スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「デマ、噂の真相」その3  徳川埋蔵金伝説が広まったわけ

物語を物語る

このシリーズの3回目。徳川埋蔵金のデマ、噂が広まった真相。

前回は、「徳川埋蔵金が赤城山にある」というデマが故意に流された理由と、その「埋蔵金伝説」が幕府側にとって必要であったこと、それを指導したのが勝海舟であったことを簡単に書いた。
小栗上野介が江戸城にあった御用金を持ちだして隠したことが、「徳川埋蔵金」の伝説の核となっている。それが今現在でも信じられている。
ではこの噂はどうやって広まったのか?を今回書きます。
実は、小栗が江戸城を出たときから、すでに、このデマは広まっていたのだ。本当にこれっておかしいなことなのです。
もし仮に、小栗が幕府御用金を埋蔵する使命を帯びていたのならば、それは幕府、国の超極秘任務であるはずです。そう簡単に情報が漏れるはずはないし、漏洩してはいけないことなのです。
金=権力。それを維持するため、または徳川政権の回復を期するためにも金は必要なはずです。その情報が易々と世間に知れ渡ること自体が不可解なのです。小栗は優秀な官吏であり、頭の切れ方は尋常ではない。そんな男が、これほど重要な任務で、情報漏洩するような仕事を行うはずがない。
小栗が御用金隠匿に関わったという話で書いていますが、これは仮定の話である。私は小栗がこの件に全く関わっていないと考えていて、小栗はただ利用されただけである。小栗が全くの無関係であるならば、埋蔵金伝説は、根拠のない嘘であり、これが故意に流されたデマであるということになるだろう。
それなのに、「小栗が江戸城の御用金をたんまり持っている」「それをどこかに隠そうとしている」なんてことを、上野国の田舎の農民までもが知っていた(信じられていた)んです。
かなり変です。

まずあらましから、1868年2月、勝海舟との政争で敗れた小栗は、江戸城を辞して、領地のある上野国権田村に帰郷することになった。(埋蔵金伝説では、このとき江戸城の御用金を持ちだしたことになっています)
そして、小栗は一族、家臣とともに、権田村の東善寺に移り住むと、領地を整備したり、塾を開くなどして、静かに暮らしていた。
しかしここでデマが起こる。
「小栗は江戸城の御用金を持ちだして、大金を持っている」というデマです。これにより権田村は一揆のように、暴徒化したのです。小栗征伐を口々に叫びながらも、狙いは小栗の持っていたとされる幕府御用金でした。しかもその土地の者だけでなく、博徒ややくざ者、流れ者までもが集まり、数千人が徒党を組んで、小栗らを襲っているんですよ。
そう、確実に炊き付けた人物がいた。この暴徒の首謀者は金井荘介といい、長州藩士だったとも言われる人物でした。烏合の衆数千人を束ね、それに暴動を起こさせるために、小栗のところには何万両もの金があるといって煽ったんです。
しかし、小栗らは少ない人数でありながらも、武器を持ち、鍛えられていたから、デマに踊らされ数千にも膨れ上がった暴徒を数日で蹴散らした。暴動はすぐに治まった。
そして小栗らにとって束の間の平和が訪れたんです。
だが、金井の思惑は違っていた。それは、小栗には数千の暴徒を撃退できる程の兵備があることを裏付ける証拠だと、官軍に報告することができたんです。そう最初から、小栗を始末するために仕組まれたことだった。
これがもとで、小栗上野介は捕縛され、斬首された。
噂、デマは、どこかに流した大元がいたはずなんです。しかもこの場合は意図的、計画的に流されてたことなんです。それに騒ぎが大きくなればなるほど、小栗が御用金を持っているという噂は、世間に一層広まる。噂、流言、ウソ臭い話も世間に広まればもっともらしく聞こえて、そのうち本当にあったかのように巷間に根付いていく。つまりこの計画を立てた人物は利口だということでしょう。
そして、生まれたのが「徳川埋蔵金伝説」
御用金を持ち出し隠した人物がいなくなれば、死人に口なし。その金の在り処は永久に分からない。
そんなデマを流し、小栗の所為にすれば、なくなったと言われている金はそっくり手元に残ることになるんです。
だから、デマは必要だった。
それを指導したのが勝海舟である、と私は言った。
その勝海舟の奇妙な行動を示す証言がある。
以下は、小板橋良平著『小栗上野介一族の悲劇』から抜粋。『小栗上野介が金井荘介、鬼金、鬼定等の率いる暴徒に襲撃を受ける前後、東山道官軍の本隊は、下諏訪に滞在中であった。不可解なことに、この前後、徳川家陸軍総裁の勝海舟が熊谷付近まで、お忍びで出張って来ているのである。このことは東山道幹部だった薩摩藩士有馬藤太の回顧談にもあり、期日は三月三日前後とはっきりしている。『……その時のことだが、勝安房守が大岡郁太郎を従え、東山道総督に拝謁を願い出て、何事か言上したいという書面を差し出した。そこでその趣を尋問するようにとの命令があった。私は足軽一人を連れて熊谷駅の一つ手前の駅(本庄)の海舟の宿舎まで行き『何か言上の次第があるとのことで私がまかり越した』(中略) ところが彼の手になる『慶応四戊辰日記』には、勝が熊谷や本庄駅に出かけた形跡は見当たらない。日記は三月三日四日が空白になっている。~幕末研究家栗原隆一著「政敵小栗上野介を殺した男」より……』
勝海舟の行動はとっても怪しいんです。これに、江戸城御用金の行方や徳川埋蔵金のデマを考え合わせると何となくつながっていくでしょう。

さて、ここまできて、どこに新田一族が登場するんだ。と思うでしょうが、大丈夫しっかりと出てきます。
それは岩松万次郎です。後の新田俊純。
そう新田一族の末裔がここで登場しますが、
長くなったので次回に続きます。

追記  「デマと噂の真相」シリーズはどうやら4回でも終わらないようです。よってしばらく続けます。最後には、1回目の「キムタクの太田市に引っ越してくるというデマ」と結び付けますので、しばらくお付き合い下さい。
スポンサーサイト

Comment

[487] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2007年08月 24日 (金)
  ├ カテゴリー
  |  └ デマ、噂の真相シリーズ
  └ 「デマ、噂の真相」その3  徳川埋蔵金伝説が広まったわけ
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。