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資料編の追加 第26回 鎮魂の芸能

物語を物語る

資料編の追加
第26回 鎮魂の芸能
小松左京・石毛直道・米山俊直 対談「人間博物館 「性と食」の民族学(エスノロジー) 」(文藝春秋)から。


米山ーーどっちにしろ「祭りの芸能」には、「神を楽しませる」芸能のほかに、「浮かばれぬ死者をなぐさめる」芸能があるような気がしますね。それは「めでたい」、「ハレの」奉納芸に対して、むしろ、「悲しい」というか、「不吉な」というか、「夢幻的」なものだった……。
小松ーー盆踊りのように、共同体の人間自身が「依りしろ」になるより、「人形」とか、専門の「俳優(わざおき)」が依りしろになって、「死者の悲劇」を再生してみせるわけか……。
石毛ーーその俳優(わざおき)ですがね……。昼間奉納される滑稽劇の中には、やはり一種の「敗北のドラマ」がふくまれていることがある。隼人族の服属儀式といわれる隼人舞いには、隼人族が天皇家に退治され、溺れ死ぬなんてシーンがあったそうですが……。
小松ーーそりゃ、「神の御前」では、「神威に負けてみせる」ことが、相手をいい気持ちにさせ、たのしませることになるんだろう。そんなのいっぱいあるよ。岩戸神楽の一種の「ヤマタノオロチ退治」とか。神様の前では追儺雛みたいに、「鬼は外」とやられて、「ごもっともさま」と負けてみせることによって、「われわれは、このとおり、あなたにやられたときのことをよく覚えています。あなたの強いことは忘れていませんから、反抗はしません」という表現をしてみせる。
米山ーー敗戦記念日の行事に、駐留アメリカ軍の司令官を招待するようなもんですな。
小松ーーしかし、それでは共同体の側の「悲劇の英雄」が浮かばれん、というので、一つの「裏文化」として、彼らの栄光や悲劇を再現というか「再生」し、ともに泣くことによって、「表」で祭れぬ霊を慰撫する……。
石毛ーーなるほど、すると、そういう「芸能」は、日本の律令制がすすんで「御霊信仰」というか、「怨霊」の思想が広がり出すと、しだいに一般化、定着化してくるわけですか。
(中略)
石毛ーー……、たしかに能なんてそうですね。現代的な事件をあつかったものもあるが、たいていは「夢幻能」ってやつで、ワキが旧跡を訪ねると、前ジテが由来を説明し、その後ジテは、幽霊となって出て来て、当時の悲劇を再現してみせ、あとを「よろしくとむらい候え」ってあの世へすっこんでく。
小松ーー近世の歌舞伎もそうだ。歌舞伎踊りのほうは、女が、男の格好をし、男が、女の衣装をつける。衣装交換(トランスペテイスム)というのは、「もの狂い」の一種で、何かの「物の怪」や「霊」にとり憑かれた状態をあらわすし、人形浄瑠璃にいたっては、題材が、説経節や祭文から来たとはいえ、ほとんどが悲劇、非業に死んだ者や、「敗者」が主人公だ。
米山ーー近松の「心中もの」、民衆の「判官びいき」の典型的な現れである「義経千本桜」、あるいは「菅原伝授手習鑑」「仮名手本忠臣蔵」、言われてみれば、ほとんどそうですね。
石毛ーー「忠臣蔵」の「大序」で鶴岡八幡宮社頭にずらりとならんだ登場人物が、義太夫の文句の中で名前を言われるたびに、一人ずる「魂」が入って、人形ぶりで「生きて」くる……、あそこのシーンはなんとも象徴的だなあ。
小松ーーまさに、木をつなぎあわせた木偶にすぎない「人形」に、死者の霊がとり憑いて、「仮の姿」でよみがえり、生きていた当時の「悲劇」を再現してみせる。ーー見物衆が、それを見て一喜一憂し、あるいは現実の「勝者」である悪役を恨み、嘲笑し、あるいは主人公のために「涙する」ことによって、死者の修羅の妄執をいくぶんとも晴らし、慰め、祭るというわけだね。
米山ーーなるほど、心中ものが多いのは、心中死したものは、それぞれの家で、表だって祭るわけにいかんからね。
小松ーー「神」の「威光」が君臨する、「表ハレでは、討ち平らげられ、やられたもの、あるいは、「非業の死」「不浄の死」を遂げて、そういう「めでたい」ときに、神といっしょに、なぐさめるわけにはいかないもの。そういった「悲運の霊」が、「裏ハレ」の世界では、主人公になり、悲壮美の英雄になり、あるいは超人的強者になり、心中の悲劇美の実現者になる。
歌舞伎の世界に、のちに「幽霊」が登場するが、じつは「能」「歌舞伎」そのものが「幽霊」の演ずる「永遠の現在ドラマ」だと考えたほうがよさそうだ。
石毛ーーあんまりその「永遠の妄執」の世界に引きずり込まれては、あとで本当に観客の身の上に不吉なことが起こったりすると大変だからーー何しろこういう「芸能」は一種の催眠術みたいなものですからねーーときどきアクチュアルな現実生活に題材を取った、滑稽な「幕間狂言」をはさんで、観客を正気に戻しておく。でないと、テレビで視聴者が催眠術にかかったまま、解けないときみたいなさわぎが起こる。


関連資料
第8回  「怨念の日本文化 幽霊編」から。
第9回  井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」などから。
第10回 資料編10回目 丸谷才一「忠臣蔵とは何か」 その1
第11回 資料編11回目 丸谷才一「忠臣蔵とは何か」 その2
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消えた二十二巻

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