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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その6 「神道」3 愛宕神社と震災と日本人

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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その6  「神道」3 愛宕神社と震災と日本人
前回からの続き

神道・神社を説明するにあたって、タウトは京都の愛宕神社へ行ったときの話を書いています。
愛宕
そこから日本人の宗教観を述べている。
そして、後半部分では、日本人が災害に遭ってもなぜ沈着冷静でいられるのかという疑問について、タウトは日本人と神社・神道の関係によってこれを説明している。
タウトが来日した当時、日本は関東大震災からの復興の最中だった。欧米人にとっても大震災後の日本が復興するかどうかに注目が集まっていたのだ。だが、タウトはそのとき日本人を見て復興すると確信したのだった。
過去記事「ブルーノ・タウトの言葉を信じれば、東日本大震災からの復興は成し遂げられる。」
その復興の大きな原動力は日本人の精神性の高さだといい、その根本に神道があると見抜いたのだった。
東日本大震災という大きな災害を経験した現代の日本も全く同じような状況にあるといえる。大災害に遭った東北人の冷静沈着ぶりは、日本人のみならず、外国人を驚嘆させた。これは今も昔も変わらなかった。
こういう精神を今も日本人は失っていないということが、大変喜ばしいことではないか。
日本人はこの「神道」的精神性の高さを保つことこそが、日本人たる所以となるのだ!

と前置きはここまで、本文を。


今ここに京都愛宕神社の例に取って見よう。ケーブルカーの起点よりもずっと手前の低い谷間に、既に「一の鳥居」が立っていて、往昔はここから険阻な参道を徒歩で登って参詣したものだそうであるが、今日では、まずしばらく電車を利用した後、かなり長いケーブルカーに乗り換え、その終点から徒歩で行くようになっている。老杉の聳える森の間を縫って、長い石段を登ると、そこに社領に入る門がある。それからまた長い道を経て掛茶屋のある展望台に達し、さらに左右両側に石灯籠をつらねた幅の広い険しい大石段を登ると、はじめて正門に達するのであるが、私が行った時には、この正門は丁度改築中であった。神道では、仏教と異なり、陰鬱な黴臭い空気を避けて、二十年ないし三十年毎に徹底的な、だがその形式は旧態そのままを伝える改築が行われるのである。この正門から右折して、非常に長い、屋根のある階段を登って行くと、ようやく本殿の前に出る。この本殿もまた最近に改築されたばかりであった。
私がそこに達したのは、もう闇のひしひしと身に迫る頃で、杉の木立を通してはるか下に京都の灯が見え、周囲はただ寂寞と静まりかえっているのだった。本殿を中心とする神域にはほとんど装飾というものはなく、神殿その他の建造物も建築術の上では、それほど重要なものではない。が、神像や彫刻やその他の宗教的装飾を全然備えていないということは、むしろ人の心を打つ力が大きい。全体が一つの観念の表現に集中されているのである。この官幣社の祭神は、活力と成功の神でもあるところの火神であって、商人達はここで神官より商売繁昌の護符や火災落雷避けの護符を買って帰るのである。この山は元来雷雨をはらむ雲間に聳えているので、そのために雷神がその本陣に鎮座していると信ぜられているのである。だが実際にこの本陣に飾られてある本体というのは鏡と塩である。これはどの神社でもそうなのであるが、塩が海だけを意味するのか、あるいは海と陸とを意味するものであるかは、私には明瞭ではない。しかし鏡の持つ意味は、恐らく「神といひ仏といふも世の中の心のほかのもかは」という源実朝の歌、あるいは謡曲「大社」の中の「いづくにか神の宿らぬ蔭ならん、嶺もをの上も松杉も、山河海村野田残る方なく神のます」という文句の中に現れているのではないかと思われる。
日本でいう神とか神柱とかいう言葉の意義は、キリスト教の立場からいうとそれとは全く異なっている。日本人にとってはーーこの点では総ての南アジア民族に共通なのであるがーー自然あるいは世界というものはあまりにも広大無辺なので、これを唯一の全能神の支配下にあると考えることが出来ないのである。一切の万有が、人間自身もまた、かかる広大無辺なるものの一部であると見なしているのであって、かかる自然宗教は、むしろ古代ギリシアの汎神思想と比較され得よう。神殿あるいは時には「神輿」の中に神が鎮座しているというような場合、ここに神と呼ばれているものは、元来あの広大無辺なる力、自然力とかあるいは万人の尊敬する人徳の一つを指しているのであって、それが純粋に神霊崇拝思想に拠るものか、あるいは単にいわゆる迷信の形で現れているかは、個人的な問題にすぎない。だが迷信がかかる形で現れるその素因も、また日本の自然、日本の生活の中に求められよう。農業の非常に早期な進展、あらゆる職業の極度の発達の中に現れている、日本人の精巧緻密な仕事に対する素質は、社会に対しても極めてデリケートな分化を実現するに至らしめ、その結果がまた上述の進展発達を促進せしめたのでもある。
かかる社会生活上の分化は、その精神的根拠となるものを宗教観の同様にデリケートな分化の中に求めた結果、変化極まりない精神的内容を持った無数の神社の出現となり、社会生活の微妙を極めた諸層の上に臨む上置きとして、これまた同様に微妙を極めた神道の組織が形成されるに到ったのである。この組織が日本人に自制の観念を植え付けたのであって、それは天候の急変、地震、海嘯(津波)等のごとき自然力の突発的襲撃に当たって、沈着冷静の行為を行わしむるためにも欠くべからざるものだったのである。全国民はその独自な地理的状態のために、本来は極度に神経質なのであるが、かかる神経質を毫末も表面に現わさず、自制心によってそれを克服するというのは、社会生活および精神的態度に現れている、あの組織の力に俟つ所が多いのである。それゆえ神社に参詣するとか、あるいは神官から護符、神託その他の物を買い求めて厄除にするとかいうことは、結局自分の神経を安めるためで、現代の精神病医や精神分析学者が応用している方法に均しいと云えよう。しかも宗教問題に関する限り、他宗排斥的な偏狭さはなく、熱狂的な信仰でもないし、また神聖冒涜の観念も存しないがゆえ、誰でもそれぞれ自己流の神恩の有り難さを称えることができるのである。神はここでは酒、石鹸の商標、料理屋その他のあらゆる「俗」用に供せられ得ないほど神聖なものではないのである。

とまだまだ続きます。

で、今回のアニメと神社は、「あの花」こと、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」です。これ結構好きです。
神社とアニメ 4
秩父神社ですね。
懐かしいな。よく仕事の関係で秩父に行っていたので、アニメを見ていて、「武甲山を眺めがらコンビニ弁当食ったけ」とか「仕事の会議で地場産センターに行ったよな」とかそんなこと思い出してしまった。
それに「秩父神社」は天海の徳川埋蔵金探しで何度かあの周辺をうろついていたので、近在の社寺が出ると「あっ、あそこ行ったことがある」とか、そんな具合で、とにかく懐かしかった。(まあこれは別の話ですが)

さて、その秩父神社もいまやアニメファンの「聖地」の一つとなったようで、アニメキャラの絵馬で埋め尽くされている。
絵馬
なぜ、アニメオタ・ファンは神社に集まるのか? 物語の舞台と描かれているから、いえ、それだけではないと思います。
きっと、そこに彼らを引き付ける何らかの力があるからでしょう。

まだまだ続くよ。

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