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谷崎潤一郎の「活動写真の現在と将来」の後篇。

物語を物語る

谷崎潤一郎「活動写真の現在と将来」の後篇です。
感心したのは、最後の辺りにある、「我が国古来の有名な小説物語の類を、活動写真によって撮れるようになったなら、どんなに立派な、どんなに荘厳な映画が出来るであろうか、想像するだけでも、予は胸の踊るのを禁じ得ない」の部分だ。
そして、「東洋(日本)の歴史、人情を写した活動写真は、きっと西洋人の嗜好に合うに違いない」から精力的にドンドン作って海外に輸出すればいいと語っている。これなんかまさに映画を「コンテンツ」としてみているということだろう。日本のアニメ・マンガ文化はこれにあたるだろうし、韓国の韓流ドラマもこれに通じる。
谷崎潤一郎は、白黒・無声の活動写真の大正時代において、すでにこんなこと予見するようなことを言うのだから、ほんと一流の芸術家はスゴイなと思う。
では本文を。

予は前項に述べた活動写真の特長に基づいて、ここに彼らに二、三の警告を発したい。
目下の場合、日本特有の活動劇を撮影する営業者、舞台監督、俳優諸氏に、まずもって要求したいのは、徒に芝居の模倣をするなという一事である。自由にして自然なるべき活動劇を、窮屈にして不自然なる実演劇の束縛の下に置くな、という事である。
たとえば、彼らは、一つの場面を写すのに、いつも芝居の舞台面を念頭においている。殊に旧派の俳優のごときは、相変わらず薄っぺらな、横に長い二重舞台を使って、その上に多数並んだまま、一カ所で長いあいだ筋を運んでいる。これらは全く、活動写真の長所を殺しているのである。
西洋では、酒を飲んで酔っ払う光景を写すのに、役者に本物の酒を飲ませて、実際に酔わせる場合があるという。そのくらい自然を尊ぶ活動写真に、芝居の型通り「見え」を切ったり、変な立ち回りをしたりする必要は断じてない。なかでも、予が滑稽に感じるのは、活動劇が依然として男優の女形を使用することである。彼らはまだ、実演舞台と同じような扮装をして、それで見物客が欺かられていると思っているらしい。白粉を濃くすれば自然の白い肌に見え、墨で皺をかけば老人に見えるつもりでいるらしい。
老人は老人が扮し、女は女が扮するのは勿論のこと、なるべくなら頭も鬘を使わないで、禿頭でも白髪頭でも丸髷でも銀杏返しでも、地頭で間に合わす方がいいと思う。殊に散髪物は、日本にはいい鬘がないのだから、ぜひ地頭でやって欲しい。
芝居の模倣をしている間は、活動劇はいつまで立っても芝居を凌駕することは出来ない。これは要するに、活動劇には自ら異なった天地があり、使命があるという事を、自覚していない結果であって、今の活動俳優が、他の俳優に軽蔑されるのはむしろ当然といわなければならない。
もっともそれは俳優の罪ばかりでなく、弁士を持たなければ分からないような脚本を上場する、営業者の罪が大半を占めている。
予は決して、機関車の衝突だの、鉄橋の破壊だのという、大仕掛けな物を仕組んでくれというのではない。何よりまず自然に帰れというのである。そして、忠実に平坦に、日本の風俗人情を写してみろというのである。尾上松之助氏や、立花貞次郎氏の映画よりも、青山原頭のナイルスの宙返りや、桜島噴火の実況の方が、予にとってはどんなに面白かったか分からない。活動写真は筋は簡単であっても、ただ自然であり真実であるがために面白い場合が非常に多い。
何も最初から、高尚な文芸映画を作れなどとは要求しない。通俗な物で結構であるから、活動写真本来の性質に帰り、正しき方法によって、映写してもらいたいというのである。例の名金や、拳骨なども、極めて俗悪な筋であるが、映画にすると小説では分からない自然の景色や、外国の風俗人情が現れてくるために、大人が見ても充分に興味を感ずる。金色夜叉だとか、己が罪だとか、小説としては余り感心のできない物でも、日本の自然や風俗を巧みに取り入れて、西洋流の活動劇にしたら、きっと面白いに相違ない。
けれどももし、一歩進めて、日本に偉大なる興行者、偉大なる映画監督、偉大なる俳優が出現し、我が国古来の有名な小説物語の類を、活動写真によって撮れるようになったなら、どんなに立派な、どんなに荘厳な映画が出来るであろうか、想像するだけでも、予は胸の踊るのを禁じ得ない。たとえば平家物語のようなものを、実際の京都や、一の谷や、壇ノ浦を使い、当時の鎧衣装を着けて撮影したなら、恐らく「クオ・ヴァディス」や「アントニーとクレオパトラ」にも劣らないフィルムが出来るだろうと思われる。平安朝の竹取物語なども、トリック応用のお伽劇としては絶好の材料である。
そういうフィルムが沢山制作されるようになれば、舶来物の輸入を留めて、かえってこちらのものをどしどし輸出する事ができる。東洋の歴史、人情を写した活動写真は、きっと西洋人の嗜好に合うに違いない。音楽や文学や演劇においては、日本の芸術家が欧米に認められる事は至難だけれども、活動俳優にはそんな故障は少しもない。もし日本の俳優の名が、チャーレス、チャップリンのように世界中の津々浦々に響き渡ったら、日本人として快心の出来事ではないか。日本人で世界で名声を得たいと思うのであれば、活動写真の俳優になるのが一番いいであろう。
(弁士に関する後半部分は省略)

谷崎はここで活動写真にしたら面白い題材として「平家物語」を挙げている。
「平家物語のようなものを、実際の京都や、一の谷や、壇ノ浦を使い、当時の鎧衣装を着けて撮影したなら、恐らく「クオ・ヴァディス」や「アントニーとクレオパトラ」にも劣らないフィルムが出来るだろうと思われる。」とある。
確かに、スケールは壮大だし、人間ドラマも濃密だ。活動写真つまりドラマになった平家物語を谷崎は見たかったに違いない。

奇しくも平成24年のNHK大河ドラマは「平清盛」で、平家物語を題材としているようだ。
大河ドラマ「平清盛」
果して、谷崎潤一郎が胸を躍らせるようなドラマになるかどうか……。
最近の大河ドラマはハズレが多いからな……。
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