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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その4  「神道」1 日本文化に魅せられた欧米人たち

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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その4  「神道」1

日本文化の美に魅せられたタウトが、その独特な文化の源泉がどこにあるのかを考えた。その結果、行きついたのが「神道」だった。
その彼が「神道」について書いているのが本章となります。
タウトの意見のユニークな点は、外国人の芸術家が日本文化と神道の関連性を語っているところにある。日本文化や日本人の精神や神道について書かれた日本人論は数多くあるが、こういう視点はなかったのではないか。(いまでは多く見かけるが)
また、これが戦前の1936年・昭和11年に書かれたことも重要で、第二次世界大戦突入の直前という世界的に不穏な空気にあった、という時代背景が彼に大きく影響している。(タウト自身もナチスドイツからの亡命者)
そんな暗雲漂う時期にあって、日本人が日本文化を護り、その原点に帰ることを熱意を持って語っているのだ。
グローバル化だ!中国の膨張化だ!TPP参加でアメリカ標準に合わせろ! 平成の世の現代にあって、「日本文化」の危機は、当時と同じなのかもしれない。
では、本文へ。(この章は長いので何回かに分けて載せていきます)

神道 <単純性の持つ豊富性> 1

日本文化は、ただにアジア自身にとってのみならず、多くの点で、他の諸外国にとっても重要な価値を持っている。地球は実にこの島国に、いわゆる未曾有の価値を有する財宝を持っているのである。ドイツでは一時文化という語が多くの賢明な人々によって避けられていたことがあったが、それは、この語があまりにも激しい濫用のために空虚なきまり文句となってしまったためでもあり、ことに、それが多くの点で全然完全な内容を持たないようになったためである。では、文化という語の内容はいかなる点に存するのか、それは人生の諸相が一つの調和的な総体に結合せられる点にあるのだ。そしてヨーロッパ人の一部には、少なくとも現在までもなお生命を有している純日本的な伝統に関する限り、日本にこそ、これが実現されているのだと唱えている者がある。
だが一方には、これと対立的に、日本文化のかかる完成が結局同時にその弱点であると見なしている者もある。かかる人々は、この偉大な、あらゆる細部に到るまで精緻の極を尽くして完成された調和というものは、全然発展性のない硬化状態に陥るものだと考えているのである。それゆえ、エミール・レーデラー教授は、その著書「日本ーーヨーロッパ」の中で、ヨーロッパ文化を能動的でかつ他の影響にも敏感な動的文化と呼んだのに対し、日本文化を定着不動の静的文化と称している。彼の説に拠ると、あらゆる思想、時代傾向有力な人物、あるいは団体の影響に対して直ちに反応を示すことが、ヨーロッパ文化の長所と云っているが、しかしこの特質こそがヨーロッパの流行(モード)の混沌状態の素因なのであって、ここから典型的な欧米流行の概念が生じて来たのである。この概念の及ぼす影響の範囲というものは、たんに衣装や家屋のみに止まらず、理論、思想ないしは、その結果全然方向を見失った全生活態度にまでも及んでいるのである。レーデラー自身もまた、欧米が日本に及ぼした影響は、単に機械工業、特に軍需工業の上にのみ限られているのであって、真に文化的な影響は極めて皮相的なものに過ぎないことを確認している。これに反して、ヨーロッパが日本から摂取した影響は、文化的な事象にのみ見られ、ことに芸術と建築の領域においては、かなり深く滲透している所がある。現代建築術はその発生の時(1900年前後)以来、直接に日本の影響を受くるところ甚大なものがあるのである。要するに、日本からヨーロッパに渡来した所のものは何ら文明的なものではなく、欧米から日本に渡ったところのものは、何ら文化的なものではなかったのである。
日本の文化は決して地球上の諸文化の一つであるというに止まらず、生命力旺盛な調和である。それゆえ、いわば生きている存在たるかかる現象に対して、死人の特性、すなわち硬直状態を云々するのは誤解を招いた結論であると云わねばならない。それよりむしろ欧米における似非文化を指摘して、文化なるものの特徴は、人生の諸相を一つの調和的総体に融合せしむる点にあることを強調する必要があるのだと思われる。日本文化が芸術及び人間生活において恒に簡素を好む傾向を包蔵するものであるとするなら、これは実に、欧米の教養ある人々が、良い意味で「現代的(モダーン)」と呼んでいる所のものに他ならない。それゆえ、少数であるが、西洋の賢明な人々の持っている生命ある文化の概念は、良き日本の伝統に見られる原理と完全に一致するものと云えよう。
これを解明するためには、まず日本文化の根源、その中心にまで遡らねばならない。日本文化の根源をなし、中心となすものはすなわち神道である。なぜならば、神道はその根源を二千年の昔に有し、他国との関係は全然なしに生まれ来た、太古以来の純日本的所産であるからである。神道の内容は極めて単純で、天皇を中心として結晶し、日本国民相互間および国民との間の結合を醸成せる祖先崇拝観念が、その内容なのであるが、レーデラーはこの単純な根本の内容こそ、あのいわゆる硬直状態の原因をなすものだと見なしているのである。他の説教中心の宗教と並べて、これを一つの宗教と見る時、神道はもちろんそれほど内容豊富ではない。それゆえ、個々人がそれぞれの心の悩みの解決を見いださんとする時には、進んで仏教に入り、後にはキリスト教にも頼るようになったのである。だがこれらの宗教もまた、日本に入るや、神道発生の起因である日本人の楽天的素質、社会観のために、日本的に改造され、これらの宗教の中にある一切の陰鬱な威嚇は、自己の心霊生活の愉悦を得るための手段に変えられたのであった。この間にあって、神道もまた絶えず改新を続け来ているのであるが、これは、簡素なるものの中に、いかに大きな創造力、いかに自在な伸縮性があるからということに対する好例であると云えよう。日本文化の批判家は、まずこの現象を深く掘り下げて行って、文献研究のみに頼らずに、神道が全日本の国民生活の上に投影している、あの極まりない変化の姿を自分の眼で見る必要があろう。かくして後、これら批判家は日本文化がこれまでに示して来た力の由来する所を発見し、最も単純なるものこそ最も内容豊富なるものの母胎であることに、気づくに到るであろう。

面白いですね。日本文化がこれほど西欧文化に影響を与えていたとは。当時の外国人の芸術家が語るのだから事実なのだろう。
西欧・米国の知識人・文化人に愛された「日本文化」。こういう「ジャポニスム」があったことをもっと広めていいのでは、と思う。
韓流ドラマ、K-POPなんて「パチモン」が多少売れたくらいで喜んでいる韓国とは比較にならないじゃん。

このシリーズでは、現代の「ジャポニスム」であるアニメに登場する「神社」の画像を載せていきます。
アニメと神社 2 「日常」今回はアニメ「日常」です。
最近このアニメの舞台が群馬県伊勢崎市だと知った。この神社はもしかして華蔵寺近くの神社なの?ちょっと仕事帰りに写真撮ってきます。


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