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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その8  「神道」5 神社と日本人、そしてなぜアニメに神社が描かれるのか

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ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その8  「神道」5 神社と日本人、そしてなぜアニメに神社が描かれるのか 
さてさて、「神道 <単純性の持つ豊富性>」の章の最終回です。
今回はこれまでのまとめの部分となっている。
この章では、西欧・米国を魅了した「ジャポニスム」である日本文化は、その源泉を「神道」の中に見ることができ、よって日本人と神道は切り離すことができないものであると結論付けています。たとえ経済発展によって社会変革が起ころうとも、政治改革が起こって国の体制が変わろうとも、日本人は神道を捨て去ることはできないし、してはならない、ということを説いている。
これは日本及び日本人の根幹であり、まさに国・民族のアイデンティティーに関わることなのだ。
では、本文を。

欧化思想やアメリカニズムは、伝統的な日本の諸形式に比べては純然たる無形式である。もちろん、ここで「無形式」というのは、相対的、批判的な意味で、つまり形式の完全な欠如ではなく、これらの形式が全生活と全く一致せず、内容を欠いているという意味なのであるがーーしからばそれらはただ未だあまりにも新しく、若過ぎるがゆえにのみ、無形式なのであろうか。私はそうは思わないのである。なぜならば、ヨーロッパを基準にして考えれば、それは決して若くはないのである。ところで日本ではすこぶる支離滅裂な、取って付けたような無関係状態にあるので、日本的なるものとの融合は、絶対に不可能のように思われる。
仮にヨーロッパあるいはアメリカの都会で、前述したような祭礼が、外観だけはそっくりそのまま模倣されたとしたなら、これに対して日本人は何というであろうか。いささか贅言かもしれないが、本章の冒頭でも云ったように、日本文化はヨーロッパ文化に莫大な影響を与えて来たのであるし、現在もなお与えつつあるのである。が、もちろんヨーロッパでは、殊に有力なる芸術家の間にあっては、日本的なるものの直接な模倣は、全然行われてはいない。彼らはむしろ日本の影響を、ただ自己の線の洗練のためにのみ利用したのに過ぎないのである。日本のごときかくも遠隔の地の文化が、かかる影響を与えることが出来たのは、一種特別な秘密に拠るのである。そしてこの秘密は、日本文化のあの外見上は素質的なものらしく見える堅実さにもかかわらず、直感的なものや手軽に達せられるものや即興に傾く傾向の中に存するのだと云えよう。私はこのことをあの単純性と極めて豊富な変化との結合から成る神道において、解明せんと試みたのである。
吉田兼好が十四世紀の初頭にものしたアフォリズムの中に、次のような箇所がある。
『すべて何も皆、事の調(ととの)ほりたるはあしき事なり。為残したるをさてうち置きたるは、おもしろく、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、かならず作り果てぬ所をのこす事なりと、或る人申し侍りしなり。先賢のつくれる内外(ないげ)の文にも、章段の欠けたる事のみぞ侍る。』
徒然草の独訳者グンデルト博士は、兼好を「いかなる型にも嵌めることの出来ない、しかも今日に到るまでもあらゆる精神的日本人の中に認めることの出来るタイプ」と称している。それゆえなお一文を引いて見よう。これはほとんどリヒテンベルクの作と云ってもいいくらいである。
「その物つきて、その物を費しそこなふもの、数を知らず有り。身に虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。」
もしこれが精神的日本人のタイプであるならば、神道もまた決して博物館の棚に曝されるようなことはないであろう。神道は今日すでに外観上にさえも、甚だしく合理化されている。例えば、かつては祇園祭の神輿を担ぎ、あるいは重い山車を曳くことは名誉であり、祝福でもあったのであるが、今日ではこれに報酬が支払われている。それにもかかわらず、生命の溌剌さから受ける印象は変わらないのである。これと同様にあらゆる神話や伝説も、多かれ少なかれ合理的な眼で見られるようになっているが、しかもそれらが現代生活に与えているものはなお豊富である。芸術の活動力は、今日日本になお豊富にあふれている、あの源泉から汲みだすことが出来るのである。
近き将来にこの国にいかなる政治的経済的発展が行われようとも、典型的日本の今日もなおかくも活発な文化的生命を鋏をもって切り取り、捨て去ってしまうというようなことは全然不可能であるし、また極めて有害なことであろうと思うのである。

最後の部分が心に響きますね。
過去記事「政教分離で公的支援困難 震災で寺や神社の再建進まず。」や「再建されない神社・寺」と「日本文化」と「グンソク」」でも触れましたが、震災や災害によって被害を受けても、政教分離の原則によって、神社や寺は公的資金が得られずに再建できないというのだ。
日本人にとって神社(寺も含む)・神道は切り分けられないものだと、タウトは熱く語る。関東大震災からの復興を成し得たのも、この日本人の精神(つまり神道的精神)があったからだとタウトは考えた。これらはこれまで引用して来たものを読めば、疑いようのないことだと強く感じるはずだ。
だがどうだ、平成の世の東日本大震災では、政教分離の原則があるから神社の再建はできないというのだ。まして、「神社は憲法違反だ」という極左がいて、最高裁でもそんな判決が出た。(過去記事「「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。」)
日本人の精神の拠り所までも喪失させようというのか!
ここを失えば、日本人はもはや日本人ではないだろう。
そして、そんな状況に陥ることを、手を叩いて喜ぶ国がたくさんあるということを忘れてはならない。

だから、何気なく見ているアニメでも、神社のシーンが出てくると、嬉しくなる。
アニメの中で、神社で頭を垂れる場面。
アニメと神社 
「けいおん」から。けいおんは意外にも神社の登場シーンは多い。
あずにゃん 神社
あずにゃんが先輩の合格祈願をするという「美しい場面」もある。
神社 初詣
「らきすた」から。初詣の場面。父と娘というのがいい。

神社と「ちはやふる」
「ちはやふる」から。近江神宮で参拝する主人公たち。これは本当に和文化にあふれたいいアニメだと思う。

大切なのはこういう日本人の精神を伝えることだ。
しかもこの日本のアニメが世界へ発信され、外国人の日本文化ファンを増やしているという事実がある。これはまさに現代の「ジャポニスム」と言わずして何というのだろう。
だがそれでも「クールジャパンはない、マスコミが吹いたウソだ」とか「広告会社の捏造だ」とか「思っているほどジャパニメーションは売れていないから、日本文化は広がっていない」とか言うのを最近よく見聞きする。これは「経済効果」や「ビジネス」といったカネでしか価値判断をしていない誤った考えだ。売れたとか儲かったとかいった価値判断で「文化・芸術」を見てはいけない。
ゴッホの絵は生前に一枚しか売れなかったし、ジャポニスムの切っ掛けとなった浮世絵は当初、陶器の包装紙でしかなかった。当時は対したカネには成らなかったものが、現代では芸術として評価されているのだ。
文化・芸術というものを、カネという物差しで計ってはいけない。民主党の事業仕分けのような愚行となるだろう。

詳しくは過去記事「アニメは日本文化を救えるか」シリーズで。
第1回 アニメでカネ儲け主義に走れば、アニメ文化は衰退する。
第2回 アニメと日本語
第3回 ソフト・パワーの時代。中国がパンダなら、日本はアニメだ!
第4回 文化はガラパゴス化することにその存在価値がある。そして、その象徴となるのが「アニメ」である。
第5回 こんな時代だからこそ、海外で日本文化を広めて日本ファンを増やそう。切っ掛けは「タイ焼き」から?……。
第6回 アニメと神社
第7回 これからの「クールジャパン」は、消費される文化を目指すのではなく、日本文化を広め、深める道を進むべきではないのか。
第8回 大切なことは何か


横道にそれた。「神社」に話を戻そう。
神社に関するタウトの文章をもう一度振り返ってみましょう。(「芸術」の章から)

(神道は)一つの自然観であって、個々の現象も、自然の力も、また特殊な力の表出として登場する各個人々々でさえもが、神社の中にモニュメントとして保存されているのである。それらの放射力はこの神社に集中されているのであって、何も入っていないとも云えるこの固有な神社の小ささは、たとえばこれを一冊の書籍としてみれば、尊重している人が心の中でひもとく書、またあらゆるかの偉大な美しい感情が輝き出てくる書であるともいうことが出来得よう。日本の人がある神社に対して懐く尊崇の念は、教会に対して懐くキリスト教のそれとは全くその類を異にするもので、さらにまた寺院とか仏陀に対してわななく人の感情とも、およそ何のかかわりのないものとも云えるであろう。
私はこの神道の中に、真に日本的な芸術や文化感情に対する、その解決の鍵があると考えている。

そう「何も入っていないとも云える小さな神社という空間の中」に日本人の精神や思考やアイデンティティーが、日本の美が、歴史が、伝統が、文化が、ぎっしりと詰まっているのだ。
だから現代の「ジャポニスム」であるアニメに神社が描かれるのは何の不思議ではないのかもしれない。
夏目友人帳 神社
夏目友人帳
神社とアニメ3
ちはやふる
シュタインズ・ゲート 神社
シュタインズ・ゲート
花咲くいろは
花咲くいろは
ひぐらしのなくころ
ひぐらしの鳴くころ
化物語 鳥居
化物語
A I R 美浜町 御崎神社
AIR
などなどちょっと検索すればいくらでも拾うことができる。過去記事でも「それでも町は廻ってる」「かみちゅ」「いぬかみっ」「瀬戸の花嫁」の神社の画像を載せいるし、このシリーズでも「銀魂」「あの花」「日常」を載せた。それほど、アニメと神社は相性がいいのだ。
そして、アニメでは鳥居が描かれることが多いことに気付く。象徴的に描かれる鳥居。なぜ鳥居なのか。
先日こんな記事を読んだ。
鳥居
日本の「鳥居」が頑丈すぎると話題に 海外の反応海外のインターネット上で大流行している話題がある。」というサイト記事だった。
「それが何と、日本の 「鳥居」だと言うのだ。どうやらネット上で1945年、原爆投下で壊滅した長崎で鳥居だけが無傷であったり、2011年の震災時にも 同様の事が起ったことから、 頑丈すぎる「鳥居」は何でできているんだ!と大きく話題になっているらしい。」とある。
大災害にも原爆にも負けない「鳥居」。
それはまさに、日本人の勁さ(つよさ)を象徴しているようだ。(「勁さ」の意味は、過去記事「ドナルド・キーン「日本人よ、勇気をもちましょう」から」、で。 )

アニメを作る方も、観る方も直感的に(しかも無意識に)、神社の中に日本人の心が、魂が、精神が、凝縮されていると知っているのだ。
そう、それはもう、日本人の血に刻まれていることなのかもしれない。

続く。
最後に大まとめをしたいと思います。
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