明け渡し以外の手段では、違憲状態は解消されたとはいえない。納得できない判決だ」と述べた。

(空知って、「銀魂」の原作者・空知英秋の出身地だったとところか……)
「神社は憲法違反だ」なんてほざいていた似非キリスト教徒の悔し涙が目に浮かびますね。そんなに日本を壊したいか!

これに関して「神社新報」にいい記事が載っていたので転載しておく。
http://www.jinja.co.jp/news/news_005663.html

さらに係る神社での祭典についても、「主として地域住民の安らぎや親睦を主たる目的として行っているものであり、神道の普及のために行っているものではないと推認」した上で、多数意見は日本人一般の感覚に反する、として合憲判断を示してゐることは注目に値する。
 今回の訴訟によって各地で「違憲の疑ひ」がある施設探しがあり、一部の地域では混乱も起こった。最高裁の判決でも、空知太神社の祠や鳥居の撤去は氏子らの「信教の自由に重大な不利益を及ぼす」として、原判決を取り消し、それ以外の解決法を検討するやう促してはゐたのである。
 しかし神社だけでなく公用地に建てられたさまざまな宗教施設は文化財や観光資源としての要素も含め、広く公益性を持ってゐることは明らかだ。にも拘らずこれらに公用地が無償貸与されることが一律に違憲とされてしまっては、結果的に混乱が生じることは必至だと本紙は訴へてきた。わが国での厳格な政教分離は不可能なのである。
 私たちは、神道をはじめとするわが国の伝統的な宗教が持つ公益性に包まれた素朴な信仰を護ってきた。今回の判決で課題は残ったとはいへ、神社撤去には至らず、たとひ最小限でも次世代に継承の道を残した意義は大きかったと見るべきであらう。

この一文にこれ以上付け加えることはない。

「日本人は土人だ」と罵った浅田彰、それを叩いた谷沢永一

前回の「今谷明」の本を引いたときに出てきた「日本国民を「土人」と呼んだ浅田彰」の話は、谷沢永一の「こんな日本に誰がした―戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状」(クレスト社)に詳しく載っていた。
谷沢永一
今後のためにも、参考としてその箇所を引いておきます。


昭和63年、昭和天皇が病床に就かれ、多くの人が陛下のご平癒を祈って宮城を訪れ、記帳した。その光景を見た浅田彰曰く、
『連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです(「文学界 平成元年二月号)』
浅田は、昭和天皇のご平癒を祈っている日本人を「土人」と呼んだ。
昔、「冒険ダン吉」という有名なマンガがあった。そこに土人が出てきたことを思い出す。つまり土人というのは今日の言葉でいえば、未開人、野蛮人である。文化の洗礼に浴していない愚かな民、冒険ダン吉によって統率されなけらばなにもできない、「つまらんちん」の連中のことだ。それが日本国民であるというのである。
(中略)
(高村光太郎「道程」の「根付の国」を引用して)……こういうふうに日本人を思い切り罵る日本人がいた。同時にこれを読んでそうだそうだと同感し、自分は一般の日本人とは違う高度な知識人なのだと自惚れて喜ぶ読者にも事欠かなかった。
日本の文化人が自国民を罵った歴史は乏しくない。しかし、「土人」とまで罵ったのは、史上、浅田彰をもって初めとする。もちろん言論の自由は私も尊重する。だから、どうおっしゃろうと本人がそう信じているのであれば、それはそれでよい。ただしそれならそれでよい。ただしそれなら、その「土人」が奉納した税金で賄われている京都大学の月給で生きていくようなことはおやめなさい。
卑しい愚かな土人が汗水を垂らして稼いだ収入から税務署に取られている金で、京都大学は運営されている。浅田は、その経済研究所の助教授だ。きっと「土人」の汚らしい金で食事もすれば、五臓六腑が爛れて死んでしまうに違いない。命ながらえたいと思うなら、一刻も早く京都大学助教授の職を辞するべきだ。そして独り立ちして、自分の二本の足で立って「土人」の世話にならず生きるがいい……。
こういう人物を、大江健三郎は「天才的な文化英雄」と呼んでいるのである。

浅田彰はいま、京都造形芸術大学大学院長の職にある。私立大学といえども、国や地方から補助金が出ている。このカネの源泉は、浅田の言うところの「土人」の税金である。浅田に限ったことではないが、日本人の血税で、反日の大学センセーをせっせと養っているのだ。そこから反日思想の学生を生みだし、やがて彼らがマスコミ人や言論人、文化人、教師となって、反日思想が伝播されていく。自分らの稼いだお金で、自分らを否定するような人々を養育していくとは、何という矛盾なのか。挙句、「土人」呼ばわりって……。

さてさて、過去記事「東日本大震災から1年か……。」でも触れたように、国が一つにまとまろうとすると、必ずそれに反発するような輩が湧き出てくる。「同調圧力だ」「国民がまとまると軍国主義になり、戦争を引き起こす」と声高に叫ぶエセ学者や自称文化人らだ。浅田彰の「土人」発言もこれに属するだろう。 
こういうことを言うことが「カッコいい」時代だった。自分を高みにおいて、知識をひけらかし、一般庶民をコケにすることが、「文化人」の証だと思われた時代だった。自国の歴史、文化、権威をひたすらにバカにして、あげくの果てに己の国の人々までも嘲笑う、嫌な人種が持て囃された時代だった。
まさにこれが戦後民主主義の絶頂期だった。陛下の代替わり、昭和末期から平成初期への時代の変わり目が、社会構造の変革期だと、サヨクは見て取ったのだろう。そういえば中国・韓国が靖国問題、慰安婦問題を蒸し返し、特定アジアの反日行動が活発化したのもこの時期だった。そして、朝日新聞が昭和天皇の戦争責任を執拗に追及し、皇室批判を行ったのも時期だった。(皇室への敬称を一切使わないとか、皇后陛下バッシングとか、日の丸・君が代・元号の廃止論展開とか)
そして天皇を否定し、日本と日本人を悪しざまに言い、それを海外に発信し続けた大江健三郎がノーベル賞をもらったのもこの時期だった。
そんな時代に、谷沢永一はこんな戦後民主主義勢力を大いに叩いた。それは猛毒を吐くものだった。
「こんな日本に誰がした―戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状」はこの時代に大江健三郎や朝日新聞がやってきた反日的言動を克明に記載している。いま読むとあの時期に何があったのかが良く分かる。

さて、その谷沢永一も去年(平成23年)の3月9日に亡くなった。それは東日本大震災の2日前だった。
過去記事
舌鋒鋭い谷沢氏が生きていたら、いまの震災後をどう語ったか。
きっと「自粛ムードは軍国主義だ」とほざく偽文化人をバッサリ斬ったに違いない。
毒舌の保守派はいつの時代も必要なのだ。

「皇室制度に関する有識者ヒアリング」って、どっちにしても人選で決まるよね。

平成24年2月29日付け、産経新聞から。

「女性宮家」創設めぐる初ヒアリング
 政府は29日午後、女性皇族がご結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」創設に向けた皇室典範改正を検討するため、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」を首相官邸で開く。初回のこの日はジャーナリストの田原総一朗氏と今谷明帝京大特任教授から意見を聴く。
 女性宮家の創設にあたっては、対象を天皇の娘、孫娘にあたる「内親王」に限るか、当主のご結婚相手の男性や生まれた子供を皇族とするか、新たな宮家の創設以外に皇室活動を維持する方策はあるか-などが主な論点となる見通し。
 政府は今年夏ごろまで月1、2回のペースでヒアリングを行った上で、国民の意見を募る「パブリックコメント」を実施。早ければ今秋の臨時国会への皇室典範改正案提出を目指す。
 3月中旬の第2回会合では山内昌之東京大大学院教授と大石真京都大大学院教授からヒアリングする。

なぜ田原総一朗? そして、なぜ今谷明?

今谷明や網野善彦らは中世・南北朝時代の歴史を調べるには外せない歴史家である。しかしその著作群を読むと、皇室への敬愛の念が感じられないので、思想的には受け容れることができない。(特に網野善彦は、自分でも公言しているようにマルクス主義者)
ただ、今谷明は象徴天皇制の肯定派であり、中世の天皇・皇室には詳しいことは間違いない。しかし、なぜ1回目でこの人なのか、と疑問が湧くのだ。(田原総一朗は論外)
今谷明著「天皇家はなぜ続いたか」(新人物往来社)から引いてみましょう。

1988年の前天皇の発病以降、世の中あげて天皇シンドロームというべき状況に陥った。プロ野球のセリーグで優勝した中日が祝勝会に於けるビールのかけ合いを取り止めたのをはじめ、いわゆる自粛現象が社会全体をおおって異様な雰囲気が漂った。宮城二重橋前には、雨天にもかかわらず万を以て数える人々が押しかけ、浅田彰氏をして「自分は何という土人の国にいるのだろう」と言わしめたのである。ある程度予測されたとはいえ、このような状況を眼前にして、改めて戦後民主主義の危機と受け止めた向きも多かったようである。各学会でも右の状況に刺激を受け、天皇制をめぐる議論が活発化し、京都に本部を置く日本史研究会は、室町・江戸期の天皇制を取り上げてシンポジウム等の特集を組んだ。天皇権力の衰退期と考えられていた室町・江戸期にこそ天皇制の本質が潜んでいると看破した同研究の見通しは極めて的確なあものであった。(中略)
天皇家は、かろうじて足利氏による纂奪を逃れた。(中略)その利用価値を見出された天皇の地位とは、一言で言えば権力は持たないが、ある種の権威を持つという存在である。それは今日的にいえば、“象徴天皇制”の一種と呼んでもよかろう。戦後GHQが天皇制を廃止し得ず、苦肉の策としてあみ出した象徴天皇制の伝統がーーもし前近代にそれがあるとすればーー義満以後の天皇、具体的にいえば当時の人物で百一代目の後小松天皇以降であろう。

戦後天皇制への座視
右のように見てくると、近現代史上に於ける天皇制最大の危機は1945年の敗戦であったということにならざるを得ない。
そこでGHQによる選択として、天皇制改変には種々の可能性があったといえよう。しかし、天皇制の命運は、依然として国民の手に非ずして、マッカーサーというカリスマ的権威に握られていた。国が破れ、数百万の国民が犠牲になったのであるから、その衝撃は承久の変どころではなかった。しかし、驚くべきことに、天皇は島流しにもならなければ、出家も退位もしなかった。承久・元弘と国を破った天子は流刑、応仁のように責任がなくとも治天が出家するというのが中世に於けるルールであった。承久の土御門は、面責されてはいたが自ら望んで土佐の配所へ赴いた。このような「帝王不徳の責」を引かねばならぬとするルールがあったからこそ、天皇制が曲がりなりにも存続してきたとも言えるのである。
従って、1945年の天皇免責は、天皇史上類例のないルール破りであり、歴史の教訓を全く無視した処置であった。国際状勢によっても影響されていたとは言い条、このような処置を呑まされた国民の悲劇でもあった。今なお天皇の戦争責任問題がくすぶるのは、このためである。
(中略)
中世史家が現代天皇制を云々するのは、僭越を通り越して夜郎自大である。(中略)歴史家が政治に影響を与え得る時代など、むしろ不健全であり、危険である。歴史家の発言に、あまり社会が関心を払わなくなった昨今のような時代には、最善とは言わないまでも、無難であり、次善と言うべきであろう。

つまり、昭和天皇崩御の自粛ムードを批判的に捉え、戦争責任を追及すべきと唱え、引いては島流しにすべしと主張し、象徴天皇制はアメリカの押しつけであって、行間を読むと「天皇制」はない方がいいというニュアンスがひしひしと伝わってくる。サヨクとまでは言わないが、「戦後民主主義」の思考にどっぷりと浸かっているのである。
そして、笑ってしまうのは、歴史家は政治に首をつっ込んで、「天皇制」云々を語ってはいけないと言っているが、今回はまさに己の信念を違えて、そこに口を入れている。言ってる事が違うじゃないか。(ここではあえて「天皇制」という言葉を使っています)
今谷明のような「天皇制」肯定派の学者であっても、その心の奥底どこか皇室に対して否定的なものを感じるのは、戦後日本の「進歩的文化人」的な思想が充満していた時代を過ごした学者には、いまだにその思考がびっしりと頭にこびりついているからだろう。いま以ってこの思想は形を変え、社会学者や憲法学者や経済学者、評論家や文化人や言論人に受け継がれている。アカデミックな世界では皇室否定が圧倒的だろうから、そこから選ばれる有識者などに意見を求めても、皇室存続を願う人などほんと少数じゃないだろうか。(悲しいがそれが事実だ)
そのうち、民主党のことだから、皇室と日本人を呪詛し続ける大江健三郎あたりがヒアリングに呼ばれて「皇室廃止」を訴えることになるんじゃないのか。

それにしても、皇室典範に関する有識者会議のメンバーもヒドイけど、有識者に意見を聞くのであれば、もう少し「皇室」に敬意を払う人にして欲しいものだ。

東日本大震災から1年か……。

3月11日。あれから1年ですか、早いですね。
自分の去年のブログ記事を読み返して、いろいろ思い出してしまいました。
過去記事
1、ブルーノ・タウトの言葉を信じれば、東日本大震災からの復興は成し遂げられる。
2、東日本大震災で思うこと。 「自粛ムード」反対する人たちって
3、グチ2。 節電、節電と唱えているのなら、まず下らないバラエティー番組や韓国ドラマばかり放送するテレビ局こそ放送するな。
4、いま日本に必要なのは「ディズニーランド」でも「パンダ」でもない。「祭り」や「年中行事」「花見」こそいま行われるべきなのだ!
それにしても、震災があって数日しか経っていないのに、すでに自粛ムードを批判する者どもが湧き出ていたんですね。
「自粛すると、景気が落ち込み、被災地に届く金も減る。景気対策のためにも、どんどんお金を使おう」的な論理を展開した人達が結構いた。どうですか?1年経ったけど、こんな人達ほど、もう何もなかったように忘れてますよね。義援金を送るにはまず景気回復なんて、それらしい事言っても、そんなの口だけだって、その時からみえみえだった。まあ、言うなれば「現実逃避」でしょうが。義援金、東北の景気なんていいつつも、守りたかったのは自分の生活(日常)だったんでしょ?
そんなことを大声で言っていたホリエモンも今は刑務所の中だけど……。

そして、「絆」や「一つになろう」なんて聞くと、たちまち「同調圧力だ」「国民の一致団結は軍国主義につながる」なんて言っていたバカな学者やエセ文化人も多くいた。これも震災が起こって1カ月も経っていなかった。こういうボンクラサヨクが湧き出たのも震災後だった。
ほんとうにこういう人達、どうにかして欲しい。

さてさて、愚痴ばかり言っても仕方ないので、寺田寅彦の随筆から、引いてみましょう。
随筆集の第4巻・「銀座アルプス」から。(ここでは、「青空文庫」からそのままコピペ)

しかしもし自然の歴史が繰り返すとすれば二十世紀の終わりか二十一世紀の初めごろまでにはもう一度関東大地震が襲来するはずである。その時に銀座の運命はどうなるか。その時の用心は今から心がけなければ間に合わない。困った事にはそのころの東京市民はもう大地震の事などはきれいに忘れてしまっていて、大地震が来た時の災害を助長するようなあらゆる危険な施設を累積していることであろう。それを監督して非常に備えるのが地震国日本の為政者の重大な義務の一つでなければならない。それにもかかわらず今日の政治をあずかっている人たちで地震の事などを国の安危と結びつけて問題にする人はないようである。それで市民自身で今から充分の覚悟をきめなければせっかく築き上げた銀座アルプスもいつかは再び焦土と鉄筋の骸骨の砂漠になるかもしれない。それを予防する人柱の代わりに、今のうちに京橋と新橋との橋のたもとに一つずつ碑石を建てて、その表面に掘り埋めた銅版に「ちょっと待て、大地震の用意はいいか」という意味のエピグラムを刻しておくといいかと思うが、その前を通る人が皆円タクに乗っているのではこれもやはりなんの役にも立ちそうもない。むしろ銀座アルプス連峰の頂上ごとにそういう碑銘を最も目につきやすいような形で備えたほうが有効であるかもしれない。人間と動物とのちがいはあすの事を考えるか考えないかというだけである。こういう世話をやくのもやはり大正十二年の震火災を体験して来た現在の市民の義務ではないかと思うのである。

書かれたのは昭和8年。ここでいう震災とは「関東大震災」。まさにこのまま今回の東日本大震災に当てはまるような記事だ。本文に「大正十二年の震火災を体験して来た現在の市民の義務ではないかと思うのである。」とあるように、平成23年の震災を経験した国民の義務として、これを後世に伝えていきたい(自分の出来る範囲で)と、心を新たにした。

まあ、日本が一つにまとまることが嫌な人たちには関係ないことだろうけど……。

地球物理学者・寺田寅彦から見た日本神話が秀逸だった件

今年は『古事記』が編纂されてから1300年の節目にあたるということで、これに関連した新聞記事を多く見かけるようになった。
個人的にはこういう記事が好き。

お遊戯会で「古事記」 西大和保育園児ら熱演 奈良
「古事記」などをテーマにしたお遊戯会が18日、王寺町の白鳳女子短大で開かれ、西大和保育園(河合町)年中組の園児ら14人が古事記ゆかりの演劇「国生み」を熱演した。
 古事記編纂(へんさん)1300年事業が県内各地で行われるなか、同園は今年から関連する神話の読み聞かせに取り組んでいる。淡路島や九州など馴染みの地名が登場する「国生み神話」に園児たちは興味を持ち、自らお遊戯会の演目として提案したという。
 1カ月かけて練習を重ねてきた園児たちは、イザナギやイザナミなど5役を分担。島々を生み出すエピソードや亡くなったイザナミを追って黄泉(よみ)の国に行ったイザナギが、地上に逃げ帰る場面などを熱演すると、客席から大きな拍手が送られた。
 イザナミ役を演じた岩城美羽(うるは)ちゃん(5)は「古事記は不思議なことがいっぱい書かれていておもしろい。きれいな衣装も着ることができて楽しかった」と笑顔で話していた。(平成24年2月19日 産経新聞)


さてさて先日、寺田寅彦の随筆集を読んでいたら、地球物理学から見た日本神話といった内容のものが出てきた。これがすこぶる面白い。そこでいつものように書き起こしてみました。(書き起こした後で、「青空文庫」を見たらも、すでにネットに上がっていました。)
寺田寅彦 第4巻(「神話と地球物理学」が掲載されているのは第4巻)
この章は3つに分けられ、神話も和辻哲郎・風土論的解釈をすればこうなるのかなという前半部分、日本神話を地球物理学的に解釈した中盤部分、そして、「わが国の民族魂」のために神話を研究すべきと訴える後半部分から成り立っている。
私的に面白いのは前半と後半部分。後半に出てくる「きのうの出来事に関する新聞記事がほとんど嘘ばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えに中に貴重な事実が含まれている場合もあるであろう。」という表現が面白いなぁ。

神話と地球物理学
われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していることである。たとえばスカンジナビアの神話の中には、温暖な国の住民には到底思いつかれなそうな、驚くべき氷や雪の現象、あるいはそれを人格化したと思われるような描写が織り込まれているのである。
それで、わが国の神話伝説の中にも、そういう目で見ると、いかにも日本の国土にふさわしいような自然現象が記述的あるいは象徴的に至るところにちりばめられているのを発見する。
まず第一にこの国が島国であることが神代史の第一ページにおいてすでにきわめて明瞭に表現されている。また、日本海海岸には目立たなくて太平洋岸に顕著な潮汐の現象を表徴する記事もある。
島が生まれるという記事なども、地球物理学的に解釈すると、海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起によって海中に島が現われあるいは暗礁が露出する現象、あるいはまた河口における三角州の出現などを連想させるものがある。
なかんずく速須佐之男命に関する記事の中には火山現象を如実に連想させるものがはなはだ多い。たとえば「その泣きたもうさまは、青山を枯山なす泣き枯らし、河海はことごとくに泣き乾しき」というのは、何より適切に噴火のために草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる。噴火を地神の慟哭と見るのは適切な比喩であるといわなければなるまい。「すなわち天にまい上ります時に、山川ことごとく動き、国土皆震りき」とあるのも、普通の地震よりもむしろ特に火山性地震を思わせる。「勝ちさびに天照大御神に営田の畔離ち溝埋め、また大嘗きこしめす殿に屎まり散らしき」というのも噴火による降砂降灰の災害を暗示するようにも見られる。「その服屋の頂をうがちて、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るる時にうんぬん」というのでも、火口から噴出された石塊が屋をうかがって人を殺したということを暗示する。「すなわち高天原皆暗く、葦原中国ことごとくに闇し」というのも、噴煙降灰による天地晦冥の状を思わせる。
「ここに万の神の声は、狭蝿なす皆湧き」は火山鳴動の物すごい心持ちの形容にふさわしい。これらの記事を日蝕に比べる説もあったようであるが、日蝕のごとき短時間の暗黒状態としては、ここに引用した以外のいろいろな記事が調和しない。神々が鏡や玉を作ったりしてあらゆる方策を講じるという顛末を叙した記事は、ともかくも、相当な長い時間の経過を暗示するからである。
記紀にはないが、天手力男命が、引き明けた岩戸を取って投げたのが、虚空はるかにけし飛んでそれが現在の戸隠山になったという話も、やはり火山爆発という現象を夢にも知らない人の国には到底成立しにくい説話である。
誤解を防ぐために一言しておかなければならないことは、ここで自分の言おうとしていることは以上の神話が全部地球物理学的現象を人格化した記述であるという意味では決してない。神々の間に起こったいろいろな事件や葛藤の描写に最もふさわしいものとしてこれらの自然現象の種々相が採用されたものと解釈するほうが穏当であろうと思われるのである。
高志の八岐の大蛇の話も火山から噴き出す溶岩流の光景を連想させるものである。「年ごとに来て喫(く)うなる」というのは、噴火の間歇性を暗示する。「それが目は酸漿(あかかがち)なして」とあるのは、溶岩流の末端の裂目から内部の灼熱部が隠見する状況の記述にふさわしい。「身に一つに頭八つあり」は溶岩流が山の谷や沢を求めて合流するさまを暗示する。「またその身に苔また檜杉生い」というのは溶岩流の表面の峨峨たる起伏の形容とも見られなくもない。
「その長さ渓八谷峡八尾をわたりて」は、そのままにして解釈はいらない。「その腹をみれば、ことごとに常に血爛れたりとまおす」は、やはり側面の裂目からうかがわれる内部の灼熱状態を示唆的にそう言ったものとは考えられなくもない。「八つの門(かど)」のそれぞれに「酒船を置きて」とあるのは、現在でも各地方の沢の下端によくあるような貯水池を連想させる。溶岩流がそれを目がけて沢に沿うておりて来るのは、あたかも大蛇が酒甕をねらって来るようにも見られるであろう。
八十神が大穴牟遅の神を欺いて、赤猪だと言ってまっかに焼けた大石を山腹に転落させる話も、やはり火山から噴出された灼熱した大石塊が急斜面を転落する光景を連想させる。
大国主神が海岸に立って憂慮されておられたときに「海を光して依り来る神あり」とあるのは、あるいは雷光、あるいはまたノクチルカのような夜光虫を連想させるが、また一方では、きわめてまれに日本海沿岸でも見られる北光(オーロラ)の現象をも暗示する。
出雲風土記には、神様が陸地の一片を綱でもそろもそろと引き寄せる話がある。ウェーゲナーの大陸移動説では大陸と大陸、また大陸と島嶼との距離は恒同でなく長い年月の間にはかなり変化するものと考えられる。そこで、この国曳きの神話でも、単に無稽な神仙譚ばかりではなくて、何かしらその中にある事実の胚芽を含んでいるかもしれないという想像を起こさせるのである。あるいはまた、二つの島の中間の海が漸次に浅くなって交通が容易になったというような事実があって、それらがこういう神話と関連していないとも限らないのである。
神話というものの意義についてはいろいろその道の学者の説があるようであるが、以上引用した若干の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい事実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影響が包含されているのではないかという気がする。少なくもそういう仮定を置いた上で従来よりももう少し立ち入った神話の研究をしてもよくはないかと思うのである。
きのうの出来事に関する新聞記事がほとんど嘘ばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えに中に貴重な事実が含まれている場合もあるであろう。少なくともわが国の民族魂といったようなものの由来を研究する資料としては、万葉集などよりもさらにより以上に記紀の神話が重要な地位を占めるものではないかという気がする。
以上はただ一人の地球物理学者の目を通して見た日本神話観に過ぎないのであるが、ここに思うままをしるして読者の教えをこう次第である。(昭和8年8月)


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消えた二十二巻

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