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二十歳の三島由紀夫 その5 資料編2

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二十歳の三島由紀夫 その5 資料編2
前回二十歳の三島由紀夫 その4 資料編からの続き。

三島由紀夫の書いたものを読むと、かなり「二十歳」という年齢にこだわっているのが分かる。
なにしろ遺作となる「豊饒の海」四部作は、二十歳で生死を繰り返す人物を主体にした小説であるから、その「二十歳」への執着心はある種、異常だと言えるだろう。

いくつか拾ってみた。
「午後の曳航」の本文から。

二十歳の彼は熱烈に思ったものだ。
「栄光を! 栄光を! 栄光を! 俺をそいつにだけふさわしくは生まれついている」
どんな栄光がほしいのか、又、どんな種類の栄光が自分にはふさわしいのか、彼にはまるでわかっていなかった。ただ世界の闇の奥底に一点の光りがあって、それが彼のためにだけ用意されており、彼を照らすだけために近寄ってくることを信じていた。
考えれば考えるほど、かれが栄光を獲るためには、世界のひっくりかえることが必要だった。世界の顛倒か、栄光か、二つに一つなのだ。彼は嵐をのぞんだ。しかるに船の生活は、整然たる自然の法則と、ゆれうごく世界の復原力とを教えてくれたにすぎなかった。

「午後の曳航」について日沼倫太郎の書評にこうあるそうだ。「龍二を殺すことによって、三島は青春を失った自分を殺した。殺される寸前に、龍二は呟いている。『……暗い沖からいつも彼を呼んでいた未知の栄光は、死と、又、女とまざり合って、彼の運命を別誂へのものに仕立てていた筈だった。世界の闇の奥底に一点の光りがあって、それが彼のためだけ用意されており、彼を照らすためだけ近づいてくることを、二十歳の彼は頑なに信じていた。』これは明らかに、二十歳の三島自身の肖像だろう。」(村松剛「三島由紀夫の世界」(新潮社)から)

「金閣寺」本文から

京都では空襲に見舞われなかったが、一度工場から出張を命ぜられ、飛行機部品の発注書を持って、大阪の親工場へ行ったとき、たまたま空襲があって、腸の露出した行員が担架で運ばれてゆく様を見たことがある。
なぜ露出した腸が凄惨なのであろう。何故人間の内側を見て、悄然として、目を覆ったりしなければならないのであろう。
(中略)
それから終戦までの一年間が、私が金閣と最も親しみ、その安否を気づかい、その美に溺れた時期である。どちらかといえば、金閣を私と同じ高さにまで引き下げ、そういう仮定の下に、怖(おそ)れげもなく金閣を愛することのできた時期である。私はまだ金閣から、悪しき影響、あるいはその毒を受けていなかった。
この世に私と金閣との共通の危難のあることが私をはげました。美と私とを結ぶ媒立が見つかったのだ。私を拒絶し、私を疎外して」いるように思えたものとの間に、橋が懸け等れたと私は感じた。
私を焼き亡ぼす火は金閣をも焼き亡ぼすだろうという考えは、私をほとんど酔わせたのである。同じ禍い、同じ不吉な火の運命の下で、金閣と私の住む世界は同一の次元に属することになった。私の脆い醜い肉体と同じく、金閣は硬いながら、燃えやすい炭素の肉体を持っていた。そう思うと、時あって、逃走する賊が高貴な宝石を飲み込んで隠匿するように、私の組織のなかに、金閣を隠し持って逃げ延びることもできるような気がした。
その一年間、私は経も習わず、本も読まず、来る日も来る日も、修身と教練と武道と、工場や強制疎開の手つだいとで、明け暮れていたことを考えてもらいたい。私の夢みがちな性格は助長され、戦争のおかげで、人生は私から遠のいていた。戦争とはわれわれ少年にとって、一個の夢のような実質なき慌ただしい体験であり、人生の意味から遮断された隔離病室のようなものであった。

戦争中の飛行機工場という場面は、まさに三島の経験を基にしている。中島飛行機時代は短い期間であったが、三島の心に深く刻まれているのだ。

「絹と明察」本文から。

(駒沢とその夫人の息子が戦争で戦死している。)
「昔やったら、二十歳や二十一、徴兵の年やな。ふふ、ひょっとしたら善雄はんの亡霊かもしれん。あのくらいの年……。

労働組合のリーダーとなってストライキを起こす若きリーダーが大槻という人物で、この青年も20歳という設定である。三島の作品には年長者(父)と若者(子)という設定がかなり多い。そのとき若者となるのは二十歳前後の青年であり、これは三島自身を投影しているのだろう。


西尾幹二「三島由紀夫の死と私」 (PHP)にちょっと面白いのが載っていたので引いてみた。


東大教授の三好行雄氏が最初に戦争体験の話題を出します。「三島さんの敗戦の受け止め方というのは、どうなのですか。“時代に裏切られた”という感じは、おもちになりませんでしたか」という質問に、次のような三島氏の答えが用意されています。

三島由紀夫・三好行雄「三島文学の背景」「國文学」昭和四十五年五月臨時増刊号から
三島 さあ……。ぼくは、それほどつきつめてなかったのだと思いますね。とにかく肌が合わないというか。とにかく感覚的にいやだ。それはいまだに続いている。戦後の現象にしても、それでは、戦争中はそんな肌があっていなかったといえば、これも合わない。だからやはり、一種のロマンティケルというのは、どの時代にしたって、感覚的な嫌悪をもつでしょうね。まあ戦争中は、自分は、ある意味で無資格の人間ですわ。からだは弱いし、兵隊にはあまり向かない人間だし。ですけども、無責任でいられるというか、勤労動員先にいても、だれも就職の心配するやつなんかいない。ある意味では完全雇用の時代ですから。そして、明日のこと、何も考えなくていい。そのなかで文学をやっていたというのが、忘れられない。けっきょく、それだけではないでしょうか。

おそらく、あとになっての感じでしょうけれども、「終わりだ」と思っていたほうが、自分のほんとうの生き方で、「先があるんだぞ」という生き方は自分の生き方ではないんだ、という思いがずうっと続いています。

それは、作家は、人生でいろいろ変貌していきますから、いろんな形が現象的に変わりますけれども、「明日がない」という生き方をしたい気持ちだけは、今も昔も、ちっとも変わらない。ただ、現れ方が違うだけで、「明日がない」という生き方をしたいという気持ちは、変わりはない。それをどういうふうに正当化するか、という問題ですよね。「金閣寺」的な正当化のしかたもある。それをやり尽くしたのですから、また別の方向で正当化しなければならない。だけれども、自分には明日がないということは、確実である、と。確実というのは、そう信じたいわけでしょ。「明日がある」という生き方をするのだったら、うそをついたことになるから。いやだ。今でも、ぼくはそう思っています。

それはヴァレリイもいっているように、作家というのは、作品の原因ではなくて、結果ですね。ですけれどもそういう結果は、ぼくはむしろ、自分の“運命”として甘受したほうがいいと思います。それを避けたりなんかするよりも、むしろ、自分の望んだことなんでから……。生活が芸術の原理によって規制されれば、芸術家として、こんな本望はない。
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしく見えようとも、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、自分の作品が累積されたことからくる、必然的な結果でしょう。ところがそれは、太宰治のような意味とは違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活にある必然を命ずれば、それは実に芸術の結果ではなくて、運命なのだ、というふうに考える。それはあたかも、戦争中、ぼくが運命というものを切実に感じたのと同じように、感ずる。つまり、運命を精算するといいましょうか。そういうふうにしなければ、生きられない。運命を感じていない人間なんて、ナメクジかナマコみたいに、気味が悪い。



これは「天人五衰」の新聞インタビュー記事から。

三島さんが仏教を作品背景に意識したのは昭和二十一、二年のころ、たまたま見つけたノートに「生まれ変わりをもとにした物語を書いてみたい」とメモしてあったそうである。「時期的には最初の長編“盗賊”の後あたりでしょう。すっかり忘れていたのですが、作家にとって一番大事なのはデッサンでも文章のスタイルでもなく、自分の人生とテーマとのぶつかり合いの時だと思う」


昭和20年の1月に中島飛行機にいた三島は、2月に東京へ帰り、2月15日に徴兵検査を受け合格すし、軍隊への入隊命令を受けた晩に三島は遺書を書いた。

「遺書」 
一、御父上様  御母上様   
  恩師清水先生ハジメ 學習院並二東京帝國大學在學中薫陶ヲ受ケタル諸先生方ノ御鴻恩ヲ謝シ奉ル
一、學習院同級及諸先輩ノ友情マタ忘ジ難キモノ有リ 諸子ノ光榮アル前途ヲ祈ル
一、妹美津子、弟千之ハ兄ニ代リ 御父上、御母上二孝養ヲ尽シ 殊二千之ハ兄二績キ  一日モ早  ク皇軍ノ貔貅トナリ     皇恩ノ万一二報ゼヨ  天皇陛下萬歳

といくらでも「二十歳」にこだわったものは出てくる。何にそんなに三島は「二十歳」に執着するのか。

さてさて、では三島由紀夫が二十歳になった日、つまり昭和二十年一月十四日は本人は何をしていたのかといえば……。
それが、母親の作ったホットケーキを食っていたんですね。
q_hotcakes_l.jpg

ホットケーキ!!って

……続く。
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