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和辻哲郎「風土」の第四回目  気合いによる説明と寺田寅彦

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和辻哲郎「風土」の第四回目  気合いによる説明と寺田寅彦
前回の「気合い」による日本文化の説明の続きとなっています。
日本人特有の美的感覚は、この「気合い」にあるということを和辻は述べている。それは、連句、文芸、歌舞伎、茶の湯、能楽といった日本文化の中に秘められている。これは日本人は直観力に優れているからだといえるだろうというのが和辻の考えであった。
Wikipediaの日本文化の項目に上手い説明があった。(Wikipediaだといってバカにしてはいけない。上手いまとめ方や秀逸な記事を発見して、思わず感心してしまうことが多々ある。誰が書いているのか?ちょっと尊敬してしまう)
季節の部分から。

国土の大半が温暖湿潤な気候帯に属し、春夏秋冬がはっきりと推移するこの国においては、この気象条件から、稲作による定住生活が生活の基盤となった。それゆえ、この国に棲む人々は四季の移ろいに敏感で、穏やかではあるが自然に対して感受性の鋭い国民性が育まれた。また、周囲を海に囲まれ個立した島国であることで、他民族との接触に一定の制御が加えられ、前記の特質に加えてさらに、独特の繊細で豊穣な文化を醸し出す下地ともなってきた。

これがまさしく和辻の「風土」論だろう。

では、以下引用。

この種の特殊なまとめ方を思うとき、連想は我々の文芸の一つの特殊な形式「連句」に連れて行く。連句においてはおのおのの句は一つの独立した世界を持っている。しかもその間に微妙な「つながり」があり、一つの世界が他の世界に展開しつつ全体としてのまとまりを持つのである。
この句と句との間の展開は通例異なった作者によって行われるのであるから一人の作者の想像力が持つ統一は故意に捨てられ、展開の方向はむしろ「偶然」にまかされることになる。従って全体としてのまとまりは「偶然」の所産であるが、しかもそのために全体はかえって豊富となり、一人の作者に期待し得ぬような曲折を生じるのである。しかしながら「偶然」がどうして芸術的な統一を作り出し得るのであろうか。ここでも答えは気合いである。しかも人格的な気合いである。一座の人々の気が合うことなしには連句の優れたまとまりは得られない。人々はその個性の特殊性をそのままにしつつ製作において気を合わせ、互いの心の交響・呼応のうちにおのおのの体験を表現する。かかる詩の形式は西洋人の全然思い及ばなかったものであろう。
連句以外にも日本文芸はこれに類似した特殊性を持っている。かけ詞(ことば)による描写のごときがそれである。内容的には何のつながりもないように見えるものが、ただ言葉の連想によって次から次へ並べられる。内容の論理的な脈絡に従って描写するやり方に比べると、これはまさしく非合理的のはなはだしいものである。しかもこのような連想による言葉の羅列が、全体として強く一つのまとまった情調を浮かび出せる。なぜならばそれは言葉の知的内容から見て脈絡のないものであっても感情的内容から見て互いに相つながっているものだからである。人はこの種の描写の代表的なものを『太平記』や近松の戯曲の道行きなどにおいて容易に見出し得るが、さらに現実の直写をもって聞こえた西鶴においてさえも著しく目立つものであることに気がつかねばならなぬ。西鶴は確かにその作品のとことどころを連句の呼吸で描写した。前句の言葉の感情的内容が、その知的内容と独立に次の句を呼び起こし、かかる句の連鎖をもって事件の率直な描写に代えている場合が少なくない。このような言葉による一種の点描法も、知的内容において合理的な脈絡を見るのではなくただ気合いにおいて言葉の脈絡を感ずるという特性によってのみ可能とせざるものであろう。
この種の特徴の気合いの芸術としての能楽においても、茶の湯においても、歌舞伎においても、それぞれに見出し得ると思う。はるかギリシアの伝統を引いている仏教美術においてさえ、それはいくつかの適例を持っている。元来日本人は芸術的な国民として世界に許されているものであり、また実際内なるものを直観的な姿においてあらわにするという能力には優れた国民である。
しかしギリシア人が「見ること」において感じたのに対して、日本人が「感ずること」において見たという相違は見逃すわけには行かない。そうしてこの特殊性においては日本はシナやインドと共通である。ただ異なるのは気合いによるまとめ方であって、その点から見るとインドの芸術はまた全然異なったものになる。想像が混沌として群がっているようなアマラヴァティの浮き彫り、尖塔が混沌として集まっているようなヒンドゥの殿堂、――それらに見られるまとまりは合理的な規則にもとづくものでないとともにまた右に言うごとき気合いによるものでもない。われわれはそれが何であるかを言うことはできぬが、ただそれが合理的を圧倒することによって、また感覚を酔わせることによって得られるものであるとだけは言い得ると思う。
我々は「規則にかなうこと」を視点として東西の芸術を比較してみた。そうしてそれが西洋の芸術の性格であるとともに東洋の芸術の性格ではなかったことも明らかにした。我々はなおこのほかにもいくつかの視点を選ぶことができるであろう。特に「人間中心主義」ごときを。しかしここには問題を簡単にするためにただ右の一つの視点を保ちつつ次の問いに移ろう。右のごとき特殊性は「ところ」の相違とどう関連しているであろうか。

ブルーノ・タウト的表現部分を太字にしてみた。
日本文化の特長である滋味を、「味」とか「粋」とか表現することがあるが、和辻はこれを「気合い」という言葉を使って言い表している。
ここではその妙味を「連句」・「俳諧」で説明しているが、似たようなものを読んだのを思い出した。
同年代の物理学者・寺田寅彦の随筆の「涼味数題」だった。
寺田寅彦 随筆集

 ……少なくも日本の俳句や歌に現われた「涼しさ」はやはり日本の特産物で、そうして日本人だけの感じうる特殊な微妙な感覚ではないかという気がする。単に気がするだけではなくて、そう思わせるだけの根拠がいくらかないでもない。それは、日本という国土が気候学的、地理学的によほど特殊な位地にあるからである。日本の本土はだいたいにおいて温帯に位していて、そうして細長い島国の両側に大海とその海流を控え、陸上には脊梁山脈がそびえている。そうして欧米には無い特別のモンスーンの影響を受けている。これだけの条件をそのままに全部具備した国土は日本のほかにはどこにもないはずである。それで、もしもいわゆる純日本的のすずしさが、この条件の寄り集まって生ずる産物であるということが証明されれば、問題は決定されるわけであるが、遺憾ながらまだだれもそこまで研究をした人はないようである。しかし「涼しさは暑さとつめたさとが適当なる時間的空間的週期をもって交代する時に生ずる感覚である」という自己流の定義が正しいと仮定すると、日本における上述の気候学的地理学的条件は、まさにかくのごとき週期的変化の生成に最もふさわしいものだといってもたいした不合理な空想ではあるまいかと思うのである。
 同じことはいろいろな他の気候的感覚についてもいわれそうである。俳句の季題の「おぼろ」「花の雨」「薫風」「初あらし」「秋雨」「村しぐれ」などを外国語に翻訳できるにはできても、これらのものの純日本的感覚は到底翻訳できるはずのものではない。
 数千年来このような純日本的気候感覚の骨身にしみ込んだ日本人が、これらのものをふり捨てようとしてもなかなか容易にはふりすてられないのである。昔から時々入り込んで来たシナやインドの文化でも宗教でも、いつのまにか俳諧の季題になってしまう。涼しさを知らない大陸のいろいろな思想が、一時ははやっても、一世紀たたないうちに同化されて同じ夕顔棚の下涼みをするようになりはしないかという気がする。いかに交通が便利になって、東京ロンドン間を一昼夜に往復できるようになっても、日本の国土を気候的地理的に改造することは当分むつかしいからである。ジャズや弁証法的唯物論のはやる都会でも、朝顔の鉢はオフィスの窓に、プロレタリアの縁側に涼風を呼んでいるのである。
 この日本的の涼しさを、最も端的に表現する文学はやはり俳句にしくものはない。詩形そのものからが涼しいのである。……

なるほどなるほど、面白いなあ。
ほかにもこんな文章がある。「場面から場面への推移の「うつり」「におい」「ひびき」には、少しもわざとらしさのない、すっきりとして気のきいた妙味がある。これは俳諧の場合と同様、ほとんど説明のできない種類の味である。」(「映画雑感2」)「二十余年前にワシントン府の青葉の町を遊覧自動車で乗り回したことがあった。とある赤煉瓦の恐ろしく殺風景な建物の前に来たとき、案内者が「世界第一の煉瓦建築であります」と説明した。いかなる点が第一だかわからなかったが、とにかくアメリカは「俳諧のない国」だと思ったのであった。」(記録狂時代」)などなど、寺田寅彦は日本文化が持つ独特な妙味を「俳諧」で言い表しているのがわかる。

このころの日本人の知識人や日本に興味を持ち研究した外国人は、日本人が持つこの独特な「味」(日本文化のグルタイン酸、うまみ成分)を何とか説明しようとしなんですね。
実に面白い。

まだまだ続くよ。
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