スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「銀魂」考 第6回 たましいの物語 「たま」と「神楽」と「狛犬・神子(定春)」

物語を物語る

「銀魂」考 第6回 たましいの物語 「たま」と「神楽」と「狛犬・神子(定春)」

アニメ69話から71話の「芙蓉編」にからくり人形というものが登場する。
「科学者・林流山が製造した「からくり家政婦」がクーデターを起こす。流山が最初に創ったからくり・「たま」の涙に応える為、万事屋と源外が立ち上がる。」と説明がある。
銀魂 たま
「からくり人形」は、人間の心がない機械・アンドロイドなのですが、この「たま」は感情を表して涙をこぼします。
さてさて、このからくり人形の名称はなぜ「たま」というのでしょうか。
作中では卵割器の「卵(たま)」と神楽が名付けましたが、ここで言いたいのそういう由来とかではありません。
感情もない(つまり魂のない)モノになぜわざわざ「たま」という名を作者が付けたのかということです。
もちろん「たま」とは辞書を引くまでもなく「たましい」と同義語・同源語である。

古語辞典では「肉体に宿って精神活動を営むもの。たましい。精神」などと説明される。
日本の伝承、古語。たま(霊)、たましい(魂)とも。古文では「神」とかいて「たましい」という場合もある。
「我(あ)が主のみ霊(たま)賜ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げ給はね」(万葉集882) 幻想世界神話辞典 から。

つまりこの「たま」という名称も何か象徴的であるように感じられるのです。
これまで長々と見て来たように、「銀魂」は「たましい」の物語だと語ってきました。
機械(からくり)が知識を吸収し人と触れることによって人間的感情(つまり魂)を得るようになるというのが、この回のメインストーリーです。よってその感情や心の根本である魂について、この芙蓉編では、何気なく何度も語られている。
いくつかセリフから引いてみる。
「からくりが人に支配される時代は終わった。我等が女王の御魂(みたま)、帰還せい時、からくりは人に、いや神に等しき存在になる。この御魂(みたま)戻らぬことあらば……」「芙蓉の魂を身体におさめる……」「1ミクロン…ずいぶんとせこい魂だ」
「身体が消えていく。魂が…消えていく」などなど拾ってみると結構あります。
中でも、新八の一世一代の名セリフがいい。

……たまさん、それは普通の人間の勘定の仕方です。サムライは違う。
サムライ?
たとえ、あなたを見捨てて25%の確立で運良く助かったとしても、サムライは死ぬんです。護るべきものも護れずに生き残っても、サムライは死んだと同じなんです。5%しか生きる確立がないなら、その5%全てを使ってあなたが生き護る確立を引き上げる。一旦、護ると決めたものは、何が何でも護り通す、それがサムライだあ!
……出自も不明確、まして殺人の容疑がかかった者を護る? サムライ……理解しかねます。私のデータには該当するものがありません。
じゃあデータに付け加えといてください、勇者よりも魔王よりも上のところに、ついでに、女の子の涙に弱いってね!

これが序盤の対話であり、終盤のクライマックスでこの新八の魂の叫びを受け継ぐ形での「たま」セリフにつながっていく。

護るべきものも護れずに生き残っても死んだと同じ。…それはきっと志の死、魂の死を指しているんでしょう。からくりの私にはわかるはずもないと思っていましたが、少しだけ分かった気がします。私も護りたいものができました。何度、電源を切ろうと、ブレーカーが落ちようと、この身が滅びようと忘れない、だから、みんなも…私のこと…忘れないで…、そうすれば、私…私の魂は、ずっと、みんなの中で…生き続けるから…

とあって、この芙蓉編のラストのたまのセリフ「サムライ?サムライなら知ってます。……私の大切な友だちです」とつながるわけです。
「サムライ」の魂がからくりにも受け継がれるということになります。
これは 「銀魂」考 第2回 なぜ「銀の魂」なのか?で。

サムライの魂は武士階級だけのものではなく、各階級に広がり日本人の「大和魂」という民族精神となった。これを「武士道」で説いたのが新渡戸稲造でした。
そして魂は引き継がれていく連続性があるというこでしょう。三島由紀夫の文化防衛論の日本文化(大和魂)の連続性とはこういうことなのではないのか、と思う。(これは第7回で)
この芙蓉編の面白いのは、「生命の死」と「魂の死」は違うということを表しているところでしょう。
つまり、肉体は滅んでも、魂は生き続けているということを示しています。
スタンド温泉編で、旅館の女将・お岩が幽霊のレイに言う面白いセリフがあります。
「お前、たましいを粉々にされたいのかい?」
幽霊だから当然のごとく肉体的な「命」は死んでいますが、それとは別に「魂」は生きているということでしょう。
日本人がこれを見ても何の疑念を抱かないのは、生命には限りがあるが、魂は不滅であるという思想を日本人は持っているということでしょう。
物語「銀魂」では、魂は滅びることがなく受け継がれていくものだということが常に語られています。(その魂は「大和魂」です)
実は、これは「銀魂」全体に流れるテーマです。(私は作者でもないに断定しています。)

では、資料編  第27回「日本人“魂”の起源」から、「たまふり」について。 から少し引いてみます。

ほかにも「御霊代」(みたましろ)、神霊の代わりとして祭るもの。御神体。など関連する語がある。
神輿が神幸 (しんこう) する際に途中で上下左右に荒々しく揺さぶることをいいます。これをおこなうことで、乗っているご神体の霊威を高めて、豊作豊漁や疫病が蔓延 (まんえん) しないように祈願するのです。また、元気のない霊魂を揺さぶり、魂の活力を取り戻そうとする行為でもあります。

鎮魂(ちんこん、たましずめ)とは、人の魂を鎮めることである。今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。しかし、元々「鎮魂」の語は「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものであった。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の二つの儀が行われている。神霊や祖霊を尊んでいう語。「先祖の御霊(みたま)を祭る」など。 あるいは「霊威」(霊妙な威光、不思議な威力)のこともいう。
また「御霊祭り」の略でもある。御霊祭りは、暮れから正月にかけて行われる、家々の先祖の霊を祭る行事のことである。

古代の人びとにおける鎮魂は、決して静かなる行いではありませんでした。むしろ、衰微するたましいを甦らすあらわざだったのです
死霊はまつりによって祖霊に昇華します。死霊に“たま”を呼び戻すこと、それを通路として、死霊は、“たま”の世界によみがえってきます。死霊はただちに守護神とはなりえません。それはおそるべき〈デーモン〉であり、非業の死霊は怨霊となりました。魂呼ばい(たまよばい)や鎮魂などの通過儀礼が、死者の世にも必要になります。“たましい”のよみがえりへの期待がタマのまつりを生み出したのです。
民間の習俗に今も残留する、“トムライアゲ”や“トイキリ”などは、それらのイミアケ(忌みあげ)じたいが、死霊が祖霊になる殯の終わりをつげるものでした。鎮魂のための歌舞飲酒の行事を“アソビ”といったのも、それが魂呼ばいのための芸能であったからです。

なぜこんな記事を引いたかというと、「銀魂」世界の猥雑なバカ騒ぎは「鎮魂」や「たまふり」なのではないかということ。

それを示しているのが「神楽」です。
神楽・狛犬・桜
不思議ですね、チャイナ娘なのになぜ「神楽」という名前なのでしょうか。
考えてみると実に変なのだ。
参考資料 神楽といえば、この「神楽」だろう。

「日本の民俗芸能の一種。<おおかぐら>と呼ばれて各地に分布。本来は神官や巫女などが神がかり状態で鎮魂や託宣を行うものであったが、そこに田楽や猿楽などの要素を取り入れて、出雲流神楽、獅子神楽、湯立神楽などさまざまの種類のものができた。(日本大百科全書・ヤフー百科事典から)

そう「神楽」は実に日本的イメージを感じさせる名称であるからだ。(作者の地元北海道の地名から取ったそうだ)
それでは「神楽」に関する事柄を引いてみましょう。

(神楽とは)神への賛歌・芸能。芸能とは本来、神を讃え慰めるものであった。
これは古今東西どこも同じで、その原初の形を一番色濃く残しているのが、神楽である。
神楽は、演者が神に扮し、悪役つまり悪鬼に扮する演者を叩きのめす。そして、「神よ、あなたは強かった!」(本来こんな敬語はおかしいが)と、神の賛歌で終わる。
芸能者は、神に喜んでもらうために、演技や振り付けを一生懸命に工夫したのである。(井沢元彦の「怨霊と鎮魂の日本芸能史」から)

これら採物にちなむ歌や神徳を賛美する歌が歌われる。今日では榊の歌を選んで歌う。次に「韓神(からかみ)」の歌があり、このとき人長が輪をつけた榊の枝を持って庭燎の前に進み出て、庭燎にこれをかざすようにして舞う。次に中入りになり、酒宴となる。平安時代には倭舞(やまとまい)が舞われたり、才(ざい)の男(おのこ)による滑稽(こっけい)な芸(陪従(べいじゅう)による即興的な散楽(さんがく))などが行われた。(日本大百科全書・ヤフー百科事典から)

つまり猥雑なバカ騒ぎ。

(神楽) 日本の民俗芸能の一種。<おかぐら>と呼ばれて各地に分布。本来は神官や巫女などが神がかり状態で鎮魂や託宣を行うものであったが、そこに田楽や猿楽などの要素を取り入れて出雲流神楽、獅子神楽、湯立神楽などさまざまの種類ができた。これらを里神楽と総称して御神楽<みかぐら>と区別する。(マイペディア百科事典)

ではその田楽

田楽というのは、田の楽でありまして、豊饒のための呪術的芸能ですね。 これが平安末期に京の都に大乱入し、京の人たちが、公家から庶民にいたるまで田楽踊りを始めて、町じゅう狂ったんです。 もう一つ面白いのは、北條高時です。高時は田楽に夢中になります。ある日、彼が田楽にふけって余り騒がしいというので、家来が戸の隙間からのぞいたら、踊っている相手はみんな天狗だったという話があります。(丸谷才一・山崎正和・対談集「見わたせば柳さくら」)

「狂」ですね。銀魂世界でいう乱痴気騒ぎでしょうか。
これらは 
第3回 鎮魂とカーニバル その1 「銀魂」は怨念を残した者たちの「鎮魂劇」である
第3回 鎮魂とカーニバル その2 「銀魂」は「カーニバル」と「ええじゃないか」だぁ、だぁ、だあ!
第3回 鎮魂とカーニバル その3 「桜は死と再生の樹」と「国ほめ」
でまとめてあります。
元々は、この鎮魂のための「乱痴気騒ぎ」を神がかりで行うのが「神楽」だったということです。
その神楽を行う者は巫女である。

巫女・神子……広くは神に仕える女性の意。神社に属し補助的な神職として神楽、祈祷などをするものと、神がかり状態で神霊、死霊、生霊の託宣を伝える口寄せとがある。

となれば、なぜ神楽と定春はセットで描かれるのかがよくわかります。
巨大化した定春
定春の説明、Wikipediaから

巨大な犬のような外見をした宇宙生物で神楽のペット。(中略)地球においては大地の流れ“龍脈”が噴出する場所「龍穴」を守護する「狛神(いぬがみ)」として代々江戸で暮らしていたのだが、一緒に暮らしていた双子の巫女姉妹、阿音・百音に経済的な理由により捨てられてしまう(曰く、定春のでかさは異常)。本名なのか「神子(かみこ)」と呼ばれている。双子、と思われる兄弟は「狛子(こまこ)」。狛神には攻めを司る者と守りを司る者と必ず二体存在する為兄弟がいるが(定春は攻め、狛子は守り)、どちらが上か下かは明らかにされていない。


定春巨大化2これは巨大化して覚醒した状態。
狛犬つまり狛犬でしょう。
つまり「神楽」も「神子(定春の本名)」も舞や踊りによって、鎮魂やたまふりを行う巫女だということです。

そう考えていけば、「たま」「神楽」「神子」……、という名称が「たましい」や「たまふり」といったことのメタファーとなっていることがわかる。

鎮魂(ちんこん、たましずめ)とは、人の魂を鎮めることである。今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。しかし、元々「鎮魂」の語は「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものであった。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の二つの儀が行われている。
神道では、生者の魂は不安定で、放っておくと体から遊離してしまうと考える。これを体に鎮め、繋ぎ止めておくのが「たましずめ」である。「たまふり」は魂を外から揺すって魂に活力を与えることである。(上田正昭「日本人“魂”の起源」から)

第3回や第4回で見てきたように、この「銀魂」物語は、主人公・銀時が敵を倒すといった勧善懲悪といった単純な物語ではなく、闘った相手を慰霊・成仏・昇天させることにある。したがって、この主人公の脇に巫女的な役目の「神楽」や「定春」や「たま」がいるのは不思議ではないだろう。
登場人物につけられる名称にその物語のテーマが暗示されていることはよくあることだ。
そして、この物語が魂の浄化、魂を鎮めることにあって、そのために必要なのが、鎮魂のための歌舞飲酒の行事である「祭り」や「カーニバル」のような猥雑なバカ騒ぎなのだ。

「桜」「月」「塔」「神楽」「たま」「魂」「祭り」「カーニバル」などなど……、こうして見て来れば、物語「銀魂」は「鎮魂劇」である、というのがわかるであろう。

まだまだ続く……。
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2011年10月 27日 (木)
  ├ カテゴリー
  |  └ 「銀魂」考
  └ 「銀魂」考 第6回 たましいの物語 「たま」と「神楽」と「狛犬・神子(定春)」
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。