ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その3 「芸術」の章 後編
物語を物語る
「芸術」の章の後編
「単純さ」--たしかにこれは日本芸術の外面上の特徴の一つであると云える。だがこのようなわずかな表現手段によって、あのように豊かな発光を何によってなし得たのであるか、ということである。
絵を描くということ、写生をするというは、すなわち唯それだけでは、決してこれを芸術と見なすべきでなく、これらのものの価値は、その芸術家の心境の価値、ゆとり、落書き、思想傾向やその精神的な態度等、こういったものの価値によって左右されてきたのである。すなわち芸術家の人格がこの種の最高のものを持つ場合、つねにこの同じ性質がごくわずかな手段、ごくわずかな線描を駆使したその作品の中に包蔵されてきたのである。そして皮相的に眺めたのでは、その巧妙を極めた名手のことなどは、毫末も気付かぬような場合、また外観的にはただその暗示が認められるに過ぎない、そうした場合であっても、しばしば非常に重大な模範ともなるべき仕事が、その枢軸をなしているといった仕儀である。とはいえ、かような外面的な表現の単純さが、つねに思考の単純さ、清さ、ゆとり、あるは落書きと一致している訳のものでもない。精密に描きこんだもの、あるいは潤沢な色彩や金泥金粉のもの、豊かな点景をもったものの中にすら、換言すればあらゆるものの背後に芸術家の落ち着いた精神が宿っているのであって、これは恐らく日本芸術がもつ見事な驚異の一つであると思う。このために芸術作品のあの全財産が、単純で控え目なものにすら思えると云っても過言ではないほどである。
芸術とは畢竟性格に依存する事象である。
これらの芸術家は、今日の言葉で云う職業とは全く違った存在であった。これはほんの一部分の人であったにしても、ごく最近に至っても正当な事実であって、これは1924年に歿した天才画家の鉄斎の例をみても分かると思う。大部分の画家が僧侶か漢学者であって、芸術で金を儲けるなどということは、彼らにとっては全くけしからぬ話であった。自らの人格を腐敗させないということが、芸術にとって第一の前提であるということを、彼らはよく知悉していたのである。従って一般人が怖気をふるうあの貧困のごときものも、ここでは全く問題ではなく、むしろ望ましい状態でさえあったのである。世間的な権力や支配者富者に精神的に依存せぬことは、元より当然の結果であった。
(中略)
仏教と神道については、私の最初の著作の中に日本における最初の印象のままに、これを発表しておいた。仏教からは優秀な芸術作品がいくつも輩出しているが、それは日本人たちはある全く独自な直観という基礎をもっていたという、これだけがその理由なのであって、彼らはこうした行方によって中国の文化に沈潜し、最後にこれを日本的な形式に改鋳し得たのであった。仏教的な思想界にあっては、作品であろうと、あるいはそれ以外のものであろうと、優秀な作品は中国というものを乗り越えて、むしろ、ある他の日本の土地でなければ見い出せ得ない世界へ没入して行くように思えるのである。それゆえ、徹頭徹尾仏教文化に締結されているような作品が、必ずしも非常に興味あるものとは云えないのである。なぜならば、それらの作品は日本的であることはもちろん、中国的であれば朝鮮的でもあり、またインド的なものとして現出するからであって、従ってこれは「国際的」とも云え、結局は多少色彩が淡いものであるからに他ならないのである。日本を単に中国の亜流としたばかりではなしに、この先生より教えられたものからある独自なものを作り上げ、そうしたものを足場として、さらに前進して行こうとするそのために真に完璧な基礎をそなえている、そういった日本を示してくれる作品は上記のものよりも遙かに力強い。またこれとはおよそ別な感動を私たちに与えてくれるのである。
かくのごとき素質は、神道の中に見いだされるのである。たとえそうしたものに関係して、仏教の場合と同様な理由から多すぎる程の迷信や虚礼が跋扈しているといえども、これが神道をあらゆる他の宗教から区別しているのであって、それらに比べて、神道はその規準の点よりして、本来決して宗教でないと云え得る程のものである。これは一つの自然観であって、個々の現象も、自然の力も、また特殊な力の表出として登場する各個人々々でさえもが、神社の中にモニュメントとして保存されているのである。それらの放射力はこの神社に集中されているのであって、何も入っていないとも云えるこの固有な神社の小ささは、たとえばこれを一冊の書籍としてみれば、尊重している人が心の中でひもとく書、またあらゆるかの偉大な美しい感情が輝き出てくる書であるともいうことが出来得よう。日本の人がある神社に対して懐く尊崇の念は、教会に対して懐くキリスト教のそれとは全くその類を異にするもので、さらにまた寺院とか仏陀に対してわななく人の感情とも、およそ何のかかわりのないものとも云えるであろう。
私はこの神道の中に、真に日本的な芸術や文化感情に対する、その解決の鍵があると考えている。
いいことがたくさん書かれていますね。この短い文章の中に、日本文化を理解する上でとても重要なことが数々指摘されています。
前半部分では、日本文化を作り上げてきた日本の芸術家の精神性の高さを指摘している。
この高潔な精神性の高さは、残された絵画や彫刻などの芸術品を見れば分かるということだ。こういった部分が「ジャポニスム」となり西欧文化人の心を捉えたのだろう。
後半部分は、中国文化の影響を受けながらも、独自に発展した日本文化は、大陸文化とは全く異なるものになったという点を指摘している。
文化において大切なのは「分岐点」なのだ。
過去記事「日本文化論。「オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある。」 明石散人「日本史鑑定」から」
この中国文化と日本文化の大きな違いをタウトは何度も述べている。これは、過去記事で引いた、ドナルド・キーン、司馬遼太郎の対談でも同じことを言っているので、詳しくはそちらを。
過去記事「「銀」は日本人の美意識、つまり魂だということ。 」
そしてこの章の最後に、大陸文化と全く違うものになった原因が、日本人の持つ「神道」であるというのである。
神社や神道に対して、このタウトの解釈が卓見だと思う。
そして、これを受けて次章の「神道」になるわけだ。
画像が何かないと寂しいので、アニメで描かれる神社でも載せておきます。

これは「銀魂」に出てくる神社。
不思議なことに、アニメには神社がよく描かれる。なぜでしょうか。
現代の「ジャポニスム」であるアニメ・マンガと、日本人の魂の源泉である神社、何らかの関係があるからでしょうか。
タウトの文章を引くのも結局、ここに結び付けたいからです。
過去記事「アニメは日本文化を救えるか 第6回 アニメと神社」
……続く。