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資料編  第27回「 日本人“魂”の起源」から、「たまふり」について。

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資料編の追加 
第27回「 日本人“魂”の起源」から
上田正昭「日本人“魂”の起源」(情報センター出版局)から。
上田正昭「日本人“魂”の起源」

鎮魂、その言葉のひびきに、人は死の静寂を感じるでしょう。事実、タマシヅメ(鎮魂)の語感には、しじまの気配がつきまといます。
「タマ」の衰微が「タマシヒ」です。衰微した「タマシヒ」を振起するのが、「タマフリ」です。
唐突にみえる鎮魂=タマフリ説はたんなる思いつきではありません。宮廷における鎮魂の初見は、「日本書記」天武天皇十四年(685)十一月の条です。同年の九月から天武天皇の病状が悪化して、太陽の活力が衰えると信じられた十一月(冬至のころ)に、鎮魂の祭儀が行われました。この十一月の鎮魂祭は、その後も長く宮廷の秘儀になりましたが、天武天皇の招魂を。古訓は「ミタマフリ」とよんでいます。
(中略)
古代の人びとにおける鎮魂は、決して静かなる行いではありませんでした。むしろ、衰微するたましいを甦らすあらわざだったのです。平安時代の記録に描かれている鎮魂の呪法も、御巫が鉾や賢木をもって桶をつく所作をともないます。たましいを鎮めるのではなく、逆にたましいを発動させるのでした。
生者のための鎮魂は、死後の世界にも投影されます。通説と異なって、ケガレ(褻枯れ)ゆくたましいを振り起こして希求するタマフリが、死者に対する鎮魂のはじまりです。人は死してすぐに埋葬されるのではなく、身分によって差異はありますが、ある一定期間、屍を安置して仮の葬儀(殯・もがり)をいとなみます。このタマシヒと振起するタマフリで大切なのは、死者の魂を継承する“ひつぎ”でした。“ひつぎ”なき死霊は、怨霊の世界にとどまります。葬送のさいの鎮魂も、死者との断絶を意味するものではありません。鎮魂によって生と死とが連続していたのです。

死霊はまつりによって祖霊に昇華します。死霊に“たま”を呼び戻すこと、それを通路として、死霊は、“たま”の世界によみがえってきます。死霊はただちに守護神とはなりえません。それはおそるべき〈デーモン〉であり、非業の死霊は怨霊となりました。魂呼ばい(たまよばい)や鎮魂などの通過儀礼が、死者の世にも必要になります。“たましい”のよみがえりへの期待がタマのまつりを生み出したのです。
民間の習俗に今も残留する、“トムライアゲ”や“トイキリ”などは、それらのイミアケ(忌みあげ)じたいが、死霊が祖霊になる殯の終わりをつげるものでした。鎮魂のための歌舞飲酒の行事を“アソビ”といったのも、それが魂呼ばいのための芸能であったからです。

静よりも動。そこに日本人のいのちの思想があります。山川草木にいのちを認識する生命の観念は、この“たま”観の拡大でした。天台宗のもと築いた最澄が説いた“悉皆有仏性”や、真言宗をわが国に開いた空海が強調した“即身成仏”の教説が受け入れられた土壌もまた、このような“たま”のいのちに育まれたものでした。生霊の働きは、古代人の知恵では、和魂・荒魂・幸魂・奇魂などと表現されていますが、荒魂もまた浄なる“たま”の側面でした。荒魂は悪霊ではありません。動の“たま”でしたから、説話化された神功皇后伝承でも、和魂と荒魂とをまつることが、同時に必要とされたのです。
「禍津日(まがつび)」と「直昆(なおび)のありようも同様です。
まがなる“たま”はいわゆる悪霊ではありません。それは強烈なる“たま”の働きを“まが”と認識したのであって、「禍」という漢字の既成概念で解釈したのでは、古代人のこころとはほど遠いものになります。禍津日神は、強烈なる神であるがゆえに、狂暴な働きをなすと信じられてきました。
(中略)
後代の不浄観からすれば、「荒」や「禍」も不浄なる状態にふくまれるかもしれません。しかし古代人にとっては、「荒」や「禍」の「タマ」にはいのちが躍動する側面がありました。そのようなたくましい生命観は、古代の信仰と祭儀のなかで、大きな役割をもつ鎮魂にきわだっていたのです。

主に「たまふり」に関する部分を引いてみました。
神道、日本人の思想で、こういう「たましい」に関する部分は本当に面白いと思う。
「和魂と荒魂」なども過去記事「自己の感情コントロール その4 資料編20回目 心理学も脳科学も神道もアンパンマン考も同じことを説いている」にまとめたように心理学・脳科学と同じ様なこと言っているので、驚かされる。

「たまふり」は「鎮魂」である。Wikipediaからそのままコピペすれば

鎮魂(ちんこん、たましずめ)とは、人の魂を鎮めることである。今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。しかし、元々「鎮魂」の語は「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものであった。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の二つの儀が行われている。
神道では、生者の魂は不安定で、放っておくと体から遊離してしまうと考える。これを体に鎮め、繋ぎ止めておくのが「たましずめ」である。「たまふり」は魂を外から揺すって魂に活力を与えることである。
なお、津城寛文は、著書「折口信夫の鎮魂論」(春秋社、1990年)で、鎮魂とは神道の根本となる、一般に考えられているよりももっと大きな思想で、折口の有名なマレビト論も鎮魂論で置き換えられる、と主張している。

とある。
ヤフー百科事典では「天岩戸」の項目に「たまふり」が出てくる。

イワトは岩の戸、転じて貴人の墓の戸をいう(『万葉集』418~419)。神話で、須佐之男命(すさのおのみこと)の乱行を恐れて、天照大神(あまてらすおおみかみ)がこもった高天原(たかまがはら)の岩窟(いわや)の戸。天照大神がこの岩窟にこもるのは、日神、穀母神であるこの神が生命力を回復して再生するためといい、岩戸の前でさまざまな鎮魂(たまふり)の儀式が行われる。飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)にあった御窟殿(みむろのとの)(天武(てんむ)紀)は、天皇の鎮魂を行う神話上の天岩屋の遺象かという。天岩戸の神格化に天石門別神(あめのいわとわけのかみ)があり、奈良県高市郡高取町越智(おち)にこの神を祀(まつ)る天津石門別神社(式内社)がある。

なるほど、なるほど、日本人の「魂」の考え方ってほんと面白いわ。
こういうの思想は抜きにしても、学校で教えてもいいと思う。身近にある神社や日本人の考えてきたことを知ることは大切だ。
そして、震災を味わった今の日本人、放射能の後遺症に悩むことになろうこれからの日本人には、特に必要となるだろう。
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