スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新田の地で刀は作られたのか? そして余談

物語を物語る

平成23年11月18日付け 読売新聞・群馬版から。

「幻の刀匠群」存在裏付け
阿左美遺跡 砥石や鉄、多数出土
みどり市笠懸町阿左美の「阿左美遺跡」から、砥石やふいごの羽口など、16世紀の刀鍛冶が使ったとみられる多数の遺物が見つかった。この地域では戦国時代に刀匠が活躍したとの言い伝えがあり、発掘調査した市教委は「実在した可能性が高い」としている。
調査は、民有地部分の住宅建設に先立ち、10月20日から8日間16平方mの範囲で行われた。
この結果、渡良瀬川周辺で見られる安山岩を加工した長さ約25センチの砥石や、日常生活に使ったと思われる直径約5センチの素焼きの杯、碗形滓(わんがたさい)と呼ばれる純度の低い鉄や、矢尻などが見つかった。
阿左美地域では、戦国時代に現在の新潟県から移り住んだ一族が「阿左美刀匠群」を形成していたという伝承がある。しかし、江戸時代末期から明治初期に同じ土地に実在した刀鍛冶と異なり、確実な史料がなかったため、「幻の刀匠群」などと家荒れていた。市教委文化財課係長の萩谷千明さんは「戦国時代に東毛地域を治めた由良氏への刀の供給地域だった可能性もある。戦国時代の地域史の解明に役立つだろう」と話す。市教委は来春、同所の岩宿博物館で発掘成果の展示を計画している。

上毛新聞にも同様の記事がある。

阿佐美刀匠群は、阿左美地域で刀鍛冶を行ったとされる刀匠群。江戸末期から明治初期にかけてこの地域に刀鍛冶が存在し、刀も現存しているが、戦国時代の刀匠群に関わる史料はなく、伝承だけだった。
 県埋蔵文化財調査事業団によると、鍛冶遺構は上強戸遺跡群(太田市)などで確認されているが、県内で刀鍛冶に結び付く遺構はこれまでに見つかっていないという。
 中世の鍛冶に詳しい同事業団の元東毛調査事務所長、平野進一さん(66)は「東毛地域には由良氏や新田氏といった地方豪族がいたため、刀の需要はあったと考えられる。中世の鍛冶研究をする上で価値のある史料になる」と話している。

これらは戦国時代の刀匠の話ようだが、この新聞記事を読んで、まっ先に思い出しだしたのが、新田次郎の小説「新田義貞」だった。
この小説には武器商人の刀屋三郎四郎が狂言回しの役割で登場し、ラストには重要な役目を演じる。(「義経記」でいえば金売吉次みたいな役回りか)
この刀屋は名前そのままの「刀」を扱う商人だ。この人物を中心に刀鍛冶や刀匠の話が全編にわたって挿入されている。例えば新田義貞に言うセリフに「お館様に刀の大量製造をおすすめしたいのです。新田庄の金山からは刀の芯に使う軟らかい鉄が取れます。刀の皮鉄に使う玉鋼は出雲や伯耆から取り寄せることになりますが、そこから越後までは舟、越後から山を越えて持ち込めば、新田庄で立派な刀ができることは間違いございません」といったものがあり、ここから義貞が新田庄で刀をつくる切っ掛けとなっている。また新田次郎の解説文によれば

新田義貞が生まれる前から、新田庄内では金山から取れる鉄を使って農器具等の鉄製品を生産していた。
新田義貞の代になって、京都の刀鍛冶・粟田口定順を招き、日本刀の鍛冶を始めたという説を唱えるのは、新田義貞の研究家であり、太田市文化財保護調査会長の篠原蔵人氏である。実戦用の野太刀とか大太刀、長巻などが作られていたらしい。
この日本刀の皮鉄となる玉鋼は山陰地方から輸入し、心鉄は利根川の砂鉄や金山の鉄を使ったのだろうと彼は推論している。私は京都の刀鍛冶よりも距離的に近い鎌倉の刀鍛冶の集団に目をつけた。ここでは既に相州ものと言われる実戦用の日本刀が芽生えつつあったから、これを新田庄に持ち込んで、戦国時代に流行した実戦用刀のはしりともいうべきものを鍛(う)たせたと書いた。全くのフィクションである。日本刀の専門家に叱られることを覚悟で書いた。そうしなければならない理由は、後章で述べるところの新田義貞の旗揚げの軍備充実の裏付けのためである。

とあり、刀については小説的創作だが、かなり以前から新田の地において、鉄を使ったモノが作られていたのは確かだという。

そういえば「東毛奇談」の中で、新田氏の始祖・義家が刀鍛冶を集めて太刀を作っていたという話を入れたのを思い出した。
その資料があったはずだと思ったが、これがなかなか見つからない。
やっと見付けたと思ったら新聞記事しか出てこない、仕方ないので、それを取りあえず書き起こしてみた。
上毛新聞 平成12年5月7日の記事。
ふるさとの民話「新田の隠し館」萩原康次郎(大間々町)
新田氏の隠し館

赤城山の東麓に位置する大間々町の北部はかつて桐原牧と呼ばれ、豊かな自然と渡良瀬川の水があり、軍馬の養成に適した土地だった。八百年以上前、まだ武士が貴族政治の配下にあったころ、この土地に目を付け、来るべき武士の時代に備えようと隠し館が造成されたというロマンあふれる逸話が残っている。同町の郷土史を研究する萩原康次郎(74)にうかがった。萩原さんが1983年に同町桐原の故石原亀次助さんから聞き取った話で、鎌倉時代から四十代にわたって石原家に語り継がれている。
平安時代の末期、渡良瀬川が東南へ大きく曲がる同川中流の崖の高みに、豪壮な屋敷ができた。屋敷の広さは330平方m余りあり、床下の高さは3・6m、家の四方には矢よけのための土手が巡らされ、東西南北それぞれに門があった。
八幡太郎源義家の孫にあたる義重は、名門新田家の開祖として、新田(現新田町)に居を構え、開田に力をそそぎ、着々と領地を広げていった。屋敷を造ったのは、大間々の地に目を付けた、ほかならぬ義家だった。義家には貴族社会を討って武家社会を築こうという夢があったかもしれない。北には鍛冶屋敷を造って「鍛冶屋場」を併設し、そこで常時50人を働かせた。東には「金掘屋敷」があって、鉱石の集積に当たらせた。館の南には「ジャンジャン屋敷」と呼ばれる製鉄所があった。
義重は部下の新井一族を屋敷に置いて武力の増進を託し、自身は新田の地に帰って公の任務に当たったという。
萩原さんは「義重が大間々を訪れる際には必ず、近くの神社を参拝したということ。祈願する義重の心にはあわよくばいつか自分が将軍に、という野心があったのかもしれない」と義重の胸中に思いをはせて語っている。
「隠し館」は記録には残されておらず、大間々の地で、朝廷に隠れてこうした営みがあったことはほとんど知られていない。
現在跡地といわれる場所に住む石原家には古びた井戸が一つ残っている。義家の時代に掘られたと伝えられる井戸は、彼の強い意志を象徴するかのように、枯れることもなく現在も水をたたえているという。

おっ、新井一族って、新井白石が自分が新田一族の末裔であるとことを結びつけたあの新井氏なのか。
過去記事「新田義貞伝承を追う!実は東毛奇談の続きシリーズ 新井白石編 1、新井白石は「新田源氏」だったのか?
まあ、これは別の話。


ということで、地図で確認しておきましょう。

より大きな地図で 無題 を表示
みどり市阿左美遺跡と大間々町の桐原と太田市の金山は距離的には遠いように思われるが、そうでもない。この地域はかつての新田荘の影響の及ぶところに含まれる。(笠懸は新田氏からの関連した地名。過去記事「新田一族に関連した地名・「笠懸」が消えたのは、いまさらだが口惜しい。」)
となれば、戦国時代にいた阿左美遺跡の刀鍛冶たちが、なぜこの地にいたのかといえば、すでに刀を作る下地がこの地に備わっていたからだといってもいいのではないか。
太田から館林へ向う途中に多々良沼(タタラ)という地名があり、これはまさに産鉄を意味していると思われる。
このように見ていけば、金山を中心として刀鍛冶や産鉄族が存在していたのではないかと思っていいのではないだろうか。

以下、余談。
地図を眺めているといつも思う。かつて新田庄として栄えたこの地域も、いまは何の変哲もない地方都市だが、過去記事 「ぐんま広報」で古墳や埴輪特集 でも触れたように、そのむかし新田の地は、上野国新田郡の役所が置かれ、東山道駅路となっていた。
街道が栄えれば、住む人も増え、モノも集まり、商人も雲集する。
北の山沿いには鉱石や鉄が出て刀をつくり、南は利根川による水運がある。そして東西を横切る大きな街道があった。
そこで交流や交易が盛んになれば、その地に特別なネットワークが作られ、情報集積地となる。
製鉄・産鉄やタタラ、刀鍛冶と新田氏がどこかで結び付くのは、やはり南朝方にいたからだろう。
これらの人々は特殊なネットワークを持ち、全国に広がっていた。だが決して表舞台には出てこない人たち。
足利氏の時代において闇に消えてた新田氏は、どこかこれらの人々と結びついた。
そして、突如として新田氏の末裔を名乗る人物が天下を治めるのだ。

再び地図を眺める。新田の地を、北上すれば、日光へ、南下すれば江戸へ。
この新田庄に関係し、新田氏、徳川氏ともに関連する人物が浮かぶ。
天海……。
やはりここに行きつく。

詳しくは「東毛奇談」で。
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2012年01月 13日 (金)
  ├ カテゴリー
  |  └ 新田義貞、新田一族の話
  └ 新田の地で刀は作られたのか? そして余談
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。