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二十歳の三島由紀夫 その6 無意識的記憶とホットケーキ

物語を物語る

二十歳の三島由紀夫 その6 無意識的記憶とホットケーキ
前回からの続き。
さて、このシリーズも佳境に入ってきました。
前回、前々回と、三島由紀夫が「二十歳」という年齢に異常なまでにこだわっていた、というところをまとめてみました。
なぜ二十歳なのか。なぜ二十歳の人物を登場させ、それを主体に据えるのか。
結論から言えば、三島はこれらの登場人物に自分自身を投影しているからだろう。この年に、終戦、失恋、妹の死…、次々と悲劇が三島を襲って、彼は「精神的な死」を迎える。これが人生の転換点になるほどの衝撃となった。これは本人が後に幾度も回想しているところだ。
つまり二十歳前のどこか夢見がちな青年期は終わりを告げ、衝撃的な出来事に遭遇することによって、現実的な成年になった、いや成らざるをえなかった。(それが後に、終戦や失恋による「文学」への強い志へつながる)
その境界線が「二十歳」なのだ。
となれば、三島由紀夫こと平岡公威が「二十歳の誕生日」の一月十四日に何をしていたのかというのが問題となろう。
なにしろ、彼の遺作「豊饒の海」では主人公が二十歳になれば死ぬ(そして生まれ変わる)ほどの最重要事項だからだ。
このとき、彼は群馬県太田市の中島飛行機製作所へと学徒動員されていながらも事務所の机で小説「中世」を書いていたということと、たまたま東京に帰省していて、母親の作ったホットケーキを食ったということだ。(このあたりは過去記事で)
これはまだ召集検査を受け遺書を書く直前であり、この時期こそ、彼にとっての最後の青春の日々だったともいえる。
私はここに着目してみた。
三島に関する論述はいくらでもあるが、本人の二十歳の誕生日に目を向けた人はいまい。
そして、ここに何かある、そう直感しているのだ。(ただし私の勘はよく外れるが)

さてさて、本題に入る前に、プルーストを。
マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」では、主人公がマドレーヌを紅茶に浸し、その香りをきっかけとして幼年時代を思い出が蘇るといった場面がある。これは食べ物と記憶の関連性としてよく取り上げられることなので有名でしょう。
プルースト
安直だがWikipediaの説明がいいので、そのままコペピしてみた。

『失われた時を求めて』は記憶をめぐる物語であり、その全体は語り手が回想しつつ書くというふうに記憶に基づく形式で書かれている。プルーストは意志を働かせて引き出される想起に対して、ふとした瞬間にわれしらず甦る鮮明な記憶を「無意志的記憶」と呼んで区別した。作品の冒頭で、語り手は紅茶に浸したマドレーヌの味をきっかけに、コンブレーに滞在していた頃にまったく同じ経験をしたことをふいに思い出して、そこから強烈な幸福感とともに鮮明な記憶と印象が次々に甦ってくる。「無意志的記憶」の要素はそれ以降物語の中にしばしば類似の例がちりばめられており、例えば『ソドムとゴモラ』の巻で「心の間歇」と題された断章では、語り手はバルベックのホテルに着いて疲労を感じながらブーツを脱ごうとした瞬間、不意に亡くなったばかりの祖母の顔を思い出して、それまで実感できないままだったその死をまざまざと感じさせられるという経験をする。

このような「無意志的記憶」の現象は最終巻『見出された時』において、マドレーヌのときと同じような経験をふたたびすることによって、その幸福感の秘密が解明される。それは、同じ感覚を「現在の瞬間に感じるとともに、遠い過去においても感じていた結果」「過去を現在に食い込ませることになり、自分のいるのが過去なのか現在なのか判然としなくなった」 ためであった。この瞬間〈私〉は超時間的な存在となり、将来の不安からも死の不安からも免れることができていたのである。そしてこうした認識とともに、語り手は自分の人生において経験した瞬間瞬間の印象を文学作品のうえに表現する決意を固めていく。このような「無意志的記憶」を文学作品において登場させたのはプルーストが最初というわけではないが、こうした現象はしばしば「プルースト現象」あるいは「プルースト効果」という言い方で知られるようになっている。


さてさて長い引用だが、これを踏まえる。

では、度々書いている三島由紀夫のホットケーキとは何かといえば、プルーストのマドレーヌにあたるのだ。
まず、中島飛行機製作所から父母に宛てた手紙。


昭和20年1月17日
……思いがけなく帰京でき、時ならぬ正月を致し候。後で思えば、十四日はわが誕生日、――寮へかへりて、速達及び御手紙拝見、殊に御母上様の御文章、感銘深く、ゆかりも深き廿一歳の一月十四日、御母上様の御廿一にて、小生を生ませ玉ひし記念の日に、わが家へかへれしも何かの縁。思えば思ふほど、御心づくしのホット・ケーキの美味しさ、忘れがたく候。――豆、乾パンなどハ同室の諸君とわけ合ひ、けふすでに一缶、消費致候。

誕生日に母親の作ったホットケーキを食べたというのが分かる。かなり美味しかったに違いない。彼にとって特別な「二十歳」の誕生日の思い出がホットケーキなのだから。そしてその二日後の手紙。

昭和20年1月19日 
……そう毎々わが家へかへりては、次第に歓迎されざるに至るべし、そのたびたびにホット・ケーキ二切れというわけにはゆくまじ、……

ここでもホットケーキのことが出てくる。戦中なので、ホットケーキは贅沢品だろうが、何度も手紙に書くほど美味かったというのか。それだけではあるまい。味覚以上のものが、三島の心に深く刻まれたのだ。

三島由紀夫の最後の作品は「豊饒の海」である。その最終巻が「天人五衰」だ。この本が三島にとって特別な意味を持っていることは周知のごとく。三島の自死直後、ドナルド・キーンのコメントに「ことしの夏、「豊饒の海」についていろいろ話された。「この小説に自分のすべてを書き入れたので、完成したら死ぬことしかできない」といった。」(朝日新聞 昭和45年11月26日)とある。
自分のすべてとは「自分自身」のすべてをこの小説の中に投じたということだろう。
三島由紀夫 天人五衰
そこにこんな文章がある。

目をさましてから永いあいだ、床の中で夢想に身を漂わせるのが、いつか本多の習慣になった。見た夢を牛のように、永いこと反芻しているのである。
夢のようが愉しく、光彩に充ち、人生よりもはるかに生きる喜びに溢れていた。だんだん幼時の夢や少年時代の夢を見ることが多くなった。若かったころの母が、或る雪の日に、作ってくれたホット・ケーキの味をも、夢が思い出させた。
あんなつまらない挿話がどうしてこんなに執拗に思い出されるのだろう。思えばこの記憶は、半世紀もの間、何百回となく折りに触れて思い出され、何の意味もない挿話であるだけに、その想起の深い力が本多自身にもつかめないのである。
改築を重ねたこの邸には、もはや古い茶の間は残っていない。ともあれ、学習院中等科五年生の本多は、その日が土曜日で、学校かえりに、校内の官舎にいる或る先生のところへ友達と二人で話をききに行ったあと、ふりしきる雪の中を、傘もなしに、腹を空かせて帰って来たのである。
いつもは内玄関から入るが庭の雪の積もり具合を見に、庭へ廻った。松の薦巻きが白く斑らになっている。石燈籠が綿帽子をかぶっている。靴底をきしませて庭を渡り、茶の間の雪見障子の中に動く母の着物の裾を、遠くから見ると心が弾んだ。
「おや、おかえり。お腹がお空きだろう。雪をよく払ってお入り」
と立ってきた母は寒そうに袂を胸に合わせて言った。外套を脱いで、炬燵に辷り込むと、母は長火鉢の火を、何か考え深そうな目つきで吹き立てて、おくれ毛を火の粉から守ってかいやりながら、吹く息の合間にこう言った。
「ちょいとお待ち。おいしいものを作って上げるから」
そして母は、小ぶりのフライパンを火鉢にかけ、新聞紙に浸した油で隅々まで潤した末、彼の帰宅を待って作っていたらしいホット・ケーキの白い粒立った乳液を、はや煮立っている油の上へ、巧みな丸を描いて注いだ。
本多が夢にたびたび想起するのは、そのとき食べたホット・ケーキの忘られぬ旨さである。雪の中を帰ってきて、炬燵にあたたまりながら食べたその蜜とバターが融け込んだ美味である。生涯本多はあんな美味しいものを食べた記憶がない。
しかし何故そんな詰まらぬことが、一生を貫く夢の酵母になったのであろう。その雪の午後、日ごろは厳しい母の突然のやさしさが、ホット・ケーキの美味を大いに増したことはたしかである。そしてこの思い出すべてにまつわる何か得体の知れぬ哀感、炭火を吹く母の横顔と、節倹を尊ぶ家風で決して昼間から灯をつけないで、雪明りはあっても仄暗いその茶の間に、母が息を吹きつのる毎に火の反映が頬を赤らめ、息を継ぐごとに忍びやかな影が頬に昇ってくる、その明暗を見守っていたときの少年の気持、……更には、いまだに本多の知らない、母の一生言わずに通した憂悶が心の裡に在って、それがそのときの母の妙に一心でひたむきな挙措や、常ならぬやさしさにひそんでいたのかもしれない。それがホット・ケーキのふくふくした旨さを通じて、愛のうれしさを通じて、突然透明に直視されたのかもしれない。そう考えなくては、夢にまつわる哀感が説明されないのである。
それにしてもその日から六十年が絶った。何という須臾の間であろう。或る感覚が胸中に湧き起って、自分が老爺であることも忘れて、母の温かい胸に顔を埋めて訴えたいような気持ちが切にする。
六十年を貫いてきた何かが、雪の日のホット・ケーキの味という形で、本多に思い知らせるものは、人生が認識からは何ものをも得させず、遠いつかのまの感覚の喜びによって、あたかも夜の広野の一点の焚火の火明りが万斛の闇を打ち砕くように、少くなくとも火のあるあいだ、生きることの闇を崩壊させるということなのだ。
何という須臾だろう。十六歳の本多と、七十六歳の本多との間には、何も起こらなかったとか感じられない。それはほんの一またぎで、石蹴り遊びをしている子供が小さな溝を跳び越すほどのつかのままだった。

まさしくこれは三島由紀夫の二十歳の誕生日の経験を基にしている。となればこの本多は三島由紀夫自身だと言えるだろう。(ちなみに昭和20年は大雪の年であり、同年の手紙や文章に雪の日のことが書かれている)
そして本文ではこの後、自らの死を予感した本多が月修寺にいる綾倉聡子に会いに行こうと思い立つ描写へと続く。
ホットケーキという一つの「記憶」から、「豊饒の海」ではすべてを覆すようなあのラストにつながり、三島本人としてはあの壮絶な最期を迎えることになる。(三島にとっては25年前の記憶)
「半世紀もの間、何百回となく折りに触れて思い出され……」と書いているほどだから、二十歳の誕生日の記憶が三島本人にとっても繰り返される思い出だったのだろう。そしてそのホットケーキとともにその時の心情や言動も思い出されたのではなかろうか。
死を前にして思い出されるのはやはり幸福な日々だったのだろうか。実際、三島はこの後自死するのだから。戦中ではあったが、三島にとっては中島飛行機製作時代はいい思い出だったのだろう。(戦時の中の青春という意味で碇シンジと同じだというはこういう点だ。)
となれば、自身の遺作となる「豊饒の海」のラストシーンの聡子のセリフも意味が深い。
『記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いようもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかい』

「豊饒の海・天人五衰」のホットケーキの記憶とともに語られるのは「時間の跳躍」だろうか。三島はここで「須臾」という言葉を二回使っている。「短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間」といった意味の仏教用語だが、この短い文章で同じ言葉を二回使う意図はなんであろうか。
こう考えると、上記のプルーストの無意識的記憶の説明が、ここでもそのまま「豊饒の海」の説明にそのまま使えるだろう。「無意識的記憶」「プルースト現象」によってこの小説が書かれているようにさえ思えてくる。
小説のラストの場面とホットケーキの場面を何度か続けて読むと、案外つながっているように読めてくるのは、私だけだろうか。

何かここにこの小説の謎を解くカギが、三島自死の意図を読み解く手がかりがあるような気がしてならないのだ。
となれば、問題となってくるのは、二十歳の誕生日に書いていた小説となるだろう。

それが「中世」だ。
中島飛行機製作所の机で書いたあの小説……

……次回に続く。
(ただし次回がいつになるかは不明)
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消えた二十二巻

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