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物語を物語る

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「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その1 「銀魂」は怨念を残した者たちの「鎮魂劇」である

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「銀魂」考 第3回 鎮魂とカーニバル その1 「銀魂」は怨念を残した者たちの「鎮魂劇」である

前回からの続き  第2回 なぜ「銀の魂」なのか?

まず、井沢元彦「「井沢式日本史入門講座・4 怨念鎮魂の日本史」から。

物語というフィクションの世界の中で、現実には敗れた人々を活躍させる。それは、現実世界の競争に敗れ、恨みを持った魂を鎮めるためのひとつの手法だった。
こうした、現実とフィクションを切り離して使い分ける「顕幽分離主義」ともいうべき手法は、日本では鎮魂法のひとつとして古くから用いられていたものだった。物語の中なら、どうせ虚構なのだから、勝たせてやってもいいじゃないか、と考えた。つまり虚構と真実を使い分けたのです。


「銀魂」の登場人物の多くは、歴史上の人物をモデルにしている。
ここでは、名前を一文字変えたり、呼び名を変えたりしているが、元の人物は誰なのかは分かるようになっている。
これら、登場人物を見ていると奇妙なことに気付く。
怨念を残して死んだ者が多いのだ。

(登場人物名→実名……死因の順になっています)
近藤勲→近藤勇……斬首
土方十四郎→土方歳三……戦死
沖田総悟→沖田総司……病死
山崎退→山崎蒸……戦死
高杉晋助→高杉晋作……27歳で病死
河上万斉→河上彦斉……斬首
来島またこ→来島又兵衛……戦死
武市変平太→武市半平太……斬首
松陽先生→吉田松陰……斬首
徳川茂茂→徳川家茂……20歳で病没
坂本辰馬→坂本竜馬……暗殺
平賀源外→平賀源内……獄死
岡田似蔵→岡田以蔵……斬首
西郷特盛→西郷隆盛……自刃
柳生九兵衛→柳生十兵衛……死因不明、水死、惨殺

服部全蔵→服部半蔵……半蔵そのものは生き残るが、その後の二代目、三代目で改易等あって服部家は没落する。
(まあこれは、こじ付けぽいけど)

彼らは、この世に怨念を残して死んだ者たちだろう。
(銀時や桂、お伊勢らは「おくりびと」。これは後述する)

新撰組(真選組)一つとってみても、激動の時代を切り抜けて生き残った人物はここには出てこない。新撰組の中でも人気のある永倉新八、斎藤一、島田魁などは「銀魂」世界には登場しないのだ。斎藤一なんて有名な剣豪だから新撰組をモデルした物語では、当然のごとく登場してくる人物ではないだろうか。
しかし、ここには出てこない。
なぜ、近藤や沖田や土方なのか。

また、「銀魂」において高杉晋作こと高杉晋助は重要な人物である。この高杉が率いる鬼兵隊(奇兵隊)のメンバー河上、来島、武市、岡田は、まさに史実において悲惨な死に方をした者ばかりである。
高杉が出てくるが、同じ長州藩でも長生きをした伊藤博文や井上馨、山縣有朋は登場しない。
なぜ「銀魂」には無残な死に方した者ばかりなのか。

また、徳川家の将軍は、ここでは十四将軍家茂をモデルとした茂茂だ。なぜ家茂? 明治まで生き残った十五代将軍・慶喜ではないのだ。(まあ普通は最後の将軍をモデルにしそうだが)
なぜ、二十歳で病死(毒殺説・暗殺説まである)した家茂なのだろうか。

そう、この物語は、「銀魂」は怨念を残した者たちの「鎮魂劇」であるからだ。

さてここで、資料編です。
第9回  井沢元彦「怨霊と鎮魂の日本芸能史」などから。
細かいところはここを読んでもらうことにして、重要なところだけを引きます。

人はなぜ怨霊になるのか?
それは、この世に強い執念を残して死ぬからである。政治上の敗者となった、というのもあれば、思いを遂げることができなかった、というのもある。
それをできるだけ崇め、ご機嫌をとること、これを鎮魂といい、成功すれば霊は恐ろしい「怨霊」から人々を助ける「御霊」となる。
怨霊は天災(飢饉・疫病等)だけでなく人災(戦争・内乱等)をも呼び起こすものだが、御霊になると逆にそれを防ぐ方に回ってくれる。


分かり易いのは、アニメの86話、87話だろう。いわゆる「ミツバ編」といわれる回だ。
銀魂 鎮魂

簡単にストーリーを言ってしまうと、沖田総悟(総司)の姉・みつばは病弱であり、弟に看取られて死ぬ、というもの。
おっと、これはまさに史実とは正反対なのだ。
肺を患い、吐血し、死ぬのは沖田総司の方であり、それを看病し、看取ったのは姉の方だ。
つまり、「銀魂」世界では、生と死が逆転しているのだ。

これは生死だけではない。
長谷川泰三のモデルは長谷川平蔵となっているが、幕府内で出世しメキメキ仕事をした平蔵とは違い、長谷川泰三は幕府をクビになり、いまや「まるでダメなおっさん」こと「マダオ」と呼ばれている。
武蔵という人物も時たま登場するが、これは宮本武蔵をモデルとしているという。この武蔵(ぽい人)はホームレスだ。
つまり、ここでは人生の盛衰までもが逆転している。

それに、坂本竜馬をモデルにした坂本辰馬は「銀魂」世界においては、宇宙を駆け巡る商人になっているし、史実では悲劇的な死を迎えている近藤、土方、沖田は「銀魂」世界では、幕府に仕える役人(警察)になって大活躍しているのだ。
つまりこれは彼らが生きていたなら願っていた世界ではないのか。
資料編 第8回  「怨念の日本文化 幽霊編」から。

日本の幽霊たちは、実に様々である。そこに、明暗ともにきわまりない日本及び日本人の複雑な陰影の陰を見ることができるのである。
日本の幽霊たちに共通しているのは、それらが、すべて、〈一度は死んだものたち〉であって、もともとは、〈人間そのもの〉にほかならなぬものたちであったという点である。にもかかわらず、生きている間は不運に見まわれて、人間の世界から疎外されたものたちなのである。
霊界にあって、神でも仏でもなく、永遠に低迷しつつ、常に人間を恋しがっているもの。それが幽霊なのである。従って幽霊は、人間にもっとも遠く、そして人間にもっとも近い。

幽霊は、この世の人々に語りたい多くの〈言葉〉を待ち続けていたし、それをいつまでも〈語り〉続けてほしいと願いつづけていたのである。


「仮名本忠臣蔵」が新田義貞及び新田一族の「鎮魂劇」であるように、「銀魂」とはまさに現実世界の競争に敗れ、恨みを持った魂を鎮めるため「鎮魂劇」なのだ。
以下、  資料編 第26回 鎮魂の芸能から、小松左京・石毛直道・米山俊直 対談「人間博物館 「性と食」の民族学(エスノロジー) 」(文藝春秋)の一部を引く。(これは面白いので、元の記事を)

「祭りの芸能」には、「神を楽しませる」芸能のほかに、「浮かばれぬ死者をなぐさめる」芸能があるような気がしますね。

彼らの栄光や悲劇を再現というか「再生」し、ともに泣くことによって、「表」で祭れぬ霊を慰撫する
盆踊りのように、共同体の人間自身が「依りしろ」になるより、「人形」とか、専門の「俳優(わざおき)」が依りしろになって、「死者の悲劇」を再生してみせる


で、以下資料編 第9回の井沢元彦の「怨霊と鎮魂の日本芸能史」から。

それは「芸術」で怨霊を鎮魂し、人のためになる善神すなわち御霊に転換させることだ。
「芸術」といったのは、それが必ずしも芸能つまり歌舞音曲に限らないからだ。
たとえば、慰霊されるべき怨霊を絵巻物に描くという方法もある。「あなたはこんな立派な人でした。あなたはこんな素晴らしいことをなさいました」と、絵画の上で、「顕彰」するのである。たとえば菅原道真が「天神」になった経緯を描いた「北野天神縁起絵巻」などはこれにあたる。

物語というフィクションの世界の中で、現実には敗れた人々を活躍させる。これが鎮魂である。これを、昔は文学や絵巻、能などで行った。
今なら、映画やドラマとアニメとなるだろう。

では、主人公の坂田銀時は、この物語でどんな役目を負っているのか。
それが一番よく分かるのが、スタンド温泉編(アニメ131話~134話)であろう。
ストーリー説明では「霊が巣食う幽霊旅館へ来た銀時達。霊が見えるのは銀時と新八。銀時は選ばれた生身の人間として、幽霊「レイ」達のサポートでスタンド使い・お岩と戦う。」とある。
その、お岩(「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の役どころ)にこんなセリフがある。
「スタンド(幽霊)を倒すという行為は、腕力をもって敵をねじ伏せることでも、頭を使って罠にはめることでもない。
すなわち成仏。
この世に未練を残しさまようスタンド(幽霊)たち。奴らは従属感や幸福感を得て初めてあの世に行ける。死んだ奴はあの世に行くのが自然の摂理だと?そうさ、その通りさ、だが、落ちる水がすべて盆に収まるとは限らない。どうしてもこぼれ落ちてしまう奴だっているんだ。どうしたって未練を断ち切れな奴がいる。どうしたっていえない傷を持つ奴がいる。ここにはそんな行き場のない亡者たちの唯一の場所なんだ」
成仏させる銀さん
この彷徨える霊を銀さんは「千の風になって」を歌って成仏させる、というギャグで笑わせてくれる。(よく、放送できたよね)

まさに、神道でいうところの「鎮魂、たましずめ」、仏教でいうところの「成仏」、キリスト教でいうところの「昇天」なのだ。


そういう視線で「銀魂」を見て行くと、主人公・銀さんの役目は、勧善懲悪でいうところの、ただ悪者をやっつけるといった単純なものではないのだ。
鳳仙・夜王、地雷亜、竜宮城の主・乙姫、魔死呂威組の中村京次郎などなど、彼らは銀時と戦いながらも、最後には魂の浄化を行っている。

そう、「銀魂」はまさしく「鎮魂」の物語なのだ。

神楽 どじょうすくい
画像は、彷徨える霊を成仏させるために、銀さんは三味線を弾き、神楽と新八は「どじょうすくい」を踊り、お妙は酒でもてなすという場面。これまさに、「天岩戸」だろう。資料編第27回  第27回「 日本人“魂”の起源」から、「たまふり」について。でまとめたように、これは、「岩戸の前でさまざまな鎮魂(たまふり)の儀式が行われる」というそのものなのだ。)

まさに、鎮魂に必要なのは、「バカ騒ぎ」なのだ。
だから、「銀魂」では「バカ騒ぎ」が繰り返される……。

……続く。
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