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物語を物語る

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木戸孝允の新聞記事が2つ出ていたので書き起こした。

物語を物語る

平成24年2月8日の読売新聞に木戸孝允の記事が2つ載っていたので書き起こしてみた。

国立歴史民俗博物館(千葉県・佐倉市)が所蔵する、明治維新の立役者・木戸孝允(1833~77年)を祖とする木戸家の総計1万5000件を超える資料を整理した『旧侯爵木戸家資料目録』が刊行された。一部は公開されたいたが、今回の目録でその全体像が明らかになった。
資料のうち重要なのが、昭和天皇の側近だった、孝允の孫・木戸幸一(1889~1977年)や幸一の父で、木戸家の養子になった孝允の甥・考正(1855~1917年)らの日記。
孝允自身の日記は宮内庁が所蔵している。木戸家では日記をつけるのが習慣だったようで、整理にあたった国学院大栃木短大教授は、日記の習慣は「孝允の教訓」によって始まったと指摘する。
数え14歳でアメリカに留学した孝正は、母親に手紙で「私ハ日本之手紙が一ツもかゝれません」と訴えるほど日本文を書くのが苦手だった。甥の将来を案じた孝允は「必ず一カ月に1、2度手紙を書いて送れ」とノルマを課し、妹である母親とともに厳しく指導した。
しかし上達をみないまま、母親は1875年に死去。孝正は79年1月に日記をつけ始めた。「それは母親や孝允あてに手紙を書くことの延長だったのではないか」というのが田中教授の考えだ。
幸一も孝正の勧めで、12歳から日記を始めており、「日本文の習得に苦労した自分に経験から、子供たちに日記をつけさせたといえる」と田中教授。貴重な資料は、親子愛の産物だった。(早川保夫)

木戸「1872年・岩倉使節団時の木戸孝正と孝允(右側)」(画像は拾いモノ。読売新聞では少し違うものが掲載されているがポーズは同じ)
これを見ると、木戸孝允の体格がかなり大きいことが分かる。
日記をつけることが木戸家の家訓となったと本文にあるが、これがのちの東京裁判の木戸幸一の日記としてつながるのだから、歴史というのは実に面白い。

初の木戸孝允伝を山口の書店が復刊
1896年(明治29年)に読売新聞で掲載された、木戸孝允に関する初めての本格人物伝『松菊餘影(しょうきくよえい)』が山口県のマツノ書店から復刊される。
本紙副社長、編集主幹を務めた足立荒人が執筆したもので、原本は1897年刊。京都・伏見の寺田屋にいた坂本龍馬が奉行の捕り手に囲まれた際、後の妻となるお龍が裸のまま危機を知らせたという有名な寺田屋事件(1866年)の後、木戸が難を逃れた龍馬を「己も一ぺん裸体で御注進と云う様な、有り難い目に遭ってみたいがのう」とからかった話など、関係者に取材して得たエピソードを収録する。明治20年代の幕末維新観を知る上で貴重な一書だ。
限定300部で3月上旬販売開始。7000円。問い合わせはマツノ書店。

やはり木戸孝允・桂小五郎はいいよね。
現代日本が見習うべきは国作りをした「明治の元勲」ではないのか、といつも思う。
過去記事
1、桂小五郎のカッコいいところをどんどん書いていく! 
2、木戸孝允のいいところをどんどん書いていく、その1
3、木戸孝允のいいところをどんどん書いていく その2
4、木戸孝允のいいところをどんどん書いていく その3。 木戸孝允・桂小五郎は本物の「憂国の士」であり、紛う方なき真の「サムライ」なのだ。

もう坂本龍馬はいいよ、「脱・龍馬」だ!
ゲンダイネットの記事はあまり引くたくはないが、これには同意するのでコピペしてみる。(ただし、橋下市長の教育問題に対する姿勢や愛国的思想には賛同する)

ついに橋下まで…「龍馬」を語る男がウサン臭い理由- ゲンダイネット(2012年2月3日10時00分)
 タレント弁護士崩れの男が、すっかり幕末の志士気取りだ。大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長が、「維新の会の船中八策を作る」と宣言した。船中八策は、大政奉還など、坂本龍馬が起草したとされる新国家方針だ。国政進出に向けた新たな政策づくりを龍馬の偉業になぞらえるとは、時代がかっている。橋下に限らず、龍馬を持ち出す政治家や財界人ほど、ウサン臭く見えるのは気のせいか。
 「二枚舌」の野田首相も「龍馬ラブ」を公言し、菅前首相も国会で龍馬を持ち出して「第三の開国」などと訴えていた。財界では、ソフトバンクの孫正義社長が大の龍馬ファンで知られている。
 「司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』のファンも多い。故・小渕恵三元首相やダイエーの故・中内功元会長などが有名です。政財界で『尊敬する人物』を聞くと、必ず龍馬の名前が上位にランクされます」(月刊誌編集者)
  かつて評論家の佐高信氏は、龍馬ファンの政治家や財界人について、「自らが何者かであると錯覚している」と喝破していたが、果たしてその通りなのか。それとも龍馬への単なる憧憬にすぎないのか。明大講師の関修氏(心理学)はこう分析する。
 「坂本龍馬は志半ばで倒れた。つまり、まっとうなことは掲げたが、実践に移すことはできなかった。掲げた構想を実践するにはマイナス面も伴うのが、本来の政治家の姿です。仮に龍馬が生き永らえていれば、後世の評価も変わったでしょう。『結果』がなく、後世に伝えられているのは『志』の部分だけ。だから、龍馬は改革者のイメージが強い。いわゆる“改革派”を気取りたい人にとっては都合のいい理想像なのです」 龍馬も勝手に慕われて迷惑しているに違いない。

なるほどね。「龍馬好き」の人はどうも軽薄に見えて仕方ない。サヨクが語る「平和」や、似非学者が語る「民主主義」や、拝金主義の経済学者が語る「グーローバル化」ぐらい薄っぺらいのだ。
過去記事 ドラマ「山田顕義物語」は「脱・龍馬」として意味がある。でも書いたように、もっと評価されるべき人物は日本にいくらでもいるはずだろう。

中でも木戸孝允は他の幕末維新の人物よりも不当なほど低く評価されているのではないか。
いまこそ再評価されるべき偉人だ。
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