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和辻哲郎の「風土」 第五回目 日本の四季とアニメ

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和辻哲郎の「風土」 第五回目です。
前回の「気合い」による日本文化の説明から、更に細かい考察に入っています。そして、今回ここで引くのは、日本の四季の説明部分です。
これが実に上手い。どう上手いのかというと、まさに文学的なのである。本書の後書き解説によれば、和辻は「天才的な詩人的直観」に優れていると評されているそうだが、感受性・直観力はもちろん、文章表現も所々で詩人・文士のような描写をしている。だから「風土」を読んでいて心地いいのは、これがただの肩ぐるしい論文ではなく、どこか文学的要素を感じられるからだろう。
和辻の経歴を見れば、谷崎潤一郎と交友があったり、学生時代に同人誌を作るといったことから、文学的才能も持ち合わせていたというのが分かる。
(寺田寅彦が夏目漱石の門下生だったりと、文学的才能がある人の書く論文や随筆は読みやすく、面白い)

さてさて、ブルーノ・タウトの「日本文化私観」の大まとめと「アニメは日本文化を救えるか」シリーズのまとめ記事で、和辻の「風土」を引用しようとして苦戦した、という記事を以前書いたが、引用しようとしたのは、まさに今回の部分。
過去記事 
「ブルーノ・タウトの「日本文化私観」その8  「神道」5 神社と日本人、そしてなぜアニメに神社が描かれるのか」
「アニメは日本文化を救えるか」シリーズ 第9回目 こんな感じでまとめる予定でした。

ただこの部分だけを引こうとすれば、前後の「気合い」や「東洋と西洋の風土の違い」「日本の台風的性格」といった箇所も引用しなければ意味が通じないし、では要約すればいいじゃんとも思ったが、これもなかなか上手くいかなかった。(だれか私に文章力と要約力を下さい)
そこで、必要箇所をまとめてそのまま引いていこうとしたのが、この和辻「風土」編です。
ということで、本文をどうぞ。

(西洋、東洋の気候の違いの説明をした後、これらを受けて日本の説明が入る。)
日本の風景が優美であると言われるのは、変化に富んだ小規模の起伏や鮮やかな色彩や大気の濃淡などによるのであって植物の形が温順であるからではない。植物の形にのみ着目して言えばそれはむしろ荒々しい乱れた風景である。それに反してヨーロッパでは、日本のごとき根強い雑草がはびこらず、従って柔らかい牧草が穏やかに大地を包み、樹木は風の苦労を知らない整った姿で立っている。それは実に温順な感じである。人がここから秩序正しさを感ずるのはいかにも自然なことであろう。
湿気はまた大気の感じを著しく異なったものにする。日本において我々が日常に触れている朝霧・夕靄、あるいは春霞などの変化に富んだ大気の濃淡は、一方では季節や時刻の感じあるいは長閑さや爽やかさの気分のごときものとして、他方では風景自身の濃淡のおもしろみとして、非常に重大な役目をつとめている。しかし湿気の乏しいヨーロッパの大気は、単調な靄あるいは霧を作り出してはいても、それによって我々の気分に細かい濃淡を与えるほどの変化には富んでいない。北欧の特徴である単調に陰鬱な曇り日、南欧の特徴である単調に明朗な晴天、――この単調さが確かにヨーロッパの特徴であると言えよう。これはまた気温の変化とも密接に関係する。
参考画像 (夕霞の画像)
寒暖計はヨーロッパの一日にも気温の高低のあることを示しているが、しかしそれはただ物理的な事実であって、我々の気分の上には決して顕著でない。湿気と温度との相関関係から起こるあのさまざまな現象、――たとえば夏の夕方の涼しさ、朝の爽やかさ、秋には昼間の暖かさと日暮れ時の肌寒さとの間に気分を全然変化させるほどの烈しい変化があり、冬でさえも肌をしめるような朝の冷たさの後にほかほかした小春日の暖かさが来る、――そういう変化に富んだ現象を我々はヨーロッパにおいて経験することができない。北欧の夏の暑さは冬服でも堪え得るほどの穏やかなものに相違ないが、しかし日が暮れても爽やかな涼しさがあるわけでなく、夕立が来てからりと気が晴れるというような変化があるわけではない。少し誇張して言えばそれは数ヶ月にわたる単調な一つの夏の気分である。単調に慣れたヨーロッパ人でさえもさすがにそれには堪え兼ねて土地を変えることによりその単調の苦しさを脱しようとする。冬になれば昼間も夜と大差なく零下何度の大気が静かにじっと淀んでいる。我々の肉体を緊縮させるという点では零下三度も零下十度も気分の上でいっこう変わりがない。たまに晴れた日があって日当たりのいい個所に行っても、その日光はちょうど月光と同じように何の暖かさもないものであり、従って日陰と日向にいささかの変わりもない。それは北を遮った日向がほかほかと暖かいのに一歩外に出れば寒風が肌を刺すというような日本の冬よりも、かえって堪えやすいのみならず、また進んでこの寒さを征服しようとする人間の意力を刺激するものであろう。だから人はこの単調さを、人工的に作った暖かい世界で人工的なさまざまの刺激によって克服することに努力する。
広重 夕立(歌川広重「「大橋安宅の夕立」)
こういう気候の特性は、人が自ら自覚している以上に我々の経験の深みにからみ合っているものである。植物でさえも顕著にそれを示している。日本において我々が見る新緑は、春を待ちかねた心が鮮やかな新芽の色を心ゆくばかり見守る暇もないほど迅速に、伸び育ち色を増す。柳が芽をふいたと気づいてからそれが青々と繁り出すまでは、実に慌ただしいと思うほどに早い。しかるにヨーロッパの新緑はちょうど時計の針を見守るような感じを与える。新芽は育っているに相違ないし、一月たてばかなり変わりもするが、決して我々が胸を打つような変化を示さない。紅葉もまたそうである。八月にはもう黄ばんだ葉がからからと音をさせている。しかし艶のない黒ずんだ緑は相変わらず陰鬱に立っている。そうしていつ変わることなく緑の色が徐々に褪せて弱々しい黄色に変わって行く。十月下旬にあらゆる落葉樹の葉が黄色になるまでの間、かつて我々の目を見晴らせるということが(ヨーロッパには)ない。夜の間の気温の激変で初霜がおり、一夜の間に樹の葉が色づくというようなあの鮮やかな変化は決して見られない。植物におけるこのような気候との関連は、移して我々の心の姿とも言い得るであろう。
ちはや(アニメ「ちはやふる」から、日本人独特の色使い)
我々はヨーロッパ人の中に身を置いた時、我々自身がいかにはなはだしく気分の細やかな変化を必要とする人間であるかに驚かざるを得なかった。単調になれたヨーロッパ人はちょうど樹の芽が落ち着いているのと同じように落ち着いている。ヨーロッパ人のうちで最も興奮性に富むと言われるイタリア人ですら、その言葉の抑揚や身振りが変化性に富んでいるほどには決して気分の細かな変化を求めない。もとよりこの落ち着きは、偉い禅僧が獲得しているであろうような、根深い人格的な落ち着きではない。ただ気分の単調に慣れているというだけの、いわば気分の持続性である。それに比して我々は、夏の日に蝉の声を聞かず秋になっても虫の音を聞かぬというようなことさえ著しく淋しさを感じるほどに、日常生活にさまざまの濃淡陰影を必要とする。ヨーロッパの近代文明を実に忠実に移植している日本人が、衣食住においては結局充分な欧化をなし得ず、着物や米飯や畳に依然として執着しているということは、それが季節や朝夕に応じて最もよく気分の変化を現わし得るという理由に基づくのではないであろうか。
夏目 ご飯(アニメ「夏目友人帳」からご飯の画像)

気候の特性はただに気分のみならずまた実用的な意味においても人間の生活を規定する。最も著しい例について言えば、ヨーロッパの農業は雑草との戦いを必要とせず暴風・洪水の憂いも少なく季節の迅速な移り変わりにせき立てられることもない、はなはだ悠長なものである。湿気なものである。湿気の関係からうねを作る必要もなく一面ばら蒔いた麦は、黄熟してからでも静かに一月ぐらいは立っていてくれる。七月の終わりに悠々と麦刈りをやっている農民は、九月の初めにもまだ悠々としてそれを続けている。それに比べれば、旬日の間に麦を刈って田を植え、しばらくたつと炎天の水田に田の草を取り、その息をつくまもなく台風と暴風というごとき人力のいかんともし難い自然の威力の前に心を悩ませるという日本の農民の労働は、そのめまぐろしさと烈しさとにおいて到底同日の論でないばかりでなく、自然と交渉する態度においてもおのずから異なざるを得ないであろう。単調にして温順な自然に征服的に関係するヨーロッパ人が、土地のすみずみをまで人工的に支配したその支配を容易ならしめるために熱心に機械を考えるのに対して、徹底的に征服するというごときを人間に望ませないほど暴威に富んだ自然からその暴威の半面としての潤沢な日光と湿気を利用して豊かな産物を作り出そうとする東洋人は、人工的な手段を思うよりもむしろ自然自身の自ずからなる力を巧みに捕らえ動かそうとする。かかることがやがて合理的な性格の著しい技術とただコツをのみ込む事によって得られるような技術との相違となって現れるのであろう。
いろは(アニメ「花咲くいろは」から、田んぼの画像)

所々、アニメの画像を入れてみました。
過去記事でも入れたように、日本文化の継承は意外にもアニメにも受け継がれている。
何気ない風景の描写に、日本の風土を感じる。アニメを見ていると、和辻的にいう「朝靄」や「夕霞」などなど日本的なもの(「四季・湿度」)を表現しているものを多く見つけることができる。
アニメ 風景1(「夏目友人帳」の夕日)
アニメ風景2(「ちはやふる」から新緑からの木漏れ日)
これらはほんの一例。
最近のアニメを見て驚くのは、その絵の素晴らしさ、美しさである。そこには日本文化特有の意匠や構図が描かれているだけではない、日本の美しい四季が描き出され、日本の風俗、習慣さえもそこに盛り込まれている。
まさに、これこそが「国ほめ」なのだ。(「国ほめアニメ」を褒めよう!)
それは、ハリウッドのピクサーCGアニメにはない「美」なのだ。(CGアニメがリアルになればなるほど(特に人間)、入り込めず、全く心を動かされない。たとえそこでいい話が展開されようとも、感動的な物語が描かれようとも、私にはどうも機械的なものが動いているようにしか見えないのだ。まあこれは私だけだろうが……。)
金銭ベースのビジネスで見れば日本のアニメは大して儲かっていないだろう。しかし大切なことは、そこではない。大事なのは、こういった「日本的な美」をアニメを通じて世界中の人々が見るということだ。
それは「ジャポニスム」の浮世絵のように、最初は些細なことから始まり、そこからどれだけの多くの海外の人々(特に欧米知識人)が、日本贔屓・日本文化愛好家(日本ファン)になったことか。そこを忘れてはならない。(ここはブルーノタウト編やアニメは日本文化を救えるか編で説明しています。)

では、少し関連のある新聞記事を。平成24年2月12日 読売新聞の「皇室ダイアリー」から

1月28日、学習院大で開かれた国際シンポジウムで、三笠宮家の寛仁さまの長女、彬子さまが、若手研究者の一人として研究報告をされた。
彬子さまは、現在、立命館大学衣笠総合研究機構に勤務、海外の日本美術コレクションや文化交流史を専門にされている。この日のテーマは「海外における『日本』像の発信」で、内容は主に、大英博物館が19世紀から20世紀にかけ日本の文物をどのように収集展示してきたかや、同館の日本関連展示の最近のトピックだった。
「海外で5年以上過ごし、日本のイメージが二極化していることを実感しました」など、体験をまじえ豊富な文献を示して滑らかに語る内容には引き込まれた。
特に、同館の日本陶磁器のコレクションの始まりから、「MANGA(マンガ)」が成熟した日本独自の表現方法として同館で「展示」されている事実までを通史的に解説し、当時の関係者の思考にも言及して解釈を加えている点が印象的だった。
博士課程修了後も研究を続ける「ポスドク」と呼ばれる若手には、能力があるのに任期付きの不安定な立場でいる人が多い。学術分野での女性皇族の活発な活動が知られることは、多くの若手研究者にスポットがあたるきっかけにもなるだろうと思う。(編集委員 小松夏樹)

興味深いのは太字の部分。「マンガが成熟した日本独自の表現方法」として海外に認知されている。それはアニメも同様だろう。言うなれば、日本人が持つ独特の「美」意識は、形を変え、表現方法を変えながら、過去から現代へと継承されているということだ。
日本文化は、時代々々で断片的に興隆しているわけではない。日本人が持つ独特の美意識が、上古の時代から綿々と受け継がれてきたものが重層的に積み重なって「日本文化」となったのだ。(三島由紀夫がいう「文化の連続性、文化のコピー」というのはこういうことだろう)
それを和辻哲郎は、まず東洋と西洋の「風土」違いによって説明し、また大陸文化のシナと台風的性格の日本の気候・風土の違いによって、これを解説しようとしたのだと思う。
「日本文化」の考察、この一点だけでも十分に「風土論」は不朽の価値があるのだ!

さてさて、和辻が解説した日本独特の「風土」が、アニメやマンガで描かれているのを発見して、思わず嬉しくなる。最近はこんな視点でアニメを見ている。

……「風土論」はあと1回で終了予定。
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